三島由紀夫のお勧め作品@40代板

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@お腹いっぱい。
ミシマワールドへどうぞ
2名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 10:39:37
さまざまなものが蓄積されて人間が大をなし、成長してゆくといふのは嘘のやうに思はれる。
人間とはただ雑多なものが流れて通る暗渠であり、くさぐさの車が轍(わだち)を残して
すぎる四辻の甃(いしだたみ)にすぎないやうに思はれる。暗渠は朽ち、甃はすりへる。
しかし一度はそれも祭の日の四辻であつたのだ。


「衣装がちがふだけで、中味はちつとも昔とかはつてゐやしませんよ。若い人は自分にとつて
はじめての経験を、世間様にもはじめての経験だととりちがへる。どんな無軌道だつて
昔とおなじで、ただ世間のやかましい目が昔ほどぢやないから、無軌道も大がかりになつて、
ますます人目につくことをしなくちやならなくなるんです」


今、世に時めいてゐる人たちは、無礼な冗談や狎(な)れすぎた振舞をもむしろ面白がるが、
かつて世に栄えて隠棲してゐる人たちにとつては、同じ冗談も矜りを傷つけられる種子に
なるのだ。そんな老人相手には、ひたすら聴き役にまはるに限る。そして柔らかな会話で
按摩をし、むかしの権力がふたたびその座に花やいでゐるやうな錯覚を起させるのだ。

三島由紀夫「宴のあと」より
3名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 10:40:23
若い男は精神的にも肉体的にもあんまり余分なものを引きずつてゐて、特に年上の女に
対しては己惚れが強くて、どこまでつけ上るかわからない。


女から見ると、男の精神と肉体のアンバランスのみつともなさは、男自身よりも先鋭に
目に映るものだ。


「面倒臭い」。それは明らかに、老人の言葉だつた。


死んだやうな生活といきいきした思想とが、どうして同居してゐることができよう。


かづが今やその人たちの一族に連なり、その人たちの菩提所にいづれ葬られ、一つの流れに
融け入つて、もう二度とそこから離れないといふことは、何といふ安心なことだらう。
何といふ純粋な瞞着だらう。かづがそこへ葬られるときこそ、安心が完成され、瞞着が
完成される。それまでは世間はいかにかづが成功し、金持になり、金を撒かうと、本当に
瞞されはしないのだ。瞞着で世間を渡りはじめ、最後に永遠を瞞着する。これがかづの
世間へ投げる薔薇の花束である。……

三島由紀夫「宴のあと」より
4名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 10:40:39
……要するに芸者のやるやうなことをすることだつた。その大仰な秘密くささも情事に
似てゐて、政治と情事とは瓜二つだつた。


しかし人間は墓の中に住むことはできない。


ひたすら民衆を利用しようとするかづの単純な偽善的な遣口は、ふしぎなことに彼らに
愛される大きな理由になつた。かづが打算と考へてゐるものは一種の誠意、とりわけ
民衆的な誠意であり、動機がどうあらうとも、献身と熱中は、民衆に愛される特性だつた。


自然なものしか人の心を搏ちませんよ。


政治家の目からは選挙区の景色はどこも美しく見えなければならず、自然を美しく眺めるには
政治家でなければならない。それは収穫されるべき果物の、みずみずしさと魅惑に充ちてゐる筈だ。


かうして展望することは政治的な行為であつた筈だ。展望し、概括し、支配するのは政治の
仕事である。


本当の権謀術数は、絹のやうな肌ざわりを持つべきであるのに、佐伯のそれはたかだか人絹だつた。



空虚に比べたら、充実した悲惨な境涯のはうがいい。真空に比べたら、身を引き裂く
北風のはうがずつといい。

三島由紀夫「宴のあと」より
5名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 10:41:23
いつもかづの頭に閃くのは、雪後庵の再開といふ金文字だつた。それが絶望的であり
不可能であることは動かしやうがない。かづはそれをよく知つてゐる。よく知つてゐるけれど、
曇り空の一角に白金のやうに輝いてゐる小さい太陽へ、たえずかづの目は惹きつけられる。
不可能といふことがその輝きの素なのである。それは輝いてゐる。美しく天空に懸つてゐる。
何度目を外らしてもその輝きへ目が行くのも、それが不可能だからなのだ。そしてちらと
そこへ目が行つたが最後、他所はすべて闇としか思はれなくなつてしまふ。


理想のちらつかせる奇蹟への期待も、現実主義の惹起する奇蹟への努力も、政治の名に於て
同一なのかもしれない。


何によらず男の目が不可能に惹きつけられて光つてゐるときには、それを愛情のしるしと
考へてよかつた。


かづは自分の活力の命ずるままに、そこに向つて駈けて行かねばならぬ。何ものも、
かづ自身でさへも、この活力の命令に抗することはできない。しかもさうしてかづの活力は、
あげくの果てに、孤独な傾いた無縁塚へ導いて行くことも確実なのである。

三島由紀夫35歳「宴のあと」より
6名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 10:45:19
いくら乱れた世の中でも、一本筋の通つたまじめな努力家の青年はゐるもんだよ。
結婚といふものは長い事業だからね。地道に着々と幸福を築いてゆける相手を探さなくちやいかん。


よくこんな経験があるものだ。十年も二十年も前に、たとへばピクニックに行つて、一人だけ
群を離れて、小滝や野の花の茂みのある静かな一劃に出てしまふ。そのとき何となく、
意味もなく口をついて出た言葉が、十年後、二十年後になつて、何かの瞬間に、再びふつと
口をついて出てくるのだ。すると永年小さな謎の蕾として眠つてゐたその言葉が、今度は
急速に花をひらき、意味を帯び、人生のその瞬間を決定する、とりかへしのつかない重要な
言葉になつてしまふのだ。


結婚して一ヶ月もたてば、大した苦労を嘗めなくても、女は十分現実を知つたといふ自信を
持つやうになる。


一等怖ろしいのは人間の言葉の魔力である。証拠らしい証拠がなくても、耳に注がれる言葉の
毒は、たちまち全身に廻つてしまふ。

三島由紀夫「お嬢さん」より
7名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 10:45:40
玉のやうな男の児。「玉のやうな」とは何と巧い形容だらうと一太郎は思つてゐた。
明るい薔薇いろをした堅固な玉。弾む玉。野球のボールのやうに力強く飛びまはる玉。
それは飛び出して、ころころ転がつて、両親や祖父母の膝の上へ跳ね上り、笑ふ玉、喜ぶ玉、
きらきらした国旗の旗竿の玉のやうに青空に浮び上り……、それを見るだけでみんなに
幸福な気持を起させるのだ。


人の心といふものは、一定の分量しか入らない箱のやうなものである。


あなたはお嬢さんだわ。本当に困つたお嬢さん、私の妹だつたら、お尻にお灸をすゑてやるわ。
どうしてあなたは叫ばないの? 泣かないの? 吼えないの? 思ひ切つて、景ちやんの顔に
オムレツでもぶつけてやらないの? 花瓶を叩き割らないの? お宅の硝子窓だつて、
ずいぶん割り甲斐があるぢやない? あなたのヤキモチは小細工ばかりで醜いわ。そんなの、
ほんとに女の滓だわ。

三島由紀夫35歳「お嬢さん」より
8名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 10:56:00
窓の外に自動車の音がする。道の片側に残る雪を蹴立てるタイヤのきしみがきこえる。
近くの塀にクラクションが反響する。……さういふ音をきいてゐると、あひかはらず
忙しく往来してゐる社会の海の中に、ここだけは孤島のやうに屹立して感じられる。
自分が憂へる国は、この家のまはりに大きく雑然とひろがつてゐる。自分はそのために
身を捧げるのである。しかし自分が身を滅ぼしてまで諫めようとするその巨大な国は、
果してこの死に一顧を与へてくれるかどうかわからない。それでいいのである。ここは
華々しくない戦場、誰にも勲(いさを)しを示すことのできぬ戦場であり、魂の最前線だつた。
麗子が階段を上つて来る足音がする。古い家の急な階段はよくきしんだ。このきしみは懐しく、
何度となく中尉は寝床に待つてゐて、この甘美なきしみを聴いたのである。二度とこれを
聴くことがないと思ふと、彼は耳をそこに集中して、貴重な時間の一瞬一瞬を、その
柔らかい蹠が立てるきしみで隈なく充たさうと試みた。さうして時間は燦めきを放ち、
宝石のやうになつた。

三島由紀夫「憂国」より
9名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 10:56:14
中尉の目の見るとほりを、唇が忠実になぞつて行つた。その高々と息づく乳房は、山桜の花の
蕾のやうな乳首を持ち、中尉の唇に含まれて固くなつた。胸の両脇からなだらかに流れ落ちる
腕の美しさ、それが帯びてゐる丸みがそのままに手首のはうへ細まつてゆく巧緻なすがた、
そしてその先には、かつて結婚式の日に扇を握つてゐた繊細な指があつた。指の一本一本は
中尉の唇の前で、羞らふやうにそれぞれの指のかげに隠れた。……胸から腹へと辿る天性の
自然な括れは、柔らかなままに弾んだ力をたわめてゐて、そこから腰へひろがる豊かな曲線の
予兆をなしながら、それなりに些かもだらしなさのない肉体の正しい規律のやうなものを
示してゐた。光りから遠く隔たつたその腹と腰の白さと豊かさは、大きな鉢に満々と
湛へられた乳のやうで、ひときは清らかな凹んだ臍は、そこに今し一粒の雨粒が強く
穿つた新鮮な跡のやうであつた。影の次第に濃く集まる部分に、毛はやさしく敏感に叢れ立ち、
香りの高い花の焦げるやうな匂ひは、今は静まつてはゐない体のとめどもない揺動と共に、
そのあたりに少しづつ高くなつた。

三島由紀夫「憂国」より
10名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 10:56:35
麗子は良人のこの若々しく引き締つた腹、さかんな毛におほはれた謙虚な腹を見てゐるうちに、
ここがやがてむごたらしく切り裂かれるのを思つて、いとしさの余りそこに泣き伏して
接吻を浴びせた。
横たはつた中尉は自分の腹にそそがれる妻の涙を感じて、どんな劇烈な切腹の苦痛にも
堪へようといふ勇気を固めた。
かうした経緯を経て二人がどれほどの至上の歓びを味はつたかは言ふまでもあるまい。
中尉は雄々しく身を起し、悲しみと涙にぐつたりした妻の体を、力強い腕に抱きしめた。
二人は左右の頬を互ひちがひに狂ほしく触れ合はせた。麗子の体は慄へてゐた。汗に
濡れた胸と胸とはしつかりと貼り合はされ、二度と離れることは不可能に思はれるほど、
若い美しい肉体の隅々までが一つになつた。麗子は叫んだ。高みから奈落へ落ち、奈落から
翼を得て、又目くるめく高みへまで天翔つた。中尉は長駆する聯隊旗手のやうに喘いだ。
……そして、一トめぐりがをはると又たちまち情意に溢れて、二人はふたたび相携へて、
疲れるけしきもなく、一息に頂きへ登つて行つた。

三島由紀夫35歳「憂国」より
11名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 11:01:32
女の踝が美しいのは、このいかにも慎みのない突起が、なめらかな脚のつづきに現はれて、
そこで突然動物的なものを感じさせるからだらう。


ヤクザ特有の死に関する単純な投げやりな見解、真情を隠して抵抗する可愛い女、それらは
身についた卑俗と卑小の独特の詩を荷つてゐる。凡庸さを一寸でも逸脱したら忽ち失はれる
やうな詩が、かういふ物語の中にはこもつてゐる。天才に禍ひあれ。この種の詩は決して
意識されてはならず、看過されるときだけ薫りを放つのだ。そして大多数の映画は
すばらしいことに、すべてを看過しながら描写してしまふ。

三島由紀夫「スタア」より
12名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 11:01:45
「霧の夜道に青い灯に、
別れた瞳が気にかかる」
この種の凡庸と卑俗の詩は、言葉の置き換へのゆるされない厳然たる存在だといふことに
誰が気づくだらう。人がかういふ詩の存在を許すのは、それらが紋切型で無力で蜉蝣のやうに
短命だと思つてゐるからだ。ところが永生を約束されてゐるのは実はこれのはうで、
悪が尽きないやうに、それは尽きない。鱶(ふか)のお腹についてゐる小判鮫のやうに、
それはどこまでも公式の詩のお腹について泳ぐのだ。それは創造の影、独創の排泄物、
天才の引きずつてゐる肉体だ。安つぽさだけの放つ、ブリキの屋根の恩寵的な輝き、
うすつぺらなものだけが持つことのできる悲劇の迅速さ、十把一からげの人間だけが見せる、
あの緻密な念の入つた美しさと哀切さ。愚昧な行動だけがかもし出す夕焼けのやうな
俗悪な抒情。……すべてこれらのものに守られ、これらの規約に忠実に従つた、この種の
物語を僕はとても愛する。

三島由紀夫「スタア」より
13名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 11:02:04
幸福がつかのまだといふ哲学は、不幸な人間も幸福な人間もどちらも好い気持にさせる力を
持つてゐる。


「見られる」といふことがどういふことか、世間の人にいくら説明しても無駄だと思ふ。
正に「見られる」といふ僕らの特質が、僕らを世間から弾き出し、世外の人にしてしまふ
原因だからだ。


僕は、一緒に寝てくれといふ女より、どこかで自涜してゐる女のはうが、はるかに
好きなことはたしかである。僕が本当のラヴ・シーンと考へるものはこれしかない。


スタアはあくまで見かけの問題よ。でもこの見かけが、世間の『本当の認識』の唯一つの
型見本、唯一つの形にあらはれた見本だといふことを、向う様も十分御存知なんだわ。
世間だつて、結局認識の源泉は私たちの信仰してゐる虚偽の泉から汲んで来なければ
ならないことを知つてるの。ただその泉には、絶対にみんなの安心する仮面がかぶせて
なければ困るのよ。その仮面がスタアなんだわ。

三島由紀夫36歳「スタア」より
14名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 12:02:04
本来決してここにあるべきではなかつた物質、この世の秩序の外にあつて時折その秩序を
根底からくつがへすために突然顕現する物質、純粋なうちにも純粋な物質、……さういふものが
きつとスパナに化けてゐたのだ。
われわれはふだん意志とは無形のものだと考へてゐる。軒先をかすめる燕、かがやく雲の
奇異な形、屋根の或る鋭い稜線、口紅、落ちたボタン、手袋の片つぽ、鉛筆、しなやかな
カーテンのいかつい吊手、……それらをふつうわれわれは意志とは呼ばない。しかし
われわれの意志ではなくて、「何か」の意志と呼ぶべきものがあるとすれば、それが
物象として現はれてもふしぎはないのだ。その意志は平坦な日常の秩序をくつがへしながら、
もつと強力で、統一的で、ひしめく必然に充ちた「彼ら」の秩序へ、瞬時にしてわれわれを
組み入れようと狙つてをり、ふだんは見えない姿で注視してゐながら、もつとも大切な瞬時に、
突然、物象の姿で顕現するのだ。かういふ物質はどこから来るのだらう。多分それは
星から来るのだらう、と獄中の幸二はしばしば考へた。……

三島由紀夫「獣の戯れ」より
15名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 12:02:20
幸二は思つた。僕が本当に見たかつたのはその歓喜ではなかつたか? それなしに、どうして
こんな半歳にわたる自己放棄と屈辱のかずかずがありえたか?
幸二が正に見たかつたのは、人間のひねくれた真実が輝やきだす瞬間、贋物の宝石が
本物の光りを放つ瞬間、その歓喜、その不合理な夢の現実化、莫迦々々しさがそのまま
荘厳なものに移り変る変貌の瞬間だつた。さういふものの期待において優子を愛し、優子の
守つてゐた世界の現実を打ち壊さうと願つたのだから、それが結果として逸平の幸福に
なつても構はない筈だつた。少なくとも幸二は何ものかのために奉仕したのだ。
しかし実際に幸二が見たのは、人間の凡庸な照れかくしと御体裁の皮肉と、今までさんざん
見飽きたものにすぎなかつた。彼は計らずも自分が信じてゐた劇のぶざまな崩壊に立ち会つた。
『そんなら仕方がない。誰も変へることができないなら、僕がこの手で……』
支柱を失つた感情で、幸二はさう思つた。何をどう変へるとも知れなかつた。しかし着実に
自分が冷静を失つてゆくのを彼は感じた。

三島由紀夫「獣の戯れ」より
16名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 12:02:36
『あのとき俺は、論理を喪くしたぷよぷよした世界に我慢ならなかつたんだ。あの豚の
臓腑のやうな世界に、どうでも俺は論理を与へる必要があつたんだ。鉄の黒い硬い冷たい
論理を。……つまりスパナの論理を』
又、
『あの日の夕方、優子が酒場でかう言つたつけ。《そんなときにあの人の平然とした顔を
見たら、もうおしまひだ》つて。あのスパナの一撃のおかげで、俺はわざわざ、彼らを
《おしまひ》にすることから救つたんだ。……』


幸二は清の単純な抒情的な魂を羨んだ。硝子のケースの中の餡パンのやうに、はつきりと
誰の目にも見える温かいふつくらした魂。刑務所の庭にも清の語つたのと同じやうな花園が
あつた。受刑者たちが手塩にかけて育ててゐるその花園を、幸二は手つだはなかつたけれど、
遠くから愛してゐた。ひどく臆病に、迷信ぶかく、痛切に、しかもうつすらと憎んで。
……彼も亦、金蓮花の卑俗な鬱金いろに心をしめつけられた思ひ出を持つてゐた。しかし
清とちがつて、幸二は決してこの種の思ひ出を語らないだらう。

三島由紀夫「獣の戯れ」より
17名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 12:02:52
正直を言ふと、俺はかうも考へたよ。俺があんたの頭をスパナでぶちのめしたおかげで、
あんたの思想は完成し、あんたの生きてる口実が見つかつたんだ、と。人生とは何だ? 
人生とは失語症だ。世界とは何だ? 世界とは失語症だ。歴史とは何だ? 歴史とは失語症だ。
芸術とは? 恋愛とは? 政治とは? 何でもかんでも失語症だ。それでみんな辻褄が合ひ、
あんたが前から考へてゐたことが、ここですつかり実を結んだのだ、と。


草門家はあんたの中のからつぽな洞穴を中心にして廻りはじめた。座敷のまんなかに深い
空井戸が口をあけてゐる家といふものを想像してみるといい。空つぽな穴。世界を呑み込んで
しまふほど大きな穴。あんたはそれを大事に護り、そればかりか、穴のまはりに優子と俺を
うまい具合に配置して、誰も考へつきさうもない新らしい『家庭』を作り出さうといふ気に
なつた。空井戸を中心にしたすてきな理想的な家庭。あんたが俺の隣りへ寝室を移したときに、
『家庭』はいよいよ完成に近づきだしてゐたわけだ。

三島由紀夫「獣の戯れ」より
18名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 12:03:28
やがて三つの空つぽな穴、三つの空井戸が出来上り、それらが傍もうらやむ仲の良い幸福な
家庭を築き上げる。それには俺も誘惑を感じる。すんでのところで手を貸したくなつたりもする。
やらうと思へば事は簡単だからだ。俺たちが苦悩を捨て、自分たちの中にもあんたと同じ寸法の
穴をうがち、あんたの見てゐる前で、俺と優子が、何の煩らひもなく、獣の戯れみたいに
一緒に寝ればそれですむんだから。あんたの見てゐる前で、快楽の呻きをあげ、のたうちまはり、
あげくのはては鼾をかいて眠つてしまへばいいのだから。
しかし、俺にはそれはできない。優子もできない。わかるか? あんたの思ふ壺にはまつて、
幸福な獣になるのが怖いから、俺たちには決してできない。しかも、いやらしいことに、
あんたはそれを知つてゐるんだ。

三島由紀夫36歳「獣の戯れ」より
19名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 12:06:20
アメリカ特有の匂ひ、衛生的な薬品の匂ひと甘いしつこい体臭とを五分五分にまぜあはせた
やうな匂ひが店内に充ちてゐた。ほとんど中年以上の女客が、濃い口紅を塗り、威丈高な
目つきをして、大きな菓子やオープン・サンドウヰッチと取り組んでゐた。これだけ
騒々しい店なのに、着飾つた一人一人の孤独な女たちの食慾にはひどくしめやかなものが
あつた。しめやかな、淋しい、沢山の消化器の儀式のやうだ。

三島由紀夫37歳「魔法瓶」より


この世界の愚劣を癒やすためには、まづ、何か、愚劣の洗滌が要るのだ。藷たちが愚劣と
考へることの、一生けんめいの聖化が要るのだ。あいつらの信条、あいつらの商人的な
一生けんめいさをさへ真似をして。


とにかくジャックはもう治つたのだ。彼が自殺すれば、それと同時に、あのいぎたない
藷たちの世界も滅びるだらうと思つてゐたのはまちがひだつた。彼が意識を失つて病院へ
運ばれ、やがて意識を取り戻してまはりを見廻したとき、藷たちの世界は依然いきいきとして
彼を取巻いてゐた。……あいつらが不治ならば、こつちが治つてやるほかはない。

三島由紀夫38歳「葡萄パン」より
20名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 23:55:17
まやかしの平和主義、すばらしい速度で愚昧と偸安への坂道を辷り落ちてゆく人々、
にせものの経済的繁栄、狂ほしい享楽慾、世界政治の指導者たちの女のやうな虚栄心……
かういふものすべては、仕方なく手に委ねられた薔薇の花束の棘のやうに彼の指を刺した。
あとで考へればそれが恩寵の前触れであつたのだが、重一郎は世界がこんな悲境に陥つた責任を
自分一人の身に負うて苦しむやうになつた。誰かが苦しまなければならぬ。誰か一人でも、
この砕けおちた世界の硝子のかけらの上を、血を流して跣足で歩いてみせなければならぬ。


一人の人間が死苦にもだえてゐるとき、その苦痛がすべての人類に、ほんのわづかでも
苦痛の波動を及ぼさないとは何事だらう! こんな肉体的苦痛の明確な個人的限界に
つきあたると、重一郎は又しても深い絶望に沈んだ。どうしてあの原子爆弾の怖ろしい
苦痛ですら、個人的な苦痛に還元され、肉体的な体験だけで頒(わか)たれることに
なつたのだらう。あの原爆投下者の発狂の原因は、彼にはありありとわかるやうな気がした。

三島由紀夫「美しい星」より
21名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 23:55:44
いやが上にも凡庸らしく、それが人に優れた人間の義務でもあり、また、唯一つの自衛の
手段なのだ。


今や人類は自ら築き上げた高度の文明との対決を迫られてをり、その文明の明智ある支配者と
なるか、それともその文明に使役された奴隷として亡びるか、二つに一つの決断を迫られてゐる。


アメリカは、広島への原爆の投下によつて、自らの手を汚しました。これは彼らの歴史の
永久に落ちぬ汚点となりました。


北方の人間のしつこい「進歩的」思想や、さういふものは猥雑でしかなかつた。彼が興味を
寄せるのは、個人的醇化、例外的な夢、反時代的な確証に尽きてゐた。彼があるべきだと
考へるものは、決してこの世に存在しない。しかし何かが存在しないなら、それが
存在するべきだつた。これは美の倫理であり、芸術の倫理でもある筈だつたが、彼が芸術家で
なかつたら、どうすればよいのか? すでに存在してゐるものに存在への夢を寄せ、それらを
二重の存在に変へてしまひ、すべてを二重に透視すればよいのだ。

肉の交はりはそもそも心の交合の模倣であり、絶望から生れた余儀ない代償ではないだらうか。

三島由紀夫「美しい星」より
22名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/29(土) 11:18:24
偶然といふ言葉は、人間が自分の無知を湖塗しようとして、尤もらしく見せかけるために
作つた言葉だよ。
偶然とは、人間どもの理解をこえた高い必然が、ふだんは厚いマントに身を隠してゐるのに、
ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまつた現象なのだ。人智が探り得た最高の必然性は、
多分天体の運行だらうが、それよりさらに高度の、さらに精巧な必然は、まだ人間の目には
隠されてをり、わづかに迂遠な宗教的方法でそれを揣摩してゐるにすぎないのだ。宗教家が
神秘と呼び、科学者が偶然と呼ぶもの、そこにこそ真の必然が隠されてゐるのだが、天は
これを人間どもに、いかにも取るに足らぬもののやうに見せかけるために、悪戯つぽい、
不まじめな方法でちらつかせるにすぎない。人間どもはまことに単純で浅見だから、
まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく見える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで
飛びつくが、一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払ふにすぎない。
かうして人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。

三島由紀夫「美しい星」より
23名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/29(土) 11:18:38
なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶然事のはうに、あらはに
印されてゐるのだから。
恋し合つてゐる者同士は、よく偶然に会ふ羽目になるものだ。それだけならふしぎもないが、
憎み合つてゐて、お互ひに避けたいと思つてゐる同士も、よく偶然に会ふ羽目になるものだ。
この二例を人間の論理で統一すると、愛憎いづれにしろ、関心を持つてゐる人間同士は
否応なしに偶然に会ふといふことになる。人間の論理はそれ以上は進まない。しかし
われわれ宇宙人の鳥瞰的な目は、もつと広大な展望を持つてゐる。そこから見ると、関心を
抱き合ひつつ偶然に会ふ人の数とは比べものにならぬほど、人間どもは、電車の中、町中で、
何ら関心を持ち合はない無数の他人とも、時々刻々、偶然に会つてゐるのだ。おそらく
一生に一度しか会はない人たちと、奇蹟的にも、日々、偶然に会つてゐるのだ。ここまで
ひろげられた偶然は、もう大きな見えない必然と云ふほかはあるまい。仏教徒だけが
この必然を洞察して、『一樹の蔭』とか『袖触れ合ふも他生の縁』とかの美しい隠喩で
それを表現した。

三島由紀夫「美しい星」より
24名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/29(土) 19:40:40
そこには人間の存在にかすかに余影をとどめてゐる『星の特質』がうかがはれ、天体の
精妙な運行の、遠い反映が認められるのだ。実はそこには、それよりもさらに高い必然の
網目の影も落ちかかつてゐるのだが……。
この地球の無秩序も、全然宇宙の諧和と異質なものではないのだから、われわれは絶望的に
なることは一つもない。


このごろ私にはやうやくわかりかけて来たのだが、かつてあれほど私を悩ました地上の人々や
事物のばらばらな姿は、天の配慮かもしれないのだ。といふのは、宇宙的調和と統一の時が
近づくに従つて、天の必然が白熱した機械のやうに昂進し、そのことが却つて、人間の考へる
論理的必然的聨関ではどうにも辻褄の合はぬほど、玩具箱を引つくりかへしたやうな状態を
地上に作りだしてしまつたにちがひないのだ。そのためわれわれも身のまはりにたえず
注意を払つて、一見ばかばかしい偶然の発生を記録しておいたはうがいい。小さな事物の
つまらない偶然の暗号が、これから地上には加速度にふえて行くだらうと私は見てゐる。

三島由紀夫「美しい星」より
25名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/29(土) 19:40:55
去年の薔薇は丸く小さく、死んだ睾丸のやうであつた。かぼそく風に揺れる枝頭にあつて、
乾き果てた花弁が時折灰のやうに崩れるために、崩れた残りの花弁はジグザグの縁をしてゐた。
羽黒はその花弁に手をふれて、さらにその縁を欠いた。すると、指はほとんど力を入れて
ゐないのに、薔薇は壊れて彼の指紋をこなごなの砕片でまぶした。
生きながら焚刑に処されて、形を保つたまま灰になつた薔薇、……悪の美しい二重の形態。
――羽黒は確信してゐた。この世の形態はみんないつはりであり、滅亡でさへ形態をもち、
その形態にあざむかれてゐると。
実際、人類の滅亡を惹起するのに、彼は力を用ひる必要があるだらうか。今しがた彼の指が、
かすかに触れるばかりで崩壊した薔薇のやうに、人間の世界も潰(つひ)え去るのでは
なからうか。いや、すでにそれは死に絶え、ただ形態だけを保つてゐるのではなからうか。
……こんな考へが時折心に兆すと、羽黒はいそいで邪念としてそれをしりぞけた。こんな
考へこそ彼の使命を等閑(なほざり)にさせるものだ。

三島由紀夫「美しい星」より
26名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/30(日) 00:46:48
死は今や美しい雲の形で地球人を取り巻いてゐた。夕空に映える高い紅や紫の雲は、みんな
有毒だつた。見えない死のたえまない浸潤。あの空のはるか高みにふりまかれた毒が、
地に降りて、野菜や牛乳を通して、人間の骨の奥につひに宿りを定める春が来てゐた。
幽暗な棲家を求めて、地上のかがやかしい田園の動植物の体をかいくぐつて、倦まない旅を
つづける微細な死は、いよいよ居を定めると、生きてゐる人間たちに、その肉体の不朽な
部分の本質を、すなはち骨の本質を高らかに告げ知らせるのだ。死ぬまでは閑却されてゐた
人間の骨が、生きながら喇叭のやうに歌ひだすのだ。それらの死は、日を浴びた美しい野菜畑や、
緑の森と小川を控へた牧場や、すべて花と蜜蜂にあふれた風景の只中からやつてくる。
ピクニックの人々は、自然の中にこまかく織り込まれた死と呼応して、自分たちの中の骨が
歌ひだすのを感じるにちがひない。人間に不朽なものは骨だけであり、死の灰は肉を
滅ぼしこそすれ、骨の美しく涸れた簡素なすがたは、永久に失はれることがない、と。

三島由紀夫「美しい星」より
27名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/30(日) 00:47:05
かつて叫ばれた八紘一宇といふ言葉は、かかる文明史的予言であつたものを、軍閥に利用されて、
卑小な意味に転化されたのだ。


世界連邦はいつかは樹立されなければならないが、世界連邦の理念は、国際連合的な
悪平等の上に立つてにつちもさつちも行かなくなるやうなものではなく、文明史的潮流の
予言的洞察の上に立ち、日本といふ個と、世界といふ全体との、お互ひがお互ひを包み込む
やうな多次元的綜合(!)に依るべきである。


人間には三つの宿命的な病気といふか、宿命的な欠陥がある。その一つは事物への
関心(ゾルゲ)であり、もう一つは人間への関心であり、もう一つは神への関心である。
人類がこの三つの関心を捨てれば、あるひは滅亡を免れるかもしれないが、私の見るところでは、
この三つは不治の病なのです。

三島由紀夫「美しい星」より
28名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/30(日) 21:27:13
おわかりですか。私はひいては天体としての地球の物的性質、無機物の勝利といふことを
言つてゐるのです。いくら人間が群をなして集まつても、宇宙法則の中で『生命』といふものが
例外的なものにすぎないといふ無意識の孤独感は拭はれず、人間はとりわけ物に、無機物に
執着します。金貨と宝石とは人間の生命と生活に対する一等冷淡な対立物であるにもかかはらず、
さういふ物質をとらへて、人間的色彩をこれに加へ、人間的臭気をこれに与へることに
人々は熱中して来ました。そのうちに人間は物に馴れ親しみ、物の運動と秩序のなかに、
人間の本質をみつけ出すやうにさへなつたのです。そして有機物にすら、生きて動いてゐる
猫にすら、人間の惹き起す事件にすら、いや、人間そのものにすら、物の属性を与へなくては
安心できぬやうになつた。物の属性を即座に与へることが事物に完結性の外観をもたらし、
人間が恒久性の観念と故意をごつちやにしてゐる『幸福』の外観をもたらすからです。

三島由紀夫「美しい星」より
29名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/30(日) 21:27:28
かやうに人間の事物への関心は、時間の不可逆性からつねに自分を救ひ出さうとする欲求で、
三十年前にロンドンで買つた傘を愛用してゐる紳士も、今年の夏の流行の水着を身につける女も、
三十年間にしろ、一ヵ月にしろ、その時間を代表する物質に自分を閉じ込めて安心するのです。
物質に対する人間の支配は、暗々裡に、いつも物質の最終的な勝利を認めてきた。さうで
なかつたら、どうして地球上に、あんなに沢山、石や銅や鉄のいやらしい記念碑や建築物や
お墓が残つてゐる筈がありませう。さて、そこで人間は、最後に、物質の性質をある程度
究明して、原子力を発見したのです。水素爆弾は人間の到達したもつとも逆説的な事物で、
今人間どもは、この危険な物質の裡に、究極の『人間的』幻影を描いてゐるのです。


水素爆弾が、最後の人間として登場したわけです。それはまるで、現代の人間が、自分たちには
真似もできないが、現代の人間世界にふさはしい人間は、かうあらねばならぬといふ絶望的な
夢を、全部具備してゐるからです。

三島由紀夫「美しい星」より
30名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/31(月) 10:47:20
性慾は実は人間的関心ではないのです。それは繁殖と破壊の間から、世界の薄明を覗き見る
行為です。


彼らはみな、苦痛が決して伝播しないこと、しかも一人一人が同じ苦痛の『条件』を
荷つてゐることを知悉してゐるのです。
人間の人間に対する関心は、いつもこのやうな形をとります。同じ存在の条件を荷ひながら、
決して人類共有の苦痛とか、人類共有の胃袋とかいふものは存在しないといふ自信。……
女が出産の苦痛を忘れることの早さと、自分が一等難産だつたと信じてゐることを、あなたも
よく承知でせう。すべては老い、病み、さうして死ぬのに、人類共有の老いも病気も死も、
決して存在しないといふ個体の自信。
政治的スローガンとか、思想とか、さういふ痛くも痒くもないものには、人間は喜んで
普遍性と共有性を認めます。毒にも薬にもならない古くさい建築や美術品は、やすやすと
人類共有の文化的遺産になります。しかし苦痛がさうなつては困るのです。大演説の最中に
政治的指導者の奥歯が痛みだしたとき、数万の聴衆の奥歯が同時に痛みだしては困るのです。

三島由紀夫「美しい星」より
31名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/31(月) 10:47:46
いくら握手したところで黒人の胃袋が白人の胃袋に、同じ胃痛を伝播する心配がないならば、
握手ぐらゐのことが何の妨げになるでせう。世界共和国の思想には、かうしてどこか不感症の、
そのくせ異様に甘い、キャンディーのやうなところがあります。ところで、世界共和国は早晩、
その基礎理念に強ひられて、おそろしい結末に立ちいたるのです。それが人間の存在の条件の
同一性の確認にはじまつた以上、その共同意識は、だんだん痛みや痒みや空腹の孤立状態に
耐へられなくなる。歯の痛い人間にとつては、世界共和国なんか糞くらへといふものだ。
世界共和国の中で自分一人老いてゆくことは何だか不公平なやうな気がしてくる。どうして
若いぴちぴちした連中に、自分の老いを伝播させてやることができないのか。人間どもは
自分が一旦拒否した共有を、いつまでも叛逆罪の中に閉じこめておくことに耐へられない。
世界共和国の人民は、同時に生れ、同時に老い、同時に滅びるべきではないのか。もし
存在の条件の同一性が、この厖大な国家の唯一の理念であるならば、国家はいつかその明証を
提示しなければならない。

三島由紀夫「美しい星」より
32名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/31(月) 23:53:26
神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。しかし神は真理自体でもなく、
正義自体でもなく、神自体ですらないのです。それは管理人にすぎず、人知と虚無との
継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに
従事します。何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐へないからであるし、一度人間が
『絶対』の想念を心にうかべた上は、世界のすべてのものの相対性とその『絶対』との間の
距離に耐へないからです。遠いところに駐屯する辺境守備兵は、相対性の世界をぼんやりと
絶対へとつなげてくれるやうに思はれるのです。そして彼らの武器と兜も、みんな人間が
稼いで、人間が貢いでやつたものばかりです。
傭兵たちは何千年の間よく働らいてくれましたから、人間は彼らへの関心を失ふことがなかつた。
スコラ派の哲学者などにいたつては、人間は贋の有限的存在で、真の存在は神だけだと
ほざいてゐたくらゐです。

三島由紀夫「美しい星」より
33名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/31(月) 23:53:43
神への関心のおかげで、人間はなんとか虚無や非在や絶対などに直面しないですんできました。
だから今もなほ、人間は虚無の真相について知るところ少なく、虚無のやうな全的破壊の原理は
人間の文化内部には発生しないと妄信してゐる人間主義の愚かな名残で、人知が虚無を
作りだすことなどできないと信じてゐます。
本当にさうでせうか? 虚無とは、二階の階段を一階へ下りようとして、そのまますとんと
深淵へ墜落すること。花瓶へ花を活けようとして、その花を深淵へ投げ込んでしまふこと。
つまり目的も持ち、意志から発した行為が、行為のはじまつた瞬間に、意志は裏切られ、
目的は乗り超えられて、際限なく無意味なもののなかへ顛落すること。要するに、あたかも
自分が望んだがごとく、無意味の中へダイヴすること。あらゆる形の小さな失錯が、同種の
巨大な滅亡の中へ併呑されること。……人間世界では至極ありふれた、よく起る事例であり、
これが虚無の本質なのです。

三島由紀夫「美しい星」より
34名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/02(水) 12:11:55
科学的技術は、ふしぎなほど正確に、すでに瀰漫してゐた虚無に点火する術を知つてゐます。
科学的技術は人間が考へてゐるほど理性的なものではなく、或る不透明な衝動の抽象化であり、
錬金術以来、人間の夢魔の組織化であり、人間どもが或る望まない怪物の出現を夢みると、
科学的技術は、すでに人間どもがその望まない怪物を望んでゐるといふことを、証明して
みせてくれるのです。そこで、人間をすでにひたひたと浸してゐた虚無に点火される日が
やつてきました。それは気違ひじみた真赤な巨大な薔薇の花、人間の栽培した最初の虚無、
つまり水素爆弾だつたのです。
しかし未だに虚無の管理者としての神とその管理責任を信じてゐる人間は、安心して水爆の
釦を押します。十字を切りながら、お祈りをしながら、すつかり自分の責任を免れて、
必ず、釦を押します。
どつちへ転んでも、三つの関心のどれを辿つても、人間どもは必ずあの釦を押すやうに
できてゐるのです。

三島由紀夫「美しい星」より
35名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/02(水) 12:12:10
平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海から漁られた魚であつて、地球へ陸揚げされると
忽ち腐る。平和の地球的本質であるこの腐敗の足の早さ、これが彼らの不満のたねで、
彼らがしきりに願つてゐる平和は、新鮮な瞬間的な平和か、金属のやうに不朽の恒久平和かの
いづれかで、中間的なだらだらした平和は、みんな贋物くさい匂ひがするのです。


人類はまだまだ時間を征服することはできない。だから人類にとつての平和や自由の観念は、
時間の原理に関はりがあり、その原理によつて縛られてゐる。時間の不可逆性が、人間どもの
平和や自由を極度に困難にしてゐる宿命的要因なのです。
もし時間の法則が崩れて、事後が事前へ持ち込まれ、瞬間がそのまま永遠へ結びつけられるなら、
人類の平和や自由は、たちどころに可能になるでせう。そのときこそ絶対の平和や自由が
現前するでせうし、誰もそれを贋物くさいなどと思ふ者はをりません。

三島由紀夫「美しい星」より
36名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/02(水) 22:49:59
私が彼らの想像力に愬(うつた)へようとしたやり方は、破滅の幻を強めて平和の幻と同等にし、
それをつひには鏡像のやうに似通はせ、一方が鏡中の影であれば、一方は必ず現実であると
思はせるところまで、持つて行く方法でした。空飛ぶ円盤の出現は、人間理性をかきみだす
ためだつたし、理性を目ざめさせるにはその敵対物の陶酔しかないことを、理性自体に
気づかせるのが目的であつた。そしてわれわれの云ふ陶酔とは、時間の不可逆性が崩れること、
未来の不確実性が崩れること、すなはち、欲望を持ちえなくなること、――何故なら
人間の欲望はすべて時間が原因であるから――、これらもろもろの、人間理性の最後の
自己否定なのでした。人間の純粋理性とは、経験を可能にする先天的な認識能力のすべてを
云ふのださうで、人間の経験は欲望の、すなはち時間の原則に従つて動くからです。
私は未開の陶酔を人間どもに教へようとしたのでした。そこでこそ現在が花ひらき、
人間世界はたちどころに光輝を放ち、目前の草の露がただちに宝石に変貌するやうな陶酔を。

三島由紀夫「美しい星」より
37名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/02(水) 22:50:16
私が私の予見を語らないのは、それが語られると同時に、地球の人類の宿命になつて
しまふからだ。
動いてやまない人間を静止させるのが私の使命だとしても、それを宿命の形で静止させるのを
私は好まない。あくまで陶酔、静かな、絶対に欲望を持たない陶酔のうちに、彼らを
休らはすのが私の流儀なのだ。
人間の政治、いつも未来を女の太腿のやうに猥褻にちらつかせ、夢や希望や『よりよいもの』への
餌を、馬の鼻面に人参をぶらさげるやり方でぶらさげておき、未来の暗黒へ向つて人々を
鞭打ちながら、自分は現在の薄明の中に止まらうとするあの政治、……あれをしばらく
陶酔のうちに静止させなくてはいかん。


人間を統治するのは簡単なことで、人間の内部の虚無と空白を統括すればそれですむのだ。
人間といふ人間は、みんな胴体に風のとほる穴をあけてゐる。そいつに紐をとほしてつなげば、
何億人だらうが、黙つて引きずられる。

三島由紀夫「美しい星」より
38名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 11:09:19
歴史上、政治とは要するに、パンを与へるいろんな方策だつたが、宗教家にまさる政治家の
知恵は、人間はパンだけで生きるものだといふ認識だつた。この認識は甚だ貴重で、どんなに
宗教家たちが喚き立てようと、人間はこの生物学的認識の上にどつかと腰を据ゑ、健全で
明快な各種の政治学を組み立てたのだ。
さて、あなたは、こんな単純な人間の生存の条件にはつきり直面し、一たびパンだけで
生きうるといふことを知つてしまつた時の人間の絶望について、考へたことがありますか?
それは多分、人類で最初に自殺を企てた男だらうと思ふ。何か悲しいことがあつて、彼は
明日自殺しようとした。今日、彼は気が進まぬながらパンを喰べた。彼は思ひあぐねて自殺を
明後日に延期した。明日、彼は又、気が進まぬながらパンを喰べた。自殺は一日のばしに
延ばされ、そのたびに彼はパンを喰べた。……或る日、彼は突然、自分がただパンだけで、
純粋にパンだけで、目的も意味もない人生を生きえてゐることを発見する。

三島由紀夫「美しい星」より
39名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 11:09:42
自分が今現に生きてをり、その生きてゐる原因は正にパンだけなのだから、これ以上
確かなことはない。 彼はおそろしい絶望に襲はれたが、これは決して自殺によつては
解決されない絶望だつた。何故なら、これは普通の自殺の原因となるやうな、生きて
ゐるといふことへの絶望ではなく、生きてゐること自体の絶望なのであるから、絶望が
ますます彼を生かすからだ。
彼はこの絶望から何かを作り出さなくてはならない。政治の冷徹な認識に復讐を企てるために、
自殺の代りに、何か独自のものを作り出さなくてはならない。そこで考へ出されたことが、
政治家に気づかれぬやうに、自分の胴体に、こつそり無意味な風穴をあけることだつた。
その風穴からあらゆる意味が洩れこぼれてしまひ、パンだけは順調に消化され、永久に、
次のパンを、次のパンを、次のパンを求めつづけること。生存の無意味を保障するために、
彼らにパンを与へつづけることを、政治家たち統治者たちの、知られざる責務にしてしまふこと。
しかもそれを絶対に統治者たちには気づかせぬこと。

三島由紀夫「美しい星」より
40名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 11:10:09
この空洞、この風穴は、ひそかに人類の遺伝子になり、あまねく遺伝し、私が公園のベンチや
混んだ電車でたびたび見たあの反政治的な表情の素になつたのだ。
こいつらは組織を好み、地上のいたるところに、趣きのない塔を建ててまはる。私はそれらを
ひとつひとつ洞察して、つひには支配者の胴体、統治者の胴体にすら、立派な衣服の下に
小さな風穴の所在を嗅ぎつけたのだ。
今しも地球上の人類の、平和と統一とが可能だといふメドをつけたのは、私がこの風穴を
発見したときからだつた。お恥かしいことだが、私が仮りの人間生活を送つてゐたころは、
私の胴体にも見事にその風穴があいてゐたものだ。
私は破滅の前の人間にこのやうな状態が一般化したことを、宇宙的恩寵だとすら考へてゐる。
なぜなら、この空洞、この風穴こそ、われわれの宇宙の雛形だからだ。

地上の政治家が、たとへ悪の目的のためにもせよ。みんな結託することができる瞬間には、
すでに地上の平和は来てゐるのです。

三島由紀夫「美しい星」より
41名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 11:10:26
人間が内部の空虚の連帯によつて充実するとき、すべての政治は無意味になり、反政治的な
統一が可能になる。彼らは決して釦を押さない。釦を押すことは、彼らの宇宙を、内部の
空虚を崩壊させることになるからだ。肉体を滅ぼすことを怖れない連中も、この空虚を
滅ぼすことには耐へられない。何故ならそれは、母なる宇宙の雛形だからだ。


愛と生殖とを結びつけたのは人間どもの宗教の政治的詐術で、ほかのもろもろの政治的詐術と
同様、羊の群を柵の中へ追ひ込むやり方、つまり本来無目的なものを目的意識の中へ追ひ込む、
あの千篇一律のやり方の一つなのだね。


皮肉なことに愛の背理は、待たれてゐるものは必ず来ず、望んだものは必ず得られず、
しかも来ないこと得られぬことの原因が、正に待つこと望むこと自体にあるといふ構造を
持つてゐるから、二大国の指導者たちが、決して破滅を望んでゐないといふことこそ、
危険の最たるものなのだ。彼らが何ものかを愛してゐる以上、望まないものは必ず来るのだ。

三島由紀夫「美しい星」より
42名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 20:00:31
気まぐれこそ人間が天から得た美質で、時折人間が演じる気まぐれには、たしかに天の最も
甘美なものの片鱗がうかがはれる。それは整然たる宇宙法則が時折洩らす吐息のやうなもの、
許容された詩のやうなもので、それが遠い宇宙から人間に投影されたのだ。人間どもの宗教の
用語を借りれば、人間の中の唯一つの天使的特質といへるだらう。
人間が人間を殺さうとして、まさに発射しようとするときに、彼の心に生れ、その腕を突然
ほかの方向へ外らしてしまふふしぎな気まぐれ。今夜こそこの手に抱くことのできる恋人の
窓の下まで来て、まさに縄梯子に足をかけようとするときに、微風のやうに彼の心を襲ひ、
急に彼の足を砂漠への長い旅へ向けてしまふ不可解な気まぐれ。さういふ美しい気まぐれの
多くは、人間自体にはどうしても解けない謎で、おそらく沢山の薔薇の前へ来た蜜蜂だけが
知つてゐる謎なのだ。何故なら、こんな気まぐれこそ、薔薇はみな同じ薔薇であり、目前の
薔薇のほかにも又薔薇があり、世界は薔薇に充ちてゐるといふ認識だけが、解き明かすことの
できる謎だからだ。

三島由紀夫「美しい星」より
43名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 20:00:48
私が希望を捨てないといふのは、人間の理性を信頼するからではない。人間のかういふ
美しい気まぐれに、信頼を寄せてゐるからだ。あなたは人間どもは必ず釦を押すと言ふ。
それはさうだらう。しかし釦を押す直前に、気まぐれが微笑みかけることだつてある。
それが人間といふものだ。


人間の理性にはもう決断の能力はないのだよ。釦を押す能力があるだけだ。確信を以て、
冷静に、そして白痴のやうに。
…私が今度は、人間の五つの美点、滅ぼすには惜しい五つの特質を挙げるべき番だと思ふ。
実際、人間の奇妙な習性も多々あるけれど、その中のいくつかは是非とも残しておきたく、
そんな習性を残すためだけに、全人類を救つてもいいといふほど、価値あるものに私には
思はれる。
だが、もし人類が滅んだら、私は少なくとも、その五つの美点をうまく纏めて、一つの
墓碑銘を書かずにはゐられないだらう。この墓碑銘には、人類の今までにやつたことが
必要且つ十分に要約されてをり、人類の歴史はそれ以上でもそれ以下でもなかつたのだ。
その碑文の草案は次のやうなものだ。

三島由紀夫「美しい星」より
44名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 20:01:05
『地球なる一惑星に住める
  人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきつぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾つた。
彼らはよく小鳥を飼つた。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑つた。
  ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』
これをあなた方の言葉に飜訳すればかうなるのだ。
『地球なる一惑星に住める
  人間なる一種族ここに眠る。
彼らはなかなか芸術家であつた。
彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用ひた。
彼らは他の自由を剥奪して、それによつて辛うじて自分の自由を相対的に確認した。
彼らは時間を征服しえず、その代りにせめて時間に不忠実であらうと試みた。
そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知つてゐた。
  ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』

三島由紀夫「美しい星」より
45名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 20:01:26
私も亦、進歩の妄説にたぶらかされてゐる人間を危ぶんではゐるが、人間自体は決して
そんな風には生れついてゐないのだ。人間の操縦する宇宙船が、どこへ向つて進むかは
私は知つてゐる。あれは宇宙の未来の暗黒へ勇ましく突き進んでゆくかのやうに見えるが、
実は同時に、人間が忘れてゐる過去の記憶の深淵へまつしぐらに後退してゆくのだ。
あれは人間の未知の経験への冒険といふだけではなく、諸民族の暗い果てしれぬ原初的な
体験の再現を目ざしてゐるのだ。人間の意識にとつて、宇宙の構造は、永遠に到達すべき場所と、
永遠に回帰すべき場所との二重構造になつてゐる。それはあたかも人間の男にとつての女が、
母の影像と二重になつてゐるのと似てゐる。
人間は前へ進まうとするとき、必ずうしろへも進んでゐるのだ。だから彼らは決して
到達することも、帰り着くこともない。これが彼らの宇宙なのだから、われわれがそれに
怖ぢて、われわれの宇宙の受ける損害をあれこれと心配することはないのだ。

三島由紀夫「美しい星」より
46名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 11:13:18
今、あなたと私との間を流れてゐるこの時間は、紛れもない『人間の時』なのだ。破滅か
救済かいづれへ向つてゐようと、未来は鉄壁の彼方にあつて、こちらには、すべてに
手つかずの純潔な時がたゆたうてゐる。この、掌の中に自在にたはめられる、柔らかな、
決定を待つていかやうにも鋳られる、しかもなほ現成の時、これこそ人間の時なのだ。
人間はこれらの瞬間々々に成りまた崩れ去る波のやうな存在だ。未来の人間を滅ぼすことが
できても、どうして現在のこの瞬間の人間を滅ぼすことができようか。


私は人間が現在を拒否し、人間の時を自ら軽視し、この貴重な宝をいつもどこかへ置き忘れ、
人間の時ならぬ他の時、過去や未来へ気をとられがちなのを戒めるために、地球へやつて
来たやうなものだ。それといふのも、この現在の人間の時に、私はゆたかな尽きせぬ泉を
認めるからだ。なるほど人類は、私の与へるべき陶酔をまだ知りはしない。しかし、この現在に、
この人間の時に、その時にだけ、私のいはゆる『陶酔』の萌芽がひそんでゐることを私は
見抜いたのだ。

三島由紀夫「美しい星」より
47名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 11:19:04
第一に、どんな種類の救済にも終末の威嚇がつきものだが、どんな威嚇も、人間の楽天主義には
敵ひはしないのだ。その点では、地獄であらうと、水爆戦争であらうと、魂の破滅であらうと、
肉体の破滅であらうと、同じことだ。本当に終末が来るまでは、誰もまじめに終末などを
信じはしない。
第二に、人間は全然、生きたいといふ意志など持つてゐないことだ。生きる意志の欠如と
楽天主義との、世にも怠惰な結びつきが人間といふものだ。
『ああ、もう死んでしまひたい。しかし私は結局死なないだらう』
これがすべての健康な人間の生活の歌なのだ。町工場の旋盤のほとり、物干場にひるがへる
白いシャツのかげ、ゆきかへりの電車の混雑、水たまりだらけの横丁、あらゆる場所で
間断なく歌はれる人間の生活の歌なのだ。
こんな人間をどうやつて救済する。やつらはつるつるした球体で、お前のひよわな爪先に
引つかけられたりすることは、金輪際あるまい。

三島由紀夫「美しい星」より
48名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 19:21:49
人間の思想は種切れになると、何度でも、性懲りもなく、終末を考へ出した。人間の歴史が
はじまつてから、来る筈の終末が何度もあつて、しかもそれは来はしなかつた。しかし
今度の終末こそ本物だ。何故なら、人間の思想と呼ぶべきものはみんな死んでしまつたからだ。
人類は失語症になつた。世界には死の兆候が彌漫してゐる。思想の衣裳は悉く腐れ落ち、
人間は裸かで宇宙の冷たさに直面してゐる。


神々が死に、魂が死に、思想が死んだ。肉体だけが残つてゐるが、それはただの肉体の
形をした形骸だ。そして奴らは、自覚症状のない死苦に犯されてゐる。苦しみもなく、
痛みもなく、何も感じられないといふこの夕凪のやうな死苦。
終末といふものは、かういふ状況の上へ、夜のやうに自然に下りて来る。柩はすでに
出来てゐる。柩布が覆ひかぶさつてくるのは、時を得て、誰の目にも自然にだ。
世界中にひろがる屍臭、死に先立つ屍臭に気づいてゐないのは、当の人間たちだけだ。

三島由紀夫「美しい星」より
49名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 19:22:47
仮りの肉体の衰滅が、どうしてこんな恐怖やおそろしい沈鬱な感情をのしかからせてくるのか、
重一郎にはどうしてもわからなかつた。人間は死の不可解に悩むのだらうか。彼は死の
恐怖の不可解、死の影響力の不可解に愕いてゐたのである。


彼は人間が幸福や永生をねがつて、考へ出したいろんな象徴を思ひうかべた。祝寿の象徴、
紅と白の水引、のびやかに飛翔する鶴、海のきはに海風に押しまくられて傾いてゐる松、
打ちあげられたさまざまの海藻、そのあひだにうづくまる巨大な亀、……彼らはそれらの
属目の事物から、時間に対するつかのまの勝利と、繁殖による永遠の連鎖を夢みたのだ。
死は沖のとほくから重い瞼をあげて睨んでゐたが、これらの祝寿の象徴にかこまれた明るい汀は
人間の領域だつた。
いくたびの夜をくぐり抜けて、又しても人間どもは、この明るい汀に集ひ、いくたび同じ歌を
歌はうとするか、はかり知れない。重一郎は自分の悪液質の乾いた手を眺めながら、
生きてゆく人間たちの、はかない、しかし輝かしい肉を夢みた。

三島由紀夫「美しい星」より
50名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 19:23:55
一寸傷つけただけで血を流すくせに、太陽を写す鏡面ともなるつややかな肉。あの肉の外側へ
一ミリでも出ることができないのが人間の宿命だつた。しかし同時に、人間はその肉体の
縁(へり)を、広大な宇宙空間の海と、等しく広大な内面の陸との、傷つきやすく揺れやすい
「明るい汀」にしたのだ。その内面から放たれる力は海をほんの少し押し戻し、その薄い皮膚は
又、たえまない海の侵蝕を防いでゐた。若い輝かしい肉が、人間の矜りになるのも尤もだつた。
それは祝寿にあふれた、もつとも明るい、もつとも輝かしい汀であるから。
重一郎を置きざりにして人間が生きつづけることは、もとより彼の予見に背いた事態では
あつたが、疑ひもなく、白鳥座六十一番星の見えざる惑星から来た、あの不吉な宇宙人たちの
陰謀に対する、重一郎の勝利を示すものでもあつた。犠牲といふ観念が彼の心に浮んだ。
宇宙の意志は、重一郎といふ一個の火星人の犠牲と引きかへに、全人類の救済を約束してをり、
その企図は重一郎自身には、今まで隠されてゐたのかもしれないのだ。

三島由紀夫37歳「美しい星」より
51名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/05(土) 21:38:22
修一はこんなに明るい女たちのざわめきをはじめてきいたやうな気がした。それは彼の家庭では
決してきかれない明るい花束のやうな笑ひ声で、きいてゐるだけで体がほてるやうな気がした。
女たちの笑ひさざめく声といふのは、どうしてこんなにたのしいのだらう。湖の上に洩れて
映る大きな旅館の宴会の灯のやうだ。そこでは地上の快楽が、一堂に集まつてゐるやうに
見えるのだ。


小説家の考へなんて、現実には必ず足をすくはれるもんだ。


四十歳を越すと、どうしても人間は、他人に自分の夢を寄せるやうになる。


俺は猛烈な嫉妬を感じた。自分の小説の登場人物に嫉妬を感じる小説家とは、まことに
奇妙な存在だ。


こんなときに限つてバスはなかなか来ず、寒気は靴下にしみ入り、美代は修一に会ふ前は
つひぞ感じたことのない孤独に包まれた。はじめて彼を見たのも、この停留所だつた。
その白いスウェーターの腕。……恋をすると、人間は一そう一人ぼつちになるものだらうか。

三島由紀夫「愛の疾走」より
52名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/05(土) 21:39:24
寒い川岸に立つて見てゐた美代は、こんな荒つぽい男たちの友情に充ちたやりとりのなかで、
修一がみんなに愛されていきいきと働らいてゐる、決して暗くない生活の実感を、この手に
つかんだやうな気がした。ひよつとすると、あんなに近代的な明るい自分の職場のはうに、
機械にふりまはされて暮さなければならぬ現代の暗さが、顔をのぞけてゐるやうな気がした。
生活の幸福とはどういふことだらうか。


美代は、丁度その時間にそこで作業が行はれてゐず、魚の腹から卵をしぼり出す残酷な仕事を
見ないですんだのを喜んだ。
『でも、卵……卵……卵……。男たちがこんな仕事をしてゐる!』
彼女は何だか自分が魚になつたやうな、ひどく恥かしい感じがした。自分も一人の女として、
冬からやがて春へと動いてゆく、自然の大きな目に見えない流れに、否応なしに押し流されて
ゆくのだと思ふと、しらない間に野球帽も手拭もとつて、寒さのために赤い活気のある
頬をした修一の横顔を、じつと眺めてゐるのが、何だか眩しくなつた。

三島由紀夫「愛の疾走」より
53名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/05(土) 21:41:23
『信じられないやうな幸福だ。僕があの人に愛されてゐる。湖のむかうの美しい娘に』
彼は夢うつつの中で、結氷した湖が向う岸とこちらの岸とをつなぎ、夢がそのまま結氷して
堅固な現実の姿をとつた様を思ひゑがいた。彼があんなに切なく考へた距離は、見かけの
ものにすぎなかつた。それから彼があんなに怖れた、美しい娘とぶざまな自分との対比も、
心配したほどのものでもなかつた。二つの決して触れ合はなかつた世界が溶けあつて、
接吻を交はしたのだ。
『実際この世界には何てふしぎなことがあるものだらう』
闇の中に美代の美しい唇だけが、氷つた湖を駈けてくる一点の炎のやうに近づいた。
『あれは僕におやすみを言ふために駈けて来るんだ。あの小さな炎の近づいてくる速さ。
スケートよりも速い』
炎はたうとう近づいて彼の唇を灼いた。
『おやすみ』
幸福な若者は眠りに落ちた。

三島由紀夫「愛の疾走」より
54名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/05(土) 21:43:08
本当に愛し合つてゐる同士は、「すれちがひ」どころか、却つて、ふしぎな糸に引かれて
偶然の出会をするもので、愛する者を心に描いてふらふらと家を出た青年が、思ひがけない辻で
パッタリその女に会つた経験を、ゲエテもエッカーマンに話してゐるほどだ。


クライマックスといふものは、いづれにせよ、人をさんざんじらせ、待たせるものだ。
第一の御柱は崖のすぐ上辺まで来てゐるのに、ゆつくり一服してゐて、なかなか「坂落し」は
はじまらなかつた。


女といふものはな、頭から信じてしまふか、頭から疑つてかかるか、どつちかしかないものだな。
どつちつかずだと、こつちが悩んで往生する。漁も同じだ。『今日はとれるかな、
とれないかな』……これではいかん。必ず大漁と思つて出ると大漁、からきしダメだらうと
思つて出ると大漁、全くヘンなものだ。こつちが中途半端な気持だと、向うも中途半端に
なるものらしい。全くヘンなものだ。

三島由紀夫「愛の疾走」より
55名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 20:52:56
美代はされるままになつてゐて、決して起き上らうとしなかつた。修一はだんだん心配に
なつてきた。
しかし突然、美代は両手で自分の顔をおほひ、体を斜めにして、修一の腕をのがれた。
修一はおどろいてその顔を眺め下ろした。美代は泣いてゐた。
声は立てなかつたが、美代は永久に泣きつづけてゐるやうで、その指の間から、涙が嘘のやうに
絶え間なくこぼれおちた。顔をおほつてゐる美代の指は、華奢な美しい女の指とは言へなかつた。
意識してかしないでか、美代は自分の一等自信のない部分へ、男の注視を惹きつづけて
ゐたことになる。
それは農村で育つたのちに、キー・パンチャーとして鍛えられた指で、右手の人差し指と
中指と薬指、なかんづく一等使はれる薬指は、扁平に節くれ立つて、どんな優雅な指輪も
似合ひさうではなかつた。
しみじみとその指を眺めてゐた修一は、労働をする者だけにわかる共感でいつぱいになつて、
その薬指が、いとほしくてたまらなくなり、思はず、唇をそれにそつと触れた。

