【代表】 キングカズ 【復帰】

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1学生さんは名前がない
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ニ  る 復 な =ニ   | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::__:Y′ト、
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2学生さんは名前がない:2005/06/09(木) 22:59:49 ID:Ydi5+cBW0
ねーよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
3学生さんは名前がない:2005/06/09(木) 22:59:49 ID:X2Yt7L1M0
B
4学生さんは名前がない:2005/06/09(木) 23:42:32 ID:1qO6HZgT0
ここからカズは調子上げていくよ
5学生さんは名前がない:2005/06/09(木) 23:48:17 ID:wvMXF6rn0
俺マジでキングを尊敬してるよ。
6(∧-∧*)疾風の用心棒 ◆KAZE6sazec :2005/06/10(金) 00:46:12 ID:Za8rH7TV0
カズもドイツ行くんだろ?芸スポで読んだぞ。
7学生さんは名前がない:2005/06/10(金) 04:00:22 ID:wtfGT0Xa0
8学生さんは名前がない:2005/06/10(金) 08:07:08 ID:G96/gd4M0
*************【 急 募!! 】*************
仕事内容 : FW(主に点を取るお仕事、軽作業です)
期   間 : 2005年6月16日〜W杯終了まで
勤 務 地 : 日本・ドイツ
給   与 : 応 談 (結果に応じてボーナスあり)
採用条件 : 国内または国外プロ1部リーグ在籍者
         文句を言わない人
         Jリーグで100ゴール以上・代表で50ゴール以上挙げてる人
         やる気のある人
         代表に魂を注入できる人
         38歳以上〜
申込み先 : 日本サッカー協会 (担当:川淵)
9学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:13:22 ID:Dc94TSI20
スランプに陥った元代表FWを、自らのCM契約料全額(推定3000万円)を出して新天地へ移籍させ、
復活の手助けをしたこともある。

ttp://www.nikkansports.com/ns/general/ns_column/ns_column-050324.html
10学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:14:01 ID:Dc94TSI20
観客は強豪クラブチーム&代表チームの試合を見るのが目的、
日本代表はお客様として参加というイベントだった
キリンカップ(旧ジャパンカップ)。

91年大会の直前の記者会見で、カズが意気込みを聞かれて
「絶対優勝します!」 これに記者たちみんな爆笑。


91年キリンカップ
日本  1―0  タイ (柱谷)    
日本  2―1  バスコ・ダ・ガマ(北澤、カズ)    
日本  4―0  トットナム・ホットスパー(阪倉、北澤、カズ2)
11学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:15:04 ID:Dc94TSI20
氏名 三浦知良(みうら・かずよし)
年齢 37歳
生年月日 1967年2月26日
星座 魚座
身長 176cm
体重 72kg
血液型 A型
出身地 静岡県
出身校 静岡学園中退
家族 妻、長男、次男
趣味 マフィア研究、カフェ
好きな言葉 「BOA SORTE!」(ボア・ソルチ=ポルトガル語で、「GOOD LUCK!」の意)
愛犬 ヴィト・コルレオーネ・ミウラ
愛車 ポルシェ911カブリオレ、レンジ・ローバー
サッカー以外に好きなスポーツ ベースボール
愛読書・愛読誌(よく読む本) マフィアもの
好きな映画 ゴッドファーザー
カラオケの十八番 少女A(ダンスだけ)、ローザ(ダンスだけ)
尊敬する人・目標とする人 モハメド・アリ
目標 ワールドカップ
憧れ・夢 海外移住
12学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:15:29 ID:Dc94TSI20
三浦 知良(みうら かずよし、1967年2月26日 - )は日本のプロサッカー選手。
愛称は「カズ」(キング・カズ)。
現在はヴィッセル神戸に所属。
三浦泰年(ヤス 2004〜ヴィッセル神戸統括本部長)は実兄。
夫人はタレント・女性雑誌モデルでも活躍の三浦りさ子(旧姓・設楽)である。

経歴
1967年2月26日、静岡県静岡市葵区生まれ。
1982年、静岡学園高等学校を中退し、単身ブラジルに渡る。
サントスFCなどで活躍後、1990年に日本リーグ・読売FC(ヴェルディ川崎 = 現・東京ヴェルディ1969の前身)に移籍。
ラモス瑠偉、北澤豪らと黄金期を作る。1993年、Jリーグ初代MVP受賞。
1994年イタリア・セリエA(日本人初)のジェノア、1999年クロアチア・ザグレブにも在籍した。
なお、FIFAワールドカップ?本大会には出場したことがない。
1993年アメリカW杯予選ではエースとして活躍するもドーハの悲劇を経験。
1998年フランスW杯では現地に行きながらも北澤豪と共に最終メンバーから外れ、帰国。
2004年12月、ブラジル・サンパウロのクラブチームで同州1部リーグに所属する「ウニオン・サンジョアン」の球団買収に
乗り出していることが明らかになり、現役選手活動を続けつつ後継者育成に尽力することになる。

プレイスタイル
ブラジル時代は細身の体を生かしてキレのあるドリブル突破で「ウイング」として活躍。
帰国後、フィジカル面で一皮剥け、他の追随を許さぬエースとしてアメリカW杯予選で抜群の勝負強さを発揮。
現在Jリーグで最年長ながらここぞという場面での得点感覚、ベテランらしい読み、熟練した体の使い方等は若手選手のお手本と言える。
根強いファンがその功績を称えて「キング・カズ」と呼ぶ。
現在に至るまで、再度の代表選出を求めるファンからの声が途切れたことがない。

主な在籍チーム
ジュベントス(ブラジル)1982年 - サントス(ブラジル)1986年 - ヴェルディ川崎 − ジェノア(セリエA )
− ヴェルディ川崎 − クロアチア・ザグレブ − 京都パープルサンガ − ヴィッセル神戸(現在)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E7%9F%A5%E8%89%AF
13カズの生い立ち(1/3):2005/06/11(土) 00:17:07 ID:Dc94TSI20
1967年、静岡県静岡市に生まれる。1973年、静岡市立城内小学校に入学。城内FCで
本格的にサッカーを始める。さらに静岡市立城内中学校に入学。この頃から横浜銀蝿の
もの真似をするなど目立ちたがり屋であった。

1982年、静岡学園高等学校に入学するも、8ヶ月で中退。15歳で単身ブラジルのプロチーム
「ジュベントス」に留学。当時のカズは県内でもほとんど評価されず、カズのスピードと
体力ではブラジルどころか県内でも通用しない、という批判の声がほとんどであった。
それでもカズは自分を信じブラジルへと発った。

カズは、他の選手のように一時留学の形でチームに預ってもらうという形をとらなかったため、
ブラジルで注目を集め、プロの仲間入りをするには、人並以上の練習で実力をつけ自力で門戸を
開けるしかなかった。カズは、ひなびたスタジアムで罵声を浴びる毎日を送りながら、
死に物狂いの練習を毎日続け、言葉の壁、習慣の違い、いじめや孤独と戦いながらプロを目指した。
食事やスパイク、ユニフォ−ムを盗られたりもした。下手なプレ−をすれば、日本人は使うな
という世間の攻撃も受けた。

1985年の夏、カズは厳しい日々に夢を捨て日本に帰ることを考えた。そして、日本行きの航空券を買い、
リオの公園に気晴らしに出た。そこでは、20人ほどの子供達が楽しそうにサッカーをやっていた。
その中には、片足で懸命に汚れたボールを追っている少年がいたのである。

「片足の子だけじゃなく、裸足の子もいました。じっと子供たちを見ているうちにボクは反省しましたよ。
ボクには両足もあれば スパイクも新しいボールもある。いったい、何をぜいたくなことをいってたんだろう
と思いましたね。」(カズ)

飛行機の予約をキャンセルしたカズは、この時から帰国を口にしなくなった。翌1986年2月、
18歳の 誕生日の2日前、カズは正式に名門サントスFCと契約した。
日本では華やかに報道され、現地ブラジルでも新聞にとり上げられ話題には事欠かなかったが、
サントスFCでも 厳しい苦渋を味わった。ウイングのポジションには元代表の名選手がいて、
そのシーズンは2試合しか出場できなかった。
14カズの生い立ち(2/3):2005/06/11(土) 00:18:04 ID:Dc94TSI20
そして1年後、サントスFCの外人枠から外れ、弱小チームに貸し出されることになる。そこでの生活は
悲惨なものであった。

「まるでドサ回りみたいなものですよ。バスで延々23時間かけて地方に遠征し、 試合をして、
終わったらまた23時間かけて帰る。夜はバスの通路にクッションを敷いて寝る。
食事は高速道路のインターで同じような肉料理を1日3、4回。
それに、ブラジルは広い国だから、暑かったり 寒かったり、1日で気温が10度以上も違うんですからね。
でも、ここで負けたら永遠にオレはダメ になると、いつも心のなかでは思っていたんだ。」(カズ)

そののち、「CRB」という田舎チームを経て、1988年サンパウロ州の1部リーグチームではあるが、
ローカルチームの「キンゼ・デ・ジャウー」にスカウトされる。
このスカウトが歴史的なゴールへとつながることになる…。

カズはこの試合で、鉄壁の守備を誇る元ブラジル代表のエジソンのマークを外し、
ヘディングでゴールを決め、1-0で勝利した。点を取ったのはヘディングだったが、得意の
ドリブルで何度もコリンチャンスのディフェンダー陣を混乱させた。カズのフェイントは
ブラジルの超一流チーム相手に十分通用するようになっていたのだ。ゲームが終わった後の
ジャウーの町は1週間以上も、お祭騒ぎがつづいた。地元ではカズを「神」として崇めた。

その後、パルメイラスの助っ人メンバーとしてキリンカップに出場したり、コリチーパを
パラナ州のチャンピオンにさせたりし、カズは実力をフルに発揮しはじめ、90年に再び
サントスFCと正式契約した。

カズ、このとき22歳。今度は超一流の折り紙をつけられ、堂々と胸を張っての契約だった。
15カズの生い立ち(3/3):2005/06/11(土) 00:18:55 ID:Dc94TSI20
1990年7月、カズは帰国し「読売サッカークラブ」と契約する。
ブラジルでの最後の2年間は、 カズは評価も高く人気選手であり、名門「サントスFC」とも契約し、
まだこれからという時での 帰国であった。
ブラジルでの成功を捨ててなぜ日本に帰ってきたのか、残念がるファンも多かった。
当時日本のサッカー界には、プロリーグの構想が持ち上がっており、カズは、その構想に引かれ
日本に帰ることを決意したのだ。カズは、ブラジルで人気選手としてサッカーを続けることより、
日本のサッカーのレベルを上げ、日本代表チームの一員としてワールドカップ出場を目指すことを
選択したのだ。

1993年にはプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕し、また日本代表チームは、ワールドカップ・
アメリカ大会出場まであと一歩というところまで迫る。日本のサッカーは、人気実力ともに上昇して
いった。これらの功績はカズなしではとても成し遂げられるものではなかった。

日本のサッカーが軌道に乗ると、再び自らのもう一つの夢を追いかける。
そしてまた、通用しない という声の中、セリエAでのプレーを実現する。

日本は1998年フランスワールドカップに出場を決めるも、カズはそのメンバーから外されることになる。
日本代表のユニフォームを来て、ワールドカップの舞台に立つことを一番強く願っていたのがカズであっ
たと思う。日本を世界のレベルに引き上げたのが、カズであることは皆が知っていることであり、本人も
そう思っていただろう。それだけに悔しかったことだろう。

