1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
ずっと親を放ったらかしにしていました。
親孝行など一度もしていません。
迷惑かけまくりました。時には親を憎みました。
あれから20年、私も落ち着き、親を思いやる余裕が出来ました。
久しぶりに実家に帰りました。老いていました。
オヤジの背中が小さく見えました。
旅行をプレゼントしようと嫁と計画しました。
1ヵ月後、オヤジは、持病が悪化し死んでしまいました。
今となっては後悔の日々です。
孝行する時には親はなし・・・身にしみました。
親が生きているうちに、できるだけ、やれる事はやってあげとくべきです。
死んだら終わりです。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 16:52:21
そりゃそうだ
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 01:31:27
お袋が死んだ時、もう二度とあの味噌汁は飲めないんだなと
思ったよ。いつも普通に食ってたお袋の手料理なんだけど、
離れて暮らすようになって、最後に食ったのがいつだったのか
思い出せなかった。その思い出せない自分がすごく腹立たしかったな。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 10:02:00
他スレのコピペですが
以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、そのうちメモリが
いっぱいになったらしくてメカ音痴な母は「ねえ、これ写らなくなっちゃっ
たんだけど…」と遠慮気味に相談してきたけど、漏れは面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ! 忙しいからくだらないこと
で話しかけるなよな!」と罵倒してしまった。
その母が先日事故で亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、なんとはなしに撮ったもの
を見てみた。
漏れの寝顔が写っていた。
涙が出た。
親が亡くなったばかりの人はいくら2ちゃんでも
「氏ね」なんて言われると心が痛むよ。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 22:29:16
お袋が癌で入院し、いよいよもうダメだという時、娘と息子を連れて
見舞いに行ったんだよ。そうしたら、寝てばかりいたお袋が、ベッドの
上で起き上がって待ってた。そんな力なんか無かったのにね。
ニコニコと笑って、代わる代わる娘と息子の頭を撫でていた。まるで
大きくなってもおばあちゃんの事忘れないでよね といってるように、
いつまでもいつまでも。
やがてお袋は、疲れたんだろうね、ベッドに横たわって目をつぶった。
それでも娘の手はずっと離さなかった。
娘は、幼稚園の友だちの話をお袋に話していた。お袋は訳もわからない
だろうに、目をつぶったまま、うん。うん。と聞いてた。
見舞いから帰った翌日、お袋は眠るように亡くなった。俺はお袋に親孝行
しただろうか。してないよな。だけどお袋の意識あるうちに、子供たちを
会わせる事ができたこと、これは親孝行になるかな。
どう思う?お袋。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 23:08:36
良スレage
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 23:12:08
みんな一日一日を大切に生きような。。。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 23:19:19
両親も祖父母も健在です
おじおばとも同居
毎日忙しい
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 23:20:02
今のうちに保険に入れとき
11 :
名無し@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 16:23:06
先月父が亡くなりました。
亡くなる2日前は誕生日で孫が全員揃って病室でお祝いをしました。
前日、私が面会に行った時、別れ際なかなか手を離しませんでした。
病気で3年間食べれず、しゃべれず、つらかったと思います。
亡くなる時はやすらかに逝ったのでよかったです。
まだ、いろいろ手続きが残っています。
親孝行できたのか今でも疑問です。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 16:29:26
孝行したいが
子がいない
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 16:34:59
涙で霞んで文字が見えなくなるスレですね
(↑Д↑)
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 16:46:08
共働きでいつもいつも忙しかった母。
末期の癌で最後の7ヶ月は病院暮らし。
毎日通って身の回りの世話をした。
その入院生活の時が親子で一番密着できた月日だったような。
ある日、「ここで髪染めてくれるかなあ」とポツリと漏らした。
翌日病室で髪染めた。それから数日後に容態急変して
他界した。自分の死期察した最後の女心だったのかな。
なんだか精一杯のお洒落して旅立っていったかのようだった。
白髪で振り乱した髪を皆に見せたくなかったんだろうか?