三島由紀夫「愛の疾走」より
56名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 20:53:51
はるか富士の山頂が、遠く霞んで山峡に顔をのぞけてゐる。……
美代はいつのまにか泣きやんでゐたが、まだ手を顔から離さず、さつきのままの姿勢で、
微動もしなかつた。ときどきブラウスの胸が大きく波打つた。
もともと口下手の修一は、こんなときに余計なことを言ひ出して、事壊しになるやうな羽目には
陥らなかつた。彼は子供が好奇心にかられて菓子の箱をむりやりあけてみるやうに、
かなり強引な力で、美代のしつかりと顔をおほつてゐる指を左右にひらいた。
涙に濡れた美しい顔が現はれた。しかし崩れた泣き顔ではなくて、涙のために、一そう
剥き立ての果物のやうな風情を増してゐた。修一はいとしさに耐へかねて、顔を近づけた。
するとその泣いてゐた美代の口もとが、あるかなきかに綻んで、ほんの少し微笑したやうに
思はれた。
それに力を得て、修一は強く、美代の唇に接吻した。

三島由紀夫「愛の疾走」より
57名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 20:56:16
……美代はこの唇こそ、永らく待ちこがれてゐた唇だと、半ば夢心地のうちに考へた。
もう何も考へないやうにしよう。考へることから禍が起つたのだ。何も考へないやうにしよう。
……こんな場合の心に浮ぶ羞恥心や恐怖や、果てしのない躊躇逡巡や、あとで飽きられたら
どうしようといふ思惑や、さういふものはすべて、女の体に無意識のうちにこもつてゐる
醜い打算だとさへ、彼女は考へることができた。純粋になり、透明にならう。決して
過去のことも、未来のことも考へまい。……自然の与へてくれるものに何一つ逆らはず、
みどり児のやうに大人しくすべてを受け容れよう。世間が何だ。世間の考へに少しでも
味方したことから、不幸が起つたのだ。……何も考へずに、この虹のやうなものに全身を
委せよう。……水にうかぶ水蓮の花のやうに、漣(さざなみ)のままに揺れてゐよう。
……どうしてこの世の中に醜いことなどがあるだらうか。考へることから醜さが生れる。
心の隙間から醜さが生れる。心が充実してゐるときに、どうして、この世界に醜さの
入つてくる余地があるだらうか。

三島由紀夫「愛の疾走」より
58名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 20:57:51
……今まで誰にも触れさせたことのない乳房を、修一の大きな固い掌が触つた。この人は
怖れてゐる。慄へてゐる。どうして悪いことをするやうに慄へてゐるのだらう。……
この太陽の下、花々の間、遠い山々に囲まれて、悪いことを人間ができるだらうか。……
美代の心からは、人に見られる心配さへみんな消え失せてゐた。世界中の人に見られてゐても、
今の自分の姿には、恥づべきことは何一つないやうな気がした。……
それでゐて、美代の体が、やさしく羞恥心にあふれてゐるのを、修一は誤りなく見てゐた。
丈の高い夏草の底に埋もれて、彼女はそのまま恥らひのあまり、夏の驟雨のやうに地面に
融け込んでしまひさうだつた。
二人とも人生ではじめての経験だつたのに、これだけ感情の昂揚してゐたことで、すべては
流れるやうに進んで、短かい間に、空もゆらめくやうな思ひは終り、修一は美代の純潔の
しるしを見て、歓びの叫びをあげたい気持になつた。

三島由紀夫「愛の疾走」より
59名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 20:59:03
美代ちやん、恋愛と結婚を写真機にたとへると、かういふことだ。シャッターを押すだけなら
誰にもできる。しかしいい写真が出来上るには、はじめの構図の決め方、距離や絞りの
合はせ方、光線の加減、又あとには現像密着の技術も要る。それも何度もやつてみて
馴れられるものならいいが、ズブの素人を連れて来て、一ぺんコッキリの勝負をさせるのだから
危ないものだ。そこでシャッターを押す前に、できるだけ念入りに、絞りを合はせたり、
光線の具合をしらべたり、距離を測つたりする必要があるんだよ。このごろみたいに
オートマばやりだと、それはそれでいいかもしれないが、それだつて構図だけはオートマぢや
行かないからね。


俺が二人の仲を割いたやうな形になつたのも、結局二人のためを思つたからだ。もしさうでなくて、
初恋がすらすらと結ばれたら、そんな夫婦の一生は、箸にも棒にもかからないものになる。
人間は怠け者の動物で、苦しめてやらなくては決して自分を発見しない。自分を発見しないと
いふことは、要するに、本当の幸福を発見しないといふことだ。

三島由紀夫37歳「愛の疾走」より
60名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/07(月) 16:44:11
外で威張つてゐる女ほど、どこかに肉体的劣等感を持つてゐる。


外人の男たちの、鶏みたいな、半透明な血の色の透けてみえる、ひどく老化の早い、
汚ならしい肌が、妙子はきらひであつた。背も高く、体力もあり、鼻も高く、横顔も
立派なのに、西洋人の男から受ける妙子の感じは、へんに無力な、生命力の稀薄な感じであつた。
だから妙子は、西洋人の誘惑には決して乗らなかつた。


『動物的といふ見地から言つたら』と妙子は、美男と云へなくもないその男の顔をつらつら
眺めながら考へてゐた。『こんな西洋人より、日本の若い男のはうが、ずつと動物的な
美しさを持つてゐる。つまり動物的なしなやかさと、弾力と、無表情な美しさとを』


男にしろ女にしろ「愛される」といふことは、よほど「愛する」といふこととちがふのだ。


愛される人間の自己冒涜の激烈なよろこびは、どこまで行くかはかり知れない。愛する人間は、
どんな地獄の底までもそれを追つかけて行かなければならないのだ。

三島由紀夫「肉体の学校」より
61名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/07(月) 16:45:46
本当の男なら、本当の男の塊りなら、立たうが坐らうが、上にならうが下にならうが、
逆立ちしようが引つくりかへらうが、男自体の輝やきにおいて、ますます男らしくなるだけ
ではないか。
たとへばつまらない機能上の男らしさにこだはつてゐる男のうち、性的魅力のこれつぽちもない
哀れな情ない男が、心の中では彼を少しも愛してゐない女の上に立つて、どんな男性的行動に
いそしまうが、それが一体何だらうか。
男にしろ、女にしろ、肉体上の男らしさ女らしさとは、肉体そのものの性のかがやき、
存在全体のかがやきから生れる筈のものである。それは部分的な機能上の、見栄坊な
男らしさとは何の関係もない。そこにゐるだけで、そこにただ存在してゐるだけで、
男の塊りであるやうな男は、どんなことをしたつて、男なのである。

三島由紀夫38歳「肉体の学校」より
62名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/07(月) 16:49:05
雅子の涙の豊富なことは、本当に愕くのほかはない。どの瞬間も、同じ水圧、同じ水量を
割ることがないのである。明男は疲れて、目を落して、椅子に立てかけた自分の雨傘の末を見た。
古風なタイルのモザイクの床に、傘の末から黒つぽい雨水が小さな水溜りを作つてゐた。
明男はそれも、雅子の涙のやうな気がした。
彼は突然、勘定書をつかんで立上つた。


一見、大噴柱は、水の作り成した彫塑のやうに、きちんと身じまひを正して、静止して
ゐるかのやうである。しかし目を凝らすと、その柱のなかに、たえず下方から上方へ
馳せ昇つてゆく透明な運動の霊が見える。それは一つの棒状の空間を、下から上へ凄い速度で
順々に充たしてゆき、一瞬毎に、今欠けたものを補つて、たえず同じ充実を保つてゐる。
それは結局天の高みで挫折することがわかつてゐるのだが、こんなにたえまのない挫折を
支へてゐる力の持続は、すばらしい。

三島由紀夫38歳「雨のなかの噴水」より
63名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/08(火) 19:12:54
『俺には何か、特別の運命がそなはつてゐる筈だ。きらきらした、別誂への、そこらの
並の男には決して許されないやうな運命が』

僕たちにできないことは、大人たちにはもつとできないのだ。この世界には不可能といふ
巨きな封印が貼られてゐる。それを最終的に剥がすことができるのは僕たちだけだといふことを
忘れないでもらひたい。


彼らは危険の定義がわかつてゐないんだ。危険とは、実体的な世界がちよつと傷つき、
ちよつと血が流れ、新聞が大さわぎで書き立てることだと思つてゐる。それが何だといふんだ。
本当の危険とは、生きてゐるといふそのことの他にはありやしない。生きてゐるといふことは
存在の単なる混乱なんだけど、存在を一瞬毎にもともとの無秩序にまで解体し、その不安を
餌にして、一瞬毎に存在を造り変へようといふ本当にイカれた仕事なんだからな。こんな
危険な仕事はどこにもないよ。存在自体の不安といふものはないのに、生きることがそれを
作り出すんだ。


大義とは? それはただ、熱帯の太陽の別名だつたかもしれないのだ。

三島由紀夫「午後の曳航」より
64名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/08(火) 19:14:48
ところでこの塚崎竜二といふ男は、僕たちみんなにとつては大した存在ぢやなかつたが、
三号にとつては、一かどの存在だつた。少くとも彼は三号の目に、僕がつねづね言ふ世界の
内的関聯の光輝ある証拠を見せた、といふ功績がある。だけど、そのあとで彼は三号を
手ひどく裏切つた。地上で一番わるいもの、つまり父親になつた。これはいけない。
はじめから何の役にも立たなかつたのよりもずつと悪い。
いつも言ふやうに、世界は単純な記号と決定で出来上つてゐる。竜二は自分では知らなかつた
かもしれないが、その記号の一つだつた。少くとも、三号の証言によれば、その記号の
一つだつたらしいのだ。
僕たちの義務はわかつてゐるね。ころがり落ちた歯車は、又もとのところへ、無理矢理
はめ込まなくちやいけない。さうしなくちや世界の秩序が保てない。僕たちは世界が
空つぽだといふことを知つてるんだから、大切なのは、その空つぽの秩序を何とか保つて
行くことにしかない。僕たちはそのための見張り人だし、そのための執行人なんだからね。

三島由紀夫「午後の曳航」より
65名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/08(火) 19:15:39
血が必要なんだ! 人間の血が! さうしなくちや、この空つぽの世界は蒼ざめて枯れ果てて
しまふんだ。僕たちはあの男の生きのいい血を絞り取つて、死にかけてゐる宇宙、
死にかけてゐる空、死にかけてゐる森、死にかけてゐる大地に輸血してやらなくちや
いけないんだ。


あの海の潮の暗い情念、沖から寄せる海嘯(つなみ)の叫び声、高まつて高まつて砕ける
波の挫折……暗い沖からいつも彼を呼んでゐた未知の栄光は、死と、又、女とまざり合つて、
彼の運命を別誂へのものに仕立ててゐた筈だつた。世界の闇の奥底に一点の光りがあつて、
それが彼のためにだけ用意されてをり、彼を照らすためにだけ近づいてくることを、
二十歳の彼は頑なに信じてゐた。
夢想の中では、栄光と死と女は、つねに三位一体だつた。しかし女が獲られると、あとの
二つは沖の彼方へ遠ざかり、あの鯨のやうな悲しげな咆哮で、彼の名を呼ぶことはなくなつた。
自分が拒んだものを、竜二は今や、それから拒まれてゐるかのやうに感じた。

三島由紀夫「午後の曳航」より
66名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/08(火) 19:16:36
彼はもう危険な死からさへ拒まれてゐる。栄光はむろんのこと、感情の悪酔。身をつらぬく
やうな悲哀。晴れやかな別離。南の太陽の別名である大義の叫び声。女たちのけなげな涙。
いつも胸をさいなむ暗い憧れ。自分を男らしさの極致へ追ひつめてきたあの重い甘美な力。
……さういふものはすべて終つたのだ。


灼けるやうな憂愁と倦怠とに湧き立ち、禿鷹と鸚鵡にあふれ、そしてどこにも椰子! 
帝王椰子、孔雀椰子。死が海の輝やきの中から、入道雲のやうにひろがり押し寄せて来てゐた。
彼はもはや自分にとつて永久に機会の失はれた、荘厳な、万人の目の前の、壮烈無比な死を
恍惚として夢みた。世界がそもそも、このやうな光輝にあふれた死のために準備されて
ゐたものならは、世界は同時に、そのために滅んでもふしぎはない。
血のやうに生あたたかい環礁のなかの潮、真鍮の喇叭の響きのやうに鳴りわたる熱帯の太陽。
五色の海。鯨。……


誰も知るやうに、栄光の味は苦い。

三島由紀夫38歳「午後の曳航」より
67名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/09(水) 21:19:42
進み出る次郎の足取に、さはやかな覇気のあふれてゐるのを木内は読みとる。次郎の紺の袴は
風を孕み、擦り足の正しい波動を伝へて、まつすぐに動いてくる。
木内はかうして自分に立ち向つてくる若さを愛する。若さは礼儀正しく、しかも兇暴に
撃ちかかつて来て、老年はこちらにゐて、微笑しながら、じつと自信を以て身を衛る。
青年の、暴力を伴はない礼儀正しさはいやらしい。それは礼儀を伴はない暴力よりももつと悪い。


この同じ時間の枠のなかで、白髪を面に隠した老いと、赤い頬を面に隠した若さとが、
寓話的な簡素のうちに、はつきりと相手を敵とみとめる。それはまるで、こんぐらかつた、
余計な夾雑物にみちた人生を、将棋の簡浄な盤面に変へてしまつたかのやうだ。何もかも
漉(こ)してしまつたあとには、これだけが残る筈だ。すなはち或る日、はげしい夕陽のなかで、
老年と青年がきつぱり刃先を合せて対し合ふといふこと。

三島由紀夫「剣」より
68名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/09(水) 21:20:39
木内は何の支点にも支へられずに、ほとんど空中に浮んでゐる。
「ヤア!」
と次郎は烈しい気合をかけた。ぢりぢりと右へまはつた。
木内はどの角度から見ても同じ面をあらはす透明な角錐みたいに見える。そこにも入口がない。
さらに右へまはる。それから急激に左へまはる。そこにも入口がない。次郎は自分の
透明さに対する屈辱を感じる。
木内は彼のその焦燥のむかうでゆつたりと寝そべつてゐる。昼寝をしてゐる大きな藍いろの
猫みたいに。
次郎は隙をみつけることを断念する。自分の焦燥が相手の隙を自分の目に見せないのだらうと
感じる。相手の完璧さは完璧さの仮装であり、完璧さに化けてゐるのだ。この世に
完璧なものなんぞあらう筈はない。
次郎は次第に、身のまはりに薄氷(うすらひ)がはりつめてきて、それがいつかは身動きも
できなくなるほど、肩を肱を、しつかりと氷に閉ざしてしまふやうな
気がする。時を移せば移すほどさうなる。全身の力を爆発させて、その氷を破らなければならぬ。

三島由紀夫「剣」より
69名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/09(水) 21:21:36
次郎の面紐の紫が、あでやかに舞ひ上る。彼の力が伸びる。躍動と掛け声とが、
放鳩(はうきう)のやうに、押しこめられてゐた籠から、突然羽撃いて立つ。
そのすばらしい速度を縫つて、次郎の竹刀は一瞬のうちに摺り上げられ、彼の頭上には、
赤く灼けた鉄を撃ち下ろすやうに、木内の竹刀の物打がしたたかに落ちる。


反抗したり、軽蔑したり、時には自己嫌悪にかられたりする、柔かい心、感じ易い心は
みな捨てる。廉恥の心は持ちつづけてゐるべきだが、うぢうぢした羞恥心などはみな捨てる。
「……したい」などといふ心はみな捨てる。その代りに、「……すべきだ」といふことを
自分の基本原理にする。さうだ、本当にさうすべきだ。
生活のあらゆるものを剣に集中する。剣はひとつの、集中した澄んだ力の鋭い結晶だ。
精神と肉体が、とぎすまされて、光りの束をなして凝つたときに、それはおのづから
剣の形をとるのだ。

三島由紀夫「剣」より
70名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/09(水) 21:22:36
強く正しい者になることが、少年時代からの彼の一等大切な課題である。
少年のころ、一度、太陽と睨めつこをしようとしたことがある。見るか見ぬかの一瞬のうちの
変化だが、はじめそれは灼熱した赤い玉だつた。それが渦巻きはじめた。ぴたりと静まつた。
するとそれは蒼黒い、平べつたい、冷たい鉄の円盤になつた。彼は太陽の本質を見たと思つた。
……しばらくはいたるところに、太陽の白い残影を見た。叢にも。木立のかげにも。
目を移す青空のどの一隅にも。
それは正義だつた。眩しくてとても正視できないもの。そして、目に一度宿つたのちは、
そこかしこに見える光りの斑は、正義の残影だつた。
彼は強さを身につけ、正義を身に浴びたいと思つた。そんなことを考へてゐるのは、
世界中で自分一人のやうな気がした。それはすばらしく斬新な思想であつた。

三島由紀夫「剣」より
71名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/09(水) 21:23:32
「又かといふだらうが」と木内は、肘掛椅子に身を埋めたまま、両手で手拭を絞るやうな
所作をしながら、「剣は結局、手の内にはじまつて手の内に終るな。俺が三十五年、
剣道から学んだことはそれだけだつた。人間が本当に学んで会得することといふのは、
一生にたつた一つ、どんな小さいことでもいい。たつた一つあればいいんだ。
この手の内一つで、あんな竹細工のヤハな刀が、本当に生きもし、死にもする。これは
実にふしぎな面白いことだ。しかし一面から見れば、地球を廻転させる秘法を会得したのも
同じことだ、と俺は思ふんだよ。
むかしから、左手の握り具合は唐傘をさしたときと同じ、右手は丁度鷄卵を握つた気持、
といふんだが、いかなるときも左手に唐傘をさして右手に卵を握つてゐられるかね。
まあ実際にさうしてみてごらん。三十分もたてば、傘は放り出す、卵は握り潰す、といふのが
オチだらうからね」


幸福なんて男の持つべき考へぢやない。

三島由紀夫38歳「剣」より
72名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/09(水) 21:23:39
人生の社交辞令として金閣寺のみ読んだ
平均的小説好きの私が通ります
73名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/10(木) 19:37:48
複雑な事情などといふものは、みんなただのお化けなのですわ。本当は世界は単純で
いつもしんとしてゐる場所なのですわ。少なくとも私はさう信じてをります。ですから
私には、闘牛場の血みどろの戦ひのさなかに、飛び下りて来て平気で砂の上を、不器用な
足取で歩いてゆく白い鳩のやうな勇気がございます。私の白い翼が血に汚れたとて、
それが何でせう。血も幻、戦ひも幻なのですもの。私は海ぞひのお寺の美しい屋根の上を
歩く鳩のやうに、争ひ事に波立つてゐるお心の上を平気で歩いて差上げますわ……。


この世の終りが来るときには、人は言葉を失つて、泣き叫ぶばかりなんだ。たしかに僕は
一度きいたことがある。


背広といふ安全無類の制服、毎日毎日のくりかへしの生活に忠実だといふ証文なんですね。

三島由紀夫「弱法師」より
74名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/10(木) 19:39:46
僕の魂は、まつ裸でこの世を歩き廻つてゐるんだよ。四方に放射してゐる光りが見えるでせう。
この光りは人の体も灼くけれど、僕の心にもたえず火傷をつけるんです。ああ、こんな風に
裸かで生きてゐるのは実に骨が折れますよ。実に骨が折れる。僕はあなた方の一億倍も
裸かなんだから。……ねえ、桜間さん、僕はひよつとすると、もう星になつてるのかもしれないんです。


川島:われわれはみんな恐怖のなかに生きてゐるんだよ。
俊徳:ただあなた方はその恐怖を意識してゐない。屍のやうに生きてゐる。


俊徳:みんな僕をどうしようといふんだらう。僕には形なんか何もないのに。
級子:形が大切なんですよ。だつてあなたの形はあなたのものぢやなくて、世間のものですもの。

三島由紀夫「弱法師」より
75名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/10(木) 19:40:56
年齢が何だつて言ふんです! 年齢が! 年齢といふものはね、一筋の暗闇の道なんです。
来し方も見えず、行末も見えない。だからそこには距離もないし、止つてゐるも歩いてゐるも
同じこと、進むのも退くのも同じこと、そこでは目あきも盲らになり、生きてゐる人間も
亡者になり、僕同様杖をたよりに、さぐり足でさまよつてゐるにすぎないんです。
赤ん坊も老人も青年も、つまりは同じ場所で、じつと身を寄せ合つてゐるのにすぎない。
夜の朽木の上にひつそりと群れ集まつてゐる虫のやうに。

三島由紀夫「弱法師」より
76名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/10(木) 19:42:24
僕はたしかにこの世のをはりを見た。五つのとき、戦争の最後の年、僕の目を炎で灼いた
その最後の炎までも見た。それ以来、いつも僕の目の前には、この世のをはりの焔が
燃えさかつてゐるんです。何度か僕もあなたのやうに、それを静かな入日の景色だと
思はうとした。でもだめなんだ。僕の見たものはたしかにこの世界が火に包まれてゐる
姿なんだから。
(中略)
世界はばかに静かだつた。静かだつたけれど、お寺の鐘のうちらのやうに、一つの唸りが
反響して、四方から谺(こだま)を返した。へんな風の唸りのやうな声、みんなでいつせいに
お経を読んでゐるやうな声、あれは何だと思ふ? 何だと思ふ? 桜間さん、あれは
言葉ぢやない、歌でもない、あれが人間の阿鼻叫喚といふ奴なんだ。
僕はあんななつかしい声をきいたことがない。あんな真率な声をきいたことがない。
この世のをはりの時にしか、人間はあんな正直な声をきかせないのだ。

三島由紀夫35歳「弱法師」より
77名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 17:49:17
知れば知るほど、人間の性の世界は広大無辺であり、一筋縄では行かないものだといふ感を
深くする。性の世界では、万人向きの幸福といふものはないのである。


無関心を装ふつつぱり合ひ、女同士の牽制などは、却つて特殊な感情を育てやすい。


柔らかな、むしろ仄暗い光線のなかで、何事かを語りだす麗子の唇。それを見るたびに、
私は人間のふしぎといふものを思はずにはゐられない。それは色彩の少ない部屋の中に、
小さな鮮やかな花のやうに浮んでゐるが、それが語りだす言葉の底には、広漠たる大地の
記憶がすべて含まれをり、かうした一輪の花を咲かすにも、人間の歴史と精神の全問題が、
ほんの微量づつでも、ひしめき合ひ、力を貸し合つてゐるのがわかるのである。


嘘つきの常習犯ほど却つて、自分の喋つてゐることが嘘か本当か知らないのではあるまいか?


一瞬の直感から、女が攻撃態勢をとるときには、男の論理なんかほとんど役に立たないと
言つていい。

三島由紀夫「音楽」より
78名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 17:50:19
このごろは民主主義の世の中で、何でも子供の意志を尊重することになつてるが、いくら
成人式をやつたつて、二十代はまだ人生や人間に対して盲らなのさ。大人がしつかりした判断で
決めてやつたはうが、結局当人の倖せになるんだ。むかしは、お婿さんの顔も知らずに
嫁入りした娘が一杯ゐるのに、それで結構愛し合つて幸福にやつて行けたもんだ。今は
女のはうから何だかんだと難癖をつけて、親のはうもそれに同調し、結局それで娘の幸福を
とりにがしてしまふ。


それは偶然といふよりは必然の出会である。海風と、幸福な人たちの笑ひさざめく声と、
ふくらむ波のみどりとの中で、ただ一つたしかなことは、不幸が不幸を見分け、欠如が欠如を
嗅ぎ分けるといふことである。いや、いつもそのやうにして、人間同士は出会ふのだ。

三島由紀夫「音楽」より
79名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 17:51:19
精神分析学は、日本の伝統的文化を破壊するものである。欲求不満(フラストレーション)
などといふ陰性な仮定は、素朴なよき日本人の精神生活を冒涜するものである。人の心に
立入りすぎることを、日本文化のつつましさは忌避して来たのに、すべての人の行動に
性的原因を探し出して、それによつて抑圧を解放してやるなどといふ不潔で下品な教理は、
西洋のもつとも堕落した下賤な頭から生まれた思想である。特にお前は、ユダヤ的思想の
とりことなつた軽薄な御用学者で、高く清い人間性に汚らしい卵を生みつける銀蠅のごとき男だ。
くたばつてしまへ!


「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といふ諺が、実は誤訳であつて、原典のローマ詩人
ユウェナーリスの句は、「健全なる肉体には健全なる精神よ宿れかし」といふ願望の意を
秘めたものであることは、まことに意味が深いと言はねばならない。


精神分析学者には文学に関する豊富な知識も必要だ。

三島由紀夫「音楽」より
80名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 20:30:41
精神分析がはやつてゐる理由がよくわかりますね。それはつまり、多様で豊富な人間性を
限局して、迷へる羊を一匹一匹連れ戻して、劃一主義(コンフォーミズム)の檻の中へ
入れてやるための、俗人の欲求におもねつた流行なんですね。


人間は、どんなバカでも『お前を盲らにしてやるぞ』と言はれれば反撥する程度の自尊心は
あるから、テレビのコマーシャルをきらふけれど、『お前の目をさまさせてやる』と
言はれて不安にならぬほどの自尊心は持たないから、精神分析を歓迎するわけですね。


男性の不能の治療は、無意識のものを意識化するといふ作業よりも、過度に意識的なものを
除去して、正常な反射神経の機能を回復するといふ作業のはうが、より重要であり、より
効果的であると思はれる。


見かけは恵まれた金持の息子でありながら、人生は貧乏人さへ知らない奇怪な不幸を
与へることがある。

三島由紀夫「音楽」より
81名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 20:31:39
女の肉体はいろんな点で大都会に似てゐる。とりわけ夜の、灯火燦然とした大都会に似てゐる。
私はアメリカへ行つて羽田へ夜かへつてくるたびに、この不細工な東京といふ大都会も、
夜の天空から眺めれば、ものうげに横たはる女体に他ならないことを知つた。体全体に
きらめく汗の滴を宿した……。
目の前に横たはる麗子の姿が、私にはどうしてもそんな風に見える。そこにはあらゆる美徳、
あらゆる悪徳が蔵(かく)されてゐる。そして一人一人の男はそれについて部分的に探りを
入れることはできるだらう。しかしつひにその全貌と、その真の秘密を知ることはできないのだ。


われわれは誰が何と言はうと、愛が人間の心にひらめかす稲妻と、瞥見させる夜の青空とを、
知つてをり、見てゐるのである。


どんな不まじめな嘘の裏にも、怖ろしい人間性の問題が顔をのぞかせてゐる。


神聖さと徹底的な猥雑さとは、いづれも「手をふれることができない」といふ意味で似てゐる。


強度のヒステリー性格は、受動的に潜在意識に動かされるだけではなく、無意識のうちに
識閾下の象徴を積極的に利用する。

三島由紀夫「音楽」より
82名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 20:32:36
精神分析を待つまでもなく、人間のつく嘘のうちで、「一度も嘘をついたことがない」
といふのは、おそらく最大の嘘である。


ひとたび実存主義的見地に立てば、「正常な」人間の実存も、異常な人間の実存も、
「愛の全体性への到達」の欲求においては等価であるから、フロイトのやうに、一方に
正常の基準を置き、一方に要治療の退行現象を置くやうな、アコギな真似はできない筈である。
つまりそれはあまりにも、科学的実証主義のものわかりのわるさを捨てすぎたのである。

社会構造の最下部には、あたかも個人個人の心の無意識の部分のやうに、おもてむきの
社会では決して口に出されることのない欲望が大つぴらに表明され、法律や社会規範に
とらはれない人間のもつとも奔放な夢が、あらはな顔をさし出してゐる。


神聖さとは、ヒステリー患者にとつては、多く、復讐の観念を隠してゐる。

三島由紀夫39歳「音楽」より
83名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 23:46:03
私は物と物とがすなほにキスするやうな世界に生きてゐたいの。お金が人と人、物と物、
あなたと私を分け隔ててゐる。退屈な世界だわ。さうぢやなくつて?


きれいな顔と体の人を見るたびに、私、急に淋しくなるの。十年たつたら、二十年たつたら、
この人はどうなるだらうつて。さういふ人たちを美しいままで置きたいと心(しん)から思ふの。
年をとらせるのは肉体じやなくつて、もしかしたら心かもしれないの。心のわづらひと
衰へが、内側から体に反映して、みにくい皺やしみを作つてゆくのかもしれないの。
だから心だけをそつくり抜き取つてしまへるものなら……。


ダイヤでもサファイアでも、宝石の中をのぞいてごらんなさい。奥底まで透明で、
心なんか持つてやしないわ。ダイヤがいつまでも輝いてゐていつまでも若いのはそのせゐよ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
84名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 23:47:29
小さいときから、宝石のやうに大事にされ、可愛がられて育つてきて、私、買はれるより
盗まれるのを夢みるやうになつたんだわ。
私を欲しがる人は、盗むくらゐの熱がなくつちやいや。厚い硝子の窓に守られ、
天鵞絨(ビロード)の台座に据ゑられた私を、硝子ごしにのぞいて通る人の目の中に、
諦らめや怒りや尊大な強がりや、さういふものが浮ぶのを見るのに飽きて、私はいつか
勇敢な泥棒の目ばかりを待ちこがれるやうになつたんだわ。


若くてきれいな人たちは、黙つてゐるはうが私は好き。どうせ口を出る言葉は平凡で、
折角の若さも美しさも台なしにするやうな言葉に決つてゐるから。あなたたちは着物を
着てゐるのだつて余計なの。着物は醜くなつた体を人目に隠すためのものだもの。
恋のためにひらいた唇と同じほど、恋のためにひらいた一つ一つの毛穴と、ほのかな産毛は
美しい筈。さうぢやなくて? 恥かしさに紅く染つた顔が美しいなら、嬉しい恥かしさで
真赤になつた体のはうがもつときれいな筈。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
85名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 23:48:25
宝石には不安がつきものだ。不安が宝石を美しくする。


人間は眠る。宝石は眠らない。町がみんな寝静まつたあとでも、信託銀行の金庫の中で、
錠の下りた宝石箱の中で、宝石たちはぱつちりと目をひらいてをる。宝石は絶対に夢を
見ないのだ。ダイヤモンドのシンジケートが、値打ちをちやんと保証してくれてゐるから、
没落することもない。正確に自分の値打ち相応に生きてる者が、どうして夢なんか見る
必要があるだらう。あーあ。なあ、さうだらう、早苗? 夢の代りに不安がある。これは
ダイヤモンドの持つてる優雅な病気だ。病気が重いほど値が上る。値が上るほど病気も重る。
しかもダイヤは決して死ぬことができんのだ。……あーあ。宝石はみんな病気だ。
お父さんは病気を売りつけるのだ。澄んだ、光つた、純粋な小さな病気を。透明な病気、
青い病気、緋いろの病気、紫いろの病気。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
86名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 15:53:42
危機といふものは退屈の中にしかありません。退屈の白い紙の中から、突然焙り出しの
文字が浮び上る。


犯人が黒い色で考へるところを僕が白い色で考へて、一枚の写真のやうに、ぴつたり
絵柄が合ふところまで行ければね。なかなかさうは行きません。これだけ沢山の事件を
くぐつて来たのに、犯罪といふものには、僕にどうしてもわからない部分が必ずある。
或る難事件が起るたびに、僕は自分が犯人であつたらなあと思ひますよ。僕が犯人なら
何でも知つてゐて、解けない謎はない筈ですから。だから僕は一心に犯人をまねる。
犯人の考へたやうに考へ、行つたやうに行はうとして精魂を傾ける。……しかしもう一歩の
ところで、惜しいかな、僕は犯人になりきれない、何かが心の中で僕の邪魔をして……。


犯罪といふものには、何か或る資格が要るのです。いいですか。犯人自身にもしかと
つかめない或る資格が。


どんな卑俗な犯罪にも、一種の夢想がつきまとつてゐる。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
87名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 15:54:44
明智:…今発射したところで、射的の人形のやうに忽ち夜が倒れて、そのむかうから朝の
太陽が顔を出す筈もありません。このピストルはただ夢み、常識を逸脱し、一つのことを
待つてゐるのです。一つのこと、つまり、夜がはつきり脈を打ち、体温を帯び、徐々に
動物特有の匂ひを得て、一人の人間の姿に固まつて現はれる瞬間を。
緑川夫人:それでそれがあらはれたら、あなたは法律の名に於て発射なさる……。
明智:いいえ。夢想の名に於て。われわれ私立探偵の役割が刑事とちがふのはそこなんです。
夢想で夢想を罰する。犯罪の持つてゐる夢の要素を、僕の理智のゑがく夢で罰する。
それ以外に何の生甲斐があるでせう。


今の世の中ぢや。善いことといふのはみんな多少汚れてらあね。だからあんた方は
汚れた善いことの味方だから、いつまでもぱつとしないんだよ。そこへ行くと明智先生は
ちがふわね。あの先生はこの世の中で成り立たないやうな善と正義の味方らしいわ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
88名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 15:55:52
トリックはなるたけ大胆で子供らしくて莫迦げてゐたはうがいいんだわ。大人の小股を
すくふには子供の知恵が必要なんだ。犯罪の天才は、子供の天真爛漫なところをわがものに
してゐなくちやいけない。さうぢやなくて?


私は子供の知恵と子供の残酷さで、どんな大人の裏をかくこともできるのよ。犯罪といふのは
すてきな玩具箱だわ。その中では自動車が逆様になり、人形たちが屍体のやうに目を閉じ、
積木の家はばらばらになり、獣物たちはひつそりと折を窺つてゐる。世間の秩序で
考へようとする人は、決して私の心に立入ることはできないの。……でも、……でも、
あの明智小五郎だけは……

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
89名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 15:56:41
黒蜥蜴:あのときのお前は美しかつたよ。おそらくお前の人生のあとにもさきにも、お前が
あんなに美しく見える瞬間はないだらう。真白なスウェータアを着て、あふむき加減の
顔が街灯の光りを受けて、あたりには青葉の香りがむせるやう、お前は絵に描いたやうな
「悩める若者」だつた。つややかな髪も、澄んだまなざしも、内側からの死の影のおかげで、
水彩画みたいなはかなさを持つてゐた。その瞬間、私はこの青年を自分の人形にしようと
思つたんだわ。


黒蜥蜴:…その夜のうちに、お前は私の人形になる筈だつた。……でも、どうでせう。
気がついてからのお前の暴れやう、哀訴懇願、あの涙……
雨宮:それを言はないで……。
黒蜥蜴:お前の美しさは粉みぢんに崩れてしまつた。死ぬつもりでゐたお前は美しかつたのに、
生きたい一心のお前は醜くかつた。……お前の命を助けたのは情に負けたんぢやないわ。
命を助けてくれれば一生奴隷になると言つたお前の誓ひに呆れたからだわ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
90名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 23:02:09
今日も何事もなく日が沈む。この大都会、白蟻に蝕まれたやうに数しれない犯罪に
蝕まれたこの大都会に日が沈むんだ。殺人、強盗、誘拐、強姦……、言葉にしてみれば
他愛もないんだが、みんなその一つ一つに人間の知恵と精力と、怒りと嫉妬と、欲望と
情熱がせめぎ合つてゐる。その一つ一つが狂ほしい道に外れた人間の、それでも全身的な
表現なのだ。こいつのどこから手をつけたらいい? 依頼主か。こりやあ自分のことしか
考へない。犯罪の本質にいつも向き合つて、その焔の中の一等純粋なものを身に浴びなければ
ならないのは僕なのだ。僕には犯罪の全体が見える。それはたえず営々孜々とはげんでゐる
世界一の大工場みたいなものだ。ほとんど無数の工員。昼夜兼帯の作業。あの夕映えを
見てゐると、その工場のものすごく巨大な熔鉱炉のあかりみたいな気がする。……今ごろ
黒蜥蜴はどうしてゐるだらうか?

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
91名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 23:03:54
今の時代はどんな大事件でも、われわれの隣りの部屋で起るやうな具合に起る。どんな
惨鼻な事件にしろ、一般に犯罪の背丈が低くなつたことはたしかだからね。犯罪の着てゐる
着物がわれわれの着物の寸法と同じになつた。黒蜥蜴にはこれが我慢ならないんだ。
女でさへブルー・ジーンズを穿く世の中に、彼女は犯罪だけはきらびやかな裳裾を
五米(メートル)も引きずつてゐるべきだと信じてゐる。……さういふ考へは、僕にも
分らんことはないよ。


僕の惚れ方は相手の手も握らずに、相手をぎりぎりの破局まで追ひつめることしかない。
これほど清潔でこれほど残酷な恋人はないだらう。僕のやさしさは、相手を破滅させる
やさしさで、……これがつまり、あらゆる恋愛の鑑なのさ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
92名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 13:25:19
明智:この部屋にひろがる黒い闇のやうに
黒蜥蜴:あいつの影が私を包む。あいつが私をとらへようとすれば、
明智:あいつは逃げてゆく、夜の遠くへ。しかし汽車の赤い尾灯のやうに
黒蜥蜴:あいつの光りがいつまでも目に残る。追はれてゐるつもりで追つてゐるのか
明智:追つてゐるつもりで追はれてゐるのか
黒蜥蜴:そんなことは私にはわからない。でも夜の忠実な獣たちは、人間の匂ひをよく
知つてゐる。
明智:人間たちも獣の匂ひを知つてゐる。
黒蜥蜴:人間どもが泊つた夜の、踏み消した焚火のあと、あの靴の足跡が私の中に
明智:いつまでも残るのはふしぎなことだ。
黒蜥蜴:法律が私の恋文になり
明智:牢屋が私の贈物になる。
黒蜥蜴&明智:そして最後に勝つのはこつちさ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
93名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 13:26:39
この「エヂプトの星」はかうして私の手に渡つて、私の胸にかがやいてゐるのに、
露ほども私に媚を売らうとしない。女王さまの胸につけられてもきつとさうだらう。
宝石は自分の輝きだけで充ち足りてゐる透きとほつた完全な小さな世界。その中へは誰も
入れやしない。……持主の私だつて入れやしない。……人間も同じこと。私がすらすらと
中へ入つてゆけるやうな人間は大きらひ。ダイヤのやうに決して私がその中へ入つて
ゆけない人間。……そんな人間がゐるかしら? もしゐたら私は恋して、その中へ入つて
行かうとする。それを防ぐには殺してしまふほかはないの。……でも、もしむかうが
私の中へ入つて来ようとしたら? ああ、そんなわけはないわ。私の心はダイヤだもの。
……でももしそれでも入つて来ようとしたら? そのときは私自身を殺すほかはないんだわ。
私の体までもダイヤのやうに、決して誰も入つて来られない冷たい小さな世界に変へて
しまふほかは……

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
94名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 13:27:31
明智:君は……
黒蜥蜴:捕まつたから死ぬのではないわ。
明智:わかつてゐる。
黒蜥蜴:あなたに何もかもきかれたから……
明智:真実を聴くのは一等辛かつた。僕はさういふことに馴れてゐない。
黒蜥蜴:男の中で一等卑劣なあなた、これ以上みごとに女の心を踏みにじることはできないわ。
明智:すまなかつた。……しかし仕方ない。あんたは女賊で、僕は探偵だ。
黒蜥蜴:でも心の世界では、あなたが泥棒で、私が探偵だつたわ。あなたはとつくに
盗んでゐた。私はあなたの心を探したわ。探して探して探しぬいたわ。でも今やつと
つかまえてみれば、冷たい石ころのやうなものだとわかつたの。
明智:僕にはわかつたよ。君の心は本物の宝石、本物のダイヤだ、と。
黒蜥蜴:あなたのずるい盗み聴きで、それがわかつたのね。でもそれを知られたら、
私はおしまひだわ。
明智:しかし僕も……
黒蜥蜴:言はないで。あなたの本物の心を見ないで死にたいから。……でもうれしいわ。
明智:何が……
黒蜥蜴:うれしいわ。あなたが生きてゐて。

三島由紀夫36歳「黒蜥蜴」より
95名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 17:56:23
太七:船軍で攻められては
源五:たちまち雑魚の佃煮で
弥三:茶漬にして喰はるるまで
岩次:胃の腑の地獄の三丁目
玉市:鱗で涙が
一同:拭かれうか。


人は最期の一念によつて生(しやう)を引く。ふたたび波の越えざる隙に、とくとく
追ひつき奉らん。

三島由紀夫44歳「椿説弓張月」より
96名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 20:44:36
『仏教といふのは妙なもんだ』と岡野は考へてゐた。『慈眼で見張れば、湖上の船も難から
救はれるといふ考へなんだ。こんな死んだ金いろの目で』
見るといふことは岡野にとつて、本来、残酷さの一部だつたが、
「遠くひろがる湖面には、
帆影に起る喜悦の波。
払暁の町はかなたに
今花ひらき明るみかける」
などといふ彼の好きなヘルダアリンの詩句も、この千体仏の暗い金の重圧、慈悲による、
見ることによる湖の支配の前に置かれては、たちまち力を喪ふやうに思はれた。


ハイデッガーのいはゆる「実存(エクジステンツ)」の本質は時間性にあり、それは本来
「脱自的」であつて、実存は時間性の「脱自(エクスターゼ)」の中にある、と説かれてゐるが、
エクスターゼは本来、ギリシア語のエクスタテイコン(自己から外へ出てゐる)に発し、
この概念こそ、実存の概念と見合ふものである。つまり実存は、自己から外へ漂ひ出して、
世界へひらかれて現実化され、そこの根源的時間性と一体化するのである。

三島由紀夫「絹と明察」より
97名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 20:45:39
全然愛してゐないといふことが、情熱の純粋さの保証になる場合があるのだ。


善意や慈善は、必ず人の心に届くのだ。あるときは日光のやうにまつすぐに、あるときは
蜜蜂に運ばれる花粉のやうに、さまざまの迂路をゑがいて。


ヨーロッパの個人主義は悲惨を極め、パリの街頭を、助ける人もなく、よろめき歩く老人の
数の夥しさは彼を怒らせた。『嫁はんは一体何をしとるんや』黒衣の老婆が片手に杖をつき、
片手は建物の壁に縋(すが)つて、口のなかで何事か呟きながら、一歩一歩、定かならぬ歩を
運ぶ有様は、彼には人間世界の終焉と感じられ、その呟く言葉はきつと経文にちがひないと
思はれた。


若さが幸福を求めるなどといふのは衰退である。若さはすべてを補ふから、どんな不自由も
労苦も忍ぶことができ、かりにも若さがおのれの安楽を求めるときは、若さ自体の価値を
ないがしろにしてゐるのである。そして若くして年齢のこの逆説を知ることが、人間に必須な
教養といふものだつた。

三島由紀夫「絹と明察」より
98名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/15(火) 17:30:27
その理法を司る駒沢の立場は、時には日照りが望まれてゐるときに雨を降らせ、雨が
乞はれてゐるときは日照りをつづけたりせねばならず、目先だけでは理解されやうもないが、
いつも遠い調和へ目を放つて、そのときの理解をたのしみに暮すほかはなかつた。
サークル活動は風紀を紊(みだ)し、文化的なたのしみは青年を腑抜けにし、その害毒は
いづれも年配になればわかることだが、彼は自由の意味もわからぬ年ごろに自由を与へたり
することが、自然に反する行ひだと知つてゐた。


彼は無知を弾劾し、忘恩をののしり、この世に正義が行はれなくなつたことを大声で
慨(なげ)いた。いやらしい黴菌が若い者の心に巣喰ひ、美しい情誼を足蹴にかけさせ、
腐敗と怠惰が世界中にはびこり、謙虚が色褪せ、女の股倉が真黒になり、懐疑と反抗が
男の叡智を曇らせ、喰つたものはみんな洟汁と精液になり、勤勉は嘲られ、誠意はそしられ、
嘘の屁と欺瞞のげつぷをところかまはずひり出し、ために健全な母親の乳房も爛れてしまふ。
さういふペストが、つひに駒沢紡績をも犯したのだ。

三島由紀夫「絹と明察」より
99名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/15(火) 17:31:21
あんたらは、はいはいと女子(おなご)の言ふなりになつたわけか。わしはやるべきものと
やらいでええものとを弁へてをつたが、あんたらにはその弁へがつかんのや。自由やと? 
平和やと? そないなこと皆女子の考へや。女子の嚔(くさめ)と一緒や。男まで嚔をして、
風邪を引かんかつてええのや。


駒沢の考へる家族とは、愛などを要せずに、そこに既に在るものだつた。はじめから
一続きの紙に、どうして愛などといふ糊が要るだらうか。


男が自由や平等や平和について語るのは、自らを卑しめるもので、すべて女の原理の借用に
すぎぬといふこと。少しでも自尊心のある男なら、自由や平等や平和の反対物、すなはち
服従や権威や戦ひについて語るべきだといふこと。男があんなことを言ひ出したとたんに、
女にしてやられ、女の代弁者として利用されるやうになるといふこと。……

三島由紀夫「絹と明察」より
100名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/15(火) 22:40:48
かれらも亦、かれらなりの報いを受けてゐる。今かれらは、克ち得た幸福に雀躍(こをどり)して
ゐるけれど、やがてそれが贋ものの宝石であることに気づく時が来るのだ。折角自分の力で
考へるなどといふ怖ろしい負荷を駒沢が代りに負つてやつてゐたのに、今度はかれらが肩に
荷はねばならないのだ。大きな美しい家族から離れ離れになり、孤独と猜疑の苦しみの裡に
生きてゆかなければならない。幸福とはあたかも顔のやうに、人の目からしか正確に
見えないものなのに、そしてそれを保証するために駒沢がゐたのに、かれらはもう自分で
幸福を味はうとして狂気になつた。さうして自分で見るために、ぶつかるのは鏡だけだ。
血の気のない、心のない、冷たい鏡だけ、際限もない鏡、鏡……それだけだ。
『それもええやらう。苦労するだけ苦労したらええ。その先に又、おのづから道がひらけて
来るのや』
そして存分に、悲しさうに吠えるがよい! 人間どもは昔からさうして吠えてきたし、
今後もそのやうに吠えつづけるだらう。だから駒沢は、自分をも含めて、かれらをみな恕す。

三島由紀夫「絹と明察」より
101名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/15(火) 22:42:44
彼は米国で見た北斎を思ひ浮べたが、北斎は風景ばかりか人間まで怖ろしいほどよく知つてゐた。
それを存分に描いて後世に伝へ、外国人にまで愛された。何といふ相違だらう。駒沢はそれを
知つてゐるといふことを、北斎同様、公然と示したのであるが、一人は栄光にかがやき、
一人はそのために悲境に陥つた。駒沢は画家ではなかつたのだから、その秘密を公言すべきでは
なかつたのだ。北斎にしろ広重にしろ、あんなに逆巻く波や噴火する山や横なぐりの雨を描き、
そこに小さく点綴される人間の貧しい重い労働を描き、それをすべて世にも幸福な色彩で
彩つたのだが、駒沢のやつたことも同じで、
『結局お前らはみんな幸福なんや』
と言ひつづけて来たのだつた。色彩は罰せられず、言葉は罰せられるのは何故だらう。
だが今、彼を嘘つきと言ひ、不正直と言ひ、狂人と言ひ、悪徳資本家と言ひ、企業を
私物化した時代おくれの石頭と言つた、すべての人を彼は恕す。

三島由紀夫「絹と明察」より
102名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/15(火) 22:44:00
かれらの憎悪と、それに触発された駒沢の憎悪が、今はからずも、一会社の枠をこえて、
『四海みな我子やさかいに……』
といふ心境に彼を辿りつかせた。それこそは正に、彼が彦根の署長室から立ち去つてゆく
大槻の白いシャツの背に見出したものだつた。
やがてかれらも、自分で考へ自分で行動することに疲れて、いつの日か駒沢の樹てた美しい
大きな家族のもとへ帰つて来るにちがひない。そここそは故郷であり、そこで死ぬことが
人間の幸福だと気づくだらう。再び人間全部の家長が必要になるだらう。……


駒沢の伝染(うつ)す死は、必ずしも肉体的な死ばかりではあるまい。岡野の心のほんの
一小部分でもそれに犯されたら、彼の得る利得はただ永久に退屈な利得につらなり、
彼の思想はただ永久に暗い深所の呟きにをはつて、二度とその二つが輝やかしく手を握ることは
ないだらう。……
へんな、いつはりのよみがへりの時代がはじまつてゐた。

三島由紀夫39歳「絹と明察」より
103名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/16(水) 23:53:16
人間が或る限度以上に物事を究めようとするときに、つひにはその人間と対象とのあひだに
一種の相互転換が起り、人間は異形に化するのかもしれない。


時代がどうあらうと、社会がどうあらうと、美しい景色を見て美しい歌を作れ、といふ考へを
支へるには、女なら門院のやうな富と権勢、男なら梃でも動かない強い思想、といふものが
必要なのではないだらうか。


人間の醜い慾の争ひをこえてまで顕現する美は、あるひは勝利者の側にはあらはれず、
敗北者や滅びゆく者の側にだけこつそりと姿を現はすのかもしれない。


誰の身の上にも、その人間にふさはしい事件しか起らない。

三島由紀夫40歳「三熊野詣」より


大体無教育な人間にむかつても、相手に準じて程度を下げた会話をしないといふ私の流儀は、
人から厭味に思はれたことも屡々だが、私は私で自分の流儀の正しさを信じてゐる。
それは却つて相手の胸襟を容易に披かせ、その中に思ひがけない共通の知識を発見させて
喜ばせることもできるのだ。

三島由紀夫40歳「月澹荘綺譚」より
104名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 19:27:32
森:…やつぱりこんなに月の明るい静かな秋の夜だつた。兵隊たちは忍び足で、まつ白な
月かげに剣附鉄砲を光らせて、浜づたひにやつて来たのだ。クウ・デタ。失敗したにしろ、
栄光にみちた言葉だ。とにかく十・一三事件はすばらしい事件だつた。わしはその二年前、
大蔵大臣に任ぜられて、時の内閣に列なつたときよりも、十・一三事件に狙はれたときのはうが、
もつと高い栄光の絶頂に立つてゐたのだ。
豊子:いつもそれを仰言るのね。そのときは慄へていらしたくせに。
森:わしが怖がつたの怖がらなかつたのといふことは問題ぢやない。狙はれたといふことだけが
重要なんだ。暗殺者に、それも一個中隊の叛乱軍に狙はれる。これこそ政治家の光栄の
絶頂だ。よくも狙つてくれたものだ。あの若い兵隊たちの鼻の上には、いつも憎いわしの
銅像が、国賊の銅像、資本家どもの守り神の銅像が、のしかかつて笑つてゐたのだ。
あの一人一人の兵隊の鼻の上に、昼となく、夜となく……。あとでそれを思ふと、わしは
喜びでぞくぞくしたもんだ。

三島由紀夫「十日の菊」より
105名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 19:28:35
あのころ上層部の生活のちよつとした動きまでが、下級将校の耳にピリリと伝はつた。
同じ血潮の夢をゑがきながら、あんなにまで老人と若者がお互ひに近づいたことはなかつた。
あいつらは知つてゐた、百梃の機関銃の前には内閣も大銀行もフェルトの帽子のやうに
脆いことを。あいつらは一寸それを頭にのつけて洒落てみたいと思つたのだ。実に
若者らしい夢だつた。そのためには老衰した水つぽい血がほんのすこし流れればよかつたのだ。
……それでもお父さんは殺されはしなかつたぞ! 若者たちの夢を裏切つてやることが、
大人たちのつとめだからだ。いや、そんなに固苦しくいふことはない。わしはやつらの夢を
愛してゐたから、するりと身をよけて遠くのはうから、やつらの夢を嘲笑つてやることも、
同じやうに愛してゐたわけだ。……わかるかね、豊子。……十六年前の今夜、白刃と
ピストルと機関銃とに取り巻かれてゐた輝やかしいわしが、今夜はかうして、不恰好な
トゲだらけのサボテンに囲まれてゐる。……いいかね。これが人生といふものだ。

三島由紀夫「十日の菊」より
106名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 19:29:46
怨みは時が積れば忘れもしようが、一旦人に施した恩は忘れようとしたつて忘れられる
ものぢやない。


稲妻のやうにあの事件が、青い光りをここの御家族へ投げ入れます。……あの晩、はつきり
申し上げますわ、私は旦那様の妻でした。誰も否定できませんわね、旦那様。あの晩私は、
この身一つであなたに歓びを与へ、この身一つであなたのお命を助けようとしてゐる
完全無欠な妻でした。


歴史といふ奴はごみための封印さ。たつた一行書き直しても、封印が破けてしまふ。
そしてそこから数しれない怪物が、翼をひろげて飛び出すのだ。


酔つぱらひの介抱役がいつも介抱するめぐり合はせになるやうに、一度人助けをしたら
どこまでも人を助ける羽目になるものかしら? 私はゆうべ今さらながら、しみじみと
感じたの。助けた人間と、助けられた人間とは、決してわかり合ふことなんかない。
それは王様と乞食みたいに、別々の世界にとぢこめられた人間なんだつて。

三島由紀夫「十日の菊」より
107名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 19:30:45
重高:菊さん、死んだやつはみんな仕合せだ思はないかね。こんな澄んだ秋の朝空には、
死んだ奴らの霊が喜々として戯れてゐる。空は奴らの霊でひしめいてゐる。満員の
高架鉄道みたいに。しかし肩をすり合はせ、肱をすり合はせてゐても、奴らは厭ぢやない。
個体といふものがなくなつて、透明な全体の中に溶け合つてゐるからだ。……われわれのやうに、
生きてゐるといふことは、つまり何ものかに嘲られてゐるといふことだ。その大きな
嘲笑ひの前には、われわれはちつぽけな虱(しらみ)だよ。
菊:さういふ考へ方もございませうね。しかし生れついての虱だつたら、そんな風に
考へることはございますまい。


豊子:あ、男がコートを草に敷いて、女と並んで座つたわ。女の肩に手をかけた。……
女の肩にはどうしても男の固い重い掌が要るんだわね。恋が女の制服なら、男の重い掌は
そのいかつい肩章なのね。あの掌から女の体に伝はつて来るもの、あれは濃い葡萄酒を
血のなかへ注ぎ込むやうなものだわね。
垣見:さあ、どうでございませうか。ずいぶん感じの鈍い女も沢山をります。

三島由紀夫「十日の菊」より
108名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 19:42:24
豊子:…時折風に乗つて、あの若い動物たちの麝香の匂ひがここまで伝はる。若いの。
どれもこれもみな若い。あの若さが潮風みたいに、当つてゐるときは気がつかなくても、
あとでひりひりするいやな痛みをこちらの肌に残すの。若いといふことがどうしてそんなに
偉いんでせう。
垣見:第一腰が痛みません。関節が痛みません。それだけでも大したことでございます。
豊子:若いといふことは非難や中傷とおんなじで、人を陥れる働らきをするんだわ。
若さといふものは陰謀なんだわ。悪辣な陰謀なんだわ。さうでなければ、「私たちは若い」
と語つてゐる男や女の目が、あんなにお互ひに素速い親密な目くばせをすることなんか
できない筈だわ。
垣見:陰謀なんて、そりやあ御思ひすごしでございませうな。強ひて云へば、同盟といふ
やうなものかもしれません。いづれにしましても、あんまりお金には縁のない同盟なんでして。

三島由紀夫「十日の菊」より
109名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 19:44:05
菊:醜い裏切りが美しい犠牲に、化けられるとでも仰言るんですか。助けられた人が
助ける人に成り変れるとでもお思ひなんですか。いいえ、決してそんなことが……
重高:今度は俺が君の確信をこはす番だ。一生のうちにたつた一瞬かもしれないが、
人間はその役割を交換することができるんだ。それができなかつたら、人生に一体何の
値打がある。その一瞬が今朝来たんだ。


重高:…今しがたわかつたんだ。津波はあの海から起るのぢやない。津波は或る朝、
俺の中の死んだ海から、来る日も来る日もいくら釣糸を垂れても魚一つかからない死んだ
海の只中から、突然起るんだと。それがわかつたんだ! 菊さん、津波は今起つたんだよ、
疑ひやうもなく。

三島由紀夫「十日の菊」より
110名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 19:45:14
森:…ところでわしにも、お前の知らない思ひがあつたのだ。例の事件の只中に、
わしがその抜け穴から逃げ出して、暗い山道を駆けてゐたために、つひに見ることの
できなかつたのが心残りの……。
菊:何をでございます。
森:お前のそのときの輝やくばかりの裸をだよ。
菊:え?
森:ここにお前のその裸が、百年に一度とないほどの歴史の光りに照らしだされたお前の
裸が、倒れた記念碑のやうに横たはつてゐたのだなあ。兵隊たちの吐きかけた唾のおかげで、
ますます誉れを高めたその美しい裸が。……菊、われわれはそのときこそ一心同体だつたんだ。
罵られ、唾を吐きかけられながら、誰も犯すことのできなかつたその神々しいほどの女の裸は、
正に絶頂に達したわしの栄光の具体的なあらはれだつたのだ。お前の裸がわしの栄光であり、
わしの栄光がお前の裸だつたのだ。……しかし残念なことに、わしはそれを見なかつた。
十六年間、このベッドを見るたびに、ここにわしはその夜のお前の寝姿を思ひ描いた。
本当だよ、菊、本当だよ。

三島由紀夫36歳「十日の菊」より
111名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 10:38:15
どうして作者が主人公を救つたりする必要があるんです、そのためにたとへ地獄へ落ちようと。
安物の小説家は、安手な救済を用意します。あれは安い麻薬です。小説の中に
「生きるための手引」なんぞを上手に織り込みます。あれは売薬の広告です。……もちろん
小説を書くといふこと、実在のまねをして人をたぶらかすこと、それは罪だと私は知つてゐます。
だからせめて私は、救済のまねごとまでは遠慮したんです。


私がまねようとした実在、その結果世間の人がみんな信じるやうになつた実在、あの
五十四人の女に愛された光といふ人間は、はじめからそこらにある実在とはちがつて
ゐたんです。どうちがつてゐたか? どうしてそれが特別の実在だつたか? それは
月のやうな実在で、いつも太陽の救済の光りに照らされて輝いてゐた。だから女たちは
その輝やきに魅せられて彼を愛した。彼に愛されれば、自分も救はれるやうな気がしたからです。

三島由紀夫「源氏供養」より
112名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 10:40:52
いいですか。私のしたことはといへば、この救済の光りだけを存分に利用しておいて、
救済は否定したといふことなの。これが天の妬みを買つたんです。そんじよそこらの実在と
安手な救済との継ぎはぎ細工なら、天は笑つて恕すでせうに、私の場合は恕せませんでした。
何故つて光のやうな人間こそ、天が一等創りたい存在だからです。救済の輝やきだけを
身に浴びて、救済を拒否するやうな人間こそ。……わかりますか。天はそれを創りたくても
創れない。何故なら光の美しさの原因である救済を天は否定することができないからです。
それができるのは芸術家だけなんですよ。芸術家は救済の泉に手をさし入れても、
上澄みの美だけを掬ひ取ることができる。それが天を怒らせるのよ。

三島由紀夫37歳「源氏供養」より
113名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/19(土) 11:39:36
豊:美濃子! 俺の気持がわからないのか。
美濃子の声:いけません。いけません。あなたの気持などを仰言つては。
豊:美しい美濃子! 俺の二十歳の生涯に、君ほど美しい人は見たことがない。
ある日、天から降つた花びらのやうに、君の清らかな姿は、俺の瞼に落ちかかり、
俺の目をふさいでしまつた。それからといふものは、世界は俺にとつては一片の花びらだつた。
世界は君の姿の形、一片の花びらの形になつた。美濃子! 君のおかげで、意味あるものは
意味を失ひ、とるにたらぬものが香りを放つた。むかしは荒野が俺の住家、今はその住家が
いとはしい、君のやさしい顔の小函、それを夜も昼も家に飾つて、眺めあかして暮らすので
なくては、美濃子、俺の住家はもう墓場だ。それがなくては俺は屍、その小函だけで
世界の幸が買へるのだ。美濃子、君が好き、君が好き、君が好きだ。
美濃子の声:私を好いてはいけません。
豊:なぜだ。
美濃子の声:私たちは結ばれない星の下に生れたのです。

三島由紀夫37歳「美濃子」より
114名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/19(土) 11:40:45
すべては孔雀のせゐなのだつた! あれは実に無意味な豪奢を具へた鳥で、その羽根の
きらめく緑が、熱帯の陽に映える森の輝きに対する保護色だなどといふ生物学的説明は、
何ものをも説き明しはしない。孔雀といふ鳥の創造は自然の虚栄心であつて、こんなに無用に
きらびやかなものは、自然にとつて本来必要であつた筈はない。創造の倦怠のはてに、
目的もあり効用もある生物の種々さまざまな発明のはてに、孔雀はおそらく、一個の
もつとも無益な観念が形をとつてあらはれたものにちがひない。そのやうな豪奢は、多分
創造の最後の日、空いつぱいの多彩な夕映えの中で創り出され、虚無に耐へ、来るべき闇に
耐へるために、闇の無意味をあらかじめ色彩と光輝に翻訳して鏤(ちりば)めておいた
ものなのだ。だから孔雀の輝く羽根の紋様の一つ一つは、夜の濃い闇を構成する諸要素と
厳密に照合してゐる筈だ。

三島由紀夫「孔雀」より
115名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/19(土) 11:41:52
上尾筒には灰と茶の貝殻のやうな紋様が重なつてをり、それはあたかも、多くの貝を
引きずつた長い海藻を束ねたかに見えた。しなやかでこんもりした体躯。すべてが尾へ向つて
流れる羽毛の、一分の隙もない秩序。……それらが孔雀に、緑光を放つてふくらむ川を
断ち切つたやうな形を与へてゐたが、いふまでもなく、その川は、エメラルドの河床を
流れる瀬が日を浴びた姿であつて、煌く川面は日光の激しい圧迫と河床の緑柱石の烈しい
矜持との間に立ち、その燦たる緑の表面自体が、はかりしれぬ財産の反映であり、又、
反映にすぎなかつた。


『俺の美は、何といふひつそりとした速度で、何といふ不気味なのろさで、俺の指の間から
辷り落ちてしまつたことだらう。俺は一体何の罪を犯してかうなつたのか。自分も知らない
罪といふものがあるのだらうか。たとへば、さめると同時に忘れられる、夢のなかの
罪のほかには』

