【地位向上?】伝統技法の大工さんのスレ【滅亡?】

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1いわたろう棟梁
木造はプレカットが出て金物工法が出て「内装しかできない小工」?
が大工面してるけど、本来大工は「大いなる匠」のことでしょ?
【棟梁】は、どこいっちゃったんだーーー?
つか、現代木造建築は、どこまで逝っても伝統工法を越えてないよ!!
伝統にこだわればこだわるほど食えねえし・・・?
A×Cは耐火構造の認定おりたし、ますます木造はつまらん世界に
突入したのかもな?
できるヤシは、つまらん時代になっちまったよな?
金物や道具進歩しすぎ!!
とにかくいろいろあるとは思うけどマターーーリマターーーリ
逝きましょう!!
さあ!!大工さんも小工さんも仲良く・・・・

どうぞーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

2名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/27(木) 12:46:50
2ゲットさせて頂きます
3いわたろう棟梁:2005/10/27(木) 13:09:57
他の職人さんも遊びにきてね!!40代でね!!
4名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/27(木) 16:49:17
木材工芸的職人系の私ですが
建築界だけではなく繊維、漆、木などの分野の
皆さんも苦労してますね。
伝統技術はホンノ一部の人のためのものって感じですか。

で 4グェーットー!
5名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/27(木) 16:58:12
前に伝統職関係の会社にいた。
棟梁は、組織の前に地位が薄れ、
一般事務職採用の1年生社員が、
経験もないのに和裁をやらされ(修業にあらず)…
もう職人は育たないよ…何考えているんだ???
6名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/27(木) 17:15:30
需要が無いと衰退するのは仕方ない。つか今の日本はお手軽第一の上辺だけの社会だからね。そんな日本に誰がしたんだろ
7名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/27(木) 17:46:41
近所におすまいの、工学部の教授(機械工学:定年退官ずみ)が
言っておられたが、手仕事、職人の技術が尊重・継承できていない日本は、
今後技術的に衰退していかざるをえないとのことです。
専門的なことは理解できないけれど、その危機感はなんとなくわかります。
8いわたろう棟梁:2005/10/27(木) 17:53:16
>>四
「木材工芸的職人系の私」様は、家具系でありまっしゃろか?偉い難しいお仕事みたいですな。
>>五
和裁?ほんとに何考えてるんでしょうな。
>>六
そうでんな。
町工場の技術なくして宇宙飛行は、もとより自動車産業も育たないものでしょうな。 


9いわたろう棟梁:2005/10/27(木) 18:01:28
「入母屋」というんは単に「屋根の容(かたち)」を言うのやない。
 もともと伝統的農家のその間取り(掃き出し窓が縁側にたくさん+全面障子で仕
切られた広縁+8畳4部屋が襖を全部取り払うと32帖の冠婚葬祭や姻族や親族の集
会に使える大広間がある等)のために構造(軸組み)が概ね決まってしまうやから、当然スジカイなんかもともとからして、たいして入る余地なんか無かったんよ。
 せやからもともと「貫」をしっかりつかわな。
金物とスジカイだけじゃもたないんよ。
土葺きの本瓦が重いのも軸組みの総持ちの肝心となるわけやな。
重い屋根が大工の腕を磨いたんだろうな。
構造合板なんてなかったしな。

 
そんな話も入り母屋の施主様あってのものだに。
仕事が変わると要求される技術も変わりますな。
10いわたろう棟梁:2005/10/27(木) 18:06:04
>>7
偉い先生のお話は、機械工業で言うと町工場の「手のひら」「指先」の技術が全ての産業の
根本的部分だということですな。

いやはやその通りでしょうな。
11:2005/10/27(木) 18:13:31
>>10
そういうことだと思います。
12いわたろう棟梁 :2005/10/27(木) 18:25:02
文化庁は、「宮大工を始め、職人なんか蛆虫みたいに沸いて出る」というスタンスと
有名な先生に聞いたんよ。
東大の国らしい考え方ですな。 そのうち中国やインドに先を越されるのと
ちがいまっしゃろか?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/27(木) 18:28:41
「蛆虫みたいにわいて」きてるくらいなら苦労はしない罠。
インドや中国は裾野が広いだけに、
トップクラスではとっくに越されてる可能性もあるかもしれないと思われ。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/27(木) 18:33:29
宮大工の西岡棟梁に大学教授がわからなくて質問してたんだよね。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/27(木) 19:11:13
何年も前に瓦職人のバイトをしていた事があるんだけど、熟練工の方は
やっぱりリストラの対象と見られていて、特に優遇もされてなかったなあ。
ベテランから新人への技術の継承なんて「無い」に等しかった。
16いわたろう棟梁:2005/10/27(木) 19:35:43
ンモォー!!
日本の技術は
o(*≧д≦)o″))壊滅的でつね。o(*≧д≦)o″))
文化庁の方々お聞きになられてまっしゃろか?

174です:2005/10/28(金) 10:27:21
数年前テレビで曲げわっぱ職人の特集みたけど
彼がイベントで自分の作った物を販売していたが、
客が これで2万かよ。2千円の間違いじゃねえのか って笑っていた。
買えないのはしょうがないが、せめて理解する知識だけは
持ってもらいたいよね。彼は落ち込んでたよ。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 10:39:03
無形職人=踊りなどの職人、演者も、マイナーな祭だと駄目。
よさこいソーラン、あれはブラックバスだよ…。
地元の地道なお囃子を継承してきた子供らが、
その若い親がよさこいソーランなんぞやってるから、
しっちゃかめっちゃか。
難しいお囃子こそ、ガキでないと覚えられない…と思う。
俺は、祭り囃子の太鼓も笛も、35過ぎてから始めても、覚えられない。
山車は今は簡易だけど、昔の写真を見ると宮大工○○、とわかって、
このトシになってえらく尊敬している。
大工の息子の○○、鉋がどうとか、ごたごた言って悪かった。
いい棟梁になってくれ!



