もっと昔を追慕してみよう

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1ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg
昭和40年代スレも続編続くうち、一部の人のあいだで頭打ち。

じゃあ、もっと前はどーなんよ?
たとえば、佐野洋子の書く『シズコさん』だとか、なかにし礼や梁石日の本を読んで
昭和18年〜25年くらいの、原風景が浮かんでこないか??

記憶にある最古層の小さな断片をひろいあつめて
おれらの戦後史と、おれらの父・母の辛酸を
浮かび上がらせてみようじゃないのさ。。。。。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 01:26:38
2げとズザーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!

最古層記憶スレか

承知!!!!


最近タルいから、>>1さん
もうちぃと下心書いてくれていいよ。
2chだも
3名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 01:28:25
>>1
獅子文六の時代の話書きたい・・・・・
4ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/05/31(日) 01:47:12
>>2
昔はきちゃなくて
生々しくて
あったかくて
冷徹な日本だったよ
戦中派のおれたちの親だって
死にものぐるいで家族養ってきたよ

て。
そんな生々しい直球カキコでいいってことさ!!
5名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 01:54:34
まず脳裏をよぎるのは、たいした親孝行できなかったということかな。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 01:57:10
そうだよな・・・・・今でも後悔の毎日だ・・・・・・
7ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/05/31(日) 01:59:40
>>5
佐野洋子の『シズコさん』読んでると、かなり深いところで
「あんたは、何したの!!???」って問われてるようで
恥だけがうつろに中空を舞ってました・・


親孝行って何なんだろうね。。。。。
8ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/05/31(日) 02:00:37
>>6
具体的に、そのdetailをおせーて・・・・
9名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 02:06:25
>>7
子供が5歳までは親はかわいいかわいいと育てる、目に入れても痛くないと云うように。
その時期でもう親孝行は済んでいるんだ。と、誰かの話を聞いたとき、それが慰めになったよ。

2時間ほど前に飲みで帰宅し、帰り着きシャワーをあび
グラスに氷を4つ5つ転がして、さて中に入れるドリンクはなににしようかと思っていたところ。
また、お酒かなw
10名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 02:17:04
>>8
戦前生まれの両親が苦労して蓄えた財を俺一人で食い潰した・・・・・・恥ずかしいが・・・・・・
11名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 02:27:16
イオン水を飲んで寝ることにした。
これが三度の偶然なら、なんだかなぁと思う。 (独り言)

>>10
それでも親ってもんは、我が子愛おしさで
自分達が蓄えていたお陰で、子がのたれ死ぬことがなくて良かった良かったと思うんだよね。
本当にありがたいことに。。

おやすみ。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 02:31:07
落ち込むなって。
>>9の言う通りだと思ってな。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 03:21:46
バナナと並んで卵も貴重品だったので、お寿司の玉子は、
(何かでふやかした)伊達巻きのようなものの薄切りでした。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 03:29:49
なぬ? 40代でもそうだったっけ???
15名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 12:36:49
たとえ裕福でなくとも親は子供にそれを感じさせない努力をしてきたんだよな
16名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 14:14:34
悦王スレになる予感
17名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 15:35:42
18名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 21:59:32
そして神戸、大船渡ちゃん
19名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 00:30:59
20名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 01:09:45
うんこ悦が来てクソスレになる悪寒…
21名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 01:11:47
客引きはしなくていいから
22名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 19:05:02
掘っ立て小屋に住んでる一家があった
学校に来てない子供がいた

山にはサンカと呼ばれる山の民がいて
日本国は戸籍とは別に先住民がいると思ってた

野良犬対策と同じくらい強い、地域の滅菌活動によって
あの頃の貧乏人たちは人目のつく所から消えていった

「夕焼け番長」や「男一匹ガキ大将」「みそっかす」「あしたのジョー」等々
強いエネルギーを秘めた非社会的な人々が、物語を背景として支えていた。
あの頃、漫画家はインテリでもオシャレでもなかったから
自己の実体験や、創造力を、臭いのするような習俗の暗がりから探し出していた。

文学や映画がアンタッチャブルにしてしまった習俗を
結果的に織り込んで描いていたのが昭和の漫画。
よくよく見ると、作者ですら気がつかないところに差別を超えた昭和史が隠れている。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 19:45:39
イイ!!
24名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 20:32:29
再販されないマンガはアレだからなのか?
貸本屋時代の単行本マンガの行方おしえろ
25名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 20:43:17
昭和40年代より前のことを記憶として持ってる40代はなかなかいないだろう。
映画のALWAYSパート1の設定時代が昭和33年だっけ?話はわかるが、遠い昔の話と思った。
昭和20年代の前半は敗戦やら焦土やら闇市やら、何かとドラマで見かけるが
昭和20年代後半〜昭和30年代前半頃の「ちょっと落ち着いて来た」日本のエピソードが知りたい。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 20:55:26
あのなあ、前の戦争は異常な殺戮だぞ。
日本は粉々にされたんだ。イラクよりパレスチナより散々な。
GHQを組織したアメリカは極めて危険な作為を仕掛けて来た。
敗戦国の社会・文化を改変しようとしたんだ。
国際法上考えても、それがとてつもなく異常な企てだったことは普通にわかるよな?

ボロボロにされた挙げ句、家族・親族は大陸やら半島に取り残されていた。
引き揚げて来た生き残りが、今の爺さんたちの世代だろう。
あまりにも酷い時代を生き抜いて来たから、言葉にならないことだらけだ。
今さら言っても説明する土台がもはや全然違う。

女は十人も子供生んで、三人くらいしか生き残らなくて
長男はやたら恵まれて長女は下の弟妹の世話ばっかさせられて
オヤジとカカアは毎晩命がけで喧嘩して汚いメシ食ってたんだよ。
みんながみんなそうだったんだから、テメエだけ泣き言言えない、
だから語り継がれてないんだよ、悪夢でもいいから一晩寝て次の日うんこして忘れてヨシ!でさ。
27ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/02(火) 01:59:53
イオン水を飲んで寝た人。一晩遅れましたが初めまして。おやすみなさい。

バナナが貴重だった頃にはバナナの皮で滑れるナンチャッテな人もいましたの謎。

裕福でないことを感じさせない親の知恵や努力はいつから無力になっていったのだろう。

悦とは何でしょう?

怖い体験どうもありがとう。昔話の人、その本です。ありがとう。

掘っ立て小屋は知らないが、川の中州で洗濯してた一家(今の浮浪者とは別物)は知っています。
日本国籍が無い人が問題にすらなってなかった時代はあったのでしょう。想像できます。
サンカで検索しました、成る程、瀬ぶりやマタギのような方々ですか?

漫画の話面白い。思い出したら何か返信します。

28ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/02(火) 02:03:58
「Always 三丁目の夕日」前にテレビで見ました。綺麗な昔話。できすぎ。
闇市の後の時代、「メトロに乗って」で少し映像化されてませんでしたか?

>敗戦国の社会・文化を改変しようとしたんだ。
>国際法上考えても、それがとてつもなく異常な企てだったことは普通にわかるよな?

「異常な企て」という表現で少し目から鱗でした。該博な知識をもっとどうぞ。

イオン水もそのうち買ってきましょう。

ああ、マンガ。つげ義春の兄弟もマンガやってませんでしたか?
何もググらずに主観や記憶だけで軽く書けるスレでいいんですよね?スレ立てしたの自分ですし。
29ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/02(火) 02:14:38
こんな時間なので、揚げモノで一杯やりましょう。溜飲sageたらsageたということで。

この板だったでしょうか?最古の記憶を披瀝するスレ、ってありませんでした?

爺さんや婆さんに聞いた話とか、記憶の奥にミステリアスに化石化してる
「もっと昔」の話をとりとめなく語り、生まれる前の頃を追想してみましょう。

硬軟どちらの話題もおもしろいであります。

ああ曹操。あの戦争が侵略だったかどうかが現実政治のなかで
問題にされてるのは、中国・韓国との関係に限られていますよね。

中国にとっては、悪党時代と定めた関東軍の頃の日本を
現在政治で日本を牽制するためのカードとして活用しています。至極当然の外交テクニックです。
それに対して日本としてはそれをどう跳ね返していくか、無効化していくかという
国家としての戦略は持たないと、21世紀の鍵を握る極東のややこしい情勢を凌いで行けません。

永田ラッパと言われた永田雅一の事など、話せる人いませんか?安藤組と力道山の絡みとかも。
30ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/02(火) 02:18:24
祖父・祖母の時代〜父・母の時代までの
秘史やら苦労話やら、ググり無しで気楽に書き散らかしましょう
31名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 03:07:40
マタギの知り合いいるぞ
現役のマタギはそのおっさんだけかもしんね
ホテルと提携してやってるらしい。秋田で
32名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 03:11:35
おめーらもっと簡単な話題にしてくれ
33名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 03:16:53
天武天皇は蘇我入鹿

ちなみに聖徳太子は蘇我馬子

天武は大陸系の王家の末裔。
天智の死後、壬申の乱で
大和朝廷系の天智の一族を封殺し
自らが大君になる。
しかし、妻の持統は天智の娘。
奈良時代に入って、大陸系王朝は断絶。
再び、天智系の大君の時代がはじまる
34ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/02(火) 03:21:37
>>33
昔話にしては古すぎですが面白いですね
天武さんが入鹿だったとしたら
大化の改新で殺されたのは誰だったんです?
35名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:30:01
ほんと40代が書いてるスレ?
マジでこんな書いてる人たち、他スレの汚物と比べたら奇跡だお
36名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:58:02
イイ!!
37名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 00:13:28
有楽町のガードをくぐってすぐ左の路地を入っていくと、<東京浴場>という
銭湯が、たしかあった。

取り壊して工事中の日比谷劇場に背中合わせで、
ここがラクチョウの女たちの溜まり場だったと聞いたことがある。

ラクチョウとバシンのパンパンは米兵相手の洋パンがほとんどで
その派手さが噂に絶えなかったという。

あ、バシンは新橋のことね。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 00:26:14
新橋はその前は、大磯にいる大物フィクサーたちが
ときどき遊びに来る場所(野暮にならない場所)となったのに
その立場を赤坂に譲るんだね。

盛り場の昔話ももっと知りたいけど花電車おぼえてっか?
あれ、厳めしい髭の神武天皇とか。
草薙の剣をかざした日本武尊だったりとか。
マンガノフクちゃんとおジイさんというのもあって早稲田卒のうちの祖父は
ふがふが喜んで泣いてたよ

花電車の日は都民がみんな集まってきて
東京マラソンより大きな行事だったのになあ・・・・・・・・・
39名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 00:40:04
東京では戦後、海藻ソバっていうのが流行ったらしいけど
同時期、関西では魚そーめんというのが受けていたそうだ

海藻じゃあ栄養失調になるわなw

うちの叔父と叔父の友人たちは高校生で
恵比寿キャンプでバスボーイしてたらしい

進駐軍さんたちへの兵隊食堂のメニューに
クラクラ日記書いてたんだって、それじゃ坂口某みたいで笑っちゃう
40名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 01:06:40
APPROVEDのおうち、ってありましたね(笑)
41名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 01:15:47
壬申の乱ネタ オワータの?
42名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 01:55:26
遅いぞよ!世は既に平安朝であ〜〜〜る!
43(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/06/03(水) 02:16:28
三国志で演義にも載ってないレアなお話があれば教えてください。

わがままいってゴメンナサイ。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 12:37:36
>>41-43
スレ主困らせてないか??
45名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 15:48:30
>>43
しどけない我が侭は着こなし次第でしょう。
命あっての物種。爪に火をともす暮らしでも。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 17:30:26
戦前も戦後も一貫して日本にあった根源的な問題。それは、貧乏ということ。

事業に失敗したり、勤勉・勤続を怠っての貧乏ではない。
生まれついてのもの。出自。働いても働いても越えられない壁。

戦後民主主義は嘘をついた。
勤勉にがんばれば、誰でも中流くらいの所得は得られるはずだ、と。
勉強すれば良い学校へ行けて良い勤め先を得られて一生困らないはずだ、と。

大戦争の廃墟の時代に、そんなことしか励ませなかったのかこの国は、嘘つきが。
貧乏は、根が生えている。
貧乏は、心の曲がったをこしらえる。
心の曲がった人間をたすけに来るものはこの世にどこにもありはしない。

友愛、って何ですか? 森田健作は青春の金字塔ですか?
47ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/03(水) 23:52:04
やあと言えば曹操と応える君たちへ。

>>35>>36
40代板にも此岸と彼岸がありましてな。

>>37
ラクチョウ、バシン、耳新しい古い符牒。
遠い国の中原の精鋭の兵士の呼称のごとし。

>>38
つい。禁断のググりをやらかしそうになりました。
大磯はこのあいだ燃えた茂の邸のある景勝地ですね。
その花電車は路面電車か。青森ねぶた、祇園の宵山にも勝る活況。

>>39
バスボーイ、クラクラ日記。得も言われぬこそばい壊情。そして魚そーめん。
48ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 00:04:10
>>40
ありましたか?(汗) ……ってまいりました。ググらないとまったくわかりません。

>>41
1つ質問を掛けたままです。>>34。終わってはいない祈願。

>>42
R。

>>43
どのレスもああ言えば曹操にレアモノです。
三国志演義の枠外はレッドクリフさんとブラックでビルさんの場外乱闘から始めましょう。

>>44
スレ主。不思議な言葉を知っていますね。旅のお方ですか?道中安全祈願。

>>45
婀娜っぽいおかちめんこでどうでしょう?

>>46
無着成恭先生のお声が聞こえてきそうです。上山市立山元中学校は先の春に廃校になりましたね。
たわむれに 友愛を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず 
↑友愛を森田健作に置き換えても論理的に成立しますが、後者はたわむれにも負いたくないです。.




49ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 00:07:00
>>48
まあ!
「ぶらっくでびる」では自動的にカナ変換されなかったのですね!
れっどくりふ兄さんの勝ちですこれはもう。 偶発的に。
50ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 00:08:28
忘れてた・・・


ああ、曹操。aging
51名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 00:20:22
この板に懐古スレはいくつかあったように思う。

印象に残ってるのは一つ
古き良き時代を本当に懐かしみながら楽しそうにしていて、いい時間を共有していた。
きっと笑みを浮かべながら書いていると思われるその文字は楽しげに躍ってたなー。

たった2スレで終わってしまったのが、なんとも残念だったけど。
52ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 00:32:27
>>51
おお! 具体的に、その懐古スレの名前を頂戴できませんか?
53名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 00:36:42
少々、お時間くださいな。
どこかに大切にしまってあるはず。
申し遅れました、イオン水です。
丁寧なレスありがとね。>>27
54名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 00:52:34
スレタイは『スキゾキッズたちは密かに冒険中』でした。(2006/10/12(木) 03:34:48スレタテ日時)
55(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/06/04(木) 01:05:21
>>48
常勝将軍、丁寧なレス、どうもありがとうございます。w
56ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 01:10:46
>>53
自分の記憶をたどっていて、「人生最古の記憶を書くスレ」
とかなんとかマジスレがかなり昔に存在したことに突き当たっていました。

しかし正解は>>54だったんですね。まるで浅田彰スレ。80年代ネタでしょうか。
何か思い出しそうで、思い出してはならない何かが揺れたかもしれません。

>>55
じょうしょうしょうぐん……  昔、あなたに「殿」と呼ばれたことがあったことを思い出しました。


五月革命の季節を越したのに、なんとまあ、神鳴りが響いてきそうな真夜中なのでしょう。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 01:19:31
>>56
スレタイこそ、スキゾキッズでしたが
そこから話題は多様に広がってね、40代の人たちの隠れた素顔っていうかな
尽きない話に盛り上がった。。のは数日間だったかな(以下省略)
58ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 01:27:47
>>57
炎上はお互い様の時代ですよ。空襲警報すら鳴らない。
まるで放火。お互い様、お互い様。
警報が鳴らないので、鳴らなくてもいい電話ひっつかんでいたりとか、ですかね笑
59名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 01:28:39
あのねぇw
60ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 01:40:17
超マイナーな場所らしいんで、ひそひそ話せばよいのでしょう。
今夜がこんな夜になるなんて心の準備もなかろーもん。w 
61ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 01:44:40
アフリカのドゴン族だったかな。
歴史を編纂するとき、編年体で書けないの。

じゃ何かというと、印象順なわけなのです。
印象に強い事項はいつまでたっても我々編年体語では「きのう」やせいぜい「近年」で
印象の弱くなっていくことが、どんどん、「過去」に押しやられていく。

自分の実生活の波瀾万丈を基準にすると
十分スレタイ通り、「もっと昔を追慕」しはじめたという次第。
ローカルー違反には当たらない笑
62名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 01:56:27
親を見送って、自分もそれなりに年を重ねると、
なにやら思うことは同じだよね
昔を懐かしんだり、先祖から伝授されたことを後世に偽り無く伝え送れるかなーとかさ

親との思い出は沢山あるけど
ここで書き連ねるのは気が引けるというか、大事にしまっておきたいような
そんな気分です。
63ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 02:10:48
>>62
はい。 まあそういう心のしわのようなものの、年輪ともいえぬ恥ずかしいものの集積。
佐野洋子を読んでいたら、つい、ここ押っ立てておりました。

冒頭から何度か書いてますが、時間があったら、『シズコさん』、読んでみてください。


そしてまた、無理をせぬ速度と間隔を悠々と保ちながら
親子だとか家だとか、先祖だとか、
送ったときからはじまる「なにやら思うこと」をツギハギしていきましょう。

これは今ここを見ているすべての皆さんへの、当たりのいい導入の言葉です。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 02:18:03
「シズコさん」ね。
どなたかが作品紹介のページをリンクしてくれてたね。
そこからのリンクで立ち読み1pageしました。

ツギハギしながら、時代を顧みながら
疲れた一日が「いい夜」で締めくくれるようなスレになるといいね。
では、おやすみ。
65ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/04(木) 02:52:46
ちなみにわたしは(もう両親他界しているので)今年、先祖代々の墓を
80万円もかけて修繕しました。そこまでやるのか!と思いましたが
それは田舎の霊園にある墓で、わたしが都会で核家族していくためには
どうしても田舎の親族がおさまるように、先手を打つ必要があったのです。

石屋もうまいから、どんどん最新スキルを紹介してくれて
あれやこれや積まれたところ
新しい墓建てたほうが安いでしょうに、と言いたくなるほどの改修費。

でも、墓をあらためると、血族から受ける恩恵の根が延びてくるらしい。
そんな見返りを期待したわけでは毛頭ないけど
正統派の部分がちょっとはないと、死んでいった親たちに申し訳が立たない。。

おやすみ、>>64さん(?笑)
66名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 00:32:13
豆腐屋のやや気の抜けた哀愁漂うラッパの音が聞こえると
母は料理の手を止め
鍋を持って外に出て行く
あの懐かしい音が聴きたくなったので

豆腐屋 ラッパ

のキーワードで検索したらいきなりプァ〜フゥ〜♪w

ttp://www.kyuden.co.jp/company_social-action_messena_sound_time_bugle.html
67ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 00:32:42
ガラリ。

agingの効果音。

 ---換気中


さて。今夜の昔話はどこからが蜃気楼? 
68ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 00:38:47
>>66
お。

あまりにも同着でびっくりしました。宿命ですか、こんにちは。こわいですね笑

ググらずくだけていきましょーよのポリシーはヒトサマのURLにはすぐに飛びつくw
そういえばこの近所、野口屋なるリヤカーみたいなのを引く若者あり。
鎌倉や京都の人力車のごときイケメン豆腐売りたち。

やや高値ですが、66さんご紹介の♪プ〜フゥ〜〜の音色そのままで
窓を開け放って仕事する初夏の夕暮れ、清涼の調べのようです。

曹操、そんなこともありました、今もありますあります。

69ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 00:44:08
九州電力で思い出しました。
記憶違いなら九電さんゴメンナサイ。

九電では、ときどき「いいおはなし」の作文を募集していますよね?
違ったかな、でも、「イイ話」じゃないんです、「いいおはなし」。
小学生がきちんきちんと鉛筆の筆圧でをかけて原稿用紙のマス目を
埋めていくような、「いいおはなし」、ちょっとした思い出の記。

時代がそこだけ止まっているような、正統派・九電ならではの企画。
まるでおとなになっても参加できる「夏のせいかつ」みたいな懸賞課題文。
70ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 00:46:08
ひさしぶりにちゃんと語彙を出し入れして文章やりくりしていたら
やらかしていましたね。校正してから「書き込む」押せばいいのに・・


×鉛筆の筆圧でをかけて→○鉛筆の筆圧をかけて〜マス目を埋めていく
71名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 00:48:19
曹操さん
「曹操」の謂われご存知ですか?知らないのでよかったら教授くだされ。

イケメンリヤカーの豆腐売り
一時売り切れになってた、ジョ○ーの豆腐はどうも口に合わなかった
やっぱね、大豆の味がツクリモノのように甘すぎて

さっき貼ったURLのリンクでいろいろな音を聴いていたら、開に気づきませんでした
おぉコワw

>>69
九電かどうかわからないけど
確か昔に・・
「こどもの目」だったかな、そんなタイトルの記事というかコラムがあったような、新聞だったかなー
72ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 00:58:35
>>71
「曹操」の謂われ・・・え?曹操その人の?? ・・マジ問いですか?

世界で一番やさしいおばさまがおっしゃっていたのは
「三国志演義」の「常勝将軍」という人物名ですね。

このHNは某馴れ合い板で6年ほど前から使っておりましたが、
まさかその頃、近い将来、我が国の宰相が
「ああそうそう」みたいなダジャレ総理になるとは思いもよりませんでした。

ローゼン閣下よりは前に、名付けてみた名前の謂われです。
73ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 01:03:02
ところで今夜の名無しさん。

昔話は、遠いところにあるものだと思っていました。
時間軸として遠いことは、もちろん、遠い昔のお話。

でも、ちょっと前のことでも。
なんだかとても遠いと思えば、「もっと昔」として追慕できる昔のような。。

近年なのに、なんだか遠くてしかたない「もっと昔」は、ありますか?
ちなみにわたしは、場合によって2005年くらいでも、「もっと昔」だったりします。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 01:08:06
>>72
謂われと書いたから語弊があったかも、すんません
で、一粒で2度おいしいレスがあったw

そうそう、HNのいきさつ
なんでこんな名前なんだろうと不思議に思ったので

::::::

こどもの感覚についてちょっと

TVだったら、親の目子の目とかあったよね
子供の観察力っていうのは説明しようの無いところに視線がね、ツーーっと

自分が幼い頃、親のふとした行動に疑問を抱いていて
かといって、親に「なぜ?」と訊くことができず
時が過ぎて、あぁなるほどと思ったり

例えば、煙草のしけもく
缶の中に吸殻を貯めておく父
ある日、その缶から
クシャッと曲がった5cmほどの吸殻に火をつけ、吸っている
幼心に妙なマジックを見ているようなw

その行為に「しけもく」という名がついてるのを知ったのはいつだったろかな
75名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 01:12:40
>>73
あるよ、極端に言えば1年前も昔10年前も、自分にとっては昔だし過去だし
でも、10年ぐらい前に戻りたいなとは思わないかも

それは、今とあまり変わりがないように感じるから
懐かしいな。とは思っても
76ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 01:13:59
それとね、ときどき、怖ろしく自分と無縁のはずの、遠い昔が絵みたいにふわ〜と浮かび
やがて脳裏で映画みたいにストーリーとなってゆっくりと上映されていく・・・・・

たとえば。

1920年代頃のオーストリア、ウィーンのとある貴族のお屋敷でひらかれた舞踏会。
なぜか、わたしは思春期の少女の視野からその日を眺めています。
どこかで貴婦人たちがワルツを踏み始める。わくわくこころが跳ねはじめる。。

ワルツ〜 ワルツ〜

やがてウィーンは陥落せられますが、その直前の、束の間の舞踏会の情景。
そのとき、庭のブランコが揺れて、子供のわたしは、誰かに憧れる瞳を輝かせて
新しい時代への微かな翳りと、これまで気を許してきたパーティの享楽に
したたかに心をつかっている、という、前世の記憶のような丸ごとパックの光景が浮かんでくるのです。。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 01:18:38
>>76
無縁の世界に憧れることはあっても
曹操さんの、この話にちょっとプッって

想像はいいね、現実に引き戻されるその瞬間さえなければ
そんな夢のような夢を見て目が覚めたあとは、ガックシだろなw
78ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 01:21:43
>>74
こどもの目
こどもの感覚

まず、そのとき起こったことは本当(真実)です。
こどもには、真実は、わかる異能がありますから。

ただ、もうちょっと青春期に至ると
子供の頃の真実を、理論的に疑い始める。
この時点で、自分の100ピュアな子供を切り捨てる人もいます。
そういう人は、オトナになって、「インナーチャイルド探しましょう」ビジネスに
けっこうハマってしまったり・・

こどもの頃にしか発見できず、全体像がそのときはわからなかった謎ごと
オトナになっちまった今、皆とともに、解読していくのも、
このスレでゆるゆる雑談するときの、ひとつの柱にしてもいいかもですね!
79ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 01:25:10
>>75
2ちゃんやってると時間の流れ(の密度が)異様に緻密になる時期もあったりして
案外、通常の遠近感とは別に、懐かしい地点が数年前だったりするのですよね。

会いたい人に再会して、
そんな「遠い」昔を語るのも
このスレが、いろんな昔話や、それにまつわる雑談の
ソカロ(広場:スペイン語)となればいいなと考えていました。
80ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 01:27:14
>>77
あのね

>>76
ここはナニゲにおぼえておいてください。
いつか、思いもかけないメジャーなところで
「あ! これって、あのときの・・・・!!!」って
思うことになると思いますよ〜 (もう半ば発表してしまいましたし笑)
81名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 01:32:06
>>78
子供のまんま(気持ち、ピュアさ)育った大人と
途中で殻を破って出来上がった大人と
その両者の境目は「疑惑」というのを感じるか否かかな、と簡単には括れないだろうけど

あぁ、昔ね
自分がちょっと病に伏した時があってね
床に寝ていると
子供たちが襖の間からコソーっと様子見に来るんだよね、何度も何度も

気配を感じながらも、遊んでやることができなくて不甲斐なかったけど
そのかわいい仕草に
気持ち的には「たまにはいいな寝込むのも」 でしたw

>>79
ガガガガーっと集中して遊んだ時期があると
懐かしむ対象として濃くはなるよね
会いたい人かー

>>80
よくわかりませんが、かなり理解しましたw
82ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 01:41:06
>>81
用事が入って、レス遅くなりましたごめんなさい。

こどもの目を保ってオトナになることはできると思うし
オトナの目とこども目を併用できる人もいると思う。

それを見極める、簡単なテストもあるんだけど
それはまた後日、紹介します。

こどもの目をどっかにもってない人といると
人生が三次元に完結してしまうので
昔も今も同じ、おっちゃんやおばちゃんになってしまって
疎遠になっていくことに……

吉田松陰みたいに生きられればいいのかもしれませんが。。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 01:48:14
こちらの速度はもっとゆるいですから
なんだかぼんやりしながらレスしてるので
うまくキャッチボルできてないかもしれませんがご勘弁を

こどもみたいな人いいね
それイコール天然というかさ
コノ人は本当に汚れてないんだなぁ〜って人いるよね
そんな人に出会うと、そのまま箱に入れて大事にしまっておきたいですw

もっと話していたいけど、まぶたがダメ模様×× 
おやすみ。
84ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 01:51:13
いえいえ、こちらこそ、家族が風邪ひいたので
夜食粥をつくりながらこっちもチラチラしてたんで。

なのにやつは寝てしもーた!
つくってしまった粥を肴に焼酎飲むオイラもオイラなわけですが。

ちょいと片手間ちっくというか
このスレを、どう活かしていけばいいのか
うっすら模索していたりもしました。

おつかれさまです。
おやすみなさい。。
85ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 02:01:02
ばたばたしてたら、あやふやレスしか返せないうちに
お客人を去らせてしまった!!

誰か一杯やりませんか?
生ぬるい六月の子〜丑の刻ですぜw
86名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 02:03:54
ROMっておりましたが、こちとらも睡眠タイムと相成りました
またの機会に! おやすみなさいまし
87ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/05(金) 02:14:28
>>86
未来計画していました。

またの機会にね、おやすみ〜!
ちなみにオイラは明日金曜日
博○堂の人たちとの宴席@日比谷

ここに来るのはド深夜か夜明けか・・・・・

まあ名無しのみなさん。早く乗っ取ってください。
88バイキチ:2009/06/05(金) 09:54:22
知らない時代につながる最古の記憶・・・

ヨイトマケあたりはどうですか?
3歳くらいの頃、大切にしていた浦島太郎の絵本を持ったまま遊びに出た私。
遊びに夢中になっているうちに、その絵本をなくしてしまいました。
一緒に遊んでいた子が、道端に置いてあったと証言してくれましたが
そこには道路を舗装するための土砂が山盛りになっていました。
「おそらくこの下に埋まっている」
友人のお母さんがスコップを持って来て掘り返しましたが、女の力ではどうにもならず。
祖母が近くにいた土木作業員に頼み、絵本の捜索を依頼しました。
もう日も暮れかかっていたのですが、
屈強な作業員たちは汚れたランニング姿で土砂を掘り起こしてくれ
それを見て安心した私たちは、目の前の自宅で待機することにしました。
しばらくして、玄関が開く音とともに
「浦島太郎の本が見つかりました」と野太い声が聞こえました。

なんとなく怖かったので、祖母の陰に隠れて出て行きました。
祖母が丁重にお礼を言い、私に対し「ああいう人のことを親切と言うのだ」と説明してくれました。

「親切」という言葉を始めて知ったきっかけがこのお話。
世の中の道路がどんどん舗装化されていった時代。
大人たちは、土木作業員のことを、まだヨイトマケといって侮蔑していた記憶があります。
のちに志賀直哉の正義派を読んだ時に、この時の光景が重なりました。


89名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 11:24:24
逆に、本の上から土砂を山盛りにする
「不親切」な大人もいることを知ったんだね
90バイキチ:2009/06/05(金) 12:04:46
>>22
サンカや話に聞く川べりの朝鮮部落は見たことが無い。
船上生活者なら記憶にある。
ビニ本の女王、田口ゆかりがそれと知りショックを受けた。

>>29
永田ラッパ、安藤組、力道山、横井英樹、児玉誉士夫

この辺の話しましょうよ。

91名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 12:50:21
サンカって乞食のこと?
92名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 13:45:54
三角寛の創作。住所不定、犯罪者、無職徒労の与太のことだろう。
明治時代の警察用語(蔑称)が「山窩」。
サンカに文化があるとかいう説は神農道だとかの与太芸を指すと思われるが、
これは任侠と区別した、いわゆる「テキヤ」と呼ばれる稼業人たちの習俗のこと。
戦前なら勘で区別できてたことが、戦後民主主義の漂白でごちゃにされた。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 13:55:31
>>90
だるま舟は横浜や羽田で見かけた
水上生活者がいる川はどぶ川と呼ばれてた。実際臭かった
94名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 16:12:56
ガキの頃、ロッキード事件で児玉誉士夫知った
ネットもないから謎だらけ
典型的な黒幕フィクサー風格が子供心に面白かった

40過ぎてその人物像を辿り直すとやりきれないな
国士がCIAの子飼いだとはビン・ラディンより笑えない
95名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 18:54:00
川といえば土左衛門
96名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 16:06:18
>>88
3歳の記憶をそこまで保持してるとは凄いね
それが本当ならもっと3歳頃の風物を語れ
ヨイトマケなんて思い出したくても思い出せん
97名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 17:51:52
記憶は幼稚園ぐらいから残ってる
98バイキチ:2009/06/08(月) 19:01:50
>>96
そんな事言われたら、いくらでも語りだしちゃいますよ。
3歳当時の記憶は今でも鮮明なカラー映像として残っています。
みんな、なんで3歳頃のことを覚えて無いんだろう?と不思議だったんですが
私の場合、4歳の時に引越しをしたので、それ以前と以後で記憶の区分がはっきりしてるんですね。

それと想い出の考察が好きでね。
あの時の記憶はなんだったんだろうって、時代時代で反芻するんです。
「そういうくだらないことはよく覚えてるのに、何で学校の成績は悪いんだろう?」
と、よく親父に嫌味を言われました。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:01:45
>3歳当時の記憶は今でも鮮明なカラー映像として残っています。

すごい!

三島の「仮面の告白」も本当かと思わせる記憶力だな
100名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:08:33
テレビは4本脚、ちゃんねる式で画面の前に青いカバーがかかってた記憶がある
ウルトラQがはじまると恐かった
101名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:11:36
自分の最古の記憶を思い出そうとしても
どれが最古なのかよくわからなくなる。
>>98の引っ越しは確かに記憶の区分。
区分の無い人間が最古記憶を呼び出そうとする時、どうやったらいい?
歌謡曲?
102名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:15:40
>>101

小さいころの写真とか覚えてるコマーシャルとか
幼稚園の先生の名前とか同級生となにをして遊んだとか
103名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:18:07
ウルトラQは「ゴメスを倒せ!」だったかな、最初からおぼえてる。
第二話が「マンモスフラワー」だっけ?石坂浩二のナレーションがそのまま言えそうな気がする。
テレビに脚はあったあった。テレビから管が延びてて重いリモコンも付いてた。リモコンの先端の箱にチャンネルがまたついてる。
紙で作る模型(東京タワー等)が付録の「冒険王」と「漫画王」の二大月刊誌が子供の最高の贅沢ブックだった。
ブックといえば、綺麗なアニメのセル画のようなディズニーの本のシリーズがあって、「ジャングルブック」が好きだった。いつ頃だろう?
104名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:19:04
>>102
幼稚園位ならわかる区分があるから。それより前になると記憶の引き出し方がわからない。
105名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:22:16
>>103

youtubeにあるよウルトラQ第一話


>>104

記憶って引き出せるものなのかな?
その方法があるのなら是非知りたいね
106名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:22:40
最古の記憶が弟が生まれる時
母は自宅で出産
夕方から親戚や人が来て、家が騒がしくなり
何故か自分が寝てた枕を引き抜かれて目が覚めた
その時家がわっとなって、その時弟が生まれたんだと思う。
私、2歳になってないはずなんだけど。。。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:26:48
どうやら脳を揺さぶるなにかが起こった時、
印象が深ければ深いほど記憶として残される・・・のかな。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:26:57
>>105
だから人の最古記憶を手懸かりにするw
109名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:29:53
夕方6時半から小さい単位で(2本とか3本とか)アニメやってなかった?当時の言葉では「マンガ」だけど
白黒で実写混じりの「ポパイ」とか
110名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:30:52
>>108

カテゴリ(雑談系2)の昔板でも見たらなにか手がかりがあるかも
あとはこのスレの発言とか
111名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:32:54
>>99
産湯の記憶の話?
112名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:40:17
高校一年の時、他地域から来た同級生たちと記憶競べで
古いテレビの主題歌を歌詞を正しく歌い合ったりした。
高一が昭和54年、自分が歌えて威張ったのが「(少年忍者)風のフジマル」と「ガボテン島」の歌。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:42:49
蚊に刺されると日本脳炎になる
酸性雨の日に濡れると禿げる
114名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:43:48
生まれた年度によってかなり違うね
現40歳と49歳とでは
生活基準そのものも変わっているだろうし
115名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:47:39
>>110
昔板なんてあったのね、ありがとう。
見ました。若い人にとっても昔は昔、
自分が昔の話をしたら古すぎると引かれそう。
昔板にある「最古の話題」スレを発見したと思ったら報告します。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:50:59
>>115

昔板はおもしろいよ
若い人から見た(想像した)昔の話や
俺たち世代が語る昔がある
まずはいろんなスレをロムってみると良いよ
117名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:51:39
昔板は懐古厨のゆとり世代向け。行くと恥かくぞwww
118名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 21:53:43
あとはカテゴリ雑談→セピアあたりかな
119ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 02:29:46
少しスレを留守にしてました。このスレ立ててみた>>1です

前見たときは止まってたのに、今帰宅して見たらすごい連鎖系!