三島由紀夫40歳「孔雀」より
116名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/20(日) 20:10:36.91
僕は社会をひつくりかへすために陰険な策謀をめぐらしたり、無辜(むこ)の市民を
傷つけるやうな計画を立てたり、日本の歴史と文化の伝統を破壊しようと企てたり、そのために
友を裏切り、恩人を裏切り、目的のためには手段をえらばぬと云つた、さういふ連中を
憎みます。一市民として憎みます。これが僕の信念です。


全学連の女の子が、われわれに怒鳴つた言葉はこたへたなあ。今でもときどき思ひ出しますよ。
女子学生がですよ。かりにも教養のある女子学生がかう言つたのです。「そんな顔でお嫁が
来ると思ふか。もつと心を入れかへて勉強しろ。バカ。無智。人殺し」つて。われわれの親は
貧乏で、心を入れかへて勉強しようにも、大学へ進めなかつたんですからね。
…まあ、女子学生にそこまで言はせた、大きな国際的陰謀があるわけですよ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
117名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/20(日) 20:13:01.18
国際共産主義の陰謀ですよ。あいつらは地下にもぐつて、世界のいたるところで噴火口を
見つけようと窺つてゐるんです。世界中がこの火山脈の上に乗つかつてゐるんです。もし
この恣まな跳梁をゆるしたら、日本はどうなります。日本国民はどうなります。日本の歴史と
伝統と、それから自由な市民生活はどうなります。われわれがガッチリ見張つて、奴らの
破壊活動を芽のうちに摘み取らなければ、いいですか、いつか日本にも中共と同じ血の粛正の
嵐が吹きまくるんです。
地主の両足を二頭の牛に引張らせて股裂きにする。妊娠八ヶ月の女地主の腹を亭主に踏ませて
踏ませて殺す。あるひは一人一人自分の穴を掘らせて、生き埋めにする。いいかげんの
人民裁判の結果、いいですか、中共では十ヶ月で一千万以上の人が虐殺された。一千万といへば、
この東京都の人口だ。それだけの人数が、原爆や水爆のためぢやなくて、一人一人同胞の手で
殺されたのだ。それが共産革命といふものの実態です。それが革命といふものなんです。
こんなことがわれわれの日本に起つていいと思ひますか。

三島由紀夫「喜びの琴」より
118名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/20(日) 20:16:51.58
片桐:……考へてみろよ。二・二六事件の将校は英雄になつたが、彼らに射たれて死んだ警官は
名前も忘れられ、ただガラスのケースの中の英雄になつた。俺たちは永遠の脇役で、権力と
叛逆者の板ばさみになつて、つまらない人間のためにも身を捨てるんだ。そのとき残るのは
何だと思ふ。同じ立場の俺たちの信頼だけだ。…(中略)
瀬戸:…警察官も一つの職業だよ。人を疑ふのが商売で、それに徹すりやいいんだ。
疑つてるうちに、カンも発達してくる。さうすりや、疑はないでいいことと、疑ふべきことの
区別がついてくる。善良な市民に迷惑をかけるおそれもなくなる。実績も上つてくる。
さうなるための第一歩は、まづ何でも疑つてかかることだ。人を見たら泥棒と思へ、さ。
まづそこからはじめるんだ。さうして疑ふ技術を洗煉するんだ。人を信じるだの信頼するだのつて、
耳や目が遠くなつてからでもゆつくりできるぜ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
119名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/20(日) 20:18:33.24
野津:この雪の中のあちこちで、毛唐や三国人があひかはらず、悪事をたくらんで動き
まはつてゐる。
堀:しかし管内には麻薬犯罪がなくて助かるよ。
野津:白い悪魔の粉のごとく、麻薬のごとく雪はふる、か。


俺はストライキのことしか知らないが、群衆心理つてのは怖ろしいもんだぜ。一人が
ワッと叫ぶと、みんなその気になつちまふんだ。まあ、いはば、蕁麻疹みたいなもんだ。
それに乗せられるのも一時はいい。一時はいいが、気をつけろよ。手綱を引きしめるのを
忘れるなよ。こんな説教みたいなことは言ひたくないが、君はまだ若いんだし、今日の
午すぎからでも、急にそんな人気者にならないとも限らんし、今のうち言つておくのが
いいと思ふんだ。マスコミちふのは軽薄だからな。ぽんと乗せて、ぽいと捨てる、そりやあ
よつぽど気をつけなくちやいかんぜ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
120名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/21(月) 11:37:43.03
はじめから憎んでゐたものが憎らしいのは当り前の話さ。……なあ、片桐、思想といふのは、
いろんな形をとるものさ。あるときはライオンの。あるときは可愛い小鼠の。憎むんだから、
そいつから目を離さず、そいつの千変万化の変身にあざむかれず、この世界のあらゆるものに
そいつの影を見つけ、花にも自転車にも雲にも小さなマッチ箱にも、怠りなくそいつの影を
読みとらなければならないんだ。それには力が要る。綿密な注意が要る。そりやあ物事を
本当に信じるのとほとんど同じくらゐ力の要る仕事だ。


やはりお前は裏切られた怒りを選ぶのか。そんならこの傷は手ひどく祟るぞ。一生痛み
つづけるぞ。それもみんなお前の罪なんだ。思想よりも人間を選んだお前の罪なんだ。
こんなまちがひは若い栗鼠しかやらない。くるみとゴルフのボールをまちがへるやうなことは、
公安のおまはりは決してやつてはならんことだ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
121名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/21(月) 11:38:45.57
俺はな、ずうーつと前からよ、ずうーつと前から松村を臭いと思つとつたよ。あいつと
佐渡との関係も臭いと睨んどつたよ。カンだな。永年のカンちふものは怖ろしいよ。
あいつの目つきから、顔つきから、何から何まで気に入らない。何かよくわからないが、
プーンとアカの匂ひがしとつたんだね。垢の匂ひか。まあ、おんなじやうなもんさ。
アカは匂ひを立てよるよ。腐つた魚みたやうな。お前、留置場の匂ひを知つとるだろ。あれだ。
はじめから暗い場所へ入るやうにできてる人間は、さういふ匂ひを立てる。今ごろ松村は、
いちばん自分の匂ひにぴつたりの場所にゐるわけだよ。さうだよ。なあ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
122名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/21(月) 11:40:18.38
片桐:あなたきこえるんですね。あの琴が。
川添:きこえるとも。たしかにきこえる。
片桐:実は、僕にもきこえるんです。……どうです。あの澄んだ、静かな、心の休まるやうな
やさしい音楽。
川添:お前もきこえるのか。
片桐:さうです。今きこえはじめたんです。しかし今、僕は一寸ミスをやりました。
川添:ミスつて?
片桐:うつかり同僚に「あれがきこえるか」つて訪ねてしまつたんですよ。どうやら
やつらにはきこえないらしいんです。自分一人にきこえるんだつたら、それを秘密にして
おくべきですね。
川添:わしはみんな喋つちまふ。だから莫迦にされるんだ。


片桐:あ、きこえる。きこえる。みんなにはきこえないんだ。
川添:わしら二人だけだ、この世界に。
片桐:いつかみんなにきこえるやうになりませんかね。
川添:無理だらう。わしはどれだけみんなに宣伝したか。何しろ天からまつすぐに、
澄み切つた琴の音が落ちてくるんだから。

三島由紀夫38歳「喜びの琴」より
123名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/22(火) 11:07:26.59
人間はみんなこの地球の上の居候さ。


……ほら、二階の窓があきます。喪服の老夫人が謡をうたつてゐます。あれは日本の悲しみと
過去の象徴なの。あそこから死と思ひ出の歌がひびいて来ます。それから……ほら、
中二階の茶室の障子があきます。静かな中年の夫婦がお茶のお点前をしてゐます。あれが、
何もかも忙しさの中に見失ふ年ごろの人たちに、静けさの意味を教へるんですわ。ええ、
もちろんお客様はいつでもあの部屋へ行つて、お茶を習ふことができます。……今度は……
ほら、向うの橋から、凛々しい若者がやつて来ました。あれこそ日本の雄々しい若さ、
それもつつしみ深い、礼儀正しい若さの姿ですわ。日本の青年はみんな全学連に入つて
ゐたり、町角で女の子をからかつてゐるわけぢやありません。もしお客様がお望みなら、
あの人はよろこんで弓の手ほどきをするでせう。どう? これが私たちの独特のホテルの
おもてなしなのよ。

三島由紀夫「恋の帆影」より
124名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/22(火) 11:08:44.53
この左手が春の橋、私たちのくぐつてきたあの橋が夏の橋、家のうしろに秋の橋と冬の橋が
あつて、家のまはりがみんなああいふ低い粗末な橋に囲まれて、だからむかしこの邸は、
四つ橋屋敷と呼ばれてゐましたの。(中略)
梅さんの操るこの小さな和船、そして今にも落ちさうな朽ちかけた小さな橋、それだけが
この家と外界をつなぐよすがなんです。舟が沈み、橋が朽ちたら、ここは外界から
ぱつたりと縁を絶たれ、ここにあるすべてが本当の夢になるんです。今いらしたせまい川を、
梅さんの小舟が、まるで体をすりつけて甘える小猫みたいに、あやめのまじる川岸の草に、
船ばたをこすりつけながら来たでせう。あれでなくてはいけないんだわ。両側の岸から
さし交はす枝々が、たえず木影を舟に辷らせ、ときどき真菰(まこも)の草むらから
かはせみが翔つ。それでなくてはいけないんだわ。ここではすべてが何かから護られ、
じつと大人しく日本の美しさの中に閉ぢこもつてゐることができるんです。帆舟なんて、
ざわざわと風にはためく帆舟なんて、決してそんなものが……。

三島由紀夫「恋の帆影」より
125名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/22(火) 11:09:40.22
お客とは何ぞや。それは不幸な、いらいらした、始終幸福を求めてゐる人たちなのです。
ホテルの窓の数ほどに沢山な苦情の種子を見つけ、自分がホテルからどの程度に重んじられて
ゐるかを気にし、水道の出が一寸わるくても、ドアの鍵の具合が一寸わるくても、忽ち
そのホテルを三流ホテルときめつけます。それといふのも、偶然の故障などといふものを
お客はみとめず、それをすべて自分が軽んじられてゐる証拠だと思ひ込むからです。


何故自然をありのままに売物にできないんです。私たちの自然な日本人の生活を、
不自由は百も承知で、そのまま売物にできないんです。


みゆき:私たちは世界に対して閉ざされた宝石になるのですね。日本の美しさと艶やかさを、
氷の中の花にしてしまひ、誰にも手を触れさせないで、誰にも微笑を向けて暮すんですね。
正:それこそ姉さん、あなたにぴつたりのホテルですよ。

三島由紀夫「恋の帆影」より
126名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/22(火) 19:31:56.08
みゆき:…本当の姉弟がこんなことをするかしら? 本当の弟がこんな風に姉さんの胸を
探るかしら? 本当の姉弟がこんな風に? 今、喜死鳥(かはせみ)が立つたわ、青い
羽根をかがやかせて。ああ、私たちは何度もここへ帰つてくる。そこでは世間は嘘の鎧で
しつかりと私たちを護つてくれ、その中で私たちの体は虹のやうに融ける。嘘は私たちの
ことぢやない。嘘はただ世間が私たちにくれた免罪符だわ。それをまちがへちやいけないわ。
正:なぜあなたは自由が欲しくないんだ。なぜ曇つたままの鏡が好きで、それを拭き取らうと
しないんだ。
みゆき:七色の滴に覆はれた鏡のはうが、ずつときれいに映るからだわ。女には正確な
鏡なんか要らないのよ。
正:今なら僕たちはみんなに大事に護られてきた嘘の温室の硝子屋根を打ち割つて、
公然と……
みゆき:公然と、何をするの?
正:結婚することだつてできるんだ。
みゆき:結婚? まあ、いやだ、そんな下品なこと。

三島由紀夫「恋の帆影」より
127名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/22(火) 19:35:09.11
がまがへるの目には、がまがへるが美しいし、俺の目には、こんなおかちめんこが美しいのさ。
地球の目には月が美しく、月の目には地球が美しい。宇宙に鏡があれば地球もその
あばた面の美に目ざめ、ほかのあばた面の星を探しに出かけるだらう。思想家には眼鏡が
美しく、芸術家にはお金が美しい。


あの方を見ると、すべてが救はれ、あの方と話してゐるあひだは、どんな曇りの日にも
青空が見え、雨の夜にも月がかがやくんです。遠くからあの方の紺絣のお姿、弓を手にした
凛々しいお姿を見ただけでも、一日の仕合せが買へるのです。そんな安い私の仕合せなのに、
私の苦しみと不幸はもつと安くて、ほとんど只みたいに無尽蔵に湧いて来ます。同じ水から
生れたものでも、仕合せは虹、不幸は霧、虹はつかのまに消えてしまふのに、霧は全部を
包んでしまふ。……それといふのも、どうしたらあの方に愛されるか、私にはわからない
せゐなんだわ。

三島由紀夫「恋の帆影」より
128名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/22(火) 19:36:29.11
啓夫人:今ごろ、あの子は嵐の荒れ狂ふ湖へ、あてどもなく漕ぎ出してゐるんだわ。
啓:罪のない者は美しく死なせてやれ。罪を重ねた奴には、そんな死に方はできやしない。
どうせ脳溢血か胃癌がオチさ。……それに罪のない者がゐなかつたら、あいつらの純白の
カンヴァスがなかつたら、絵具と絵筆はどうして暮したらいいんだね。私たちはその
カンヴァスをいつも探してゐたんぢやないのかね。そして今夜やつとそれを探し当てたんぢや
ないのかね。


みゆき:私は知つてゐます。私たちのことを告げ口されたら、きつとあの娘は死ぬでせう。
それはあの娘が純なばかりでなく、あなたにははつきり女を死なせるだけの力があるわ。
女の私の言ふことだから、まちがひがない。どう? これで満足が行つたでせう。
正:だから僕は……
みゆき:お待ちなさい! さうやつて立上がるあなたは滑稽だわ、啓様の言ふやうに、
自分の己惚れの、自分の魅力のおそろしい結果をたしかめるために、いそいそと
出かけてゆく滑稽な男だわ。
正:ちがふ!

三島由紀夫「恋の帆影」より
129名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/22(火) 19:37:50.81
みゆき:…死ぬわ、あなたもあの娘も、助けようとする力が殺す力になり、お互ひが
生きようとして沈め合ふわ。ああ! 溺れた人のおそろしい力、何か別の力がのりうつり、
底のはうから手助けでもしてゐるやうな、あの夢の中で胸を押へる夢魔よりも非情な力、
あれに取り縋(すが)られたらもうおしまひだわ。死ぬわ、いいえ、あなた一人だけでも。
嵐の中をさすらひ求め、叫ぶ声も涸れ、漕ぐ腕も萎え、舟はまるで茶碗の底へ銀の匙のやうに
らくらくと沈む。あなたは溺れるわ。溺れるわ。水があなたの内側まで充たさうと、
外側からひしめき合つて雪崩れ込む。わかつてゐるの? 水は人の外側から、人が浮ぶのを
支へてゐるのにすぐ倦きる。湖の水は人の内側にあこがれる。そこにどんなに美しい、
どんなに暖かい、水のねぐらがあるかを知りたいんだわ。水は自分の古い親戚の、
海のやうに塩辛い人間の血に、その暖かいねぐらで直に会ひたいんだわ。だから勢ひ込んで、
軍隊のやうに、水はあなたの中へ攻め寄せる。息を追ひ出し、息よりももつと濃い命で
あなたを充たし、……さうしてあなたを自分のものにするために。

三島由紀夫39歳「恋の帆影」より
130名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 15:28:46.93
女の貞淑といふものは、時たま良人のかけてくれるやさしい言葉や行ひへの報いではなくて、
良人の本質に直に結びついたものであるべきだといふことですわ。蝕まれた船は蝕む虫と、
海の本質を頒け合つてゐるのですわ。


女が男にだまされることなんぞ、一度だつて起りはいたしません。


私がずつと前からアルフォンスを知つてゐたといふ気持は、ひつくりかへりはいたしません。
あの人に急に尻尾が生えたり、角が生えたりしたわけではないのですもの。私はともすると
あの人の陽気な額、輝く眼差の下に隠されてゐた、その影を愛してゐたのかもしれませんの。
薔薇を愛することと、薔薇の匂ひを愛することと分けられまして?

三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
131名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 15:29:36.77
幸福といふのは、何と云つたらいいでせう。肩の凝る女の手仕事で、刺繍をやるやうな
ものなのよ。ひとりぼつち、退屈、不安、淋しさ、物凄い夜、怖ろしい朝焼け、さういふものを
一目一目、手間暇をかけて織り込んで、平凡な薔薇の花の、小さな一枚の壁掛を作つて
ほつとする。地獄の苦しみでさへ、女の手と女の忍耐のおかげで、一輪の薔薇の花に
変へることができるのよ。


サン・フォン:…奥様、快楽にだんだん薬味が要るやうになると、人は罰せられた子供の
たのしみを思ひ出し、誰も罰してくれないのを不足に思ふやうになります。ですから
見えない主に唾を引つかけ、挑発し、怒りをそそり立てようと躍起になるのでございます。
それでも神聖さは怠けものの犬です。日向に寝そべつて昼寝に耽り、尻尾を掴まうが、
髭を引張らうが、吠えることはおろか、目をひらいてさへくれません。
モントルイユ:あなたは神を怠けものの犬だと仰言るのね。
サン・フォン:ええ、それも老いぼれた。

三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
132名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 15:30:18.17
恥ずかしさの底にゐるときには、同情のやさしい心持も残つてはをりません。同情は
上澄みで、心が乱れれば、底の澱が湧き昇つて上澄みを消してしまふ。


想像できないものを蔑む力は、世間一般にはびこつて、その吊床の上で人々はお昼寝を
たのしみます。そしていつしか真鍮の胸、真鍮のお乳房、真鍮のお腹を持つやうになるのです、
磨き立ててぴかぴかに光つた。あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇を見れば
気味がわるいと仰言る。あなた方は御存知ないんです。薔薇と蛇が親しい友達で、夜になれば
お互ひに姿を変へ、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。兎を見れば愛らしいと仰言り、
獅子を見れば怖ろしいと仰言る。御存知ないんです。嵐の夜には、かれらがどんなに血を
流して愛し合ふかを。神聖も汚辱もやすやすとお互ひに姿を変へるそのやうな夜を
御存知ないからには、あなた方は真鍮の脳髄で蔑んだ末に、さういふ夜を根絶やしにしようと
お計りになる。でも夜がなくなつたら、あなた方さへ、安らかな眠りを二度と味はふことは
おできになりません。

三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
133名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 15:32:00.26
ルネ:私が人間の底の底、深みの深み、いちばん動かない澱みへだけ、顔を向けてきたのは
本当だわ。それが私の運命でした。
アンヌ:だからそれには思ひ出はないわ。あるのは繰り返し、それだけだわ。
ルネ:私の思ひ出は虫入りの琥珀の虫。あなたのやうに、折にふれては水に映る影ではないわ。
さう、あなたはうまいことを言つた。私の思ひ出は、いつも必ず私の邪魔をするの。


この世で一番自分の望まなかつたものにぶつかるとき、それこそ実は自分がわれしらず
一番望んでゐたものなのです。それだけが思ひ出になる資格があり、それだけが琥珀の中へ
閉ぢ込めることができるのよ。それだけが何千回繰り返しても飽きることのない、
思ひ出の果物の核(さね)なのだわ。


あなたは神の釣人の糸にかかつた魚です。何度か鉤(はり)をかけられて遁れながら、
あなたは実のところ、いづれは釣り上げられることを御存知だつた。浮世の水にかがやく
鱗を、神の御目(おんめ)のきびしい夕日のうちに、身もだえして閃めかせながら、
釣り上げられるのを望んでおいでだつた。

三島由紀夫40歳「サド侯爵夫人」より
134名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 21:05:40.05
女の部屋は一度ノックすべきである。しかし二度ノックすべきぢやない。さうするくらゐなら、
むしろノックせずに、いきなりドアをあけたはうが上策なのである。
女といふものは、いたはられるのは大好きなくせに、顔色を窺はれるのはきらふものだ。
いつでも、的確に、しかもムンズとばかりにいたはつてほしいのである。


日本の女が全部ぬかみそに手をつつこむことを拒否したら、日本ももうおしまひだ。


ウソの友情より、本当の憎悪のはうが美しい。
『男のはうが女よりずつと御体裁屋だわ』


女同士の喧嘩の場合は、打たれた女より、打つた女のはうが百倍も可哀想な女なのよ。


日本人のくせに髪を赤毛に染めてゐたりする女を見ると、唾を引つかけてやりたくなる。


当事者といふものは、物事の表面にごく見易くあらはれてゐる異常さに、なかなか気が
つかないものである。


思つてることが、しらない間に独り言になつて出るといふことほど、わびしい老いの兆はないな。

三島由紀夫「複雑な彼」より
135名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 21:06:47.50
ドライ・マルティニの好きな顔といふのがあるのである。油断ならぬ顔つきの人間にそれが多い。
テキサスあたりの大男で、人のいい顔をした人物が、オールド・ファッションドなんかを
呑むのと対蹠的だ。


父は色が多少浅黒いので、かういふ緑がよく似合ふのである。緑は顔いろをわるく見せるが、
もともとわるい人の顔色はよく見せる。


ちかごろの日本の青年は、情ない奴ばつかりだ。さう思はんかね。金がほしい。できれば
名もほしい。そのためには犬畜生に劣る振舞でも平気でやる。十代の少年を見ても、
非行少年には義理も人情もないし、よく勉強するいはゆる優秀な少年は、自分のことだけ
考へてゐる器の小さい連中ばかりだ。こんなことで、日本の将来を託すべき青少年は
どうなるのだ。


譲二は決してオー・デ・コローニュは使はなかつた。あれは不潔で体臭のつよい外国人が
使ふもので、日本人の清浄な体に使へば、男らしさを滅殺する効果しかないことを知つて
ゐたからである。


とても面白いと思つて見た映画は、二度見てはいけないんです。

三島由紀夫「複雑な彼」より
136名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 21:08:12.39
思ひ出といふのは、もう固まつた美術品みたいなものなんです。もう誰も手を加へることの
できない、完成品の美なんです。ミロのヴィーナスと、美しい思ひ出とは同格なんです。
それをみんな思ひちがへてゐるんですよ。ミロのヴィーナスに十年ぶりに会つたつて、
欠けた腕が、いつのまにか生えてゐるといふことはありえないでせう。ところが思ひ出に
十年ぶりで会ふと、心の中でいろんな風に修正してゐて、欠けてゐた腕も生えそろつてゐる
わけだから、現実の思ひ出の腕が欠けてゐるのを見て、『おや、片輪になつた』と錯覚を
起すんです。人間は必ずかういふ錯覚を起すやうにできてゐる。バカな話ぢやありませんか。
だから、僕が思ひ出に対して節度があるといふのは、第一に、その昔の人に対して会はない
やうにすることです。
それから、僕が思ひ出に対して誠実だといふのは、又会つて好きになつたら、全く
新らしい意味で好きになるので、思ひ出とは別個なものだと考へることです。つまりさう
なつたら、思ひ出のはうをさつさと殺してしまふんですよ。それがどんなに美しい思ひ出でも。

三島由紀夫「複雑な彼」より
137名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 21:09:23.28
心といふものは地図に似てゐる。
高低がある。山がある。川がある。等高線がある。
山の高みに達すると、のびやかな平野の眺めがひらけ、今までの苦しい登り道を忘れさせる
やうな、愉しい下り坂がはじまる。
そこに又、湖がある。池がある。川がある。あるひは谷間がある。


男と女ははじめから引合ふやうに出来てるんだが、縁といふものはこれは別だよ。
縁は引力よりも偉大かもしれん。これは、もう決められてゐることで、ほとんど引力を
感じないでも、すこぶる深い縁といふものもあるんだから。


僕はアル中の女とボクシング・ファンの女は、心の底から大きらひだ。どつちも
フラストレーションの固まりの、ひどく下品な女なんだ。


ボクシングはすごいスポーツだよ。男がまつしぐらに戦つて血を流すんだ。そこに男の見物は、
自分たちの社会での戦ひの、毎日やつてゐる血みどろの戦ひの、一番端的な代表を見るわけなんだ。
だから僕は、戦つてもゐない女が、生意気に、ひまつぶしにスリルと興奮を求めて、
ボクシングが好きになるといふことはゆるせないんだよ。それは絶対に下品だからな。

三島由紀夫「複雑な彼」より
138名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 21:10:31.58
私が恋してゐるのは、お父様が決して認めようとなさらないやうな、《複雑な彼》なのです。


今の日本で一番不足してゐるものは、金でもない、家でもない、人物だよ。


あの方は、近ごろの東南アジアの状勢に深く心を痛めてをられて、今、一人の日本人が
身を挺してこれを救はなければ、アジアは永久に救はれないと考へてをられる。


今の状勢について、日本人全般は、日本人が出る幕ぢやないと思つて、『関係ナイ、
関係ナイ』といふ気持で、レジャーに耽つてゐるばかりだ。一人としてアジアを憂へる青年は
をらない。デモをやつてゐる連中は、左翼にあやつられてゐるだけだし、集団の力を漠然と
たのんでゐるだけだ。
しかし、いつでも歴史を動かすのは個人なんだよ。それも一人の青年の力なんだよ。
『関係ナイ』と思つてゐるのは、自ら、関係を持たうとしないだけのことで、もし一人の
青年が身を挺すれば、アジアを救ふことができるのだ。

三島由紀夫41歳「複雑な彼」より
139名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 19:44:07.51
かけまくもあやにかしこき
すめらみことに伏して奏(まを)さく
今、四海必ずしも波穏やかならねど
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌(こふくげきじやう)の世を現じ
御仁徳の下(もと)、平和は世にみちみち、
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交はし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ、
もはや戦ひを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦ひのみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能(あた)はず
いつはりの人間主義をなりはひの糧となし
偽善の茶の間の団欒は世をおほひ
力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠惰と麻薬と闘争に、
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃へ
快楽もその実を失ひ
信義もその力を喪ひ、魂は悉く腐蝕せられ、
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおほひかくされ
道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑ひは浸潤し、
魂の死は行人の顔に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り、

三島由紀夫「悪臣の歌」より
140名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 19:44:46.04
清純は商(あきな)はれ、淫蕩は衰へ、
ただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば
金を以てはからるる人の値打も、
金よりもはるかに卑しきものとなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、
生(なま)かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰弱せる美学は天下を風靡し、
陋劣(ろうれつ)なる真実のみがもてはやされ、
人ら四畳半を改造して
そのせまき心情をキッチンに磨き込み
車は繁殖し、無意味なる速力は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
窓々は欲球不満の蛍光灯にかがやき渡り、
人々レジャーへといそぎのがるれど
その生活の快楽には病菌つのり
朝な朝な昇る日はスモッグに曇り、
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、
烈しきもの、雄々しき魂は地を払ふ。
血潮はことごとく汚れて平和に温存せられ
ほとばしる清き血潮はすでになし。
天翔(あまが)けるもの、不滅の大義はいづくにもなし。
不朽への日常の日々の
たえざる研磨も忘れられ、
人みな不朽を信ぜざることもぐらの如し。かかる日に、
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。

三島由紀夫「悪臣の歌」より
141名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 19:45:06.77
かけまくもあやにかしこき
すめらみことに伏して奏(まを)さく。
かかる世に大君こそは唯御一人
人のつかさ、人の鑑(かがみ)にてましませり。
すでに敗戦の折軍将マッカーサーを、
その威丈高なる通常軍装の非礼をものともせず
訪れたまひしわが大君は、
よろづの責われにあり、われを罰せと
のたまひしなり。
この大御心(おほみこころ)、敵将を搏(う)ちその卑賤なる尊大を搏ち
洵(まこと)の高貴に触れし思ひは
さすがの傲岸をもまつろはせたり。
げに無力のきはみに於て人を高貴にて搏つ
その御けだかさはほめたたふべく、
わが大君は終始一貫、
暴力と威武とに屈したまはざりき。
和魂(にぎみたま)のきはみをおん身にそなへ
生物学の御研究にいそしまれ、
その御心は寛厚仁慈、
なべてを光被したまひしなり。
民の前にお姿をあらはしたまふときも
いささかのつくろひなく、
いささかの覇者のいやしき装飾もなく
すべて無私淡々の御心にて
あまねく人の心に触れ、

三島由紀夫「悪臣の歌」より
142名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 19:45:39.16
戦ひのをはりしのちに、
にせものの平和主義者ばつこせる折も
陛下は真の人の亀鑑、
静かなる御生活を愛され、
怒りも激情にもおん身を委(ゆだ)ねず、
静穏のうちに威大にましまし
御不自由のうちに自由にましまし
世の範となりぬべき真の美しき人間を、
世の小さき凹凸に拘泥なく
終始一貫示したまひき。
つねに陛下は自由と平和の友にましまし、
仁慈を垂れたまひ、諸人の愛敬を受けられ
もつとも下劣なる批判をも
春の雪の如くあはあはと融かしたまへり。
政治の中心ならず、経済の中心ならず、
文化の中心ならず、ただ人ごころの、
静止せる重心の如くおはし給へり。
かかる乱れし濁世(ぢよくせ)に陛下の
白菊の如き御人柄は、
まことに人間の鑑にして人間天皇の御名にそむきたまはず、
そこに真のうるはしき人間ありと感ぜらる。
されどこはすべて人の性(さが)の美なるもの、
人のきはみ、人の中の人、人の絶巓(ぜつてん)、
清き雪に包まれたる山頂なれど
なほ天には属したまはず。すべてこれ、
人の徳の最上なるものを身に具(そな)はせたまふ。
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。

三島由紀夫「悪臣の歌」より
143名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 19:46:00.60
かへりみれば陛下はかの
人間宣言をあそばせしとき、
はじめて人とならせたまひしに非ず。
悪しき世に生(あ)れましつつ、
陛下は人としておはしませり。
陛下の御徳は終始一貫、人の徳の頂きに立たせたまひしが、
なほ人としてこの悪しき世をすぐさせ給ひ、
人の中の人として振舞ひたまへり。
陛下の善き御意志、陛下の御仁慈は、
御治世においていつも疑ふべからず。
逆臣佞臣(ねいしん)囲りにつどひ、
陛下をお退(さが)らせ申せしともいふべからず。
大事の時、大事の場合に、
人として最良の決断を下したまひ、
信義を貫ぬき、暴を憎みたまひ
世にたぐひなき明天子としてましましたり。
これなくて、何故にかの戦ひは
かくも一瞬に平静に止まりしか。
されどあへて臣は奏す。
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。

三島由紀夫「悪臣の歌」より
144名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 01:00:30.92
陛下の大御代(おおみよ)はすでに二十年の平和、
明治以来かくも長き平和はあらず、
敗れてのちの栄えといへど、
近代日本にかほどの栄えはあらず。
されど陛下の大御代ほど
さはなる血が流されし御代もなかりしや。
その流血の記憶も癒え
民草の傷も癒えたる今、
臣今こそあへて奏すべき時と信ず。
かほどさはなる血の流されし
大御代もあらざりしと。
そは大八洲(おほやしま)のみにあらず
北溟(ほくめい)の果て南海の果て、
流されし若者の血は海を紅(くれな)ゐに染め
山脈を染め、大河を染め、平野を染め、
水漬(みづ)く屍は海をおほひ
草生(くさむ)す屍は原をおほへり。
血ぬられし死のまぎはに御名を呼びたる者
その霊は未だあらはれず。
いまだその霊は彼方此方(かなたこなた)に
むなしく見捨てられて鬼哭(きこく)をあぐ。
神なりし御代は血潮に充ち
人とまします御代は平和に充つ。
されば人となりませしこそ善き世といへど
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。

三島由紀夫「悪臣の歌」より
145名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 01:00:55.58
御代は血の色と、
安き心の淡き灰色とに、
鮮やかに二段に染め分けられたり。
今にして奏す、陛下が人間(ひと)にましまし、
人間として行ひたまひし時二度ありき、
そは昭和の歴史の転回点にて、
今もとに戻すすべもなけれど、
人間としてもつとも信実、
人間としてもつとも良識、
人間としてもつとも穏健、
自由と平和と人間性に則つて行ひたまひし
陛下の二くさの御行蔵あり。
(されどこの二度とも陛下は、
民草を見捨てたまへるなり)
一度はかの二、二六事件のとき、
青年将校ども蹶起(けつき)して
重臣を衂(ちぬ)りそののちひたすらに静まりて、
御聖旨御聖断を仰ぎしとき、
陛下ははじめよりこれを叛臣とみとめ
朕の股肱(ここう)の臣を衂りし者、
朕自ら馬を進めて討たんと仰せたまひき。
重臣は二三の者、民草は億とあり、
陛下はこの重臣らの深き忠誠と忠実を愛でたまひ
未だ顔も知らぬ若者どもの赤心のうしろに
ひろがり悩める民草のかげ、
かの暗澹たる広大な貧困と
青年士官らの愚かなる赤心を見捨て玉へり。
こは神としてのみ心ならず、
人として暴を憎みたまひしなり。

三島由紀夫「悪臣の歌」より
146名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 01:01:48.96
されど、陛下は賢者に囲まれ、
愚かなる者の血の叫びをききたまはず
自由と平和と人間性を重んぜられ、
その民草の血の叫びにこもる
神への呼びかけをききたまはず、
玉穂なすみづほの国の
荒れ果てし荒蕪(くわうぶ)の地より、
若き者、無名の者の肉身を貫きたりし
死の叫びをききたまはざりき。
かのとき、正に広大な御領の全てより、
死の顔は若々しく猛々しき兵士の顔にて、
たぎり、あふれ、対面しまゐらせんとはかりしなり。
直接の対面、神への直面、神の理解、神の直観を待ちてあるに、
陛下は人の世界に住みたまへり。
かのときこそ日本の歴史において、
深き魂の底より出づるもの、
冥人の内よりうかみ出で、
明るき神に直面し、神人の対話をはかりし也。
死は遍満し、欺瞞をうちやぶり、
純潔と熱血のみ、若さのみ、青春のみをとほして
陛下に対晤せんと求めたるなり。
されど陛下は賢き老人どもに囲まれてゐたまひし。
日本の古き歴史の底より、すさのをの尊は
理解せられず、聖域に生皮を投げ込めど、
荒魂は、大地の精の血の叫びを代表せり。
このもつとも醇乎たる荒魂より
陛下が面をそむけたまひしは
祭りを怠りたまひしに非ずや。
――などてすめろぎは人間(ひと)となり玉ひし。

三島由紀夫「悪臣の歌」より
147名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 04:58:36.68
20代戦半で読んだ「音楽」あのころどこまで理解していたんだろうか?」と思うと
今更読みたい
148名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 11:25:03.13
>>147
再読すると、前に気づかなかったところが印象深くなったりするね。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 12:33:47.18
ユキオが切腹なんてするから、今のような日本になってしまった。
長生きして、日本のために頑張ってもらいたかった。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 13:00:11.52
二度は特攻隊の攻撃ののち、
原爆の投下ののち終戦となり、
又も、人間宣言によりて、
陛下は赤子を見捨てたまへり。
若きいのちは人のために散らしたるに非ず。
神風とその名を誇り、
神国のため神のため死したるを、
又も顔知らぬ若きもの共を見捨てたまひ、
その若きおびただしき血潮を徒にしたまへり。
今、陛下、人間(ひと)と仰せらるれば、
神のために死にしものの御霊はいかに?
その霊は忽ち名を糾明せられ、
祭らるべき社もなく
神の御名は貶せられ、
ただ人のために死せることになれり。
人なりと仰せらるるとき、
神なりと思ひし者共の迷蒙はさむべけれど、
神と人とのダブル・イメーヂのために生き
死にたる者の魂はいかにならん。
このおびただしき霊たちのため
このさはなる若き血潮のため
陛下はいかなる強制ありとも、
人なりと仰せらるべからざりし也。
して、のち、陛下は神として
宮中賢所の奥深く、
日夜祭りにいつき、霊をいつき、
神のおんために死したる者らの霊を祭りておはしませば、
いかほどか尊かりしならん、
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。

三島由紀夫「悪臣の歌」より
151名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 13:00:45.38
陛下は帽を振りて全国を遊行しし玉ひ、
これ今日の皇室の安寧のもととなり
身に寸鉄を帯びず思想の戦ひに勝ちたまひし、
陛下の御勇気はほめたたふべけれど、
もし祭服に玉体を包み夜昼おぼろげなる
皇祖皇宗御霊の前にぬかづき、
神のために死せる者らをいつきたまへば、
何ほどか尊かりしならん。
今再軍備の声高けれど、
人の軍、人の兵(つはもの)は用ふべからず。
神の軍、神の兵士こそやがて神なるに、
――などてすめろぎは人間(ひと)となり玉ひし。

三島由紀夫41歳「悪臣の歌」より
152名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 11:08:48.93
小説を書いて世に売るといふのは、いかにも異様な、危険な職業だといふことを、私は時折
感ぜずにはゐられない。私は言葉を通じて、何を人の心へ放射してゐるのであらうか? 
芸術家にはたしかに、酒を売る人に似たところがある。彼の作品には酒精分が必要であり、
酒精分を含まぬ飲料を売ることは、彼の職業を自ら冒涜するやうなものである。つまり
酩酊を売るのである。正常な人間は、それが酒であることを知つて買ひ、一夜の酔をたのしみ、
酔が醒めれば我に返る。しかし、かういふことがありうる。酒と知らずに、有益な飲料だと
思つて買つて、その結果、馴れない酒のために悪酔をするといふこと。あるひは、はじめから、
正常でない人間がこれを買つて、一定の酒精分からは思ひもかけないほどの怖ろしい結果を
惹き起すこと。……


小説を読むことは孤独な作業であり、小説を書くことも孤独な作業である。活字を介して、
われわれの孤独が、見も知らぬ他人の孤独の中へしみ入つてゆく。

三島由紀夫「荒野より」より
153名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 11:09:05.15
あいつが机の抽斗(ひきだし)をあければ、そこからも孤独がすぐ顔をのぞかせた。そして
孤独と共に、そこにはいつも私がゐたのだ。
――一体、あいつはどこから来たのだらう。警官はもちろん私にあいつの住所などを
告げなかつた。
しかし、だんだんに私には、あいつがどこから来たのか、その方角がわかるやうな気が
しはじめた。あいつは私の心から来たのである。私の観念の世界から来たのである。
あいつが私の影であり、私の谺(こだま)であるのは確かなことだが、私の心はといへば、
あいつの考へるほど一色ではなかつた。小説家の心は広大で、飛行場もあれば、中央停車場も
ある。中央駅を囲んで道路は四通八達し、ビル街もあれば、商店街もある。並木路もあれば、
住宅地域もある。郊外電車もあれば、団地もある。野球場もあれば、劇場もある。そして
その片隅のどんな細径も私は諳んじてをり、私の心の地図はつねづね丹念に折り畳まれて
しまつてゐる。

三島由紀夫「荒野より」より
154名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 11:09:28.05
しかしその地図は、私がふだん閑却してゐる広大な地域について、何ら誌すところがない。
私はその地域を閑却し、そこへ目を向けないやうにして暮してゐるが、その所在は否定できない。
それは私の心の都会を取り囲んでゐる広大な荒野である。私の心の一部にはちがひないが、
地図には誌されぬ未開拓の荒れ果てた地方である。そこは見渡すかぎり荒涼としてをり、
繁る樹木もなければ生ひ立つ草花もない。ところどころに露出した岩の上を風が吹きすぎ、
砂でかすかに岩のおもてをまぶして、又運び去る。私はその荒野の所在を知りながら、
つひぞ足を向けずにゐるが、いつかそこを訪れたことがあり、又いつか再び、訪れなければ
ならぬことを知つてゐる。
明らかに、あいつはその荒野から来たのである。……
その意味は解せぬが、あいつは私に、本当のことを話せ、と言つた。そこで私は、
本当のことを話した。

三島由紀夫41歳「荒野より」より
155名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 11:14:35.45
……今、四海必ずしも波穏やかならねど、
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌(こふくげきじやう)の世をば現じ
御仁徳の下(もと)、平和は世にみちみち
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交はし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦ひを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦(いくさ)のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能(あた)はず
いつはりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおほひ
力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され、
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠惰と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃へ、
快楽もその実を失ひ、信義もその力を喪ひ、
魂は悉(ことごと)く腐蝕せられ
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおほひかくされ、真情は病み、
道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑ひは浸潤し
魂の死は行人の顔に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り

三島由紀夫「英霊の声」より
156名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 11:15:05.43
清純は商はれ、淫蕩は衰へ、
ただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば
人の値打は金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、
生(なま)かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰へたる美は天下を風靡し
陋劣(ろうれつ)なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲求不満の蛍光灯に輝き渡り、
朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、
烈しきもの、雄々しき魂は地を払ふ。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔(あまが)けるものは翼を折られ
不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑(あざわら)ふ。
かかる日に、
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし

三島由紀夫「英霊の声」より
157名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 11:15:40.57
この日本をめぐる海には、なほ血が経めぐつてゐる。かつて無数の若者の流した血が海の
潮(うしほ)の核心をなしてゐる。それを見たことがあるか。月夜の海上に、われらは
ありありと見る。徒(あだ)に流された血がそのとき黒潮を血の色に変へ、赤い潮は唸り、
喚(おら)び、猛き獣のごとくこの小さい島国のまはりを彷徨し、悲しげに吼える姿を。
それを見ることがわれらの神遊びなのだ。手を束(つか)ねてただ見守ることがわれらの
遊びなのだ。かなた、日本本土は、夜も尽きぬ灯火の集団のいくつかを海上に泛(うか)ばせ、
熔鉱炉の焔は夜空を舐めてゐる。あそこには一億の民が寝息を立て、あるひはわれらの
知らなかつた、冷たい飽き果てた快楽に褥(しとね)を濡らしてゐる。
あれが見えるか。
われらがその真姿を顕現しようとした国体はすでに踏みにじられ、国体なき日本は、
かしこに浮標(ブイ)のやうに心もとなげに浮んでゐる。
あれが見えるか。

三島由紀夫「英霊の声」より
158名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 11:16:02.08
われらには、死んですべてがわかつた。死んで今や、われらの言葉を禁(とど)める力は
何一つない。われらはすべてを言ふ資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を
流したからだ。
今ふたたび、刑場へ赴く途中、一大尉が叫んだ言葉が胸によみがへる。
『皆死んだら血のついたまま、天皇陛下のところに行くぞ。而(しかう)して死んでも
大君の為に尽すんだぞ。天皇陛下万歳。大日本帝国万歳』
そして死んだわれらは天皇陛下のところへ行つたか? われらの語らうと思ふことは
そのことだ。すべてを知つた今、神語りに語らうと思ふのはそのことだ。
しかしまづ、われらは恋について語るだらう。あの恋のはげしさと、あの恋の至純について
語るだらう。


大演習の黄塵のかなた、天皇旗のひらめく下に、白馬に跨られた大元帥陛下の御姿は、遠く
小さく、われらがそのために死すべき現人神のおん形として、われらが心に焼きつけられた。
神は遠く、小さく、美しく、清らかに光つてゐた。われらが賜はつた軍帽の徴章の星を
そのままに。

三島由紀夫「英霊の声」より
159名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 20:09:21.87
われらが国体とは心と血のつながり、片恋のありえぬ恋闕(れんけつ)の劇烈なよろこび
なのだ。さればわれらの目に、はるか陛下は、醜き怪獣どもに幽閉されておはします、
清らにも淋しい囚はれの御身と映つた。


われらはつひに義兵を挙げた。思ひみよ。その雪の日に、わが歴史の奥底にひそむ維新の力は、
大君と民草、神と人、十善の御位にましますおん方と忠勇の若者との、稀なる対話を
用意してゐた。
思ひみよ。
そのとき玉穂なす瑞穂の国は荒蕪の地と化し、民は餓ゑに泣き、女児は売られ、大君の
しろしめす王土は死に充ちてゐた。神々は神謀りに謀りたまひ、わが歴史の井戸のもつとも
清らかな水を汲み上げ、それをわれらが頭(かうべ)に注いで、荒地に身を伏して泣く
蒼氓に代らしめ、現人神との対話をひそかに用意された。そのときこそ神国は顕現し、
狭蠅なすまがつびどもは吹き払はれ、わが国体は水晶のごとく澄み渡り、国には至福が
漲る筈だつた。

三島由紀夫「英霊の声」より
160名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 20:09:41.95
われらは陛下が、われらをかくも憎みたまうたことを、お咎めする術とてない。
しかし叛逆の徒とは! 叛乱とは! 国体を明らかにせんための義軍をば、叛乱軍と呼ばせて
死なしむる、その大御心に御仁慈はつゆほどもなかりしか。
こは神としてのみ心ならず、
人として暴を憎みたまひしなり。
鳳輦(ほうれん)に侍するはことごとく賢者にして
道のべにひれ伏す愚かしき者の
血の叫びにこもる神への呼びかけは
つひに天聴に達することなく、
陛下は人として見捨てたまへり、
かの暗澹たる広大なる貧困と
青年士官らの愚かなる赤心を。
わが古き神話のむかしより
大地の精の血の叫び声を凝り成したる
素戔嗚尊(すさのをのみこと)は容れられず、
聖域に馬の生皮を投げ込みしとき
神のみ怒りに触れて国を逐(お)はれき。
このいと醇乎たる荒魂より
人として陛下は面をそむけ玉ひぬ。
などてすめろぎは人間となりたまひし

三島由紀夫「英霊の声」より
161名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 20:10:06.94
われらは最後の神風たらんと望んだ。神風とは誰が名付けたのか。それは人の世の仕組が
破局にをはり、望みはことごとく絶え、滅亡の兆はすでに軒の燕のやうに、わがもの顔に
人々のあひだをすりぬけて飛び交はし、頭上には、ただこの近づく滅尽争を見守るための
精麗な青空の目がひろがつてゐるとき、……突然、さうだ、考へられるかぎり非合理に、
人間の思考や精神、それら人間的なもの一切をさはやかに侮蔑して、吹き起つてくる救済の
風なのだ。わかるか。それこそは神風なのだ。


われらは兄神のやうな、死の恋の熱情の焔は持たぬ。われらはそもそも絶望から生れ、
死は確実に予定され、その死こそ『御馬前の討死』に他ならず、陛下は畏れ多くも、
おん悲しみと共にわれらの死を喜納される。それはもう決まつてゐる。われらには恋の
飢渇はなかつた。
われらの熱情は技術者の冷静と組み合はされ、われら自身の死の有効度のための、精密な
計算に費やされてゐた。われらは自分の死を秤にかけ、あらゆる偶然の生を排して、その
こまかい数値をも、あらかじめ確実に知らうとしてゐた。

三島由紀夫「英霊の声」より
162名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 20:10:29.53
われらはもはや神秘を信じない。自ら神風となること、自ら神秘となることとは、さういふ
ことだ。人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。
しかしわれら自身が神秘であり、われら自身が生ける神であるならば、陛下こそ神であらねば
ならぬ。神の階梯のいと高いところに、神としての陛下が輝いてゐて下さらなくてはならぬ。
そこにわれらの不滅の根源があり、われらの死の栄光の根源があり、われらと歴史とを
つなぐ唯一条の糸があるからだ。そして陛下は決して、人の情と涙によつて、われらの死を
救はうとなさつたり、われらの死を妨げようとなさつてはならぬ。神のみが、このやうな
非合理な死、青春のこのやうな壮麗な屠殺によつて、われらの生粋の悲劇を成就させて
くれるであらうからだ。さうでなければ、われらの死は、愚かな犠牲にすぎなくなるだらう。
われらは戦士ではなく、闘技場の剣士に成り下るだらう。神の死ではなくて、奴隷の死を
死ぬことになるだらう。……

三島由紀夫「英霊の声」より
163名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 11:37:49.52
……かくてわれらは死後、祖国の敗北を霊界からまざまざと眺めてゐた。
今こそわれらは、兄神たちの嘆きを、我が身によそへて、深く感ることができた。兄神たちが
あのとき、吹かせようと切に望んだものも亦、神風であつたことを。
あのとき、至純の心が吹かせようとした神風は吹かなかつた。何故だらう。あのときこそ、
神風が吹き、草木はなびき、血は浄められ、水晶のやうな国体が出現する筈だつた。
又われらが、絶望的な状況において、身をなげうつて、吹かせようとした神風も吹かなかつた。
何故だらう。
日本の現代において、もし神風が吹くとすれば、兄神たちのあの蹶起の時と、われらの
あの進撃の時と、二つの時しかなかつた。その二度の時を措いて、まことに神風が吹き起り、
この国が神国であることを、自ら証する時はなかつた。そして、二度とも、実に二度とも、
神風はつひに吹かなかつた。
何故だらう。
われらは神界に住むこと新らしく、なほその謎が解けなかつた。

三島由紀夫「英霊の声」より
164名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 11:38:15.44
月の押し照る海上を眺め、わが肉体がみぢんに砕け散つたあたりをつらつら見ても、なぜ
あのとき、あのやうな人間の至純の力が、神風を呼ばなかつたかはわからなかつた。
曇り空の一角がほのかに破れて、青空の片鱗が顔をのぞかすやうに、たしかにこの暗い人間の
歴史のうちにたつた二度だけ、神の厳(いつく)しきお顔が地上をのぞかれたことがある。
しかし、神風は吹かなかつた。そして一群の若者は十字架に縛されて射たれ、一群の若者は
たちまち玩具に堕する勲章で墓標を飾られた。何故だらう。


兄神たちも、われらも、一つの、おそろしい、むなしい、みぢんに砕ける大きな玻璃(はり)の
器の終末を意味してゐた。われらがのぞんだ栄光の代りに、われらは一つの終末として
記憶された。われらこそ暁、われらこそ曙光、われらこそ端緒であることを切望したのに。
何故だらう。
何故われらは、この若さを以て、この力を以て、この至純を以て、不吉な終末の神に
なつたのだらう。曙光でありたいと冀(ねが)ひながら、荒野のはてに、黄ばんだ一線に
なつて横たはる、夕日の最後の残光になつたのだらう。

三島由紀夫「英霊の声」より
165名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 11:38:34.91
かくて幣原は、改めて陛下の御内意を伺ひ、陛下御自身の御意志によつて、それが
出されることになつた。
幣原は、自ら言ふやうに『日本よりもむしろ外国の人達に印象を与へたいといふ気持が
強かつたものだから、まづ英文で起草』したのである。


……今われらは強ひて怒りを抑へて物語らう。
われらは神界から逐一を見守つてゐたが、この『人間宣言』には、明らかに天皇御自身の
御意志が含まれてゐた。天皇御自身に、
『実は朕は人間である』
と仰せ出されたいお気持が、積年に亘つて、ふりつもる雪のやうに重みを加へてゐた。
それが大御心であつたのである。
忠勇たる将兵が、神の下された開戦の詔勅によつて死に、さしもの戦ひも、神の下された
終戦の詔勅によつて、一瞬にして静まつたわづか半歳あとに、陛下は、
『実は朕は人間であつた』
と仰せ出されたのである。われらが神なる天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた、
そのわづか一年あとに……。
あの『何故か』が、われらには徐々にわかつてきた。

三島由紀夫「英霊の声」より
166名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 11:38:53.36
陛下の御誠実は疑ひがない。陛下御自身が、実は人間であつたと仰せ出される以上、その
お言葉にいつはりのあらう筈はない。高御座にのぼりましてこのかた、陛下はずつと人間で
あらせられた。あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たつた
お孤(ひと)りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。
清らかに、小さく光る人間であらせられた。
それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。
だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、
人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、
陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた。
それを二度とも陛下は逸したまうた。もつとも神であらせられるべき時に、人間に
ましましたのだ。

三島由紀夫「英霊の声」より
167名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 11:39:22.18
一度は兄神たちの蹶起の時、一度はわれらの死のあと、国の敗れたあとの時である。
歴史に『もし』は愚かしい。しかし、もしこの二度のときに、陛下が決然と神にましましたら、
あのやうな虚しい悲劇は防がれ、このやうな虚しい幸福は防がれたであらう。
この二度のとき、この二度のとき、陛下は人間であらせられることにより、一度は軍の魂を
失はせ玉ひ、二度目は国の魂を失はせ玉うた。
御聖代は二つの色に染め分けられ、血みどろの色は敗戦に終り、ものうき灰いろはその日から
はじまつてゐる。御聖代が真に血にまみれたるは、兄神たちの至誠を見捨てたまうたその日に
はじまり、御聖代がうつろなる灰に充たされたるは、人間宣言を下されし日にはじまつた。
すべて過ぎ来しことを『架空なる観念』と呼びなし玉うた日にはじまつた。
われらの死の不滅は涜された。……

三島由紀夫「英霊の声」より
168名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 19:19:50.90
「ああ、ああ、嘆かはし、憤ろし」
「ああ」
「ああ」
「そもそも、綸言(りんげん)汗のごとし、とは、いづこの言葉でありますか」
「神なれば勅により死に、神なれば勅により軍を納める。そのお力は天皇おん個人の
お力にあらず、皇祖皇宗のお力でありますぞ」
「ああ」
「ああ」
「もしすぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため、何ゆゑ
陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉はざりしか」
「陛下がただ人間(ひと)と仰せ出されしとき
神のために死したる霊は名を剥脱せられ
祭らるべき社(やしろ)もなく
今もなほうつろなる胸より血潮を流し
神界にありながら安らひはあらず」

三島由紀夫「英霊の声」より
169名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 19:20:20.37
日本の敗れたるはよし
農地の改革せられたるはよし
社会主義的改革も行はるるがよし
わが祖国は敗れたれば
敗れたる負目を悉く肩に荷ふはよし
わが国民はよく負荷に耐へ
試練をくぐりてなほ力あり。
屈辱を嘗めしはよし、
抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし、
されど、ただ一つ、ただ一つ、
いかなる強制、いかなる弾圧、
いかなる死の脅迫ありとても、
陛下は人間(ひと)なりと仰せらるべからざりし。
世のそしり、人の侮りを受けつつ、
ただ陛下御一人(ごいちにん)、神として御身を保たせ玉ひ、
そを架空、そをいつはりとはゆめ宣(のたま)はず、
(たとひみ心の裡深く、さなりと思すとも)
祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに
宮中賢所のなほ奥深く
皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかづき、
神のおんために死したる者らの霊を祭りて
ただ斎き、ただ祈りてましまさば、
何ほどか尊かりしならん。
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
 などてすめろぎは人間となりたまひし。
  などてすめろぎは人間となりたまひし。

三島由紀夫41歳「英霊の声」より
170名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 10:25:54.85
自ら奏でる楽の音(ね)が、月影のやうに湖のお顔に注ぐと、きらめく漣のやうなその微笑が
現はれる。すべては音楽の霊妙な作用なんだ。水は音楽だ。だから彼女はそれを支配する。
人間の体は水でできてゐる。だから彼女はそれを支配して、それは音楽に変へてしまふ。
血は水でできてゐる。だからそれを支配して、血は音楽に変つてしまふ。


璃津子:このさき日本はどうなるのでせう。
経広:僕たちは、つてききたいのではない?
璃津子:その二つは同じことだわ。
経広:さうだね。同じことだ。
璃津子:お国の右の腕が痛むと
経広:僕たちの右腕も痛むのだ。そしてあの海のかなたへまで晴れやかにひろげられた
お国の裳裾が引き裂かれると
璃津子:私たちも引き裂かれるのだわ!
経広:その引き裂かれた絹の叫びが
璃津子:かうしてゐても海のむかうからきこえてくるわ。……もしかすると、日本は
負けるのではないかしら。
経広:それは世界が夜になることだ。この世でもつとも美しい優雅なものが土足に
かけられることになるのだよ。そんなことにさせてはいけない。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
171名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 10:26:23.31
経広:海が僕を惹き寄せる。何故だか知れない。絶望と栄光とが、押し寄せる海風のなかに
いつぱいに孕まれてゐる。かうして海から来る風に顔をさらしてゐると、絶望と栄光の砂金が
いつぱい詰つた袋で頬桁を張られてゐるやうな気がする。なぜ、又、いつから海が僕を
非難するやうになつたのか。
君にも話したね。中等科のころまでは、僕は新聞の貨物船の広告を見て夢を描くのが
大好きだつた。寄港地の名前はみな宛字の漢字で書いてあつた。新嘉坡(シンガポール)、
波斯湾(ペルシャわん)、亜歴山(アレクサンドリア)、……僕はそのへんな漢字の
どれもが読めるのが得意だつた。貨物船と近東風の月夜と、ペルシャ湾の毛足の長い
絨毯のやうな重い夕凪とが、海への僕の憧れのすべてだつた。それほどやさしい海が、
いつから僕の頬桁を張り、僕を非難するやうになつたのか。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
172名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 10:26:55.28
経広:わかつてゐる。海が死と絶望と栄光の金の食器を、敷きつめた青い波のテーブル・
クロースの上に満載して、僕の着席を待つて向うから、用意を整へ、しづしづと近づいて
来てからといふものだ。その食卓には今潮の中から引き揚げられたばかりの珊瑚が山と
積まれ、熱帯の積乱雲が飾り立てられてゐる。御紋章つきの金のコンポートには、
色さまざまな熱帯の果物が盛り上げられてゐる。そして僕がその一つを口に入れれば、
それは死なのだ。これほど飢ゑてゐながら、僕が食卓に就かないのを海は非難してゐる。
僕の飢ゑの烈しさを誰よりもよく知つてゐるのは、海だ、おそらく君よりも。
璃津子:女はみんな知つてゐるわ、どんな女でも、男の方のさういふ飢ゑを鎮めることは
できないのを。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
173名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 10:27:29.15
悲しみのあまりだつて? 人はさう言ふ。悲しみは慰められても、悲しみよりもつと遠くへ
行つた人間に、人の慰めなんぞが追ひつくものか。


生きてゐる間は若様でした。私は自分の卑しさのすべてをかけて、あの子を若様と呼びました。
……今はちがひます。あの子は死ぬと同時に、青い空の高みからまつしぐらに落ちてきて、
ここへ、ここへ、この血みどろの胎の中へ、もう一度戻つて来たのですわ。もう一度私の
賎しい温かい血と肉に包まれて、苦しい名誉や光栄に煩はされることのない、安らかな
眠りをたのしみに戻つて来たのですわ。今こそ私はもう一度、ここにあの子のすべてを
感じます。あの子の眼差、あの子の微笑、あの子のしつかりした手足をこの中に。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
174名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 17:20:23.88
経隆:経広はおそらく知つてゐたらう、自分の小さな死は無益(むやく)であり、たとへ
その死を何万と積み重ねても狂瀾を既倒に回(めぐ)らす由もないことを。しかし又
知つてゐたらう、このやうな御代に生き御代に死んで、すでに閉じられようとしてゐる
大きな金色の環へ鋳込まれて、永遠に歴史の中を輝やかしく廻転してゆくその環の一つの
粒子になることを。身を以て空にかけた悲しみの虹の、一つの微粒子になることを。
……どんな苦しい戦況であらうと、経広は男として満ち足りて死んだ筈だ。
おれい:まるでその場に居合はせたかのやうに。あの子の肌が割けた痛みの万分の一も
御存知でないあなたが。
経隆:苦しみをこえる矜りといふものがあるのだ。たとへば木は大地につながつてゐる。
それは苦しみだ。痛みだ。しかし梢にかかる白い雲は青空に属してゐる。私たちはその
美しい横雲と樹木とを、いつも一つの絵のなかに見るではないか。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
175名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 17:20:49.60
……しかし私が気が狂つてゐたとすると、それはどんな狂気だつたのだらう。果して
私自身の狂気だつたらうか。それともはるかかなたから、思召しによつて享けた狂気だつたか。
たとへ私が狂気だつたにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあつた。
狂気の核には水晶のやうな透明な誠があつた。


翼を切られても、鳥であることが私の狂気だつたから、その狂気によつてかるがると私は
飛んだ。……今はどうだ。お前は私が正気になつたといふかもしれない。私にはわからない。
自分が今なほ狂気か正気かといふことが、自分にはわからう筈がない。只一つわかることは、
その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具へてゐても、その正気は決して飛ばない
といふことだ。あたかも醜い駝鳥のやうに。私は知らず、少なくともお前たちみんなは
駝鳥になつたのだよ。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
176名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 10:08:27.08
光康:…もう時代は変つて、手袋を裏返しにしたやうに、すべては逆になつたのに。
経隆:写真の陰画が陽画になつただけかもしれない。絵はもともと一つなのだ。


海と雲とは一色(ひといろ)の重い苦患に融け合ひ、沖に泊つてゐる外国の船の白い船腹を、
苦痛にむきだした白い鮮やかな歯のやうに見せてゐる。日本の船はどこにも見えぬ。
日本の船は悉く沈んでしまつた。
経広があこがれたのは決してこんな海ではなかつた。ただあいつの死の刹那に、海が
青かつたことを私は祈る。あいつのためには、海は晴れやかに青く輝き、そこにこそ
誉れの火柱は高くあがり、若者のおびただしい血潮は、透かし見られる朱い珊瑚礁のやうに
亜熱帯の海を染めなした。あの島をめぐる海は、経広の最後の日に、雲の影一つないほど
晴れ渡つてゐたことを私は祈る。あいつは朱雀家の代々が使はなかつた黄金造りの太刀の、
明るい花やかな朱いろの下緒(さげを)のやうな死を選んだと思ひたい。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
177名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 10:08:56.12
なぜといへ、それを最後に、日本は敗れ、滅びたからだ。古いもの、優雅なもの、
潔らかなもの、雄々しいものは、悉く滅びたからだ。かつて気高く威光さかんであつた
一帝国は滅びたからだ。もつとも艶やかな経糸(たていと)と、もつとも勇ましい
緯糸(よこいと)とで織られてゐた、このたぐひまれな一枚の美しい織物は、血と火の
苦しみのうちに、涜され、踏みにじられ、つひには灰になつた。歴史の上で誰も二度と
ふたたび、同じ見事な織物を織り成すことはできまい。


すべては去つた。偉大な輝やかしい力も、誉れも、矜りも、人をして人たらしめる大義も
失はれた。この国のもつとも善いものは、焼けた樹々のやうに、黒く枯れ朽ちて、
死んでしまつた。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
178名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 10:09:46.41
雪がふつて来たな。
この浄らかな冷たさ、雪はすべてを和める力だが、それといふのも、すべての身を一様に
慄(ふる)へさすからだ。雪は女神に似てゐる。冷たく、美しく、矜り高く、残酷な
女神に似てゐる。その女神の冷たい嫉妬のおかげで、夏のかがやかしい日々は消されてしまつた。


璃津子:滅びなさい。滅びなさい! 今すぐこの場で滅びておしまひなさい。
経隆:(ゆつくり顔をあげ、璃津子を注視する。……間。)
どうして私が滅びることができる。夙うのむかしに滅んでゐる私が。

三島由紀夫42歳「朱雀家の滅亡」より
179名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 23:09:43.84
前景の兵隊はことごとく、軍帽から垂れた白い覆布と、肩から掛けた斜めの革紐を見せて
背を向け、きちんとした列を作らずに、乱れて、群がつて、うなだれてゐる。わづかに左隅の
前景の数人の兵士が、ルネサンス画中の人のやうに、こちらへ半ば暗い顔を向けてゐる。
そして、左奥には、野の果てまで巨大な半円をゑがく無数の兵士たち、もちろん一人一人と
識別もできぬほどの夥しい人数が、木の間に遠く群がつてつづいてゐる。
前景の兵士たちも、後景の兵士たちも、ふしぎな沈んだ微光に犯され、脚絆や長靴の輪郭を
しらじらと光らせ、うつむいた項や肩の線を光らせてゐる。画面いつぱいに、何とも云へない
沈痛の気が漲つてゐるのはそのためである。
すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向つて、波のやうに押し寄せる心を
捧げてゐるのだ。野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思ひが、
中央へ向つて、その重い鉄のやうな巨大な環を徐々にしめつけてゐる。……
古びた、セピアいろの写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないやうに思はれた。

三島由紀夫「春の雪」より
180名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 23:10:09.27
女がとんだあばずれと知つたのちに、そこで自分の純潔の心象が世界を好き勝手に描いて
ゐただけだと知つたのちに、もう一度同じ女に、清らかな恋心を味はふことができるだらうか? 
できたら、すばらしいと思はんかね? 自分の心の本質と世界の本質を、そこまで鞏固に
結び合せることができたら、すばらしいと思はないか? それは世界の秘密の鍵を、
この手に握つたといふことぢやないだらうか?


