1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
悲しくて切なくて思わず泣いてしまった話あるか?
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 02:37:30
Dr.コトー
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 02:40:13
Dr.くまひげ
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 02:41:59
Dr.マシリト
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 02:52:39
夕飯後に、凄まじい下痢になり何度も便所に行き水のようなウンコを繰り返す
やっと落ち着き就寝。昨夜の下痢の事など忘れ快適な朝を迎える。
車に乗り込み出勤。会社まで半分ぐらい走ったところで赤信号で止まる
屁が出そうになる。気合入れて屁を放出・・・・・のはずが。
ブリブリブリ・・静かにそして確実に実が出てくる。パンツは冷たくなる
「そうだ!昨夜下痢だったんだぁぁぁあああ」と思うには、余りに遅すぎた
こんな悲しくて、切ない体験をしたのは・・つい最近です・
40代で、うんこ漏らし野朗です はははん
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 03:38:24
俺はこれで泣いてしまった・・・
また、毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 04:32:24
その日は仕事が押して、夜中の12時を過ぎやっと解放された。
ちょっと気分を変え、いつもとは違うコンビニに入った。
なにせ15時間振りの飯だ、今日は思いっきり食うぞー!そんな感じで、
アイス、烏龍茶、缶コーヒー、ざるそば、餃子、サラダ、弁当、柿ピー、
食料満載のカゴをレジに突き出してやった。これぞまさしく一人満願全席。
「1963円になります、お弁当は温めますか?」
当たり前の事聞くなよ素人かお前は、そんな事考えながら内ポケットに手を・・
無い!財布が無い!そこから0.1秒で正解が口を突いて出た。
「すいませーん、やっぱ暖めなくていいです。」
怪訝そうな顔の兄ちゃんに、更にたたみかけた。
「ちょっと財布無いみたいなんで、これ戻しときますね、はーと」
そして冷たい視線を浴びながら、店内を反時計回りに一周すると
空腹感は見事に消し飛んでいました。
淀川長治が若かりし頃ある所へ講演に行ったときの話
会場を出て車に乗ろうと歩いていたら一人の少年が
「握手して下さい」と左手を出してきた
左手で握手を求める程失礼なことはない!と吐き捨て
少年を無視して車に乗り込んだ(本人曰くワシも若かった)
走り出した車のルームミラーに映る寂しそうに佇む少年が
フと目に入ったがよく見ると彼には右腕が無かった
ととと止めて下さいと運転手に叫び転げるように降りた淀川は
猛ダッシュで少年の元に駆け寄ると彼を抱きしめおいおい泣きながら
自分の非礼を詫びた。驚いた少年も一緒に泣いた。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 09:51:32
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 12:33:53
お袋:何故すぐ謝るの?
お袋:何故すぐ「お母さんなんて・・」って言うの?
お袋:何故すぐ「昔は良かった」って遠くを見つめるの?
お袋:何故すぐ、周りを気にして言いかけた言葉を言わないの?
お袋:何故すぐ、体が調子悪かったって言わないの?
お袋:何故すぐ、病院に連れてってと言わなかったの?
お袋:手遅れになっちゃったじゃない
お袋:ありがとうとうか言わないでよ
お袋:こんな小さかったっけ
お袋:45年間あなたの子供で良かったです
お袋:ありがとう
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 14:47:47
悲しくて切なくて思わず泣いてしまった話?
手間隙かけて、やっと出来上がったカレーを食べようとした時の炊飯器の
スイッチの入れ忘れに気がついた時
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 02:40:33
夫婦仲良くできず、子供(当時3歳)と3人で飯食うこともほとんど無かった。
ある日俺がたこ焼きを作って家族3人で食った。子供も嫁もなんか久しぶりの団欒だった。
みんな沢山食った。
その後、子供と風呂に入った。大量に彼は大量に吐いた。
「しんどいのか?」「風呂上がって休もうか」と俺は子供に聞いた。
子供は「うぅん。だってとうさんが作ってくれたのをかあさんと沢山食べて楽しかったんだ」
「みんなが楽しかったから楽しくて沢山食べたん。美味しかったで」
3歳の子供がこんなことを言うのかという驚きと、
その頃折り合いの悪かった嫁との関係を恥じた。子供の目にもそれが見えていたんだ。
風呂でゲロまみれの子供にシャワーを浴びせながら泣いた。
あまりに耐え切れず、その後子供を抱きしめて泣きじゃくった。「ごめんな」を繰り返した。
他の人が聞くとたわいの無い話だろけど、俺にとっては一生忘れられない話だ。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 03:05:41
泣いた
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 05:16:17
強がりはよせよ 中島みゆき
強がりはよせよと笑ってよ
移り気な性質よと答えたら
それならば唇かみしめて
なぜ目をそらすかと 問いつめて
いつからこんなふうになったのか
子供のようには戻れない
強がりはよせよと笑われて
淋しいと答えて泣きたいの
なまいきをいうなと笑ってよ
一人が好きなのと答えたら
それならこの俺の行くあてを
どうして尋ねると問いつめて
いつからこんなふうになったのか
やさしい女に戻れない
強がりはよせよと笑われて
淋しいと答えて泣きたいの
いつからこんなふうになったのか
子供のようには戻れない
強がりはよせよと笑われて
淋しいと答えて泣きたいの
強がりはよせよと笑われて
淋しいと答えて泣きたいの
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 05:47:38
「親のすねばかりかじって 早く出て行きなさい」
といつも言っていた親が、いざ私が一人暮らしをするので家を出ると言った時
には「お前が一人でやっていけるわけがない」と猛反対
引越しはほとんど一人で自分の車に荷物を積んで隣街のアパートと実家を3,4回
往復した。最後の荷物を積み終えて「じゃ、行くね」と行った時
母は怒って奥の部屋に入ったままだった。
父は傍にあったブラシを手に取り、私に持たせた。
「こんなものでも なければ 困るから持っていきなさい」と・・・。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 00:20:17
ベッドの角にいつもぶつかるのは 足の小指
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 12:39:48
離婚した時に泣いて「行っちゃやだぁ」と言ってた娘が結婚した。
正確には、結婚したらしい。お袋に向こうの親から連絡があったとの事
離婚してすぐ神奈川から大阪に転勤したから娘には1度も会っていない
そんな時に風見慎吾の娘が交通事故で死亡のニュースが流れてきた
いつもなら聞き流す芸能ニュースなんだが、やけに気になった
生きているのに1度も会えない娘。溺愛しているのにたった10歳で死んでしまう娘
自分と比較してしまうには申し訳ないが・・・・・
40歳も半ばにきた今。もう、悲しい事は勘弁してほしい。と切に思う
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 13:57:50
>>6 で、現地人の人は、純朴なので米軍に聞かれると、
日本軍の兵器の数とか、布陣とか喋ってしまうんだよね。
あかん。このスレ、涙が止まらん・゚・(ノД`)・゚・
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 17:44:24
ボスニアだか、ユーゴだかの紛争のときにフリージャーナリストが、
日本人妻の安否を確認しに行った時のニュース映像。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 20:42:49
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 04:35:46
兄ちゃん なんで蛍 すぐ死ぬん?・゚・(ノД`)・゚・
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 04:38:27
ビチビチはトラウマになる
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 06:14:25
>>22 ありがとうかぁ。
RO(ラグナロクオンラインMMORPG)の「そろそろ思い出を語ろうか」フラッシュもこの唄でしたね。
当時、嫁と別居したばかりで、仕事を終えても何もすることがなかった頃
このゲームの体験版を始めたのが始まりでした。
良い作りのゲームでもなかったですが、絵がかわいくて女の子にも人気がありました。
課金が始まれば止めようと思っていたんだけど、ゲーム内に友達ができ始めて、
とある女の子から「ゲームの中だけでもいいから一緒にいてください」といわれました。
自分が作ってるキャラも女だったし、そいつも本当は男だろうと思っていたので驚きでした。
ゲーム内では沢山楽しい事もあった。課金も予定より少し長引いたけど3ヶ月で切った。
本当は、マジで彼女が好きになっていました。20:00〜24:00はほとんどゲームで毎日彼女と過ごして。
チャットとキャラだけの付き合いは、実際の言葉を交わす恋愛より生々しかったと思います。
もっとゲームをしたいと思った。そしてそんな自分がゲームに依存していくことがすごく嫌でした。
ある日、課金を切ることを伝えた後で、「ありがとう」とお互いに言って別れました。
その後に私はそのフラッシュを見つけて。さすがに涙が止まらなくて。初めてモニター見て泣きました。
自分が思ったより彼女を好きになってたんですね。けど、決してゲームには戻りませんでした。
お互いのためだと考えてたんですが、本当はなにが良くて何が悪いんだか・・・
ただの毒男RO厨(過去)の思い出で。自己満足でした。スマセン。
もし、「ROそろそろ思い出を語ろうか」にあったフラッシュを知っている方は教えてください。
お願いします。いい思い出としてもう一度見てみたいです。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 06:42:38
俺が小学生の頃、クラスにいつもみすぼらしい服装をした女の子がいた。彼女
はどちらかというと内向的な性格で、家は母子家庭で都営住宅に住んでいた。
ある日の放課後、俺が商店街を歩いていると、寿司のテイクアウトの店で、
彼女と、同じくみすぼらしい服装をした妹が二人で寿司を選らんでいる。俺は
(意外と豪勢じゃん)とか思って、さして気にもとめず、その場を通り過ぎた。
翌朝学校に行くと、彼女に『おい、昨日妹と一緒に○○ずしにいたろう♪』と
声をかけると、彼女はいつにもなく明るい表情で『うん♪昨日はお母さんの
お誕生日だったんだ♪お母さん、お寿司が大好きだから、いつも妹と一緒に
おこずかい貯めて、お誕生日にはお寿司をご馳走するんだよ♪』と嬉しそうに
語った。彼女の母親は、二人の娘をかかえて、スーパーのレジ打ちをしている
。彼女たちは、そんな母親の苦労している姿を見て、彼女たちなりの年に一度の親孝行なのだろう。俺は今でも、○○ずしの前を
通るたびに、ほのぼのとしたような、切ないような不思議な感覚におそわれる。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 08:34:27
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 01:12:37
県外に出てがんばろう!と決め、早10年
一旦、親元を離れると親のありがたみが分かりますね;
もちろん、ホームシックにもなり最初の3年ほどは毎年帰郷していました。
ですが、だんだん都会にも慣れ、友達や彼女もできました。
今年は電話でいいかぁ・・ などなど、地元に愛着が無くなっていきました。
仕事のほうは、良くも無く、悪くも無くって感じです。
そして、10年程経った頃、結婚の話なども出てきました。
顔見せの挨拶等で3年ぶりですかね・・帰郷しました。
父親は、自分が高校の頃事故で亡くなったもので、実家には兄夫婦と母親が暮らしています。
たまにはゆっくり過ごそうと思い、3日ほど休みをもらい帰りました。
母親や兄弟、親戚と顔見せをし初日は見事に潰れました。
二日目も地元の友達と飲み酔い潰れました;夜の何時でしたかね・・・実家に帰りました。
彼女も含め母親以外寝てました;
酔った勢いで母親とまぁ、素朴な昔話ですかねぇあんな事もあったねーみたいなです。
色々話してる内に眠くなりそのままコタツで寝ました。
母親は風邪ひくよとか言ってはくれてましたが、めんどかったのでそのまま寝ました。
母親が電気を消し「私ももう寝るよ」と言い自分に毛布を掛けてくれました。
電気が消え、母も部屋に行きました。掛けてもらった毛布を頭からかぶり寝ようとしたら
毛布やコタツ、カーペット、家、総てですかね・・実家の匂いがしました。
声は出しませんが泣いてしまいました。
いつも忙しく、まともに顔すら見ていない母親の顔
何かに追われ、いつも焦っていた自分に対しマイペースな母親
いつ食べても一番うまいと思える肉ジャガ
ありがとう、感謝していますと素直に思えました。
三日目、その日は落ち着いて母親の顔を見れました。
シワ増えたなぁ・・帰る時間になり母親に見送られました。
いつも最後に言う言葉は決まってるんです。
「体には気をつけてよ」と・・・
その1年後、仕事を辞め地元で暮らしてます。
年収は減りましたが、妻も地元を気に入り子供も産まれました。
オレおばあちゃん子だったんだ
親が離婚して、父親に引き取られて
身の回りの世話、選択は祖母が全部してくれた
小学校はいる前は、遊びから帰ってきて
祖母がいないと、「おばあちゃん、おばあちゃん」って、
泣いて外を探し回る弱虫な子供だった。
小学校は気にならなかったんだけど
中学校にはいって、友達が遊びに来たとき、
祖母を見られて、恥ずかしくなったのが
きっかけで、反抗期に入る。
とはいっても、あんまり口をきかないくらいの
ささやかな、反抗。
やがて、よその県の大学にはいり
祖母が休み前になると、いつ帰ってくるのか?
って、電話攻勢にうんざり
帰ったら、帰ったで、オレにつきまとう始末。
もう、うざったくてしょうがなかった。
そんなオレも就職で実家に帰り、
そして会社をやめて独立、一人暮らしをはじめた。
相変わらず祖母の電話攻勢にうざったくも思いつつ、
いつか、祖母に「落ち着いたら温泉にいこうね」って約束していた。
でも、会社が起動にのりつつも忙しい日々で、なかなか実現せず。
30才をすぎたある日
オヤジから祖母が死んだとの電話
前の日夕食を食べて、普通に寝たらしいんだが、
朝起きたら、死んでいたらしい。
そして、通夜、葬式、あんまり涙が出なかった。
葬式の次の日、祖母の部屋に入ると、
親戚か誰かが気をつかって整理整頓されていた。
ほんとに死んじゃったんだな、、、
って、思ったら小さい頃おばあちゃんと遊んだ頃の
思い出が涙と一緒に溢れてきた
そして、その部屋で泣き続けた
その時、はじめて祖母が死んだんだって
実感した瞬間だった
そして、温泉につれていく約束を思い出して
思わず声を出して泣いてしまった。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 05:08:15
俺もおばあちゃん子だった。共働きの両親の変わりに育てられた。
そんなお婆ちゃんの口癖が「がんばれよ」だった。
頑張んない人間より頑張った方が良いに決まってる。何事にも頑張るんだ。と。
そんな婆ちゃんが死ぬ間際、病室のベッドで親戚の集まる中で俺を呼んだ
「すまんなぁ〜○○には頑張れと言い聞かせ続けてたが、婆ちゃんもうだめだ」
「人間そんなに頑張れんもんじゃ。すまんなぁ」
「な、何言ってんだよ。頑張れよ。頑張るって言ってくれよ」とその時は言った
次第に、意識もなくなり昏睡状態になった婆ちゃんを冷たい色々な機械が取り囲む
生きようとしているのか、生かされているのか判らない延命治療だった。
心の中で、婆ちゃんごめん。もう頑張らなくて良いよ。ごめん。ごめん。・・
少しして婆ちゃんは旅立った
通夜も終わり家でテレビもつけずに女房とお茶を飲んでいた。すると遠くで
「チリーーン チリーーン」と鈴の音が聞こえた。慌てて女房を見るが
何事もなかったように服を着替えている。俺の思い過ごしか。と思ったら
「チリーーン チリーーン」また、鈴の音が。今度は間違いないと女房を見る
「お婆ちゃん、行っちゃったね」こちらを見る訳でもなく女房がつぶやく
聞こえていた。女房にも鈴の音が聞こえていた
俺ら地方の風習で死者を棺桶に納める時に白装束に鈴の付いた杖も一緒に入れる
「あー、婆ちゃん、最後の最後に寄ってくれたのかな」
やがて小さくなる鈴の音に万感を思い泣いてしまった。
今でも女房と話す。この現代で非科学的な事だし。聞こえたのが幻でも思い込みでも
どちらでもいい。ただ、子供には事あるごとに言ってる言葉がある・・。
「頑張れ。取り合えず 頑張ってみろ」と。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 05:49:27
ホントの話しなら。世の中捨てたものじゃないな。
( つω´)て、てやんでィ、目にゴミが入っただけでィ
33 :
○八:2007/01/21(日) 05:52:48
泣けた
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 05:55:49
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 06:05:56
ホント神も仏もいないな!!
