高見沢俊彦パート5

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691名無しさん@お腹いっぱい。
2,006年12月17日付朝日新聞「おやじのせなか」
高見沢俊彦

■寡黙な元教師 
 無言のきずな■

囲碁や書道が趣味で、僕と正反対の寡黙な人間です。
92歳。定年まで教師をしていて
中学校の校長も努めました。
スケジュールの合間を縫って、
一カ月に一度は顔を見せるようにしています。

いつも本と向きあっていて、
書斎には文学全集などがたくさん
並んでいました。

小学校の低学年のころ、
本のタイトルにあった「憂鬱」という意味が
わからなくて聞いたら
「本には作家の魂が込められている。
わかる時が来て理解すればいい」と
と言われまして。
背伸びするなということです。
この言葉は今も深く焼き付いています。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 11:06:58 ID:xHnwOw9J
面と向かってしかられたことは
あまりなかったですね。
高校の時、
「テストが終わるまでギターはやめたらどうだ」と
言われたことがありました。
そのときぐらいかな、少し反発したのは。
ギターを弾いても勉強がおろそかにならない
ことを証明するため、
いい点を取るしかないと思って頑張りました。

大学在学中の20歳の時、デビューが決まると
「勉強も音楽も頑張ればいいんじゃないか」と
快く認めてくれました。
売り上げが芳しくなかったデビューシングルを
おやじがひそかに買っていて、
書斎で見つけたときは
「頑張らないといかんなあ」と
思いましたよ。
693名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 11:07:40 ID:xHnwOw9J
芽が出ないころ、一人暮らしをしていた
原宿のアパートを訪ねてきて
「お前は歌詞はいいものがあるけど、
語彙が足りない。これで勉強しろ」と
すごく分厚い国語大辞典をもってきてくれた。
うれしかったですね。

自分の感情を出さないし、
細かいことは言わない。
だからこそ「お前はおれの息子なんだぞ。
まじめにやれよ」というメッセージが伝わってくる。
言葉にしなくても親子ですから、
肌できずなを感じます。
親の顔に泥を塗ってはいけないな、と
思うんです。
おやじの存在は今も精神的な支柱です。

おやじの歌を作ろうと思ったことは
なかったですね。
この先、作る機会はあると思います。
その大きな存在から影響と尊敬、
もちろん、育ててくれた感謝を込めて。

(聞き手・平野圭裕)