あれから13年経つ。かあちゃん、皆変わりなく元気でいるよ。
孫も平凡だけど人並みの大人に成長したよ。
俺のガキの頃の写真が入ったアルバムを楽しそうに見ているおふくろが鬱陶しかった。
そのころ、いろんなことがあったために怒りっぽくて癇癪持ちになっていた俺には、
昔を懐かしんでいる母親の姿なんてうざったいだけだった。
でも、子供が生まれて親になり、初めて分かったよ。
俺も今、同じ事をやってる。あの時、あなたの気持ちを理解できなかった自分を、
今は恥じている。申し訳なく思っている。できればこの気持ちを伝えたいけど、
あなたは今、それが不可能な遠いところにいる。
おかあさん、ごめんなさい。
病院で母が亡くなった。急いで駆けつけたけど、間に合わなかった。
父と妹は一足早く、冷たくなった母と車で家に向かった。
俺は一人で病室にあった母の私物をまとめ、病院を出た。先生と
看護士さんが見送ってくれた。力なく頭を下げると、看護士さんは
泣いていた。
2月だというのに、春を思わせる柔らかな日差しの中、とぼとぼと
家までの道を歩いた。ふと上を見上げると、梅の花が咲き誇っていた。
去年も、一昨年も、同じようにこの道で咲き誇っていただろう梅の花。
それなのにまったく気にも止めていなかった。
こんなにきれいな梅の花の下をおふくろと一度だけでも歩きたかった。
ふとそんな風に思ったら、涙が止まらなくなった。
ごめんな、おふくろ。俺は何もあなたにしてあげられなかったよ。
ほんとうに、ごめん。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 21:22:36
良スレage
18 :
116:2006/10/13(金) 21:47:36
父親も母親も、癌で逝きました。
父の場合は、3度永年その病に犯されては入退院を繰り返し最後は、
脳に移転しベットに座ったままあの世に旅だったのです。
ある日、担当医と婦長に呼ばれ父をホスピスにどうかと勧められました。
気にしてた父は、何の話しだったのかと、ひつこく問うてきましたので、
そのホスピスのことを話したのです。
父には、癌だとは言っていなかったものですからショックだったのでしょう。
その、数日後に病態はどんどん悪化し、帰らぬ人となってしまいました。
あの時、ホスピスの話しをしなかったほうが良かったのかと…未だに後悔しています。
19 :
116:2006/10/13(金) 21:48:57
>18の訂正
脳に移転=×
脳に転移=○
泣いてしまいました(;_;)
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 17:46:59
>>18 私にもその答えはわかりません。
うちの場合も両親共に癌で逝きました。
母の場合は胃癌が手術から7年後に卵巣に転移が見つかり
結局本人には癌の再発とは最期まで知らせずに。
その母を看取った経験ある父は検査内容や処方される薬で
本人が癌と悟ってしまって。
腎臓癌から全身への骨転移で想像絶する痛みとの戦いでね。
本人が希望してホスピスで痛みのコントロール。
一時は自宅で療養しましたが脊髄に転移したところで
最終的なホスピス入院へ。
ただ、本人はもちろんのこと後に残される私含めた家族も
ホスピスで精神的ケア受けられたことは感謝してます。
22 :
18:2006/10/14(土) 18:52:23
>>21 父も最後は、骨の癌からでした。
階段を降りているときに左足を骨折したと連絡がありまして
急いで帰り、以前から御世話になっていた大学病院に連れて
いきました。
しかし、手の施しようがないと言うことで、自宅に一番近い
総合病院を紹介されまして、そこへ入院となりました。
入院し手術(骨に針金を入れて矯正)して間もなく担当医に
私は、呼ばれましてこの状態からもう手の施しようもない為
モルヒネで痛みを抑えるしかないと、最悪は覚悟しておいて
下さいと宣告されていました。
また、告知したほうが良いと婦長に強く説得されたのですが
本人は妻に出て行かれ寂しい生活を永年続けていたのもあり
私としましては、死の宣告は避けたかったのです。
また、本人も骨粗性症であると、思いこんでいたのもあって
生きることへの執念もひしひしと、私には感じとられてました。
そんな父なのに最後迄、どうして嘘をつき通せなかったのか、
そうすれば、もっと生きていれたんじゃないのか、痛みもある
だろうが、失望の中逝くこともなかったんじゃないのか……
なんて、その当時は自分を責めていました。
でも、私がもしそのような状態になったのなら告知して貰った
ほうが、後の整理も出来るからいいかなって、今は思います。
ただ、その立場になっていないから言えるのですけれども…
長々と書き込みまして、申し訳ありませんでした。
21さんのお母様はきっと、感謝されておられると思いますよ。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:18:17
母が入院した時は、肝臓癌の末期だった。
家族は最期まで母には病名を伏せていた。
だけど、母は知っていたと思う。
日を追うごとに悪化する病状。
大部屋から個室に移され、
ベッドから起き上がる事も辛そうな日々。
正月に最後の外出を許され、家に帰って来た母。
母は黙って部屋に閉じこもり、タンスの中を整理していた。
母は最期まで、家族の誰にも本当の病名を聞くこともなく、
家族の誰も、母にそれを告げることはなかった。
母は強い人だったと思う。
本当に強い人だったと思う。
もう一度逢いたいよ。かあさん。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:39:18
親が亡くなると孝行したくなる不思議
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:41:12
半世紀、いた人たちがいなくなる。
重いなあ。。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 00:51:07
突然の父の死の選択。
自営業者の父、残した借金4000万。
会社、自宅、全て無くして母と兄弟4人、市営住宅へ。
自己破産なんてしないと必死で返した借金。