クソ
36 :
大槻教授:2007/01/21(日) 06:19:34
世の中に科学で証明できないものなど
あるはずがない。
鈴の音は奥さんが隠したへそくり銭の音でしょう。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 11:31:47
良い話・泣ける話は釣りである。
某出版社幹部 談
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 01:57:22
うちの父方のじぃちゃんは、亡くなる前の日
散歩途中に会った近所の人に声をかけて
あんたは若い時に死んだ妻に似ていると言ったそうだ。
父に言わせると、その人は全然似てなかったらしい。
ばぁちゃんが迎えに来ていたんだなぁと父は言ってた。
偶然かもしれないけど
そういうのあるのかもなぁと思ったよ。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 02:43:34
憑依だよ・・。怖い話ではなく、体験した人じゃなきゃきっと信じられないだろうけど、
誰かの霊が、(亡くなった人でも生きている人でも)念が強い場合、誰かに憑依して意思を
伝えようとする その時まったく似ても似つかない人の顔が亡くなった人の表情に見えることがある。
憑依
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 15:20:40
もう20年以上前の事でオンボロアパートで一人暮らしをしていた時の事だ
安月給で金は無かったが無いは無いなりに何とか喰ってはいけた。
隣の部屋には50代くらいのお父さんと小学2年生の女の子が暮らしていた
お父さんとは会えば挨拶する程度だったが娘の陽子ちゃんは仕事から帰ってくると
いつも共同スペースの洗濯場で洗濯をしていたので。会う機会も多く良く話はした
いつだったか、夕方「今日もお父さん遅いの?」「うん」などと会話をしてたら
俺の腹が「グーー」「あれ?お兄ちゃん、お腹空いてるの?」「まあね」
「ちょっと待ってて」と言うと部屋に入り、まもなくして 形の「いびつ」な
おにぎりを持ってきてくれた。味も何も無いおにぎりだったけど俺は「ありがと」
と言って、たいらげた。
それから彼女と会わない日が続いた。どうしたのかな?と思う程度で気にはしなかった
ある日、仕事から帰ると救急車が止まっていた。何だ何だと覗いてみる
「何かあったんですか?」駆けつけてた大家さんに聞く。「無理心中だよ」
「まいったよ、よそで死んでくれれば良いのに」と吐き捨てるように言う
やがて救急隊が担架を運んでくる。顔までかけられた毛布がすでに死んでいるのを物語る
あれ?担架に納まる身体が小さい。子供?ま・さ・か・・・。
後から判った事だが、お父さんは病気がちで仕事もできず。ガスも水道も止められていたらしい
最後の電気が止められる時、事情を聞きに市役所の職員が大家さんと訪問して
事件が発覚したそうだ。食べる物も無く米どころか食品は何も無かったそうだ
「あれ?お兄ちゃん、お腹空いてるの?」その言葉が脳裏に浮かんでくる
あの時すでに食べる物はもう無かったんじゃないのだろうか?
たまたまお腹を空かしてた俺を、可愛そうと思い、あの小さな手で一生懸命おにぎりを
作ってくれたんじゃないだろうか?自分の食べる分も無いのに・・・・。
自然に涙がこみ上げてきた。やるせなかった。
その後、間をおかず引越ししたが。今でもあのアパートの近くを通ると思いだす
かわいそうに
無理心中のニュースを見るたびに
死にたければ、自分だけ死ねよ
って、思ってしまう。
残された子供は、施設とかでも
ちゃんと、育つだろうに。
まあ、人間思い詰めると
こうなるかもしれないけど。
42 :
sage:2007/01/22(月) 22:38:05
子供の未来まで摘み取ってしまう権利なんて無いはず・・
>41 の言う通り思いつめて、普通の神経では無いと思うが。
すいません。「sage」の場所を間違えてしまいました。コテハンではありません
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 10:51:33
45 :
名無し:2007/01/23(火) 17:26:17
場違いかなぁ・・・40代だから良いかと・・・・・
長男の小学校時代だから、今から15.6年前になるのかな?
学校で自然体験の校外授業が有って、魚釣りをするから各自釣竿を持ってくるように
って通知があったんだ。
その頃は貧しくて、忙しくてとても釣竿を買ってやるなんて、余裕も頭も無かった
家の傍に竹やぶがあったのを思い出して、適当な竹竿に子供の拾ってきた
釣り糸をつけて 「ホラ、これもってけ!」・・・・・・
随分時間が経ってから、子供の親の仲間に聞いた「あの日、変な竹竿の釣竿持って来ていた子供が居たらしいぞって」
池の土手でかなり皆に囃し立てられて馬鹿にされたらしいって・・・・・・・
「僅か1500円くらいの釣竿買ってやれば良いのにな」・・・・・・
自分の子供の事だと直ぐに解ったけれど、顔を上げる事も出来ずにその場を離れた・・・
考えてみればその後も何回か、釣りの授業はあったみたいだけれど、アイツは
何も言わずに釣竿を担いで学校に行ってくれていた・・・・
アイツなりに気を使ってくれてたんだなって、その時に心から泣けた・・・
孫が出来たら父親の分まで俺が可愛がってやるぞって!思ってる
つ; ω・`)
つ; ω・`)
; ; いい子だ・・・
うちの子どもは2人居るが性格は正反対に近い。
おっとりとした兄と自己主張の激しい妹。
そのうちの兄が小学生の頃(10年以上前)の思い出話だ。
当時「バラ色の珍生」が流行ってた頃。
毎度毎度エンディング近くになると「生き別れのご対面コーナー」
紳介が泣けるコメント連発、徳さんが涙を振り絞ってた。
その時は娘しか観てなかったが、ぽろっと言ってしまった。
「お前のお父さんも、産んでくれた母親の顔知らないんだよ」
「えーー?!じゃお父さんもバラ珍出れるやん!すごーーい!」
妙に興奮する娘。けどまぁこんなもんだろの反応だった。(そう思った)
後日。今度は娘が観ておらず、息子が憮然と隣で観ていた。
息子にも同じ事を告げてみた。
「えっ・・・?」息子絶句。
何も言わないので深く考えずテレビを観ていた。
ふと気がつくと、息子はヒザに顔をうずめ息を殺していた。
咄嗟に、なんて事言ってしまったんだろう、と物凄く後悔した。
今はヒゲ面も濃いめのおっさん顔になった息子。
しかし自分の中では、父親が可哀想だと泣いた、
あの頃の息子がどこかにいると感じる。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 11:16:04
良スレあげ
いい子ばかり登場するから涙がとまらん・・・
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 17:34:18
最近涙腺弱くてよぉ。みんなのうたの「根っこ君」聴いていて
泣いちゃうんだよなぁ。
笑え
751 本当にあった怖い名無し 2005/08/12(金) 13:00:53 ID:0HvtL9dN0
去年のちょうど今頃の話なんだが。
仕事の関係で俺はほとんど日本にいなかった。
で、六ヶ月振りに日本に帰って来たんだよ。
帰ってきた港の直ぐ近くに祖母と叔父夫婦が住んでる家があったんで、土産持ってな。
んで、いつも通り「おいばばぁ!今年の夏は暑いけどくたばってへんやろなw」とか言いながら家に入った訳。
でも祖母の返事が返ってこない。いつもなら「お前こそ死んだと思ってたわwwww」とか笑いながら出てくるのに。
で、代わりに出てきたのが叔父。「ばあさん、3月に脳梗塞で・・・」って突然言われたんだよ。
慌てて祖父の仏壇のある仏間に行ったら、祖父の遺影の横に祖母の遺影が。
俺もう、大声出して泣いたのよ。祖母は大好きだったのに、その死に目にも会えなかったのかよってな。
そしたら、突然祖母の声が聞こえたんだよ。
「○○(俺の名前)、うちが死んだら笑ってやるって言ってたやないか!笑え!」
ってな。一緒にそこにいた叔父夫婦もしっかり聞こえたらしい。
もうそこからは俺も叔父夫婦も大笑いしながら大泣き。
滲んで良く見えない視界の隅で、祖母の遺影が笑ったような気がした。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 12:46:11
さかまく波とキラメク空がガンバと仲間をうちのめす
旅はもうこれまでだ。冒険を打ち切ろう。けれどもガンバは指さした小さな島を
カモメは歌う 悪魔の歌を 帆柱に朝日は昇る
けれど夕日は、オマエと仲間のドクロをうつす
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 12:49:18
足元に絡みつく 赤い波を蹴って マシンが叫ぶ 狂った朝の光にも似たぁ
ワルサーP38 この手の中に 抱かれた物は 全て消え行く さだめなのさ
ルパン3世 ルパン3世 フィイイイイイイ
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 12:53:33
何にも無い 何にも無い まったく何にも無い
生まれた 生まれた 何が生まれた 星が1つ 暗い宇宙に生まれた
星には夜があり そして朝が訪れたぁ
何にも無い大地に ただ風が吹いてたぁ 吹いてたぁ
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 20:22:58
宋文洲:捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと
→
http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz07q1/523557/ 1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。
赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。
最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。
「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。
独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買うお金もないため、赤ちゃんはお粥で大きく育てられました。
病気がちな体は心配の種でしたが、聡明で近所からとてもかわいがられたのは、お父さんの救いでした。
女の子は5歳になると、自ら進んで家事を手伝うようになりました。
洗濯、炊飯、草刈りと、小さな体を一生懸命に動かして、お父さんを手伝いました。
ほかの子と違ってお母さんがいない少女は、お父さんと2人で家をきり盛りしました。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 20:23:59
●突然押し寄せた不幸
小学校に入ってからも、少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした。
習った歌をお披露目したり、学校での出来事を話したりと、お父さんを楽しませました。
そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。
2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらない状態になりました。
足にも赤い斑点が出たため、お父さんと病院に行くと、医者に告げられた病名は「急性白血病」でした。
目の前が真っ暗になりながら、お父さんは親戚と友人の元に出向き、借りられるだけのお金を借りました。
しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円です。
中国よりずっと裕福な日本でも、庶民にとっては大金になるような治療費を、中国の農民がどうにかできるはずもありません。
集めたお金は焼け石に水でした。
かわいい我が子の治療費を集められない心労からか、日々痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。
「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。
もういいから、退院させてください」と。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 20:24:55
●自ら治療を放棄すると退院
お父さんは少女に背を向けて、溢れ出た涙を隠しました。
長い沈黙の後、「父さんは家を売るから、大丈夫だよ」と言いました。それを聞いて、女の子も泣き出しました。
「もう人に聞いたの。お家を売っても1万元しかならないのでしょ。治療費は30万元ですよね」と。
6月18日、少女が読み書きできないお父さんに代わって病院に「私は娘への治療を放棄する」との書類を提出しました。
彼女はまだ8歳でした。幼い子につらい思いをさせてしまったことを知ったお父さんは、病院の隅で泣き崩れました。
そして娘を救うことのできない自分を恨み、運命の理不尽に怒りを覚えました。
娘は生まれてまもなく実の父母に捨てられたうえに、貧乏な自分と1日も豊かな生活を経験したことがありません。
8歳になっても靴下さえ履いたことがありません。
それでなくてもつらい人生を歩まなくてはいけなかったのに、さらに追い打ちをかけて病に苦しめられるとは。
退院して家に戻った少女は、入院する前と同じように家事をし、自分で体を洗います。
お父さんに、自分は勤勉で、かわいく、そして綺麗好きな娘として記憶に残してほしい。
そう願いながら、1つだけお父さんに甘えました。
新しい服を買ってもらい、お父さんと一緒に写真を撮ってもらったのです。それもお父さんを思ってのこと。
「これで、いつでも私のことを思い出してもらえる」と。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 20:25:49
●70万元の寄付が集まり、治療を再開
ささいな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気は心臓に及び始め、ついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました。
苦痛から、学校に向かう小道を、1人カバンを背負って立ち尽くすこともありました。そんな時には、目は涙で溢れていました。
少女の死が近づいたころ、ある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました。
少女の話はたちまち中国全土に伝わり、人々は彼女のことで悲しみ、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。
女の子の命はもう一度希望の火が灯され、彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました。
化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。
ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 20:27:07
●訪れた運命の日
2カ月の化学治療の間に、何度も生死をさまよいましたが、腕のよい医師の力もあって、一時は完全回復の期待も生まれました。
しかし、…。やはり化学治療は、病が進行し衰弱していた少女の体には、無理を強いていたのです。
化学治療の合併症が起き、8月20日、女の子は昏睡状態に陥りました。朦朧とした意識の中で彼女は自分の余命を感じます。
翌日、看病に来た新聞記者に女の子が遺書を渡しました。
3枚もの遺書は彼女の死後の願いと人々への感謝の言葉で埋め尽くされています。
8月22日、病魔に苦しめられた女の子は静かに逝きました。
少女のお父さんは冷たい娘をいつまでも抱きしめ涙を流しました。
インターネット上も涙に溢れかえり、彼女の死のニュースには無数の人々がコメントを寄せました。
8月26日、葬式は小雨の中で執り行われました。少女を見送りに来た人にあふれ、斎場の外まで人で埋まりました。
女の子の墓標の正面には彼女の微笑んでいる写真があります。写真の下部に「私は生きていました。
お父さんのいい子でした」とあります。
墓標の後ろには女の子の生涯が綴られてありますが、その文面の最後は
「お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる」と結ばれています。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 20:29:26
●殺人は微増にとどまるが…
紹介した話は、僕が中国で旅している間に偶然に耳にしたものです。
詳細に興味を持つ方はどうぞ僕のブログ(
http://bsou.seesaa.net/article/31943569.html)をご覧ください。
セレブの奥さんが夫を、医師を目指す兄が妹を、バラバラ殺人する事件が相次いで報道されたり、息子が父親のしつけに耐えられなくなり、母親と幼い兄弟を放火殺人してしまったり、とここ最近、家族同士の殺人事件のニュースを聞かない日がないくらい増えています。
家族同士の殺人事件は、今に始まったことではありませんが、どうも最近はこれまで以上に凄惨になり、数も増えている気がします。
2006年版の警察白書によれば、刑法犯で警察が被害届を受理した件数(認知件数)は2001年度に273万5000件だったのが、2005年度には226万9000件と減り、殺人事件は同じく1340件が1392件と微増、放火は2006件が1904件と減っています。
検挙件数で見ると、殺人は1261件が1345件と、これも増えてはいますが、目立って増えているわけではありません。
白書の統計の中で、家族間の殺人がどのようになっているのか分からないので、凄惨な家族殺人が増えているというのは単なる印象論なのですが、どうも現代の日本は、家族の絆や生命の重みを大事にする気持ちが、薄まりつつあるのではないかと感じます。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 20:30:23
●カネや国に頼る前に、必要なこと
もちろん勘違いだとは思いますが、そう感じるのは「カネ」さえかければ的な議論が先行し、何をするにしても基本である人の気持ちが置き去りにされているようだからです。
例えば、現在、安倍内閣が掲げている教育再生や少子化対策などの是正の議論の中では、必ずといっていいほど、国が対策を講じず、必要な予算をつけなかったから「学校が荒廃した」「子供を産めない夫婦が増えている」というものがあります。
カネがないからダメになった、という意見に、僕は素直に賛成できません。紹介した中国の少女の家庭は貧乏だったけれども、少女を優しい思いやりのある子供に育てました。
お金はなかったですが、少女には夢があり、家族愛が育まれました。
この少女が生きた四川省の農村部では、1人当たりの年間現金収入は1000元(約1万4000円)も届かないと聞いています。
ですから治療費の30万元というのは、年間収入が500万円の人が15億円の治療費を負担するようなものです。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 20:31:13
●思いやる心がない社会の寒さ
少女の話がまたたくまに中国全土に広がったのは、中国も最近の経済発展でカネがすべてという退廃した空気が充満し、そして日本をはるかに凌ぐ格差社会の実態があるからだと思います。
少女の話からお金よりも大事にしなくてはならないものがある、いくらお金があっても得られないモノがあるのだということに気づかされ、それがなんの見返りもない寄付という形になったのだと思います。
お金は、あることに越したことはありません。予算もそうです。
教育再生、格差社会の是正に限らず、どんな改革を実行するのにも、予算は少ないより多い方がましです。
しかし、お金をかければ、必ずいい結果が出るものでもありません。
学校が荒れているのは、教育予算の規模も関係しているかもしれませんが、僕には家族が、人を思いやる心を子供に与え、教えていないことに根本の原因があると思えます。
もちろん家族だけが人を思いやる心を教えるものではありません。家族が教えられなくても、教師、地域、仲間が代わりを務めることもあるでしょう。
暖冬の中、寒々しい話をたびたび聞くにつけ、心のぬくもりについて考えてみました。
※作者のブログ。
http://bsou.seesaa.net/article/31943569.html
泣けた、、、、
去年の7月に従妹がなくなった。まだ34歳だった。
不妊治療でわかった子宮ガンが、治療にもかかわらず
一年余の間に、複数の臓器に転移していた。
死の一月ほど前から、緩和ケア・
ホスピスケアのできる内科医院にはいった。
体を動かすのもようやくだった彼女が、
回診のときに、ベッドから起き上がって医師に
向かっていったという。
「先生、私、どうしても生きたい。まだやりたいことがたくさんある。
私、どんなにたいへんでも頑張りますから、よろしくお願いします」
その日の夕方から彼女は昏睡状態におちて、帰らぬ人となった。
ある日カーラジオで聞いた人生相談
相談者(60代女性)
「2年前の娘の死の悲しさを乗り越えることが出来ない。こんなことじゃいけないと
街に出るが、似たような背格好の後ろ姿を見かけるとハッとして後を追ってしまう。
見失ってからやっとなんてバカなことしてるんだと自分が嫌になる。
人にも会わなきゃと趣味のサークルに入ってはみたが何気ないひと言にひどく傷つくこともある。
相手に悪気は無いと分かっているが悲しくてしょうがない。早く乗り越えるには
どのように生きたらいいのでしょう。」
回答者(80代医師)
「奥さん、あなたよく電話してくれた。俺も20年前に娘亡くしてるんだよ、だからあんたの気持ちは
痛いほど分かるさ。『あんた医者のクセに自分の娘の命も救えないの?このヤブ!』『なんだと!?
