1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2007/02/14(水) 00:00:13 三島由紀夫について語りましょう。
2 :
かいり ◆D.I.D./746 :2007/02/14(水) 00:13:48
そうですね
3 :
かいり ◆D.I.D./746 :2007/02/14(水) 00:21:15
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 00:22:13
かいり、おまえは来るとややこしくなるから家へかいり。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 00:23:14
かたぎりかいり
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 00:23:56
HIO2 片桐はいりは劇団員だったよね
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 00:24:31
三島はリアルゲイ
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 00:30:02
仮面の告白は三島のゲイっぷりがよく出ていて面白い。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 00:31:36
兄貴
10 :
かいり ◆D.I.D./746 :2007/02/14(水) 00:33:08
三島が何故マッチョに目覚めたか‥知ってる? 三輪あきひろの些細な一言なんだよ 「あなたって華奢なのね」って 可愛いよね
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 00:37:50
三島と美輪の間には肉体関係はあったのか?気になるな。
12 :
かいり ◆D.I.D./746 :2007/02/14(水) 00:37:52
昭和のベイビードールだよね 俺は憧れる‥ じゃまた
>>10 よく知ってるねぇ。
丸山が『まあ、三島さん、ここにもパット、ここにもパット入れてぇ』っていった途端
超不機嫌になって楽屋出てったってやつだ。
14 :
かいり ◆D.I.D./746 :2007/02/14(水) 00:47:20
>>13 そうそう、彼の一言が無かったら割腹までには至らなかった気がするし
昭和の歴史を動かした迷言とも言えるかもね
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 00:51:22
美術学校に入学断られたヒットラーみたいな奴 デッサンで入学試験に落ちたヒットラーが無事入学して画家になっていたら ホロコーストはなかったかもしれない 自分が割腹してるだけだからなんの迷惑もかけてないな
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 00:59:42
不道徳教養講座とか言うのが面白かった
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 01:00:54
ちょいワルオヤジ養成講座とか?
18 :
かいり ◆D.I.D./746 :2007/02/14(水) 01:02:30
ヒトラー然りそれなりに先見の明を持った優秀な頭脳だったんだけど 如何せんあまりにナイーブだった‥ 美しいと思わない? 寝る時間だったわ 明日金閣寺でも読み直すかな(笑)
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 01:06:48
ナイーブと切れやすいの距離は・・・?とつっこみ
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 05:15:27
かいりはシネ
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 06:15:36
青島ゆきお
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 06:36:28
美輪は「誰か」で喰ってるのなw
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 06:56:24
コテにこだわるかいりとか作家気取りなんかね 40にもなってキモイだけ
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 06:59:35
三島読んでた人は太宰も読んでたと思うんだけど。違う? 私は高校〜学生時代両方読んでた。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 09:13:16
両方苦手だ
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 09:26:25
2chで作家気取りwww
文章が古臭くて読みにくい
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 11:10:08
読んでると頭がおかしくなるからやめた 太宰も
三島は太宰みたいな田舎もんは大嫌い。 実際面と向かって、嫌いって言ったそうじゃん。 「斜陽」読んで、貴族はこんな言い方しねーよ 馬鹿、田舎者って感じかな。
昨日TVで、石原慎太郎が三島との対談をちょっと回想していた。 「男として重んじる精神」だったかな、三島と二人で書いたら 全く同じだったとか。 それは「自己犠牲」だって。 はー。今の慎太郎にそんな精神あるのかな。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 11:44:18
三島は関西人は日本人じゃないと生前に言ってたそうだ。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 12:22:45
>>31 少し同感。名古屋人の味覚は日本人のそれではない。
ゲイと言うより衆道
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 14:36:19
三島は両刀使い 嫁さんも三島の男色趣味に愛想がつきて離婚まで考えてたそうだ。
36 :
バイキチ :2007/02/14(水) 15:29:25
本懐とは言えぬ市谷の状況、さぞ悔しかったことだろう。 せめてメガホンは持って行くべきであった。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/14(水) 19:47:42
生前の対談面白い VS全共闘も面白い 今見ると死の覚悟をしていたとわかる ボディビルに疲れミッドライフクライシスに陥っていたんだとおもう 芥川や太宰の演劇的自殺を軽蔑していたが結局自分も似たような自殺をした 「三島由紀夫伝説」「ペルソナ」は面白い 三島自信の「作品」では評論が一番面白い 小説なら「鍵のかかる部屋」かな、本質的に短編作家だと思う
38 :
名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/14(水) 19:48:51
ゴメン 7行目 ×自信 ○自身 ね
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 19:50:42
↑ どっちでもいいよ!
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 19:52:49
倒錯性右翼
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 19:53:40
↑ どっちでもいいよ!
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 19:54:51
猫好き
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 19:57:45
↑ どっちでもいいよ!
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 19:59:13
武士に憧れ武士の模倣 ラストサムライは外人の武士に対する憧れの映画化
45 :
名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/14(水) 20:10:57
猫好きならなんでも許す
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 20:37:36
週刊ポストが自衛隊訓練に参加した三島のあまりなヘタレ姿をレポートしてるが 今頃どうしてだろう。 どういった意図があるんだろうかと勘ぐると、なんぞが見えてくるような気ィがしますなあ。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/14(水) 20:43:02
隊員募集か ネタがないのか 防衛省か マスゴミの右旋回か 文化防衛論
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 20:51:50
猫好きか 見直した
49 :
空いっぱい ◆epocheVntI :2007/02/14(水) 21:32:51
16の時読んだ太宰は、なんちゅう軟弱な、、、でキライだった、 18の時読み直して大好きになった、いっぱい読んだ 「走れメロス」には泣かされた。。。 三島はその後にいろいろ読んでるなあ、この人の書く文章がすきでした。
50 :
かいり ◆D.I.D./746 :2007/02/14(水) 21:42:52
「家畜人ヤプー」が好きだった(笑) これは三島も絡んでるとの噂、、
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 21:45:14
↑ 自分の事か?www
52 :
名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/14(水) 21:48:51
三大猫好き大作家 大佛次郎(ダントツ) 三島由紀夫(猫大好き) 大江健三郎(意外に知られていないノーベル猫好き作家)
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 22:35:55
谷崎も入れてくれ 作家には猫好きが多い ヘミングウェイもな
54 :
空いっぱい ◆epocheVntI :2007/02/14(水) 22:38:36
ヘミングウェイ 「海流のなかの島々」 大好きでしたよーー!!
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/14(水) 22:39:52
ヤプーなど好きな奴は氏ね
1000 名前:空いっぱい ◆epocheVntI [] 投稿日:2007/02/14(水) 22:39:10 ハハハハ てめーは黄金バットか
>>55 金魚までヤプーというくだりで思わず好きになりました
59 :
バイキチ :2007/02/14(水) 23:12:42
>>37 東大全共闘との討論会でひときわ目立っていたのが子供を肩車した芥正彦氏だ。
野次を飛ばす聴衆に対し、与太った声で一喝するアナーキーな素振りに惹きつけられた。
10数年前に芥氏がインタビューで出ていたが、期待に反しておとなしい中年に治まっていた。
さらに今日ではあのとげとげしかった若者も2007年問題該当者。
>>46 三島は香港領事当時の佐々淳行氏に
「僕は憂国の士を集めて祖国防衛の私的軍隊を作る決心をしたから協力してほしい」
と依頼したと言う。さらに何か大きな警備が必要なイベントがあるたびに、
楯の会を警備軍隊として参加させるよう迫った。
警察サイドはこれを断らず、楯の会に警護をつけて視察させた。
マスコミの話題にして、警察の広報的立場として利用するのがその目的だった。
61 :
空いっぱい ◆epocheVntI :2007/02/14(水) 23:42:58
62 :
空いっぱい ◆Y.x.y.6.z. :2007/02/15(木) 00:01:53
>>60 ごめんなんさい、
漏れたかなあとちょっとびびって、、、
まあ どっちでもいんだけど
63 :
バイキチ :2007/02/15(木) 11:28:06
>>49 太宰は弱い、そして弱いまま死んで行った。
三島は弱さを肉体武装で隠していた。
そんな感じしません?僕は文学に弱いからあくまで印象論だけど。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/15(木) 12:37:14
太宰は余力はあったと思う 「グッドバイ」は惜しい 女に引きずられて死んだ(女が太宰の首を絞めて入水、他殺説もあり) 三島の死は必然、無理が祟った 「豊饒の海」の前に燃え尽きていた(「鏡子の家」あたり) 世間的には逆に見られているけど 三島のほうが弱弱しく思えるが
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/15(木) 16:04:26
ナルシスト
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/15(木) 16:06:20
太宰、三島ともに目立ちたがりってことで
67 :
バイキチ :2007/02/15(木) 16:21:25
同じナルシストでも、後世にちょいと勘違いした人もいましたね。 三島の模倣かなんか知らないけど、風の会(強風で飛ばされ虱の会)の主催者。 朝まで討論で「どこの何の本にそんなことが書いてあった?」 と追い詰められ「フォーカス」と答えて失笑を買ったあの方です。 彼のスケールの小ささに至っては三島の700分の1にも満たないタミヤのプラモ並み。 自作自演のビデオまで作ったのに、たいした話題にもならず・・・可愛そうでした。
モロッコの辰の舎弟
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/15(木) 16:50:42
ホモでMはジェームスディーンも同じ。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/15(木) 18:22:45
さらば群青 朝日新聞の小尻記者を撃った犯人はいずこへ? 憂国のコペルニクスが知ってるのか?
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/15(木) 22:51:06
三島がホモなのは知ってたがMなのは初耳、SMプレイまでやってたんだ・・・
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/15(木) 23:18:11
カニが苦手
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/15(木) 23:18:34
金悪事
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/15(木) 23:23:18
享年45だよ。ご同輩
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/16(金) 19:02:51
享年は数えだから46じゃね?
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/16(金) 19:58:38
寺の過去帳じゃあるまいし、書籍やメディアでは享年も満だよ。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/16(金) 20:44:05
ビートルズ日本公演を観たらしい
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/16(金) 21:03:03
ビスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」も観たらしい
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/17(土) 09:13:05
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/17(土) 09:18:00
『金閣寺』だけは読んだ。
葉隠入門
82 :
バイキチ :2007/02/20(火) 10:41:04
ひ弱な公威少年と祖母との関係が気になる。 ヘビが怖いと言った公威に対し、祖母は大嫌いだったヘビをつかんで見せた。 性癖の倒錯はこの祖母にヒントあり?
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/20(火) 10:46:55
長男で第一子なのに両親の元じゃなくて ばあさんに育てられたっていうのはねぇ
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 02:44:38
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 02:46:16
86 :
バイキチ :2007/02/24(土) 09:28:06
な〜んか同年輩になってみて考えると、「ごっこ」でしかなかったようにも見えて来るんだが・・
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 09:53:42
ごっこだよごっこ。 会社もMAもごっこ。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 10:04:47
人生は道草
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 14:01:35
どうせこの世は死ぬまでの暇つぶし
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 16:11:36
へぇ〜。介錯もちゃんといたんだ。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 16:23:31
でも切腹でなかなか死ねなくて大変だったらしい、舌噛んだりもして 介錯も首がなかなか切れなくて、ばさばさと何回も切ったって やっとだったらしい (浅田彰がミットモナイとバカにしていた) フライデーの創刊号うちの親父(三島のファンw)が手に入れて喜んでいたよ
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 16:35:47
一応首は外れたんだろ?
93 :
バイキチ :2007/02/24(土) 17:04:29
>>92 介錯人森田必勝がビビッたのか下手だったのかうまく切り落とせなくて
最後に別な人が切り落とした。
続いて森田自らも切腹したが、それも傷が浅くてうまくいかず、も、ボロボロ
>>91 大方の読み物には潔く切腹みたいに書かれているけど
実際はそんなにかっこよく死ねなかったようですね。
関係者談で、なんともいえない悲鳴が長きに渡って聞こえていた。
というのをどこかで読んだことがあるが、それが三島の悲鳴だったのか森田のだったのかが気になる。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 17:19:25
中学生のとき新書で切腹の作法みたいなの説明していて楽な方法とか紹介してたけど 実際はそんなに容易なものでもないだろう 土佐藩の切腹や利休の切腹は見事だったらしいが
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 17:26:25
生物の生理的反応で、刃先が肉を切ったとたんに肉がギュッと 萎縮して圧迫するから、自分の力で腹をカッさばくことは殆ど不可能だ。 瞬間的に切らないと生きてる肉はなかなか切れない。 介錯人がいても、腹きりの覚悟は相当なものがいっただろうよ。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 17:29:33
十文字切りの作法もあったらしい 超人的な最後
97 :
バイキチ :2007/02/24(土) 17:58:14
>>95 そもそも腹を切って死ぬって意味合いが非合理的だと思うんだけど
真正面から腹を切ったって腹腔内に到達できるんだろうか?
特に三島じゃ自慢の腹筋が邪魔したでしょうね。
例え到達できたとしても一番奥の大動脈かなんか切断しない限り簡単には死ねないでしょうに。
だから切腹と言うのは自決のデモンストレーションであって、結局は介錯が重要なんでしょうね。
そう考えるとアルカイダの方法は手際がよい。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 18:03:39
遊牧民の家畜の屠殺でしょあれじゃ。 事後に食べるなら合理的だろね
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 20:47:05
介錯が下手で、頭に半分ほど食い込んで動かなくなったのを、足で踏んづけて、 えいっえいって引っこ抜くの、たまらんだろうなあ・・・
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 20:49:44
226や幕末の尊王思想や楠正成とかあの辺につながってるんだろうな
ホモでMで目立ちたがりで、 そーゆー自分を客観的に冷徹に見てる自分ってのも 三島の中にはあっただろーな 自分的には三島はワルノリの果てに死んだって希ガス
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 20:57:24
ノーベル賞ってのが重要なんじゃないかな?
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 21:00:44
神風特攻隊には憧れてたと思う。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 21:10:51
でも戦争に行くことは避けてたよね 親のコネかなんか使ったとおもったけど・・・ その辺が外国の文学者には不可解らしい 戦争に行かないで戦後を生き抜き 外国人にも評価される世界的な作家になったのに割腹自殺
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 21:15:20
基地外もーほー
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 21:19:01
三島自殺時の他の作家の反応 佐藤愛子 いい気なもの 青島幸男 オカマのヒステリー 渋澤龍彦 エロティシズムの極致 筒井康隆 「イタカッタダロウナー」(とカタカナで感じた)
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 21:22:38
おまけ 島田雅彦のお父さん 頭の良い人はなにを考えてるかわからない(という庶民的な素朴な反応)
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 22:01:54
自衛隊に乗り込み腹を切り腸を出して首を刈って貰ったから三島はカリスマになれたのだろう。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 22:04:34
>>104 徴兵検査は、第2乙種合格。
1945年、中島飛行機に勤労動員。2月、入営通知を受け取り、遺書を書く。
入隊試験を受けるが、軍医が肺浸潤と誤診。即日帰郷。
逃げてないよ。むしろ国のために死にたかったと思われる。
演説のレコード持ってるw
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/24(土) 22:13:20
三輪さんと友達だったんだよね?
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/25(日) 00:20:23
「黒蜥蜴」で共演つーか、三島は剥製の役だったから台詞は無しだったかな?
113 :
空いっぱい ◆Y.x.y.6.z. :2007/02/25(日) 00:30:53
そういえば 昔 ベジャールが三島モチーフで なんかやったよね
ほうほう こんなところでバイキっちゃんみっけ!w 感性豊かだねぇ ふたご座でっか?
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/25(日) 21:21:58
美輪は三島が最近霊界で成仏したと言ってた
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/25(日) 21:39:10
化け物わろす
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/25(日) 21:41:44
>>114 あったねえ
ベジャール
15年くらい前?
当時付き合っていた女子大生が言っていたのを覚えてるわ
ひと月後のクリスマスには、あらかじめ子供にプレゼントが届くように手配をし、
豊饒の海の原稿を書き上げ、完璧な有終の美への準備をして市谷へと向かった三島。
果たして彼は本気でクーデターを起こせると思っていたのだろうか?
私はそうは思わない。これは単に彼個人の自殺を修飾する自己演出だと片付ける。
よく三島と比較される対象にヒトラーがいる。
当初、誰からも相手にされなかったナチス党と、同類の楯の会の決定的な違いは何か?
私は両指導者の「話し方」にその答えがあると放言する。
ヒトラーは人一倍声が大きかった。
彼が街のパブで話を始めると知らない間に聴衆の人垣が出来た。
つまり人を惹きつける大きな声と歯切れのよい演説がヒトラーには備わっていたのだ。
一方の三島の演説は、吃音と小心さを肉体武装で必死に隠している後ろめたさが感じられた。
東大においても、市谷においても、嘲笑罵声が飛んだ時点で隙があるのだ。
この隙は武士として決定的な負い目となる。
>>で私がトラメガを持っていくべきだったと書いた理由はここにある。
報道ヘリの騒音にかき消された三島の檄は聴衆の耳にも心にも届いていない。
ハナッからクーデターの意思は無かったにせよ
描いていた本懐を遂げらぬまま自決に至った三島の最期は、実に哀れだと言うしかない。
>>114 ふたご座じゃないですが、ふたごころではあります。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/25(日) 22:50:53
幻想に酔ったあふぉ
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/25(日) 22:52:42
結果を出すことより プロセスが重要だったのだろう 形式のほうが 几帳面な性格だったし、役人もやっていたし 結果が無残になることはわかっていたと思う それは負けて勝つという日本独自のマゾヒズムにつながるし 意外に本懐だったと思う
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/25(日) 22:55:46
あふぉもまぞ、きもっ
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/25(日) 23:04:18
切腹ってさあ、介錯が要なんだよな。 担当を腹にあてた瞬間に介錯が一刀両断、 みたいなことも多かったらしい。なにしろプロだかんな。 しかし森田青年は日本刀で人斬ったことなんて なかったろうから大変だっただろな。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/25(日) 23:08:29
介錯が期待出来ない場合は、頸動脈を切るか心臓を突いた。 心臓突きは女性の場合も。
>>118 以前NHKアーカイブスでも言ってたね
聴衆を惹きつける演説の重要性の対比を
三島の場合確かに弱い部分が少なからずあったがそれがかえって自分には近い存在に感じられた
こんな恵まれた環境で育った男でも一人前に悩み虚勢を張り自己の存在を常時確認せずにはいられない狡猾さを身近に
俺も人の生き様にどうこう言えるほど偉くも賢くもないのだけれど
自決と言う最後は社会に後々どう影響するかを考えるべきだったと思う
在り来たりだけどね
俺の兄弟も方法は違えど三島と同じ道を辿った
名も無い一人の社会人だったが残された者達の心に焼き付いて離れない
残念と言う言葉では埋まらない心孔が俺が死ぬまで有る
>>124 それは見てないかもしれない。
タイトル覚えていませんか?
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/26(月) 16:12:33
三島、ひとりよがりもいいとこだよな。 ヒトラーは(よしあしは別として)大衆の 支持を一応受けていた。翻って三島は・・ 当時、ダレも相手にしてなかったでしょ。 自殺後、本屋が喜んだだけだろ。ウチのカーちゃんも 豊穣の海、即攻で買いにいったが、結局全部は 読まなかったぞ。
>>127 たしかに楯の会が有名になったのも、シンパが急増したのも事件あってのことですからね。
まぁ岡田有希子が飛び降りた日に「くちびるネットワーク」を買いに行った私が言うのもなんですが・・
>>128 岡田有希子ってwwwww
友よ (爆藁)
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/26(月) 19:04:38
憂国忌、まだやってんのね。 今年、37回目は豊島公会堂だってさ なんかコレ、やめるわけにはいかなくなっちゃった 24時間テレビみたいね
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/26(月) 19:25:34
梶井基次郎、中原中也、大仏次郎、三島由紀夫 共通点は?
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/26(月) 22:27:06
ない!
男、文学者、日本人、故人・・・
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 03:22:13
モーホー
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 10:36:37
自己憐憫
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 10:39:21
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 12:08:36
ナイーヴなシト達
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 12:16:29
それもそうだけど 違うなぁ
レモン好き
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 15:45:01
仮面
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 15:50:51
ヌコ好き
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 16:03:41
包茎だった
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 16:05:06
母の愛に
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 21:02:04
三島が今も生きてたら81歳か・・・
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 21:02:58
ネコ好き
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 23:25:43
三島の最高傑作は「金閣寺」
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 23:27:22
「美しい星」っていうトンデモ本もあるよ
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 02:21:14
金閣寺を傑作といってる時点でアホ。 っつうか三島に傑作なんてねーよ。 文学的にはカスね。
禁色にでてくる悠一は三輪明弘ってほんと?
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 16:11:05
三島が逮捕された場合は死刑になってたんだろうか?
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 16:14:18
内乱起こすのに成功してたならありうるかも 軍人だまして監禁して武士がどうの魂がどうの自衛隊に決起云々って演説してもダメだった
でもこういった・・・つまり内乱罪で死刑ってのは滅多に無いよね。 自衛隊が礼を尽くして特別扱いするほどの文化人でもあった訳だし。 検察側にとっては見せしめとするには持ってこいの"スター"だったんじゃないすかね? 生きたまま捕まえる事が出来なかった事を検察はさぞ歯噛みしたと思うねえ。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 17:10:09
三無事件、三島事件、元衆議院議員某氏が黒幕とされる80年代のクーデター計画事件 皇帝のいない八月という映画もありましたな
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 17:38:35
内乱が成功すると内乱罪は梨?
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 17:41:41
鎮圧されれば内乱になるから内乱罪で死刑なのだ。
天才馬鹿ぼんのパパなのだ。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 21:13:33
>>154 理論的にはそうなんだろうな。つまり、クーデター
起こして政権とっちゃうわけだから
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 21:16:02
先進国ってクーデター起きないよね あ、政治経済安定してて内乱起きないから先進国か
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 22:32:43
三島は脳内発展途上国?
自衛隊の蜂起をまじに信じてたんすかねえ。 あれは二次的なものだったんじゃないスかねえ。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/01(木) 17:26:46
三島の作品の登場人物は全て三島の分身。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/01(木) 19:30:27
武道(空手)家としてはどんな感じですか?ベンチ100キロ以上挙げたんですよねぇ
空手? それは知らんけど運動神経はパーフェクトにナッシングだったらしく そこを常にからかいの種にする石原慎太郎を終世怨んでいた由。 剣道の先生も三島の身体運動能力の無さには声も無かったとか。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/01(木) 19:56:06
大脳もバランス感覚なかったようだなあ
バーの用心棒をしていた安部譲二が、ワンパンチで相手をノックアウトしたのを見て 「君の武道はなんだ?」「拳闘です。」 この会話が元でボクシングをやり始めたとか何とか・・ あの頃のインテリヤクザは何故かみな拳闘なんだよね。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/02(金) 16:11:19
複雑な彼
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/02(金) 19:20:30
三島は小さい頃から自殺を絶対的な美として捉えていた節がある。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/02(金) 19:36:09
というより夭折でしょ
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/02(金) 19:53:34
近松的な心中のようなものも美として捉えていたし 逆に病による死には強い嫌悪感を持っていた模様。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/02(金) 20:05:11
理想では、スパッと玉屋〜っで逝きたかったんだろうけど、実際は鋸引き状態になったみたいね。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/02(金) 20:05:28
なんか男らしさに憧れていたんだろうねー 小柄で顔色悪いひとだったらしいが 無いものに憧れるんだろうな
可哀想だよな。とにかく可哀想な人だったって感じ。 葡萄パンみたいな小さな世界をいっぱい書いて欲しかったね。
「聖セバスチャンの殉教」って絵に萌えてた 若い兄ちゃんが縛られて矢を射たれてる絵 あげくの果てに同じ構図で自分の写真撮ったりしてる 自衛隊決起がどうのじゃなくやっぱ性癖の方が要素大きいだろな
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/02(金) 21:52:17
形はどうであれ、華々しい死というものに強い憧れを抱いていたんだろうね
>>173 でもそれ、細江英公のディレクションだぜ?三島からの注文じゃないよ。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/03(土) 19:16:40
三島は運動神経が最悪だったから車の運転もできないと思われ。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/03(土) 19:32:29
免許は持っていたとおもったが まあ、昔の免許だからね
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/03(土) 19:37:11
劣等感の塊が良家に生まれると ああなると?
石原慎太郎の「我が青春のとき」というエッセイにあった話。 三島が自決した日、現場を見ますかと言われたが、川端康成が 既に見ていったと聞いて、川端さんが見送ったならと 見ないで帰った。 その後三島の状態がどんなものだったか知ってびっくり。 恐ろしい、それを見てしまっていたなら、その前と同じ自分では いられなかっただろう。川端さんの自殺は三島のそれを見てしまったのが 大きく影響したのではないか、とか。 案外気が小さかったのね。
三島は石原を裏で「俗物」と言ってたね 石原=俗物ってのに納得するが、それを裏でしか言えなかった三島もケツの穴小さい
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/03(土) 20:23:06
三島=大正生まれ 戦中派 石原=昭和生まれ 戦後派 かと 昭和7年生まれには強烈な人多い 他に五木寛之、故・青島幸男、小林信彦、広岡達郎、江藤淳、トヨタの奥田 小室直樹、東郷健、横山ノック
通りすがりの者ですが、 映画「人斬り」で勝新太郎(岡田以蔵役)と共演していました。 三島由紀夫(田中新兵衛役)、姉小路公知の暗殺現場に新兵衛の刀が残されたため、 捕縛され、その場で自刃(切腹)!その場面の筋肉美(腹筋)がなぜか、印象に残っている。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/04(日) 11:25:08
武市瑞山は仲代達矢だったな 冷酷な革命家って感じで
三島の"殺陣"はどうでした?
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/04(日) 19:41:07
ヨコでした
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/05(月) 01:28:29
三島と長渕は似ていると思う。元々ひ弱な青年だったのが肉体改造して男臭い仮面 を被ったりするとこがそっくりだよ。
>>186 そうだな
だからか...俺は三島も嫌いだが長渕も嫌いなんだ
最初の頃を知ってるから
俺はひ弱な頃の長渕は好きだが最近の長渕は嫌い 三島は好きだな、ずっと・・ 全然違うと思うけどな三島と長渕の成り行きは
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/05(月) 20:20:15
単純に体だけ比較すると、長渕はよく育てたな、 って感じ。三島は悲壮感ただよう。
肉体もいいけど、たまには文学のことも語ってあげて下さい…
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/05(月) 20:35:04
文学は文句付けられないから
どうも主人公が身近な設定でないと読む気しないんだよね。 金閣寺とか太宰では人間失格なんかならなんとかなるけどね。 セレブの話なんかは感情移入できない。 そういう意味では村上春樹のほうが身近だね。
文章描写力は同時代の作家の中でも抜きん出ていた (マンガで例えれば「絵が超絶上手い」) もし生まれるのが50年あとだったら オタク的な生き方をしてると思う
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 11:04:53
日蝕書いたやつ1975年生まれだったか?
↑文学になると難しすぎて寡黙になるやつ↑
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 15:39:57
某作家に「俺は三島をたいした作家とは思っていない」といわれる三島
中上あたりが言いそうだ
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:14:23
中上は三島の死んだ年齢を気にしていた
自分は長生きして谷崎のような作家になろうとしたらしい
さて
>>196 の某作家とは誰か?
ちなみに都知事じゃないよ
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:16:02
「薮の中」「高瀬舟」以降の純文学など糞だと思っている俺が来ましたよ。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:18:44
文学に限らず、作家は、作風と死に時、死に方の兼ね合いが難しい。 かまち然り、尾崎然り。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:19:51
まさに美文だが、文章としての内容が無いようw
あれらの奇行が無ければもっと読んでいたと思う。 君の悪い人というイメージが先行した。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:21:01
いちばんかっこいい死に方をした文豪は永井荷風だろう
204 :
202 :2007/03/06(火) 16:21:31
君→気味
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:27:19
人気が落ちると自殺未遂、心中未遂を繰り返して話題を取り、 ついには誤ってほんとに逝っちまったのは誰でしょう?w
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:29:27
極私的格好良い死に方の作家ベスト5 永井荷風 織田作之助 渋澤龍彦 夏目漱石 泉鏡花
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:30:33
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:32:40
鏡花ってどんなんだったけ?
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:35:39
高野聖とか外科室とかね
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:40:38
作品じゃなくて、死に方。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:52:15
>>210 癌性肺腫瘍(肺ガン)で亡くなったが
医師から部屋を変えましょう(臨終が近いからか?)といい
「大分、重態の扱いだねぇ」と笑った。
また自分から見舞いに来た人たちに
「みなさんこれだけ集まってるから重態ということでしょう。
ここでは具合が悪いから部屋を変えよう。」と言ったとも
死に際には「ありがとう!」と見舞いに来た人たちに言って亡くなった。
もうあの世もこの世もないという境地になっていたのではないか?
鏡花の遺作「縷紅新草」を三島は絶賛していた
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:55:39
なかなかいいねえ。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:56:36
ただ、肺癌は特に痛いらしい。
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 16:59:47
好きな女とヤリまくったあとに心中というのもいい 有島武男のように
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 17:15:20
腹上死もな〜 誰かいない?_
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 17:28:57
「小説吉田学校」書いた人はそうだったな 相手の女性は10代後半か20代前半じゃなかったかな?
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 18:30:29
ええな〜
>>206 荷風は断腸亭日記が最後に行くにつれ書き込みが減っていくんだよね。
天気だけとか。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/06(火) 22:05:55
最後は見事 最高の死に様
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/07(水) 00:24:45
実に見事な絵葉書的表現力。 小田切秀雄、三島を評す
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/07(水) 03:10:20
三島は文士としてではなく武士として華麗に散った
それが三島の限界でもある
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/07(水) 23:53:18
三島はチビじゃなかったら小説は書かなかったと思われる。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/08(木) 15:44:15
それは随所で指摘されてますね。 で、コンプレックスを芸術に昇華させた、という いわれかたなんかもされる。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/08(木) 17:36:05
ワーグナー好き
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/08(木) 22:04:44
ヴァグナーは女に節操がなかった
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 00:18:25
Mって言っちゃえばそれまでだが、「聖セバスチャン殉教図」で射精できる変態男の性癖なんか理解できねーよ。 現代日本でそれを再現するのはせいぜい写真集か映画までだ。 現実には到底起こりえない設定。 が、日本には過去にそれに代わる物があった、切腹だ。 三島は元々復古趣味があったし、行為自体に好感はある。 しかし、切腹は本来何か罪を得たり、自らの失敗があってはじめて行うことが出来る業だ。 何もないのにただ腹切っちゃえば、単なるオタになっちまう。 だけど三島にはそんな罪も失敗も何もなかった。 そこで天皇とか憲法とか言掛かり考えて、実現不可能な、「確実に」失敗する理屈をこさえ、おもちゃの軍隊まで作り、リアルな自衛隊員には野次飛ばさせる根回しもした。 貧弱青びょうたんが、まず体を鍛えるってとこから始めて、超の付く運動オンチが大嫌いだった剣道までやったんだ。 あまりにもバカバカしいことかもしれんが、10年以上もの期間かけたあたりは評価できるんじゃね。 後世の、我々のようなメタポリ2ちゃねらーが見習わなければならない点が数々存在する。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 00:49:08
座右の銘が「克己心」だからね
至高のオナニストだった? 究極か? どっちでもいいやw
腹切りってのは自己処罰だけではなく目下の者が目上に対して抗議する行為でもあった。 むしろそっちじゃないかな。 などてすめろぎは・・という無い物ねだりがあってこその行為なんだよ。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 02:09:02
>目下の者が目上に対して抗議する行為でもあった それは直訴なんかの場合ね。 んだから三島のハラキリはなんの整合性もないのよ。 ただの事故トースイ(あえて漢字なおさず)
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 02:17:47
つ基地外
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 19:13:34
ホモでMで切腹オナニーの変態性欲者
そんな風に言ったらお母さんがかわいそうじゃない。 優しい最愛の息子さんだったんだよ。 遺体の棺の蓋を閉める時、「公威さん、立派でしたよ」と 言いたかったけれど、人が沢山いたので「公威さん、さようなら」 としか言えず、それを悔やんでいたり 有名な神社に女性編集者と詣でた時に、白い蛇に遭遇して ああ公威さんが蛇の姿に変えて会いに来てくれたんだと確信したり。 息子のことをとても大切に思っていたんだよ。 新潮百年記念で出た「百年目」という文庫のエッセイ集に載っていました。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 20:11:09
美輪明宏が嫌いだ
三島の遺児は実は我々とそんなに年齢は違わない
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 21:23:52
隠れてないで出てきなさいw
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 21:42:42
>>234 んなこといったら、どんな犯罪者も批判できんぞ。
子供を嫌う両親なんて例外的なんだから。
さらに三島は十分なお騒がせ野郎だったわけだし。
フト麻原のカーちゃんは何してんだろ、と思っちゃった。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 21:45:17
三島は最後まで文学や小説という世界で徹底的に生きた人間なんだと思うよ。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/09(金) 22:13:34
「脳は見たいものを見る、だが現実からかけ離れれば崖から落ちる」
昔、大学合格してから入学まで暇になったので「豊饒の海」読んだのだ。 「春の雪」には、うっとり。 はあ〜美しい物語。凝ったきらびやかな文体も美しいー。
んで何を思ったのか、40前に読み返す。「春の雪」、まだるっこしい。。 逆に、ついていけない感じだった「暁の寺」がおもしろく感じられたのだ。
人生は一行のボオドレエルにも若かない。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/12(月) 02:35:20
三島由紀夫 盾の会 横山やすし 風の会
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/12(月) 08:19:46
風の会は拳銃自決の秋介だろ?