友達も減り、親戚とも付き合いが無くなった。
あれから27年。
俺もあなたと同じ歳になりました。
自営業者の苦悩、あなたの選択、
良い悪いは別として何となく理解は出来ます。
親孝行させろなんて言わない。
大好きだった親父。
優しかった親父。
かっこよかった親父。
一緒に酒でも呑みたかったぞ。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 01:04:07
。+.。゚:;。+゚(ノд・。)゚+。::゚。:.゚。+。 オマイラ 泣かすなよ
28 :
18:2006/10/16(月) 14:37:16
何度も来るなと、言われそうなのですが、父ばかりの話しでは
母にも悪い気がしまして、目障りかと思いますが、しばし御時間を…
私は、子供の頃より複雑な環境にありまして、母は家を出ていきました。
ある日、母から会って貰いたい人がいると呼び出され、弟と行きました。
予想は、していたのですが、やはり男性でした。
母は、この人とこれからの人生を共にして行きたいので了承してくれと、
私と弟に言ってきたのです。
その時には、もう父とは離婚していましたので、反対する権利もないし、
今までに父にも随分と、泣かされてきたのも知っていましたので了承しました。
但し、その男が無職でパチプロっていうのが気に食わなかったのです。
私は、そんな男でも母が惚れているのなら仕方がないのですけれども、
また、苦労するんじゃないのかと…なんでそんな野朗なんかと……
案の定、苦労しっぱなしの人生で一度、殴られて弟のところに逃げて
きたこともありました。別れると言うので夜逃げの如く、荷物を運び
出したこともありましたが、結局はその男の元へ帰ってしまってました。
そんな、情の深いと言うのか、ひとりでは生きていけない女だった母も、
父が他界した1年半後、大腸癌で父の後を追うように逝ってしまったのです。
父の葬儀には、身内として参列出来なかったのでお寺の門のところで
ひとり涙をぬぐう姿を、霊柩車の中から見たのが私と母の最後でした。
母は、民生にかかっていましたので、身内も居ないこととなりますので
葬儀も慎ましやかに執り行われ、遺骨は故郷に運ばれ今は安らかな眠りに
ついています。
そんな、波乱万丈だった父も母も願わくば、あの世でまた一緒になれて
仲良くいてくれたらなって、親孝行できなかった自分のせめてもの願いです。
>>28 ここにカキコしたことでほんのちょっとでも今まで内に秘めていた
ご自身の気持ちが解放されること願わずにはいられません。
おそらく誰にも言えず独り悩んできたことと察します。
どうか自分を責めることなく残りの人生平穏に送られること陰ながら
応援致しております。
あなた自身が幸せに生きていく。これが最高の親孝行だと思います。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 18:13:50
>>29 そうですね、両親の分まで精一杯生き、小さいながらも幸せを掴みたいと思います。
ご親切なレス、ありがとうございます、心に沁みました。 by18(>28)
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 18:18:18
「孝行をしたい時には親はなし」
便利な言葉だ。
孝行はしたいんだけどもう親はいないんだからしょうがないよなw
おまえは優しい人間だよ、責任感の強い人間だよ。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 18:19:32
子供がいるから子供に孝行するがよし
親への恩は大きすぎて返せないのでその分子供に返すっていうな。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 21:40:16
小梨は返しようがないので
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 21:43:07
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 22:39:00
認知症や寝たきりになって早く死んでくれ〜って思われて死ぬより
惜しまれて死ぬ方がある意味幸せかも…
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 18:15:15
もうひとつの涙そうそうですね
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 18:40:01
>>36やっぱりいつまでも生きていてほしかったと思われて死ねる人は
幸せだ。勝手もんな親って子供らに最後まで迷惑かけて長生きするのかもな
悲しいねボケ老人
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 18:41:33
いい人ほど早死にするのかも…
>>39 長生きして呆けてこどもに苦労かけずに早死にしたからいい人と呼ばれる。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 21:14:36
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 21:47:38
母が亡くなった 大好きな母のはずだったのに、
何度も何度も借金を繰り返す人で、皆に迷惑をかけどおし・・・
だから正直末期がんで助からないとわかった時はホッとした。
これ以上人に迷惑を掛けることがなくなるんだと思って。
大好きな人が亡くなって、心底安堵した自分が悲しい毎日。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 14:14:00
保守age
保守。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 08:00:44
具合いの悪い親から大金を手紙一本でむしり取り、後の親の面倒を押し付けた馬鹿兄貴、そのために仕事も辞め借金持ちになった俺だが、その馬鹿兄貴が、もしスレタイの言葉を吐いたら、ぶん殴ってやりたい!ある意味、親を捨てた人間の免罪附ではなかろうか?