テメー言っていいことと悪いことがあるぞ!』って女房と不毛な喧嘩繰り返してボロボロになってた
時期もあったな。自分の子供亡くすくらい悲しいことないよ。ちょっとやそっとで乗り越えられるもん
じゃない。悲しけりゃ泣きゃいいし、外にでたくなきゃ家に居なよ。『ひにちぐすり』ってよく言ったもんで
長い間かかるけど時間がゆっくりゆっくり治してくれるんだよ。だから決して焦っちゃいけないよ、いいね分かったね」
運転しながら泣けた
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 18:35:52
あまりに簡単に自ら命を絶つ若者が多すぎる
もっと、先に子供を失う親の視点から。残される物の視点から見た
ドキュメント番組なり、ドラマなり映画なり作ってくれないかと切に思う。
親の心は親にならないと絶対に判らない!と良く言うがその通りだと思う
無関心と放任主義と子供に遠慮する親が多いのも事実だ。
とにかく自殺だけは・・・・やめてほしい。
子供は社会をうつす鏡だよ
子供が絶望感を持つのは、
今の社会と大人の責任。
だから自殺は仕方ない こんな世だから仕方ない
今の社会と大人の責任だから 自殺は仕方ないですか そうですか
止められませんか そうですか
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 19:11:34
いらいらするスレだな 終わり
上司が3年間交際した末にバツイチどうしで再婚した。
嫁さんには小学校低学年の連れ子が居た。
時々、この娘がなつかないんだよなあ、とこぼしていたものだ。
それでも幸せそうな結婚生活を送っていたが、嫁さんが白血病になり
一年とたたぬ内に、父と娘を残し鬼籍に入ってしまった。
葬儀も終わりに近づき、喪主を務めた上司が挨拶を終えた。
それから、傍らで目を真っ赤に腫らす娘の背中を押すと、
「皆さんに御礼のご挨拶しなさい」
と小さく言った。 娘は小さな手で顔を拭うと、
用意してきた原稿をはっきりとした口調で読み始めた。
「ほんじつは、おいそがしいなか、ははのために
おあつまりいただき、ありがとうございます。」
上司は口元を真一文字に結んだまま、震えながらただただ上を見つめていた。
俺はもう涙が止まらなかった・・・
他人同士が親子になっちまったか・・・
幸せになってもらいたいな。
ガンバレ 親子〜!
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 14:24:13
何か・・・40歳を越えたら 涙が我慢出来なくなっちまった
日本語おかしいかな?すぐ泣いてしまう
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 15:51:59
私事ですが。
私と彼はこの40板のスレで知り合いました。
彼のライブに行ったのがきっかけです。
もう一昨年の夏の事です。
今は彼は私と暮らしています。
私は生まれた時から父と腹違いの姉の暴力に有って来ました。
服も買って貰えずいつも同じ服装で学校でもイジメられていました。
母も毎晩父に殴る蹴るされていました。
その父はもう18年前に肝癌で死にました。
姉とは殆ど連絡をとっていません。もう甥も大学を卒業しました。
私は父が亡くなった後に鬱病になりました。
それでも年老いた母と暮らしていく為に働き続け、病は益々悪化して行きました。
そんな時2ちゃんの存在を知りました。
最初は怖かったしメンヘル板ばかりに行ってました。
40板い行った所で皆さん結婚されてて話しが合う訳ないと思っていました。
でも何かの拍子にここへ来てみました。
そこで「オヤジバンドですが今度ライブをやります。」というレスを発見しました。
その頃の私は家から一歩も出れない生活が続いていました。
それなのに彼にレスに「ぜひ伺いたいから場所と時間を教えて下さい」とレスしていました。
そして数年ぶりに1人で電車に乗りました。
冷や汗が顔の化粧を流してしまい乗り換えの階段では足がガクガク震えていましたが
なんとか会場に着きました。
それから彼との交際が始まりました。彼は鬱病の私に気を配ってゆっくりとゆっくりと
時間を育んでくれました。
彼も両親の店が倒産して借金を背負って必死に働いている人でした。
ギャンブルに溺れた事も有ると打ち明けてくれました。
そして彼も小学校の6年間イジメに合っていたと知りました。
何度も自殺を考えたと話してくれました。
彼の両親は私が鬱病が完治していないので結婚には反対しています。
でもコツコツと2人でお金を貯めてこの秋に彼は家の近所に越して来て
2人の生活をスタートさせる予定です。
私の鬱も大分良くなってきています。
籍をすぐ入れる事は出来ませんがいつか彼のご両親にも分かって欲しいと思っています。
もしダメでも2人でこの先も生きて行くつもりです。
先日彼が、私に何か有ったら自分が命を賭けて守るから。と言ってくれました。
私はあなたの命以上に大切なものなど有りません。だから命を賭けるなんて言わないでといいました。
彼はありがとう、と言って泣きました。私もオイオイ泣いてしましました。
彼も苦しい道を1人で闘って来た人です。
私はそんな苦しい思いをしてきた彼を、そしていつも精一杯私を愛してくれる彼を絶対に幸せにしようと誓いました。
今、色々な事で辛い思いをしてる人も沢山いると思います。
でも私たちのように40半ばになってやっと幸せになれそうな気がしている人間もいるのですから
どうか希望を捨てずに生き抜いて下さい。
必ず必ず良かったと思える日が来るはずですから、それまで諦めず投げやりになったりしませんように・・・。
40代、足を踏ん張って唇かんででも顔を上げて生きていきましょう。
長々と失礼しました。 ここの板に人が報われる事を信じて私も彼も生きていきます。頑張りましょう。。。
もう、頑張らなくて
いいんじゃないかな?
彼はそう言ってる気がするんだけど。
幸せって、頑張らなくてもいいって
意味もあるような気がします。
意味不明な書き込みでごめんなさい
なんとなく読んでたら、そう思いました。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 16:25:40
今まで生きてきて・・・
どうにもならない事もある
どうにも出来ない事もあった
今一歩の勇気が出せない事もあった
今やれば良いのにやらずに出来ないままの事もある
後悔の連続だ。それでも・・妻がいて子供がいて些細な幸せもある
今が良いのか悪いのか判らないが、ようは自分の気持ちの持ちようだと思う
他人から不幸せに見えても何でも、自分が幸せと思ってればそれで上出来
>>13です。結局嫁とは別れたんだけど・・・長男の話
悲しい話ではないけど、チラシの裏の話だけど・・・書きます。ごめん。
父が22日(月曜)に亡くなった。67歳だった。
病気も無くあまりに急だったが、本当に自分の思い通りに生きてきて、
母や私たち兄妹は、殆どいい思い出などなく、「これだけ自由に生きてきたんだから67でも大往生だね」と話していた。
それくらい酒も女でも自由に生きてきた人だったから、なんだかホッとしていた。
本当に喪主というのは大変だった。
何から何まで決めなくてはいけないし、弔問に来る人たちの相手もしなくてはいけない。
忙しいし生前の父の事を考えると、悲しみなど湧いてこない1週間だった。
元嫁と住んでいる中2の長男が葬儀に参列し、昨日また線香を上げに来た。
そこで、長男が「とうさんはじいちゃんに何を教えてもらったん?」と聞いた。
「そやなーじいちゃんは礼儀にだけは厳しかった。お前も礼儀にだけは気をつけろよ」と言うと
「僕もとうさんとは別に暮らしてるけど、とうさんから教えてもらったことちゃんとしていくからな」
と言いやがった。
そこまでは良かったが、お茶とお菓子を食べ、帰る時に彼は母親(ばぁさん)に向かって
「ばーちゃん、また弟をつれて遊びに来ます。じいちゃんの墓参りのときは呼んでください。とうさん、頑張ってな」
と頭を垂れやがった。
いままで、そんなことはまだきっちりできない子供だと思ったのに、
まだまだ子供の挨拶程度しかできないと思ったのに、いつの間にか大人になっていた。
子供に「頑張って」と言われ、「おぅ」と返事を返した瞬間に涙がこぼれた。
自分の子供が成長した嬉しさと、父親に「こんな立派な孫になったぞ」と見せられた気がして泣けた。
親が死んだ時にうれし泣きってのもおかしな話だけど、誇らしくって泣けたー
ええ子やね
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 04:47:08
>>78 親は無くても子は育つ。
きっとあなたの分までしっかりして母親を支えているのでは?
生きてく道は違えども親子は親子。疎遠になりがちな不安定な関係な親子だけど
事あるごとに会って、何気ない話でも良いのでしていってくださいな
ええ子やね、ほんと。父親もええ父親だったんだ、きっと。
誇りもっていいよ。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 22:27:20
長いスレばかりだな 退散
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 00:23:12
胃が調子悪いな 大田胃酸
え゛なに?
この板で知り合った香具師と・・よろしくやってるか・・むむ。
あるんだなぁ〜そんな美味しい話しも・・
当方随分長い間おりますが・・そんな浮いた話しはちーともありまへん。
泣ける話だ・・ボソ。
( つω´)て、てやんでィ、目にゴミが入っただけでィ
夏、『8時だよ全員集合!』、網戸、蚊取り線香の匂い、鰹節とネギの乗った冷奴、
汗をかいたラガービールの瓶、若かった頃のランニング姿の親父、台所のお袋が
水を流す音、笑い転げる弟、ポンコツテレビから外れたチャンネルのノブ、
バスクリンの匂い、みんなの笑顔。
昭和の空は今よりも果てしなく青かった。
そして、夕焼けは今よりも優しくてまぶしかった。
僕らはそんな時代に少年期を過ごし夢の途中の真っ只中にいた。
何かに疲れた時、このスレに来ればいいのさ。
まっすぐに前だけを見て綺麗な瞳をしていた、あの頃の自分が出迎えてくれるから。
おやすみ。俺達に幸あれ!
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 23:40:40
何故?あの時一言「好きだ」と言えなかったのか・・・・。と
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 02:26:33
まだ小学校にも上がらない頃、母親に手を引かれて歩いてた。母親が泣いていたのを覚えてる。
父親は本当にわがままで、死ぬまで酒と女に忙しかった男だったので
多分そのときも、女の所に服でも届けてた帰りだったんだじゃなかったのだろうか。
死んだときに「若いけど大往生だったね」と言われる中で
涙さえ見せなかった母は「やっと自由になった」と俺に言った。
母親の人生を考えると、すごく切ない。
>>88 不謹慎かもしれないが「若いけど大往生」って
どういう死に方をされたのか、少し気になった
周囲にそんな風に言われるってのは、憎まれてはいなさそうだね
それとお母様との夫婦の問題は別だけど
あなたはお母様を大切になさって下さいね
好きなことを好きなだけやって死んだのだから、とそういう言い方をする時もあるよね。大往生。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/13(火) 05:06:57
1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★[
[email protected]] 投稿日:2007/02/13(火) 00:20:45 ID:???0
★浴室での80代夫婦死亡、夫は水死・妻は凍死…大阪
・大阪市住吉区墨江の無職男性(82)方の浴室で11日夜、死亡しているのが見つかった
男性と妻(81)の死因は、大阪府警の司法解剖の結果、男性は水死、妻は凍死の疑いが
強いことがわかった。
調べでは、男性方は2人暮らし。男性は今月6日ごろ、妻は10日午後に死亡したと
みられる。妻には認知症の症状があったといい、同署は男性が死亡した後、妻が
そのまま浴槽に入ったとみている。
2人は11日夜、水が入った浴槽に、裸で折り重なった状態で見つかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070212-00000511-yom-soci
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/13(火) 08:41:38
>>91 ここ数日大阪は暖かかったのに凍死って辛すぎる。
誕生日だったけど朝からちょっと鬱っぽかった。
ここに来て涙いっぱい流したらちょっと頑張れる気がした。
ありがとう。
>>91 今朝ニュースで知ったが 悲しい話だね
きっと奥さんはダンナが好きだったんだろうね
合掌だ
旦那の死後3日ほど風呂に入ったままだった様だ・・・・
合掌
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/13(火) 18:26:38
>>92 Happy Birthday to you!
ちょっぴり切なくなるスレだけど
他人事で涙できるあなたの心は潤い豊かでピカピカだと思う
よい年になるといいね
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/13(火) 22:31:07
>>96 あなたの優しさにウルウル来たよ。ありがとう。
>>97 ROMの中にも応援しとる奴いっぱいおるって!
事情は知らんけど頑張ろまい
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 22:42:37
2年前の夏、親父が死んだ。
俺が2歳のころに離婚して、それからは再婚もせずたった1人で俺の世話をしていた。昼ドラの嫁姑関係みたいな親戚しかいないこの血族じゃ、預けたくもなかったそうだ。
高校を卒業しても働こうとしなかった俺に「バイトぐらいしろや」とか言ってたけど、ずっと反抗期だった俺がそんな話に聞く耳なんて無くて。
バカみたいに甘かった親父は黙ってる俺見て「しまった」て顔して。
なんだかんだで俺が成人する年、「成人式にはいいスーツ作ってやるからな」なんて言って。その数ヶ月前にリストラされたのに、そんなこと気にしないって顔で振舞って。なんとかその歳の3月に再就職。したはいいけど、苦手なセールス関係。
なにをどうしたらいいのかわかってない親父に「無理すんなよ」とか言いたかったけど、照れくさくてそんな事言えなかった。
その年の7月12日、その3日前から体調崩してた親父が吐血。そのまま病院へ。
7月末には体調良くなって、「8月中に退院だな」なんて言ってたのに、8月20日にそのまま病院で永遠に寝てくれやがりました。
前日にメールで「明日ちょっとやってもらいたい事あるから、早めに病院来てくれ」て書いてたじゃんか。
もう何すりゃ良いのかわかんないじゃんか。もう顔見れないじゃんか。もう「ありがとう」って言えなくなったじゃねぇか。
泣きふさいで引き篭もって皆嫌いになって。
あれから2年。できちゃった婚でもうすぐ1歳を迎える娘は、どことなく親父に似た愛想笑いをして、周囲の皆に笑顔をくれてます。
アンタもそっから見てますか? アンタも笑ってくれてますか?
ぶっちゃけ20代なんだ、俺。
シャシャリ過ぎた、ちょっと吊ってくる。
子供がいるなら大事にして命をつなげ。それが一番の親孝行だ。
自分は実母が病弱だったから、生まれてすぐに母方の親戚に預けられた。
姪の子供なんてピンと来ないだろうに、初孫としてバーちゃんは可愛がってくれた。
バーちゃんも病弱だったから、記憶にある姿は横すわりして笑っている所だけだ。
抱っこもないし、おんぶも無かった。でも本当に可愛がってくれて、何もしなくても安心できた。
寄り合いが有ると必ず頼まれるほどの寿司の名人で、縁側で酢飯を作り始めるともう我慢が出来ない。
「バーちゃん、バーちゃん!!」
しゃがんでピコピコはねると、「ほいよ〜」と一口だけ押し込んでくれた。
それで十分満足して、外に飛出して友達と暗くなるまで遊んだ。
親元に戻っても毎年泊まりに行ってたけど、さすがに高校に入ると少し疎遠になった。
そうしたら「もう駄目かもしれないから来て」って姉ちゃん(娘さん)
から連絡がきた。
病院のベッドのバーちゃんは信じられないくらいにギロギロに痩せて横になっていた。
もう孫の顔も分からない、と姉ちゃんが言ったのに、「来たよ」と言ったら自分を見た。
「分かってるんだ」と姉ちゃんが言った。
あまりのショックで声も出ないし身じろぎも出来ない。こわばったままの顔を
バーちゃんは何と思っただろう?
それからすぐ、バーちゃんは他界した。
何年かしたある日、鏡を見ている時に、何気なく目尻を引っ張って垂れ目にしてみた。
「あれ?バーちゃんの顔?」
自分は父親似だと思っていたのに、ちゃんと同じ血をひいていたんだよね。
今、何がどうって訳ではないんだけど、なんとなくもやもやした時には
炊き立ての飯に酢をうって、あの時のバーちゃんの味を思い出す。
確実に自分の中にバーちゃんは居る。それでいいと思っている。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 22:14:36
>>99>>100 ネタかどうかは、分からないが、今の自分をかみ締めてイキロ!!!!!!!!!!
>>101 ありがとう。100だけどネタじゃないよ。
生まれてすぐに預けられたから、実の親に懐くまで少し時間がかかったんだよな。
一番古い記憶は2歳のときに勘当された事だ。
何かで叱られて、父が「出て行け!!」と怒鳴った。
もちろん本気で言った訳じゃないんだけど、小さかったからマジで
「ここには居られない、バーちゃんのところにいかなくちゃ」
と思ったのは覚えている。すぐに連れ戻されたんだけど、
父が他界して思い出話していた時に兄が疑問をぶつけて来た。
「バーちゃんの家と反対方向に歩いていたのは何故だ?」
「だってバスに乗って駅まで行って、電車に乗らないと行けない」
2歳でそこまで分かっていたんだよな。
「20年ぶりに疑問が解けた」って母と兄が笑ったけど、
自分はそういう育ち方だった。
バーちゃんの世代は乳飲み子抱えた戦争未亡人なんて当たり前だったから、
何か有ると「生き仏の方が大事」と口癖のように言って大事にしてくれた。
命の大切さを本当に知っていた人だと思うよ。
このトシになってこんな話聞いちまうと…、どうにもなぁ…
(´つω;)雨が目ん玉の中から降ってきやがるぜ…
うちの飼い犬は雑種でしたが賢い犬でした。茶色の中型犬でした。私がまだ20代のころ、
知り合いからもらって、車に乗せて連れて来たのが昨日のことのようです。玄関の中に繋い
で飼っていましたが、家族同様に過ごして16年、さすがに年をとって足腰が弱っていたよう
でした。
ある日、その犬が突然居間に上がって来ました。どうしたのかと思う間もなく、「クーン」と
言って私の膝にあごをのせました。気付いたときには犬は死んでいました。最後の力を振り
絞って私のところまで来たのかと思うとそれまでの思い出とともに涙が止まりませんでした。
つω+`)
犬って・・・だめだ涙で書けない。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 19:08:41
みんな良い人なんだだね。涙はストレスも流してくれるんだよ。
そしてスレスト
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 21:44:37
涙で 文字が 滲んでいたら わかって ください〜♪
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 21:48:30
わからん!