帰宅したばかりなんで、まずよく読ませてください。

スレ立てはしましたが、ここからは一参加者として加わっていこうと思ってます。

そうだ。今日は憤慨していることがあるのでやけ酒気分で

帰りにローソンでエビロン3缶とおでん買って来ちゃいました。

飲みながら読ませてもらいますです。
120ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 02:32:28
ごめんなさい、つい馴れ合いスレみたいな変形ブログ書いてました。

最古の記憶への辿り方、確かめ方、という着想がこのスレの今後の主眼でしょうかね?

バイキチさん、いらっしゃい。前にどこかのスレで何度かお目に掛かっています。

さて、じっくり読ませてもらって、起きていられればまた来ます。
121ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 02:42:00
>>88
「ヨイトマケ」というと丸山(美輪)明宏が浮かびます。
NHKアーカイブスでも、おかやんたちがヨイトマケしてる記録を見ました。
志賀直哉の「正義派」は、たしか幼女を救おうとした線路工夫たちの話。
すぐ思い出せませんが、まだまだ終戦の臭いのしたあのころ
ひとつ前の習俗がほんと、身近にありましたよね。

丸山明宏だって、私がよく通う新宿のお店の古いオーナーさんたちが
その頃のことをよく話してくれるんで、彼の存在+寺山たちが
昭和40年代より「もっと遠く」を思い馳せる触媒のひとつなんですよね・・
122ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 02:56:49
>>90
>永田ラッパ、安藤組、力道山、横井英樹、児玉誉士夫

いいですねえ。濃ゆすぎて、この板では愛想笑いよりも遠く孤立しそうな気もしますが
同好の士には、戦後史には欠かせない垂涎の連中ですよね。
前に河出から出てた文庫で、昭和異人伝みたいなのがあって
永田ラッパは、そこでよく知りましたかな。

安藤組は興味があったので、一時よく調べました。
横井秀樹は絡みもありますしね笑

リッキーは伝説が多すぎて、金田正一の独白に近い胡散臭さも・・w
でも、力道山の社交性こそ、戦後史のキーですよね。知りたいことだらけ。
(初期のプロレス界は、凄い話てんこ盛りですよね)

>>94
児玉誉士夫は、位置的には巨魁ですが
戦中のその立身出世の経過をつまびらかにしていくと
玄洋社の存在が否応なくクローズアップされてきますな。

玄洋社系の闇人物は、色んな書物で出くわしますが
源日本人のパッションの源流なのか、
右翼結社やロビイストの枠を超えて、魁偉な人物が多々裏面史を跋扈してますな。
じっくり紐解いてみたい一角です。
123ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 03:03:49
>>97
学校的文化に触れると、記憶は整合されやすいですよね。

>>98
成る程、引っ越しが示準化石というわけですねw

印象にのこっているバイキチさんのフレーズ

>それと想い出の考察が好きでね。
>あの時の記憶はなんだったんだろうって、時代時代で反芻するんです。

自分も、自己の、ヘニーデのような過去の混沌とした古い記憶を、
ときどきPickして、区分化しようと試みたり
バイキチ氏とおなじく、「あれは何だったのか?」と考察したり、考察のために幾度も反芻してます。

区分化された混沌の最古記憶を構築するためにも、このスレは、実用的だと認識しはじめています。

また自由にどんどん書いてくださいよ。
返事はしますから。
124ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 03:06:55
>>99
その本は、三島由紀夫のオリジナルに加えて
猪瀬直樹の「ペルソナ」で、再考させられた部分でした。

うちの亡き母が、「生まれた時の記憶がある、って小説を読んで
私もあることが怖くなった・・・・・・・」と
なぞめくことを言いながら三島並みに若死にしました(切腹じゃないが)
125ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 03:09:24
>>100
>>103
>>109

読んでて面白かったです。
書かれていた語彙は、ほとんど精度高く、覚えていました。
ガボテン島は「冒険ガボテン島」じゃなかったですか?
今なら、アメリカの「LOST」にも通じる話…
126ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 03:18:34
>>101
>>102
>>104
>>105

最古の記憶を思い出したい……
どれが最古なのかを測る基準がない
だが、最古記憶を召還するには
どんな触媒が必要なのか??

これはこのスレのテーマといってもいいですね。
すごく面白い視点だと思って読み、おおおお、とおろおろしました。


>>106
そのひとつとして、怖いような生々しさをともなう逸話いただきました。
106さんは、ディテールをふくめて、思い出せる達人のひとりかもですよっ!!
また何か書いてください。


>>107
そういうことのようですな。
しかし、思い出したい記憶を区分したり、区分のための考察をしたり、
最古へたどりつくためのプロトコルはなかなかアナドレナイですねえ。
127ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 03:20:53
>>110
>>115
>>116
>>117

昔板、何年か前に見てみましたが、そのときはなぜか
あまりツボじゃなかったんですが
あらためてまたのぼきしてみます。

>>118

セピアも知らないっすねえ。
昔板との棲み分けは何なんです??
128ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 03:28:14
>>89
こういうタカ&トシのトシみたいなレス好きですw

>>91
>>92
勉強してみます
五木寛之の「戒厳令の夜」は高校時代に、
「風の王国」は大学時代に読みました。

その後、柳田、折口、宮本常一、網野善彦、沖浦和光を
できるだけ読むようにしています。

>>93
大分から横浜へ移った山○ハコさんが描いたヨコハマは「だるま舟」でしたね。

>>95
昔私は、土左衛門は風大左エ門のもじりかと思ってました(ばかだねえ・・)
129ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 03:31:33
>>111
胎児の記憶すら、あるという説を聞いてます。
信じてもらえないような、
ものすごく古いはずの、あなたの最古層の記憶を開示してください>ALL

>>112
その歌なら歌えます

>>113
日本脳炎は撲滅されたんでしたっけ?
酸性雨というと、ブレード・ランナーになっちゃいそうですw

>>114
それを言われると、なぜか痛いわたしはだぁれ・・・・・??

130ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/09(火) 03:40:12
>>127
×のぼき → ○のぞき
131バイキチ:2009/06/09(火) 10:31:13
ああ言えば曹操さん、他の皆さん、レスありがとうございます。
>>101
確かに、もし4歳での引っ越しがなければ、私の記憶は、もっと記憶は曖昧になっていたでしょう。
ただ、私の記憶年表は、すべて当時の世相、風俗との関連付けで記録されています。
それはテレビであったり、流行歌であったり、何かの行事であったり、
アルバムに貼られた写真の中から確立されていったものであったり、様々です。

今日は、昭和40年代前半、近所の炭鉱失業者住宅にいた少年の話をしたいと思います。
当時、九州や北海道を中心とした全国で炭鉱の閉山が相次ぎ、
各地に炭鉱失業者の仮設住宅が建てられました。
彼らは、次の仕事が決まるまでの期間、家族と共にこの住宅で過ごしていました。
そんな中、おそらく九州から来たであろうひとりの少年がいました。
彼の言葉はわかりにくく、コミュニケーションがなかなか取れなかったのですが、
唯一、覚えているのが「ウルトラマン、きのう、死んだな〜」と言うフレーズでした。
その言葉は、ウルトラマン最終回の翌日に彼の口から発せられたものです。
そこで「ウルトラマン 最終回」で検索するとその日が1967年4月9日と判明します。
想い出の考察作業と記憶の確定が、便利にできる世の中になったものです。
132バイキチ:2009/06/09(火) 10:55:37
昭和40年代前半、うちの近所のブザーを押しては逃げる子供がいた。
そんなことが何度かあり、ついに祖母がその犯人を捕まえた。
それが近所の炭鉱失業者住宅に住み、自らをターと名乗る少年との出会いだった。
それからターは毎日のように朝早くからうちに遊びに来るようになった。
歳は私よりひとつ、ふたつ上だろうか?とにかく体は私よりもでかかった。
その歳にしては理解力が乏しいのと、訛りがあったので、コミュニケーションが取り辛く
また何をするにも、がさつな所が嫌いだった。
物を貸せばぞんざいに扱うし、鼻は垂れ、身なりは汚らしく、粗野で落ち着きも無い。

一度穴を掘って遊んでいた時、ターが私に向かって泥を投げ始めた。
何度かやめるよう注意したが、悪ふざけはエスカレートする。
たまりかねた私はスコップを振りかざし「こら!」とターを一喝した。
するとターは予想外に「ごめん」とひとこと言って、頭を抱えながら逃げて行った。
歳も体も小さい私に、一喝されたくらいで尻尾を巻いて逃げるターの姿が意外だった。
その日を境に、ターはうちに遊びに来なくなった。
逆に私は、そのことがきっかけで、変な自信をつけてしまい、近所の子を引きつれ、ター狩りをし始めた。
「ターは悪いことばかりするから懲らしめに行こう」
おそらく、テレビの「ケンちゃんチャコちゃん」あたりを真似た探偵気取りだろう。
炭鉱失業者の住宅にターを探しに行くが、でっかいおじさんと出くわし、怖くなって逃げ帰った。
しばらくしたある日、空き地で遊んでいたら、ターがお母さんと一緒に歩いているのを見かけた。
友達の「ターがいた!」の声に、ターはこちらを見てニヤニヤしながら照れくさそうに「よぉ」と手を挙げた。
お母さんが同伴では、どうすることも出来ず、ただみんなでそのままターを見送った。
それを最後にターを見かけなくなった。
おそらくお父さんの仕事が決まり、別の土地に引っ越していったのだろう。

見ず知らずの土地に来て、友達もなく、手当たり次第ブザーを押して友達を探した少年ター
ターのことを思い出すたび、彼の今がどうなっているのか気にかかる。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 15:11:09
いい時代だね
134名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 00:50:17
そういえば「布おむつ」を干してある風景はいつの間に消えてしまったんだろう。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 01:02:53
>>131
>想い出の考察作業と記憶の確定
その手段にネット
これは真似してみようと思いました。

ターの話
どちらの心情も垣間見れる表現は流石ですね。
古き良き時代の中のどことなく切ない光景。
昭和がどんどん遠くなるな。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 02:00:52
ターって「タカシ」が本名のとき付けられてた気が・・

ターみたいな周回遅れの上級生いたな
でも未熟を差別にして遠ざけず
ター狩りする♂ガキ世界はわかるわあ

足らないやついたね、あのころ
家庭がそうだったから
学校や勉強どころじゃなかったんだろ
「泥の川」だ
137名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 02:04:00
今夜の8時頃からのNHK・BS-hiみたか?

<スリラー・イン・マニラ>だったぜ
謎が解けた・・・・・・・・・
138バイキチ:2009/06/10(水) 10:10:48
>>134
おしっこをすると不快な布オムツが廃れて、快適で手軽な紙おむつが出現
母親は楽になったが、おしっこをしても不快に感じないため、子供のオムツ離れが遅れたとか。
>>133 >>135
楽しい時代でしたが、切ない思い出です。
私がスコップを振り上げた時、「ゴメン」と言ってターは即座に逃げ出しました。
あの光景が今も目に焼きついています。
今思うと、あの俊敏な反応は、根底に体罰などの条件反射が存在したのではないかと思います。
最も体罰と言っても、当時はホウキでひっぱたかれたり、頭叩かれたりするのは普通にありましたけどね。
>>136
やはり、ターは知的障害があったのかなぁ?
あの時ターを成敗する側の心理としては、
「我慢に我慢を重ねたが、ついにたまりかねて」という思いでした。
そしてあとになって「かわいそうなことをした」と後悔する。
ターは粗暴でしたが、素直に「コメン」と言ったり、「よぉ」と声をかけてきたり
気さくで子供らしい一面も持っていました。

やはり、楽しい思い出もそうですが、悔しさとか、罪悪感が残る思い出はいつまでも鮮明に残っていますね。
いじめた時の気持ちは「してやったり」なんですが、あとになって考察するに
相手の悲しそうな目とか、正当性を必死で訴える姿とか、を思い出すにつれ、
「何であんな可愛そうなことをしたんだろう?」と自己反省に変化していく。
「いじめはよくない」なんて言いますが、いじめこそが、人間同士の係わり方を覚える良い教材だとも思えます。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 10:33:45
>>134
今21歳の子供がいるけど、赤ちゃんの時は家にいる時は布オムツ、外出時には
紙オムツと使い分けていました。
1日に20組くらい洗っていましたね。(2枚一組)
私の従姉や近所もだいたいそんな感じで、アメリカ在住の友達の話では、
「アメリカでは布オムツ使ってる人見たことない」とのことでした。
140名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 12:39:28
>>139
今ならどの子もいつも
ムーニー、マミーポコ、
育って来たらトレパンマン
141バイキチ:2009/06/10(水) 15:25:10
クズ屋の親子@昭和45年ごろ

文字通りクズ屋の親子であった。
おじいさんと若干知恵遅れがあると思われるハタチくらいのお兄さん。
おじいさんと言っても、今考えれば、息子の年齢からして、さほど歳ではなかったのかもしれない。
おじいさんは、僕らの遊び場である道端にリヤカーを止めて、回収した古新聞や鉄くずを黙々と整理してた。
古新聞を紐で縛る手さばきは見事で、よくその光景をジーッと眺めていた。
知恵遅れのお兄さんは、道に落ちている葉っぱやタバコを拾い、商売道具の金バサミで、それらを切って遊んでいる。
「葉っぱもチョキ〜ン♪」 「タバコもチョキ〜ン♪」
などと歌いながら切っているので、それを見ながら僕たちはゲラゲラ笑っていた。
そのうちお兄さんはチラッとこっちを見て「僕たちのお手手もチョキ〜ン♪」
などと、迫ってくるので、ギャーギャー逃げ回りながら楽しんでいた。
あまりに僕たちが大喜びするので、次第にお兄さんも調子に乗り始め、色んなものを切り始めた。
そうこうしてるうちに、お兄さんは誤って自分の手まで切ってしまった。
「あ、いてぇ」「いて〜〜」 なんどもなんども切った自分の指を気にするお兄さん。
血も出てないし、たいしたケガではないのに、大げさに気にするお兄さん。
おじいさんは一瞥もせず、黙々と作業をしながら「バカなことばかりやってるからだ」と一言。

周囲の大人の中には、この手の人たちに近寄るなという人もいた。
「勉強しないとあんなお兄さんみたいになるよ」と反面教師の材料として使う大人もいた。
しかし、子供にとって、彼らは最も身近で親しみやすい大人だった。
決して危険でないことも、肌で感じてわかっている。
142名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 16:23:06
くず屋の呼称自体懐かしいな。
浅草の隅田公園に蟻の町ってあったが
あれは屑の回収業者の部落だったが
くず屋と呼ばずバタ屋と呼んでたな。
バタ屋はくず屋よりもさらに下層な印象があった
143名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 16:26:50
>>142
字を間違えた。隅田公園じゃなく墨田公園。
蟻の町は正しくは被差別部落じゃないがバタ屋たちだけの特殊集落。
言問橋〜墨田公園界隈にあったと思う。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 01:06:45
>>138
環境(親の精神)が子供を育てる
という概念から量ったとして
ターはその辺りが恵まれていなかったのかな

彼の親の優先順位が、子供より仕事だったと考えた場合
明日をも見えぬ生活に不安を感じ
その捌け口の矛先が、我が子のター
そういう悪循環の最中だったとしたら、、

「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
という本があったけど
そんな経験すらできず
ひたすら親とその環境についてまわるしか無かったとしたら
ターの言動や行動もうなづける気がするね

あくまでも個人的で勝手な推測であります
もう話題は次のクズ屋親子になっているのに遅レスで申し訳ないw
145名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 01:37:24
>>139
産婦人科では「股おむつ」を推進しているころでしたよね。
私も使い分けしていました。
洗濯するとオムツ同士が絡まって干すのに大変でしたw

布オムツでは、こんなエピソードがあります。

私の出産祝いに駆けつけた祖母の手には 「風呂敷に包まれた、着古しの浴衣」
これでオムツを縫ってくれると言うのです。

祖母のゴツゴツした手は
見事にしなやかに運針をはじめ、
1枚2枚、次々と折りふせ縫いを施したオムツが目の前で出来上がっていくわけです。
着古しの浴衣を解き再生させるのですから、その寸も疎ら(まばら)。
見てくれも良くないし、内心嬉しいとも思わなかったのですが。

さて、自分が用意していた「新しいサラシ」のそれとは肌触りがまったく違います。
ゴワつきが無く、赤ちゃんの体によくなじむわけなんですね。
お婆ちゃんはすごいな〜と感心しました。
ありがたかったです。

洗濯をして干す時には、ご近所の目が気になりましたがw

祖母曰く
『たとえ雑巾一枚でも手縫いしてあげなさい
 絞る時のやわらかさが違うから』

ミシン縫いの雑巾と手縫いの雑巾では、なるほどその差がありました。
我が子が小学校、中学校へ持っていく雑巾もすべて手縫いをしました。
いまでも雑巾だけは手縫いをして、祖母の訓えを守ってます。
146バイキチ:2009/06/11(木) 10:21:54
>>142
蟻の町というネーミングセンスが素敵なので、調べてみたら
「蟻の町のマリア」なんて映画もあるんですね。
見てみたいな。美輪明宏も出てるみたい。

>>144
ターの育った環境や、ターのその後に関しては、私も勝手な思いを巡らせています。
その手がかりになるのは、一度だけ見たターの母親の表情。
ターとは少し距離を置き、買い物籠を持ち、眉間に皺を寄せ、少し怒ったような、
今考えれば、子供と手をつなぐ余裕すらなく、何か考え事をしているような表情でした。
そんな母親につかず離れずついて行くターの姿を思い出すと、また切ない気持ちになります。

ターと僕たちとの関係を、更に掘り下げて考えてみれば
異質なものを脅威と感じ、排除しようとする、農民特有の保守的構造が垣間見えます。
まさに、律令制から続く日本古来の風習が、そこに浮かび出ています。
まず外部からの侵入者を警戒し、観察に入る。
そして自分達のコミュニティーにそぐわないとわかったら粛清にかかる。
ほんの小さな子供時代の出来事ですが、よく見れば、それが大人社会の縮小版であることに気づかされます。

>>145
便利と引きかえに失うものは多いのですが、
便利を充分体感して初めて、失ったものに気がつくんですよね。
年を重ねてようやく、おばあちゃんの知恵袋の必要性を感じるのはそのせいでしょう。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 10:33:16
>>146
便利な世の中になって時間が有余る 結果 ろくなこと考えない現代
148バイキチ:2009/06/12(金) 15:33:59
ちょっと趣旨からはずれるかもしれませんが、これも3歳か4歳頃

父が車に、でっかいコリー犬を乗せて帰って来たことがある。
愛車のトヨタパブリカで帰宅途中、犬が全速力で追いかけて来るので、
停車してドアを開けたら助手席に飛び乗ってきたと言うのだ。
当時キャンキャンうるさいスピッツと共に、テレビ「名犬ラッシー」の影響で、コリーも流行っていた。
私は得意になって、近所の子にラッシーを見せびらかしに行った。
夜、ラッシーにパンと牛乳をやるとぺろりと平らげた。
その後、私は父の自転車の前カゴに乗せられ、ラッシーの散歩に出かけた。
もちろん綱などつないでいない。
途中までラッシーは勢いよく自転車のあとを追ってきた。
商店街に差し掛かったとき、ラッシーの動きが止まった。
「どうした?来い」と父が呼びかけるが、
ラッシーはその声を無視し、向かい側の食堂に向けて一目散に走り出した。
父は「なんだ、あんなに食わせたのにまだ腹減ってるのか?」とつぶやく。
ラッシーは食堂の外をうろついていたが、
ラッシーに気づいた店主の奥さんが出てきて「あんた、どこ行ってたの?」と叫ぶ声が聞こえた。
ラッシーはばつが悪そうに尻尾を下げ、耳を後ろに倒し、そろりそろりと店の奥へ消えて行った。

のちに聞いた話だと、そこの食堂の店主もパブリカに乗っていたらしい。
空冷のパブリカの特徴ある走行音を聞いて、主人と間違えて追いかけてきたラッシー。
頭がいいのか、バカなのか、よくわからない迷犬ラッシーの想い出。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/12(金) 17:11:18
>>137
150名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/13(土) 17:05:34
コリーはとりあえず全部ラッシー
イルカはフリッパー
殺虫剤はキンチョール
台所よう液体洗剤はママレモン
ゴキブリ誘引剤はぜんぶゴキブリホイホイ
151名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/13(土) 18:38:16
味の素は味の素
152ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 00:50:48
面白い話がたくさん出ててどこからレスをしたものだか・・

今夜はあんまり時間がないんで、印象に強いカキコに
一参加者として、素朴なレスをビールの肴にぽつりぽつり・・・と。

まずは「ター」の話ですね。
皆さんからの反響、そしてバイキチさんからのアンサーレスもあり、、
153ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 00:52:59
ああ曹操。

蟻の町、私も微かな音の記憶はあったんですが
墨田公園の集落を指すとか、映画化されたとか
何故これまでに知っていなかったのかと、ちと盲点で・・

それでターね次
154ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:00:20
>>132
これは>>135さんも呟いていたように
古き良き時代という、戦後状況や
ヒエラルキーからの淘汰が身近にあったという点で
昭和30年代あたりの「ちょっと切ない苦さ」を含んだ話として拝読。

>>136
「足らない奴」「泥の川」
どちらも、意味は響いてきますよ。

>>144
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
この本は読みましたが、ターのことを偲ぶと
ロバート・フルガムのテイストじゃターの土俗の部分が
うまく掬えないかなあと・・・・・
155ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:05:53
>>144
>優先順位が、子供より仕事だったと考えた場合

微妙なんだけど、その頃はもちろん
戦中の破滅的な時期ですら
「子供より仕事」と言語化して認識していた親はあまりいないと思う。
「子供が一人前(10歳くらい)になるまでは、子供ブライオリティ1」だったのでは?

それでもままならぬ社会状況と生活状況が
信条としてのプライオリティを変形させ、
「我が子のために心鬼にして仕事に専念する。我が子が飢えていても生かすためには」
の諦観と意気。。。
156ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:17:23
>>146
バイキチさんは、面白いね。
おこがましい言い方をビールに流してもらえるなら
私の嗜好や、歴史的な参照、目の付け所などなど
なかなかいい相性を感じてなりません。
このスレでご一緒できて、収穫です。

さて、ここに登場する
>律令制から続く日本古来の風習が、そこに浮かび出ています。
この言辞に、むやみとわくわくしました〜!!だって、こういう文脈が好きだから!(個人嗜好的)

でもね、網野善彦さんによれば
我が国の律令制時代は「スピリチャル的にもファンタジーの時代」で
後醍醐天皇が、国内の性と賤、闇の力、悪党・職能民等の存在を
表舞台に強引に引きずり出したために、足利を頭とする武家勢力に
日本の「ファンタジー時代」を断絶させられてしまった、という
我が国の習俗の、徹底的な「価値転倒」の話は有名なところです。

ターの於かれた状況は、「ファンタジー」時代の、大和〜南北朝時代までは通用していた者が
室町時代から粛正され、江戸期に至って相当に制度化され、
さらに御一新、1945年の敗戦〜戦後洗脳民主主義時代を経て
この国の人のDNAにわずかに隠れている「(足りない者への)寛容」が
ついに、民主主義的にセコく淘汰されていった過程を思わされます。


・・・・・・・にしても、律令の時代にまで遡るバイキチさんの言辞の傾向は
私には、とてものびのびと心ゆかしく読んでいけるものです・・・・・
157ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:30:50
ひきつづき・・
>>146

>ほんの小さな子供時代の出来事ですが、よく見れば、それが大人社会の縮小版であることに気づかされます。

状況としては、それが「大人社会の縮小(縮限??)」なのかもしれないけど
自分の子供時代を思い起こしていくと、微妙に体感してきた「子供/大人」の構図が線的には
繋げられないかな? と思ってしまう。

まだ(生まれてから)使い古されてない眼で見て、耳で聴いて、精神的な嗅覚もビビッド。
大人が社会の裏も表も実利的に生きてきて得る「知恵と経験」に比べれば
真新しい感覚器官でとらえた世界など、大人の縮図とも言えぬほど未熟なもの。

でも、あまりにも新しい、鋭い感受性、直感力、(まだ未熟な自己を守るための)他者の弁別本能、
どれをとっても、子供のほうがずっと高次の能力to能力の絶対価値観の「世間」を構築していたと思う。

それを「大人の縮図だったかも」と言い括るのは、「子供は大人になるための過程の各地点」という
いわば発展史観みたいなマッチョな発想による幻想で、
実際には、「そのときそのとき、もっとも高く、鋭く、真実に近い何かをとらえ、価値観に近い概念を
自然携帯していた」という実情だったんじゃないかな?

そんなピュアで恐るべき子供たちが、やがて思春期以降、「大人」をめぐる社会圧の要請に応えて
だんだん、神童や足りない子の聖と賤のファンタジー世界を離脱していってしまったのだと・・・

大人になってから、子供の世界をとらえ直すときには、要注意が必要ではないかなあと。。。。
158ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:38:16
>>148
最近、麻布界隈でコリー見るようになりました
ひそやかなコリーの復権だったりしてね・・・
159ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:40:06
>>142
くず屋の下階層にバタ屋があったんですね。
じゃあリヤカー引いてたのがくず屋で
円柱の編んだ籠をデイパックみたいに背負ってたのが
バタ屋だったのかなあ・・・
160ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:43:44
>>145
タイやインドネシアの一部では、布しか使ってませんね。
あれは、アメリカでは無痛分娩の婦人科病棟しかないことの対極として
今になって、自宅で産婆さんと協力して、ケミカル(注射)使わず
自然分娩する、という日本とおおいなる差があることを考えるとぉ。。

ユニチャームやP&Gさえなければ
南アジアの良識が、もっとロハスに逆輸入されててもよかったなあ

なんて

思ってもみたり。。
161名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 01:47:48
まるで英字新聞w
お〜い誰か訳してクレクレタコラ
162ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:49:35
話ちょっと逸れますが・・・・・・・・・

五島列島の幾つかの島には
江戸時代から変わらない習俗で暮らす島があります。

京都のような観光都市とはまったく異なる
民俗学的に言えば、日本のガラパゴス島みたいな所。

昨年、行ってきました(現地民家にホームステイで)。
我々の出自を、建物から空気から、人の言葉から
丸々タイムスリップするように感じたものでした。
163ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:50:42
おおおおお!!!!!!>>161

具体的にあげつらってくれたら、ほぐしていきますんで
どうかスンマへん、指摘してくれませんか?
164名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 01:54:08
具体的もなにもあくまでも個人的で勝手な推測に軽いジャブ物言いがついた夜〜♪w
Ah〜Ah〜♪やんなっちゃーなAh〜♪おろろいた〜♪
165ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 01:56:29
>>164
スンマへん
ちょいとブランク入ってたんで
気合い入れて、熱レスしてました。

気分転換に雑談でもどうです?
166名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 01:59:10
164を踏んでしまった。。

母さん。。僕の記憶を蘇らせてくれるのならあなたの子宮の中を泳ぐ自分に帰りたい。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 02:01:44
雑談?

はてな、いまひょいと思ったけど雑談に定義とやらがあるかな?
168ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 02:03:35
子宮回帰

うーん・・・
「身毒丸」とか見てると
「胎内回帰」ってことを思わされるんだけど


でも挑発的なシゲキwに乗って
僕も>>164さんの子宮のなかで盆踊りにトランスしてみたいw
169ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 02:04:23
>>167
ないよー

枠外のコメに、勝手なレスを返す、っていう
楽市楽座な場面
170名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 02:07:34
今夜は時間が無いと書いていたので雑談は遠慮するw

ひろしの「母さん」は良かった。
自分の中では良かった。
171ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 02:10:27
たしかにもうくたくたなので瞼がほにょにょと落ち込んで来ています

洋子の「お母さん」シズコも良かったですよ。
「東京タワー」のおかんの息の根を止める程・・・
172名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 02:12:23
おやすみ、ああいえばそーそー

5月26日(金)
母さん。
道端でうんこを踏んでしまったときは
靴底に栄養を与えただけだと割り切れる寛大さが必要なんだ。 (164より)


なんだw
173ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 02:23:24
まだ「毎日母さん」のおとうさん、カモちゃんが生きていた頃・・・・
原稿に煮詰まったカモちゃんが、サイバラ妻と夜の散歩中に脱糞!!


サイバラ「飼い犬のフンは」 ・・・・ 「飼い主がシマツしないとねえ」


NA;

鴨のうんこを
かたしながら
さむい夜の
受け月。

ああ
こいつといるのも
もう限界だと
よく考える。

   〜「続・アジアパー伝」〜
174ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/14(日) 02:24:13
ああ言えばおやすみ曹操。
175バイキチ:2009/06/15(月) 11:38:44
私のマニアックなひとり言に、ここまで丁寧な返事をくれる方は珍しいので、張り合いが出てきます。
ああ言えば曹操さんの含蓄あふれる文章を読むのも楽しいし、
色んな人たちの違った角度からの見解はタメになります。
私が2ちゃんねるをやりだしたきっかけは、このようなマニアックな話を色んな人と交換したいからでした。
今まで自分でもこの手のスレッドはたくさん立てましたが、
ほとんどが途中で飽きられて、定着せぬまま落ちていきました。
ああ言えば曹操さんのようなまとめ上手な人がいれば、私は安心して独りよがりな長文が書けます。
今後とも末永くお付き合いお願いします。
>五島列島の幾つかの島には江戸時代から変わらない習俗で暮らす島があります。
ああ、私もそういう所に憧れます。
どこへ行っても画一化された日本列島で、いまだ残存する昔に通じる道しるべを探しに行きたい。
そんな島の漁村で、アメリカンショートヘアーの血が入っていない素朴な日本猫が
むしゃむしゃ干物でも食っていた日にゃ、嬉しくて発狂もんですよ。

行ってみたいところ:軍艦島 三宅島 ヤコペッティの映画で紹介されていた女島
176バイキチ:2009/06/15(月) 11:48:20
今日は少し時代をさかのぼって、父に聞いた終戦直後の話をしたいと思います。

朝鮮人の蔵破り

「蔵破りだ!」と言う叔父の声で父は目を覚ました。
ドーン、ドーン、夜中なのに蔵のほうから異様な音が響いている。
当時軍人だった祖父と、少年兵の叔父二人が一斉に飛び出して行った。
幼かった父が知るのはここまで。
そのあとは翌日、駐在が来て、のどかな現場検証が行われる場面に切り替わる。
大きく穴が開いた蔵だったが、中の物が盗まれる前に気がついたため盗難被害はなかった。
駐在が蔵のそばに落ちている人糞を木の枝でほじくり、
得意気に「朝鮮人の仕業だ」「唐辛子が入ってる」と言っていたそうだ。
当時は、泥棒に入る前に、うんこをすると捕まらないという慣習があったらしく、
泥棒の多くは現場近くに脱糞をしていたらしい。

さて、その犯人が本当に朝鮮人だったのか?、
はたまたそれが朝鮮人だとして、いったいその先になにがあるのか、
まったく解決を見ぬまま、話は泥棒を追いかけた叔父の証言に移る。
177バイキチ:2009/06/15(月) 11:59:12
祖父と二人の叔父が飛び出して行くと、すでに二人の泥棒は逃走を図り、田んぼを走って逃げる姿があった。
「空気銃で撃ってやったけど当たらなかった」
叔父は笑いながら平然と無茶な事を言う。
当時二人の叔父は血気盛んな20歳前後、
特に弟の叔父は、まかり間違えば愚連隊になっていたのでないかというくらい暴れん坊で
ガキ大将の少年時代から数々の武勇伝を持つ。
私が知る叔父は、無口で穏やかで、おとなしい人というイメージしかないので、悪い頃の叔父が想像つかない。
戦後第三国人の暴挙の話に興味があった私は「空気銃を撃ったのは朝鮮人だからか?」と質問した。
叔父は「朝鮮人であろうと日本人であろうと、泥棒だから撃ったんだ」というスタンスだった。
私のやましい思惑からは、若干外れる結果となってしまい、そこからの話の発展にはつながらなかった。

一方朝鮮人に関してこんな話もある
当時10歳くらいの叔母が、学校でいじめられていた朝鮮人の女の子を家に呼んでやったことがあるらしい。
その少女に人形をかしてやったり、優しく接してやったら、
翌日、その子の母親が祖母の下に泣きながらお礼を言いに来たという。
母親にしてみれば、日本人の子がうちに上げてくれて、
しかも優しく接してくれたことがよほど嬉しかったのだろう。
また、その女の子も家に帰ってから、その時の喜びや楽しさを必死になって母親に告げたことが想像できる。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/15(月) 12:55:20
私の父親の実家は戦前は薬屋でした。店舗の一角で菓子も売っており、
終戦間際、飴など甘い菓子の材料の調達に困るようになると
母(つまり私の祖母)が近所の朝鮮部落へ出入りして、芋のようなものから
飴をつくる仕事をそちらに出すようになったそうです。
戦争末期、在日の朝鮮人たちこそ、お金がなく、仕事に困っていたのです。

終戦になり、薬も菓子も商品が一時的に無くなってしまった実家は
小学4年生を最年少として5人兄弟を含む一家9人が路頭に迷いそうになります。

文字通り食べものにもに困って行き詰まっていたところ、
あるときから、朝になると家の前に野菜だとか乾物だとかがそっと置いていかれるようになった。
父は子供心に、このご時世にどこぞの篤志家のお恵みかと思っていたようですが
母はそのとき、わかって黙っていたそうです。

朝鮮人が一時的に勝戦国扱いされた時期。
痩せた畑をもち、団結していた朝鮮部落にはまだ潤いがあったようです。
朝鮮人としても、立場が逆転した日本人に施しをするのは同胞の手前やりづらく
黙って軒下に自家製の野菜を置いていくしかなかったというのです。
やがて父も真実を知ることとなり、以来、朝鮮人の情の篤さを忘れることがありませんでした。

よく父は今も言います。
「最近はもう昭和一桁の者としか話したくないと思うんや。
その世代にしかわからんことがあるんや。昭和二桁からは戦後の人や・・・」
179名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/16(火) 12:15:52
死んだ婆ちゃんは従軍慰安婦でした
180名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/16(火) 15:44:55
天地真理の誕生日は昭和26年11月5日
181名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/16(火) 16:32:44
>>179
従軍慰安婦って実際何してた人?
182バイキチ:2009/06/19(金) 10:15:50
>>178
貴重な戦後秘話として読ませてもらいました。
芋アメと言えば、上野のアメ屋横丁の名の由来がその芋アメなんですよね。
そのうちにアメ屋横丁は、闇市から発展し、米軍の放出品などを売りさばく
アメリカ横町へと変貌していく興味深い歴史があります。
アメ横のふたつの通称は、その時代、時代での形を反映してるんですね。