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/14(水) 04:28:36
リアルゲイで変態性欲者
思い切って「禁色」をドラマ化したらどうだ。
「縦の会」 横書きが幅を効かせる風潮に対し当時の作家有志で結成 三島の「盾の会」に習って名付けられた
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/19(月) 14:52:06
三島は豊饒の海の時点で才能は枯渇していた、生きてたとしても名作は残せなかっただろう。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/19(月) 14:56:15
30年持ったから作家としちゃ持ったほうだろう
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/25(日) 08:26:14
世界中でクーデターを呼びかけて自殺した作家は三島だけ
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/25(日) 09:30:32
気持ち悪い小説が多い(そのなかに傑作があるのだが)
「仮面の告白」にも出てきた初恋の女性とは結局結婚できなかった んだけど(終戦後すぐ向こうが婚約)、後にNYのパーティーで 全く思いがけなく再会。持っていたシャンパングラスを落としそうになるほど 驚いたという話が結構好き。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/27(火) 18:27:12
ヒューマニスト・バカとは、 自分を善意の撒水車のように考え、雨のあとでも道じゅうに撒いて歩き、 人に非難されても決して反省せず、ヒューマニズムのために嘆いて泣き、 死刑が怖くてたまらないので死刑に反対し、夜中に一人で便所へも行けず、 「人間、人間」と念仏のようにとなえるが、いつも人非人の幻影におびえ、 無類の強がりで無類の臆病者、いつでも十字架に昇る覚悟があるはずなのに 自分の指先のかすり傷の血を見て卒倒する。 ・・・「不道徳教育講座」(三島由紀夫著) という三島が大好きだ。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/27(火) 18:29:30
紀平梯子未だ生きてる?
>>254 言葉のリズムが「アメニモマケズ」に似てるな
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/05(木) 08:24:41
彼は戦後民主主義に乗っかった人物.彼は内心そのことを十分に知っていた.ゆえにその葛藤を永遠に隠蔽するために自殺という卑怯な手段を取ったのだ.
「暁の寺」に出てくる変態フランス文学者、今西のモデルは 澁澤龍彦だって知ってる?
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/10(火) 21:56:13
一番好きな作品「恋愛レター教室」
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/11(水) 21:05:10
憂国が好き。三島の破滅への傾倒が目につくが。
題名で選んだ「音楽」と「美しい星」 切ない話だったなあ
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/12(木) 16:02:16
日本が平和に努力しても、世界の国の中には戦争をなんとも思ってない犯罪国家が 有るのです。 日本のことわざに、「降りかかる火の粉は払わねばならない」と言うのが有りますが まさしく、その言葉どおりです。 また、戦後あまりにも、ぬるま湯につかりすぎて、自己中の人間ばかりになりました。 このままでは、日本民族は滅ぶでしょう。しかし、神の配慮か、今 日本に神が試練を科されました。 この国難を乗り越えて、初めて日本は生まれ変わるのです。 核戦争・・・結構です。全力で国力を集中して戦いましょう。 日本は、核以上の兵器開発能力があります。日本民族の底力を見せてあげましょう。 北朝鮮、韓国、中国は、日本を野に放つ虎にしてしまいました。 アメリカも、日本をクビキにかけ、やりたい放題です。 かつては、勝てない戦争でも、世界相手に喧嘩をした民族です。 日本の凄さを見せてあげましょう。 また、日本に住みながら、拉致の加担をし国家内国家を作る存在は許せないですね。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/12(木) 16:05:45
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/25(水) 10:40:47
三島は男の中の漢
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/25(水) 11:19:32
ぬこ好きだからにゃんでもいい
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/02(水) 17:51:09
いや三島は男の中の女
三田佳子は私の中の他人
由紀夫の身体は由起夫を捨てた
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/05(土) 12:25:55
三島は本当は女々しい男。本人も認めてた。
あさま山荘事件やよど号ハイジャック事件の記憶はあるのに 三島の事件の記憶が全くないのは、うちの母が気味悪がってテレビを つけてなかったからだと思う。 それでも「佐藤ソーリが「気が違ったとしか思えない」と言ってた」と もらしていたがな。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/09(水) 00:24:26
35:色男no,102/10/30 00:06 みなさん、こんにちは。私が色男です。 事件で不快感を表明した人の中には確かに、三島の「性的人間」としての側面にとらわれたようで、 オナニーやホモ、卑俗な意味合いで「精神的なもの」が相対化され不在に逢着した、(何もない月面の海にアポロが着陸したように)と感じ取った人もあったようです。 吉本隆明などは、生き残った自分たちが「コケにされる」ほどの不毛の存在としての生首というコメントをしていました。しかし、これらの見解は一部であり、あの事件に政治的意味付けを与えようとする人々の間では、 性的な事柄は一切、語られていないと思います。あれはリトマス試験紙のような事件で、あれについてコメントする事は、その人のイデオロギーや性癖を自ら暴露してしまうリスクを負ってしまうという点に特徴があって、 ノーコメント組も複数見られましたが、保身の嗅覚の利く人と思われます。 努力のウソ臭さというよりは、「死」がそのまま生存の批判になるような、生きることの虚偽を告発する装置であった事が、延命策をとる者に三島への悪意を口にさせたと見るべきでしょう。まさに生者の意味を剥奪する死者として三島の存在は今も語られざる謎としてあります。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/13(日) 19:57:19
三島は衆道を弁えた両刀使い
フェイクを愛したフェイク。 スピルバーグとピノキオの仲間だ
あの事件当時小学生だった ニュース見て名前を知ってると思ったら 母親が買った「豊穣の海」が本棚にあったよ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/28(月) 17:34:05
あの事件はなぜかその後マスコミ(左翼)がタブー化してしまったな
いや サヨ系の方がよく取り上げてると思うが?
昔、美輪明宏は昔、三島由紀夫には2.26の青年将校の霊が とり付いていたからあんな事をしでかしたって言ってたな。
天草四郎が言うんじゃしょうがねえな
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/31(木) 23:55:56
美輪明宏の前世が天草四郎ってのはどう考えても捏造だろw
前世? 人の前世がそんなに気になるか 俺はお前の前世がカブトガニであってもなんら困らんが
私の前世は大海原を優雅に泳ぐクジラに食べられるイワシが食べたオキアミの餌になった植物性プランクトンでした 次世は大空を舞うワシの獲物の野ネズミの食べたドングリの実の木の養分とする為に落ち葉を養分に分解する微生物です
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/16(土) 06:36:06
三島が生け捕りにされて逮捕されていたら内乱罪で死刑になってたと思われ。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/16(土) 10:09:56
↑なに必死に荒らしてんの?団塊赤親父 北朝鮮に帰れよ
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/16(土) 10:15:30
内乱罪でも、他所の人をブッ殺してないと死刑にゃなんないよ。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/17(日) 15:54:53
ご子息の方も40代ですよね 顔とか似てらっしゃるのかな
「奔馬」に出てくる三枝祭の笹百合は、今は造花を使っているそうな。 そりゃ一遍に三千本もとっていたら、なくなるよね。 笹百合っていうのは、白地にピンクの線がうっすらはいっていて、きれいだった。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/18(月) 22:26:21
幸福の泥まみれ
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/22(金) 01:34:56
あの三島事件の日、普通に大学で講義受けてたんだが、三島が死んだらしいっていうのを 聞いて速攻で新宿に行ったな。でも街は別に普段と変わらなかった。 次の日ある講義で教授が「三島も死んだことだし、今日は飲もう」とかいって教室で昼間 から飲んだのが、マジで懐かしいな。
>>289 50代以上の板にスレッドをたててみたらいかがでしょう?
前に、変態フランス文学者の今西と書いたのだけど
今西はドイツ文学者じゃないか。誰も言ってくれなかったのね・・・
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/23(土) 12:16:47
澁澤龍彦は三島由紀夫の死後、憑かれたように三島巡礼の旅をしているよ
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/23(土) 12:31:42
死ぬ必要もないのに死んだ人 芥川 太宰 三島 なんか死が必然だったような人 原民喜 田中英光 川端康成 早世が惜しいと思う人 横光利一 坂口安吾 柏原兵三 無様に生きる現代文学の大作家のセンセイ方 大江健三郎 井上ひさし 古井由吉
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/23(土) 23:19:01
太宰は屑
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/23(土) 23:25:26
男色。
「天人五衰」に株の記述を見つける。 「東京海上や、東京電力や、東京瓦斯や、関西電力の、「品格のある堅実な」 株の持ち主であることが、紳士の資格であった時代の、投機を軽蔑する主義から 自由でなかった」東京海上は今どうなんでしょうね。あと 「トランジスター・ラジオの小さな部品メーカーが、年商百億を記録して、 五十円の株が千四百円になったりすることは日常茶飯事であった」 これはどこかな。松下電器? 新興の株は下品、というようなことも書かれている。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/01(日) 14:35:27
昭和2年 芥川龍之介 「ぼんやりとした不安」という言葉を遺し、自殺。 昭和23年 太宰治 「日本の文化がさらにまた一つ堕落しそうな気配を見たのだ」 「こんな具合じゃ仕様がない。(中略)戦争時代がまだよかったなんて事になると、みじめなものだ。」 「私はこの時流にもまたついて行けない。」 という言葉を遺し、入水自殺。 昭和45年 三島由紀夫 「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。 それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」 という言葉を遺し、割腹自殺。
298 :
名無しさん :2007/07/01(日) 14:39:12
ほぼ20年後ね
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/01(日) 14:40:50
もっとヤバい、中国の癌化についてはお言葉無かったのかね。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/01(日) 15:32:03
日中国交回復の前に亡くなってるし
まあようするにあれ。時代の変化についていけなかったのね、このいいお家の いい育ちのお坊ちゃまは。
「天人五衰」の透は偽物ということになっているけど、実は本物じゃないか という話を何年も前にネットで見つけて、そんな風にも取れるのかと 感心した事が。 確かに三島が好きだった美しい日本が、破壊され、衰え、駄目になっているので あれば、清顕の生まれ変わりも同じような道をたどって、ただの小利口なうぬぼれ屋に なっていてもおかしくないか。 ヒントは透の日記。老人がコートのしてから、黒い塊を落とし、それが鴉か何かの屍骸 かと思ったら、女の鬘のように見えたってところ。 あと雑多な色、形の野菜と果物の切り屑を落としたとこも関係あるのかな。 ようするにそれが「春の雪」の聡子さんの落飾を表していて、過去の記憶をこんな形で 目撃してるんですよってことだったか。 長々と書いてしまいました。ごめんなさい。適当に無視しといてください。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/02(月) 15:35:31
>>302 へえ もう一度注意して読み直してみよう
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/02(月) 15:48:36
>>299 朝鮮からのスパイが日本に潜伏している危機感は、もうあのとき三島はいち早く持っていた
スパイがいる証拠を自衛隊幹部から見せられ、ワナワナ手を震わせ怒ってたらしい
子どもの現国の教科書見ていたら、三島由紀夫の論説文が載っていた。 タイトルは「小説とは何か」だったか。一部を抜き出して載せてるようだったが、 平易で読みやすく、それでいて内容が深い感じがした。 こういう文章だって沢山書いてると思うんだ。「文章読本」とか。小説でもそう。 だけど、ちょっとキモチワリー男子が主人公の小説(仮面の告白、金閣寺、午後の曳航あたり)が 代表作として有名で、まあ死に方もあれだったんで、キワモノ扱いされていると思う。 もったいない。
自分で書いといて何だけど、↑、偉そう。いやんなるわ。。
↑実は三島も女性週刊誌とかに軽めのエッセーも結構書いてるから安心しる
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/06(金) 14:51:27
今月24日で芥川死んでから80年か。。。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/07(土) 05:44:47
今、「複雑な彼」読んでます。 女性週刊誌に連載していた作品だそうだ。 モデルは、安部譲二氏だって。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/07(土) 08:26:32
安部譲二嫌いなんだよなー 宅八郎は好きなんだけどー
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/07(土) 09:00:51
たこ八郎
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/08(日) 22:26:42
三島由紀夫読んだことなくて、 村上春樹に、嵌ったことがある人って 三島由紀夫読んだら、 なんだ、こっちのほうが全然面白いじゃんとか思うと思う?
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/08(日) 22:33:25
少なくとも読みやすくはない エピグラム風の文章が続く村上春樹の文章の読みやすさは太宰のに匹敵する 鼻についたりワンパタンであきることもあるが 親子ほど年齢が違う作家なので価値観や風俗が全然違うので戸惑うかも まあ、小説を求めるなら文章家・村上を、文学を求めるなら文学者・三島を 小説の完成度の優劣ではなくて テーマに対しての内容の優劣なら三島だろう
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/08(日) 22:55:33
人間しんだら・・すーべておしまい
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/09(月) 14:57:41
死んでも芸術は残る
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/10(火) 13:32:10
作品にも依るけど、三島に比べたら太宰はそんなに読みやすいと思わないな
317 :
太宰 :2007/07/10(火) 13:49:39
「生まれてすみません」をSさんからぬすんですみません。。
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/10(火) 14:09:31
>>286 亀ですが息子さんとは公立中学の同級生でした
よく○込の豪邸に遊びに行きました
37年生です
高校は別々になってしまい、それ以後はしりません
どんな男性になっているのかしら
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/10(火) 17:39:24
映画関係の仕事についてるのじゃなかったかな? あの「植民地風」のお宅どうなったの?
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/10(火) 18:20:36
背が低かったので悩んでた。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/10(火) 18:28:34
たしかに小さくてかわいかったw
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/10(火) 18:33:01
どんくらいだったの? かなり小柄ときいてるけど
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/10(火) 18:36:08
中学のときだったからなあ 男の子はそのあと成長期くるよね
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/10(火) 19:00:33
口が小さいと知的な顔に見える 芥川、太宰、三島、渋沢龍彦
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/11(水) 00:03:25
636:吾輩は名無しである :2007/07/09(月) 13:58:08 よく三島由紀夫の死体から森田必勝の精子がうんぬんと、まことしやかな噂話が流布されたが、 決起前夜、楯の会のメンバーと三島の5人は、パレスホテルで総監拘束の演習や、辞世の句などを書いた後、午後4時チェックアウトし、 新橋駅の烏森口近くの料亭末げんで生死決別の宴を張り、静かに食事をしてそこを去った後、各々自宅へ戻っている。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/11(水) 00:05:02
637:吾輩は名無しである :2007/07/09(月) 14:05:30 つづき 森田必勝は新宿の下宿、小林荘に帰り、新宿西口公園近くのお茶漬け屋で夜食をとった後、新宿の深夜バーでレジをしていた女友達を電話で呼び出し会い、下宿には午前1時半に戻っている。 三島由紀夫も、自宅へ帰り、午後10時には同じ敷地内の両親に、最後の別れのために会いに行っている。 朝は8時に起き、コップ一杯の水を飲み干した。そして、新潮社の小島さんに手渡すはずだった原稿(豊饒の海)をお手伝いさんに託し、市ヶ谷に向かうため出かけている。 これらは、店の人、友人、三島由紀夫の家族、お手伝いさん、時間に遅れた小島さんの証言により、ほぼ確定していることである。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/11(水) 00:26:47
死んでもカマの噂は残る。
死んでもバカのレスは残る。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/11(水) 07:34:02
噂ではない
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/11(水) 08:02:15
レッキとした事実の男色三島
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/11(水) 12:23:40
「憂国」を読んでオナニーしたやつ、ちょっと来い!
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/12(木) 14:44:20
腹切って、腸がgeroみたいに出てきたところで? 麗子みたいな女2,26の頃は本当にいたんですかね。。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/12(木) 16:03:38
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/12(木) 16:58:18
うほ! 俺は普通の人だから「潮騒」な。 でも、アナルSEXはたまにするが。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/12(木) 17:42:50
ばかばっか
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/12(木) 17:44:44
男色ってのだけで語られるのは結果として不幸だね
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/12(木) 18:03:26
必ずくだらないホモ話に戻すバカの阻止厨が三島由紀夫スレを荒らしているね どういうつもりなんだか…
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/12(木) 18:12:34
30代の左翼の在日の男らしい
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/12(木) 19:17:36
>333 ど、どこ??
>>339 主人公が近江を想って腋の匂いを嗅ぎながら自慰する場面
文学少年(青年に非ず)だった頃、三島と同化したくて犯して愚行です
中学生ってかぶれやすいからねw
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 06:15:27
なるほど、、 ヘアスタイリストやファッションデザイナーが、ホモでも触れる必要はないと思うけど 多くの文学者、特に三島の場合それに触れないといまいちリアリティーが ないからなー、、でも男色だけで語られていると思っている人もそんなに 多くはないと思うけど。
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 07:20:49
三島さんか、ぜひ老いてからの作品を、読みたかったね。 作家ってさ、早く行くとありがたがられるでしょ。 三島さんは、ほんとに惜しいよ。 老成してからの、極みにふれたかった。 川端さんと師弟関係でさ、 すごい尊敬してたらしい。 書簡集とかも、五年くらいまえに出されてる。 三島さんは、ほんと常識人だよ。 ホモとかも、芸術のための誇張した演出ってきがする。 恐ろしく美意識にこだわりがある人だったから、 肉体の老いに、耐え切れなかった、それが自殺の原因 と、いうひともいる。 せめて、七十まで、生きていてほしかった。 まさに、すさまじい文学者。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 12:25:30
全部深く読んでない人だけが男色で語る 世間の一般常識とはその程度だからしかたない
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 12:36:12
まあ、そうだな 芥川は発狂で太宰は心中、で三島は男色 そこで語られる そしてセックス絡むと矮小化されるし
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 16:43:10
三島 男色よりハラキリのほうが印象深い 憂国みたいだったのかな。。こわい。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 16:46:34
>>337 何か個人的な恨みや妬みがあるんじゃないかな
でなけりゃ
ファンでもないのに30年以上も経った死人の掲示板に執着して荒らしにきたりしないんじゃね?
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 16:58:17
平岡梓・公威親子にいじめられた三島の親戚の子孫とか
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 17:53:09
体が弱くていじめられてたから、んなわけない
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 18:24:08
いやいじめてたみたいよ ネチネチと 平岡梓って本当に嫌なやつだよな、親戚にたかり続けて酒に女に その親戚が困窮するとぽいと見捨てて 自分が二浪東大・廊下とんびといわれた無能小役人で 大蔵省いけなかったので息子に大蔵省行かせたんだし 息子のほうも出版の時に金かさなかった人を怨んであとから仕返し 伊東静雄が嫌なやつと見抜いたのは間違いなかった
伊東静雄っておらが郷土の出身だ 三島はあの事件で自決失敗してたら 事件裁判&服役終えたら筆折ってたような気がする もしあの事件を起こさなくても「豊饒の海」が最後の作品になったような
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 23:43:18
>>347 >>349 三島由紀夫私怨荒らし乙
おまえ当時の文壇か編集者の息子かなんかだろ
みっともないよ いい年してさ
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 23:48:27
>>350 必ず死ぬようにしてたんだから、そんな推測意味なし
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/14(土) 06:50:13
平岡公威が、どんな人だったか、うん、普通に考えて、 嫌なやつだろう、、、ある部分で、毒のない人間がさ、 作家、それも一流の作家にはなれっこない。 どんなやつでも、いいと思う。 三島由紀夫の価値は、世の中が認めているんだからさ、 あの人の作品は、やっぱり一流の輝きがある。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/14(土) 06:57:19
伊東静雄も、一流の詩人。 彼は、京都の高校の一教員を、死ぬまで貫いた。 それは、それで尊い生き方。 上のほうで、大江さんのこと 長生きしすぎ、みたいに失礼なこと、書いてるやついるけど、 大江さんは、作家としてだけではなく 「一個人として、いかに生きるべきか」 自分自身で体現している、貴重な存在だと思う。 作家として、どうこうより、 人として、いかにあるべきか 彼の作品が、それを物語っているし、 息子さんとの、生き方にしてもそうだ。 尊敬すべき人生の先輩、先生だと思うけどね。 スレ違いだが、すみません。。。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/14(土) 08:41:48
三島さんは、とんでもない自決っていう手段を 選んだんだけど、やっぱり、そこには、 戦争の影が、色濃く存在しているような。 同世代の人間は、恐らく、学徒で引っ張られて、 大学いってない若い連中は、当然のごとく、 戦場にいってた。 体、弱かった、三島さんは、学徒動員されずに免れちゃった。 そのことが、三島さんの心に ある種の傷となって、残り続けたんじゃないか。 きついいい方したら、「死にぞこない」みたいな ある種の、劣等意識。華々しく、むごたらしく 死んでいった仲間たちに、どこかで、後ろめたさのようなものを 感じていたのでは? 自決は、ほめられたことじゃない、 でも、作家三島由紀夫の、けじめのつけ方。 生き方であり、死に様。 ある意味、潔い、悲しいけじめではないのかなあ。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/14(土) 08:54:12
川端さんの自殺についても、まことしやかなミステリーめいた 噂話が、散々飛び交っただろう。 諸説あるにしても、 三島さんにしなれたことは、川端さんの 自殺の原因のひとつだったのじゃないかと、個人的には 考えてる。 川端さんも、三島さんと同様、 戦争で死ねなかったことへの、 後ろめたさ。文学者として、戦争をどうとらえていたか。 川端文学も、三島文学も もとを辿れば、日本文学の源流、万葉集から始まる 「やまとことば」の使い手としての 誇り高さを、感じさせる品格に満ちたものであるし そういった「やまとことば」の使い手として、 「おおきみ」のはじめた「戦争」を いかに捕らえるべきなのか、 どう生きるべきなのか、 彼ら、二人の偉大な文学者の死は 「日本」って国の、気高さのようなものを感じさせずには いられない。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/14(土) 13:51:10
>>「日本」って国の、気高さ ってのは分かるけど、それなら尚さら生き残ったものは 恥にまみれて歯を食いしばってでも生きなきゃならん気がする その義務と責任を「己の美学」とやらのために放り投げたってゆーか… (作家活動以外の個人的事情・心情もあるだろうから一概には言えんけど) 坂口安吾の方が自分には分かり易い
それなりの覚悟や思想があってやったことだから 人の自殺を部外者がとやかく、生きるべきだったとか批判するのは好きじゃない
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/14(土) 23:01:37
三島は最高そして偉大である でも自殺は最低、みんなで批判して自殺防止は国民運動にすべき
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 01:11:45
己の美学っていうより、、武士道精神?でいうところのけじめというか?身の処し方。 命は、命でしか、あがなえない。 例えば、戦争で、天皇陛下、万歳でたくさん人が死んだよ。原爆でもね。 それは、三島や川端のせいじゃない。だけど、文学者としてというか 一人の人としての責任、死ななければならないという、ある種の強迫観念のようなものに、くるしんて゛居たとしても不思議ではないんじゃないか。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 01:20:10
この二人の死には 単に芸術のために一身を捧げましたではとうてい、すまされない、覚悟のようなやっぱり、ある意味での潔さ。 これは、日本人特に大和魂という誇りを持ち続け、恥を嫌った日本人の、 なんていったらいいのか、悲しい決断のような。 負け戦とわかっていても。死ににいかねは゛ならなかった人たちへの 責任の取り方ではないかなと思う。
363 :
LEON ◆1QSiMhiF4U :2007/07/15(日) 01:23:55
>>361 同意
選挙近いと、いつも思うのだが
現在の政治家連中に、見習って欲しいと思う。
日本社会全体が、病んでるような気がしますね
第二次世界大戦無条件降伏後、武士道終結し
グローバルスタンダードとなったしな
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 01:32:39
自殺はよくないことだけど、日本人の伝統的な精神土壌を 考えると、やむをえない決断であったように 私は考えるけどな。それ以外、この二人の死を納得させられるだけの理由がみあたらない。 精神的に追い詰められていた、睡眠薬の常習者だった、 それは、多くの作家がそうであったわけで。 ま、真実はわからないわけだけどね。。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 01:52:10
権力持ってる人は、強いから、だんだん弱者や一般的な人間の感覚から 遠のいてしまうのじゃないかと思う 作家は作家として 権力とは別のカタチで、世の中にメッセージを送り続けてほしいものです。 石原慎太郎や田中康男は、政治の世界に身を投じたのだけど、メッセージは活字で投げてほしいよ。 受け止める側がどうこうではなく、作家としてのスタンスを貫いてほしいと 文学ずきは思うのであります。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 11:33:38
文学って、本来、政治とは離れたところにあるものじゃないのかな 石原や田中は文学者じゃない物書きだろ 三島由紀夫は一人の文学者であって、右翼でも軍国主義者でもない 彼の美学、哲学的意思、憂国、武士道の精神を貫いただけ
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 11:43:21
最後になにがなんだかわからなくなるのも後世に残るコツだな
君ら頭いいね。
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 16:45:38
最後になにがなんだかわからなくなった、、、 のが、三島由紀夫を指しているとしたら、それは大間違い。 彼は、ああいう死に様を選んだことで三島由紀夫としての人生にピリオドをうっただけ。結果的に、後の世には自決の三島で名が残ったように感じられるが 彼の文学は、早くから世界的なレベルで認められていたわけ。 彼の文学や思想を考えてみると、わけがわからない行動とは思えない。 彼は、彼なりに最後に 市ケ谷で腹、かっさばいて、死に様みせつける、そういう生き方を貫いた、すさまじい人なだけじゃないのかな。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 16:51:43
今の日本人が、失いかけてる、誇り、気高さを それこそ、切腹、腹切りで世界にアピールした男、 それが、三島由紀夫じゃないのかな。 恥を恥とも思わない人が、多い世の中で、彼の生き方のすさまじさにも、学ぶべき何かはあると思う。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 16:56:43
彼は、四十五歳で自決してることを考えても、ホモとか、自決とかの一部分で判断できない、 何かを抱えていたのかなと三島と同世代になった今の自分は、改めて考えてみるよ。
番町阿頼耶識
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/15(日) 18:32:51
深いなー
それでもやっぱ三島は「最後までやり遂げられなかった生き方」としか自分には思えないや
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/16(月) 03:32:29
それも、考え方の一つだよね。間違いなく、自殺という手段は、生きなきゃならない義務からの逃走であるわけだからさ。潔き逃走とでも、いうべきか。 私自身は、三島の死には なぜか、浅野匠上が重なってしまう。これは直感だけどね、たぶん、切腹して死んだ人間ていうと、浅野匠上がおもいうかんじゃうんだろうけどね。なぜ、殿中松の廊下の彼と、三島が重なるのか。 本当は、若くて生きるのに器用じゃない一人の男が 抵抗しがたいなにかと がむしゃらに戦わねばならなかったとき やむをえず、刀を抜いて 生きることから逃走した、そんな感じなのかな。 惜しい人だと、私は思う。後進のためにもっと生きてほしかったよ。
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/16(月) 04:06:48
それと、やっぱり死に対する考え方が、戦争経験者と今の私たちは大きく違っているのであって。。 戦争で死ぬことは名誉であった、まさに誉れ高き行い。誰かのために死ぬということの犠牲的恍惚感。 三島さんは体が弱かったから、死への不安にいつもさいなまれていただろう。 それが、戦争で死が平等に訪れるものであること実感したそして、死への不安から、ある満足と恍惚感をもって解放されるのだから、三島さんの死生観にとって、戦争が大きな意義をもっていたのは当然だろう。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/16(月) 11:24:33
命より大切なものがある。 by 三島由紀夫
>>戦争が大きな意義をもっていたのは当然だろう。 だからこそ、生き続けなければいけなかったと思う 命より大切なものを自己中心的に使ってる でもその自己中心さ加減が三島文学の魅力であるのは否定しませんっす
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/16(月) 15:46:09
演説の途中でヘリの爆音によって自分の声がかき消され不快に思ったらしい。
拡声器は使いたくなかったからな 檄も全部手書きだし
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/17(火) 06:19:56
確かに命は大切だけど、命懸けで守らなければ、生きていけないものもある。それは、人としての尊厳にかかわるような気がする、 何かのために、命を捧げ尽くすということは、私は身勝手だと思わない。それは、その人の生き方によって何に命を捧げるか、決まってくるのだろうが。 命に固執しているうちは、魂の自由、思想の自由が得られない気がする。 私たちは、毎日貴い命を犠牲にして生きねばならぬもの。犠牲にしてきたいのちが、貴くないとなぜ言えるのか。 生きることの、罪業をしるべきでは、ないのか。だからといって、自殺をみとめているわけではないのは、誤解なきよう。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/17(火) 20:59:42
そういえば、 「いただきます」とは、どういう意味か? (命を)いただきます。 だ、そうだ。 一般的に一日3回ぐらい犠牲になる命に感謝の言葉をいっているのだ。お
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/19(木) 16:54:45
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/20(金) 10:39:18
春の雪DVD見ました。 三輪明弘が、絶賛してたらしいので良い作品だったのかな? 私にはよくわかりませんでした。 楽しめたって感じでもなかったな。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/20(金) 17:52:47
美輪明宏が絶賛するのならたいしたことのない作品だろう
まず主演の二人がイメージじゃないし。清顕は若い頃のの窪塚だったらよかったのに。 聡子は公募で。本多は結構よかった。でも本多も剣道嫌いじゃなかったっけ。 なんで剣道やらせるの。タイの王子様、ちゃんとエメラルドの指輪してたけど、 ヤスカ神の彫刻はついてたかしら。 BSでやってたのを途中まで観てたんだけど、お風呂入っちゃって最後まで観てないわ。 ラストはどうなったの?384さん。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/22(日) 05:18:39
途中で風呂入っちゃうでしょうね。私も 本田が剣道やってるあたり、次はないってこっとでしょうね。 最後というか、ラストシーンは森の中の小川で、夢日記が風にめくれて 壊れた蝶がはらりって感じでしたが、それも興ざめでした。
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/23(月) 23:02:59
「聖セバスチャン殉教図」(→「薔薇刑」) これが切腹より前、コアな部分にあると思うんだよな。 じゃ、なんで「薔薇刑」じゃなく切腹で死んだんだってことだが、現代日本であれで死ねるシチュエーションは作り出せないってことに尽きる。 これで死んだら、単なる変態になってしまう。 切腹なら日本人だし、まだなんとか格好つけられるという選択だったと思う。 磔になっていっぱい弓矢を突き刺されのと腹切るのとは、自力と他力の違いはあるが、自虐的で非業に倒れるという図式は同一。 が、結局無理があったがね。 しかし、その為に10年以上前から、肉体改造から運動オンチかつ好きでもない(むしろ嫌い)武道を習い、天皇だの憲法だの一所懸命理屈こねた努力は特異だと思う。
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/25(水) 18:04:59
三島の自刃は一言で言えば、唯識の破壊にあります。 三島は常に唯物と唯識の境界線上に生きていました。 文武両道とは唯識唯物両道ということです。 唯識思想は基本的に無境の世界を合わせ鏡の理論で説明します。 しかし、肝腎の合わせ鏡そのものは説明できないのです。 思念、認識とはこの合わせ鏡、認識する自己を認識する自己を認識する自己・・・・・・・・・のとめどない永遠の繰り返しによって成立します。 三島が認識の地獄、自意識の地獄と言っていたのはそのようなことなのです。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/27(金) 11:51:11
ふつうの人が考えないようなことを感じてしまう霊的に何歩も進んでる宇宙人だったんだお(´・ω・`)
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/27(金) 14:52:07
漢字が多いな、 勉強になります。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/27(金) 17:11:27
大藪春彦に憧れていた人。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/30(月) 10:42:12
>>393 そんなん初めて聞いた
つか、年代が大藪のが下やんけ
憧れって表現おかしくね?