因幡あきらだ、なつかし
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 10:27:44
俺には親がいなかった小さいころからじいちゃんと2人暮らしだった
じいちゃんはそらぁ俺を猫かわいがりした
ガキのころいじめられて泣いて帰ったら杖を振り回して学校に怒鳴り込んだ
遠足や運動会にはでっかいいなりずしを作っていつも来てくれた
熱を出せば夜中だろうが4キロの道を俺を背負って医者まで連れてってくれた
相撲が大好きでいつも一緒に輪島を応援してた北ノ湖が勝つと2人で罵倒した
じいちゃんはだいぶ前に亡くなったがあるきっかけで
俺はじいちゃんと血がつながっていないことが判明した
俺は隣家の子供で夜逃げのときにあかんぼの俺だけ置き去りにされたらしい
そして独身だったじいちゃんが面倒見るといって引き取ったと
もし聞けるならじいちゃんに聞いてみたい
血のつながりもない他人の俺をどうしてここまで面倒見て育ててくれたんですか?
そして言えるならじいちゃんに言いたい
ありがとう俺にとってじいちゃんは唯一の家族でした
何の不自由もなく親がいない寂しさを感じないで大学まで行かせてくれて
いっちょ前の社会人になれたのもあなたのおかげです
今度墓参りには産まれた娘を連れて行きますね
ひ孫ですよ誰がなんと言おうと俺の娘はあなたのひ孫ですから
あと関係ないけどじいちゃんが俺に教えてくれたべぇごまの技
友達の間で俺は無敵だったよ
>>112 じいちゃん、カッコいいね。
血は繋がってなくても本物の親子以上だと思う。いい話、ありがとう。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 04:11:41
スレズレだけど・・。
泣ける歌ってある?賑やかでも、やかましくても、演歌でも、民謡でも・・
自分にとってその時の思い出になっていたら、今聞くと泣けてくるんだよねぇ
ちなみに俺は
中島みゆきの「強がりはよせよ」
高校卒業して遠く独り暮らししてた時
中島みゆきの「ホームにて」で泣いてました。
最近はkokiaの「ありがとう」です。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 16:04:00
ありがとう kokia
誰もが気づかぬうちに 何かを失っている
ふと気づけばあなたはいない 思い出だけを残して
せわしい時の中言葉を失った 人形たちのように
街角に溢れた野良猫のように 声にならない叫びが聞こえてくる
もしももう一度 あなたに会えるなら
たった一言 伝えたい
ありがとう ありがとう
時には傷つけあっても あなたを感じていたい
思い出はせめてものなぐさめ いつまでもあなたはここにいる
もしももう一度 あなたに会えるなら
たった一言 伝えたい
ありがとう ありがとう
もしももう一度 あなたに会えるなら
たった一言 伝えたい
もしももう一度 あなたに会えるなら
たった一言 伝えたい
ありがとう ありがとう
時には傷つけあってもあなたを感じてたい
ありがとう。って言える人がもういなくなって・・。この曲聞くと泣けてくる
曲はフラッシュとかでよく聴くけど歌詞を改めて読むと感慨深いものがあるね
ありがとう
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 19:00:59
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 19:43:54
AAで泣かされるとは、わしもまだまだよのぅ(TT)
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 19:53:37
>>122 実は俺も・・。こんなので泣ける?と思ったら・・・
一番最後の最後のセリフでウルウルしてしまった
「ありがとう」はいつ聴いてもホントに…。俺が初めてこの曲を聴いたのはMMOの「ウルティマ・オンライン編」だったか。
いや、ファンタシースターオンライン編の亜流だとは知ってた。知ってたけど涙を抑えることが出来なかった…。
職場の重圧が厳しくてMMOに逃げ込んだ8年前、UOの画面の向こうで励ましてくれた見も知らずの奴らが思い出されたよ。
キモいオヤジでごめんな、でも書き込まずにはいられなかった…
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 20:16:22
今日このスレに来て良かった・・・・・
会社がいよいよヤバくて仕事がない状態が今日で10日間。
妻や娘に心配かけたくなくてこの状況を言い出せなくて
これからまだまだ教育費も住宅ローンもかかるのにお先真っ暗。
でもこのスレから不思議な力を貰えた気がする。
俺の身体は健康だし、家族の絆は固いし
仕事が多少不調だって命を取られる訳じゃない。
とりあえず給料だって数ヶ月は保証されてるんだし。
やるだけのことをやった上なら結果はいいじゃないか。
そう思うと明日からの営業にも気合が入る。
このスレの全住人に「ありがとう」だ。
チラウラですまん。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 20:51:25
弱音を吐いて良いスレなんだよ。
みんな頑張って生きてるんだよ。
自分の為、女房の為、父や母の為
でも、40代。静かに、確かに、そして確実に
疲れてきているんだよ。身体も心も。
叫びたくても、弱音を吐いても、ネガティブになっても
誰も助けてはくれないんだよ。
それでも過去は戻らない。未来を明日を生きていくんだよ
星の数ほどあるHPサイトのこの掲示板で知り合った40代達よ
頑張れ。男だって、女だって、そんなに強い生き物じゃないよ
でも、頑張って生きてこうぜ。弱音を吐いたっていいじゃん
せっかく生まれてきたんだし
127 :
無職:2007/03/10(土) 21:10:58
疲れたなにもかも
てめえはあしたのジョーかよ!まだ灰になるには早いぜ
疲れた体に鞭打って、もうちょっとだけ頑張れよ!俺も頑張るぞ、守るべき者は誰もいないバツイチのおっさんだけどな
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 21:17:27
「地球か・・・・何もかも みな 懐かしい・・・・・。」
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 21:18:59
地上とは 思い出 ならずや
132 :
712:2007/03/10(土) 22:25:23
テラ(地球)へ・・・・・・ナツカシs
今、母ちゃん死んだら
相当後悔するなぁ…
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 23:20:21
お袋が・・・
実家に戻るたびに小さくなっていく。今、幸せなのかなぁ
今年、親父が逝った歳になる俺。実家を出て数十年になるが
それこそ女手ひとつで育てるのは大変だったろうな・・・・。
何の親孝行もしてねーや。でも、たまには怒られたい 長生きしてくれ
お袋
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 23:28:00
花粉症がひどくて。
不倫していた。
4年間も妻を裏切り続けていた。
ネットで出会った彼女。
最初は軽い気持ちで逢い、次第にお互いの身体に溺れていった。
幸い、ずる賢く立ち回ったこともあり、妻には全くばれなかった。
彼女と関係を持った夜、遅く帰っても、ただにっこりと迎えてくれる女だった。
しかし、そんな関係がずっと続くわけはなく。
最近、彼女から別れを告げられた。
新しく好きな人が出来たとのこと。
まあ、よくある話し。
独身の彼女にそう言われれば、責めることも出来ない立場であって。
ただ「よかったな」と強がりを言い残して別れた。
4年も付き合っていた女と別れるというのは、想像以上に辛いものだった。
心の中にポッカリと開いた穴は、容易に埋められるものではなかった。
その寂しさを紛らわすため、これまで全くかまってやれなかった妻に、白々しく優しくしたり、遅くまで思い出話をしたりなんかして。
妻も、結婚後久しく見せなかった笑顔で、俺の話しに付き合ってくれた。
253 :大人の名無しさん :02/09/24 19:08 ID:yeuHTyk/
機械音痴な妻に、携帯メールを教え込んだ。
彼女からパッタリと来なくなったメールの寂しさを紛らわすため。
我ながら、その動機の不純さにあきれながらも、あまり期待もせず妻からのメールを待った。
ある日のお昼前、携帯にメールの着信音が響いた。
妻からの初メールだった。
何げに開いてみた。
涙が出た。止め処もなく涙が出た。
「初めてメエルします 線が引けない もつとちやんと、習ておけばよかた でも今はすごく幸せて感じかな」
こんな不器用なメール、見たことねぇよ。
俺は今まで、何やってたんだろう。
自分の不甲斐なさや汚さ、妻に対する愛おしさがごちゃ混ぜになって、とにかく涙が出た。
こいつを一生大切にしてやろうと思った。
コピペ乙 良い話だけどさすがに飽きた
今日、医者に、胃癌と言われた。
余命3ケ月と言われた。
息子は20歳、娘は16歳。
旦那は10年前に、やはり胃癌で死んだ。
子供達はまだ学生だけど、旦那が残してくれた保険金が残ってるし、あたしの保険金もあるし、なんとかなるね。
この世にまだ未練は多少あるけど、あなたにやっと会える…。
もうすぐそっちに行くから、そしたらギュッと抱きしめてね。
あたし10年頑張った。そっちに行ったら一杯褒めてね。
>>138 なんて言っていいかわからない…
けど何かを言いたくて書いてます
子どもさんたちにも貴女の愛情は届いていると思います
きっと誇りを持って生きていってくれるでしょう
そしてこれからの日々…
(医学は絶対じゃないから「いつまで」とは言えないと思う)
今まで以上に素晴らしい日々になることを願ってやみません
いつかは皆そこにいくんだもんね
「待っていてくれる」と思えたら、こんな幸せなことないよね
>>138 ネタorコピペを承知でマジレス
我が身が病魔に冒されても家族のことを思うあなたの心情に涙しました。
ご先祖からあなたに受け継がれてきた命のバトンは
間違いなく二人のお子さんが受け取っています。
その次のバトンを受け取る孫を見ずにこの世を去るのは心残りだろうけど
子供達に命の尊さを身を以って教える最後の仕事が待っています。
未来にあなたの命のバトンを持っている大勢の子供が見えますよ。
どうか残された時間を心安らかに有意義に楽しく過ごしてください。
>ネタorコピペを承知でマジレス
むしろネタであって欲しいと切に祈る。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 17:48:54
ネタであれ マジであれ 人間いつか死ぬ
これまでは「どう生きていくか?」だったけど
これからは「どう死をむかえるか?」
出来れば、安らかな死が良いが・・。苦しむのは嫌だなぁ
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 17:52:14
さっきテーブルの角でおもいっきりスネを強打した。
痛い。
泣いてろ
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 18:13:23
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 19:20:44
>>143 スネならまだ良い。俺など足の小指だ こんな悲しくて痛い出来事があるか?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/12(月) 00:29:57
>>146 ない。
ないが大人なら我慢しなけりゃならない。
>>146 馬鹿もん!同じ体験をして右足小指の爪が殆ど剥がれてしまった俺が来ましたよ
ツープラトン攻撃だ、死ぬかと思ったよ
「テロメライシン」という癌治療薬があるらしい。
末期で見捨てられた患者が回復しているという・・・。
時代は確実に進化している。
諦めるな!
もし、あの話がほんとなら
クズな人生を送ってる
俺の命をあげてもいいのにって思う。
138です。
皆さん、温かいお言葉有難うございました。
あれから大急ぎで身辺整理し、今日、15:00入院です。
夕べは子供達と、布団を並べ、川の字に手を繋いで寝ました。
布団の中で、子供達の啜り泣く声を聞いて、主人には悪いけど、もう少しだけ待っててもらおう。
もう少しだけ、生きる努力をしてみようと思いました。
無事生き延びる事が出来たら、又ここにお邪魔します!
本当に有難う。
マジか? マジなのか?
心臓がバクバクしてるぞ。
(ネタならこんなうれしいことはない。)
>>138 生きろ、生きろ、生きてくれ!
俺の友達も余命3ケ月の宣告をされて1年たつがまだ生きている。
希望はなくすな!
旦那にはまだまだ待ってもらえ!
再登場切に祈る!
もうベッドか?
今からでもおそくない。
テロメライシンに託せ!
抗癌剤のような苦しみはないそうだ。
今までの発想を逆転する薬だそう。
医者は既存のものに執着する者もいる。
医者に殺される前に、自ら動け!生きる為に動け!
誰か力を貸してやってくれ!
>>136 大丈夫、貴方は無事に生還します。
良い子供たちに恵まれてるし、頼りないがネットの仲間たちもついてる。
>>151 こんなに祈ったことはないように思うよ
こんなに自分が無力に思ったこともない
神様がいるならお願いします
ささやかに生きる者たちをお救いください
>>151 本当に、釣りだった方がどんなにか…。
軽い病気の入院であれば「範囲は限定されるけど、病院でもネットに繋げられる場所はあるはずだから
ヒマを見てカキコヨロ」とかの軽口も叩けるのだが…。
「もうすぐそっちに行くから」とか考えないで欲しい。40代なんて、現在の高齢化社会から鑑みればまだまだ
折り返し地点をウロウロしてるようなもんだ。どうか心を折らず、生きる努力だけは忘れないでくれ。
そして全快したらまたこのスレ見て、「何かも〜、無駄に深刻ぶっちゃった自分がm9(^Д^)プギャー」みたいな
書き込みをして欲しいです。もうここは見てないかも知れないけど、負けないで下さいね…
>>151 がんばれ。
医療に携わる者としては、医者なんかより、笑うことと勇気を持つことが一番の薬だといつも感じる。
そして、このスレにこんなに住人が居たことに驚いた。
赤の他人の自分がこれだけ辛いんだ。
子どもさんのことを考えると胸をえぐられるようだよ。
20歳と16歳・・・大きくなってるとはいえ、
まだまだ親元で甘ったれてるやつ等もいるってのに・・・
なんでだよ、納得できないよ!
きちんと戻ってきて欲しいよ・・・
大丈夫。
あなたとあなたのお子さんと、ここの住人たちの思いが重なり
あなたはきっと治ります。
大丈夫。
>>151さん。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/12(月) 22:58:31
釣られ釣られて釣り釣られ〜♪
>>151 ガンガレ!超ガンガレ!
こうなったら釣りでもいい。幾らでも釣られてやるよ。
だから。だから戻って来い!必ずだ!
163 :
152:2007/03/12(月) 23:07:22
>>151 俺は今帰宅したぞ。
入院一日目だな。
明日から検査検査だろうが前向きにな。
今夜は寝られないだろうな...
PCが使える環境があればいいのだが。
また立ち寄ってみる。
がんばれ!
>>138
153だお
祈ってる、マジ祈ってる。
釣りでもいい。祈ってる。
頼りない夫、頼りない父、こんな俺だけど祈ってる。
あんまり活動してなけど、実は創価学会員だお。
無事帰還できるよう、まじにお題目おくります。
出すぎたマネかな、スマン。
156です
私も祈ります 祈りつづけます
必ず帰ってきてくれると信じてます
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 17:38:49
155だが
よう分からんがとにかく戻って来い!君が元気になるとなんとなく俺も元気を取り戻せる気がする。
167 :
152:2007/03/13(火) 17:58:59
入院2日目だな。
ずいぶん応援団が増えてるな。 なんかすごくうれしいよ。
>>138 希望をすてるなよ。
子供が待ってるぞ! みんなが待ってるぞ!
>>138>>151 残念ながら、あなたはまだ旦那さんには会えないよ。
俺があなたの旦那なら、再会して抱きしめるどころか一喝するね。
「こっちに来るには早すぎるんだよ!子供たちの行く末を見守ってやるっつー
母親としての勤めがまだ残ってるだろうが!」ってね。
退院当日、二人の子供さんが微笑みながら迎えに来る情景を胸に描いて
頑張るんだ。無責任な俺にはこんな事くらいしか言えないが、病魔になんか
屈するなよ!
159だけど、俺も祈らせてくれ。
そしてこれを機に禁煙するよ。
元気に生きていけるからだを傷つけるのはバチあたりだ。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 10:45:18
こ、こんな・・・涙・・。良レスが続くスレッドを・・・うう・・泣
何故に、下に下げられようか・・・。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 11:01:57
練り山葵
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 11:28:34
シネ
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 11:29:49
ねこ
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 11:33:48
自演隊
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 11:39:42
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 11:57:58
今頃
>>138はPCの前で糞ニートがニタニタしてるんだろうなw
ってかお前、PCの前でニタニタしてろよ!!携帯でも良い。握りしめてニヤついてろよ!!
いや、ニヤついててくれと、切に思う。
駄目だ。糞が止まっちまった。しばらく仕事にならんな。風に当たってくる。
携帯からスマン
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 12:38:22
明日をも知れない命の人なんて
いくらでもいる
こんなところで
他人に同情する自分に酔えるなんて
幸せな人達
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 12:39:14
己の無力さを痛感する瞬間だ、そしてこんな人ほど長生きして欲しい、と痛切に願う瞬間だよ。
願わくば、138さんの病が回復に向かい、一年でも一日でも一時間でも一分一秒でも多く、家族と幸せの時間を送れるように。
このスレッドの皆さんの善意の願いを、天の神様が聞き届けて下さいますように、そう心から願っています。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 12:41:50
うっせよ、ハゲ
180 :
152:2007/03/14(水) 21:50:16
入院3日目だな。
やっと2ちゃんらしくなってきた。w
ネタならネタでまったくOK!
>>138 早く帰ってこいよ。 早く帰ってこい!!