在日朝鮮人に関しては、私達世代が知らないことや埋もれた歴史がたくさんあるはずです。
特に従軍慰安婦の話や戦後のRAAの話など、聞いておきたい話はたくさんあるのですが
人間、隠したい過去もあるがゆえ、伝聞だけでその真実は解明できません。
事実、戦争体験者の中には、戦地での話をしたがらないまま逝去された方も多いですし
ネット社会ではトピックス的な話題のみが先行し、歴史事実がゆがめられてしまう危惧もあります。

幸い、私の祖父は戦争の話をよくしてくれました。
しかし不幸なことに、その頃の私はそんな話に全く興味もなく、真剣に聞く耳を持ちませんでした。

今になって、「あの時に祖父が言っていた言葉」を回想し、検証する作業をしています。


183名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/19(金) 14:12:32
幼少期に健啖家の父親に連れられてあちこちで外食をしていた。
うちの母親は嫉妬深い人で、それが高じてやかましいかかあ天下になってしまったので
父親は家で食事をしなくなり、子供のうちのひとりの私を連れて出歩くようになった。
知らない女性と同伴することもあったけど、私がいることで父親の対面は保たれた気がする。
忘れられないのは日本橋三越でのぶらぶら買い物。そのあとの洋食屋さん。

”たいめいけん”という平仮名の屋号が子供にはうれしくて、これは忘れません。
”たいめいけん”の扉を開けて中に踏み込むと、調理場の方からぷうんと
ただよってくるヘット(牛脂)の香り、カツレツを揚げている香りがたまりません。

今思うとものすごく毅然とした英国紳士のような主人がシェフハットを頭にのせて煙草をくわえ
またこれもものすごく大旦那風のお客さんたちと悠然と対峙されていました。

私の思い出はオムライスで、これが飛び上がるほど美味しいの。
父親はビーフシチュウが好みで、たいめいけんの研究心は立派だと言ってました。
シチュウのつけ合わせがさかんに変わるそうなのです。
ニンジンのつや出しとジャガイモの半月と板ザヤの繰り返しではないんです。
ビーフシチュウのつけ合わせがロールキャベツの小さいのだったり
シイタケをバターで炒めたやつだったり、カリフラワーをチーズで焼いたのだとか…。

私はいつか仔牛のソテーが食べたいと思ってたのに小学校を卒業する時分には
連れて行ってもらえなくなりました。父親の放蕩は続いていましたが、もう中学になる娘を
同伴したくなかったんですね。
親になって転勤に次ぐ転勤の人生でしたが、数年前に東京へ行った時に
人づてに聞きましたら、日本橋のたいめいけんは今も立派なビルで上等の洋食を振る舞われているそうです。
三代目さんが店長さん(?)をしていらっしゃるというので
私が父親に手をひかれて行ってた時は、初代のご主人だったのかなと思います。
つまらない話で長文を書きましたが、よろしくお願いします。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 00:28:13
ええいしゃあねえ、金の切れ目は運の切れと言いうが
あれは逆でね。

縁の切れ目に着いた時にはもうお金なんてすっからかんってね
騙されれば嫌でも陥る稀代のすね者。お里が知れるぜ。

くやしかったら、かけうどん一杯と勝負しろ。
185184:2009/06/20(土) 00:29:34
誤爆でした↑スマソ
186バイキチ:2009/06/23(火) 11:26:55
>>183
何の本だったか忘れましたが、大正時代の世俗を描いた場面で、
「お姉さまと銀座の資生堂パーラーにお出かけしました」と言うくだりがあったんです。
そんな時代に、そんなハイカラな、私の知らない世界が存在していた事に驚きでした。
183さんのお話もおそらく昭和40年代の出来事でしょ?
そんな洋食屋に娘を連れて行くなんてオシャレですよね。

少なくとも、昭和40年代までは都会と田舎に大きな格差がありました。
日本橋と言って思い出すのが、中学の先生の話。
「俺が子供の頃は長い木を拾ってきては、アスファルトの道路で先端を削って槍を作ってたんだ。」
ちょっと待ってください、先生、そんな時代にアスファルトなんかあったんですか?
日本橋生まれのこの先生の話は、現代とあまり違和感が無い。
田舎生まれの父の話とは50年ほど時代が違う感じがした。

個人的には183さんのお父さんの風貌やファッション、職業などが気になりました。
もしかして私が憧れるモボに近い方なのかなと。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 11:30:21
(´・ω・`)しらんがな
188名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 11:36:55
駅ビルのレストランや屋上ミニ遊園地が賑わっていたころが懐かしいな
189名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 11:38:09
(´・ω・`)しらんがな
190名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 14:21:40
流線型特急「あじあ」にに乗りたかったねえ。
昭和9年開通。
満鉄社線で、大連〜新京を走ってました。
(後に延長されて区間はおよそ1000qに)
当時の宣伝文は
「欧亜交通路の大動脈」「二十世紀はスピードの時代」
素敵素敵。流線型は速さが自慢。
東京オリンピック開催時点の「こだま」よりも速く走ってたんですもの!
191名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 14:23:36
(´・ω・`)しりません
192名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 14:27:33
(´・ω・`)もっと知りたいがな
193名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 14:30:50
(´・ω・`)満鉄しらんがな
194名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 14:34:34
ダイレン
リョジュン
ホウテン
シンキョウ
ハルビン
チチハル
マンチュウリ

神戸港から大連港へ、日満航路は吉林丸でね。
終点のマンチュウリに着いたら、ノモンハンもすぐそこに。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 14:43:06
(´・ω・`)今しりました
196名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 14:45:51
(´・ω・`)わかりました
197名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 14:46:19
ハルビン駅で暗殺されたのは伊藤博文
198名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 14:51:06
(´・ω・`)今しりました
199名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 15:01:43
(´・ω・`)伊藤さんのご冥福を祈ります
200名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 15:02:53
(´・ω・`)黙祷
201名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 15:12:17
昭和12年夏の夜の大連は大人の社交場。
満州月に照らされながらダンスホールへ。
キャバレーボンベイは昭和4年開業でロシア人が経営。
大連埠頭からタクシーで5分。
ビールを飲みながら白系ロシア人ダンサーのアトラクションをお楽しみください。

近くにある上海バーは、ロシア人経営者が日本人に乗っ取られましたね。
こちらでは特筆すべきサービスが。
なんと蓄音機でダンスが踊れます。ロシア女性がテーブルについてくれます。
ダンス相手に困ったらロシア女性をどんどん指名しましょう。
チケットなどやらなくても、帰りがけに1円もチップをはずめは相手は大喜び。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 15:18:06
(´・ω・`)夜の大連イイ!!
203名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 15:30:48
夏休みは満鉄で家族旅行。
大連のヤマトホテルの従業員はだいたい日本語が話せます。

わたし「ルーフガーデンで冷たいアイスクリン食べて来たわ」
ぼく「お母さま、僕、ネクタイにアイスクリームこぼしちゃいました」

母「あらあら、仕様がないわね。ランドリーリストに名前を書いて出して。
特別便なら夕方5時に仕上がるわよ」

父「いや新しいのを買ってやろう。
子供用のネクタイなら10銭だ
ランドリーの特別便は五割増しで15銭もするからな」
204名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 15:33:51
(´・ω・`)もっと知りたいがな
205名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 15:35:14
(´・ω・`)ワシもでんがな
206名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 15:50:53
戦前・戦中の楽しい話はもう解禁?
207名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 15:54:18
勉強の成果をどんどん発表してね
208名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 16:01:41
(´・ω・`)もっとしりたいがな
209名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 16:06:49
戦前と今はちょっと似てるな。お金持ちが桁外れにいい思いをしてる事。階層分化が絶対の壁な事。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 18:27:40
(´・ω・`)もっと知りたいがな
211ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/25(木) 02:26:20
2ちゃんを閲覧しようと思っていると、私の場合日常のバランスが若干ハズレ偏って
自営業のために、ともすれば肝心な仕事への集中力の一部をも
つい横流ししてしまって、エネルギー保存の法則が傾いたり……

ハマりかけるとルーズな夜長しちゃう傾向もあったりするので
大きな仕事が来ちゃってるときは
ひたすら禁欲的に、ストイックな三島由紀夫みたく自粛と自制のあいだを
切れ目切れ目にさまような日々に嵌め込まれてしまいます。

スレ建てておきながら、不在つづきで、誠にあいすいませんでした。
(って、「おまえなんかお呼びじゃない」ってレスが速攻返って来そうですが・・)

さっきから1時間ほどかけて吟味するように、>>175のバイキチさんのレスから
>>209さんの見逃せないひとことまで、読みました。

えー。
  ……今夜はこのへんで力尽きてますが。。。

バイキチさんと、名無しさん数名?の分厚い書き込み、相当おもしろい。
満鉄に乗って旅に出よう、ってもう最高!誰ですか〜こんなレトロ・パスティーシュ。

バイキチさんはじわじわと底力、裾野の広さを顕現させはじめてますね。
なんだか通底する感覚を自分も喚起されるようです。

時間を縫って、過去レスへのコメントの旅に舞い戻って参りますんで
今宵は、「ここまで読んだ」報告まで。

おっと、ひとつ、忘れないうちにつけ加えておきたいことが・・・・・ ↓
212ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/25(木) 02:40:37
私儀におきまして、関心のあることは…  と言いますと… (とても私的な我が侭を述べまする・・)


このスレではとにかく、「もっと昔」と思われる昔めぐり、昔フレーバーぷんぷん香り立つ隔世のあの頃、
ノスタルジーもレトロスペクトも、ヒストリーもパラレル・ワールドも
過去なる枠組みのあらゆる掌話・思い出・聞き語り・他人の過去、何でも欲情の対象であります。

そして「過去」には、必ず伴いそうな「既知感」という、不思議な感性が付着しているので
他人の過去でしかないトピックですら、名指しがたく迫ってくる謎の「既知感」にゾワゾワします。


さらに!
当スレ初期に話題になった、「最古の記憶の取り出し法」。
わたしたちは、どこまで記憶をさかのぼれるか。

 ――記憶を取り出すときのきっかけは? 示準化石は??


大人になれば忘れたいことも多すぎる。ありもしなかったことを言い過ぎて来た。
でも・・・ あったこともなかったことも、忘れてしまえば皆同じ。

同時に
経験してきたはずの人生の半球と、経験してこなかったはずの、「もうひとつの半球」の
どちらも、統合的に埋めてみたい、という、
ユング的に言えば、「人生後半の課題」が、そろそろ気になり始めている年頃だからでしょう。

そんな私はこのスレに、小さなたくらみをいつしか、そっと差し入れていたのではないかと
思っているのであります。。

今度来るときはみなさんへのレスと
自身の、奇妙な、「もうひとつの半球」の話を差し出します。

むふふふ、な今後の展望なのでありました。 ムフ
213バイキチ:2009/06/25(木) 17:33:23
満鉄あじあ号に見るロマン

親父の時代は、少年倶楽部の挿絵に、
僕らの時代は、少年誌の巻頭を飾った小松崎茂の未来画に、
そのような夢のある乗り物の画が描かれていました。
日本から朝鮮半島を経由して満州〜アジア全域を結ぶ弾丸列車計画などは、
まさに何の制限も気にせず自由に描いた子供の夢のようで、今見ても心が弾みます。
満鉄あじあ号を調べてみると、機関車タイプと展望車のようなものもあるんですか?
特に展望車の内部は豪華絢爛、機能追求のみに徹しない無駄なこだわりに惹かれます。

また、この展望車は、新宿−箱根を結ぶ初代ロマンスカーを彷彿とさせます。
一般的に、ロマンスカーは、新婚旅行や家族旅行用の位置づけですが、
実は将来を見越し、不倫専用のお忍び列車としての需要も考えにあったのではないか?
と拡大解釈されています。
さすがは先見の名、強盗慶太。
ピストル堤との箱根開発競争が、両雄死してのち、違った形で役立つとは・・・
214バイキチ:2009/06/25(木) 17:34:36
「最古の記憶の取り出し法」
私はかなり昔のことをはっきり覚えている自信があるのですが
それは子供時代に限定されます。
時代で言えば昭和40年代〜50年代前半、この頃の記憶が一番はっきりしています。
1980年代後半から現在に至るまでの記憶年表はあやふや。
だからかどうか知りませんが、私にとっちゃ、20年位前までは「最近」な感覚です。

−よくある質問−

「なんでそんなに幼稚園前のことを覚えているんだ?」

これは前も言ったように、幼稚園入園と同時の引越し。
それとテレビコマーシャルや主題歌と、その時代との条件付け。
これも私の歴史年表には重要要素として介入してきます。
それから、アルバム、小学低学年でつけていた日記、
あと、意味がわかり辛いかもしれませんが、
長谷川町子の「サザエさん」や「意地悪ばあさん」の単行本からの知識。
これが意外と大きなウェイトを占めています。
このマンガは新聞漫画ゆえに「レジャーブーム」だとか「スケスケルック」だとか「PCB」だとか
その時代、時代の世相や流行語が、頻繁に登場します。
第一巻の「カツオ、闇市に行くわよ」「あめ玉1円」から始まり、
時代と共に移り行く生活様式やファッションスタイルは、私の中の昭和世相教科書として、
年表の記憶補助の指標となり、さらにシニカルな視点や発想の原点にもなっています。

それともうひとつ、音感に関して。
私もそうですが、幼少期にピアノなどの音楽に親しんでいた子供は
テレビ主題歌やコマーシャルが、比較的たやすく頭に入り、なかなか消えにくい傾向にあると思われます。
誰もが口ずさめる曲はともかく、少しマイナーな曲調であったり、難解な曲は、
この音感のあるなしによって大きな差が出ると思います。
絶対音感を持つような子供なら、流れてくる音が楽譜で頭に入るのでしょうが、
私のように「黄色のバイエル」の途中で先生にさじを投げられたガキでも、多少は違うと思います。

以上、長々と書いてみましたが、「最古の記憶の取り出し法」に関して
何の参考にもなっていないと今、気がつきました。
没にするのももったいないのでこのまま投稿します。

では、ああ言えば曹操さんの「もうひとつの半球」の話に期待しましょう。
215ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 18:14:43
>>175
同工異曲のスレの存在にあまり気づいてこなかったのは
私のほうかもしれません。
昔板など専門板があることも、知らず。なぜか遠くへ。

もっと、あとちょっともっと、知っていそうで知らない時点。
誰かに言われると思い出せるかもしれない、その先っちょへ…。

そんな距離へ手を差し伸べることのできるスレがあればいいなと。

なんて言いながら、それを集めたかった此処に書くのが
とてもひさしいことに
いささか恥じる心地も揺れているのでありました。

バイキチさん、私は、のたりゆらりとしかレスを返せませんが
きちんと読んで、読むとき読むこと都度都度を愉しんで
それからこうして返しますので、息の長いおつきあいをどうか。

五島の話はまた折りに触れ。
実在した(江戸時代以来の)過去の風物そのものを
写生のように此処に紹介したい気持ちもありますが
逆に、実在する古き良き時代のエッセンスを握ったまま
淡々とこのスレの底流に何をか流し込み
まずはひとつひとつ皆さんのお話にメッセージを添えてみたいかなぁと。

実在したかどうかわからない不思議な古い話も
実在した過去以上に悪くないです。
216ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 18:16:19
>>175
日本猫のことを、のんびりとした、のどかな田舎の路地裏で
つい見かけると、それを日和猫と呼びかけてしまいます。
ちいさな容姿やしぐさ、あくびをする間合いやのろさ
獲物をじっくりともてあそぶ戯れの所作ひとつひとつが
その一日の日和をさだめるがごとく
こちらには映りかかるのです。


軍艦島が公開になった日には、たまたま長崎におりました。
地元の飯屋のテレビに軍艦島のニュースが大写しになると、
ちゃんぽんをかっくらっていた人々がほんのわずか
つとに
テレビ映像を見遣っていたことを思い出します。

学校や映画館がそのまま取り残された廃市。廃島。
崩かけている爛れた景色にうっとりとしそうです。

三宅島、女島についても、思うところありです。
ああ言えば曹操。今村昌平の映画はどれもこのスレ向きですね。
島といえば『神々の深き欲望』

貧といえば、『にあんちゃん』(これは原作もずいぶん泣かせます)
『にっぽん昆虫記』の左幸子はそのまま戦後女のしたたかさ、
『にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活』なんてのもありました。

大島より今村のほうが、今観るとパラダイムですね。
217ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 18:42:04
>>176
>>177

このお話の切り出しを読んだとき、ふと思い出したのが、
菊池寛のごく初期の戯曲『暴徒の子』でした。

外国人に支配されているどこか貧しいアジアの村で
暴動に巻き込まれた子供と父親をめぐる話です。

モチーフとなった舞台は台湾とも朝鮮とも言われていますが
書かれた時期、菊地の嗜好を思うに、
それは英国に併合されたアイルランドをイメージしており、
菊地は日本と朝鮮をヨーロッパの西端になぞらえていました。

「三国人」は、占領下における朝鮮人の自称した言葉ですが
その言葉が起こった経緯を思うと、
半島との深い因縁を心の指でなぞるような憂いもともないます。

ああ言えば曹操、朝鮮人との関わりといえば
司馬遼太郎の短編『故郷忘じがたく候』が際立っていますね。
秀吉の朝鮮侵攻のときに、島津義弘が薩摩に連れてきた
朝鮮の陶工たちの末裔が、今も、鹿児島で「御前黒」として
独特の技法を受け継いでいるという話。

話の真贋を問う声もありますが、半島とこちらの国には
隣り合わせの念も少なくはございません。
218ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 18:48:21
仏壇の奥からつまみ出す
生活のかけら
にんじんのしっぽ。

隣の人に語ろうにも声が届かない。

このもどかしい記憶をどうにか

どうにか隅にやって。


ひとやすみして夕餉です。
また参ります。ああ言えば、曹操。仏壇の中にも
台所くらいありますよね。まるい尻のくぼみほどの。
そこからごそごそものを取り出すんでございますよ。

ええ、ではまたのちほど。
219ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 18:54:05
>>217
機械任せな勝手変換では「菊池」が「菊地」になっている箇所も。

訂正もよしなに。
220ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 21:04:47
>>177
この話のおもしろさは、バイキチさんの書き方の
粗くて断片的な思い切りの良い筆にもある。

伝聞の過去譚とはいえ、幼いバイキチ少年は
小さな企みを携えて叔父上に尋ねている。

猟犬のように朝鮮人を追う血気盛んな叔父さんと銃を持つお祖父さん。
あられもない戦後の光景がそこには普通の話として転がっている。

バイキチ少年の「やましさ」がその頃から実感としてあったのか
現在、過去譚として書き起こすに当たっての「やましさ」の添言か。
名指しがたく漂ってくる言わずもがなの気配を
ばっさり断ち切る叔父さんの侠気が懐かしい。

梁石日の小説を読むように、ここには男たちのあの頃がある。

ああ言えば曹操。先日、何とはなしにテレビをつけてみたら
平塚八兵衛の評伝ドラマをやっていた。
渡辺謙をはじめとして、実力派の中堅俳優が一同揃い踏みで
二夜連続の入魂のテレビドラマ。
くっさいくっさいその話の真贋はともかく、渡辺謙のド迫力の演技は
久しくテレビなんぞでは観たことのない衝撃性を孕んでいた。

あれが昭和のオスだね。
オスの臭いを表現できる場所がなきゃ、昭和も差別もへったくれも
あったこともなかったことも、似たような偽善に漂白されちまうサねえ笑。
221ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 21:15:06
>>178
じっくり拝見しました。
私たちは否応なく、アメリカによって整形された「戦後」時代を
一等無邪気に駈けて来た世代なので、じつは無知です。
無知過ぎることをうっかりしそうなほど、無知の知も得ずにくらしています。

だからか、私たちの親世代が生き延びた時代の断片を
ただ何でもない話として聞き取るとき、あやしい震えに襲われます。
四方八方、猜疑心に煽られて息を潜めて生きた頃もあったでしょう。

少しばかりのお恵みを美談としてお供えする仏壇もなく
私たちの父や母は黙って生きて過ごして来たのでしょう。

>最近はもう昭和一桁の者としか話したくないと思うんや。

今にならないと、その空洞すら言葉にできない。
語れる相手がどんどんこの世を去っていく。

お母様。あの時代は何だったのでしょうね?
縁側にすわって爪を切ってもらいながら、あなたは何を語りましたか
僕らがまだ大人の耳を持っていなかった頃の
あの呟くような昔話こぼれ話…… 
222ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 21:38:06
>>137
ああ言えば曹操。レスしようしようと思いながら忘れてました。
スリラー・イン・マニラ、懐かしいね。

モハメド・アリと自分の少年時代は不可分。
後に、ちょっとしたことでアリに関する資料を整理することに。

アリの試合の中でもフレージャーとの戦いは屈指の死闘ばかり。
フォアマンを破った「キンシャサの奇跡」より、
アリとフレージャーの最後の一戦(3度目の戦い)は史上空前の
ガチンコファイト。

もともと試合のポスターの惹句が「スリラー・イン・マニラ」なんだけど
試合が始まってみたら、まさにスリラー。
熱波の中にいるような午前の試合。
ブルファイター黒人二人が死ぬまで殴り合う。

ケン・ノートンも苦手にしていたようだけど
アリは心底、フレージャーの身体能力を知り、畏れていた。
そのためのクレイジーな舌戦、「アンクル・トム」発言。

あの時代のヘビー級は牧歌的な太陽が照っていたね。
フレージャーは果敢な戦士、アリやフォアマンがいなければ
無限大サイズの王冠を頭に戴せていたはずの頂上マッスル。
だがアリはアスリートじゃない、カルチャーアイコン。
マイケル・ジャクソンより前から伝説を背負う黒人であり
マイケル・ジョーダンより大きな成功をおさめているのに
その頃はまだ皆が今ほど気づいてなかったのだ。

マリリン・モンローもマーティン・ルーサー・キングも
JFケネディもジョン・レノンも駆け抜けてしまった神話だけど
アリはまだ生きている。

223ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 21:46:01
>>179
この一言の書き込みが投げ込まれていたことに
手遅れなタイミングで印をつけています。
バイキチさん、178さんの流れで差し挟まれた言葉でしたね。
224ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 21:56:59
>>182
アメヤ横町の由来、そういえばそうでした。
アメリカ横丁だと思い込んでる人がいたのが不思議でした。


>在日朝鮮人に関しては、私達世代が知らないことや埋もれた歴史がたくさんあるはずです。

>今になって、「あの時に祖父が言っていた言葉」を回想し、検証する作業をしています。

この部分には刮目しました。
なんとなく昔の話を、お店をひろげるように集めてみようじゃないの、と
はじめたスレに、貴重な指針が示されたかのよう。

私も祖父さん・祖母さんと寝起きしていた子供だったので
耳の記憶は米騒動、日露戦役についての聞き語り等々……

忘れぬよう、此処に思い出していきたいものです。
そしてふと

ふと、問い直したいのは
誰もが自然智のように既知として抱えている荒々しい話、
今なら「差別」のPC(Political Collectness)にひっかかり
ちゃんと表に出てこない話を、だがしかし我々は
耳で知っているのだ、何かを見た気すらするのだ、という感触、残滓。

なぜ隠された話が多いのでしょう?
ああ言えば曹操。蘇我氏のことをどなたか書いていらっしゃいましたね。
大海人皇子が蘇我入鹿で、半島人なのだとしたら
やはり正史は、PC検閲後の薄っぺらい王家の絵に描いた餅でしかありませんね。
225ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/27(土) 22:17:16
ちょっと休憩。

『ありあまる富』聴きながら。
226ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 14:45:38
>>183

「健啖家」という言葉が、まず、いいねえ。
20年も前の、あの文化大革命みたいなバブル時代には
「グルマン」なんて腰のない言葉にすり替わってしまったが
美食家・健啖家、この二挺拳銃を腰に収めて男など男じゃない
そんな時代があったとさ。

お父様のその後のお姿をまたお聞きしたい。

たいめいけんは有名過ぎるほどゆうめいになってしまって
逆にわざわざ行く足が伸びなかったのですが、
レトロを求める心地ともなれば、行ってみましょう。
たしか小皿料理で十数種の洋食をお盆ふたつに盛りつけて出し、
最後に中華蕎麦で〆となるとか。
明治の頃は「洋食」じゃなくて「外国料理」。
たいめいけんも、西洋+支那料理が発祥だったかと。だから〆がラーメンとなる。

日本橋。
あそこはいいね。昼なか、用事をつくってはぶらっとするには
銀座よりもピリっとした下町風情が薫風となって吹き抜けていて、佳い。
今年は神田明神の大祭もあって、日本橋三越あたり一帯からして
なんだか晴れの気配渦巻いてましたからね。
日本橋三越は私が愛好する一番のデパートですが、あの一帯だから
今も尚、昭和初期を思わせる接客が果たせるのでしょう。

たいめいけんと言われて反射的に思いつくのが、
これまた渋い古い、懐かしい洋食の銀座「煉瓦亭」。
あそこのサラダはいまだに「レタースサラダ」「キウリサラダ」だからね。
「元祖オムライス」なんか垂涎のデキではないでしょうか。
時を経て練りに練られた、不思議な自信と風格の漂う元祖洋食屋。

ああ言えば曹操。東京はたかだか飯屋でも百年の歴史を擁する老舗が多いね。
代々、きちんと一子相伝で繋がっている名店もどっさりと積もっている。
居酒屋ですら、そうだ。
入谷の「鍵屋」をはじめ、深川の「浅七」、湯島の「シンスケ」、神田の「みますや」……
夏の手前の、湿った季節の無聊をなぐさめに、ひとり軽い足取りで
古い縄のれんをはらりとたぐり、口数少ない亭主と差し向かいで飲むのもいい。
エアコンなんか入ってなくて、表のたたきが開け放たれていたら、尚、いいんだが……。
227ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 15:31:39
>>186
「モガ・モボ」
この言葉をちゃんと知ったのはいつだろう。
多分、高校受験を控えた中学時代の仕舞いの頃。
大学受験生の使う通信教材でそれを見たのだ。モガとモボ。写真なんかもあって。

いい言葉だねえ、モガ・モボ。アフリカの白魔術の呪文のようだ。

モガ・モボともなれば、帽子や手袋まできちっと一式調ってくる。
当スレをひらいた時点で推奨していた佐野洋子の『シズコさん』にも
モガ・モボの時代について、「七○年代の洋服〜恥ずかしい」
「しかしあのモガやモボの写真は、何か洋服というものに対して立派である」
という文章を冒頭近くに見る(P13)

うちの近所に、綺麗な飾り窓さながらのショーウィンドウ越しに
女性の帽子を展示している店がある。きっと伝統のある名店なのだろう。
とても素敵な、きりりと上を向いて建っている品格ある帽子屋だ。
もう少し歩くと、手袋の専門店もある。

ああ言えば曹操。数年前、第二次世界大戦前夜のパリ陥落を描きつつ
往年のファッション、そのハウス感、微に入り緻密な美意識をはりめぐらせた
最高に贅沢なフランス映画『ボン・ヴォヤージュ』を観て、
劣等感と憧憬がワクワク交錯して已まなかった。

今年は、『シェルブールの雨傘』、『ロシェフォールの恋人たち』を劇場で観た。
貧のなかにも瀟洒な美意識はつねによくはたらき、
貧のなかに選び抜いたものこそ長く愛でるから、佳いものしか周りには無い。
ひとつひとつ目こぼしせぬよう、くらしを選んでいくのがよい、とあらためて思った。

ユニクロやイオン文化に丸め込まれる21世紀初頭の安カワなセンス。
すでに後世に残したくないものがはっきりわかっていることに、忸怩。
228ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 15:51:17
>>188
駅ビルという響きは好きなんだけど、新宿のルミネエスはもとより
赤坂サカスや、有楽町イトシア、青山のAoなんて
もはや「駅ビル」の語感、その風合いをいくらも漂わせてはいないよね。

デパートの屋上遊園地もきっとさっぱり寂れたのだろう。
寂れるほどにあやしく光りだしそうで蠱惑的なんだが
こちらはとんとご無沙汰だ。

ああ言えば曹操。滅びの美学。
最近はもっぱら、銀座の路地をちらほらめぐりながら
まだあった「ルパン」で一杯、などと
煉瓦の匂いだけをたよりにさまよっております。
229ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 15:52:00
>>228
×ルミネエス → ○ルミネエスト
230ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 16:37:04
>>190>>194>>201

もうね。
この方がつらつら書き起こしはじめた南満州鉄道の旅。
昭和12年の夏の家族旅行? 大連の夜??
ああ、すごいレスがあったのものだ。この人は誰?
「ええじゃないか しらんがな」に囲まれて話が埋没してしまうけど
私はぜひ、この続きが知りたい。

どんなに思い出そうとしても、
明治や江戸末期の情景にはなんとかリーチかけられても、
大陸のゴージャスな一等国的バカンスなんか想像の最果ての涯て。
蒼穹の彼方。

ロシア語で言うなら、「ダルニー」(遠いところ)

五族が共和できたかどうかは知らないが
五族が入り乱れてカルチャーしていたのは間違いない。
彼の地は誰にとってもダルニー。
ダルニー  と唱えると「大連」と響く種明かしは切なげだ。

満鉄に乗りたしと思へど満鉄はあまりにも遠し。
>>194 は魔法のコトバ。
ただ繰り返し駅の名をたどるだけ、その音をなぞるだけ。
つぶやくだけで、蒼穹の彼方へ重力の虹が浮かれてしまう。

一度のレスでは到底、話を返せません。
何もかもおもしろすぎる。興味深すぎる。あなたはいつの時代のお方?

日露戦役〜日華事変までのひととき。
日本は一世一代の経営者たらんとして複雑怪奇な時代を興しましたね。
甘粕さんとて、恐らく邪推の隙を与えない怜悧な頭脳と
くたびれるところ一切ない完璧な身繕いで時代を透徹した美丈夫な天才。
あの頃の日本人はどうして凛々しくすっくりと生き抜いておったのでしょう?
遙かな大望、野心の朝焼けに背筋を裏打ちされてのことですか?

妬みだすときりがないや。
満州の話はまた繰り返しいたしましょう。
ああ言えば曹操。真っ赤な月を見たという人もいましたね。
牡丹江? はいはい、そんな感じ。なかにし礼もそうでしたっけ?
231ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 16:43:08
>>203
大連埠頭に降り立ったとき、アカシアの町に建つ
ヤマトホテルの相貌はどのように見映えたのでしょう。

大陸は祖先たちが還りたかった場所。
過ちでも一度、そこにくっきりと爪痕を残し
遙か昔の故郷の匂いを傷口にすりつけておきたかったのでしょう。
232ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 16:58:43
>>206
解禁されているはずなのですが
軍事・地政の話をすれば反戦平和教育に悖る、
戦前・戦中も楽しかったと稚気を放てば
英霊たちにも困窮の祖父母からも睨まれる。

歴史は遅れて来たどんな誰も一度ばかりは
時の高見より睥睨してうなってみてもそれでよいもの。

倫理や講釈は、高見を降りたところから
自ずと突き上げて来ようもの。
233ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 17:01:00
>>207
いえしかし。このスレの掟、
=ググらない・検証しない・個体の記憶のままでよし

勉強などなってたまるか。
234ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 17:06:39
>>209
確かに。
いったいいつから、こうまでも
何をするにもお金がかかるようになったのだ?

そして、何をしていても
カネのある無しが見透かされるようになったのだ?

それが昭和初期さながらですと言われれば仕方ない。
昭和元禄、1960年代の戦後民主主義の疑似平等クラスで
なかよく机を並べて弁当箱見せ合った友があったもの。
貧乏は正しい、お金持ちは悪漢だ
止めてくれるなおっかさん、背中の杓子定規が邪魔でしょうがない。

財布の紐が否応なく弛みはじめて何年経つかな?
ひとり一個携帯持った頃からか。日々のランニングコストが青天井。

背中のモンモンだってどんどん入れ替わる。
こないだ彫った認識記号は、1Q84
235名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 17:12:12
シズコさん。

読む準備こそできていましたが、仕事に追われページを捲ることが出来ず悶々とw
ようやく手が空いたので、誰にも邪魔をされぬように環境を整え、いざ。

70歳を超えた方が書かれた本。
私達の年代からすると、
それは自分達の「母と祖母」の時代。
作者とその母の

=会話の無い心の会話=

を痛いほど描写していて
読んだ感想をひとまとめにできないほど奥深い本でした。

そういえば同じページに銀ブラ、資生堂パーラーなんていう語句もあったね>>227

日が暮れてきて、部屋の灯りにスイッチを入れる以外は
身動きもせず、ひたすら文字を追っていました。
後半、ある箇所を読んでいると堪らず溢れるものがあって
傍らにあったティッシュで顔を覆っていると、そこに
ピンポ〜ン「宅急便ですが〜」と、威勢の良い声。

・・・・・・。

送り状にサインをするも、配送の人に向けて顔も上げられず。
何かに浸っていた瞬間はいとも簡単にクール宅急便に邪魔をされ
心地良い静かなモチベーションは一気に萎えてしまったw

数時間後に、改めて再読しました。

昔とは、本当に切ないものです。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 17:13:40
いちきゅーはちよん

賛否両論の本ですなw
237ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 17:14:53
>>213
ロマンスカーが不倫御用達だったとは是新発見!
今じゃ京浜間は、JR東日本(新宿湘南ライナー)に握られてるから。
浦和から大磯まで乗り換えなしです、ってどんな不倫列車?