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/30(月) 12:21:37
ウィキに載ってたぞ。 周りの人には隠してたらしい。
実存的ヒーロー願望か。 この普通のインテリっぽさはやっぱ隠すだろうなあ。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/30(月) 17:01:50
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/30(月) 17:10:17
>>369 インテリぶる奴を嫌ってたから隠す必然性ない
マンガ好きだったらしいしw
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/01(水) 22:31:29
皇后美智子さまと お見合いしてたらしい
悪口言うのも大好きだったらしい。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/04(土) 15:19:00
すてきな方ね
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/04(土) 15:51:27
胸毛がすてきねw
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/04(土) 16:06:47
ダンスホールで美輪明宏に「意外と背が低いのね」と言われた途端 真っ赤になって出て行ったそうだ。プライドが高いんだね。
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/04(土) 18:52:29
実際に何センチくらいだったのだろう? かなり小さいとは聞いているが
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/05(日) 10:50:52
163pです
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/05(日) 10:53:24
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/05(日) 11:09:50
>>403 美輪は、そんなこと言ってないよ 自分も背が低いから
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/05(日) 11:33:39
美輪の著書ほとんど読んだけど、そんな話聞いたことない。 別の人の著書では見たことあるけど、それは身体が痩せてると言われたとかいう話だった。 伝聞が伝聞されているうちに誇張された作り話だと思う。
でもシークレットブーツは履いてたらしいわよ
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/06(月) 17:17:25
昔にそんなもの売ってないだろ
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/06(月) 17:18:26
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/06(月) 17:19:10
坂本龍一の父が三島担当の編集者
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/06(月) 17:27:00
一亀さんね
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/06(月) 21:47:10
>>411 もっと低いと思う
誰かと並んでるの見たとき低かった
うちの母も美輪は背が低いと言ってたよ
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/06(月) 21:56:24
釜男ども
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/07(火) 17:44:16
>>302 実際本多くんが偽者認定しただけだからなあ。
本当のところどうなのかよくわからん。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/08(水) 19:08:09
46になっちゃったー もう、死にたい
418 :
山田 :2007/08/08(水) 19:39:57
しかし三島は力みすぎだよな、、拳を握りっ放しって感じ。 大体、行動のための強引な動機付けのためにせよ、冷静に考えて、自衛隊が自分たちの主張に賛同 して、実際に行動してくれる訳がないでしょう?あんなに優れた頭脳の持ち主が、、どうして、、 同じ文士の死なら、オレは断然荷風みたいになりたいね。死の前日まで独りで食堂行ってカツ丼 喰ってさ、、、、
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/08(水) 20:24:46
力み過ぎのまま首が取れたら、ぷりぷりぷり
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/08(水) 21:50:03
ハラキリってサー、腸ダイレクトにきるから 雲古とかすぐ出てくるのかな しばらくしたら胃の内容物も、 憂国で部屋が血の海そして、スゴイ匂いになってるって書いてあったと思うんだけど やっぱ、46になっても死ねないな、ハラキリでは。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/08(水) 21:55:06
そういう事にならないように、腹切り3日前からは精進料理に汁。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/18(土) 00:26:18
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/18(土) 15:24:58
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/20(月) 03:10:23
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/23(木) 00:22:05
ゲイの割腹オナニーにすぎんよwwwww
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/23(木) 15:12:05
聞き飽きたよ それw
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/23(木) 15:46:49
あと50年もへれば 金きろう事件やシージャックと横並びの過去の事象
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/23(木) 17:25:07
三島氏と、村上春樹って顔似てない?長さはちがうけど よく、本のカバーに載ってる写真限で。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/23(木) 17:45:39
>>404 三島の同世代の男性は、星新一や遠藤周作など比較的長身であることが多いが、
三島は身長163センチと、当時としても小柄だった。
三島はこのことに劣等感を抱いており、公には身長を詐称することがあった。
あるとき、新聞記者が三島に身長を尋ねると、「173センチです」との返答だったため、
その新聞記者は奇異の念を抱いた。
その新聞記者の身長が173センチだったのに、どう見ても三島のほうが小さかったからである 。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/23(木) 17:55:45
フランシス・コッポラは映画「地獄の黙示録」の撮影時、三島の「豊穣の海」から作品の構想を膨らませています。 各所に散りばめられた神話的メタファー、世界観、ラストの東洋的ニヒリズムなど随所に三島からの影響が指摘されています。 また、現代文明に疑問を抱き特殊戦部隊に志願した38才の中年カーツ大佐は三島の造形であるといわれています。
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/23(木) 17:59:10
「戦場は地獄だから怖いのではない。戦場では特に地獄が天国に見えるから怖いのだ。そういう人間が怖いのだ」とコッポラは言っていますが、 これは三島の作中の主題と共通したもので、「仮面の告白」のエピグラフの「悪行の中の美」、三島の生涯の追求したテーマの一つだった「悪と美、死とエロスを通した人間存在の謎」へと重なっています。 三島も著書のなかで、人間性という地獄の劫火を悪と美に喩え、美と悪、芸術と犯罪の関係について述べています。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/23(木) 20:20:34
三島はやっぱり翻訳者だったのだね 訳さんでもいいとこまで・・・ それをすれば拍手喝采、皆の関心をひけると・・ 心の轍を娼婦のように売ったのだね。 その裏返しがあのような行動に駆り立てた。 語りは・・・・で、現実はその重要さにおののいて行動。 神は三島に与え三島は廉売サービス その贖罪があれだったのだね
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/24(金) 01:01:00
『鹿鳴館』のなかに、 「自分を本当の真珠と信じていれば、硝子もいつかは真珠になるのよ」 という君子のセリフがありますが、 これは三島の作品にときおり表れる二元論、本物と偽物の概念を暗喩しています。 つまり、いくら透が本物であっても腐って偽物になる可能性があり、反対に本物でなくても本物になりうる、という思想があったと思われます。 おそらく三島は自身について、鹿鳴館の花子のように自分は真珠ではない、人造真珠かもしれないと思いがあったでしょう。それゆえ自己芸術化へ向かい結果的に真珠となりました。 それはさながら映画マトリックスのネオが、自分が本物の救世主ではないかもしれないと悩みながらも結果的に救世主だった(なった)という感覚の先取りともいえます。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/24(金) 01:10:24
>>433 翻訳者 いい表現ですね。
天、未知からのメッセージを伝えるための神の犠牲になったといえます。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/24(金) 17:44:16
高橋与四男は著書のなかで黒沢映画とシェークスピアとの関連、黒沢が影響を与えたコッポラ、さらにビィスコンティの「ベニスに死す」(トーマス・マン作)と三島由紀夫の関連を考察しています。 ベニスに死すの、美少年を見るためだけに死んでいった老作曲家を〈死よりも尊い至福なるものを享受したかったにちがいない、美を見し人は、すでに死んでいるのだ〉と、その命題を抽出し三島の芸術観の共通性に触れながら、 「憂国」「豊饒の海」等においては典型的に言語芸術化しているエロティシズムの極致であり、それは彼の文学作品ばかりか45年間にわたる人生そのものを根底から支え、 あの狂気にも似た最期を演出した三島は、それこそドン・キホーテさながら文字通り命を賭けて美の追求、幻術という「誘惑の魔」に立ち向かったと高橋は評論しています。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/24(金) 22:03:29
それじゃ只の高級フェティシズムやろw
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/25(土) 12:05:13
>>437 フェチと関係ないだろ
意味もわからずテキトーこくなバカwww
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/25(土) 12:21:21
>>431 大島渚に三島作品撮らせようともしてたそうだ
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/28(火) 20:29:27
三島事件の背景には自衛隊が深く関わっている。 全学連による反政府運動は日増しに激化し、今にも共産革命が起こるのではないかという当時の社会世情の中で、 国家の防衛に強い危機感を抱いていた旧日本陸軍出身の自衛隊幹部とアメリカ陸軍とCIAは自衛隊によるクーデターを望んでいた。 アメリカは中ソ接近による極東アジアの共産主義勢力の拡大に対抗するため、日本が憲法を改定し自衛隊が国軍になってアジアの共産革命に対する西側陣営の防衛を本格的に担ってくれることを望んでいた。 つまり彼らはクーデターの機会を望んでいたのである。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/28(火) 20:30:38
一部の自衛隊幹部は、日本国内での新左翼運動と各地の都市闘争の勃発に対して自衛隊が治安維持出勤をし、デモ隊を鎮圧して、そのままクーデターへと流れ込み、かくて自衛隊を国軍として社会に認知させようと考えていた。 クーデターの機会を望んでいた彼らにとって、国を憂い、自衛隊の覚醒を諭していた三島と関係をもつことは願ってもないことだったのである。
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/28(火) 20:34:24
クーデターを画策する高級将校たちが一度は三島の構想に理解を示したものの、最後は憂国よりも自分たちの保身のため三島の構想を握りつぶし、うやむやにしてしまった。 また、キッシンジャーの訪中によりアメリカの対中政策はそれ以前のような強固な対抗姿勢を全面に出すものではなくなりつつあった。 そして、さらに激化し続けると思われた学生運動は、力を強化した警察機動隊の前に次々と撃沈され、自衛隊の治安維持出勤の可能性はなくなってしまった。 つまり、三島だけがとり残されたのである。このとき三島にあったのは絶望だけだったであろう。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/28(火) 20:35:03
その後、三島が何をしたかということは周知のとおりである。三島は自衛隊がもう決起しないことを知りながら、あえて狂気を演じたのである。 クーデター実行を塞がれた三島はクーデターらしき状況を演出ことによって、メッセージを伝えたかったのではないだろうか。 今、三島事件から37年後の今日からみると、三島の自衛隊と戦後日本に対する考えは、その後の政治家の堕落、日本国民のバブルの狂騒、小学生や中学生の犯罪など、三島の檄文の中身は、ある意味日本を予言し正しかったと言わざるをえない。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/28(火) 20:53:57
三島が安田講堂で切腹したといってる30代の人がいますた
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/29(水) 01:19:55
三島由紀夫は 小利口になった日本人に 狂気を見せつけカツ! を入れたかったのさ!
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/29(水) 22:10:02
かつやの名店は四谷の交差点にあったな
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/30(木) 17:06:54
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/30(木) 17:14:20
三島は自衛隊で切腹したんだよね?
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/30(木) 18:12:33
旧市ヶ谷駐屯地。現防衛省。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/30(木) 18:22:09
いや〜 壮絶に! 男らしく! 立派に! 問題提起して! 逝かれたんですなぁ〜
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/31(金) 01:13:36
ためらい傷一つなく イッキに大声で雄叫びながら 腹を深く一文字にカッサバイたらしい 首を斬るやつは失敗したから 苦しかっただろうな
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/31(金) 18:41:34
そんなに偉い? その血を始末したの市谷駐屯基地の自衛隊員のかただよ。 自衛隊員の方から以前聞いた。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/31(金) 18:43:54
介錯した森田は、今どこで何しとんの? もう出所してるんやろ
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/01(土) 00:41:44
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/01(土) 08:15:42
そりゃ自衛隊だからね、当たり前の事だよ。 出来ない奴は職能無しだな
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/01(土) 10:18:21
警務隊管轄かな?
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/01(土) 10:21:01
介錯が下手糞で、側頭部に3センチくらい食い込んだまま、刀が動かなくなるって、どうよ?
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/01(土) 15:46:05
解剖所見によると 頸部に3回は切りかけた、 7p、6p、4p、3pの切り口、右肩に刀がはずれたと見られる11.5pの切創があったらしい 森田の介錯は下手だったから苦しい最期だったろう 腹部はためらい傷一つない左から右へ真一文字で小腸まで達していた
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/03(月) 23:55:38
森田は介錯が下手だなww
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/04(火) 08:22:48
>腹部はためらい傷一つない左から右へ真一文字で小腸まで達していた 妄想に酔ってたからで来たんだろう。 それにしても介錯じゃなくて、下手糞の薪割りを90度傾けたような代物だな。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/04(火) 12:36:53
ああいう人もいないと世の中つまらないよね
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/04(火) 17:08:52
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に松任谷由実がいますが、 彼女は中学時代から文化人が多くたむろしていたイタリアン・レストラン「キャンティ」に毎日のように出入りしていて、そこには三島や安部公房などもいました。 ユーミンの淡い初恋が三島だったとも言われ、ユーミンの楽曲の詩の諸処に表れている、 三島文学からのインスパイア(生まれ変わってもあなたを見つける)や三島的なものへの思慕(いつでも強がるあなたが好き…)、三島へのレクイエム(ひこうき雲、卒業写真)等は一部で指摘されています。 また、価値相対主義の社会にはエロティシズムはないと極限し、反体制運動に見られるような、人間性を管理社会から解放するところのセックス、とという認識を批判して、絶対者がなければ人間性の救済というのはあり得ない、と主張した三島と、 恋愛対象者を絶対者として、宗教にまで高められた恋愛至上主義を信条とするユーミンの恋愛世界には、明らかに共通した思考がみられます。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/05(水) 11:07:20
ニョーヨークの本屋に 三島由紀夫の本がたくさんあったよ
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/05(水) 11:09:26
ホモが多いからな
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/05(水) 15:47:36
多々ある作品のなかでホモを描いた作品は2、3個しかないのに、読んだこともない知ったかぶりに限って、 珍しいものにバカ騒ぎする餓鬼のようにホモホモばっか言って作品の中身は全く知らないもんだよね
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/05(水) 15:57:33
必死で擁護w
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/05(水) 15:59:13
ハイハイ 御苦労さま! わかったよ ヽ(゜▽、゜)ノ
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/05(水) 16:13:28
芸術の才能あるやつは大抵ホモの部分をもっている
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/07(金) 15:04:33
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に坂本龍一がいますが、彼の父親は三島の仮面の告白、金閣寺などを世に送り出した河出書房の三島担当の名編集者として有名です。おそらく父親から三島の逸話などを聞かされたことでしょう。 坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で演じた将校も三島の造形だといわれていますが、 龍一自身が担当した「戦メリ」の音楽に歌詞を付け、デヴィッド・シルヴィアンとコラボしたアルバム「禁じられた色彩」も、明らかに三島の「禁色」をベースした世界があります。 My love wears forbidden colours. My life believes (in you once again) 僕の愛は禁じられた色彩を帯びる。 僕の生は(もう一度あなたを)信じる。 ちなみにD・シルヴィアンも三島の「禁色」を最高の文学と言い、三島おたくぶりをアピールしています。
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/07(金) 15:59:37
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストのなかにフランシス・コッポラと大島渚がいますが、 コッポラが自身の「地獄の黙示録」撮影時に読み、作品の構想のヒントにした三島の『豊饒の海』四部作を、全て映画化する構想を語っていたことは有名な話です。 「春の雪」をコッポラ自身が監督して、「奔馬」以降を日本人監督に任せ、コッポラはプロデューサーにまわる、と予定していたようです。 その監督候補に大島渚が挙がっていましたが、渚の病気などの理由のため実現はできませんでした。代わりに監督できるのは、今の日本では北野武くらいでしょうか。 「戦場のメリークリスマス」にも三島へのオマージュが入っていますが、大島渚は「鏡子の家」、「美しい星」も映画化したかった旨を語っていたようです。
30年程前に映画化された「午後の曳航」はよかった。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/09(日) 12:35:27
フランス映画だっけ?
詳しくないけど、確か、舞台を横浜からイギリスの港町に移して、俳優も外人だった んだよね。航海士がクリス・クリストファーソン、未亡人(?)がサラ・マイルズ、 少年は新人だったのかな。タイトルはThe sailor who fell from the grace with the seaだったと思う。 衝撃の結末でした。(読んでなかったので)多感な時期だったしね。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/10(月) 16:22:24
なんか、そのイギリスを舞台にしたのの他にもハリウッド版の午後の曳航があるみたいですね でもイギリスのほうがいいらしい 見てみたい 小説に出てくるブティックは横浜元町に実在しているそうです
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/10(月) 23:58:13
↑すごく気になってます。 M,,? Fじゃないよな。。
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/12(水) 19:27:36
P,,とかSかも Fは輸入物扱ってないですね。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/13(木) 08:33:52
Pですよ。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/15(土) 11:59:03
イニシャルじゃなく名前教えて
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/16(日) 05:59:27
横浜元町 三島由紀夫 で検索したら個人のサイトみたいだけど見つかった。 Pの前に 冠詞がついてたけど。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/19(水) 14:54:52
>>480 判りました
ポ○ーですね
ありがとうございました
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/19(水) 15:14:06
三島はぬこ大好き
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/20(木) 23:11:16
,-、 ,.-、 ./:::::\ /::::::ヽ /::::::::::::;ゝ--──-- 、._/::::::::::::::| /,.-‐''"´ \:::::::::::| / ヽ、::::| / ヽ| l l .| ● | l , , , ● l ` 、 (__人__丿 、、、 / `ー 、__ / /`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´ ./ ___ l __ l ./ / |/ | `ー-< / ./ ./ `ー‐--{___/ゝ、,ノ 文豪は ねこすきにゃ〜
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/20(木) 23:19:58
三島由紀夫の作品自体は高校生のとき読んだきりだけど、よく、いろいろな 作家のエッセイなんかを読んでいるとかけだしのころ三島由紀夫に励まされたり 声をかけられたりという人がけっこういるんです。文豪と呼ばれる人でも新人に 冷たい人、尊大な人も多いのに…。 いい人だったんですね。
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/20(木) 23:26:45
基本的には坊ちゃんだから人はいいとおもうけど 嫌な面もあったらしい
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/21(金) 01:00:33
新潮CD文庫の「学生との対話」で 「人に嫌がられることをするのが快感だ」とゆってた
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/21(金) 09:11:58
>>486 ボードレールの言葉を引用して、
『ダンディズム』の定義を述べているところですね。
「ダンディズムとは、人に嫌がられるという貴族的快楽のことをいう。」
続けて「私は一所懸命これを信奉している(笑)」と三島は語っておりました。
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/21(金) 10:39:28
,-、 ,.-、 ./:::::\ /::::::ヽ /::::::::::::;ゝ--──-- 、._/::::::::::::::| /,.-‐''"´ \:::::::::::| / ヽ、::::| / ヽ| l l .| ∀ | l , , , ∀ l ` 、 (__人__丿 、、、 / `ー 、_______________/ 三島はこういう猫がすきにゃ〜
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/22(土) 01:20:03
プロ野球巨人の監督ウォン・ジントクさん(原辰徳)のワンクリ体験談を聞くべき。 すっごく参考になる! 意外です!
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/23(日) 23:37:39
三島が今も生きてたら82歳の爺さん。老いを恐れる三島が老人になるまで生きる気は無いだろうが。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/24(月) 01:13:40
チェーンスモーカーだったから、本人の意志にかかわらず82は無理だったろうよ。
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/24(月) 01:26:01
しかも缶ピースだったしな
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/24(月) 02:24:11
川端の前でもプカプカ。嫌な顔してるのも無視。 勝手に先読み解説かまして、川端さらに不機嫌。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/25(火) 14:52:18
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/25(火) 14:58:57
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/02(火) 08:16:46
三島は昭和40年代に東京都知事選の立候補を政治家から依頼されてたが、割腹自殺 を決意してたので要請を断った。仮に立候補してたら東京都知事になってたと思う。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/04(木) 13:10:04
薔薇と海賊 三島由紀夫 作 11月2日〜9日 紀伊國屋ホール 問い合わせ 03-3945-5384 出演 村松英子 大出俊 伊藤高 他 演出 村松英子 所作指導 野村萬
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/04(木) 13:36:32
死と夜と血と…
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/08(月) 12:02:52
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/08(月) 13:57:08
三島由紀夫って俳優だったの?
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/09(火) 01:34:21
↑ツマンネ釣りだな オイ
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/09(火) 02:37:22
黒蜥蜴
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/10(水) 01:16:31
リアル三島由紀夫と接しられた女優さんたちが羨ましいな 男女問わず、三島由紀夫と接した一番若い生き証人は誰ですかね
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/10(水) 01:19:19
>>501 俳優もやったことあるよ
からっ風野郎とか
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/13(土) 16:34:34
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/13(土) 23:39:46
三島由紀夫の鋭い批評眼は文学のみならず、映画批評にも影響を与えたようですが、 三島は、公開当初批評家たちから完全無視されていた「総長賭博」(脚本:笠原和夫)を映画芸術の誌面上で絶賛し、当時やくざ物映画を冷遇視していた映画評論家たちの認識を一変させました。 三島は、戦後やくざ映画の「型」の頂点を究め、そのことによって逆に型を越えた人間の裸の感情を露出させたといえる脚本家の笠原和夫の感性をいち早く見抜いた訳です。 笠原はその後、ヒット作「仁義なき戦い」の脚本も書いた訳ですが、この作品の影響を受けた海外映画監督には、マーティン・スコセッジやタランティーノ等がいます。 三島の「総長賭博」の批評がなければ、「タクシードライバー」も「キルビル」も生まれなかったかもしれません。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/15(月) 13:04:40
三島由紀夫は20世紀の日本の最高で最強の作家だと思うね。
三島は、自分の産湯の光を覚えていたそうだが…彼ならありえそうだ。
そりゃ、仮面の告白の冒頭だよ
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/18(木) 11:58:23
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/18(木) 13:21:56
>>504 ムッシュかまやつとか加賀まりことかじゃない?
飯倉のキャンティあたりで接触してただろ。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/18(木) 13:25:28
男色だろ
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/18(木) 13:40:56
>>504 忘れてた、神津カンナがいたわ。
当時カンナ10歳くらいで三島と雑誌対談している。
その時の録音テープがいまだにカンナの宝物となっていることは有名な話。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/18(木) 16:10:58
ほう神津カンナとは意外
>>463 のユーミンかと思ったら
そういえば父に聞いたことがあったな、昔。 私「これ何て読むの?午後の・・きこう?」 父「えいこうって読むんだ、曳航船のえいこう」
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/19(金) 00:27:18
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/19(金) 00:29:14
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当したジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、 ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。 バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。 「死と夜と血」 俺が彼の瞳のなかに あのスパルタを見た時 夭折はいいこと だから俺たちは決めたんだ 死ぬこと以上に すばらしい愛はないと 俺は俺の肉体を 俺の武器にまで 鍛えあげるんだ ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をしているそうです。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/19(金) 00:30:24
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、 「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、 日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/19(金) 08:54:56
>>518 まあそういう見方もできますね。
神津カンナが小学校6年生のときに三島由紀夫と対談したときの話。
神津カンナの詩の一遍に目を止め、
三島がそれを朗読した後に涙をためて「素晴らしい詩だ」と褒めたという。
『ふんすい』神津カンナ
ふんすいさん
せっかくたかいところまで
とび上がったんだからさぁ
もうちょっととまってらっしゃいよ
ほらそこで
その空の青いところで
私が神さまだったら
空からつりかわぶらさげてあげるんだけどナ…
ねぇ ふんすいさん
これに対して三島が残した言葉
「誰でも皆んな噴水と同じで、一度上がったら必ず落ちなくてはいけないんだ。
あぁ、もう少しこの状態にいたいなぁと思っても、
やはり人間というものは必ず下に落ちていくものだ。
誰でもきっと君のお母さん(中村メイコ)も、君も、いつかそう思うときが来るだろうし、
誰だって皆んな、つり革をほしがっている。
だけど神様は絶対につり革をぶら下げてはくれないんだよ。
誰もが皆んな自分で上まで行って、こんないい景色だ、素晴らしいなと思ってもすぐにまた下へ落ちてしまう。
もう一回行きたかったら、またいちばん下から上がっていかなくてはいけないんだよ。」
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/19(金) 11:10:51
JJBもウホッじゃん
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/19(金) 11:18:06
>>521 三島って幼い子の詩に涙ぐむ感性をずっと持っていたナイーブな人だったんだよ
だから最後には、シニカルな知識人、狡猾な政治家と口もききたくなくなったんだろうね
>>10 あの…仮面の告白を読んだ事ありますか?
学生時代から、マッチョに対する憧れがありますが…。
しかし三島の出身校の学〇院の学ランはえろ杉…
女子部のセーラーとはまた違うえろさが…
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/23(火) 12:00:37
仮面の告白の主人公が二つの愛(性と聖)の狭間で苦悩する物語で、 主人公の叙述をとおして三島は人間の相反する理性と感情の美と愛の背理、肉体的愛と精神的愛、エロスを通した聖(プラトン)なるものへの願望、超我による神的なものとの合一について論考した哲学小説です。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/23(火) 12:01:44
三島由紀夫の本を読むと、倒錯者や男色を描いた描写でも、あくまでモチーフで、あまり奥底からの真実味が感じられない創作部分もあります。 おそらく精神分析の本や子供の頃から読んでいた本から得た知識から書いたと思われます。 私は三島は世間一般の人から比べると性欲は薄い奥手な人だったと思います。 ただ、身を挺して苦痛に耐えながら何かに殉じたいというマゾヒスティックな願望は明らかにあったと思います。 そこにはマゾの性的要素はもちろんありますが、哲学的、宗教的な意味の超脱、脱人間(エクスターゼ)への希求が強く感じられます。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/29(月) 13:46:58
いろんな板に三島スレが立ってるが、ほとんどはMや男色といった三島の性癖について語られてるww
>>520 外から日本をみている人間のほうがいかに、歴史的に日本を観察しているものだという、いい例だ
もともとは内向きの頭やたらいいだけのヒヨコ野郎 コンプレックスの裏返しで中年からマッチョイズムに目覚めたけどそれも頭がいいがゆえのわざとらしさが見え隠れする あと多分ホモに憧れてわざとバイになったタイプのホモで生まれつきのゲイではないね
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/04(日) 01:08:57
作家というのは、作品の原因でなくて、作品の結果ですからね。 自己に不可避性を課したり、必然性を課したりするのは、なかば、作品の結果です。 ですけれども、そういう結果は、ぼくはむしろ、自分の運命として甘受したほうがいいと思います。 (中略) ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、ばかばかしくみえようと、気違いじみてみえようと、それはけっきょく、自分の作品が累積されたことからくる必然的な結果でしょう。 ところがそれは、太宰治のような意味とは、違うわけです。ぼくは芸術と生活の法則を、完全に分けて、出発したんだ。しかし、その芸術の結果が、生活にある必然を命ずれば、それは実は芸術の結果ではなくて運命なのだ。 三島由紀夫 三好行雄氏との対談から
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/04(日) 01:10:09
彼(三島)はたしかに、古い夢の、神々の、死の自覚の上に立って、つねに仕事をしてきた作家であるといえるだろう。 彼は神々を、錬金術師のように、合成することを夢みる。そこに彼の批評精神があり、光栄があり、そしてまた苦しみがあるばずだ。 道徳を信じない道徳家、 愛を拒否する愛の詩人、 詠嘆的であることを恐怖する、しかしロマンティックな嘆美家、 ――作品の背後にある作者(三島)の姿を、一口にいえば、そういうことになるのではないか、とぼくは思っている。 村松剛
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/04(日) 01:53:40
彼(三島)は戯曲を書けば天才である。 篠田一士
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/04(日) 21:35:32
>>524 美輪昭宏がよく自分で「その言葉がきっかけで三島が肉体改造に走ったのよ」と言っている。
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/05(月) 02:34:27
四半世紀程前、イギリスの大学生たちはミシマの英訳本を小脇に挟んで キャンパスをうろつくのを流行りとして行なっていた。 ホントに読んで理解していたかは疑わしい。 j.j.inblackは別だけどな。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/05(月) 11:33:18
>>533 だから石原慎太郎が美輪明宏に「おまえが三島由紀夫を殺したんだ」と言って喧嘩して、犬猿の仲になったらしいですね。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/05(月) 12:05:19
美輪明宏は嫌い
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/05(月) 16:13:25
でも石原慎太郎も変な人だよ 三島は国会議員になろうとしてたけど自分に先を越されたとかホラ話作ったらしいし、本にもことさら三島を茶化したようなこといっぱい書いてあっていやな印象の本だった 反三島じゃない人だからただの毒舌なのかもしれないけど、何が言いたいのか分からない
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/05(月) 22:23:29
三島にはないアプレの不真面目さ(そこがいいのだろうけどw) 昭和7年生まれには大物・強烈なのが多い 五木寛之、青島幸男、岩城宏之、江藤淳、大島渚、グレン・グールド 横山ノック、ジョニー・キャッシュ、小室直樹、渡辺恒三
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/10(土) 00:11:09
>>538 そのなかで三島由紀夫シンパは小室さんくらいかな
青島幸男は大嫌い
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/12(月) 12:27:55
『豊饒の海』は時々謎めいた幻影や記憶が挿入されている小説である。 「春の雪」で清顕と聡子が初めて雪の日に俥の中で口づけを交わす有名な場面があるが、そこで清顕は唐突にふと、麻布三連隊の営庭に、以前見た日露戦没写真の戦死者の弔祭の幻を見る。 〈あの写真とはちがって、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽の庇はことごとく白く染められている。それは実は、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に清顕は思った。…〉 走る俥の中から清顕が一瞬フラッシュして見た映像は、日露戦没写真の幻から、清顕が来世を勲として生きる未来の昭和の二・二六事件の青年将校たちの幻影に変容しているように思える。 このように、一見無関係なフラッシュバックを作中に織り込み不思議な映像効果をねらっている三島の緻密入念な仕事の跡が、この転生の物語の諸処にうかがえる。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/12(月) 12:28:45
つづき 清顕が見たフラッシュバックが二・二六事件の青年将校の幻影の暗喩とみると、 清顕が聡子に会うために何度も何度も月修寺を訪れ拒まれ、最後に雪の中で倒れるのが2月26日であることは興味深い。この最後の場面では、聡子は昭和天皇の暗喩を含んでいるように思われる。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/12(月) 12:30:26
つづき そして「春の雪」の最後、清顕が本多に遺した言葉「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」というのは、 戦争で死んでいった兵士たちの合い言葉「靖国で会おう」の隠喩であるともとれるような似た言葉の響きを秘めている。 もし、滝が靖国の暗喩であるとすれば、冒頭の、滝口にひっかかり死んでいた黒犬を月修寺の問跡が弔う儀式は、天皇が戦没者を慰霊する靖国参拝の暗喩ともいえる。 三島は生前、 いつか又時を経て、「あいつはあんな形で、こういうことを言いたかったんだな」という、暗喩をさとってくれるかもしれない。 と述べているが、これら「春の雪」の暗喩と思われる一部には、兵士たちへの三島の慰霊の思いがこもっているのかもしれない。
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/14(水) 11:04:45
春の雪のなかで三島は、ひとつの事象を見ているうちに、心象に別のミニチュア、ミクロ(あるいはマクロ)、別の幻影へ変質する描写を多用していますが、それがこの作品の全体に漂う儚なさと事象の無限の連鎖を感じさせます。 〈拒みながら彼の腕のなかで目を閉じる聡子の美しさは喩えん方なかった。 (中略) 清顕は髪に半ば隠れている聡子の耳を見た。耳朶にはほのかな紅があったが、 耳は実に精緻な形をしていて、一つの夢のなかの、ごく小さな仏像を奥に納めた小さな珊瑚の龕のようだった。 (中略) その奥にあるのは聡子の心だろうか?心はそれとも、彼女のうすくあいた唇の、潤んできらめく歯の奥にあるのだろうか? (中略) 彼はその髪油の香りの立ち迷うなかに、幕の彼方にみえる遠い桜が、銀を帯びているのを眺め、憂わしい髪油の匂いと夕桜の匂いとを同じもののように感じた。 (中略) …遠い桜は、その銀灰色にちかい粉っぽい白の下に、底深くほのかな不吉な紅、あたかも死化粧のような紅を蔵していた。〉
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/17(土) 10:32:15
宇多田ヒカルも熱烈な三島ファン
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/17(土) 11:05:58
だから何? 俺も三島ファンだと言ったらやらせてくれるのか?