>>180 ふふ、煽りに対して鷹揚に構えられるのもまた酸いも甘いも噛み分けてる40代!ってなもんだからね。
俺は157。見ず知らずの他人の心配するよりも自分の心配しろっての、俺!…けど頑張って欲しい。
156です
同じ年頃の子どもの母として
151さんの気持ちは察して余りあります
ずっと祈り続けています
ここのスレの人達の思いが天に届きますように
自覚している症状があっても
ものすごく怖くて検査から逃げてるんだ、俺。
今何かあったらどうすれば・・・
妻子が温かい。
離れたくない。
生き抜きたい。
みんな同じだと思う。
だから、
>>138には帰ってきて欲しい。
>>183 山ほど保険掛けてから医者行け。
俺も脳溢血の家系で先日ちょっと耳鳴りやら頭痛やらの自覚症状らしきものがあり
年齢的にもそろそろやばいと思い、多額の掛け捨て保険に駆け込み加入し
先日MRIやらCTやらその他諸々の精密検査受けた。
結果は健康そのもので全く問題無しと太鼓判を貰ってしまったが。
上のレスにもあったがこの世代はどう生きるかも大事だが、どう死ぬかも問われる。
残された家族が経済的に困窮しないように対応するしかない。
そりゃ死ぬのは誰だって嫌だよ。
だからこそ大黒柱の責任を最後まで果たさねばならんのだ。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 12:53:42
俺・・・「風が吹けば桶屋が儲かる」最後まで言えんぜ。へへへへ
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 15:06:58
おk
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 16:10:41
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 17:18:24
>>185 俺・・デブ デブ 百貫 電車に轢かれてペッチャンコ 最後まで歌えるぜ
190 :
152:2007/03/15(木) 20:32:24
入院4日目だな。
>>138のいない家は子供も寂しいだろうな。
希望を捨てるなよ! 生きろ!
>>183 そうか...気がまぎれるならまた何か書いてくれ。
>>183 家族のためにも勇気を出してください
なんでもなければ笑い話になります
ここのスレに来たのも何かの縁
あなたから元気になってもらえれば
もっと勇気を持てる人が増えるでしょう
がんばって
>>183です。
・・・・・・・ありがとう。
>>138さんにも皆さんとっても温かい。
復帰を切に願います。
俺、タイミングを計ってるんです。
今何かが発覚したら困るんです。
残せるものも残せなくなるんです。
もし何かあったら早い治療に越したことないんだけど、
それがもし恐れている病なら、
今このタイミングでは残せるものも残せない・・・
でも生きていたい。近々、病院に行きます。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 16:00:29
病院に行くなら早ければ早いほど良い
良くある話だが もう少し早く来てれば手のうちようが有ったのに・・・
なんて言われないようにな183
194 :
中川泰秀 ◆tyvkWCNtzY :2007/03/16(金) 16:02:18
私は健康のためにわざと立ってるよ。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 16:05:46
あ!中川君・・・・こんなところに・・
久しぶり〜♪
41才独男母親を殺害した裁判
18年間一人で新聞配達をしながら病気の母の介護を続けたが
母親に頼まれて殺害したそうだ。執行猶予3年の判決がでたが
俺は泣いた。
温情判決
介護に疲れて老親の殺害とか、
生活保護もよく知らなくてライフラインも絶たれて餓死とか、
悲惨な話は後を絶たないな。
行政のフォローも限界があるし。
せめて幼児の虐待は救えないかな?
保育所も児童相談所も気づいてたと聞くたびに、
「何やってんだよ!」と思う。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 20:49:36
みんな視ね
染んでしまえ
200 :
152:2007/03/16(金) 20:54:57
入院5日目。
>>138 待ってるぞ!
>>183 俺は何も出来ないし何を言っても他人事だ。
でもここで話をしよう。
また気が向いたら顔出してくれ。
病院に行く勇気を持っただけでもエライ!とヘタレな俺は思う。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/17(土) 14:09:13
娘がもうすぐ嫁に行く。
さっき、昼間から風呂に入ったと思ったら、出てくるなり
「おとうさん、髪の毛ドライヤー当てて・・。」
「そんな事は自分でやれ・・・・・・」と娘を見ると目がウルウルモード
娘は子供の頃は極端な天然パーマで小学校低学年までは風呂から出ると
「パパ〜髪の毛真っ直ぐにしてぇ」と、俺がドライヤーで髪を乾かしていた
娘の小さい頃を思い出しながら丁寧にドライヤーを当てる
そばで見ている女房はもう涙ボロボロ。俺もウルウル・・。娘が言う
「おとうさん。ありがとねぇ・・」俺、涙・・洪水状態・・。
バカオヤジの土曜日の昼下がり。結婚式・・やっぱ泣いてしまうかな
スレの流れからして大きな声でおめでとうと言いづらいが
それもこれも人生よのぉ
皆に幸あれ
いい娘さんじゃないか、ちなみに娘さんはおいくつですか?
我が家も娘が3人いるので、他人事じゃない気がする・・・
204 :
152:2007/03/17(土) 17:08:31
>>201 切ない(イイ)話だね。そういう歳になるんだね。
幸せじゃないですか! 結婚式、号泣しましょうよ。(笑
入院6日目
>>138 みんな心配してるぞ。
205 :
159:2007/03/17(土) 17:31:26
禁煙5日目。一昨日はだいぶイラついたが今日は落ち着いてきた。
俺にも小学生の娘が2人いるんだが、禁煙宣言するたびに、
2・3日でイライラと周囲にあたる→娘たちが怯える→
「家族に悪影響だ」と自分を許してしまう→LOOP状態だった。
今回結構頑張れてるのは、138のがもっと辛いと思うから。
何も出来ない俺だが応援してるよ。
煙草止められたら長生きして、201のようなこともあるんだろうな。
やっぱ娘たちは可愛いし、頑張るよ。
>>205 禁煙がんばってね。
舅は禁煙して約10年なんだけど、
仕事(自営)している時はずっと喫煙してました。
禁煙するとイラついて仕事にならないから、
すっててくれた方がいいと家族から言われてたんで。
ところが一昨年、姑が呼吸器を傷めて病院にいったら、
「これは夫の喫煙のせいでCOPDになったんだ」と
医者に言われてしまいました。
舅は泣きましたよ。
「もっと早くやめていれば良かった、俺の責任だ」と言って。
冷静に考えれば副流煙だけじゃなくて仕事場の油煙の影響も
有ったと家族は思っていますが、舅はかなり落ち込んでました。
今はニコチンパッチやガムも有ります。自分と家族の未来のためがんばって下さい。
このスレに書き込んだ皆さん、この年になれば必ず何かの問題を抱えています。
また戻ってレスしてください。待っています。
車の排気ガスは人体に対してタバコの数倍の影響を及ぼすという。タバコをやめるのは当
然として、嫌煙者は絶対に車に乗ってはいけない。また、飲酒は様々なトラブルを巻き起こ
す。家庭内暴力や時として殺人をも引き起こす。嫌煙者は当然のことながら酒など飲んで
はいけない。飲酒運転などするやつは計画殺人と同じだと思う。酒気帯びなど区分せず、
全て飲酒運転として即刻死刑にすべきである。
漏れもバカオヤジ。
娘の嫁入りなんて想像したくない・・・
こんなにも無償の愛でつつみ
一分一秒をもこの子の為に生きてきた。
昨今のバカ小せがれに
なんでタダでやらなきゃならんのか!
うう・・・
でも幸せにしてやってくれ
絶対に裏切らないでやってくれ
ちょっとぐらい貧乏でもいいから
ずっと長く仲良くいてやってくれ・・・
このバカオヤジと
それを支えてくれる恋女房のように。
妻を一度たりとも裏切ったことはないですか?
娘の婿にだけ、それを求めるのですか?
求めてもいいと思うよ、親だから。
子どもの幸せを願うのは当然、親だからね。
いつまでも、鬼籍となっても彼岸の果てからも見守り続ける。
下手に口は出さずに、本当に必要なときに手を差し伸べる。
そんな親でありたい。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 16:59:17
で?
山口百恵の「美サイレント」の、口パクのところは何て言ってんの?
(´・▽・`) し
(´・□・`) ら
(´・ー・`) ん
(´・▽・`) が
(´・ー・`) な
213 :
152:2007/03/18(日) 21:04:29
>>159 禁煙応援してるよ。
入院期間とほぼ一緒だね。 願掛けだと思いがんばってくれ!w
>>138 入院7日目
帰ってきたら159を褒めてやってくれよ!
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 21:43:58
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 05:16:47
あなたの 情熱 が欲しいのです
燃えてる ひと時 が好きだから
ポコチンかと思ってた・・・
217 :
152:2007/03/19(月) 17:53:30
>>138 入院8日目
今日の我家の夕食はカレーです。
なぜ知っているかというと昨日もカレーだったので。(最低2日は続くw)
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 18:14:24
>>152 ?????
何?無理やりその話題を持続させて盛り上げたい訳?
わけわからん
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 19:15:24
>>1960 カメレスですまんが
俺もその日の朝、みのもんたと共に泣いた
彼の二十代前半から四十過ぎまでの18年間、普通なら人生を構築する時間を
全て母の介護にささげた挙げ句、母へと手をかけた彼の人生を思うと哀しくてしかたなかった
職場スキルも持たないであろう彼は、社会復帰というハードルの前でどうなるのだろう
隣家の親父も泣いていた。本当に良い奴なんだと泣いていた。
回りの包容力に希望を持ちたい。
220 :
219:2007/03/19(月) 19:16:55
221 :
152:2007/03/20(火) 00:13:09
>>218 まぁまぁそう言わず気が済むまでカキコさせてくれ。
一人くらいカウントしててもいいじゃんか。
盛り上げようなんて思っている訳じゃないし、他のレスの邪魔してる訳じゃないだろう?
自分の気持ちが整理できたら静かに居なくなるからさ。
よろしく頼んます。
>>220 アリガト。
そうだよ。応援してやりたいという気持ちはあたたかいじゃないの。
病気の人負けるな。がんばれがんばれ。
>>218 おまいがもし病に倒れて心が折れそうになったときに初めてわかる。
見知らぬ人間からのエールが心の支えになることをな。
>>209 そう!
一度たりとも裏切ったことはない。
長い歳月の連れ添い、
不満も確かにあったろう・・・。
だが、裏切ったことはない。
ひとつは「娘の父」となって一層強まった。
ふたつは俺の母のようにはさせたくない。
また、これが母の遺言でもある。
妻の支えは大きい。
決して裏切らない。
だから、
そんな親の姿を見て育ってきた愛娘。
「パパのお嫁さんになるんだ」・・・
あのころ嬉しかった。
大きくなったもんだ。
裏切った小僧はぶっ殺す!
・・・・なんてね(涙)
バカオヤジだよ、俺は。
そうかー
そういうお父さんなら娘婿にそれを願う資格がありますね!
226 :
152:2007/03/20(火) 17:05:07
そ〜〜っ(謙虚に...w)
入院9日目。
元気かな〜?
>>138、ここのみんなは優しいぞ。早く戻ってこい!
>>224 エライなァ、いやマジで。
でも
>>224、それがわかった上で婿殿を大事にしてやってくれ。
結婚する時に大反対された俺からのお願い。w
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 02:00:55
♪羽ばたくのをやめれば 落ちること
♪青空舞う鳥さえ 知ってるさ
♪君だけが知らなかったね...
230 :
152:2007/03/21(水) 14:52:54
入院10日目。
>>138 春分の日だねぇ。 今日は暖かかった。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 16:49:29
シグナルってバンドの
「20歳(ハタチ)のめぐり合い」って曲が、さっきラジオから流れてた
この歌を初めて聴いたには、確か20歳前だったような・・。
思えば遥か遠くに来たもんだ。確かに流れて行く時の波にもまれながら
ようやくか?まだ?かわからんけど、ここまで生きてきた
パソコンなんぞ無かった若かれし頃。まさか掲示板に投稿しているとは
>>230 いつもスレ保守ありがとう
138さんが帰ってきてこのスレを覗いてくれるのを
私も心待ちにしています
3月になってからの方がむしろ寒かったけど
やっと暖かくなりましたね
このスレの皆様にも素晴らしい春になりますように
233 :
152:2007/03/22(木) 17:10:33
入院11日目。
>>138 どんな状況かなァ。痛みがなければいいんだけど...
>>232 こちらこそありがとう。
気長にカウントしていきます。
138が早く顔出してくれるといいね。w
いつの頃からか春が嫌いになってた。
花粉症だし、税金だ国民年金だとお金はかかるし。
考えてみたら車検も春だしね、だからだと思ってた。
春分の日の前日、友人とたわいなく電話してたら突然、
「そういえば7回忌だよね?」と言われて驚いた。
お腹にいるうちだから、顔も覚えてない次男…
勿論忘れてない、でも彼女が覚えていてくれたことに、胸がつまった。
春は一生好きになれそうもない。
でも人の気持ちの暖かさにも気付かせてくれた。
それもわすれない。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 20:14:23
夢を両手に 都会に出て 何もつかめず 帰るけど
優しさの 扉を開ける鍵は 眠れない夜が そっと教えた
心も 身体も開きあい そこから 始まる物がある
それを 愛とは 言わないけれど それを 愛とは 言えないけれど
あの夏の日が無かったら 楽しい日々が 続いてたのに
今年の秋は 何時もの 秋より 長くなりそうな そんな気がして
春の嵐が来る前に 暖かい風が吹く前に 重いコートは脱ぎ捨てなければ
歩けないような そんな 気がして
秋止符か。アリスなつかしぃな
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 22:09:46
この歌を聴くと保と雪のを思い出す15歳の母
あのとき生まれた歩も今は三十路近い
俺も年とるわけだにゃ
238 :
152:2007/03/23(金) 17:33:48
239 :
152:2007/03/24(土) 09:11:27
おはよう!
ちと早いが入院13日目。
>>138 待ってるぞ!
みんないい週末を。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 17:15:40
152の頑張りには頭が下がるよ。
見も知らないアカの他人の復帰を願う気持ちなんて、俺だったら2日で萎えちまうもんな。
どうしたら他人に対してそこまで関心持ち続けて居られるのか、謎ではあるが羨ましくもあるよ。
結果はどうなるのか神のみぞ知るだろうが、頑張ってる君の姿(つうか言葉か?)はあっかいよ。
183さんもどうしたかな?病院に行けたかな?
経済的な問題か、仕事関係か、心情的な恐怖感か・・・?
そのどれもが、乗り越えなきゃいけないハードルだね。
私にも大切な家族がいる。
何年か前に、知り合いが卵巣癌を取ったんだけど、(無事に5年経過w)
自分も体調が悪く、心当たる症状もあり、めちゃくちゃ不安だった。
深夜に子どもの寝顔をみていたら、
「・・・絶対死ねない!」って、からだが震えた。
なんでもなかった、冷えからくる不順だったけどね。
243 :
ユキ:2007/03/25(日) 16:39:22
幼稚園から帰るとちっちゃな真っ白な犬がいた。
まだ目も開かずにコロコロ転がりながら歩いてた子犬
名前を「ユキ」と親父が名づけた。真っ白な雪玉のような女の子
小学生になり何処に行くのもユキと一緒だった
真っ白なフサフサシッポをちぎれんばかりに振ってボクについて来る
そんなユキは一人っ子の僕にとって妹のような存在だった
中学生になり、僕は反抗期を迎え家出を繰り返す日々だった
高校性になり不良グループに入り、毎夜単車で走り回り家に寄り付かなくなった
勿論、ユキの事などもう何年も前から僕の頭にはなくなっていた
高2の秋、単車で事故を起こし大怪我をした。
1ヶ月の入院後、足の骨折があるため自宅で療養する事になった
家に帰ると親父が一言こういった。
「ユキが1週間程前からご飯を食べなくなった。
病院に連れて行ったが歳のせいでもう無理でしょうとの話だ・・・
弱りすぎて自分ではもう動けない、お前話し掛けてやれ」
深夜、僕はユキの横たわる隣の部屋に1人で行った。
僕が小さな頃使ってたタオルケットに包まれてユキは弱々しく呼吸をしてた
「ユキ、ご飯食べなきゃダメだよ。元気にならなきゃダメだよ・・・。」
僕はユキのやせ細った背を撫でながら見つめていた。
ユキは目を開けわずかにシッポを振り僕の掌を2,3度舐め再び目を閉じた
「明日の朝、散歩に行こうなユキ」と声をかけて僕は隣の自分の部屋に戻った
翌朝7時頃おふくろの声で目覚めた・・・「ユキ、ユキ、おとうさんユキちゃん・・・」
ドアを開けるとそこにユキが横たわっていた。
寝返りを打つことさへ出来ないユキが僕の部屋の前で横たわっていた
僕は手を強く握り締め涙で前が見えなくなりながらこう言った
「散歩行きたかったんだよね・・
だから最後の命の火を燃やしてここまで歩いてきたんだよね・・
ゴメンな・・ゴメンなユキ。遊んであげなくてゴメンな・・・」
僕は冷たくなったユキをタオルケットに包み、
ユキと毎朝行ってた近くの公園に行った
朝の公園は昔と同じように人もほとんど居なくて静かだった
ベンチに座って呆然としていると親父がやってきて隣に座った
「散歩したかったんだろうな・・お前の顔を久しぶりに見て嬉しかったんだよ。
ホラ見てみろ、こんなに優しい顔で眠りについたんだよ
ユキはお前にアリガトウって言ってるよ」
40歳を越え嫁と子供2人に恵まれ幸せな毎日を送っている
僕の部屋の机の上には雪玉のようなちっちゃな子犬の写真がある
244 :
152:2007/03/25(日) 21:08:50
>>138 入院14日目。
ついに2週間ですか...病院食も飽きるよね。
早く顔出せよ!