歌留多(カルタ)の札の一枚がなくなつてさへ、この世界の秩序には、何かとりかへしの
つかない罅(ひび)が入る。とりわけ清顕は、或る秩序の一部の小さな喪失が、丁度時計の
小さな歯車が欠けたやうに、秩序全体を動かない靄のうちに閉じ込めてしまふのが怖ろしかつた。
なくなつた一枚の歌留多の探索が、どれほどわれわれの精力を費させ、つひには、
失はれた札ばかりか、歌留多そのものを、あたかも王冠の争奪のやうな世界の一大緊急事に
してしまふことだらう。彼の感情はどうしてもさういふ風に動き、彼にはそれに抵抗する術が
なかつたのである。

三島由紀夫「春の雪」より
181名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 23:10:42.02
夢のふしぎで、そんなに遠く、しかも夜だといふのに、金と朱のこまかい浮彫の一つ一つまでが、
つぶさに目に泛ぶのです。
僕はクリにその話をして、お寺が日本まで追ひかけてくるのは別の思ひ出でせう、と笑ふのです。
そのたびに僕は怒りましたが、今では少しクリに同感する気になつてゐます。
なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつて
われわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、
いづれも手で触れることのできない点で共通してゐます。手で触れることのできたものから、
一歩遠ざかると、もうそれは神聖なものになり、奇蹟になり、ありえないやうな美しい
ものになる。事物にはすべて神聖さが具はつてゐるのに、われわれの指が触れるから、
それは汚濁になつてしまふ。われわれ人間はふしぎな存在ですね。指で触れるかぎりのものを
涜(けが)し、しかも自分のなかには、神聖なものになりうる素質を持つてゐるんですから。

三島由紀夫「春の雪」より
182名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 23:11:08.24
夢とちがつて、現実は何といふ可塑性を欠いた素材であらう。おぼろげに漂ふ感覚ではなくて、
一顆の黒い丸薬のやうな、小気味よく凝縮され、ただちに効力を発揮する、さういふ思考を
わがものにしなくてはならないのだ。


法律学とは、まことにふしぎな学問だつた! それは日常些末の行動まで、洩れなく
すくひ上げる細かい網目であると同時に、果ては星空や太陽の運行にまでむかしから
その大まかな網目をひろげてきた、考へられるかぎり貪欲な漁夫の仕事であつた。


何故時代は下つて今のやうになつたのでせう。何故力と若さと野心と素朴が衰へ、
このやうな情ない世になつたのでせう。


一瞬の躊躇が、人のその後の生き方をすつかり変へてしまふことがあるものだ。その一瞬は
多分白紙の鋭い折れ目のやうになつてゐて、躊躇が人を永久に包み込んで、今までの紙の表へ
出られぬやうになつてしまふのにちがひない。

三島由紀夫「春の雪」より
183名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 23:26:39.29
あたかも俥は、邸の多い霞町の坂の上の、一つの崖ぞひの空地から、麻布三聨隊の営庭を
見渡すところへかかつてゐた。いちめんの白い営庭には兵隊の姿もなかつたが、突然、
清顕はそこに、例の日露戦没写真集の、得利寺附近の戦死者の弔辞の幻を見た。
数千の兵士がそこに群がり、白木の墓標と白布をひるがへした祭壇を遠巻きにして
うなだれてゐる。あの写真とはちがつて、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽の庇は
ことごとく白く染められてゐる。それは実は、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に
清顕は思つた。あそこに群がつた数千の兵士は、ただ戦友の弔辞のために集つたのではなくて、
自分たち自身を弔ふためにうなだれてゐるのだ。……
幻はたちまち消え、移る景色は、高い塀のうちに、大松の雪吊りの新しい縄の鮮やかな麦色に
雪が危ふく懸つてゐるさま、ひたと締めた総二階の磨硝子の窓がほのかに昼の灯火を
にじませてゐるさま、などを次々と雪ごしに示した。

三島由紀夫「春の雪」より
184名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 23:27:16.57
百年たつたらどうなんだ。われわれは否応なしに、一つの時代思潮の中へ組み込まれて、
眺められる他はないだらう。美術史の各時代の様式のちがひが、それを容赦なく証明してゐる。
一つの時代の様式の中に住んでゐるとき、誰もその様式をとほしてでなくては物を見ることが
できないんだ。


様式のなかに住んでゐる人間には、その様式が決して目に見えないんだ。だから俺たちも
何かの様式に包み込まれてゐるにちがひないんだよ。金魚が金魚鉢の中に住んでゐることを
自分でも知らないやうに。


貴様は感情の世界だけに生きてゐる。人から見れば変つてゐるし、貴様自身も自分の個性に
忠実に生きてゐると思つてゐるだらう。しかし貴様の個性を証明するものは何もない。
同時代人の証言はひとつもあてにならない。もしかすると貴様の感情の世界そのものが、
時代の様式の一番純粋な形をあらはしてゐるのかもしれないんだ。……でも、それを
証明するものも亦一つもない。

三島由紀夫「春の雪」より
185名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 23:27:43.77
ナポレオンの意志が歴史を動かしたといふ風に、すぐに西洋人は考へたがる。貴様の
おぢいさんたちの意志が、明治維新をつくり出したといふ風に。
しかし果してさうだらうか? 歴史は一度でも人間の意志どほりに動いたらうか?


たとへば俺が意志を持つてゐるとする……それも歴史を変へようとする意志を持つてゐるとする。
俺の一生をかけて、全精力全財産を費して、自分の意志どほりに歴史をねぢ曲げようと努力する。
又、さうできるだけの地位や権力を得ようとし、それを手に入れたとする。それでも歴史は
思ふままの枝ぶりになつてくれるとは限らないんだ。
百年、二百年、あるひは三百年後に、急に歴史は、俺とは全く関係なく、正に俺の夢、理想、
意志どほりの姿をとるかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとほりの形を
とるかもしれない。俺の目が美しいと思ふかぎりの美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、
俺の意志を嘲るかのやうに。
それが歴史といふものだ、と人は言ふだらう。

三島由紀夫「春の雪」より
186名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 23:28:09.42
俺が思ふには、歴史には意志がなく、俺の意志とは又全く関係がない。だから何の意志からも
生れ出たわけではないさういふ結果は、決して『成就』とは言へないんだ。それが証拠に、
歴史のみせかけの成就は、次の瞬間からもう崩壊しはじめる。
歴史はいつも崩壊する。又次の徒(あだ)な結晶を準備するために。歴史の形成と崩壊とは
同じ意味をしか持たないかのやうだ。
俺にはそんなことはよくわかつてゐる。わかつてゐるけれど、俺は貴様とちがつて、
意志の人間であることをやめられないんだ。意志と云つたつて、それはあるひは俺の
強ひられた性格の一部かもしれない。確としたことは誰にも言へない。しかし人間の意志が、
本質的に『歴史に関はらうとする意志』だといふことは云へさうだ。俺はそれが『歴史に
関はる意志』だと云つてゐるのではない。意志が歴史に関はるといふことは、ほとんど
不可能だし、ただ『関はらうとする』だけなんだ。それが又、あらゆる意志にそなはる
宿命なのだ。意志はもちろん、一切の宿命をみとめようとはしないけれども。

三島由紀夫「春の雪」より
187名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 17:47:28.60
聡子と自分が、これ以上何もねがはないやうな一瞬の至福の裡にあることを確かめたかつた。
少しでも聡子が気乗りのしない様子を見せれば、それは叶はなかつた。彼は妻が自分と同じ夢を
見なかつたと云つて咎め立てする、嫉妬深い良人のやうだつた。
拒みながら彼の腕のなかで目を閉ぢる聡子の美しさは喩へん方なかつた。微妙な線ばかりで
形づくられたその顔は、端正でゐながら何かしら放恣なものに充ちてゐた。その唇の片端が、
こころもち持ち上つたのが、歔欷(きよき)のためか微笑のためか、彼は夕明りの中に
たしかめようと焦つたが、今は彼女の鼻翼のかげりまでが、夕闇のすばやい兆のやうに
思はれた。清顕は髪に半ば隠れてゐる聡子の耳を見た。耳朶にはほのかな紅があつたが、
耳は実に精緻な形をしてゐて、一つの夢のなかの、ごく小さな仏像を奥に納めた小さな珊瑚の
龕のやうだつた。すでに夕闇が深く領してゐるその耳の奥底には、何か神秘なものがあつた。
その奥にあるのは聡子の心だらうか? 心はそれとも、彼女のうすくあいた唇の、潤んで
きらめく歯の奥にあるのだらうか?

三島由紀夫「春の雪」より
188名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 17:48:11.61
清顕はどうやつて聡子の内部へ到達できるかと思ひ悩んだ。聡子はそれ以上自分の顔が
見られることを避けるやうに、顔を自分のはうから急激に寄せてきて接吻した。清顕は
片手をまはしてゐる彼女の腰のあたりの、温かさを指尖に感じ、あたかも花々が腐つてゐる
室のやうなその温かさの中に、鼻を埋めてその匂ひをかぎ、窒息してしまつたらどんなに
よからうと想像した。聡子は一語も発しなかつたが、清顕は自分の幻が、もう一寸のところで、
完全な美の均整へ達しようとしてゐるのをつぶさに見てゐた。
唇を離した聡子の大きな髪が、じつと清顕の制服の胸に埋められたので、彼はその髪油の香りの
立ち迷ふなかに、幕の彼方にみえる遠い桜が、銀を帯びてゐるのを眺め、憂はしい髪油の匂ひと
夕桜の匂ひとを同じもののやうに感じた。夕あかりの前に、こまかく重なり、けば立つた
羊毛のやうに密集してゐる遠い桜は、その銀灰色にちかい粉つぽい白の下に、底深く
ほのかな不吉な紅、あたかも死化粧のやうな紅を蔵(かく)してゐた。

三島由紀夫「春の雪」より
189名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 17:48:44.92
貧しい想像力の持主は、現実の事象から素直に自分の判断の糧を引出すものであるが、
却つて想像力のゆたかな人ほど、そこにたちまち想像の城を築いて立てこもり、窓といふ窓を
閉めてしまふやうになる傾きを、清顕も亦持つてゐた。


聡子はそのころふさふさと長い黒いお河童頭にしてゐた。かがみ込んで巻物を書いてゐるとき、
熱心のあまり、肩から前へ雪崩れ落ちる夥しい黒髪にもかまはず、その小さな細い指を
しつかりと筆にからませてゐたが、その髪の割れ目からのぞかれる、愛らしい一心不乱の横顔、
下唇をむざんに噛みしめた小さく光る怜悧な前歯、幼女ながらにすでにくつきりと遠つた
鼻筋などを、清顕は飽かず眺めてゐたものだ。それから憂はしい暗い墨の匂ひ、紙を走る筆が
かすれるときの笹の葉裏を通ふ風のやうなその音、硯(すずり)の海と岡といふふしぎな名称、
波一つ立たないその汀から急速に深まる海底は見えず、黒く澱んで、墨の金箔が剥がれて
散らばつたのが、月影の散光のやうに見える永遠の夜の海……。

三島由紀夫「春の雪」より
190名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 17:49:07.27
われわれは恋しい人を目の前にしてさへ、その姿形と心とをばらばらに考へるほど愚かなのだから、
今僕は彼女の実在と離れてゐても、逢つてゐるときよりも却つて一つの結晶を成した月光姫を
見てゐるのかもしれないのだ。別れてゐることが苦痛なら、逢つてゐることも苦痛でありうるし、
逢つてゐることが歓びならば、別れてゐることも歓びであつてならぬといふ道理はない。
さうでせう? 松枝君。僕は、恋するといふことが時間と空間を魔術のやうにくぐり抜ける秘密が
どこにあるか探つてみたいんです。その人を前にしてさへ、その人の実在を恋してゐるとは
限らないのですから、しかも、その人の美しい姿形は、実在の不可欠の形式のやうに
思はれるのですから、時間と空間を隔てれば、二重に惑はされることにもなりうる代りに、
二倍も実在に近づくことにもなりうる。……


優雅といふものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を。

三島由紀夫「春の雪」より
191名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 16:21:09.22
彼はまぎれもなく恋してゐた。だから膝を進めて聡子の肩へ手をかけた。その肩は頑なに拒んだ。
この拒絶の手ごたへを、彼はどんなに愛したらう。大がかりな、式典風な、われわれの
住んでゐる世界と大きさを等しくするやうなその壮大な拒絶。このやさしい肉慾にみちた肩に
のしかかる、勅許の重みをかけて抗(はむか)つてくる拒絶。これこそ彼の手に熱を与へ、
彼の心を焼き滅ぼすあらたかな拒絶だつた。聡子の庇髪の正しい櫛目のなかには、香気に
みちた漆黒の照りが、髪の根にまで届いてゐて、彼はちらとそれをのぞいたとき、月夜の森へ
迷ひ込むやうな心地がした。
清顕は手巾から洩れてゐる濡れた頬に顔を近づけた。無言で拒む頬は左右に揺れたが、
その揺れ方はあまりに無心で、拒みは彼女の心よりもずつと遠いところから来るのが知れた。
清顕は手巾を押しのけて接吻しようとしたが、かつて雪の朝あのやうに求めてゐた唇は、
今は一途に拒み、拒んだ末に、首をそむけて、小鳥が眠る姿のやうに、自分の着物の襟に
しつかりと唇を押しつけて動かなくなつた。

三島由紀夫「春の雪」より
192名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 16:21:33.40
雨の音がきびしくなつた。清顕は女の体を抱きながら、その堅固を目で測つた。夏薊の
縫取のある半襟の、きちんとした襟の合せ目は、肌のわづかな逆山形をのこして、神殿の
扉のやうに正しく閉ざされ、胸高に〆めた冷たく固い丸帯の中央に、金の帯留を釘隠しの
鋲のやうに光らせてゐた。しかし彼女の八つ口や袖口からは、肉の熱い微風がさまよひ出て
ゐるのが感じられた。その微風は清顕の頬にかかつた。
彼は片手を聡子の背から外し、彼女の顎をしつかりとつかんだ。顎は清顕の指のなかに
小さな象牙の駒のやうに納まつた。涙に濡れたまま、美しい鼻翼は羽搏いてゐた。そして
清顕は、したたかに唇を重ねることができた。
急に聡子の中で、炉の戸がひらかれたやうに火勢が増して、ふしぎな焔が立上つて、双の手が
自由になつて、清顕の頬を押へた。その手は清顕の頬を押し戻さうとし、その唇は押し
戻される清顕の唇から離れなかつた。濡れた唇が彼女の拒みの余波で左右に動き、清顕の唇は
その絶妙のなめらかさに酔うた。それによつて、堅固な世界は、紅茶に涵された一顆の
角砂糖のやうに融けてしまつた。そこから果てしれぬ甘美と融解がはじまつた。

三島由紀夫「春の雪」より
193名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 16:22:06.02
あの花々しい戦争の時代は終つてしまつた。戦争の昔話は、監武課の生き残りの功名話や、
田舎の炉端の自慢話に堕してしまつた。もう若い者が戦場へ行つて戦死することは
たんとはあるまい。
しかし行為の戦争がをはつてから、その代りに、今、感情の戦争の時代がはじまつたんだ。
この見えない戦争は、鈍感な奴にはまるで感じられないし、そんなものがあることさへ
信じられないだらうと思ふ。だが、たしかに、この戦争がはじまつてをり、この戦争のために
特に選ばれた若者たちが、戦ひはじめてゐるにちがひない。貴様はたしかにその一人だ。
行為の戦場と同じやうに、やはり若い者が、その感情の戦場で戦死してゆくのだと思ふ。
それがおそらく、貴様をその代表とする、われわれの時代の運命なんだ。……それで貴様は、
その新らしい戦争で戦死する覚悟を固めたわけだ。さうだらう?

三島由紀夫「春の雪」より
194名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 16:22:22.68
繁邦は思つてゐた。人間の情熱は、一旦その法則に従つて動きだしたら、誰もそれを
止めることはできない、と。それは人間の理性と良心を自明の前提としてゐる近代法では、
決して受け入れられぬ理論だつた。
一方、繁邦はかうも思つてゐた。はじめ自分に無縁なものと考へて傍聴しはじめた裁判が、
今はたしかに無縁なものではなくなつた代りに、増田とみが目の前で吹き上げた赤い
熔岩のやうな情念とは、つひに触れ合はない自分を、発見するよすがにもなつた、と。
雨のまま明るくなつた空は、雲が一部分だけ切れて、なほふりつづく雨を、つかのまの
孤雨に変へてゐた。窓硝子の雨滴を一せいにかがやかす光りが、幻のやうにさした。
本多は自分の理性がいつもそのやうな光りであることを望んだが、熱い闇にいつも
惹かれがちな心性をも、捨てることはできなかつた。しかしその熱い闇はただ魅惑だつた。
他の何ものでもない、魅惑だつた。清顕も魅惑だつた。そしてこの生を奥底のはうから
ゆるがす魅惑は、実は必ず、生ではなく、運命につながつてゐた。

三島由紀夫「春の雪」より
195名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 11:22:22.75
海はすぐそこで終る。これほど遍満した海、これほど力にあふれた海が、すぐ目の前で
をはるのだ。時間にとつても、空間にとつても、境界に立つてゐることほど、神秘な感じの
するものはない。海と陸とのこれほど壮大な境界に身を置く思ひは、あたかも一つの時代から
一つの時代へ移る、巨きな歴史的瞬間に立会つてゐるやうな気がするではないか。そして本多と
清顕が生きてゐる現代も、一つの潮の退き際、一つの波打際、一つの境界に他ならなかつた。
……海はすぐその目の前で終る。
波の果てを見てゐれば、それがいかに長いはてしない努力の末に、今そこであへなく
終つたかがわかる。そこで世界をめぐる全海洋的規模の、一つの雄大きはまる企図が徒労に
終るのだ。
……しかし、それにしても、何となごやかな、心やさしい挫折だらう。波の最後の
余波(なごり)の小さな笹縁は、たちまちその感情の乱れを失つて、濡れた平らな砂の鏡面と
一体化して、淡い泡沫ばかりになるころには、身はあらかた海の裡へ退いてゐる。

三島由紀夫「春の雪」より
196名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 11:22:36.38
あの橄欖(オリーブ)いろのなめらかな腹を見せて砕ける波は、擾乱であり、怒号で
あつたものが、次第に怒号は、ただの叫びに、叫びはいづれ囁きに変つてしまふ。大きな
白い奔馬は、小さな白い奔馬になり、やがてその逞しい横隊の馬身は消え去つて、最後に
蹴立てる白い蹄だけが渚に残る。


退いてゆく波の彼方、幾重にもこちらへこちらへと折り重つてくる波の一つとして、白い
なめらかな背(せびら)を向けてゐるものはない。みんなが一せいにこちらを目ざし、
一せいに歯噛みをしてゐる。しかし沖へ沖へと目を馳せると、今まで力づよく見えてゐた渚の
波も、実は稀薄な衰へた拡がりの末としか思はれなくなる。次第次第に、沖へ向つて、
海は濃厚になり、波打際の海の稀薄な成分は濃縮され、だんだんに圧搾され、濃緑色の
水平線にいたつて、無限に煮つめられた青が、ひとつの硬い結晶に達してゐる。距離と
ひろがりを装ひながら、その結晶こそは海の本質なのだ。この稀いあわただしい波の重複の
はてに、かの青く凝結したもの、それこそは海なのだ。……

三島由紀夫「春の雪」より
197名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 11:22:57.57
本多は、頭のよい青年の逸り気から、やや軽んずるやうな口調で断定した。
「それは生れ変りの問題とはちがひます」
「なぜちがふ」とジャオ・ピーは穏やかに言つた。「一つの思想が、ちがふ個体の中へ、
時を隔てて受け継がれてゆくのは、君も認めるでせう。それなら又、同じ個体が、別々の
思想の中へ時を隔てて受け継がれてゆくとしても、ふしぎではないでせう」
「猫と人間が同じ個体ですか? さつきのお話の、人間と白鳥と鶉と鹿が」
「生れ変りの考へは、それを同じ個体と呼ぶんです。肉体が連続しなくても、妄念が
連続するなら、同じ個体と考へて差支へがありません。個体と云はずに、『一つの生の流れ』と
呼んだらいいかもしれない。
僕はあの思ひ出深いエメラルドの指環を失つた。指環は生き物ではないから、生れ変りはすまい。
でも、喪失といふことは何かですよ。それが僕には、出現のそもそもの根拠のやうに思へるのだ。
指環はいつか又、緑いろの星のやうに、夜空のどこかに現はれるだらう」

三島由紀夫「春の雪」より
198名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 11:23:18.53
本多はその言葉を聴き流しながら、さつきジャオ・ピーが言つたふしぎな逆説について思ひに
耽つてゐた。たしかに人間を個体と考へず、一つの生の流れととらへる考へ方はありうる。
静的な存在として考へず、流動する存在としてつかまへる考へ方はありうる。そのとき
王子が言つたやうに、一つの思想が別々の「生の流れ」の中に受けつがれるのと、一つの「生の流れ」が別々の
思想の中に受けつがれるのとは、同じことになつてしまふ。生と思想とは同一化されてしまふ
からだ。そしてそのやうな、生と思想が同一のものであるやうな哲学をおしひろげれば、
無数の生の流れを統括する生の大きな潮の連鎖、人が「輪廻」と呼ぶものも、一つの思想で
ありうるかもしれないのだ。……


それは正しく琴だつた! かれらは槽の中へまぎれ込んだ四粒の砂であり、そこは
果てしのない闇の世界であつたが、槽の外には光りかがやく世界があつて、竜角から雲角まで
十三弦の弦が張られ、たとしへもなく白い指が来てこれに触れると、星の悠々たる運行の音楽が、
琴をとどろかして、底の四粒の砂をゆすぶるのだつた。

三島由紀夫「春の雪」より
199名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 17:58:53.72
……いつか時期がまゐります。それもそんなに遠くはないいつか。そのとき、お約束しても
よろしいけれど、私は未練を見せないつもりでをります。こんなに生きることの有難さを
知つた以上、それをいつまでも貪るつもりはございません。どんな夢にもをはりがあり、
永遠なものは何もないのに、それを自分の権利と思ふのは愚かではございませんか。
私はあの『新しき女』などとはちがひます。……でも、もし永遠があるとすれば、それは
今だけなのでございますわ。


清顕は皆に背を向けて、夕空にゆらめき出す煙のあとを追ひながら、沖の雲の形が崩れて
おぼろげなのが、なほ一面ほのかな黄薔薇の色に染つてゐるのを見た。そこにも彼は聡子の影を
感じた。聡子の影と匂ひはあらゆるものにしみ入り、自然のどんな微妙な変様も聡子と
無縁ではなかつた。ふと風が止んで、なまあたたかい夏の夕方の大気が肌に触れると、
そのとき裸の聡子の肌がそこに立ち迷つて、ぢかに清顕の肌に触れるやうな気がした。
少しづつ暮れてゆく合歓(ねむ)の樹の、緑の羽毛を重ねたやうな木蔭にさへ、聡子の断片が
漂つてゐた。

三島由紀夫「春の雪」より
200名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 17:59:13.42
「君はのちのちすべてを忘れる決心がついてゐるんだね」
「ええ。どういふ形でか、それはまだわかりませんけれど。私たちの歩いてゐる道は、
道ではなくて桟橋ですから、どこかでそれが終つて、海がはじめるのは仕方がございませんわ」


彼はかねて学んだ優雅が、血みどろの実質を秘めてゐるのを知りつつあつた。いちばんたやすい
解決は二人の相対の死にちがひないが、それにはもつと苦悩が要る筈で、かういふ忍び逢ひの、
すぎ去つてゆく一瞬一瞬にすら、清顕は、犯せば犯すほど無限に深まつてゆく禁忌の、
決して到達することのない遠い金鈴の音のやうなものに聞き惚れてゐた。罪を犯せば犯すほど、
罪から遠ざかつてゆくやうな心地がする。……最後にはすべてが、大がかりな欺瞞で終る。
それを思ふと彼は慄然とした。
「かうして御一緒に歩いてゐても、お仕合せさうには見えないのね。私は今の刹那刹那の
仕合せを大事に味はつてをりますのに。……もうお飽きになつたのではなくて?」
と聡子はいつものさはやかな声で、平静に怨じた。
「あんまり好きだから、仕合せを通り過ぎてしまつたのだ」
と清顕は重々しく言つた。

三島由紀夫「春の雪」より
201名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 19:18:14.88
落着き払つたこの老女の、この世に安全なものなどはないといふ哲学は、そもそも保身の
自戒であつた筈が、それがそのまま自分の身の安全をも捨てさせ、その哲学自体を、冒険の
口実にしてしまつたのは、何に拠るのだらう。蓼科はいつのまにか、一つの説明しがたい快さの
虜になつてゐた。自分の手引で、若い美しい二人を逢はせてやることが、そして彼らの
望みのない恋の燃え募るさまを眺めてゐることが、蓼科にはしらずしらず、どんな危険と
引きかへにしてもよい痛烈な快さになつてゐた。
この快さの中では、美しい若い肉の融和そのものが、何か神聖で、何か途方もない正義に
叶つてゐるやうに感じられた。
二人が相会ふときの目のかがやき、二人が近づくときの胸のときめき、それらは蓼科の
冷え切つた心を温めるための煖炉であるから、彼女は自分のために火種を絶やさぬやうになつた。
相見る寸前までの憂ひにやつれた頬が、相手の姿をみとめるやいなや、六月の麦の穂よりも
輝やかしくなる。……その瞬間は、足萎えも立ち、盲らも目をひらくやうな奇蹟に充ちてゐた。

三島由紀夫「春の雪」より
202名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 19:18:51.97
実際蓼科の役目は聡子を悪から護ることにあつた筈だが、燃えてゐるものは悪ではない、
歌になるものは悪ではない、といふ訓(をし)へは綾倉家の伝承する遠い優雅のなかに
ほのめかされてゐたのではなかつたか?
それでゐて蓼科は、何事かをじつと待つてゐた。放し飼の小鳥を捕へて籠へ戻す機会を
待つてゐたとも云へようが、この期待には何か不吉で血みどろなものがあつた。蓼科は毎朝
念入りに京風の厚化粧をし、目の下の波立つ皺を白粉に隠し、唇の皺を玉虫色の京紅の照りで
隠した。さうしてゐながら、鏡の中のわが顔を避け、中空へ問ふやうなどす黒い視線を放つた。
秋の遠い空の光りは、その目に澄んだ点滴を落した。しかも未来はその奥から何ものかに
渇いてゐる顔をのぞかせてゐた。……蓼科は出来上つた自分の化粧をしらべ直すために、
ふだんは使はない老眼鏡をとりだして、そのかぼそい金の蔓を耳にかけた。すると老いた
真白な耳朶が、たちまち蔓の突端に刺されて火照つた。……

三島由紀夫「春の雪」より
203名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 19:19:15.55
聡子は意外なことを言つた。
「私は牢に入りたいのです」
蓼科は緊張が解けて、笑ひだした。
「お子達のやうなことを仰言つて! それは又何故でございます」
「女の囚人はどんな着物を着るのでせうか。さうなつても清様が好いて下さるかどうかを
知りたいの」
――聡子がこんな理不尽なことを言ひ出したとき、涙どころか、その目を激しい喜びが
横切るのを見て、蓼科は戦慄した。
この二人の女が、身分のちがひもものかは、心に強く念じてゐたのは、同じ力の、同じたぐひの
勇気だつたにちがひない。欺瞞のためにも、真実のためにも、これほど等量等質の勇気が
求められてゐる時はなかつた。
蓼科は自分と聡子が、流れを遡らうとする舟と流れとの力が丁度拮抗して、舟がしばらく
一つところにとどまつてゐるやうに、現在の瞬間瞬間、もどかしいほど親密に結びつけられて
ゐるのを感じた。又、二人は同じ歓びをお互ひに理解してゐた。近づく嵐をのがれて頭上に
迫つてくる群鳥の羽搏きにも似た歓びの羽音を。

三島由紀夫「春の雪」より
204名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 09:39:33.77
昭和のライブドア事件と呼ばれている「光クラブ事件」をモチーフにした
青の時代が好きだ。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 11:02:18.48
大きな鉛筆のおもちゃのエピソードが物悲しくて印象深いね。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 16:59:11.61
「ぢやあ、気をつけて」
と言つた。言葉にも軽い弾みを持たせ、その弾みを動作にも移して、聡子の肩に手を置かうと
思へば置くこともできさうだつた。しかし、彼の手は痺れたやうになつて動かなかつた。
そのとき正(まさ)しく清顕を見つめてゐる聡子の目に出会つたからである。
その美しい大きい目はたしかに潤んでゐたが、清顕がそれまで怖れてゐた涙はその潤みから
遠かつた。涙は、生きたまま寸断されてゐた。溺れる人が救ひを求めるやうに、まつしぐらに
襲ひかかつて来るその目である。清顕は思はずひるんだ。聡子の長い美しい睫は、植物が
苞をひらくやうに、みな外側へ弾け出て見えた。
「清様もお元気で。……ごきげんよう」
と聡子は端正な口調で一気に言つた。
清顕は追はれるやうに汽車を降りた。折しも腰に短剣を吊り五つ釦の黒い制服を着た駅長が、
手をあげるのを合図にして、ふたたび車掌の吹き鳴らす呼笛がきこえた。
かたはらに立つ山田を憚りながら、清顕は心に聡子の名を呼びつづけた。汽車が軽い
身じろぎをして、目の前の糸巻の糸が解(ほど)けたやうに動きだした。

三島由紀夫「春の雪」より
207名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 16:59:29.86
「お髪を下ろしたのね」
と夫人は、娘の体を掻き抱くやうにして言つた。
「お母さん、他に仕様はございませんでした」
とはじめて母へ目を向けて聡子は言つたが、その瞳には小さく蝋燭の焔が揺れてゐるのに、
その目の白いところには、暁の白光がすでに映つてゐた。夫人は娘の目の中から射し出た
このやうな怖ろしい曙を見たことはない。聡子が指にからませてゐる水晶の数珠の一顆一顆も、
聡子の目の裡と同じ白みゆく光りを宿し、これらの、意志の極みに意志を喪つたやうな幾多の
すずしい顆粒の一つ一つから、一せいに曙がにじみ出してゐた。


聡子は目を閉ぢつづけてゐる。朝の御堂の冷たさは氷室のやうである。自分は漂つてゆくが、
自分の身のまはりには清らかな氷が張りつめてゐる。たちまち庭の百舌がけたたましく啼き、
この氷には稲妻のやうな亀裂が走つたが、次には又その亀裂は合して、無瑕になつた。
剃刀は聡子の頭を綿密に動いてゐる。ある時は、小動物の鋭い小さな白い門歯が齧るやうに、
ある時はのどかな草食獣のおとなしい臼歯の咀嚼のやうに。

三島由紀夫「春の雪」より
208名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 16:59:58.25
髪の一束一束が落ちるにつれ、頭部には聡子が生れてこのかた一度も知らない澄みやかな
冷たさがしみ入つた。自分と宇宙との間を隔ててゐたあの熱い、煩悩の鬱気に充ちた黒髪が
剃り取られるにつれて、頭蓋のまはりには、誰も指一つ触れたことのない、新鮮で冷たい
清浄の世界がひらけた。剃られた肌がひろがり、あたかも薄荷を塗つたやうな鋭い寒さの
部分がひろがるほどに。
頭の冷気は、たとへば月のやうな死んだ天体の肌が、ぢかに宇宙のかう気に接してゐる感じは
かうもあらうかと思はれた。髪は現世そのもののやうに、次々と頽落した。頽落して無限に
遠くなつた。
髪は何ものかにとつての収穫(とりいれ)だつた。むせるやうな夏の光りを、いつぱい
その中に含んでゐた黒髪は、刈り取られて聡子の外側へ落ちた。しかしそれは無駄な収穫だつた。
あれほど艶やかだつた黒髪も、身から離れた刹那に、醜い髪の骸(むくろ)になつたからだ。
かつて彼女の肉に属し、彼女の内部と美的な関はりがあつたものが残らず外側へ捨て去られ、
人間の体から手が落ち足が落ちてゆくやうに、聡子の現世は剥離してゆく。……

三島由紀夫「春の雪」より
209名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 18:02:22.41
大藪春彦の作品にあこがれていたらしいね。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:08:39.38
>>209
あこがれというか愛読書だったようですね。
211名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:09:13.59
ああ……「僕の年」が過ぎてゆく! 過ぎてゆく! 一つの雲のうつろひと共に。


すべてが辛く当る。僕はもう陶酔の道具を失くしてしまつた。物凄い明晰さ、爪先で弾けば
全天空が繊細な玻璃質の共鳴で応じるやうな、物凄い明晰さが、今世界を支配してゐる。
……しかも、寂寥は熱い。何度も吹かなければ口へ入れられない熱い澱んだスープのやうに熱く、
いつも僕の目の前に置かれてゐる。その厚手の白いスープ皿の、蒲団のやうな汚れた鈍感な
厚味と来たら! 誰が僕のためにこんなスープを注文したのか?
僕は一人取り残されてゐる。愛慾の渇き。運命への呪ひ。はてしれない心の彷徨。あてどない
心の願望。……小さな自己陶酔。小さな自己弁護。小さな自己偽瞞。……失はれた時と、
失はれた物への、炎のやうに身を灼く未練。年齢の空しい推移。青春の情ない閑日月。
人生から何の結実も得ないこの憤ろしさ。……一人の部屋。一人の夜々。……世界と
人間とからのこの絶望的な隔たり。……叫び。きかれない叫び。……外面の花やかさ。
……空つぽの高貴。……
……それが僕だ!

三島由紀夫「春の雪」より
212名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:09:46.74
――さうして、寝苦しい夜をすごして、二十六日の朝になつた。
この日、大和平野には、黄ばんだ芒野に風花が舞つてゐた。春の雪といふにはあまりに淡くて、
羽虫が飛ぶやうな降りざまであつたが、空が曇つてゐるあひだは空の色に紛れ、かすかに
弱日が射すと、却つてそれがちらつく粉雪であることがわかつた。寒気は、まともに雪の
降る日よりもはるかに厳しかつた。
清顕は枕に頭を委ねたまま、聡子に示すことのできる自分の至上の誠について考へてゐた。


本多は、決して襖一重といふほどの近さではないが、遠からぬところ、廊下の片隅から一間を
隔てた部屋かと思はれるあたりで、幽かに紅梅の花のひらくやうな忍び笑ひをきいたと思つた。
しかしすぐそれは思ひ返されて、若い女の忍び笑ひときかれたものは、もし本多の耳の迷ひで
なければ、たしかにこの春寒の空気を伝はる忍び泣きにちがひないと思はれた。強ひて抑へた
嗚咽の伝はるより早く、弦が断たれたやうに、嗚咽の絶たれた余韻がほの暗く伝はつた。


今、夢を見てゐた。又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で。

三島由紀夫41歳「春の雪」より
213名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 13:39:03.48
「文は人なり」とは、まことに怖ろしい格言です。


五十歳にもなれば、人生は、性欲とお金だけで、「純粋な心の問題」は、それが満たされた
あとでなくては現はれるはずもないのです。


ところどころ、何のことかわからないことを入れるのが、ファン・レターの秘訣です。


本当に「おはやう」といふのにふさはしい唇を持つた若い女性は、人の目をさまさせますよ。


私は結婚しても、あの手紙だけはとつておきたいやうな気がするの。
「おはなはん」ぢやないけれど、三十年たち、四十年たつて、自分の若いころの魅力的な姿を
思ひ出すには、やつぱりどんなよく撮れた写真よりも、他人の言葉のはうがリアリティが
あるにちがひないから。


そもそも、助け合ひなどといふことは貧乏人のすることで、その結果生まれる裏切りや
背信行為も、金持ちの世界とはまるでちがひます。金持ちの裏切りは、助け合ひなどといふ
バカな動機からは決して起りません。

三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
214名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 13:39:18.52
毅然としてゐる。青年らしい。ちつとも女々しいところがない。ちつともメソメソした
ところがない。――これが借金申し込みの大切な要素です。人は他人のジメジメした心持ちに
対してお金を上げるほど寛大ではありません。


女の子から、「ちよつとイカスわね」と言はれれば、うれしいにきまつてゐるが、男は
軽率に自分の男性的魅力を信じるわけにはいきません。
女の子といふものは、妙に、男の非男性的魅力に惹かれがちなものだからです。


女は自分のことばかりにかまけて、男をほめたたへる、といふ最高の技巧を忘れ、あるひは
怠けてゐる。


大ていの女は、年をとり、魅力を失へば失ふほど、相手への思ひやりや賛美を忘れ、しやにむに
自分を売りこまうとして失敗するのです。もうカスになつた自分をね。


あらゆる男は己惚れ屋である。

三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
215名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 13:39:36.51
脅迫状は事務的で、冷たく、簡潔であればあるだけ凄味があります。
第一、感情で脅迫状を書くといふのはプロのやることではありません。卑劣に徹し、
下賤に徹し、冷血に徹し、人間からズリ落ちた人間のやる仕事ですから、こちらの血が
さわいでゐては、脅迫状など書けません。
便せんをすかしてみて、そこに少しでも人間の血の色がすいて見えるやうでは、脅迫状は
落第なのです。


この世に生命を生み出す女つて、何てふしぎなものでせう。世の中でいちばん平凡なことが、
いちばん奇跡的なのだ。


女の人は、肉体的なことしかわからないのではありませんか?


西洋人はすべて社交馴れしてゐますから、社交は、建て前が大切だといふ第一原則を守ります。
招待を断わるには、「のがれがたい先約があつて」といふ理由だけで十分で、その内容を
説明する必要はありません。たとひ、ひと月前、ふた月前の招待であつても、さういふ理由で
かまひません。

三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
216名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 13:39:59.55
男が「結婚してくれ」と言ふときには、彼のはうに、彼女を迎へ入れるに足る精神的物質的
社会的準備が十分整つてゐるのが理想的です。


人生は一つの惰性なのかもしれません。


恋愛にとつて、最強で最後の武器は「若さ」だと昔から決まつてゐます。
ともすると、恋愛といふものは「若さ」と「バカさ」をあはせもつた年齢の特技で、
「若さ」も「バカさ」も失つた時に、恋愛の資格を失ふのかもしれませんわ。


人間はいくつになつても感傷を心の底に秘めてゐるものですが、感傷といふのは
Gパンみたいなもので、十代の子にしか似合はないから、年をとると、はく勇気がなくなる
だけのことです。


本当に死ななくても、愛しあふ恋人同士は毎晩心中してゐるのだと思ひます。


僕は演劇は民衆の心に訴へかけ、民衆の魂に火をつけるのでなくては意味がないと思ひます。

三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
217名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 23:34:41.31
あらゆる投書狂、身の上相談狂は自分の告白し、あるひは主張してゐることについて、
内心は、本当の解決など求めてゐはしませんし、また何かの解決を暗示されても、それを
心から承服したりはしません。


この身の上相談の女性もさうですが、世間の人はだれでも、彼女のことに関心を持つて
くれるのが当たり前だ、といふ錯覚におちいつてゐます。
私たちには、何もそんな関心を持つ義務はないのだし、未知の人が死んでも生きても、
別に興味はないのですが、彼女は、自分に対する熱烈な興味は、他人も彼女に対して
同じやうに持つはずだと信じてゐる。


身の上相談の手紙は一見、内容がどれほど妥当でも、全部がこのまちがつた思ひ込みの上に
築かれたお城なのですから、もし彼女がこの基本的な思ひちがひに気がつけば、ほかの
あらゆる人生問題は片づくかもしれないのに、永遠にそこに気がつかないといふところに、
大悲劇があるのです。
つまり、見知らぬ他人に身の上相談なんかするといふ行動それ自体に、彼女の人生を
悩み多くする根本原因がひそんでゐるといへませう。

三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
218名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 23:35:07.36
ヒステリーの女は絶対に、自分のヒステリーは自分のせゐぢやないと信じてゐるわ。


子供を重荷と感じて、自分たちの自由と快楽をいつまでも追はうとするのは、末期資本主義的
享楽主義に毒された哀れな奴隷的感情だと思ふんだ。


だれでも、自分とまつたく同じ種類の人間を愛することはできませんものね。


罪もない相手を悲境に陥れるといふのは、一見、悪魔的ふるまひとも思へますが、もともと
恋に善悪はない。


自分の感情にそむいては、何ごとも成功するものではありません。

テレビでいちばん美しいのは、やつぱり色彩漫画で、宇宙物なんかの色のすばらしさは、
ディズニー・ランドそつくりですが、ディズニーはなんで死んだのでせう。


こんなことを言つてるとキチガヒみたいだけど、テレビばつかり見てると、どうしても
世界中のことがみんな関係があるやうな気がしてきます。テレビの前で食べてる甘栗は、
中共から輸入されたものだらうし、君の妊娠だつて、思はぬことで、何か世界情勢と
関係があるかもしれません。

三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
219名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 23:35:29.60
大体、頭のいい友だちを求める人たちは、よほど頭がわるい連中なんだわ。心を打ち明け合つて
安心なのは、それによつて相手が、はじめてバランスがとれたと感じるやうな友だちなのだわ。
といふのは、頭のよい友だちはふだんから頭で優越感を持つてゐるところへ、そんな告白を
きかされて、感情でも優越感を持つてしまふでせうに、頭のわるい友だちなら、ふだんの
知的な劣等感を感情の優越感で補はれたと思つて、うれしがるでせう。うれしがつて本当に
心からの親切を尽くすでせう。さういふ友だちが大切なのだわ。


恋は愉しいものではなくて、病気だわ。いやな、暗い発作のたびたびある、陰気な慢性の
病気だわ。恋が生きがひだなんていふ人がゐるけれど、とんでもないまちがひで、悪だくみの
はうが、ずつと生きがひを与へてくれます。恋が愉しいなんて言つてゐる人は、きつと
ひどく鈍感な人なのでせう。

三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
220名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 23:35:49.95
何かほしいときだけ甘つたれてくる猫たちの媚態は、あまりにも無邪気な打算がはつきり
してゐて、かはいらしい。
男は別に人格者の女を求めるわけではなく、人間のもろもろの悪徳が、小さな、かはいらしい
ガラス張りの箱の中に、ちんまりと納まつてゐるのを見るのが、安心であり、うれしくもあり、
かはいらしくもある。そこが男の愛の特徴です。


他人の幸福なんて、絶対にだれにもわかりつこないのです。


私は手紙の第一要件だけを言つておきたい。
それは、あて名をまちがひなく書くことです。これをまちがへたら、ていねいな言葉を
千万言並べても、帳消しになつてしまひます。

姓名を書きまちがへられるほど、神経にさはることはありません。

三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
221名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 23:36:23.44
手紙を書くときには、相手はまつたくこちらに関心がない、といふ前提で書きはじめ
なければいけません。これがいちばん大切なところです。
世の中を知る、といふことは、他人は決して他人に深い関心を持ちえない、もし持ち得ると
すれば自分の利害にからんだ時だけだ、といふニガいニガい哲学を、腹の底からよく
知ることです。


手紙の受け取り人が、受け取つた手紙を重要視する理由は、
一、大金
二、名誉
三、性欲
四、感情
以外には、一つもないと考へてよろしい。このうち、第三までははつきりしてゐるが、
第四は内容がひろい。感情といふからには喜怒哀楽すべて入つてゐる。ユーモアも入つてゐる。
打算でない手紙で、人の心を搏つものは、すべて四に入ります。


世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かつて邁進してをり、他人に関心を持つのは
よほど例外的だ、とわかつたときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力が
そなはり、人の心をゆすぶる手紙が書けるやうになるのです。

三島由紀夫42歳「三島由紀夫のレター教室」より
222名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 13:14:33.75
当の娘の父親にとつては、この世に一般論などといふものはあるべきではなかつた。心の奥底で
娘を手離したくないと思つてゐる父親の気持から、オールド・ミスにならぬうちに誰かに
早く呉れてやりたいと思つてゐる父親の気持まで、無数のニュアンスの連鎖があつて、
どこからが一般論で、どこからがさうでないとは云へなかつた。又、見様によつては、
世の父親のすべての心には、右の両極端の二つの気持が、それぞれの程度の差こそあれ、
混在してゐる筈であつた。


怖ろしい巨犬には、正面から向つて行けばいいのである。


あまり完璧に見える幸福に対して、人は恐怖を抱かずにはいられないものなのであらうか?


僕はね、君を百パーセント幸福にして上げたいと思ふと、いろんなことを考へだして、
気むづかしくなつてしまふんだ。一種の完璧主義者なんだな。……人間の心といふ奴は、
とにかく、善意だけではどうにもならん。善意だけでは、……人生を煩はしくするばかりだと
わかつてゐてもね。

三島由紀夫「夜会服」より
223名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 13:14:52.92
人間は誰でも、(殊に男は)自然にこれこれの人物になるといふものではない。目標があり、
理想像があればこそ、それに近づかうとするのである。


幸福といふものは、そんなに独創的であつてはいけないものだ。幸福といふ感情はそもそも
排他的ではないのだから、みんなと同じ制服を着ていけないといふ道理はないし、同じ種類の
他人の幸福が、こちらの幸福を映す鏡にもなるのだ。


隔意を抱くといふことは淋しいことである。しかも、愛情のために隔意を抱くといふことは、
まるで愛するために他人行儀になるやうなもので、はじめから矛盾してゐる。


結婚とは、人生の虚偽を教へる学校なのであらうか。


現代では万能の人間なんか、金と余裕の演じるフィクションにすぎないんだ。


人間つて誰でも、自分の持つてゐるものは大切にしないのぢやないかしら。
…誰でも、手に入れたものは大したものだと思はなくなる傾きがあるのぢやないかしら。

三島由紀夫「夜会服」より
224名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 13:15:16.69
あなたは女がたつた一人でコーヒーを呑む時の味を知つてゐて?
今に知るやうになるわ。お茶でもない、紅茶でもない、イギリス人はあまり呑まないけれど、
やはりそれはコーヒーでなくてはいけないの。それはね、自分を助けてくれる人はもう
誰もゐない、何とか一人で生きて行かなければ、といふ味なのよ。
黒い、甘い、味はひ、何だかムウーッとする、それでゐて香ばしい味、しつこい、
諦めの悪い味。……それだわ、私が本当にコーヒーの味を知つたのは、俊男が結婚してから
はじめてだつたの。それまではコーヒーの味がわからなかつた。主人が亡くなつたあとでもね。
一人で生きなければ、とたえず背中から圧迫されたり激励されたりしてゐるやうな感じつて
わかつて? 誰かの手がいつも自分の背中を、はげますやうに叩いてゐる。あんまり
うるさいから、背中へ手をのばしてつかまへてやると、それが何と自分の手なんだわ。

三島由紀夫「夜会服」より
225名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 13:15:39.86
さびしさ、といふのはね、絢子さん、今日急にここへ顔を出すといふものではないのよ。
ずうーつと、前から用意されてゐる、きつと潜伏期の大そう長い、癌みたいな病気なんだわ。
そして一旦それが顔を出したら、もう手術ぐらゐでは片附かないの。
私、何で自分がさびしいのか、その理由を探さなくては気がちがひさうだつた。あなた方の
結婚が、はつきりその理由を与へてくれたやうに思ひ込んでしまつた。でも、私つてバカなのね。
さびしさの本当の深い根は自分の中にしかないことに気がつかなかつたの。
鳥のゐない鳥籠は、さびしいでせう。でも、それを鳥籠のせゐにするのはばかげてゐるわね。
鳥籠をゴミ箱へ捨ててもムダといふものね。鳥がゐないことには変りがないんですから。

三島由紀夫「夜会服」より
226名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 13:16:04.45
でも、何十年も先、あなたもきつと同じさびしさを味はふだらうと思ふと、少しは埋め合せが
つく気がする。それは女といふものの引きずつてゐる影みたいなものなんですよ。女は、
いつかそのさびしさに面と向かはなければならないの。男の人とちがつて、女は人のゐない
野原みたいなものを自分の中に持つてゐる。男は、その野原の上を歩いて、悲壮がつて、
孤独だ孤独だなんて言つてゐるにすぎない、と思ふのよ。
いつか、あなたも、私の言つたことを思ひ出すことがあると思ふわ。たとへば、障害を
跳び越えてほつとしたあと、うれしいと思ふ気持のあひだにも、ずつとさびしさが、
一本の道のやうに、向かうへずつとつづいてゐるのを見ることがあると思ふわ。
はじめ、それは幻みたいに見えるの。でもいづれその幻が現実になるのよ。

三島由紀夫42歳「夜会服」より
227名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 10:59:33.14
私はそもそも天に属するのか?
さうでなければ何故天は
かくも絶えざる青の注視を私へ投げ
私をいざなひ心もそらに
もつと高くもつと高く
人間的なものよりもはるか高みへ
たえず私をおびき寄せる?
均衡は厳密に考究され
飛翔は合理的に計算され
何一つ狂ほしいものはない筈なのに
何故かくも昇天の欲望は
それ自体が狂気に似てゐるのか?
私を満ち足らはせるものは何一つなく
地上のいかなる新も忽ち倦(あ)かれ
より高くより高くより不安定に
より太陽の光輝に近くおびき寄せられ
何故その理性の光源は私を灼き
何故その理性の光源は私を滅ぼす?
眼下はるか村落や川の迂回は
近くにあるよりもずつと耐へやすく
かくも遠くからならば
人間的なものを愛することもできようと
何故それは弁疏し是認し誘惑したのか?
その愛が目的であつた筈もないのに?
もしさうならば私が
そもそも天に属する筈もない道理なのに?

三島由紀夫「太陽と鉄――イカロス」より
228名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 10:59:53.04
鳥の自由はかつてねがはず
自然の安逸はかつて思はず
ただ上昇と接近への
不可解な胸苦しさにのみ駆られて来て
空の青のなかに身をひたすのが
有機的な喜びにかくも反し
優越のたのしみからもかくも遠いのに
もつと高くもつと高く
翼の蝋の眩暈と灼熱におもねつたのか?

されば
そもそも私は地に属するのか?
さうでなければ何故地は
かくも急速に私の下降を促し
思考も感情もその暇を与へられず
何故かくもあの柔らかなものうい地は
鉄板の一打で私に応へたのか?
私の柔らかさを思ひ知らせるためにのみ
柔らかな大地は鉄と化したのか?
堕落は飛翔よりもはるかに自然で
あの不可解な情熱よりもはるかに自然だと
自然が私に思ひ知らせるために?

三島由紀夫「太陽と鉄――イカロス」より
229名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 11:00:26.00
空の青は一つの仮想であり
すべてははじめから翼の蝋の
つかのまの灼熱の陶酔のために
私の属する地が仕組み
かつは天がひそかにその企図を助け
私に懲罰を下したのか?
私が私といふものを信ぜず
あるひは私が私といふものを信じすぎ
自分が何に属するかを性急に知りたがり
あるひはすべてを知つたと傲り
未知へ
あるひは既知へ
いづれも一点の青い表象へ
私が飛び翔たうとした罪の懲罰に?