しかし、これまでのカズはブラジルに渡る時、ブラジルから帰る時、イタリアでプレーする時、常に回りに
反対される中、自分を信じて成功をしてきた。逆境をバネにして、やってきた男である。今回は代表から
外れたが、まだまだこれで終るような男ではない。
カズの帰国会見。

「メンバーから外れたことは、絶対に納得してはいけない。」

いい顔をしていた。カズは、死んではいない。夢を追い続けるカズのサッカー人生は、まだまだ終らない。

--1998/7/10
16(∧-∧*)疾風の用心棒 ◆KAZE6sazec :2005/06/11(土) 00:19:48 ID:3P3W+pMY0
バモラー
17学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:20:06 ID:Dc94TSI20
カズがブラジルへ旅立つときに里心がつくからと一度も振り向かず
飛行機に乗ったという話は何度聞いても涙が出る。
15歳の少年がだよ!!
18学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:20:25 ID:Dc94TSI20
ブラジルに行くとき親が片道分のチケット代しか渡さなかったらしいね。
ここまで根性あるやつそうはいないよ。
しかも当時15歳ってのがさらにすごい。
サッカーにかける情熱は誰にも負けないぐらいすさまじいね。
19学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:20:43 ID:Dc94TSI20
ブラジルでは、サッカーが下手な奴=「ジャポネ(日本人)」だもんな。
キングが、ユニホームを着てグラウンドに立っているだけで、
「日本人がなんでサッカーを?」ってバカにされたそうだ。

メールなどが無い時代、電話料金も高い、日本との伝達手段は郵便のみ。
ブラジル時代、日本から郵便が届くのを、カズは非常に楽しみにしていた。
まだかまだかとアパートの前で配達人を待っていたらしい。泣けるねえ。
20学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:21:05 ID:Dc94TSI20
ブラジルですんげーいじめられたんだってな
市場でスイカ買おうとしたら売ってくれなくて
なんで売らないんだって聞いたら
カズがポジション奪った相手の選手の親が市場で働いてるからだとか・・・

クラブの寮で夕飯食べようとしたら他の選手の席には晩飯があるのにカズの席だけご飯が用意されてない
その周りで他の奴らがカズのほう見てニヤニヤ笑ってたとか・・・・

俺だったら速攻で日本に帰るw
21ブラジル時代のカズ その1【苦労編】:2005/06/11(土) 00:22:10 ID:Dc94TSI20
中学校卒業の年、カズはクラスで進路志望を書かされたとき、第一志望の高校の名前を書く欄に「ブラジル」と記入した。

カズはサンパウロにある「ジュペントス」というクラブの寮で、5人の少年達と小さな汚い部屋の2段ベットで寝る生活が始まった。
免疫の無いカズの体にはノミとダニがいっぱいたかって、はじめの頃は痒さでまともに睡眠すら取れなかった。
苦労はフィールドでも同じだった。チームメイトは誰も彼にパスをしようとはしなかった。偶然ボールを自分のものにして
ドリブル突破を試みても、すぐに奪い取られた。
スタンドの声がカズの耳に届いた。

「 Futebol japones! 」

ブラジルには大きな日本人社会が築かれていた。彼らは農場を開拓し、勤勉に働き、多くの人がビジネスでも成功し、
リトル・トーキョーという名で知られるサンパウロの高級住宅地で暮らすようになっていた。
 しかし日系人たちはサッカーに対しては全く影響をおよぼさなかった。
“Futebol japones”という言葉は「日本人にしか出来ないくらい下手糞なプレー」という意味で用いられていた。
チームメイトたちも「 Futebol japones! 」と彼をあざけるようになった。
それが限界だった。カズはごく稀にしか試合に起用されなくなり、練習試合にすら出られなくなった。たまに試合に起用
されても、最初の試合と同じような扱いを受け、同じような野次を飛ばされた。

「ヘイ、ジャポネス!リトル・トーキョーに帰って天ぷらでも揚げてろ!」
「そんな細い目でボールが見えるのか?」

それでもカズは、陽が沈み暗くなったあとまで一人で居残り練習を続け、何時間もシュートやドリブルの練習を繰り返し、
1日に何百回もの筋トレを、毎日続けた。

チームメイトとのコミュニケーションを改善するためにリトル・トーキョーにある学校でポルトガル語の授業を受け、夜も勉強した。
小さな傾いた寝台に横になり、辞書から単語を見つけ出して小さな声で発音の練習を繰り返し、本を手にしたまま眠りにつくと
いう日々がつづいた。
22ブラジル時代のカズ その2【挫折編】:2005/06/11(土) 00:23:40 ID:Dc94TSI20
それでも目に見える進歩はなかった。彼は孤独だった。彼は情熱を失い始めた。
ブラジルでの生活は2年3ヶ月経過した。
彼はジュベントスから「キンゼ・デ・ジャウー」というサンパウロから300?も離れた小さな町のチームに移った。
が、そこでも大きな活躍はなかった。

希望を失った彼は、ブラジルへ渡って以来はじめて母親に電話をかけた。
そして「もうこれ以上は耐えられない、家へ帰る」 と伝えた。
母親は、サッカーショップを経営し少年サッカーチームの運営にも携わっていた叔父に、このことを伝えた。
叔父はカズに電話した。「何を寝ぼけたことを言っているんだ!帰ってくるな!わかったな!」

カズはバスに乗り、サンパウロで暮らしていた父親に会いに行った。
同情して欲しかったし、自分の気持ちを理解して欲しかった。 しかし父親は叫んだ、
「日本に帰るだと?わかった。お前がそんなに弱虫だとは知らなかった。だったら、日本へ帰れ!」
そしてカズの右の頬を殴りつけた。カズは初めて父親に殴られた。
「わかったよ。じゃあ、帰るよ」とカズは答えた。
「もう、それ以外にない」と思うしかなかった。

カズはブラジルを永遠に離れてしまう前に観光をしようと思った。
そこでカズは、聖地マラカナン・スタジアムに足を運んだ。 スタジアムを見た後、リオの裏通りをぶらぶらと歩き、
小さな公園のベンチに腰をおろした。目の前では20人くらいの子供達が 草サッカーに興じていた。
12歳前後の少年達は汚くほころびたシャツを着ていた。靴を履いていない少年も半数近くいた。
そんななかに一人の少年がいた。 彼は片足しかなく、それでもピョンピョン跳ねながらボールの後を追いかけ、
プレーに参加しようとしていた。

そのときカズは胸の奥から熱いものが湧き出してくるのを感じた。
「俺はなんと恵まれているんだろう…!」
そう思ったあと、自分自身に腹が立ってきた。
「それなのに、俺は…」

そのとき彼は「もう一度ブラジルに挑戦しよう」と心に決めたのだった。
23ブラジル時代のカズ その3【栄光編】:2005/06/11(土) 00:24:58 ID:Dc94TSI20
「キンゼ・デ・ジャウー」に戻った時、カズは胸に新たな決意を抱いていた。そして一気に走り出した。
アマチュアの大きな大会に出場し0-1で負けている時、ペナ内で反則を受け、PKを見事に決めた。
「カズー!カズー!」 と叫ぶスタンドの声が彼の耳に届いた。
それは彼が「ジャポネーゼ」という国籍ではなく、名前で呼ばれた最初の出来事だった。
そして翌月、19歳の誕生日を迎える直前、サントスからプロ契約のオファーが届いたのだった。

しかし苦闘が終わったわけではなかった。サントスに入団して半年、たった2試合しか出れなかった。
しかもその試合での彼のプレーに対する新聞の評価は、10点満点で2点。フィールドに出ていた選手の中で最低で、
次に低い点数は4点だった。「カズはプレーが遅すぎる。日本に帰ったほうが良い」
その後数年間、彼はブラジル各地を自分を採用してくれるクラブを転々とした。
アウェイの遠征で悪路バスで片道8時間などはざらで、片道23時間バスに揺られ続けたこともあった。

数チームを転々とした後、彼に古巣の「キンゼ・デ・ジャウー」から契約の話が舞い込んだ。
サンパウロ州のチャンピオン シップをかけて、強豪コリンチャンスとの大一番が控えていた。
この試合は何台ものカメラで中継され多くの人々が見る大試合だった。
その試合に出場したカズは、元ブラジル代表エジウソンのマークを受けた。
が、彼はフェイントを駆使し、ドリブル突破し、次々とパスを成功させた。
そして右からのクロスにヘディングで合わせ、見事ゴール左隅へ突き刺した!
そのゴールによってジャウーはコリンチャンスに3-2で勝利した。

その後コリチーバFCに移籍。88年、シーズンを通してレギュラーで活躍。
フラメンゴと対戦した時には、相手チームにはジーコがいた。彼はハーフタイムのときにカズに近づき、
「 sucesso!(よくやったね!) 」と言葉をかけ、握手をしてくれた。

翌日、ブラジルで発行されている日本語新聞には、二人が並んでいる写真とともに
『日系ブラジル人の誇り』と賞賛する記事が掲載された。

それを読んだカズは、涙があふれ出るのを止められなかった。

■日本式サッカー革命 決断しない国の過去・現在・未来
24後輩とカズ〜その1(中村):2005/06/11(土) 00:28:18 ID:Dc94TSI20
日本代表MF中村俊輔(26)が、横浜の実家に大事に保管している1枚の写真がある。

98年2月。当時、19歳だった中村は初めて日本代表の合宿(オーストラリア)に招集された。
日本が初めてW杯出場を決め、フランスに向けての選考合宿だった。
同じユニホームを着て練習しても、互いがライバル同士。
もし中村が生き残れば、予選を勝ち抜いた誰かが、選考から漏れることになる。
「食事会場でもみんな黙々とご飯を食べるだけで、静かで異様な雰囲気だった。
みんなピリピリしていて練習の合間にも冗談を言う人はいない。代表って怖いところだなと思った」。
慣れない環境にストレスはたまる一方だった。「みんなW杯出場に向けて必死なんだ」と自分に言い聞かせて納得するしかなかった。

サバイバル合宿中に救いの手を差し伸べた人がいた。

「緊張するなと言っても無理だろうけど、緊張しなくていいんだよ。自分の持っているものを普通に出せばいいからね」。

カズこと三浦知良だった。

時間にして5分程度。
ほかにも豊富な経験をもとに、いろんなアドバイスを受けたが、緊張のあまり全く耳に入らなかった。

「懐が深いというか、やはりキングだったね。今でもあの場面は鮮明に覚えているよ」。

後日、その光景を撮ったカメラマンから写真をプレゼントされた。
練習終了後、汚れた練習着を着たまま、グラウンドに座って一生懸命カズの話を聞いている自分がいる。

「元気がない時、スランプの時、ケガした時は実家に戻ってその写真を見て元気をもらっている。いつ見ても新鮮だね」。

世界一と評されるセリエAでプレーし、日本代表の不動の司令塔の座に上り詰めようとする今も、その写真があるから初心に戻れる。
疲れた時は力を与えてくれるような気がする。

ttp://www.nikkansports.com/ns/general/ns_column/ns_column-041024.html
より抜粋
25後輩とカズ〜その2(大黒):2005/06/11(土) 00:28:51 ID:Dc94TSI20
新ストライカーにキングの力が乗り移った。

大黒が尊敬する選手は三浦知良(神戸)。
大黒の自宅の玄関にはカズのサイン入りスパイクが飾ってある。
震災後の新潟でのチャリティーゲームでカズと一緒した大黒は、試合後に思い切ってカズに声をかけた。

大黒:「靴を譲っていただけないでしょうか」
カズ:「ああ、いいよ。サインもしてあげよう」

大黒が代表入りの連絡を受けたのは、カズの靴を飾るための棚を買いに出かけようとした時だった。
98年フランスワールドカップアジア最終予選のウズベキスタン戦、日本代表のエースはカズだった。
93年のドーハの悲劇を知るカズはこの試合で4ゴール。6対3で勝利を呼び込んだ。
そのカズの活躍を今、大黒が継ぐ。

