なんで日本は戦争に負けたの?

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348学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 14:35:52 ID:tQ0w/rrX0
>ひとえに精神力の不足

こんなこと言ってる奴がいるから負けたんだろうな…
やる前から負けはわかってたんだから
349第一町人 ◆PurinnMcVg :2007/01/21(日) 14:39:01 ID:FyHXdAql0
ひとえに首脳部の無能
350学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 16:18:28 ID:0v0vFd8N0
>>347
まあ朝鮮半島関係の話になるとまた色々と出てきそうなんだが・・・
彼ら(朝鮮人)にとってはもっと上手に日本を敗戦させることができなかったの?という不満が米国に対してはあると思う
日本がポツダム宣言を受諾して、一瞬朝鮮半島を統治する政府がなくなってしまったのが原因で南北に分断されている
351学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 16:42:33 ID:bHmkyuW/0
>>289
> ちなみに満州は中国に含まれるんですか?
> ってアメリカに聞いたのかね?
確認してない、というのが有力な学説。証拠になる資料を焼却した可能性もなくはないが

でもハルノート以前に開戦決意してたけどね

>>311
> その上一次大戦後は対日政策強化してたんだから反米感情悪化するのも無理は無い。
んーでも1930年代に結構アメリカニゼーション進んでるんだよね
フリスコの学童排斥はその前後だけどさ

反米感情が国民の間で広まったのは1943〜44年あたりからの話

> 何度も言うけど開戦の原因を日米のラインだけで見ると始末が付かないんだって。
確かに、開戦直前は反英感情のほうが高かったからねー

>>343
鉄鉱石もあるお
農業移民先にもなってたお

>仲良く搾取出来たのは一次大戦までだね。
これはちょっと違う。公然と仲良くから、後ろで手を組んで、って格好
満州事変の調停案だって、日本に有利なプランだったわけで
352学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 16:46:08 ID:bHmkyuW/0
>>350
> 日本がポツダム宣言を受諾して、一瞬朝鮮半島を統治する政府がなくなってしまった
これは違うぞ
38度線以南は実質旧総督府のシステムを介した軍政
郵便とか鉄道みたいなインフラもね

北は急速に排除したけどね
353学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:07:40 ID:0v0vFd8N0
>>352
>> 日本がポツダム宣言を受諾して、一瞬朝鮮半島を統治する政府がなくなってしまった
これは違うぞ

ちょっと表現が不味かったな。すまん。
だが結果的には内戦状態になってしまった。無政府状態であったと言ったら言い過ぎだろうが極度の内情不安定な国だったと思う
簡単な話、軍隊が2つある国家だったわけでしょ?
354東海アンテナ ◆VGHYdebQww :2007/01/21(日) 18:09:51 ID:4bTdP4SMO
永田が死んでオワタ。

355学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:13:44 ID:bHmkyuW/0
>>353
たしかに南の内政はキテた
信託統治容認派や北との合同派に南で単独独立派もいるわで凄い

北は北でソ連がガン飛ばしてたが

軍備は微妙
北はゲリラ戦経てたり十分赤軍にしごかれて、軍隊と呼べるレベルだが、
南は米側が南の暴走恐れて軽装備にとどめてたからね
警察軍に毛が生えたくらいか?
356学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:14:58 ID:bHmkyuW/0
>>354
鉄山さん?
確かに歯止めになった可能性はあるな
宇垣内閣の流産も防げたかもしれない
357学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:21:02 ID:0v0vFd8N0
>>355
これを言ったら賛否両論になりそうだが、日本が降伏したときに南朝鮮の軍隊は日本本土上陸作戦まで発案し東京を占拠するつもりだったらしい
実際には釣魚島を占領したところでGHQが止めにかかったと聞いている
358学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:22:37 ID:bHmkyuW/0
>>357
> >>355
> 南朝鮮の軍隊