三島由紀夫42歳「太陽と鉄――イカロス」より
230名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 11:05:15.07
世界が意味があるものに変れば、死んでも悔いないといふ気持と、世界が無意味だから、
死んでもかまはないといふ気持とは、どこで折れ合ふのだらうか。


死体つて、何だか落ちてこはれたウイスキーの瓶みたいぢやないか。こはれれば、中身が
流れ出すのは当たり前だ。


あの美しい欅の梢が、夕空の仄青い色を、精妙無類に、丁度夕空へ投げかけた投網のやうに
からめ取つてゐるのは、そもそも何故だらう。自然は何でこんなに無用に美しく、人間は
何でこんなに無用に煩はしいのだらう。


これからはもう物事をあんまり複雑に考へるのは止しになさるんですね。人生も政治も案外
単純浅薄なものですよ。もつとも、いつでも死ねる気でなくては、さういふ心境には
なれませんがね。生きたいといふ欲が、すべて物事を複雑怪奇に見せてしまふんです。

三島由紀夫「命売ります」より
231名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 11:05:41.65
自殺……。
そこまで考へると、彼は何か知れず、精神的な吐き気を感じた。
一度失敗してゐるだけに、自殺だけは、どう考へても億劫な気がした。折角自堕落な
いい気持になつてゐるときに、つい目と鼻の先にあるタバコをとりに立つ気がどうしてもしない。
十分タバコを喫みたい気はあるのだが、ここから手をのばしても届かないことのわかつて
ゐるタバコをとりに立つことが、何だか故障した自動車の後押しをたのまれるほど、
しんどい仕事に思はれる。それがつまり自殺なのだ。


羽仁男は今の今まで休養するつもりだつたのが、また、をかしなものに巻き込まれ
かかつてゐる自分を感じた。世界は多分雲形定規のやうな形をしてゐるのだらう。地球が
球形だといふのはおそらく嘘なのだ。それは、一つの辺がいつのまにか妙にひねくれて
内側へ曲つてゐたり、かと思ふと、まつすぐな一辺が突然断崖絶壁になつたりするのである。
人生が無意味だ、といふのはたやすいが、無意味を生きるにはずいぶん強力なエネルギーが
要るものだ、と羽仁男はあらためて感心した。

三島由紀夫「命売ります」より
232名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 11:06:00.91
多分、羽仁男のやうな男は、一つのことからのがれても、また別の「同類」に会ふやうに
運命づけられてゐるのかもしれない。孤独な人間はお互ひの孤独を、犬のやうにすぐ
嗅ぎわけるのだ。


無意味はヒッピーたちの考へるやうな形で人間を犯して来るのでは決してない。それは絶対に、
新聞の活字がゴキブリの行列になつてしまふ、ああいふ形で来るのだ。


シャム猫の鼻先に、シャベルでミルクをやつて、呑まうとするとシャベルをはね上げて、
猫の顔をミルクだらけにしてしまふこと。
彼の空想裡できはめて重要だと思はれたこの儀式は、日本の政治経済すべてにとつても
重要なのにちがひなかつた。つまり、一国の閣議はさうしてはじまるべきだつたし、
安保条約問題もさうして解決されるべきだつた。一匹の高慢ちきな猫の、思ひもかけぬ
不面目によつて、われわれは、猫を飼つてゐるといふことの意味を、よくよく知ることが
できるのだ。

三島由紀夫「命売ります」より
233名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 11:06:50.48
つまり、羽仁男の考へは、すべてを無意味からはじめて、その上で、意味づけの自由に
生きるといふ考へだつた。そのためには、決して決して、意味ある行動からはじめては
ならなかつた。まづ意味ある行動からはじめて、挫折したり、絶望したりして、無意味に
直面するといふ人間は、ただのセンチメンタリストだつた。命の惜しい奴らだつた。
戸棚をあければ、そこにすでに、堆(うづたか)い汚れ物と一緒に、無意味が鎮座して
ゐることが明らかなとき、人はどうして、無意味を探究したり、無意味を生活したりする
必要があるだらう。


人の命を買ふ人間、しかもそれを自分のために使はうといふ人間ほど、不幸な人間はない。


何の組織にも属さないで、しかも命を惜しまない男もゐるといふことを知らなくちやいかん。
それはごく少数だらう。少数でも必ずゐるんだ。


命を売るのは君の勝手だよ。別に刑法で禁じてはゐないからね。犯人になるのは、命を買つて
悪用しようとした人間のはうだ。命を売る奴は、犯人ぢやない。ただの人間の屑だ。
それだけだよ。

三島由紀夫43歳「命売ります」より
234名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 13:00:52.77
戦後の頽廃は、すでに戦時中銃後に兆してゐたのだ。戦後のあのもろもろの価値の顛倒は、
卑怯者の平和主義は、尻の穴より臭い民主主義は、祖国の敗北を喜ぶユダヤ人どもの陰謀は、
共産主義者どもの下劣なたくらみは、悉くその日に兆してゐたのだ。ああ、金色の
ヴァルハラの広場に、ヴァルキュリーたちによつて運ばれた、気高い戦場の勇士たちの
亡骸は、ひとたび霊に目ざめるや、祖国ドイツのこの有様をのぞみ見て、いかに万斛の涙を
流したことであらう。楯の格天井、鎧の椅子は、卓上の焔に照り映えて、悲嘆の響きを
鏘然(さうぜん)と高鳴らせたことであらう。


もう貧血症の、屁理屈屋の教授連は一切要らん。銃一つ持てないほど非力だから、我身
可愛さにヒステリックな平和主義の叫びをあげる、きんたまを置き忘れたインテリは一切要らん。
少年に向つて亡国の教へを垂れ、祖国の歴史を否定し歪曲する非国民教師どもは一切要らん。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
235名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 13:01:12.29
レーム:…俺は、お前が腐敗と反動の後釜を継ぐのには反対だぞ。折角俺たちの力で一新した
この新らしいドイツを裏切つて、買弁資本家やユンカー一族、保守派の老いぼれ政治家や
老いぼれ将軍、将校クラブで俺を鼻であしらつた貴族出身の無能な士官たち、革命や
民衆のことを一度も考へたことのないあの様子ぶつたプロシア国軍の白手袋たち、朝から
ビールとじやがいものおくびをしてゐる布袋腹のブルジョアども、官僚といふあの
マニキュアをした宦官ども、……あんな連中の上にのつかつて、あんな連中にへいこらしながら、
シーソオ・ゲームに憂身をやつして、お前が大統領になるなら反対だぞ。断乎として反対だぞ。
俺が腕づくででも止めてみせる。
ヒットラー:エルンスト!
レーム:きけ。俺はお前に大統領になつてほしいと思つてゐる。心からさう思つてゐる。
しかし、それには力を協せて、この腐つた土地の上のごみ掃除をやつてのけてからだ。
軍部が何だ。口だけではおどしをきかせるが、軍服の中身はからつぽの、あんな金ぴかの
案山子(かかし)のどこが怖い。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
236名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 13:01:33.38
クルップ:雨になつたやうだ。
ヒットラー:大した雨ではない。妙なことだ。私が演説をしたあとではきつと雨になる。
クルップ:君の演説が雲を呼ぶのだらう。
ヒットラー:雨が広場を黒く濡らした途端に、どのベンチからも人影が消えてしまつた。
何といふ無趣味ながらんとした広場だらう。人つ子一人ゐない。ついさつきまでここを
群衆が埋めて、とどろく歓声と拍手で熱してゐたとはとても思へない。演説のあとの
広場といふものは、発作のあとの狂人の空白のまどろみのやうだ。どこまで行つても
人間は人間を傷つける。どんな権力の衣にも縫目があつてそこから虱が入る。クルップさん、
絶対に誰からも傷つけられない、どこにも縫目も綻びもない、白い母衣(ほろ)のやうな
権力はないものですかね。
クルップ:なければ君が誂へたらよい。
ヒットラー:あなたがその仕立屋になつてくれませんか。
クルップ:それには寸法をとらなくてはね。ヒットラー:どうでした?
クルップ:残念ながら、まだちと寸法が足りないやうだ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
237名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 13:01:52.72
クルップ:仕立屋といふのは慎重なもんだよ、アドルフ。仕払つてもらふ宛てがなければ、
おいそれと着物も仕立てられない。仕立ててあげたいのは山々だが、寸が足りなくては
芸術的満足が得られない。それに仕立ててあげたものを、快適に着てもらはなくては
つまらない。ゆるやかに、楽々と、まるで着てゐるかゐないか本人にもわからぬやうな、
そんな着方をしてもらはなくては。……私は窮屈なチョッキは上げたくない。狂人に
狭窄衣を着せるのとはちがふんだから。
ヒットラー:もし私が狂人だとしたら……
クルップ:私も何度かさういふ経験を持つてゐる。自分を狂人だと思はなければとても
耐へられぬ、いや、理解すらできない瞬間にぶつかる場合は……
ヒットラー:さういふ場合は?
クルップ:自分ではない他人をみんな狂人だと思へばよいのだ。


ヒットラー:クルップさん、ひとつ私に狂人用の窮屈なチョッキを誂へてくれませんか、
両手を拘束されて人を傷つけることはできないが、又決して人から傷つけられることもないやうな……

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
238名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 11:46:35.60
レーム:…生れ落ちてから薬や医者には縁のない、永遠の若い鋼の体、このレーム大尉の
体が病気になるつて?
ヒットラー:だから……
レーム:誰がそんなことを信ずるものか。俺を傷つけることができるのは弾丸だけさ。
といふよりは俺の体の鋼鉄が、いつか俺を裏切つて、同じ仲間の鉄の小さな固まりを、
俺の体内へおびき寄せるとき。さうだ、鉄と鉄とが睦み合ふために、引寄せ合つて
接吻するとき、そのときだけだ、俺が倒れるのは。しかしそのときも、俺が息を引取るのは
ベッドの上ではない。
ヒットラー:さうだな、勇敢なエルンスト、いくら大臣になつても、お前はベッドの上で
死ぬやうな男ではない。しかし、ともあれ、お前は仮病を使つて、声明書と共にその旨を
発表するのだ。一、二ヶ月の療養ののち、再起と共に突撃隊を以前よりも精鋭な軍隊に
叩き上げると約束するのだ。
レーム:しかし誰がそれを信じる。
ヒットラー:信じられないからこそ、隊員みんなは信じるだらう。つまり、こいつは、
よほど已むを得ない事情だといふことを。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
239名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 11:46:55.28
レーム:…書類を喰つて生きのびた年寄の山羊どもが、首を長くしてお前の餌を待つてゐる。
お前はサインをのたくつて日々をすごす。剣を揮ふ腕の力は見捨てられたままになつてゐる。
権力とは何だ。力とは何だ。それはただサインをする蒼ざめた指さきの細い細い筋肉の
運動にすぎなくなつたのだ。
ヒットラー:それ以上は言はなくてもわかつてゐる。
レーム:だから、友よ、だから言ふのだ。お前の権力がその指さきの運動にではなく、
遠くからお前の一挙一動を憧れの眼差で見戍つて、素破といふときはためらひなく命を
投げ出す覚悟の若者たちの、逞しい腕の筋肉にあることを忘れるな。どんなに行政機構の
森深く踏み迷つても、最後に枝葉を伐つて活路を見出すには、夜明けの色の静脈と共に
敏感に隆起する力瘤だけがたよりなのだ。どんな時代にならうと、権力のもつとも深い
実質は若者の筋肉だ。それを忘れるな。少なくともそれをお前のためにだけ保存し、
お前のためにだけ使はうとしてゐる一人の友のゐることを忘れるな。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
240名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 11:47:13.68
ヒットラー:レームが羊ですつて? あいつがきいたらどんなに怒るか。
クルップ:羊でなくても、レーム君が抱いてゐるのは群の思想さ。さうではないかね。
しかしレーム君と別れたあとの、君の暗い額にひらめいたのは、羊でもなければ牧羊犬でもない。
それこそ嵐そのもの、さう言つては持ち上げすぎなら、暗くはためく嵐の予兆そのもの
だつたのだ。峯々を稲妻の紫に染め、世界を震撼させ、人々の活きた魂を電流をとほして
一瞬のうちに、黒い一握の灰に変へてしまふ、あの嵐の兆そのものだつた。君はおそらく
自分ではさう感じはしなかつたらう。
ヒットラー:あのとき、私は怖れてゐた。迷つてゐた。悲しんでゐた。それだけです。
クルップ:人間の感情を持つてゐることを、いくら総理大臣だつて恥ぢるには及ばない。
ただ、人間の感情の振幅を無限に拡大すれば、それは自然の感情になり、つひには摂理になる。
これは歴史を見ても、ごくごくわづかな数の人間だけにできたことだ。
ヒットラー:人間の歴史ではね。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
241名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 11:47:32.70
シュトラッサー:…歌はもうあの鋭い清らかな悲鳴と共通な特質を失つてしまつたのです。
死者の目に映る遠い青空は、変革の幻であつたのに、今、青空は洗濯の盥の水にちりぢりに
砕けてしまつた。あらゆる煙草は、耐へがたい訣別の甘いしみとほるやうな味をなくして
しまつた。
(中略)
どこかで遠い昔に嗅ぎ馴れた腐敗の匂ひ、落葉のなかで、猟犬が置き忘れた獲物の鳥が
腐つてゆくときの、森の縞目の日光をかすかに濁らすやうな独特な匂ひ。いたるところで、
その腐敗の匂ひが、人々の指先の感覚を、癩病やみのやうに鈍麻させてゆく。かつて
闇のなかで道しるべの火のやうに敏感に方角を知らせた指は、今では小切手に署名をするのと、
女の体をこじあけるのにしか使はれなくなつた。脱落、脱落、目に見えない透明な日々の脱落、
この感覚を、レーム君、君だつてつぶさに味はつて来た筈だ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
242名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 11:47:51.66
シュトラッサー:もう一度革命をやらなければならぬ、と君が考へてゐることを私は知つてゐる。
ところで、私も、もう一度革命をやらなければならぬ、と考へてゐる。二人で話し合ふ
話題には、事欠かぬ筈ぢやないか。
レーム:しかし、方法がちがふ。目的もちがふ。
シュトラッサー:鏡をのぞいてみるやうに、君の右は私の左だ。しかし私の右は君の左だ。
だから却つて鏡を打ち破れば、われわれはぴつたり合ふかもしれないのだ。


シュトラッサー:君はすでに病気になつたのだらう、さつきも言つてゐたやうに。
信頼といふ病気にかかつたのだ。
レーム:殺されるのか、処刑されるのか。
シュトラッサー:おそらくその両方だらう。君は拷問に耐へる自信があるか?
レーム:誰があんたをそんなひどい目に会はさうといふんだね、心配性の弱虫君。言つて
ごらん、そいつの名を言ふのが怖いのかね。言つただけで呪ひがかかるとでもいふのかね。
シュトラッサー:アドルフ・ヒットラー。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
243名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 11:52:06.17
レーム:…友愛、同志愛、戦友愛、それらもろもろの気高い男らしい神々の特質だ。
これなしには現実も崩壊する。従つて政治も崩壊する。アドルフと俺とは、現実を
成立たせるこの根本のところでつながつてゐるんだ。おそらくあんたの卑しい頭では
わかるまい。
われわれの住むこの地表はなるほど固い。森があり、谷があり、岩石に覆はれてゐる。
しかしこの緑なす大地の底へ下りてゆけば、地熱は高まり、地球の核をなす熱い
岩漿(マグマ)が煮え立つてゐる。この岩漿こそ、あらゆる力と精神の源泉であり、この
灼熱した不定形なものこそ、あらゆる形をして形たらしめる、形の内側の焔なのだ。
雪花石膏(アラバスター)のやうに白い美しい人間の肉体も、内側にその焔を分ち持ち、
焔を透かして見せることによつてはじめて美しい。シュトラッサー君、この岩漿こそ、
世界を動かし、戦士たちに勇気を与へ、死を賭した行動へ促し、栄光へのあこがれで
若者の心を充たし、すべて雄々しい戦ふ者の血をたぎらせる力の根源なのだ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
244名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 11:52:33.04
ヒットラー:…いつかあなたは言はれましたね。自分自身を嵐と感じることができるか
どうか、つて。それは何故自分が嵐なのかを知ることです。なぜ自分がかくも憤り、なぜ
かくも暗く、なぜかくも雨風を内に含んで猛り、なぜかくも偉大であるかを知ることです。
それだけでは十分ではない。なぜかくも自分が破壊を事とし、朽ちた巨木を倒すと共に
小麦畑を豊饒にし、ユダヤ人どものネオンサインにやつれ果てた若者の顔を、稲妻の閃光で
神のやうに蘇らせ、すべてのドイツ人に悲劇の感情をしたたかに味はせようとするのかを。
……それが私の運命なのです。


ヒットラー:あの銃声が、クルップさん、ドイツ人がドイツ人を射つ最後の銃声です。……
これで万事片附きました。
クルップ:さうだな。今やわれわれは安心して君にすべてを託することができる。
アドルフ、よくやつたよ。君は左を斬り、返す刀で右を斬つたのだ。
ヒットラー:さうです。政治は中道を行かなければなりません。

三島由紀夫43歳「わが友ヒットラー」より
245名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 17:03:05.83
この世の絶頂の倖せが来たとき、その幸福の只中でなくては動かぬ思案があるのです。
その思案は波間をかすめる太刀魚の背鰭のやうに、幸福の海へ舟出をしてゐる時でなくては
見えないのです。


一つの建築が一つの夢になり、一つの夢が一つの現実になる。さうやつて巨大な石と
おぼろげな夢とは永遠の循環をくりかへすのだ。


今の王様にとつては、ただこのお寺の完成だけがお望みなのだ。そしてお寺の名も、
共に戦つて死んだ英霊たちのみ魂を迎へるバイヨンと名づけられた。バイヨン。王様は
あの目ざましい戦の間に、討死してゐればよかつたとお考へなのだらう。


この世のもつとも純粋なよろこびは、他人のよろこびを見ることだ。

三島由紀夫「癩王のテラス」より
246名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 17:03:30.97
私の前にはただ闇があるだけ。色もない。形もない。死も私にははじめて会つたやうな
気がしないだらう。なぜならそれは、この世と一トつづきの闇に他ならぬからだ。


精神は必ず形にあこがれる。


崩れたもの、形のないもの、盲ひたもの、……それは何だと思ふ。それこそは精神のすだただ。
おまへが癩にかかつたのではない。おまへの存在そのものが癩なのだ。精神よ。おまへは
生れながらの癩者だつたのだ。


何かを企てる。それがおまへの病気だつた。何かを作る。それがおまへの病気だつた。
俺の舳(みよし)のやうな胸は日にかがやき、水は青春の無慈悲な櫂でかきわけられ、
どこへも到達せず、どこをも目ざさず、空中にとまる蜂雀のやうに、五彩の羽根をそよがせて、
現在に羽搏いてゐる。俺を見習はなかつたのが、おまへの病気だつた。


青春こそ不滅、肉体こそ不死なのだ。……俺は勝つた。なぜなら俺こそがバイヨンだからだ。

三島由紀夫44歳「癩王のテラス」より
247名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 12:15:12.72
蘭陵王は必ずしも自分の優にやさしい顔立ちを恥ぢてはゐなかつたにちがひない。むしろ
自らひそかにそれを矜つてゐたかもしれない。しかし戦ひが、是非なく獰猛な仮面を
着けることを強ひたのである。
しかし又、蘭陵王はそれを少しも悲しまなかつたかもしれない。或ひは心ひそかに喜びとして
ゐたかもしれない。なぜなら敵の畏怖は、仮面と武勇にかかはり、それだけ彼のやさしい
美しい顔は、傷一つ負はずに永遠に護られることになつたからである。


私は、横笛の音楽が、何一つ発展せずに流れるのを知つた。何ら発展しないこと、これが重要だ。
音楽が真に生の持続に忠実であるならば、(笛がこれほど人間の息に忠実であるやうに!)、
決して発展しないといふこと以上に純粋なことがあるだらうか。


何時間もつづけて横笛を練習すると、吐く息ばかりになるためであらうか、幽霊を見るさうだ。

三島由紀夫44歳「蘭陵王」より
248名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 12:00:20.60
本多にとつて青春とは、松枝清顕の死と共に終つてしまつたやうに思はれた。あそこで
凝結して、結晶して、燃え上つたものが尽きてしまつた。


もろもろの記憶のなかでは、時を経るにつれて、夢と現実とは等価のものになつてゆく。
かつてあつた、といふことと、かくもありえた、といふことの境界は薄れてゆく。夢が現実を
迅速に蝕んでゆく点では、過去はまた未来と酷似してゐた。
ずつと若いときには、現実は一つしかなく、未来はさまざまな変容を孕んで見えるが、
年をとるにつれて、現実は多様になり、しかも過去は無数の変容に歪んでみえる。そして
過去の変容はひとつひとつ多様な現実と結びついてゐるやうに思はれるので、夢との堺目は
一そうおぼろげになつてしまふ。それほどうつろひやすい現実の記憶とは、もはや夢と
次元の異ならぬものになつたからだ。
きのふ逢つた人の名さへ定かに憶えてゐない一方では、清顕の記憶がいつも鮮明に呼び
起されるさまは、今朝通つた見馴れた町角の眺めよりも、ゆうべ見た怖ろしい夢の記憶のはうが
あざやかなことにも似てゐた。

三島由紀夫「奔馬」より
249名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 12:00:42.33
そこでは、本多の耳朶を搏つ「裂帛の」気合は、わづかな裂け目から迸つた少年の魂の
火のやうにきこえてきた。(中略)
それは時といふものが人の心に演じさせるふしぎな真剣な演技だつた。過去の銀にかけた
記憶の微妙な嘘の銹を強ひて剥がさずに、夢や願望の入りまじつた全体の姿を演じ直して、
その演技をたよりに、むかしの自分も意識してゐなかつたもつと深い本質的な自分の姿へ
到達しようとする試みだつた。かつて住んでゐた村を、遠い峠から望み見るやうに、そこに
住んだ経験の細部は犠牲にされても、そこに住んだことの意味は明らかになり、住んでゐた間は
重要なことに思はれた広場の甃の凹みも、遠目にはそこの水たまりの一点の煌きだけに
よつて美しい、何らこだはりのない美になるのであつた。
飯沼少年が最初の雄叫びをあげた瞬間に、かうして三十八歳の裁判官は、その叫び自体が
矢尻のやうに少年の胸深く刺つて残つてゐる、鋭いささくれた痛みにまですぐに思ひ至つた。

三島由紀夫「奔馬」より
250名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 12:03:17.03
乙女たちは、鼈甲色の蕊をさし出した、直立し、ひらけ、はじける百合の花々のかげから
立ち現はれ、手に手に百合の花束を握つてゐる。
奏楽につれて、乙女たちは四角に相対して踊りはじめたが、高く掲げた百合の花は危険に
揺れはじめ、踊りが進むにつれて、百合は気高く立てられ、又、横ざまにあしらはれ、会ひ、
又、離れて、空をよぎるその白いなよやかな線は鋭くなつて、一種の刃のやうに見えるのだつた。
そして鋭く風を切るうちに百合は徐々にしなだれて、楽も舞も実になごやかに優雅であるのに、
あたかも手の百合だけが残酷に弄ばれてゐるやうに見えた。
……見てゐるうちに、本多は次第に酔つたやうになつた。これほど美しい神事は見たことが
なかつた。
そして寝不足の頭が物事をあいまいにして、目前の百合の祭ときのふの剣道の試合とが混淆し、
竹刀が百合の花束になつたり、百合が又白刃に変つたり、ゆるやかな舞を舞ふ乙女たちの、
濃い白粉の頬の上に、日ざしを受けて落ちる長い睫の影が、剣道の面金の慄へるきらめきと
一緒になつたりした。……

三島由紀夫「奔馬」より
251名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 12:03:36.09
水平線上で海と空とが融け合ふやうに、たしかに夢と現実とは、はるか彼方では融け合つて
ゐることもあらうが、ここでは、少なくとも本多その人の身のまはりでは、人々はみんな
法の下にをり、又、法に護られてゐるにすぎなかつた。本多はこの世の実定法的秩序の
護り手であり、実定法はあたかも重い鉄の鍋蓋のやうに、現世のごつた煮の上に押しかぶさつて
ゐたのである。
『喰べる人間……消化する人間……排泄する人間……生殖する人間……愛したり憎んだり
する人間』
と本多は考へてゐた。それこそ裁判所の支配下にある人間だつた。まかりまちがへばいつでも
被告になりうる人間、それこそは唯一種類の現実性のある人間だつた。嚏をし、笑ひ、
生殖器をぶらぶらさせてゐる人間、……これらが一つの例外もなしにさういふ人間であるならば、
彼が畏れる神秘はどこにもない筈だつた。よしんばその中に一人ぐらゐ、清顕の生れ変りが
隠れてゐても。

三島由紀夫「奔馬」より
252名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 21:10:29.60
それにしても、本多は何と巧みに、歴史から時間を抜き取つてそれを静止させ、すべてを
一枚の地図に変へてしまつたことだらう。それが裁判官といふものであらうか。彼が
「全体像」といふときの一時代の歴史は、すでに一枚の地図、一巻の絵巻物、一個の死物に
すぎぬではないか。『この人は、日本人の血といふことも、道統といふことも、志といふことも、
何もわかりはしないんだ』と少年は思つた。


『全体像だつて』勲は先程の手紙の文句を思ひ出して、ちよつと微笑した。『あの人は
火箸が熱くて触れないといふので、火鉢だけに触らうとしてゐるんだ。しかし火箸と火鉢とは
どこまでもちがふんだがなあ。火箸は金、火鉢は瀬戸物。あの人は純粋だけど、瀬戸物派なんだ』
純粋といふ観念は勲から出て、ほかの二人の少年の頭にも心にもしみ込んでゐた。勲は
スローガンを拵へた。「神風連の純粋に学べ」といふ仲間うちのスローガンを。

三島由紀夫「奔馬」より
253名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 21:10:57.56
純粋とは、花のやうな観念、薄荷をよく利かした含嗽薬の味のやうな観念、やさしい母の胸に
すがりつくやうな観念を、ただちに、血の観念、不正を薙ぎ倒す刀の観念、袈裟がけに
斬り下げると同時に飛び散る血しぶきの観念、あるひは切腹の観念に結びつけるものだつた。
「花と散る」といふときに、血みどろの屍体はたちまち匂ひやかな桜の花に化した。純粋とは、
正反対の観念のほしいままな転換だつた。だから、純粋は詩なのである。


すべての屈折した物言ひ、註釈、「しかしながら」といふ考へ、……さういふものは勲の
理解の外にあつた。思想はまつ白な紙に鮮やかに落された墨痕であり、謎のやうな原典であつて、
飜訳はおろか、批評も註釈もつきやうのないものだつた。


爆弾は一つの譬(たと)へさ。神風連の上野堅吾が、主張して容れられなかつた小銃と
同じことだ。最後は剣だけだよ。それを忘れてはいけない。肉弾と剣だけだよ。

三島由紀夫「奔馬」より
254名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 21:12:35.33
勲のはうへ向けた目は、やさしく、母性的な慈愛に潤んで、夜の庭の濡れた草木のどこかに
潜んでゐる血の夕映えの残滓を探るやうに、彼を見るとも、彼の背後の庭を見るともない
遠い視線になつた。
「悪い血は瀉血(しやけつ)したらいいんだわ。それでお国の病気が治るかもしれない。
勇気のない人たちは、重い病気にかかつたお国のまはりを、ただうろうろしてゐるだけなのね。
このままではお国が死んでしまふわ」


神風連が戦つたのは、ただ軍隊を相手といふわけではありません。鎮台兵の背後にあつたものは、
軍閥の芽だつたんです。かれらは軍閥を敵として戦つたんです。軍閥は神の軍隊ではなく、
神風連こそ陛下の軍隊だといふ自信を持つてゐたからです。


勲は自分の言葉が未熟なことをよく承知してゐたが、志がその未熟を補つて、焔のやうに
相手の焔と感応することをも信じてゐた。とりわけ今は夏だつた。毛織物のやうな厚い重い
息苦しい熱気の裡に対坐してゐて、何かが爆ければ忽ち火が移り、何もはじまらなければ
そのまま熔けた金属のように、あへなく融け消えてしまひさうに思はれた。

三島由紀夫「奔馬」より
255名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 21:12:56.31
涙は危険な素質である。もしそれが必ずしも理智の衰へと結びついてゐないとしたら。


壁には西洋の戦場をあらはした巨大なゴブラン織がかかつてゐた。馬上の騎士のさし出した
槍の穂が、のけぞつた徒士の胸を貫いてゐる。その胸に咲いてゐる血潮は、古びて、
褪色して、小豆いろがかつてゐる。古い風呂敷なんぞによく見る色である。血も花も、
枯れやすく変質しやすい点でよく似てゐる、と勲は思つた。だからこそ、血と花は名誉へ
転身することによつて生き延び、あらゆる名誉は金属なのである。


その御目と勲の目が、一瞬、ごく古い鉄の鈴が永らく鳴らずに錆びついてゐたものが、
何かの震動によつて舌がほぐれて、正に鳴らんとして鈴の内側に触れるやうに、触れ合つた。
そのとき宮の御目が何を語つたか勲にもわからなかつたし、宮御自身も御存知ではなかつたで
あらう。しかしその一瞬に交はされたものは、並の愛情を超えたふしぎな結びつきの感情で、
宮の動かぬおん瞳には、何か遠来の悲しみが刹那に迸つて、勲の火のやうな注視を、宮は
その悲しみの水で忽ち消されたやうに思はれた。

三島由紀夫「奔馬」より
256名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 21:34:53.84
この男、半世紀のちには忘れられた作家になっているのではないだろふか。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 17:51:31.52
「はい。忠義とは、私には、自分の手が火傷をするほど熱い飯を握つて、ただ陛下に
差し上げたい一心で握り飯を作つて、御前に捧げることだと思ひます。その結果、もし陛下が
御空腹でなく、すげなくお返しになつたり、あるひは、『こんな不味いものを喰へるか』と
仰言つて、こちらの顔へ握り飯をぶつけられるやうなことがあつた場合も、顔に飯粒を
つけたまま退下して、ありがたくただちに腹を切らねばなりません。又もし、陛下が
御空腹であつて、よろこんでその握り飯を召し上つても、直ちに退つて、ありがたく腹を
切らねばなりません。何故なら、草莽の手を以て直に握つた飯を、大御食として奉つた罪は
万死に値ひするからです。では、握り飯を作つて献上せずに、そのまま自分の手もとに
置いたらどうなりませうか。飯はやがて腐るに決まつてゐます。これも忠義ではありませうが、
私はこれを勇なき忠義と呼びます。勇気ある忠義とは、死をかへりみず、その一心に
作つた握り飯を献上することであります」

三島由紀夫「奔馬」より
258名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 17:52:08.63
「罪と知りつつ、さうするのか」
「はい。殿下はじめ、軍人の方々はお仕合せです。陛下の御命令に従つて命を捨てるのが、
すなはち軍人の忠義だからであります。しかし一般の民草の場合、御命令なき忠義はいつでも
罪となることを覚悟せねばなりません」
「法に従へ、といふことは陛下の御命令ではないのか。裁判所といへども、陛下の裁判所である」
「私の申し上げる罪とは、法律上の罪ではありません。聖明が蔽はれてゐるこのやうな世に
生きてゐながら、何もせずに生き永らへてゐることがまづ第一の罪であります。その大罪を
祓ふには、涜神の罪を犯してまでも、何とか熱い握り飯を拵へて献上して、自らの忠心を
行為にあらはして、即刻腹を切ることです。死ねばすべては清められますが、生きてゐるかぎり、
右すれば罪、左すれば罪、どのみち罪を犯してゐることに変りはありません」

三島由紀夫「奔馬」より
259名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:59:03.03
同志は、言葉によつてではなく、深く、ひそやかに、目を見交はすことによつて得られるのに
ちがひない。思想などではなく、もつと遠いところから来る或るもの、又、もつと明確な
外面的な表徴であつて、しかもこちらにその志がなければ決して見分けられぬ或るもの、
それこそが同志を作る因に相違ない。


寡黙と素朴と明快な笑顔は、多くの場合、信頼のおける性格と、敢為の気性と、それから
死を軽んずる意気とのあらはれであり、弁舌、大言壮語、皮肉な微笑などはしばしば怯惰を
あらはしてゐた。蒼白や病身は、或る場合には、人を凌ぐ狂ほしい精力の源泉だつた。
概して肥つた男は臆病でゐながら慎重を欠き、痩せて論理的な男は直観を欠いてゐた。
顔や外見が実に多くのことを語るのに勲は気づいた。


勲は綱領を作らなかつた。あらゆる悪がわれわれの無力と無為を是認するやうに働らいて
ゐる世なのであるから、どんな行為であれ、行為の決意が、われわれの綱領となるであらう。

三島由紀夫「奔馬」より
260名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:59:28.09
「どうしてみんな帰らんのだ。これだけ言はれても、まだわからんのか」
と勲は叫んだが、これに応ずる声は一つもなく、しかも今度の沈黙はさつきのとは明らかに
ちがつて、何かの闇の中から温かい大きな獣が身を起したやうな感じのする沈黙だつた。
勲はその沈黙に、はじめてはつきりした手応へを感じた。それは熱く、獣臭く、血に充ち、
脈打つてゐた。
「よし。それぢや、のこつた君らは、何の期待も希望も持たずに、何もないかもしれない
ところへ命を賭けようにいふんだな」
「さうです」
と一人の凛々しい声がひびいた。
芦川は立上つて、勲へ一歩歩み寄つた。ずつと顔を寄せなくては見えないほどの闇の中で、
芦川の涙に濡れた目が迫つて来て、涙が咽喉に詰つた、ひどく低い野太い声でかう言つた。
「僕も残ります。どこへでも黙つてついて行きます」
「よし、では神前に誓ひ合はう。二拝二拍手。それから俺が誓ひの言葉をのべる。一つづつ
みんなで唱和してくれ」
勲、井筒、相良とのこる十七人の柏手が、闇の海に白木の船端を叩くやうにあざやかに
整然と響いた。

三島由紀夫「奔馬」より
261名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:59:51.78
勲がかう唱へた。
「ひとつ、われらは神風連の純粋に学び、身を挺して邪神姦鬼を攘(はら)はん」
一同の若々しい声が唱和した。
「ひとつ、われらは神風連の純粋に学び、身を挺して邪神姦鬼を攘はん」
勲の声は、おぼろげな白い社の御扉にぶつかつて反響し、強い深い、悲壮な胸腔から、
若さの夢幻的な霧が噴き上げられるやうに聴かれた。空にはすでに星があつた。市電の響きが
遠く揺れた。彼は重ねて唱へた。
「ひとつ、われらは莫逆の交はりをなし、同志相扶(あひたす)けて国難に赴かん」
「ひとつ、われらは権力をねがはず立身をかへりみず、万死以て維新の礎とならん」
――誓がすむとすぐ、一人が勲の手を握つた。双の手を重ねて握つたのである。それから
二十人がこもごもに手を握り合ひ、又、争つて勲の手を握つた。
目が馴れて、ものの文目が明らかになりかけた星空の下で、手は次々とまだ握らぬ手を求めて、
あちこちでひらめいた。誰も口をきかない。何か言へば軽薄になるからである。

三島由紀夫「奔馬」より
262名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 21:59:10.37
心の一部はすでにそれが誰であるかを認めてゐる。しかし心の大部分が、今しばしそれが
誰であるかを認めぬままに、保つておきたいと望んでゐる。幽暗に泛ぶ女の顔にはまだ名が
つけられず、名に先立つ匂ひやかな現前がある。それは夜の小径をゆくときに、花を見るより
前(さき)に聞く木犀の香りのやうなものである。勲はさういふものをこそ、一瞬でも永く
とどめておきたい心地がしてゐる。そのときこそ、女は女であり、名づけられた或る人では
ないからだ。
そればかりではない。それは、秘し匿された名によつて、その名を言はぬといふ約束によつて、
あたかも隠された支柱で闇に高く泛んだ夕顔の花のやうに、一そうみごとな精髄に化してゐる。
存在よりもさきに精髄が、現実よりもさきに夢幻が、現前よりもさきに予兆が、はつきりと、
より強い本質を匂はせて、現はれ漂つてゐるやうな状態、それこそは女だつた。
勲はまだ女を抱いたことがなかつたけれども、かうして、いはば、「女に先立つ女」を
ありありと感じるときほど、自分も亦、陶酔の何たるかを確かに知つてゐると強く感じる
ことはなかつた。

三島由紀夫「奔馬」より
263名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 21:59:32.04
大正初年の、思ふがままに感情の惑溺が許された短い薄命な時代の魁であつた清顕の一種の
「英姿」は、今ではすでに時代の隔たりによつて色褪せてゐる。その当時の真剣な情熱は、
今では、個人的な記憶の愛着を除けば、何かしら笑ふべきものになつたのである。
時の流れは、崇高なものを、なしくづしに、滑稽なものに変へてゆく。何が蝕まれるのだらう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおほひ、滑稽が
内奥の核をなしてゐたのだらうか。あるひは、崇高がすべてであつて、ただ外側に滑稽の塵が
降り積つたにすぎぬのだらうか。


清顕において、本当に一回的(アインマーリヒ)なものは、美だけだつたのだ。その余のものは、
たしかに蘇りを必要とし、転生を冀求(ききう)したのだ。清顕において叶へられなかつたもの、
彼にすべて負数の形でしか賦与されてゐなかつたもの……
もう一人の若者の顔は、夏の日にきらめく剣道の面金を脱ぎ去つて、汗に濡れ、烈しく息づく
鼻翼を怒らせ、刃を横に含んだやうな唇の一線を示して現はれた。

三島由紀夫「奔馬」より
264名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/28(月) 18:11:32.42
(())
*


プッ
265名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/28(月) 20:45:00.07
蔵原は何かこの国の土や血と関はりのない理智によつて悪なのであつた。それかあらぬか、
勲は蔵原についてほとんど知らないのに、その悪だけははつきりと感じることができた。
ひたすらイギリスとアメリカに気を兼ねて、一挙手一投足に色気をにじませて、柳腰で歩く
ほかに能のない外務官僚。私利私慾の悪臭を立て、地べたを嗅ぎ廻つて餌物をあさる巨大な
蟻喰ひのやうな財界人。それ自ら腐肉のかたまりになつた政治家たち。出世主義の鎧で
兜虫のやうに身動きならなくなつた軍閥。眼鏡をかけたふやけた白い蛆虫のやうな学者たち。
満州国を妾の子同然に眺めながら、早くも利権あさりに手をのばしかけてゐる人々。……
そして広大な貧窮は地平の朝焼けのやうに空に反映してゐた。
蔵原はかういふ惨澹たる風景画の只中に、冷然と置かれた一個の黒い絹帽(シルク・ハット)だつた。
彼は無言で人々の死を望み、これを嘉してゐた。
悲しめる日、白く冷え冷えとした日輪は、いささかの光りの恵みも与へることができず、
それでも、朝毎に憂はしげに昇つて空をめぐつた。それこそは陛下の御姿だつた。誰が再び、
太陽の喜色を仰がうと望まぬ筈があらうか?

三島由紀夫「奔馬」より
266名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/28(月) 20:45:32.47
勲の百合は?
留守中に捨てられたりせぬやうに、彼はそれを一輪差に活けて、硝子の戸のついた本棚の中に
納めてゐた。はじめは毎日水を換へてゐたのが、このごろは忘れて、水換へを怠つてゐることを
勲は愧(は)ぢた。観音開きの硝子戸をあけ、数冊の本を引き出して覗き込んだ。百合は
闇のなかにうなだれてゐる。
灯火に引き出された百合の一輪は、すでに百合の木乃伊(ミイラ)になつてゐる。そつと指を
触れなければ、茶褐色になつた花弁はたちまち粉になつて、まだほのかに青みを残してゐる茎を
離れるにちがひない。それはもはや百合とは云へず、百合の残した記憶、百合の影、不朽の
つややかな百合がそこから巣立つて行つたあとの百合の繭のやうなものになつてゐる。
しかし依然として、そこには、百合がこの世で百合であつたことの意味が馥郁と匂つてゐる。
かつてここに注いでゐた夏の光りの余燼をまつはらせてゐる。
勲はそつとその花弁に唇を触れた。もし触れたことがはつきり唇に感じられたら、
そのときは遅い。百合は崩れ去るだらう。唇と百合とが、まるで黎明と尾根とが触れるやうに
触れ合はねばならない。

三島由紀夫「奔馬」より
267名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/28(月) 20:45:50.95
勲の若い、まだ誰の唇にもかつて触れたことのない唇は、唇のもつもつとも微妙な感覚の
すべてを行使して、枯れた笹百合の花びらにほのかに触れた。そして彼は思つた。
『俺の純粋の根拠、純粋の保証はここにある。まぎれもなくここにある。俺が自刃するときには、
昇る朝日のなかに、朝霧から身を起して百合が花をひらき、俺の血の匂ひを百合の薫で
浄めてくれるにちがひない。それでいいんだ。何を思ひ煩らふことがあらうか』


神が辞(いな)んでをられるのではない。拒否も亦、明瞭ではないのである。
それは何を意味するのだらうと勲は考へた。今ここに、いづれも廿歳に充たない若さに
溢れた者どもが、熱烈にきらめく注視を勲の一身に鍾(あつ)め、その勲は高い絶壁の上の
神聖な光りを見上げてゐる。事態はここまで迫り、機はここまで熟してゐる。何かが
現はれねばならぬ。しかも、神は肯ふとも辞むともなく、この地上の不決断と不如意を
そのまま模したやうに、高空の光りのなかで、神の御御足(おみあし)からなほざりに
脱げた沓のやうに、決定は放棄されてゐるのである。

三島由紀夫「奔馬」より
268名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/30(水) 17:12:37.89
勲の心には暗い滝が落ちた。自尊心がゆつくりと切り刻まれてゐた。彼が今差当つて大切にして
ゐるのは自尊心ではなかつたから、それだけに見捨てられてゐる自尊心が、紛らしやうのない
痛みで報いた。その痛みの彼方に、雲間の清澄な夕空のやうな「純粋」が泛んでゐた。
彼は祈るやうに、暗殺されるべき国賊どもの顔を夢みた。彼が孤立無援に陥れば陥るほど、
あいつらの脂肪に富んだ現実性は増してゐた。その悪の臭ひもいよいよ募つてゐた。こちらは
いよいよ不安で不確定な世界へ投げ込まれ、あたかも夜の水月(くらげ)のやうになつた。
それこそ奴らの罪過だつた、こちらの世界をこんなにあいまいなほとんど信じがたいものに
してしまつたのは。この世の不信の根は、みんな向う側のグロテスクな現実性に源してゐた。
奴らを殺すとき、奴らの高血圧と皮下脂肪へ清らかな刃がしつかりと刺るとき、そのとき
はじめて世界の修理固成が可能になるだらう。それまでは……。

三島由紀夫「奔馬」より
269名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/30(水) 17:13:00.34
明るい軽信の井筒、小柄で眼鏡をかけた機敏な相良、東北の神官の息子でいかにも少年らしい芦川、
寡黙でしかも剽軽なところのある長谷川、律儀で絶壁頭の三宅、昆虫のやうな暗い固い乾いた
顔つきの宮原、文学好きで天皇崇敬家の木村、いつも激してゐながら黙りこくつてゐる藤田、
肺疾ながら岩乗な肩幅を持つた高瀬、柔道二段で柔和に見える大男の井上、……これが
選り抜かれた本当の同志だつた。死を賭するといふことが何を意味するか知つてゐる若者たち
だけが残つたのだ。
勲はそこに、この薄暗い電灯の下、黴くさい畳の上に、自分の焔の確証を見た。頽(くづ)れ
かけた花の、花弁は悉く腐れ落ちて、したたかな蕊だけが束になつて光りを放つてゐる。
この鋭い蕊だけでも、青空の眼を突き刺すことができるのだ。夢が痩せるほど頑なに身を
倚せ合つて、理智がつけ込む隙もないほどの固い殺戮の玉髄になつたのだ。

三島由紀夫「奔馬」より
270名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/30(水) 17:13:19.76
佐和は壁に向つて、猫のやうに背を丸めて身構へた。
見てゐる勲は、さうして体ごとぶつかる前には、いくつもの川を飛び越えて行く必要があらうと
察した。人間主義の滓が、川上の工場から排泄される鉱毒のやうに流れてやまぬ暗い小川を。
ああ、川上には昼夜兼行で動いてゐる西欧精神の工場の灯が燦然としてゐる。あの工場の廃液が、
崇高な殺意をおとしめ、榊葉の緑を枯らしたのである。
さうだ。跳込み面だ。竹刀をかざした体が、見えない壁をしらぬ間につきぬけて、向う側へ
出てゐるあれだ。感情のすばらしい迅速な磨滅が火花を放つ。敵は当然のやうに、刃の先に、
重たく、自分から喰ひついて来る筈だ。藪を抜けておのづから袂についたゐのこづちのやうに、
暗殺者の着物にはいつのまにか血が点々とついてゐる筈だ。……


左翼の奴らは、弾圧すればするほど勢ひを増して来てゐます。日本はやつらの黴菌に蝕まれ、
また蝕まれるほど弱い体質に日本をしてしまつたのは、政治家や実業家です。


恋も忠も源は同じであつた。

三島由紀夫「奔馬」より
271名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 17:45:38.64
勲たちの、熱血によつてしかと結ばれ、その熱血の迸りによつて天へ還らうとする太陽の結社は、
もともと禁じられてゐた。しかし私腹を肥やすための政治結社や、利のためにする営利法人なら、
いくら作つてもよいのだつた。権力はどんな腐敗よりも純粋を怖れる性質があつた。野蛮人が
病気よりも医薬を怖れるやうに。


『何故なんだ、何故なんだ』と勲は歯噛みをして思つた。『人間にはどうしてもつとも
美しい行為が許されてゐないんだ。醜い行為や、薄汚れた行為や、利のためにする行為なら、
いくらでも許されてゐるといふのに。
殺意の中にしか最高の道徳的なものがひそんでゐないことが明らかな時、その殺意を
罪とする法律が、あの無染の太陽、あの天皇の御名によつて施行されてゐるといふことは、
(最高の道徳的なもの自体が最高の道徳的存在によつて罰せられるといふことは、)一体
誰がことさら仕組んだ矛盾だらうか。陛下は果してこんな怖ろしい仕組を御存知だらうか。
これこそは精巧な《不忠》が手間暇かけて作り上げた涜神の機構ではないだらうか。

三島由紀夫「奔馬」より
272名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 17:46:03.64
俺にはわからない。俺にはわからない。どうしてもわからない。しかも殺戮のあと、直ちに
自刃する誓にそむく者は、誰一人ゐなかつた筈だ。さうなつてゐれば、われらは裾の端、
袖の片端でも、あの煩瑣な法律の藪の、下枝の一葉にさへ触れることなく、みごとに藪を
すり抜けて、まつしぐらにかがやく天空へ馳せのぼることができた筈だ。神風連の人々は
さうだつた。もつとも明治六年の法律の藪はまだ疎らだつたにちがひないが……。
法律とは、人生を一瞬の詩に変へてしまはうとする欲求を、不断に妨げてゐる何ものかの集積だ。
血しぶきを以て描く一行の詩と、人生とを引き換へにすることを、万人にゆるすのはたしかに
穏当ではない。しかし内に雄心を持たぬ大多数の人は、そんな欲求を少しも知らないで人生を
送るのだ。だとすれば、法律とは、本来ごく少数者のためのものなのだ。ごく少数の異常な純粋、
この世の規矩を外れた熱誠、……それを泥棒や痴情の犯罪と全く同じ同等の《悪》へ
おとしめようとする機構なのだ。その巧妙な罠へ俺は落ちた。他ならぬ誰かの裏切りによつて!』

三島由紀夫「奔馬」より
273名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 00:37:33.19
香煙が流れてきた。鉦や笛のひびきがして、窓外を葬列が通るらしかつた。人々の忍び泣きの
声が洩れた。しかし、夏の午睡の女の喜びは曇らなかつた。肌の上にあまねく細かい汗を
にじませ、さまざな官能の記憶を蓄へ、寝息につれてかすかにふくらむ腹は、肉のみごとな
盈溢を孕んだ帆のやうである。その帆を内から引きしめる臍には、山桜の蕾のやうなやや
鄙びた赤らみが射して、汗の露の溜つた底に小さくひそかに籠り居をしてゐる。美しく
はりつめた双の乳房は、その威丈高な姿に、却つて肉のメランコリーが漂つてみえるのだが、
はりつめて薄くなつた肌が、内側の灯を透かしてゐるかのやうに、照り映えてゐる。
肌理のこまやかさが絶頂に達すると、環礁のまはりに寄せる波のやうに、けば立つて来るのは
乳暈のすぐかたはらだった。乳暈は、静かな行き届いた悪意に充ちた蘭科植物の色、人々の口に
含ませるための毒素の色で彩られてゐた。その暗い紫から、乳頭はめづらかに、栗鼠のやうに
小賢しく頭をもたげてゐた。それ自体が何か小さな悪戯のやうに。

三島由紀夫「奔馬」より
274名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 00:38:02.99
一寸やはらげれば別物になつてしまひます。その『一寸』が問題なんです。純粋性には、
一寸ゆるめるといふことはありえません。ほんの一寸やはらげれば、それは全然別の思想になり、
もはや私たちの思想ではなくなるのです。


居並ぶ若い被告たちの中でも、とりわけ美しく凛々しく澄んだ勲の目へ、本多は心で呼びかけた。
事件を知つたとき、こよなくふさはしく思はれたその眥(まなじり)を決した目は、ふたたび
この場に不釣合な、ふさはしからぬものに思はれた。
『美しい目よ』と本多は呼んだ。『澄んで光つて、いつも人をたぢろがせ、丁度あの
三光の滝の水をいきなり浴びせられるやうに、この世のものならぬ咎めを感じさせる若者の
無双の目よ。何もかも言ふがよい。何もかも正直に言つて、そして思ふさま傷つくがいい。
お前もそろそろ身を守る術を知るべき年齢だ。何もかも言ふことによつて、最後にお前は、
《真実が誰によつても信じてもらへない》といふ、人生にとつてもつとも大切な教訓を
知るだらう。そんな美しい目に対して、それが私の施すことのできる唯一の教育だ』

三島由紀夫「奔馬」より
275名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 16:43:27.33
現在の日本をここまでおとしめたのは、政治家の罪ばかりでなく、その政治家を私利私慾のために
操つてゐる財閥の首脳に責任があると、深く考へるやうになりました。
しかし、私は決して左翼運動に加はらうとは思ひませんでした。左翼は畏れ多くも陛下に
敵対し奉らうとする思想であります。古来日本は、すめらみことをあがめ奉り、陛下を
日本人といふ一大家族の家長に戴いて相和してきた国柄であり、ここにこそ皇国の真姿があり、
天壌無窮の国体があることは申すまでもありません。
では、このやうに荒廃し、民は飢ゑに泣く日本とは、いかなる日本でありませいか。
天皇陛下がおいでになるのに、かくまで澆季末世になつたのは何故でありませうか。君側に
侍する高位高官も、東北の寒村で飢ゑに泣く農民も、天皇の赤子たることには何ら渝(かは)りが
ないといふのが、すめらみくにの世界に誇るべき特色ではないでせうか。陛下の大御心によつて、
必ず窮乏の民も救はれる日が来るといふのが、私のかつての確信でありました。

三島由紀夫「奔馬」より
276名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 16:43:54.64
日本および日本人は、今やや道に外れてゐるだけだ。時いたれば、大和心にめざめて、
忠良なる臣民として、挙国一致、皇国を本来の姿に戻すことができる、といふのが、私の
かつての希望でありました。天日をおほふ暗雲も、いつか吹き払はれて、晴れやかな
明るい日本が来る筈だ、と信じてをりました。
が、それはいつまで待つても来ません。待てば待つほど、暗雲は濃くなるばかりです。
そのころのことです、私が或る本を読んで啓示に打たれたやうに感じたのは。
それこそ山尾綱紀先生の「神風連史話」であります。これを読んでのちの私は、以前の私と
別人のやうになりました。今までのやうな、ただ座して待つだけの態度は、誠忠の士の
とるべき態度ではないと知つたのです。私はそれまで、「必死の忠」といふことがわかつて
ゐなかつたのです。忠義の焔が心に点火された以上、必ず死なねばならぬといふ消息が
わからなかつたのです。

三島由紀夫「奔馬」より
277名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 18:11:00.60
あそこに太陽が輝いてゐます。ここからは見えませんが、身のまはりの澱んだ灰色の光りも、
太陽に源してゐることは明らかですから、たしかに天空の一角に太陽は輝いてゐる筈です。
その太陽こそ、陛下のまことのお姿であり、その光りを直に身に浴びれば、民草は歓喜の
声をあげ、荒蕪の地は忽ち潤うて、豊葦原瑞穂国の昔にかへることは必定なのです。
けれど、低い暗い雲が地をおほうて、その光りを遮つてゐます。天と地はむざんに分け
隔てられ、会へば忽ち笑み交はして相擁する筈の天と地とは、お互ひの悲しみの顔をさへ
相見ることができません。地をおほふ民草の嗟嘆の声も、天の耳に届くことがありません。
叫んでも無駄、泣いても無駄、訴へても無駄なのです。もしその声が耳に届けば、天は
小指一つ動かすだけでその暗雲を払ひ、荒れた沼地をかがやく田園に変へることができるのです。

三島由紀夫「奔馬」より
278名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 18:11:22.78
誰が天へ告げに行くのか? 誰が使者の大役を身に引受けて、死を以て天へ昇るのか? 
それが神風連の志士たちの信じた宇気比(うけひ)であると私は解しました。
天と地は、ただ座視してゐては、決して結ばれることがない。天と地を結ぶには、何か
決然たる純粋の行為が要るのです。その果断な行為のためには、一身の利害を超え、
身命を賭さなくてはなりません。身を竜と化して、竜巻を呼ばなければなりません。
それによつて低迷する暗雲をつんざき、瑠璃色にかがやく天空へ昇らなければなりません。
もちろん大ぜいの人手と武力を借りて、暗雲の大掃除をしてから天へ昇るといふことも
考へました。が、さうしなくてもよいといふことが次第にわかりました。神風連の志士たちは、
日本刀だけで近代的な歩兵営に斬り込んだのです。雲のもつとも暗いところ、汚れた色の
もつとも色濃く群がり集まつた一点を狙へばよいのです。力をつくして、そこに穴をうがち、
身一つで天に昇ればよいのです。

三島由紀夫「奔馬」より
279名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 18:11:44.11
私は人を殺すといふことは考へませんでした。ただ、日本を毒してゐる凶々しい精神を
討ち滅ぼすには、それらの精神が身にまとうてゐる肉体の衣を引き裂いてやらねばなりません。
さうしてやることによつて、かれらの魂も亦浄化され、明く直き大和心に還つて、私共と
一緒に天へ昇るでせう。その代り、私共も、かれらの肉体を破壊したあとで、ただちに
いさぎよく腹を切つて、死ななければ間に合はない。なぜなら、一刻も早く肉体を捨てなければ、
魂の、天への火急のお使ひの任務が果せぬからです。
大御心を揣摩することはすでに不忠です。忠とはただ、命を捨てて、大御心に添はんと
することだと思ひます。暗雲をつんざいて、昇天して、太陽の只中へ、大御心の只中へ
入るのです。
……以上が、私や同志の心に誓つてゐたことのすべてであります。

三島由紀夫「奔馬」より
280名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 11:05:25.41
「僕は幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によつて罰せられたわけですね。……どうか
幻でないものがほしいと思ひます」
「大人になればそれが手に入るのだよ」
「大人になるより、……さうだ、女に生れ変つたらいいかもしれません。女なら、幻など
追はんで生きられるでせう、母さん」
勲は亀裂が生じたやうに笑つた。
「何を言ふんです。女なんかつまりませんよ。莫迦だね。酔つたんだね、そんなこと言つて」
みねは怒つたやうにさう答へた。


酔ひに赤らんだ勲の寝顔は苦しげに荒々しく息づいてゐたが、眠つてゐるあひだも、眉は
凛々しく引締めてゐた。突然、寝返りを打ちながら、勲が大声で、しかし不明瞭に言ふ寝言を
本多は聴いた。
「ずつと南だ。ずつと暑い。……南の国の薔薇の光りの中で。……」

三島由紀夫「奔馬」より
281名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 11:06:01.33
勲は湿つた土の上に正座して、学生服の上着を脱いだ。内かくしから白鞘の小刀をとり出した。
それが確かに在つたといふことに、全身がずり落ちるやうな安堵を感じた。
学生服の下には毛のシャツとアンダー・シャツを着てゐたが、海風の寒さが、上着を
脱ぐやいなや、身を慄はせた。
『日の出には遠い。それまで待つことはできない。昇る日輪はなく、けだかい松の樹蔭もなく、
かがやく海もない』
と勲は思つた。
シャツを悉く脱いで半裸になると、却つて身がひきしまつて、寒さは去つた。ズボンを寛げて、
腹を出した。小刀を抜いたとき、蜜柑畑のはうで、乱れた足音と叫び声がした。
「海だ。舟で逃げたにちがひない」
といふ甲走る声がきこえた。
勲は深く呼吸して、左手で腹を撫でると、瞑目して、右手の小刀の刃先をそこへ押しあて、
左手の指さきで位置を定め、右腕に力をこめて突つ込んだ。
正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕(かくやく)と昇つた。

三島由紀夫43歳「奔馬」より
282名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 14:42:24.60
293 :名無し会員さん:2011/04/05(火) 13:09:40.14 ID:a0DWXRyJ
ホモの世界に入りたいとは思わんが、
1回だけおためしホモ体験してみたい気はする。
しかしそれでハマッちまったら困るな・・・



294 :名無し会員さん:2011/04/05(火) 16:18:50.74 ID:jwhqD9hz
一度っきりの人生!
体験せずに終わるのはもったいない。

はまったら、はまったときさ!

283名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 14:43:17.27
295 :名無し会員さん:2011/04/05(火) 23:14:34.50 ID:06ryyv++
>>293
とりあえず、コロナクラブに行ってみてはどうでしょう?そこで気が進まなければ
やめときゃいい事で。入場料は2100円。出来たら土曜日に行く事をオススメします。
最低でも日曜か祝日。平日は人少ないからやめといたがいいよ。エレベーターで3階へ。

コロナクラブ http://www.corona-club.net/pc/ 新須崎橋目の前。

駐車場もあります。入場したらクツを靴箱に入れて鍵をフロントへ。ここで靴箱bヘ奇数を選ぶ。
上段のロッカーになります。お金を払うとガウンの種類を聞かれます。無難に赤を選びましょう。
ロッカーの鍵を貰ったら着替えます。ガウンを着てもいいし、ガタイのいい人ならバスタオルを
腰に巻くだけの方がモテルと思います。階段を降りて2階の大浴場でカラダを洗いましょう。

次は4階に上がり、ハッテンゾーンを見て回りましょう。もし「この人なら」と思う男がいたら
そっと手を出してもいいし、勇気がなければ適当な場所で布団で横になります。
しばらく待っていたら多分、誰かがカラダを触りに来ますから相手を見てイヤならそっと
相手の手を払いましょう。乱暴にしてはダメですよ。

初めてなら、女より断然上手い(吸引力やツボの心得が段違い)絶品フェラを楽しみましょう。
必ず誰かがしてくれます。(もしアナタがガリガリに痩せてるとか肩までの長髪とか
全身デキモノだらけとかだったら無理かもですが)普通の男性なら大丈夫です。

284名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 14:45:50.44
296 :名無し会員さん:2011/04/05(火) 23:16:46.93 ID:06ryyv++
絶品フェラを体験したら、できればイカずにとっておいてアナルSEXに挑戦しましょう。
相手はミックスルームやトリプルルームでうつ伏せで寝たフリをしてる人にしましょう。
彼らはアナルを掘られたいので事前に十分な準備をしてます。お尻の穴も奥までキレイに
洗ってあります。土曜日ならそんな人が何人か必ずいますので気に入った相手を選んで下さい。

相手を決めたらお尻を撫でながら股間を顔に近づけましょう。上手にフェラをしてくれるはずです。
その後、コンドームを付けてくれると思いますがもし付けてくれないならその人とはやめときましょう。
自分でコンドームを付けて入れてもいいですが・・・フロントでコンドームは貰えます。

相手がアナタのちんこと自分のケツ穴にローションを塗りこんだら準備OK。まずは後ろから
四つん這いにして挿入してみましょう。女性のアソコとは違う締まりと感触を楽しみましょう。
あとはアナタ次第。そのままイっちゃってもいいし、別の相手のテクニックを楽しむも良し。

それから、アナルに入れられるのは色々リスクがあるし後々タイヘンなのでオススメはしません。
狙ってくる人がいたらキッパリ断りましょう。すぐに引いてくれるハズです。

一度切りの思い出にするも良し、超安価な性欲処理としてハマルも良し。
コンドームさえ使えば病気の心配もなく、フェラされるのはナマでも安心です。
おためしホモ体験、してみたらココで報告して下さいね。

297 :名無し会員さん:2011/04/05(火) 23:24:03.27 ID:06ryyv++
駐車場は結構な台数ありますが土曜日2時以降は満車の可能性高いです。
南隣の名鉄パーキングに入庫しましょう。
では張り切ってお楽しみ下さいね!

298 :名無し会員さん:2011/04/05(火) 23:29:03.36 ID:Dd1mYmAl
アナタ親切ね。でも土曜だって夕方〜夜11時位は人減るから昼間か泊まりで行って方がいいわよ〜
285名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 14:46:39.64
※関西にお住まいの方は、40代ならロイヤルサウナ(新世界)がオススメ。
キレイで豪華だしサービス満点、2000円!(泊まり2500円)

http://www.sauna-royal.jp/

286名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 11:30:16.91
芸術といふのは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭(はんさい)です。
さしも永いあひだつづいた白昼の理性も、夕焼のあの無意味な色彩の濫費によつて台無しにされ、
永久につづくと思はれた歴史も、突然自分の終末に気づかせられる。美がみんなの目の前に
立ちふさがつて、あらゆる人間的営為を徒爾(あだごと)にしてしまふのです。あの夕焼の
花やかさ、夕焼雲のきちがひじみた奔逸を見ては、『よりよい未来』などといふたはごとも
忽ち色褪せてしまひます。現前するものがすべてであり、空気は色彩の毒に充ちてゐます。
何がはじまつたのか? 何もはじまりはしない。ただ、終るだけです。
そこには本質的なものは何一つありません。なるほど夜には本質がある。それは宇宙的な本質で、
死と無機的な存在そのものだ。昼にも本質がある。人間的なものすべては昼に属してゐるのです。
夕焼の本質などといふものはありはしません。ただそれは戯れだ。あらゆる形態と光りと色との、
無目的な、しかし厳粛な戯れだ。ごらんなさい、あの紫の雲を。自然は紫などといふ色の
椀飯振舞をすることはめつたにないのです。

三島由紀夫「暁の寺」より
287名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 11:30:41.57
社会正義を自ら代表してゐるやうな顔をしながら、それ自体が売名であるところの、
貧しい弁護士などといふのは滑稽な代物だつた。本多は法の救済の限度をよく心得てゐた。
本当のことをいへば、弁護士に報酬も払へないやうな人間に法を犯す資格はない筈なのに、
多くの人々はあやまつて必要から或ひは愚かしさから法を犯すのであつた。
時として、広大な人間性に、法といふ規矩を与へることほど、人間の思ひついたもつとも
不遜な戯れはない、と思はれることもあつた。犯罪が必要や愚かしさから生れがちなら、
法の基礎をなす習俗(ジッテ)もさうだとは云へないだらうか?


