1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/17(金) 23:16:39
源氏の本家は絶えとるがな
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/17(金) 23:19:34
東日本の人は源氏西日本の人は平家の子孫だと習ったぞ!
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/17(金) 23:21:21
↑それってホタルのことだろ?
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/17(金) 23:23:43
平家の子孫は平清盛の弟が一人生き残っただけだろ。
鎌倉時代に三木という苗字に変更したらしいが。
清盛以前の平氏の子孫は多いだろうが・・・
源氏の場合、頼朝の直系は絶えたが、傍系は多いよね。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/17(金) 23:25:10
新田、武田、斯波あたりか
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/20(月) 14:03:36
岡野友彦 源氏と日本国王 学部生無残 卒業生悲惨 院生酷使
俺の何代か前の先祖が ミナモトノ○○らしいのだが...
家老だったらしい
源氏だろうか?
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/25(土) 19:16:53
ナンチャッテ源氏はごまんといるよ。喜ぶのは早い。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/25(土) 22:37:39
嵯峨源氏、清和源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏、花山源氏、後嵯峨源氏、正親町源氏、
仁明源氏、陽成源氏、通なところで後白河源氏、どの源氏がお好き?
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/25(土) 22:38:58
はら平って平家の末裔?
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/25(土) 22:42:31
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 08:55:15
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 08:57:56
わて頼朝の子頼家の直系でんねん。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 09:01:47
>>14 ま、修善寺でこっそり作っていた可能性もあるな。
オレは今、屁した。
↓
オレは今、平氏だ。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 09:08:22
オレ藤原氏
家の山のほうに
平家のおちゅうどはいるぞ!
俺のルーツは九州のど真ん中の山ん中
名字で調べたら平家の軍事担当らしい。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 09:45:49
頼朝の末裔は関西に多い。関東では北条政権によってほぼ根絶やし。
源氏はもともと関西。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖の八幡太郎義家は、大阪の河内の人で、河内が本拠地。
源氏の武士団をはじめて形成した源満仲は兵庫県の川西を本拠地とし、そこが源氏のルーツの地。
関東はむしろ平氏が多い。坂東平氏というものさえある。
平氏は都では出世出来なかったから関東に下って土着した。
源氏は平氏より格上だったから、まだ都の周辺でも何とかなった。
それでも一部が関東に進出しており、それが大阪の河内源氏の八幡太郎義家。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 10:14:34
>>13 たくさんあるのは平氏、平家というのは桓武平氏の中の清盛一門。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 10:24:14
>>10 むかし、発掘しに行ったところのじいさんが以仁王の子孫だといばって言うので、
後白河源氏ですねめったにいませんよと言うと、うちは平家の落人だと胸を張って、
言い返されました。
>>21 源姓は天皇の子供に、平姓は天皇の孫以降とかに賜ったから格上って言うとわかりやすい。
むかし、この辺のところ理解していない地方史研究の方々でちょっとしたもめごとがあったりした。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 11:01:30
源姓を受けたのは多いが、平姓を受けたのはわずか四家だから、歴史上で
派手な活躍をしなかった家系だとしても源氏の子孫の方が多いのは当然
だろう。源平争乱で平家の家系は根絶やしにされたと思いがちだが、鎌倉方
の主力となった武将は結構平家の一門だったりする。当然その家系は残って
いるはずだ。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 11:04:08
最近話題になった源氏の子孫で一番有名なのは細川元首相だろうな。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 11:09:02
>>24 いや、桓武平氏は高棟王流だけではないので、四家とするのはいかがかと。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 12:03:21
同級生に時国が居た。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 12:32:12
ちなみに光源氏のモデルとされるのは嵯峨源氏の源融。
29 :
煉乳 ◆RN/man0pdU :2006/03/26(日) 12:35:13
このスレ、好きかも!!
勉強させて頂きま〜〜〜す!
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 13:01:25
光源氏は関西弁だった。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 15:52:49
>>27 石川県能登ですか?確か時国家がありましたね。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 22:42:01
豊臣秀吉も清和源氏の家系図を買い取ったくらいだから、
武家は清和源氏に憧れたんだろうね。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/29(水) 22:06:11
>>32 いや、源氏にも藤原にもなれなかったので、豊臣ってのを作ってもらったんだな。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/29(水) 22:11:25
平家みちよって平家の末裔?