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/17(土) 22:11:26
どういう発想なんだか それと、これとは別でしょ
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/18(日) 22:33:41
及川ミッチーも三島ファン
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/25(日) 16:48:49
憂国忌あげん
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/25(日) 22:44:14
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/30(金) 16:40:03
三島由紀夫が渡米したとき、ジェームス・ディーンの通っていたバーに行ったらしいが、それを知った小森和子に 「ゆ、ゆきおちゃま、そのジミーが座っていた椅子に座ったズボンを私にちょうだい」としつこくねだられ驚いたらしい
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/02(日) 20:42:13
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 23:22:07
ばかばかしすぎ
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 23:35:28
ヒトラーや日本軍部が極悪であったとアメに洗脳されきってて、いまどきめずらしいくだらないコピペ
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/10(月) 11:06:24
ヒトラーについて語る三島由紀夫 ところでね、彼がやったことは世界中の人が知ってる。だけど彼が本当は何者だったのか誰も知っちゃいない。 ナチの独裁者、第二次世界大戦の最大戦犯、アウシュビッツの虐殺者、悪魔...。これがいままでのヒトラーだけど、本当はそれどころじゃない。彼の本当の恐ろしさは別のところにある。 それは彼がある途方もない秘密を知っていたことだ。人類が結局どうなるかっていう秘密だ。彼は未来を見通す目を持っていて、それを通じてその途方もない未来の秘密に到達しちゃった。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/10(月) 11:07:13
だから五島君、もし君が10年後でも20年後でも、ヒトラーをやる機会があったら、そこのところをよく掘り下げてみることだ。もし君にいくらかでも追求能力があればとんでもないことが見つかるぜ。 本当の人類の未来が見つかる。やつの見通していた世界の未来、地球と宇宙の未来、愛や死や生命の未来、生活や産業の未来、日本と日本の周辺の未来...。 なにしろ「我が闘争」の中にさえ、やつは未来の日本や東アジアのことをずばり見通して書いているくらいだから。まだ30代かそこらで、やつはそれは鋭い洞察力を持っていたことになる。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/19(水) 12:13:04
山内(元自衛隊員、普通科教導連隊元助教)は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで 「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ 「腹が立ち」、「平岡先生を悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。 三島への尊敬の念が強まることはあれ薄まることはなかったのである。 そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、 〈私は先生に会う以前、三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。 それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して逃げることはせず、 むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。 杉山隆男 「兵士になれなかった三島由紀夫」より
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/19(水) 12:13:59
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、 あるいはともに汗を流し、隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、 鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。 要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した人間三島に惚れこんだのである。 杉山隆男 「兵士になれなかった三島由紀夫」より
ひたむきさか… やっぱ最後まで"男のコ"だった気がしてならないな。 それは痛ましさであって悪気は一切無いから怒らんといてよ。 しかしジャンジャックバーネルの名前をここで見るとは思わなかった。 ウホ!ってほんとかよ。
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 14:05:47
ジャン・ジャク・バーネルって結構有名だったんだ 聞いた話をまとめただけなので実は実際の活躍は知らないんですが、かなり三島びいきの方みたいですね
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 15:44:16
三島のハードゲイっぷりとSMプレイ愛好家でM男ってのには引いたwww
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 17:23:27
そういえば、あきひろの「黒蜥蜴」で剥製役やってたな。
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 17:42:31
作品と作者を混同するアホ それじゃ大江健三郎も同性愛で、痴漢になる
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 22:33:31
このスレで長々と三島を弁護する人物は一体何者だろう? 単純に文学板住人の出張レスとは思えんが。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 23:07:52
ホモだちじゃね?_
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/21(金) 22:09:48
妄想するアンチばかっぽい
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/21(金) 22:16:36
はまってる擁護釜っぽい
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/22(土) 16:42:27
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/22(土) 18:38:18
妄想と言えば三島でしょw
>>521 その対談よく覚えてるよ。
子供の前で「吊り革が欲しいんだ」と泣く三島が可哀想で仕方なかった。
ところで生涯一度も鼻クソをほじらなかったというのはマジか。
鼻くそってほじるほどたまる? 風呂は3〜4日入らなくても平気だったらしい
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/27(木) 00:09:25
三島由紀夫が死ぬ前に赤いバラの花束を持ってきてくれたという何の証拠もない美輪明宏の自慢話は誇張か嘘
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/27(木) 14:17:44
美輪も三島もハードゲイww
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/27(木) 15:34:10
美輪は変になよってるじゃんw
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/27(木) 15:40:34
美輪って(おすぎもそうだけど) あのひとはこうだった、ああだったってのでこうだ!ってので 食ってるような気がする
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/28(金) 00:15:10
いろんな人の、最後に三島由紀夫と会ったときや最後に電話で話したときのエピソードをみると、 三島は、その人たちに悟られないようにさりげない最後にしているのに、美輪の話だけ、エナメル靴とレースのシャツとスーツの正装で、赤いバラの花束を抱えて会いに来たとか、言ってて、絶対に誇張した作り話だと思った
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/28(金) 22:56:12
「さっぱりやってくれ。あまり苦しめるな」ということを 事件前に三島は森田に忠告していたんじゃなかったっけ? で、森田はそれが出来なかったと。 皮一枚の演出をしようとしていたかどうかは知らないけど、 三島は自らの血で「武」の血書をしたためるために 半紙と筆を現場に持ち込んでいたのは有名な話。 小賀がクソ真面目に割腹直前の三島に半紙と筆を差し出したら、 三島は笑みを浮かべて「…もういいよ」と語ったとか。
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/29(土) 21:22:45
男色趣味やM男であっても日本の行く末を案じて決起し、割腹した三島は漢の中の漢だよ。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/29(土) 21:32:30
私設軍隊つくって、隊員に制服着せて軍隊ごっこ。 死ぬなら勝手に一人で死ねばいいのに、若い青年を道連れにした。 三島の演説をバカにした自衛隊員は立派だよ。 上官でもなんでもない、乱入者の言うことに従ったら軍隊失格だもんな。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/30(日) 11:52:54
あそこにいてヤジってたのは下級の雑用係りの留守番隊員だからね 実践部隊の本当の自衛隊員は訓練中で、広場にはいなかったわけです
諸君!諸君らは天皇の軍隊だろう!
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/30(日) 12:26:20
山内(元自衛隊員、普通科教導連隊元助教)は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで 「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ 「腹が立ち」、「平岡先生を悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。 三島への尊敬の念が強まることはあれ薄まることはなかったのである。 そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、 〈私は先生に会う以前、三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。 それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して逃げることはせず、 むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。 杉山隆男 「兵士になれなかった三島由紀夫」より
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/30(日) 12:27:12
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、 あるいはともに汗を流し、隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、 鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。 要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した人間三島に惚れこんだのである。 杉山隆男 「兵士になれなかった三島由紀夫」より
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/03(木) 01:16:28
三島が誤診を受けずに昭和20年に戦死してたら、戦中の超早熟作家として 幻の大作家扱いされてただろうな・・・・
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/03(木) 13:35:40
さっき軍事板のまとめを読んだが、市ヶ谷での三島の煽動に心動かさなかった 当時の自衛隊員は、さすがリアルに戦争を体験した世代だけに皆立派だよ。 狂人の戯言に耳を貸さず、防人としての誇りを守ったのだから。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 15:26:15
あのとき市ヶ谷にいたのは、留守番兵だけ。いわば下っ端の雑用係りのバカ隊員たちだったから、馬の耳に念仏で、ヤジるしかなかった。 実践の900名の精鋭部隊(武士)は演習に出かけたて留守だった。これは森田の勘違い情報による予想外で、演説は早々に切り上げられた。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 15:39:34
どっちみち、あんなことしでかして世の中が何とかなると思った彼は、かわいそうな人でしかない。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 15:43:40
三島の真意や遺志を伝える仕事に取り組んでみると、彼がいかにこの国の将来を憂え、真剣にかつ周到に、国家防衛をあるべき姿に戻す計画を練っていたかということに驚かされる。 また、物事のすべてから国家の危機を敏感に感じ取っていた彼が、状況の変化の中で計画の可能性を狭められ、追いつめられ、最後の選択をし、身を処するに至る過程の悲痛さ、雄々しさは改めて私の胸を締め付けたものだ。 ある作家が導き出した結論のように、三島は単純な狂気に駆られていたわけではない。 (中略) 三島との出会いがなかったら、私の人生は砂漠であった。 三島と語り合い、訓練をともにした日々は私に、もう一度、祖国防衛の実現に取り組もうとする意欲と希望を与えてくれた。 山本舜勝 元陸上自衛隊調査学校教官班長、 北部方面総監部第二部長、 調査学校情報教育課長、 のちに同校副校長、陸将補
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 15:45:19
自衛隊の中でもある特殊な教育・訓練を行う立場にあって、やがて私は三島の教官となった。もちろん彼は平凡な生徒ではなかった。 私は何度か彼の深い洞察力に触れて舌を巻いたものだし、鋭く切り込んでくる質問にたじたじになったこともあった。私にとっても実に得るところの多い共同作業であった。 われわれがそうした特殊な訓練と研究を行っていたことについては、多少の説明が必要だろう。 たとえ戦争を放棄したと宣言しても、万が一外からの攻撃にさらされれば、われわれは座して祖国を蹂躙されるに任せているわけにはいかない。そのとき、自衛隊は祖国を守らなければならない。 山本舜勝 元陸上自衛隊調査学校教官班長、 北部方面総監部第二部長、 調査学校情報教育課長、 のちに同校副校長、陸将補
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 15:52:51
戦争にはつねに表に見えている部分と陰で動いている部分があり、表の部分だけでは勝つことはできない。 わかりやすい例で言えば、国際政治の世界では日本の政治力、交渉力、情報力はかなり弱いと言われており、現実に外交交渉などではいつもしてやられている感がある。 陰で動いているというと、何か姑息な卑怯なことのように感じられるかもしれないが、こちらから戦争を仕掛けることがないわが国としては、 むしろ水面下での動き、ネットワーク、情報力などは、不幸な状況を招く危機を未然に防ぐ有力な方法として欠くべからざるものなのである。 三島由紀夫はそのことに気づいていた。彼の行動が一般の人々にわかりにくかったとすれば、その大きな原因の一つは、彼の考えと行動がこうした陰の部分に踏み込んでいたことだろう。 私たち二人は志を同じくする者として、訓練をともにし、真剣に祖国防衛を語り合った。しかし私たちは、最後まで行動をともにすることはなかった。私は、三島の決起を正確に予測することができなかった。 山本舜勝 元陸上自衛隊調査学校教官班長、 北部方面総監部第二部長、 調査学校情報教育課長、 のちに同校副校長、陸将補
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 15:53:58
情報勤務全般の概念を理解してもらうため、日本で現実に起こったスパイ事件を例に、講義した。取り上げたのは、昭和38年4月1日朝、秋田県能代市の浜浅内に、二人の男の漂流死体が打ち上げられたことから発覚した「能代事件」である。 (中略) むろん、外国人登録証はなく、装備から見てかなり大物の北朝鮮工作員と推測された。そして地図などから、目的地は秋田ではなく、東京、大阪でのスパイ活動が目的と思われた。 しかしこの事件は、何らかの陰の力が働いたのか、結局憶測の域を出ないまま、うやむやのうちに迷宮入りとなってしまったのである。 講義の中で、二人の溺死体の写真を示したとき、三島は写真を手にしたまま五分間ほども見入っていた。 そして、この事件が単なる密入国事件として処理され、スパイ事件としては迷宮入りになってしまったことに私が言及すると、三島は激昂した調子で言った。 「どうしてこんな重大なことが、問題にされずに放置されるんだ!」 山本舜勝 元陸上自衛隊調査学校教官班長、 北部方面総監部第二部長、 調査学校情報教育課長、 のちに同校副校長、陸将補
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 16:00:06
三島の「祖国防衛隊」構想は、きわめてスケールの大きい国家的防衛試案である。 民間からの志願によって構成することになる防衛組織の実現のためには、国民の広い層からの支持を得なければならない。 そして、それに先行して、膨大な経費のかかるこの企てには資金的裏付けが必要だった。 (中略) 資金的裏付けを産業界に求めるのは自然であり、現実に三島が、産業界に大きな期待を寄せていたことは、この仮案〈J・N・G(ジャパン・ナショナル・ガード=祖国防衛隊)仮案〉からも明らかである。 (中略) 三島は緻密な情勢判断に立って、己の半生を賭して祖国の真の防衛に身を捧げようとしていた。 (中略) 最終的には国家の制度までしていくためには、私的な同志の集まりでは間に合わない。民間防衛軍として十分に機能するためにも、ある程度の規模が必要である。 そこで彼は計画への援助を財界に求めたのである。 山本舜勝 元陸上自衛隊調査学校教官班長、 北部方面総監部第二部長、 調査学校情報教育課長、 のちに同校副校長、陸将補
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/05(土) 00:33:43
★☆★☆鹿鳴館☆★☆★〜華麗に踊る貴婦人達の大舞踏会!!〜 1月5日(土) テレビ朝日 21:03〜23:09 あ、見忘れたとかないように。
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/13(日) 21:24:25
最後の割腹には疑問が残るが、三島由紀夫は漢の中の漢であったのは歴然とした事実だ。
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/23(水) 02:05:28
息子は今45歳
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/27(日) 11:44:47
「有色人種の国など認めない、自存自立できないように非武装とする」という占領軍の意図を文書化した憲法9条は、「非武装」などという空理空論ゆえに、 朝鮮戦争という危機に際して、全く現実世界には通用しないことがわかり、押し付けたマッカーサー自身が間違いであったことを米国公聴会で証言している。 ところが、間違いであるからこそ、社会主義・共産主義陣営からは、日本国の非武装は有効であり、社会党(現社民党)などのサヨク走狗は、非武装という空理空論を大声で喧伝したのである。 非武装という空理空論は破綻したが、同じ発想の現在の看板が「護憲」という名の「憲法9条温存」であり、その底意は、日本の自存自立阻止=共産化との古いテーゼのままである。 日本国民の平和と安全を無視した議論を続けている社民党が、北朝鮮の拉致という日本国民の平和と安全を脅かしている事象に対して冷淡なのと「護憲」と称する自存自立阻止政策を継続しているには、同じ発想に基づいたものである。恐ろしい考え方だ。
596 :
三島由紀夫 :2008/02/03(日) 10:51:09
自衛隊にとって健軍の本義とは、なんだ。 日本を守ること。 日本を守るとはなんだ。 日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。 おまえら聞け。聞け! 静かにせい。静かにせい! 静粛に聞け! 男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ! いいか! いいか! それがだ、いま、日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、自衛隊が立ち上がらなければ、憲法改正というものがないんだよ。 諸君は永久にだね、ただ、アメリカの軍隊になってしまうんだぞ!
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/03(日) 22:28:52
現在の日本に三島由紀夫のような憂国の士はいないと思われ。
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/05(火) 12:43:19
三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。 恐らく、弟子である森田必勝には師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。三島の首には幾筋もの刀傷がついていた。 それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。 罪人の斬首の場合、どんな豪胆な連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門(首切朝右衛門)は語っている。 しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。 楯の会が小説家の道楽ではないことの確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように嘲笑的な態度を取ったのである。 呉智英
599 :
三島由紀夫 :2008/02/06(水) 12:25:25
諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。 どうして自分の否定する憲法をだね、自らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。 これがある限り、諸君というものは、永久に救われんのだぞ。 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略で、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだ。 自衛隊は違憲なんだ。 貴様たちは違憲なんだ。 憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ。 どうして、そこのところに気がつかんのだ。 俺は、諸君がそれを完全に断つ日を、待ちに待っていたんだ。 諸君が、そのなかでもただ小さい根性ばっかりに固まって、片足突っ込んで、本当に日本のために立ち上がる時はないんだ。 憲法のために、日本の骨なしにした憲法に従ってきた、ということを知らないんだ。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/07(木) 11:57:51
猫はうるさくつきまとって 私にもはやくくれニャァーって うーん とってもいい匂いだな 僕は寝転んでテレビを見てる 誰かがお腹を切っちゃったって うーん とっても痛いだろうにねえ カレーライス これ昔のフォークソング(遠藤賢司のカレーライス)の歌詞だけど あんたのこと歌ってるよ
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/07(木) 15:15:01
だっせぇー歌
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/12(火) 21:33:50
三島と森田が生け捕りにされてたら無期懲役は確実だったと思われ。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/12(火) 23:22:27
んなわけない
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/19(火) 14:28:00
国家反逆罪は重罪だぞ。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/19(火) 18:15:44
裁判記録にそんな罪は認定されてませんよ
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/20(水) 23:54:41
劇場への招待「朱雀家の滅亡」 ・NHK教育 ・2008年 2月22日(金)22:25〜翌0:55 ・原作:三島由紀夫 ・演出:宮田慶子 ・出演:佐久間良子・窪塚俊介・中嶋しゅう・森田彩華・中山仁
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/24(日) 12:28:21
内乱未遂罪だから無期懲役にはならなくても懲役20年は確実だったな。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/26(火) 10:59:40
三島事件は美学上の事件でも、芸術的殉教でもない。明らかに思想的事件である。 徳川時代の水戸史学、平田篤胤、吉田松陰、そして昭和戦後に三島由紀夫と連なるくらいの歴史的、思想的深みを持つ事件であると思う。 私は現代日本が世界に誇っていた文学者のこの突然の死を悼む。その死を賭してする行為の重みは、いたずらに我々の言葉の軽さを身に沁みさせるものである。 中曽根康弘
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/26(火) 11:00:52
自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。 むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。 そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。 なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。 安部公房
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/29(金) 11:28:13
市ヶ谷襲撃事件を起こさず、作家活動を続けていたら、ノーベル文学賞をもらえたかな?
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/29(金) 17:37:41
>>610 貰えた可能性は高い。
貰えなかったとしても、文豪の重鎮として安泰な生活してただろうな。
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/29(金) 22:51:13
生きてるとき園遊会に招待されてたから、たぶん国の褒賞は貰えてる
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/03(月) 12:33:01
あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。 すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。 また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。 この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。 ドナルド・キーン
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/11(火) 03:24:00
日本三大作家は三島由紀夫・芥川龍之介・川端康成
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/11(火) 19:03:30
そうかな 漱石、谷崎、筒井康隆でしょ
616 :
hkpuy :2008/03/11(火) 19:08:11
漱石、康成、龍之介だと思う。
どーでもいーけど鴎外忘れてるよ
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/12(水) 17:44:41
父親と同じ年 もう、じいさんという感覚 自決を覚悟したときからすでに狂気の世界 お見合い相手のなかには正田美智子様の名もあったが すでにお妃さき候補にあがっていたとか 市谷駐屯では自決した日も、予定通り歓送迎会を実施 ヌコ好きでよかった
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/12(水) 17:56:16
そうヌコ大好き 坊城男爵家と親交あったっけ? のちのフェミ・紀平テイコと婚約してたんでしょ?
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/12(水) 18:08:57
日本画家の杉山寧氏の 長女の瑶子さんでなかったかな?
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/12(水) 20:15:25
結婚したのはね
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/12(水) 21:01:30
misima 三船 kurosawa
623 :
在日lolita(女 ◆FsmAvZlgmM :2008/03/12(水) 21:09:30
なんか豊饒三部作とか厨房時には衝撃受けたが 今、手に取る気になんないんだよねぇ
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/13(木) 10:31:57
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/17(月) 11:03:10
それにしても西洋人の享楽主義のえげつなさは、支那人はともかく、とても日本人の肌にはあいませんね。 平岡公威16歳 東文彦への書簡から ドイツ語の講座の本少しよみ出しました。いやはやドイツ語はまるで法文みたいですね。ヒットラアという嫌悪すべき名が、亀の子文字の行間にチラチラします。 モスコオはどうしてどうしておちますまい。(?) 平岡公威16歳 東文彦への書簡から
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/17(月) 11:03:48
「西洋」へ、気持の惹かされることは、決して無理に否定さるべきものではないと思います。真の芸術は芸術家の「おのずからなる姿勢」のみから生まれるものでしょう。 近頃近代の超克といい、東洋へかえれ、日本へかえれといわれる。その主唱者は立派な方々ですが、 なまじっかの便乗者や尻馬にのった連中の、そこここにかもし出している雰囲気の汚ならしさは、一寸想像のつかぬものがあると思います。 我々は日本人である。我々のなかに「日本」がすんでいないはずがない。この信頼によって「おのずから」なる姿勢をお互いに大事にしてまいろうではございませんか。 平岡公威18歳 東文彦への書簡から
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/17(月) 11:04:17
いやなことと申せば今度も空襲がまいりそうですね。こうして書いております夜も折からの警戒警報のメガホンの声がかまびすしい。 一体どうなりますことやら。 しかしアメリカのような劣弱下等な文化の国、あんなものにまけてたまるかと思います。 平岡公威18歳 東文彦への書簡から
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/17(月) 11:05:20
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありましょう。 ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもっていますので、一しおの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、ニイチェのように、 愚人の海に傷ついた人でありましょう。英雄の悲劇の典型ともいうべきものがみられるようにおもいました。 かつて世界の悲劇であったのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。スカラ座もこわれたようですね。 米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦うべきでありましょう。俗な精神が世界を覆うた時、それは世界の滅亡です。 萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらい、さげすみ、蹴とばした気持がわかります。 平岡公威18歳 東文彦への書簡から
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/17(月) 16:25:38
こないだNHKでやってた「朱雀家の滅亡」面白かった
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 22:49:28
もっとテレビでも三島戯曲やってほしいね
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/19(水) 11:48:14
国家儀礼と申せば、この間新響へゆきましたら、ただ戦歿勇士に祈念といえばよいものを、ラウド・スピーカアが、 やれ「聖戦完遂の前に一億一心の誓を示して」どうのこうのと御託宣をならべるので、ヒヤリとしたところへ、「祈念」という号令、 トタンにオーケストラが「海行かば」を演奏、――まるで浅草あたりの場末の芝居小屋の時局便乗劇そのままにて、冒涜も甚だしく、憤懣にたえませんでした。 平岡公威18歳 徳川義恭への書簡から
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/19(水) 11:48:47
国家儀礼の強要は、結局、儀式いや祭事というものへの伝統的な日本固有の感覚をズタズタにふみにじり、 本末を顛倒し、挙句の果ては国家精神を型式化する謀略としか思えません。 主旨がよい、となればテもなく是認されるこの頃のゆき方、これは芸術にとってもっとも危険なことではありますまいか。 平岡公威18歳 徳川義恭への書簡から
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/19(水) 11:49:28
今度の学制改革で来年か、さ来年、私も兵隊になるでしょうが、それまで、日本の文学のために戦いぬかねばならぬことが沢山あります。 去年の戦果に、国外国内もうこれで大丈夫と皆が思っていた時、学校へ講演に来られた保田與重郎氏は、これからが大事、これからが一番危険な時期だと云われましたが、今にしてしみじみそれがわかります。 文学を護るとは、護国の大業です。文学者大会だなんだ、時局文学生産文学だ、と文学者がウロウロ・ソワソワ鼠のようにうろついている時ではありません。 平岡公威18歳 徳川義恭への書簡から
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/19(水) 11:57:44
僕らは卑怯な健康よりもデカダンをとる。デカダンの中にあるはるかな未来への輝きと能動も熟知しているのだ。 僕らが浪漫主義を主張したことは、悲しみと憤り、歎きと憂いの混淆した境地の主張だった。 保田與重郎 私は日本民族の永遠を信じる。 今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、数々のこの世の日々よりも、多くの国民にとってはるかに近いところにいる。 今日以後も無数の国民の心に生きるようになったのだ。そういう人々とは、三島由紀夫という高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えている。 保田與重郎
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/19(水) 11:58:25
総監室前バルコニーで太刀に見入っている三島氏の姿は、この国を守りつたえてきたわれらの祖先と神々の、最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらわれたものだった。 しかしこの図の印象は、この世の泪という泪がすべてかれつくしても、なおつきぬほどのかなしさである。 豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。 保田與重郎
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/23(日) 21:48:40
三島由紀夫は同性愛者だった。
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/23(日) 21:51:36
だから?
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/23(日) 21:53:18
かどうかは本人しか分からない。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/28(金) 02:25:09
三島について語られる時は三島の倒錯した性癖は避けられないからな・・・
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/28(金) 15:08:45
三島由紀夫じゃなくても、倒錯した性癖なんか誰でも多かれ少なかれ持ってるから
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/28(金) 16:58:08
美輪明宏が昨日 「川端康成や三島由紀夫が日本は荒んでスラムになるだろう」といっていたといってたが その通りになりつつあるのではないのか?
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/29(土) 15:25:01
>>641 三島由紀夫は
日本はなくなる、って予言してたんじゃない?
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/31(月) 12:06:46
あの人(三島)は、ほんとうに純粋で赤ちゃんみたいにきれいな魂の持ち主だったんですよ 美輪明宏
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/31(月) 12:07:11
(三島は)「日本少年」とか「少年倶楽部」で育った時代なんですよね。 少年というのは凛々しくて、潔く清くて、正しくて、優しくて、思いやりがあって、親孝行だという「少年倶楽部」の世界そのまま律儀に全部、細胞の中までにしみこませて、そのまま死んじゃった人なのね。 普通、中年になったら、世俗的な手垢がついてきて、小ずるくなったり、いろいろするじゃないですか。 それに全然染まらなかった不思議な人でしたよ。 美輪明宏
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/31(月) 17:22:25
いい年して、若者集めて軍隊ごっこ。 それだけならキモいが実害はない。しかし、この男、自衛隊に乱入して 隊員に決起を呼びかけた。どうしようもない男だと思う。
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/01(火) 10:19:12
中国人には死んだ人の悪口をいつまでも云う習慣があるという。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/01(火) 10:35:33
自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。 むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。 そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。 なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。 安部公房
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/06(日) 16:30:17
ある日公威は威一郎を連れてデパートに参りましたが、何か玩具のことで親子喧嘩したと見え、そのとき 「お父様なんか死んでしまえ」と言われたようです。真顔で悲しそうに私に訴えに参りました。 そのときの公威の心境が今日になってよく判ります。 平岡倭文重
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/10(木) 11:58:04
実は昭和43年のノーベル文学賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的活動を問題視する声があがり、川端康成へ移行しただけ。 ある審査員が三島を、全共闘の仲間と短絡し、急進左翼に肩入れしているとみなし、かわりに川端を強く推したのである。 また、川端は事前に自分が受賞することを知り、三島へ「今回は私がいただかせてもらいます」と言ったという。 三島の死後、川端は、「あれは三島君がもらうべきだった賞だ」と知人に漏らしている。 そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/10(木) 11:58:45
三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監室に立てこもったニュースを聞き、川端康成はすぐに現場へ駆けた。 そして、川端は、総監室で壮絶な最期を遂げた血まみれの三島の死体と首を見てしまう。 ひと足遅れてきた石原慎太郎は、現場検証した警察関係者から、「川端先生が中へ入って見ていった」と聞かされる。慎太郎は川端が三島を見送ったならばと、入室を辞退していった。 川端はその後、眠れないと周囲に漏らしたり、「ほら、三島君があそこにいる」と、三島の霊を見ているかのような言動をするようになってゆく。
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/10(木) 11:59:31
三島の死後、川端康成は会議や講演などはこなしていたが、健康がすぐれず、新しい文学作品は書かなくなっていた。 そして、三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端はふらっと鎌倉の自宅を出てタクシーを拾い、仕事場の逗子マリーナ・マンション417号室へ向かう。 水割りを少し飲んだ後、川端はガス管をくわえガス自殺を遂げていた。遺書はなかった。 机には太宰治の本があったともいわれている。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/10(木) 12:25:50
私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。 三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。 三島君は自分の作品によってなんの傷も負わないかのように見る人もあろう。 しかし三島君の数々の深い傷から作品が出ていると見る人もあろう。 この冷たそうな毒は決して人に飲ませるものではないような強さもある。 この脆そうな造花は生花の髄を編み合わせたような生々しさもある。 川端康成
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/14(月) 01:16:35
川端が自責の念にかられるとはおもえんが 横光利一への弔辞は見事だったが 自殺したのは岡本かの子の本の解説かなにか書いてて鬱状態になり 好きだったメイドさんから振られたからじゃないのか? んで発作的に自殺した 芥川の遺書(風作品)を「氏の汚点」とまで言ったから遺書はなかったのだろうが しかし、そんなにほしいかノーベル賞? 中上健次も日本文学大賞かなにか欲しがったが審査員との確執でもらえなかったとか
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/14(月) 16:03:32
>>653 川端が、三島の幽霊に悩まされていた話はよく出てくるよ
メイドのは初耳
三島の死後に 選挙応援に行ってホテルで 「おや、三島君、君も応援に来てくれたのか?」 と言ったとか お釈迦様が見えるとか意味不明のことをつぶやくとか 晩年は奇行が目立った、川端康成 まあ、若い頃から借金で旅館のいちばんいい部屋で暮らししたり 「伊豆の踊り子」もいまからみりゃストーカーだよな 「雪国」もエロ小説、「眠れる美女」もイメクラ
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/17(木) 09:38:58
三島と川端は晩年は不仲だったからな。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/17(木) 09:45:02
谷崎潤一郎が昭和43年まで生きてればノーベル賞受賞できたとか あと3年頑張って生きてほしかった
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/17(木) 14:14:13
俺の母親は昔軽井沢駅で川端と遭遇、川端のあの独特の眼差しで 執拗に見つめられた過去がある。 今は見る影もないが。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/18(金) 12:35:12
石原慎太郎の話で、 川端康成と同じ列車で乗り合わせたとき、会話の最中でも、川端はジーと他の乗客の女性を見つめて、自分の世界に入ってた、とあったよ
川端のはオカルト入ってる 「みずうみ」とか「片腕」 三島は自分の生死考えるが、川端は他人の生死を観察する、そういう大雑把な印象を持ったりするな。
?
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/21(月) 14:21:10
動く人と視る人の違い。
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/23(水) 22:37:39
ほいほいw
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/27(日) 00:06:10
三島が死ななかったら川端も生きてたかも。
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/30(水) 01:03:27
三島霊と川端霊はちゃんと成仏できたのかな…
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/30(水) 01:06:02
太宰は成仏してたよ
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/06(火) 12:02:15
彼(三島)は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。 彼はそのことを確信していた。そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。 初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が 「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。 春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。 三谷信
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/09(金) 21:35:01
三島は背が低いのがコンプレックスだった。三島の身長が高かったら文学界に三島が入る事は無かったと思われ。
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/09(金) 21:40:53
缶ピース愛煙
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/09(金) 22:24:28
>>668 バカじゃねーの。
三島由紀夫は小学生前から詩書いてたの知らねえのか?
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/10(土) 14:18:11
天皇陛下の政治利用に自衛官が抗議!
自衛官の中にも真の軍人、武人がいた!