19 :2005/10/28(金) 11:45:01
正直、日本の伝統工芸クラスは世界のあちらこちらで抜かれてる。
それはコンピューターの世界もそうだ。
車の世界は辛うじて保っているが、いつ抜かれてもおかしくないし、
そういう、優秀なヤツはアメリカなど諸外国へ行く。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 16:00:51
そういえば、衣料・小物関係の輸入販売やってるヤシが、
ベトナム、カンボジアは手仕事が綺麗で、日本の手仕事に
匹敵する(そして賃金が安い)から、この分野はこれから
中国よりいいかもしれん、といってたな。
日本人は手仕事が丁寧、とかいって、それを誇るわりには
大切にしなかったツケが、あとからどーんとくるのかもしれん。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 16:06:42
>>17
二万円のわっぱ、って自分だけじゃなくて、次の代、次の次の代も
使えるから、結果的には安いはずなんだよね。
うちも実家が古いので、明治ごろから使ってる漆塗りの椀とか
焼き物の皿があるけれど、今でも十分使える。
けど、漆塗りなど、くすんだりヒビがはいってきたら、塗りなおして
くれる職人さんがもう簡単に見つからないから、日常的に使うのをためらってしまう。
つくらない→つかえなくなる→ますますつくらない→ますますつかえなくなる。
22いわたろう棟梁 :2005/10/28(金) 17:40:24
慶応大学で古建築を学びましたが、宮大工の家系に生まれた私からすれば?????
解かってないヤシが教鞭を振るっている・・・。そして授業が終ると、決まって
教授「理解できましたか?」生徒「・・・・」教授「質問はありませんか?」
生徒「・・・」勿論私は、質問も意見も言いませんでした。
道具も使えない教授が教えられるわけないんです。
表面しか理解してない教授が教えてるんですから生徒にレジュメを渡そうがOHPを使おうが
理解するわけありません。 そして生徒も「教授だけでは古建築が建たない」と
いうことが回を重ねるごとにはっきりとわかってしまうんです。 
こんな教える側にとって悲しいことはないでしょう。 明治にり、建築を座学として
教えるようになったわけですが、その前から宮大工はいたのです。 教授イラネとは申しません。
しかし、できる人が大学の教鞭を握ってほしいです。 なんな古建築の講義聴いても
まともな大工さんにかなわないでしょう。
23いわたろう棟梁:2005/10/28(金) 17:48:37
つづきで恐縮です。
授業中「ここは大事ですから理解してください」とか「この用語は大切ですので覚えてください」
と根拠も示めさず言うのです。 そのとおりしてればテストで結果は出ます。
しかし、実力は、0です。 「Aの時代のものよりBの時代のもの方が優れています。
ここは、大切なところですので理解してください。えーー次はですねえ・・・」
誰も何も理解しないまま講義は進んでいきました。 
みなさんはどう思われますか? 
24名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 17:53:22
>>23
九九覚えてるみたいだな、
いや九九は使えるけど・・・(略
25名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 18:12:27
日本もマイスター制度っていうか
そういう手に宿っている財産を大事にしていかなきゃと
思っているが、選挙のときにそんな公約出しても通らないんだろうな・・・
それで机の上での勉強ばかりで汗もかいたこともない官僚どもが
訳もわからん国にしているんだよな・・・・orz
26いわたろう棟梁:2005/10/28(金) 18:34:33
国にいわせれば、所詮職人は「蛆虫」ですからね。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 18:53:43
ドイツのマイスターは、生涯賃金は大卒と変わらないんだってな。
だから、マイスターを目指す若いヤツも必ずあらわれる。
そういう蓄積のうえに、ドイツの機械工業などは乗っかってるんだろう。
製品にたいする絶対的な評価が生まれるんだろうなあ。
28いわたろう棟梁:2005/10/28(金) 19:12:33
小耳にはさんだうわさによると
マイスターはドイツで廃止方向らしいぜ?
c(゜ー゜*)チョッチぐぐってくるね。
29いわたろう棟梁:2005/10/28(金) 19:14:28
>>24
つか大学まで出ておら、「ククっ」て感じだな。
(どういう感じだ?)
30いわたろう棟梁:2005/10/28(金) 19:18:43
www.shou.co.jp/waza/myster.htm

ここに麻衣素多ーの有益な情報ありでつ。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 19:49:01

建築関係って言っても、昨日今日入って来た人が一日2000万円持って行くのでね。
素人8人、職人2人で仕事を進めるのが現実でね?
一日6千円渡しても、一万四千円の揚がりさ、美味しいよね。
モラルの低下・・リフォームなんて大変でねえ?
現場はキチっとした厳粛な雰囲気が漂うのだが・・質が低下してるわな。
昔の職人気質を知ってるだけに、カチーンとくるわ。
仕事出すにも怖くてね。

32名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 19:50:10
今職人がいないんだわ。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 19:54:00
アフターでも、水道の取り付けが悪くて水がじゃあじゃ流れて
いても、それはおまえが悪い!
なーんて、喧嘩ごしに言われるようじゃな。
大手の建築会社に移行しちゃうよね。
こっちは客なのに怒鳴るのですよね・・
34いわたろう棟梁:2005/10/28(金) 19:55:54
>>31、32
だからこそいい職人さんが必要なのですね。 いいですか? いいですね。
(「院長」のまねスマソ)



35名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 20:01:30
昔は木はリサイクル出来て木工品はかんなをかければ新品同様。
家屋でも古材は使用出来たでしょ・今は建築そのものが変化して
きているから、とぎ・・なんてのは出来ない。
そのまま、解体したら焼却でしょうか?
古い民家の解体したものでタンスとか、狂いの来ない立派なもの
が作れたのでないかなぁ。
だいたい、木って300年とか500年ほど使用できるのでなかった?
もったいないよね・・
36名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 20:05:46
秋田とか東北の農家なんて、梁は直径一メートルもありそげな
ものを使っているよね・・解体したあとって、焼却かなぁ。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 20:11:20
大工の見習いで・・でもいいけど
職人の見習いでいくら出すのだろう?