カズのコメント:大黒君が決めると思っていたよ。

ソース:スポーツ報知、日刊スポーツ
ttp://www.yomiuri.co.jp/hochi/soccer/feb/o20050209_10.htm
ttp://www.daily.co.jp/soccer/2005/02/10/160989.shtml
26後輩とカズ〜その3(前園):2005/06/11(土) 00:29:30 ID:Dc94TSI20
俺は代表合宿に参加するモリシとアキを激励しようと、選手達の到着を待ちわびていたんだ。
そうこうするうちに選手達を乗せたバスが駐車場に到着して、選手達がグラウンドへ向けて歩いてきたんだ。
そうこうするうちに、黒崎や前川なんかの今となっては地味な選手達(ファンの人、ゴメンねw)に混じって、
明らかにオーラが出てる選手が二人、こっちへ歩いてきたんだ。
それがカズと前園だった。二人で並んで歩いて来た。仲良かったんだろうな。
俺、ミーハーみたいに凄ぇって思ったよw
俺は目の前まで歩いて来たカズと前園に

「サイン頂けますか?」と訊ねたんだ。

するとカズはにっこり微笑んで

「もちろん」

と答えてくれた。 そうしたら前園は俺を無視してスタスタ歩いて行こうとしたんだ。
そうしたら今までニコニコ微笑んでいたカズが急に険しい顔になって

「おい!ゾノ!!」

って前園を呼び止めたんだ。 びっくりして振り返る前園にカズは

「おぇ、プロだろ?」

って語りかけたんだ。
そうしたら、前園、こっちへ戻ってきてサインしてくれたよ。
そん時のカズ、おしっこちびるくらい格好良かったよ。
27学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:30:24 ID:Dc94TSI20
キングカズの日本代表への熱い想いはこの台詞に象徴されている。

毎回、代表に召集されるたびに、「これが最後かもしれないから」と、
代表ユニホームをもらって帰っていた。そんなカズに、用具係の人が、
「(カズさんならわざわざ持って帰らなくても)次に来た時、渡しますよ」
と、軽い気持ちで言った時、キングは即座に言い返した。

キング「……次の保証なんか、オレたちにはないんだ!」

今の代表ユニホームをキングがもらって帰る日がくることを願っている。
28学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:30:47 ID:Dc94TSI20
『日本代表 11番 三浦 知良』

「夢敗れた後も、人生は続く」

W杯目前で選考漏れしたときの言葉。ただ日本をW杯に連れて行きたいという気持ちで、がんばってきたカズ。
目の前でW杯行きの切符を奪われてもこんな言葉が言えるカズ。
平気なわけは無いでしょうが、前だけを向いて走るカズが大好きです。

「日本も世界なんですよ」

W杯が夢だったころ、世間に対してカズが発した言葉。
求めなければ手に入らない、気持ちが無ければ勝てない。そんな意志が伝わってきます。
 
「私の仕事は、日本をワールドカップに連れて行くことだ」 
 
今となっては現実的にとらえれているワールドカップだけど、あの時代はやはり現実的な物ではなかった。
その中でカズが発したこの言葉。連れて行ってくれたカズは、いまだにW杯に出られない。
もう機会は無いかもしれないが、それでもプロフィールの将来の夢の欄に

「W杯に出る」

と、綴るカズの姿勢を見てると僕も前向きに生きようを思わされます。

ttp://f24.aaa.livedoor.jp/~mitsuki/upboard/upboard.cgi
29学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:31:48 ID:Dc94TSI20
三浦カズが若手とのギャップを感じること(05年3月3日掲載)

カズは練習後の風呂上りに、田原俊彦の歌などをよく歌う。
だが

「トシちゃんの歌とか、みんな知らないんだよ。オレって古いのか?」。

そう言うカズは、若手選手に対して別のギャップも感じている。

「何で一生懸命やらないのか? 全部とは言わないけど、若い選手に多いんだよね」。

カズは誰よりも練習し、体のケアにも気を使う。
だが、チームには、練習や体の手入れにあまり熱心でもない選手もいる。
それを、同じプロ選手として不満に思っているのだ。
今でも

「日本代表はあきらめない。自分の実力で入るよ」。

と言うカズ。
音楽では世代ギャップを感じつつも、サッカーには誰よりも若々しく情熱を燃やしている。

ttp://www.tokyo-sports.co.jp/corner/004thu.htm
30学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:32:45 ID:Dc94TSI20
神戸FWカズ(三浦和良=37)は日本代表を「夢」「誇り」と何度も繰り返した。
14日、ジーコ監督のコメントを伝え聞き「正直、予想もしていなかった。」
ブラジル時代、その前から常にあこがれだった。
今でもその夢を捨てずにやっている。

近年の日本サッカーの歴史はカズの歴史。
青色ユニホームへの思いはおそらく誰よりも深い。
「代表は選手、ファンとかみんなの夢であり、誇り。
でも中にいるとそれが当たり前になってしまう」。
常連メンバーには、日の丸を背負う意味を伝えるつもりだ。

日の丸を背負う意味を伝えるつもりだ。
日の丸を背負う意味を伝えるつもりだ。
日の丸を背負う意味を伝えるつもりだ。
31学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:33:19 ID:Dc94TSI20
約4年ぶりの代表復帰はならなかった。協会内の反論、AFCからのクレーム…。
物議をかもした「功労者招集プラン」に、神戸FWカズの日の丸にかける熱い思いは揺れ動いた。
だが結果が出た以上、後ろは振り向かない。
 この日午前、練習を終えたカズは「(代表に)入るようなら、あとで」と会見を予定していたが、
実現しなかった。しかし、広報を通じて

「選ばれなくても努力を続けていく。やることは変わらない」

とコメント。そこには、少しの未練もなかった。
 98年にはフランスW杯直前に代表落ち。苦い経験を重ねるたびに、強さを増した。

「今まで通り、次の試合に向けて準備するだけ」。

7日の鹿島戦(神戸ウ)、カズはいつも通りの 全力プレーでサポーターの期待に応える。

ttp://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20041106-00000001-spnavi_ot-spo.html
より抜粋
32学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:34:19 ID:Dc94TSI20
彼は地獄を見てきたのであった。
そうあの「ドーハの悲劇」である。

 アジア最終予選日本は2勝1敗2分けで涙を飲んだ。
カズは4得点を上げ、得点王に輝いたにもかかわらず予選突破は叶わなかった。
特に印象的だったのが韓国戦の後のコメントであった。

「魂をボールに込めました。」

とコメントしたのであった。 彼ほど魂という字が似合う男もいない。
彼が「魂」という言葉を使った印象的なコメントがもう一つある。
 フランスワールドカップアジア最終予選、日本は究極のピンチにさらされていた。
自力2位消滅。日本は韓国戦以外には負けてはいなかったが勝てなかった。
初戦のカズのウズベキスタン戦のゴールラッシュで勝った試合から一体、何試合勝ちがなかったであろうか。
そんな点が取れないチームの批判はチームのエースに集中した。
「カズ限界説、カズスタメン落ち」こういった見出しが新聞に掲載されていた。
 そんな最悪の中でも何とかチームはワールドカップ出場を勝ち取った、
カズとは年齢が一回り近く違う中田英寿の活躍によって。
 奇しくも、カズがノックした世界への扉を中田が開いたのであった、
それはセリエA、そしてワールドカップ出場の両方に関して言えることであった。

 4年前はカズが中心、しかし4年後、チームは中田のモノになっていた。
そして悲劇が起きた。最終合宿地でのまさかの代表落ち。
メディアは一斉に手のひらを返した様にカズ擁護派へと変わっていった。
人間、失ってからの方が物事の重要性に気づく事は多い。
帰国した時の彼のコメントがこれである。

「代表の対する魂みたいなものは向こうに置いてきた、 別にサッカーが出来なくなった訳でもないし
ワールドカップが無くなった訳でもない。 また4年後に向けて頑張るだけです。」

この究極のプラス思考が彼の本心かは誰も分からない。
ただもう4年頑張るのは彼にとって長い時間であったはずだ。
33学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:35:08 ID:Dc94TSI20
たったひとりのワールドカップ―三浦知良、1700日の闘い
一志 治夫
幻冬舎 1998-08, 231ページ

〜カスタマーレビューより〜キング・カズーは永遠に
 「今頃『カズ』でもないだろう?」という諸兄姉よ、カズこそ現代の
日本サッカー界隆盛の源を築いた男である。
まさにKingの冠に相応しい。不運にも2度もW杯に手が届かなかったが、
もし彼がいなかったら、発足直後のJリーグはあんなに注目されただろうか?
その彼を支えていたのは、「W杯出場」という悲願である。

本書は、彼のインタヴューと著者の描写で構成されている。
カズを「悲劇のヒーロー」と描いていない点がすがすがしい。
特に、カズのインタヴューは傾聴に値する。
まだ読んでいない読者には、カズが現役のうちに読むことをお勧めする。

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877286411/realintegrity-22/ref%3Dnosim/250-7374493-9272214
34学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:35:32 ID:Dc94TSI20
カズが帰国した90年の日本代表は、アジアの中でも弱小国だった。
アマチュア選手ばかりの日本代表の中に、ブラジルのプロで揉まれたカズが入れば、逆に異端として扱われる。
そんなカズがまず起こした行動は、代表のユニフォームに「日の丸」を刺繍させることだった。
これにより、日本代表は文字通り日の丸を背負うという使命を得て、アジアの中でも列強国の仲間入りを果たした。

ttp://homepage2.nifty.com/cieloala/regent/01.htm
35学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:36:15 ID:Dc94TSI20
W杯に出ることを夢見て単身ブラジルに渡り、Jを牽引し
そして予選で活躍しながらもW杯メンバーから落選。
「自分が連れて行く」と言ったW杯に自分が出られないという事実は
一体どれほどの絶望だったのだろうか。

中田や小野らが出てきて、ロートル扱いされて
メディアに見向きもされなくなっても、真面目にトレーニングに打ち込み
年齢による衰えに真っ向から立ち向かって第一線で結果を出す。
これがどれほど大変な事か。

頂点を極めたがゆえに凋落の苦しみは深い。
それでもなお、カズは自然体だ。
飾る事も無い。深刻になる訳でも無い。
まっすぐ前を向いて純粋にサッカーを楽しもうとしている。
それが見てる人に確かに伝わってくる。

カズと言えば茶化す奴もいるが、そいつらは全然わかってない。
今彼があの歳でJ1のピッチに立ち、ゴールを決める。その凄さが。
36学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:37:28 ID:Dc94TSI20
900号の2002年は…「ワールドカップがあった年」だね。
ワールドカップを経て、選手だけでなく、サッカーを取り巻く人全員が成長してきているのは感じる。
監督も、昔は外国人ばかりだったけれど、(新潟の)反町さんとか、若い人も出てきて成功しているし。

日本は、生活という部分からサッカーを見始めて、文化に変わろうとしている。
それが一番変わったことじゃないかな。
良いものは良い、悪いものは悪い、そういうものがはっきりと認識されるようになってきた。

僕自身は、人間的には非常に成長できたよ。97年、98年は僕自身、人生で一番大変な年。
ワールドカップは最後で外されたり…。
でも、それがあったから、その後のクロアチアがあったし、京都、神戸があったんだと思う。
それぞれの土地でいろいろな人にお世話になって、僕はこの年齢になって、いまもサッカーをやっている。
敵地に行くと、ホーム、アウェー関係なく、リスペクトを込めた拍手を送ってくれる。
そういう中で自分を奮い立たせて来られたことは、とてもありがたいことです。

