話すと決めてから、それでもアタシが躊躇っていた短くはない時間、アイツは黙ってタバコをくゆらせていた。
ゆらゆらと立ち昇る紫煙を目で追いながら、美琴とコイツを矢澤さんに逢わせないで済む方策がなにかないものかと、つい埒もないことを考えてしまう。
その無意味さに気づいて、アタシは溜め息をついた。
往生際が悪いにも程がある。
いまさら躊躇うなんてどうかしている。
アタシには、コイツを相手に張れる見栄なんて、とっくに残っていないのだから。
「……、美琴が、海外に留学してたことは、知ってるでしょ」
「知ってるよ。中学三年生のときコンクールで優勝して、奨学金が貰えたんだよね」
そう…、そしてアタシは、この国に残された。
毎日のメールのやり取り、週に一度ほどの短い電話。
気丈な自分を装いながら、一日千秋の思いで美琴の帰りを待っていた。
美琴と遠く離れてしまってはいても、アタシはもうひとりじゃない。
同じ寂しさを分かち合える、蜷川先生もいてくれた。
それなのに、アタシの胸にどうしようもない空虚が穿たれていったのは、わかってしまったからだ。
美琴はアタシとは違う。
あのコには、バレエがある。
家を失っても、大切なお兄さんを亡くしても、生涯を懸けて打ち込めるものが、ずっと追いかけていける夢が、美琴にはある。
けど、アタシにはなにもなかった。
美琴が傍にいてくれたときには、目を逸らしていられた現実。
本当はたったひとつの居場所さえ、儚い幻想だったのだと思い知らされる。
そんな、どうしようもない怖れと、深い諦めの気持ちで、なにも見えなくなっていたとき。
アタシは矢澤さんと出逢った。
矢澤さんは、姉の詩月の、同じ大学のセンパイだった。
蜷川先生の家に通う以外は引きこもって暮らしていたアタシは、ある日、なにかの集まりで家を訪れた矢澤さんを、姉に紹介された。
(はじめまして、葉月ちゃん)
無愛想に見えていた端正な顔に浮かぶ、やわらかな微笑み。
優しい眼差しは、ただ姉の手前、関心のなさを取り繕っているようには見えなかった。
本当はその瞬間、矢澤さんはアタシにとって、特別な存在になっていたのかもしれない。
とはいえ、あのまま逢うことがなければ、そんな気持ちを自覚することもないままだったろう。
――けれど。
アタシたちは、また出逢ってしまった、偶然に。