>>241 応援ありがとう。
俺はまったく頑張ってる訳じゃなく勝手に応援しているだけです。
そんなに言ってもらえると(汗)です。w
>どうしたら他人に対してそこまで関心持ち続けて居られるのか、謎ではあるが…
実は理由があるんだけど、ジコカタリになるとスレ違いで荒れるといけないので。
138が顔出してくれたらそれだけでいいよね。w
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 21:49:19
とりあえずコレを置いていきます
ヽ1〆
千羽集まったらみんな幸せになりますように
ヽ2〆 置いていきます。 皆に幸あれ。
ヽ7〆 置い(ry
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 23:29:33
あーあー・・・・・。
アホスレに成り下がっっちまったな。ツマラン
30代板の嗚咽スレ落ちちゃったのかな、好きだったんだけどな。
>>243 優しいお話、ありがとう。
雪玉のようなちっちゃな子犬・・・こういう表現に弱いです。
おいおい!
今会議中であまりの暇さにコソーリ見たら涙が止まらねーw
そんなに犬が好きじゃ無いのになぁ?
歳とって涙腺弱くなったw
ユキちゃぁぁぁぁん・゚・(つД`)・゚・
252 :
152:2007/03/26(月) 17:20:18
どう考えてもスレチじゃねぇの?
泣ける話しなのに
>>138を応援するスレになってるじゃん
フィクション、ノンフィクション関係無しに泣ける話しをレスするんだよ
何を勘違いしてこのアフォ共は応援してるんだ?
応援したいなら別スレ立ててやれよ
こういうのを偽善て言うんだろうね
自分が良い事をやってるという自慰的快感に酔うのも程々に
別に、お前が仕切らなくていいから
偽善とよばれた、善意はいくらでもあるよ。
勝手な解釈で、仕切らないでくれ
>偽善とよばれた、善意はいくらでもあるよ
何の話ししてんだ?お前頭大丈夫か??
スレタイ
泣ける話だ!40代だ!悪いか
いや〜?いいんでないのお〜?
心に思うところありて病に臥す友にエールをおくる
泣ける話だなあ〜・・・ 悪いか?
泣けねぇよw
友って何だ?友ってw
259 :
159:2007/03/26(月) 21:15:33
他の話もどんどん振ってくれよ。
「・・・こんな話があったんだよ。いいだろ?泣けるだろ?」
そういうのを表の生活で話しづらいご時勢だしな。
禁煙2週間。気にならなくなってきた。
ほんとなにイラついてたんだろうな、俺は?
水の味が変わってきた。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 10:25:05
>>254 に、一票だな。流れがおかしいし。
>>255 確かに偽善と呼ばれる善意はあるのは判る。判るが
押しつけらる善意は、いかがな物かと思う
俺もちょっと食傷気味。最初は良いと思ってたが、それ一色で延々続くとマンネリ化してしま
う。久しぶりにのぞいてみたら、やはり同じこと思う人もいることにホッとした。指摘しにくいも
んね。指摘することが悪のようで言い出せない人も多かったと思う。未だに酔いに浸ってる人
には申し訳ないんだけどね。
263 :
152:2007/03/27(火) 17:29:04
なんだかすっかり悪者だな。
俺は
>>138>>151のカキコに、スレタイ通り「泣けた」ので、
まったく他意はなく復帰を願っていた訳だが...
これ以上俺がカキコすると荒れちゃって138が復帰しづらくなるかもな。
それじゃ本末転倒だ。
一日たった1レスで「流れが変わった」って言われてもどうかと思うが、
それも2ちゃんだしな。
コレでカキコは遠慮するよ。
>>138 入院16日目だな。
早く退院して子供に笑顔を見せてやってくれ。
時々のぞいてみるよ。 復帰を心から祈っている。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 20:48:28
植木等:亡くなっちゃったなぁ。合掌
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 21:10:56
てーか所詮フィクション2ちゃんねる
泣かせるネタに執着するあんた等って何なの?
泣いて洗浄したいものイパーィなわけ?
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 22:58:16
ちょっといいか?
自分では何もしないし出来ないくせに他人の批判だけはするって奴はマジ糞だな。
そういう奴はオレみたいにROM専にすべきなんだよ。←参加しちゃったが。
この時点でオレも糞なんだがな。
>>261よおまえコウモリみたいな奴だな。
いい歳なんだから自分の言葉でしゃべれよ。
いつも誰かの後ろに隠れてて安全になったら出てくる、おまえの生き方そのものだな。
「俺も〜」って書いてるけど♀かな?そうあってほしいわ。
レス番つけてなんか書いてみ? 今日は休みだからつきあってやるよ。
>>268 2ちゃんらしくていいぞ。ガンガレw
ああ 僕の時計はあの時のまま 風に吹き上げられた埃の中
二人の声も消えてしまった あぁ〜
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 11:41:15
>>268 何をムキになってんだか・・。主張がまるで無いな。何をいいたいのかはっきりしろよ。他人
の書き込みを女だと期待してエロ妄想膨らませるなんてどうかしてるぞ。早くパンツはけ。
すまん、パンツはいたら落ち着いた。
よし!今度からパンツをはいて書き込めよ。間違いは誰にでもある。
そうかいつも書き込み躊躇してたんだけど・・・・パンツ脱げばいいのか・・・・
全裸で書き込みをしないと、
静電気がおこるからな
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 17:56:50
>>275 全裸じゃないと便所でウンコできない俺は邪道でしょうか?泣
やっぱ泣けるわこのスレ・・・・・
>>276 巣で質問するけど、外でウンコするときどうするの?
なんか、服を脱げば脱ぐほど強くなる拳法なんて話があったな・・・
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 19:56:14
話の流れに逆らい、かつ「だから何?」みたいな話なんだが・・
友人が事故で入院した時の話だ。たまたま訪ねた時は検査中で留守
仕方ないので中庭にタバコを吸いに行った。ベンチに腰を下ろし一服していた
すると突然、隣のベンチに座っていた 年の頃なら50歳すぎだろうか
白髪まじりの男の人が突然泣き出した。人目もはばからず 子供のように
どうしていいかも判らず 見ていいのか悪いのかもわからず あたふたしていると
清掃員みたいなおばちゃんが近づいてきて
「男だってな 泣きたい時 泣くしかない時はあるもんじゃ 泣きなされ」
と真新しいハンドタオルを差し出した
その人にとって大事な人が病院で亡くなったのかもしれない
余命告知を受けたのかもしれない
もしや、本人にとって何かあったのかもしれない
おばちゃんの言葉に声を殺して泣くその人をみて思った
考えてみれば他人が泣く姿を見る事はあまりないなぁ
なんか優しい気持ちが持てるようになった。 たわいない話です
良い話じゃないの。
披露宴も無事終わり、予約しておいた○○駅近隣のホテルにチェックインした俺は、シャワー
を浴びたあとその日の疲れもあってすぐに眠りについた。しばらくすると、誰かが俺を起こそう
と胸を揺り動かしてるのに気づいた。仕方なく目を覚ましてよく見ると手首だけが俺の胸の上で
俺を起こそうとするかのように動いていた。手首はその様子から若い女性のもののようだった。
まずいものを見てしまったと思った俺は、何もしてやれないよ、と言いながら消えてくれるように
祈った。ふと気づいたときには手首は消えていた。
部屋は419号室。翌週の同じ曜日にちょうど真上の519号室で母親と息子の心中があった
というニュースを見た俺は二度驚かされることになった。全て実話です。生まれて初めて見た
ので誰かに聞いてほしかった。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 10:51:55
>>278 / ̄ ̄\
i'⌒i / _ノ \
| |廿 | ( ●)(●)
| | | (__人__)
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| . | ` ⌒´ノ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|∩ | ∩ ノ ⊃ もちろん全裸だよ。
| ◎ | | | / ./ _ノ
| [] | | |(. \ / ./_ノ│
| | | | \ “ ./__| |
| | | | |\/___/
| | | | l └── 、
[ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄◎] | ゝ_____ l
i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄◎i::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)) l
i ,. '" i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄i| |
i . i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/│ |
i .i / | |_
i_____i______i (___`ヽ
183です。
152さん、入院生活どうですか?
早くよくなってくださいね。
気にせず、また書きこんで欲しいです。
138さんはどうなったのかなぁ・・・
(ほんと、まじ釣りでいいんです!)
それがご縁で皆の優しさがいっぱい見れた・・・
これがよかった。
通りすがりの僕も、ここに来るようになった。
2ちゃんねるも捨てたもんじゃないなぁ・・・と。
心配してくださった方々、ありがとう。
来月6日にMRIです。
行ってまいります!
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 10:39:01
今日、義父が永眠した。
とにかく色々あったが、死んでしまうとそれはそれだね。
おつかれさまでした。 安らかに眠ってください。
292 :
291:2007/03/30(金) 18:38:29
すまん弔電のあて先間違えた!
>>290さんです 老眼なもので許して下さい 再び合掌・・・
>>286 病院に行ったんですね よかった
あなたの勇気に拍手です
ご無事なよう更に祈ってます
>>290 おくやみを申し上げます
身内の方のご不幸 心身共にお疲れと思います
沢山の想い出を内々で話されるのがいいご供養になるでしょう
ご血縁の方(お義母様・奥様)をいたわってあげてくださいね
290です。
レスくれた皆さんありがとう。
桜を見せてあげたかったが...残念でした。
泣けない
泣けないおまえは可哀想だね
泣けないおまえは可哀想だね
泣けないんだから、そっとしてやれよ
別板の某スレで同じ悩みを助言しあうところが有ったのだけど、
皆が感動した話に対して正直に
「感動しなかった」とレスした人が居た。
それに対してついたのは「仕方が無いね」、と。
苦しんだ末に心が麻痺してしまったことを正直にレスし、
それをそのまま批判もせず受け入れたレスを見ていたら、
ほんの数行ずつのレスでありながら涙がでた。
295の心の雪解けを願う。
だから、そっとしといてやれよ。
余計なお世話でしかない。
しかし嫁の家系は腹立つわ。
マジ結婚しなきゃよかったよ。
泣けてくる。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 21:47:53
しょせん結婚なんてそんなもんだ。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 21:49:08
俺もしなきゃよかったよ。
それがいい
それがいいといいましたとさ。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 18:35:29
「お母さんが死ぬ前に、何度もお話してくれたの…
お母さんにあいたかったら、おへそをみなさいって
おへそは、ともちゃんがおなかにいるとき、ながい間おへそからおっぱいをすっていたの、だからさびしい時には、ともちゃんのおへそをみなさいって…きっとお母さんの顔がみえるでしょうって」
ともちゃんのたどたどしいいいかたからこのようなことが分かりました。
ともちゃんて誰よ?
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:16:17
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 23:46:51
離婚すればいいだろ
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 11:08:18
子供のためにそれが出来ないから「泣ける」。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 18:47:38
子供いくつになった?
20過ぎたら又は大学卒業したら離婚してもかまわんと思うが
ま ソレで離婚したとしても良くなるとは限らないけど
316 :
159:2007/04/12(木) 01:43:38
禁煙して1ヵ月。
小遣いが浮くと、今までどれだけを煙と灰にしてきたかわかるな。
太るかと思ってたけど、もともと痩せてるからかあんまり変わらん。
やたら缶コーヒーを飲むから、無糖にして糖尿に気をつけてる。
娘に「口が臭くなくなった」と言われたよ。
病気の人、頑張れ。
138も183も待ってるぞ。
暗黙の了解
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 17:27:30
ヒマなんだが 誰か泣かせてくれ。
俺の大切な友達は
ヒマで死んでしまった。
また合いたいな、ヒマで死んだ友達に。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 15:13:42
俺は親父を憎んでいた。親父が歳をとるにつれ手紙が来る頻度が増えたが
返事を出すのはごく稀で相手にしなかった。
そんなわけで親父がいよいよあぶない状況になっても見舞いに行かず、親父が死ぬ事に
何の感情も無かったが、さすがに葬式には行かねばならなかった。
その席、母から(二人目の)聞いた話では死ぬ前日突然、布団から身を起こし
壁を叩きながら俺の名前を呼んだと言う。
その時初めて親父のことで俺は泣いた。もう、過ぎた話だが今でも親父は許せない。
親父の結婚生活のありようを見てトラウマのようになった俺は今でも一人でいる。
>>322 泣けたよ・・・・・・
子ども時代のことから、結構な額の借金を清算してやって絶縁した数年前の親父を思い出した。
俺には異母兄弟が16人と、戸籍上母だった人が5人いるんだよ。親父が手を出した女性は数知れず。
遅くに子ども達を授かったが、俺のような思いはさせるまいと強く思っている。
おぉ、ここは「えぇ話し」で泣けるスレやん。
スレ違い、スマン。
親子だから、なんか悲しい関係に・・・ってあるよな。
泣かせてもらいました。
おまいら恵まれてないな
前世が幸せだったんだよ。あざなえる縄の如しだよ。来世はきっと幸せさ♪
327 :
323:2007/04/19(木) 01:03:47
話止まったな
君が死んでからもう1年。
君は今も僕を見守ってくれているのかな?
君は、僕の生まれて初めて出来た彼女だった。
すごく嬉しくて、幸せだったなあ。
突然、白血病だって医者に宣告されてから、君は病室で日に日に弱っていった。
「病院ってひまねえ」って笑う君を見て、僕はいつも泣いていたんだ。
君の為に、僕の小汚いノートパソコンをあげたら、君はすごく喜んでくれたよね。
ネットをするようになった君がいつも見ていたサイト、それが「2チャンネル」だった。
ある日君はいつものように、笑いながら言った。
「ほら、見て今日も2ゲット出来たよ。」
「あまりパソコンばっかいじってると身体に障るよ」
なんて僕が注意すると、
「ごめんねえ。 でもね、これ見てよ。
ほら、この3のひと、2げっとぉ!なんて言っちゃってさぁ、ふふ」
僕は黙っていた。君がすごく楽しそうで、僕は何も言えなかった。
「ほらみて、この3のひと、変な絵文字使ってくやしぃ〜!だって。
かわいいねえ。 ふふ。」
僕はまだ黙っていた。笑う君を見て、どうしようもなく悲しくなった。
「憶えててくれるかなあ」 君がふと言った。
「…この3のひと、私がいなくなっても、あの時変な奴に2をとられたんだよなー
なんて、憶えててくれないかなあ……無理かな……憶えてて、ほしいなぁ……」
それから数ヶ月後、君は家族と僕に見守られながら息を引き取った。
君はもうこの世に居ない、なのに僕は今F5を連続でクリックしている。
君の事を、3のひとが忘れないように、いつまでも、いつまでも忘れないように。
天国にいる君と一緒に、今ここに刻み込む
2 ゲ ッ ト
ズサ━━━━⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡━━━━!!
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 17:29:18
最近勃たないので、
役立たずって言われるとドキッとするわ。
泣ける。
なんか、昔つきあってた女にあれこれ言われて、
死にたくなったとき、
テレビで、アフリカのHIVに感染し
やせ細った6才の男の子が
外に出て友達と遊びたい
って言ってるのをみて、
もう少し生きていたいって思った。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 10:51:12
>>331 涙がにじみ出た
どうか釣りであって欲しい
大型家電屋さんに、AVの接続機器を買いに行った。
うちは、ケーブル・BS・CS・地上波etcで俺にとってはややこしい。
子供たちの要望をうまく満たせず接続機器を見比べ困っていると、
50過ぎと思しき係りの方が親切に声を掛けてくださった。
俺の拙い説明を聞き、図を描いて最適な器具と接続方法を教えて下さった。
お礼を言い、ふと名札を見ればうちでは使ってないメーカー名があった。
カタログ・netで細かく調べて頂いたのにユーザーではなく申し訳ない旨を伝えると、
「派遣会社からメーカーに派遣され、さらにここに派遣されている。」とのこと。
更には、「少し前に世間を騒がせた勤務形態の、さらに巧妙化したものである」と仰った。
品良く物腰柔らかくて、親切・温厚な頭の切れる紳士。
こんな方でさえリストラで不如意な生活をされているのを目の当たりにし、
どう表現していいのか・・・・・・なんか、切なくやるせない気分になった。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 20:47:37
で、AV機器は無事つながったんでつか?