500号でのインタビューのこと? あ、何を言いたいのか分かった。
「1000号のときは37か8で、やってるわけない」って言ったことでしょ?
たぶん、この頃は自分の中で、単純に思い描いたものがあったんだと思う。
98年のワールドカップに出て、次の2002年はどうかなと思いながらも、98年に出られれば満足と考えていたのかな。
与えられた一番のハードル、ワールドカップに出て…って、そこが崩れたから、すべてが変わったのかもしれない。

「やめちゃいけない」って。

でも、そのあと感じたのは、やっぱりサッカーが好きだったんだということ。
それまではいつも当たり前にスポットライトを浴びていられて、チームでもいい成績を収めることができていた。
98年から後は、クラブも移って…。
その中で、このチームをなんとかしたいと頑張れたのは、やっぱり京都や神戸のおかげだね。

ttp://www.soccer-m.ne.jp/special/main3/
「キングの階段」より抜粋
37学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:39:24 ID:Dc94TSI20
ワールドカップとは、出るものではなく観戦するものだと・・・ということが当たり前だった時代
ブラジルから帰ってきた、カズは言った

「全日本(当時は代表と呼んでいなかった)に選ばれ、全日本をワールドカップに連れて行くんだ!」

周りの人間
「???????・・・・何言ってるんだろこの人????」
38学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:39:44 ID:Dc94TSI20
昔、神戸でカズが途中出場とかで控えに甘んじてたとき、
うちら数人で

「カズよ!日本代表をもぎ取れ!」

ってちょっとした横断幕あげた事あったんだけど、
そのときカズの豪快なシュートが炸裂、見事決まり
うちらの方向に走ってきて指さしながら胸にコブシを作り
何か

「まってろ。おまえらまってろ!」

みたいなこと叫んでた。
その模様はちょっとだけどテレビにも出たりしたが
39学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:41:01 ID:Dc94TSI20
読後感

たったひとりのワールドカップ 〜三浦知良 1700日の闘い〜 (幻冬舎文庫;一志 治夫・著)

近年の日本サッカーの発展にとって計り知れぬ功績を残してくれている,カズこと,
三浦知良のインタビューを中心に構成されている本で,都並敏史にスポットを当てた名著
『狂気の左サイドバック』と同一の作者による作品.

カズは歳は僕の一つ上で,ワールドカップとの接点は僕と同じ1978年のアルゼンチン杯.
その後ワールドカップへの情熱を強く強く持ち続けたカズの,イタリアセリエAのジェノバ行きから,
1998年フランス杯で最終の22人から外れた少し後までの話が描かれている.

僕自身,カズというプレーヤーには,1990年にブラジルから日本に戻る頃にTVで紹介されたブラジル
でのプレーに紛れの無い『本物』を感じたものだが,この本からは,そんな一人の偉大な日本人サッカー
プレーヤーのプライドや様々な葛藤が生々しく伝わってくる.
そして,改めて,フランス杯の直前にメンバーを外された理不尽さに,激しい憤りとやりきれなさを感じた.

そんな中,カズ自身の,スポーツ選手30〜35歳までが重要でこれから不動のキングの地位を獲得していく,
といった前向きな姿勢に自分自身励まされ,そして救われたような気がした.

ttp://members.at.infoseek.co.jp/tony_j1/reading.html
より抜粋
40学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:43:17 ID:Dc94TSI20
「人生もそうだけど,サッカーはこれからも続く.
サッカー人生でやり残したこともあるので,前向きに目標を持って頑張りたい」

スイス,リヨンの最終合宿で,ワールドカップ直前にメンバーからはずされた
カズのコメントだ.

「サッカーは僕の情熱で,いつも僕を魅了してやまない.
そんなサッカーとともにある“カズ”が僕はとても好きなんだ.
だから僕は,カズであり続ける」

そうして王様は,生き続けることを選んだ.
しかしカズは,もはや日本代表のキングではない.
現代表には,中田英寿という新たな王様が君臨しているからだ.
彼による統治は,まだまだ続きそうな気配である.
それでは,カズはもはやキングではないのだろうか?

答えは,否だろう.
カズは,今でも日本サッカー界,唯一無二のキングであると私は思う.
あれほど誇り高く,日本を,そして日本代表を愛した選手が他にいただろうか?
どんなにぼろぼろになっても,私たちはあなたのきらめきを忘れない.
あなたと同じ時を生きることが出来た幸運に,心からの感謝を! BOA SORTE KAZU!
日本で一番栄光の光を受け,同じくらい辛酸をなめてきた男.

サッカーの神様は,キングが王冠を脱ぐことを,未だ許していない.

―― 「衰えたKING.それでも彼が歩くと枯れ木に花が咲く.」より
41学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:45:01 ID:Dc94TSI20
★カズ語録

「足に魂,込めました」
 ―― 三浦知良
1992年アジアカップ予選の対イラク戦で決勝弾を決めての一言.
これほど,“魂“という言葉が似合う男もいない.

「日本代表としての誇りと魂は,向こうに置いてきたと思っているので,日本代表には絶対に頑張ってほしい」
 ―― 三浦知良
仏W杯のメンバーから外れた直後の記者会見での発言.“金髪”で記者会見に現れたカズ.
もしかしたら,“黒髪”の「日本人たるカズ」はフランスに置いてきた・・・という意味もあったのだろうか?
「ワールドカップの間,その間,僕は抜け殻でいい」と.

「1%あるんですね?じゃあ,僕はその1%を信じます」
 ―― 三浦知良
ブラジルに渡るとき,当時の監督に「人間100%はないけれど,おまえは99%無理だ」と言われたときの言葉.

「あと何試合出来るか分からないけど,出た試合すべてを記憶に残るものにしたい」
 ―― 三浦知良
42学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:45:32 ID:Dc94TSI20
カズをWカップに出してあげたい。
もう年だし、力がないのは分かってるけど。
俺には夢があるから、「夢」ってもんがわかる。
叶わなかった時の事なんて考えたくないし、叶えたいからめちゃめちゃ努力する。
夢って俺のすべてだし、夢がなくなったら生きる目的がなくなるくらいのもん。
その夢をあの年になってまでストイックに追い続けるカズを見て、
夢を叶えさせてやりてぇって思わないやつは男じゃない。
力がないから?関係ない。
こういう選手にこそ出てもらいたい。

カズは若い選手が持っていない「魂」を持っている。
43学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:47:32 ID:Dc94TSI20
僕がカズにすっかり魅せられたのは92年のアジアカップだった。
その時、日本代表は予選リーグを2分けと苦しい状況だった。
第三戦のイラン戦に勝利しなければ予選敗退が決定する。
イランはドローでも大丈夫だった。
試合は0-0のまま試合終了5分前・・・・誰もが日本代表の敗退が脳裏によぎっただろう・・
だが!!井原のアウトサイドパスに背番号11がオフサイドギリギリで反応した!!
そして、右足一閃!!!ボールはイランゴールに吸いこまれていった!!!
そして、カズはベンチ、サポーターの前で歓喜のカズダンスを披露!!
最後イランの猛攻を凌いで日本代表は、決勝トーナメント出場を決めた。
そして・・・試合後のインタビューでカズがこうつぶやいた。

KAZU「何度か裏狙ってたんで、もう・・・魂こめました・・・足に!!」

この言葉を聞いたとき、なんて凄い人なんだと思った・・・
足に魂をこめましたって普通言うと思うけど、先に魂を込めたと・・・そして
間を置いて・・足に!!って・・・なんかすごい重みを感じた・・・。
まさに魂のゴール!それほど難しいシュートではなかったが、日本代表を窮地から救った
強烈な弾丸シュート!!価値ある魂のゴールだった。

そして、この時一生カズについていくと僕は決めたのでした。

ttp://www2.snowman.ne.jp/~hyde/kazu/FORZA.htm
より
44学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:48:31 ID:Dc94TSI20
38歳。
ロートルである。
一度ならず代表から外れている男である。
日本代表は若返り、日本サッカーは格段に進歩を遂げている。
そんな男は日本代表にはさすがに居場所がないのか?

答えは否、だ。

艱難辛苦を乗り越え、サッカーの酸いも甘いも窮め尽くした男。
彼のような男はもう日本では生まれない。
パイオニアは一人だけだからだ。
日本サッカーは続いていく。サッカーがある限り永久に。
だからこそ、意義があるのだ、代表に復帰する事に。
「キングカズ」という伝説と一緒にチームで過ごす事に。
「キングカズ」という伝説と一緒にプレイすることに。
年齢的にも最期のWC。

日本サッカーにカズの魂を伝えるべき最期のチャンスが、目前に迫っている。
45学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:48:57 ID:Dc94TSI20
カズと初めて出会ったのは六本木のとある所…。
その時漏れはカズに向かってこう言った。

「カズさん!W杯アジア予選頑張って下さい!」って…。

その時カズは…。

「ありがとう!キミ達の分まで頑張るよ…。」って。

ニカっと笑い握手をしてもらった漏れ。
マジでかっこよかったよ。カズって…。
Jリーグで得点をたくさん取りジーコからお呼びもらって
W杯でのカズのプレーを見てみてぇなぁ。。。
46学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:50:34 ID:Dc94TSI20
日本のサッカーをいい試合ができれば良いとか1点でも入れば良いとかいうものから、やれば勝てるぞ
という気持ちに変えてくれたのがカズである。
何かやってくれるという期待に答え続け、いくつもの貴重なゴールを決めてくれたのがカズである。
幾人もの少年に夢を与え、サッカーの素晴らしさをサッカーを知らない人に教えてくれたのもカズである。

ブラジルに単身15歳で渡り、数々の仕打ちや矛盾に立ち向かいながらそれを打破し、93年のドーハの悲劇
で一旦はつかみかけた夢を目の前で失い、今まさにその情熱の全てを注ぐW杯が始まろうとする時、偉大な功績
を打ち建てた人間に、これほどまでに急激な失速が訪れようとは誰が想像したのであろうか。
果たして本当に22人に残った選手達にとってカズの存在は必要ではなかったのであろうか。
大会直前にカズが去ったチームは、そのゴタゴタや衝撃を吹っ切ってまで、奔放なサッカーを演じるメンタリティー
を有していたのであろうか。 ベンチにすら彼の姿を見ることができない状況に、残った選手達は順応できる状態で
あったのだろうか。中山の闘魂や井原の攻撃陣に対する信頼感や若手選手達の安堵感や自信といったものは、
経験豊富なカズの存在によってこそより増幅されるものではなかったのか。

先日の日本代表対中国代表の試合で、後半の残り5分間だけカズが代表に戻ってきた。 たったの5分間だけ・・・
しかしカズはやっぱり懸命にボールを追っていた。時間を稼ぐ中国の選手がゴールキックをなかなか始めないと見ると、
ラインアウトのボールを全力で走って取りに行ってゴールエリアにセットした。 気持ちは変わっていなかった。
私はふとこれが代表で見る彼の最後の姿にならないで欲しいと願った。
いつの日かの試合で見た中山のユニフォームの下のもう一枚の11番のユニフォーム。
そしてそれまでの日本人には見られなかった、腕の日の丸に手を当て大声で君が代を歌うカズの姿。
93年のW杯予選の韓国戦で見せた中山と絡み合った渦巻きゴールの後、「ロマーリオみたいだったでしょ」と得意気
に言ったカズの表情。

私はそういったカズの姿を絶対に自分の息子に語り継ごうと決めている。

ttp://club.pep.ne.jp/~iwato.km/libraly/japan.htm
より抜粋
47学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:51:11 ID:Dc94TSI20
King of Kings