時代が驟雨のやうにざわめき立つて、数ならぬ一人一人をも雨滴で打ち、個々の運命の小石を
万遍なく濡らしてゆくのを、本多はどこにも押しとどめる力のないことを知つてゐた。が、
どんな運命も終局的に悲惨であるかどうかは定かではなかつた。歴史は、つねに、ある人々の
願望にこたへつつ、別のある人々の願望にそむきつつ、進行する。いかなる悲惨な未来と
いへども、万人の願ひを裏切るわけではない。

三島由紀夫「暁の寺」より
288名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 11:31:03.65
本多は自分が決して美しい青年ではなかつたことを知つてゐたから、こんな不透明な年齢の
外被が満更ではなかつた。
それに現在の彼は、青年に比べれば、はるかに確実に未来を所有してゐた。何かにつけて
青年が未来を喋々するのは、ただ単に彼らがまだ未来をわがものにしてゐないからにすぎない。
何事かの放棄による所有、それこそは青年の知らぬ所有の秘訣だ。


天変地異は別として、歴史的生起といふものは、どんなに不意打ちに見える事柄であつても、
実はその前に永い逡巡、いはば愛を受け容れる前の娘のやうな、気の進まぬ気配を伴ふのである。
こちらの望みにすぐさま応へ、こちらの好みの速度で近づいてくる事柄には、必ず作り物の
匂ひがあつたから、自分の行動を歴史的法則に委ねようとするなら、よろづに気の進まぬ態度を
持するのが一番だつた。欲するものが何一つ手に入らず、意志が悉く無効にをはる例を、
本多はたくさん見すぎてゐた。ほしがらなければ手に入るものが、欲するが為に手に入らなく
なつてしまふのだ。

三島由紀夫「暁の寺」より
289名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 11:31:29.17
日独伊三国同盟は、一部の日本主義の人たちと、フランスかぶれやアングロ・マニヤを
怒らせはしたけれども、西洋好き、ヨーロッパ好きの大多数の人たちはもちろん、古風な
アジア主義たちからも喜ばれてゐた。ヒットラーとではなくゲルマンの森と、ムッソリーニと
ではなくローマのパンテオンと結婚するのだ。それはゲルマン神話とローマ神話と古事記との
同盟であり、男らしく美しい東西の異教の神々の親交だつたのである。
本多はもちろんさういふロマンティックな偏見には服しなかつたが、時代が身も慄へるほど
何かに熱して、何かを夢見てゐることは明らかだつた。


十九歳の少年が自分の性格に対して抱く本能的な危惧は、場合によつてはおそろしく正確な
予見になる。


狷介な日本、緋縅(ひをどし)の若武者そのままに矜り高く、しかも少年のやうに
傷つきやすい日本は、人に嘲笑されるより先に自ら進んで挑み、人に蔑されるより先に自ら
進んで死んだ。勲は、清顕とはちがつて、正にこのやうな世界の核心に生き、かつ、霊魂を
信じてゐた。

三島由紀夫「暁の寺」より
290名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 16:17:19.25
もし生きようと思へば、勲のやうに純粋を固執してはならなかつた。あらゆる退路を自ら絶ち、
すべてを拒否してはならなかつた。
勲の死ほど、純粋な日本とは何だらうといふ省察を、本多に強ひたものはなかつた。すべてを
拒否すること、現実の日本や日本人をすらすべて拒絶し否定することのほかに、このもつとも
生きにくい生き方のほかに、とどのつまりは誰かを殺して自刃することのほかに、真に
「日本」と共に生きる道はないのではなからうか? 誰もが怖れてそれを言はないが、
勲が身を以て、これを証明したのではなからうか?
思へば民族のもつとも純粋な要素には必ず血の匂ひがし、野蛮の影が射してゐる筈だつた。
世界中の動物愛護家の非難をものともせず、国技の闘牛を保存したスペインとちがつて、
日本は明治の文明開化で、あらゆる「蛮風」を払拭しようと望んだのである。その結果、
民族のもつとも生々しい純粋な魂は地下に隠れ、折々の噴火にその兇暴な力を揮つて、
ますます人の忌み怖れるところとなつた。
いかに怖ろしい面貌であらはれようと、それはもともと純白な魂であつた。

三島由紀夫「暁の寺」より
291名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 16:19:01.78
しかし霊魂を信じた勲が一旦昇天して、それが又、善因善果にはちがひないが、人間に
生れかはつて輪廻に入つたとすると、それは一体何事だらう。
さう思へばさう思ひなされる兆もあるが、死を決したころの勲は、ひそかに「別の人生」の
暗示に目ざめてゐたのではないだらうか。一つの生をあまりにも純粋に究極的に生きようと
すると、人はおのづから、別の生の存在の予感に到達するのではなからうか。


死にぎはの勲の心が、いかに仏教から遠からうと、このやうな関はり方こそ、日本人の
仏教との関はり方を暗示してゐると本多には思はれた。それはいはばメナムの濁水を、
白絹の漉袋(こしぶくろ)で漉したのである。


清顕や勲の生涯が示した未成熟の美しさに比べれば、芸術や芸術家の露呈する未成熟、それを
以てかれらの仕事の本質としてゐる未成熟ほど、醜いものはないといふのが本多の考へだつた。
かれらは八十歳までそれを引きずつて歩くのだ。いはば引きずつてゐる襁褓(むつき)を
売物にして。
さらに厄介なのは贋物の芸術家で、えもいはれぬ昂然としたところが、独特の卑屈さと
入りまじつて、怠け者特有の臭気があつた。

三島由紀夫「暁の寺」より
292名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 16:19:27.33
酒がすこしづつ酢に、牛乳がすこしづつヨーグルトに変つてゆくやうに、或る放置されすぎた
ものが飽和に達して、自然の諸力によつて変質してゆく。人々は永いこと自由と肉慾の過剰を
怖れて暮してゐた。はじめて酒を抜いた翌朝のさはやかさ、自分にはもう水だけしか要らないと
感じることの誇らしさ。……さういふ新らしい快楽が人々を犯しはじめてゐた。さういふものが
人々をどこへ連れて行くかは、本多にはおよそのところがつかめてゐた。それはあの勲の
死によつて生れた確信であつた。純粋なものはしばしば邪悪なものを誘発するのだ。


インドでは無情と見えるものの原因は、みな、秘し隠された、巨大な、怖ろしい喜悦に
つながつてゐた! 本多はこのやうな喜悦を理解することを怖れた。しかし自分の目が、
究極のものを見てしまつた以上、それから二度と癒やされないだらうと感じられた。
あたかもベナレス全体が神聖な癩にかかつてゐて、本多の視覚それ自体も、この不治の病に
犯されたかのやうに。

三島由紀夫「暁の寺」より
293名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 16:20:14.42
成功にあれ失敗にあれ、遅かれ早かれ、時がいづれは与へずにはおかぬ幻滅に対する先見は、
ただそのままでは何ら先見ではない。それはありふれたペシミズムの見地にすぎぬからだ。
重要なのは、ただ一つ、行動を以てする、死を以てする先見なのだ。勲はみごとにこれを果した。
そのやうな行為によつてのみ、時のそこかしこに立てられた硝子の障壁、人の力では決して
のりこえられぬその障壁の、向う側からはこちら側を、こちら側からは向う側を、等分に
透かし見ることが可能になるのだ。渇望において、憧憬において、夢において、理想において、
過去と未来とが等価になり同質になり、要するに平等になるのである。


歴史は決して人間意志によつては動かされぬが、しかも人間意志の本質は、歴史に敢て
関はらうとする意志だ、といふ考へこそ、少年時代以来一貫して渝らぬ本多の持説であつた。

三島由紀夫「暁の寺」より
294名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 19:23:19.06
『午後の曳航』
295名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 10:51:22.63
本多は、輪廻転生を、一つの灯明の譬を以て説き、その夕べの焔、夜ふけの焔、夜の
ひきあけに近い時刻の焔は、いづれもまつたく同じ焔でもなければ、さうかと云つて別の
焔でもなく、同じ灯明に依存して、夜もすがら燃えつづけるのだ、といふナーガセーナの説明に
えもいはれぬ美しさを感じた。緑生としての個人の存在は、実体的存在ではなく、この
焔のやうな「事象の連続」に他ならない。
そして又、ナーガセーナは、はるかはるか後世になつてイタリアの哲学者が説いたのと
ほとんど等しく、
「時間とは輪廻の生存そのものである」
と教へるのであつた。


生は活動してゐる。阿頼耶識が動いてゐる。この識は総報の果体であり、一切の活動の
結果である種子(しゆうじ)を蔵(をさ)めてゐるから、われわれが生きてゐるといふことは、
畢竟、阿頼耶識が活動してゐることに他ならぬのであつた。
その識は滝のやうに絶えることなく白い飛沫を散らして流れてゐる。つねに滝は目前に見えるが、
一瞬一瞬の水は同じではない。水はたえず相続転起して、流動し、繁吹を上げてゐるのである。

三島由紀夫「暁の寺」より
296名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 10:52:04.85
阿頼耶識はかくて有情総報の果体であり、存在の根本原因なのであつた。たとへば人間としての
阿頼耶識が現行するといふことは、人間が現に存在するといふことにほかならない。
阿頼耶識は、かくてこの世界、われわれの住む迷界を顕現させてゐる。すべての認識の根が、
すべての認識対象を包括し、かつ顕現させてゐるのだ。その世界は、肉体(五根)と
自然界(器世界)と種子(物質・精神あらゆるものを現行させるべき潜勢力)とから
成立つてゐる。われわれが我執にとらはれて考へる実体としての自我も、われわれが死後に
つづくと考へる霊魂も、一切諸法を生ずる阿頼耶識から生じたものであれば、一切は
阿頼耶識に帰し、一切は識に帰するのだ。
しかるに、唯識の語から、何かわれわれが、こちら側に一つの実体としての主観を考へ、
そこに映ずる世界をすべてその所産と見なす唯心論を考へるならば、それはわれわれが、
我と阿頼耶識を混同したのだと言はねばならない。なぜなら、常数としての我は一つの不変の
実在であらうが、阿頼耶識は一瞬もとどまらない「無我の流れ」だからである。

三島由紀夫「暁の寺」より
297名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 11:02:17.24
第七識までがすべて世界を無であると云ひ、あるひは五蘊悉く滅して死が訪れても、
阿頼耶識があるかぎり、これによつて世界は存在する。一切のものは阿頼耶識によつて存し、
阿頼耶識があるから一切のものはあるのだ。しかし、もし、阿頼耶識を滅すれば?
しかし世界は存在しなければならないのだ!
従つて、阿頼耶識は滅びることがない。滝のやうに、一瞬一瞬の水はことなる水ながら、
不断に奔逸し激動してゐるのである。
世界を存在せしめるために、かくて阿頼耶識は永遠に流れてゐる。
世界はどうあつても存在しなければならないからだ!
しかし、なぜ?
なぜなら、迷界としての世界が存在することによつて、はじめて悟りへの機縁が齎らされる
からである。
世界が存在しなければならぬ、といふことは、かくて、究極の道徳的要請であつたのだ。
それが、なぜ世界は存在する必要があるのだ、といふ問に対する、阿頼耶識の側からの
最終の答である。

三島由紀夫「暁の寺」より
298名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 11:02:36.28
もし迷界としての世界の実有が、究極の道徳的要請であるならば、一切諸法を生ずる
阿頼耶識こそ、その道徳的要請の源なのであるが、そのとき、阿頼耶識と世界は、すなはち、
阿頼耶識と、染汚法の形づくる迷界は、相互に依拠してゐると云はなければならない。
なぜなら、阿頼耶識がなければ世界は存在しないが、世界が存在しなければ阿頼耶識は自ら
主体となつて輪廻転生をするべき場を持たず、従つて悟達への道は永久に閉ざされることに
なるからである。
最高の道徳的要請によつて、阿頼耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、
阿頼耶識も亦、依拠してゐるのであつた。
しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識で
あるならば、同時に、世界の一切を顕現させてゐる阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の
交はる一点に存在するのである。
ここに、唯識論独特の同時更互因果の理が生ずる、と本多は辛うじて理解した。

三島由紀夫「暁の寺」より
299名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 11:02:53.83
われわれの世界構造は、いはば阿頼耶識の種子を串にして、そこに無限の数の刹那の横断面を、
すなはち輪切りにされた胡瓜の薄片を、たえずいそがしく貫ぬいては捨て、貫ぬいては
捨てるやうな形になつてゐるのである。
輪廻転生は人の生涯の永きにわたつて準備されて、死によつて動きだすものではなくて、
世界を一瞬一瞬新たにし、かつ一瞬一瞬廃棄してゆくのであつた。
かくて種子は一瞬一瞬、この世界といふ、巨大な迷ひの華を咲かせ、かつ華を捨てつつ
相続されるのであるが、種子が種子を生ずるといふ相続には、前にも述べたやうに、業種子の
助縁が要る。この助縁をどこから得るかといふのに、一瞬間の現行の熏に依るのである。
唯識の本当の意味は、われわれ現在の一刹那において、この世界なるものがすべてそこに
現はれてゐる、といふことに他ならない。しかも、一刹那の世界は、次の刹那には一旦滅して、
又新たな世界が立ち現はれる。現在ここに現はれた世界が、次の瞬間には変化しつつ、
そのままつづいてゆく。かくてこの世界すべては阿頼耶識なのであつた。……

三島由紀夫「暁の寺」より
300名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 10:45:59.17
生きてゐる人間が純粋な感情を持続したり代表したりするなんて冒涜的なことです。


彼女は本多の物語を聴くときと同様、自分の肉体がたえず語りかける言葉を、いい加減に
聞き流してゐるやうに見えた。あまり大きくてあまり黒い瞳が、知的なものを通りすぎ、
何だか盲目のやうに見える。形態のふしぎ。ジン・ジャンが本多の前で、さうした、いくらか
強すぎる芳香を放つやうな感じのする肉を保つてゐるのは、ここ日本までたえず影響を
及ぼしてくる遠い密林の暈気のおかげであり、人が血筋と呼んでゐるものは、どこまでも
追ひかけてくる深い無形の声のやうな気がする。ある場合は熱い囁きになり、ある場合は
嗄れた叫びになるその声こそは、あらゆる美しい肉の形態の原因であり、又、その形が
惹き起す魅惑の源泉なのだ。


この世には道徳よりもきびしい掟がある、と本多が感じるのはその時だつた。ふさはしく
ないものは、決して人の夢を誘はず、人の嫌悪をそそるといふだけで、すでに罰せられてゐた。

三島由紀夫「暁の寺」より
301名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 10:46:21.68
ただ自足してゐなくて、不安に充ち、さりとてすでに無知ではない。知りうることと
知りえないこととの境界を垣間見たといふだけで、すでに無知ではない。そして不安こそ、
われわれが若さからぬすみうるこよない宝だ。本多はすでに清顕と勲の人生に立会ひ、
手をさしのべることの全く無意味な、運命の形姿をこの目で見たのだつた。それは全く、
欺されてゐるやうなものだつた。生きるといふことは、運命の見地に立てば、まるきり詐欺に
かけられてゐるやうなものだつた。そして人間存在とは? 人間存在とは不如意だ、
といふことを、本多は印度でしたたかに学んだのである。
さるにても、生の絶対の受身の姿、尋常では見られない生のごく存在論的な姿、さういふものに
本多は魅せられすぎ、又さういふものでなくては生ではないといふ、贅沢な認識に染まり
すぎてゐた。彼は誘惑者の資格を徹底的に欠いてゐた。なぜなら、誘惑し欺すといふことは、
運命の見地からは徒爾だつたし、誘惑するといふ意志そのものが徒爾だつたからである。

三島由紀夫「暁の寺」より
302名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 10:46:51.47
純粋に運命自体によつてだけ欺されてゐる生の姿以外に、生はない、と考へるとき、どうして
われわれの介入が可能であらう。そのやうな存在の純粋なすがたを、見ることさへどうして
できよう。さしあたつては、その不在においてだけ、想像力で相渉るほかはない。一つの
宇宙の中に自足してゐるジン・ジャン、それ自体が一つの宇宙であるジン・ジャンは、
あくまでも本多と隔絶してゐなければならない。彼女はともすると一種の光学的存在であり、
肉体の虹なのであつた。顔は赤、首筋は橙いろ、胸は黄、腹は緑、太腿は青、脛は藍、
足の指は菫いろ、そして顔の上部には見えない赤外線の心と、足の蹈まへる下には見えない
紫外線の記憶の足跡と。……そしてその虹の端は、死の天空へ融け入つてゐる。死の空へ
架ける虹。知らないといふことが、そもそもエロティシズムの第一条件であるならば、
エロティシズムの極致は、永遠の不可知にしかない筈だ。すなはち「死」に。

三島由紀夫「暁の寺」より
303名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 10:47:16.69
自分の中ですでに公然と理性を汚辱してゐた彼が、危険をかへりみない、といふことは
ありえない。なぜなら、真の危険を犯すものは理性であり、その勇気も理性からだけ
生れるからだ。


慶子は急に何か思ひついたやうに、手提から固形香水をとりだして、翡翠の耳飾りを
垂らした耳朶にこすりつけた。
これが何かの合図になつたみたいに、ロビーの灯火がのこらず消えた。
「ちえつ、停電だ」
と克己の声が言つた。停電のときに、停電だと言つて、一体それが何になるのだらう、
と本多は思つた。怠惰の言訳としてしか言葉を使はぬ人間がゐるものだ。


あの目なしには、今西と椿原夫人の結びつきには、贋物の匂ひが拭はれず、野合の負け目が
除かれぬ。あれこそはもつとも威ある媒酌人の目だつたからだ。寝室の薄闇の一隅に
光つてゐたあの女神のやうな犀利な瞳こそ、結びつけながら拒絶し、ゆるしながら蔑む
証人の目、この世のどこかに安置されてゐる或る神秘な正義の、いやいやながらの承認を
司る目なのであつた。

三島由紀夫「暁の寺」より
304名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 11:20:33.79
必要から生れたものには、必要の苦さが伴ふ。この想像力には甘美なところがみぢんもなかつた。
もし事実の上に立つて羽搏く想像力なら、心をのびやかにひろげることもあらうに、事実へ
無限に迫らうとする想像力は、心を卑しくさせ、涸渇させる。ましてその「事実」が
なかつたとしたら、その瞬間にすべては徒労になるのだ。
しかし、事実はたしかにどこかにある、といふ刑事の想像力ならば、わが身を蝕むことは
あるまい。梨枝の想像力は二つのものを兼ねてゐた、すなはち、事実がたしかにどこかにある、
といふ気持と、その事実がなくてくれればいい、といふ気持と。かうして嫉妬の想像力は
自己否定に陥るのだ。想像力が一方では、決して想像力を容認しないのである。丁度過剰な
胃酸が徐々に自らの胃を蝕むやうに、想像力がその想像力の根源を蝕んでゆくうちに、
悲鳴に似た救済の願望があらはれる。事実があれば、事実さへあれば、自分は助かるのだ! 
攻めの一手の探究の果てに、かうしてあらはれる救済の願望は、自己処罰の欲望に似て来てしまふ。
なぜならその事実は、(もしあるとすれば)、自分を打ちのめす事実に他ならないからだ。

三島由紀夫「暁の寺」より
305名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 11:21:24.29
無知によつて歴史に与り、意志によつて歴史から辷り落ちる人間の不如意を、隈なく
眺めてきた本多は、ほしいものが手に入らないといふ最大の理由は、それを手に入れたいと
望んだからだ、といふ風に考へる。一度も望まなかつたので、三億六千万円は彼のものに
なつたのである。
それが彼の考へ方だつた。ほしいものが手に入らない、といふことを、自分の至らぬためとか、
生れつきの欠点のためとか、乃至は、自分が身に負うてゐる悲運のためとか決して考へる
ことがなく、それをすぐ法則化し普遍化するのが本多の持ち前だつたから、彼がやがて
その法則の裏を掻かうと試みはじめたのにふしぎはない。何でも一人でやる人間だつたから、
立法者と脱法者を兼ねることなぞ楽にできた。すなはち、自分が望むものは決して手に
入らぬものに限局すること、もし手に入つたら瓦礫と化するに決つてゐるから、望む対象に
できうるかぎり不可能性を賦与し、少しでも自分との間の距離を遠くに保つやうに努力すること、
……いはば熱烈なアパシーとでも謂ふべきものを心に持すること。

三島由紀夫「暁の寺」より
306名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 17:17:37.52
身の毛もよだつほどの自己嫌悪が、もつとも甘い誘惑と一つになり、自分の存在の否定自体が、
決して癒されぬといふことの不死の観念と一緒になるのだ。存在の不治こそは不死の感覚の
唯一の実質だつた。


自分の人生は暗黒だつた、と宣言することは、人生に対する何か痛切な友情のやうにすら
思はれる。お前との交遊には、何一つ実りはなく、何一つ歓喜はなかつた。お前は俺が
たのみもしないのに、その執拗な交友を押しつけて来て、生きるといふことの途方もない
綱渡りを強ひたのだ。陶酔を節約させ、所有を過剰にし、正義を紙屑に変へ、理智を家財道具に
換価させ、美を世にも恥かしい様相に押しこめてしまつた。人生は正統性を流刑に処し、
異端を病院へ入れ、人間性を愚昧に陥れるために大いに働らいた。それは、膿盆の上の、
血や膿のついた汚れた繃帯の堆積だつた。すなはち、不治の病人の、そのたびごとに、
老いも若きも同じ苦痛の叫びをあげさせる、日々の心の繃帯交換。

三島由紀夫「暁の寺」より
307名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 17:17:59.70
彼はこの山地の空のかがやく青さのどこかに、かうして日々の空しい治癒のための、
荒つぽい義務にたづさはる、白い壮麗な看護婦の巨大なしなやかな手が隠れてゐるのを感じた。
その手は彼にやさしく触れて、又しても彼に、生きることを促すのであつた。乙女峠の
空にかかる白い雲は、偽善的なほど衛生的な、白い新らしいまばゆい繃帯の散乱であつた。


甚だゆつくりした物腰、やや尊大な物の言ひつぷり、日常生活にまで安全運転のしみ込んだ
この男の、決して動じない態度には苛立たされる。人生が車の運転と同様に、慎重一点張りで
成功するなどと思はれてたまるものか。


或る感情の量を極度まで増してゆくとおのづから質が変つて、わが身を滅ぼすかと思はれた
悩みの蓄積が、ふいに生きる力に変るのだ。はなはだ苦い、はなはだ苛烈な、しかし俄かに
展望のひらける青い力、すなはち海に。
本多は妻がそのとき、曾て見も知らぬ苦いしたたかな女に変りつつあるのに気づいてゐなかつた。
不機嫌や黙りがちの探索で彼を苦しめてゐた間の梨枝は、実はまだその蛹にすぎなかつた。

三島由紀夫「暁の寺」より
308名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 19:44:17.01
飛翔するジン・ジャンをこそ見たいのに、本多の見るかぎりジン・ジャンは飛翔しない。
本多の認識世界の被造物にとどまる限り、ジン・ジャンはこの世の物理法則に背くことは
叶はぬからだ。多分、(夢の裡を除いて)、ジン・ジャンが裸で孔雀に乗つて飛翔する世界は、
もう一歩のところで、本多の認識自体がその曇りになり瑕瑾になり、一つの極微の歯車の
故障になつて、正にそれが原因で作動しないのかもしれぬ。ではその故障を修理し、歯車を
取り換へたらどうだらうか? それは本多をジン・ジャンと共有する世界から除去すること、
すなはち本多の死に他ならない。
今にして明らかなことは、本多の欲望がのぞむ最終のもの、彼の本当に本当に本当に
見たいものは、彼のゐない世界にしか存在しえない、といふことだつた。真に見たいものを
見るためには、死なねばならないのである。
覗く者が、いつか、覗くといふ行為の根源の抹殺によつてしか、光明に触れえぬことを
認識したとき、それは、覗く者が死ぬことである。
認識者の自殺といふものの意味が、本多の心の中で重みを持つたのは、生れてはじめてだと
云つてよかつた。

三島由紀夫「暁の寺」より
309名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 19:45:14.76
「今夜が最後と思へば、話なんていくらだつてあります。この世のありとあらゆることを
話し合ふんですね。自分のやつたこと、人のやつたこと、世界が体験したこと、人類が今まで
やつてきたこと、あるひは置きざりにされた一つの大陸が何千年ものあひだじつと夢み
つづけてきたこと、何でもいいのです。話の種子はいつぱいあります。今夜限りで世界は
終るのですからね」


「信心をお持ちになつたらどうなんです」
「信心なんて。裏切る心配のない見えない神様などを信じてもつまりませんわ。私一人を
いつもじつと見つづけて、あれはいけない、これはいけない、とたえず手取り足取り指図して
下さる神様でなければ。その前では何一つ隠し立てのできない、その前ではこちらも浄化されて、
何一つ羞恥心を持つことさへ要らない、さういふ神様でなければ、何になるでせう」


「おたのしさうね、皆さん。こんな時代が来るなんて、戦争中に誰が想像したでせう。
一度でもいいから、暁雄にこんな思ひをさせてやりたかつた」

三島由紀夫「暁の寺」より
310名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 19:49:06.21
かういふ動悸には馴染がある。夜の公園に身をひそめてゐる折、目の前に待ちかねてゐたものが
いよいよはじまるといふ時に、赤い蟻が一せいに心臓にたかつて、同じ動悸を惹き起す。
それは一種の雪崩だ。この暗い蜜の雪崩が、世界を目のくらむやうな甘さで押し包み、
理智の柱をへし折り、あらゆる感情を機械的な早い鼓動だけで刻んでしまふ。何もかも
融けてしまふ。これに抗はうとしても無駄なことだ。
それはどこから襲つて来るのだらう。どこかに官能の深い棲家があつて、それが遠くから指令を
及ぼすと、どんな貧しい触角も敏感にそよぎ、何もかも打ち捨てて、走り出さなければならない。
快楽の呼ぶ声と死の呼ぶ声は何と似てゐることか。ひとたび呼ばれれば、どんな目前の仕事も
重要でなくなり、つけかけの航海日誌や、喰べかけの食事や、片方だけ磨いた靴や、鏡の前に
今置いたばかりの櫛や、繋ぎかけたロープもそのままに、全乗組員が消え去つたあとを
とどめてゐる幽霊船のやうに、すべてをやりかけのまま見捨てて出て行かねばならない。

三島由紀夫「暁の寺」より
311名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 19:49:32.74
動悸はこのことの起る予兆なのだ。そこからはじまることはみつともなさと醜悪だけと
知れてゐるのに、この動悸には必ず虹のやうな豊麗さが含まれ、崇高と見分けのつかないものが
ひらめいてゐた。
崇高と見分けのつかないもの。それこそは曲者だつた。どんな高尚な事業どんな義烈の行為へ
人を促す力も、どんな卑猥な快楽どんな醜怪な夢へそそのかす力も、全く同じ源から出、
同じ予兆の動悸を伴ふといふことほど、見たくない真実はなかつた。もし下劣な欲望は
下劣な影をちらつかせるにすぎず、そもそもこの最初の動悸に崇高さの誘惑がひらめかなければ、
人はまだしも平静な矜りを持して生きることができるのだ。ともすると誘惑の根源は
肉慾ではなくて、この思はせぶりな、このおぼろげな、この雲間に隠見する峯のやうな銀の
崇高さの幻影なのだつた。それは一先づ人をとりこにし、次いで耐へきれぬ焦燥から広大な
光りへあこがれさせる、「崇高」の鳥黐だつた。

三島由紀夫「暁の寺」より
312名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 19:49:36.05
信者の気まぐれスレ
結構こういう人たちってめんどかったり安易に解決したり
煮詰まりつつも今一歩踏み出せないみたいな・・・・
年代的には三島を凌駕するようなカリスマ欲してるんだろねw
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
313名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 19:51:06.34
うすくにじみ出す煙のなかから、火が兇暴な拳をつき出して、焔の吹き出す口をあける
移りゆきの、ほとんど滑らかな速度には、夢よりも巧妙なものがあつた。
本多は肩や袖にふりかかる火の粉を払ひ、プールの水面は、燃え尽きた木片や、藻のやうに
蝟集した灰におほはれてゐた。しかし火の輝やきはすべてを射貫いて、マニカルニカ・ガートの
焔の浄化は、この小さな限られた水域、ジン・ジャンが水を浴びるために造られた神聖な
プールに逆しまに映つてゐた。ガンジスに映つてゐたあの葬りの火とどこが違つたらう。
ここでも亦、火は薪と、それから焼くのに難儀な、おそらく火中に何度か身を反らし、
腕をもたげたりした、もはや苦痛はないのに肉がただ苦しみの形をなぞり反復して滅びに抗ふ、
二つの屍から作られたのである。それは夕闇に浮んだガートのあの鮮明な火と、正確に同質の
火であつた。すべては迅速に四大へ還りつつあつた。煙は高く天空を充たしてゐた。
ただ一つここにないものは、焔のかなたからこちらを振り向いて、本多の顔をひたと見据ゑた
あの白い聖牛の顔だけである。……

三島由紀夫45歳「暁の寺」より
314名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 10:58:02.58
乳海攪拌のインド神話を、毎日毎日、ごく日常的にくりかへしてゐる海の攪拌作用。たぶん
世界はじつとさせておいてはいけないのだらう。じつとしてゐることには、自然の悪を
よびさます何かがあるのだらう。
五月の海のふくらみは、しかしたえずいらいらと光りの点描を移してをり、繊細な突起に
充たされてゐる。
三羽の鳥が空の高みを、ずつと近づき合つたかと思ふと、また不規則に隔たつて飛んでゆく。
その接近と離隔には、なにがしかの神秘がある。相手の羽風を感じるほどに近づきながら、又、
その一羽だけついと遠ざかるときの青い距離は、何を意味するのか。三羽の鳥がさうするやうに、
われわれの心の中に時たま現はれる似たような三つの思念も?


海、名のないもの、地中海であれ、日本海であれ、目前の駿河湾であれ、海としか名付けようの
ないもので辛うじて統括されながら、決してその名に服しない、この無名の、この豊かな、
絶対の無政府主義(アナーキー)。

三島由紀夫「天人五衰」より
315名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 10:58:23.83
刹那刹那の海の色の、あれほどまでに多様な移りゆき。雲の変化。そして船の出現。
……そのたびに一体何が起るのだらう。生起とは何だらう。
刹那刹那、そこで起つてゐることは、クラカトアの噴火にもまさる大変事かもしれないのに、
人は気づかぬだけだ。存在の他愛なさにわれわれは馴れすぎてゐる。世界が存在してゐるなどと
いふことは、まじめにとるにも及ばぬことだ。
生起とは、とめどない再構成、再組織の合図なのだ。遠くから波及する一つの鐘の合図。
船があらはれることは、その存在の鐘を打ち鳴らすことだ。たちまち鐘の音はひびきわたり、
すべてを領する。海の上には、生起の絶え間がない。存在の鐘がいつもいつも鳴りひびいてゐる。
一つの存在。
船でなくともよい。いつ現はれたとも知れぬ一顆の夏蜜柑。それでさへ存在の鐘を打ち鳴らすに
足りる。
午後三時半、駿河湾で存在を代表したのは、その一顆の夏蜜柑だつた。
波に隠れすぐ現はれ、浮いつ沈みつして、またたきやめぬ目のやうに、その鮮明な
オレンヂいろは、波打際から程遠からぬあたりを、みるみる東のはうへ遠ざかる。

三島由紀夫「天人五衰」より
316名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 12:32:53.04
堤防の上の砂地には夥しい芥が海風に晒されてゐた。コカ・コーラの欠けた空瓶、缶詰、
家庭用の塗装ペイントの空缶、永遠不朽のビニール袋、洗剤の箱、沢山の瓦、弁当の殻……
地上の生活の滓がここまで雪崩れて来て、はじめて「永遠」に直面するのだ。今まで一度も
出会はなかつた永遠、すなはち海に。もつとも汚穢な、もつとも醜い姿でしか、つひに人が
死に直面することができないやうに。


見ることは存在を乗り超え、鳥のやうに、見ることが翼になつて、誰も見たことのない領域へ
まで透を連れてゆく筈だ。そこでは美でさへも、引きずり朽され使ひ古された裳裾のやうに、
ぼろぼろになつてしまふ筈だ。永久に船の出現しない海、決して存在に犯されぬ海といふものが
ある筈だ。見て見て見抜く明晰さの極限に、何も現はれないことの確実な領域、そこは又
確実に濃藍で、物象も認識もともどもに、酢酸に涵された酸化鉛のやうに溶解して、もはや
見ることが認識の足枷を脱して、それ自体で透明になる領域がきつとある筈だ。

三島由紀夫「天人五衰」より
317名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 12:33:14.78
微笑は同情とは無縁だつた。微笑とは、決して人間を容認しないといふ最後のしるし、
弓なりの唇が放つ見えない吹矢だ。


どんな男だつて、私を見たとたんに、獣になつてしまふんだもの、尊敬しやうがないぢや
ありませんか。女の美しさが、男の一番醜い欲望とぢかにつながつてゐる、といふことほど、
女にとつて侮辱はないわ。


おそらく絹江の発狂のきつかけは、失恋させた男が彼女の醜い顔を露骨に嘲つたことにあるので
あらう。その刹那に、絹江は自分の生きる道を、その唯一の隘路の光明を認めたのであつた。
自分の顔が変らなければ、世界のはうを変貌させればそれですむ。誰もその秘密を知らぬ
美容整形の自己手術を施し、魂を裏返しにしさへすれば、かくも醜い灰色の牡蠣殻の内側から、
燦然たる真珠母があらはれるのだつた。
追ひつめられた兵士が活路をひらくやうに、絹江はこの世界の根本的な不如意の結び目を
発見して、それを要に、世界を裏返しにしてしまつた。何といふ革命だつたらう。
内心もつとも望んでゐたものを、悲運の形で受け入れたその狡智。……

三島由紀夫「天人五衰」より
318名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 12:28:11.34
無職スレとアラフォースレ削除
319名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 16:41:32.47
自分はいつも見てゐる。もつとも神聖なものも、もつとも汚穢なものも、同じやうに。
見ることがすべてを同じにしてしまふ。同じことだ。……はじめからをはりまで同じことだ。
……いひしれぬ暗い心持に沈んで、本多は、あたかも海を泳いで来た人が、身にまとひつく
海藻を引きちぎつて陸に上るやうに、夢を剥ぎ落して、目をさました。


日はまだ現はれないが、現はれるべきところのすぐ上方に、肌理のこまかい雲が、あたかも
低い山脈の連なりのやうな、山襞の褶曲そつくりの形を高肉浮彫にしてゐる。この山脈の上には
ところどころに仄青い間隙のある薔薇いろの横雲が一面に流れ、この山脈の下には薄鼠いろの
雲が海のやうに堆積してゐる。そして山脈の浮彫は、薔薇いろの雲の反映を山裾にまで受けて、
匂うてゐる。その山裾には人家の点在まで想ひ見られ、そこに薔薇いろに花ひらいた幻の国土の
出現を透は見た。
あそこからこそ自分は来たのだ、と透は思つた。幻の国土から。夜明けの空がたまたま
垣間見せるあの国から。

三島由紀夫「天人五衰」より
320名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 16:41:57.69
だんだん幼時の夢や少年時代の夢を見ることが多くなつた。若かつたころの母が、或る雪の日に、
作つてくれたホット・ケーキの味をも、夢が思ひ出させた。
あんなつまらない挿話がどうしてこんなに執拗に思ひ出されるのだらう。思へばこの記憶は、
半世紀もの間、何百回となく折に触れて思ひ出され、何の意味もない挿話であるだけに、
その想起の深い力が本多自身にもつかめないのである。
(中略)
本多が夢にたびたび想起するのは、そのときのホット・ケーキの忘れられぬ旨さである。
雪の中をかへつてきて、炬燵にあたたまりながら喰べたその蜜とバターが融け込んだ美味である。
生涯本多はあんな美味しいものを喰べた記憶がない。
しかし何故そんな詰らぬことが、一生を貫ぬく夢の酵母になつたのであらう。(中略)
それにしてもその日から六十年が経つた。何といふ須臾の間であらう。或る感覚が胸中に
湧き起つて、自分が老爺であることも忘れて、母の温かい胸に顔を埋めて訴へたいやうな
気持が切にする。

三島由紀夫「天人五衰」より
321名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 16:42:19.06
六十年を貫ぬいてきた何かが、雪の日のホット・ケーキの味といふ形で、本多に思ひ知らせる
ものは、人生が認識からは何ものをも得させず、遠いつかのまの感覚の喜びによつて、
あたかも夜の広野の一点の焚火の火明りが、万斛の闇を打ち砕くやうに、少くとも火の
あるあひだ、生きることの闇を崩壊させるといふことなのだ。
何といふ須臾だらう。十六歳の本多と、七十六歳の本多との間には、何事も起らなかつたと
しか感じられない。それはほんの一またぎで、石蹴り遊びをしてゐる子供が小さな溝を
跳び越すほどのつかのまだつた。
そして、清顕があれほど詳(つぶ)さにしたためた夢日記が、その後効験をあらはすのを見て、
たしかに本多は夢の生に対する優位を認識したけれども、自分の人生がかうまで夢に
犯されるとは想像もしてゐなかつた。タイの出水に涵される田園のやうに、夢の氾濫が
自分にも起つたといふふしぎな喜びはあつたが、清顕の夢の芳醇に比べると、本多の夢は
ただ返らぬ昔のなつかしい喚起にすぎなかつた。

三島由紀夫「天人五衰」より
322名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 10:50:47.22
なるほど空襲下の渋谷の焼址で蓼科が語つたところによれば、聡子は泉が澄むやうにますます
美しくなつたといふが、さういふ無漏の老尼の美もわからぬでもなく、事実、大阪の人から
輓近の聡子の美しさを感嘆を以て語る声をもきいた。それでもなほ本多は怖い。美の廃址を
見るのも怖いが、廃址にありありと残る美を見るのも怖いのである。


それはあたかも彼の認識の闇の世界の極みの破れ目から、そそいで来る一縷の月光のやうな寺に
他ならなかつた。
そこに聡子のゐることが確実であるなら、聡子は不死で永久にそこにゐることも確実のやうに
思はれる。本多が認識によつて不死であるなら、この地獄から仰ぎ見る聡子は、無限大の
距離にゐた。会ふなり聡子が本多の地獄を看破ることは確実なのである。又、本多の不如意と
恐怖に充ちた認識の地獄の不死と、聡子の天上の不死とは、いつも見合つてをり、均衡を
保つやうに仕組まれてゐると感じられる。それなら今いそいで会はなくても、三百年後でも、
よしんば千年後でも、会ひたいときには随時に会へるではないか。

三島由紀夫「天人五衰」より
323名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 10:52:11.05
いつ降るともしれぬ梅雨空の下を、車は金融関係の新らしいビルが櫛比する迂路を
八〇キロほどの速度で走つた。ビルといふビルは頑なで、正確で、威嚇的で、鉄とガラスの
長大な翼をひろげて、次々と襲ひかかつた。本多はいづれ自分が死ぬときには、これらのビルは
全部なくなるのだ、といふ想ひに、一種の復讐の喜びを味はつた、その瞬間の感覚を思ひ出した。
この世界を根こそぎ破壊して、無に帰せしめることは造作もなかつた。自分が死ねば確実に
さうなるのだ。世間から忘れられた老人でも、死といふ無上の破壊力をなほ持ち合せて
ゐることが、少し得意だつたのである。本多はいささかも五衰を怖れてゐなかつた。


ベナレスでは神聖が汚穢だつた。又汚穢が神聖だつた。それこそは印度だつた。
しかし日本では、神聖、美、伝統、詩、それらのものは、汚れた敬虔な手で汚されるのでは
なかつた。これらを思ふ存分汚し、果ては絞め殺してしまふ人々は、全然敬虔さを欠いた、
しかし石鹸でよく洗つた、小ぎれいな手をしてゐたのである。

三島由紀夫「天人五衰」より
324名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 19:14:37.91
祈りの手ほど謙虚ではなく、見えないものを愛撫しようと志してゐる手。宇宙を愛撫するために
だけ使はれる手があるとすれば、それは自涜者の手だ。『俺は見抜いたぞ』と本多は思つた。
(中略)
見るがいい。この少年こそ純粋な悪だつた! その理由は簡単だつた。この少年の内面は
能ふかぎり本多に似てゐたからである。


これはすべて本多の幻想だつたかもしれない。が、一目で見抜く認識能力にかけては、
幾多の失敗や蹉跌のあとに、本多の中で自得したものがあつた。欲望を抱かない限り、
この目の透徹と澄明は、あやまつことがなかつた。まして自分にとつて不本意なことを
見抜くことにかけては。
悪は時として、静かな植物的な姿をしてゐるものだ。結晶した悪は、白い錠剤のやうに美しい。
この少年は美しかつた。そのとき本多は、ともすると我人共に認めようとしてゐなかつた自分の
自意識の美しさに、目ざめ、魅せられてゐたのかもしれない。……

三島由紀夫「天人五衰」より
325名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 19:15:05.35
あなたのお話は、私も癒(なほ)したわ。私はこれでもせい一杯戦つてきたつもりだけれど、
戦ふ必要もないことだつた。私たちは一人のこらず、同じ投網の中に捕へられた魚なのですね。


それを知つた人の顔には、一種の見えない癩病の兆候があらはれるのだ。神経癩や結節癩が
『見える癩病』なら、それは透明癩とでもいふのだらうか。それを知つたが最後、誰でも
ただちに癩者になる。印度へ行つたときから、(それまでにも病気は何十年も潜伏して
ゐたのだが)、私はまぎれもない『精神の癩者』になつたのだ。


人間の美しさ、肉体的にも精神的にも、およそ美に属するものは、無知と迷蒙からしか
生れないね。知つてゐてなほ美しいなどといふことは許されない。同じ無知と迷蒙なら、
それを隠すのに何ものも持たない精神と、それを隠すのに輝やかしい肉を以てする肉体とでは、
勝負にならない。人間にとつて本筋の美しさは、肉体美にしかないわけさ。

三島由紀夫「天人五衰」より
326名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 11:15:43.51
しかし何者が本多にこんな夢を見せたのであらう。
慶子との会話を知つてゐるのは、慶子と本多の二人しかゐないのであるから、その「何者」は、
慶子でなければ本多にちがひない。が、本多は自分でそんな夢を見たいと決して望んだ
わけではない。本多に何のことわりもなく、その希望を一向参酌せずに、勝手な夢を見させたものが、本多自身であつてよい筈はない。
もちろん本多はウィーンの精神分析学者の夢の本は色々読んでゐたが、自分を裏切るやうな
ものが実は自分の願望だ、といふ説には、首肯しかねるものがあつた。それより自分以外の
何者かが、いつも自分を見張つてゐて、何事かを強ひてゐる、と考へるはうが自然である。
目ざめてゐるときは自分の意志を保ち、否応なしに歴史の中に生きてゐる。しかし自分の
意志にかかはりなく、夢の中で自分を強ひるもの、超歴史的な、あるひは無歴史的なものが、
この闇の奥のどこかにゐるのだ。

三島由紀夫「天人五衰」より
327名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 11:16:27.87
「…僕は君のやうな美しい人のために殺されるなら、ちつとも後悔しないよ。この世の中には、
どこかにすごい金持の醜い強力な存在がゐて、純粋な美しいものを滅ぼさうと、虎視眈々と
狙つてゐるんだ。たうとう僕らが奴らの目にとまつた、といふわけなんだらう。
さういふ奴相手に闘ふには、並大抵な覚悟ではできない。奴らは世界中に網を張つてゐるからだ。
はじめは奴らに無抵抗に服従するふりをして、何でも言ひなりになつてやるんだ。さうして
ゆつくり時間をかけて、奴らの弱点を探るんだ。ここぞと思つたところで反撃に出るためには、
こちらも十分力を蓄へ、敵の弱点もすつかり握つた上でなくてはだめなんだよ。
純粋で美しい者は、そもそも人間の敵なのだといふことを忘れてはいけない。奴らの戦ひが
有利なのは、人間は全部奴らの味方に立つことは知れてゐるからだ。

三島由紀夫「天人五衰」より
328名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 11:16:49.68
奴らは僕らが本当に膝を屈して人間の一員であることを自ら認めるまでは、決して手を
ゆるめないだらう。だから僕らは、いざとなつたら、喜んで踏絵を踏む覚悟がなければ
ならない。むやみに突張つて、踏絵を踏まなければ、殺されてしまふんだからね。さうして
一旦踏絵を踏んでやれば、奴らも安心して弱点をさらけ出すのだ。それまでの辛抱だよ。
でもそれまでは、自分の心の中に、よほど強い自尊心をしつかり保つてゆかなければね」「わかつたわ、透さん。私、何でもあなたの言ふなりになる。その代りしつかり私を支へてね。
美しさの毒でいつも私の足はふらふらしてゐるんだから。あなたと私が手をつなげば、
人間のあらゆる醜い欲望を根絶し、うまく行けば全人類をすつかり晒して漂白してしまへる
かもしれなくつてよ。さうなつたときは、この地上が天国になり、私も何ものにも脅えないで、
生きてゆくことができるんだわね」

三島由紀夫「天人五衰」より
329名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 11:19:51.80
――絹江が去つたあとでは、透はいつもその不在をたのしんだ。
あれだけの醜さも、ひとたび不在になれば、美しさとどこに変りがあるだらう。すべて
絹江の美しさを前提にして交はされたあの会話は、その美しさ自体が非在のものだつたから、
絹江がこの場を去つた今も、少しも変らずに馥郁と薫つてゐた。

……遠いところで美は哭いてゐる、と透は思ふことがあつた。多分水平線の少し向うで。
美は鶴のやうに甲高く啼く。その声が天地に谺してたちまち消える。人間の肉体にそれが
宿ることがあつても、ほんのつかのまだ。絹江だけが醜さの罠で、その鶴をつかまへることに
成功したのだつた。そして又、たえまない自意識の餌で、末永く飼育することにも。

三島由紀夫「天人五衰」より
330名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 17:49:01.71
競技を終つた競技者の背中から急速に退いてゆく汗のやうに、黒い砂利のあひだを退いてゆく
白い飛沫。
無量の一枚の青い石板のやうな海水が、波打際へ来て砕けるときには、何といふ繊細な変身を
見せることだらう。千々にみだれる細かい波頭と、こまごまと別れる白い飛沫は、苦しまぎれに
かくも夥しい糸を吐く、海の蚕のやうな性質をあらはしてゐる。白い繊細な性質を内に
ひそめながら、力で圧伏するといふことは、何といふ微妙な悪だらう。


一瞬レンズの中に現はれた、天にも届かんばかりの一滴の白い波の飛沫があつた。
これほどまでに一滴だけ高く離れた波しぶきは、何を目ざしたのか。この至高の断片は、
何のためにさうして選ばれたのか。彼一滴だけ?
自然は全体から断片へと、又、断片から全体へと、たえずくりかへし循環してゐた。
断片の形をとつたときのはかない清洌さに比べれば、全体としての自然は、つねに不機嫌で
暗鬱だつた。
悪は全体としての自然に属するのだらうか?
それとも断片のはうに?

三島由紀夫「天人五衰」より
331名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 17:49:44.51
波は少しづつ夕影を帯びると共に、険のある硬質のものになつた。光りはますます悪意に
染まり、波の腹の色は陰惨味を増した。
さうだ。砕けるときの波は、死のそのままのあらはな具現だ、と透は思つた。さう思ふと、
どうしてもさう見えて来る。それは断末魔の、大きくあいた口だつた。
白いむきだしの歯列から、無数の白い涎の糸を引き、あんぐりあいた苦しみの口が、
下顎呼吸をはじめてゐる。夕光に染つた紫いろの土は、チアノーゼの唇だ。
臨終の海が大きくあけた口の中へ、死が急速に飛び込んでくる。かう無数の死を露骨に
見せることをくりかへしながら、そのたびに海は警察のやうに大いそぎで死体を収容して、
人目から隠してしまふのだつた。
そのとき透の望遠鏡からは、見るべからざるものを見た。
顎をひらいて苦しむ波の大きな口腔の裡に、ふと別な世界が揺曳したやうな気がしたのである。
透の目が幻影を見る筈はないから、見たものは実在でなければならない。しかしそれが
何であるかはわからない。

三島由紀夫「天人五衰」より
332名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 17:50:28.22
海中の微生物がたまたま描いた模様のやうなものかもしれない。暗い奧処にひらめいた光彩が、
別の世界を開顕したのだが、たしかに一度見た場所だといふおぼえがあるのは、測り知られぬ
ほど遠い記憶と関はりがあるのかもしれない。過去世といふものがあれば、それかもしれない。
ともあれそれが、明快な水平線の一歩先に、たえず透が見通さうと思つて来たものと、
どういふつながりがあるのかわからない。砕けようとする波の腹に、幾多の海藻が纏綿して、
巻き込まれながら躍つてゐたとすれば、つかのまに描かれた世界は、嘔気を催ほすやうな
いやらしい海底の、粘着質の紫や桃いろの襞と凹凸の微細画であつたかもしれない。が、
そこに光明があり、閃光が走つたのは、稲妻に貫かれた海中の光景だつたのだらうか。
そんなものが、このおだやかな西日の汀に見られよう筈はない。第一、その世界がこの世界と
同時に共在してゐなければならぬといふ法はない。そこに仄見えたのは、別の時間なので
あらうか。今透の腕時計が刻んでゐるものとは、別の時間の下にある何かなのであらうか。

三島由紀夫「天人五衰」より
333名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 11:15:43.04
自分に向けられる他人の善意や悪意が、悉く誤解に基づくと考へる考へ方には、懐疑主義の
行き着く果ての自己否定があり、自尊心の盲目があつた。
透は必然を軽蔑し、意志を蔑してゐた。


時折鏡を見て、自分の微笑の漂ひをよく調べると、鏡にさしかかる光りの加減で、少女の微笑に
似てゐると感じられることがあつた。どこか遠い国の、言葉の通じない少女は、こんな微笑を、
他人との唯一の通ひ路にしてゐることがあるかもしれない。自分の微笑が女らしいといふ
のではない。しかし媚態でもなければ羞らひでもない、夜と朝との間の薄明に、白みかかる道と
川との見分けのつかない、一つへ足を踏み出せば溺れるかもしれない、さういふ危難を
相手のためにしつらへて、ためらひと決断の間のもつとも微妙な巣の中で待つてゐる鳥のやうな
微笑は、ちやんとした男の微笑とは云へない。透は、ふとして、この微笑を父親からでも
母親からでもない、幼時にどこかで会つた見知らぬ女から受け継いだのではないかと
思ふことがある。

三島由紀夫「天人五衰」より
334名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 11:16:07.37
それにしても相手の動機は、一体それほど不可解だつたらうか? これにも何ら不可解な
ものはない。透は知つてゐた、退屈な人間は地球を屑屋に売り払ふことだつて平気でするのだと。


自由主義の経済学から美しい予定調和の夢が崩れたのはずいぶん昔だつたが、マルクス主義
経済学の弁証法的必然性もとつくに怪しげなものになつてゐた。滅亡を予言されたものが
生きのび、発展を予言されたものが、(たしかに発展はしたけれども)、別のものに
変質してゐた。純粋な理念の生きる余地はどこにもなかつた。


世界が崩壊に向つてゆくと信ずることは簡単であり、本多が二十歳ならそれを信じもしたらうが、
世界がなかなか崩壊しないといふことこそ、その表面をスケーターのやうに滑走して生きては
死んでゆく人間にとつては、ゆるがせにできない問題だつた。氷が割れるとわかつてゐたら、
誰が滑るだらう。また絶対に割れないとわかつてゐたら、他人が失墜することのたのしみは
失はれるだらう。問題は自分が滑つてゐるあひだ、割れるか割れないかといふだけのことであり、
本多の滑走時間はすでに限られてゐた。

三島由紀夫「天人五衰」より
335名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 11:16:53.28
人々はさうやつて財産が少しづつふえてゆくと思つてゐる。物価の上昇率を追ひ越すことが
できれば、事実それはふえてゐるにちがひない。しかしもともと生命と反対の原理に立つものの
そのやうな増加は、生命の側に立つものへの少しづつの浸蝕によつてしかありえない。
利子の増殖は、時の白蟻の浸蝕と同じことだつた。どこかで少しづつ利得がふえてゆくことは、
時の白蟻が少しづつ着実に噛んでゆく歯音を伴ふのだ。
そのとき人は、利子を生んでゆく時間と、自分の生きてゆく時間との、性質のちがひに
気づく。……


自意識が、自我だけに関はつてゐる、と考へてゐたあひだの本多はまだ若かつたのだ。
自分といふ透明な水槽の中に黒い棘だらけの雲丹のやうな実質が泛んでゐて、それのみに
関はる意識を、自意識と呼んでゐた本多は若かつた。「恒に転ずること暴流のごとし」。
印度でそれを知得しながら、日々のくらしに体得するまでには三十年もかかつた。

三島由紀夫「天人五衰」より
336名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/22(日) 20:56:04.05
老いてつひに自意識は、時の意識に帰着したのだつた。本多の耳は骨を蝕む白蟻の歯音を
聞き分けるやうになつた。一分一分、一秒一秒、二度とかへらぬ時を、人々は何といふ
稀薄な生の意識ですりぬけるのだらう。老いてはじめてその一滴々々には濃度があり、酩酊さへ
具はつてゐることを学ぶのだ。稀覯の葡萄酒の濃密な一滴々々のやうな、美しい時の滴たり。
……さうして血が失はれるやうに時が失はれてゆく。あらゆる老人は、からからに枯渇して死ぬ。
ゆたかな血が、ゆたかな酩酊を、本人には全く無意識のうちに、湧き立たせてゐた
すばらしい時期に、時を止めることを怠つたその報いに。
さうだ。老人は時が酩酊を含むことを学ぶ。学んだときはすでに、酩酊に足るほどの酒は
失はれてゐる。


絶頂を見究める目が認識の目だといふなら、俺には少し異論がある。俺ほど認識の目を休みなく
働らかせ、俺ほど意識の寸刻の眠りをも妨げて生きてきた男は、他にゐる筈もないからだ。
絶頂を見究める目は認識の目だけでは足りない。それには宿命の援けが要る。

三島由紀夫「天人五衰」より
337名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/22(日) 20:56:26.35
意志とは、宿命の残り滓ではないだらうか。自由意志と決定論のあひだには、印度の
カーストのやうな、生れついた貴賤の別があるのではなからうか。もちろん賤しいのは
意志のはうだ。


……それにしても、或る種の人間は、生の絶頂で時を止めるといふ天賦に恵まれてゐる。
俺はこの目でさういふ人間を見てきたのだから、信ずるほかはない。
何といふ能力、何といふ詩、何といふ至福だらう。登りつめた山巓の白雪の輝きが目に
触れたとたんに、そこで時を止めてしまふことができるとは! そのとき、山の微妙な心を
そそり立てるやうな傾斜や、高山植物の分布が、すでに彼に予感を与へてをり、時間の
分水嶺ははつきりと予覚されてゐた。


……詩もなく、至福もなしに! これがもつとも大切だ。生きることの秘訣はそこにしか
ないことを俺は知つてゐる。
時間を止めても輪廻が待つてゐる。それをも俺はすでに知つてゐる。
透には、俺と同様に、決してあんな空怖ろしい詩も至福もゆるしてはいけない。これが
あの少年に対する俺の教育方針だ。

三島由紀夫「天人五衰」より
338名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 10:32:12.41
「洋食の作法は下らないことのやうだが」と本多は教へながら言つた。「きちんとした作法で
自然にのびのびと洋食を喰べれば、それを見ただけで人は安心するのだ。一寸ばかり育ちが
いいといふ印象を与へるだけで、社会的信用は格段に増すし、日本で『育ちがいい』と
いふことは、つまり西洋風な生活を体で知つてゐるといふだけのことなんだからね。
純然たる日本人といふのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。これからの日本では、
そのどちらも少なくなるだらう。日本といふ純粋な毒は薄まつて、世界中のどこの国の人の
口にも合ふ嗜好品になつたのだ」
さう言ひながら、本多が勲を思ひうかべてゐたことは疑ふべくもない。勲はおそらく
洋食の作法などは知らなかつた。勲の高貴はそんなこととは関はりがなかつた。だからこそ、
透は十六歳から洋食の作法に習熟すべきだつた。

三島由紀夫「天人五衰」より
339名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 10:32:43.82
世間が若い者に求める役割は、欺され易い誠実な聴き手といふことで、それ以上の
何ものでもない。相手に思ひきり喋らせることができればお前の勝ちなのだ。それを片時も
忘れてはいけない。
世間は決して若者に才智を求めはしないが、同時に、あんまり均衡のとれた若さといふものに
出会ふと、頭から疑つてかかる傾きがある。お前は先輩を興がらせるやうな或る無害な偏執を
持つべきだ。機械いぢりとか。野球とか、トランペットとか、なるたけ平均的抽象的で、
精神とは何ら縁のない、いはんや政治とは縁のない、それもあんまり金のかからない道楽をね。
それを発見すると、先輩たちは、お前の余剰エネルギーのはけ口が確認できて、安心するのだ。
それについては多少大袈裟に自負心を示してもいい。
高校に入つたら、勉強の邪魔にならぬ程度のスポーツもやるべきで、それも健康が表面に浮いて
見えるやうなスポーツがいい。スポーツマンだといふと、莫迦だと人に思はれる利得がある。
政治には盲目で、先輩には忠実だといふことぐらゐ、今の日本で求められてゐる美徳は
ないのだからね。

三島由紀夫「天人五衰」より
340名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 10:33:10.35
――大人しい透に向つて、かうして執拗に説き進めながら、いつしか本多は、目の前に
清顕と勲と月光姫を置いて、返らぬ繰り言を並べてゐるような心地にもなつた。
彼らもさうすればよかつたのだ。自分の宿命をまつしぐらに完成しようなどとはせず、
世間の人と足並を合せ、飛翔の能力を人目から隠すだけの知恵に恵まれてゐればよかつたのだ。
飛ぶ人間を世間はゆるすことができない。翼は危険な器官だつた。飛翔する前に自滅へ誘ふ。
あの莫迦どもとうまく折合つておきさへすれば、翼なんかには見て見ぬふりをして貰へるのだ。
のみならず、
『あの人の翼はあれはただのアクセサリーですよ。気にすることはありません。附合つてみれば、
ごくふつうの、常識的な、信頼できる人ですからね』
とあちこちへ宣伝してくれるのだ。かういふ口伝ての保証はなかなか莫迦にならない。
清顕も勲も月光姫も、一切この労をとらなかつた。それは人間どもの社会に対する侮蔑でもあり
傲慢でもあつて、早晩罰せられなければならない。かれらは、苦悩に於てさへ特権的に
振舞ひすぎたのだつた。

三島由紀夫「天人五衰」より
341名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 19:33:47.31
しかし自殺によつて別段、自分を猫に猫と認識させることに成功したわけぢやなかつたし、
自殺するときの鼠にも、それくらゐのことはわかつてゐたにちがひない。が、鼠は勇敢で
自尊心に充ちてゐた。彼は鼠に二つの属性があることを見抜いた。一次的にはあらゆる点で
肉体的に鼠であること、二次的には従つて猫にとつて喰ふに値ひするものであること、
この二つだ。この一次的な属性については彼はすぐ諦めた。思想が肉体を軽視した報いが
来たのだ。しかし二次的な属性については希望があつた。第一に、自分が猫の前で猫に
喰はれないで死んだといふこと、第二に、自分を『とても喰へたものぢやない』存在に
仕立て上げたこと、この二点で、少くとも彼は、自分を『鼠ではなかつた』と証明することが
できる。『鼠ではなかつた』以上、『猫だつた』と証明することはずつと容易になる。
なぜなら鼠の形をしてゐるものがもし鼠でなかつたとなつたら、もう他の何者でもありうる
からだ。かうしてこの鼠の自殺は成功し、彼は自己正当化を成し遂げたんだ。……どう思ふ?