仕事も出来ないのに、やれ年間500万だ、これじゃ足りない
から・コンビニの方がもっとくれるから・・なーんて言うよね。
若いのは・・自然と別の道を選択するよね。
もっと楽でお金をくれる所があるからな・・人は育たんよ。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 20:19:28
そんな背景があるからな、工場生産の機械で作ってしまう
って方向しかないのでないのかなぁ・・

職人の妙技ってか、神業を知ってるからな。
残念でしかたない・・・・・
39名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 20:43:29
手仕事で成功したのは、スイスですかぁ。
デジタル、クオーツに押されて機械式ってのは廃れたけど。
高級化を図る事で成功したね。
後継者の育成や、資格を所得することで有る程度の生活の保証はあるみたい
ですよね。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 20:52:33
職人仕事って、どのように独自性やカスタム化を図る事が出来るのかが
鍵・・のような気がしますが。
今は過渡期で大きく変わる時期のような気がしています・・
頑張って下さい。
41いわたろう棟梁:2005/10/28(金) 22:44:06
色んな技術者のスレだ。
42いわたろう棟梁 :2005/10/29(土) 08:49:40
結局、私の業界みたいな3高(きつい、汚い、危険)職場には、勉強のできる人には人気ないのだろうな。
リフォームの「あの」テレビでも、建築士やデザイナーの「匠」ばかりもてはやして
職人はみな「埃誰家で働く1肉体労働者」扱いで、インタビューもしてくれないもんだし。
テレビからしてこの態度じゃ、身体で働くものが馬鹿みたいな風潮のカタボウかついでいる
といわざるをえませんな。
刃モノを研ぐということは、いろいろ感じる時間を作るということです。
職人は仕事の中で材料と格闘するシーンがあるわけです。
刃物を研ぐ=材料を加工する為=刃物を通して材料を知るということです。
材料を通して刃物のとげ具合を知る・・・=仕事を知る。
=職人としての気構えを研ぐ=皆「とぐ」と読みますが「砥」ではなく「研」いで気構えを「磨く」
とでもいいましょうか・・・OATOGAYOROSIIYOUDE.

 
  
43名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/29(土) 09:56:24
今の世は消費文化に支えられているといいながら。
何世紀にも渡り、語り継がれる歌のように、人から人へ。
名画のように残るものを作って頂きたいですよね。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/29(土) 10:03:19
家なんて昔と今では随分変わっているよね。
家を中心にして物事進めていたのでしょうがね、
家そのものも、もう消費の対象ではないでしょうか。
人もそうかもしれませんね。
最近では墓を持たない家が増えているそうで・・人も家も消費の対象に
なって来たのでしょうかね。
なにかが変になって来た・・時代の流れとはいいますが。
やはり少し変ですよ・・・・・・
45名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/29(土) 10:09:17
少し発展させてみた。
作る→ゴミ箱行き。
つまり・・消費文化そのものは、ゴミを一生懸命作るわけだ・・・
次の世代が使うって観念は無いから・・猫に小判w
見事な和箪笥がうち捨てられてるのを見ると・・なにやら悲しくなりますわなぁ。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/29(土) 10:20:59
これは大工、職人だけの問題では無いのさ。
木を育てる森林の荒廃、山は荒れ、後継者も無く。
一つの循環があった訳だけど、恐ろしい早さで破壊が進んでいる。
農家もそうさ、爺さん婆さん連中が腰を曲げつつの農作業。
山あいの農家なんて、姥捨て山状態ょ。
47いわたろう棟梁:2005/10/29(土) 13:22:23
なるほどーー。
都会中心の経済原則が日本の隅々まで疲弊させてるんでつね・・・
終身雇用制が崩れつつあるなか
「心温まる日本再生物語」
名もない民衆の連携や温故知新からはじまるといいな。
48いわたろう棟梁:2005/10/29(土) 13:35:11
>>43
そうでつね。
余談でつが、「建築」という言葉はもともと日本語ではないんでつ。
中国でも「建築」という言葉がありまつが実はこれ、明治20年に
できた日本語なんでつ。漢字の輸出元の中国に逆輸入されたんでつ。
それまでは「造営」「造家」などと言う言葉が使われていました。
したがって「建築家」などという言葉もありませんでした。
建築家=権力者、高僧、渡来人、大工棟梁などが建築家として
歴史の表舞台にいました。
建築家=古代よりギリシャ語のアーキテクネ(一番上のレベルの技術者・芸術家)
という意味が元もとの語義です。 
一番上の技術者・芸術家になりたいものでつ・・・
49名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/29(土) 13:36:33
衣類も、和服は素人でも数十年、親子三代・100年近く着られます。
しかし呉服業界は火の車。
特に職人さんは高齢化、
若者も、好きで和裁学校を出ても、需要が少ないから仕事はない。
売れなければ値段は下げられない、
商品は高価になるばかり、普段着になんかできないから買わない、悪循環。
新潟の織り元事情を見ていると愕然、全国そうでしょうねえ。
そのうち、地方の着物職人は壊滅するのじゃないかと、
暗澹たる思いです。
50いわたろう棟梁:2005/10/29(土) 13:55:27
↑売れなければ値段は下げられない、
商品は高価になるばかり>最終的な売値が値段なんでつね。
着物職人さん大変でつね。