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 01:27:41
>「少し前に世間を騒がせた勤務形態の、さらに巧妙化したものである」と仰った。
う〜ん、巧妙化してるんですね・・
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 01:33:29
うらぶれた下宿に、友人と住む貧乏学生の吉岡努は、雑誌の文通コーナーに
はがきを送った。
そして、誤字だらけの手紙を寄越した、工場で働く森田ミツと知り合う。
田舎娘か小学生のように、髪を三つあみにし、小太りで背の低い彼女とは
吉岡は最初から遊び目的だった。
吉岡はミツのもとを去り、小さな釘問屋に就職して、社長の姪と恋に落ちる。
吉岡と裏腹に、森田ミツは人に同情しすぎて、落ちぶれた生活を送っていた。
そんなミツの肩に、或る日あざが出来ていました。
気になったミツは病院に行き、
医者から「ハンセン氏病」と診断を受ける。
隔離病棟に入れられたミツは、同じ病気を患っている人たちを見て
「自分もあのようになってしまう」
と恐れました。
ところが誤診であることが分かり、ミツは病院を出ることが出来る事になりました。
ミツは、病気でなかった喜びで一杯になります。
でも、親切にしてくれた病棟の人たちを見捨て病院を去ることが出来なかった。
そして、病院に残り患者の世話をする事にしたのです。
ミツは病院の人気者となり、病院で作った野菜や卵を、町に売りに行きました。
そんなある日、車に轢かれ死んでしまいます。
ミツは死ぬ直前、「吉岡さん」と愛した人の名前を残して旅立ちます。
病院のシスターである、スール山形は、聖女のようがミツ愛した人ならと、
手紙を吉岡に送りました。
引用
http://ogob.net/full/full.php?aid=483&uid=&fav=&art=&page=11
続きは、どうなるのかなぁ・・
泣く前に終ったぞい
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 18:18:35
ありがとう。343
泣いたぞい。
人生ってなんなんだろうな・・・
345 :
338:2007/05/10(木) 22:16:36
>>339 うん、ありがとう。
うまくいって、子供たちも喜んでます。
346 :
338:2007/05/10(木) 22:17:24
>>341 遠藤周作だね。「わたしが棄てた女」だっけ。
泣ける話だったよ。
ところで、「森田ミツ」は、「灯のうるむ頃」にも出て来るんだよね。
コンビニでパートを始めたばかりの頃
慣れぬ手つきで 一生懸命コピーを取ろうとしている女性を手伝った
40代終わりくらいの年代か
「お手数掛けて申し訳ありませんねぇ」
と話す口調も明るく コロコロと良く笑う
コピー位置を確かめようとふたを取ると 死亡診断書の文字があった
「息子なんです ちょうど1週間前にバイクで事故に遭いましてね
新聞にも出たんですよ ご存知ありません?」
目の前の女性はまるで3面記事の話でもするかの様に
にこにこと笑顔で話し続ける
「警察にあれもこれもコピーしろって言われてね
普段したことないもんですから お忙しいのにほんとすみませんねぇ
このところ忙しくてね
なにしろね 大学出てすぐ働き始めたばかりですから
職場の方にもご連絡やら手続きなんかで大変でしたの」
話に夢中になる少女のように 淀みなく語り続ける彼女は
あくまで朗らかで どこか他所事で 礼儀正しかった
そして私はそんな彼女に なんの言葉も掛けられなかった
何を言えば良かったのか・・今もわからない
124 名前:j[] 投稿日:2007/02/26(月) 00:53:03 ID:b1ua18YSO
携帯からスマソ。
私が中学の時体験した話を書きます。
私の中学生の時はまだ“不良”がカッコイイって時代で私もその中の一人でした。
いつも数名の仲間と帰路につき、家の近くの神社に溜り酒を飲みながら騒いだりしていました。
その日もいつもと変わらず数名の仲間とともに午後からの授業をサボり神社に向かったのですが、鳥居の前に見慣れぬ猫が居たのです。
その時は見慣れぬ猫がいるな。程度で見たのですが、何故か気になり私は鳥居の前の猫に近寄って行きました。
最初仲間は私を待ってくれていたのですが溜り場に行ってると言い残しその場を去りました。
私は猫が動かないのを不審に思いました。目で威嚇はしてくるのですが自分の力では立ち上がれないって感じでかなり衰弱しているようでした。
しばらく見ていたのですが猫からは“諦め”といったような悲しいものを私は感じました。
そんなこんなで猫のもとを離れられずに居たのですが、私の到着が遅いという事で仲間二人が様子を見にやってきたのです。
その二人の仲間も猫の様子を一目見て何か感じるものがあったのでしょう。少し三人で話し合い、近くのスーパーから段ボールをもらってきて猫を連れて動物病院に行きました。
125 名前:j[] 投稿日:2007/02/26(月) 01:12:17 ID:b1ua18YSO
(続き)
診察をしてもらったのですが中学生の財布に普段入ってる金額なんて、たかがしれてます。3人で3千円ちょっと。ガラスごしに見ていると点滴もしているようだし何か飲ませているし内心治療代が足りないのでは無いかとヒヤヒヤしてました。
一通り治療が終わり獣医が私達の元へ来て誰か持ち帰り世話をしてくれないかと言ってきました。
三人の中で家に動物を入れれるのは私の家だけ。少し悩みましたが私が引き取る事になりました。
しばらくして猫を連れてきた獣医に代金の話をすると、黙って集めた金を受けとりその金額分のペットシートや猫用のミルク、ミルクを与える時に使う注射器や、保温マットを持ってきてくれ、明後日話をしたいから来てくれと言われそれらを渡されました。
獣医に頭を下げ、感謝しながら帰ってきた事を覚えています。
私達は良くなったら里親を探そうなどと話をしながら別れました。
家に帰ってきてからは毛布やタオルで猫の寝床をつくり絶えず猫から目を離さずにしてました。
夜も寝ずに猫の嘔吐物を片付けたりしてました。
次の日、薬が効いたのか嘔吐する時以外昏睡状態だった猫が鳴いたり少し動いたりするまでに回復したのです。
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 21:01:52
126 名前:j[] 投稿日:2007/02/26(月) 01:39:58 ID:b1ua18YSO
その日は学校に必ず来いと言われていたので、猫が不安でしたが学校に向かいました。
しばらくしてから家に残った母が不思議な体験をしたようなのです。母が言うには私の部屋から話声がしてきたと。
いつものように私がサボり帰ってきたのかと私の部屋に向かうとどうやら独り言みたい。“ありがとう”と、何度も誰かが呟いていると言うのです。
ドアを開けると猫しか居ない。流石に不気味になり母も出掛けたそうです。
夕方私が帰宅すると寝たきりですがミルクを催促できるまでになった様子。ミルクを与えしばらくすると眠りました。
中々起きないので二時間後に触ってみると少し固い…。最初は気のせいと思っていたのですがみるみるうちに体中が固くなっていった。必死に体をさすったがもう遅かった。
猫が苦しみ始め私は見るに絶えず腕の中に抱えました。それから数分後…私の腕の中で最後の鼓動をひとつ打って死にました。
私はとても泣きました。仲間に電話をして謝りました。自分が情けなかった…。
次の日は獣医と約束した日。約束通り病院へ行くと獣医から事実を聞かされました。“あの猫は老衰だった。助かる見込みはなかった。”獣医はその日に死ぬと見ていたそうです。
127 名前:j[] 投稿日:2007/02/26(月) 02:04:30 ID:b1ua18YSO
私は事実を聞かされショックで獣医にすがり泣きました。なぜ、助かる見込みがないのに預けたんだ。なぜ、もっと早く話してくれなかったんだ。それがわかっていたなら心構えが出来ていたんだ。って。
動物病院から歩いて帰ってくると神社にあの二人の仲間がいました。
三人で猫を埋め線香立て、私の部屋に戻ってくると静かに母が入ってきてあの体験を話してくれました。
それを聞かされるまで私は正直猫との出会いを悔いました。なぜ出会ってしまったのか。なぜ気にとめず通り過ぎなかったのか…。その時の私にはとにかく悲しすぎた。
私は今になって思います。あの出会い、そして母が体験した出来事。幼い私が小さな命が消えた事に素直に涙を流せ思った事。全てが小さな私を少しだけ成長させてくれた。
今書きながら心から思う。自らの命を捧げ一つの命の重みを私に教えてくれてありがとう。
このたった二日だけの出会いは今の私の原点です。
長文・駄文失礼しました。
三人を助ける為に、神様が猫を使わしたとしか思えないお話だ。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 23:14:18
このスレ初めてきた。だめだなこりゃ、身がもたんわ。
涙が止らん・・、釣りが混じってるのは百も承知だが。
しかも最後の話は「猫」の話だし。
うちの猫、2年前に享年19歳で逝ったんだが、当時
もう臓器は一切機能してません、の余命宣告最大1週間を受けて
いつ「その時」が来るやもしれぬ状況だが、会社を休めるわけもなく
ただ残業だけは回避して即行定時で帰る日々を送っていた。
ついに4日目「その時」がきた日、ずっと付き添ってたオフクロは
もうダメ夜まで持たない、と思ったそうだが、
俺が帰ってくるのを待ってたかのように、ほんの一瞬だけ
意識を取り戻し、力無く最期のひと鳴きしてから息を引き取った。
死に目にあえてよかった、今でもつくづく思う。
猫の食用草があってこれが大好きだったんだが、
2年経った今でも、オフクロがこれを栽培して添えている。
オフクロが死んだら、オヤジか俺がこれをやるんだろうな、きっと。
昔、俺は2匹の猫を飼っていたんだが
引越しのとき置き去りにしてきたんだ。
その猫を思い出したよ。
最後の別れの餌は金がなくてソーセージ2本買おうと思ったんだが
その時涙が出てね・・・
「俺ってケチだなぁ。今まで一緒に生活してたのに・・」
あり金かき集めて高級缶詰買ってあげたっけ。
こんな俺でも泣かせてもらいました。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 03:26:46
猫の話になったので、泣ける話っていうべきかわからないけど、私の話をします。
その子猫は夏の日に現れて、どうやら捨てられた子でした。
団地住まいだったので飼う事はできなかったけど、こっそり餌をあげていました。
すごく元気な子猫で、木昇りしたり、やんちゃでした。
ある日、その子―――なっちゃんと名付けた がへたり込んでいました。
下半身が動かず、前足だけでズルズルと歩く事しかできませんでした。
獣医さんへ連れて行くと、交通事故にでも遭ったのだろう、脊髄をやられている、と
診断されました。脊髄は、色々な神経があるため、ここをやられると手術は不可能
下半身は一生マヒしたままだと言われ、「どうしますか?安楽死をお勧めしますが」
と言う獣医に言葉を失いました。
とりあえず、家に連れて帰り、私は悩みました。
下半身マヒの猫を面倒見る事はできない。けれどそれが理由で、なっちゃんの命を奪う事もできない。
知人に話すと、その人は激怒し、そんな冷酷な獣医ではない、彼女の知っている獣医さんに
連れて行ってくれました。
けれどそこでも、治る見込みはないと言われ、こちらの事情を話すと、しばらく
預かってくれる事になりました。
それから2ヶ月。
突然、私の祖母が死にました。脳梗塞でした。
お葬式などの段取りが決まるまで2日間、私はずっと祖母の遺体の側にいました。
夜、祖母のとなりに布団を敷いて寝ながら、「おばあちゃん…最後のお願い、聞いてくれる?
今、下半身マヒの猫がずっと入院してるの。その子をどうか助けて。お願い。」
祖母が死んだ悲しみと、この2ヶ月ずっと心配していたなっちゃんの事で
涙が止まりませんでした。
そして、奇跡はおきました。
祖母の葬式が済んだ後、獣医さんから電話があり、なっちゃんがいきなり立ったというのです。
そして、ちょっとよろけながらも歩けるようになったと。
治る見込みはないので、なんの治療も受けていなかったのに。
2ヶ月も預けたから、入院費もそうとう行くと覚悟していましたが、
預かってただけだから、食費だけでいいよ、と2万円で済みました。
その上、知人の紹介で貰い手まで決まったのです。
もう子猫というには大きくなってしまったなっちゃんを、新しい飼い主さんの家の女の子は
優しく抱いてくれました。
あの時、安楽死を選ばなくてよかった。そしておばあちゃん…
おばあちゃん、ありがとう。おばあちゃんが最後の力で助けてくれたんだね。
いろんな思いが込み上げて、私は号泣しました。
泣けるというより、私が体験した奇跡の話ですみませんでした。
356 :
コピペ:2007/05/14(月) 11:05:15
225 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2007/03/19(月) 20:16:24 ID:KatWLD3yO
以前愛猫を交通事故で亡くし「私の子供に産まれてきて」と言うと、5年も駄目だったのに妊娠した…
という内容でこのスレに書いた者です。
その後何度か流産しかけ妊娠中の1/3を病院で過ごし、
最終的には1ヶ月早く帝王切開→赤仮死状態で誕生→すぐに蘇生と
トラブルだらけでしたが、亡くなった猫と同じ男の子が産まれました。
現在は3ヶ月で元気いっぱいです。
さて、本当に産まれ変わりかと思っているのですが、
猫が死んだとき、何かしるしをつけて産まれ変わってと伝えてました。
そしてうちの子は…
右足に猫と同じチョコ色のあざをつけてきました。
赤ちゃんがもうこ斑意外であざがあるのは珍しいそうです。
やっぱり産まれ変わりかなとしみじみ思ってます。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 17:45:22
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
J('ー`)し
( )\('∀`)
|| (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな
仕事で生計を立てていた。
┌─────────┐
│ 個 人. 商 店 │
└─────────┘
│ J('ー`)し |
│ ( ) ┌─|
│ || │ i|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
│
│
│
│ J('ー`)し_____________
/ ̄ ̄ ( ) ('∀`)
/ || (_ _)ヾ
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 17:46:03
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を
持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
///////ww w ww
//////w ww J('ー`)し
/////w w ww. ('∀`) □ノ( )
////w w w ( ヘヘ ||
///w ww ww w
給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを
買ってくれた
J('ー`)し ワーイ コーラ ダ
( )ヽ□ ヽ('∀`)ノ クリームパン ダ
|| (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらって
きた
J('∀`)し
(ヽロロ ヽ('∀`)/
|| (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 17:47:20
俺は生れて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつも
より少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
J('∀`)し
t─┐ノ( ノ) ヾ('∀`)ノロロ
│■| | . (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に
止められた
──┐
│ _[係]
│ J(;'Д`)し (`Д´ )
│ ( )\('д`) ロロヾ( )
│ || (_ _)ヾ / └
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを
買わなければいけないと言われた。
──┐
│ _[係]
│ J( ;'A`)し (`Д´ )
│ ( )\( 'A`) ロロヾ( )
│ || (_ _)ヾ ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 17:48:09
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは
外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら
( '∀`) J('A` )し
.(_ _) ( ) .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
母は 「母ちゃんバカでごめんね」 と言って涙を少しこぼした
( 'A`) J('A` )し
.(_ _) ( ) .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって
一生懸命に勉強した。
||||\ ('Д`;) ベンキョウ ベンキョウ
──┐ヽ( )
│くく□
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 17:48:52
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた
[大]_
('∀`) J('ー`)し
( ) (人)
|| ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。
('A` )
J('A`)し ( )
/⌒⌒⌒⌒⌒ヽ ||
// ̄ ̄ ̄フ /
/ (___/ /
(______ノ
俺は 「楽しかったよ」 と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった
('ー`;;)
J('A`)し ( )
/⌒⌒⌒⌒⌒ヽ ||
// ̄ ̄ ̄フ /
/ (___/ /
(______ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 17:50:06
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
o
__ ゚
母 |
の |
墓 | ∴ ('A`)カーチャン..........
──┐ ∀ << )
■母の日は母の命日だった■
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 17:50:42
つ2000円 あぶく銭だ気にせず使ってくれ!
そのネタは、リンカーンでもオンエアされてるネタなんだけどな
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 17:54:20
あの話か
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 00:50:52
>>353 352だけど、あなたの話を聞くと、
いかに自分らがヒドかったか胸が痛む。
俺の両親は20代の時、迷いネコを飼ったのがいいが
面倒みきれなくなり「置き去り」ではなく「捨て」にいった。
しかも人気のないとこに。ガキ心に覚えてる。
置き去りなら、近所の人にゴハン貰えば生きていけるのに。
「置き去りにする時に涙」などとは掛け離れた非道行為。
俺は俺で、アリンコつぶすとか非道な殺生をする鬼ガキだった。
うちの逝った猫(名前トム)は、俺が22の時、両親が40半ばの時に
知り合いから頼まれてもらってきた猫。19年間の歳月の中で、
悪魔の血が流れる俺の一家(ヨメ&ガキ除く)を浄化してくれた。
まあ、元が邪悪すぎるため完全浄化とはいかないが・・。
ちなみにオフクロ、
「もう死ぬのは全然怖くなくなった、死んだらトムに会えるから」。
自分自身の死んだ両親とかに会うの、どーでもいいみたいだ・・。
ある夜、俺が歓楽街を歩いていると、ポン引きが声をかけてきた。
ポン引き「きれいどころ揃ってるよ?400ドルだよ?」
俺「400ドル?高すぎる。攻めて100ドルにまけろ」
そんな押し問答が続いたのだが、結局商談は成立せず。
俺はそのまま去っていった。
後日、俺が妻と一緒に夜の歓楽街を歩いていると、いつかのポン引きが現れ、
ニヤニヤしながらこう言った。
「どうだい旦那、100ドルじゃロクなのいないのわかったろう?」
泣ける話だ・・
370 :
コピペ:2007/05/18(金) 15:34:49
胎内の記憶2と言うスレより
318 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 00:55:22 ID:pmhn8ArH
携帯から&長文でスマソ。
4歳の娘に聞いてみたんですけど、たくさん記憶してました。
お腹の中にいた時は、
「お腹の中は暖かくてお風呂みたい。ちゃんと座ってたのに、
ママが体操したら逆さまになっちゃった。でも、逆さまの方が
気持ち良くなって、そのまま寝てた。」
実際、逆子だったので、逆子を直す体操やってました。
胎内に来る前は、やっぱり空の上にいたみたいです!
たくさんのお友達と遊んでたら神様が来て、どのママがいいか
神様と決めてから来たらしい。
あと、前世の記憶(?)もあるらしくって、聞いてみました。
「お母さん(私じゃない)がいなくなって泣いてたら、パパが来た。
一緒に帰ったらママがいた。そしたらパパがシャワーで体洗って
くれた。病気でしんどかったけど、ママがイイコイイコして
くれたから嬉しかった。でもお母さんに会いたくなって走って
探してたら、頭からガブッて噛まれて血がいっぱい出て
死んじゃったの。でもママにはまた会えるって知ってたよ。」
これ聞いて本当にびっくり!