>強盗慶太。ピストル堤

箱根戦争、伊豆戦争。至っては渋谷決戦。
猪瀬直樹の『土地の神話』を読んでいた頃
それでも堤康次郎に男の野太い軸心を見た。

悪党が悪党らしく大きな顔をしているほうが
子供は眼をひらいて育つのではないでしょうかしら?
238ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/28(日) 17:33:28
>>214
最古の記憶抽出法。

なるほど、私も漫画は思い出しツール。
私の場合、手塚治虫と楳図かずお。
とくに後者は、「猫目」が連載されてたとき三島がハラキリとか
「おろち」の後半はおろちが藤圭子で新宿の女「馬鹿だね〜♪」とかw
ありますあります。

ああ言えば曹操。永井豪もその一人。
「あばしり一家」の吉三はオレのことだと思いこみw


長谷川町子は歯医者に置いてあった記憶が……
その頃はずいぶん老けた顔のサザエ一家でした。

ずっと近年になり、朝日新聞の日曜版で
サザエさんが貴重な史料だと認識したもの。

昔から自然にサザエさんで示準化石確認していたなら
強いはずです。出来事よりは時代のとらえ方がふくまれている。

テレビはクレイジーキャッツが好きでね。
どうしてドリフに変わっちゃったんだろう、ガキくせえ、なんて。

中山千夏が歌謡曲を歌っていた頃が一番日当たりのいい
何をしていてもこれからは世界がどんどん
幸福にキラキラ膨らんでいくように思われていました。


 ---------


やっとここまでレスしたので
最古の記憶ネタについてはまたレス場をかさねて
少しずつ漏らしてまいりましょう。

そして自発ネタの「もうひとつの半球」の話もね笑


じとじともの憂くしたたる雨。これがなかったら、
こんなにまとめてレスできなかった六月最後の日曜の午后。呵々。

239名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 17:39:13
ひっそりこっそりレスっているお楽しみのところに
書き込みを入れてしまった無粋、どうかお許しを。

「もうひとつの半球」
不思議と脳の片隅でデジャブってるその言葉。
どんな話が出てくるのか楽しみです。
それではまた。
240ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/29(月) 00:07:00
>>235
鞄一杯荷物を詰めて
思い切ってドアを開け
あとは駆け出しました。



なんということ
鍵をドアノブに挿し込んだままじゃないか
挿さっていた
もどってみるとここに
ささっていた。いや刺さっていた。


どうして気がつかなかったんだろう。
挿しっぱなしじゃないか。
241ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/29(月) 00:13:07
>>235
簡単にひらいてしまった扉の内側に残された
書き置きのよう。

海のようなテーブルの上の
こっそり深くたたみこまれた値打ち。

引き返して鍵を引き抜き
たたみ込まれたメッセージをみつけた。


知ってますわよん
(思わせぶりな)

などとさすがに今度は言えない言えない、迂闊
迂闊な挿しっぱなしのおれの鍵。

「言葉は月を示す指。
月のありかがわかれば要らぬ指など切ってしまえばいい」

などて箴言もありますが、おおおお、月が上がっていたのか
なんという役立たずの指、まだ切り落とせず。


はて…  夜が更けても朝になっても読書会でもしていたい発見。
242ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/29(月) 00:26:06
>>235

読み始めると、目が文字に食い込んでいくよね
話し言葉のような卑近な言葉が
矢のように突き刺さってくるね、容赦なく。

そのうえ、なんと優秀な人たちばかり。

いきなり突きますが(よろしければご開示を)

>後半、ある箇所を読んでいると堪らず溢れるものがあって

どの箇所で?


私も何カ所か、衝撃を受けて目から水分だって飛び散ってました。

章のお終いになると出てくる、《今の》母さんの現状。
その時空を漂う詩篇のようなとりとめもなく神々しいやりとり。

人の言葉があれほど自由に、とらわれからすべて解かれて
娘の声になって長い人生の過不足を無きが如きに語るとは
昇華されていくのだね、母さんの精神は肉体の歴史からとうに離脱して・・・・
243ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/29(月) 00:30:22
>>236
これはひところ、品薄で話題になっていたようだけど
おれは六本木のABCで、偶然、出版された日に買ってしまった。

見るからに力を秘めた装幀・体裁で
あとすこし、時間がままなるとき
一気呵成に読み切ろうと満を持しているところ。

他人の賛否にはまったく興味無し。
この作家を軸に、大学講師の頃、特別講義をしたこともある。
おれはおれの目で読む長い助走がすでに備わっているから。
244ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/06/29(月) 00:33:18
>>239
鍵の挿し忘れのまま、街へ飛び出していただけ。
見落としててまったく申し訳ありません。

誰も来てないとなぜか心底思い込んでいたので…

無粋でもなければ、こちとら「こっそり」でもありゃーせん。


「もうひとつの半球」は
長い話になりそうなので
太陽を一度見てから、書きに来ましょう。

失礼ばかりで、まことに申し訳ない本日狭量の私でした。。。
245名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 00:46:02
めちゃめちゃウザイスレだな
246名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 05:22:45
ハワイアンショー
247バイキチ:2009/06/29(月) 17:43:15
>>176の話は、父から散々聞かされていた(注1)のですが、
叔父へのインタビューはこの一回きりでした。

私が在日朝鮮人の存在を知ったのは中学生の頃でした。
学校では「日本軍に強制連行されて虐げられた戦争被害者」と聞かされました。
戦後、「帰りたくても帰れない」状況が生まれ、
「やむにやまれず日本に残された」気の毒な人たち、
当時の大方の論調と同じく、そのような解釈でした。

しかし世の中には、在日の話はタブーで、
「朝鮮人」と発言することすらはばかられる不穏な空気がありました。
誰も在日についてのネガティブな歴史を話してくれる人もいませんでした。

大学に入ってから、戦後のヤクザ史や、風俗史、闇市の歴史などを読み漁っていた時期があったのですが、
特に、安藤昇の著作の中には、この認識に疑問符を持たされるような記述も多くあり、
また、そこには、誰もが発言しなかった在日のタブーに関する疑問にもはっきりした解答が示されていました。

「戦後成り上がった彼らは本当に被害者なのか?」

「敗戦を経験した若き世代は米兵や第三国人に対してどのような感情を抱いていたのか?」

「何故彼ら帰還兵は、決起し、クーデターを起こさなかったのか?」

事の真相を知りたくなった私は、叔父と会う機会に直接蔵破りの話を聞いてみたのです。
同時に、父とも祖父とも違う安藤昇と同世代の叔父の視点から、生の在日を語って欲しかったんです。

過去にも、朝鮮人の行商のインチキを見破り、日本刀を持ち出して大立ち回りをした事のある叔父です。
さぞかし安藤組以上の面白い話が聞けると期待して臨んだのですが、私の思惑から大きく外れた回答が>>177これ。
まさにばっさり切り捨てられました。

身近に朝鮮人を感じない環境で育った私ですが、こうして検証していく中で、脳裏に浮かぶは、前述の少年ター。
九州の炭鉱で働く朝鮮人が多かったと聞くにつれ、
もしかしてターの聞き取りづらい言葉は単なる方言にとどまらなかったのではないか?
すぐ、そんな余計な憶測にまで私の空想は波及してしまいます。

(注1)この同じ話を何度も聞かされるのは、父方の祖母から受け継がれた我が家の系譜です。
    これも幼い頃の記憶を確固たるものに仕上げてくれた一因でしょう。
248バイキチ:2009/06/29(月) 18:20:59
平塚八兵衛のドラマ 

見逃しました。
最近は全くテレビに期待していないので、ラテ欄すらチェックしてません。
昭和の名刑事 平塚八兵衛と言えば、吉展ちゃん誘拐事件を描いた 本田靖春の「誘拐」
あれに登場する平塚はかっこよかった。
のらりくらりと供述を変える容疑者小原保を自供へ追い込む鬼気迫るやり取り、
冷静に、時に強行に、理詰めでアリバイを崩していく過程は読んでいて実に痛快です。

しかし、のちにこの時の取り調べの録音テープが公開されました。
平塚の生の声を聞いた私は愕然としました。

ドラマティックな本の記述とは全く違うセリフ・・・

想像の域を超えた甲高い声・・・・

お世辞にも迫力とは程遠い滑舌の悪さ・・・・・

私が描いていた平塚八兵衛像が音を立てて崩れていきました。

待てよ、てこたぁ・・・同じく本田靖春が伝説の喧嘩師花形敬を描いた「疵」も嘘っぱちかよ・・・

事実検証は、しばしば夢をぶち壊してくれます。

249名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 01:20:35
レス番が赤く染まっています、恥ずかしいですねw

>>242
人様の泣き所を突くなんて
年齢を訊ねるられるのと同じぐらい答えづらいのですが、さてどうしたものか。
まだ観てない映画のストーリーを小出しにするのも
もしかしたら此処ではきっとルール違反だし。

最初のそれは、まだ序盤でいきなりきました。
トマトの場面ね。ぐっとね。

14章から最終章までの間
作者の「自責の念」が徐々に解けていく件(クダリ)はもうね・・
207ページあたりでは顔がドロドロでした。

作者自身もやや呆けが入っていると自覚しているように
同じフレーズが何度となく出てきて、読みながら「あれ?」
と、思い、ページを逆戻りしているような錯覚をおこす箇所もあったけど
締めくくりの二行は、流石だなと思いました。
曹操さんのようにうまく表現できないけどね
こんなところで勘弁してくださいまし。

>>244
梅雨の晴れ間をぬっての書き込み、待っていますよ。
と、僅かなプレッシャーのお返しをw
250名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 01:23:24
バイキチさん
いつも楽しみに読ませていただいてます。
これからも、昔の話でありながら新鮮に映る場面や話を書いてくださいね。
251バイキチ:2009/06/30(火) 11:10:31
>>250
ありがとうございます。
私の暴走を暖かく受け止めていただき、感謝しています。
私は、安心して独りよがりに徹しますので、みなさんも流れを気にせず、どんどん重ねて行ってください。
私自身も色んな人の話を聞きたいので、よろしくお願いします。

なんと言ってもここの魅力は、ああ言えば曹操さんにもらえる論評とその表現力の素晴らしさです。
>>234こんなのをサラリと書いてしまえる方に感想をもらえるなんて、そうそうあるもんじゃございません。
学校の先生に日記を褒められたあの頃の心地よさがよみがえります。
「偽善に漂白される」「昭和のオスのにおい」
お気に入りのフレーズだって、宝探しのように埋まっています。

「昭和のオスのにおい」に関して、
これも突き詰めると色んな思いが浮かんできます。
僕が子供の頃は昭和や大正生まれよりも明治生まれの人のほうが矍鑠としていた感があります。
親父が見ていた時事放談でも藤原弘達より細川隆元のほうがはるかに貫禄があった。
田中角栄よりも、吉田茂。
(あれって、ただ着物を着てたからかなぁ?)
でも今になれば、そんな昭和の男たちが逞しく思えてならない。
僕たちは彼らに比べていろんな面で軟弱ではないか?
大人になりきれていないじゃないか?

そんなことを思いつつ、今日は昭和のオスのにおいがしていた人の紹介です。

252バイキチ:2009/06/30(火) 11:27:40
−中学にいた怖い先生−

昔は各学校にひとり、場合によっては数名、不良も恐れる怖い先生が君臨していた。
ご多分に漏れず、我が中学にも、スパルタ教育で知られる怖い体育教師がいた。
殴ったり、叩いたりされた記憶は無い。
むしろ、そんな次元に達するまでもなく、その先生の前では皆が直立不動で従順であった。
朝礼の時にだらけていたら、すかさずカミナリが落ちる。
連帯責任で全員が校庭を走らされる。
あの先生には、絶対に逆らえないオーラがあった。
そして、あの先生からは、確かにオスとしての残り香が漂っていた。

一度、卒業生を中心とした暴走族が学校周囲を取り囲んだことがあった。
僕らは、怖いけど興味津々、教室にカーテンを敷いてその隙間からみんなで外の様子を伺った。
暴走族は空ぶかしをして爆音を轟かせ、こちらを威嚇している。
そっと覗くとリーゼントと目が合ったような気がして、慌てて顔を隠す。
しばらくして、またそーっと覗いてみると、二人の教師が竹刀を手に正門へ走っていく姿が見えた。
先陣を切るは体育教師、それに続くもう一人も当時怖いと恐れられていた社会科の教師。
正門にたどり着くすんでの所から体育教師の怒声が響く。
「テメェーらなにやってんだコノヤロウ!」
一番先頭にいたバイクがその声と迫り来る教師の気迫に動揺し、きびすを返した。
すると、他のバイクもそれに追随し、いっせいに動き出す。
体育教師は一切遠慮することなく、逃げ遅れた後部シートのアロハシャツの背中に竹刀で一撃を加える。
もんどりうつアロハシャツ、急発進と相まってバイクから振り落とされそうになる。
威嚇をしながらも逃げ腰の暴走族に社会科教師も真っ向から立ち向かう。
「すげーー」
鳥肌が立った。
僕たちは体を張って学校を守る教師たちの勇姿を尊敬と憧憬の目で見つめていた。
暴走族はその後、学校周囲を周回する行動に出る。
正門前に来るたびに教師たちの竹刀がうなりをあげる。
そのうち、一台去り、また一台、暴走族は去って行く。
遠ざかる爆音。
その様子を見届けた二人の教師は、何事もなかったように職員室へ戻って行った。

全てが終わったその時、上の階の教室から拍手と喝采が聞こえてきた。
やがてその拍手は校舎全体に波及した。
253ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/03(金) 23:43:37
週末にしか這出せなくなる悪習。秘所へ通うがごとし。

古きことを追慕するスレの分厚い扉を開く。ギギっと扉が鳴る。
ああ言えば曹操。今日ふと観たテレビ・NHK-BS2
「週刊・手塚治虫」で、『W3』を取り上げてた。
ゲストは日比野克彦。いいね日比野さんの淡泊で細やかな話し方。

よく冷めた日比野克彦となかなか鮫肌な会話がハモりだったのが
進行役の杏。

W3の主題歌をすらすら鼻歌した日比野克彦も圧巻だったけど
冷え冷え懐疑的、独特の緊張を保つ杏の気配も際立っててよかった。

W3は過去と未来がすっぽりと入れ替わるようなお話だったんだね。
よく考えるとせつない。
60年代少年・少女はこんなクォリティの良心的な物語に囲まれて、
それらが示す「未来」へあゆんで来たわけだが、どうなのだろう、ご同輩。


て。
先週は平塚八兵衛でおとっつぁんに昭和のオスの臭いを嗅がせてもらって
今日はその実娘の杏から、「金沢21世紀美術館」の話を聞いた。

それもいいね。そんなパースペクティブ。


手塚のW3はこのスレで言及するまでもないので
拾いものの金沢21世紀美術館のことを貼っておこう。

おおいに↓行ってみたいぞ☆

ttp://www.kanazawa21.jp/exhibit/hibino/index.html
254ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/03(金) 23:56:20
>>245に対して>>246? 

なんだか可笑しい、これもパースペクティブ?

今、デリコのフリーワールド聴いてます。懐かしい。これも追慕。
デリコや林檎は過去の改竄みたいな存在だな。
255ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/04(土) 00:25:56
>>247
>>247
バイキチさん。こんばんは。
毎度です。場面がつたわる書き込み、愉しんでます。

>「朝鮮人」と発言することすらはばかられる不穏な空気がありました。
>誰も在日についてのネガティブな歴史を話してくれる人もいませんでした。

雰囲気はよくわかります。あの頃はそうでしたね。

とはいえ、まだ眼も耳も脳も清新で鋭敏な子供の五感はじつに
不思議な感受性で、日常に潜む、その隠された箇所を感じ取ろうと
していたように思います。

もちろん、地縁・血縁のなかからふいに湧き出す
口承の異文化譚には、惑わされるところもあり
嘘のような話も幾つも積み込まれていたのですが……


90年代になって梁石日の小説を読むようになって
それが文句なしにおもしろいこと(それこそ昭和のオス的にも)
読めば読むほど在日の歴史が生活の臭いまでともなって
つたわってくることに、妙な快感をおぼえました。

ずっと秘められていた箇所を
乱暴な手つきで、しかし、当事者の迫真と諦観をともなって
ゴリゴリ率直に語られる感じ。

90年代の終わりに野村進の『コリアン 世界の旅』を読んで、
世界規模でのコリアンなる漂う人々の話を知るところとなり
サイレント・メッセージと呼ばれるネットワーク性についてなど
ユダヤ人やジプシー(ロマ)に比肩する存在として
認識を新たにすることになります。

(ちょっと話がスレ違いになりそうなので、いったん離れます)
256ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/04(土) 00:41:51
>>247>>248


ここも同じです。

>大学に入ってから、戦後のヤクザ史や、風俗史、闇市の歴史などを読み漁っていた時期があった

ビデオが普及して、昔のやくざ映画が観られるようになり
安藤組や安藤昇その人にも、ついハマっていきました。

五木寛之が使う「愚連隊」という言葉は「デラシネ」と言っているくらい
洗練されすぎているのですが
安藤昇を語るときに登場する「愚連隊」は生臭く、
戦後の闇市の気配がしっかり宿ります。

渋谷の街も変わったものです。

本田靖晴の『疵』は、漫画『栄光なき天才たち』へとイメージを膨らませ
映画の陣内孝則でコケました。
実際の花形も、喧嘩の強さにおいてはbP幹部ではなかったらしいし。

花形敬だけでなく、阿部穣二から力道山、横井秀樹まで
安藤組には戦後のTOKYO JOE性が十分に備わっていますね。

ガキの頃に観ていたテレビドラマ『『特別機動捜査隊』の
青木義朗が一番似合ってたんだけど・・

モハメド・アリの話で使ったキーワードですが、
安藤組も、カルチャー・アイコンです。


まだ戦後史の謎がこれから解かれていきそうですね。
257ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/04(土) 00:57:27
>>249
なかなか梅雨の晴れ間がないので
ここへ這い出してくる機会もめっきりつくれなく……
(かたつむりに擬制化した曹操のようですが)

寝た子を起こすように、泣き所を問う無粋
申し訳ありませんでした。

でも、開示していただいて
あとからそれをなぞるように読み返してみました。
二度おいしい、みたいな体験になりました。


佐野洋子さんはカマトト文体というか、
ご自身がぼけているわけではないのだけれど
「自分の人生において今が一番ぼけている」
という程度を老獪に演出するために
わざとあのような、行きつ戻りつの文体をこしらえた、と
思っています。

たとえば柳美里は、ぼけとは違いますが
迫真の場面になってくると脳内が錯綜するように書く。
冷静なナレーションを用いてなお、狂っていく技術。

生理的に読ませるための工夫というか
文体こそが、人となりそのもの
書き物の力の証左であり、筋には非ず
といったことをまた、同時に思わせてくれます。

ああ言えば曹操。わざとぼけて奥行きを出す、となれば
小津映画のようでもあります。
執拗な反復は、一種のワザすね。
258ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/04(土) 01:00:07
こんな時間だ。

つづきはまたあした。

鬱陶しい雨の季節だけに
落語のように語れるスレになればいいんだけど。
259ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/05(日) 23:59:34
そしてつづき。

>>251
藤原弘達自体、懐かしいけどね。
あの頃は、どのおっちゃんがどう偉いのか
どうしてそういう格付けがあるのか
大人たちがつくりだす揚力のような格というものの気配を
鵜呑みにしつつ、でも自分の感覚でも
藤原弘達はなんか怖そうなおっちゃんかもしれん
闇のフィクサーとタイマン張ってるんかもしれん
などとか、思っていたりして
そのボス格だった細川隆元、昔くっさい爺さんだね
昭和のオスっていうより、明治の匂いすら醸してたね。

今じゃ昭和のオスを探すのもタイヘンであって
細川隆元みたいな主役級の現役大親分爺は
ほんとに見かけないね。

田中も、総理大臣になったばかりの頃には
子供心にも、艶々した威勢に大人の色気を感じたからね。
精力的なオスには、単純に子供は魅かれてたんだ・・・
総理晩年になって顔が歪んだ頃は
時代が変容していく気配を覚えてた・・

吉田茂は、その人個人の存在感を実感したことがずっとなくて
歴史上の人物に近い存在だったんだけど
たまたま今年、焼けるちょっと前に仕事で大磯の吉田邸へ行き
仔細にその様子を調べることができて
するとあっというまに、とても身近な、
そんな人がいたような気がしてしまったのは
時差のある当人オーラだったのかな?

吉田茂の話をすると長くなりそうなので今回はここらでskip
260ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 00:22:31
>>252
シーンを思い浮かべる書き込みとしては、このトピックは
同時代を生きていたからか本当にリアルに思い当たるもので
でもリアルに感じれば感じるほど

バイキチさんの中学のその先生たちスゴすぎー、と思ってしまいます。
最近の中学の状況を肌身に沁みては知らないので
怖い先生のありようがわからないんだけど
盛る野犬のような生徒をずっしり威嚇できる大人が
今の学校に普通に存在してるようには思えない。

腕くらべをしてくれる大人が周りにいなくなると
自分の身の丈を測る術がなくなって
蒟蒻ゼリーのようにプルルンとした人間関係のなかで
「切磋琢磨」の四文字も絵空事になってしまうのかな。

平塚八兵衛の実像が甲高い声で伝説を貶めるものがあったとしても
実際、あの頃の「怖い大人」は、対面すれば
対面しただけで凄みをちゃんと出していただんろうと思う。

バイキチさんが語ってくれる過去は、荒れすぎてもいない
ほんとうに良き時代の胸高まる少年少女時代が
この国にあったことを思い起こさせてくれます。
261ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 00:34:07
このあいだ
映画『スラムドッグ・ミリオネア』を観てて思った。

ああいうストリートキッズのような
貧しい子供の放牧状態はどこの国にもあり得る、
南アジアはもちろんのこと、アフリカだって
現在なお、あんなくらいに荒んでるだろう。

その国や社会がまだ満たされていない時期
未分化な領域を獣のように本能を逆立てて生き延びようとするヒトがいる。
地球がグローバライゼーションにってイッキに均質化されて
いこうとしている現代だから、それが浮き彫りになる。

もはやそのような「荒くれの一過程」は
法則のようにどの国にもでも似通った「過去」になろうとしていて、
「昔はああでした」とあちらの国こちらの社会において、
同じ過去のようにふりかえる。追慕しなけりゃ実在しなくなる。
そんな未来がやってくるかもしれないという絵空事が語られる。

(いや。実際はかつての南北問題のように、光と陰は必ずあって
 満たされない社会はずっと満たされないよう出現するはずな
という説はもっともなのかもしれないけど、仮の話として) ではさて
そんな電気羊の夢を見るアンドロイドのような未来に到り
「過程」が満ち、一定に成長し飽和し、荒くれは「過去」に閉ざされ
草食系男子の声色でエコなど唱えるグローバルスタンダードな
未来が当たり前になったとき・・・・・

ヒトはきれいに整備された環境ですやすや眠りながら
鬱など夢にも見ないで本能のチンコをしっかりと屹立させて
いられるだろうか?

いつの時代であろうと
魂の力でチンコくらいキンキンに勃起させていたいわけだが…。

それがこのスレの命題なのである。
262ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 00:38:32
>>261
考えながら書いていて、まとまらないうちに書き込みボタン押してしまいました。
もうどこをどう直していいかわからないくらいおかしな文章のまま
宙吊りになってしまった!!!

2ちゃんねるのさだめなので、無修正で公開中です(泣
263名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 01:04:17
頭のネジが緩んじゃったこちらには
どこが「おかしい」のかも わからない から大丈夫です。
殿方は、その3文字の揺れる物体に自分の魂を注ぐことができて良いですねw

そこで考えます。
「そろそろ半世紀女」の場合  
それに値する代替品はナニになるんだろう。。
まさかデルタをキンキンなんて無茶ですからw
264ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 01:14:22
うそぉ
レスがあった。


というか
「見られた」 よーな心地。。






って、小学校4年のときのプールの着替えかよぉ!!
265名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 01:15:43
>>257
もう「目から鱗」状態です。

行間を深く読む。ということが、
読書の「二度おいしい」楽しみ方であるはずなのに。
最近はすっかり駄目です、そこらへんの神経が鈍くなっちゃってね。

章の最後に、数行書かれている「母の現実」の表現は唸っちゃいましたけど。(シズコさん)

わざと「呆けて」いるように見せかけている・・のですか?
まさか、そんなワザを仕掛けられていたとは。
深秋のころ、また読んでみようかな。

>>264
換気しなくて良いですか?
奥に沈むと息苦しいですよw
266名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 01:22:43
>>251
ご丁寧にありがとうございます。
バイキチさんとスレホスト氏のやりとりを見ていると(読んでいると)
とても良いテンポ、まるで阿吽の呼吸。

こちらは気の利いたレスも付けることができず、ただヘーコラしてますw
楽しいですよ。
267ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 01:32:21
迂闊なのだが
促されて換気してみようとして目欄に文字を打ったら
「喚起」

よほど勃っていたいらしい――


>>263
真夜中の命題投入ですね?
マジレスしてもよかですか?

デルタの下にあるものが発展してオス魂のオーラの塔になっていくわけです。
染色体的にも、「はじめに女性ありき」らしいのです。

胎児のときは、とりあえず皆、♀で
「女から派生して男がつくられる」らしいです。

女は「存在」だが、男は単なる(女の部分から生じた)「現象」
という多田富雄の説もあるくらい。

最近は、福岡伸一さんの言っていることを、曹操流に換言しますと
「♀のデルタの下のちっちゃなボタンが♂のオーラの塔に分化している」

だから、もってるものは同じだという話。
よーく見ると、まったく同じ造形だという説も。


それでも外に、↑をむいてそっくり返っていたほうが魂のオーラっぽいナリでしょうか?
シンボル性にこだわるのはオスの特性。これまたジェンダーの問題。他愛ない性差。

268名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 01:38:32
>>267
そういえば、ハルキストだったですか?
そして、大学講師をされているとか?
コワイですけど、そのような方とデルタの下のほにゃららの話とか。

随分前に、「母原病」という本を読んだとき、
うわぁ、これは大変。と思ったことがありましたよ、
なにがって?深くは追求しないでくださいw

お互いに年老いても大切なボタン。
掛け違わないように気をつけましょうw
269ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 01:41:49
>>265
わざと惚けた文体を書く、というのはアリです。

年齢もそこそこだと、それがわざとなのかどうかわからないところが
名人芸となっていくわけです。まさに落語だってそうなのです。

惚けでなくても、夫婦の崩壊、妻の発狂を受けとめて
自分も狂いそうになってくる実体験を作品にした
戦後小説の傑作、島尾敏雄の『死の棘』も文体はカマトトです。

最近では、保坂和志が、哲学者のような精緻な文体を
エッセイでは書くのに、小説では、とりとめもない駄文の文体を採用してます。

緻密で成熟している町田康が
小説では壊れまくった太宰治のような文体になるのも技術です。

具象画を描いていた画家が抽象画のセンスに転じていくにも似て。

とはいえ
そのような文体を必要とする作品を書きたいから、そうなるわけです。

はじめに「書きたいこと」ありき、なわけです。

そう思って小説を読むと、
そもそもどんな文体なのか、ってところで
その筆者の野心の大きさや、目指すところの高さ、
企みの深さがわかって、敬意すらおぼえてしまうわけです。

深秋までには、別の燃料を紹介させてください。

270ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 01:48:21
>>268
ハルキストではありませんが
全作品を読んで、それをもとに教えごとをしたことはあります。

でも、ここ数週間、とにかく忙しくて
『1Q84』は、まだ読了してません。

でも、これはひさびさに相当に読み応えある作品ですよ。
最初の、「青豆」という若い女がタクシー内でヤナーチェックを聴いたあと
タクシーを捨てて、首都高の隔壁の乗り越えるという
ごくごく最初の掴みの部分に、すべての野心、新しい文体に近い努力が
細部に見られます。あまりにも巧妙に伏線やキーワードが埋め込まれていて
感じながら丹念に読んでると、とてもスレに来る時間がなくなってきてしまいます。

春樹の最近のおもしろさは、時空のワープにあるんですが
このスレも、「過去を追慕」する意味として
未来の何かへ向けて懸命に手を差し伸べようとしているのです。

などて。
ただ>>1がそう言ってみただけなのですが笑
271名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 01:53:40
>>269
曹操さんの目は
もう文体から、その「人」の奥まで透かして見えちゃうようで、嫌ですね。
もう逃げたくなってきましたw

ふいに思い出しました。
たしか「アサッテの人」も意味深でとんでもない本でしたね。
燃料は次々と。
どこまでお付き合いできるかが、先に問われるんじゃないかと。
272ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 01:54:38
真夜中の雑談状態になっているので
私も確信犯的に惚け文体、を隠れ蓑に・・・


>お互いに年老いても大切なボタン。
>掛け違わないように気をつけましょうw

なんか、すごいことゆっちゃってません?
偶発的に書いてるとしたら
怖いようなヒットだな。。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 02:01:42
>>270
いちきゅーはちよん、書店では見かけました。
手に取る行動へ出ないのは、
時間をかけて読むことが億劫なのか仕事多忙のせいかは問わないとしてw
話題が逸れましたが、
過去への追慕
昭和のオトコもオンナも「粋」だったよね。

生涯、理想の男性=我が父であります。
これは譲れない。

>>272
いえ、ただただ普通に。
とんでもな出来事は小さなミスから始まるんすからね。
どうぞおだいじにw
274ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 02:02:22
>>271
じゃもっと
2ちゃんに換言してみましょう。

マトモな書き方が痛くて2ちゃん語をまぜる、
やがて2ちゃん語が文体化してくる

 ……→すると、それ自体が読んでてマンネリ化して感じられる。
2ちゃん文体がスタンダードになってしまう。

と、そこに。
確信犯的に、至極真っ当な文体があらわれる。
まぁ鳥の巣をつつくような騒ぎに巻き込まれるかもしれませんが
しかし見る人が見れば、それが単なる2ちゃん語文体下の
同じ穴の狢の同類性とは異なるものだと気がつく。

前、ひとりで寿司屋のカウンターで握ってもらっていたら
となりに年輩の女性がひとりで座ったので
いつしか。ふたり、がんがん呑んで話しはじめていた。

彼女が言うには、「本当のことなんか、絶対、そのまま言っちゃだめですよ。
いかに知恵を絞って、頭をつかって、言わなきゃならないことの
表現を考えるかが、大人の分かれ道なの」

文体によって、「語られたいこと」が
報われなくなってしまうこともある、ということです。

文体とは
その人の書き癖ではありません。

そのときそのときの、その目的に叶う戦略のような大仕掛けのもの。
発明するものです。
275ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 02:04:45
>>273
これもマジレスです。。

いかなる父上であらせたのでしょう?
よろしかったら、ここでいいエピソードなどまじえて
ご紹介ください。


贅言:ボタンのこと
♂のオーラの塔は♀のボタン、って話だったもんでつい・・・
276名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 02:07:44
>>274
話し言葉をそのまま文にして表すと
もうフォローしようがない程だと思われます(自分)
この場では、相手が相手だけにカチカチですわw

ごく身近に、とても頭のキレる賢い方が居るんだけど
なぜか、会話のたびに「なので」を連発するんですね。
この
「なので」
なんですかコレw

一瞬にして、重い話も軽くなっちゃうんですから。
277名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 02:11:50
>>275
もちろん、ボタンがなにを意味するかはわかっての上のレスです<掛け違い
まぁ、ツッコミは無しでw

父の話ですか。
ごっついですよ、すべてが。
一代で会社を立ち上げる兵でした。
書けば長くなるし、またいづれ。
278ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 02:14:34
>>277
はい。
ではお父上の話、宿題です。
どーかぜひ、連載してください。
細切れでいいですから。

実話シリーズはこのスレのキラーコンテンツです笑
279ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 02:15:37
>>270
小さい訂正をば

×首都高の隔壁の乗り越えるという → ○首都高の隔壁の鉄索を乗り越えるという
280ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 02:17:20
>>279
Σ( ̄□ ̄;) 

×鉄索→○鉄柵


>>256では 阿部穣二なんて変換されてるしなぁ ・・ →譲二

281名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 02:22:56
>>278
実話シリーズ・・
週間実話じゃないけど、脚色しなくとも「男」であるのは昭和のオトコだよね。
なんたって、頑固さがいい。強固というほうが合ってるかな。
そんな男が父で良かったと思っています。

このスレッドが立ってから
昔を思い出したいという気持ちがどこかにあって
某日、アルバムを引っ張り出して
その懐かしい「頑固オヤジ」の笑顔の写真をしばらく見ていました。

連載は約束できかねますw
エディタに長いこと書いておきながら、つい「×」ボタンをクリックしてしまうような馬鹿者ですから。
282ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 02:23:54
ああ言えば曹操。明日(今日なんですが)は事務所の引っ越しなので
ちょっと瞼重き今のこのタイミングで寝ておかないと、あしたクーリーになれませぬ。

宿題の出るスレじゃ人も来なくなりそうな暗雲もありますが
なんだか支離滅裂文になった>>261のことをあらためて書きます。

そして、前々から告げている、「生きてこなかった半球」の話も
折を見てまた書きます。

繁忙期につき、間欠的ににしかスレに登場できませんが
末永くよろしくです。

283名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 02:24:52
>>280
駄目出しで、それは「安部」じゃなかったかな。なんてw
284ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 02:27:31
>>281
もしも、「書いたけれど、自分の心が×」をつけるのなら無理強いはできませんが
「秀丸の×を押しちゃうんだよね〜」くらいのケアレスミスなら
不倒翁のごとく、何度でもトライしてみてください。


ほんとうに楽しみにしていますので。
あと

「あの頃」が消えていった理由とか
「あったはずのものがない!!」って驚きとか
純粋なる「追慕」とか・・・・

このスレが、蛇行しながらも、実話や聞き語りにもとづく
データベースになっていけば幸いです。
285ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/06(月) 02:28:41
>>283
あー


もうおいらは変換ミスの自己校正が不能になっているかも。
バイキチさん、何かと未熟者ですが、過ちは、看過してやってください。。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 02:30:57
頻繁においでなすっての軽いレスより
たまにのズドーンが良いと思います。
こちらも、同じような書き入れ時w
では、引越しまで短時間熟睡されてください。おやすみ。ありがとう。

>>285
言われてみないと気づかない箇所ばかりであります。
お疲れさまでした。
いつか、曹操さんの人生の過ちなんていうのも訊いてみたくなりました。
では。
287バイキチ:2009/07/07(火) 16:32:23
>>259
田中も、総理大臣になったばかりの頃には
子供心にも、艶々した威勢に大人の色気を感じたからね。
精力的なオスには、単純に子供は魅かれてたんだ・・・

子供ながらにその洞察力は鋭いですね
父から聞いた「人の心をつかんで放さない田中角栄の逸話」がありますので、またお話します。

>>260
腕くらべをしてくれる大人が周りにいなくなると
自分の身の丈を測る術がなくなって

大人が本気になって子供相手に相撲を取ったり、腕相撲をしたり、全速力で競争したり
大人が大人としての力を誇示する場面をあまり見なくなりました。
これは「見なくなりました」なんて第三者的立場の放言で済まされることではなく
私達世代が自己反省に迫られるべき実状なのかもしれません。


>>263
「そろそろ半世紀女」の場合  
それに値する代替品はナニになるんだろう。

そろそろ半世紀男も、テストステロンの枯渇により、分化以前の女性に戻されつつあるようです。
最近は、女性の裸を見ても冷静でいられる自分が悲しい。

「裸なんてみんな同じなのに、何でそんなに色んな人の裸が見たいの?」
あの時に、あの娘が言った言葉も、今なら理解できそう
嗚呼・・昔に戻って、頭の中が真っ白になるような性的興奮をもう一度味わいたい・・・・

しかし皮肉なもので、オスとしてのギラギラ感が褪せるにつれ、
周囲に女性が寄ってきてくれたりする矛盾 ありませんか?諸兄
「遅い!20年前に来やがれ!」って話です。
288バイキチ:2009/07/07(火) 16:59:23
>>273
昭和のオトコもオンナも「粋」だったよね。

「粋な男」は、この歳になってちょっとした目標
しかし、あらためて粋ってなんなの?と問われると回答に困ります。
粋とは野暮の反意語だと思ってましたが、実はもっと奥が深いようで・・・
単なる「洗練」にとどまらず、そこに色気や遊び上手が加わって初めて粋に到達するらしい。
しかも、粋とは、下品と野暮の間に綱渡りのように不安定な状態で存在するらしいのです。
一歩踏み外すと下品や野暮になるってことは、常に気を張ってなくちゃならないってことでしょうか?
心得がなければ野暮になり、気が緩めば下品になる、さらに、度が過ぎたら気障になる。

いや、実に難しい・・・な〜んて苦慮してるうちは、粋な男への道のりは程遠いということで



>>276
会話のたびに「なので」を連発するんですね

私もそうですが、流行語が耳障りに感じるお年頃なんですよ。
10代の子ならまだしも、今や女子アナまで「なので」連発
「なので、」ってなんだよ? なぜ「したがって」「ですから」と言えないんだ!
だけど、言ってる当人が、可愛い顔の女子アナだったりすると、怒る気も失せてきます。
なので許します。

>>278
昭和の豪傑一代記、私も是非聞きたい。

ちょっと確認ですが
>>183の父上と同一ですか??