昨日8日午後9時半頃、国会議事堂の正面玄関に通じる階段での自決未遂があった。
名前は鈴木田峻吾君、20才。
陸上自衛隊朝霞駐屯地体育学校所属の陸士長で熊本県出身の九州男児である。
天皇陛下の政治利用に対して、自衛官として申し訳無いと自衛隊制服着用にて、抗議自決を試みるも、妨害に合い未遂に終った。
鈴木田君は、これぞ九州男児という男気の有る一直線な青年である。
その彼がなぜ、昨日自決を試みるに至ったのか。
「天皇陛下を奉るべき軍人」として、
胡錦涛主席を見送る為に、天皇陛下が主席の宿泊先である民間施設まで行幸されるという屈辱的な政府方針に対し、陛下に申し訳無いという気持ちで、三島森田両烈士の決起後、沈黙していた自衛官から、初めて声が上がったのではないだろうか。
しかしこの彼の抗議自決(未遂)は、今まさに権力により隠蔽されようとしている。
僕は、この彼の気持ちに応える為にも、この件が隠蔽、彼自身が謀殺されないように、
皆さんに知らせたいと思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/ishinsya/31554873.html
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/11(日) 13:12:54
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/19(月) 16:25:20
猪瀬直樹「三島由紀夫は、七十年に自衛隊のバルコニーに立って演説するわけです。 あの演説のとき、自衛隊員に罵倒されたでしょう。あれ、吉本さん、どうご覧になってました?」 吉本隆明「なんてやろうだ!と思ってました。死ぬ気でいる人間の言葉を、自衛隊に入隊して一緒に訓練した人間の言うことを、黙って聞いてやることぐらいしたらいいじゃないか。 これじゃ、三島さんが気の毒だ…、というのがホンネでしたね。」 1994年12月2日号「週刊ポスト」より
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/24(土) 03:05:17
三島のような日本男児は居なくなってしまった…
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/24(土) 14:42:03
石原慎太郎のエッセイに、川端康成が総監室に入って三島由紀夫の遺体を見ていったと書いてあるけど、 今日見た古本雑誌の川端康成本人の記述には、遺体と対面していないと書いてありました。 前に、石原慎太郎の証言を元にしてレスしたことがあるので、訂正しておきます。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/27(火) 17:37:25
「洋食の作法は下らないことのようだが」と本多は教えながら言った。 「きちんとした作法で自然にのびのびと洋食を喰べれば、それを見ただけで人は安心するのだ。 一寸ばかり育ちがいいという印象を与えるだけで、社会的信用は格段に増すし、日本で『育ちがいい』ということは、つまり西洋風な生活を体で知っているということだけのことなんだからね。 純然たる日本人というのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。 これからの日本では、そのどちらも少なくなるだろう。 日本という純粋な毒は薄まって、世界中のどこの国の人の口にも合う嗜好品になったのだ」 三島由紀夫 「天人五衰」より
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/27(火) 17:38:45
「…僕は君のような美しい人のために殺されるなら、ちっとも後悔しないよ。 この世の中には、どこかにすごい金持の醜い強力な存在がいて、純粋な美しいものを滅ぼそうと、虎視眈々と狙っているんだ。 とうとう僕らが奴らの目にとまった、というわけなんだろう。 そういう奴相手に闘うには、並大抵な覚悟ではできない。奴らは世界中に網を張っているからだ。 はじめは奴らに無抵抗に服従するふりをして、何でも言いなりになってやるんだ。そうしてゆっくり時間をかけて、奴らの弱点を探るんだ。 ここぞと思ったところで反撃に出るためには、こちらも十分力を蓄え、敵の弱点もすっかり握った上でなくてはだめなんだよ。 三島由紀夫 「天人五衰」より
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/27(火) 17:39:50
純粋で美しい者は、そもそも人間の敵なのだということを忘れてはいけない。 奴らの戦いが有利なのは、人間は全部奴らの味方に立つことは知れているからだ。 奴らは僕らが本当に膝を屈して人間の一員であることを自ら認めるまでは、決して手をゆるめないだろう。 だから僕らは、いざとなったら、喜んで踏絵を踏む覚悟がなければならない。 むやみに突張って、踏絵を踏まなければ、殺されてしまうんだからね。 そうして一旦踏絵を踏んでやれば、奴らも安心して弱点をさらけ出すのだ。それまでの辛抱だよ。 でもそれまでは、自分の心の中に、よほど強い自尊心をしっかり保ってゆかなければね」 三島由紀夫 「天人五衰」より
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/31(土) 23:40:04
人権擁護法案が通ると、在日、朝鮮総連が三島由紀夫の文化防衛論を発禁にするおそれ
67:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:11:01
三島由紀夫も発禁だな
よろこんで在チョンとかが申請しそうだ
んじゃなくても『文化防衛論』とか事実上の発禁だし
74:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:59:26 [age]
>>67 三島由紀夫の「文化防衛論」は、絶版にされちゃうだろうね。
三島由紀夫は、朝鮮人問題(韓国人じゃないよ)の欺瞞、日本に北朝鮮学校をつくり都知事の許可を得て、反日教育をほどこす北朝鮮人の欺瞞、民族疎外を革命に利用する欺瞞と偽善について述べているからね。
昔から見抜いて警告していた三島由紀夫はすごい。
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/31(土) 23:41:20
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/02(月) 13:00:38
吉本隆明全集の帯にあった「吉本の書に性的興奮を覚える」という三島のコメントは最高の褒め言葉なのかな?
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 13:59:36
>>681 言われた方はどう思ったか想像するとおかしいけど、三島由紀夫としたら褒め言葉でしょう。
ちなみに、三島自害の11月25日は吉本隆明の誕生日なんだってね。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 14:20:06
吉田松陰の命日じゃなかったけ? 11月25日は それにあわせて自殺したとか
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 22:10:42
512:吾輩は名無しである2008/06/01(日) 23:29:38 [sage] 教えよう。 皇太子裕仁親王(昭和天皇)が摂政になった日:11月25日。 みしまゆきお誕生:1月14日。 みしまゆきお「仮面の告白」起稿日:11月25日。 みしまゆきお市ヶ谷で自決:11月25日。 49日後 1月14日みしまゆきお納骨、埋葬。
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 15:11:46
11月25日を選んだのは 陽明学による計算とかあるって聞いたけど そういうことなんかな?
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/10(火) 11:41:52
>>685 死んでから49日後に転生するというのに則ったのではないかな…
陽明学の詳しいことは分からない
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 07:36:29
565 :文責・名無しさん:2008/06/11(水) 09:21:12 ID:U0Hp5G0R0
>>473 今回のコシミズのビデオはタイムリーな話で良いね。
朝鮮カルト統一協会と自民党清和会〜売国外資族〜〜蟹工船人気に繋がる
昨今の日本情勢について話してる。例によって朝鮮カルト統一協会叩きだから
原理チョンとかの工作員には涙目の内容だけどね。^^ なんで自民党が統一協会と関係あるんだよ?
と疑問をお持ちの諸兄にはぜひ見ていただきたい内容ですな。番組関係者も見ろよ。w
27:30から本編。その前はグダグダなので見なくていいと思う。
269 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/09(月) 21:58:28 ID:brcpM98n
08.5.31 リチャード・コシミズ福岡講演会
http://video.google.com/videoplay?docid=-7657674965193081935 リチャード・コシミズ福岡講演会テーマ
1「売国小泉の再登板を許すな。国民を不幸にする構造改革=民営化は、ロックフェラー化だった」
2「オウム事件の首謀者は、ロックフェラーと金正日だった」
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 18:32:45
何かの本に三島を読んだインド人の感想が出ていた。 彼に言わせると登場人物がみんな子供なんで驚いたとのこと。 フム、このインド人、なかなか健全な大人だと感心した。
>>688 そのインド人がバカで理解できなかったんでしょ。
少しお頭の良いサリンジャーみたいな印象を受けた
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:47:37
ニーチェと現代 ニーチェ体験をめぐって 三島「戦争中、ヘルダーリンに夢中になっていて、ニーチェを読みはじめたのもその前後 のころと思いますけどね、非常に好きでした。今度、手塚さんの新訳を拝見して、 実に分かりやすくて初めて<ツァラトゥストラ>を読むような感じがするんです。 前に読んだのは、なんだかお経みたいな・・・・。」 手塚「生田長江さんの訳でしょうか。」 三島「いいえ、登張竹風さんの<如是説法ツァラトゥストラーです。」 手塚「登張さんの訳は、最初は<ツァラトゥストラ>を<光炎菩薩大獅子孔経>として いました。それは二度目の訳でしょうね。われわれのときは、一時代前で 生田長江訳です。」 三島「そうですか。初めに興奮して読んだのは<悲劇の誕生>ですね。 <ツァラトゥストラ>の中で、むかし、<童貞>という題だったのが、こんどは <純潔>というふうにお訳しになっていらっしゃるけど、十代のころそれを一生懸命 読んで、実にいろいろ思い当たって、ガックリきたものです。」 手塚「ヘルダーリンの名が出ましたが、わたしにとっても、いちばん好きな詩人と言って よく、そのヘルダーリンを発見して、愛読したのがニーチェですから、いろいろ縁 がつながりますね。どちらも文明を底のところから考えて心配しているところが いつも教えられるところですが・・・。三島さんの世代のニーチェの読み方は どんなふうに言えましょうか。」 三島「わたくし、<ツァラトゥストラ>の影響をうけて短篇を書いたことがあるんですよ。 <中世における一殺人常習者の哲学的日記の抜翠>という長い題ですが、それは 非常にニーチィズムなんです。戦争中に書いたものですけどね。あのころは いちばん<ツァラトゥストラ>やニーチェ全般にかぶれていたころかもしれません。」
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:48:53
手塚「三島さんの周囲のかたも、だいぶ読んだんでしょうか。」 三島「ええ、大学なんかでもニーチェの話なんかよくして、かなり読まれているように思い ました。<悲劇の誕生>の、あのエネルギーの過剰からくるニヒリズムという言葉が 非常に好きでしたね。ニヒリズムということばは一種の禁断の言葉でして、われわれの 世代に共感を与えたと思います。それから超人という思想というよりも、なにか人を 無理やりにエキサイトさせる力、ああいうものが戦争中のわれわれにとっては、麻薬 みたいな感じもいくらかあったんです。ぼく個人の体験で申しますと、 <ウンツァイトゲメース>というニーチェの言葉が非常に好きで、戦争中は<反時代的>と 訳されていましたが、それがもう唯一のよりどころみたいなものでした。」 手塚「<季節はずれの>という訳もありましたね。」 三島「ええ。それに戦争中からずっと、戦争に便乗ずるインテリというツァイトゲノッセ (同時代者)、戦後は戦後派というツァイトゲノッセがきらいで、それでニーチェが その後も好きになったわけですね。」 手塚「わたしの中学時代は、大正のデモクラシー思潮をあらしのようにかぶった時で、 個人の目ざめというようなことが手がかりとなって、ニーチェにもとりついたような 気がしますが、そのニーチェは大の畜群罵倒者なのですから、おかしいようなこと でした。やはり反俗意識という点で支えてくれたんだと思いますね。でも、今の <反時代>は何になるか、これはつかみにくいですね。」
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:50:07
三島「つかみにくいですね。ただ青少年はどんな時代でも自己弁護のために本を読むと思う んです。青少年に自分の弱さの自己弁護の材料を与えてくれるような本が歓迎されますね。 戦争中、ぼくたちはこんな時代にたいして、とてもアンパッスンク(適応性)がないと感じて いたわけですね。それはある意味では劣等感です。それを、ニーチェが非常に朗らかに ウンツァイトゲメースと言ってくれたんです。自分はそれじゃ適応性がないだけじゃなくて、 もっと積極的に反時代なんだと思えば安心する。それが、ニーチェの持っている、つまり 青年に対する魅惑だと思うんですよ。」
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:51:24
ニーチェの病気 三島「ニーチェの狂気の原因はなんでしょうか。後天的な進行性麻痺性のほかに遺伝的な ものもあったんですか。」 手塚「わたしどもには、よくわからないことで。斉藤茂吉さんもニーチェの病気について 書いていますが、進行性麻痺性といわれているが、そうと断定もできかねる口吻を 残していますね。イェーナ大学精神科の診断では、二十二歳のときにジフィリスに 感染したことになっていますね。トーマス・マンはそれをふまえて <ファウスト博士>書いている。主人公が悪魔と契約するということが病毒にかかる ということなんですね。遺伝的なものといえば、父親が階段から落ちて頭をうって、 一年ほどたって死んだのですが、そのあいだ、やはり精神異常だったようです、 最後の診断は脳軟化症ですが。ニーチェは少年のころから頭痛がしたり、目が 悪かったりしている。だから遺伝的要素がないとは言い切れない気もするわけですが。」 三島「進行性麻痺症の前駆症状でしょうか、意想奔逸症という形で出てくるものがありますね。 つまり連想作用が非常に活発になって、どんどん連想が豊富に湧いてくるんですね。 そんな意想奔逸症にちかいようなものが、ニーチェの後期の作品や <ツァラトゥストラ>にあるようにみえますけれども。」 手塚「そうおっしゃられれば、あの畳語の多用などはそれですね、同じことをいろいろな比喩 や言い換えでしつこくたたみかけてきますね。」
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:53:05
三島「その繰り返しの効果が、ニーチェの場合には人を麻痺させる力のひとつになって いますね。呪文とか宗教的秘儀に使われる繰り返しみたいに。そうでなければ、あんなに 人を渦巻の中へ追いつめていくことはできないと思うんですよ。」 手塚「しつこいけれど、巻き込みますね。それからニーチェは本質的には<耳の人>と いえましょうから、音楽性が文体に勝っているということもありますね。音楽的な技巧も、 やはりとにかく人をその世界に巻き込んでしまう。論理性をとび越えるくらいに。 三島「年譜をみると、ちょうどぼくの年に、ニーチェは<ツァラトゥストラ>を書いているんですね。 しかし、四十歳の仕事という感じがしないですよ。三十代の若しさを感じさせますね。 四十代というと、日本人ならもう諦めてしまうんですが、あのしつこさというのはすごい ですね。やはり西洋人というものだと思いますね。」 手塚「実作家としての、年齢のご感想がおもしろいです。あの説きふせかた、ねじふせかたね。 ぼく的にいうと、若いツァラトゥストラだな、と思わせるところも、ちょいちょい ありますね。」
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:54:25
ニーチェとワーグナー 手塚 「ニーチェにとって、ワーグナーというのはやはり運命的な事件でしたね。」 三島 「ええ。<ニーチェ・コントラ・ワーグナー>はおもしろいですね。とくにワーグナー は音楽の一小節において偉大であるとニーチェが言っているのは、正確な批評 ですね。このあいだ、ベルリン・オペラが来たとき、ワーグナーを見て、 なるほどなあと思いました。」 手塚 「ぼくもあれには、まったく感心した一人で・・・。ニーチェとワーグナーでは 年齢もずいぶん違いますが、ワーグナーの若い人の誘い込みかたはうまい ですね。手紙をみても、じつに気持ちをつかんで離さない。じっさい現物に ふれたらまいるでしょうな。」 三島 「じっさいまいるでしょう。ぼくはワーグナーは好きなんです。ニーチェも言う ように典型的なデカタンとして好きなんです。ぼくは前にワーグナー論を 書いたことがあるんですけど、ワーグナーを聴いていると、その一小節 一小節が愛だとか死だとか野心とかで、そうゆうものがなんの関係もなしに 並んでいる感じがするんです。そして、そんな関係のないおのおののテーマ を統括する原理は何かというと、やっぱり死神の鎌しかないんですよ。 非常に不気味なもので、世界の音楽の中でも、ワーグナーの死の原理の ようなものはないですよ。」
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:55:42
手塚 「なるほどね。ドイツ文学がまた、死の主題がお得意ですね。死神にじゃれるときも あるような気がします。それから力というものを重く考える。力は勝つか負けるか で、やはり運命とか死に直結しますよね。ニーチェは運命とか永遠を考える チャンピオンですから、ワーグナーとそうゆう点でも結ぶ素質は非常に ありますね。」 三島 「ええ。ニーチェはビゼーの<カルメン>に感動していますね。ワーグナーと比べて <カルメン>がいいというのは、ある意味でめちゃな話ですが、<カルメン>がいい というニーチェの気持ちの底には、やはりラテン的なものへの憧れがあったと おもいます。ニーチェのラテン的教養、といっても十七世紀以降のフランスの 教養のことですが、ニーチェはどのくらい興味をもっていたんでしょうか。」 手塚 「それは、だいたいニーチェには脱出癖があって、ドイツ的なものから抜け出そう という気持ちがたえずある。パリの大学に留学したいと思ったこともあります から。当然フランスに目を向けています。モンテーニュ、ラ・ロシュフコー、 パスカルなどのモラリスト、スタンダール、メリメ、サンド・ブーウなどを 読んでいますね。フランス的な快活さ、歯切れのよさ、心理探究などに 惹かれたんじゃないでしょうか。」
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:59:58
詩的散文について 手塚 「三島さんはアフォリズムの大家だと思うんですが、やはりニーチェを読まれた影響 もあるんですか。」 三島 「いいえ、いちばん影響を受けたのはラディゲです。ラディゲはああゆう断言的な スタイルを小説の中でよく使うんです。それから、やはりアフォリズム風なものは、 ラ・ロシュフーコーなどのモラリストから影響をうけたんでしょうね。」 手塚 「そうすると、ニーチェとは、もうひとつもとでの縁というわけですね・・・。」 日本人は散文でピタッとした表現をするのは、 一般に不得意なんじゃないでしょうか。」 三島 「ええ。それは日本語の特質もありますし、今までエモーショナルなものだけが 喜ばれてきたということもありますね。<ツァラトゥストラ>のように詩と哲学の 融合した散文の例は非常に少ないんですね。ことに近代古典では。ニーチェ的 なものの、日本的なイデアル・テュプス(理想型)は小林秀雄さんかもしれません。 なにか概念によってものごとを組み立てたり、積み木細工をするということ、 一般にアカデミックな通念を軽蔑することを教えたのは小林さんですね。 やはり日本では先進国に追いつくために、明治以来啓蒙主義によって、アカデミズム がいちばん尊敬すべきものであるという考えが抜けなかったとおもうんです。 ?外なんか、それをうまく使ってますね、あれだけの知識を。ニーチェの場合は、 科学的合理主義全体に対するアンチテーゼですから、もっと大規模ですね。」
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 18:01:18
手塚 「そうですか。やはり近代日本も十九世紀ドイツと同じく歴史主義ですね。ニーチェの 場合は十九世紀の主潮である歴史的知識の重みをはね返したわけですが、近代日本 では、実用的な知識という形で、その重みをしたたかにしょい込んだ・・・・。」 三島 「非常にしょい込んでいます。しょい込んだ理由は、国家目的に合致するから喜んで しょい込んだと思うんです。そのかわり、ニーチェの違うところは、古典文献学に あたるものが日本にはなかったということですね、日本の近代的教養の中では。 そこは非常に違うと思います。西洋の古典とはもちろん、日本の古典文献学に あたる中国の古典ともわかれてしまっている・・・。」 手塚 「しいて言えば、西洋近代語を通じての教養が、その役目をしたのですね。 そして近代を古典と思った。」
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 18:02:47
永劫回帰の思想 三島 「ニーチェが<ツァラトゥストラ>のあとで、もしインド哲学に親しんだら、 どういうことになったでしょうか。たとえば大乗仏教やなんかの唯識に興味をもったら おもしろかったでしょうね・・・・。」 手塚 「そうですね。晩年にインドの聖典を読んで、非常におもしろがっています。それが 発展するまでにはいかなかったようですけど。永劫回帰の思想など東洋の思想に 非常に近ずくようなところがあるんですね。」 三島 「エリアーデという学者が<永遠回帰の神話>というおもしろい本を書いていますね。 それは、あらゆる文化の歴史の中に、回帰的な歴史観と、過去から未来へ直線的に 歴史観との二種類があって、ただキリスト教だけが回帰しない歴史観を保持して いたから、直線的な時間概念を代表するようになっちゃったけど、じっさいは そうじゃないと言っています。日本人にはわりに普通のことですね。」
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 18:04:23
手塚 「素質的にわれわれは、終末観とか、最後の審判などの直線的な時間概念には、 親しみにくい。人間の思想のツボというものは、たいして変わらないものですね。 ただ回帰的な歴史観にしても、どのくらいの力で新たにそれを持ち出せるかと いうことが問題でね。ニーチェの永劫回帰の思想には、瞬間を永遠にしようという 決意がありますね。東洋の考え方とほとんど同じところにいくんですけど、 東洋ではああいうふうには言わないですね。そこがおもしろいですね。 西と東のニュアンス・・・・。」 三島 「なんかそこまで言っちゃっちゃ、おしまいみたいな気がして。」 手塚 「まったく。言わないでおくということですね。」
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 18:05:39
ニーチェの意味 三島 「ニーチェがキリスト教に反対しただけじゃなくて、プラトニズムまでひっくるめて否定 しちゃったということは爽快ですね。やはり西洋というものは、そういうふうに ニーチェ的に要約されてよくわかるような気がします。ニーチェが日本人に好かれる 理由の一つですね。」 手塚 「わたしの理解する限りでは、ハイデカーは、ニーチェがプラトン以来の哲学や キリスト教を全部ひっくりかえして否定したようにみえるけども、結局、西洋の 形而上学性を徹底させたんだというんですね。つまり、神とかイデアとか、 そうゆうものを倒したけども、またそれに変わる<力への意思>という究極的原理 を出したのであって、それではまだ真の存在というものをせばめているという んです。そのハイデカーの存在というのが、われわれからみると、どうも観念的 で・・・。ニーチェにしても、理想主義を否定するけれど、大変な理想主義者 なんですね。そういう点で、神をなくしても、非常にイデア的な人、 西洋文明の人だという感じがしますね。」 三島 「手塚さんは、ニーチェの問題は結局キリスト教内部の問題だとお書きになって いますが、やはり内部の問題ですね・・・。いまの十代の少年や二十代の青年 に、ニーチェがどうゆうふうに読まれて、どういう影響を与えるかということ を考えるとおもしろいですね。アパートの2DKに住んで、マイ・カーを 持って暮らそうという、いまの平均化された時代の青年たちが、ニーチェを どういうふうに読むか、非常におもしろい問題ですね。」
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 18:06:56
手塚 「若い人というのは、いつでもつかみにくいものですから、どこで触れ合う可能性があるか、 平均的につかむのは容易ではありませんね。わたしの期待のようなものを言いますと、 西洋の思考法そのものの膚合いに、この反逆者を通じて、いっそうよく触れ、頭脳的にも 、西洋への深い批判者がふえればいいと思います。その結果として、日本人が自分の発言 にもっと自信をもつことですね。」 三島 「ええ。<ツァラトゥストラ>の新訳を今度改めて拝見しますと、そのけばけばしさがとれて、 その人生知がはっきり木目みたいに浮き上がってくるという感じがしますですね。 そうして、これは曖昧模糊とした、観念的な説教じゃなくて、人間というものをじつに よく認識している天才の作品だなという感じがしました。」 手塚 「ほんとうに人間通といえますね。実証的な心理学者で、心理学を自慢するだけのことは ありますね。わたしは、自分のわからないことは文字にしたくないので、著者の気持ち のあやが多少通ったところはありましょう。しかし、わたしの気持をいうと、これまでは 話を聞いたのであって、対話はこれからだというようなところです。」 (昭和四十一年、一月十日 虎の門「福田家」にて)
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 18:22:51
>>699 の内容で抜けている箇所がありました。
>「ツァラトゥストラ」のように詩と哲学の融合した散文の例は非常に少ないんですね。
ことに近代古典では。
→ 和辻哲郎さんの「風土」などはそうゆう要求を満たしたのかもしれないけども、
詩的散文で哲学的要素をもっているというのは、日本では小林秀雄さんでしょうか。
>ニーチェ的なものの、・・・・・
>?外なんか、それをうまく使っていますね、あれだけの知識を。
→ だけども、そうゆうものでは人間や性がつかまえられないというような、近代人の懐疑
から発したアンチテーゼは、小林さんあたりで始まったわけですね。
>ニーチェの場合は、・・・・・
>>701 >過去から未来に直線的に歴史観 → 過去から未来に直線的に進む歴史観 です。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/16(月) 17:47:03
三島の書斎の卓上には ニーチェの悲劇の誕生があったんだよね。 そして市ヶ谷へ向かった訳だ。
三島の家の写真を見たことがあるかい? 狭苦しい洋間にゴテゴテとした家具を置いて、三島が とりすました顔してソフアーに座ってるんだよ。 で、周りにほとんど空間がないんだ。 感団地なのにピアノを買い込む奥様がたと感覚的に同じなんだよな。 この人の貴族趣味を見ていると痛ましくなるわ。 平民の子なのに学習院なんぞに入れられたのが間違いの元だよ。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 11:16:32
>>707 貴族趣味じゃなくて、キッチュ趣味だよ。
美的感覚がズレてるね、君はw
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/19(木) 08:17:33
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/19(木) 23:58:25
三島さんの文学には倫理や道徳を侵すことをテーマにした作品が多いことはよく知られています。 その一方で、楯の会の制服を私の会社に注文した時の生真面目な態度にも表れているように、現実の行動においては極めて倫理的、道徳的であったことも、三島さんをよく知る人々の間では、つとに知られていました。 辻井喬
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/21(土) 07:00:26
金閣寺
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 11:42:17
あの市ヶ谷での事件は、政治的なニヒリズムにもとづくパフォーマンスでも、非現実的なクーデタでもない。 三島は大塩平八郎と同様に、それが必ず失敗する事は識っていただろう。 にもかかわらずそれを試みることは、自滅ではなく、そのような大義を信じるものが日本に一人はいるということを示すための言挙げであり、 その言葉が、必ず、たとえば後世に対してであっても、聞く耳を持った者に伝わるという確信の表明だ。 故にそれはニヒリズムに似ており、ニヒリズムに発しているのだが、その大いなる否定なのである。 福田和也 「保田與重郎と昭和の御代」より
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 11:53:15
すべての国民が悪魔に魂を売り、経済の高度成長と取引をしたように、現世相は一応思えるかもしれぬが、国の正気の脈々としたものが、必ず潜流しているにちがいないと私は思う。 それなくしては日本はなくなり、人類も、理想も、文明も消滅するのである。 人類に意志はなくとも、生命の起源に於て、天地との約束はあったと思う。これを神々という御名でよぶことを、私はためらはない。 保田與重郎 「ただ一人」より
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 12:09:20
(´・ω・`)しらんがな
寝るがな(´・ω・`)
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 16:18:20
新しい三島関連本 「三島由紀夫とアンドレ・マルロー」 宮下隆二著 PHP研究所
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/06(日) 00:41:59
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★ このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 【韓国】ソウルVSプサン【比較】 [地理・人類学] アジアシステム開発は立派な会社ですよ! [主義・主張] 学研のBIGMOUSEを語ろう! [i4004] ■◇ デリヘル店を真面目に経営したい方 ■◇ [経営学] Win2k/XPの起動画面をもっともっと変更しませんか? [Windows]
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/10(木) 22:51:06
三島由紀夫は、古典「ダフニスとクロエ」を下敷きに日本の島を舞台にした純愛物語を構想していましたが、 最終的に三重県鳥羽市沖の神島を『潮騒』の舞台に選んだ理由を三島は、神島が日本で唯一パチンコ店がない島だったからと、大蔵省同期の長岡寛に語っています。 神島の島民たちは初め三島を、病気療養のために島に来ている人と勘違いし、 「あの青びょうたんみたいな顔の男は誰やろ?体が悪くて養生しに来とるのか」と言ったそうです。 島民たちに島の話を聞きながら、熱心にメモをとっていた痩せた白い肌の三島の姿は、屈強な島の男達を見慣れている島の女性たちにはかなり珍しかったようです。
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/10(木) 22:51:55
三島は『潮騒』執筆中、泊まっていた漁業組合長の寺田宗一さん(故人)夫妻を 「おやじ、おふくろ」と呼びながら、一家団欒の食事を一緒にとっていたので、 三島事件のとき寺田さんに「あんたのとこの息子さん、えらいことをして亡くなったなあ」と言う島民もいたそうです。 晩年、三島からもらったサイン入りの潮騒初版本の破れかけた表紙を大事そうに撫でながら、宗一さんは三島との思い出を、訪ねてくる三島ファンに語っていたと、寺田家の嫁のこまつさん(74歳)が回想しています。 ちなみに、宗一さんの息子の和弥さんが『潮騒』の信治のモデルといわれています。
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/10(木) 23:59:16
ガメラの卵は神島のカルスト地形から出てくるのですね。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/11(金) 12:41:08
潮騒を万葉仮名で書くと『潮左為』です。 『潮騒(しほさゐ)に、伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)、漕ぐ舟に、 妹(いも)乗るらむか、荒き島廻(しまみ)を』 三島由紀夫は、万葉集に歌われている伊良湖岬を歌ったこの歌から題名をとりました。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/17(木) 10:19:13
豊饒の海
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/19(土) 04:22:04
潮騒
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/25(金) 10:39:14
三島は愛国主義者であり、天才作家であり、ガチムチのM男でもある。
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/26(土) 21:28:11
右翼に脅迫されて右旋回で武道に走ったってのは皮肉だとおもう 文弱だけなら良かったのに 途中でやめられなくなって演劇的自殺 本質は太宰治と変わらんのにね
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/27(日) 09:46:58
>>725 三島由紀夫は10代の時から尊皇思想でずっと右派です。
あなたが言ってるようなことは半端な三島知識でしかないね、残念でした。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/27(日) 11:05:46
三島由紀夫の生首見たい?
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/27(日) 13:52:44
フライデーで見たな
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/05(火) 10:22:43
左翼のいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。 なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、 日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。 三島由紀夫 「反革命宣言」より
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/05(火) 10:24:02
彼ら(左翼)はすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている。 そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。 たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、 たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。 三島由紀夫 「反革命宣言」より
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/05(火) 10:25:00
日本の社会問題はかつてこのようではなかった。 戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、 疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。 しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。 われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。 革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。 三島由紀夫 「反革命宣言」より
このスレで延々と部分紹介せんでも…
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/19(火) 14:30:06
彼(川端康成)は、確かにこの受賞(ノーベル文学賞)に値した。 それでも今もって私は、どういうわけでスウェーデン・アカデミーが三島でなく川端に賞を与えたのか不思議でしようがない。 1970年5月、私はコペンハーゲンの友人の家に夕食に招待された。同席した客の一人は、私が1957年の国際ペンクラブ大会の時に東京で会った人物だった。 日本で数週間を過ごしたお陰で、どうやら彼は日本文学の権威として名声を得たようだった。 ドナルド・キーン 「私と20世紀のクロニクル」より
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/19(火) 14:32:55
ノーベル賞委員会は、選考の際に彼の意見を求めた。その時のことを思い出して、居合わせた客たちに彼はこう言ったのだった。「私が、川端に賞を取らせたのだ」と。 この人物は政治的に極めて保守的な見解の持主で、三島は比較的若いため過激派に違いないと判断した。 そこで彼は三島の受賞に強く反対し、川端を強く推した結果、委員会を承服させたというのだ。 本当に、そんなことがあったのだろうか。三島が左翼の過激派と思われたせいで賞を逸したなんて、あまりにも馬鹿げている。 私は、そのことを三島に話さずにはいられなかった。三島は、笑わなかった。 ドナルド・キーン 「私と20世紀のクロニクル」より
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/19(火) 14:34:05
東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。 私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。 最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。 私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。 その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。 国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる ドナルド・キーン 「私と20世紀のクロニクル」より
homoだったの?