着物新時代を

応援したい気分でつ。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/29(土) 14:02:16
棟梁、でつねはヤメテクレ
52名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/29(土) 14:19:55
↑以下配慮いたします。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/29(土) 17:39:00
「教える」というのは親じゃあなかなかできまへんな。
いい師匠につけた弟子は幸せもんなんでんな。
弟子をかわいがるのも言葉では本当にかわいがったことにならへんし、
どやしつけるんでは不平不満にかわりますな。
師匠の言っとることやっとることは、そのとき本当に解かる訳ないんやけど
後に「ハッ」と気がつくことがあるんよ。 そう育てないと本物にはなりませんな。
背中で教えるとはこのことを言うんかな?
気魂の醸成していない弟子になんやかやいうても頭に残るだけ将来的には本人の為
にならんと違いまっしゃろか?






54名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/31(月) 21:26:24
徳太子は、574(敏達3)年、父、用明天皇、母、穴穂部間人皇后の皇子(厩戸皇子)とし
て生誕しました。用明天皇の母・堅塩媛、穴穂部間人皇后の母・小姉君は、ともに
蘇我稲目の娘で、蘇我馬子とは兄妹でした。また、妃の一人、刀自古郎女は、蘇我
馬子の娘でした。
593年、推古天皇が即位し、甥の厩戸皇子を皇太子に立て(聖徳太子)、摂政
に任じ、国政を委ねましが、事実上は、太子と馬子との共同執政といわれます。
601(推古9)年には、聖徳太子は斑鳩宮を造営し、政治の基調に仏教を採用し、
文化の向上と仏教の興隆を目指し、
・冠位十二階 や憲法十七条 の制定
・遣隋使 ・小野妹子を派遣、国書を煬帝に奉呈
・天皇記、国記 の記録
・勝鬘経義疏、維摩経義疏、法華経義疏 の撰
などを行いました。
飛鳥時代の遺構を伝える法隆寺は、金堂に安置されている薬師如来の光背銘による
と、用明天皇が自らの病気平癒を祈って薬師像と寺の建立を発願したが、その完成
を待たずに崩御し、その遺命を受けた推古天皇と聖徳太子が607(推古15)年
に完成したとあります。
金堂釈迦三尊像の光背銘によると、621(推古29)年に間人皇后が亡くなり、
622(推古30)年に太子も病いに倒れ、太子を看病していた妃膳夫人も病床に
臥したといいます。そのとき、他の太子の妃や山背大兄皇子をはじめとする皇子、
諸臣が太子と等身の釈迦像の造顕を発願したが、膳夫人、聖徳太子と相次いで薨去
したといいます。そこで、623(推古31)年に釈迦像を仏師・鞍作止利に造ら
せたと伝えられます。
そして643(皇極2)年、蘇我入鹿に攻められた山背大兄皇子一族は、斑鳩寺で
自害し、聖徳太子一族は滅亡しました。
『日本書紀』によると、670(天智9)年に法隆寺は一屋も余すことなく焼失し
たといいます。金堂と五重塔を擁する現在の西院伽藍は、天武・持統朝に着工され
和銅年間(708〜714)には完成されていたといわれます。
55名無しさん@お腹いっぱい。::2005/11/03(木) 11:12:47
>>20
ベトナムカンボジアから大工さん候補よんでくればいいんだ。
>>49そんなん長く持つん? 作業着和服でつくりたいなー?
>>建築のばあいはな高級化でなかなか成功できへんとおもうがいい案あるかいのう? 
56名無しさん@お腹いっぱい。::2005/11/05(土) 15:53:09
日本人みたいな顔してないとお客さん受け悪くない?
57名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/05(土) 16:58:37
それ以前に伝統技術の仕事がないから ダメだよな。
プラスチックにコンクリートに2x4に化学繊維の生活に
なっちゃったから。わずかな継承者の方々にがんばって
もらいたい。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/05(土) 17:01:58
>>57
そこで、「オレ(ワタシ)はそれを買うから」と
いえばキミはりっぱな漢になれる。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/05(土) 17:08:25
現代の職人業は旋盤で1/1000ミリとか削ってロケットの部品とか作ってる人でしょ
60名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/05(土) 17:11:19
近所に、指先で機械でも測定できない厚みの誤差を
測れる職人グループのいる機械部品製造の零細町工場があって、
実はその技術では世界的には知られている会社だったりしてビックリ
61名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/05(土) 17:29:53
最近の鴨のくちばし形新幹線のくちばしの部分を板金で作ってるオサンも凄いな
62名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/06(日) 12:42:38
モールドのこと?
板金自体はプレスじゃないんですか?
63名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/06(日) 15:59:36
プレスだと金型が凸と凹とで沢山いるとおもうけど、数作らないから採算合わんのジャマイカ
64名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/06(日) 16:27:28
65いわたろう棟梁:2005/11/07(月) 14:59:11
>>64
見させてもらいました。手仕事なんですねぇ。 感心致しました。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/07(月) 21:24:51
前にテレビでやってたけど、あの130枚のアルミ板も一枚一枚職人さん達がたたいてるんだよな。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/09(水) 11:11:28
結局は職人が物つくりをしているわけだよ。
設計者も職人も又その両方をしている方も
もっと評価されないのは月並みの亀レスだけど
おかしいということさ。
作業着着てる人が馬鹿みたいジャン?
68名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/09(水) 15:12:37
物を作る人って評価されたいと
あまり思わない、と思うが。
作ることが好き、って人が多いんじゃないかな。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/09(水) 15:28:35
亡くなった祖父=母の父、が「表具師」だった。
掛け軸を表装したり、襖紙を貼ったりする仕事。
普通のふすまも貼っていたけれど、
本来はある程度書とか絵画とか、資産を持った
人が顧客ということになるから、戦中から戦後の
一時期までかなり貧乏したらしい。しかし祖父は頑として他の仕事を
しようとせずにほそぼそと表具師一筋。妻子もいろいろ苦労したという。
日本人全体がかなり豊かになってきたころ、祖父は亡くなったから、
結局一生貧乏かな?やさしかったが相当へんくつなじじぃだった記憶もある(W
ただ、祖父が死んでから二十年近くたって、母が地元のある資産家で
美術に造詣の深い方とお話をする機会があって、祖父が表具師だった
ということをなにげなく言ったら、その方は祖父の名を知っていて
「今の段階では、○○さんの表装は最高のもの。
あれ以上の仕事は現代の人にはできない」と称賛していただいたらしい。
書や絵を描いた人がえらいんであって、祖父の仕事はそれを貼るだけ、と
思っていたが、そういうものでもないらしい。生きていたら喜んだろうと思う。
身内話ですまん。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/09(水) 15:32:40
余談
子どものころアソビにいった祖父の家の玄関先に、
「表具師○○○○○」とでかでかと描いた木の板が
かかってたのが記憶にある。昔は職人はみんな
あんなふうにしてたのかな。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/09(水) 18:41:06
表具屋、鍛冶屋、桶屋、目立て屋、、
昔は近所にいっぱいいたが今じゃ
見かけなくなったな。
72いわたろう棟梁:2005/11/09(水) 23:32:20
うんうん。この20年でいなくなりましたne.
「今の段階では、○○さんの表装は最高のもの。
あれ以上の仕事は現代の人にはできない」

