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> 「君が代」の起源
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> 君が代っていうのは、「あなたの寿命」という意味です。
> 「代」というのは、寿命とか生命、という意味です。
> ですから皆さんが、先祖様のところへお参りにいくと、「先祖代々」と書いてありますね。
> この代々は先祖の命という意味です。
> それで先祖代々ですから君が代っていうのは、「あなたの命」ということになります。
> 千代に八千代にっていうのは、いつまでもいつまでもっていうこと。千代っていうのはmanyっていうことです。
> どのようにかと言うと、さざれいし(細石)っていう小ちゃい石がかたまっていわお(巌)になって、
> それに苔がむすまでという意味です。
> あなたの命が、長く長く、そして小ちゃい石がかたまって大きい岩になって、
> それに苔がむすまでという、そういう意味です。
> この歌は実は、元唄があります。
> それは、平安の前期の古今集という歌集の中にありますが,そここでは「君が代」という言葉はありません。
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> 我が君は 千代に八千代に細石の 巌となりて苔のむすまで
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> これが私たちの国歌の原点です。
> 古今集にある「我が君は千代に八千代に…」という唄は、誰がつくったのか判らず「詠み人知らず」となっております。
> しかし、その作者は女性だという事がわかります。
> 「我が君」というのは女性が恋人の男性を呼ぶ時の言い方だからです。
> 歌舞伎でも、「あ〜ら我が君」という、あれです。
> ですから、古今集までいきますと、女性が、私の恋人の命が、いつまでもいつまでも長いようにと詠った、恋の歌ですね。
> 女性の作品です。
> 我が君は千代に八千代に細石の 巌となりて苔のむすまで…, みんなが歌いました。
> ところが、この唄の一番悪いところは、女性しか歌えないことです。
> 女性が男性に対して歌う歌。
> これを男も歌いたいということで、「君が代」になりました。
> 君が代ですと、女性も歌えるし、男性も歌えます。
> この唄はなんと、せどうか(旋頭歌)、舟歌、盆唄、長唄、端唄、小唄として、ず〜っと二千年来歌ってきた、流行歌のトップでした。
> みんながどこでも歌って、いろんな節で歌いました。
> 「君ぃがぁ代ぉは〜 よいよい」なんてやってた訳です。
> それで、国歌を決めることになった。
> これは、イギリスの将軍が、薩摩の国の支藩に対して、「お前達にはナショナルソングというものはないのか?」と尋ねた。
> 「ナショナルソング・国歌というのは、外国の人が来たらお前たちがイギリスの国歌を演奏する,
> そして,俺たちが船の上から日本の国歌を演奏してやる。
> お互いに、相手の国歌を演奏して仲良くなるんだ」という。
> ところが無かった。それで薩摩の人間が、3人4人で国歌のことを話しながら飲んでる時に、薩摩琵琶で「君が代」を聞いた。
> おっ、これにしようじゃないかと言って決めたのが、日本の国歌「君が代」なんです。
> ですから君が代には本来は天皇さんの意味はありません。
> 私たち庶民の唄です。「あなたの寿命」がと言う意味です。
> 天皇さんの命の長からん事を詠った祝い唄もたくさんあります。
> しかし、すべて「君が代」なんてそんな無礼な表現を使ったことはありません。
> 君の上に大という字をつけて「おおぎみの代」と言います。
> または君で出れば「君がみよ」といって、代の上に御(おん)という字をつけたんです。
> 天皇のことは,「大君の代」か「君が御代」、あるいは「すめろぎの代」、「すめらぎの代」、
> この4つでしか、天皇さんの寿命の長からんことを詠った歌はありません。
> これが、明治時代に国歌を定めるときに、御前会議で薩摩藩から出た。
> そしたら、伊藤博文とか山形有朋は、それはいかん,やっぱり天皇さんの歌を国歌にしようと言った。
> その時に明治天皇が、
> 「西郷の意見が正しい。 天皇の命の長からん事を詠うものを国歌にするのは適当じゃない。」と言いました。
> が,これは言い伝えで記録にはありません。
> 主権在民の私たちは、
> 「私たち天皇は、国民の生活、国民の命の長からんことを祈るのが天皇の仕事である。だから君が代が一番適当である」
> といって、天皇さんとの御前会議で君が代が決まった。
> 私たちの国民の歌が決まった。
> それを明治30年、40年になって軍国主義者たちが、これを天皇の歌にしてしまったというところに、
> いろいろな屈折があり問題が生じた訳です。