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/27(水) 10:05:46
バイでしょ。 ホモっ気があったのは、女性と付き合うのが苦手だった少年時代だけで、美輪のような真性ホモとは違う。
738 :
元会員 :2008/08/27(水) 10:18:32
妹の病死と、恋人が気の迷いから他家に嫁いだことが作家になった動機
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/03(水) 12:17:35
人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。 だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。 中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。 西尾幹二
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/03(水) 12:35:01
コンプレックスの塊のような人でしたね。
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/11(木) 11:57:25
侵略主義とか軍国主義というものは、武士道とは始めから無縁のものだ。 …私に言わせれば、二・二六事件その他の皇道派が、根本的に改革しようとして、失敗したものでありますが、結局勝ちをしめた統制派というものが、 一部いわゆる革命官僚と結びつき、しかもこの革命官僚は、左翼の前歴がある人が沢山あった。 こういうものと軍のいわゆる統制派的なものと、そこに西欧派の理念としてのファシズムが結びついて、昭和の軍国主義というものが、昭和十二年以降に初めて出てきたんだと外人に説明するんです。 私は、日本の軍国主義というものは、日本の近代化、日本の工業化、すべてと同じ次元のものだ、全部外国から学んだものだ、と外人にいうんです。 三島由紀夫 「武士道と軍国主義 政府への建白書」より
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/11(木) 11:58:20
軍国主義というものが、実に、日本の明治以降、動いてきた歴史の中で、非常に、皮肉なものがある。 というのは、我々は外国からいい影響だけ受けていたと思ったのは、非常に間違いであった。 明治以降の日本がやってきた西欧化の努力によって今日まで、近代国家にきたのであるけれども、その全く同じ理念が、軍国主義をもたらしたのである。 ここをよく考えないと日本の近代感覚というものの一番大きな問題は掴めない。 三島由紀夫 「武士道と軍国主義 政府への建白書」より
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/11(木) 11:59:21
軍国主義のいわゆる進展と同時に、日本の戦略、戦術の上にアジア的な特質が失われていったのは大きい。 というのは、今のベトナム戦争でも判るように、アジア的風土の中で、非常にアジア的な非合理な方法によって、ゲリラ戦を展開して、敵を悩ましている。 …我々は、もう一つ、ここで民族精神に振り返ってみて、日本とは何ぞや、武器と魂というものを日本人は如何に結びつけたか、そこに立ち返らなければ、日本というものの防衛の基本的なものは出てこない。 三島由紀夫 「武士道と軍国主義 政府への建白書」より
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/11(木) 12:00:16
私は、終始一貫した憲法改正論者で、それが、物理的に可能であるのか、不可能であるのか、そんなことは、おかまいなしに、一介の人間としてそれのみをいっているのは、決してそれによって、日本を軍国支配しようとするつもりはないのだ。 あくまでそれによって日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとって最も基本的な問題、もっと大きくいえば、 日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシィヴィラリゼイションとの対決の問題、これが、底にひそんでいることをいいたいんだということです。 三島由紀夫 「武士道と軍国主義 政府への建白書」より
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/12(金) 21:25:26
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/10/01(水) 00:31:58
美輪はこてこてのアナルホモw三島はこてこてのホモかどうかは微妙。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/10/12(日) 13:45:03
天才数学者、岡潔氏の三島由紀夫論を再発見 岡潔研究会が三十八年前の『蘆牙』掲載箇所を発見 ************* 岡潔研究会(横山堅二代表)が復刻した『蘆牙』第三号は原号が昭和四十六年四月に奈良で発行されたもの。 同誌は当時、奈良で発行され、同市に住まわれていた天才数学者・岡潔を囲むグループが出していた。岡潔は岩下志麻、笠智衆が主演の映画『秋刀魚』のモデルでもある。 このなかで岡潔が三島由紀夫に触れた箇所がある。 岡潔先生曰く。 「三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、 天皇制が大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやってみせているし、本当に偉い人だと思います。」 編集部が「百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか? 岡潔の答え。 「間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。 ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。かなり影響はあったと思います」。
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/03(月) 21:00:56
度の板の三島スレもなんか廃れてきたな…
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/03(月) 22:14:05
828:195株価【40】@株主 ☆◆IyApGKf56Q :2008/11/03(月) 19:34:21 [ sage
[email protected] ]
(~)
γ ´⌒`ヽ
{ii:i:i:i::i::i::i::i:i:iii}
{iii:i:i:i:i::i::i::i::i:i:i:ii} 8時からディズニーチャンネルの録画を頼まれています
.|:::: ●) ●)| 時間つぶしのNCISです
.ヽ:::::::.....∀....ノ
.(:::::::::::::)
.し─J
834:195株価【39】@株主 ☆◆IyApGKf56Q :2008/11/03(月) 19:49:51 [ sage
[email protected] ]
(~)
γ ´⌒`ヽ
{ii:i:i:i::i::i::i::i:i:iii}
{iii:i:i:i:i::i::i::i::i:i:i:ii}
>>838 .|:::: ●) ●)| ナントカガールズとかナントカミュージカルを
.ヽ:::::::.....∀....ノ 4時間分録画せよとの命令だよう
.(:::::::::::::)
.し─J
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/04(火) 00:24:35
死と夜と血 by J.J.バーネル
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/04(火) 00:37:09
鉄拳 三島
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/04(火) 02:20:42
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/16(日) 21:32:32
おしらせ 11月25日午前11時55分−午後2時 日本テレビ系列 みのもんた「おもいっきりテレビ」 「今日は何があった日」のコーナーは、三島事件特集です。 ゲスト 女優 村松英子、文藝評論家 松本徹 の両氏が出演します。 放映は午後1時前後の予定。
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/16(日) 21:58:57
三島が大の関西嫌いだった点について>童話説
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/16(日) 22:34:28
第38回忌 憂國烈士 三島由紀夫 森田必勝 両氏の御霊に黙?!
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/05(金) 19:23:10
>>755 いや、三島本人が「関西人は日本人ではない」と断言してるよ。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/20(土) 11:05:26
>>757 どの著書で?
ちなみに三島由紀夫が影響受けた保田與重郎は関西人だけど。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/04(日) 13:46:10
西尾幹二先生の三島由紀夫論 『三島由紀夫の死と私』(PHP刊、上製。1500円) 発売中
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/04(日) 23:55:59
三島の首が床に転がってる写真を新聞で見た記憶。
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/06(火) 21:48:01
40代なら見たことある人いるんじゃないの。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/07(水) 11:09:52
『歴史的事実なんだ』三島由紀夫 Q:あの戦争をどう呼ぶのが適切だと思ふか。 三島由紀夫:大東亜戦争でいいぢゃないか。歴史的事実なんだから。 太平洋戦争といふ人もあるが、私はゼッタイとらないね。日本の歴史にとつては大東亜戦争だよ。 戦争の名前くらゐ自分の国がつけたものを使つていいぢゃないか。 Q:あの戦争をどう意味づけてゐるか。 三島由紀夫:あの戦争の評価は、百年たたないとできないね。 いま侵略戦争だつたとかなんとかガチャガチャいつてもどうにもならん。
幼稚園の時、浅沼委員長が刺されるところをテレビで見て 鮮明に記憶していることは内緒の話だ。
山口二矢は札幌の高校二年生。 当時の高校生って「大人」だったんだね。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/07(水) 23:56:34
刑務所で自殺したんだね。
なんとなく脳裏に記憶する映像・・ 三島が、どこか建物のでっぱり部分みたいなところだったかな? そこにたって、マイクもってなんか叫んでなかったっけ。 ボタンが縦にいっぱい並んだ服着てた。 何を訴えたいのかなんてもちろん理解できなかったし、親に あのおじさんなんであんなことしてるの?って聞いて 教えてもらったけど、それすらも理解はできなかった。 白黒画面越しのうっすらした記憶。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/12(月) 14:00:17
三島由紀夫が現憲法の矛盾、改正を提起した「問題提起」という論文は、憲法第一条、第二条、第二十条、第九条の欺瞞と矛盾、改正の必要性を問題提起した憲法改正草案論文です。 『日本改正案―三島由紀夫と楯の会』(松藤竹二郎著)、または三島由紀夫全集36巻に記載されています。 憲法九条を改正するときは、第一章の天皇問題と、第二十条をセットで変えなければ、却ってアメリカの思う壷だとした、理路整然とした論文で、心ある日本人必読の論文です。
ホモは死んでいいよ
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/14(水) 02:24:48
>>773 そんなショックな人が、いちいち探してきてわざわざ貼るわけないと思うけどね。
偽善者、ご苦労様。
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/15(木) 01:48:08
三島は切腹だよ
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/15(木) 20:29:54
三島ってホモなうえに思考が逝っちゃってたんだよな。 切腹と斬首の姿を晒すなんて狂ってる
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/15(木) 22:00:33
>>776 わざわざ切腹と斬首の写真を晒したのは、ブサヨクマスコミだから、そいつらが狂ってるといえるわ。
ブログでわざわざそれを晒してるバカもね。
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/27(火) 17:59:31
懲役逃れをした三島由紀夫に天皇だの日本文化だのごちゃごちゃ言われたくありません。 懲役逃れをしたのみならず、それを糊塗歪曲して自己の汚点をねつ造して歴史化しようとさえ しています。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/28(水) 10:46:43
>>778 残念だけど、逃れてないんだよ。
誤診が判明した後、次に徴兵されることが決まってたから。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/28(水) 10:53:00
小野洋子様のお友達。
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/03(火) 17:28:19
>>769 その現場に居合わせた某自衛隊員は、同僚と
「あれ三島由紀夫だろ?」
「また何か言ってるよ」
「憂国がどうのこうのって」
「俺達は何にもできないんだけど」
「そろそろ警察が来て、フホーシンニューとか何かで逮捕かな」
などと話していたそうです。
その某自衛隊員とは、私の伯父だったりします。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/04(水) 00:53:08
短大時代、英作文の夏期課題が 「小説を英訳すること。指定レポート用紙20枚」だったので、 三島由紀夫「憂国」を英訳した。 切腹シーン前後を英訳した。 教授からは何も言われなかったが成績は「良」だった。
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/06(金) 21:33:02
学習院から東大に入って銀時計をもらって卒業。 そのまま大蔵省にいればどうなってただろうね。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/08(日) 23:52:06
エリート官僚で日本の金融を支えてたろうね。
最近自殺した元大蔵官僚みたいになってたかもよ
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 11:10:27
日銀総裁になってたりして
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/18(水) 13:38:56
朦朧会見してる中川の隣に座ってたりして
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/18(水) 23:07:58
三島が付いてたら記者会見に出さなかっただろうね。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/19(木) 14:16:43
イタリアで中川を介錯したかも
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/26(木) 17:54:52
……たしかに二・二六事件の挫折によつて、何か偉大な神が死んだのだつた。 当時十一歳の少年であつた私には、それはおぼろげに感じられただけだつたが、 二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、密接につながつてゐるらしいのを感じた。 三島由紀夫 「二・二六事件と私」より
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/26(木) 17:55:18
…かくも永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱を雪ぎ、その復権を試みようといふ思ひは、たしかに私の裡に底流してゐた。 しかし、その糸を手繰つてゆくと、私はどうしても天皇の「人間宣言」に引つかからざるをえなかつた。 昭和の歴史は敗戦によつて完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきてゐた。 これは文士たると否とを問はず、生の自然な欲求と思はれる。 三島由紀夫 「二・二六事件と私」より
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/26(木) 17:55:47
そのとき、どうしても引つかかるのは、「象徴」として天皇を規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この「人間宣言」であり、 この疑問はおのづから、二・二六事件まで、一すぢの影を投げ、影を辿つて「英霊の声」を書かずにはゐられない地点へ、私自身を追ひ込んだ。 自ら「美学」と称するのも滑稽だが、私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤がわだかまつてゐることを知らねばならなかつた。 それをいつまでも回避してゐるわけには行かぬのである。 三島由紀夫 「二・二六事件と私」より
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/26(木) 17:56:16
二・二六事件は昭和史上最大の政治事件であるのみでない。昭和史上最大の「精神と政治の衝突」事件であつたのである。 そして精神が敗れ、政治理念が勝つた。幕末以来つづいてきた「政治における精神的なるもの」の底流は、ここに最もラディカルな昂揚を示し、そして根絶やしにされたのである。 勝つたのは、一時的に西欧的立憲君主政体であり、つづいて、これを利用した国家社会主義(多くの転向者を含むところの)と軍国主義とのアマルガムであつた。 私は皇道派と統制派の対立などといふ、言ひ古されたことを言つてゐるのではない。 血みどろの日本主義の刀折れ矢尽きた最期が、私の目に映る二・二六事件の姿であり、北一輝の死は、このつひにコミットしえなかつた絶対否定主義の思想家の、巻添へにされた、アイロニカルな死にすぎなかつた。 三島由紀夫 「二・二六事件について」より
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/26(木) 17:56:46
二・二六事件を非難する者は、怨み深い戦時軍閥への怒りを、二・二六事件なるスケイプ・ゴートへ向けてゐるのだ。 軍縮会議以来の軟弱な外交政策の責任者、英米崇拝者であり天皇の信頼を一身に受けてゐた腰抜け自由主義者幣原喜重郎の罪過は忘れられてゐる。 この人こそ、昭和史上最大の「弱者の悪」を演じた人である。 又、世界恐慌以来の金融政策・経済政策の相次ぐ失敗と破綻は看過されてゐる。 誰がその責任をとつたのか。政党政治は腐敗し、選挙干渉は常態であり、農村は疲弊し、貧富の差は甚だしく、一人として、一死以て国を救はうとする大勇の政治家はなかつた。 戦争に負けるまで、さういふ政治家が一人もあらはれなかつたことこそ、二・二六事件の正しさを裏書きしてゐる。 青年が正義感を爆発させなかつたらどうかしてゐる。 三島由紀夫 「二・二六事件について」より
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/26(木) 17:58:31
しかも、戦後に発掘された資料が明らかにしたところであるが、このやうな青年のやむにやまれぬ魂の奔騰、正義感の爆発は、つひに、国の最高の正義の容認するところとならなかつた。 魂の交流はむざんに絶たれた。 もつとも悲劇的なのは、この断絶が、死にいたるまで、青年将校たちに知られなかつたことである。 そしてこの錯誤悲劇のトラーギッシュ・イロニーは、奉勅命令下達問題において頂点に達する。奉勅命令は握りつぶされてゐたのだつた。 三島由紀夫 「二・二六事件について」より
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/26(木) 21:45:42
三島由紀夫でお勧めの小説はありますか? 5〜6冊読みましたが、「豊饒の海」以外はぱっとしませんでした。
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/27(金) 11:16:55
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/27(金) 12:00:55
>>798 「青の時代」 「仮面の告白」 「宴のあと」 「金閣寺」が思いだされます。
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/27(金) 14:33:06
「仮面の告白」で覚えてる文は、こんな感じの文 ↓ 彼女は、見てはいけないものは見ないように躾けられていた
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/27(金) 23:26:36
豊饒の海、第一巻「春の雪」が映画化されたけれど、微妙でした。
聡子ぉぉぉ
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/28(土) 10:49:52
>>797 英霊の声、憂国
小説が苦手な人は、論文、評論のがお勧めです。
ナルシシズム論、ファシズム論など面白いよ。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/28(土) 10:55:26
小説は一流、評論は超一流と言われてる。
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/05(木) 23:12:28
実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。何となく「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。 この、好かない、といふ意味は、一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また少しちがつてゐる。 ただ何となく虫が好かず、さういふ言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである。 この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。 どことなく押しつけがましい。反感を買ふのももつともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる。 では、どういふ言葉が好きなのかときかれると、去就に迷ふのである。愛国心の「愛」の字が私はきらひである。 自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。 もしわれわれが国家を超越してゐて、国といふものをあたかも愛玩物のやうに、狆か、それともセーブル焼の花瓶のやうに、愛するといふのなら、筋が通る。それなら本筋の「愛国心」といふものである。 三島由紀夫 「愛国心」より
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/05(木) 23:14:31
また、愛といふ言葉は、日本語ではなくて、多分キリスト教から来たものであらう。日本語としては「恋」で十分であり、日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であつて、「愛」ではない。 もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限低無条件でなければならない。 従つて、「人類愛」といふのなら多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない。なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。 だから恋のはうが愛よりせまい、といふのはキリスト教徒の言ひ草で、恋のはうは限定性個別性具体性の裡にしか、理想と普遍を発見しない特殊な感情であるが、「愛」とはそれが逆様になつた形をしてゐるだけである。 三島由紀夫 「愛国心」より
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/05(木) 23:15:30
日本のやうな国には、愛国心などといふ言葉はそぐはないのではないか。すつかり藤猛にお株をとられてしまつたが、「大和魂」で十分ではないか。 アメリカの愛国心といふのなら多少想像がつく。ユナイテッド・ステーツといふのは、巨大な観念体系であり、 移民の寄せ集めの国民は、開拓の冒険、獲得した土地への愛着から生じた風土愛、かういふものを基礎にして、合衆国といふ観念体系をワシントンにあづけて、それを愛し、それに忠誠を誓ふことができるのであらう。 国はまづ心の外側にあり、それから教育によつて内側へはひつてくるのであらう。 アメリカと日本では、国の観念が、かういふ風にまるでちがふ。日本は日本人にとつてはじめから内在的即自的であり、かつ限定的個別的具体的である。 観念の上ではいくらでもそれを否定できるが、最終的に心情が容認しない。 三島由紀夫 「愛国心」より
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/05(木) 23:16:29
そこで日本人にとつての日本とは、恋の対象にはなりえても、愛の対象にはなりえない。われわれはとにかく日本に恋してゐる。 これは日本人が日本に対する基本的な心情の在り方である。(本当は「対する」といふ言葉さへ、使はないはうがより正確なのだが) しかし恋は全く情緒と心情の領域であつて、観念性を含まない。 われわれが日本を、国家として、観念的にプロブレマティッシュ(問題的)に扱はうとすると、しらぬ間にこの心情の助けを借りて、あるひは恋心をあるひは憎悪愛(ハースリーベ)を足がかりにして物を言ふ結果になる。 かくて世上の愛国心談義は、必ず感情的な議論に終つてしまふのである。 三島由紀夫 「愛国心」より
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/05(木) 23:17:34
恋が盲目であるやうに、国を恋ふる心は盲目であるにちがひない。 しかし、さめた冷静な目のはうが日本をより的確に見てゐるかといふと、さうも言へないところに問題がある。 さめた目が逸したところのものを、恋に盲ひた目がはつきりつかんでゐることがしばしばあるのは、男女の仲と同じである。 一つだけたしかなことは、今の日本では、冷静に日本を見つめてゐるつもりで日本の本質を逸した考へ方が、あまりにも支配的なことである。 さういふ人たちも日本人である以上、日本を内在的即自的に持つてゐるのであれば、彼らの考へは、いくらか自分をいつはつた考へだと言へるであらう。 三島由紀夫 「愛国心」より
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/18(水) 23:00:58
一九六七年(昭和四十二年)春、四十二歳の三島氏は一人で四十五日間、自衛隊に体験入隊し、国防の必要性を感じ、祖国防衛隊的な組織を作ろうと政治家や財界人に働きかけたのですが成功しませんでした。 三島氏は自ら学生を集め、自衛隊に体験入隊させて祖国防衛隊を作り、のちに「楯の会」という名前を付けました。 三島氏は熱心に働きかけたのに本気にならなかった多くの財界人を見て、「財界人は一見、天皇主義者だけで、利益のために簡単に変節する連中だ」と絶望していました。 井上豊夫 「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/18(水) 23:01:38
三島氏は政治活動で最も大切なのは「金銭の出どころ」だと言っていました。 約百名とはいえ、「楯の会」運動を続けるための費用はすべて三島氏個人が負担しており、外部に寄付を依頼することはありませんでした。 三島氏の事件から六年後の一九七六年(昭和五十一年)に明るみに出た「ロッキード事件」では、「自称愛国者」児玉誉士夫氏は米国ロッキード社と田中角栄首相のパイプ役として働き、アメリカ側から巨額の謝礼を受けていたことが判明し、愛国者の仮面を剥がされました。 三島氏は大卒の初任給が五万円以下の時代に、年間八百万円もの私財を「楯の会」のために使い、外部に資金援助を一切依頼せず、運動の純粋性を守り通したのでした。 三島氏が自ら自衛隊に体験入隊したあと、「祖国防衛隊構想」を財界人に説いて回ったそうですが、資本家たちは一見「天皇主義者」のように見えても、自己の経済的利益のためなら簡単に裏切る人々だと実感したそうで、以後、財界の資金援助を受けようとはしませんでした。 井上豊夫 「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/18(水) 23:02:40
「楯の会」はたった百名の小さな組織でしたが権力に媚びることなく、既成右翼との接触もなく終わったのは資金の出どころが明確だったおかげだと思います。 三島氏の金銭に対する考え方は清潔で、納税することは国民として当たり前で、「自分の払った税金が自衛隊の戦闘機のタイヤ一本分くらいになっていると思うと嬉しく思うし、税金は安いくらいだと思う」と言っていました。 以前に瑶子夫人からお聞きしたところによると、インドへ旅行した折に大理石の美しいテーブルを見つけ、名前を入れてもらう約束で注文したらしいのですが、 奥さんが半額だけ現地で払い、残りは商品が着いてから払えばと勧めたのに、「僕はそんなのは嫌だ」と言って全額を現地で払ったそうです。 注文後、一年ほど商品が着かず、奥さんは心配したそうですが、無事到着し、今も南馬込の三島邸の庭先に置かれていると思います。 井上豊夫 「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
374 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/08/30(土) 21:38:01
>「葉隠」の説く武士道を考える
> -「葉隠」武士道の犬死理論の陥穽-
>著作と責任/佐藤弘弥
http://www.st.rim.or.jp/~success/hagakure_ye.html 佐藤弘弥なる視野狭窄な御仁による珍葉隠論。
珍文章のしょっぱなから、ヒステリックなオナニー全開である。
「ヤンキースのマツイ」のたとえだとか、
そこらの中学2年生も感涙にむせびそうな、すばらしい思考のお綴りである。
この特大場外ホームラン級の知性が書いた小児的ファンタジーが
ネットで上位にひっかかり、目に★な方も多いだろうから、
とりあえずこのスレで駆除しておく。
377 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/08/30(土) 22:47:23
>>.374
佐藤弘弥(笑)
空き樽は音が高いっていうか、キジも鳴かずば打たれまいに・・・
閑古鳥が鳴くサヨ系じゃんじゃんで市民記者を
しょぼしょぼやってればええのに(笑)
【検索ワード】
葉隠、佐藤弘弥、馬鹿、思い込みの禿しい爺さん、三島由紀夫
武士道、山本常朝、田代陣基、新渡戸稲造
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/04/04(土) 02:55:04
三島の美意識に殉じる死に様はお見事の一語に尽きる。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/04/14(火) 01:26:28
週刊新潮の゛「美智子さまと三島由紀夫」のお見合いは「小料理屋」で行われた゛という記事。 毎日新聞のバンコック特派員だった徳岡孝夫氏が昭和42年インドからの帰途そこに立ち寄った三島から ゛僕は美智子さんとお見合いしたことがあるんですよ゛と聞いたそうです。 「家族一緒に歌舞伎座かどこかで芝居を見て、食事をしたんだそうです」と徳岡氏は述べています。 如何なタイトルかと思い精読していませんが徳岡氏は三島評伝『五衰の人』にバンコックでの三島について詳しく(悪所通いの件まで)書いていますが、美智子さまとのお見合いの話がその時三島から出たと書かれていたか手元にないのでわかりません。 記事のタイトルにある「小料理屋」とは銀座六丁目の小さいながらも高級官僚御用達だった割烹「井上」で、ここの女将がかつて新潮の記者に「三島さんと美智子さまはウチの二階でお見合いしたんだよ」と語っていたそうです。 徳岡氏の話と繋げると三島と美智子さまは歌舞伎座からこの「井上」に回ったのでしょうか。「井上」は平成五年の時点で土地と建物が塩尻市に寄付されていますからもう営業はしていません。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/04/14(火) 11:43:58
三島由紀夫の長女と皇太子浩宮殿下は同級生
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/10(日) 00:41:13
たいていの気取つたエチケット講座には、洋食の作法として、「スープは決して音を立てて吸つてはいけません」などと、おごそかに戒めてゐます。 子供のときから味噌汁を音を立ててのみ、お薄茶もおしまひのときにはチューッと吸い込む作法に馴れて来たものに、むりやり西洋人の作法を押しつけようといふのです。 …エチケット講座の担当者たちを見ればわかりますが、彼らは私にとつては格別尊敬すべき人たちとも思へません。 洋食作法を知つてゐたつて、別段品性や思想が向上するわけはないのですが、こんなものに影響をうけた女性は、スープを音を立てて吸ふ男を、頭から野蛮人と決めてしまひます。 それなら、あんなフォークやナイフといふ凶器で食事をする人は、みんな野蛮人ではないでせうか? 三島由紀夫 「不道徳教育講座 スープは音を立てて吸ふべし」より
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/10(日) 00:42:38
たまたまここへスープの音の話を持ち出したのは、私の最も尊敬する先輩が、二人まで、すさまじい音を立ててスープを吸ふ。 二人とも外国をまはつて来た人ですが、外国のどこかの都市の、気取つたレストランで、もし御両人が相会してスープを吸つたら、さぞや壮観だらうと思はれる。 御両人とも日本最高の頭脳に属するが、スープを音を立てて吸つたりすることは、日本最高の頭脳たることを少しもさまたげないのである。 そればかりではない。私は両氏を見てゐると、あれだけあたりかまはずズーズー音を立ててスープを吸へたら、あのくらい頭がよくなるんじやないかと思ふことがある。 ――事はスープだけにとどまらない。或る中世芸能の研究家が、私の目の前でナイフに肉をのせて、御丁寧に刃のほうを下唇へあてがつて、口の中へ肉をほうり込むところを見たが、 これなんかは、いつ口が切れやしないかと相手をヒヤヒヤさせて、スリルを満喫させる点だけでも功徳といふものである。 三島由紀夫 「不道徳教育講座 スープは音を立てて吸ふべし」より
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/10(日) 00:46:17
エチケットなどといふものは、俗の俗なるもので、その人の偉さとは何の関係もないのである。 静まり返つた高級レストランのどまん中で、突如怪音を発して、ズズズーッとスープをすすることは、社会的勇気であります。 お上品とは最大多数の決めることで、千万人といへども我ゆかんといふ人は、たいてい下品に見られる。社会的羊ではないといふ第一の証明が、このスープをすする怪音であります。 三島由紀夫 「不道徳教育講座 スープは音を立てて吸ふべし」より
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/10(日) 00:46:44
三島由紀夫 と大沢悠里の関係を 解り安く説明してくれ できないだろな ふふふ
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/17(日) 22:38:17