この台詞いいねーーー。
私もいわれたい。
涙ものですな。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/10(木) 15:01:38
気持ちはわかるけど、どんなにいい腕を持った職人でも
時代のニーズに合わずに消えていく職業は一杯あるよね。
大切なのは技術を培うときに必要な辛抱するこころだったり、
身に付いた技術に対する誇りだったり、教えてくれた師匠を
敬ったりする事じゃないかなぁ。何の技術でもそういう図式が
残っていれば現代の名工は生まれるんじゃないかと思う。テカ思いたい。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/10(木) 20:09:39
今日のMHKニュースで見た話。
シックハウス症候群患者のために、身体にいい家やまちを作るプロジェクトが発足。
化学物質は使わず、天然のものだけを使う。
壁は漆喰、ドアは寄木を米糊で張り合わせる、接着剤はにかわ、塗装は柿渋。
昔の家は皆そうだったよな…。

今後需要は増えそうだけど、それらの職人さんたち、今どれほどいるんだろう。
今はものすごく贅沢で、かえって高価になりそうだし。
リーダーはやはり、某大医学部教授だ。
漆喰職人がTVに映って、我こそは!といえる日が来るだろうか。
昔近所にいた左官屋さんは、子供の目でも貧しい生活してたけど、
陽の当たる世界で、誇りをもって仕事できればいいんだが…


75いわたろう棟梁:2005/11/10(木) 21:27:04
>>74
おっしゃるとおりですよね。
確かに昔に戻っていってます。
工期を縮める=人件費の圧縮=乾式工法(左官、ペンキなどを使わない)
という図式ですからね。
今からお寺の本堂の図面描こうと思ってるんだがほんと自然素材だよね。
集成材も出来合いの化粧材も使わないし、でもある反面、長大材を使う
から自然破壊なんだと思う。 檜も最近は台湾で変えないからカナダや東
南アジアなどの途上国の森林を丸裸に!!
自然素材信仰も間伐材を売りたい商社が仕組んでる向きもあるよ。
流行も長くは続かないとおもわれるが。 本堂や本殿スツーパ(塔)は神仏ゆかりの建物だから
一般材料では建てられません。 メモリアルシーンにからむところだしね。
伽藍の中でもそうでないところは普通でいいのだけど。





76名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/11(金) 13:03:54
日本の山間部では、伝統的に山に植林して、杉や檜を植えて、
山の植生を維持するとともに、建築資材を確保してきたんだよね。
仕事で山間部を回ると、人の手がはいらなくなって荒れた山を
たくさんみかけますわ。それでも建築資材はいるから、途上国の
熱帯林なんかをばさばさ切ってそこの生態系を壊していく。
これは正常な事態とはとても思えない。何ができるのかわからないけれど。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/11(金) 15:52:08
なにもできないよな。
山間に住んでるが、杉やカラマツを切って売っても儲からない。
家を建てれば熱帯林産、その方が安いからね。
昔は落ちてる小枝はマキに、あけび細工、炭焼き、うるし、など
利用して、手入れもしたが 今では、わずかになったな。
商社は悪いが消費者の俺たちも悪かったと思うよ。
でも安い方に飛びついちゃうんだよね。
熱帯林やカナダの森の資源もいずれ枯渇するでしょう。が
その時どうするんでしょうかね。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/11(金) 16:02:47
ほんとですね、何もできない。
安くて、短期間ののちに壊れて(使えなくなって)取り替える
だから経済が成長するんだ、というしくみに、消費者もどっぷり浸かっちゃってる。
春の終わり頃になると、里山には藤の花が咲いて、遠目にはきれいです。
仕事の途中PAで藤をながめながら弁当食ったりしてる(W
昨年地元の古老に初めて伺ったのだが、藤の這っている里山は、
荒れて山が、つまり樹木やそこに生きる生物が滅びかけているというしるしらしいです。
五月には山裾が一面藤の花になって綺麗な場所が一カ所あります。
裾には集落もあるんですけれどね。
79いわたろう棟梁:2005/11/11(金) 18:21:53
>>78
藤の話よくわかりました。
藤の薄紫色は、古来より堂塔の黄丹色、丹色に良く似合います。
とても勉強になりました。
本堂を造営する際、傍に植えるよう総代、住職さんに言ってみます。