「King」日本語で言えば「王」。
この言葉が似合う存在が今現在この世に一体どれだけ存在するというのか。ちょっと考えてみて欲しい。
「王」で言うなら一般的なところは、クフ王、モナ王、チャパ王など 
「King」ならキンパル、クリキン、呑キングあたりだろうか。
しかし自分が言いたいのはもちろんそんなことではない。
本物のカリスマを持ち合わせた神に選ばれし者こそが本物の「King」であると考える。
となると日本人満場一致で認められるのは

「KING KAZU」

この人だけだろう。94年のW杯予選敗退。98年の土壇場での代表落ち。慣れ親しんだチームからの移籍。
おおよそ成功とは言えない海外挑戦。その度巻き起こる限界論や不要論。
日本サッカーのプロ化にあたり、まさに寵児だったはずの男に与えられた考えられないほどの屈辱、恥辱。

しかし彼は腐らず耐えた。サッカーから逃げなかった。
そして彼はついにレジェンドとなった。彼の功績だけが理由ではない。
彼のサッカーに対する姿勢こそがその最たる理由ではないのか。
私には想像もつかないほどのつらい日々を彼は乗り超えた。
あの年まで大きな怪我をしていないのも本人の摂生の成果であり、
また神に選ばれている事の証明、と言っても過言ではないだろう。

あの10年前のドーハの悲劇を味わった選手で現役を続けている人も今は少なくなった。
彼には彼が納得できるところまで現役を続けて欲しい。今のリーグの様子を見る限りまだまだ行けそうだ。
ドイツ、そして南アフリカ。ロジェ・ミラの偉大な記録を塗り替えるのは
カズ、キングカズ。

彼の伝説はまだまだ続く。

ttp://kerorin.exblog.jp/m2004-11-01/
48学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:52:34 ID:Dc94TSI20
カズは今、もう一度、日本代表のユニホームに袖を通したいと思っている。
代表再招集案への反響の大きさが、そう思わせた。
「また見たい、という声に勇気づけられた。大変かなってみんなが思ってたわけだし。
僕自身、チームでの活躍がなければ呼ばれないと思っていた。
現役で続けていて、頑張っていて、活躍していれば、チャンスはいくらでもある」
10月にカズが先発に戻って以降、ヴィッセル神戸はリーグ戦7試合で4勝1分け2敗の成績を残している。
カズ自身、3年ぶりの3試合連続得点を決めた。

「もう一回、ぜひ、ブルーのユニホームを着たいっていう意識が強くなった。呼ばれなかったことでよけいにね」

キングは本気だ。

ttp://www.kazu-miura.com/lock/041126_2.html
より抜粋
49学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:53:45 ID:Dc94TSI20
忘れられているかも知れないけれど、カズはブラジルでサッカー選手として生計を立てていた。
留学なんて甘チョロいもんじゃない。
帰国後、彼は

「国立(競技場)を満員にする」
「日本をW杯に連れて行く」

といって、記者の失笑を買った。
日本にプロサッカーリーグがない時代だったから。
韓国に勝てなかったから。
W杯なんて夢のまた夢だと思っていたから。
オリンピックにも久しく出場していなかったから。
だから、「弱くてもいいんだ」「今の状態はなんらおかしい状態じゃない」という先入観、
固定観念があったからだろう。

でも、カズは言い放った。言い放って、それを実現した。
彼のパイオニア精神というべきか、評価されて然るべきポイントだと思う。
最近、カズは小学校をよく訪問している。生まれたころにはJリーグのあった小学生たちが
カズに「どうやったら上手くなりますか?」なんて質問をしているはずだ。

僕はカズの生き方ってやつをみんなに知ってもらいたいなと思う。
夢に対して本気に魂を込めるって、生き方を。

ttp://diarynote.jp/d/28457/_0_890.html
より抜粋
50学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:54:16 ID:Dc94TSI20
近年の日本サッカー界において、彼ほど影響を与えた選手がいただろうか。
あらゆる面で、カズは先駆者だった。ブラジルでの成功に始まり、その南米スタイルのプレーにサッカー
ファンは釘付けになり、全国のサッカー少年がカズのプレーをまねした。
いち早く海外へ進出したカズのおかげで、選手達が海外を目指すようになる。
カズは、日本サッカー界のパイオニアとよく称されるが、間違いなくカズは近年の日本サッカー界を代表
するスーパースターだ。

そんな彼も、不運にもワールドカップには出場できなかった。小さい頃からの夢、みんなワールドカップ出
場なんて夢のまた夢と思っていた時代から、彼だけが真剣に目指していた。もし、日本代表にカズが存在し
ていなかったなら、恐らくワールドカップ初出場はもう1大会くらい遅れていたことだろう。
プレーもさることながら、彼のサッカーに対する思いは、周りや日本サッカー界に大きな影響を与えたはずだ。

彼は、本当にサッカーが好きだ。
それは、プレーを見ていても本当に良くわかる。一見軽いイメージを持つ人もいるかもしれないけど、
彼のサッカーに対する考え方、取り組み方は尊敬に値する。
彼はきっと、まだワールドカップ出場をあきらめてないだろう。
それでこそカズだし、選手である以上ずっとその夢を持ち続けてもらいたい。

彼のサッカー人生は、まだまだ終わらない。

ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/4127/page071.html
より抜粋
51学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:54:57 ID:Dc94TSI20
小学生の頃、君が代とか国歌っての理解してない時
カズがワールドカップ予選で胸に手を当てて歌ってるの見て

「日本にも他の国と同じように国歌があるんだな」

って思わせてくれた
52学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:55:21 ID:Dc94TSI20
俺は、カズにあこがれて、マジでプロを目指してた事がある。
カズのプレイうんぬんよりも、あの気持ちが好きだ。

「日の丸を背負う意味を伝授するつもりだ...」って。
53学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:56:58 ID:Dc94TSI20
イタリアから帰ってくるカズと北沢を迎える大勢のファン。
そのファンに囲まれながら空港の通路を歩く二人。
北沢はその通路で1人のファンとハイタッチをした。
あまりにも大きな思いが込められているハイタッチの音は、空港全体に響き渡る悲しい音に聞こえた。
泣いてはいけないと思い堪えていた私は、その大きな音と共に弾けた感情が一気に吹き出し、涙が流れた。
朝の早い時間に大の男が嗚咽した。

しかし、会見でのカズや北沢は強かった。
普通なら監督にこれ以上ない罵倒を浴びせ、怒りを露にしてもおかしくない状況。
前向きでサッカーをしていく姿勢が感じられた。
一ファンの私がこれだけ悲しい思い、マイナス思考になっていたのに・・。
当の本人がプラス思考。後に多少の強がりはあった、とカズも言っているが。

あの精神状態で強く言える彼等に一生付いていくと決めた。

ttp://kazugoal.seesaa.net/archives/200411.html
より抜粋
54学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:58:13 ID:Dc94TSI20
カズへの手紙はいいよ

カズの過去の逸話で感動
小学校時代、カズが授業中にボールで遊んでたところ、先生にボールを捨てられた。
それを拾ったカズが叫ぶ

『なにをするんだ!サッカーはオレの命だ!』

確かこんな感じの内容。
カズへの手紙は大好きだけど、この回が一番好き。
55学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 00:59:57 ID:Dc94TSI20
ブラジルのサッカー選手を夢見る孤児たちを育てる団体に、
カズがサッカーボールを送ったことがあった。
それも、200個ものボールを。
子供たちは、とても喜んだ。

しばらくして、やはりJリーグが同団体にボールを寄付することになった。
エージェントが現地へ赴き、少年たちにボールを渡す。
少年たちはやはり喜んだが、渡されたスポルディングのボールを見て

「スポルディングではなくて、メーカーは『カズ』が良かった。」
「『カズ』のボールはとても使いやすかった」

と口々に言う。
Jリーグのエージェントは首をひねった。カズ?そんなメーカーがあっただろうか。
「これだ」と、手渡されたボロボロのボールを見てエージェントは驚いた。
すでにかすれてしまっているものの、ボールにははっきりとサインペンで

「夢をあきらめるな カズ」

と、現地の言葉で記した跡があった。
200個ものボール全てにカズは自筆のメッセージとサインを入れ、
それを子供たちは「カズ」というメーカーのボールであると思い込んでいたのだ。
563年・心理でしたが留年してもrumbling ◆SpMItUKito :2005/06/11(土) 01:04:07 ID:PI+6UhDiO
キングのグラサンカコイイ
57学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:06:48 ID:Dc94TSI20
カズは凄いね。
俺が小学生の頃からJリーグで活躍してて、今もサッカー続けてる。
今、このスレのカズのエピソード読んでリアルで泣いてるよ。
俺、大学院の研究についていけなくなって、
キリがいいから今月で大学辞めようかと思ってた。
でも明日からまた頑張ってみようと思う。
足掻いてみようと思う。カズに勇気をもらったよ。
58学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:09:39 ID:Dc94TSI20
「気づき」の種まきをしている“カズ”に感動!(長曽 崇)

最近TVの番組を通して、1人の著名人が弊社同様に子供たちに「気づき」の種まきをしていることを知りました。
その方は“カズ”こと三浦知良氏です。
三浦知良氏は、ヴィッセル神戸のチームメイトとともに、神戸の小学校を中心に講演活動を実施しているそうです。
三浦氏は少しでも今の子供たちが「夢を持つ力」を育んでもらいたいという思いのもと、自分がプロサッカー選手に
なるまでの話をしているそうです。
実際に講演を出席した子供たちは三浦氏の話にすっかり聞き入っている様子でした。
インタビューを受けた子がこう言っていました、

「自分で目標を持って生きるって、大変そうであるけどワクワクして楽しそう」。

私この前向きな言葉がとても印象に残っています。

http://www.willseed.co.jp/philosophy/kako_shosai2.php?id=224
59学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:10:32 ID:Dc94TSI20
モノより思い出、夢、勇気。
キング・カズが『米百俵』体現で、新潟に笑顔の花を咲かせた。

この日昼、選手が3班に分かれて被災地を訪問。
カズはMF名波(磐田)ら5選手とともに、全員避難が続く山古志村の児童らが臨時授業を受ける阪之上小に現れた。
「こんにちはー!」。笑顔の登場にまず大歓声。壇上から降りて歩み寄ると、子どもたちの笑顔の渦が殺到した。
寄贈品はサイン入りサッカーボール3個(4万2000円相当)だが、その感動は“プライスレス”。
阪之上小5年で長岡サッカースポーツ少年団のGK熊谷孝義くん(11)は

「カズはやっぱり違う。僕は将来は医者をやりながらサッカー選手になりたい」

と夢を語って瞳を輝かせた。
60学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:11:03 ID:Dc94TSI20
夢の大切さ、カズと語る

ヴィッセル神戸の選手が児童らに夢を持つことの大切さを伝える訪問授業「夢で逢えたら」が十六日、神戸市東灘区本山中町一、本山第三小であった。
スター選手を前に、六年生の三クラス百人の児童が将来の夢について語り合った。
同チームが昨年二月から市内の小学校を中心に開いており、十二回目。
三浦知良、佐伯直哉、仲里航、藤本主税、石澤典明の五選手が訪れ、児童が「自分の夢」をテーマに書いた作文をもとに語り合った。
「ゴールを決めた瞬間はどんな気持ち?」。
児童の質問に、三浦選手は「仲間と観客が一緒になって喜んでくれ、最高に興奮するよ」と応じた。

卓球選手になりたいという前田錦吾君(11)は

「体の大きな外国選手と戦うなんて格好いい。僕もいっぱい努力しなくちゃ」

と目を輝かせていた。

ttp://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sport04/1217jf53950.html
61学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:11:39 ID:Dc94TSI20
カズが今年最後の学校訪問