昔、旦那が子猫を拾ってきた事があるんですけど、状況が
まるっきり同じでした!
玄関開けた時に逃げだしていなくなっちゃって、探したら
犬に噛まれてて…。
こんな話、今まで娘にした事なかったから、本当にあの時の
子猫なのかな?
不思議すぎる。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 19:36:36
373 :
ロン:2007/05/18(金) 22:22:19
〜あの手紙〜
現在、私は36歳、今では家庭もある普通の会社員です。
これは私が19歳の時に経験した実話で、忘れる事の出来ない悲しい思い出です。
T美と出会ったのは高校3年の通学電車の中でした。いつもと同じ時間の同じ車両。
そこにT美は乗っていました。といっても過去2年間は一度も気づかなかった?
いや、多分違う車両に乗っていたんだろう。まぁそんな事はどうでも良い。
とにかく腰辺りまで長くて綺麗な髪の毛、目が大きな印象で、キュンとなっちまった。
その頃のアイドルで例えると荻野目洋子似?(笑)とにかく、素敵な子だった。
T美は俺とは違う高校で看護婦さんを目指す学校だった。俺は…まぁ良く言うボンクラ学校。
その日からT美の事が少しずつ気にはなっていたが、実は俺、その頃、別に彼女いたんだ。
その彼女の存在を知って1ヶ月位たった頃かな?彼女と同じ高校に通う中学の時の同級の子から
「あんた、彼女いんの?いなければ、T美と付き合ってあげて」と、T美からの告白報告だった。
でも彼女いたからね、やっぱきちんと断ったよ。
でも、それから間もなくだったよ、その時の彼女と別れたのはね(笑)
1学期・夏休みも終わり2学期に入ってからかな、T美の事、どうしても気になって仕方なかった。
で、思い切ってT美に告白したんだ。そしたら答えは即OK!俺が断った後もずっと俺の事、
想っててくれてたんだ。それから、T美との交際が始まった。
続く
374 :
ロン:2007/05/18(金) 23:49:25
続き
彼女との交際は、ほんっと楽しかった♪学校の帰り、綺麗な海の砂浜がある駅で降りて、
日が暮れるまで話したり、彼女の両親が旅行で留守の時、内緒で家に泊まりにいったり、
俺ん家に遊びに来たり、原付2人乗りして、おまわりさんに叱られたり(笑)
ついでに言うと彼女にとって俺が始めての男であった事も。
そんな楽しい彼女との交際も終わりが来る。高校の卒業式も迫ったある日、俺は
彼女をふったんだ。それは、嫌いとか飽きたとか、そんなんじゃなくてね。
俺は夢があった、当時アパレル関係の仕事がしたいと思ってて、俺が東京に就職を
決めた日だった。T美は当然、夢である看護婦になる事。俺は俺の夢があったから。
やっぱT美は泣いたよ。ずっとずっとね、今でもその時の泣き顔は覚えてる。
一方的な判断で俺は別れを告げ、高校を卒業した。もちろん彼女は高校卒業までに
準看になってたよ。
東京では田舎者の俺には、まったく歯の立たない街で、今で言う負け組だね。
そそくさと都会を後に、実家に帰って来たよ。そこで普通に就職し、平凡な毎日やった。
ある日の事、一通の手紙が来たんだ、差出人はT美だった。
どうやら、俺が地元に帰って来たのを、知ってた模様。
手紙の中身はと言うと、※おぼろげにではありますが、覚えてる内容を書きます。
「お元気ですか?地元に戻ったと友達から聞き手紙を書きました、
私は、今でも看護婦さんを目指し近くの総合病院○○病院に勤めています」
と、車の免許を取ったとか、友達が早くも結婚したなど、現況の報告を綴った内容。
そして、最後の一行だけ
「あなたに、伝えたい事があります」と…書いてありました。
その時は、まぁその内、会う事になるかも、その時教えて貰おう!と思っていました。
でも、それは、叶わぬ事になるのです。
続く
375 :
ロン:2007/05/18(金) 23:51:03
続き
手紙をもらってから丁度、1週間が過ぎた日の夕方、家には俺一人しかいなかった。
静まり返った部屋に一本の電話が鳴った。でも何故か、電話に出たくない!と、体が拒絶した。
しかし家には俺だけなので、嫌々ながら出る事にした。相手はT美の友達。中学の時の同級生だった。
彼女は泣いている。。。「昨日の夜、交通事故を起こし今日、T美が亡くなった」と。
目の前が真っ白になった。
翌日、翌々日と頭の中が整理できないまま、俺は、通夜・告別式と参列した。
T美は俺の彼女でいた時と、それは、まったく変わらない笑顔の彼女でした。
葬儀〜火葬場には沢山の学校・病院の仲間達も参列しており、それは悲しい
告別式でした。火葬場で、最後のお別れの時、俺は辛くて耐えられなくて、
一人ポツンと離れていました。が、T美の仲の良い友達数人がT美の元へと俺を連れ
「あんたねぇ、最後にT美に別れをいいなさいよ!T美はね、ずっとずっと今でも、
あんたの事が大好きだったんだよ!」と。。。
それは、T美が焼却炉へ入って行く直前の事でした。俺は彼女の傍で号泣し最後の別れを告げました。
周りを見回すと、T美と俺2人だけの世界がそこにはあり、家族・親族の方・友達・会社すべての方は、
俺達二人を囲む様に、泣いていました。
あれから、17年。今でもT美を思い出します。忘れる事のない、楽しかった思い出を大切にこれからも
生きていきます。
T美へ、
俺への手紙、ちゃんと読んだよ。最後の文「伝えたい事がある」って書いたよね。
T美の口から言葉で聞く事は出来なかったけどね、俺、わかってたよ!だから心配すんな!
※長文・駄文ですみませんでした。
あの時貸した3万円返してください
俺は泣いたよ。
しかしモテる人はドラマがあるんだなぁ
俺はモテないから なにもないや
>>379 心配すんな、ワシもモテへんかった。
それでもこんなワシは、ある女性と偶然の出会いがあった。
小細工なしの等身大のお付き合いがはじまったんや。
ドラマみたいな感動話なんかあらへん。
そら、寂しゅうて辛い時期もいっぱいあったで。
せやけど些細なことも含めて全部がワシの青春や。
嫁ハンと出会い、今では娘もでき、なんとかやってる。
結婚生活には色んな出来事がつきもんや。
困難な出来事があってん。そんな時も嫁ハンは全力で協力してくれた。
恋愛ドラマのようにはゆかんかもしれんけど、
大事なのは「一生の伴侶」という存在。
だからなぁ、まだな〜んにも心配することあらへん。
最後の最後に、たった一人の大事な人に出会えばええねん。
今はその受け皿っちゅーか、今の自分を一生懸命に生き抜きなはれ!
まだまだ君は輝く。
涙が流せるんやから。
これは泣けるかも・・・・レス番が
レス番なんか気にするな
>>382 泣ければいいじゃないか。
で俺に何をしろと?
主人が出て行った日 この世の終わりかと思うほど泣きました
まだ小学生の息子と娘の前で ただわぁわぁと大声で・・
12歳にもならない息子は 自分のより大きな私の肩を抱きしめ
娘はまだ小さな両手でわたしの手を包み 自分も泣きじゃくっていました
あれから1年以上経って 今でも時々立ち止まってしまうけど
子ども達と暮らす為にがんばって働きます
>>383 ゴールが来るまで良い悪いなんて分からないものだよ。
「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」・・・・そして、
暗闇は、夜明け前が一番深いんだよ!
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 21:43:36
男が逃げたぐらいで泣くなよ、子供が居れば希望が持てるだろ
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 22:33:03
泣ける話ありの、くだらん話ありの、さらに笑いあり(379-382)の
良スレッドだ。
>>379 大阪方面のお人、いい話ありがとう。(笑いもあったけど)
>>383 この話、けなげに気丈に振舞った子供たちに泣ける。
大丈夫、こんな子供たちに囲まれてるなら、あんたは超幸せモンだ。
何があったかしらんが、子供が居るのに家を出ていく旦那など、
ロクなもんじゃない、むしろ居ないほうがいいと考えようぜ。
アンカー間違ごうたなぁ
あちゃ〜、やってもうたワwwwwww
抜けとるなぁワシ。ホンマ人生のまんまや。
せやけど、娘も嫁もこんなワシを大事に思ってくれるねん。
この嫁ハンもらう前は、いっぱい女にフラれたんや。泣いたで。
世の中、要領のええやつが成功しとったけど、
ワシは武骨で愚直で、そないな生き方でけへん。
でも、こんなんでええねんっちゅー奴もおるねん。
苦しかったり寂しかった分、家庭を大事にしようと今までやってきてん。
今は家の中はいつも笑いが絶えへん。
いいことばっかりの毎日ちゃうけど、娘も家を明るくしてくれる。
ワシもマヌケやが、等身大でコツコツやってたら、小さい家も買えた。
自分の無力さに泣いてたあの若い頃から何年経ったやろか・・・。
けっして背伸びすることなんかいらん。
悪くないで、ワシの人生。
家で何も気にせんと、オナラばっかりコイてたら、
最近は娘に怒られるねん。そろそろ、これくらいは気ぃ遣おうかなw
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 01:13:19
おお、寝る前にチェックしたら・・
>>387 幸せなんすね〜、俺も幸せな気分になれた。
いつもロクな夢しか見ないけど、今日はいい夢みれそうだ。
おやすみなさ〜い。
と言う夢を見た。
ほんと関西弁て嫌
>ほんと関西弁て嫌
このレスに泣いたで・・・
>>384 >>385 >>386 レスありがとうございました。
主人の身勝手な行動は許せないけど、今の所はお金も振り込まれていますし、
彼なりの誠意もあったのかなぁと思っています。
子ども達をほめていただいて、ありがとうございます。
すぐにめげてしまうダメな母に、
いつも優しくしてくれるよい子に育ってくれてます。
私も強く逞しく生きていこうと思います。
がんばれ! そしてお前の人生楽しめ、まだまだ人生これからだ
泣けた話
先日主人に打ち明けた…
訳ありの、内緒で借金してた事を。総額で300万。
一瞬、唖然としてたけど、次に出た言葉。
「お前が作った借金は俺の借金でもある。一緒に返していこう」と。
この人と一緒になって良かったと思うと涙が止まらなかった。
三十代主婦。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 22:17:15
おじいちゃんが、けんだまを買ってきてくれた。普通の玉の2倍あるけん玉。
京都に旅行に行った時のおみやげらしい。おじいちゃんが一生懸命選んで買ってくれた、けん玉。
私はそんなけん玉に文句をつけた。「こんなんいらんわ、返してきて。」
おじいちゃんは悲しそうな顔をした。私はおばあちゃんに言った。「おじいちゃんがあんな
危ないもんおみやげに買ってきた。」って。おばあちゃんは私の話を聞いておじいちゃんに言った。
「こんな危ないの買ってきて怪我でもしたらそうするんや」と。
おじいちゃんは、その1言で買ってきたけん玉を、重い足取りでどこかへ持っていった。
悲しそうな背中だった。
おじいちゃんが倒れた。ある日おばあちゃんから電話があった。私はその時はどうせ何ともないやろって
そんな気持ちでたいして心配もしてなかった。週末お母さんとおばあちゃんと一緒におじいちゃんが
入院する病院へいった。おじいちゃんに喋りかけたけどおじいちゃんは何にも
言わなかった。眠ったまま。脳梗塞っていう病気らしい。おばあちゃんが言った
「おじいいちゃん、あんたらが来るんいつか!?って毎日おばあちゃんに聞いとったわ
まぁ酒ばっかり飲んどったしいつかこうなるんちゃうかって思っとたけど、、、まあ酒ばっかり飲むで
自業自得や」私はおばあちゃんが言ったこの言葉に何か深い意味があるような気がした。
それから毎週、お母さんと一緒におじいちゃんの入院する病院に言った。
その間おじいちゃんの病状はよくなる所か次第に悪くなった。
一度も目を覚まさなかったし。喋る事もなかった。
そして、おじいちゃんは死んだ。私は始めて今まで心配もしていなかった自分に
腹をたてた。思い返せば一番私を可愛がってくれたのはおじいちゃんだった。
わたしの書いた下手な絵をほめてくれたのも、お母さんに怒られた私をかばってくれたのも、
ままごとをして遊んでくれたのも、ちょっとしかないお金遣いでおやつを買ってくれたのも
全部おじいちゃんだった。私はそんなおじいちゃんに酷いことばかりしてきた。
おじいちゃんの葬式の時、もうおじいちゃんは帰ってこないし、会えないんだ。
と思うと涙がでそうになった。おばあちゃんと一緒におじいちゃんのタンスの整理を
していたら、見覚えのあるけん玉がでてきた。普通のけん玉の2倍ある大きさの玉のけん玉。
私がひどい事いったおじいちゃんが買ってくれたけん玉。
あの時おじいちゃんはどんな、気持ちでけん玉をこのタンスの中にしまったんだろうか。
あの時素直にありがとうって言っとけば、、、。
「ごめん」私はけん玉に向かって謝った。
おじいちゃんが買ってきてくれたけん玉に。
借金とケンダマ
泣かせてもらいました。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:27:26
泣ける話はまだですか?
>>395 ちょうど親父が脳梗塞で入院したとごだっけ
泣けてたまんねわ・・・・
6年振りの妊娠で女の子を授かりました。
でも夜中の1時に産まれてその日の夕方に
亡くなってしまった。
誕生日と命日が一緒だなんて辛過ぎる。。。
おかあさんのお腹からでてきてやっと会えたのに
すぐに行っちゃってごめんねおかあさん。
でも、神様がお花がいっぱい咲いている天国につれて来てくれて
小さいおともだちもたくさんいて、いっしょにあそんでいるの。
だからおかあさん、しんぱいしないでね。
いい加減世間的にはいい歳なのに、俺にはこんなときにかける言葉がない...
ただ、こんなときこそ、パートナーとしっかり手を握りあっていてほしい。
他の誰でもない、2人の人生なのだから。。。
43歳になる俺はまだ結婚できない
ほんとに泣けてくる
その書き込みに、46才のオレが泣いた
2度結婚して、現在自由な47の俺は勝ち組...
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 14:26:50
昔、オレが小学2年の時、父が癌で亡くなって、それ以来母が
一人でオレを育ててくれた。
しかし、母は手に職を持っているわけでもなく、学歴も無いため、
どこも正社員としては雇ってもらえず、パートの掛け持ちで
オレを育ててくれた。父が残した借金があったので、
生活は極貧と言っていいほどだった。
毎日の弁当はふりかけだけ。二日に一度ぐらいはちくわが入っていたこともあった。
休みの日にもどこにも連れて行ってもらえず、家で何度も読み返しボロボロになった
本を繰り返し読んだりして過ごした。
ある日、学校から帰ると母が「今度の休み釣堀へ行こうか?」
と聞いてきたのでオレは、うれしくて死んでしまいそうだった。
日曜日に弁当を作り、釣堀へ出かけたが、母がもらってきた釣堀の券は
招待券ではなく、割引券だった。割引券を使っても、二人で1400円が
必要で、俺たちは電車賃しか持ってなかったので、釣堀へは入れずに
近くの芝生で弁当を食べて帰ってきた。
中学になって、お約束通りイジメに合い、家では母に
キツく当たったりもした。その都度母はゴメンネ、ゴメンネ
と言って涙を流していた。
中学を卒業し、高校には行けないオレは、ある飲食店に
就職し、定時制の高校へ入った。
3年経ち、親方に腕を見込まれて、後2年がんばって二十歳に
なったら、店を一軒お前に任すと言われ、死に物狂いで
がんばった。結果店を一軒任せてもらい、その後20年突っ走って
ここまで来た。今は和食ダイニングの店を3軒構えられるように
なり、年収も4桁を越えるようになった。
ここまで来れたのも母のお陰だし、イジメたヤツらが
いたからこそだと思う。
でも、先日いなかで母が倒れ、オレは一晩中高速を飛ばし、
地元の市民病院へ直行した。
病室に入ると、母が微笑み、「体に気をつけるんだよ」
と言い。意識が朦朧としていく中、「釣堀ごめんね」と
言い残し、この世を去った。亡くなった後、母の目から
涙が一滴こぼれ、オレは耐え切れずに声を上げて泣いた。
親孝行したい時には親はいない。という言葉を思い出し。
更に泣いた。せめてもの救いといえば、オレが成功してから、
母を海外旅行に連れて行ったり、美味しい物を食べさせたり
した事だ。しかし、それらも母が作ってくれたちくわ入りの
ふりかけ弁当に比べれば足元にも及びません。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 14:36:29
>>406 『一杯のかけそば』並の泣かせ文章乙!!
他のバージョンは野球の割引券見たよ
見飽きた〜プロレス編希望〜
でも、ちゃんと泣いてやったからな。
409 :
救えば 自分が救われる:2007/06/15(金) 14:01:49
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 20:32:47
人間って・・・・・・・・。勝手だよなぁ・・。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 20:53:38
泣くな!
クソオヤジども
まだまだ先は長いぞ!
412 :
(::´┏┓`:):2007/06/27(水) 03:32:33
413 :
(::´┏┓`:):