>>286
いつか、曹操さんの人生の過ちなんていうのも訊いてみたくなりました。

賛同します。
289ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/08(水) 03:17:13
粋ねえ。。

厚化粧やごてごて脂ぎったもの、これもダメ。
素材をじょうずに見せる粋が肝腎なわけです。

とはいえ、誰が見ても洗練されてすっきりしたものは
これはまたどちらかというと野暮と近いところへ行ってしまう。
まぁ野暮には野暮の誇りもあり、それは今様なアイデンティティなわけで、
そういうものもネットには登場します。

だいたいものを生産するチカラは野暮なものですから
「粋がるな」というのは、まじめにやれ、って意味だったりする
わけですよね?

野暮〜粋〜気障(きざ)
このあたりを上手にうつろってみてはじめてネットがたのしめるわけです。

まぁ、野暮はちょっとした工夫で粋に転化することができますが
気障は永遠に気障のままです(気障には半可通も入りますが)。

粋は、自覚のあるなしです。
半可通は自覚のない者、
野暮はけっこう確信犯的な自覚アリだったりもケースも……(笑)

実生活のことで言うと補足説明が色々必要になるので
ネットの粋と限ってみても、何が粋で何が野暮かという仕分けには
意味はなくて、肝腎なのはそのときどきの環境(流れ)と「個」の状態、
その調和にあるわけです。
場合によって上記「流れ」を=空気と言い倣わしたりしますが、
江戸の粋のセンスから言えば、空気を読むとかじゃなく、
あくまで、その環境における、流れと個(おのれ)の状態。その対峙。

2ちゃん的に言えば、
野暮な名無しにも粋な固定にも多数の答えがいつも用意されていて、
あるときは粋であった固定が1日違うと野暮になったりすることは
あるわけです。粋は可変の規準です。
(まあ野暮な名無しは見えない領域に水没したままか、
無自覚に野暮を連投するわけですが・・・・)
290ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/07/08(水) 03:28:05


この際なので、面白半分に、元祖「江戸の粋」!!
になぞらえるなら、

着こなしが「目立って」しまえば
それはもう粋でもなんでもなく、「浮く」わけです。

「真(まこと)があって運の尽き」、とも言います。
(正しくは「傾城に真があって運の尽き」でしたっけ??)
はい、吉原の遊女たちの謂いですけど、
ここでは「真実」である「マコト」すら、不粋に扱いされちゃう
ベタは勘弁ね、って態度も自生しているってことです。
理屈抜き、問答無用に。。


なぜなら、粋な人間関係とは、
「接近と回遊の絶妙なバランス感覚」を養うこと、だから。
これは一般社会でも、結局そういうようなことなんですよね。

そこに、「醸す」という手段があわられてくると思われるのです
(くれぐれも、見栄やら厚化粧はいけませんよ)。

つまりは「虚をもって実を穿(うが)つ」ってことです。
(マコトなんぞを頼りに中央突破じゃ、粋にはならねぇ〜ってわけで)

2ちゃんを「ネット吉原」するなら、
スレへの晴れ晴れとした絶望感、小粋な頬かむり、
聖と俗、善と悪、晴れとケ、本音と建て前、実と虚・・・

それらみんなを抱え込み、指先のやじろべえのような
危ういバランスを愉しむように保持し、
それで「接近と回避」の繰り返しの永久運動により
つねに新鮮でありつづけようとする「遊び」上手こそが
スレをうまいこと流していく粋な妙味となるわけです。

というわけで、ついでなので、このスレでも
ネットの粋というものをときどき意識して
なんだか研鑽したりしてみようじゃありませんか。

というか、粋においては↑これが実社会の縮図ではないかと。.
291バイキチ:2009/07/08(水) 15:35:17
江戸時代、浴衣は寝巻きであり、文字通り風呂上りにそのまま着用するものでした。
おそらく女性の浴衣姿は、家人以外お目にかかるチャンスはなく、下着に近い位置づけだったのでしょう。
そんな中、唯一浴衣での外出を許されたのが、夏の風物詩花火の時
この時に、足袋も履かず、素足に下駄でうちわを扇ぐ女性の姿は、決して下品ではなく粋にうつったそうです。

これね、なんとなくわかるんですよ。
浴衣一枚の下は全裸なわけで、しゃがむ時に裾をあげて、膝下まで素足を露出する仕草には漂う色気があります。

がんじがらめの洋装とは違い、日本の浴衣は、
「もしかして脱がすことを視野に入れて作られてません?」
な〜んて思ってしまうほど、簡素ゆえの色気を感じる瞬間があります。

蚊帳の中で、くんずほぐれつしているうちに、いつの間にか肌蹴てしまい・・・・
こういう世界はパンティーとブラジャーしてたらダメなんですよ。
あのゴムとワイヤーで固められた拘束下着を流れの中で脱がしていくのは至難の業・・・
どなたか良い方法を教えてください。

しかし、当時の浴衣を現代に当てはめて考えると、いささか趣は違ってきます。

今の若い女の子の寝巻きってジャージですか?
夏ならTシャツに短パンですか?
素足にキティちゃんの健康サンダルですかぁ?
お尻のワレメが見えてるけどいいんですかぁ?

この中に粋を探すのもまた至難の業

今一度、日本文化に潜む、香るようなエロティシズムを見直しましょうや
とは言いつつ、深夜のコンビニで上記の女の子を見つけたら、やっぱりチラ見してしまう野暮な野郎でございます。
292名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 23:02:31
うっかり油断してると大変なことに。

>バイキチさん

まず、先にお断りしておかなくてはなりません。
当方の父は
残念ながら>>183さんのお父様のように
洒落た洋風のモボを漂わせるような昭和オトコではありませんでした。
例えるなら”ダディとオヤジ”ぐらいの開きがありそうです。

私は、人様の話には耳を欹てて「うんうん、それで?それで?」
と、聞く事は大好きなのですが、
いざ語れと云われると、もう書き出しで躓いて足首捻挫です。
そして、その題材が我が父ともなると、これは絶対に纏まりません。複雑骨折ですw

大きな存在の人を、ここで書くことによって「もやしオトコ」に変貌させてしまったら
あの世で再会したときに小突かれますから。

宿題は、スレの流れの中で「このタイミングならどさくさに紛れて」風に書けたら。
と、思っています。  (というわけです曹操さんw)
293名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 23:07:40
>>287
そろそろ半世紀男。
それはオトコモメンタムの年代だと思いますが、いかがですか。
何より証拠に女性が寄ってくる。とw 聞き捨てなりませんよ、ソコ。
不思議なフェロモンですよ兄さん。
これは若造には決して無い「引き寄せるナニカ」があるんだと思います。
半世紀近く生きてきたその塊は実に良い味の魅力があるんですねぇ。
女はどうかというと、これはもう遺伝子の問題ですかね、カクカク膝カックンですワ。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 23:19:31
>>288-290
「粋」ね。
それぞれ「アンタ粋だねぇ・・」
と思う目の付け所は違うと思いますが、
それは自然体で出せる行為そのものであって、衣装や持ち物とは違うんですよね。
もう身についちゃってるんですよね、そういう仕草やセンスって。至極当然に。

でも「粋」に答えが無いとしたら?
裏返せば誰でもこなせる可能性はあるということで。
ただ、時代の背景がバックアップしてくれないですよね、
粋な男は、赤坂サカスのビルの谷間では霞んでしまいそう。

曹操さんに至っては「2ちゃんの吉原」ときましたか。
ご両人は、マジックのネタがこれでもか!と隠されている引き出しをどんだけお持ちで(コワヒ
295名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 23:28:26
>>291
浴衣の話。
昨今、静かな流行は【温泉宿での浴衣選び】
これ、ご存知でしたか?
おおかた女性客限定かもしれませんが。

チェックインと同時に数十種類の中から好みの浴衣、帯を選べるなんて宿が増えたんですよ。
バイキチさんの書き込みを読んで、なぜか「枕絵」が浮かびました。
エロティズムのそれも洋風ではなく、やっぱり和風の方が艶っぽいですよね。

そろそろ半世紀ババがどんな浴衣着ようが、って話ですけど。

蚊帳といえば、幼少の頃を思い出します。
夏になると、高い天井からカーテンのように広げられる、なぜか小豆色の・・
密室ではないのに密室のような怪しい世界がとても好きでしたね。
296バイキチ:2009/07/16(木) 16:24:40
当スレッドの聖書であるシズコさん、買って来ました。
ただいま、資生堂パーラーのあたりを読んでいます。

伝説のスカーフェイス 花形敬の映像が上がっていたので紹介しますね。

安藤組が横井英樹を襲撃した際の、花形敬逮捕映像です。

http://www.youtube.com/watch?v=8-j_UMjoF6U&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=C_o4_6j4OKo&NR=1

戦後の暗黒史を語るに欠かせない、インテリヤクザ集団、安藤組
まるで映画のワンシーンのようです。

297バイキチ:2009/07/24(金) 09:34:02
久々に思い出話の一つでも・・・


−盗まれた鉄砲と母の教育姿勢−

祖父に買ってもらった鉄砲のおもちゃ
当時としては、かなり高価なものだったらしく、祖母が私の届かない棚の上にしまっておいた。
必要な時だけ、祖母に頼んで、棚の上の鉄砲を取ってもらっていた。

ある時、母が帰宅するなり開口一番「あんた、おじいちゃんにもらった鉄砲は?」と言う
私は平然と「棚の上にある」と答えた。
母は、自転車に乗った親子連れが、うちの前に落ちている鉄砲を拾って
去って行ったのを遠くから目撃したと言うのだ。
それを聞いて大慌てで祖母に棚の上の鉄砲を確認してもらった。
そこにあるのは空き箱だった・・・
「ほら、見なさい、ちゃんと管理しないから悪いんだ」
そのようなことを母は言ったと思う。
急いで外へ飛び出したがあとの祭り。

私は母を恨んだ。
「なぜ、その時にその親子を追いかけなかったんだ?」
「犯人を捜すよう警察に言ってくれ」
「別の鉄砲買ってくれ」
私の訴えは、すべて「あんたの管理が悪い」で一蹴された。

その後、近所の年上の子たちに頼んで鉄砲の行方と自転車に乗った親子連れを探し回った。
「誰々が鉄砲を持っているのを見た」
「たぶんあいつだ」
などの情報が集まった。
それらを母に言うと「むやみに人を疑うもんじゃない」と更に怒られた。
「大事な物を道端に置きっぱなしにしたあんたが悪い」
母の主張は一貫して揺らぐことがなかった。

母は常に冷静で、時に私は、母を冷酷だと感じることがあった。
何でも買い与えてくれる友達のお母さんと比較し、
ダメなものはダメと頑として受け付けないうちの母は
私に対する愛情が無いのではないかと思うことさえあった。
小学4年生の時、渋谷で本を買ってくれ、買わないで母と喧嘩をし、そのまま置いていかれた事もある。
年の瀬も押し迫った夜の渋谷を一人ぼっちで徘徊し、交番を探し求めて彷徨ったあの日。
のちに母は「男の子だし、いい勉強になる思って放って帰った」と振り返る。
この母の毅然とした姿勢は、自分が親になって初めて、なかなか出来るものではないと身にしみて理解することになる。

298名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/27(月) 16:27:55
ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg はどうした?
299名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/27(月) 22:52:05
他所で叩かれたからバックレ
300ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/08/01(土) 15:53:09
宮崎まで行って皆既日蝕にフラレ
帰途の長門では大雨に封じ込まれ
その足で向かったフジロックでは苦行のような大雨の中。。

フジロックを語らずして「もっと昔」へ降りて行けないので
しばし「ほんの昔話」@今年も苗場発

んー雨の24金曜日、いきなりですがIda Mariaガン見でJetチラ見、
あと知らない人たちと大盛り上がり
気がつくと飲み過ぎで清志郎トリビュート見逃し
ダイナソーJrボキュン!!ときて、フランツは迂闊にもチラ見で終了。

そうです通し。
最終日までいたさw

26日曜はHoly Fuckチラ見、Juana Molina(キモチよかった〜♪♪♪ )、
Jimmy eat worldに到り夕立ちでびしょびしょ、
尾崎豊の濡れそぼった猫かブルーハーツのびしょ濡れのネズミか・・

しかしここから這い上がりマキシモパークを3曲くらい見て、WEEZER!
君が代だぜイェ〜〜イ なんでそうなるカモーン!!!!!!! 泣かせるなって雨だぜ
もうだめWeezerはやっぱり神だった。イっても〜た(ばきゅん☆)

最後は年をぶっとばして?踊り狂ってしまったゼぇぇぇ★

Doves、花田さんのロックンロールジプシーズ、Paul Weller、Oasis
しっかり押さえてます、サイン会までっていいの?

やってくれるね・・・
は〜〜
やってくれるよ
よかったね(何が?汗)

スレ違いじゃないです、これもアーカイブスともなれば
立派な「もっと昔」


違くない? って違うか、違っているか、いるのいるか
イルカイナイカイナイカイルカ

っはい!はい、はいはい、はいっ!!!


はいはい、そのうえ京葉線にもしっかり絡め取られましたこないだ。
いーんだかわるいんだか、光速ジェッター並みの二週間
3年ぶりの夏休みでしたから・・・笑 

ハイになりましょう。
301ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/08/01(土) 16:00:54
>>300
しまった、日付ぐちゃぐちゃのまま書き込みエンターしてしまった。
24金が雨でDoves、花田さんのロックンロールジプシーズ・・・
25のIda Mariaに目力・・

サイン会の話を後に書こうと抜き書きしてたら全体がぶっこわれてた・・
302ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/08/01(土) 16:06:09
>>291
そのチラ見とガン見のあいだを彷徨う曹操なのです
日本文化的色香は、昔追慕の副流煙です(ちゃうかw
303ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/08/01(土) 16:14:05
つづきの曝凉はまた後ほど・・
304(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/08/07(金) 01:08:28
>>291
ポンポンポンポン・・・(←「深イイ〜〜〜」のボタンを押してるの

305(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/08/07(金) 01:09:29
あ、間違えました。

>>297の方でした・・・(「深イイ〜〜」
306ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/08/08(土) 02:43:26
8月2日から6日まで、各地の「民謡・縁日踊り・盆踊り」を取材。
とりわけ岐阜県・郡●八○の縁日おどりは圧巻・・
(あとで詳しくつたえます。人柱の話など・・・・)
ぐ上の踊りは、いずれも流麗で、お囃子の完成度もピカイチだけど
そのオリジンが、鎌倉末期の「念仏おどり(説話おどり)」に発生し
現在の慰霊のための縁日おどりや盆踊りへと伸展していた・・

で。毎度おなじみ
週末の飲みから、けっこうNo-アクシデント順接繋がりにて帰還・・

やっと>>295
のこと

体験してきたので
近いうちにレスりますね。

バイキチさんは横綱さんなので
またじっくりと吟味させていただいて・・・
307ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/08/08(土) 02:52:02
おっと

だいじな曝凉を忘れてたし・・・ って夜中に曝凉かよ!!でしたなw

トレードマーク扱いでよかよw
308(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/08/29(土) 00:14:30
+   +
    ∞
  @@@  +
  (0゚・ヮ・)   人柱・・・(ワクワクテカテカ
  (0゚∪ つ旦~  お茶、どぞ。+
  と__)__)   +

309バイキチ:2009/08/29(土) 15:57:41
>>305 (。・ヮ・)大根さん、ありがとう

久しぶりに書きます。

みなさんは、ってどのくらいの人が見てるのか知りませんが
人をぶん殴ったことってありますか?
昔の青春ドラマには「バッキャロー」なんつって、すぐ人を殴るシーンが出てきましたよね。
ああいう臭いのじゃなくても、刑事モノでも殴って成敗するシーンが多かった。
だからかどうか知りませんが、喧嘩で人を殴ることにそれほど罪悪感を感じませんでした。
むしろカッコイイと思っていました。
今日は初めて人を殴った時の思い出話。男の意地がからんできます。
310バイキチ:2009/08/29(土) 16:00:10
−K君を殴った日−

小学6年、私は生まれて初めて懇親の力で人を殴った。
きっかけは、体育の時間にサッカーをしていて、
審判役を務めたK君の判定に私が抗議をしたことだった。
それに怒ったK君が私に対して笛を投げつけてきた。
そのままK君は私にライダーキックを仕掛けて来た。
その蹴りは見事に腹に入り、手も負傷した。
その時に授業終了のチャイムが鳴り、先生の集合の笛が鳴った。
周囲の仲間に分けられた私たちはそのまま整列に加わる。
しかし、私の腹は納まるどころか、痛みと共に煮えくり返っていった。
解散の合図と同時に私はK君を探した。
一斉に下駄箱へ走る集団の中にK君の姿を見つけた私はそれを追った。
怒りを溜め込み、教室に入るとK君はのんきに窓の外を眺めていた。
その姿を見てさらに怒りは頂点へと達した。
「おい!さっきのはなんなんだ!」 
私はK君の胸倉をつかみ、思いっきり右手でK君の頬を何度も殴った。
気持ちいいほど私のパンチはヒットし、K君は殴るたびに後ずさりしていく。
周囲からは「すげーな」「やれやれ」「やめなさいよ」色んな嬌声が聞こえていた。
調子に乗った私は、ブルースリーか倉田保昭の気分で腹いせをした。
最初はキックで抵抗していたK君もそのうち戦意喪失し、殴られるがままの体勢になる。
K君の腹に蹴りを入れたときに、学級文庫の本棚が崩れ落ちた。
やれやれと囃し立てる男子生徒に対し、
女子生徒は、私とK君の間に入り「やめなさいよ!」と叫ぶ
クラスで一番体の大きな女子生徒が私を背後から羽交い絞めにする。
それでも私はK君の顔面にとどめの蹴りを入れていた。
グロッキーになったK君の顔面は赤紫に腫れていた。
311バイキチ:2009/08/29(土) 16:01:59
クラスの女子生徒のほとんどは倒れこんで泣いているK君の介抱に当たっていた。
時折私に向けられる目つきが厳しい。
当の私は開き直って机の上に足を投げ出し、徹底的に「ワル」を演じて見せた。
私の机の周囲には、男子生徒が数名集まり、私の喧嘩っぷりを賞賛してくれた。
教室は騒然とし、ついに先生がやって来た。

机に座る先生に呼ばれた私の周囲をクラスメイトがとり囲む。
このクラスは団結力が強く、仲のいいクラスだっただけに、このような事件は珍しかったのだ。
怒ったような目、好奇の目、笑いをこらえる顔、ひそひそ話をする連中、
各々がこれから始まる公開裁判を色んな形で待っている。
まず、私達を止めた女子生徒が、矢継ぎ早に私の暴力行為を先生に告げる。
しかしその内容は、突如教室に現れた私が、一方的にK君を殴打し、蹴り倒したと言うだけのものだった。
その証言内容に対し反論しようとすると「貴方は黙っていなさい」と先生に止められる。
この事が悔しくて涙が出そうになった。
私の隣にいた女子生徒が、涙目になった私をじっと見つめていた。
彼女は日頃から、私が泣くところを見てみたいというようなことを言っていた。
「俺は人前じゃ泣かないよ」彼女の前でかっこつけてそんなことを豪語していた。
だから、絶対に、みんなの前で、こんなことで、涙を見せるわけには行かなかった。
証人尋問が終わり、先生に弁明の余地を与えられた時、もう私の涙腺はゆるゆる状態。
何かしゃべると涙までこぼれ落ちそうな極限に達していた。
「言いたいことがあるなら早く言いなさい」
この時、先生もクラスメイトも、いつになく態度が冷たかった。
私は、涙を必死にこらえ、「K君が笛を投げたから殴りました」と言うのが精一杯だった。
312バイキチ:2009/08/29(土) 16:03:13
「貴方、笛を投げられただけで人を殴るの?」
「K君の顔見て御覧なさい、すごく腫れてるわよ」
「どうしてここまで乱暴なことが出来るの?」
若い女の先生は一方的に私を口撃する。
調子付いたクラスメイトが便乗し、批判の声が聞こえ始めた。
「悪いよね」「ひどい」「K君かわいそう」

悔しかったが、泣き顔を死守するために一切反論しなかった。


翌日から、クラスメイトの私に対する態度一変した。
誰も口をきいてくれない。
眼もあわせようとしない。
昨日私を擁護してくれた男子生徒も、どこかよそよそしい態度で私に接する。

そんな中、私はK君に謝った。

「昨日はごめん」

「こっちもごめん」

K君の素直な返答が、ひとりぼっちになった私の心を癒してくれた。
313悦王 ◆hzzwZZRBhk :2009/08/29(土) 16:10:39

 この文章に 男の意地 なんて何処にあるんだ?

_____________________________
                    |;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ̄|
                   |;;;;;;;;;;;| ̄ヘヘ| Show me your way !
                   |;;;;| ̄| ;'*゚ー゚,;


314名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 16:13:30
まったく酷い話だわ
315名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 16:26:28
馬鹿な事をしてしまった、と言う話なのかい?
316名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 16:32:27
なんか書いてみたかっただけじゃね
317名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 16:34:27
お母さんも頑固でおかしな方だなあ…
318(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/09/01(火) 01:01:39
>>309-312
ほんまもんの二十世紀少年がこんなところに。w(確保
涙をグッと堪えている意地っぱりのガキンチョの顔が目に浮かびました。
男が泣きながら弁明なんぞできるかぁ!ですか。w

私が小学校のときもビンタし合うような喧嘩なら結構ありました。
お互いホッペ真赤になってるのにやめるにやめられないって感じで
先生が来るまでやってるンです。
いえ、私じゃないですってば。w

そういえば、今じゃ考えられないのかもしれませんが、
私が通う小学校では一年に一度相撲大会が開催されておりました。
休み時間になりますと、出来上がったばかりの土俵で
男の子とも相撲とったりして・・・(低学年のときね
友達の取組をみて真剣にアドバイスしたりもしましたよ。
で、思い出すと顔から火が出そうなんですけど、
本番のときは顔をはたいて気合い入れて土俵にあがったものでした。w
いえ、ふんどしは締めてません。(←バイキチ師匠は絶対聞きたいだろうなと思って

言い忘れてましたが、k君もりっぱな二十世紀少年ですね。w
319バイキチ:2009/09/01(火) 11:01:03
>>318
本当は、ものすごく弁明したくて、自己正当化したかったんだけど、
声を出すとそのままヒックヒックしてしまいそうだったので、できなかった。
正確に言うとこんな感じです。

ちなみにK君とは仲が良かったんですが、これを機にさらなる友情が深まりました。
冷たかったクラスメイトも、すぐに元通り接してくれました。
15年ほど前に、このクラスの同窓会があったんです。
そこにK君の姿はありませんでした。
僕を止めてくれたクラス一大きな女の子は当時のまま身長が止まり、私より小さくなっていました。
僕の隣で僕が泣くのを、意地悪そうな目で期待していたEさんにあの時の心情を聞くと
「そうだったっけ?」と笑われました。
あの時、新任だった女性教師は、昔のまま美しい人でした。
君が代問題を最初に僕らに教えてくれたのもあの先生でした。
まだ世の中が君が代についてどうこういう前の時代です。
あの先生は何を言うにも一方的ではなく、僕らに対しきちんと問題を提言し、
それに対してどう思うか、考えさせ、否定する自由と余地もちゃんと残してくれていました。
授業を一時間割いて、君が代の意味を教えてくれ、みんなで考える形を取ってくれました。
実は教職員の間でも、その授業をやるかやらないかでかなりもめたそうです。

「私も未熟だったし、いろんなことを皆さんから教わりました」
「みなさんとは歳も近いし、弟、妹と接するようで可愛かった」
そんな言葉をもらったお姉さん先生も、定年を迎える歳になっているはずです。

ところで(。・ヮ・)大根さん、ふんどしの件ですが、締めてませんだけでは更に妄想が広がってしまいます。
ふんどしを締めていないって、まさか全裸??なのか、
それとも単に体操服ってことなのか、
更にマニアの方々にとっては、それが短パンなのか、ブルマーなのか、
ブルマーだとしたら、ちょうちんブルマーなのかどうなのか、そのあたりまで詳細に報告下さい。
あと、二十世紀少年、最初の20分くらいしか見てないんですが、こんなシーンがあったんですか??
320名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 12:28:27
糞悦コイツまじで死ねって。
321(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/09/04(金) 16:20:50
>>319
小学校で君が代についてですか。
私、だいぶ大きくなるまで問題になってたコトすら知りませんでした。
若い頃は感じなかったンですけれども、
小学校の先生の影響力って結構大きいなぁと今頃になって
思う次第でございます。

で、本題のふんどしの件ですが、
締めてないってのは体操服で相撲をとったというコトです。(真顔
全裸なわけないでしょ!
って真顔で答えるコトでもないわけですが。。。w
下はブルマーだったか短パンだったか覚えてないンです。
でも穿いていたコトだけはたしかです。(えぇ、間違いなく

それと二十世紀少年、私、漫画しか読んでないのですが、
でてくる子供たちが傷だらけになりながら体を張って遊んでて、
友人同士の関係がバイキチ師匠とk君みたいな感じに思えて、
それで「二十世紀少年」と・・・w

そうそう、ブルマーから少〜しはみ出たパンツ(お尻部分)を
『白線』と呼んでいたコトを今思い出しました。
使い方の例としましては、
 A美 「(小声で)Bちゃん、白線白線」
 B子 「あっ・・・(←ブルマの中にパンツを隠した)サンキュw(照れながら」

↑)何かの参考になればと思います。
322バイキチ:2009/09/18(金) 09:29:49
このままでは、例によって、私のひとり言ブログに陥りそうなので

ここらで(。・ヮ・)大根さんの昔話を聞かせてください。

個人的に、ブルマーにはあまり興味がなかったんですが
女の子が鉄棒をするときに、パンツのゴムにスカートを入れ込んで、くるくる回ってませんでした?
年下の子でしたが、足をかけてくるくる回るのが妙にうまくて、見惚れていた覚えがあります。
323(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/09/19(土) 01:46:25
>>322
私もよくパンツのゴムにスカート入れ込んで鉄棒でくるくる回ってました。w
それを隣でみていた友達が即席歌を歌っていたのを思い出しました。
たしか、、、
♪あっちゃん(友達の呼び名)のパンツは真白パンツ、大根のパンツは真っ黄っ黄♪みたいな奴・・・

スカート捲くってパンツ丸出しにして猛烈に抗議した覚えがあります。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 23:29:15
バイキチ氏に対する悦王の態度
これだけで私は何故この人が皆から嫌われているのかが理解出来ました。
オフで会った女性があんなにも悪態を付いて悦王を責めた理由も。
現実も2ちゃんも人間性は同じなんでしょう。
可哀想な人です。
325(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/10/07(水) 00:58:23
なんてコトかしら・・・
バイキチ師匠が消えてシモタ。。。

まさか私のパンツの色を本気にした・・・?
っていうか、きっとお下品な話ばっかしてるからドン引きしたのよね。(私のバカ〜

今度はもっと真面目なネタをもってきます・・・
326バイキチ:2009/10/07(水) 10:29:01
あらら、(。・ヮ・)大根さん、消えてないですよ
大根さんや他の人の体験記を待ってたんです。

パンツの色でドン引き?

その程度は、私の下品の範疇に入りませんのでご安心を。

あの時代の女の子は、みんな砂で汚れた真っ黒なパンツを平気で見せて
汚い手足して、そこらでお尻出して平気でおしっこしてたりしましたから
逆にそれが普通だったので興味も涌かない。
むしろ隠すから見たいと思うんです。

小学校時代、そこらでお尻丸出しにしておしっこはするくせに
プールの着替えになると絶対お尻を見せない女の子がいました。
見ようとすると、「エッチ!」とか言って頑なに拒絶するんです。
非常に矛盾を感じましたが、あれは、その他大勢を前にした彼女なりの建前だったのか?
それともおしっこする時のお尻露出は慣習であったからなのか?
いまだによくわかりません。

いすれにせよ「隠すから見たい」という心理は、大人も子供も変わりません。
大人になってからは、それを駆け引きとして有効利用するようになっただけです。

今では、女の子はおろか、男の子の立ちションベンも見なくなってしまったなぁ・・
327(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/10/14(水) 01:08:32
そうですよね、私も他の人の体験記、聞いてみたいです。w

しっかしよく覚えてますねぇ、「砂で汚れた真っ黒なパンツ」とか「汚れた手足」とか。w
もしかして、小学校のとき私の隣にいたのじゃないですか?
もう、自分でも忘れていた思い出が脳裏に浮かんで浮かんで・・・
どこかに跳んで行ってくれればいいのに、次々に思い出されて困っております。

とりあえず、明日、幼稚園の頃の思い出を一つ、聞いていただきたく存じます。。。(おどろおどろ〜
328(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/10/15(木) 01:27:02
これは遠い昔の記憶・・・
記憶の扉が今・・・(ってそんな大袈裟な話じゃないンですけどねw

え〜、私が年長さんの頃に愛用していた水着はセパレートタイプ、
つまり乳あてとパンツに分かれているビキニのような水着でございました。
ボンキュッボンの体でもないのにとお思いでしょうが、
水着とお揃いの帽子もありましてね、当時は気に入っておりました。
幼稚園の小さなプールでパシャパシャと遊んでいるだけなら、それでよかったのですが・・・

事件は親戚一同で海水浴へ出かけたときに起こりました。
その日の海は波もおだやかで、海水浴日和でございました。(たぶん
私は浮き輪をしたまま年の近い従兄弟たちと波打ち際で遊んでいたのですが、
強い波に浮き輪ごとひっくり返され、気付いたときには浮き輪が外れ顔が砂まみれ。
しかたなく親たちの元へ・・・
私の姿をみた母は恥ずかしそうに引き攣った笑いを浮かべ近寄ってきました。

勘のよいバイキチ師匠のコトですから、
ここまで言えば、何が起きたのかおわかりいただけたのではないでしょうか。
え?ハイレグになってた?
いいえ、違います、ズレてはいましたが。
乳あてもちゃんとございました。
ただ、乳あての位置が・・・
なんというか、芸能人水泳大会ポロリもあるよ状態とでも申しましょうか・・・
ま、私よりも母の方が恥ずかしかったのではないかと思われます。

私の服は着れなくなると大概私より小さな従兄弟たちが着るしくみになっていたのですが、
その後、その水着を着ている従兄弟をみたコトがありません。。。
母が闇に葬ったのかと(ry
329バイキチ:2009/10/15(木) 19:10:03
たいへん愛くるしいお話、ありがとうございました。
かわいらしい光景が眼に浮かんできます。

ただ、幼児の乳なんか、性差もなかろうに、隠す必要があるのかね?
女心を解さない私の無神経な思いです。
しかも、波でずれる意味の無さ、もう、その時代の子供の乳あてなど、飾りに過ぎなかったんでしょうね。
おさがりにすらなれなかったその水着の最期が哀れに思えてなりません。

ちょっと、この話を聞いて、封印していたある事件を思い出してしまいました。
それは、若かりし頃、男女数名で海へ行った時のこと。
その中にひとりだけ、まじめで、余りおしゃれっ気のない女の子が含まれていたんです。
他の女の子が流行の水着を着用する中、その子だけ、学校指定の紺色の使い込んだ水着を着て来ました。
今考えれば、おそらくビキニラインのゴムが、劣化によりユルユルになっていたんでしょう。
勘のよい大根さんのことですから、ここまで言えば、
何が起きたのかおわかりいただけたのではないでしょうか。

そうです。海から上がってきた彼女の大事な部分に水が入り、
ぷっくり膨らんだ重さでビキニラインがずれて、そりゃもう大変な状態に・・・・
浜辺で寝ていた私がパッと目を開けると、目前になまめかしく濡れたモジャモジャの海草が・・・・
(それがもう、ハミ毛なんて可愛らしいレベルじゃないんですから、アータ)

第三者ならここは抜きどころ、いや、「ラッキーハプニング!」なんて楽しむ余裕もあるんでしょうが
私らは当事者。しかも彼女とはあまり話をしたこともない間柄。
わたしは心の中で、この緊急事態を彼女に告げるべきか否か迷いました。
これが、洒落の通じる女の子であったなら即座に冗談ぽく突っ込めたでしょう。
しかし相手は無口で頭のいい超真面目な女の子。
「どうしよう・・・このままでは他の海水浴客にも見られてしまう、言うなら早いほうが・・」
「かと言って、どうやって告げればいいのか?」
「下手に言おうもんなら、どこ見てんのよ変態!なんて逆切れされるんじゃないか?」

そんな不安もあって、私は救いを求めるべく、隣で寝ていた男に視線を向けました。
すると、この男も彼女の緊急事態に気がついていました。
そいつの視線の先は、やはり彼女の股間にあり、ビックリした顔のまま固まっているんです。
どうしよう、どうしよう、と思いつつ、
「やはり被害を最小限に食いとどめるために、ここ思い切って伝えるべきだ」と覚悟を決め、
もう一度彼女の股間に目をやりました。
すると・・・なんと半分以上ずれて、土手を越えて、辛うじて真ん中のスジのあたりに
引っかかっていたビキニラインは、きちんと元通り直っておりました。
体を拭くときに気がついて直したのでしょう。

この間、数十秒の出来事でしたが、ものすごく長い時間が経過したように思えました。
あとで、隣にいた男と話をして、何事も無かったことにしようと結論付けました。
もちろん、彼女は、私たちの気苦労など知らぬままです。
330(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/11/05(木) 01:00:06
まだ女体のコトなど知らない初々しかった頃の
バイキチ師匠のビックリ顔が目に浮かびました。w
あの、、、聞いておきたいコトが一つ。。。
その後、彼女と通じたとか、若かりし頃の嫁の話でございました
などという話に繋がるのではありますまいな?

