フリーター、家を買う。というドラマについて

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331学生さんは名前がない
〇無職・ニートの一生

10〜20代: 毎日ネトゲや2ちゃんをしながら、このまま一生が過ごせたらいいなどと夢想しつつ、
       自由を謳歌した気ままな生活を送る。2ちゃんでは、身の程をわきまえず、
       団塊世代やマスコミを槍玉に挙げて、高尚な議論をぶって得意になってみたりもする。

20〜30代:やがて親は定年で退職するも、家計を養うために老体に鞭打ちパートに出る。いつか変わってくれると信じて。
       しかし親心も分らぬ身勝手な人間であるので、相も変わらず2ちゃんやネトゲに埋没。
       それどころか親不孝にも、2ちゃんで一生このまま過ごすだとか豪語する。

30〜40代:無理が祟り、突然父親が倒れる。ようやく今後に漠然とした不安を抱く。
       入院費用は高額で、実家の金銭的余裕は徐々に失われていく。ある時、死後の自分の生活について、
       父親が心配していると母から聞き、涙する。しかしもはや就職、社会復帰など非常に厳しい。
       父親の葬儀では親戚一同から白い目で見られていることに気づき、居たたまれなくなり実家を飛び出す。

40〜50代  :行くあてもなく数日で家に戻って来るが、母親に会わせる顔もなく、ついに完全に部屋に引き篭もる。
       いつしか母親も年を取り、毎日寝たきりとなる。しかし介護もせずに放置する。母はうわ言の様に、
       もはや生まれる可能性もない孫の顔を早く見たいと話すが、それを聞く度に憎しみを覚える。
       母親の医療費と生活費で貯蓄も消え、修繕費も払えなくなった実家は、もはや廃屋同然。
       何十年も前の型のPCで繋がっているネットで、無残な現実から逃避する。

50代〜  :母親は不幸なまま死去。今では電気も水道も動かない。この廃屋を売ろうかとも考えるが、
       売り方も分らず、売れるとも思えない。貯金はもうなく、最後の時が迫ってきているのを感じる。
       自分の人生は何だったのか。街を歩くと、自分と同年代の人が孫と散歩しているのを良く見掛ける。
       それに対して自分にはもう誰もいない、死んでも誰も気にしない。孤独と絶望。

終末   :死後数年経って発見。共同墓地行き。