大韓民国臨時政府、はちがうし、何のこと?
359学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:31:33 ID:0v0vFd8N0
>>358
何度も言うが、戦後の朝鮮半島については勉強、言葉足らずですまん。間違いがあったら謝る。
大韓民国臨時政府前の抗日派じゃないかな?
米国によって日本は徹底的に武力解除されたし、日本の軍隊も解散させられていたから日本は外敵から守る手段を日本独自ではまったく持っていなかった
40年もの朝鮮併合(朝鮮の方は植民地支配、と言いますが日本に取っては植民地支配ではなく、日本の国土の一部として半島を考えていたわけだと思います)

間違ってたらスマソ。
360学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:36:48 ID:bHmkyuW/0
>>359
> 大韓民国臨時政府前の抗日派じゃないかな?
大韓民国臨時政府ってのは戦前から上海に置かれてた一種の亡命政府
結局解放後の韓国にはほとんど寄与できなかったようだが

> 米国によって日本は徹底的に武力解除されたし
いや、ポツダム直後はまだ解散してないよ
マッカーサーの先遣隊が来たのは8月30日
ミズーリ号での降伏文書調印は9月2日

そこから急速に進んでいったわけ
実際玉音放送後も樺太と北千島でで死闘を繰り広げていた

尖閣諸島は守備隊置いてないから容易に占拠できただろうけど
361学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:37:57 ID:Cn7cq4eK0
>>359
たぶん李承晩のころの大韓民国じゃない?
やつは一方的に竹島を占有宣言してきた奴だし。
軍隊はたいした物はなかったと思うよ
362学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:41:53 ID:0v0vFd8N0
>>360
あまり深く突っ込まないでくれぇ・・・ここらへんは得意じゃない・・・
でも敗戦までは日本固有の領土とされて実効支配もしていた竹島を事実上取られてしまったということは・・・
朝鮮の人は本気で40年の恨みを晴らすため日本本土上陸作戦を発案し東京占領の計画を立てていた

・・・・と聞いたことがあります
363学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:45:24 ID:bHmkyuW/0
>>362
それ単に四ヶ国分割占領案(米英中ソ)にウリも加えろニダって騒いだだけじゃん?
364法学部ですが何か? ◆JURISTzpJw :2007/01/21(日) 18:48:16 ID:a1TS52MG0
ちょっと亀になっちゃたけど、満洲について。
明治以降、満蒙は「血であがなった土地」という評価があったので、いかなる譲歩もできなかったんです。
仮に政府が受諾する気でも、枢密院や軍部大臣武官制によって妨害されるのは目に見えていた。(ロンドン海軍条約)
ハルノートが最後通牒か否かは諸説ありますが、対日石油禁輸がそもそも筋違いであったという前提を踏まえておく必要があります。
米国が砲艦外交で中南米を支配下においたとき、日本が文句を言ったでしょうか?寡聞にして知りません。

>>292
日産や日窒といった新興財閥についてはどうでしょうか。

>>322
>日本はGDPで10倍以上離されてる国に いきなり殴りかかったのはまずいと
大国ロシアに勝った経験が…

>>341
満洲については上記のように重要性が認知されてましたが、支那については
>俺には国民が盲目的に中国は生命線だ!って信じ込んでたように思えるんだけど
なんてほとんど考えてないと思いますよ。だから若槻内閣も不拡大方針をとったわけで。
365学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:49:22 ID:0v0vFd8N0
>>363
またも聞いた話で恐縮ですが・・・・
朝鮮の人が日本本土上陸作戦を発案してやってきて、彼らの力だけで竹島を占領したときにGHQが止めにかかった
ミズーリでの降伏文書調印の後じゃないかなあ?
まだ米国が日本統治に関してドタバタしてた頃で朝鮮統治については米国もあんまり考えてなかった頃

間違っていたらごめんなさいです
366学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:55:26 ID:bHmkyuW/0
>>364
> 米国が砲艦外交で中南米を支配下においたとき、日本が文句を言ったでしょうか?寡聞にして知りません。
少し事例は異なりますが、布哇でのクーデター時に、移民保護のため軍艦を出す出さないで
政府内で議論になったことはありましたよね。ポシャりましたが

> 大国ロシアに勝った経験が…
ロシアの腐敗した政治システムに助けられたところもありますけどね
こちらが喘いでいても、相手が失策を重ねれば勝つゲームもあるわけで

> なんてほとんど考えてないと思いますよ。だから若槻内閣も不拡大方針をとったわけで。
事変勃発時と、日米戦直前の時期とでは心情も異なるのでは?