80名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/11(金) 19:47:51
ああ、丹色に薄紫の藤ってあいますねえ!
同じ丹色でも、中国でよしとされる丹色と
日本のそれとには大きな違いがあるらしいですね。
日本的な色彩もあまり生活の中でみかけなくなったなあ。
81いわたろう棟梁:2005/11/11(金) 21:25:19
そうですよねーー。
彩りある町並みって文化的(古い言葉ですが)ですよね。
京都の秋の嵯峨野なんか最高に好きです。 もう23年前の話ですが。
82古建築研究会:2005/11/12(土) 23:56:16
丈夫で壊れない住宅の未来は、と最近考えてみました。民俗学や地方の話として
女の子が生まれた時に桐の木を植えるなどの伝承を聞くことが有ります。その女
の子が成人し、結婚して嫁に行くときの持たせる箪笥を作る為の材料用です。そ
れはものが何時かは壊れてなくなってしまうという前提の上に成り立っています。
もし、その女の子が成人し、結婚して嫁に行った家に先祖代々の箪笥が有った時
には、その家では嫁をもらう度に箪笥が殖えていくということになります。結構、
旧家の蔵等を覗くと古い箪笥が何竿も有る場合が多いです。これも考えようによ
っては地震や火事、風水害の被害を受けずに残ったものと思われます。このこと
については歴史学や民俗学を研究している人にとっては大変有り難いことと思い
ます。
 しかし、現代の技術では地震に火事にも強い建築が多く建てられています。建
会社も設計事務所も百年でも二百年でも持つ建築を造りますと宣伝しています。
もしこれが可能ならば、住宅は無限に増えていくことになります。箪笥ならば、
古い箪笥は蔵の中に納め、新しい箪笥を新婚の夫婦の部屋を飾ることになるでし
ょう。住宅の場合はどうなるのでしょうか。無限に増やすことは出来ません。
 江戸時代のように火事で無くなる住宅の数と新築される住宅がバランスを持っ
ていれば問題は無いでしょう。大きな自然を考えてみると、日本の環境は江戸時
代を通じて自然界で成長する森林と年々消耗する材木の量ががバランスを持って
いた時代と考えられます。植林した林と年々伐採される材木の量が平衡したと考
えられます。その他にも樽や桶、生活雑貨に多くの木材が利用されています。ま
た、江戸時代は生活に使われていた燃料の薪や炭も木材を利用していました。
 現在の日本社会は建築材料の木材から家具、毎日の生活雑貨の什器から燃料ま
で輸入品を使っています。農業も肥料の原材料は輸入で、卵や豚肉の飼料は百パ
ーセント近く輸入品で成り立っています。輸入材によって建築も生活雑貨も食料
も成り立っています。このように日本で生産されないものを利用して生活をして
いけば、何時かは生産技術そのものが廃れていくものと思っています。
 伊勢神宮の式年造替も堀立柱で建立するという前提で成り立っています。現在
の柱の寸法からすると約20年で腐朽すると云う考えで、造替年数が決められて
いると考えられます。壊れてなくなる前に新築し、その技術を次世代に伝えると
云う役目を担っていました。・・・と考えられます。
 私の恐れることは地震にも火事にも強く、千年でも二千年でも持つ住宅が建て
られ、大工さんが入らなくなる時代が来ることです。もし、このような時代が来
た時、大工の技術はどのように伝えられるのでしょうか。もし、技術を習得して
も建てられるべき住宅が無ければ、技術も使いものになりません。植林の技術が
無ければ造林も出来ず、木材が利用されなければ製材の技術が、矛盾かも知れま
せんが地震によって壊れる家、火事で燃えてしまう家が無ければ、大工の技術が
無くなってしまうような気がします。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/13(日) 09:54:16
なねほどねw
少し甘いなww

もったいないってのは日本特有の文化なのですか?
海外在住組に聞いてみたいよね、アメリカは消費文化なのはご存じ。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/13(日) 09:59:11
最近エコってよく聞くよね。
循環型ってやつさ。
日本人はどれ一つ取っても徹底してるわ。
次に繋がっているのさ。
着物なんかもそうだよね、ただ漠然とあるのでは無いのさ。
着物が小包みに、風呂敷に、そしてアロハシャツになったりしてるわけさ。
建築もそうよ、家具になったり、してる訳なのよね。
つまり、資産になる訳。
これが大きく違う。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/13(日) 10:08:19
消費型はね、ただ次々と食い潰すだけ。
ただ住宅は、家族という観念が崩れたからな。
生活様式も子供がいる生活と、老人になりふたりだけの生活になれば
住居もバリアフリーに・・
ほんのいっときの住まいに人生全てをかける事は出来ないよ。
いろんな世代がいる世界は理想なのでしょうが・・
一軒の家があり、子供がいて、孫がいて、それが家族ってのは無くなるだろうな。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/13(日) 10:14:07
まぁ要約すると、ゴミの出ない世界が理想なので。

