葉上太郎 首都直下自身の盲点 あなたは自宅に戻れない
避難所には食料も水も場所も昼間区民のためのものはない
千代田区には約三万六千の企業がある。
一一の大学に通う学生、高等学校の生徒などを含めると、
昼間人口は約八五万人とされている。買い物や通過を含めると約一〇〇万人に及ぶ。
大地震が昼間に発生すればこの一〇〇万人が被災する。
そうでなくても旧耐震のビルが多いのに、水道や電気が止まれば、
居場所を失う人が大量に出るだろう。
ところが千代田区には、発災時に一時避難する「避難場所」がない。
耐震耐火構造の建築物が多く、火災が広がる危険性が低いとして、
都が避難しないでいい場所に指定したからだ。避難場所に逃げて落下物に当たるより、
家や事業所に居た方が安全だという。こうした地区を「地区内残留地区」といい、
千代田区は全域が指定されている。
小中学校などの「避難所」はある。しかしこれは、家が壊れるなどして
住めなくなった人が一時的に生活する場所で、一時避難の場所ではない。
しかも区民のためのものだ。運営も町会が中心になって行う。
千代田区に住民票を持つ夜間人口は約四万三千人で、
「避難所」の備蓄もこの人数分しかない。
だから、被災した会社員や学生が「避難所」に身を寄せようとしても
「物理的に不可能で、地域もそこまで対応できません。高齢者や子供がいるので
お帰りしていただくことになる」(幸田和裕 防災課昼間区民対策主査)という。
区の予算で運営されるためあくまでも住民が対象だ。
これは全国どの自治体でも同じである。そうなると、会社員や学生は、
公共交通機関がストップした中を、歩いて帰らざるを得ない。
こうした帰宅困難者のために、区は指定を解除された四ケ所の広域避難場所
(皇居外苑、皇居東御苑、北の丸公園、日比谷公園の一部)を
「帰宅困難者支援場所」にした。帰宅するうえでの情報を拡声器で流し、
けがをした人の救護所を設置する。下水道のマンホールに直結したトイレも設営する。
四ケ所の支援場所のうち、日比谷公園には、帰宅困難者用の備蓄倉庫を作った。
「区民の税金だが、区としてできるだけのことをしようと整備した」(幸田主査)
といい、ビスケットや500ミリリットルの給水パックを備えている。
ただ、これはあくまでも帰ってもらうための施設だ。
備蓄も「数万人分」(幸田主査)で、約六十万人分の帰宅困難者の全員の分はない。
「たまたま区内に来ていたひとが帰るための支援が優先です。事業者は自ら備蓄をしておくべきで、
我々も日頃からお願いしています。また、この支援場所で配るための備蓄は区内の企業用なので、
他区の企業の社員が千代田区を通過して帰る時に欲しいといわれても困ります。
情報などは提供しますが」(幸田主査)というスタンスだ。
企業の備蓄は、都の震災対策条例で実質上義務付けられている。
都内の事業者は、たとえ個人事業者であっても事業所防災計画を作らなければならない。
計画には「非常用物品」の準備や保管が盛り込むよう定められている。
ただし、計画の届出義務があるのはライフライン関係のごく一部の企業だ。
実効性を担保する仕組みに乏しく、現実の備蓄はそれほどすすんでいない。
千代田区が2004年に行った区内4000社のアンケートでは、
74%の従業員が帰宅困難者になると予想されている。
にもかかわらず、食料の備蓄をしていた企業は33%だった。
顧客の分までしていたのは、わずか9%である。
しかも、分量は、「一日未満」が68%だった。
飲料水の備蓄はこれよりすこし多かったが、たかだか40%だった。
これでは、多くのサラリーマンが飲まずくわずになるしかない。
「うちの会社はケチだから備蓄なんてありませんよ。
なのに被災しても会社は続けたいようで、
帰らせてもらえないかもしれません。食べ物や飲み物をどうするかなんて、
私たち社員もじつは考えたことがありませんでした。」
区内の大手企業で働く40歳代の中堅管理職が漏らす。
こうした企業は個人で備蓄するしかないだろう。
興味深いデータがある。警視庁がやはり2004年に行った意識調査だ。
都内1000事業所の責任者と4000人の従業員を対象にした。
「備えがない場合、飲料水や食料の確保をどうするか」という問いに、
「食料品から調達する」という解答が46%を占めた。
発災じに店鋪が開いていると考えるのは極めて楽観的だ。
開いていたとしてもすぐ売り切れてしまうだろう。
「行政機関が何とかしてくれると思う」は30%を占めた。
実際の区役所は区民向けの備蓄しかしていないに等しい。
「近くの住民等に借りたりもらったりする」も13%あった。
これがかつて「経済一流」と言われた日本企業の姿だとは信じられない。
「『帰宅困難者が避難所に押し寄せて来るのでないか』
と不安に思っている町会の役員もいます。避難所でトラブルになることだけが心配です。」
千代田区の桜井博雄、富士見出張所長は話す。
「避難所の置かれる小中学校は大通りから入ったところにあるので分かりにくく、
それほどくることはないのではないか」とは予測しているものの、
じつは避難所の設置場所をわざわざ目立つようにした出版物が出回っている。
ベストセラーになっている帰宅支援マップ。これを頼りに帰宅困難者が押し掛け、
備蓄を「分けろ」「わけない」で争いにならないとも限らない。
この危険性は千代田区に限らず言えることだろう。
渋谷区の芹沢一明議長は「企業にはそれぞれ予想される帰宅困難者の数に応じた
備蓄を条例で明確に義務付けることも必要ではないか」と提言する。