で、これは、、、話そうか話すまいか迷ったのですが、
どうせ小さい頃の話だし、股間にモジャモジャした海藻なんかも
くっ付いてなかった頃の話だし、、、イイですよね。

スクール水着で思い出したコトがございます。
小学校の三年生(たぶんそんくらい)の水泳の授業でのコト。
みんな水着に着替え体育館で準備運動をしていたときに突然、
なんでかわからないのですが、私の、、、オマタが痒くなってしまったンです。
それで屈伸運動の際、先生の号令に合わせて
331(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/11/05(木) 01:02:01
途中で送っちゃったw

もしかすると「その話はやめなさい」という神の声かも・・・
332(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/11/14(土) 01:01:14
どうしよう・・・
こんだけ間あいちゃうと続き書きにくい。。。

まぁ何があったのかは皆様のご想像にお任せするってコトで・・・w

333バイキチ:2009/11/17(火) 10:26:54
>>330
残念ながら、嫁の話でも、その後彼女と通じたこともございません。
今思えば、結構可愛いらしい顔だったんですが、何故か彼女に対して全く性的興味は涌かなかったです。
彼女はその後、今で言うオタク系の男と付き合いだし、人の目をはばからず
ふたりだけの世界を形成し、周囲から隔絶した世界を築くようになりました。
ベンチでキスをしたり、抱き合ったり、真面目でしゃれっ気のない女の子が
かなり顰蹙のバカップルに成り下がってしまったのです。

ところで>>330の続きをお待ちしてますよ。
なんか昔あった「パンツの穴」みたいで楽しみです。

334(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/11/27(金) 01:42:55
>>333
続きって、そんな殺生な・・・

つまんない話ですよ。
バイキチ師匠のご想像通り、好きでもない男に、女の子の一番大切なマン、、、
いえ、スジを見られたってだけの話でございます。。。

きっとそいつは忘れてると思います。
でも覚えてたらどうしよう・・・(もうお嫁にいけない

335(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/12/08(火) 00:58:12
すんごい下がってるンですけど・・・どうすれば・・・

っていうか、このレス(>>334)でスレストってあまりにも御無体な・・・
いままでにない放置プレイとでも申しましょうか。。。(涙目
336ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2009/12/08(火) 03:46:51
私的諸事情により2ちゃんねるから遠いところで私生活に忙殺されておりました・・
そのうえやめられない止まらない12月ジャンキーな忘年会教のタフな信者なり・・

さてもこのカキコ
付託された地への帰還…… と見得切るのは暴挙かな?(アイヤ〜 そんな大仰なてネw)

涙目のお方の経緯もまだよくよく遡行しておりませんが
たくさん面白き過去ログが蓄積されている最近事情、了解。

近いうちに、必ずやアイ・シャル・リターンであります。
この怒濤の忘年会シーズンの
12月ジャンキーを乗り越えながら・・・・・・・

あるとき不意の、
私からの投げ入れの一輪を
このたっぷりとした花器におさめさせてやってください。

目利きは、バイキチ氏・大根女史の意匠にまかせ
私なりに、両意匠たちの過去カキコの拝見タイムに浸らせてください。

離れていた時間ぶんの「練れた」効き目も闌けておれば幸いなる副産物……。


意匠ご両人、
それぞれの、いわば「(滋味満点の)お点前」を
私にも、またぞろ拝見させてやってくださいまし。

さし当たり、差し出がましいこと承知のうえ
率直な不在お詫びを兼ねて、無粋な手つきにて、今夜はageておきます。

・・・大根はん。
まあのたり
のたりゆるり
ゆるゆるりとまいりましょう。 ヨロです(゜▽、゜)ノ
337バイキチ:2009/12/11(金) 10:05:11
我が街探訪記

今から5,6年前、少年時代を過ごした街を探訪した。
私は定期的にこの街を訪れている。
楽しかった子供時代の思い出がたくさん詰まった我が街だからだ。
その日も駅を降りてから、8ミリビデオを回し続けた。
駅に隣接するスーパーは、小綺麗になったものの、作りは昔のまま。
トイレットペーパー騒動の時も、このスーパーを中心に記憶している。
昔にぎわっていた駅前のラーメン屋がそのまま残っていた。
入ろうとしたら、日曜だというのに定休日。
その様変わりが、この街の全てを物語っている。
駅から元我が家への道中をビデオ撮影しながら歩く。
この際、不審者かどうかは、態度が堂々としているか否かで分かれる。
堂々と胸を張ってビデオ撮影していれば、いぶかる人はいない。 たぶん。
338バイキチ:2009/12/11(金) 10:22:00
昔あった電気屋はつぶれていた。
2階建てで、豪華な照明が美しく店内を装飾する家電量販店の走りだった店だ。
この電気屋の中のテレビで、長嶋の引退中継を見ていたんだ。
大小たくさんのテレビ画面すべてに、4番サード長嶋の最後の姿が映し出されていた。
そんな思い出の場が、今では100円ショップに占拠されている。
心の中まで安っぽくなった気がした。
歳末大売出しの福引が当たったお菓子屋も、夕方になると賑わいを見せていた銭湯も、
流行の下敷きを買いに行った文房具屋も、みんななくなっていた。
大きなビルが建っているところには豆腐屋と古ぼけたパン屋があったはず。
夕方になるとラッパを咥えたおじさんが、自転車で豆腐を売りに来ていた。
幼稚園は駐車場に、友達の長屋もお洒落なマンションに取って代わられていた。

我が家に着いた。ご多分に漏れずここも建物は変わっている。
それでも路地の形や、当時のままの姿で佇む近所の家屋が気持ちをタイムスリップさせてくれる。
339名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 10:23:18
読むのが邪魔臭いから短文希望
340バイキチ:2009/12/11(金) 10:54:11
通学路を歩いていたら、塀向こうに木造モルタルの古いアパートを見つけた。
「あれ?あんなアパートあったかなぁ?・・・」
いくら思い出そうとしても見た記憶がない。
しかし築40年以上経過していると思われるその建物は、間違いなく当時からあったはず。
あとになって、その訳を理解した。
当時は背が低かったから、塀の向こうが見えなかったんだ。
子供に見えない世界が、塀の向こうに存在していたのだ。
341名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 02:36:27
幼稚園の園庭も、大人になってから見ると意外なほど小さかったりする。
342バイキチ:2009/12/14(月) 09:40:46
>>341
目の位置なんだよね
低いところから見ると、世界はものすごく広くて大きく見える。
では続きます。

足は駄菓子屋へ向かう。
この近所も、ちょっとした商店が軒を連ねていた。
それらの小売店は、すべてなくなっていた。
諦め半分で駄菓子屋を覗くと、シャッターが半開きになっていた。
下から中を覗くと、当時のまま、雑多におもちゃが並んでいる。
「まだやってるのかなぁ」
そのまま素通りして路地を曲がったその時、背後からシャッターが開く音がした。
慌てて振り返ると、ひとりの老人がシャッターを開けている。
「おじさんだ!」
8ミリ片手に大急ぎで踵を返した。

御年83歳 白髪になって少々滑舌も悪くなっていたが、間違いなくあのおじさんだ。
私のことは直接覚えていなかったが、今も近所に住むという懐かしい名前がちらほら出てきた。
聞くと、私のように昔を懐かしんで尋ねてくる大人は多いと言う。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/14(月) 09:42:14
良スレなんだけどバイキチというコテがウザいな
344バイキチ:2009/12/14(月) 10:45:15
当時、5円10円の世界の中、店の奥に別格の高級ミニカーが並べられるガラス棚があった。
今もそのガラス棚はそのまま存在した。
「昔ここにバットマンのミニカーがあって2000円もしたんですよ」
「あと007のボンドカーやチキチキバンバンのミニカーもあってね、憧れの的だった」
覚えているのかいないのか、おじさんは「ハッハッハッハ」と笑っていた。
「正月前になると店の壁に凧がぶら下げられるんだ」
「奴凧と絵凧は高くて買えなかったんですよ」
「コマは唐ゴマが一番回ったな」
当時の記憶が手に取るようによみがえる。

「今じゃ、コマも凧もやる子はいないね。」
「たまげるほど子供が減ったよ。」
たまげるほど・・・この言い回し、久しぶりに聞いた。
345バイキチ:2009/12/14(月) 11:09:30
私はデッドストックを探した。
どんなに古いものでも昭和50年代が最古で、それ以上昔のものは見つからない。
ホコリまみれの昆虫採集セットと、ビックリ箱は、なんとなく見覚えがある。
そのビックリ箱とガラス棚の現代版高級?ミニカーを買うことにした。
小銭入れの中からお釣りを探すおじさんに「お釣りはいいですよ」と言ってみた。
おじさんの前で、ちょっとカッコつけてみたかった。

店をあとにして、もう一度振り返りビデオを回す。
その時、ひとりの子供が店の前に自転車を置いて中に入って行った。
私がおじさんと話しこんでいたので、なかなか入れなかったのだろうか
だいぶ前からその辺をうろついていた子だ。
あの子はどんなモノを買いに来たのだろう?
昔のままの店構えを少しはなれた場所から眺めていたら
店の前まで子供達であふれかえっていたあの頃の光景がまぶたに浮かんで来た。
346(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2009/12/30(水) 01:08:44
本当に御免なさい。
常勝将軍とバイキチ師匠には、こんなに癒されてるのにスレを保守するコトしかできず(ry
347(。・ヮ・)大根 ◆LAw.y4WyMI :2010/01/21(木) 00:17:20
夢のお告げがありました。

このスレが落ちる夢をみました。。。
きっとageとけってコトですよね。


348名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/22(金) 23:20:44
サルトルがノーベル賞辞退
349名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/12(金) 03:55:06
....
350名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/12(金) 03:57:11
無職で悪いか!これでも江戸っ子だ
子供の頃、明治通りを走る
路面電車に感動していたクチ
351名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/12(金) 08:40:14
無職でもいい
逞しく育ってほしい
352名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/06(土) 06:18:14
      
353名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/21(日) 00:49:10
モキュw
354名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/21(日) 04:35:27
訴求
355名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/09(金) 04:37:19
良スレ 上げ
356名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/11(日) 05:21:58
ageだけじゃなく
何かトピ投下せんとかんがね
357名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/23(金) 18:57:08

358名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/23(金) 22:46:55
バイキチさんどこ行ったんすかねえ
359名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/27(火) 17:46:27
もっと昔を追慕してくれ
360名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/11(火) 21:13:56
「昔」を追慕する。という使い方は合っているのか?
361(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2010/05/14(金) 01:16:59
懐かしい品物をみつけましたのでとりあえず・・・(↓
http://imepita.jp/20100514/042920

これについての思い出話は次の機会に。。。
362名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/14(金) 02:05:37
俺の家の近所の駄菓子屋は21世紀どころか、平成を迎える事も無く、昭和の時代に既に全滅していた。
子供の頃遊んだ2つの神社やお寺の境内に子供の姿は無く、鳩がいるだけ。
お祭りの縁日も片方の神社はかなり前から露店は出ず、
もう片方も最盛期の100軒まではいかないまでも、数多い露店と身動き出来ない人出も今は無く、
せいぜい10軒くらい出店するだけになってしまった。
だが、ネットで見た昭和50年秋の国土地理院の航空写真にそのお祭りが写っていた。
平日の昼過ぎなのでまだ営業はしていないが、前日から並んでいる露店の屋根が写っている。
露店の出店数は減り始めていたが、まだまだ多かった頃だ。

妹から聞いた話だが、妹の旦那は子供の頃お祭りに行ったことが無いそうだ。
実家の場所が名古屋市内とは言え、山を切り開いて作った住宅地だったので、神社とかがなかったからだろう。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/14(金) 08:49:50
>>361
懐かしいです。

袋の中が少なくないかね
364名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/14(金) 23:34:27
>>363
開封してありますw
365バイキチ:2010/05/18(火) 09:31:14
>>361
ライオネスコーヒーキャンディ〜
ライオネスコーヒーキャンディ〜 

本場のコーヒーの〜味

ライオネスコーヒーキャンディ〜

広がる味はコ〜ヒ〜

ラララライオネスコーヒーキャ〜ンディ〜

ラララライオネスコーヒーキャ〜ンディ〜

コ〜ヒ〜〜〜〜 ←最後のこれ忘れがちなので注意


>>362
駄菓子屋、露天、屋台、お祭りは地域力の再構築という観点から近年注目されていますね
366バイキチ:2010/05/18(火) 09:40:31
と言うことで、久々に駄菓子にまつわる思い出話、行ってみよう! 例によって長文ですよ〜〜

《演題》【ベビーラーメンとT君との思い出】

あえてベビースターと書かないのは、世代的なこだわりがあるからだ。
私の記憶の中にあるあの駄菓子は、間違いなく「ベビーラーメン」と呼ばれていた。
いつの間にか人々は、そのベビーラーメンのことをベビースターラーメンと言うようになった。
いつしか頑なに「ベビーラーメン」と言い続ける私に対し
「ベビースターラーメンでしょ?」などと言い返す輩まで登場した。
のちの調査で、ベビーラーメンは1973年にベビースターラーメンと名称変更している
公式HP上では、ちびっ子達の中で「一番」になるように「スター」をつけたと書かれているが
どうやらオイルショックの影響で10円から20円に値上げをした際のリニューアルだったらしい。
367バイキチ:2010/05/18(火) 09:44:51
時はそれよりも数年後の1970年代半ば
同じクラスのT君が「ベビーラーメンの味噌ラーメンを見た」と言い出した
そんなものを見たことがない私は、即座にそのトピックスを懐疑し、否定した
周囲のみんなも「そんなものない」「嘘をつくな」と同調した
T君は「絶対ある!」「駄菓子屋で売っていた!」と必死に食い下がる
ついにT君は「もし無かったら100万円出す」とまで言い出した。
そんなに言うのなら確かめに行こう、と言うことで、
T君がベビーラーメンの味噌味なる代物を目撃したと言う隣町の駄菓子屋に行くことにした。
なんでも、そこの駄菓子屋のおばあさんは、頑固者で有名らしく
のろのろしてたら怒られるので、早めに買ってさっさと店を出なくてはならないらしい。
T君は柔道も野球もやっていて、体格もよく、本気を出せば喧嘩も強いはずなのに、へんな所で気が小さい。
周囲に責められたりすると、すぐに涙目になって目をパチパチさせるので、
私はそれをT君の目パチと呼んでよくからかっていた。
368バイキチ:2010/05/18(火) 09:54:18
件の駄菓子屋は、古ぼけた昔ながらの駄菓子屋で、おばあさんが一人でやっていた
中に入ると駄菓子屋特有のすえた匂いがして、眼光鋭いおばあさんがこちらを睨んでいる
T君はすでにビビっている様子で、店に入ったとたん蚊の泣くような声になっていた
銀玉鉄砲が並ぶ脇にベビーラーメンが置いてあるコーナーがあった。
そこにはいつもの見慣れたベビーラーメンしか置かれていなかった。
「なかったら100万円」の懸賞金がかかった味噌ラーメン味のベビーラーメンなど、どこを探してもない。

したり顔の私に対し、あきらかにT君は動揺していた
「あれ? ない おかしいな・・・・ でも、ここにあったんだよ ほんとうにあったんだよ」
私の顔をチラチラうかがうT君は、その時すでに目パチ状態になっていた。
そんな追い詰められた状況の中、T君に更なる悲劇が襲う
動揺の影響かどうか知らないが、T君は握り締めていた小銭を
「チャリーン」という音とともに床に落としてしまったのだ。
その小銭はすばやく転がり、頑丈なお菓子の陳列棚の下に入りこんでしまった。
泣きっ面にハチのT君の目パチは、その時最高潮に達し、今にも泣き出しそうな顔になっていた。
369バイキチ:2010/05/18(火) 10:19:30
それを見ていたおばあさんが、めんどくさそうに
「いくら落としたの?」と聞いてくれた

「20円です」泣きべそT君が答える

「じゃ、その分、なにかもってっていいよ」とぶっきらぼうなお許しがあった

怖いおばあさんの温情で、T君は20円のチーズあられを選んで店をあとにした。

店の外に出たT君は
「でも、この前は本当にあったんだよ、信じてよ、嘘じゃないんだ、今日は無かったけど、本当に・・・」
と、またもや目をパチパチさせながら必死に訴えてきた。
私は「わかった、信じるよ」とT君に言った
T君はほっとした表情でチーズあられの封を開けると「食べる?」と私に差し出してくれた。
そんなT君の姿を見ていると、邪悪な気持ちで彼をもてあそんだことが、なんだか可愛そうに思えてきた。
もはや真相の追究など、どうでもよくなっていた。
気がつくと、あたりは薄暗くなっている。
「帰ろうか」私たちは自転車で家路を急いだ。
370バイキチ:2010/05/18(火) 10:28:09
それから10年以上経った1980年代後半、ベビースターラーメン味噌味が新発売として正式に世に出た。
T君の言っていた1975年当時、はたして味噌味が本当に存在していたかどうかは未だ定かでない

前述の我が街探訪において、私はこの駄菓子屋も確認しに行ってみた。
案の定、そこには駄菓子屋の痕跡すら無く、立派なマンションが、我が物顔で居座っていた。
あの陳列棚の下の20円がその後どうなったのか、今では知る由もない。 おわり
371名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/19(水) 01:46:02
>>370
それは実験的に出荷した試作品かもね。
それか、他社の類似品が一番確率高そうだ。
気になるなら問い合わせてみれば?
でも、正式な製品なら記録が残ってるだろうけど、
実験的に出荷した試作品だと記録が無く、当時の関係者の記憶が頼りになるだろうから分からないかも。
372名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/19(水) 02:04:36
バイキチは物書きが本職か?
40板では珍しい起承転結がしっかりとした読ませる長文だからそう錯覚してしまうのかも試練
でも前回の我が街探訪記と今回のベビーラーメンとT君は秀逸
心にグッと来るものがある
以後も色々なセピア話を聞かせてくれ
373名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/20(木) 00:39:51
遣唐使は無事に帰国できんのか?
374名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/27(木) 16:57:58
オレは遣隋使ひとすじ
375名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/27(木) 17:43:49
こんなスレがあったんだ。
私は毎日追慕してるよ
376名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/27(木) 18:16:09
「日めくり」いい番組ですね
377名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/27(木) 18:35:47
BSの日めくりタイムトラベル?
見てるよ。面白いね
378名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/27(木) 21:00:38
過去の幸せを振り返るより、先の幸せを考えろよオマイラさぁ
379名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/28(金) 12:44:04
>>378
ここはそういうスレなんだから、おまえなんか来るなよ。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/28(金) 17:40:55
ごめん >>379
381名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 00:14:51
382名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 12:56:24
キャッシュが利かない
383ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2010/05/29(土) 23:12:34
村上春樹の『羊をめぐる冒険』の冒頭は、とても不思議な第一章からはじまる。
わたしたちがそれとして容易に思い浮かべる『羊をめぐる冒険』のイメージとは
全然異なる、奇妙に孤立した章。
長い冒険物語のはじまりとはまったく別の、細く薄暗い坑道のような
古い暗渠にまだ滲み出してくる水脈に耳を澄ますような
マッチ1本擦ったぶん灯る仄かな明かりの世界。

目が闇に馴れればうっすらとだけ浮かんでくる
耳が地底へ傾けばうっすらとだけ響いてくる
遠くなってしまったもののほうからやってくるイメージ。

主人公の「僕」は1970年という年に21歳で
「目に映る何もかもが物哀しく、そして何もかもが
急速に色褪せていくようだった。
太陽の光や草の匂い、そして小さな雨音さえもが
僕を苛立たせた。」
と世界に置き去りにされる心地を覚えている。
枯れて白んでいく心を持ち抱える青年。

『羊をめぐる冒険』の書き出しとして言語化され、
結局、削り取ることなく置き残された最初の奇妙な章は
誰もが黄昏れる季節を21歳でとうに経験してしまった青年の倦んだ内面。
それはとりもなおさず、「いずれ誰もが味わうことになる」人生の喪失感。
変化する、ということ。無常への気づき。動的平衡。

そして、喪失と引き替えにうっすらと聞こえてくる調べ。
いわば人生の湿り気。
薄暗いところにしか自生していない羊歯類のような潤い。

やがて、本当に年をとる。
わたしたちは間違いなく老いていく。

年をとるたびに遠くなっていく何ものかへ向けて
つい、いつしか心がまさぐっているところ
それが追慕の先。

青年の頃から内在しながら
今、老人力とともに近づいてくるこの感覚。

追慕せずにはいられないどちらかの手のふるえ。
右手で人生のハンドルをまだ巧みに操作しようとしながら
左手では遠くなっていくものを、ふとまさぐっている。
安全運転とは言い難い奇妙なドライブ。

だが、誰でもつい、気がつくとその左手がうごきだす頃、
「人生の後半」というあたらしい時期がやってくるのだ。

この感覚がわかるとき
年を取るということは
ひとりで考えているときよりはすこし
おもしろい共鳴性を秘めてやしないかと問いが立て掛けられる。

遠くなってしまったものにアクセスするときにきまって生ずる
不思議なあの快楽、

それらがここに並べ置かれていくのなら
老いの心地とて、まんざらでもない… 
384バイキチ:2010/06/01(火) 18:58:18
>>383
来てくれたんですね
ありがとう、身に染みました。
385バイキチ:2010/06/01(火) 18:59:32
【若くして鬼籍に入った友人たち】

3つ年上のN君
小学校の夏休みに、セミ獲りを手伝ってもらったことがある
大きな木の上にいるミンミンゼミにどうしても網が届かない
塀に登るがそれでも届かない
その様子を見ていたN君が自宅に帰り、自分の網に連結棒を差し込み、それを貸してくれた
ものすごく長い網が完成し、おかげでミンミンゼミを捕まえることができた
N君とは近所同士で顔見知りだったが、二人で遊んだ思い出はそれくらいしかない

時は経ち、私は中学生になっていた
駅前のスーパーで何年かぶりにN君を見かけた
向こうも私を見てハッとした顔をしたが、お互い挨拶もせぬまま見て見ぬ振りをした
そういう年頃だったのかもしれない
高校の入学祝だろうか?スーパーの紙袋を抱えるN君の腕には自動巻きの腕時計が光っていた

翌日、今度は通りに出る曲がり角で、出会い頭、自転車同士ぶつかりそうになる
猛スピードで走ってきたその相手が、これまたN君だった
N君の方がとっさにかわしてくれたおかげで、事なきを得た
その時、N君は小さな声で「あせった・・・」と言い残し去って行った。
386バイキチ:2010/06/01(火) 19:05:42
それから数日した夕刻、ある用事でバスに乗り込もうとしていた私のもとに
ひとつ下の学年のO君が血相を変えて駆け寄ってきた。
「今、そこの酒屋さんの前でN君が車に跳ねられたんだよ、
 道路が血まみれで、救急車や警察の人がいっぱい来てて、大けがして担架で運ばれて・・・」
O君の上ずった声と、次々と口をついて出てくる多くの伝達事項から、ただ事ではないと察知した。
胸騒ぎを覚えながらもバスが待ってくれていたので「またあとで聞かせて」とステップに飛び乗った。
「N君は?」そう聞いた瞬間ドアが閉まり、バス停に取り残されたO君は私を放心した表情で見送っていた。

翌日現場に行ってみると、アスファルトの上には現場検証のチョークのあとや血痕が、
ガードレールの内側には茶色に変色した血飛沫までもが、はっきり残されていた。
あたりには細かいミラー片がキラキラと散乱し、行きかう車に踏みつけられていく

通院中の耳鼻科の待合室でも、近所の奥さんたちが、この事故の話をしていた。
その瞬間を目撃していたと言う主婦が
「すごかったわよ、バーンて跳ね上げられてガードレールに叩きつけられたんだから」
「そのあと頭から落ちてお尻を突き出すような格好のままピクリとも動かずにうずくまってたわよ」
「目から血が出てたから、もし治ったとしても、あれじゃ失明ね」

3日前まであんなに元気だったN君が・・・
現場で見た痕跡と、この証言とが頭の中で合致し、想像を超えた惨状がイメージとなって完成した。

うちに帰って母に「N君は治ったとしても失明らしい」と噂話の件を告げると
「そんなことはわからないでしょう、そういう根も葉もないことを言うもんじゃない」と怒られた。
387バイキチ:2010/06/01(火) 19:12:06
それから数日してN君は亡くなった。
お葬式の翌日、N君の妹が、歳の離れた長兄とともに登校していた。
こういう場合は、しばらく学校を休むものとばかり思っていたので、その気丈な姿に驚いた。
長兄は優しく妹の肩を抱き、途中分かれ際に妹の顔を覗きこみ、何かを告げると、
自分は駅の方へ向かって行った。
その言葉が「大丈夫だな?」だったのか「ひとりで行けるな?」であったのかは判らないが
彼女はその兄の言葉に「うん」と小さくうなづくと、その後ひとりで学校まで歩き始めた。
私はすぐ後ろで、その光景を見ていた。
可愛そうな気持ちはあっても、何をどうしてあげればよいのか、わからなかった。

              N君 享年15歳
388(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2010/06/02(水) 01:26:16
・・・・・・(ティッシュのAA略
389名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/02(水) 02:15:26

若葉マークを掲げておもむろにハンドルを握り、
なにも怖いもんなんか無い、と粋がっていたあの頃はよかったなぁ。

迷走ドライブの先に見える
なにかボンヤリとしたものが『老い』であるなどと考えもせず・・w
390名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/02(水) 10:15:23
>>389
いい事言うねー
391名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/02(水) 12:10:44
>>390
いやいや、そこには『老い』に対して若干の怖さもあるという意味で。
中古マイカーのメンテナンスも大事だな、という含みもアリ〜の。
まぁ、ポンコツで砂利道を走ることを楽しめればいとよろし。かなw
392名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/02(水) 12:20:46

>バイキチ氏

お久しぶりです。
相変わらずのバイキチ節は一段とその色が冴えていて、
レスをつける手もひるんでしまう。

それを「鬼籍」と記するところからもうやられてしまいました。

古い記憶を文字に置き換えて、向かい合う相手に伝えるということ。
それを難なくスルリっと、嫌味無しでこっちの懐にズドンと発射。
あぁ痛い。

さて。
このスレやっと読み返してきました。
長い間、ワタクシゴトが多忙であったり、
我がマシンの交換等々でゆっくり追慕ってる暇も無く で。

その間には、ちゃっかり門司レトロ旅などを満悦したり、
仕事で行く先々では古民家を探すような遊びもしていました。

さっきまでポッポ氏辞意表明のニュースばかりで
いささかアレな空気から逃げての書き込みtime
お陰でクリーンな午後を過ごせそうです。
ではまた。
393名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/02(水) 12:33:51
「なんとかなるさ」で何事も済んでいた若かりし日
自分が老いるなどというのは、ずっとずっと先のことだと思っていた。
この先、これまで生きてきた年数の半分も生きられないであろうことを悟っている今
若い頃のままの気持ちでいると、あっという間に悔いと悩みを抱いたまま棺桶に入ることになってしまう・・・。
394名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/03(木) 18:30:39
392このコメ ああ言えば曹操さん 名無しで ?
395名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/06(日) 14:32:29
〜昭和史と流行歌のサイト〜
http://www.geocities.jp/showahistory/
396ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2010/06/07(月) 01:35:49
暗闇に目が馴れると、よく見えてなかった世界が立体的に起きだしてくる…
光を当てすぎず、自然な暗さのなかで、淡い輪郭の全体を視野に入れる。

懐中電灯に照らされた明るくくっきりとした狭い区劃と、
薄闇に浮かび上がるうっすらとした全体。

その、後者を、ここではとらえていたい。

何にでも直接の光を当ててはっきりさせようとしたのは
20世紀から始まった人類の欲望(いわば無粋な愚挙)。
21世紀の今はとりあえずグーグルに任せておこう。
おれ個人はアナログ・ネイティブとして、先住民のように
デジタル・ネイティブが踏みならす時代の薄闇をさぐっていく。

そして、さらに、耳を澄ます。
誰かの話に。

書かれている昔話。
誰かの、過去。
歴史ではない、ただ個体に属する記憶というもの。

たくさん積まれてゆく、個体の記憶。
それらはログなんてデータじゃない。
薄闇に漏れてくるひそひそ声。
たまたま溢れる一過性の微かな漏れ話。
それに耳を澄ませる。

言葉でできるコミュニケーションが光なら
明るくされた箇所はじつは無力だ。
部分は部分として、それぞれの主張の角を先鋭に尖らせるばかり。
言葉が無力だと知り尽くした年齢になってはじめる
言葉あるところの本質へのアプローチ

言葉の世界には、闇の側にこそ、その本質がある。

かさねられる、ひそひそとした声に耳を澄ましていく。
全霊で耳を研ぎ澄まして聞いてゆくと、澄ませたぶん、
 ----- 自分が薄れていく。

自我が薄れて、もっとひろい、
どんなにかひろくて薄暗い、自在な集合知へと転げ出し、
誰かたちと混在するように漂着している。
397ああ言えば曹操 ◆HipsLSbHPg :2010/06/07(月) 01:44:51
言葉によるコミュニケーションの本質という
アナログ・ネイティブたちの秘術の楽屋へ、と
転げていけそうなここ、このスレ・・

ここに来て
ん? と思う誰かの過去、
昔の話に、薄闇の視野をひろげ
自我が連れ出されるほど耳を澄ます。
(もしかすると、それがアルツ? あまりにも甘美。全霊、耳を澄ますなんて)

すぅーっと自分が薄れていく快楽。そんな瞬間を覚えることがある。
誰かの話の坑道から、どこか地底で共有する原体験へ掘り下げられてる。

このスレに来る意味。
ひそひそと語られる話を、懇々と聞く。その意味。
自分を薄れさせるひとときに到るから貴重なのだ。
どこかへ、「入って」いけるような錯覚(真実?)すら、ときに生ずる。

誰かの幼い水着姿も、ハミ出したそのときの若芽の含羞も、
死守したかった「泣かない顔」も、
8ミリビデオカメラ携え、再現を求めて探訪するレトロスペクト散歩も、
「あったものがなくなっている」という無常のリアリティ発見も、
まだ存在していた駄菓子屋の異形、そこに立つ
かつての自分のような少年のすがたも。
……路面電車も。幻の味噌味ベビーラーメンも。
そして
すでに多くを送っているのであろう点鬼簿のなかの知人たち。

自分自身を希薄にしていくように
響いてくる、人の話に溶け出してみたい。そんな奏功こそが、言葉の本質。


だから「昔」はありがたい「たまり場」となる。
まるで焚き火のまわりに集まって訥々と語る口寄せの場のよう。
そこでわたしたちは、運が良ければ
集合知のような「たまり」に入っていける。

ハレもケもケガレも、ここでは等しく軽やかに投げ込まれ、あるいは笑い飛ばされ
それらはしかし口寄せられたものだから、しだいに積もってゆく……

ありがたい「たまり場」 ・・・・
398名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 02:36:10
↑ この人は詩人?それとも死人?
399名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 08:55:25
なんかキモイからこのスレ常駐解除しようかな  長文は読まないし
400名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 09:13:56
>>398
変人
401名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 11:12:05
長すぎ、長文は面倒だから読まないよ
しかもつまんない内容が
402名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 19:43:52

無職ゴキブリくさいげつ

朝から連投粘着ppp
403名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 02:12:01
>>395
紹介サイトのリンク先「話の栞」
まだ開いて間もないブログらしいので、追々読んで行こうと思います。
此処に通じるカテゴリもあるし。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 03:42:03 BE:796753627-2BP(0)
ありがちな昭和サイトですね
405名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 04:00:22
幼少期から少年期、そして青年期にかけて
先の長い将来に様々な夢を描いていた。
将来の展望を思い描くよりも過去の想い出のほうが遥かに多くなってしまった今
忘れたくない想い出が数多くある。
忘れてしまわないように、想い出を整理し脳裏に刻み込もうとしている。
そして、いつしかネットでも昭和を捜し求めている・・・
406名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 04:17:29
>>405
具体的に
407名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 04:32:30
長文で楽しませる技量のある香具師へ
埋める気で渾身の筆を奮いなせ
408名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 04:44:22
朝早いんだね
もう起きたの?
409バイキチ:2010/06/09(水) 11:01:33
曹操さんが門司のレトロな駅舎をどのような視点で切り取ったのか、大変気になります。

古民家を求めて都会からIターンをするブーム
これもアナログネイティブへの回帰現象なのでしょうか?