三島由紀夫「天人五衰」より
342名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 19:34:28.30
「ところで鼠の死は世界を震撼させたらうか?」と、彼はもう透といふ聴手の所在も問はず、
のめり込むやうな口調で言つた。独り言と思つて聴けばいいのだと透は思つた。声はものうい
苔だらけの苦悩を覗かせ、こんな古沢の声ははじめて聴く。「そのために鼠に対する世間の
認識は少しでも革まつたらうか? この世には鼠の形をしてゐながら実は鼠でない者が
ゐるといふ正しい噂は流布されたらうか? 猫たちの確信には多少とも罅が入つたらうか? 
それとも噂の流布を意識的に妨げるほど、猫は神経質になつたらうか?
ところが愕く勿れ、猫は何もしなかつたのだ。すぐ忘れてしまつて、顔を洗ひはじめ、それから
寝ころんで、眠りに落ちた。彼は猫であることに充ち足り、しかも猫であることを意識さへして
ゐなかつた。そしてこの完全にだらけた昼寝の怠惰のなかで、猫は、鼠があれほどまでに熱烈に
夢みた他者にらくらくとなつた。猫は何でもありえた、すなはち偸安により自己満足により
無意識によつて、眠つてゐる猫の上には、青空がひらけ、美しい雲が流れた。風が猫の香気を
世界に伝へ、なまぐさい寝息が音楽のやうに瀰漫した……」

三島由紀夫「天人五衰」より
343名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 11:31:37.17
老人はいやでも政治的であることを強ひられる。七十八歳はたとへ体のふしぶしが痛くても、
愛嬌を見せ、上機嫌であることによつてしか、無関心を隠すことができない。本当の大前提は
無関心だつた。この世界の莫迦らしさに打ち克つて生きのびるには、それしかなかつた。
それは終日波と雑多な漂流物とを受け入れる汀の無関心だつた。
お追従とおちよぼ口に囲まれて生きるには、まだ自分にすりへつた圭角が残つてゐて、些かの
邪魔をする、と本多に感じられることもあつたが、それも徐々になくなつた。あるのは圧倒的な
莫迦らしさだけで、卑俗が放つ匂ひは混和されて、すべて一ト色になつてゐた。この世には実に
千差万別な卑俗があつた。気品の高い卑俗、白象の卑俗、崇高な卑俗、鶴の卑俗、知識に
あふれた卑俗、学者犬の卑俗、媚びに充ちた卑俗、ペルシア猫の卑俗、帝王の卑俗、乞食の卑俗、
狂人の卑俗、蝶の卑俗、斑猫の卑俗……、おそらく輪廻とは卑俗の劫罰だつた。そして卑俗の
最大唯一の原因は、生きたいといふ欲望だつたのである。本多もその一人にはちがひなかつたが、
人とちがつてゐるのは自他に対する異様に鋭い嗅覚だけだつたらう。

三島由紀夫「天人五衰」より
344名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 11:31:59.38
何かを拒絶することは又、その拒絶のはうへ向つて自分がいくらか譲歩することでもある。
譲歩が自尊心にほんのりとした淋しさを齎(もた)らすのは当然だらう。僕は愕かない。


ところでこの世は不完全な人間の陽画(ポジティブ)に充ちてゐる。


百子は、急に食欲を失くした飼禽を見るやうに、心配さうに僕を見つめてゐた。彼女は幸福は
大きなフランス・パンのやうにみんなで頒つことができるといふ、低俗な思想に染つてゐたので、
この世に一つ幸福があれば必ずそれに対応する不幸が一つある筈だといふ数学的法則を
理解しなかつた。


僕は人の行かぬ一角を求めて、寝覚め滝のそばへ下りた。小滝は涸れ、滝の落ちる池は澱んで
ゐるのに、水面がたえずちり毛立つてゐるのは、無数のあめんばうが水面を縫つて、あたかも
糸の引きつれのやうな紋様を描いてゐるからだつた。


感情さへ持たなければ、人間はどんな風にでも繋り合ふことができるのだ。

三島由紀夫「天人五衰」より
345名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 11:32:28.52
僕は雪崩る。
雪が僕の危険な断面を、あまりに穏和なふりをして覆つてゐるのに、いや気がさすから。
しかし僕は自己破壊とも破滅とも縁がない。僕がこの身から振ひ落し、家を壊し、人を傷つけ、
人々に地獄の叫喚を上げさせるその雪崩は、ただ冬空がかるがると僕の上へ齎らしたもの、
僕の本質とは何の関はりもないものだからだ。しかし雪崩の瞬間に、雪のやさしさと、僕の
断崖の苛烈さとが入れかはる。災ひを与へるのは、雪であつて、僕ではない。やさしさであつて、
苛烈さではない。
ずつと昔から、自然の歴史のもつとも古い時点から、僕のやうな無答責の苛酷な心が
用意されてゐたのにちがひない。多くの場合は、岩石といふ形で、その至純なものが
すなはちダイアモンドだ。
しかし冬の明るすぎる日は、僕の透明な心にさへしみ入る。何ものも遮るもののない翼を
わが身に夢みながら、僕の人生では何事も成就するまいといふ予感にとらはれるのは
かういふ時だ。
僕は自由を得るだらう。が、それは死とよく似た自由にすぎない。この世で僕が夢みたものは
何一つ手に入るまい。

三島由紀夫「天人五衰」より
346名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 11:32:54.92
僕の明晰を見ると、すべての人間が裏切りの欲望を感じるだらう。僕ほどの明晰を
裏切ることぐらゐ、裏切りの勝利はないからだ。僕に愛されてゐないすべての人間が、
僕に愛されてゐると信じ切つてゐるだらう。僕に愛された者は、美しい沈黙を守るだらう。
世界のすべてが僕の死を望むだらう。同時にわれがちに、僕の死を妨げようと手をさしのべる
だらう。
僕の純粋はやがて水平線をこえ、不可視の領域へさまよひ込むだらう。僕は人の耐へえぬ苦痛の
果てに、自ら神となることを望むだらう。何といふ苦痛! この世に何もないといふことの
絶対の静けさの苦痛を僕は味はいつくすだらう。病気の犬のやうに、ひとりで、体を慄はせて、
片隅にうづくまつて、僕は耐へるだらう。陽気な人間たちは、僕の苦痛のまはりで、
たのしげに歌ふだらう。
僕を癒す薬はこの世にはなく、僕を収容する病院は地上にはないだらう。僕が邪悪であつたと
いふことは、結局人間の歴史の一個所に、小さな金色の文字で誌されるだらう。

三島由紀夫「天人五衰」より
347名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 21:22:23.92
そのまま老人は同じ歩度で遠ざかつた。老人自身は気がつかなかつたのではないかと思ふが、
家の門をすぎて五米ほど行つてから、大きな墨滴を落したやうに、外套の裾から何かが
雪の上に落ちた。
黒い、鴉らしい鳥の屍骸が落ちてゐた。九官鳥だつたかもしれない。僕の耳にさへ、瞬間、
ばさつと、落ちた翼が雪を搏つやうな音がきこえる錯覚さへあつたのに、老人はそのまま去つた。
そこで永いこと、まつ黒な鳥の屍が僕の難問になつた。その位置はかなり遠く、前庭の梢に
遮られ、しかもふりしきる雪がものの影を歪めてゐるので、いくら瞳を凝らしても、目が
確かめる力には限りがあつた。双眼鏡でも持つて来ようか、それとも外へ出て行つて
確かめようか、といふ考へにとらはれながら、何か圧倒的な億劫さに制せられてゐて、それが
できなかつた。
何の鳥だつたらう。あまり永く見詰めてゐるうちに、その黒い羽根の固まりは、鳥ではなくて、
女の鬘のやうにも思はれだした。

三島由紀夫「天人五衰」より
348名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 21:22:51.73
美女だと信じてゐる絹江も、愛されてゐると信じてゐる百子も、現実を否定してゐる点では
同じだつたが、他人の助力が要る百子に引きかへて、絹江にはもう他人の言葉さへ要らなかつた。
百子をあそこまで高めてやることができたら! それが僕の教育的情熱、いはば愛だつたから、
「愛してゐる」といふことはまんざら嘘でもなかつた。しかし百子のやうに、現実肯定の魂が
現実を否定したがるのは方法的矛盾ではないだらうか。彼女を絹江のやうな、全世界を相手に
闘ふ女にしてやるには、並大抵のことでは行くまい。
しかし「愛してゐる」といふ経文の読誦は、無限の繰り返しのうちに、読み手自身の心に
何かの変質をもたらすものだ。僕はほとんど愛してゐるかのやうに感じ、愛といふ禁句の
この突然の放埒な解放に、心の中の何ものかが酔つてゐるやうにも感じた。下手な初心者の
操縦に同乗して、万一の場合を覚悟せねばならぬ飛行機訓練士に、誘惑者といふものは
いかに似てゐることか。

三島由紀夫「天人五衰」より
349名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 21:23:18.01
九月のはじめ家へかへつたとき、百日紅の満開の花が、そのあたかも白癩の肌のやうに円滑に
磨き上げた幹に映じたのを見るのを、たのしみにしてゐたのに、いざかへつてみると、
百日紅のない庭があつた。前の庭とはまるでちがつてしまつたその新らしい庭を作つたのは、
他ならぬ阿頼耶識にちがひない。庭も変転する、と感じた瞬間に、別のところからどうしても
制御できない怒りが生じて、本多を叫ばせたのだが、叫んだときから本多は怖れてゐた。
(中略)
「あの木はもう年寄になつたから、要らないんだ」
透は美しい微笑をうかべた。
かういふとき、透は厚い硝子の壁をするすると目の前に下ろすのである。天から下りてくる硝子。
朝の澄み切つた天空と全く同じ材質でできた硝子。本多はもうその瞬間に、どんな叫びも、
どんな言葉も、透の耳には届かないことを確信する。むかうからは開け閉てする本多の
総入歯の歯列が見えるだけだらう。すでに本多の口は、有機体とは何の関はりもない無機質の
入歯を受け入れてゐた。とつくに部分的な死ははじまつてゐた。

三島由紀夫「天人五衰」より
350名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 17:06:05.73
何もかも知つてゐる者の、甘い毒のにじんだ静かな愛で、透の死を予見しつつその横暴に
耐へることには、或る種の快楽がなかつたとはいへない。その時間の見通しの先では、
蜉蝣の羽根のやうに愛らしく透いて見える透の暴虐。人間は自分より永生きする家畜は
愛さないものだ。愛されることの条件は、生命の短かさだつた。


「…でも本当のところ何と思つて?……己惚れていらしたんでせう? 人間つて、自分にも
何かの取柄があるといふことは、すぐ信じたがるものですからね。それまであなたが心に
抱いてゐた子供らしい夢と、私たちの申し出とが、うまい具合に符合したやうな気が
したんでせう? あなたが子供のときから守つてゐたふしぎな確信が、いよいよ証拠を
見せたやうな気がしたんでせう? さうでせう?」
透ははじめて慶子といふ女に恐怖を抱いた。階級的圧迫などはみぢんもなかつたが、多分
世の中には、何か或る神秘的な価値といふものに鼻の利く俗物がをり、さういふ人間こそ
正真正銘の「天使殺し」なのだ。

三島由紀夫「天人五衰」より
351名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 17:06:35.94
人はそれぞれ目的を持つて生きてゐて、自分のことしか考へないのですよ。尤も、一番自分の
ことしか考へないあなたが、ついその点で行きすぎて、盲らになつてゐたのでせうが。
あなたは歴史に例外があると思つた。例外なんてありませんよ。人間に例外があると思つた。
例外なんてありませんよ。
この世には幸福の特権がないやうに、不幸の特権もないの。悲劇もなければ、天才もゐません。
あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生れつき別格で、特別に
美しかつたり、特別に悪だつたり、さういふことがあれば、自然が見のがしにしておきません。
そんな存在は根絶やしにして、人間にとつての手きびしい教訓にし、誰一人人間は
『選ばれて』なんかこの世に生れて来はしない、といふことを人間の頭に叩き込んで
くれる筈ですわ。
あなたはそんな償ひの要らない天才だと、自分を思つて来たんでせうね。何か人間世界の上に
泛んでゐる一片の、悪意を含んだ美しい雲のやうに、自分を想像して来たんでせうね。

三島由紀夫「天人五衰」より
352名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 20:54:11.58
精神的屈辱と摂護腺肥大との間に何のちがひがあらう。或る鋭い悲しみと肺炎の胸痛との間に
何のちがひがあらう。老いは正しく精神と肉体の双方の病気だつたが、老い自体が不治の
病だといふことは、人間存在自体が不治の病だといふに等しく、しかもそれは何ら存在論的な
病ではなくて、われわれの肉体そのものが病であり、潜在的な死なのであつた。
衰へることが病であれば、衰へることの根本原因である肉体こそ病だつた。肉髄の本質は
滅びに在り、肉体が時間の中に置かれてゐることは、衰亡の証明、滅びの証明に使はれて
ゐることに他ならなかつた。
人はどうして老い衰へてからはじめてそのことを覚るのであらう。肉体の短い真昼に、耳もとを
すぎる蜂の唸りのやうに、そのことをよしほのかながら心に聴いても、なぜ忽ち忘れて
しまふのであらう。たとへば、若い健やかな運動選手が、運動のあとのシャワーの爽やかさに
恍惚として、自分のかがやく皮膚の上を、霰のやうにたばしる水滴を眺めてゐるとき、その
生命の汪溢自体が、烈しい苛酷な病であり、琥珀いろの闇の塊りだとなぜ感じないのであらう。

三島由紀夫「天人五衰」より
353名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 20:54:35.25
今にして本多は、生きることは老いることであり、老いることこそ生きることだつた、と
思ひ当つた。この同義語がお互ひにたえず相手を謗つて来たのはまちがひだつた。老いて
はじめて、本多はこの世に生れ落ちてから八十年の間といふもの、どんな歓びのさなかにも
たえず感じてきた不如意の本質を知るにいたつた。
この不如意が人間意志のこちら側またあちら側にあらはれて、不透明な霧を漂はせてゐたのは、
生きることと老いることが同義語だといふ苛酷な命題を、意志がいつも自ら怖れて、
人間意志自体が放つてゐた護身の霧だつたのだ。歴史はこのことを知つてゐた。歴史は
人間の創造物のうちでもつとも非人間的な所産だつた。それはあらゆる人間意志を統括して、
自分の手もとへ引き寄せながら、あのカルカッタのカリー女神のやうに、片つぱしから、
口辺に血を滴らせて喰べてしまふのであつた。

三島由紀夫「天人五衰」より
354名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 20:55:08.45
われわれは何ものかの腹を肥やすための餌であつた。火中に死んだ今西は、いかにも彼らしい
軽薄な流儀を以て、このことに皮相ながら気づいてゐた。そして神にとつても、運命にとつても、
人間の営為のうちでこの二つを模した唯一のものである歴史にとつても、人間が本当に
老いるまで、このことに気づかせずにおくのは、賢明なやり方だつた。
しかし本多は何たる餌だつたらう! 何たる滋養のない、何たる味のない、何たるかさかさの
餌だつたらう。本能的に美味な餌であることを避けて周到に生きてきた男は、人生の最後の
ねがひとして、自分の不味な認識の小骨で、喰ひついてきた者の口腔を刺してやらうと
狙ふのだが、この企図も亦、必ず全的に失敗するのだ。


ベナレスで本多が見たものは、いはば宇宙の元素としての人間の不滅であつた。来世は、
時間の彼方に揺曳するものでもなく、空間の彼方に燦然と存在するものでもなかつた。
死んで四大に還つて、集合的な存在に一旦融解するとすれば、輪廻転生をくりかへす場所も、
この世のここでなければならぬといふ法はなかつた。

三島由紀夫「天人五衰」より
355名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 21:44:01.01
豊饒の月一巻風に頼む
356名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 11:29:11.50
清顕や勲やジン・ジャンが相次いで本多の身辺にあらはれたのは、偶然といふもおろかな
偶然だつたのであらう。もし本多の中の一個の元素が、宇宙の果ての一個の元素と等質の
ものであつたとしたら、一旦個性を失つたのちは、わざわざ空間と時間をくぐつて交換の手続を
踏むにも及ばない。それはここにあるのと、かしこにあるのと、全く同じことを意味する
からである。来世の本多は、宇宙の別の極にある本多であつても、何ら妨げがない。糸を切つて
一旦卓上に散らばつた夥しい多彩なビーズを、又別の順序で糸につなぐときに、もし卓の下へ
落ちたビーズがない限り、卓上のビーズの数は不変であり、それこそは不変の唯一の定義だつた。
我が在ると思ふから不滅が生じない、といふ仏教の論理は、数学的に正確だと本多には今や
思はれた。我とは、そもそも自分で決めた、従つて何ら根拠のない、この南京玉(ビーズ)の
糸つなぎの配列の順序だつたのである。

三島由紀夫「天人五衰」より
357名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 11:29:40.72
狐はすべて狐の道を歩いてゐた。漁師はその道の薮かげに身をひそめてゐれば、難なく
つかまえることができた。
狐でありながら漁師の目を得、しかも捕まることがわかつてゐながら狐の道を歩いてゐるのが、
今の自分だと本多は思つた。


『自分は今日はもう決して、人の肉の裏に骸骨を見るやうなことはすまい。それはただ
観念の想である。あるがままを見、あるがままを心に刻まう。これが自分のこの世で最後の
たのしみでもあり、つとめでもある。今日で心ゆくばかり見ることもおしまひだから、
ただ見よう。目に映るものはすべて虚心に見よう』


『劫初から、今日このとき、私はこの一樹の蔭に憩ふことに決まつてゐたのだ』
本多は極度の現実感を以てさう考へた。


自分はすでに罠に落ちた。人間に生れてきたといふことの罠に一旦落ちながら、ゆくてに
それ以上の罠が待ち設けてよい筈はない。すべて愚かしく受け容れようと本多は思ひ返した。
希望を抱くふりをして。印度の犠牲の仔山羊でさへ、首を落されたあとも、あのやうに
永いことあがいたのだ。

三島由紀夫「天人五衰」より
358名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 11:30:12.62
「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののやうに
見せもすれば、幻の眼鏡のやうなものやさかいに」
「しかしもし、清顕君がはじめからゐなかつたとすれば」と本多は雲霧の中をさまよふ
心地がして、今ここで門跡と会つてゐることも半ば夢のやうに思はれてきて、あたかも
漆の盆の上に吐きかけた息の曇りがみるみる消え去つてゆくやうに失はれてゆく自分を
呼びさまさうと思はず叫んだ。「それなら、勲もゐなかつたことになる。ジン・ジャンも
ゐなかつたことになる。……その上、ひよつとしたら、この私ですらも……」
門跡の目ははじめてやや強く本多を見据ゑた。
「それも心々ですさかい」


これと云つて奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るやうな蝉の声が
ここを領してゐる。
そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ
何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。……

三島由紀夫「天人五衰」より
359名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 17:22:00.95
ちやうど舞台の夜空に描きこまれたキラキラする金絵具の星のやうな、安つぽいロマンスこそ女の心を永久に
惹きつけるものだ。

三島由紀夫「『からっ風野郎』の情婦論」より


ある点から見れば、歌舞伎役者は貞淑な日本の妻達に似てゐる。彼女らは夫の専横なしつけに対して従順を装ひ、
忍従の美徳を衒つてゐながら、とどのつまりは何事も彼女等の望む通りの結果を得るのである。彼等歌舞伎役者も
また然り。そのやうにして彼等は伝統の芸術にたゆみない生命を与へ、彼等によつてのみそれは生き続け、
成長し続ける。

三島由紀夫「『俳優即演出家の演劇』としての歌舞伎」より


どんな芸術でも、根本には危機の意識があることは疑ひを容れまい。原始芸術にはこの危機が、自然に対する
畏怖の形でなまなましく現はれてゐたり、あるひはその反対に、自然を呪伏するための極端な様式化になつて
現はれてゐたりする。

三島由紀夫「危機の舞踊」より


日本の芸能界では、憎まれたら最後、せつかくもつてゐる能力も発揮できなくなるおそれがある。

三島由紀夫「現代女優論――越路吹雪」より
360名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 17:22:40.51
現代ジャーナリズムが商業的に避(よ)けて通るやうな問題にこそ、最も緊急な現代的問題がひそむ。

三島由紀夫「『侃侃諤諤』を駁す――交友断片」より


処女作とは、文学と人生の両方にいちばん深く足をつつこんでゐる。だから、それを書いたあとの感想は、
人生的感想によく似て来るのです。

三島由紀夫「『未青年』出版記念会祝辞」より


実業人と文士のちがふところは、実業人は現実に徹しなければならないのだが、小説家はこの世の現実のほかの
もう一つの現実を信じなければならぬといふことにあるのだらう。
そのもう一つの現実をどうやつて作り出すかといふと、その原料になるものは、やはり少年時代の甘美な
「文学へのあこがれ」しかない。その原料自体は、お粗末で無力なものであるが、それを精錬し、鍛へ、徐々に
厚く鞏固に織り成して、はじめはフハフハした靄にすぎぬものから、鉄も及ばぬ強靭な織物を作り出さねば
ならない。「人生は夢で織られてゐる」とシェークスピアも言ふ。その夢の原料は、やはり少年時代に、つまりは
あの汚ない、埃だらけの文芸部室にあつたと思ふのである。

三島由紀夫「夢の原料」より
361名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 17:23:04.80
決して人に欺されないことを信条にする自尊心は、十重二十重の垣を身のまはりにめぐらす。


目がいつもよく利きすぎて物事に醒めてゐる人の座興や諧謔といふものは、ふつうでは厭味なものだ。

三島由紀夫「友情と考証」より


苦痛は厳密に肉体的なものである。


肉体は知性よりも、逆説的到達が可能である。何故なら肉体には歴然たる苦痛がそなはり、破壊され易く、
滅び易いからだ。かくてあらゆる行動主義の内には肉体主義があり、更にその内には、強烈な力の信仰の外見にも
かかはらず、「脆さ」への信仰がある。この脆さこそ、強大な知性に十分拮抗しうる力の根拠であり、又同時に
行動主義や肉体主義にまとはりついて離れぬリリシズムの泉なのだ。

三島由紀夫「石原慎太郎氏の諸作品」より


人間は心の中に深い井戸みたいなものを持つてるでしよ。その井戸の中におりていくには、それ相応の体力が
なきやだめだと思ふ。

三島由紀夫「新劇人の貧弱な体格への警告(NHK『朝の訪問』)」より
362名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/04(土) 11:26:57.36
今や一九五九年の、月の裏側の写真は、人間の歴史の一つのメドになり、一つの宿命になつた。それにしても、
或る国の、或る人間の、単一の人間意志が、そのまま人間全体の宿命になつてしまふといふのは、薄気味のわるい
ことである。広島の原爆もまた、かうして一人の科学者の脳裡に生れて、つひには人間全体の宿命になつた。
こんなふうに、人間の意志と宿命とは、歴史において、喰ふか喰はれるかのドラマをいつも演じてゐる。今まで
数千年つづいて来たやうに、一九六〇年も、人間のこのドラマがつづくことだけは確実であらう。ただわれわれ
一人一人は、宿命をおそれるあまり自分の意志を捨てる必要はないので、とにかく前へ向つて歩きだせはよいに
決つてゐる。

三島由紀夫「巻頭言(『婦人公論』)一九六〇年代はいかなる時代か」より


結婚の美しさなどといふものは、ある程度の幻滅を経なければわかるものではないといふ古い考へが私にはあつて、
初恋がそのまま成就して結婚などといふと、余計なお節介だが、底の浅い人生のやうな感じがする。

三島由紀夫「巻頭言(『婦人公論』)早婚是非」より
363名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/04(土) 11:27:28.56
子供は天使ではない。従つて十分悪の意識を持ち得る。そこに教育の根拠があるのだ。

三島由紀夫「巻頭言(『婦人公論』)ベビイ・ギャング時代」より


文部省が今度「英語教育改善協議会」を設置して、「読む英語」にかたよりすぎてゐるといはれた中学・高校の
英語教育を、もつと「役にたつ英語」にしてゆかうとたくらんでゐるさうだ。またしても文部省の卑近な
便宜主義である「役に立つ」ために。「役に立つ」ことばかり考へてゐる人間は、卑しい人間ではないか。
一体、語学教育は国際政治の力のわりふりに左右されがちなものだが、日本中が英語の通訳だらけになつて
しまつたら、文部省の意図するところは達せられたといふべきであらう。(中略)ホテル業者はなるほど
「役に立つ」英語を喋つてもらひたい。
しかし、ホテルと教養とは別である。テーブル・マナーと教養とは別である。いまだに英仏の知識人の間には
古代ギリシア語やラテン語が、教養語として生きてゐるが、一体文部省は、何を日本人の教養語とするつもり
なのであるか。教育的見地からは、そのはうが重要である。

三島由紀夫「巻頭言(『婦人公論』)一億総通訳」より
364名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/04(土) 11:27:55.62
戦後の教育は、日本人から、かつての教養語であつた漢文のたしなみを一掃してしまつた。さらにヅサンな
国語改革案で、日本語を「役に立つ」日本語に仕立てあげようとして、教養語としての日本語を、日本古典を
読解する力を、すつかり弱めてしまつた。その上、ここへ来て、またまた英語を、教養語としての座から
引きずり下ろさうとしてゐる。
私は、「ユー・ウォント・ア・ガール・トゥナイト?」なんて言葉がすらすら出てくるより、会話はできなくても、
誰でもシェークスピアが読めるはうが、日本人としても立派だと思ふのだが……。

三島由紀夫「巻頭言(『婦人公論』)一億総通訳」より


本来知性は普遍的なもので、女性だけの知性などといふ妙なものはありえやうがない。この雑誌は、素朴で有能な
男性を徒らにおびやかすやうな女性を養成したことも確かである。

三島由紀夫「巻頭言(『婦人公論』)創刊四十五年を祝ふ」より
365名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/05(日) 22:45:44.01
個体分裂は、分裂した個々の非連続性をはじめるのみであるが、生殖の瞬間にのみ、非連続の生物に活が入れられ、
連続性の幻影が垣間見られる。しかるに存在の連続性とは死である。かくてエロチシズムと死とは、深く
相結んでゐる。「エロチシズム」とは、われわれの生の、非連続的形態の解体である。それはまた、「われわれ
限定された個人の非連続の秩序を確立する規則的生活、社会生活の形態の解体」である。


主知主義の能力の限界は、人間が生の非連続性に耐へ得る能力の限界である。この限界を究めようとする実験は、
主知主義の側から、しばしば、且つ大規模に試みられたが、ゆきつくところは、個人的な倫理の確立といふところに
落ちつかざるをえない。戦後の実存主義も、かうした主知主義的努力の極限のあらはれであつて、死と神聖感と
エロチシズムとを一直線に結ぶ古代の血みどろな闇からの救ひではない。われわれが今ニヒリズムと呼んでゐる
ものは、バタイユのいはゆる「生の非連続性」の明確な意識である。そして主知主義的努力は、その非連続性に
耐へよ、といふ以上のことは言へないのである。

三島由紀夫「『エロチシズム』――ジョルジュ・バタイユ著 室淳介訳」より
366名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/05(日) 22:46:12.41
バタイユがロジエ・カイヨウの持論を紹介してかう言ふ。
「(中略)宗教外の時間は普通の時間で、労働と禁止尊重の時間であり、神聖な時間は祭の時間、つまり本質的には
禁止違犯の時間であります。エロチシズムの面では、祭はしばしば性的放縦の時間であり、専ら宗教的な面では、
とくに殺人禁止の違犯である犠牲の時間でありました」
しかしかういふ明快な時間割を、現代人は完全に失つた。宗教の力は微弱になり、宗教の地位に、映画や
テレヴィジョンを含む各種の観念的娯楽がとつて代り、文学の少なからぬ部分もこれに編入されることになつた。
それらは毎日、性的放縦の観念と殺人の観念を、水にうすめて、ヴィタミン剤のやうに供給してゐる。いたるところに
エロチシズムが漂ひ、従つて死の匂ひが浸潤してゐる。それがますます機能化され単一化されてゆく機械的な
社会形態の、背景であり、いはゆるムードである。火葬場のある町に住んでゐる人のやうに、かくてわれわれは
死の稀薄な匂ひに馴らされて、本当の死を嗅ぎ分けることができない。

三島由紀夫「『エロチシズム』――ジョルジュ・バタイユ著 室淳介訳」より
367名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/06(月) 17:10:48.81
有効な文化交流とは少数意見の交流だといふことを忘れてはならないのである。赤い国の白い意見と白い国の
赤い意見が、本当にヒザを交へて酒をのむことができるのである。

三島由紀夫「発射塔 少数意見の魅力」より


犯人以外の人物にいろいろ性格描写らしきものが施されながら、最後に犯人がわかつてしまふと、彼らがいかにも
不用な余計な人物であつたといふ感じがするのがつまらない。この世の中に、不用で余計な人間などといふものは
ゐないはずである。


どうして名探偵といふやつは、かうまでキザなのか。あらゆる名探偵といふやつに、私は出しやばり根性の余計な
お節介を感じるが、これは私があんまり犯人の側につきすぎるからであるか。大体、知的強者といふものには
かはいげがないのだ。


古典的名作といへども、ポオの短編を除いて、推理小説といふものは文学ではない。

三島由紀夫「発射塔 推理小説批判」より
368名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/06(月) 17:11:18.27
あんまり着こなしのうまい作家を見ると、多少ヤキモチも働いてゐるにちがひないが、何だか決定的に好きになれない。
もちろん他人の借り物のおしやれをして得々としてゐる手合ひは論外だし、よぼよぼの老人がむりにジン・パンツを
はいたり、胃弱の青年がむりにTシャツを着たりするのは全くいただけないが、自分に似合はないものを
思ひ切つて着る蛮勇といふものも、作家の持つべき美徳の一つである。井伏鱒二氏が突然真つ赤なアロハを着たり、
安岡章太郎氏が突然シルクハットをかぶつたりしたら、私はどんなにもつと氏らを好きになることであらう。

三島由紀夫「発射塔 文壇衣装論」より


小説といふ形式は、本来、清濁あはせのむ大器であつて、良い趣味も悪い趣味も、平気で一緒くたにのみこんで
しまふだけの力がなければならない。(中略)
中間小説にはそんなのが出かかつてゐるが、真の悪趣味を調理するにはむしろすぐれた文学の包丁がいるのだ。

三島由紀夫「発射塔 グロテスク」より
369名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/06(月) 17:11:43.20
教育も教育だが日本人と生まれて、西鶴や近松ぐらゐが原文でスラスラ読めないでどうするのだ。秋成の
雨月物語などは、ちよつと脚注をつければ、子供でも読めるはずだし、カブキ台本にいたつては、問題にもならぬ。
それを一流の先生方が、身すぎ世すぎのために、美しからぬ現代語訳に精出してゐるさまは、アンチョコ製造より
もつと罪が深い。みづから進んで、日本人の語学力を弱めることに協力してゐるからである。


現代語訳などといふものはやらぬにこしたことはないので、それをやらないで滅びてしまふ古典なら、さつさと
滅びてしまふがいいのである。ただカナばかりの原本を、漢字まじりの読みやすい版に作り直すとか、ルビを
入れるとか、おもしろいたのしい脚注を入れるとか、それで美しい本を作るとか、さういふ仕事は先生方にうんと
やつてもらひたいものである。

三島由紀夫「発射塔 古典現代語訳絶対反対」より
370名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/06(月) 17:12:11.46
ユーモアや哄笑は、無力な主人公や、何らなすところなきフーテン的人物のみのかもし出すものではないと信ずる。
有為な人物はユーモリストであり、ニヒリストはなほさら哄笑する。

三島由紀夫「発射塔 ヒロイズム」より


だれだつて年をとるのだから声変はりもしようし、いつまでもキイキイ声ばかり張り上げてもゐられない。
古くなる覚悟は腹の底にいつでも持つてゐなければならない。その時がきたらジタバタして、若い者に追従を
言つたりせず、さつさと古くなつて、堂々とわが道をゆくことがのぞましい。
しかし「オレはもう古いんだぞ。古くなつたんだぞ」と、吹聴してまはるのもみつともない。オールドミスが
「私、もうおばあさんだから」と言つてまはるのと同じことだ。古くなるには、やはり黙つて、堂々と、
新しさうな顔をしたまま平然と古くなつてゆくべきだらう。

三島由紀夫「発射塔 古くなる覚悟」より
371名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/11(土) 17:43:12.61
胃痛のときにはじめて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いてゐれば、存在を
意識されるはずのものではなく、まして食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちやんと政治を
してゐれば、カヂ屋はちやんとカヂ屋の仕事に専念してゐられるのである。


民主主義といふ言葉は、いまや代議制議会制度そのものから共産主義革命までのすべてを包含してゐる。平和とは
時には革命のことであり、自由とは時には反動政治のことである。長崎カステーラの本舗がいくつもあるやうなもので、
これでは民衆の頭は混乱する。政治が今日ほど日本語の混乱を有効に利用したことはない。私はものを書く人間の
現代喫緊の任務は、言葉をそれぞれ本来の古典的歴史的概念へ連れ戻すことだと痛感せずにはゐられなかつた。


本当の現実主義者はみてくれのいい言葉などにとらはれない。たくましい現実主義者、夢想も抱かず絶望もしない
立派な実際家、といふやうな人物に私は投票したい。

三島由紀夫「一つの政治的意見」より
372名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/11(土) 17:43:45.18
足るを知る人間なんか誰一人ゐないのが社会で、それでこそ社会は生成発展するのである。
実際、空虚な目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福が存在しないとすれば、よほどぐうたらな
息子でない限り、学校の勉強や入試を通じて、苛酷な生存競争に立ちまじつてゆくことを選ぶにちがひない。


知力に、意志力に、体力が加はれば、どんな分野でも鬼に金棒だが、この三者の調和をとることがいかに困難で
あるかは、父自身がよく味はつてきたことなのだ。


男としての自覚を持つために、肉体的勇気が必要である。これも父自身が永年考へてきたことである。男は
どんな職業についても、根本に膂力の自信を持つてゐなくてはならない。なぜなら世間は知的エリートだけで
動いてゐるのではなく、無知な人間に対して優越性を証明するのは、肉体的な力と勇気だけだからだ。

三島由紀夫「小説家の息子」より
373名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/13(月) 17:51:18.86
映像はいつも映画作家の意志に屈服するとは限らぬことは、言葉がいつも小説家の意志に屈服するとは限らぬと
同じである。映像も言葉も、たえず作家を裏切る。


われわれの古典文学では、紅葉(もみぢ)や桜は、血潮や死のメタフォアである。民族の深層意識に深く
しみついたこのメタフォアは、生理的恐怖に美的形式を課する訓練を数百年に亘つてつづけて来たので、歴史の
変遷は、ただこの観念聯合の秤のどちらかに、重みをかけることでバランスを保つてきた。戦争中のやうに
多すぎる血潮や死の時代には、人々の心は紅葉や桜に傾き、伝統的な美的形象で、直接の生理的恐怖を消化した。
今日のやうに泰平の時代には、秤が逆に傾いて、血潮や死自体に、観念的美的形象を与へがちになるのは、
当然なことである。かういふことは近代輸入品のヒューマニズムなどで解決する問題ではない。

三島由紀夫「残酷美について」より
374名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/13(月) 17:51:47.55
別に酒を飲んだりごちそうをたべたりしなくても、気の合つた人間同士の三十分か一時間の会話の中には、
人生の至福がひそむといふのが社交の本義である。

三島由紀夫「社交について――世界を旅し、日本を顧みる」より


どんなに平和な装ひをしてゐても「世界政策」といふことばには、ヤクザの隠語のやうな、独特の血なまぐささがある。
概括的な、概念的な世界認識の裏側には必ず水素爆弾がくすぶつてゐるのである。なぜなら、ある人間が、
頭の中で、地球儀のやうな、一望の下に見渡される図式的な世界像を即座に描き出せるといふこと、どんな
凡庸な人間にもそれが可能だといふことには、ゾッとするやうなものがあるからだ。

三島由紀夫「終末観と文学」より


大体、時代といふものは、自分のすぐ前の時代には敵意を抱き、もう一つ前の時代には親しみを抱く傾きがある。

三島由紀夫「明治と官僚」より
375名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/14(火) 11:19:02.46
青春が誤解の時期であるならば、自分の天性に反した文学的観念にあざむかれるほど、典型的な青春はあるまい。
またその荒廃の過程ほど典型的な荒廃はあるまい。しかもそのあざむかれた自分を、一つの個性として全的に
是認すること。……これは佐藤氏より小さな規模で、今日われわれの周囲にくりかへされてゐる。

三島由紀夫「青春の荒廃――中村光夫『佐藤春夫論』」より


人のよい読者は、作家によつて書かれた小説作法といふものを、小説書き初心者のための親切な入門書と思つて
読むだらうが、それは概して、たいへんなまちがひである。作家は他の現代作家の方法意識の欠如、甘つちよろさ、
無知、増上慢、などに対する限りない軽蔑から、自分の小説作法を書くであらう。

三島由紀夫「爽快な知的腕力――大岡昇平『現代小説作法』」より


自分に関するおしやべりが人を男らしくするといふことは、至難の業である。

三島由紀夫「アメリカ版大私小説―N・メイラー作 山西英一訳『ぼく自身のための広告』」より
376名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/14(火) 11:19:56.69
旅では、誰も知るやうに、思ひがけない喜びといふものは、思ひがけない蹉跌に比べると、ほぼ百分の一、
千分の一ぐらゐの比率でしか、存在しないものである。


私はいつも人間よりも風景に感動する。小説家としては困つたことかもしれないが、人間は抽象化される要素を
持つてゐるものとして私の目に映り、主としてその問題性によつて私を惹きつけるのに、風景には何か黙つた
肉体のやうなものがあつて、頑固に抽象化を拒否してゐるやうに思はれる。自然描写は実に退屈で、かなり
時代おくれの技法であるが、私の小説ではいつも重要な部分を占めてゐる。


最初に細部にいたるまで構成がきちんと決ることはありえず、しかも小説の制作の過程では、細部が、それまで
眠つてゐた或る大きなものを目ざめさせ、それ以後の構成の変更を迫ることが往々にして起る。したがつて、
構成を最初に立てることは、一種の気休めにすぎない。

三島由紀夫「わが創作方法」より
377名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/15(水) 17:31:16.98
嘘八百の裏側にきらめく真実もある。

三島由紀夫「『黒蜥蜴』について」より


顔と肉体は、俳優の宿命である。いつも思ふことだが、俳優といふものは、宿命を外側に持つてゐる。一般人も
ある程度さうだが、文士などの場合は、その程度は殊に薄くて、彼ははつきり宿命を内側に持つてゐる。これは
職業の差などといふよりは、人間の在り方の差で、宿命を外側に持つ人間と、内側に持つ人間との、両極端の
代表的存在が、俳優と文士といふものだらうと思はれる。
だから俳優は自分の顔と戦はなければならない。その顔が世間から愛されれば愛されるほど、その顔と戦はなければ
ならない。

三島由紀夫「若尾文子讃」より


二流のはうが官能的魅力にすぐれてゐる。

三島由紀夫「ギュスターヴ・モロオの『雅歌』――わが愛する女性像」より


人がやつてくれないなら、自分がやらねばならぬ。

三島由紀夫「ジャン・コクトオの遺言劇――映画『オルフェの遺言』」より
378名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/15(水) 17:31:46.62
私の文学の母胎は、偉さうな西欧近代文学なんぞではなくて、もしかすると幼時に耽溺した童話集なのかもしれない。
目下SFに凝つてゐるのも、推理小説などとちがつて、それは大人の童話だからだ。

三島由紀夫「こども部屋の三島由紀夫――ジャックと豆の木の壁画の下で」より


日本には妙な悪習慣がある。「何を青二才が」といふ青年蔑視と、もう一つは「若さが最高無上の価値だ」といふ、
そのアンチテーゼとである。私はそのどちらにも与しない。小沢征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家
だから偉いのである。

三島由紀夫「小沢征爾の音楽会をきいて」より


SFからはすくなくとも、低次のセンチメンタリズムが払拭されてゐなければならぬ。
私は心中、近代ヒューマニズムを完全に克服する最初の文学はSFではないか、とさへ思つてゐるのである。

三島由紀夫「一S・Fファンのわがままな希望」より
379名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/16(木) 23:53:36.64
諸君が芸術および芸術家に対して抱いてゐる甘い小ずるい観念が今やはつきりした。なるほど「喜びの琴」は
今までの私の作風と全くちがつた作品で、危険を内包した戯曲であらう。しかしこの程度の作品におどろく
くらゐなら、諸君は今まで私を何と思つてゐたのか。思想的に無害な、客の入りのいい芝居だけを書く座付作者だと
ナメてゐたのか。さういふ無害なものだけを芸術と祭り上げ、腹の底には生煮えの政治的偏向を隠し、以て
芸術至上主義だの現代劇の樹立だのを謳つてゐたなら、それは偽善的な商業主義以外の何ものなのか。
諸君によく知つてもらひたいことがある。芸術には必ず針がある。毒がある。この毒をのまずに、ミツだけを
吸ふことはできない。四方八方から可愛がられて、ぬくぬくと育てることができる芸術などは、この世に存在しない。
諸君を北風の中へ引張り出して鍛へてやらうと思つたのに、ふたたび温室の中へはひ込むのなら、私は残念ながら
諸君とタモトを分つ他はないのである。

三島由紀夫「文学座の諸君への『公開状』――『喜びの琴』の上演拒否について」より
380名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/16(木) 23:54:27.15
ボクシングのいい試合を見てゐると、私はくわうくわうたるライトに照らされたリングの四角の空間に、一つの
集約された世界を見る。行動する人間にとつては、世界はいつもこんなふうに単純きはまる四角い空間に他ならない。
世界を、こんがらかつた複雑怪奇な場所のやうに想像してゐる人間は、行動してゐないからだ。そこへ二人の
行動家が登場する。そしてもつとも単純化された、いはば、もつとも具体的で同時にもつとも抽象的な、疑ひやうの
ない一つの純粋な戦ひが戦はれる。さういふときのボクサーには、完全な人間とは本来かういふものではないか、
と思はせるだけの輝きがある。もちろん観客は、不完全な人間ばかりだ。
ボクシングの美しさに魅せられると、ほかの大ていの美しさは、何だかニセモノめいて来る。それは錯覚に
ちがひないが、いい試合を見てゐるときは、たしかにさう感じる。そして文明などといふものが人間をダメにして
しまつたことがしみじみわかるのである。

三島由紀夫「ウソのない世界――ひきつける野生の魅力」より
381名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/16(木) 23:55:01.57
初恋に勝つて人生に失敗するのはよくある例で、初恋は破れる方がいいといふ説もある。

三島由紀夫「冷血熱血」より


赤ん坊の顔は無個性だけれど、もし赤ん坊の顔のままを大人まで持ちつづけたら、すばらしい個性になるだらう。
しかし誰もそんなことはできず、大人は大人なりに、又々十把一からげの顔になることかくの如し。

三島由紀夫「赤ちゃん時代――私のアルバム」より


今日のやうに泰平のつづく世の中では、人間の死の本能の欲求不満はいろいろな形であらはれ、ある場合には、
社会不安のたねにさへなる。こんな問題は、浅薄なヒューマニズムや、平べつたい人間認識では、とても片付かない。

三島由紀夫「K・A・メニンジャー著 草野栄三良訳『おのれに背くもの』推薦文」より


アメリカでは、成功者や金持は決して自由ではない。従つて、「最高の自由」は、わびしさの同義語になる。

三島由紀夫「芸術家部落――グリニッチ・ヴィレッジの午後」より
382名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 10:47:39.02
文学の勉強といふのは、とにかく古典を読むことに尽きるので、自国の古典に親しんだのち、この世界文学の
古典に親しめば、鬼に金棒である。東西の古典を渉猟すれば、人間の問題はそこに全部すでに語り尽くされて
ゐるのを知るだらう。ヘナヘナしたモダンな思ひつきの独創性なんか、この鉄壁によつてはねかへされてしまふのを
知るだらう。その絶望からしか、現代の文学も亦、はじらぬことに気づくだらう。
一般読者には実はこの全集をすすめたくない。古典の面白さを一度味はつたら、現代文学なんかをかしくて
読めなくなる危険があるから。

三島由紀夫「小説家志望の少年に(『世界古典文学全集』推薦文)」


古典文学に親しむ機会の少なかつたことが、大正以後の日本文学にとつて、どれだけマイナスになつてゐるか。
又、大正以後の知識人の思考の浅薄をどれだけ助長したかは、今日、日ましに明らかになりつつある事実である。

三島由紀夫「時宜を得た大事業(『日本古典文学大系 第二期』推薦文)」より
383名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 10:48:33.42
日本の芸能の古いものほど、広大な全アジア的ひろがりが背後に揺曳するものが多い。能でも「翁」には、
さういふ影があるし、かつて二月堂のお水取の行事に参列したときも、中央アジアに及ぶ古代文化の大きな類縁を、
ふしぎな声明の一トふし毎に聴く思ひがした。
さういふ点では(宗達の「舞楽図」もちやんとそれをとらへてゐるが)舞楽ほどせまい中世以後の純日本文化から
高く抜きん出た、広大な茫漠とした展望を、目に浮ばせる芸能はない。表向きは、古代支那の戦物語を描いてゐても、
その仮面、その装束、その動作の淵源ははるかに見定めがたく、われわれの心は古代のペルシャ湾のほとりへまで、
辿りついてしまふのである。
われわれの祖先は、大らかな、怪奇そのものすらも晴れやかな、ちつともコセコセしない、このやうな光彩陸離たる
芸術を持ち、それをわが宮廷が伝へて来たといふことは、日本の誇るべき特色である。だんだん矮小化されてきた
日本文化の数百年のあひだに、それと全くちがつた、のびやかな視点を、日本の宮廷は保つてきたのである。

三島由紀夫「舞楽礼讃」より
384名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 10:50:55.84
興味ねえよ
385名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/21(火) 20:02:22.28
私には特に、新劇の公演の、あの死灰のやうな気分が堪へられない。いたづらに誠実さうな顔つきをした、
「まじめな」観客といふものが堪へられない。劇場といふものは、ビリビリと神経質に慄へ、深い吐息をし、
興奮のために地震のやうに揺れ、稲妻によつて青々と照らし出され、落雷によつて燃え上がる、さういふ巨大な、
良導体で鎧はれた動物のやうなものであるべきだ。

三島由紀夫「ロマンチック演劇の復興」より


俳優は、良い人間である必要はありません。芸さへよければよいのです。と同時に、俳優は、俳優に徹することに
よつて思想をつかみ、人間をつかむべきではないでせうか。組織のなかで、中途はんぱなつかみ方をするのは
いけないと思ひます。

三島由紀夫「俳優に徹すること――杉村春子さんへ」より


イデオロギーは本質的に相対的なものだ、といふのは私の固い信念であり、だからこそ芸術の存在理由があるのだ、
といふのも私の固い信念である。

三島由紀夫「前書――ムジナの弁(「喜びの琴」)」より
386名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/21(火) 20:03:38.54
アポローンの永遠の青春は、私の仕事の根源であり、私の光りである。アポローンの面影をとどめたガンダーラ仏の
源流と思へば、この像はいはばわが仏であらうか。

三島由紀夫「庭のアポローン像について」より


男らしさとは、対女性的観念ではなく、あくまで自律的な観念であつて、ここで考へられてゐる男とは、何か
青空へ向つて直立した孤独な男根のごときものである。男らしさを企図する人間には、必ずファリック・
ナルシシズムがある。


「男らしさ」といふことの価値には、一種の露出症的なものがあり、他人の賞賛が必要なのである。


真に独創的な英雄といふものは存在しない。


あと何百万年たつても、女が男にかなはないものが二つある。それは筋肉と知性である。

三島由紀夫「私の中の“男らしさ”の告白」より


美しい静かな絵といふものは、世路の艱難の只中から生れるものだ。それは艱難からの逃避ではなく、生きることの
むづかしさそのものから直ちにひらいた花だ。

三島由紀夫「無題(鈴木徳義個展推薦文)」より
387名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/23(木) 10:54:29.52
右翼とは、思想ではなくて、純粋に心情の問題である。


共産主義と攘夷論とは、あたかも両極端である。しかし見かけがちがふほど本質はちがはないといふ仮定が、
あらゆる思想に対してゆるされるときに、もはや人は思想の相対性の世界に住んでゐるのである。そのとき林氏には、
さらに辛辣なイロニイがゆるされる。すなはち、氏のかつてのマルクス主義への熱情、その志、その「大義」への
挺身こそ、もともと、「青年」のなかの攘夷論と同じ、もつとも古くもつとも暗く、かつ無意識的に革新的で
あるところの、本質的原初的な「日本人のこころ」であつたといふイロニイが。


日本の作家は、生れてから死ぬまで、何千回日本へ帰つたらよいのであらうか。日本列島は弓のやうに日本人たちを
たえずはじき飛ばし、鳥もちのやうにたえず引きつける。

三島由紀夫「林房雄論」より
388名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/23(木) 10:55:24.22
うす暗い喫茶店で、ゴミのはひつたコーヒーを、そのゴミも暗くて見えないまま、深刻にすすつてゐるのが
好きな人は、明るすぎる喫茶店など、我慢できたものではあるまい。


文学だらうと、何だらうと、簡明が美徳でないやうな世界など、犬に食はれてしまふがいい、と私はかねがね考へてゐる。


文学が人の心を動かす度合は、享受者の些末な窄い関心事をのりこえて、文学独特の世界へ引きずりこむだけの
力を備へてゐるかどうかによつて測られる。それを面白いと言ひ、その力を備へてゐないものをつまらないと
言ふことは、読者の権利である。

三島由紀夫「胸のすく林房雄氏の文芸時評」より


狂言の「釣狐」ではないけれど、狐はある場合は、敢然と罠に飛び込むことで、彼自身が狐であることを実証する。
それは狐の宿命、プロ・ボクサーの宿命のごときものであらう。

三島由紀夫「狐の宿命(関・ラモス戦観戦記)」より
389名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/24(金) 09:31:49.96
日本といふ国は、自発的な革命はやらない国である。革命の惨禍が避けがたいものならば、自分で手を下すより、
外力のせゐにしたはうがよい。


復興には時間がかかる。ところが、復興といふ奴が、又日本人の十八番なのである。どうも日本人は、改革の
情熱よりも、復興の情熱に適してゐるところがある。その点でも私は安心してゐる。

三島由紀夫「幸せな革命」より


人間には、不条理な行動へ促す魔的な力の作用することがある。作家はいつもこの魔的な力から制作の衝動を
うけとる。

三島由紀夫「魔的なものの力」より


浮世は「幻の栖(すみか)」にすぎず、自分の肉体は過客にすぎぬ。

三島由紀夫「久保田万太郎氏を悼む」より


小さくても完全なものには、巨大なものには、求められない逸楽があり、必ずしも偉大でなくても、小さく澄んだ
崇高さがありうる。

三島由紀夫「宝石づくめの小密室」より
390名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/24(金) 09:32:16.76
ミュージカルとはアメリカの歌舞伎である。誇るべき文化遺産を持たない新しい国が、必死になつて、ヨーロッパの
オペラや、バレーに対抗する劇場芸術、しかもアメリカでしか生れないものを狙つて、アメリカのものすごい
エネルギーと資本を傾注して、やつと今のやうな形にまでしたものだ。だからそこには、草創期の歌舞伎に似た、
若々しい創造のエネルギーと、若さだけの持ちうる詩と、俗悪さと、商業主義と、悪ふざけと、スノビズムと、
知的享楽と、諷刺と、……あらゆるものが渾然一体となつてゐる。こんなものが一朝一夕に、他国人に真似られる
ものではない。そこには第一、音楽や舞踊のヨーロッパ的な基礎的教養や訓練が、前提になつてゐるのである。

三島由紀夫「ミュージカル病の療法」より


若い女性の多くは、能楽を、退屈に感じて見たがらない。そして、日本でしか、日本人しか、真に味はふことの
できぬ美的体験を自ら捨ててゐるのだ。

三島由紀夫「能――その心に学ぶ」より
391名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/24(金) 09:47:15.33
せっかく書いたのだから自分で何度も読み返しておきなさい。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/25(土) 19:52:51.75
私はずいぶんいろんな西洋人の夫婦を知つたが、それから得た結論は、夫婦といふものは、世界中どこも同じであり、
又、世界中どこも千差万別である、といふ月並な結論であつた。


日劇のストリップ・ショウの特別席は、大てい外人の観光客で占められてゐるが、鬼をもとりひしぐ顔つきの老婆と
居並んで、ぽかんと口をあけてストリップを見てゐる老紳士ほど、哀れな感じのするものはない。ああいふのを
見ると、私はいつも、西洋人の夫婦を支配してゐる或る「性の苛烈さ」を感じてしまふのである。尤も御当人の
身にしてみれば、鬼のごとき老妻に首根つこをつかまへられながらストリップを見るといふ、一種の醍醐味が
あるのかもしれない。

三島由紀夫「西洋人の夫婦」より
393名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/25(土) 19:53:20.23
猫は何を見ても猫的見地から見るでせうし、床屋さんは映画を見てもテレビを見ても、人の頭ばかり気になる
さうです。世の中に、絶対公平な、客観的な見地などといふものがあるわけはありません。われわれはみんな
色眼鏡をかけてゐます。そのおかげで、われわれは生きてゐられるともいへるので、興味の選択ははじめから
決つてをり、一つ一つの些事に当つて選択を迫られる苦労もなく、それだけ世界はきれいに整備され、生きる
たのしみがそこに生じます。
しかし人生がそこで終ればめでたしですが、まだ先があります。同じ色眼鏡が、ほかの人の見えない地獄や深淵を
そこに発見させるやうになります。猫は猫にしか見えない猫の地獄を見出し、床屋さんは床屋さんにしか見えない
深淵を見つけ出します。

三島由紀夫「序(久富志子著『食いしんぼうママ』)」より
394名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/25(土) 19:54:04.85
本当は法律といふものは、昼間の理性を以て、夜の情念を律するために作られたものであるから、真夜中の仕事を
本業とする人間は、反法律的、あへて言へば犯罪的人間である。


理性的な社会、安定した秩序の社会といふものが、もし存在するとするならば、これは、法規制のエネルギーが、
直流式ではなく、交流式に働く社会のやうに思はれる。すなはち、昼間の理性が夜の情念を律すると同時に、
夜の情念が昼間の理性を律し、且つこの相互作用によつて、夜の情念が情念それ自体の精妙な理法を編み出し、
又、昼の理性が理性それ自体の情感乃至風情といふものをにじみ出させてゐる、といふやうな社会なのである。
(中略)
急に卑近な話になるが、オリンピックの外来客に、東京を清潔な都会と思はせるため、飲食店その他の深夜営業を
禁止しようとしてゐる東京都の役人の考へなど、頑なな昼の理性のもつとも低俗な表現と言へるであらう。

三島由紀夫「夜の法律」より
395名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 11:33:27.22
新人の辛さは、「待たされる」辛さである。


私もそのころの太宰氏と同年配になつた今、決して私自身の青年の客気を悔いはせぬが、そのとき、氏が初対面の
青年から、
「あなたの文学はきらひです」
と面と向つて言はれた心持は察しがつく。私自身も、何度かさういふ目に会ふやうになつたからである。
思ひがけない場所で、思ひがけない時に、一人の未知の青年が近づいてきて、口は微笑に歪め、顔は緊張のために
蒼ざめ、自分の誠実さの証明の機会をのがさぬために、突如として、「あなたの文学はきらひです。大きらひです」
と言ふのに会ふことがある。かういふ文学上の刺客に会ふのは、文学者の宿命のやうなものだ。もちろん私は
こんな青年を愛さない。こんな青臭さの全部をゆるさない。私は大人つぽく笑つてすりぬけるか、きこえないふりを
するだらう。
ただ、私と太宰氏のちがひは、ひいては二人の文学のちがひは、私は金輪際、「かうして来てるんだから、
好きなんだ」などとは言はないだらうことである。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より
396名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 11:34:00.15
青春の特権といへば、一言を以てすれば、無知の特権であらう。人間には、知らないことだけが役に立つので、
知つてしまつたことは無益にすぎぬ、といふのは、ゲエテの言葉である。どんな人間にもおのおののドラマがあり、
人に言へぬ秘密があり、それぞれの特殊事情がある、と大人は考へるが、青年は自分の特殊事情を世界における
唯一例のやうに考へる。


小説は書いたところで完結して、それきり自分の手を離れてしまふが、芝居は書き了へたところからはじまるので
あるから、あとのたのしみが大きく、しかもそのたのしみにはもはや労苦も責任も伴はない。


芝居の仕事の悲劇は、この世でもつとも清純なけがれのない心が、一度芝居の理想へ向けられると、必ずひどい目に
会ふのがオチだといふことである。その一例として、今もときどき私が思ひ出すのは、加藤道夫氏のことである。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より
397名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 11:34:34.12
芝居の世界は実に魅力があるけれど、一方、おそろしい毒素を持つてゐる。自分だけは犯されまいと思つても、
いつのまにかこの毒に犯されてゐる。この世界で絶対の誠実などといふものを信じたら、えらい目に会ふのである。
或るアメリカ人が、ニューヨークで、芝居を見るのは実に好きだが、劇壇の人たちはcorrupt people(腐敗した
人たち)だからきらひだ、と言つてゐたのも、一面の真実を伝へてゐる。
しかし、煙草のニコチンと同じで、毒があるからこそ、魅力もある。こればかりは、どう仕様もない。



大体私は「興いたれば忽ち成る」といふやうなタイプの小説家ではないのである。いつもさわぎが大きいから
派手に見えるかもしれないが、私は大体、銀行家タイプの小説家である。このごろの銀行が、派手なショウ・
ウィンドウをくつつけたりしてゐる姿を、想像してもらつたらよからう。


忘却の早さと、何ごとも重大視しない情感の浅さこそ、人間の最初の老いの兆だ。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より
398名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/30(木) 12:33:32.43
(『詩を書くのが趣味の交際相手の男性が女々しく思えて許せない』という相談者に)
 美輪明宏『文学者でも例えば三島由紀夫や中原中也なんかは男らしかった思うけれど…。
貴女ももっと本をお読みになったらどうかしら?』
 相談者『(憤然として)読んでますよ』
 美輪明宏『どんなのを読んでらっしゃるの?』
 相談者『秋元康とか』
 美輪明宏『(一瞬判らず)あきも……(ピンと来て)オホホホホホwwwww』
 相談者『?』
399名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/01(金) 11:52:31.93
完ぺきのマナーを発揮して女性をエスコートするといふのは、よほど心にゆとりのある証拠。つまり演技者の
心境である。
ふつうの男性が、心からあなたを熱愛したばあひには、マナーやエスコートは、そんなにスマートにいくはずかない。
なぜなら彼は、横断歩道をわたるときも、喫茶店にゐるときも、いつも心臓をドキドキさせてゐるからである。
つまり、恋愛には、ゆとりが入りこむ余地がないものなのだ。


一つの目的にむかつて、わき目もふらずに突進する……精虫の行動原理は、男のやることのすべての基本型。


人間……とくに男性は、安楽を100パーセント好きになれない動物だ。
また、なつてはいけないのが男である。


裏切りは、かならずしも悪人と善人のあひだでおこるとはかぎらない。


世間ではどんなに英雄的に見える男でも、家庭では甲羅ぼしをするカメのやうなものである。
“男性を偶像化すべからず”
職場での彼、デート中の彼から70%以上の魅力を差し引いたものが、家庭での彼の姿。

三島由紀夫「あなたは現在の恋人と結婚しますか?」より
400名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/01(金) 11:53:08.98
バレーはただバレーであればよい。雲のやうに美しく、風のやうにさはやかであればよい。人間の姿態の最上の
美しい瞬間の羅列であればよい。人間が神の姿に近づく証明であればよい。古典バレーもモダン・バレーもあるものか。


しかし芸術として、バレーは燦然たる技術を要求する。姿態美はすでに得られた。あとは日本の各種の古典芸能の
名手に匹敵するほどの、高度の技術を獲得すれば、それでよい。ただ、バレーのハンディキャップは、西洋の
芸能の例に洩れず「老境に入つて技神に入る」といふやうなことが望めないことであり、若いうちに電光石火、
最高の美と技術に達しなければならぬといふ点で、却つて伝統と一般水準の問題が重く肩にかかつてゐるといふ点である。

三島由紀夫「スター・ダンサーの競演によるバレエ特別公演プログラム」より


日本人は何と言つても和服を着た姿が、一等立派で美しい。女も男もさうである。

三島由紀夫「『恋の帆影』について」より
401名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/01(金) 22:41:21.92
旅は古い名どころや歌枕を抜きにしては考へられない。


旅には、実景そのものの美しさに加へるに、古典の夢や伝統の幻や生活の思ひ出などの、観念的な準備が要るので
あつて、それらの観念のヴェールをとほして見たときに、はじめて風景は完全になる。


ストリップこそわが古典芸能の源であり、女性美の根本である。


苦行の果てにはかならずすばらしい景色が待つてゐる。


観光地といへば、パチンコ屋とバーと土産物屋が蠅のやうにたかつて来てそこを真黒にしてしまふ大都市の周辺は、
私に黒人共和国ハイチの不潔な市場を思ひ出させる。いやに真黒なものばかり売つてゐるな、と思つて近づくと、
それがみな食料品に隙間なくたかつた蠅なのだ。しかしバーや土産物屋などの蠅よりも、一等始末のわるいのは、
音を出す拡声器といふ蠅である。それから考へると、今度の旅では、全くその音をきかずにすんだ。拡声器の
アナウンスや流行歌に比べれば、プロペラ船などは可愛らしい蜜蜂だ。

三島由紀夫「熊野路――新日本名所案内」より
402名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/01(金) 22:42:30.95
人生にはそんなに昂奮の連続もなければ、世界記録の更新もない。金メダルもなければ、群衆の歓呼もない。
手に汗にぎるスリルもなければ、英雄主義もない。
あるのは、単調なくりかへしと、小さな喜び、小さな悲しみ、小さな不愉快だけであつて、「思ひがけないこと」と
云へば、概してよくないことのはうが多い。
かういふ生活にどうやつて耐へるか、それについては、大体二つの方法がある、といふのが私の考へである。
一つは「葉隠」の武士道のやうなもので、いつも架空の危機を自ら想定し、それに向つてたえず心身を緊張させて
生きることである。緊張ばかりしてゐては疲れてしまふといふのは怠け者の考へで、弛緩こそ病気のもとで
あることはよく知られてゐる。いけないのはテレビ・プロデューサーのやうな末梢神経の緊張の連続であつて、
豹のやうに、全身的緊張を即座に用意できる生活こそ、健康な生活であることは言ふまでもない。
もう一つは、単調なくりかへしの先手を打つて、自分の自由意志で、さらにそのくりかへしを徹底させる生き方である。

三島由紀夫「秋冬随筆 歓楽果てて……」より
403名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/01(金) 22:47:09.42
人間は孤独になればなるほど、予想外の行動に出るものであつて、「一人きりでゐるとき、人間はみんなキチガヒだ」
といふモオリヤックの言葉は、人間性を洞察した至言にちがひない。

三島由紀夫「秋冬随筆 タッチ魔」より


テレビによつて、いくらでも雑多な知識がひろく浅く供給されるから、暇のある人はテレビにしがみついてゐれば、
いくらでも知識が得られる代りに、「中国核実験」と「こんにちは赤ちゃん」をつなぐことは誰にもできず、
知識の綜合力は誰の手からも失はれてゐる。無用の知識はいくらでもふえるが、有用な知識をよりわけることは
ますますむづかしくなり、しかも忘却が次から次へとその知識を消し去つてゆく。


天空の果てまで見とほす天体望遠鏡も、暗黒星雲の向う側は見透かせないとすれば、万能らしきマス・コミと
いへども、やはりわがままな人間の心を支配できない盲点があるにちがひないのである。
三島由紀夫「秋冬随筆 無用の知識」より


文学は、どんなに夢にあふれ、又、読む人の心に夢を誘ひ出さうとも、第一歩は、必ず作者の夢が破れたところに
出発してゐる。

三島由紀夫「秋冬随筆 世界のをはり」より
404名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/03(日) 23:40:56.81
顔はふつう所与のものであつて、遺伝やさまざまの要因によつて決定されてをり、整形手術でさへ、顔の持つ
決定論的因子を破壊しつくすことはできない。しかも顔は自分に属するといふよりも半ば以上他人に属してをり、
他人の目の判断によつて、自と他と区別する大切な表徴なのである。


本当に危険な作品は、感覚的な作品だ。どんな危険思想であつても、論理自体は社会的タブーを犯さぬのであつて、
サドのやうな非感覚的な作家の安全性はこの点にある。


古き芸術小説は言語のフェティシズムによつてのみ芸術性を確保し、又、中間小説は言語の抽象機能を失つてゐる。


これ(言語による言語からの脱出といふ自己撞着)を突破したのはアルチュール・ランボオ唯一人だが、われわれが
言語を一つの影像として定着するときに、われわれはすでに自ら一つの脱出口を閉鎖したのである。


「本日晴天、明日も晴れるでせう」といふやうな小説を、私ははじめから愛することなどできない。

三島由紀夫「現代小説の三方向」より
405名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/03(日) 23:42:27.56
相手を自分より無限に高いものとして憧れる気持は、半ばこちらの独り合点である場合が多い。それがわかつて
幻滅を感じても、自分の中の、高いもの美しいもの、美しいものへ憧れた気持は残る。

三島由紀夫「愛(エロス)のすがた――愛を語る」より


辺鄙な漁村などにゆくと、たしかにそこには、古代ギリシアに似た生活感情が流れてゐる。そして、顔も都会人より
立派で美しい。私はどうも日本人の美しい顔は、農漁村にしかないのではないかといふ気がしてゐる。


典型と個性とは反対のものであつて、「潮騒」の永遠の少女初江は、個性なんかで演じられるものではないのである。


男子高校生は「娘」といふ言葉をきき、その字を見るだけで、胸に甘い疼きを感じる筈だが、この言葉には、
あるあたたかさと匂ひと、親しみやすさと、MUSUMEといふ音から来る何ともいへない閉鎖的なエロティシズムと、
むつちりした感じと、その他もろもろのものがある。プチブル的臭気のまじつた「お嬢さん」などといふ言葉の
比ではない。

三島由紀夫「美しい女性はどこにいる――吉永小百合と『潮騒』」より
406名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/06(水) 10:12:37.18
私はあくまで黒い髪の女性を美しいと思ふ。洋服は髪の毛の色によつて制約されるであらうが、女の黒い髪は最も
派手な、はなやかな色であるから、かうして黒い服を着た黒い髪の女は、世界中で一番派手な美しさと言へるだらう。

三島由紀夫「恋の殺し屋が選んだ服」より


女の子のスキーやスケートの姿は、雪女の伝説ではないが、勇ましいうちにも冷艶なものがある。ほつぺたを
真つ赤にして滑つてゐる健康な少女でも、そこには、何だか、妖精的な、透きとほるやうな女らしさが、雪や氷を
背景にして匂ひ立つのだ。

三島由紀夫「新夏炉冬扇」より


今でも英国では、午後の紅茶に
「ミルク、ファースト? ティー、ファースト?」
と丁重にきいてまはつてゐる。同じ茶碗にお茶を先に入れようがミルクを先に入れようが、味に変りはなささうだが、
そんなことはどうでもいいかといへば、そこには非合理な各人各説といふものがあつて、決してさうはいかないのが
英国であることは、今も昔も変りがない。「どつちでもいいぢやないか」といふ精神は、生活を、ひろくは
文化といふものを、あつさり放棄してしまつた精神のやうに思はれる。

三島由紀夫「英国紀行」より
407名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/06(水) 10:13:43.61
「浅草花川戸」「鉄仙の蔓花」「連子窓」「花畳紙」「ボンボン」「継羅宇」「銀杏返し」「絎台」「針坊主」
「浜縮緬」などの伝統的な語彙の駆使によつて、われわれは一つの世界へ引き入れられる。生活の細目の
あらゆる事物に日本風の「名」がついてゐたこのやうな時代に比べると、現代は完全に文化を失つた。文化とは、
雑多な諸現象に統一的な美意識に基づく「名」を与へることなのだ。

三島由紀夫「解説(現代の文学20 円地文子集)」より


事情通の言つたり書いたりしてゐることを、きいたり読んだりすると、ますますあいまいもことしてわからなくなる、
といふのが通例である。あひかはらず「真相はかうだ」式のものがよく読まれてゐるが、さういふものほど、
ますますフィクションくさく見えてくる、といふ妙な仕組みになつてゐる。


ものごとの表面ほど、多く語るものはない。

不安自体はすこしも病気ではないが、「不安をおそれる」といふ状態は病的である。

三島由紀夫「床の間には富士山を――私がいまおそれてゐるもの」より
408名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/06(水) 10:14:32.64
一体、赤紙の召集ぢやあるまいし、芝居の大事なお客さまを「動員」するなどといふのは、失礼な話だ。


芝居のお客は、窓口で、個々人の判断で、切符を買つてくれる人が、あくまで本体である。われわれ小説家の
著書を、団体で売りさばくといふ話はきいたことがない。部数の大小にかかはらず、われわれの本は、われわれの
仕事に興味を持つてくれる人の手へ、直接に流れてゆくのであつて、さういふ読者の支持によつて、はじめて
われわれの仕事も実を結ぶのである。


芝居といふものは絵空事で、絵空事のうちに真実を描くのだ。

三島由紀夫「私がハッスルする時――『喜びの琴』上演に感じる責任」より


「いやな感じ」といふのは、裏返せば「いい感じ」といふことである。つまり、「いやな、いやな、いやな……
いい感じ」といふわけだ。


人間と世界に対する嫌悪の中には必ず陶酔がひそむことは、哲学者の生活体験からだけ生れるわけではない。
行為者も亦、そのやうにして世界と結びつく瞬間があるのだ。

三島由紀夫「いやな、いやな、いい感じ(高見順著『いやな感じ』)」より
409名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 11:28:05.72
異国趣味と夢幻の趣味とは、文学から力を失はせると共に、一種疲れた色香を添へるもので、世界文学の中にも、
二流の作品と目されるものの中に、かういふ逸品の数々があり、さういふ文学は普遍的な名声を得ることは
できないが、一部の人たちの渝(かは)らぬ愛着をつなぎ、匂ひやかな忘れがたい魅力を心に残す。


もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののはうが不確定であり、恒久不変の現実といふ
ものが存在しないならば、転生のはうが自然である。


学生に人気のある、甘い賑やかな感激家の先生には、却つて貧寒な、現実的な魂しか備はつてゐないことが多い。


正確な無味乾燥な方法的知識のみが、夢へみちびく捷径(せふけい)である。

三島由紀夫「夢と人生」より


人間がこんなに永い間花なしに耐へてゆけるには、その心の中に、よほど巨大な荘厳な花の幻がなければならない。

三島由紀夫「服部智恵子バレエリサイタルに寄せて」より
410名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 11:28:42.47
フランス人のドイツ恐怖はむしろ民衆の感性であつて、歴史上からも、フランス人はドイツに対する愛好心を
貴族の趣味として伝へてきた。外交官でもあり、社交界に精通したジロオドウの中には、このやうな貴族趣味が
生き永らへてゐて、彼の親独主義は、別に現実政治と見合つたものではない。いがみ合ひは民衆のやることであつて、
ドイツだらうが、フランスだらうが、貴族はみんな親戚なのだ。

三島由紀夫「ジークフリート管見――ジロオドウの世界」より


過去は輝き、現在は死灰してゐる。「希望は過去にしかない」のである。


ミーディアムはしばしば自分に憑いた神の顔を知らないのである。
三島由紀夫「あとがき(『三熊野詣』)」より


憧れるとは、対象と自分との同一化を企てることである。従つて、異性に向つて憧れる、といふのは、言葉の
矛盾のやうに思はれる。

三島由紀夫「わが青春の書――ラディゲの『ドルヂェル伯の舞踏会』」より


古典主義の魂を持たないロマン主義者は、それ自体、真のロマン主義者と云へないであらう。

三島由紀夫「異国趣味について」より
411名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:04:19.35
すべてのスポーツには、少量のアルコールのやうに、少量のセンチメンタリズムが含まれてゐる。

三島由紀夫「『別れもたのし』の祭典――閉会式」より


私は予想よりも人間のはうに賭ける。われわれは自分に賭けるときさうしてゐるのだから、他人に賭けるときも
さうするべきだ。


守る側の人間は、どんなに強力な武器を用意してゐても、いつか倒される運命にあるのだ。

三島由紀夫「若さと体力の勝利――原田・ジョフレ戦」より


見るより先に、感じ、反射し、すぐ行動できる人がある。スポーツに向いてゐる人である。スポーツでは
見てゐるときは、もう遅い。
しかし風景や、美術や、芝居や、さういふものは、ゆつくり見られるやうに出来てゐる。

どんなに下手な俳優でも、「見られる」ことにより輝やく瞬間があるものだ。それを輝やかすのは、決して
光量の大きな照明器だけではない。かれらを輝やかすものこそ、われわれの「目」なのである。

三島由紀夫「あとがき(『目――ある芸術断想』)」より
412名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:05:08.44
ひとたび、天与の人間の肉体が改造可能なものだといふことになると、モラルの体系も、深いところでガタガタと
崩れゆくやうな気がする。美しくする変形も、醜くする変形も、変形であることに変はりがないなら、美容整形も、
因果物師も、紙一重のやうな気もする。因果物師とは、むかし見世物に出す不具者ばかりを扱つた卑賎な仕事で、
それだけならいいが、むかしの支那では、子供のときから畸形をつくるために、人間を四角い箱に押しこめて、
首と手足だけ出させて育てたなどといふ奇怪な話が伝はつてゐる。美と醜とは両極端だが、実はそれほど
遠いものではない。

三島由紀夫「『美容整形』この神を怖れぬもの」より


万物は落ち、あらゆる人間的な企図は人間の手から辷り落ちる。しかし落ちることのこのスピードと快さと
自然さに、人間の本質的な存在形態があることに詩人が気づくとき、詩人はもはや天使の目ではなく、人間の目で
人間を見てゐるのである。

三島由紀夫「跋(高橋睦郎著『眠りと犯しと落下と』)」より
413名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:06:04.18
この小説(「潮騒」)の採用してゐる、古代風の共同体倫理は、書かれた当時、進歩派の攻撃を受けたものであるが、
日本人はどんなに変つても、その底に、かうした倫理感を隠してゐることは、その後だんだんに証明されてゐる。

三島由紀夫「『潮騒』執筆のころ」より


平和論者にとつては、見つめなくない真実だらうが、たしかに戦争には、悲惨だけがあるのではない。

三島由紀夫「私の戦争と戦争体験――二十年目の八月十五日」より


日本といふところは、一見、東洋的老人社会みたいに見えるけれど、実際は「若者を怖れる社会」である。
明治維新のころもさうだつたし、プロレタリア文学時代の文壇も、クーデターばやりの時代の軍部もさうだつた。
青年ほど、日本でおそれられてゐるものはない。


時は移り、青春は移る。あるひは、文学は不変で、そこに描かれた青春も不変である。

三島由紀夫「(『われらの文学』推薦文)」より
414名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 11:11:50.71
オリンピックを大義と錯覚する心は、少なくともそのはげしい練習と、衰へゆく肉体に対するきびしい挑戦のうちに、
正に大義に近づいてゐたのだと考へるはうが親切である。一切の錯覚を知らぬ心は、大義に近づくことができない、
といふのが人間の宿命である。この贋物の大義を通じて真の大義を知つた青年の心は、栄光のどこにもない時代に
かつて栄光の味を知つてゐた。


現代は、死を正当化する価値の普遍化が周到に避けられ、そのやうな価値が注意深くばらばらに分散させられて
ゐる時代である。


私は円谷二尉の死に、自作の「林房雄論」のなかの、次のやうな一句を捧げたいと思ふ。
「純潔を誇示する者の徹底的な否定、外界と内心のすべての敵に対するほとんど自己破壊的な否定、……云ひ
うべくんば、青空と雲とによる地上の否定」
そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、「青空と雲」だけに属してゐるのである。

三島由紀夫「円谷二尉の自刃」より
415名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 11:12:56.18
芝居におけるロゴスとパトスの相克が西洋演劇の根本にあることはいふまでもないが、その相克はかしやくない
セリフの決闘によつてしか、そしてセリフ自体の演技的表現力によつてしか、決して全き表現を得ることがない。
その本質的部分を、いままでの日本の新劇は、みんな写実や情緒でごまかして、もつともらしい理屈をくつつけて
来たにすぎない。

三島由紀夫「『サド侯爵夫人』の再演」より


眠りや忘却は、プルウストによつて深い小説的主題となつたが、戯曲や演劇は、覚醒と想起と再体験なしには
成立たない。

三島由紀夫「戯曲『アラビアン・ナイト』について」より


歴史劇などといふのは、本来言葉の矛盾である。芝居に現はれる現象としての事実は、はじめから入念に選び
出されたものであるのに、歴史では玉石混淆だからである。

三島由紀夫「歴史的題材と演劇」より
416名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 11:15:09.16
読んでやれなくてごめんね
417名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/13(水) 20:14:14.50
俳優がその若さの絶頂にゐて、若さの絶頂の役を演じるといふことは、芸術における例外的な恩寵である。


若さは、伝説と反対に、傷つき易い、みじめなものなのである。私自身それをよく知つてゐる。若さの年齢において
若さを演ずることは、スパルタの少年の克己をわがものにすることだ。

三島由紀夫「中山仁君について」より


青年の苦悩は、隠されるときもつとも美しい。


精神的な崇高と、蛮勇を含んだ壮烈さといふこの二種のものの結合は、前者に傾けば若々しさを失ひ、後者に
傾けば気品を失ふむつかしい画材であり、現実の青年は、目にもとまらぬ一瞬の行動のうちに、その理想的な
結合を成就することがある。

三島由紀夫「青年像」より


青年には、強力な闘志と同時に服従への意志とがあり、その魅力を二つながら兼ねそなへた組織でなければ、
真に青年の心をつかむことはできない。

三島由紀夫「本当の青年の声を(『日本学生新聞』創刊によせて)」より
418名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/13(水) 20:14:54.00
感情だけが恋を形づくるが、恋をこはすのもまた、感情だ。それなら形だけの恋、感情を持たない恋の中にだけ、
永遠なものが宿るのではないだらうか?