システムそのものが大きく崩れた、それだろうね。
一回も使われたことの無いスニーカーとか、新品のもの、まだ使えるもの。
ゴミ捨て場に行った事あるかなぁ、昔の人が見たら腰を抜かすだろうね。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/13(日) 10:25:45
職人の衰退については・・色々な要因があるだろうね。
たとえば、機械化・・大工さんがスレ主だから木に関していうけど。
今素人でも家は造れるわ、こんな事言うと失礼ですが。
PCの発達により建築ソフトが素人でも設計出来るようになった(キャドなど)
3次元加工機の発達により今まで出来なかった加工もPCで加工出来るように
なった。
製材なんかもそうよ、カナダの機械で、丸太(原木)から簡単に素人
でも製材出来る機械があるのね、しかも安い。
今木工がブームですが、自分のデザインで簡単に家具ができちゃうのさ。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/13(日) 10:35:05
専門家しか知らない特殊な技術でもオープンになってきた、のも大きいかもね。
ネットで調べれば瞬時にわかるからね・・

やっぱり次に求められるのは、想像力でしょうかね。
あらゆるものが、大きく変わると思うよ。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/13(日) 14:06:08
数年前に伝統工芸の集まりに一年間出席しました。
想像力、でいえば皆さん技術をいかした新たなチャレンジを
しています。新しい作品、商品、他分野への応用など。
数十年がんばっているそうですが、
その中で成功したといえるのが、どのくらいなのかは
わかりませんが、相変わらず大変みたいです。
90古建築研究会:2005/11/14(月) 11:39:57
掘建て柱による建築は、元来地震国である倭国にて大変工学的にみて理にかなって
いた。 地震の少ない国に於いてのそれとは発展過程の変遷を考察ずる上で異なる
過程を考慮するべきである。 当時の倭国(大和政権以前)は世界一の地震列島で
あるため上部構造を高く作るときの選択肢から柱を埋め込むことを工学的に外せな
かったのは大変理にかなっていた筈である。 また鉄器の普及なしに高度な加工は
大手間である為木組みを複雑にせずに大建造できる方法として柱の埋め込みは
大和政権以前は当然の方式であった。
そして大和政権になり中国文化を踏襲した渡来人が掘建て柱造立法から、礎石に柱
を載せた新形態に移行させたということになっていると見られる検証が多いがそれ
は余りにも短絡的すぎる。
何故かといえば、変遷したとき構造力学視点から見ると木組みの強度を上げること
即ち、木造であるので語弊があるがいわゆる軸組みをラーメン化する必要を迫られ
たわけである。つまり、軸組みの強度即ち粘り強さ(剛性とは表記しないつもりで
ある=遊びが木造の終局的強度確保に大切だからである)を向上させないと躯体が
持たないということになる。 渡来人には持ち合わせのない地振の破壊力の経験を
もつ大和の工人達は渡来人の技術を決して鵜呑みにはしなかった筈である。
渡来人に対し日本の気候や地震も含めた風土を良く理解させた筈である。「剛柔論
争」的な議論をは少なくともなされてきたから柱脚ピン構造で造立法が確立したは
ずである。 単に耐久性を上げようとして掘建て形式を辞めよという技術が中国か
ら朝鮮を経て渡来したとき★地震列島の飛鳥の政権・高僧・工匠達は経験的に捕ら
えていたであろう【地震力の本質】を逆に渡来人工匠達に聞き返し一考を迫ったで
あろう。
91いわたろう棟梁:2005/11/14(月) 11:46:11
前葉より
この国の時の権力者、お抱えの工匠に於いては権力の誇示の為、永年に渡り
腐りやすい掘っ建て柱建築からの脱却は、悲願でもあった。 複雑で美しい
建物を造っても数十年ごとに腐って取り替えるようなことでは人民を疲弊さ
せてまで造営する価値がないしそれでは山も財力も持たない。
日本発の巨大政権が大和政権であり、永年の悲願達成の高耐震高耐久高意匠
建築を研究実現する財政的基盤が整えられたとき、朝鮮からの渡来人が色々
と中国伝来の塔の作り方を持ち込んだがお話にならない産物であった。 美
しい大社を実現させていたこの国にとっては余りにも大陸のデザインは受け
入れられない陳腐なものに見えた。 また構造的にも大陸そのままでは【耐
震性】が無さ過ぎるということになり★とてもじゃないが大陸と同じ物では
【使い物にならない】という結論に至った。(短期時の転倒モーメントが上
部構造の荷重に勝ってしまい倒壊の恐れがある)
ここで中国朝鮮におけるマグニチュード6以上の地震分布について紹介する。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssj/naifuru/vol30/v30p3.html
朝鮮の渡来人によってもたらされた物は、大地震の無い中国朝鮮に於いての
「机上のモデル事例」にしかならなかった。 歴史公証は難しいが、日本の
耐震技術研鑚の歴史は渡来人の度肝をぬいたのである。 この渡来人や政権
の残念さは大変なものであったがこのとき建築技術が大爆発的に
発展した。 足元を固定せず、塔を倒さない為に様々な骨組みとデザインを
考えたのだ。
1/5くらいの塔のモデルも造ったに違いない。 が最終的には安全側に配
慮し、法隆寺五重塔の心柱の穴埋めは行なわれた。
軒についてだが、第一義的に「雨露を考慮」して軒を深くしたとは到底思え
ない。 揺れ方及び重量バランスを考慮して深くしたのものと考えられる。
軒を深くすると当然風に煽られるため軒の反り(照り)が考案されたので
はないだろうか。 (土葺き)本瓦は地震ではなく風に倒されないように
葺かれたとも思える。 何せ最初の和塔であるから重心を下に下げ重くし
たのではないか?予想を上げれば枚挙に暇が無いが、現在に於いても通用
する1300年通用する技術の基本は渡来人がくる前から連綿と静かに掘
ったて柱の我が国で構想が練られてきたに違いない。