私も密かな隠れ家として、時々、山深い古民家の貸し別荘を利用しています。
朝、ふと目を覚ますと雨の音が・・・
しかしやがて、それが裏山の傾斜を走り落ちる川のせせらぎだと気がつきます。
そしてうるさいまでの蝉時雨
それらは、夏休みの田舎で、SLの汽笛に起こされた朝を思い出させてくれる
心地よいまどろみの時間です。
決して騒音ではありません。

410名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 11:40:07
最近頑固おやじのはずの旦那がやたら子供が小さかった頃のことを回顧する。
どーしちゃったんだろう?と思いながら付き合って話してるけど
411名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 11:47:57
>>410
あなたは懐かしくないんですか?
子供のことばかりじゃなく、新婚間もない頃の自分達の想い出もたくさん語るといい。
いつまでも会話を絶やす事なく、仲のいい夫婦でいてください。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 12:19:43
>>411
懐かしいですよ、そりゃー。
結婚した頃の事とかよく話ますよ。
会話はありすぎるほどある、うちは。
よその夫婦より会話あると思う。
明石家さんまのようにずぅ〜っとしゃべってる旦那だから。
旦那が黙ってるときは体調が悪いか会社で何かあったとき。
わかりやすい人だw
413名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 12:21:37
>>412
こらっ! チャットスレを放ったらかしてここにいたのねw
414名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 12:37:35
>>413
え?人違いじゃ?w
415名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 12:40:20
>>414
いんや、チミだよチミ!w
416名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 12:52:54
ほっといてくれないかな?
417名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 12:54:15
>>416
いいじゃないの奥さん
減るもんじゃないし〜
418名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 13:06:18
何を言ってるんだこの人達は
419名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 13:09:37
     ______ 
    /:.'`::::\/::\  
  /::        \ 
 /::. /"""  """\ヽ 
 |::〉  ●"    ●"|    
(⌒ヽ          |)   
( __   ( ∩∩ )  | 
 |  、_____  /    
  ヽ   \____/ /   シラネーYOカス
   \       /   
     \__/    
420名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 13:31:06
>>413がストーカーなんです〜
421バイキチ:2010/06/10(木) 00:56:19
曹操さんが門司のレトロな駅舎をどのような視点で切り取ったのか、大変気になります。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 01:52:24
>>394
曹操氏の影武者にもなれません。どこひとつ。

例えるならば、
曹操さんの授業中のソレはすべて他国籍の言葉に聞こえて、
終業のチャイムが鳴っても、文字の書かれた黒板と睨めっこしている状態です。
何回も繰り返し読んで、やっとニュアンスが掴める程度の脳味噌の持ち主です。
あぁ、恥ずかし。
423名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 14:02:05
>>409
昨年は門司へ2回訪れました。

あの駅は自分の肉眼で是非見ておきたかったので。
バイキチさんもご覧になったことがありますか?
それはもう様々な角度から楽しめる歴史的建造物ですよね。

駅全体を視野で捉えようとすれば、
前の2車線道路を渡り、反対側に立たなければなりません。
駅前噴水の近くで戯れる人が小さく見えます。

駅の構内、狭い階段を上るとそこにはちょっとした資料館もあり、
門司港駅のミニチュアも展示してありました。
7月後半に行ったのですが(1度目)
広い駅はひんやりとした風が通り抜けて
まるで異空間のようでした。

そうそう、こんな世界には以前語ったモボ・モガが似合うと思った次第です。
切り取って持ち帰った部分を語ると、とんでもない行数になりそうなのでやめておきますw
収めてきた画像があるので、後にupしますね。

古民家の話もいづれ。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 14:27:25
425名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 14:47:28
>>396-397
>----- 自分が薄れていく。
>すぅーっと自分が薄れていく快楽。

これは難しい。

語彙たわわなカキコに恐れ入ってしまって
もう少しなんとかなりませんか?w

そういえば、常用漢字も増えましたね。
「鬱」という字が国語のテストに出るようになるのかな。
アナログとデジタルが変な動きで交差する世の中ですね。

さて、仕事仕事。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 18:01:51
なんかこのスレだんだん重い話になってない?
もっと軽く楽しい思い出話したい
427名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 18:36:23
うちの旦那は京浜工業地帯に勤務してるけど
日航機逆噴射事件の時は会社から見えたと言てった
428名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 22:15:40
き、機長!やめてください!
429名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/11(金) 15:03:04
羽田が見えるならコンコルドも見えたんだろうな
430バイキチ:2010/06/12(土) 14:32:04
曹操さんわざわざ写真をありがとうございました。

門司の駅舎はどの角度から見ても立派なものです。
曹操さんは「モガ・モボ」がお好きなようですね。
古民家のお話お待ちしております。


431バイキチ:2010/06/14(月) 09:50:30
失礼しました。
私も>>392はてっきり曹操さんだと思い込んでコメントしておりました。

門司港駅は写真で見ただけで、実際に行ったことは無いんです。
ヨーロッパなんかだと、普通にモーツァルトの生家があったり
何百年も前の家や石畳が現役で使われていたりします
それに比べたら、日本は機能性重視で、街並み保存に関してあまり重きを置いていないように感じます。

もっとも建物の保存に関しては、地震大国という足枷があるのですが
それにしても簡単に丸ビル壊すなよ、東京中央郵便局壊すなよ、歌舞伎座、築地もか??
わずか数十年で、がらりと無個性な高層ビル街に変貌してしまう現状はいたたまれません
また、地方は地方で、田舎を隠すことに懸命で、都会の模倣に走りがち
どこの地方都市もオリジナリティーに薄れ、田舎を求める旅の楽しさは半減します。
いまや片田舎の傾きかけた駅前食堂や、老舗の駅前旅館を求めるロマンの旅など、企画にすら上がりません。

門司港の駅舎は、そんな時代の流れに媚びることなく、
あくまでも我が道を貫く姿勢が魅力的でたまらないのです。
是非一度、行ってみたい場所のひとつです。

ちなみに>>421>>430の書き込みは、私ではありません
なぜかたまに現れる私の成りすましによって書かれたものです。
432名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/18(金) 12:01:44
>>431
当方、流暢性に欠けたしがない名無しです。
バイキチ氏との共通点を挙げるとすれば『シズコさん』を購読した同志とでもいいますか。
あれからもう1年が過ぎたとは。 ・・早いですね。

また懐古の話 続編待ってます。

なかなか腰を据えてPCと向き合う時間が取れずバタバタしております。
433バイキチ:2010/07/07(水) 11:05:43
【若くして鬼籍に入った友人たちU】

ナオキ

友達の弟だ
やんちゃですばしっこい子だった
小学低学年のナオキが近所の柿の木に登り、ひとつだけなっていた柿をもぎ取ろうとしている所に出くわした。
私に気づいたナオキの友達が「やばい、逃げろ!」と叫ぶと、ナオキはチラッとこちらを見て
イタズラな笑顔を浮かべながらすばやく木から飛び降り、その後、猛ダッシュで逃走をはかった。
その手にはしっかりと渋柿が握り締められていた。
その場にいた同じ年の友達と私は「コラ、柿泥棒!」と叫びながらナオキたちを追いかけた。
ナオキは逃げながら何度も背後を振り返り、その都度ニコッとイタズラな笑顔を見せる。
角を曲がって路地裏まで追いかけたが、人家の塀の上をサルのようなすばやさで渡りはじめた。
追跡はそこであきらめた。
「その柿、渋柿だぞ〜」悔し紛れにそう叫んでやった。
するとナオキはまた振り返り、ニコッとして見せた。
ワンパクだが小さくて可愛い子だった。
434バイキチ:2010/07/07(水) 11:26:01
10代の半ば、ナオキを始め、小さい頃よく遊んでやった弟世代の子達が続々と暴走族に入り始めた。
街で見かける彼らは、身なりも髪型も不良化し、チビだったヤツらの背も高くなり、
見た目では私たち年上を圧倒する威圧感さえ持ち始めていた。
それでもナオキだけは、私を見ると昔のまま照れくさそうにニコッと笑ってくた。
笑いながら目をそらし、首を前後にヘコヘコ揺らし、
挨拶なのか、うなづきなのかわからないような仕草をするのが癖だった。
どこか、新沼謙治の照れ笑いに共通するものがあった。
この頃、爆音を響かせ、集会に向かうナオキの姿を何度か見ている。
ナオキはその暴走行為中に対向車線の車と激突してこの世を去った。

それを聞いたのは、我がホームタウンを離れてだいぶ経ってからだった。
のちに、その友達の家を訪ねて行った時、リーゼントと革ジャンで決めたナオキの遺影を見せてもらった。
思いっきり悪ぶってはいたが、可愛い顔をしていた。
そこにいたのは、悪がきの頃のままの人懐っこいナオキだった。
学校の帰り道、私のご機嫌を伺いつつ、どこまでも後をついて来ていたあのナオキだった。
思い出の中のナオキは、今もその頃のまま止まっている。
435名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/07(水) 12:46:04
昨日のスタァ同窓会はわれわれの世代にドンピシャだったねー
436名無しさん@お腹いっぱい:2010/07/07(水) 14:23:00
パイキチ氏の回顧録に永ちゃんの「安物の時計」が似合う。
437名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 12:53:29
昔話
438名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 13:36:16
テスト
439名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/11(水) 02:17:03
スレ趣旨からハズレますが失敬・・

>>423
下関へ行くことになったので門司にも渡ってみます
なかんか楽しみです。

423さん もっといろいろおしえてください。
レトロな旅、好きです。
ついでに美味しいところも・・・
440(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2010/09/08(水) 00:55:57
ネタがないンです。
常勝将軍のレスにあった村上春樹の羊を読もうと思ってて・・・
ダンスは読んだンですけど、羊はまだで・・・
でもまだ・・・

だから保守だけで・・・
441名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/14(火) 15:13:19
もう話ないの?
442名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/21(火) 02:26:30
>>440

じゃなく・・
443名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/23(木) 09:53:21
2chだも ん俺
444名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 01:01:05
昔はトイレでウンコした瞬間しりをひねったもんだ
当時は当たり前過ぎて想像だにしなかったけど
愛しのあの子もウンコしたあと尻をひねってたんだなあ
日本のあちこちで老いも若きもしりをひねってたんだ
ピンクレディーも山口百恵もウンコした瞬間しりをひねったんだ
感慨深いなあ
445名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 01:07:20
みつを
446名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 01:18:00
>>440
羊たちの〜
読んだけど他の作品とごちゃ混ぜなって思い出せない。
ピンホールにも羊出てきたような気がするし、カラスとかもいたし…
447ヤジジャック:2010/10/13(水) 00:21:59
カラスはカフカじゃないすか?

羊をめぐるに出て来るのは鼠に星マークの羊
448(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2010/10/13(水) 01:24:39
>>444
ものすごく大事なコトを思い出させてもらったというか、、、
今、そんな気持ちでいっぱいです。

>>446
「いるかホテル」が出てくるお話です。
涼しくなってきたのでそろそろ読み始めようかと思っております。(たぶんw

>>447
ジャック君、久しぶり。w
カフカって、少年がでてくるンだっけか。
449(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2010/10/28(木) 02:03:58
保守
450ヤジジャック:2010/11/03(水) 15:55:06
>>448
カフカの主人公は主に少年だよ
少年のよりナカタと星野の話の方が好きだけど
451名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 18:49:46
(´・ω・`)なんという・・・ほのぼの風景、こんなスレがらいまお
452(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2010/11/20(土) 02:43:15
>>451
聞こうか聞くまいか迷ったンだけど・・・
思い切って質問します。

本当はなんて言いたかったの?>「こんなスレがらいまお」
453名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 14:34:44
ヒント:おまいらが
454ヤジジャック:2010/11/20(土) 21:42:55
まあ、おれは生まれてからずっと、浮いとんよ(´・ω・`)。
455(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2010/12/08(水) 01:40:20
>>453
おまいらが?
おまいらが、、、レスなんこ、、、

>>454
詳しくw
子供の頃の思い出話などひとつ・・・いえ、二つでも三つでもイイですけどね。w

私は小心者で人見知りの激しい子供でした。(たぶん
小学校のとき、同じ学年の男の子に「おまえ、お尻をフリフリしながら歩いてる」
と言われましてね、今考えれば早歩きだとお尻フリフリが普通なのですが、
そのときは物凄く気にしちゃって、しばらくは後ろ姿がみえないように
下校は家に着くまでほとんどカニ歩き状態でした。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/08(水) 01:57:31
モンローウォークしてた?
457(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2010/12/08(水) 02:13:17
してません!w
458バイキチ:2010/12/22(水) 12:18:52
12月、師走、クリスマス、歳末、
こんな言葉を聞いただけでどうしてあんなにワクワクできたんだろう?
それはきっと、毎年お正月になると田舎から親戚が出てきていたからだ
だから冬休みの終業式は格段にうれしかった
土曜日の放課後のうれしさの集大成のようなものだ

12月になると、誰ともなくポケットに独楽を忍ばせてくる
学校に持ってくるのは禁止されていたが、その禁止行為は12月の風物詩だった
この時期、駄菓子屋には独楽がいっせいに並ぶ
カラフルなカラゴマは、安くて魅力的だった
いかにも強そうな鉄ゴマや、木でできたカッポリと呼ばれる大きなコマもあった
サイズが大きくなると値段も高くなるので、なかなか手に入れられない代物だった
4号とか8号とか書かれていて、手に取るだけで満足だった

そしてこの時期、駄菓子屋には凧が並ぶ
安い凧は店先につるしてある
高い絵凧や奴凧は、店の壁に飾ってある
少し斜めにしたり、空高く飛んでいるかのごとく、天井からつるしたり
今考えると、あのセンスは秀逸だ
あのおじさんが工夫して飾ったんだろう
僕らの間では、奴凧が一番高く飛ぶと言われていた
奴凧は尻尾が一本、その他の凧は尻尾が二本
ゲイラカイトが、日本に上陸する前のお話だ
459バイキチ:2010/12/22(水) 12:22:19
駄菓子屋のそばでは、近所のおばさんが落ち葉焚きをしている
焚き火の匂いも、また冬の匂いだ
その脇で女の子たちが、ゴム段をしている
スカートを器用にパンツの中に入れる即席ちょうちんブルマー姿は、鉄棒のときにもよく見かけた

年末、母が、歳末大売出しの福引で当てた10円券をくれた
普通に10円をもらうより、うれしかった
おじいさんがやってるお菓子屋に行って、10円のライスチョコレートと交換した
その帰り道、文房具屋によって新しい下敷きを買った
なんでもないことだけど、なぜか心はワクワクしていた

そして待ちに待った大晦日の朝、従兄弟が田舎からやってくる
寝台車に乗って半日かけてやってくる
ゆっくりと、長い旅を終えた寝台車の先頭車両が、ホームの先に見えた時
僕の心は最高潮に達した
460名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 17:32:02
パシャッ    パシャッ
   パシャッ
      ∧_∧ パシャッ
パシャッ (   )】Σ
.     /  /┘   パシャッ
    ノ ̄ゝ
        ミ∧_∧ パシャッ パシャッ
       ミ (/【◎】
     .  ミ /  /┘
        ノ ̄ゝ

年末だ!急げ急げ!!
461名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 17:32:23
パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ    撮れ!
   パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ  パシャ  パシャ 
 ∧_∧      ∧_∧     ∧_∧  ∧_∧    ∧_∧     ∧_∧    
 (   )】      (   )】    (   )】 【(   )    【(   )    【(   )
 /  /┘ .   /  /┘.    /  /┘ └\ \   └\ \   └\ \
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ      ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ
パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ     撮りまくれ!
   パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ  パシャ  パシャ 
 ∧_∧      ∧_∧     ∧_∧  ∧_∧    ∧_∧     ∧_∧    
 (   )】      (   )】    (   )】 【(   )    【(   )    【(   )
 /  /┘ .   /  /┘.    /  /┘ └\ \   └\ \   └\ \
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ      ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ
462名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 17:43:46
ああフイルム入れっぱなしのカメラが3台くらいあるわ
463名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 23:10:18
エポック社の野球版。男子の定番おもちゃナンバーワン。
パチンコ玉のようなボールをゲーム盤中央のピッチング装置に入れ、
スコアボードの後ろにしつらえられたバネの操作棒で弾き出し、
それをホームベースの脇に固定されている、
これまたバネで回るバットで打ち返すというものでありました。

スコアボードの後ろの投球用の操作棒は2本あり、
左側がボールを弾き出すバネに連動し、
右側はマウンドとホームベースの中間の盤下にある磁石を左右に動かす操作棒になっていて、
この磁石を動かすことで、カーブやシュートといった変化球も投げる(?)ことができました。

後年、漫画「巨人の星」の影響だったのか、途中に落とし穴のような装置があって、
そこにボールが沈んでゆく「消える魔球」を投げることが出来る邪道ともいうべき野球盤も出てきました。

さらに、昭和50年前後には、実際に、ボールが空中を飛ぶ仕組みで、
文字通りボールを投げ、やはり、バネで回転するバットではありましたが、
実際にフライやライナーを打つことが出きるものも登場。
私は学生時代や会社に入ってからも、アパートに友達を呼んでは、
この画期的な野球盤で遊んでおりました。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 23:21:04
消える魔球 やったな
465名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 23:30:10

  税金乞食 ごきぶり菜月  この世から居なくなれよppp
466名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 01:04:25
任天堂のゲーム板のサッカーもやった
「おいら、釜本!!」て言いながら( ´∀`)

あと、歳末は福引きでハワイに行けるかと・・・・

467名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 01:13:25
トリスを飲めばな
468名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 01:43:16
>>467
あれはな、外貨持ち出し制限&渡航ビザ難の時代だったから
当選者が実際にハワイ〜♪できたのは数年後だったんですぜ・・

でも、そのあいだに
べ平連が大活躍したんだけどね。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 02:19:46
ベ は、開高健だな
470名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 03:48:17
もう独りいたんだけどな・・・
471名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 03:59:38
ねむるよー。お金ないけれど
ねむるのは、しあわせにつながるから。
おやすみぃ。
472名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 04:02:09
眠るぞ おやすみ
473名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 04:05:25
自分はこういう映画を日本でも作ってくれたんだと
映像クオリティ的に満足というか感動したので
糞と言われて切り捨てられてしまうのはなんだか哀しい気分になります
内容についてのご意見なんだとは思いますが
474名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 04:11:18
荒木一郎と、矢作俊彦の時代だよな
475名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 04:14:04
このスレに前、来てた
中国賢人は愛想尽かしたのか??

あいつは、コンプレックスになるくらい
自分でしかいられない可愛いヤシ

気づいて
戻ってこいよな〜〜〜〜
476名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 04:30:45
>>473
どの映画の話?
477473:2010/12/29(水) 04:32:55
>>476
黒澤、川嶋、大島、神代、  ・・・そして大島
478473:2010/12/29(水) 04:54:05
477
反応しろよなー!!(怒!
479473:2010/12/29(水) 04:55:15
>>478


476に宛てて
480名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 04:56:28
バイキチはどうなったんだ??
481名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 05:35:06
大根の過去もナ
482名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 05:53:19
大根も面白いから居て欲しい

それより1はどうなったんだ
483名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 05:54:17
>>482
ばか、センセーショナルはageて聞くもんだ・・
484 【大吉】 【795円】 株価【19】 :2011/01/01(土) 22:57:12
新年のご挨拶に参りました。
今年もよろしくお願いしますよお。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/02(日) 05:01:40
最低4人はいたスレでしたのにね・・・
贄を見守るコテスレですか?
486名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/02(日) 05:15:26
昔話聞くのが趣味

照れずにどんどんやってほしい
487名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/02(日) 05:23:13
年寄りスレで悪いが
まずは、カモーンだろ・・


膝を折るのも代替わりの証左・・
488名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/02(日) 06:18:18
コテが黙れば突っ込むわなぁ。。。
489バイキチ:2011/01/05(水) 12:48:13
なんだか懐かしいフレーズがじゃんじゃん出てますな

野球盤 消える魔球 あれ程のいかさまを子供のおもちゃに取り入れるとは何たる営業姿勢!
余談ですが、先日「子供のおもちゃ」と言ったところ
「本来おもちゃは子供のものだから、頭に子供をつける必要はない!」
と突っ込まれました。

べ兵連、小田実、何でも見てやろう
うちの隣にべ兵連のお兄さんが住んでてね
夜中に屋根の上でアジ飛ばして警察が来たらしい
子供の私は、その時間帯、夢の中で知らなかったけど
でもあのお兄さん優しかったんだよな

荒木一郎 今夜は踊ろう
山崎ハコのアンニュイな歌い方がいい
http://www.youtube.com/watch?v=J3t84u2ZeOg&feature=related

70年代を知りたければ、是非大島渚の「新宿泥棒日記」を見てほしい

そう言われて見ましたよ、あれとか寺山の「書を捨てよ町に出よう」とか、
ああいう、わけわかんない映画をまた見たくなった。

私的には、現在70年代を総括中

ノルウェイの森?
よく行くスナックの若い女の子が見に行ったらしい
その子はなかなか着眼点が面白くて、私のお気に入りの子だ
総評を聞くと
「なんか、人のオナニー見せられてるようで、嫌な感じでした」
その評価を聞いて、急に見に行きたくなった。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/05(水) 23:14:28
べ平連ね。
491名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/15(土) 00:15:45
ベトナムに平和を!市民連合
492名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/15(土) 10:57:04
フランシーヌのばやい
493名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 21:26:03
だからどうした
494名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/07(月) 13:16:58
食う寝る遊ぶ
495名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 02:23:11
井上靖の「しろばんば」の時代背景を追慕してみたい
496名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 03:39:59
豆腐屋さんのラッパ
497名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 14:07:41
498名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 08:05:56.55
男はみんな整髪料に七三分け
499名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 03:11:37.34
木製電柱に笠の付いた裸電球
500ヤジジャック:2011/02/28(月) 21:06:55.08
500円札
501名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 23:16:00.70
下らない1行レスするsledジャない羂
502天蓋 ◆OK.BEATVW. :2011/03/18(金) 04:11:30.52
誰もいないのかな・・・・・?
503名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 04:29:53.55
なんだなんだ
このチキンスレはー
504名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 16:38:12.15
五十円玉
505名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 06:34:30.74
チキンカレーならどう? 503
506名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 17:06:00.87
カレー屋はとんと入らなくなったけど、
今でも冷水にスプーンを入れる店はあるのかな
ルーとご飯を分けて出す所はあるだろうけど
507名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 11:50:21.44
菅直人がネットで検索してそうな言葉
http://ow.ly/4pMZp via/ぶる速vip
508名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 05:08:38.93
ninguem atende o celular n e? PUTA QUE PARIU
509名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 00:56:44.46
楽しくなさそうだ
510名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 08:05:55.36
ややや!このスレ初めて見たが…


イイ!
511名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 20:12:44.61
バイキチさんどうしたんだろ?
元気にしてるかい?
512名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 09:52:57.62
50板行ったか被災したかのどちらかだと・・・
513名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 10:23:08.36
36年前、まだ両親が離婚する前に住んでた地区へ行って来た。
タコ糸に煮干をくくりつけ、ザリガニを捕まえた小さな溜め池、
真っ暗になるまで遊び回った空き地、下校時にもぎ取ってかぶりついた
林檎、桃、ネクタリンなどの畑、すぐに枠が曲がってしまうチャチな網
で鮒をすくった小川、カブトムシを捕りに行ったジャングルの様な森、
ボンカレーなどの看板が貼ってあった板張りや土壁の家々…
みんな無くなってた。
今では広い道路にお洒落な住宅が建ち並ぶ別の街。

一気に子供時代が遠くに行ってしまった気がした
(´;ω;`)
514名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 18:00:01.73
正に「昭和は遠くになりにけり」だな
515名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 20:02:53.33
>>512
ま、まさか

曹操さん、バイキチさん、大根さん…
皆さん御無事でいますか〜?(・_・;)
516名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 22:45:55.90
悦王はどうでもいいのか?
517名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 23:00:23.14
どうでもいい
518名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 01:29:02.87
もっと安否を追及してみよう
519名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 20:50:39.34
定期的にageとけばバイキチ氏達の目にとまるかな?
520名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 21:17:50.09
だったら俺も協力しよう
521名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 23:50:55.40
じゃあ俺もw
522名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 01:13:45.13
地震中だが、これを聴き続けていたい
ttp://www.youtube.com/watch?v=oLcNoTHxPgo&feature=related

2011年は厳しいな。昭和は完全に息の根を止められた
523名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 01:17:35.18
524名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 12:58:42.02
スーちゃん…

(´;;ω;;`)
525名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 15:25:36.00
「2CH 神の目」より 「お入りなさい゚・*:.。..眠れるまで」
ttp://labs.digitalhell.net/2ch/dat/20110415/honobono/1291738924.html
526名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 21:37:52.66
ん?(・_・;)
527名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 00:45:19.45
誤爆らしいです
528名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 22:26:23.72
期待age
529名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 20:31:24.35
バイキチさん達、ザッと見た限り50代板にもいないようだけど
まさか本当に被災されたんじゃ…(-.-;)
530名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 01:25:02.44
曹操さんとバイキチさんの話は東京を舞台にしてる印象だったニャ
3月11日に東京にいたんなら生命に関わる震災には遭われてはいないニャ
大根さんは東北の方だから心配だな。常連名無しさんも東京、それと西日本〜九州だから
やはり大根さんだけが一番心配だニャ

曹操さん長く見かけないけど、主さんなら、今こそ語ってほしいニャーニャ
3.11で昭和は完全にブラックホールまで吹き飛んだ通説の中でもっと昔を聞かせてほしいムニャ
531名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 01:48:45.66
大根は無事だったよ
532名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 02:00:22.18
大根さん、どこかのスレで復活してるんですか?
533名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 02:22:48.82
>>532
〜☆〜コテハンたちのお月見スレ〜☆〜
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cafe40/1303739737/l50
534名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 02:25:40.87
ありがと
なんだ皆が心配してるんだから
安否報告くらいしてくれたらいいのに大根さん
535名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 02:35:44.64
>>346と、このスレへの監視は怠らない人だけに
本人が敢えて>>515以降のレスメッセージを無視していると考えたほうがいい
2ch的大人の事情とかあるんだろうよ・・合掌
536名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 08:15:55.88

(´・ω・`)ショボーン
537名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 12:02:07.86
大根の粗忽さをナメてるバカが居るなw
538名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 13:06:29.38
>>537
日本語でおk
539名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 14:17:21.23
>>538
キミに理解できない日本語もあるんだよw
540名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 14:46:49.49
日本語になってないものは誰にとっても駄文。

大根の粗忽さをナメてるバカが居るなw


大根の「粗忽さ」?
それをナメる?
ナメた人がバカ?
しかもそれが人物で居る居ないと見回し
最後に葉っぱ摘んでる池沼だぜ
池沼を装う嵐というより、場違いな名無しクンだネ
541名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 15:14:01.87
>>540
日本語でおk
542名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 15:20:00.06
>>541
キミに理解できない日本語もあるんだよw
543名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 15:21:09.69
大根の粗チンをナメてるバカが居るなw
544名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 16:26:54.85
>>542
自分の言葉でカキコしろよw
545名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 19:05:41.46
>>544
キミに理解できない日本語もあるんだよw
546名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 20:22:33.25
最後に書いた者が勝ち〜w
547名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 22:29:11.77
なんでここあらされてるの??
548名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 00:50:09.57
幸福の黄色い半勃ち
549名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 00:57:17.34
かっこわらい。
550名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 01:08:37.27
ちょっと路駐してたらすぐ罰金取るくせに電車の中でベロチューしてるカップルは取り締まらない大阪の常識
551名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 01:10:45.35
完全に寝起きの声で「いや、寝てないっすよ」って言う癖いいかげんやめたい。
552名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 06:25:28.28
息子は起きっぱなし
553名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 06:55:07.86
大〇 荒らすの止めてね
554名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 19:52:01.74

|、ン、)ジー


|)彡サッ

555名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 23:09:36.33
 哀愁の 空にたなびく こいのぼり

あの老人は『戦後より、この震災のほうが酷い』と話していた。

今を「昔」と語れるにはどれくらいの年月が要るだろうか・・
556名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 06:08:41.44
アラフォースレと無職スレ削除
557名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 22:30:29.47
人生やり直したい
558(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/05/09(月) 23:26:41.45
みなさん、ご心配いただきありがとうございます。
なんていうか、、、ホントに嬉しいです。
このスレへの連絡が遅れたコトにつきましてはお詫びいたします。
毎度なんのネタもないスレ保守係の分際で、「無事です宣言」だけのために
常勝将軍とバイキチ師匠を差し置いて顔を出すのははばかられ、
なにかネタをと思い探しておりましたが結局明るいネタはみつからず、
今頃ノコノコと姿を現す羽目になってしまいました。
本当にゴメンナサイ。
地震の酷い地域に住んではおりますが、無事でございます。
これからも何卒ヨロシクお願い申し上げます。

ご存知の方もおられるようですが、私はコテスレ在住でございます。
お暇なときは是非ご利用ください。
「例のスレで」と言っていただければ特別出血大サービスさせていただきます。
559(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/05/09(月) 23:34:18.78
ずぅずぅしいとは存じますが、今回だけウザイ真似をさせてください。
>>515
私だけで申し訳ないです。
二人とも無事だとイイんですけど・・・
>>530
生きてます。
>>533
アリガトw
新しいスレはこちら(↓
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cafe40/1304520609/
面倒なのでスレタイ一緒です。
>>534
ゴメンね。
堪忍してつかぁさい。
>>535
えぇ、全く怠っておりません。w
事情は上の通りでございます。


私の祖チンに関してはいずれまた・・・
560名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/11(水) 15:08:48.46
おぉ 大根さんだぁ!お懐かしやw
お元気そうで何よりです
ROM専の自分はお三方の書き込みを楽しみにしてました。
また時々は姿を現して下さいね(^-^)ノシ



バイキチさん、曹操さんは何処に…(-.-;)
561(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/05/11(水) 23:59:57.67
>>560
ありがとうございます。
やっと羊を読み始めましたので読み終わったら来ますね。
562バイキチ:2011/05/12(木) 10:45:49.24
みなさん、お久しぶりです。
久しぶりに覗いてみてびっくりしました。
心配してくれていた方々、すみませんでした。
震災とは全く関係なく無事に過ごしております。
そろそろ40代板も場違いになって来たような気がして、しばらく離れておりました。
実はまだまだ40代なのですが、思い出話が古すぎる私ゆえ、立ち位置が中途半端。
かといって50代に行くわけでもなく、放浪の旅に出ておりました。
とりあえず、ご心配いただいた皆さんにお礼を言います、ありがとう。
また皆さんの話も聞かせてくださいね。
563名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 22:59:58.60
みなさん、さようなら・・・。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 00:37:59.76
ああ言えば曹操さんは被災地ボランティアに出かけているようですのでご安心を。
565(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/05/13(金) 00:50:06.27
>>562
バイキチ師匠、ご無事でしたか。w(ヨカッタヨカッタ

>>563
お早いお帰りをお待ち申し上げております。

>>564
そうなんですか?
ボランティアと自衛隊の方には本当の本当に頭が下がる思いです。
どれだけ助けられているか・・・
566名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 01:07:20.06
>>565
会ったことも直接話したこともない人の心配をするということ。
これは掲示板の持つ不思議な力だよね。
バイキチ氏もでーこんも無事でなによりです。
2人の息子殿も今は本当に大変だろうけど
この経験がこれからの人生の糧となることと思います。(と、偉そうにごめん)
567名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 14:13:18.34
>>562
あ!バイキチさんだぁ\(^ー^)/
お久しぶりです。突然姿を消されてしまったので心配してました
お元気そうでよかった(*^o^*)
バイキチさんの話、大好きです。
またここに常駐して色々聞かせて下さい☆
568(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/05/14(土) 00:13:45.77
>>566
全然偉そうじゃないですよ。w
ありがとうございます。
私も今回のコトは子供たちにとって、とても貴重な体験になったと思ってます。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 22:38:24.89

|、ン、)ジー



|)彡サッ

570バイキチ:2011/05/16(月) 11:20:04.83
豪放磊落な男たち

「新しい元号は・・・・平成です」
いつの間にやら、あれから20余年
バブルに始まり、平成不況、阪神淡路大震災、国家転覆を図ったオウム真理教、
携帯電話やインターネットの普及、東日本大津波震災と、考えてみれば様々な出来事がありました。
ここへ来て、「草食系」に代表されるように「最近の若者はおとなしくなった」などと言われていますが
おとなしくなったと言うより、無茶苦茶なやつがいなくなった、と言った方が正しいように思えます。
良いか悪いかは別にして、昔に比べて、豪放磊落、破天荒な男、というのが減っているのを実感します。
これは今に始まったことではなく、我々の世代からすでにそうでした。
突出せず、常識的で、争いごとを好まず、人からどう見られているか極端に気にする
裏を返せばそれは、平和な世の中だからこそ成り立つ風潮だとも言えるでしょう
私は>>220で曹操さんが書いた「昭和のオス」という表現が好きです。
気がつけば、私自身も含め、
偽善に漂白された面白みのない男たちが、今の世の中を引っ張る立場になっています。
そんな状況に、どこか後ろめたさを感じつつ、
昭和の豪放磊落な男たちの逸話を懐古してみようと思います
571バイキチ:2011/05/16(月) 12:20:10.54
破天荒な男 その@ 三船敏郎

私の知人に三船敏郎のご子息と同じ小学校に通っていた人がいた
当時、映画スターとして全盛を極めた三船敏郎
そんな彼が、子供たちの運動会にヘリコプターで乗りつけ、上空からおもちゃを撒いたというのだ
子供たちは大喜びで空から降ってくるおもちゃに群がった
しかも時は世の中がまだあまり裕福ではなかった昭和30年代、
その時代の、まるでハリウッド映画のようなスケールの大きい話に私は惹きつけられた
ところがこの一件は、後にPTAの大顰蹙を買う事態へと発展した
この学校に通うのは高級住宅街に住むいわば上流階級のご子息たち
「役者風情が生意気な」
「宅の子は乞食じゃございませんの」
そんなことを言ったかどうかは知らないが
当時の山の手ママたちの苦情風景を想像するも面白い
世界の三船も、元祖モンスターペアレントの勢いには勝てなかったのだろう
翌年以降、三船が小学校にヘリコプターで乗りつけることはなくなったという
572名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 23:29:03.43
うぅっ またバイキチ氏のカキが見れる幸せ♪
573バイキチ:2011/05/17(火) 11:34:50.02
逸話の面白さは、その信憑性も含めて、好き勝手な推察が出来ることだ。
特に絶対会うことの出来ないような有名人に関する逸話は、絶好の材料になる
この手の話の、ある程度の飛躍や、正確性に欠ける点は覚悟しなくてはならない
そこの部分も含めて検証していくのも、また面白い
>>572さん、ありがとう、励みになります。
私は話題投下していきますので、皆さんの感想や見解なども聞かせてもらうと嬉しいです。
574バイキチ:2011/05/17(火) 12:12:07.13
そのA 野坂昭如を怒鳴りつけた男

ある地方の講演で、作家の野坂昭如氏を呼ぶことになった
講演の前日、企画チームが野坂氏を迎えに行って、老舗の旅館に招待した
そこで料理を振る舞い、野坂昭如先生の歓迎会が行われた
ところが、野坂氏は料理を一口食したとたん
「こんなまずいものは食えん」と憮然とした表情
それを見ていた社員の一人が、すかさず
「そんなら食うな!」と野坂氏を一喝

そのあとどうなったのか私は知らない
ただ翌日の講演はなんとか無事に開催されたらしい

「こんなまずいもん食えん」と接待の場をぶち壊す野坂氏も野坂氏だが
「そんなら食うな」とやり返す一介のサラリーマンもまた最近見ないタイプである
戦後のモーレツサラリーマンの中には、この手の豪傑が多い
仕事も出来るが、腕っ節も強く、長いものに巻かれない正義感が信条みたいな男
そこに駆け引きや損得勘定は一切ない
それでいて、飲む、打つ、買う、のどれかで失敗談をもつ好人物
私の周囲にもいないわけじゃないけど、諸先輩方の話に比べて何かが小さい
575名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 02:29:09.91
>>574
相手が大島だと、野坂は思いきり殴っていってるね
大島も武闘派時代さながら、応戦するところが熱い!!
576名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 15:11:48.80
確かに豪放磊落、破天荒、熱い男…
ってのは今ではいない気がするね。全てにおいて薄っぺらい感じの
現在では仕方ないことかな?
577名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 00:54:12.78
578バイキチ:2011/05/23(月) 09:36:01.17
《愛すべき大物   田中角栄》

ある地方記者が、総理大臣である田中角栄を取材するため、ホテルの一室を取って待っていた
件の総理は、そのホテルの向かいにある議員会館で会議中
政治家が約束の時間に姿を見せることはまずない
1時間や2時間の遅刻はザラ
ましてや地方記者の取材など、ぞんざいに扱われることは記者も心得ている
地方記者は持久戦を覚悟していた

ところがその日、約束の時間ちょうどにドアがノックされた。
まさかと思い記者がドアを開けると、なんとそこには田中角栄総理の姿が・・・
あっけにとられていると、角栄総理は
「○○さん、会議が長引いて、もうちょっとかかりそうだ、すまんが、も少し待っててくれ!」
そう言い残すと、すたこらとその場を去っていった。
若き地方記者はあっけにとられ、今起こったことがよくつかめないままでいた。
「い、いまの田中角栄本人だよね?」そんな自問自答をしながら、ホテルの窓から下を眺めると
当の総理が秘書も従えず、たったひとりで、向かいの議員会館へ小走りに帰る姿があった

「地方の若造記者に一国の総理大臣が、自らの足で会議を抜け出してわざわざ断りを伝えに来てくれた」
「電話一本でいいじゃないか」
「秘書に行かせりゃいいじゃないか」
田中角栄の行動は、誰もが思う裏を突いてきた
この記者はそれ以来、田中角栄の虜になったと言う

人を惹きつける魅力とは、人それぞれだろうが
ロッキード事件以降も、田中角栄の根強い支持者は彼の元を離れなかった
その理由の一端が、この話の中に見えるような気がする
579名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 13:50:41.71
>>578
ここを覗いてよかった!!
580名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 21:27:22.88
んだなす。

バイキチ氏復活よがったよがった(*^o^*)
581名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 00:00:14.61
私はいまだに高校時代に戻りたいなんて思っているけど、
みんなはそう思うことない?(周りに聞けないのでここでマジで質問)
582ダメ人間:2011/05/25(水) 22:18:49.70
>>581
俺はもうすぐ47才の無職。もうこの先希望を持つことなんて出来ず、
いつも昔を振り返ってばかりいる。
高校はつまらなくてサボってばかりいたけど今になると切ない位に
愛しく懐かしく思いだす
583(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/05/27(金) 00:11:04.31
やっぱバイキチ師匠のレスって面白い。。。(超感動