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/29(水) 23:05:43
時国家は、能登に流された平時忠の末だから、平家といっていいのかしらと昔から思っている。
>>32 秀吉は、義昭の養子になろうとしたけど拒否されたんだな。
家系図をどがちゃかしたのは家康。
これは憧れとかではなく、征夷大将軍になれるのは、清和源氏だけってな感じだったため。
>>34 だとしたら豪快につけたもんだね。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/29(水) 23:34:54
オレ、源頼朝画像(神護寺蔵)に似てるってよく言われる。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/31(金) 15:49:44
蛍と蟹が好きなオレだったりする。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/31(金) 22:55:57
>>35 征夷大将軍になれたのは清和源氏と限定されてはいない。
織田信長もはじめは藤原一門の末裔を名乗っていたが、後に平氏の
一門に鞍替えしている。これは源平迭立という思想があり、源平が
交代で政権を担うという暗黙の了解のようなものがあったためだ。
尚、徳川家が源氏の一門であると家系をいじろうとしたのは家康に
始まったことではない。
39 :
35:2006/03/31(金) 23:22:48
>>38 そだよ、おらのご先祖も源氏じゃないけど征夷大将軍やってたもの。
織田さんのいつの間にか平氏話は有名な話だが、なぜここで出すのかがわからん。
ちょい勢力のばした松平の方々が自分の家系を飾ろうとするのはさもありなんだが、
大河ドラマ史観では、あての言うことで十分だと思いやすけどもな。
今はどっかの田舎に変な苗字で生息しているよ
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 00:12:44
平頼盛の末裔です。四国の八木氏の末裔です。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 00:25:29
俺は藤原氏の流れの近藤氏から分派した阿堂氏 お祖母さんの話では
代々、当主は「太七」を名乗る
こんなスレあるのかぁ。
うちは清和源氏だそうだ。
うちは父方が伊勢平氏 母方は清和源氏の流れをくんでるらしい
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 02:16:14
源平藤橘、皆名家。
御先祖様は天皇家
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 05:31:46
ちょい前、親戚の行かず娘に藤枝家から見合いの話が…。
壱岐家の娘が残っているのか?てな感じで。
某所藤枝にも驚いたが、ウチの嫁の家系にも驚いた。
知らんかった。知らんでよかった。
同級生に北条さんという方がいました。
北条家の子孫だそうです。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 00:05:36
源氏の家来はみんな平氏なの?
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 00:08:40
おお!このようなスレが立っていたとはのお。
平家と源氏の両方
今は貧乏になりました><
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 00:12:00
いい歳して家系しか自慢できないなんて情けなくないか?
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 00:14:36
天皇の血が入ってるのは平家?
たいして自慢しているようにも見えんが・・・卑屈になるなよ。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 00:16:01
うちは源氏です。
途中経過は知らんが江戸時代は水戸街道ではたごやだったそうだ。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 00:47:22
>>52 源平共に宮家として養えなくなった者を臣籍に下し、苗字を与えた家だよ。
要するに金が無いから、養えなくなった者を家臣の形にして自分たちで
食ってけってことで見放された者の末裔だ。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 00:50:59
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 03:22:46
で、武士になったんだね
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 03:54:46
いきなり放り出されるに等しい仕打ちで生活の糧を得る方法が
わからず、野盗まがいのことやってた者も少なくなかったらしい。
武士になったのはまだまともな方だ。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 04:01:06
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 06:42:07
それまでの「武士」は武装した農民や商人達だから、
宮様がいきなり出来る職業ではないな。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/12(水) 03:01:29
>>52 天皇家のご血族は源平橘
藤原は饒速日命の末裔らしい。
地方に下向された宮様は地方豪族の権威の象徴として珍重され、
地方豪族がこぞって自分の娘を宮様にささげた。
そして、子供が生まれると、その子供を一族の棟梁として崇めたて、
自分たちを天皇家の一族、源氏や平家と名乗った。
宮様は現在で言えば中央の既得権をもった上級官僚。
現代、大企業が退官した上級官僚を取り合いして自分の会社の役員に
祭りあげ、上級官僚は誰も路頭に迷わなかったのと同様。
当時も宮様は決して不自由をするこはなかった。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/12(水) 05:31:23
>>57 公家として続いた家もありゅ。
>>61 ああたの言い方だと、臣下に下った後も宮様みたいな感じをうけてしまうが。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
このスレをより楽しむために。
源氏も平氏も、いわゆる源平の合戦で有名になった一族の他にも、
たくさんの一族がおり、地方で武家にならず公家として都に残ったのもいます。
平家という場合は清盛さん所の一族とか嫁の実家辺りを限定してさします。
末裔といった場合直系である場合は少なく、地方官として来た貴種のお種をいただいて繋げたり、
朗党だったりしたのはまだ筋のいい方で、なんか縁がある地域だから末裔だもんとかならまだしも、
賢い人が途中でうまく捏造して後々まで伝わって研究者迷惑なんてのがあります。
(江戸時代のおら所の先祖が無理からに源さんで届けて、
古い史料捨てやがったので、論文一本損した)
ま、過去ログ読む奴ぁいないか。