パピヨンの裁判は5月14日東京地裁815法廷で午後3時から!
二人が家に着く頃には外はもう暗かった。母親は二人の帰りを首を長くして待っていた。
アルカの家はごく普通の何の変哲もない木造一階建ての一軒屋だった。パソコンやらテレビやら車やらの近代的な機械は何もない。これはアルカの家に限らず、この島の家はどの家も同じだった。日本のような先進国とは暮らしぶりが根本的に違うのだ。
「ただいま」
父親は家のドアを開けながら言った。
「ずいぶん遅かったじゃない」
母親は時計を見ながら言った。時計の針は八時十六分を指している。
二人がこんなに遅くまで釣りから帰ってこないことは今までなかった。
母親が心配するのも無理はない。
「ちょっと寄り道してたんだ」
荷物を下ろしながら父親が言った。
「今日もお魚いっぱい取れたよ」
魚と木の実がたくさん入ったバケツをアルカは母親に見せた。母親はそれを見て喜んだ。
「柿や桃まであるじゃない。買ったらけっこう高いのよ。あら? この木の実は……」
「知ってるのか?」
父親は訊ねた。母親はその得体の知れない木の実を見ながら口にした。
「これはアパラスの実よ。昔、博物館で見たような気が……」
母親にはかすかな記憶があった。
「へぇ アパラスの実って言うんだ。それで、食べるとどんな味がするの? 食べられる?」
アルカは興味深々に訊ねた。
「分からないわ。詳しく知りたかったら村長の所にでも行って聞いてみたら分かるんじゃないかしら」
「うん、そうする」
今日は土曜日で明日も学校は休みだ。
アルカは明日、村長の家に行ってこのアパラスの実のことを詳しく聞くことを決心した。
翌朝、アルカは朝早く布団から飛び起きて、アパラスの実を持って村長の家に向かった。村長の家はここから二十五キロ。
何回か行ったことはあるので場所は分かっているがちょっと遠い。アルカは自転車をふかせた。
「なんだ、アルカじゃないか。どうした?」
村長は家の庭で草木に水をまいていた。村長はアルカのことをよく知っていた。
四年前、アルカがまだ九歳だった頃、毒蛇に噛まれて大騒ぎになったことがある。
その時も村長の適切な判断で正しい血清が打たれ、大事には至らなかったのである。
村長はずっと昔から村長で現在八十九歳である。何でも知っているもの知り村長として通っていた。
「この木の実知ってる?」
アルカはズボンのポケットから木の実を取り出して見せた。
村長は老眼なのでその木の実が何なのかすぐには答えられなかったが、
アルカに近寄り、木の実を手に取って確かめるとビックリして大きな声を出した。
「アパラスの実じゃないか!」
「あっ、村長やっぱり知ってるんだ」
普段は温厚な村長が大声を出して驚いたので、これは何かあると思いワクワクドキドキした。
わざわざ聞きに来た甲斐があったと思った。
「どんな木の実なの?」
アルカは答えを楽しみにしながら訊ねた。村長は口を開いた。
「この木の実を食べた人間は……なんと妖怪になってしまう」
「マジで!??」
子供のアルカにすら信じられない話だった。今日はエイプリルフールではない。
真面目な村長がこんなくだらない嘘などつくハズがないのだ。村長は話を始めた。
「このバンパラス島に妖怪が住んでいることは知っているな」
村長は真剣な顔をして話を進めた。村長は話し出すとだいたい長くなる。
「昔々、今から六十年ほど前になるがこの実を食べて妖怪になってしまった男がおったんじゃ。
その男は完全に妖怪の姿になって自分はすっかり妖怪だと思い込んでしまった――。
おまけに人間だった頃の記憶も無くして記憶喪失になってしまったんじゃ」
「へぇ〜」
アルカはまばたき一つせずに話を聞いた。
「アパラスの実は全部で三種類ある。一つは今、アルカが持っている丸い木の実。
これは姿の木の実で、これを食べると姿が妖怪になってしまうんじゃ」
アルカは手に持っている木の実を見つめた。そして、
「じゃあ他の二つの木の実を食べるとどうなるの?」
と、質問した。村長はそれに答える。
「他の二つの木の実は思考の木の実、記憶の木の実と言って、
その名の通り食べるとそれぞれ思考と記憶が妖怪になるんじゃ」
「思考と記憶? どういう意味?」
いまいちピンと来なかったアルカが聞き返した。
「思考が妖怪になるというのは自分が妖怪だと思い込んでしまうということじゃ。
記憶が妖怪になるというのは人間だった頃の記憶が全て無くなってしまうということじゃ」
村長は説明した。
「なるほど〜」
アルカはなんとなく理解したが、やはりその木の実を実際に自分で食べてみるか、
せめて食べた人を見ないことにはわからないと思った。
「ところでこの木の実はどこで見つけたんじゃ?」
村長が訊ねた。
「お父さんと一緒にパター山に行ったんだ。森に入ってすぐのところにこのアパラスの実がなっている木を見つけたんだ」
「そうか……。あそこは危険だから普段は立ち入り禁止になってるんじゃ。今度、アルカのお父さんにも注意しておこう」
その後も、アルカが村長にアパラスの実のことをしつこく聞いてきたので、
村長は特別に村の倉庫に保存してあるアパラスの実を見せてあげることにした。
その倉庫は大きかった。村長は鍵を外して倉庫の扉を開けた。
《ガガガガガ――――》
扉は錆び付いていて鈍い音を立てながら開かれた。
普段、そんなに使われていないのだろう。村長とアルカは倉庫の奥に進んだが、
クモの巣はもちろんネズミやモグラまで現れた。
「まだ行くんですか」