<NHKの実態> NHKには内部に22の共産党支部があり、 昭和63年の調査では東京都下だけでも、 98名以上のキャスター、アナウンサー、ディレクター等が共産党員であることが確認されている。 この共産党員数は、テレビ朝日やTBSと並んでテレビ業界の上位3位に入るものである。 つまりNHKが反日左翼史観プロパガンダ番組を放送し続けるのも、 共産党の指示に沿ってのことなのだ。 自由主義国で公共放送を共産主義勢力に支配されているのは、 日本と韓国、この2カ国だけである。 (中略)NHKは自虐史観とのワンセットでの対中従属もひどく、 例えば平成12年春にNHKが特集として放送した『ダライ・ラマ』では、 中共のチベット侵略をなんと「人民解放軍の進駐」と言い換え、 チベット民衆の独立運動に対する中共の弾圧を「鎮圧」と呼び、 あげくは「チベット動乱はチベット仏教こそがその紛争原因だ」と解説するに至っている。 明らかな侵略者たる中共を「解放者」として位置づけたこの番組は、 黒を白と言いくるめる中共のプロパガンダ放送そのものである(487頁) <つくる会のHPより抜粋>
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/20(水) 23:52:28
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/30(土) 00:53:08
西郷さん。 明治の政治家で、今もなほ「さん」づけで呼ばれてゐる人は、貴方一人です。 その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代人からは畏敬の目で見られたかもしれないが、 後代の人たちから何らなつかしく敬慕されることがありません。 あなたは賊として死んだが、すべての日本人は、あなたをもつとも代表的な日本人として見てゐます。 (中略) …あなたの心の美しさが、夜明けの光りのやうに、私の中ではつきりしてくる時が来ました。 時代といふよりも、年齢のせゐかもしれません。 とはいへそれは、日本人の中にひそむもつとも危険な要素と結びついた美しさです。 この美しさをみとめるとき、われわれは否応なしに、ヨーロッパ的知性を否定せざるをえないでせう。 三島由紀夫 「銅像との対話――西郷隆盛」より
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/30(土) 00:53:53
あなたは涙を知つてをり、力を知つてをり、力の空しさを知つてをり、理想の脆さを知つてゐました。 それから、責任とは何か、人の信にこたへるとは何か、といふことを知つてゐました。 知つてゐて、行ひました。 この銅像の持つてゐる或るユーモラスなものは、あなたの悲劇の巨大を逆に証明するやうな気がします。 ……………………。 三島君。 おいどんはそんな偉物ではごわせん。人並みの人間でごわす。 敬天愛人は凡人の道でごわす。あんたにもそれがわかりかけてきたのではごわせんか? 三島由紀夫 「銅像との対話――西郷隆盛」より
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/30(土) 02:42:11
>>84 超亀だけど、胴体の写真は初めて見たわ
なにこれ、あたしより華奢な体じゃないのよ
どう見ても女の死体よこれは
しかもなにこのバレリーナのような足は
あたしが首なしで死んだら肥満男として扱われるわきっと
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/10(水) 11:13:52
ウワーッと両手で顔をおほつて、その指のあひだから、こはごはながめて 「イヤだア」とかなんとか言つてゐる手合ひを野次馬といふ。 私に対する否定的意見は、すべてこの種の野次馬の意見で、 私はともあれ、交通事故なのだ。 三島由紀夫 「感想 広域重要人物きき込み捜査『エッ!三島由紀夫??』」より
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/10(水) 11:39:25
ここのスレは勉強になるおf(^_^
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/16(火) 10:30:00
三島由紀夫、本名平岡公威氏は、府中市多摩霊園十区一種十三側三十二番、平岡家の墓碑の元においでになる。 …私が墓参に行くと、かつては真紅であったろうと思われる薔薇がドライフラワー状態になって手向けられてあった。 …「真紅の薔薇」には忘れ得ぬ記憶がある。 昭和四十五年十一月二十五日。 陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹された翌日、検死の済んだ御遺体が、詰めかけた人々で騒然としている御自宅に戻られた。 パテオに屹立していたアポロンの立像の脚元に三十本余りの真紅の薔薇が文字どおり放り投げられて散乱していた。 鎌倉の御自宅から駆けつけて来られた川端康成氏が線香をあげられたあと、その光景を凝っと視ておられ 「薔薇って怖いね」と私の耳許で呟やかれた掠れ声が今も鮮明である。眼に薔薇の炎。耳に巨匠の声。―― 増田元臣 「美しい人間の本性」より
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/16(火) 10:31:19
三島さんの交誼を頂く事になったきっかけは、私が未だ慶應義塾大学の塾生だった時である。 私は幼年期から映画に取り憑かれており、塾生でありながら、増田貴光というペンネームで書いていた 「映画の友」という月刊誌の寄稿文を映画好きの三島さんが読んで下さった事にある。 その月の私のコラムは「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題したもので、その時初めて手紙を頂いた。 手紙の御礼に御自宅に赴いた私を、三島さんは楽しげにもてなして下さった。 …数日後三島さんから二通目の手紙が届いた。差し出し名は平岡公威となっており、その内容はざっと次のようなものだった。 「今後、君と付き合ってゆくにあたり、先生という敬称はやめて欲しい。君との友情に距離感が生じるようで寂しいではないか――」 そして文通するについての差し出し名は平岡公威にする、と書かれてあった。 以来私も三島さんへの手紙は本名の増田元臣とした。 増田元臣 「美しい人間の本性」より
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/16(火) 10:32:08
私が映画評論家として米国に滞在していた時、「憂国」の映画が完成したという連絡を頂き、急遽帰国した。 原作、脚本、監督、主演すべて三島さん自身の作品だった。 三島さんは私独りの為に、三島さんと親交の深かった葛井欣士郎氏の劇場で「憂国」を観せて下さった。 試写が了り私が泣き濡れた顔で廊下に出て行くと、葛井氏となにやら談笑していた三島さんが驚かれた様子で、 「ほとんどが割腹シーンで占められているこの映画で、何故そのように悲しむのか」と訊かれたので、 「この映画は三島さんのダイイング・メッセージと解釈致しましたので」と私はお応えした。 その事があって以来、私は三島さんとの数々の思い出で日々を送った。 増田元臣 「美しい人間の本性」より
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/16(火) 10:33:00
特に、三島さんがイタリアに取材に行く時と、私がローマのチネチッタ・スタジオのフェリーニとのコンタクトの時が一致して、 私がお供をする形になった時のことである。 私達がフォロ・ロマーノの遺跡に立った時三島さんは冗談めかして、 「もし私がハドリアヌス帝だとしたら、君はアンティノウスになれるか」 と尋ねられたので、私は、 「勿論です!」と勢い込んで即答した。 あの時の三島さんの嬉しげなお顔は、忘れる事が出来ない。 「三島由紀夫文学」については周知である。 しかし、平岡公威、という美しい人間の本性は、深海の如く神秘で、容易に理解することは出来ないだろう。 増田元臣 「美しい人間の本性」より
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/28(日) 10:46:25
庭はどこかで終る。庭には必ず果てがある。これは王者にとつては、たしかに不吉な予感である。 空間的支配の終末は、統治の終末に他ならないからだ。ヴェルサイユ宮の庭や、これに類似した庭を見るたびに、 私は日本の、王者の庭ですらはるかに規模の小さい圧縮された庭、例外的に壮大な修学院離宮ですら 借景にたよつてゐるやうな庭の持つ意味を、考へずにはゐられない。 おそらく日本の庭の持つ秘密は、「終らない庭」「果てしのない庭」の発明にあつて、それは時間の流れを 庭に導入したことによるのではないか。 仙洞御所の庭にも、あの岬の石組ひとつですら、空間支配よりも時間の導入の味はひがあることは前に述べた。 それから何よりも、あの幾多の橋である。 水と橋とは、日本の庭では、流れ来り流れ去るものの二つの要素で、地上の径をゆく者は橋を渡らねばならず、 水は又、橋の下をくぐつて流れなければならぬ。 三島由紀夫 「『仙洞御所』序文」より
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/28(日) 10:47:08
橋は、西洋式庭園でよく使はれる庭へひろびろと展開する大階段とは、いかにも対蹠的な意味を担つてゐる。 大階段は空間を命令し押しひろげるが、橋は必ず此岸から彼岸へ渡すのであり、しかも日本の庭園の橋は、 どちらが此岸でありどちらが彼岸であるとも規定しないから、庭をめぐる時間は従つて可逆性を持つことになる。 時間がとらへられると共に、時間の不可逆性が否定されるのである。 すなはち、われわれはその橋を渡つて、未来へゆくこともでき、過去へ立ち戻ることもでき、しかも橋を央にして、 未来と過去とはいつでも交換可能なものとなるのだ。 西洋の庭にも、空間支配と空間離脱の、二つの相矛盾する傾向はあるけれど、離脱する方向は一方的であり、 憧憬は不可視のものへ向ひ、波打つバロックのリズムは、つひに到達しえないものへの憧憬を歌つて終る。 しかし日本の庭は、離脱して、又やすやすと帰つて来るのである。 三島由紀夫 「『仙洞御所』序文」より
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/28(日) 10:50:39
日本の庭をめぐつて、一つの橋にさしかかるとき、われわれはこの庭を歩みながら 尋めゆくものが、何だらうかと考へるうちに、しらぬ間に足は橋を渡つてゐて、 「ああ、自分は記憶を求めてゐるのだな」 と気がつくことがある。そのとき記憶は、橋の彼方の薮かげに、たとへば一輪の萎んだ残花のやうに、 きつと身をひそめてゐるにちがひないと感じられる。 しかし、又この喜びは裏切られる。 自分はたしかに庭を奥深く進んで行つて、暗い記憶に行き当る筈であつたのに、ひとたび橋を渡ると、 そこには思ひがけない明るい展望がひらけ、自分は未来へ、未知へと踏み入つてゐることに気づくからだ。 三島由紀夫 「『仙洞御所』序文」より
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/28(日) 10:52:18
かうして、庭は果てしのない、決して終らない庭になる。 見られた庭は、見返す庭になり、観照の庭は行動の庭になり、又、その逆転がただちにつづく。 庭にひたつて、庭を一つの道行としか感じなかつた心が、いつのまにか、ある一点で、自分はまぎれもなく 外側から庭を見てゐる存在にすぎないと気がつくのである。 われわれは音楽を体験するやうに、生を体験するやうに、日本の庭を体験することができる。 又、生をあざむかれるやうに、日本の庭にあざむかれることができる。 西洋の庭は決して体験できない。それはすでに個々人の体験の余地のない隅々まで予定され解析された一体系なのである。 ヴェルサイユの庭を見れば、幾何学上の定理の美しさを知るであらう。 三島由紀夫 「『仙洞御所』序文」より
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/10(金) 20:48:44
<トピック> 文化放送の現社長があの事件の日、現場で音を拾った記者だった。 「東京新聞」(7月9日付け)文化欄のカラー特集。 自衛隊に「乱入」して隊員を集めさせ、バルコニーから演説した三島由紀夫の音声を現場に一番乗りして録音していた文化放送の記者がいた。 それが現社長の三木博氏。 誰かが演説しているというので、自衛隊に入っても静かなので、おりよく行き交った自衛官から話を聞こうとしたら、「静聴せい、静聴せいと言ったらわからんのか」と呶鳴る声あり、慌ててバルコニーの真下に駆けつけ、木切れにくくりつけたマイクで音を拾ったそうな。 そのときも声の主が三島であることに気がつくに時間がかかった。 ニュースパレード五十周年の特番として再演される(毎日曜午前520)
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/21(火) 22:15:04
横尾(忠則)番記者として働きはじめた頃に、三島由紀夫とも親しくなった。 平凡パンチ誌で三島の悪口を書くという企画があり、他の編集者は担当したくない様子だったので、 自分が名乗りでた。すぐ三島に電話をし、「今回は三島さんの悪口を書く企画ですが…」 と正直に打ち明けて取材を申し込んだのが、三島の好感をよんだらしい。 三島は人気実力ともにトップの作家でありながら、ハリウッドスターのようなオーラを発していた。 三島はこれまで見たこともないような光り輝く“創造物”という感じであった。 パンダとかマダガスカル島の横っ飛びのベローシファカのようにいつ会っても新鮮な驚異を与えてくれた。 椎根和 「オーラな人々」より
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/21(火) 22:15:45
…オーラを発する人々ということでは、やはり六〇年代後半の、三島、横尾、寺山、玉三郎、土方たちは 超弩級であった。彼らのそばにいるだけで、異世界に連れていかれそうな気分になった。 そのどこかに連れさられるという不安感が、悦楽味であった。 モノの時代に入ると、そばにいるだけで、異界へつれていってくれそうなスターはいなくなった。 …ぼくは、三島の最後の三年間を剣道の弟子として稽古をつけてもらい、一緒に学生デモ視察へ行き、 ボーリングをし、白亜の三島邸へ何度も行った。 三島は、文学の方では、大ベストセラーを何作も書き、今なら流行語大賞受賞まちがいなしの 国民的喝采をあつめた。 そういう文学的才能以外にも、新しい才能を発見する眼力があった。 横尾忠則、坂東玉三郎、美輪明宏、澁澤龍彦らは、三島の紹介によって市民権を得た、といってよい。 椎根和 「オーラな人々」より
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/28(火) 09:44:29
ってか、ただのゲイだろ
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/29(水) 12:42:28
だいぶ以前のことだが、三島君は私の家に遊びに来た時、デパートの売子たちの無知と無礼粗暴な態度を怒り罵倒し、 「こういうのが現代の若者だというなら、僕はできるだけ長生きして彼らが復讐を受けるのを自分の目で見てやりたい。 それ以外に対抗策はありませんね」と真顔で言って私を笑わせてたことがある。 彼にもこのような意味の長生きを考えていた一時期があった。 いわゆる「夭折の美学」を捨て、図太く生きて戦後の風潮と戦ってやろうと決意したのだ。 林房雄 「悲しみの琴」より
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/29(水) 12:43:53
彼が週刊誌に荒っぽい雑文めいたものを書きはじめ、グラビアにも登場しはじめたとき、「いったいどうしたのだ」 とたずねたら、「戦後という世相と戦うためには、こんな戦術も必要でしょう」と笑って答えた。 だが、この「長生き戦術」または「毒をもって毒を制する戦略」はやがて捨てられた。 怒れる戦士は迂回作戦を軽蔑しはじめ、単刀直入を決意した。 『英霊の声』はこの視角から読まねばならぬ作品である。 林房雄 「悲しみの琴」より
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/08/08(土) 21:06:54
だから何なんだよ。テメーの意見述べろよ。引用ばかりしてるんじゃねーよ。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/08/12(水) 11:51:11
<お知らせ> 憂国忌は11月25日 午后六時開場、六時半開演。 会場は永田町の「星陵会館」ホールです。 シンポジウムのパネリストが内定しました 司会 富岡幸一郎(文藝評論家) 西部 邁 (評論家) 西村幸祐 (ジャーナリスト) 杉原志啓 (歴史研究家) の各氏を予定します。
知らなかった記述がかなりある。ありがてえ
846 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 15:27:30
三島がノーベル文学賞取ってたらあの事件はなかったかもしれないな
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/08/31(月) 22:45:32
ノーベル賞候補になる前から自衛隊に体験入隊して防衛隊作ってるから、あんまり関係ないと思う。
むしろ舞台装置としてより効果を上げた事でしょう>ノーベル賞
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/02(水) 14:17:41
シャアは正しいということがよく分かった
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/02(水) 23:56:47
亀はしあわせをよぶという。 私の手許に、甲羅に彫りの入った八ミリほどの小さな金の亀のペンダントトップがある。 これは私が十代の頃、三島さんに頂いたもの。 戦後間もなく、現在のように海外渡航が自由でなかった頃、三島さんはいち早く外国に足を運ばれた。 この亀はその時のおみやげである。 …私のアクセサリー箱の中では一番の古株、出番も多く、いわばお守りのような存在だ。 私が三島さんにお目にかかるのは、いつも我が家が「鉢の木会」のお当番の時だった。 …今では、大岡昇平、中村光夫、吉田健一、福田恆存、三島由紀夫の各氏、それに私の父の神西清はみな故人となった。 三島さんは会の中では一番若く、そのせいか口うるさい面々の恰好の揶揄の対象になることもしばしばで、 その場合三島さんの逃げ道は二つ。 まずはあの豪快な笑いで、からみつく蜘蛛の糸を振り払い、次の手はゴロッと横になって高鼾をきめこむ。 元々が個性の強い人たちの集まりである。お酒の飲みっぷりも各人各様で、見飽きることがなかった。 酒宴が進むほどに、笑い声も賑やかになるのだが、三島さんのそれはいつも大きく際立っていた。 一人一人の顔にそれぞれの特徴ある笑い声が重なり、懐かしく往時を思い出す。 連歌を楽しみ、時にはお互いの仕事に対する鋭い批判も交錯し、この上なく濃密な時だった。 父の死後、「鉢の木会」が二階堂の家でひらかれたことがある。 三島さんは新婚間もなくで、座は瑤子夫人のお目出度の話題で盛り上がっていた。 襖越しに耳にした「医者に診てもらえと云ったんだ」という、三島さんのひときわ高い誇らしげな声は忘れることができない。 その時お顔は見なかったが、きっとあの大きな目が特別輝いていたことだろう。 神西敦子 「三島夫妻と二つの亀」より
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/02(水) 23:57:40
たった一度だけ、三島さんと銀座を歩いたことがあった。 私の大学卒業に際し、「鉢の木会」が腕時計をくださるということで、和光に出向いた。 三島さんはいつもどおりの笑いを振りまき、もとより知られた顔だから、集まる人々の視線が眩しく、とても気恥ずかしかった。 三島さんは、大変几帳面で礼儀正しく、細やかな心遣いをされる方だった。 父の生前は父に、亡くなってからは母に、筆、あるいは万年筆で署名された三島さんの著書が律義に届けられた。 なかには、「神西清様」と記された名刺がはさんであるものも何冊かある。書体は均整がとれていて美しい。 …装幀も凝ったものが多い。 …代表作「金閣寺」の限定版は、年数のたった今も、手にとるとふんだんに使われている金箔が指につくほど豪華で、 本箱のたくさんの三島本の中でも王将格である。 奥付には、本書は二百部を限定刊行す、その内二十部は無番号著者家蔵本、本書はそのNo.、とあってナンバーはついていない。 これをみても三島さんが、いかに父に礼を尽くして下さっていたかがわかる。 季節毎の心遣いも、瑤子夫人が亡くなるまで途切れることなく続いた。稀有なことである。 瑤子夫人死去の報は、ご病気を知らなかったこともあり、私を大そう驚かせた。 夫人の通夜の晩はむし暑く、三島邸前の道路は別れの時を待つ人で埋めつくされ、月も動きをとめ、大気は重く悲しみに沈んでいた。 天空にあった細い月は夫人の魂をいざなうかのように、やがて視界から消えていった。 日ならずして、夫人を偲ぶ品が届けられた。 小箱の中には、甲羅が緑色、足が紫色の石の、美しい大きい亀のブローチ。 偶然とはいえ、この不思議な巡り合わせに私はしばし言葉もなかった。 金の亀と緑の亀。二つめの亀の出現で、三島夫妻は私の中で一つの像となった。 神西敦子 「三島夫妻と二つの亀」より
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/08(火) 12:08:12
三島さんのこと少し判ってきたことがある。 …イランとか、近東イスラム教の国家っていうのは、祭政一致でしょ。 あの振舞いは西欧からは不可解なはずなんです。 でも、ぼくは戦争中の天皇というものを見ていると非常によく判る。 あれで類推すれば、もの凄くよく判る面があります。 アジア的な部分で、ラマ教とか、イスラムとか、生き神さまを作っといて、それを置いとくわけですね。 …三島さんは、多分、ぼくの考えですけれども、インドへ行って、インドにおけるイスラム教の あり方みたいなものを見て、仏教も混こうしているわけでしょう。 そこの所で、天皇というものを国際的観点から再評価したと思います。 それがぼくは三島さんの自殺当時判らなかったのです。 …三島さんが国際的な視野を持ってきて、インドとか近東とかそういう所の祭政一致的考え方、 それだと思うんです。それ以外に日本なんて意味ないよと考えたとぼくは思うんです。 吉本隆明 「映画芸術」誌上、小川徹との対談より
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/11(金) 22:37:42
アメリカの大神殿というべきWTCに旅客機が突っこみ、赤い炎に包まれながら超高層ビルが崩れ落ちていった日、 あの9・11を忘れる人はどこにもいないだろう。 もう一つ、同じような分岐点がある。 作家・三島由紀夫が割腹自殺したとき、自分がどこで何をしていたか、たちどころに思いだせるはずだ。 …一九七〇年、長距離バスでイランの砂漠をよぎっていたときのことだ。 まわりの乗客たちはモスリムの人々ばかりだった。 …モスリムは一日に五回の礼拝を欠かさない。その時間がやってくると、屋根を踏みならす音が響いてくる。 …運転手がしぶしぶエンジンを止めると、乗客たちは屋根や窓から飛びだし、いっせいに砂漠へ走っていく。 そして四つん這いになり、焼けついた砂に額を押しつけながらアッラーの神に祈る。 車内に残っているのは、運転手と、ぼくと、イギリス人だけだった。礼拝が延々とつづいているとき、 「ユキオ・ミシマのハラキリについてどう思うか?」唐突に、若いイギリス人が語りかけてきた。 ぼくはしばらく考えてから答えた。 「ああ、映画の話だろう」 「いや、ほんとうにハラキリしたんだよ」と読みかけのNewsweekを差しだしてきた。 …窓の外ではモスリムの人々が真昼の砂漠にひれ伏しながらアッラーの神に祈っている。 そして、ふるさとの日本では「天皇陛下万歳!」と叫びつつ、三島由紀夫が切腹したのだという。茫然となった。 …アフガニスタン、パキスタンを過ぎてインドに入り、カルカッタの日本領事館の新聞でついに確かめることができた。 切断された首が床に据えられていた。 金とセックスと食い物しかない日本で、一つの精神がらんらんと燃える虎のような眼でこちらを見すえていた。 宮内勝典 「混成化する世界へ」より
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/11(金) 22:39:00
それから二十数年が過ぎて、かれが切腹した市ヶ谷駐屯地の総監室を訪ねることができた。 …三島由紀夫が日本刀をふりおろしたときの刀傷が、飴色のドアの上に残っていた。 …モスリムの人々が礼拝する砂漠で三島由紀夫の自決を知ったのだが、偶然とはいえ、イスラム原理主義者たちと、 かれの思想には、通低するものがあると思われてならない。 …アッラーの神のような超越性のない日本で、かれは天皇に固執した。文化を防衛しようとした。 むろん肯定できないが、三島由紀夫の文学そのものをぼくは畏敬している。 恥ずかしいがあえて洩らせば、十代の頃、かれの文章をノートに筆写していた。 …紙数が尽きたから結語を述べよう。ぼくもまた西欧近代に追随したくはない。 だがそれを拒むナショナリストにもなりたくない。ぼくは混成化していく世界を生きたいと思う。 宮内勝典 「混成化する世界へ」より
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/12(土) 23:34:49
なんでこのきちがい首切って死んだのきもちわりい 自殺するならサメに食われて後片付けはぶけよ
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/21(月) 12:52:22
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/27(日) 11:27:47
三島由紀夫研究会「公開講座」(第234回) とき 9月28日(月曜) 午後六時半 ところ 市ヶ谷「アルカディア市ヶ谷」(私学会館)四階会議室 講師 河内孝(元毎日新聞中部本社代表、ジャーナリスト) 演題 「青嵐会と三島由紀夫」 会費 おひとり2000円(会員&学生1000円)。 (かわちたかし氏は慶応大学卒業後、毎日新聞政治部、ワシントン支局長などを経て中部本社代表。 『新聞社 破綻したビジネスモデル』(新潮新書)はベストセラーに。 最新作『血の政治 青嵐会という物語』(同)では、改憲を誓って結盟した政策グループ『青嵐会』の誕生秘話から、 「真夏の通り雨」のように消え去って、中川一郎自裁にいたる軌跡を追求され、なかでも三島由紀夫の思想的影響力がどれほどのものだったかを振り返ります)。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/04(日) 12:39:34
三島由紀夫と青嵐会@@@(三島由紀夫研究会メルマガ抜粋) 「青嵐会を代表する九人」とは、石原慎太郎、中尾栄一、中山正暉、藤尾正行、三塚博、渡辺美智雄、玉置和郎、中川一郎です。 翌年の1974年浪曼は、『青嵐会からの直言 この国難は乗り切れる』を発刊して、湊徹郎以下八人の主張も世に問うています。 さて河内氏はまずプロジェクターを使い、中川家から借りだして撮影した青嵐会の署名簿を映し出した。 それは中尾栄一により「青嵐会誓詞」と墨書され、青い蔦かずら模様の絹で表装された血判入りのものです。 青嵐会と命名したのは石原慎太郎で、「青嵐とは寒冷前線のこと。つまり夏に烈しく夕立ちを降らせて、世の中を爽やかに変えて過ぎる嵐」の意です。 この誓詞に「断固血判すべし」と強硬だったのは、石原慎太郎、中尾栄一、浜田幸一の三人でした。 言い出しっぺは石原で、楯の会の創設メンバーから、三島がその結成時(昭和43年)、会員十人と血判を交わしていたことを密かに聞き知っていたのです。 三島が自決してから二年半後に結成された青嵐会は、三島と直接の結びつきはありませんが、 青嵐会結成時の興奮と盛り上がりの周囲にいた人々は「三島が放った炎が燃え移ったような」熱気を感じていたのでした。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/04(日) 12:41:58
河内氏は、青嵐会結成に至るまでの戦後政治史を概説して、青嵐会が生まれた時代背景を説き明かし、その一つのルーツに三島由紀夫の割腹があると述べました。 ほかの二つは、「戦後抑圧された健全なナショナリズムの発露」と「農本主義の情念」です。 青嵐会は結成から半年後の昭和49年(1974年)1月26日武道館で国民集会を開催しました。 名古屋からは二村化学工業の二村社長が二千人を引き連れ参加し、韓国在日の民団にも「朝鮮服は着ないで出席せよ」との動員令がかかり、 ステージ真下の床に直に座ってもらうほどの満杯になり、二万人が集まりました。青嵐会は当日全国紙に次の文言の意見広告を張り出しました。 首相が訪ねたアジアの国で 日本の心 日の丸が 焼かれた その日を忘れない 道義をなくし 思想なき 日本をかれらは 許さない 自由の台湾切り捨て 共産主義の中国に おもねる日本を許さない エコノミックなアニマルと 怒る心が 日の丸焼いた 青嵐会こそ 日の丸を 力の限り 守り抜く 風のまにまに 目先をかえる 魂忘れた 政治なら 青嵐会は許さない・・・。 青嵐会の主張で際立っていたのは、自主独立の憲法制定、国家道義の高揚、教育正常化などでした。 そして結成時の血判と、自民党総務会での大暴れなどの烈しいパフォーマンスでした。マスコミは後者を報道し、世間の目もそれらにだけ集中しました。
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/04(日) 12:43:19
主張した政策は賛否分かれるものでしたが、彼らの論理は分かりやすく、行動原理はいたって明快で、人々の心を惹きつけるものでした。 今日政党が「改革」をさけび、ホームページに口当たりのいい政策を並べても、人々の血を騒がせた青嵐会が持っていた「何か」が欠け、シラけているのです。 ありていに言えば、青嵐会は面白かったのです。中川一郎夫人は「毎日が震度5のような日々で」「誰もが人間をむき出しにして、ドタン、バタンと烈しくぶつかりあっていた」と述懐し、 「そこにいくと今の方々は息子(中川昭一)もふくめて主人たちより頭もいいし、勉強もするけれど、まあ迫力というか、熱さはないわね」とチクリと刺しています。 戦前の「修身」を廃して、戦後どう生きたらいいかを学校も親も教えなくなった日本。 それがモラルの喪失と精神の亀裂をもたらしました。単位人口当たりの自殺者は、リトアニア、ベラルーシ、ロシア、スロベニア、ハンガリー、カザフスタン、ラトビアに次いで、日本は八番目です。 物質的に豊かな生活を享受している先進国の中で日本の自殺者が一番多いのです。 政権を取った民主党の、国民に只で高速道路を利用させ、一律にばら撒く子供手当などの政策は究極の金権体質だと、河内氏は指摘していました。 この講演を聴いていて、日本の政治にかつてあった、「何か」が戻らないまま、世界の中で埋没してゆく不安にとらわれました。 (了)
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/05(月) 23:46:56
平成十年の春、私はある方を通して、三島由紀夫の学習院の中等科・高等科時代に、同校の先輩であり、 文学上の友人であった東文彦(本名・東健)に宛てた、多くの書簡を手にすることになった。 …この書簡の中味については、すでに解説で記したのでここでくりかえさないが、十代半ばからの、 まだどこか幼さを残す、平岡公威のその手紙の筆蹟を目にしたときの強い印象は、今も鮮明によみがえる。 後年の、作家・三島由紀夫の自筆原稿の見事な文字は写真で見たことがあったし、…短編小説「蘭陵王」の原稿の 完全復元版を私は持っていたので、そのほとんど直しのない楷書体の雄渾な手蹟は、天才のあかしのように見えた。 十代の手紙は、処女作「花ざかりの森」についての昭和十六年七月二十四日付の唯一の毛筆の書簡も含めて、 これもほとんど全て形の整った丁寧な文字で記されており、信頼する先輩にむけて、自らの堅忍不抜の 文学への思いを存分に披瀝している。 しかし、便箋をびっしりと埋めたその文字からは、やはり十代ならではの、初々しさと真摯さがうかがえた。 手紙の文面の、まさに天賦の才を、早熟に刻印した瞠目すべき内容とは、ときにちぐはぐとも見える、 その手蹟の生真面目さ、素朴さは、私にある哀しみのようなものを感じさせずにはおかなかった。 そうだ、この哀しみの感触こそ、自分が三島の文学のなかにずっと感じてきたものではないのか。 恋人であった園子と再会した「私」が、腕に牡丹の刺青のある半裸の男の肉体に、目をうばわれた瞬間を、 〈雷が落ちて生木が引裂かれるやうに〉と記した「仮面の告白」のラストシーン。 「真夏の死」の朝子がみせる、かつて愛児を呑み込んだ夏の海辺に戻って来て、放心したように〈何事かを待つてゐる表情〉。 金閣寺に火を放った主人公が、自分の死場所として夢みていた究境頂に入ろうとし、戸を叩くが、開かずに、 ためらわずに身を飜えして階を駈け下りる一瞬。 「三熊野詣」の藤宮先生が、熊野那智大社の境内で女の名を朱筆で記した櫛を、枝垂桜の下に埋めようとして、 爪で土を掻き出すところ。 富岡幸一郎 「十代書簡、その手蹟」より
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/05(月) 23:47:53
また、「英霊の声」の次のような一節。 〈だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。 何と云はうか、人間としての義務において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、 陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた。…〉 そして「豊饒の海」最終巻、「天人五衰」の最後で本多繁邦が、奈良の月修寺の門跡となっている聡子に会うために 車を走らせながら、その夏空の下の景色に目をやったときの感慨……。 〈……目の前に光りと感じられてゐるものは、底知れぬほどの闇の陰画なのであらうか。 さう思つたとき本多は、自分の目が又しても事物の背後へ廻らうとしてゐるのを感じた。…〉 …三島の光彩陸離たる作品群は、戦後の日本文学を四半世紀にわたってかたちづくった。 その多才と意志強固な行動力は、あの割腹死に至るまで揺らぐことはなかった。 しかし、その生と文学の底には、この〈世界〉を、〈自分の手の上にそつと載せて護つておかなければ〉、 そうしなければならない宿命を負った少年の自意識の哀しみが、つねに通奏音としてあったのではないか。 自決の直前のインタビューに答えて、三島は「十代の思想」への回帰ということを、自らの口で語った。 〈ひとたび自分の本質がロマンティークだとわかると、どうしてもハイムケール(帰郷)するわけですね。 (中略)十代にいっちゃうのです。十代にいっちゃうと、いろんなものが、パンドラの箱みたいに、 ワーッと出てくるんです〉(「三島由紀夫 最後の言葉」) 私がその十代書簡の筆蹟のうえに見たものも、三島由紀夫=平岡公威のハイマート、すなわち源泉の感情であった。 その自我は、彼の帰郷の道行きであったともいえよう。 富岡幸一郎 「十代書簡、その手蹟」より
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/08(木) 22:41:55
吉田満は、三島由紀夫の「死」を、青春の頂点において「いかに死ぬか」という難問との対決を通してしか、 「いかに生きるか」の課題が許されなかった世代――そのような世代のひとつの死としてとらえ直してみせた。 あの自決がさまざまな意味を「異なる解明の糸口」を示していながら、実のところ戦争に散華した仲間と 同じ場所を求めての、死の選択であり、そのような願いによる決断であったという。 これはたんなる世代論だろうか。 三島由紀夫の生と文学を、あまりに単純な世代の「死」として単純化してしまうことになるのだろうか。 私はそうは思わない。 保田輿重郎は三島の自刃に際して「三島氏の事件は、近来の大事件といふ以上に、日本の歴史の上で、 何百年にわたる大事件となると思った」と記したが、もし仮にそうだったとしても、それは三島由紀夫という 個的な存在の、その生と死の劇的な問いかけゆえにではなく、その「死」が疑いもなく一つの世代の夥しい「顔」と 重なり合い、その死のなかに埋没することを懇望したものであったからではないか。 あの自決事件は、決して特異なものでも異常なものでもなく、あえていえば平凡な静謐さのなかにある。 そう思うとき、『豊饒の海』第一巻の冒頭で描かれた「セピア色のインキで印刷」された日露戦没の写真―― その風景を想起せずにはいられない。 富岡幸一郎 「仮面の神学」より
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/08(木) 22:43:35