>>365
> 朝鮮の人が日本本土上陸作戦を発案してやってきて、彼らの力だけで竹島を占領したときにGHQが止めにかかった
> ミズーリでの降伏文書調印の後じゃないかなあ?

これはサンフランシスコ平和条約に調印する頃の話では?
367学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 18:59:21 ID:bHmkyuW/0
>>364
追記
満洲とシナ、すなわち中国本部とを分けてお考えのようですが、
この文で指している事変は「盧溝橋」ですか?ならば若槻ではなくて…

満州事変だと文脈に合わないので
微細な点ですがお許しを
368法学部ですが何か? ◆JURISTzpJw :2007/01/21(日) 19:12:41 ID:a1TS52MG0
>>367
>>341が「中国の利権」と書いておられるので、対支政策と満洲政策は別個のものだという含みで書いたつもりです。
確かに満蒙の権益は重大でした。国民の間にも同様の認識があったでしょう。
しかし大連などを超える価値を、武力行使をもって支那本土に求める勢力はごくわずかだったのではないでしょうか。
日米開戦当時を考えても、そりゃあ領土が拡大すれば盛り上がるでしょうが、支那に価値があるかどうかは別問題です。

「事変」という言葉は使ったのはわたしではなく貴方ですので、説明を求められてもどうも…



369学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 19:18:29 ID:bHmkyuW/0
>>368
> しかし大連などを超える価値を、武力行使をもって支那本土に求める勢力はごくわずかだったのではないでしょうか。
むしろ、満洲問題の解決として、という発想ですからね、キ東防共自治政府などが好例でしょう


> 「事変」という言葉は使ったのはわたしではなく貴方ですので、説明を求められてもどうも…

>>若槻内閣も不拡大方針をとった

貴方がこのように書かれていましたので、てっきり満州事変への不拡大方針について述べているものと思い、
「事変」という言葉で言い換えたのですが?


370学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 19:22:45 ID:bHmkyuW/0
>>369
まあこうすればいいですわな

事変→不拡大

法学部の方ですから、表記に厳密になられるのでしょうけど(議論を進める上では不可欠ですし)
言い間違いや誤記の可能性も配慮していただけると・・・
371学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 19:23:09 ID:0v0vFd8N0
浅学な戦後の朝鮮半島情勢を話したうえ、話しの内容を断つようで悪いが
米国が日本に対して石油全面輸出禁止措置をしてきたとき、
他の国から石油を買う選択はなかったのだろうか?と思う
その時代、遠い中東辺りでは油田の一つも見つかっていなかったのだろうか?
それとも主な石油産出国は欧米の植民地下に入り、利権獲得はできなかったのであろうか?
米英に宣戦布告せずに、遠い国から石油を買って運んでくるための護衛として日本海軍は充分に使えたと思う

372法学部ですが何か? ◆JURISTzpJw :2007/01/21(日) 19:24:30 ID:a1TS52MG0
>>369
ああなるほど、たしかにおかしいですね。
>>364の最終行は近衞内閣として読み替えてください。
373学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 19:25:29 ID:bHmkyuW/0
>>371
> 他の国から石油を買う選択はなかったのだろうか?と思う
それが上で出てた対蘭印交渉だね

> その時代、遠い中東辺りでは油田の一つも見つかっていなかったのだろうか?
既にサウジやイラクあたりでは確認されていたはず
ただし一次大戦を経て英国の勢力下になっていた
> それとも主な石油産出国は欧米の植民地下に入り、利権獲得はできなかったのであろうか?
> 米英に宣戦布告せずに、遠い国から石油を買って運んでくるための護衛として日本海軍は充分に使えたと思う
374学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 19:28:17 ID:bHmkyuW/0
>>371
すまない、途中で送信した