三島由紀夫「鏡の中の恋」より


小説に美しいはかない抒情が求められる時代は、現実に苦痛が次第に負荷を加へてくる時代である。

三島由紀夫「中河与一全集を祝ふ」より


世の中といふものは面白いもので、非常に偉大で有名な人物に会つてみると、その人物自体はわりに平凡な
印象を与へ、却つてその蔭に、個性の強烈な別の人物がついてゐる、といふことがよくあるものだ。

三島由紀夫「テネシー・ウィリアムズのこと」より


いくらお金を費つても費つても、貧しい気分にしかならないたいへんな時代が、現代といふものである。

三島由紀夫「鳳凰台上鳳凰遊ぶ」より


エロティックといふのは、ふつうの人間が日常のなかでは自然と思つてゐる行為が、外に現はれて人の目に
ふれるときエロティックと感じる。

三島由紀夫「古典芸能の方法による政治状況と性――作家・三島由紀夫の証言」より
419名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 13:31:50.38
英雄とは、文学ともつとも反対側にしかない概念である。

三島由紀夫「年頭の迷ひ」より


小説家も拳闘家も同じことだが、血湧き肉をどる思ひをさせるのは処女作時代で、一家をなし、追はれる立場に
なれば、さういふ魅力は乏しくなり、代りにいはゆる「円熟した技巧」を見せはじめる。しかし、巧くなつて
不正直になるのは堕落といふもので、巧くなつてもなほ正直といふところが尊いのだ。

三島由紀夫「原田・メデル戦」より


人間は人生の当初に、何もわからず、やみくもに考へたことを基本にして、その思想から一歩も出られずに
生きてゐるといふことも亦真実であるやうに思はれる。たとへば、「反時代的な芸術家」といふのは、私が
二十二、三歳のころに書いたエッセイだが、このエッセイの言つてゐることは、二十年後の私がそのまま実行して
ゐることである。

三島由紀夫「跋(『芸術の顔』)」より
420名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 13:32:39.23
ものを書くといふ仕事は呪はれてゐるのである。この仕事には、生の根本的な否定が奥底にひそんでゐる。
なぜなら、それは永生を前提にしてゐるからである。そして、ひとたび筆をとつたら、日記ですら、「生そのもの」の
冒涜に他ならないと感じるときに、告白は不可能になる筈である。荷風の「日乗」は一行も告白などしてゐない。

三島由紀夫「いかにして永生を?」より


覚悟のない私に覚悟を固めさせ、勇気のない私に勇気を与へるものがあれば、それは多分、私に対する青年の
側からの教育の力であらう。そして教育といふものは、いつの場合も、幾分か非人間的なものである。

三島由紀夫「青年について」より


論敵同士などといふものは卑小な関係であり、言葉の上の敵味方なんて、女学生の寄宿舎のそねみ合ひと大差が
ありません。


剣のことを、世間ではイデオロギーとか何とか言つてゐるやうですが、それは使ふ刀の研師のちがひほどの問題で、
剣が二つあれば、二人の男がこれを執つて、戦つて、殺し合ふのは当然のことです。

三島由紀夫「野口武彦氏への公開状」より
421名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 13:33:24.81
才能や理智や感情なら、早熟といふこともあらうけれど、魂自体には、早熟も晩熟もない。

三島由紀夫「もつとも純粋な『魂』ランボオ」より


日本人の美のかたちは、微妙をきはめ洗煉を尽した果てに、いたづらな奇工におちいらず、強い単純性に還元される
ところに特色があるのは、いふまでもない。永遠とは、くりかへされる夢が、そのときどきの稔りをもたらしながら、
又自然へ還つてゆくことだ。生命の短かさはかなさに抗して、けばけばしい記念碑を建設することではなく、
自然の生命、たとへば秋の虫のすだきをも、一体の壷、一個の棗(なつめ)のうちにこめることだ。ギリシャ人は
巨大をのぞまぬ民族で、その求める美にはいつも節度があつたが、日本人もこの点では同じである。

三島由紀夫「『人間国宝新作展』推薦文」より


表現といふものは、そもそも下劣なぐらゐの「人間的関心」なのであり、クールであることは逆説にすぎない。


個人が組織を倒す、といふのは善である。

三島由紀夫「『サムライ』について」より
422名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/15(金) 16:43:10.06
美しいヌード写真は、いはば、鍵をかけられた硝子の函の中の性である。


男性の色情が、いつも何らかの節片淫乱症(フェティシズム)にとらはれてゐるとすれば、色情はつねに部分に
かかはり、女体の「全体」の美を逸する。つまり、いかなる意味でも「全体」を表現してゐるものは、色情を
浄化して、その所有慾を放棄させ、公共的な美に近づけるのである。


動物的であるとはまじめであることだ。笑ひを知らないことだ。一つのきはめて人工的な環境に置かれて、
女たちははじめて、自分たちの肉体が、ある不動のポーズを強ひられれば強ひられるほど、生まじめな動物の美を
開顕することを知らされる。それから突然、彼女たちの肉体に、ある優雅が備はりはじめる。

三島由紀夫「篠山紀信論」より
423名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/15(金) 16:45:01.31
飛行機が美しく、自動車が美しいやうに、人体は美しい。女が美しければ、男も美しい。しかしその美しさの
性質がちがふのは、ひとへに機能がちがふからである。飛行機の美しさは飛行といふ機能にすべてが集中して
ゐるからであり、自動車もさうである。しかし、人体が美しくなくなつたのは、男女の人体が自然の与へた機能を
逸脱し、あるひは文明の進歩によつて、さういふ機能を必要としなくなつたからである。
(中略)
機能に反したものが美しからう筈もなく、そこに残される手段は装飾美だけであるが、文明社会では、男でも女でも、
この機能美と装飾美の価値が巓倒してゐる。男の裸がグロテスクなどといふ石原慎太郎の意見は、いかにも文明に
毒された低級な俗見である。
このごろは、しかし、男性ヌードと称して女性的な柔弱な男の体がもてはやされてゐるのも、又別の俗見である。
もちろん、ヘルマフロディット的(男女両性をそなへた)な少年美といふものは存在するが、男の柔弱さだけを
美しいと思ふ今の流行は、単なる末流の風俗現象にすぎないのである。

三島由紀夫「機能と美」より
424名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 14:03:07.40
政治への熱狂と、芝居への熱狂はひよつとすると、同じものではないだらうか。それはいづれも、幻への熱狂では
ないだらうか。現にここにあるものを否定して、ここにある筈のないものを、今ここにあるかのやうに信じて、
それに酔ふといふ熱狂は。

三島由紀夫「『黒蜥蜴』について」より


エロティシズムが本来、上はもつとも神聖なもの、下はもつとも卑賎なものまで、自由につながつた生命の本質で
あることは、「古事記」を読めばよくわかることだが、後世の儒教道徳が、その神聖なエロティシズムを
忘れさせて、ただ卑賎なエロティシズムだけを、日本人の心に与へつづけて来たのであつた。

三島由紀夫「バレエ『憂国』について」より


電子計算機を使ふ人間が、ともすると忘れてゐることは、電子計算機の命令に従つて動くのはよいが、人間は
疲れるのに、電子計算機は決して疲れない、といふことである。人間にとつて、疲労は又、生命力の逆の
証明なのだ。

三島由紀夫「クールな日本人(桜井・ローズ戦観戦記)」より
425名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 14:04:12.50
激情のあとに、突然、ある静かな冷たい受容が生れ、そこから又、新らしい力が湧いてくる。激情は思想である。
力は生である。その二つを最終的に一致させれば、そこに「第一義の道」はひらけるのであるが、そのポジティヴな
一致が「政治」であれば、ネガティヴな一致は「自然」である。

三島由紀夫「解説(『日本の文学40林房雄・武田麟太郎・島木健作』)」より


白日夢が現実よりも永く生きのこるとはどういふことなのか。人は、時代を超えるのは作家の苦悩だけだと
思ひ込んでゐはしないだらうか。

三島由紀夫「解説(『日本の文学4尾崎紅葉・泉鏡花』)」より


よき私小説はよき客観小説であり、よき戯曲はよき告白なのである。

三島由紀夫「解説(『日本の文学52尾崎一雄・外村繁・上林暁』)」より


ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日のわれわれの胸にも直ちに
通ふのだ。この凄涼たる風がひとたび胸中に起つた以上、人は最終的実行を以てしか、つひにこれを癒やす術を知らぬ。

三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より
426名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 14:08:59.23
読んでやれない事を謹んでお詫び申し上げます。
427名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/17(日) 23:16:55.57
「まづ身を起こせ」といふのが、生来オッチョコチョイの私の主義であつて、「核兵器よりもまづ駆け足」といふ
ことを、隊付をして学びえたと思つてゐる。人間の脚は、特に国土戦において、バカにならぬ戦場機動速度を
持つのである。

三島由紀夫「自衛隊と私」より


世間の全体の傾向は、イデオロギーの終焉といふお題目だの、世界国家への道といふ空疎な世迷ひ言だのに
飾られながら、「何よりも秩序が大切だ」といふ平均的世論の味方をするやうになつてゐる。「平和と安全の
ため」なら、「国益のため」なら、どんなお妾修業でもしよう、といふ保守的感覚と、「平和と秩序のため」なら、
どんなイデオロギーでも呑み込まうといふ民衆感覚とは、政治的には右と左に別れるやうだが、その実、よく
似たメンタリティーに基礎を置いてゐる。大体身の安全しか考へない人間は、どつちへころぶか知れたものでは
ないのである。

三島由紀夫「秩序の方が大切か――学生問題私見」より
428名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/17(日) 23:18:33.04
人間性を十全に解放したらどうなるか。こはいことになるんだよ。紙くづだらけはまだしも、泥棒、強盗、強姦、
殺人……獣に立ち返る可能性を人間はいつももつてゐる。

三島由紀夫「東大を動物園にしろ 核兵器だつて使ふだらう」より


未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないといふ生活をしてゐる奴が何人ゐるか。
現在ただいましかないといふのが“文化”の本当の形で、そこにしか“文化”の最終的な形はないと思ふ。
小説家にとつては今日書く一行が、テメへの全身的表現だ。明日の朝、自分は死ぬかもしれない。その覚悟なくして、
どうして今日書く一行に力がこもるかね。その一行に、自分の中に集合的無意識に連綿と続いてきた“文化”が
体を通してあらはれ、定着する。その一行に自分が“成就”する。それが“創造”といふものの、本当の意味だよ。
未来のための創造なんて、絶対に嘘だ。

三島由紀夫「東大を動物園にしろ 未来を信ずる奴はダメ」より
429名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/17(日) 23:20:18.90
「ぜいたくを言ふもんぢやない」
などと芸術家に向つて言つてはならない。ぜいたくと無い物ねだりは芸術家の特性であつて、それだけが
芸術(革命)を生むと信じられてゐる。

三島由紀夫「不満と自己満足――『もつとよこせ』運動もわが国の繁栄に一役」より


日本の文化は何度も何度もフィルターにかけられて、一つのものが、時代が下るにつれて極度に理想化された。
世阿弥の能の時にはすでに新古今集のフィルターをかけた王朝文化がその理想で、これはあこがれの産物とも言へる。
このあこがれはずつと武家階級に続き、禅的な文化へと尾を引いてますます美化されていつた。世阿弥のところで、
十四世紀までの文化は全部ダムになつてゐて、あそこから電気が出てゐるやうな感じがする。ところで日本の
近代文化といふものは、さういふことを一度もやつてゐない。つまり古代文化を一度われわれの時代のフィルターに
かけて、それを大きな電力を生ずるやうなダムにするといふことをだれもやつてゐない。

三島由紀夫「世阿弥に思ふ――鼎談に参加して」より
430名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/19(火) 08:57:26.30
何度も言うけど読んでやれなくてごめんね
431名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/19(火) 10:40:36.43
年のはじめだけに、なぜ伝統が意識され、古い日本がいかにも美しく感じられるのであらうか。思ふに、日本といふ
泉が、そのときだけ心の底から、澄んだ水をほとばしらせるのは、われわれが新らしい年に直面する不安と恐怖を、
過去にくりかへされてきたおめでたい伝承の復活でふりはらはうとするときに、その泉の水の澄んだ生命の力の
持続性にたよらうとするからであらう。本当のところ、新らしいものは怖い。新らしい年は怖い。未来は怖い。
未来が全然怖くないのなら、その人は人間ではない。怖いからこそ、われわれはその未知に、自分の一番大切な
ものである希望を懸けるのである。

三島由紀夫「月々の心 伝承について」より


人間にとつての悲劇は、もう若くないといふことではなくて、心ばかりがいつまでも若いといふところにあるやうに、
夏が去つたあとも我々の心に夏が燃えつきないのが悲劇なのだ。

三島由紀夫「月々の心 夏のをはり」より
432名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/19(火) 10:41:14.87
国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬといふのは、政治的鉄則であるやうに思はれる。
そして一時的に中道政治を装つて、国民を安心させて、一気にベルト・コンベアーに載せてしまふのである。


ヒットラーは政治的天才であつたが、英雄ではなかつた。英雄といふものに必要な、爽やかさ、晴れやかさが、
彼には徹底的に欠けてゐた。ヒットラーは、二十世紀そのもののやうに暗い。

三島由紀夫「『わが友ヒットラー』覚書」より


「しがらみ」からの解放といふことが、一体男性的なことであるか大いに疑はしい。自由が人を男性的にするか
どうかは甚だ疑はしい。

三島由紀夫「鶴田浩二論――『総長賭博』と『飛車角と吉良常』のなかの」より


ウワーッと両手で顔をおほつて、その指のあひだから、こはごはながめて「イヤだア」とかなんとか言つて
ゐる手合ひを野次馬といふ。私に対する否定的意見は、すべてこの種の野次馬の意見で、私はともあれ、
交通事故なのだ。

三島由紀夫「感想 広域重要人物きき込み捜査『エッ! 三島由紀夫??』」より
433名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 18:04:20.16
空手は武器を禁じられた沖縄島民の民族の悲願が凝つて成つた武道ときいてゐる。日本の戦後も占領軍による
武装解除がそのまま平和憲法に受けつがれ、徒手空拳で戦ひ、徒手空拳で身を守るほかに、民族の志を維持する道を
ふさがれてゐる。
空手道が戦後の日本で隆盛になつたのは決して偶然ではない。

三島由紀夫「第十一回空手道大会に寄せる……」より


刀が武士の魂といはれ、筆が文士の魂といはれるのは、道具を使つた闘争や芸術表現が、そのまま精神のあらはれに
なるためには、その道具と生体の一体化が企てられねばならぬ、といふ要請から生れた言葉であらう。道具が
生体の一部になればなるほど、道具はただの道具ではなくなり、手段はただの手段ではなくなり、魂といふ幹の
一本の枝になつて、そこにまで魂の樹液が浸透して、魂の動くままに動き、いはば道具は透明になるであらう。
そのとき、手段と目的、肉体と精神、行動と思想の、乖離や二元性は完全に払拭されるであらう。

三島由紀夫「空手の秘義」より
434名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 18:05:18.00
現代に政治を語る者は多い。政治的言説によつて世を渡る者の数は多い。厖大なデータを整理し、情報を蒐集し、
これを理論化体系化しようとする人は多い。しかもその悉くが、現実の上つ面を撫でるだけの、究極的には
ニヒリズムに陥るやうな、いはゆる現実主義的情勢論に墜するのは何故だらうか。このごろ特に私の痛感する
ところであるが、この複雑多岐な、矛盾にみちた苦悶の胎動をくりかへして、しかも何ものをも生まぬやうな
不毛の現代社会に於て、真に政治を語りうるものは信仰者だけではないのか? 日本もそこまで来てゐるやうに
思はれる。

三島由紀夫「『占領憲法下の日本』に寄せる」より


もつとも美しい男の服装は剣道着である。手に藍のつくやうな、匂ふやうな濃い藍の稽古着、袴に、黒胴と垂れを
つけた姿ほど、日本男児の美しさを見せるものはない。

三島由紀夫「男らしさの美学」より


正しい力は崇高であり、汚れた力は醜悪であることは、あたかも、清い水は生命をよみがへらせ、汚ない水は
人を病気にさせるのに似てゐる。

三島由紀夫「『第十二回全国空手道選手権大会』推薦文」より
435名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 08:32:39.58
一生懸命買いてはるんやけど 読んでもしゃあないんやもん
436名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 09:16:01.34
羞恥心は微妙なパラドキシカルな感情である。自分について羞恥心を抱いてゐるとき、人は又、ひそかに、
あたかも罪悪感のやうなナルシシズムを抱いてゐるかもしれず、憎悪と愛とのアンビヴァレンツを隠してゐるかも
しれない。それだけ羞恥心は、自分の内部の深いものとインティメートな感情の、隠れ家であつたかもしれない。
日本人が日本の古い習俗を「蛮風」として恥ぢてゐたときには、どこかで心の一部がその蛮風に支配されて
ゐたときかもしれない。心のみならず、自分の生活感情や社会意識に、ひそかに、そんな蛮風が影を落してゐた時
かもしれない。


文明人がプリミティヴィズムを内部に蔵してゐるのは、何と素敵なことであらう。蒼ざめた都市生活者であること
よりも、noble savage であるといふことは、現代人として何と誇らしいことであらう。一国の文化の底の底を
掘り起しても、何ら原始的な生命の根に触れえないやうな「文明国民」とは、何と十九世紀的で、何と時代おくれな
ことであらう!

三島由紀夫「序(矢頭保写真集『裸祭り』)」より
437名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 09:16:38.50
不思議なことに色気の感じられる女は、昔から単に陰性な、内気一方の女ではなく、どこかに凜とした男まさりの
ところがなければならない。


性的魅力において自分よりすぐれてゐると思はれる女を、男に紹介するバカな女はゐないのである。


ひたすら男性の嗜好に合はせて長い訓練を経て形成された色気といふものに対して、女はある本能的な敵意を
持つてゐるものであるらしい。


多くの女に色気があると言はれてゐる男は、概して男の世界では顰蹙と軽蔑の対象である。もちろんその中には
羨望や嫉妬がまじつてゐないとは言へないが、そのやうな男は概して男の理想的なイメージとはなりにくいのである。
なぜならば、男がみづから克服したいと思つてゐる欠陥を女は愛するからである。勝利者にあこがれる女よりも
敗北者にあこがれる女のはうが圧倒的に多い。

三島由紀夫「女の色気と男の色気」より
438名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 20:33:08.69
家庭にはひりこんでくるテレビの威力の前に、子どもたちを守らうとしても、もうむだです。よい言葉やよい
しつけについては、おとなでさへ忘れてしまつてゐる時代です。何がよいことで、何がわるいことか、子どもたちは
わかりやすい簡単な基準を与へてほしがつてゐるのですが、それを与へることのできない親たちは、子どもたちを
しかる資格さへ失つてゐるのです。


ある形に結晶し完成された生活や道徳は、その安定した美しさで、別の美しさを誘ひ出します。一つの美しさは
別の美しさと照応し、一つの美しさによつて別の美しさが誘ひ出される。これが美の法則でもあり、道徳の法則でも
あります。美しさは「誘ひ出される」のです。もしこれが確信を持たぬ不完全な美なら心をうちますまいし、
またもしこれが風土に根ざさぬ抽象的な高遠な人類愛のお話なら心をたのしませないでせう。遠い歴史と風土の
中に咲く花であつても、小さく咲いた完全なえにしだは、日本の可憐な夕顔の親せきになり、われわれの心に、
忘れてゐた夕顔の美しさを誘ひ出すのです。

三島由紀夫「序(セギュール夫人作 松原文子・平岡瑤子訳『ちっちゃな淑女たち』)」より
439名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 20:34:01.56
日本人は何度でも自国の古典に帰り、自分の源泉について知らねばならない。その泉から何ものかを汲まねば
ならない。この「源泉の感情」が涸れ果てるときこそ、一国一民族の文化がつひに死滅するときであらう。

三島由紀夫「文化の危機の時代に時宜を得た全集(『日本古典文学全集』推薦文)」より


政治に暗く、経済に暗く、社会に暗く、しかしその暗い全景の一部分に、丁度ルネッサンスの風景画のやうに、
啓示のやうな光りを強く浴びてゐる部分がある。そこだけ草が輝き、羊の背が光つてゐる。そこだけ木立は光りに
あふれた籠のやうに見え、そこだけ流れは光彩を放つてゐる。そここそは、女だけに特権的な、不可侵の情念の
領域なのだ。

三島由紀夫「詩集『わが手に消えし霰』序文」より


まじめで良心的なのも思想だが、不まじめで良心的といふ思想もあれば、又、一番たちのわるいのに、まじめで
非良心的といふ思想もある。

三島由紀夫「あとがき(『行動学入門』)」より
440名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 15:45:59.34
偉大な作家には、おもてむきの傑作と、裏側の傑作があるらしい。顕教的顕仏的傑作と、密教的秘仏的傑作と
言ひかへてもよい。

三島由紀夫「『眠れる美女』論」より


天才の奇蹟は、失敗作にもまぎれもない天才の刻印が押され、むしろそのはうに作家の諸特質や、その後
発展させられずに終つた重要な主題が発見されることが多いのである。

三島由紀夫「解説(『新潮日本文学6谷崎潤一郎集』)」より


性の拒否が最高の性のよろこびに到達する大詰の童話の結婚式は、あらゆる童話における、
「それから王子様と王女様は世界でいちばん倖せに暮しました」
といふ決り文句の、ほとんど猥褻なひびきを伝へるものでなければならない。至福の猥褻さは、死の猥褻さに
似てゐる。現世離脱は、同時に、自己からの離脱である。

三島由紀夫「『薔薇と海賊』について」より
441名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 15:46:43.09
男が男であるためにつまづく、といふ例は現代ではますます少なくなつてゆく。男性の女性化とは、男性の
自己保全であり、なるたけ安全に生きよう、失敗しないで生きようとすることを意味します。

三島由紀夫「『複雑な彼』のこと」より


私は自分のものの考へ方には頑固であつても、相手の思想に対して不遜であつたことはないといふ自信がある。
これが自由といふものの源泉だと私には思はれる。

三島由紀夫「『尚武のこころ』あとがき」より


言葉で表現する必要のない或るきはめて重大な事柄に関はり合ひ、そのために研鑽してゐるといふ名人の自負こそ、
名人をして名人たらしめるものだが、さういふ人に論理的なわかりやすさなどを期待してはいけないのである。

三島由紀夫「あとがき(『源泉の感情』)」より
442名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 15:50:21.60
チワワうぜえ
443名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 13:04:00.21
層化が近づいて来るのには理由がある。
必ず、魂胆があります。


「スイス政府民間防衛」より。敵国が侵略してくる際の戦争なき戦争
 無血戦争ですね。
第一段階「工作員を送り込み、政府上層部の掌握。洗脳」
第二段階「宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導」
第三段階「教育の掌握。国家意識の破壊。」
第四段階「抵抗意志の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用」
第五段階「教育や宣伝メディアなどを利用し自分で考える力を奪う。」
最終段階「国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量植民。」 ←(外国人参政権・子ども手当て) 今ココ!!



第一段階 自民党を取り込み、洗脳乗っ取り
第二段階 テレビ局に工作員を送り込み乗っ取り
第三段階 君が代日ノ丸排除
第四段階 24時間テレビ、27時間テレビ
第五段階 層化お笑い芸人だらけにして低俗な番組を垂れ流す
日本の今は、まさに危機的状況。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 13:05:19.94
呼んでやれなくてごめんね
445名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 13:24:36.48
中国人は三島由紀夫が読めないアルよ
446名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 13:38:56.20
中国人ってあこがれるよね
447名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 15:42:19.00
このごろは、デモ見物に歩くことが多くなつた。デモの当事者からすれば、弥次馬は唾棄すべき存在だらうが、
かういふときには、一人ぐらゐ「見る人間」も必要である。鴨長明が洛中の屍体の数まで、自分手で数へあげて
ゐる態度は、学ぶべきだと思ふ。新聞を見てもテレビを見ても、どうしても報道そのものに主観的態度が入つて
ゐるやうに思はれる。写真や映画は正に実物そのものの筈だが、必ず主観的なアナウンスが入つてゐて、印象を
混濁させる。かうなつてくると、いはゆるマス・コミは却つて不便で、どうせ主観なら自分の主観、どうせ
目なら自分の目を信ずる他はなくなるのだ。私の目だつて大したことはないが、カメラのレンズよりは少しばかり
精巧であらう。

三島由紀夫「同人雑記(『声』)」より
448:2011/07/31(日) 15:47:48.02
今日もお暇だったのね♪
449名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 17:15:24.46
由紀りん可愛いお
チュッチュッしたいお
450名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 01:49:08.29
これから三島由紀夫でオナニーする
451名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 10:29:16.91
私はそこらの分類屋の世代論などには歯牙もかけないが、この九十ページにおよぶ評論だけはパセティックな
同世代意識にひたつて、熱烈に読みをへた。明晰な論理に終始した一評論家の生涯を論じたところで、われわれは
せいぜい知的感銘しか受けないが、保田与重郎氏といふ存在は一つの不気味な神話であり、美と死と背理の
専門家の劇的半生であり、戦後の永い沈黙がまたそれ自体一つの神話である以上、はじめ昭和七年ごろの知識人の
デカダンスから説き起こされたこのエッセイは、スピーディーな精神史的展望と共に、おもしろい小説的興味をも
喚起する。一つの時代とともに生き滅びること、自分の人生と思想をドラマにしてしまふことが、いかに恐ろしく、
戦慄的で、また魅惑的であるかを、このエッセイほど見事に語つた文章はまれである。そして現代と、保田氏の
青年期との、さまざまの不気味な暗合も語り明かされるのと同時に、日本人の美意識の根本構造について、不吉な
予言的洞察と宿命観が展開され、一読、暗い海に向かつたやうな印象を与へられる。

三島由紀夫「大岡信著『抒情の批判』」より
452名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 10:30:18.19
四月二十七日(木)
大岡氏が(保田与重郎の)精妙な分析をしてゐるが、こんな精神構造は、現代にも、現代にほそぼそと生きて
ゐる一人であるこの私にも、未だに妙な親近感を与へるから不気味なのだ。大岡氏が保田氏の文体の「頽廃化」の
例証をあげつつ、その論理的必然と一貫性をつかみ出す手つきは鋭く、読者はたちまち、昭和十年代の精神的
デカダンスから、自覚せる敗北の美学へ、言葉の自己否定へ、デマゴギーへ、死へ、といふ辷り台を一挙に辷り
下りることを強ひられる。思へば、私も、こんな泰平無事の世に暮しながら、どこかで死の魅惑と離れられないのは、
保田氏のおかげかもしれないのだ。(と云ふのはむしろ冗談だが)
そして、生の充溢感と死との結合は、久しいあひだ私の美学の中心であつたが、これは何も浪漫派に限らず、
芸術作品の形成がそもそも死と闘ひ死に抵抗する営為なのであるから、死に対する媚態と死から受ける甘い誘惑は、
芸術および芸術家の必要悪なのかもしれないのである。

三島由紀夫「日記」(昭和36年)より
453名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:58:39.50
あらゆる芸術ジャンルは、近代後期、すなはち浪漫主義のあとでは、お互ひに気まづくなり、別居し、離婚した。
(中略)
それぞれの分野が、八ちまたの八方へ別れ去つたのである。
かうして、めいめいの孤独が純粋性を追求した結果どうなつたか?
あとに残つたのは、エリオットのいはゆる「荒地」、それだけだ。
(中略)
氷つた孤独を通過して来たあとの各芸術ジャンルは、もう二度と、あんな生あたたかい親しみ合ひを持つことは
できない。
今後来るべき交流と綜合は、氷のやうな交流で、氷河的綜合にちがひない。
今ここに、かりにアヴァン・ギャルドといふ名を借りて、舞踊、音楽、映画、絵画、演劇、の各ジャンルが、
一堂に会して展観される。人はアヴァン・ギャルドなどといふ名にとらはれる必要はない。ここに二十世紀後半の
芸術の宿命的傾向を見ればそれで足りる。それは宿命であつて、今ふんぞり返つてゐる古い芸術も、畢竟この道を
辿らねばならないのだ。
そこで、純粋性とは、結局、宿命を自ら選ぶ決然たる意志のことだ、と定義してもよいやうに思はれる。

三島由紀夫「純粋とは」より
454名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 09:05:40.19
男は一人のこらず英雄であります。私は男の一人として断言します。ただ世間の男のまちがつてゐる点は、
自分の英雄ぶりを女たちにみとめさせようとすることです。


「何くそ! 何くそ!」
これが男の子の世界の最高原理であり、英雄たるべき試練です。


「足が地につかない」ことこそ、男性の特権であり、すべての光栄のもとであります。


子惚気ばかり言ふ男は、家庭的な男といふ評判が立ち、へんなドン・ファン気取の不潔さよりも、女性の好評を
得ることが多いさうだが、かういふ男は、根本的にワイセツで、性的羞恥心の欠如が、子惚気の形をとつて
現はれてゐる。


動物になるべきときにはちやんと動物になれない人間は不潔であります。


男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。

三島由紀夫「第一の性」より
455名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 09:06:06.31
女は「きれいね」と、云はれること以外は、みんな悪口だと解釈する特権を持つてゐる。なぜなら男が、
「あいつは頭がいい」と云はれるのは、それだけのことだが、女が「あの人は頭がいい」と云はれるのは、概して
その前に美人ではないけれどといふ言葉が略されてゐると思つてまちがひないからです。


「積極的」といふのと、「愛する」といふのとはちがふ。最初にイニシァチブをとるといふことと、「愛する」と
いふこととはちがふ。


相手の気持ちをかまはぬ、しつこい愛情は、大てい劣等感の産物と見抜かれて、ますます相手から嫌はれる羽目になる。


愛とは、暇と心と莫大なエネルギーを要するものです。


小説家と外科医にはセンチメンタリズムは禁物だ。


男性操縦術の最高の秘訣は、男のセンチメンタリズムをギュッとにぎることだといふことが、どの恋愛読本にも
書いてないのはふしぎなことです。

三島由紀夫「第一の性」より
456名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 23:09:19.45
変り者の変り者たる所以は、その無償性にあります。世間に向つて奇を衒ひ、利益を得ようとするトモガラは、
シャルラタン(大道香具師)であつて、変り者ではありません。


変り者と理想家とは、一つの貨幣の両面であることが多い。どちらも、説明のつかないものに対して、第三者からは
どう見ても無意味なものに対して、頑固に忠実にありつづける。


男の性慾は、ものの構造に対する好奇心、探求慾、研究心、調査熱、などといふものから成立つてゐる。


男には謎に耐へられない弱さがある。
男に与へられてゐる高度の抽象能力は、この弱さの楯であつたらしい。抽象能力によつて、現実と人生の謎を、
カッチリした、キチンと名札のついた、整理棚に納めることなしには、男は耐へられない。


人間は安楽を百パーセント好きになれない動物なのです。特に男は。……こればかりは、どんなにえらい御婦人たちが
矯正しようとかかつても、永久に治らない男の病気の一つであります。

三島由紀夫「第一の性」より
457名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 23:10:01.39
スタアといふものには、大てい化物じみたところがあるものです。


政治家の宿命は、死後も誤解を免かれないところにあるのでせう。


俳優といふショウ・アップ(見せつける)する職業には、本質的にナルシスムと男色がひそんでゐると云つても
過言ではない。


宗教家ほどある意味では男くさい男はありません。そこでは余分の男がギュウギュウ抑へつけられ、身内に溢れて
ゐるからです。


宗教家といふものには、思想家(哲学者)としての一面と、信仰者としての一面と、指導者、組織者としての一面と、
三つの面が必要なので、それには、男でなければならず、キリストも釈迦も、男でありました。

三島由紀夫「第一の性」より
458名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 16:42:33.90
恋してはいけない!
恋したら怖ろしいことになる!
恋したらだれかが死なねばならぬ!
これが姦通のダイゴ味であつて、みんなに祝福される恋なんか、これに比べたら日向水にすぎません。この怖ろしさが、
また、恋のダイゴ味の絶頂ですから、かくも永いあひだ、文学や演劇で、姦通は恋愛の代表の役目をつとめて
来られたのです。


不貞を働いた女房を愛するもつとも男性的な愛し方は、彼女を殺すこと以外にはありません。
厳粛さ、三つ巴にガッチリ組まれた人間おのおのの純粋さ、これが姦通の真の美しさであります。女は青年を
愛して、夫もこどもも金も平和もすべてを投げ捨て、青年は女を愛して命を投げ出し、夫はそのとき二人を
殺すことしか考へない……。


姦通とは、恋愛対社会のもつとも純粋な公式なのです。世間的に尊敬されてゐる夫も、ひとたびこのドラマに
組み込まれた以上、社会の掟もものかは殺人犯にならなければならない。

三島由紀夫「反貞女大学 第一講 姦通学」より
459名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 16:43:18.08
女性はともすると、自分の力でもないものを楯にして、相手を軽蔑する。


ひよつとすると、夫への軽蔑には、母性愛の別なあらはれがあるのかもしれません。これはもつとも愛すべき、
おだやかな軽蔑といふものです。


私の知つてゐる奥さんで、亭主が脳溢血で倒れて生死の境をさまよつてゐるとき、オリンピックの開会式へ
出かけた人がありますが、これなんか、軽蔑学の最高段階といふものです。


妻の軽蔑病は、ぜいたくと暇と退屈から生まれることが多く、その経済的裏づけは夫のおかげなのですから、
多くの場合、夫は働くことによつて、自分に対する妻の軽蔑を助長してゐることになります。これが夫婦と
いふものの、かなり情ない実態であります。

軽蔑とは、女の男に対する永遠の批評なのであります。

三島由紀夫「反貞女大学 第二講 軽蔑学」より
460名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 16:43:56.85
女性の特徴は、人の作つた夢に忠実に従ふことでせうが、何よりも多数決に弱いので、夫の意見よりも、つねに
世間の大多数の夢のはうを尊重し、しかもその「視聴率の高い夢」は大企業の作つた罠であることを、ほとんど
直視しようとしません。
「だつて私の幸福は私の問題だもの」
たしかにさうです。しかし、あなたの、その半分ノイローゼ的な、幸福への夢へのたえざる飢ゑと渇きは、実は
大企業が、赤の他人が作つてゐるものなのです。

三島由紀夫「反貞女大学 第三講 空想学」より


大昔の男は、女が妊娠と育児のために、平和な静かな場所と栄養を必要とすればするほど、それを確保してやる
ために、夫婦愛から戦争をおつぱじめたものである。なぜなら男は何かを得るためには、戦ひ取るほかに方法を
知らないからです。


一から十まで完全に良い趣味の男といふのは、大てい女性的な男ですし、ニヒリズムを持たない男といふのは、
大てい脳天パアです。

三島由紀夫「反貞女大学 第四講 平和学」より
461名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 12:36:25.10
(´・ω・`)
462名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 10:38:51.79
貞女とは、多くのばあひ、世間の評判であり、その世間をカサに着た女の鎧であります。

一夫一婦制が存在し、社会のモラル感覚がそんなに飛躍しないかぎり、「貞女」といふ看板は、表むき、どこでも
役に立ちます。

三島由紀夫「反貞女大学 第五講 嫉妬学」より


芸術および芸術家といふものは、かれら自身にとつては大事な仕事であるものが、女性からは暇つぶしに使はれる
といふ宿命を持つてゐる。モーツァルトがどんなにえらからうと、暇がなければ、誰がモーツァルトをきく気に
なるでせう。トルストイがどんなに天才だらうと、暇がなければ「戦争と平和」なんて読めたものではない。


ところで女性は、自分の暇を、何かきよらかな、美しい、崇高な時間に変へてくれたものに対して感謝を忘れません。
亭主はそれに反して、彼女の暇を、掃除だの、授乳だの、おむつの洗濯だので充たしてくれましたが、何ら
精神的に高めてくれたことがない。
そこで彼女たちの幻の芸術崇拝、芸術家崇拝がはじまります。

三島由紀夫「反貞女大学 第六講 芸術学」より
463名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 10:40:31.75
芸術家といふのは自然の変種です。
角の生えた豚は、一般の豚から見れば、たしかに魅力的かもしれませんが、何も可愛いわが豚娘に、わざわざ
角を生やしてやるには及ばない。

三島由紀夫「反貞女大学 第六講 芸術学」より


ちよつと考へると、「ものを食はせたがる女」は母性型貞女で、「もの食ふ女」は浪費型貞女のやうに思はれますが、
一概にさうともいひきれません。

三島由紀夫「反貞女大学 第七講 食物学」より


方向オンチを特色とする女性が、どこかの地理を意外によく知つてゐたら、あやしいと思つてよろしい。それは
彼女がその土地、その場所に、よほど特殊な思ひ出を持つてゐると考へてよいからです。


恋愛のやうな感覚的高揚状態では、理性的な地理学を超越することがしばしばある。もう一度あの人に会ひたい、
とどちらも思つてゐるばあひ、ひろい東京の中でも、ふしぎと偶然に出あはすことがあるものです。確率から
いつたら、おそらく何億分の一のチャンスでせう。

三島由紀夫「反貞女大学 第八講 地理学」より
464名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 10:30:32.41
夫婦同伴の社交といふのは、本当のところ、ひとの奥さんをただの芸者がはりに使つて、会合に色どりと潤ひを
添へようといふ目的にほかならない。


女の社交能力には、いくばくの娼婦性がひそんで来ることは、当然であつて、この点古代ギリシャや日本のやうに、
女をはつきり娼婦と母性に二分し、芸者的なものと家女房的なもの、くろうととしろうととに分けてしまつて
きた社会とは、そこにおのづから相違がある。多少の精神的娼婦性が美徳とされるやうな社会でなくては、
夫婦同伴システムによる社交は、じゆうぶんに開花するはずがないのです。


愚連隊仲間がそれぞれスケをつれてピクニックに出かけ、イザコザのあげくに、血の雨を降らす、……などと
いふ事件をきくと、みんなは「バカだなァ」と笑つてゐるが、日本の現在の夫婦同伴型社交には、スケ同伴の
愚連隊の社交と、思想的に五十歩百歩なのがずいぶんある。

三島由紀夫「反貞女大学 第九講 社交学」より
465名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 20:26:07.85
同性の讃辞は、大てい「ほめ返し」を暗々裡に要求してをり、また、うつかりしてると、思はぬ皮肉のトゲを
含んでゐることがありがちである。
そこへ行くと、異性の賞讃ほど耳に快いものはない。西洋人の男はその点敏感で、ご婦人の靴までほめるが、
日本の男はたうていそこまで行かないにしても、目で、暗黙のうちに、彼女の全体をほめることを知つてゐる。


大体、男は女の着物などには大した関心はないので、顔や肉体のはうがよほど関心事なのであるが、正直に
それをいへば、失礼だし、Hと思はれる心配があるので、黙つてゐる。さうかといつて外国人の男みたいに、
ネックレスや靴までほめて女を喜ばす技術がないから、仕方なしに黙つてゐる。
日本的ドン・ファンが、高らかなラッパの音と共に登場するのは、まさにこの瞬間です。
(中略)ハタではきいてゐられないやうなキザな言辞を平気で弄し、つひには、足、つひには、胸まで、
言葉による愛撫の手をのばすのです。(中略)日本的ドン・ファンは、本格的日本語の素養なんか、なければ
ないほど成功する。

三島由紀夫「反貞女大学 第九講 社交学」より
466名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 20:27:14.87
表向きこそレディ・ファーストながら、家の中では、アメリカ人の男はさいふのひもをガッチリ握り、支出を
細かくつけ、さいふをとほして女房を支配し監督してゐるのがふつうの例で、そこでは、ベッドの中では
百パーセントの愛が交換されても、経済面では、お互ひに百パーセント信用できない、といふ人間関係が
成り立つてゐる。
相互不信といふことが、西洋の近代社会の原則であつて、それが日本の義理人情の社会とちがふところです。
それは夫婦の間だつて同じことです。


日本の月給袋を預ける亭主が、女性の「母性化」のために全力をあげてゐるとすれば、アメリカの亭主は、
さいふをガッチリ握ることによつて、女性の「娼婦化」に全力をあげてゐるといつても過言ではない。

三島由紀夫「反貞女大学 第十講 経済学」より


同性たちに好かれる女性は年をとるにつれて人間的魅力を増し、いふにいはれぬおもしろいパーソナリティーを
形成します。
彼女たちには必ずどこか抜けたところがある。これは男の魅力にも通じるもので抜けたところのない人間は、
男でも女でも、人気を博することはむづかしい。

三島由紀夫「反貞女大学 第十一講 同性学」より
467名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/31(水) 23:27:04.07
ある女は心で、ある女は肉体で、ある女は脂肪で夫を裏切るのである。


女性はそもそも、いろんな点でお月さまに似てをり、お月さまの影響を受けてゐるが、男に比して、すぐ肥つたり
すぐやせたりしやすいところもお月さまそつくりである。

三島由紀夫「反貞女大学 第十二講 整形学」より


知性の性質は、ほかのいろんな人間の能力と同様に、抵抗を求める、といふところにあります。


多少とも知的に進歩した女性は、尊敬されることよりも、いつか尊敬することをのぞむやうになる。


知的女性は、やたらむしやうに「先生」をほしがりはじめるのです。有益な「先生」のお話をききたがつたり、
えらい「先生」のお弟子になつたりしたがる。


愛から嫉妬が生まれるやうに、嫉妬から愛が生まれることもある。

三島由紀夫「反貞女大学 第十三講 尊敬学」より


サービス業の女性と結婚して興が褪めるのは、彼女たちの技巧が鼻について来るのと、一方、その技巧と素顔の
ギャップが耐へられなくなるからです。

三島由紀夫「反貞女大学 第十四講 技巧学」より
468名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/31(水) 23:28:58.50
アメリカ風の夫婦単位、夫婦中心の生活が一般的になつてくると、貞女たるの条件は、だんだんむづかしく
なりました。(中略)結婚してからも、「女」であることをないがしろにできないし、したがつて女の技巧も
忘れてはならない。昔なら、夫への愛はともかくとして、姑と子供に一心に尽くしてゐれば、あつぱれ貞女で
通つたものが、今は、それだけではすまなくなつた。このごろの若い奥さんたちの服装はますます派手になり、
商売女と区別がつきにくくなつた。昼間からチャラチャラ、イヤリングを下げて歩いてゐるのも珍しくない。
さうなると困つたことに、家庭の妻も、サクラの造花を天井からぶら下げたやうなかつかうになり、玄人みたいな
愛の技巧を弄し、……家庭外の女性と変はりばえがしなくなる。貞女であらうとしてはじめたことが、魅力を
失ふ結果に終はりがちです。

三島由紀夫「反貞女大学 第十四講 技巧学」より
469名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/31(水) 23:30:17.40
ちやうど年寄りの盆栽趣味のやうに、美といふものは洗練されるにつれて、一種の畸型を求めるやうになる。(中略)
そして、さういふ奇妙な流行を作るのは、たいてい男の側からの要求であり、パリのデザイナーもほとんど男ですし、
ほかのことでは何でも男性に楯つくことの好きな女性が、流行についてだけは、素直に男の命令に従ひます。

三島由紀夫「反貞女大学 第十五講 栄養学」より


人間、至りつくところは狂人の姿である、といふのは、あんまり楽しい哲学ではありませんが、一片の真理が
含まれてゐます。
貞女も反貞女も、極致の姿は、狂女の形に象徴されるやうであります。


人がまづまづ安心して「彼女は純真な愛を捧げてくれた」などといへるのは、彼女が死んだか、狂人になつたかの時に
限られてゐます。


反貞女であればこそ、健康で、欲が深くて、不平不満が多くて、突然やさしくなつたりするし、魅力的で、
ピチピチしてゐて、扱ひにくくて、まあまあ我慢できる妻でありうるのです。いくら貞女でも、狂人や死人では
困ります。

三島由紀夫「反貞女大学 第十六講 狂女学」より
470名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 00:39:10.55
難しいなあ
471名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 23:43:44.36
離婚なるものには、きれいも汚ないもありはしない。どんな別れ方をしようと、世間体がわるいことには変りが
ないのです。
それが証拠に、結婚式なるものはあつても、離婚式なるものはない。


結婚のをはりを美しくする一番いい方法は、今まで結婚してゐたことをだれにも内緒にしておくことで、十何年も
それをやつてゐた男を私は知つてゐます。

三島由紀夫「をはりの美学 結婚のをはり」より


電話の声といふやつは、それだけで立派に人の感情をかきみだす力があるくせに、姿は見せない忍者的存在である。


電話は一種の心理的凶器になり、その会話の殺人的幕切れは、人間の言葉・声・抑揚などがみごとに総合的な力を
発揮しながら、しかも「顔が見えない」といふ謎を残す。
テレビ電話の時代になつたら、電話のをはりは、テレビ・ドラマのをはりのやうに、「をはり」の字幕と
それにつづくコマーシャルで、お祭りさわぎでをはるやうになり、こんな心理的余韻の怖ろしさはなくなるでせう。

三島由紀夫「をはりの美学 電話のをはり」より
472名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 23:45:08.05
流行の妙な点は、家来のはうが主人に飽きて、次々ととりかへるといふ点です。
主人のはうが家来に飽きて、次々とクビにするなら話はわかるが、流行の場合は、平伏し、あがめ奉り、尊敬し
身も心も捧げてゐる側が、突然気分がかはつてソッポを向いてしまふことです。


清潔なものは必ず汚され、白いシャツは必ず鼠色になる。人々は、残酷にも、この世の中では、新鮮、清潔、真白、
などといふものが永保ちしないことを知つてゐる。だから大いそぎで、熱狂的にこれを愛し、愛するから忽ち
手垢で汚してしまふ。
しかしどんな浅薄な流行でも、それがをはるとき、人々は自分の青春と熱狂の一部分を、その流行と一緒に、
時間の墓穴へ埋めてしまふ。二度とかへらぬのは流行ばかりでなく、それに熱狂した自分も二度とかへらない。

三島由紀夫「をはりの美学 流行のをはり」より
473名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 23:46:41.70
童貞のをはりは、たしかに長いあひだの熱烈な知識欲の満足だが、男の知識欲はそれでをはつてしまふわけではない。


その第二回、第三回、第四回……第百八十七回などの満足は、童貞のをはりほどの大満足ではないかもしれないが、
性質は似たやうなもので、五十歩百歩のちがひしかない。だから、男の性的知識欲と性的満足とのドラマには、
永久に、「童貞のをはり」のくりかへしがあるだけで、性的技巧の上達など、末の問題にすぎないとはいへない
だらうか。


性に熟練した男といふのは、実は同じ芝居、たとへば「父帰る」とか「沓掛時次郎」とかの芝居を何千回くりかへして、
くりかへすうちに巧くなつた、しがない旅芝居の役者みたいなものです。


男にとつては生へぶつかつてゆくのは、死へぶつかつてゆくのと同じことだ。


得意の鼻をうごめかして、童貞を失つた話をしてゐる若者は、生でも死でもないコンニャクにぶつかつただけの
ことであり、彼は一生そのコンニャク演技をくりかへすことでありませう。

三島由紀夫「をはりの美学 童貞のをはり」より
474名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/15(木) 12:38:22.30
美は、尊敬に値ひするものの一つです。美しければ、バカでも一向かまはないのだが、女性が同性に対するふしぎな
矛盾した心理として、美しさに対する憧れももちろんあるが、嫉妬もあり、自分の尊敬心を十分満足させるだけの、
ほとんど不可能なほどのきびしい条件を相手の美人に課する。

三島由紀夫「をはりの美学 尊敬のをはり」より


はつきりいつてしまふと、学校とは、だれしも少し気のヘンになる思春期の精神病院なのです。(中略)
先生たちも何割か、学生時代のまま頭がヘンな人たちがそろつてゐて、かういふ先生は学生たちとよくウマが合ふ。


本当の卒業とは、
「学校時代の私は頭がヘンだつたんだ」
と気がつくことです。学校をでて十年たつて、その間、テレビと週刊誌しか見たことがないのに、
「大学をでたから私はインテリだ」
と、いまだに思つてゐる人は、いまだに頭がヘンなのであり、したがつて彼または彼女にとつて、学校は一向に
終つてゐないのだ、といふよりほかはありません。

三島由紀夫「をはりの美学 学校のをはり」より
475名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/19(月) 17:32:56.19
もちろん年齢にしたがつて、いはゆる精神的な美しさは加はつてゆくけれど、身も蓋もない話だが、五十歳の美女は
二十歳の美女には絶対にかなはない。


美女と醜女とのひどい階級差は、美男と醜男との階級差とは比べものにならない。


美女は一生に二度死ななければならない。美貌の死と肉体の死と。一度目の死のはうが恐ろしい本当の死で、
彼女だけがその日付を知つてゐるのです。
「元美貌」といふ女性には、しかし、荒れ果てた名所旧跡のやうな風情がないではありません。

三島由紀夫「をはりの美学 美貌のをはり」より


手紙は遠くからやつてきた一つの小舟です。(中略)私たちは、空間の海をとほつて流れて来た小舟を、読み
をはると間もなく、時間の海の沖のはうへ、すなはち忘却へと、流し去つてやるのです。それは施餓鬼の灯籠の
やうに、ちらちらと水に灯を流しながら、遠ざかつて行きます。
その遠ざかる灯籠の灯影がちらりとまたたいて、岸にゐる私たちに、忘れがたい思ひを残すことがある。それが
手紙の結びの文句です。

三島由紀夫「をはりの美学 手紙のをはり」より
476名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/29(木) 15:13:38.18
芝居は必ずをはり、幕は必ずしまり、お客は必ずかへつてしまふ、といふ点で、人生のをはりと芝居のをはりは
そんなにちがはないのかもしれません。

三島由紀夫「をはりの美学 芝居のをはり」より
477名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/29(木) 15:14:35.43
芝居は必ずをはり、幕は必ずしまり、お客は必ずかへつてしまふ、といふ点で、人生のをはりと芝居のをはりは
そんなにちがはないのかもしれません。

三島由紀夫「をはりの美学 芝居のをはり」より


人生は音楽ではない。最上のクライマックスで、巧い具合に終つてくれないのが人生といふものである。

三島由紀夫「をはりの美学 旅行のをはり」より


喧嘩のをはりを、男性相手に、しつこく、心理的に小むづかしく演出してたのしむのも、女性の大きなたのしみの
一つである。

三島由紀夫「をはりの美学 喧嘩のをはり」より


個性とは何か?
弱味を知り、これを強味に転じる居直りです。


私は「私の鼻は大きくて魅力的でしよ」などと頑張つてゐる女の子より、美の規格を外れた鼻に絶望して、
人生を呪つてゐる女の子のはうを愛します。それが「生きてゐる」といふことだからです。だつて、死ねば
ガイコツに鼻の大小高低など問題ではなく、ガイコツはみんな同じで、それこそ個性のをはりですからね。

三島由紀夫「をはりの美学 個性のをはり」より
478名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/29(木) 15:15:22.76
読みやすく行を開いてくれても興味ねえよ
479名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/03(月) 15:08:09.86
正気の世界は、プールのとび板の端のやうな危険な場所で、をはるのではありません。
それは静かな道の半ば、静かな町の四つ角のところで、すつと、かげろふのやうに消えてゐるのです。あなたは
大丈夫ですかね。

三島由紀夫「をはりの美学 正気のをはり」より


秘密はたいてい、おしやべりな見栄坊のお客の口からもれるのです。

三島由紀夫「をはりの美学 礼儀のをはり」より


顔から、体から、物の言ひ方から、すべてを含めて、「好き」か「嫌ひ」かといふ判断を下すことは、人間同士の
関係として、もつとも悽愴苛烈なものです。就職試験の比ではありません。

三島由紀夫「をはりの美学 見合ひのをはり」より


人間が宝石のまま、永遠にをはらない純潔を保つことは不可能でせうか。男の例なら、われわれは即座に、あの
特別攻撃隊の勇士を思ひうかべることができます。人間のダイヤを保つには、純潔な死しかないのです。

三島由紀夫「をはりの美学 宝石のをはり」より
480名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/11(火) 14:59:07.19
自然は黙つてゐる。自然は事実を示すだけだ。自然は決して「宣言」なんかやらかさない。宣言なんかするのは
人間に決まつてゐます。

三島由紀夫「をはりの美学 梅雨のをはり」より


作品その他の形でちやんと文化的業績ののこつてゐる人に与へる「文化勲章」といふものは、本来の勲章からすると
邪道にちがひない。何も形の残らないもののために、勲章と銅像の存在理由があるのです。なぜなら英雄とは、
本来行動の人物にだけつけられる名称で、文化的英雄などといふものは、言葉の誤用だからです。

三島由紀夫「をはりの美学 英雄のをはり」より


悲しみとは精神的なものであり、笑ひとは知的なものである。


肉体関係があつたあとに、おくればせに、精神的恋愛がやつてくるといふことだつてある。


日本では、恋とは肉の結合のことであり、そのあとに来るものは「もののあはれ」であつた。


日本では「言ひ交はした」といふ言葉は、ただちに肉の結合を意味する。

三島由紀夫「をはりの美学 動物のをはり」より
481名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/15(土) 09:36:41.04
「もの」を選ぶといふのは、最終的には総合的判断である。総合的判断とは、非合理的なものである。


フィクションとはいひながら、殺意が、そこにゐる人すべてを有頂天にするといふのは、思へばおかしな人間的
真実である。

三島由紀夫「『人斬り』田中新兵衛にふんして」より
482名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/22(土) 16:01:48.32
サン・サーンスは、作曲家としてよりも薔薇作りとして有名だつたさうだが、私も小説家としてより、人斬りとして
有名になりたいものだと思つてゐる。

三島由紀夫「『人斬り』出演の記」より
483名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/25(火) 02:40:21.17
難しいね
484名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/01(火) 22:47:22.48
ある人物と決定的な出会をして、それから終生離れられなくなるずつと以前に、むかうもこちらに気づかず、
こちらもほとんど無意識な状態で、その大切な人物にどこかでちらと出会つてゐることがあるものだ。私と太陽との
出会もさうであつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
485名無しさん@お腹いっぱい。