神戸のFWカズら18選手は16日、今年最後の学校訪問を行った。
神戸市・本山第三小を訪れたカズは、夢の実現へ努力を積み重ねていく大切さなどを語った。

来年は「時間が許せば、お年寄りなんかも(訪問したい)。積極的に病院とかね」と話した。

ttp://www.sponichi.co.jp/osaka/socc/200412/17/socc174139.html
62学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:12:41 ID:Dc94TSI20
「頑張ってね」と三浦選手

長岡市の阪之上小学校には、日本サッカー協会の川淵三郎会長らが訪問。
体育館には、同小の教室を借りて授業をしている山古志小学校の児童を含め、
約400人の児童が集まり、拍手と歓声で迎えた。

三浦選手らは児童たちの輪の中に入り、

「頑張ってね」

と声を掛けながら握手。児童たちは大喜びで、選手をもみくちゃにしていた。
選手らは全児童と記念撮影し、サインボールをプレゼント。
ボールを受け取った山古志小6年の坂牧新吾君(11 )は

「地震に負けずに頑張りたい。有名な選手に会えてうれしい」

と喜んでいた。

ttp://www.worldtimes.co.jp/special2/soccer/wnews/041204.html
63学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:13:41 ID:Dc94TSI20
「京都パープルサンガ、J2降格の危機!! 」

それは困った、一生懸命応援しないと…
そう思ったとき、 取材で出会った障害のあるサンガファンのみんなの顔が浮かんできました。
障害があって、西京極まで応援に行くのも大変という仲間もいるのです。
じゃあ、みんなで応援に行こう!と、
集まってくれたみんなで、サンガタウンへ行くことになりました!!

その日はちょうど、J1残留が絶望的となった敗戦の翌日でした。
最初は遠巻きに練習を見ていたのですが、 近くでみせてもらえることになり、大感激!!
そのうえ、エンゲルス監督が声をかけてくれたり、 練習後、カズ選手がみんなの質問に答えてくれたり…、
(カラオケの十八番がムード歌謡と聞いてビックリ)
みんな、前の日から、質問を紙に書いて、
朝の電車の中でも、一生懸命読む練習をしていたのです。
そんな気持ちに答えてくれて、とても嬉しかったです。
障害があるみんなは、もちろん選手ほどサッカーはうまくできないけど、 それでも巧くなりたいと
いう気持ちは、一緒です。
その思いを、サンガの選手も、大切にしてくれました。
な、なんと、一般の人が足を踏み入れることができない、芝生に入らせてもらい、 シュートの仕方
を教えてもらったり、 ゴールキーパーの練習をさせてもらえることになったのです。
カズ選手のシュートを受けるんですよ!!
もう、大感動でした。
キーパーの平井選手は、グローブにサインしてプレゼントしてくれました。
横ちゃんは、感極まって、泣いてしまいました。
(私もうるうるしてしまったけど、カメラに映ってなかった。ラッキー!)
カズ選手のインタビューに至っては、 もう舞い上がってしまって、アタマが真っ白!
質問が巧く言えませんでした。
なんちゅうアナウンサーや!
と自分で反省しつつ、 でも、選手のみなさんの優しさに触れ、ホントに、声にならないほどだったんです。
6463のつづき:2005/06/11(土) 01:14:37 ID:Dc94TSI20
まだまだ偏見もあって、今の世の中では不利なコトが多い仲間たちに、
こんなにしてくれたことが、何ともうれしくて…
この番組をやってて、障害がある人たちの苦労が少しずつ分かって来ただけに、 最高に幸せな気分
でした。 そして、カズ選手が私達に約束してくれたのです!

「おまえ達も頑張れよ!おれも頑張るから!!
 今度のホーム最終戦、絶対、シュート決めるからな!見とけよ!!」

23日、西京極に、みんなで応援に行きました。
シーソーゲームにみんな必死になって声を張り上げました。
後半ロスタイム、試合終了の瞬間、 カズ選手が勝利を決定づける、
ハットトリックを決めてくれたんです!
約束通り、いえ、それ以上に、素晴らしいものをみせてくれました。
途中、足の故障で立てなくなってしまったカズ選手。
一流の選手が、必死になって立ち上がって頑張る姿に、勇気をもらいました。
しかも、カズ選手は、試合終了後、私達の所にやって来てくれて、

「約束しただろ!また城陽来いよ!! 頑張っていこうな!」

と、声をかけてくれたのです。 みんな大喜び。
みんなで声をあげて勝利を喜び合い、感動でわんわん泣きました。
テレビカメラが回ってるのに、わたしも涙をこらえることが出来ませんでした。
本当に、素晴らしい出逢いでした。
こんな出逢いが、気持ちを優しくしてくれるんですよね。

オンエア3日前になって、残念なニュースが飛び込んできました。
カズ選手が移籍することになってしまったのです。
あんなに私達サポーターのことを考えてくれる選手がサンガからいなくなってしまうなんて、
残念でなりません。
しかし、サポーターのみんなへの気持ちは変わりません、というカズ選手の言葉を、 わたしは信じています。

ttp://umono.zive.net/~fure-i/diary/diary11.htm
65学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:17:15 ID:Dc94TSI20
ビッセル神戸と清水エスパルスの試合を観戦しました。
さらに、 三浦知良さんとお兄さんの泰年さんが試合後に出会ってくれました。
ご兄弟からは、

「みんなも、目標に向かって頑張れ」

とエールを贈ってもらって、パワーを分けてもらった気がしました。
すごーく、元気がでた。
それに、握手やサイン、写真に、肩まで組んでもらって、うれしかった!

ttp://www.genki-gakuen.gr.jp/event03/event05.htm
より抜粋
66カズのプレゼント(1/2):2005/06/11(土) 01:18:28 ID:Dc94TSI20
今年も梅雨の季節を迎え、うっとうしい毎日となりました。
「夢運び人」さん、たびたびお電話やお手紙をいただき、たいへん嬉しく思って居ります。
6月10日にお手紙をいただきましてから、ヴェルディ川崎からの連絡を待っておりましたところ、
6月2日に三浦知良選手のマネージメント事務所、オフィス・ハットトリックの関根様より一通の
お手紙が届きました。

>「夢運び人さん」の手紙がヴェルディ経由で届き、あなたの本の帯へのコメント依頼がありました。
>カズ選手と話し合った結果、「夢運び人さん」をはじめ、K様を囲む方々のお気持ちを考えたら、
>協力させていただきたいのは、やまやまなのですが、何分、K様のことを知ったのは初めてなので、
>無責任にコメントをすると、あとあとS様にご迷惑をかけることになりかねないということで、
>名前をお貸しすることはできません。
>しかし、人工呼吸器を付けてまで一生懸命に応援し、ゴールを喜んでくれたKS様へ個人的に何か
>プレゼントをさせていただこうと考えています。しばらくお待ちください。

という手紙の内容でした。
私は6月7日にマネージメントの関根様へお電話を入れました。
サッカー大好き、カズ選手大好きで、ナイショ話のようなかすかな声で夢中で応援していたこと
、それから出版しました『あの子の笑顔は永遠に』の文中にもたくさんカズ選手を応援している
場面があることをお話ししました。
よくご理解いただけるように、本をお送りすることをお約束しました。
67カズのプレゼント(2/2):2005/06/11(土) 01:18:54 ID:Dc94TSI20
8月11日、『あの子の笑顔は永遠に』と「はがき通信」1部をお送りいたしました。
その後しばらくして、8月18日、雨降るなか、小包が届きました。
それはなんと、サッカーボールのマークが付いたJリーグからの小包でした。
急いで開封しますと、カズ選手のサイン入り色紙でした。

「KS君、応援ありがとう!」と大きく書かれ、カズ選手の名前が書かれていました。そ
して左側下にはカズ選手の写真も入っていました。

それからもう一つのプレゼントはカズ選手が練習時に着るユニホームシャツでした。
グリーンで縁取られた純白なシャツでした。

胸元には“Jリーグ”と輝くグリーンの大きな英文字で書かれていました。
左胸にはJリーグの鷹のマスコットマークが美しく羽を広げていました。
これはカズ選手の着たトレーナーなのかしら? ゼッケンNO.11も入っていました。
さっそくKの霊前に飾り、喜びを共にいたしました。
感激のあまり、Kの遺影も喜びの涙にくれているように見えました。 

また、小包と一緒にあった関根様からのお手紙には「8月13日にK君の本をカズ選手に確かに渡しました」と書かれてありました。
また「Kさんは体操だけでなく、野球、サッカー、陸上など、幅広くスポーツを愛した、まさにスポーツ少年であったことが文章
から読み取れます。同時に、皆さんから本当に愛されていたと感じました。
もちろん一番残念に思っていたのはKさん自身だと思いますが、スポーツマンらしく明るく前向きに、そして勇敢に怪我と戦いました。
また、Kさんの闘病生活を支えられたご家族のご協力と、愛情に敬服いたしております」と、ご感想を寄せてくださいました。

「夢運び人」さん、このたぴは亡きKのために優しいお心をありがとうございました。
何とお礼を申しあげて良いのかわかりません。心からお礼を申しあげます。

カズ選手が練習で着る純白なユニホームシャツにはほのかに香水の香りがするのです。
きっとカズ選手の暖かいお心づかいかと思われます。
わが家の宝物として大切に大切に保管いたします。

ttp://www.asahi-net.or.jp/~sq6h-mkib/pcc40b.htm
68学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:19:43 ID:Dc94TSI20
カズさんは今シーズンどう神戸にチームが貢献できるかを強く考えているらしい。
そこで一つのチャレンジをする。

神戸の小学校に訪問授業をするというのである。
いわゆるサッカー教室とかではなく、「5時間目の授業を担当する」というのだ。
一年間を通じて市内で希望のある学校を、カズさんを中心に神戸の選手がまわっていくというプランで、
彼の発案でチームから市や教育委員会にお願いして実現するそうだ。
いつだかの新聞で見た話題だが、本人の言葉で聞いてようやく意味を理解した。
神戸を地域に愛されるクラブにするための一環として、カズさん言うところの「自分の名前を使って」行う活動である。

 こういう発想を、彼ほどのスター選手が出し、実現することに意義がある。
彼は、自分の名前や存在の影響力をよく理解しており、高い年俸を貰っているのだから、
このような活動もその報酬に見合った仕事だと捉えている。
きちんとクラブやリーグのことを広い視野で考えている、カズさんという人物の現れだと思う。
素直に敬意を表したいし、そこに出会える小学生諸君を羨ましく思える。

多くのスポーツでトップ選手がいるが、こういう話は競技を超えて見習って欲しいことだ。
見る側にも、スポーツそのもの以外の話題も見てほしいと思う。

取りあえず、みんなでカズさんのことを考えよう。
尊敬の意を込めて。

ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~tok83-93/kazu.htm
より抜粋
69学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:21:48 ID:Dc94TSI20
「今の目標は何ですか?」テレビのインタビューで尋ねられたカズ(三浦知良)が、
「次の試合に勝つ事です。」とスパッと答えていた。

十代前半で単身ブラジルに渡り、プロ生活20年目に入るそうです。
自分と同じ38歳。この年で現役バリバリのサッカー選手は、なかなかいるもんじゃない。
今もなお、自分に妥協せず、サッカー選手として自分の体と心を磨き続け、日々闘い続けている。
数々の栄光を手にしてきた「KING KAZU」も、実は、日本代表のユニフォームを着てワールドカップに出る、
という幼い頃からの夢を達成できていない。そして、今も彼はその夢を現実にする為に、目の前の目標を達成するべく
(次の試合を勝つ)、日々闘い続けているのです。