っていうか年いくつなんじゃろうか。w
584(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/05/27(金) 00:38:59.47
>>581
思うコトある。w
あのときからやり直せたら・・・って思う。
でも年取った今の自分も好き。
あれやこれやいっぱい失敗してきたから今の自分があると思う。

>>582
無職はキツイですね。w
友人から「履歴書何枚書いたかわかんねぇ」なんて話を聞くと
なんて言ってあげたらイイのかわかりません。

ガンバレという言葉は好きじゃありません。
なので「イキロ」とだけ・・・
生きてりゃイイ事あるって。
辛くなったら言ってください。
聞くだけしかできませんけど、誰かに話すと少し楽になるかもしれません。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 01:09:49.55
★祝・3周年★

>>581
思うよ。学生時代は何も怖くなかった。(どっかで聞いたような台詞)

>>582
現状も未来になれば懐かしい思い出となるはずで。
懐かしい出来事、此処に書いてみるのも良いかもです。

>>584
側溝おパンツ事件やボディコンお立ち台ブイブイや
若いときじゃないと出来ないことを存分してきたからこその発言ですね。(あ、失礼w)
586バイキチ:2011/05/31(火) 10:30:08.76
ああ、3周年なんですね
このスレッドを追慕するほど長くあるんですね
高校時代・・・私は進学校の落ちこぼれ生徒だった
学校生活は楽しかったけど、勉強は嫌だった
元来、私が持っている内向的な側面を隠し
人を笑わせること、目立つことで、そのコンプレックスを埋めていた
幸い今でも高校時代の仲間との交流はある
大人になった視点で、あの頃を語り合うのが面白い
お互い15歳からの年表を知っているだけに、その掘り下げに遠慮が無い
彼らを見ていると、いろんな人生がある
長い人生の中では、停滞したり、後戻りしたりすることもある
だが流行りの価値観では、それを負け組と言うらしい
そして、そういう人たちは同窓会に来ない
受験戦争を中心に、競争社会の中で生きてきた我々世代
他人との比較で、自己評価する癖がつきすぎた
人間最後に残るのは生活力なはず
僕たちは、家があって、健康で、3種の神器に囲まれて、生活出来る贅沢を忘れがちだ
落ち込みに入ったときは、今の価値基準を捨てて、考え方を変えると楽になるかもしれない
587バイキチ:2011/05/31(火) 10:38:56.14
>>585
ところで、その側溝おパンツ事件て、ものすごい気になるんだけど?
588名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 17:22:03.96
常勝将軍は被災地から帰って来たようです
589(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/06/01(水) 00:16:30.84
>>585
3周年かぁ。。。早いですねぇ。
それでですね、側溝とかおパンツとか、なんのコトでしょうか・・・(伏目がち

>>586
憎らしいほど素敵です。w

側溝パンツ事件については、たいした話じゃありませんから忘れてください。

>>588
ホントですか?
ヨロシクお伝えください。
590名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 01:38:42.77
>>586
スレッドの3年はすぐ振り返ることができるから不思議と時間が経ってないね。
途中、しばらく来てなかったんですが、気づけば3年目だなぁと思った次第で。

此処ではバイキチ氏の人生の流れ方をこっそり覗かせてもらってるようです。
「バイキチ節」の1読者です。
男が男を語る時、当たり前に女のソレと違うから。なんかイイ。

>>588
お疲れ様ですと伝えてください。

>(。・ヮ・)大根
側溝だのなんだの。
自分の間違った記憶はデリートしておきます。ごめんねw
591名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 22:00:28.31
良スレ発見!!!
592バイキチ:2011/06/02(木) 11:15:08.75
>>589
多分忘れません
>>590
ありがとうございます
ここでは、出来るだけ、ありのままの実話を再現しています
ここには、そういう気分にさせてくれる安心感があります
>>591
何かお話があったら聞かせてください

今日は昭和の律儀な男たちを懐古してみます
593バイキチ:2011/06/02(木) 11:19:44.55
昭和の律儀な男たち

《高倉健》

前述の三船の話を聞いたS氏が住んでいた高級住宅地には、当時の映画スターも数多く住んでいた。
S氏の話には、私の住んでいた地域では考えられないような逸話が数多くある
S氏の父上が当時珍しかった外車を運転していたときに、岡持ちの自転車をはねてしまった。
するとすぐさまはねられた岡持ちがすっ飛んできて「申し訳ございませんでした」
と土下座しながら謝り、高級外車の損傷を気にしていた
身分格差の自覚が、岡持ちをそこまで卑屈にさせていたかと思うと、いささか気の毒な話である
昭和30年代前半の話だ
そう考えてみれば、いかなる職業であれ、国民が平等な権利を主張し
自由に発言出来るようになったのは比較的最近のことだ
そのかわり、権利の主張が暴走し、自由と我がままを履き違える風潮がまかり通る時代への変遷が、お土産としてついてくる

閑話休題

そんなS氏の近所に、高倉健の邸宅があった
同じく大スターであった江利チエミとそこで結婚生活を送っていた
S氏が道端で遊んでいたら、高倉健がスポーツカーに乗って出てきて
「坊やたち危ないよ」と言い残し去っていったことがあるそうだ
あるとき、高倉邸から火の手が上がった
高倉邸はその火事で全焼した
S氏の家からはかなり離れていたため、直接的な被害はなかったが
高倉健が突如菓子折り持参で「たいへんご迷惑をおかけいたしました」とお詫びに来たという
向こう三軒両隣にとどまらず、地域全体を回ったらしい
それから高倉健はその町を去って行った
火事との因果関係は不明だが、その直後、高倉健と江利チエミは離婚している
594名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/02(木) 14:16:39.06
>>586
"負け組"の自分にはグッと心に沁みるなぁ(´;ω;`)
595 忍法帖【Lv=15,xxxPT】 :2011/06/03(金) 14:15:45.33
ナヌ良スレ!!
昔話面白い
時々馴れ合いも入りやす
被災地ボランティアの人レポ上げて欲し
596名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 16:53:05.41
トルコスレはもうやらないのですか
バイキチさん達のファンだったのですが
597名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 19:29:02.05
ト、トルコ!?
もしかしてあのお風呂のトルコ!?
(;´Д`)ハァハァ


バイキチさん常駐スレってあるの?
598名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 20:29:12.67
大根さんは何歳ですか?
599名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 20:33:06.80
「竿竹〜」
「た〜まぁちぃ〜」
とか、行商のおっちゃんにおばちゃんが町中を徘徊しておりました。
600(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/06/04(土) 01:08:33.00
>>590
「ごめんね」だなんてそんな・・・w
お気遣い感謝です。

>>592
バイキチ師匠は記憶力良すぎるンですよ。w
でもたまにいるンですよね、「なんでそんなコトまで覚えとるンじゃ!」って人が・・・(ウラヤマシ

今度トルコの話聞かせてください。

>>598
秘密に決まってます。w
601 忍法帖【Lv=35,xxxPT】 :2011/06/05(日) 05:09:31.38
>>599
かんとん(かんちく?)、って何ですか?<竿竹
602バイキチ:2011/06/06(月) 09:41:43.51
>>594
水木しげるのマンガの中にこんな一説がありました
「人生なんて、上がったり下がったりする寒暖計のようなもの」
「そこに、いくばくかのお金が行ったり来たりするだけのものなのよ」
なんてことないけど、僕はこれに救われたことがあります。

トルコスレも意外と見てくれてた人がいたんですね・・
あそこも数名の面白い人たちだけでやってる感じがしたので
油断してバカなことをペラペラしゃべり過ぎました
トルコ風呂経験者も僕辺りの年代が最期でしょう
今はモーテル同様絶滅危惧されている連れ込み旅館に行っておきたいんです、逆さくらげってヤツ
て言うか、まだあるのかな?
一緒に行ってくれる人募集中(ただし女性に限る)

>>597
トルコスレ無き今、ここくらいです。
それと40代板が出来たときに作った駄洒落スレの保守

>>599
行商は減ったし、屋台も減りましたよね、金魚屋は冬になると焼き芋屋なるらしい
アメ横もジーンズ屋が年末には魚屋になったりするんでしたっけ?
紙芝居も、あさり売りも、豆腐屋も、学校の校門にいた怪しげなおじさんも、みんないなくなったなぁ
もう一度、牛乳屋の牛乳瓶の音で目覚めてみたい

>>600
「その記憶力を、くだらないことに使わずに、勉強の方に使え!」と、何度言われたことか
そんな私も、最近記憶力の衰えが来ています
ここに書くのは、その記憶をとどめておくためでもあるんです。

603(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/06/11(土) 11:34:11.34
>>602
あの〜、、、その募集って奴に立候補したいのですが
先に履歴書おくった方が良いでしょうか。
604(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/06/11(土) 11:49:08.68
震災から今日で3ヶ月・・・
あれから3ヶ月が過ぎたなんて信じられません。
何か書こうと思ったンですけど、書いては消しての繰り返しでさっぱり進みません。。。
605名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/11(土) 22:45:23.07
>>604
無理に書こうとしちゃいけないよ
気持ちの整理がついて、さらに書きたくなったら書けばいい
何年かかってもいいじゃないか
606バイキチ:2011/06/13(月) 10:37:52.66
>>603
それでは、スリーサイズ、初体験の淡い思い出などを添えて、ここで公開してください
>>605
じゃ、その日までここ保持しておきましょう
607バイキチ:2011/06/13(月) 10:41:01.61
昭和の律儀な男たち そのA

《王貞治》

これは私が少年時代に実体験した話だ
「3番ファースト王」「4番サード長嶋」の巨人全盛時代
関東在住の方なら覚えていると思うが
「ぼく、ジャイアンツの王です、自由が丘亀屋万年堂のナボナは、お菓子のホームラン王です」
とテレビコマーシャルで棒読みしていた時代
そんな大スターが、我がホームタウンの隣町にやってきたことがあった
携帯もネットもない時代、その情報は、子供同士の自転車ネットワークによってもたらされた。
外で遊んでいると、通りがかった友人から「王選手が来てるらしい」と第一報
そう言い残すと彼の自転車は猛スピードで去っていった
とにかく追いかけなくちゃ
家に帰って自転車に飛び乗り、彼の向かった方向へ走る
一緒にいた近所の年下の子もついて来た
このような緊急時、年少のガキは、はっきり言って足手まといだが、しかたがない
途中、やはり王選手を探す自転車軍団と遭遇した
情報がだんだんはっきりしてくる
どうやら王選手は、隣町の駅近くの駄菓子屋のおばあさんの葬式に来ているということだった
ただし学区外のその駄菓子屋がどこにあるのかわからない
とにかくみんなで駅へ向かった
608バイキチ:2011/06/13(月) 10:55:08.46
この時、ついてきた年下の子の自転車が遅くて、みんなから次第に遅れをとることになる
私はその子を見捨てるわけにも行かず、結局先を急ぐ仲間を見失った
(あ〜〜〜連れて来るんじゃなかった〜〜、ドクターペッパーのただ飲み大会のときもそうだったんだ)
駅前で行われた新発売のドクターペッパーのただ飲み大会に、別の年下の子を連れて行く途中
その子が自転車で転んで、結局行けなかった時の悔しさを思い出した。

そして、案の定、来た事もない遠いところに不安を感じたのか、その子は途中でふてくされ始め「もう帰ると言い出した」
王選手の探索はそこであきらめた。

翌日、王選手を見たというクラスメートが得意気にそのときの様子を話している
やはり自転車ネットワークの情報通り、駅のそばの駄菓子屋のおばあさんの葬式に王選手は来ていた
なんでも学生時代によく立ち寄った店だったそうだ
当時押しも押されぬ大スターが、小さな町の駄菓子屋のおばあさんの葬式に来ること事態驚きであった。
しかし、その律儀な姿勢は、私たち少年の心に深い感銘として刻まれた。
私はあれ以来、誰よりも王選手のことが好きになった。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/13(月) 14:19:36.65
>>607-608
うはw 自転車で走り回る少年達の姿が目に浮かぶ様だなぁw

そうそう!足手まといになるヤツ必ずいたいたw
何にでも一緒にくっついて来たがる年下の他にも、チェーンがすぐ外れてしまうボロい自転車に乗ってる同級生www
懐かしいなぁ!



あれっ?なぜか涙が・・・
(´;ω;`)
610名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/14(火) 02:02:12.20
押しも押されもせぬ
611名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/14(火) 07:02:27.95
(・_・)..?
612名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/14(火) 09:36:09.14
>>602
なんか少し気分がラクになったよ(^_^;)
バイキチさんありがとうです
613名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 08:56:52.43
八歳から十五歳まで住んでたマンションが取壊されてる。
一番幸せだったとき。
614597:2011/06/19(日) 14:01:36.73
>>602 バイキチ氏ありがとうです&亀レスすんません(^_^;)

駄洒落スレ覗きました。自分も何か書こうと思いましたが全く浮かばず…

頭の働き悪くてダメだなぁ(-.-;)
615名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 01:00:09.47
>>613
自分も5歳までいた社宅が取り壊されて近代的なマンションになった。
残ったのは古ぼけた松の木1本と当時の数枚の写真。
何か自分の人生を過去から消されていくようで嫌だよ。
616名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 03:55:50.59
バイキチさんて何大学だった?なんか同窓生の気がするんで
今の仕事はマスコミなんですかね??投げやりな質問だけど正直に答えて
617名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 10:37:44.72
618バイキチ:2011/07/01(金) 15:51:03.48
>>616
確かにそういう方がいても不思議はないでしょう
でも、そこんとこは濁しておいた方がいいのではないかと思います
そのような空想の余地の存在が、2ちゃんの面白さではないかと思うのです

現在カップヌードル発売当時に関して追慕中・・・
619名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/01(金) 16:03:44.07
ヤングオーオー浅間山荘事件
620名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/02(土) 02:16:56.41
おーハッピーじゃないかー♪

カップヌードルと言えばヤングオーオーだね
621(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/07/05(火) 00:41:25.01
カップヌードル・・・
自販機で買った覚えが・・・
622バイキチ:2011/07/06(水) 10:20:29.24
>>619
まさにそこ、浅間山荘事件とカップヌードル

そこで今、立ち止まっています

もう少しお時間いただきたく・・

>>620
あのCMは新しい時代を予感させてくれましたね

>>621
僕は自販機で買ったことがないんですよ、買いたかったんだ、うらやましい
623名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/06(水) 19:44:11.65
カップヌードルの自販機と言えば…
そう!深夜、ツッパリや暴走族がよく溜まってた、俗に言う
【コインスナック】
ですよ!

自分も深夜徘徊してた昭和55年前後はよく利用してましたw
624(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/07/07(木) 00:39:44.51
>>623
・・・・。
いえ、違いますから。w

私の記憶にある自販機のカップヌードルは、夜中(といっても小学生からみた夜中なので
時間は定かではありません)、
父と2人で、屋台のラーメン屋感覚で買出しに行った覚えがあるって程度で、
そんな族の集会の前の腹ごしらえにコインスナック食って、「さぁ、おめぇら、出番だぞ!」的な
コトじゃないわけで・・・

つか、深夜徘徊に興味津々・・・w
625バイキチ:2011/07/07(木) 15:38:56.49
昭和55年前後と言えば、ビニ本夜明け前、自販機本全盛期ですね?
薄暗い住宅街に夜になると魅惑の光を放つ自販機の中に悪の誘惑の数々が・・
なぜかその近くに「明るい家族計画」などという自販機まで
ただ、自販機本は表紙だけカラーの可愛い子で
中は白黒でセーラー服を着たおばちゃんしか写ってなかったりするのでした。
それでも真っ黒に塗りつぶされた墨消しをバターでこする涙ぐましい試みに失敗し
挙句の果てには、シンナーでこすってみたら、全部真っ白になっちまって、ホントに涙ぐんだあの日
このような苦労と労力を平成生まれは知らないだろ
626( ^w^) ◆UnG.buIJBpxl :2011/07/07(木) 22:19:06.99
夜中に仲間と200円ずつ出し合い
数日前の夜からこっそり眺めて吟味した逸品(3冊セット・1000円)を買う為
夜中の2時に、自販機近くの公衆電話裏で待ち合わせ。
ジャンケンで負けた俺が購入する事となり
購入後スグ逃げれる様に、チャリに乗ったまま自販機に近づき
イザ金を投入し、ボタンを押すも

『ヴィィィィィ・・・ドガシャン!』

周囲に轟く大音量に、ビビって思わず逃げだした
14歳の夏休み。
627バイキチ:2011/07/15(金) 10:29:43.79
>>626
しかし何であんな余計な音が鳴る仕組みになってたのかね?
レジにいる女性店員もまた大きな障害だった。
一番買いやすいのが、おじいちゃんの本屋
ただし動作が遅くて、早く袋に入れて欲しいのになかなかすんなり入らなかったりする。
そんな時に限って、若い女性客が店に入って来たりしてひやひやする。
このように、数々の難関を乗り越えて我々は物を手に入れたのだ
だからこそ、手に入れた時の喜びは大きかったのだ
628バイキチ:2011/07/15(金) 10:34:56.93
てことで、カップヌードルに関する記憶と検証

みなさんはカップヌードルが発売された当時をご記憶だろうか?
発売を調べると1971年9月とある
私がカップヌードルの存在を知ったきっかけは「ヤングオーオー」というテレビ番組だった
日清食品提供のその番組の中で、しばしば「新発売のカップヌードル」が紹介されていた。
CMの中では若者たちがカップを片手に小さなフォークで何かを食べている
「あのカップの中身は、いったいなんなんだろう?」
ラーメンは小池さんのようにどんぶりと箸で食うのが常識だった時代
当初私は、カップヌードルの中身が即席ラーメンだということがわからなかった
それゆえ、カップヌードルはいっそう魅惑的なものとして私の目にうつった
629バイキチ:2011/07/15(金) 10:50:05.79
一番初めのテレビコマーシャルも、今思えばアバンギャルドな作風だった
このCMをもう一度見てみたいのだが、残念ながら懐かCMなどでも一度も見たことが無い
女性が色っぽい声でカップヌードルを説明しながら作っていくのだが
映し出されるのはカップヌードルと、やかんと、真っ赤なマニキュアをした女性の手、この3つだけだった
商品の中身も、女性の顔も、食べているところも一切映さない、そんな想像力を掻きたてるCMだった

もうひとつの初期CMは、軽快な曲に乗せて、銀座の歩行者天国で若者たちがカップヌードルを食べているCM

♪常識って言うやつと おさらばしたときに・・・

♪友情と言う言葉を 古い箱から取り出して・・・

この2バージョンあったと思うが、こちら2つは今でも現存している
630名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/15(金) 22:54:34.60
笑福亭仁鶴に舞台袖で食べさしたりしていたな
631バイキチ:2011/07/16(土) 09:38:05.30
カップヌードルの魅力は多岐にわたる
歩行者天国で若者たちがカップのまま立ち食いをしている
しかもそれを箸ではなく、小さなプラスティックの専用フォークで食べている
自動販売機もあって、どこでも手軽に食べられるらしい
当時はこれらすべてが斬新すぎるほど斬新だった
明治生まれのおばあさんが「まぁ、最近の子は行儀が悪いねぇ」と眉をしかめる
若者たちは、おばあさんの批判を、背徳感として受け止めつつ
心の奥では優越感として、その時代遅れを嘲笑している。
632バイキチ:2011/07/16(土) 10:17:30.42
とにもかくにも、私は早速カップヌードルを買って来てくれと母に頼んだ
ところが、テレビであれほど宣伝しているのにもかかわらず、カップヌードルはどこにも売っていなかった。
何度母に頼んでも「店の人にも聞いたけどそんなものは売っていない」と言う
結局カップヌードルが、どのような食べ物なのか?
またどこに行けば手に入るのかわからないまま、時は過ぎた
633 忍法帖【Lv=2,xxxP】 【関電 84.5 %】 :2011/07/16(土) 20:04:50.08
大阪では結構どこででも手に入ったな
634バイキチ:2011/07/19(火) 10:33:43.76
そんな私がカップヌードルを見つけたのは、発売翌年の1972年2月、国鉄駅の売店だった
札幌オリンピック、浅間山荘事件が起きた頃であり、記憶が合致する
新聞や雑誌が置いてある脇に、日清の専用ラックがあって、そこにカップヌードルが交互に突き刺さるように陳列されていた
そのディスプレーの仕方もまた斬新だったし、今と違ってひとつひとつに高級感があった
私は父にねだって、ついに念願のカップヌードルを手に入れた
それは想像していたより大きく、容器が発泡スチロールだったことも驚きだった。
635バイキチ:2011/07/19(火) 10:48:52.30
さて、うちに帰って早速CMのとおりやってみる
お湯を注ぎ、3分間計って、開けてみる、これが夢にまで見たカップヌードルの正体か・・・
クールな母が「なんか出始めの頃のインスタントラーメンと同じだ」(おそらくチキンラーメンのこと)とか
「ただ煮ないでふやかしてるだけじゃない」などと夢の無いことを言う
たしかにインスタントラーメンが30円くらいだった頃に
カップヌードルは100円もする高級品だった。
それをバカらしい、もったいないと言う大人たちに対し私は
「だって肉、エビ、野菜、卵まで入って100円だよ」とCMのキャッチそのままのフレーズで弁護する
すると、「どれが卵だ?」「このダンボールみたいなのが肉?」「野菜なんか入ってる?」と反撃を食らう
せっかく念願のカップヌードルを手に入れて、これから食べようとしている時に、水を差すようなことばかりいいやがって!
さらに、もうひとつ悔しかったのが、売店で買った時に、あの小さなプラスティックのフォークがついてこなかったことだ
しかたなく、うちにある使い古しの割り箸で食ったが、当然ありがたみは半減した
636名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/20(水) 00:08:05.64
ああなるほど
これはすんなり書ける内容じゃないな、と。
時代の背景を窺わせる描写
もう泣けてくるほど情景が浮かんでくる。

あのプラスティックのフォークを蓋に挟んで待ったものです。
『3分待つのだよ、大五郎』のボンカレーも思い出しました。

そんな自分の記憶を重ね合わせ、昭和に想いを馳せているところに
グラサン酒タバコ&ブルースがよく似合っていて
此処でいつか話した「粋な男」に値する彼の訃報
プカプカ・・ってね。

安田南の「いってしまったあんた」を聴いています。
637バイキチ:2011/07/20(水) 09:36:06.26
とりあえずレス後回しにして、続けますね

それから数ヶ月して、ようやく近所のスーパーでもカップヌードルが売られるようになった
なぜカップヌードルは当初スーパーや小売店に無かったのだろうか?
昨今、こんな逸話が広まっている
当初「100円もするカップヌードルは売れないだろう」との理由で問屋に嫌われた
日清の倉庫はカップヌードルの在庫であふれかえっていた
ちょうどそんなときに浅間山荘事件が起きて、そこで機動隊員に余ったカップヌードルを支給した(※)注1
雪山の中、機動隊員たちがカップヌードルを食べる姿が何度も繰り返しテレビで映し出され?
それを契機にカップヌードルを扱う小売店が増え始め、爆発的に普及したと、こういう話だ
そして今、この「カップヌードル普及の秘話」が鉄板の裏話として、ネット上で一人歩きをしはじめている
(試しに 浅間山荘 カップヌードル で検索してみるといい、一人歩きどころか、暴走さえ見て取れる)
私も直接関係者が当時の秘話としてこの話をしているのをテレビで見たし、日清の公式HPにもそのようなことが書かれてある
http://www.nissinfoods.co.jp/knowledge/madeby/cupnoodle/world.html参照
638バイキチ:2011/07/20(水) 09:43:42.61
しかーし!

私は当時の記憶と流れに基づき、あえてこの説に異を唱えたい。
確かに、ちょうど浅間山荘事件(1972年2月)以降
近所のスーパーにも、それまでなかったカップヌードルが置かれ始めた
それは私の記憶とも合致する
だがそれはたまたま時期が一致しただけであって、浅間山荘事件が爆発的宣伝効果になったとは思わない
私は浅間山荘事件の際、機動隊がカップヌードルを食べているシーンを見た記憶はない。
あの緊迫した状況下で、そのような悠長なシーンが本当に何度も流されたのだろうか?
また流されたとして、はたして全国民が食いつくほどのインパクトがそこにあっただろうか?(※)注2
実際、発売から半年たった浅間山荘事件(1972年2月)の段階で
すでにカップヌードルは、ヤングオーオーや、前述のコマーシャルなどで、広く周知されていた
それらは、流行に敏感な若者や、私のようなテレビっ子にとても強い印象を残していた
言い換えれば、浅間山荘事件が起きた時期は、既に購買意欲を持った若者や子供たちが多く潜在し、
近所の小売店においていないカップヌードルを捜しまくっていた段階だ
需要が先立ち、半年遅れで供給が追いついてきた、そんな状況だった。
その両者の合致が、たまたま浅間山荘事件の起こった直後に重なり、爆発的な売れ行きを示したにすぎない。
浅間山荘事件は、カップヌードルを世に広めたきっかけのほんの一部であり
ネット上で伝説化されているほど、重要な要素を占めているとは到底思えないのだ。
639 忍法帖【Lv=2,xxxP】 【関電 85.0 %】 :2011/07/20(水) 14:43:01.04
俺ははっきり見たけどな>機動隊員が食ってるところ
林の木々の切れ間からテレビカメラが抜いていて、アナウンサーが
「あ〜これは・・・食事中のようですね」とか言ってたのも覚えてる

そういう事実があっただけで、それが爆発的売れ行きと繋がったかどうかの因果関係は証明できないけどね
640 忍法帖【Lv=2,xxxP】 【関電 85.0 %】 :2011/07/20(水) 14:44:28.01
追記

でも機動隊員が持ってるカップから立つ湯気が非常に美味しそうに見えたのは事実だ
641名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/21(木) 01:13:31.36
きっと続きはあるんだろうなと思いつつ
ちょっとフライングしてしまったようですみません。( >>636です)

関電さんも記憶力いいですね。
ネットで検索しても出てこないワードは
生きた目撃証言として読ませていただく価値があります。

食べている姿の映像はリアルタイムで見なかったのですが、というより記憶に無いのですが。
さきほど>>637のリンク先に飛んだ後にネット画像検索し、そのひとコマを見てきました。
機動隊の皆さんは立って食べていたようですね。

私に於いては、その浅間山荘事件にしても
どこのチャンネルも同じ映像だったなぁ・・の程度で。
深く印象に残っているとすれば、

・独特な建物
・大きな鉄球が壁にズドーンの画面
・もくもくと立ち込めるナニかの煙
・雪に覆われた山
・激しく動く防御盾
・画面はカラーであるのに、なぜかセピアかモノトーン(これは色の記憶)

これぐらいしかありません。
なんと情けないー。

あの一時も目が離せない過酷な現場の状況では
手軽に空腹を満たし、身体も温めてくれる食料として
ありがたい存在だったことは確かでしょうね。
にしても、当時100円だったものが(高いと言われていましたが)
40年近く経った今もさほど変わりない価格ということ。
いろんな意味で、すごいです。
642バイキチ:2011/07/21(木) 09:47:06.37
>>639貴重な証言が出てきて嬉しい限りです 諸々後程ということで続き

実際、売れない売れないと言いながらも、飛び込みセールスの現場でカップヌードルは高い評価を得ていた。
消防署、自衛隊、夜勤の現場、長距離トラックの運転手、彼らに試食させた感触は良好だった
そこで、1971年11月21日、日清の営業チームは勝負に出た
銀座のホコ天での街頭セールス
このときの模様が例のCMになって全国に流れた
と言うことは、あの斬新なCMを私たちが見ていたのは、1971年の暮れ以降ということになる
だったら、翌年の2月に爆発的な売れ行きを示したのは、ごくごく当たり前のことじゃないのか?
643バイキチ:2011/07/21(木) 09:57:13.33
カップヌードルの開発には、様々な困難があった
他企業の参入で、即席ラーメンの売り上げが落ちた日清は、当時倒産の危機にあった
社長の安藤百福はアメリカに新たな市場を求め渡米する
その時、アメリカにはラーメンに合う器がないことに気づいた
アメリカ人は、持参したチキンラーメンを二つに割り、カップに入れてお湯を注いだ
そのことが、カップヌードル開発のヒントになった
帰国後、コンパクトなカップの中で、煮込まずに3分で麺が完成するよう何度も実験が繰り返された
具を入れる初めての試みは、抗生物質を作る時に使われていたフリーズドライ法が採用された
フリーズドライは成功するが、具材の色合いが悪かった
そこで開発は頓挫する
その時、安藤はこう言った
「見た目が美しくなければならない」「エビを入れろ」「エビさえ入れれば必ず売れる」
「3分で完成させろ」「価格は絶対譲れない」
これらの無理難題を突きつけられた社員は不眠不休で開発に勤しんだ。(※)注3
644バイキチ:2011/07/23(土) 09:48:27.70
即席ラーメンはどんぶりと箸で食うものと言う概念をぶち破り
新しい食文化を提言したカップヌードルは、地道な研究と開発努力の末に作られた究極の完成品だった
昭和46年当時からほとんど変わっていないそのスタイルを見ても、いかにすぐれものとして世に出されたかがよくわかる。
二番煎じのカップスターは、カップが紙で出来ていたため、手に持つと熱かった。
ニュータッチヌードルはプラ容器で、持ちにくく、触れるとやはり熱かった。

カップヌードルが国民食になったのは、当時の斬新なコマーシャル戦略、ディテールにまでこだわる関連販促商品、
妥協を許さない開発姿勢、地道な営業活動、
これら企業理念と営業・開発努力によるものであり、今思えば、売れるべくして誕生したエポックメイキングな商品だったのだ
当時100円と言う高価格がネックとなり、マーケティングに苦労はしたが
決して、浅間山荘がきっかけで世に広まり、爆発的に売れ始めたのではない、生き証人として私はそう断言する。

そして今度日清の関係者に会ったら、このことを進言しておこう
まぁ、おそらく一生会う機会はないだろうし、進言したところで「貴重なご意見ありがとうございました」で終わりだろう 完
645バイキチ:2011/07/23(土) 09:49:36.84
(※)注1)
現場で陣頭指揮を取った佐々淳行氏の著書によると、
警備非常食として、100円のカップヌードルを50円で買い叩き、それをキッチンカーに乗せて現場に支給したとある
支給といってもただではなく、機動隊員に50円で売っていたのだ
カレーライスも凍る極寒の中で非常に役に立ったことは間違いないようだ

(※)注2 
浅間山荘事件当時、機動隊員がカップヌードル食ってる姿を見た記憶がある方(引き続き)募集中!

(※)注3
NHK プロジェクトXより
646(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/07/26(火) 00:38:16.79
これは・・・www
カップヌードル一個でこれだけ読ませるなんてもう名人芸としか・・・www

バイキチ師匠、どうもありがとうございます。w
私、感激しております。
ついてきた甲斐がありました。w
647名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 09:01:13.48
昔と比べたら想像出来ない位に種類が増え、味も格段にUPしたね。
でも結局俺は一周して
カップヌードル、カップスター(味噌)、ペヤングソース焼きそば
に戻ったw この3つは表彰に値する!ありがとうみんな!w
648名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/09(火) 00:22:50.61
おもしろいが何か物足りない
前にいた人はどうしたんですか?
649名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/09(火) 01:28:51.44
誰のこと?
650名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 10:37:09.24
追慕
651(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/08/27(土) 02:10:55.51
ちょっとあげとこ。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 19:07:25.69
大根さんは何歳なんですか?
653(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/08/28(日) 00:46:49.86
>>652
言えません。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 01:24:21.69
できればこの板随一の長老であってほしい<れんこん

そして、古い叙情を出し惜しみせずに書いてほしい

年齢はいえません、というのは洒落っ気の無い捌きで
ちぃと萎えたですわ。
655(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/08/28(日) 01:39:50.56
誰がれんこんじゃ、ゴラ。w

このようなコトを申しても理解してもらえぬとは存じますが、
「言えません・・・」の一言にどれほどの苦悩と時間を費やしたコトか・・・
私の全身全霊全能力を注ぎ込んだ懇親のレスがそれなのですよ。(えぇ、こんなもんなのですよ、私の能力って
656名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 22:41:25.90
懇親のねぇ・・・
657(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/09/08(木) 01:25:23.19
>>656
あ・・・w

え〜、では懇親つながりで・・・
お盆にですね、幼馴染の悪友と久しぶりに会いまして、
そいつから不思議な話を聞いたのです。

本題・・・と思ったのですが、なんか怖くなってきた。。。
658名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 01:50:58.01
がんばれ
659名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 02:22:00.88
がんばってくれ>>657
660名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/10(土) 21:09:42.68
大阪万博の記憶ある?
岡本太郎の地底の太陽展いってきた。
EXPO'70パビリオンの常設展がよくできてるわ。
当時のことはあんまりよく覚えてないけど、
日本に勢いがあったことはよくわかる。
ご近所さん、暇あったらいってみたらいいよ。
おもしろかった。
661(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/09/12(月) 11:05:32.59
>>660
残念なコトに大阪万博の記憶はございません。
でも岡本太郎の地底の太陽展、興味ある。
検索してみました。
会場、万博公園なのですね・・・(遠いッス
662(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads :2011/09/12(月) 11:22:16.20
>>658-659
声援、どうもありがとうございます。w
笑えるでも怖いでもない話ですので気楽に読んでください。

え〜っとですね、悪友の不思議な話というのは、
数年前自宅を構えたところからはじまります。
隣に住むおばあちゃんがとても親切な方で
なにかにつけお世話を焼いてくれたのだそうです。
おばあちゃんのおかげでご近所の方ともすぐに打ち解けるコトができ、
平穏な暮らしが続きました。

話はかわって、友人宅では仕事の関係で朝方まで家に明かりがついているコトが
ときどきあるそうなんです。
隣のおばあちゃんがそれをみつけては
朝方まで何をしているのかとたずねてきたコトが何度かあったようです。
仕事の内容をあれこれ説明するのがメンドイと思った彼女は
「本を読んだりネットしたり・・・」と言っていたそうです。
その話はもう終わりと思っていたところへ、
別の数人のご近所さんからも朝方まで何をしているのか聞かれるようになったというンです。
やっぱりメンドイと思い「本を読んだりネットしたり・・・」と答えたそうです。
そして明かりが外に漏れないようにカーテンを別のものにかえたのでした。

しばらくして、お隣宅に救急車がとまりました。
おばあちゃんが急に倒れて病院に運ばれたのでした。
その日の夜8時頃、ドアホンが鳴ったのでモニターをみてみたのですが誰もおりません。
あれ?と思って外に出てみたけれどやっぱり誰もいなかったというンです。
次の日、お隣のお嫁さんから昨晩おばあちゃんが亡くなったコトを知らされたそうです。
えぇ、亡くなったのは夜の8時頃・・・
そしてその日の夜中の2時頃、またピンポ〜〜〜ン・・・
モニターはみれなかったそうです。。。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/12(月) 16:12:53.64
う〜ん、それから毎晩8時にドアホンが鳴るんなら怖いかも知れないけど
664(。・ヮ・)大根 ◆3bnVMkaads
>>663
コワっ!w

作り話じゃないンですよ。
勝手に話を作り変えて罰が当たったらどうするンですか。