…池田浩平や吉田満といった同世代の死者のなかにとらえるとき、戦後作家としての彼(三島)の仮面―― 『仮面の告白』についての作家自身の注釈でいえば「肉づきの仮面」――の背後に隠されていた素顔が浮かびあがる。 戦後作家としての無数の華麗な「仮面」。 神学者の大木英夫は、三島由紀夫は、その文学は仮面をかぶることによって、「神学問題で灼けただれている 現実にも耐える」と正確に指摘した。 《そして死を避ける。しかし、彼の文学は、かえってその仮面が割れて、素顔が出て、神学問題に直面するところがある。 そして死が避けられなくなる。 さまざまな奇行と試行の紆余曲折を経て、ついに市ヶ谷への突貫となるのである》(「三島由紀夫における神の死の神学」) 『仮面の告白』が、『花ざかりの森』と彼の十代の青春の住処がであった「死の領域」への遺書であり、 まさに「死を避ける」ための人工の文学的仮面であったとすれば、最晩年に書かれたエッセイ『太陽と鉄』は、 「その仮面が割れて」いくところを詳細に辿ってみせた自己告白の書であった。 これまで何度も論じてきたように、そこに三島における「神学問題」が、すなわちあの「神の死」の問題が 露われているのはいうまでもない。 おそらく、日本における神学問題を最もラディカルに現実の光のなかに引きずり出したのが三島由紀夫である。 多くの宗教学者が決して見ようとしなかったものを、語りえなかった根底的な「神」の問題を、三島は自らの生と文学と、 そしてあの苛烈な死によって語ってみせた。 いや、「神学問題に直面」したとき、「死が避けられなく」なった。 富岡幸一郎 「仮面の神学」より
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/09(金) 22:03:38
「東健兄を哭す」 十月八日の宵、秋雨にまじる虫のねのあはれにきこえるのに耳をすましてゐると、階下で電話が鳴つてゐる。 家のものがあたふたと梯子段をあがつてくる気配、なにがしにこちらもせきこんで、どこから?と声をかけると 「東さんが……お亡くなりに」「えッ」私は浮かした腰を思はず前へのめらせて、後は夢中で階段を駆け下り 電話にしがみついた。その電話で何をうかがひ、何をお答へしたか、皆目おぼえてゐない。 よみ路の方となられては、急いても甲斐ないものを見境なく、仕度もそこそこに雨の戸外へ出た。 渋谷駅までの暗い夜道をあるいてゆく時、私の頭は痺れたやうに、また何ものかに憑かれたやうに、ひたすらに 足をはやめさせるばかりであつた。さて何処へ、何をしに――さうした問は、ただ一つのおそろしい塊のやうになつて、 有無をいはせず私の心をおさへつけた。あらゆる心のはたらきを痴呆のやうに失はせてゐた。 平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/09(金) 22:07:12
「東健兄を哭す」 兄の御寿(みいのち)はみじかかつた。 おのが与へられたる寿命を天職に対して、兄ほどに誠実であり潔癖であり至純であつた人を寡聞にして私は知らない。 私は兄から、文学といふもののもつ雄々しさを教へられたのである。 文学は兄にとつてあるひは最後のものではなかつたかもしれぬ。しかし文学をとほしてする生き方が、やがて 最高の生き方たり得るといふ信仰を、身を以て示された兄の如きに親炙することによつて、わがゆく道のさきざきに 常にかがやく導きの火をもちうる倖せが、こよなく切に思はれるこの大御代にあつて、唯一の謝すべき人を失ふとは。 ……兄は病床にありながら、戦に処する心構においては、これまた五体の健全な人間の、以て範とするに足るものであつた。 幾度かわれわれの、あるときなお先走りな、あるときは遅きに失した足取りは、却つて病床の兄の決してあやまたない 足取りのまへに、恥かしい思ひをしたのである。せめて勝利の日までの御寿をとまづ私はそれを惜しんだ。 平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/09(金) 22:08:21
「東健兄を哭す」 文学は兄にとつて禊であり道場であつた。 文学のなかでは一字一句の泣き言も愚痴も、いや病苦の片鱗だにも示されなかつた。平生の御手紙には尚更のことであつた。 そこに私はニイチェ風な高い悲しみを思ひゑがいたのであつたが、兄、神となりましし日、私は、つねに完全なる母君であられ、 今世に二なき悲しみにつきおとされになつた御母堂から、けつして愚痴を言はれなかつた四年間のまれまれに、 余人にとつてもおそらく肺腑をゑぐるものがあつたであらうそこはかとない御呟きを伝へ伺つて、ふともらされたその御呟き ――かうして治るのもわからずに文学をやつてゐるのは辛いなあ(誤伝なれば謹んで改めまゐらせん)――といふ一句を、 なにかたとしへもない真実が岩間をもれる泉のやうにのぞいたすがたと覚え、かつはかく守られねばならぬたをやかさが兄の 奥処にあり、守られたればこそ久遠に至純であつたその真実を思つて、文人の志の毅さとありがたさも今更に思ひ合はされ、 御母堂の御心事に想到し奉つても、暗涙をのまずにはゐられなかつたのである。 平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/09(金) 22:09:32
「東健兄を哭す」 …初の御通夜、み榊、燭の火、虫のね、雨のおと、……私は言葉もなかつた。 平家物語のあれらのふしぎなほど美しい文章がしづかに胸に漣を立ててきた。……かくも深い悲しみのなかに なほ文学のおもはれるのを、心のゆとりとしもいはばいへ。 兄だけはあの親しげななつかしい御目つきを、やさしく私に投げて肯いて下さるであらう。 御なきがらを安置まゐらせし御部屋は、ゆかり深くも、足掛け四年前、はじめて兄におめにかかつた御部屋であつた。 そして今か今かとその解かれるのをこひねがつた永い面会謝絶のあとで、まちこがれてゐた再度の対面は、 おなじお部屋の、だが決しておなじになりえぬ神のおもかげに向かつてなされた。 私はなにかひどく自分が老いづいた心地がしてならなかつた。 徳川義恭兄、ありしままなるおん顔ばせを写しまゐらせ給ふ。感にたへざるものあり。 みそなはせ義恭大人が露の筆 道芝の露のゆくへと知らざりし つねならぬ秋灯とはなかなかに ――昭和十八年十月九日深更―― 平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
同性愛サロンについて 同性愛者をはじめとするセクシュアルマイノリティが集い、独自の観点・視点から様々な事象を語る板です。 (同性愛とは直接関係のない芸能・音楽・テレビ・映画等の娯楽、日常生活、一般時事など) セクシュアルマイノリティ(Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender)限定の板です。 ★次の行為は禁止です * ブラウザクラッシャー・ウィルスコード等の貼付け・リンク。 * 同性愛者、その他の同性愛等に関する、差別、蔑視、挑発、誹謗中傷発言。 特定の人物や固定ハンドル、お店への叩き。 * 板違いである話題。801、ボーイズラブ、同人。実況。同性愛者になりきりで書込み。 同性愛者独自の視点で語れない内容。 * 単発質問スレッド。板を跨いだ重複スレッド。 以上の板の看板を見ればわかるように同性愛サロンは、非同性愛者、とくに腐女子と言われる人々の 書き込みをローカルルールで固く禁じている板です。 非同性愛者、腐女子の書き込み・スレ立てはそのまま板荒らし行為になります。 また、同一のスレタイ・内容のスレを多数の板へ板をまたいで乱立するのはガイドラインでもローカル ルールでも二重に禁止されている違反行為です。 2ちゃんねるには書き込みするユーザーを制限している板もあります。 おすすめ、検索から書き込みするときには注意しましょう。
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/11(日) 21:45:11
ここゎ 引用が大杉
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/26(月) 23:33:09
報告 三島由紀夫研究会「公開講座」(第235回) 講師 高森明勅氏 演題 「三島由紀夫の天皇論」 (講師の高森明勅氏は、昭和32年岡山県倉敷市生まれ。当日はマイクを使わず、肉声が朗々と響き渡る名調子によって進められた)。 ▲雷鳴轟いた三島事件の衝撃 私は個人的に三島由紀夫から大きな影響を受けたものの、三島そのものをテーマとして深く研究したことはない。 三島が指導したとされる楯の会の憲法論(女系の容認)については、その真偽に疑問があるが、その天皇観については今日から見て、特筆すべき価値がある。 冒頭、今回の講義のテーマが、以下の内容に沿って進められることが示された。 !) 三島は戦後思想のテーマとして天皇の重大性を先進的に捉えた思想家であった。 !) 天皇に対する切り口はたくさんあるが、祭祀の重要性を明快に強調した。 !) 天皇は秩序の側に手を差しのべつつ、反秩序、変革にも手を差しのべる。 !) 天皇論は後ろ向きに過去を向くことが多いが、三島は未来に向かっていち早く指摘した。 時代が進むとより天皇が重要になるという視点を持ったが、その後、こうした指摘は三島からはない。
私の父は昭和三年生まれ。特攻に出撃できず、17歳で終戦を向かえた。特攻に志願した17歳の選択は間違っていなかったと、生涯信じていた。 その父は、小学生の頃から、同期の桜を繰り返し聴かせた。そして、三島、森田の慰霊祭を、毎年欠かさず神社で催行した。 三島事件当日、私は岡山県倉敷の中学二年生であった。 11月25日の衝撃は、昨日のことのように覚えている。10年前雑誌「諸君!」のアンケートに応えたこの時の思いも、現在までまったく変わっていない。 それは雷鳴のごとき啓示であり、ものすごい戦慄であった。 その日、元文学少女とおぼしき担任の女教師は、「静かにしろ」と叫ぶなり、教室のテレビを生徒に見せた。そして口を極めて三島を罵倒した。 民主主義、命の大切さ、憲法を守ることの価値を強調した。そんな教師にむかっ腹が立った。もとより命の大切さはわかっている。その命を擲って訴えたことにこそ耳を傾けよ。 詳しいことはわからなかったが、命がけで伝えようとしたことの意味を考えた。
▲事件直後、三島本を買いに走った その日下校すると、すぐに本屋に駆け込み、新潮文庫の「仮面の告白」と「金閣寺」を買った。商機に聡い書店では、一番目立つところに三島本特設コーナーを設置していた。 三島初体験となったこの二冊の作品は、ただし事件とはまったく結びつかない。むしろ三島作品を持っていることが親に知られることは、あたかも悪書を持っているのを見つかるような、後ろめたさを感じた。 学校では三島事件を題材にしたパネルディスカッションが開かれ、左翼的で二言目には米帝国主義が悪いという友人に、三島擁護の側に立つことを要請され、引き受ける。 当時、学校の中で、三島をほめる人間は一人しかいなかった。その結果、学校中の嫌われ者となり、女生徒からも後ろ指をさされ、暗い青春時代を送ることになる。 楯の会の阿部勉氏がリーダーだった「憲法研究会」がまとめた幻の三島憲法論は、三島メモを元に学生に討議させて、三島の死後に完成されたが、文体がつたなく三島本人の書いたものとは思われない。
ただし、男系を否定するという踏み込んだ問題提起を、阿部が思いつくとも思えない。この案が三島本人の考えか否かについては、今も判断に苦しんでいる。 戦後の保守、右翼は天皇の大切さをいいながら、ただ崇めているだけで、天皇の問題を真っ正面に据えて深く凝視してこなかった。 思想のメルクマークとなる、一体だれがいたであろうか。 三島は東大全共闘との討論で、「君たちが天皇と一言いえば、手を結ぶ」といった。 思想の究極において守るものとは何か。「尚武のこころ」で石原慎太郎氏と対談した三島は、最後に守るべきものの価値として三種の神器をあげて、最後は自分を守るという石原と根本的に食い違う。 石原は、三島の発言を冗談だと受けとめる。先の五輪誘致における皇室利用発言を見てもわかる通り、石原の皇室観はてんでだめである。 三島の憲法論は、九条に限定していない。それでは、米の軍事戦略に巻き込まれることになる。第一条で天皇に触れなければならないのはもちろんのこと、天皇の神聖を保証する条文を復活させなくてはならない。
この二つがセットにならなければ、日本の真の自立はない。 国家には福祉的価値と、自立的価値があるが、戦後の我が国は前者ばかりを大切にしてきた。後者の根拠こそ、天皇の祭祀であり、天皇の本質である。このことを三島は強調した。 国家元首には二種類あり、大統領のように選挙によって選ばれる者と、世襲によって継承される形がある。 また天皇は世襲君主として祭祀を行うことで、世俗君主とも区別される。国家元首+世襲君主+祭祀。これが天皇である。 福田恒存氏と対談で三島は、「お祭り、お祭り、お祭り、お祭り、それだけだ。これがぼくの天皇論の概略である」といった。 ▲葦津珍彦氏の天皇論と温度差 葦津珍彦氏は、天皇とは、天下の祀り主であるといった。その葦津から私も嘗てアドバイスを受けたことがある。 昭和55年、三島論を書きたかったがうまく書けずに「自主防衛への序説」という論文を発表したところ、その文章から三島の影響を感じた葦津から「あまり三島から影響を受けないように」と編集部に電話があった。
両者には天皇の祭祀に対して温度差があった。 葦津にとって、三島の天皇無謬論は、多神教の神道の精神とは相容れない。三島は、226の決起の根拠における正当性としての天皇、という思想を展開している。 プリーストキング説く祭司王と天皇の祭祀とは違う。 プリーストキングによって説かれる祭司とは、五穀豊穣であれ雨乞いであれ、祈願の祭りを司ることであり、その地位は不安定で権威が低い。 現世利益の獲得によって尊敬を受け、利益がなければ非難、退場、追放、さらには殺害といった運命に陥る。 旧暦2月4日に執り行われていた律令時代最大の祭祀、祈年祭においては、神祇官、大臣以下の百官、全国の神社から神主の代表が集合するものの、天皇は出席されない。 祈年祭とは、その年の五穀豊穣を祈る祭りであるため、天皇は祈年祭には関与されない。 天皇最大の祭りとは、新嘗祭である。(かつては11月二番目の卯の日)。 このお祭りの最大の特色は、収穫が所与のものとして認識されていることである。新嘗祭においては、収穫の多少に左右されることはない。
このことによって、豊饒祈願のお祭りよりも高い権威を持つ。ここでは、新穀を天照大神に献げつつ、自らも召し上がる神人共食が行われる。 新嘗祭は宮中における第一の大祭であり、宮中三殿に隣接する神嘉殿にて執り行われる。 神嘉殿は、新嘗祭を行うためだけの建物である。また御装束も普段の祭祀においてお召しになる黄櫨染御枹(こうろぜんのごほう)ではなく、白の御枹をお召しになる。 天皇御自らが御給仕をし給い、そこで使われる器は、伊勢神宮で使用される素焼きの器より、さらに古い製法を用いて焼かれる。 ご即位に際しての大嘗祭では、大嘗宮が建てられるが、この建物も樹皮がついたままの柱を使用する等、より古い時代の様式が踏襲されている。 こうした点において、天皇の祭祀がプリーストキングの説く祭司よりも、もっと高い権威を持つことが理解できる。 中国の皇帝は徳を問われ、天変地異、不作、飢饉も皇帝の徳が足りないためと捉えられた。 それは現在の共産党とて同様である。 日本では、天皇が責任を問われることはない。 天皇はもっと高い位置におられるからである。
統治者として祭祀を行い、国をしらす、公平無私のお心を持つ。 明治憲法の第一条の原案は、「大日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり」であった。これこそが古代以来の天皇の統治権のあり方であった。これは時代に左右されるものではない。 ▲石原都知事の天皇論は浅薄すぎないか 石原慎太郎氏は、産経新聞の日本よにおいて、天皇はただ祭りをしていれば良い。わざわざ被災地にお見舞いに行く必要はないといった。 宮中深く祈ればよいと、まるで三島の「英霊の声」から変な影響を受けたようなことをいっているが、例えば東京大地震が発生して、都民に大きな犠牲が出たときでも、東京都知事として天皇のお見舞いを断るのか。 国民、国家の統治者である天皇がお見舞いされることで、阪神淡路の人達は、本当に慰められ、励まされた。例え首相が100人出向いても適わない。こうしたことは、世俗の政治家にはなし得ない。 天皇は秩序の側に立ちつつ、大化の改新、建武の中興、明治維新といった歴史の節目においては、変革の側に手を差しのべた。 これら国史に留めた壮大な変革の歴史において、天皇は大変重要な役割を果たされた。
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/03(火) 11:51:05
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/24(火) 21:36:10
トピック 女優の若尾文子が三島と共演した「からっ風野郎」を回想 ************************** 大物女優・若尾文子が三島由紀夫との交遊を回想している(日本経済新聞、11月11日、夕刊)。 若尾文子は三島原作の『永すぎた春』と『獣の戯れ』にも主演した。 映画「からっ風野郎」では三島と共演した。三島がやくざを演じ、若尾はそのやくざに妊娠させられるという娘の役だった。 監督は増村保造で、三島があまりに演技が下手なので「馬鹿、駄目駄目」と何度も連呼し、「本当にあんた、頭が良いんだろうか」とぼやいた由。 増村は東大卒、イタリアの映画センター留学後、溝口健二、市川昆の助監督を経た。しかも東大法学部時代、三島とは知人だったという。 さて、作家としては天才であっても映画は別世界。それでも三島は何回も呶鳴られながら、役をこなし、映画は完成。 若尾の文章はこう結ばれている。 「撮影が終わった後、『アメリカへ行くので、若尾さん、食事をご一緒したい』とのご招待があった。芝の増上寺の前のフランスレストランで、撮影の時の話などをいろいろとした。 その記念にとこの銀の燭台に、ロココ調のテーブルと椅子の三つ揃いでプレゼントを頂いた。夕食後、赤坂のナイトクラブに行き、お酒を少し飲み、ダンスを踊った。 ちょっとぎこちなく、時々、ぶつかり合いながらの感じで踊った。そして、『これで心残りなくアメリカに発てる』と仰った」。 そして自決まで十数年、若尾は三島と会うチャンスはなかった。文字通り『ラストダンス』となった。 心に残る文章でした。 (編集部)
今日は三島の命日
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/06(日) 22:20:13
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/13(日) 16:18:27
テレビをみんなで眺めながら黙つて食事をするこのごろの悪習慣は、私のもつとも嫌悪するところであるので、 どんな面白い番組があつても、食事中はテレビを消させる。 私は一週一回は必ず子供たちと夕食をとるが、多忙な生活で、それ以上食事を共にすることができない。 子供たちの就寝時間は厳格に言ひ、大人の都合で遅寝をさせるやうなことも決してせず、まして子供のわがままで 時間をおくらせることもしない。休日といへども、同様である。 子供を連れて出れば、必ず、就寝時間三十分前には帰宅する。 子供のつくウソは、卑劣な、人を陥れるやうなウソを除いては、大目に見る。 子供のウソは、子供の夢と結びついてゐるからである。 三島由紀夫 「わが育児論」より
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/13(日) 16:22:29
一、二年前から、ミリタリー・ルックの流行を横目に見ながら、私は「今に見てゐろ」と思つてゐた。 男にとつて最高のお洒落である軍服といふものを(もちろんパロディー《替唄》の意味でやつてゐることぐらゐは 私にもわかるが)およそ軍服には縁のないニヤけた長髪の、手足のひよろひよろした骨無しの蜘蛛男どもが、 得意げに着込んで、冒涜の限りを尽してゐるのが我慢ならなかつた。 本来、赤・金・緑などの派手な色調は、ピーコック・ルックを待つまでもなく、男の服飾の色彩である。 しかしそれには条件がある。闘牛士の派手な服装が、もし彼らの男らしい死の職業といふ裏附がなかつたら、 たちまち世にもニヤけたものになるやうに、男が男本来の派手な色彩を身につけるには、それなりの条件や 覚悟がある筈である。その条件や覚悟のない男が、社会の一匹の羊であることを証明するグレイ・フランネル・ スーツを身に着けるのである。それは単に保身術、昆虫の保護色としての服装だ。しかるに軍服は昆虫で云へば 警戒色で、色は原色で、まづ目立たなければならないのである。 三島由紀夫 「軍服を着る男の条件」より
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/13(日) 16:23:16
そしてそれを着る条件とは、仕立のよい軍服のなかにギッチリ詰つた、鍛へぬいた筋肉質の肉体であり、 それを着る覚悟とは、まさかのときは命を捨てる覚悟である。アメリカでは、将軍といへども、腹が出て来て 軍服が似合はなくなると免職になるさうだ。 自衛隊に一ヶ月みつちり体験入隊をして、心身共に鍛へた大学生の集まりであるわれわれの「楯の会」では、 その一ヶ月の卒業祝に、この制服を贈ることにしてゐる。まづ中味を調べ、次に制服といふわけだ。 西武百貨店の堤清二社長の厚意が得られて、ド・ゴール大統領の洋服をデザインした名デザイナー五十嵐九十九氏の デザインに成るこの凛々しい軍服が「楯の会」の制服になつた。帽章は私自らがデザインした。 町をこの制服を着た青年が歩いてゐたら、どうかゆつくり目をとめて眺めていただきたい。 三島由紀夫 「軍服を着る男の条件」より
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/18(金) 21:03:14
生前の三島さんを語り合える人も数少くなってしまったが、いま劇場でその劇作は絶えることなく上演され、 「サド侯爵夫人」「鹿鳴館」「近代能楽集」等、舞台を通じて三島さんへの追憶にひたる機会にこと欠くことはない。 文学座を脱退した三島さんは劇団NLTを創立、一九六五年五月、「近代能楽集=班女・弱法師」を、私が 支配人をしていたアートシアター新宿文化で上演することになった。(中略) その公演の初日直前のある日、知人から電話があった。「葛井さん今夜劇場を貸してほしいんだが、映画の試写、 何分極秘裡に願います。素晴らしい人を紹介しますからお楽しみに……」と。 夜九時すぎ、白い細身のスラックスに皮のポロシャツの男性が颯爽と事務所のドアから現われた。 「三島由紀夫です。今夜はよろしく」 あとは例の破顔大笑、その夜上演されたのは、完成したばかりの映画「憂国」であった。 (中略)終了後、私は戦慄と興奮で暫く席を立つことが出来なかった。言葉を失なったまま三島さんに視線を 向けると、満足げに微笑みを湛えて見返した三島さん。これが三島さんと私の出逢いのはじまりであった。 その夜は酒場「どん底」で祝杯を重ね、ツール映画祭への出品が決った。 (中略) 「憂国」はアートシアター創立以来の大入りで二ヶ月余のロングランとなり、連日三島さんと過す日が続いた。 私にとって三島さんは友というには偉大すぎ、私は敬愛こめて「三島先生」と呼んでいた。作家としての深淵は 私には判る筈もないが、ひたすら慣れ親しんで夜の巷で遊び廻るのが常であった。 然しその交流の中で私は多くの教えを受けた。細やかな気遣いと優しさに充ちた雑談の中で、芸術、文学、 人生について貴重な話をきくことが出来た。 葛井欣士郎 「花ざかりの追憶」より
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/18(金) 21:04:10
ある時はテネシー・ウィリアムズやトルーマン・カポーティに会った印象、ジャン・コクトオ、レナルド・ バーンシュテインの話、外国の舞台、バレエ、オペラ、音楽など直にその場に居合せ、まるでその人々と 対峙しているように、生きた挿話は私を夢中にさせてくれるのであった。(中略) 夏、下田のホテルできかされた連載小説「命売ります」の荒唐無稽な仕掛けの話、焼玉蜀黍(とうもろこし)を かじりながらの深夜任侠映画、丸山(美輪)明宏さんのリサイタルゲスト出演のためトレーニングの成果を 聞かせるからと「造花に殺された船乗りの歌」の背景にふさわしい場所でと横浜埠頭まで駆り出された夜、 映画「人斬り」では付人として京都まで随行、自衛隊富士学校への面会、森田必勝君にテーブルマナーを教えると フランス料理店にお供した夜、「椿説弓張月」の舞台稽古と楯の会の国立劇場でのパレード、等々短かい歳月の間に 数えきれない程、多くのエピソードを残して、三島さんはあまりに早急に逝ってしまった。 そして遂にあの日が来た。 七〇年十一月二十五日、ニュースをきいて私は三島邸に駆けつけた。涙があふれ、唇は乾ききって唾液も 飲み込めない。到着して直ぐ何かの用で三階へと向った。そこは左右対称の円形の部屋で、壁龕には嘗て 「これがぼくの総てだよ」と指し示めされたとおり、三島さんのミニチュアブロンズ像、「癩王のテラス」の 舞台模型、外国語訳の自著群が並び、主を失った部屋は静謐に沈んでいた。 視線を移したその時、片隅のテーブルにレコードプレーヤーが置かれ、蓋が開け放たれ、そこにLPのレコード盤が 残されたまゝになっていた。私は茫然と見詰めていたが、何故か触れることをためらった。若しもあの日の前夜、 三島さんが最後に聴いた曲だとしたら…… 然し瑤子夫人も亡きいまとなっては、もはや確める術もない。 葛井欣士郎 「花ざかりの追憶」より
890 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/26(土) 22:18:07
「二・二六事件」の時に自殺した青年将校は河野大尉と、陸相官邸でピストル自殺した最先任将校の野中大尉だけである。 私はてっきり(憂国の)作者の三島由紀夫が河野大尉をモデルに作品を書いたのだと思い、三島に問い合わせの 手紙を出した。熱海の病院で、夜、河野大尉らしき若い男(の霊)と会ったことや、当時、怪我をして担ぎ込まれた 河野大尉を担当した看護婦の話も漏らさず付記した。間もなく三島から返事がきた。 「(中略)河野大尉のことは知りませんでしたが、彼の実兄から同じような手紙が来て、河野大尉が熱海で 割腹自害していたことを初めて知りました。あなたがそこの病院で河野大尉らしい人物にお会いになったあたりは 興味津々たるものがあります。いつかゆっくりとお聞かせください。 敬具」 (中略)その後、三島と何度か手紙のやり取りをしたが、私が実際に三島本人と会ったのは都内のK警察署の 殺風景な道場であった。(中略) 二人の会話では、河野大尉ら青年将校たちのことがよく話題になった。 河野大尉の実兄とも『憂国』が取り持つ縁で、時々あっているとのことである。 私が河野大尉らしい人物と会ったり、夢で会見したことは誰も本気で聞いてくれなかったが、三島だけは違った。 彼は、私が夢の中で河野大尉と会ったときのことを根掘り葉掘り聞くのである。 「うーむ、やっぱりそうか、そうだったのか」などと一人でうなずいたりした。 原竜一 「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/26(土) 22:19:35
(中略)「彼らが決起に失敗し、自刃を決意して天皇の勅使を賜りたいと願い出たときに、天皇は『死にたければ 勝手に死すべし』と冷たく突き放しているのはご承知の通りです。天皇に最も近く仕えていた侍従武官長の 本庄大将が日記に記していることなので、まず本当だったのでしょう。いかにも血も涙もないご返事で、 日本の将来を憂い、天皇を信じきって決起した青年将校たちの落胆ぶりが目に見えるようです」 日頃から青年将校たちの純粋さに憧れていた三島は本当に残念そうだった。 「しかし三島さん、日本は立憲国家なのです。信頼していた重臣たちを突然殺害された天皇がお怒りになるのは 当たり前でしょう。彼らの自刃に際して天皇が勅使を派遣されたとなると、決起を褒賞したことになります。 立憲国家の君主として当然の行為です」 常識的に別になんの疑問もないところだが、三島の考えはやや違っていた。 「総理大臣のような普通の人間ならそれでもいいかもしれませんが、日本のすべてを統括する天皇は神のごとき 存在であり、神のごとき立場で、常に冷静沈着な判断をされねばならなかったのです。 それが、『死にたければ勝手に死すべし』では、あまりにも人間の憎悪の感情丸出しで、一般の市民となんら 変わらないではありませんか。以前会った河野大尉の実兄は、そのとき天皇は、陛下の赤子が犯した罪を 死を以て償おうとしていると聞き、『そうか、よくわかってくれた。お前が行ってよく見届けてくれ』となぜ 侍従長に仰せられなかったのかと嘆いていました。 これはもう、人間の怒り、憎しみで、日本の天皇の姿ではありません。悲しいことです」 三島はそこまで一気に言うと、声を詰まらせた。 原竜一 「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/26(土) 22:20:23
…私は三島の激しい口調に反論する言葉を失い沈黙した。 「それから、ひどいのはその後の軍部のとった処置です。青年将校たちは一旦は揃って自刃を決意しましたが、 裁判で自分たちの主張を世間に発表するために法廷闘争に切り替えます。しかし、青年将校たちが最後の望みを 託したその裁判は、弁護人なし、控訴なし、非公開という日本の裁判史上まれに見る暗黒裁判でした。その挙げ句、 首謀者の青年将校十五人を並べて一斉射撃で銃殺したというんですから、とても近代国家のすることではありません」 三島の悲憤慷慨は留まるところを知らず、事件後の裁判まで話が及んだ。作家らしく感情の起伏が激しく 「二・二六事件」当時の東北農村の貧窮ぶりを語るときなどはうっすらと涙さえ浮かべていた。 原竜一 「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/16(土) 20:02:59
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/25(月) 22:15:28
895 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/01(月) 22:25:14
2.2 「頑張れ日本!全国行動委員会」結成大会
& 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会
平成22年2月2日(火) 於・日比谷公会堂
13時00分 開場
14時00分 第一部 「頑張れ日本!全国行動委員会」 結成大会
17時00分 第二部 「頑張れ日本!全国行動委員会」 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会
20時00分 終了
主催
頑張れ日本!全国行動委員会(準備委員会)
草莽全国地方議員の会
日本文化チャンネル桜ニ千人委員会有志の会
http://www.ch-sakura.jp/topix/1360.html
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/28(日) 23:40:57
事件の翌日から、あらゆるメディアはあなたの行動を醜聞として描くことに情熱を傾けることになりました。 …TVでは「右翼評論家」なる人物が高説を垂れ、政治家たちは狂気の沙汰だとあなたを批判していました。 日本共産党はファシズムに対する警戒を説き、新左翼の学生たちは唖然として言葉を喪失していたように思えます。 わたしにはそうした政治的発言のいっさいが愚劣に思えていました。わたしは書店に行って、そのとき第三巻まで 刊行されていた『豊饒の海』の連作を買い求め、十日間ほどで一気に読み終わりました。しばらくして最終巻の 『天人五衰』が刊行されると、これも勢いに任せて読破しました。(中略) わたしはここに仕掛けられた巨大なアイロニーに眼が眩む気持ちを抱きました。と同時に、自分の死後に遺された 者たちはすべからくこのアイロニーを生きるべしという、あなたの呪いめいた遺言に、さて、その呪いを どのように受け取り、自分の文脈のなかで理解してゆくことにしようかと、呆然たる気持ちを抱いていました。 四方田犬彦 「時間に楔を打ち込んだ男」より
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/28(日) 23:41:21
今から考えてみると、「豊饒の海」が最後に突入していったのは、物事のすべてが「存在の耐えられない軽さ」を生き、 ノスタルジア(懐旧)とパスティッシュ(模倣)の原理のもとに操作されてゆく、ポストモダンの薄明のこと だったような気がしています。わたしが大学生活を送った一九七〇年代は、十年間を通して、あなたの名前が 忌避され、排除されてきた時代でした。大学院の研究室でも、同級生どうしの会合でも、あなたの死のみならず、 その作品について言及することは場違いであり、できればあなたのような文学者が戦後日本に存在して いなかったかのように振舞うのが、暗黙の了解であるような日々が続いていました。日本のポストモダン社会は、 三島由紀夫の不在によって、安心して自己実現を達成したのです。七〇年代と八〇年代を代表するイデオローグであった 山口昌男と蓮見重彦を考えてみたとき、それは明らかとなるでしょう。 四方田犬彦 「時間に楔を打ち込んだ男」より
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/28(日) 23:41:47
山口はあなたが悲劇的なもの、崇高なものに魅惑されていたのとは対照的に、それらから意図的に距離を置き、 喜劇的なもの、道化的なものに焦点を当てました。そしてすべての知識が位階制度を超えて並置される地平を、 ユートピア的に実現しようと企てました。 一方の蓮見は、あなたと同じ学習院に学び、皇族と人脈的な関係をもつことにきわめて野心的な人物でしたが、 一貫してあなたを嫌っていることを公言していました。もっとも事物の表層を好むというニーチェ伝来の哲学を 喧伝するという点で、彼はあなたの屈折した後継者であったといえなくもありません。 あなたの全集が再び編集され、刊行されていなかった日記や書簡が公にされたり、…あなたの行動の全体が 次の世代によって再検討の対象となるようになったのは、二〇〇〇年代に入り、先の二人の知的扇動家の影響が 消え去ったことと、軌を一にしているのは、けっして偶然ではありません。 四方田犬彦 「時間に楔を打ち込んだ男」より
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/28(日) 23:42:26
(中略)三島さん、裕仁はあなたよりも十八年と二ヶ月ほど生き延びて、一九八九年に身罷りました。 彼が支配していた昭和という時代は、六十四年をもって終了しました。けれどもすでにそれ以前から、誰もがもはや (公文書ででもないかぎり)昭和という年号などもはや存在していなくなったかのように振る舞っていました。 なるほど昭和も三十年代、四十年代までは、それなりに口にされると実感めいたものが浮かび上がってきました。 けれども昭和五十年代というのは、たとえその表現に過ちがないとしても、もはやいかなるイメージをも人々に 喚起しなくなっていました。ましてや短かった昭和六十年代など、そう書き記してみたところで、どのような イメージも浮きあがってくるわけではありません。それは一九七〇年代、一九八〇年代という表現がいかにも 人口に膾炙しているのと、好対照です。わたしは、こうした年号の喚起力の衰退の原因のひとつは、三島さん、 あなたの割腹自殺にあったのではないかと睨んでいます。あなたは生命を賭けることで、裕仁の時間支配に 修復しようのない楔を打ち込もうとしたのではないでしょうか。 四方田犬彦 「時間に楔を打ち込んだ男」より
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/28(日) 23:42:58
わたしには、一九七〇年十一月二十五日にあなたが日本人の一人ひとりに死を送り届けることで、これまで 暗黙のうちに日本を支配していた時間の神学的秩序に、凶悪にして不吉な楔を打ち込んだような気がしてなりません。 思い出してみれば、わたしの世代は機会あるたびに、あなたが割腹をしてもう何年が経過したとか、何十年が 経過したと口にしながら、時間をやり過ごしてきたのです。死の御降臨。死の分節。 あなたによって考案された禍々しい暦が、日本の時間秩序を攪乱し、神聖なる時間の起源を禍々しい紛い物へと 摩り替えてしまうことを可能にしたのだと、わたしは考えています。 (中略)親愛なる三島さん、わたしたちはいまだにあなたの影のもとに生きています。もしあなたが今生きて いらしたとしたら、このような年少者たちを前に、また高笑いをされるかもしれません。その姿が目に浮かびます。 四方田犬彦 「時間に楔を打ち込んだ男」より
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/03/27(土) 11:33:07
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/13(火) 10:56:05
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/13(火) 10:57:17
三島ゆり子さん 最近見ないね
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/23(金) 17:31:21
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/24(土) 00:01:33
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/02(日) 09:28:12
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/28(金) 16:16:21
13 :195 ◆IyApGKf56Q :2007/02/14(水) 00:38:35 ?2BP(200)
>>10 よく知ってるねぇ。
丸山が『まあ、三島さん、ここにもパット、ここにもパット入れてぇ』っていった途端
超不機嫌になって楽屋出てったってやつだ。
>>908 それが原因で三島が肉体鍛錬したというのは、美輪明宏の思い込みか願望でしょう。
自分の言動がきっかけで三島を動かしたという自慢にしたいためのね。
実際には、三島の肉体美への願望は「仮面の告白」や、その他のものに述べられているように、
美輪明宏と知り合うずっと前からありますからね。そんなことがなくても、いずれ肉体鍛錬はやってたよ。
バッマ〜〜〜〜ん