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 15:01:59
同意。
「孝行をしたいときには親はなし」これは家を出たことを後ろめたく思っている人間のセリフで、
親と一緒に数十年苦楽を共にした人間にはちゃんちゃら可笑しい言い方だね。
免罪符か、うまいこと言うな。24時間を自分と自分の家族のためだけに使ってきた人間が
気楽に贖罪感を味わえるいい言葉だ。
保守
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:36:48
20年前父が心筋梗塞で急死した。
その少し前にお風呂に呼ばれて
「背中を洗ってくれ」
「???」
その後数日して
「いい娘を持った。握手してくれ」
「???」
昭和一桁で不器用で無口で酒豪で家族サービスも
ろくにしてくれなかったし、家庭内離婚でぐちゃぐちゃの家族だった。
だから、あの朝出勤する父に「いってらっしゃい」をいえなかった。
冷たくなって帰ってきたときからずっと今までその一言が
トゲになって突き刺さっている。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:59:42
その日だけ言えなかったんじゃなくて、いつも言わなかったんだろ。
ぐちゃぐちゃの家族なら当然だ。
後悔して見せたところで何も変わらない。忘れとけ。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 04:21:28
姉夫妻と話しをした。
『今度おふくろの為に、どこか連れて出かけたいと思うけれど、一人5000円の身体にすごくいい砂風呂と、ディズニーランド、どっちがいい?』
姉『風呂に2人で一万円も出せないよ。でもディズニーなら行きたいねぇ』
俺『まてよ。ディズニーの方が明らかに金がかかると思うが。?
それに足腰の弱った年寄りをあんな広い所に連れて行って、疲れさせないで本当に楽しめるか?自分たちが楽しければ良いのか?』
姉夫妻は俺より収入もあるのに単に便乗して出かけたいだけ、肝心なおふくろを思う気持ちを忘れてしまっている。本当にガッカリした。
姉夫妻は今回のメンバーから外した。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 08:31:51
yahooかgoogleで ドリームミラー で検索すれば最初に出てくる掲示板。真面目だし、とっても親切で感動的な回答が多いと思うんだけど。なかなか誰でもあれだけのことは書けないよね。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 09:01:16
妻子持ちの子供を二人(オレと妹)産んで、
兄姉からカネを借りて渡したらそいつに消えられた母。
たいした学歴も無く、掃除婦や食堂の店員でふたりを育てた。
オレは、工高卒業後、就職し、4畳8畳のアパート暮らしも限界になり、
せめての口減らしの意味も込めて自立、母はまたも妻子持ちと良い仲と
なり、小さな家を買った。
「持ち家」に憧れてた母は、オレと妹の「子供部屋」をあてがったが、
その男の立ち寄る家にオレが寄り付くはずもなく、オレは時折その家の
灯りを確認しに前を通るだけで、たいした連絡もとって無かった。
今年の正月、お酒を呑んで風呂に入った母はそのまま小さな浴槽で冷たくなってた。
その家と、保険金をオレに残していた。
今、二階の「子供部屋」でひとり暮らしている。
全俺が泣いた
保守
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 18:07:48
「楽しかったよ。ありがとう。」
見送った時はできる限りの事はしたつもりだったが、ひと月が過ぎてまだまだやれることはあったって思う。大好きな母はもういないけど、寂しくないよ。
さて次は父…。
保守
良すれほしゅ
ほしゅ
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 18:07:28
我が子は大成してくれるだろうか?
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 03:31:55
>>53 kaigaikara
Naita. Omai ha kanjou wo takusan motte iru.
xOkzazaszan no okzage
62 :
61:2006/12/31(日) 03:36:57
gomen
soreoya no okage.
sono kokoro wo daiji ni site ike.
Oya no tame nimo shiawase ni nare!
Sore ga koukou ni naru yo.
孝行したい時には親はなし。 て、冷静に考えると孝行などしたくはない。
死んでも「さようなら」で終わりだろうな。
保守しておきます