これから皆さんは、心も体もグーンと大きくなっていきます。
でっかい夢を持って、目標を一つ達成したら、また次の高い目標に向かって、挫折しそうになっても、
強い意志の力でなんとか乗り越えていく、そんな、かっこいい人になる事を願っています。

ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~southkid/ST43.htm
ジュニアユース監督 野口 英昭 〜 贈る言葉 〜 より
70学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:26:47 ID:Dc94TSI20
<カズ募金贈呈>
当日は、ヴィッセル神戸社長の挨拶に続き、「カズ募金」が当社の高木専務より
矢田立郎神戸市長へ贈呈されました。
「カズ募金」とは、ヴィッセル神戸三浦知良選手たちと共に、神戸の街を元気付ける
種々の施策を実現させることを目的に設立されたものです。

ttp://itoham.mediagalaxy.ne.jp/sports/vissel/200204.html
より抜粋
71学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:27:53 ID:Dc94TSI20
キングカズは神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に
食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで。
カズが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと
騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
サインをしてくれた。
高校生達がカズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズは
いい笑顔で会話を交わしていた。
そしてカズは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さん(カズ妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
72学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:28:37 ID:Dc94TSI20
嘘でも冗談でもない話。カズさんは覚えてないだろうけど俺はカズさんに
声かけてもらったことがあるよ。俺が小学生の頃のことだからもう10年も 前のこと。

長崎のサッカーの大会で俺はそれに出てた。カズさんはそれにゲスト(解説者?)
で来てた。松木さんも確かいたよ。で、俺がいたチームは一回戦で優勝した国見FCにボロ負け。
腐った俺は飯も食わずに会場の外に出て座って泣いてた。

そしたら通りがかったカズさんが来て

「サッカー好きなら諦めるなよ」

って言ってくれた。
そして俺の手を取って立ち上がらせてくれて「いい動きしてたよ」って言ってくれた。
今もサッカー頑張ってます。今日は休みだけどw

カズさんみたいにサッカー上手くなりたいです。俺の目標はいつまでもカズさんです。
73学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:28:53 ID:Dc94TSI20
ここらで、オレとカズとの出会いを語ろうか。
あれは、カズがクロアチアのザグレブをくびになった年、オレは新婚旅行で
ウィーンに行っていた。その時のホテル(日本資本)に偶然カズが泊まっていた。
ホテルのレストランで朝食の時にカズが横のテーブルに座っていた。
そして、同じ日本人の俺たち夫婦に気付いて、にこにこしながら、

「あっちに ご飯と納豆も玉子焼きもあるよ。」

と話しかけてくれた。
もちろん、その後に名前入りのサインをもらい写真を一緒に撮った。
あの日から、カズは我が家の神になっている。
74学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:29:13 ID:Dc94TSI20
六本木で遊んでいると黒服が「サッカーのカズさんが来ます」と。
さんざんバカ騒ぎした後、酔っぱらった勢いで「カズに挨拶してくるよ」って
俺はカズさんが座っている席に行き「騒がしくしてすいません。フランス頑張って
下さいね」ってちゃかし半分で言うとカズさんはすっくと立ち上がり、握手をして
「ありがとう。おまえ、仕事何してる?」と唐突にと聞かれ「◯◯ですけど」というや
俺の肩を抱き「お前もその仕事頑張れ。俺もサッカー頑張るから」って俺の耳元で言った。
カズさんも酔っぱらってるみたいでみんな見てる前で恥ずかしかったけど、
あの時はマジで感動した。恥ずかしながら俺は酔いが一発でさめた。
その後、連れ連中とカズさんの話しで湧いた。
後日フランス大会で外された事をテレビで知った。
あの時に声を掛けてくれたカズさんの活躍を楽しみにしてた俺は悲しかった。
後年ブラジルに行く機会が有りのリベルタージの店のウィンドウにカズさんの
ポスターが貼ってあるのを見かけた。店のおやじが「ミウラしってるか?」って。
俺も「あぁ、もちろん知ってるよ。日本でも一時は一番サッカーがうまいって言われてた
人でしょ」って言うと。おやじは「日本人ってのはサッカーがヘタだっていうのを
変えてくれた人だよ」と。
当時ブラジルでも指折りのウィンガーだった事、日系のヒーローでありフチボウル
の会話の中でブラジル人を黙らせる事の出来る唯一の日本人だった事を教えてくれた。
75学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:29:52 ID:Dc94TSI20
330 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:05/02/10 15:23:42 ID:tcasDJAR
俺の昔話を聞いてくれ!!
俺は昔ゴンのファンでゴンのユニフォームを着て国際試合観に行って、帰りのバスへ行く途中にカズにサインもらった!!
ゴンには無視されてちょっと落ち込んでたけど、カズだけが唯一マジックもって出てきて20人ぐらいの人に
サインしてて、ちょっと外の方からうらやましそうにみてたらカズが俺のゴンユニフォームにサインしてくれた。。。
それからずっと、

  大好きだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!


353 名前:330[] 投稿日:05/02/10 15:32:23 ID:tcasDJAR
今時、得点した選手が「やったぜー!!」って言いながらマジックもってでてくるか?
本当にキングカズは人間としてスバラシイって思ったよ。
いつか代表にまた選ばれて、今度はカズのユニフォームにサインしてもらいたいな〜


358 名前:番組の途中ですが名無しです[sage] 投稿日:05/02/10 15:36:51 ID:gSnLTPVp
>>353
「やったぜー!!」って言いながらマジック持参で出てきたのかよ!!!!!
もうキングカズは断トツだな!!!!!
76学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:30:16 ID:Dc94TSI20
俺は今大学でサッカーやってる。関東ではまぁ強豪と言われる学校に所属している。
去年、ヴィッセルのトップチームと練習試合があった。
45×3という変則試合だったが、初めてカズさんと対戦することができ、
俺は感激、緊張した。 試合が終わって、握手してもらおうとカズさんに近づくと、
「18番、速いねぇ〜!!」
と声をかけてもらい、そしていろいろアドバイスまでもらった。
同じFWだったっていうのもあったんだろう。

その時はもう死んでもいい・・・と思う程嬉しかったwww
来期は俺は背番号11をつけます!!
77学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:30:32 ID:Dc94TSI20
恥ずかしい話だが書こうか。
ちんぴらをしていた15年前、女に振られて、飲んでくだを巻いていた。
その店に、カズが来たんだよ。
俺は、店の子にいい顔を見せたいと思ってさ。周りの客を突きのけ、カズの肩に手をかけ、「いきがってるなよ 若造」と言ってすごんだのさ。
そうしたら、カズが俺の目を睨んで、「止めろ。お客さんはみんな楽しみに来ているんだ」と言った。俺は度肝を抜かれへたり込んだ。
カズはその後客全員と盛り上がっていたが、俺が店の隅でいじけていると、ドンペリが運ばれてきた。マスターに聞くと、
カズからの差し入れだと言う。俺はコースターの字に気づいた。
こう書かれていたのさ。「先ほどは失礼しました。未熟者ですのでお許しください。 三浦知良」
文字でわびられても、俺の潰れたメンツは回復できねえよ、と思ったんだが、カズは立ち上がって、自分もシャンパンを手にしてさ、
「受け取って頂けましたか。どうぞこちらで一緒に飲みましょう」。
そうしたら客が拍手してさ。俺も気まずい思いを忘れて一緒に飲んだよ。
それからその店でカズの悪口を言う奴は、俺がしめて歩いた。その後カズは店に来なかったけどね。
78学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:30:58 ID:Dc94TSI20
プライベートのキングを見つけて

「サイン下さい」

といったら了承してくれたんだけど あいにく書くものも書いてもらうものも
持ってなくて困ってたら 文房具屋で必要なものを買い揃えるまで待っててくれた。
5分くらいかな。 行きも帰りも猛ダッシュで行ったら

「足速いね」

とか言って嬉しそうに笑ってたよ。
79学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:32:37 ID:Dc94TSI20
某ホテルのロビー では声かけたよ。
そん時俺が

「カズさーん」

と呼んだら 俺の方見て

「おう!」だって。

まるで知人に会ったような 表情で返事してくれて可笑しかったね。
同行してた友人 には感心されたけど、別にカズさんの知り合いって訳じゃないよ。
単なる一ファンっす
80学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:33:15 ID:Dc94TSI20
カズのプレーを最近見るチャンスがあった
確かに縦への突破力はもうない
しかしトラップ、ポストプレーの技術は前よりうまいとも感じた
ただ練習後の念入りな柔軟をしているときに、年齢を感じた
だれよりも入念にしないともうだめだそうだ
無視をされるのを承知で「カズさん、まだまだっすよ、代表入ってください!」
と大声で声をかけると
スレトッチをしながら、右手を大きくあげてくれた
それだけでうれしかった
81学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:34:13 ID:Dc94TSI20
カズが料理屋かどっかで、とあるファンが恐る恐るサイン頼んだら
笑顔で気さくに応じて、しかも実はそのときのカズは
代表落ちだったか解雇だったかの直後だったことを報道で知って
そいつが驚いた、ってエピソードもあったな

カズはTVとかにはほとんど出ないけど
黙々とサッカーしてて、それでいてファンを大事にする男
82学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:35:01 ID:Dc94TSI20
御主人の小西二郎さんと清美さん夫妻は、カズの話になるともう夢中。
最初の出会いは九月中頃、いかにもスポーツマン風の三人が店にやって来た。

ふと見ると一人は新聞やテレビでしか見たことのない紛れもなくカズその人。
喧騒のランチ時の食後とあって、カズらの座ったカウンターの前には食器がそのまま。
カズは何のためらいもなく、ごく自然に食器を重ね、前に差し出した。

「何と感じのええ人やな」

というのが夫婦の強烈な第一印象。
その後、店自慢の長崎皿うどんが気に入ったらしく、何回か足を運び注文している。
最初は声をかけるのをためらっていた夫婦だが、清美さんは先週、意を決して帰り際に声をかけた。

「良太君(カズの長男二歳)元気ですか」
「えっ、何で名前知ってるんですか」
「スポーツ紙に乗ってました。おみやげは車や汽車じゃなく、ボールだけにしなくちゃね」

―その時の笑顔は格別だった、と。

「あんな人がいつまでも城陽市に居てほしいですね」。

ttp://www.kazu-miura.com/lock/991027.html
より抜粋
83学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:35:51 ID:Dc94TSI20
ttp://www.daily.co.jp/soccer/2005/04/14/168891.shtml
ぶざまな試合をして、ファンに深々と頭を下げるキング。
こんな姿からもキングのファンに対する誠意が伝わってくる。
・゚・(つД`)・゚・
84学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:36:21 ID:Dc94TSI20
5年前に、自分は地方に住んでいるので、練習を見学したりサインをもらったりする
ことができないけどがんばってください、という内容のファンレターを小学生だった
息子がカズに送った。
返事を期待していなっかたといえばうそになるが、やはり4〜5ヶ月たっても返事は来
なかった。息子もかなりがっくりきていて、カズのことは話題に上らないようになって
しまった。
しかし、半年ほどたったころ、家の郵便受けにカズからの返事が届いていた。そして、
なんとサインが入っていた。半年かかってでも、来たファンレターは、必ず目を通して
いるんだなと、とても感激したことがある。
85学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:36:52 ID:Dc94TSI20
昔弟とファンレター書いたとき
弟には「夢諦めずにサッカー選手になれ」って返事がきた
ああみんな同じようなこと書いてんだろな、って思ったら
俺のには「好きな子にアタックしろよ、ウジウジしても何も始まらないぞ」って書いてあった
ちゃんとファンレター読んでくれてたんだって嬉しかった
86学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:38:07 ID:Dc94TSI20
高校の時の話だけど。
当時ロンドンの日本人学校にいたもんで
修学旅行はイタリアだったんだけど、
宿泊した同じホテルに、ジェノアの選手がとまっていた。
丁度カズさんも在籍してた時期で、ラウンジにいたら
他の選手と一緒にカズさんも入って来た。
俺の友達が目ざとくそれを見つけて、サインをねだったら