> 米英に宣戦布告せずに、遠い国から石油を買って運んでくるための護衛として日本海軍は充分に使えたと思う
戦闘部隊中心だったから、どうでしょうね?
375法学部ですが何か? ◆JURISTzpJw :2007/01/21(日) 19:34:37 ID:a1TS52MG0
仮に中東で油をもらえたとしても、東南アジア行きの二倍の燃料を使うわけで…
やっぱりマレーやボルネオなどに頼るしかなかったんじゃないですかね。
376学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 19:34:50 ID:0v0vFd8N0
>>374
え?だって英米に宣戦布告しないで、っていう話しだよ?
公海上を自国籍の輸送船の安全航行のために使うなら簡単に文句は言えないと・・・・思う

でも中東がイギリスによって搾取され、利権獲得(石油購入)ができなければ話しにもならないね
377学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 19:41:23 ID:bHmkyuW/0
>>376
いやだから、護衛って発想で作られた軍艦じゃないから、
>>375で述べてるように、アブラをいっぱい食うわけさ

本末転倒でしょ?
378学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 19:42:13 ID:bHmkyuW/0
>>377
で→が
379学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 19:45:56 ID:bHmkyuW/0
>>375
瑣末事ですが、石油ではスマトラのほうが重要です
パレンバンやメダンなどの産油地抱えていたのは海峡の向こう側でして

マレーはゴムやスズの産地ですから
ボルネオは合ってますが
380学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 20:10:28 ID:0v0vFd8N0
>>379
ならスマトラから買えばよかったんじゃん?わざわざ進軍しなくても

と言いたいがそれができないから戦争になったんでしょうね
381学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 20:11:38 ID:bHmkyuW/0
>>380
それやろうとしたのが蘭印交渉なわけで
382学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 22:24:59 ID:0v0vFd8N0
今更ながらに思う

日米開戦直前、米国は「これでもかあ!?」というくらいの外交圧力を日本にかけていたわけで
計算の裏側には日本がそれを受け入れ米国の言いなりになるだろうという、可能性もあったのだろうと思う
「普通に考えて日本ごときが我が国(米国)に戦いを挑んでくるようなことはあるはずない。国力、経済力、軍事力で圧倒しているのだから」
しかし日本は米国に屈しようとは考えなかった。それで真珠湾攻撃(ハワイ作戦)、インド洋においては航空機部隊で英国新鋭戦艦を沈没させた
チャーチル(当時、英国首相)は、戦艦2席を撃沈され日本軍部の力に驚き、1晩眠れなかったと聞いている

アメリカ人流に合理的に考えれば敵は少ない方がいいわけで、ドイツだけにしたい。日本に譲歩すれば太平洋にまで大切な軍事力を分ける必要はない
米国人さえも、戦争状態に麻痺してしまい、敵を増やす結果になったのであろうか?
となれば、世界最高の工業力を誇る米国でさえ、日米間の戦争は計算不十分で開戦しなければならず、彼らの大きな失敗でもある

当時の米国が民主主義を世界に広めることを第一義としていだだろうか?
そうではない。米国が大戦に参戦したのは英国が負ければ英国に貸した金が戻ってこないぞという経済的危機感から参戦したのだ
米国が大局の目を持たず将来のことを考えなかった大きな証拠は原爆によって証明されているかもしれない
383学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:23:39 ID:3oBVARzDO
POWってインド洋にいたわけ?
384学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:31:24 ID:0v0vFd8N0
>>383
イギリスの新鋭戦闘艦、プリンスオブウェールズと、レパルス。
当時イギリスはインドの権益を守るためにインド洋に海軍力を置いていた
シンガポールには強力な陸軍を配置しているという話しだったが、開戦直後の日本の航空部隊は2戦艦(1艦は重巡洋艦?)を雷撃で沈没させ
開戦から数ヶ月後にはシンガポールを占領した
385学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:34:33 ID:bHmkyuW/0
>>384
インド洋じゃなくてマレー沖だよ、戦艦プリンスオブウェールズと巡洋戦艦レパルスが撃沈されたのは

> 当時イギリスはインドの権益を守るためにインド洋に海軍力を置いていた
これは本当
セイロンに根拠地置いてた

> (1艦は重巡洋艦?)
これトリンコマリ空襲と間違えてるだろ・・・
386学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:38:33 ID:0v0vFd8N0
>>385
レパルスだったかどっちかは忘れたけど
両方のうち一隻は日本軍報告では軍艦2隻沈没となっているけど
イギリス側はどっちか一隻は重巡洋艦という位置づけじゃなかったけか?