「荷物を部屋に置いたら、もどってくるね」

と快く了承してくれた。
でも、当時のJリーグの軽さが嫌だった俺は、
折角戻ってきてくれたカズさんに対しても、失礼な態度をとってしまったと思う。
でもそんな俺らにも誠意を込めた対応をしてくれて
写真も一緒にとってくれた。確か次はローマ戦っていってたな・・
今でも思い出すと恥ずかしいです。
カズさんすいませんでした。
だいぶ人物限定されるけど・・
87学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 01:39:58 ID:Dc94TSI20
Jリーグが始まった年だから、もう何年前になるんだろう。
名古屋の栄の焼き肉屋へ家族で行ったときのこと。
座敷席にカズさんと北沢選手と、数人の女の子がいた。
多分遠征中だったのだろう。

当時高校生の俺の小学校三年の弟はサッカーをやっていた。
せっかくだからと、尻込みする弟をカズさんの前へ連れて行き、
「お楽しみのところすいませんが」
弟がサッカーやっているんで、何か言葉をいただけると励みになるんですが。
と厚かましく、言った。
カズさんは、

「お、サッカー少年か」

と楽しそうに言いながら、座敷席の奥からわざわざ立ってこちらへ
来てしゃがみ込み、弟と目線を同じ高さにした。

「サッカー少年は勉強がよくできるか?」

と、いきなりキングは弟に聞いた。
弟の成績はそれなりによい。弟はうん、と答えた。
するとキングは

「頭のいいやつは、トップ下MFがあってる」

と、カリオカ、ラモスの名前を挙げた。
さらに何かを言おうとするキングに、連れの女の子が、ねえまだーと露骨にいやそうな顔をした。
カズは、振り返って一言言った。
表情は向こう向きだったから、わからなかったが、多分厳しい顔をしていたのだろう。

「うるさい。俺たちは今サッカーの話をしているんだ」
88学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 12:39:49 ID:Dc94TSI20
プロ20年目は「1日、1日が勝負」という。厳しい節制の末に開幕戦に臨み

「ピッチに立てることが喜び。アップの時から(目が)ウルウルしながらやっている」

と笑った。

ttp://osaka.nikkansports.com/osc/p-ot-tp3-050307-0013.html
89学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 12:40:47 ID:Dc94TSI20
俺は昨年までやってたヴィッセル後援会の常連で、これはステージ開始直前に
選手が市の有力者にお酒をつぐ会だ(俺は有力者ではない)
何百人と集まり、2時間も写真攻めに会えば大抵の選手は終盤はげんなりしている
カズも凄い勢いで握手やら写真やらで、俺はつかまえることができなかったわけだが
最後に選手が壇上に集まる間際にカズのすぐ近くにでれた。
思わず握手を求めると、俺の目を正面から見据えて、真剣かつ全力の握手をいただけた。
(参考:欧米では親愛の情を示すために握手は全力で行う)
90学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 12:41:05 ID:Dc94TSI20
38歳8日の日本人最年長の開幕弾は、高いプロ意識から生まれる。1月のグアム合宿初日。
カズは2週間前に先乗りして自主トレで体を作って合流した。
体脂肪率は12%以下がポリシー。フィジカルチェックで

「体の絞りすぎで、血管が切れる可能性がある。もっと食べてください」

と諭されたほど。

ttp://osaka.nikkansports.com/osc/p-ot-tp3-050307-0013.html
91学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 12:41:39 ID:Dc94TSI20
日本の子どもたちにそんなサッカーの素晴らしさを最もよく伝えた選手は誰だろう。

日本になかなか人気が出なかったサッカーを身近にした選手は誰だろう。
高校を中退してサッカー一筋に生き、世界に通用するプレーヤーとして認められた彼の名前を
今でも挙げる人が多いのじゃないか。
彼がイタリアに出たとき、日本のサッカー熱が驚くほど冷めたのはついこの間のことだ。
選には洩れたが、カズは偉大だと思う。これからの彼も応援したい。
日本でも世界同様、子どもたち、大人たちがまもなく始まる夢の祭典の華麗なプレーに魅了されるだろう、
その礎の一部は彼が築いてくれたと思う。

「カズがいなくなって誰を応援したらいいんだろう」、

一度胸に焼き付いたスーパーヒーローは簡単には変えられない。
おそらく多くの子どもたちは今、こんな言葉をつぶやいているだろう。


ttp://www.asahi-net.or.jp/~tx2h-mtok/mes98062.html
より抜粋
92学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 12:42:37 ID:Dc94TSI20
名波選手のフリーキックからだった。
ボールは鋭くカザフスタンゴールを横切っていった。
必死に守ろうとする相手選手の頭とボールとを丸ごとまとめてゴールにたたき込んでしまったようなゴールだった。
中山自身の体もカザフスタンゴールの中にゴールインして倒れ込んでいた。
ガツーンと激しい音が聞こえるような激しいヘディングによるゴールを決めると、中山はゴール裏のサポーターに向かい、
激しく雄叫びをあげ、ようやく我に返ったようにメインスタンドに向かって走り始めたのである。
ユニフォームをまくり上げて走って行った。
その下にもう一枚のユニフォームが・・・。

捲し上げた32番のユニフォームの下からでてきたのは何と『11番』のユニフォームではないか!

中山はスタジアムの大観衆のひとりに向かい『約束果たしたぞ!』と言わんばかりに胸の11番を見せながら疾走していた。
その視線の先で、今日の試合に出られなかった三浦知良選手が嬉しそうに微笑んでいた。

『これまで中山の動きの重かったのは、ユニフォームを二枚着ていたせいなのでしょうか・・・?』

と実況中継の山本アナウンサーが突っ込みをかけて日本勝利の確信を漂わせた。
試合はその後も日本の攻撃がさえ渡り、5対1で終わりを告げた。

ttp://www5.ocn.ne.jp/~keiyukai/chapter4.htm
93学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 12:43:38 ID:Dc94TSI20
少年(アラブ人)

我々が宿泊していたセンターの宿舎に、週末になると泊まりにくる首都リヤドに住む役人の息子。
6才くらいだろうか。私によくなついて、よくサッカーボールを持って、私の部屋へやってくる。
寝ているところを何度も起こされた。こちらがヘトヘトになるまで(なっても)ボール蹴りをさせられた。
サウジではサッカーがさかんで、自分の贔屓のチームの話題に熱中する。

驚いたことに、日本の「カズ」選手の名前を知っていた。
やはり「カズ」は世界的プレイヤーだ。彼にこそ国民栄誉賞がふさわしい。
日本でなにかと話題にのぼる、西部の松坂や巨人の長嶋監督、そして日本のバカ総理なんかは、ここでは全く無名だ。

日本ではホンモノの人が過小評価される傾向にある。

ttp://homepage2.nifty.com/catus/saudi/hito.html
より抜粋
94学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 12:45:06 ID:Dc94TSI20
“カズ効果”神戸グッズばか売れ!1日で1100万円突破

クラブ関係者も驚きの数字だった。6日のホーム開幕戦でのグッズ売り上げが8日、
正式に集計された。その売上額はなんと1100万円。
イルハン人気にわいた昨季の開幕戦の700万円を軽くオーバー。
03年度の年間売り上げが3000万円だったことを考えれば異例だ。

カズ:
「1100万?まだまだ少ないね。頑張んないとね。永ちゃん(矢沢永吉)は億、いってるからね」

ttp://www.sponichi.co.jp/osaka/socc/200503/09/socc177611.html
95学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 12:45:57 ID:Dc94TSI20
カズゴールが盗難騒ぎにまで発展した。

神戸市営地下鉄海岸線の車窓に掲示されていた神戸FW三浦知良(38)の足型パネルが、
6日のC大阪戦(神戸ウ)の試合後、何物かにはぎ取られていたことが9日、明らかになった。
事件が発覚したのは6日の深夜、地下鉄の運行終了後に職員が車両のチェックをした際だった。
窓に張ってあるはずの選手の足型パネルの中で、カズのものだけがはがされていたことが発見され、
9日になってクラブ事務所に連絡が入った。この企画は1日から1カ月間限定で始まったもの。
「ヴィッセル神戸応援足型列車」と銘打ち、
神戸市営地下鉄海岸線の車両に神戸の全選手の足型・顔写真入りパネルを掲示した。
カズのパネルがあった車両はたった一つしか運行されておらず、
6日のC大阪戦のゴールで興奮したサポーターが、
たまたま乗り合わせたその列車からパネルをはぎ取ったものと考えられる。
当の本人は

「あ、そう。しようがないね。また(足型を)取ろうか」

とあっさりしたものだったが、 一方でクラブや地下鉄側は困惑を隠せない。
「もう一度張ってもいいんですが、また盗まれたらイヤなんで…」とクラブ側が口を濁せば、
神戸市交通局の職員も「他のファンの方もいる。独り占めしないで返してほしい」と戸惑いのコメントを口にした。
ただ、被害届を提出するつもりはなく、このまま穏便に済ませる意向。

「人気があるんだなと思いました」と、最後はその人気ぶりに感心しきりだった。

ttp://www.sponichi.co.jp/osaka/socc/200503/10/socc177661.html
96学生さんは名前がない:2005/06/11(土) 12:48:13 ID:Dc94TSI20
「生涯現役で行こうぜ!!」 by Jリーガー三浦知良

さすがですよ。
今でこそ、日本人サッカー選手が海外で活躍する時代だけれど、
彼は15歳くらいのときに単身ブラジルへ行っているんですよね。
パイオニアですよ、パイオニア!
その意気込みは彼の魂そのもの。
彼はサッカーをやるために生まれたんですよ、きっと。
彼はサッカーについて熱く、熱く、熱〜く語っていました。
私に話しかけているわけではないのだけれど、
“超ハイパー燃えるテンション”で、聞き耳立てちゃいました。

「最近の若い選手は、最後の最後までボールを追いかけて絶対にゴールに入れてやる!
という意気込みが少ないんだよね。俺だったら何があっても絶対に入れてやる! って思うもん。
俺はさ、とにかく生涯現役なんだよね。おまえもさ、また現役に復帰してフィールドを走り回ろうぜ!!
やっぱり、生涯現役でいこうぜ!!」

なかなか言えるセリフじゃないっすよ。カズの魂を私にも!って思いました。

ttp://www.kyururu.com/phatphoto/20031002
より抜粋
97学生さんは名前がない
私が尊敬する数少ないサッカー選手 三浦知良氏
ただ技術が高い というだけでは尊敬の対象にはならない
現在世界との差を急激に縮める日本サッカーの先駆者
ストイックなまでの情熱 姿勢 意識
グラウンドを離れてたメディアでもその輝きは褪せない

中田英寿 中村俊輔 稲本潤一 小野伸二 高原直泰 柳沢敦 川口能活
世界を舞台に活躍を見せる日本人選手がどれだけ輝きを放っても
質実勝ることができない日本サッカーの象徴
その三浦知良氏が日本代表に復帰することが濃厚となった
間違いなく残戦処理なのだろうが 私は間違いなく
そう 読売ジャイアンツ原辰徳選手が引退戦でホームランを放ったときのように
号泣するのだろう