いずれにせよ、真珠湾攻撃を終えた6隻の空母のうち数隻の空母はそのまま日本に帰らずインド洋に行ってイギリス残存兵力の掃討作戦にはいった

・・・と思うけど?
387学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:42:48 ID:0v0vFd8N0
>>385
つーか、あんた大学で第二次世界大戦史の研究でもしてんの?
388学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:46:28 ID:bHmkyuW/0
>>386
> >>385
> レパルスだったかどっちかは忘れたけど
> 両方のうち一隻は日本軍報告では軍艦2隻沈没となっているけど
> イギリス側はどっちか一隻は重巡洋艦という位置づけじゃなかったけか?

だからあ、「巡洋戦艦」っていう艦種が昔はあったの!
巡洋艦の速力と戦艦の火力を持つって事で命名されたわけ
あと、軍艦と戦艦は別物だから
軍艦の一種が戦艦なわけ


> そのまま日本に帰らず
おいおい。確かに途中で兵力割いたが、あれはウェーキ攻略に回したんだって

>インド洋に行ってイギリス残存兵力の掃討作戦にはいった
これがトリンコマリ空襲とかなんだけど
内地戻ったあと一旦休養してからの話
389学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:47:09 ID:bHmkyuW/0
>>387
それに近いこと
元々好きなのもあるが
390学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:49:55 ID:0v0vFd8N0
>>388
調べないと君の発言にはほとんど反論できない
が、しかし
重巡洋戦艦、軽巡洋戦艦と分けられていなかった?
巡洋戦艦も重、軽と分けられていたような
遠い記憶によれば「中巡洋戦艦」なんてのもなかった?
391学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:53:48 ID:bHmkyuW/0
>>390
重と軽で分けられてるのは「巡洋艦」
正式には一等と二等ね
主砲の口径で分けてるから、最上型みたいなインチキも可能

> 遠い記憶によれば「中巡洋戦艦」なんてのもなかった?
それなんかの架空戦記ジャマイカ?
392学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:54:41 ID:0v0vFd8N0
俺所蔵の戦史の本もう一回読み直してくる
真珠湾攻撃の成功でマレー沖海戦の戦果は隠れガチではあるが
あれにも非常に高度な技術が使われていたはずだと記憶している
航空機からの雷撃で主力艦船2隻撃沈なんて、当時はほとんど無理よと思われていたはず
393学生さんは名前がない:2007/01/21(日) 23:56:39 ID:bHmkyuW/0
>>392
その通り
五十さも据え物切りよりはこっちを喜んだらしいしね
394学生さんは名前がない:2007/01/22(月) 00:06:52 ID:dcfnvTDQ0
>>391
ああ、すまん。本を読み直してみたらちゃんと書いてあった
インド洋の作戦はマレー沖海戦の後だハワイ作戦の後本土に寄った空母群が
昭和17年(回戦翌年)4月に空母5隻、戦艦4隻などでセイロン近海まで行ってる

どうもな・・・当時の海軍航空部隊は「太平洋が戦場だ」という風潮があったらしくてインド洋に行ったことを不満に思う海軍将校がいたことが頭の中に強く残ってる
395学生さんは名前がない:2007/01/22(月) 00:15:13 ID:dcfnvTDQ0
スレタイどおりに行けば
「もし、ミッドウェー海戦がこうだったなら」
という議論になりそう
396学生さんは名前がない:2007/01/22(月) 06:01:52 ID:vfBvrNHh0


長期経済予測データ

日本VS●●
http://qwe125mn.hp.infoseek.co.jp/11.html



397学生さんは名前がない
2007年は人類淘汰の始まり
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1167379251/