92名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/14(月) 11:56:12
古建築研究会はいわたろう棟梁だったのか。
なんかわかりにくい文章だなあ、と思って読んでたけど、
要するに大陸・半島伝来の技術は、地震の多い日本の
風土に合ったように改良されたという理解でOKなのか、と。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/14(月) 11:58:11
長文読んだあんたは偉い
94名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/14(月) 11:59:19
ありがとうよっ。
95浮世絵Tシャツ:2005/11/14(月) 12:38:57
浮世絵美人画デザインTシャツを販売しています。セッタに合わせての和風着こなし、
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96名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/14(月) 12:45:04
あたしゃ、浮世絵Tシャツとか、
縮緬生地の洋服とか嫌いだわ(W
97いわたろう棟梁:2005/11/16(水) 11:32:35
薬師寺3重塔との裳階と高減衰性能  投稿者: いわたろう  投稿日:11月16日(水)10時05分5秒
素人でも
★多重塔は縦長である。
★縦長のものは倒れ易い。ということはわかる。

当時に於いて、地震国に於いての多重塔実績は渡来人からは詳しくは調べられない。
そこで
色々工匠は悩んだ末、「裳階」に拠る多様な「振動モード対策」と風対策を編み出
した。法隆寺建造を経て様々に学んだ知恵がそこにはある。
このような多重塔における裳階を利用した高度な工学は日本独自のものでかつ、薬
師寺3重の塔を最期に歴史から消え去った。 舎利奉納と安全率向上の為に差した
法隆寺の埋め込み芯柱が腐ってきたとき色々学んだのが薬師寺東塔(裳階3重つき三
重塔=計六重屋根)完成の天平2年(730年)に結実している。 
そしてその後裳階(もこし)は、法隆寺の5重の塔の揺るがぬ耐震性を学び過剰設計
と気がついた。
法隆寺五重の塔心柱伐採年が奈良国立文化財研究所の近時の訂正発表で100年遡り、
594年とされた。 この約100年の時間差が外見上の法隆寺五重塔との大きな違いで
ある。 法隆寺5重の塔初重にも裳階が後に付いたのも、「裳階」に拠る多様な「振
動モード対策」と風対策を熟知した工匠の発案であろう。 詳しくは次回に書いて
みたい。
98いわたろう棟梁:2005/11/16(水) 11:34:34
>>92
読みにくくてすいません。
そういう解釈で桶です。
99日本人は全大陸系移民人 :2005/11/16(水) 20:18:58
50万年前から続く縄文文化の発展としての弥生時代というよりも朝鮮半島からの
弥生人が稲作と鉄器をわが国に伝え帰化した。 縄文人と戦うことも多かった
が双方存立し現在の日本人の祖先となった。もっと遡れば中国も越え、大陸の奥
の奥アフリカ人が日本人の祖先だ。 などど言うことになる。 したがって飛鳥
前後の時代において地震大国の地理的に日本に土着している工匠達が当時の中国
の先進文化とともに仏教を伝えた渡来人の塔婆技術を大いに改良発展させ独自性
の高い建築を残した。 掘っ建て柱も朝鮮渡来人の仕業でも何でもいいんですよ。
 とにかく結果としてこの地に住み着いてる渡来人だろうが人類の起源アフリカ
人の末裔だろうが北京原人の末裔だろうがとにかく輸入先の国にも自慢できるで
きばえの建築を造ったことには変わりは無い。
しかしさすれば、掘っ建て柱も縄文人と混血の弥生渡来人だろうし礎石の上の建
築の改良も弥生渡来人とアフリカ系か北京系縄文人との混血人は当時の日本に住
んでいた人だろうし。 ただ、当時の日本に住んでいたアフリカ系混血移民の工
人は一味もふた味も優れてますぜ!!! 地理的に人類の起源とは極めて遠いと
ころにいるわけだから少なくともここにたどり着いた奴らは日本の風土特性を良
く睨み素晴らしい文化を開いたものだ。 そして現在ここでは日本語を話し朝鮮
語を話してないのは何故だろう?
いのは
100いわたろう棟梁:2005/11/16(水) 22:06:07
廃仏毀釈とレンガ建築と工学校  

鎖国システムが列強の圧力により崩壊し、欧州視察の結果英仏に見習い国家
を建て直すこととなった。 廃仏毀釈により寺が衰退した。 製糸紡績を柱
とした工業化社会が到来。 製鉄と鉄道網の整備が全国的に行なわれ都市一
極人口集中が都市防火思想を要求。 鹿鳴館などとともに欧化政策が推進さ
れ不平等条約解消が成功した。 関東大震災が「洋館」をなぎ倒したとき本
格木造の豪農の家や堂宮は生き残るものも多かった。 このとき「地震のお
きない国」からやってきた「英仏」の「お雇い外人教授」や明治時代に出現
した「工科学校(大学)」は飛鳥前後に来た地震の無い国から来た渡来人と
同じ間違いを繰り返した。飛鳥白鳳の工匠は掘建て柱時代から連綿と暖めて
きた「口伝」や「知恵」があり渡来人をひれ伏させた。 お雇い外人教授」
から「デザイン」学んだ(今でいう大卒)の建築技師たちには命がけで伝
承し身体にしみこませた「口伝」も「洋館国産化」を図る知恵が無かった。
 その結果人命、財産に甚大な被害を与えレンガ建築は耐震工学誕生ととも
に表舞台より姿を消した。
101衣料の変遷と建築 :2005/11/19(土) 09:55:25
 古建築研究会掲示板より
 建築のデータを集めていくとおぼろげに見えてくるものがあります。それは指定
文化財の民家、及び住宅の量の時代分布です。現在、文化財に指定されている民家
で江戸時代より前の建築が無いという事実です。建築を大きく分類すると
1・内裏、城郭などの公共施設。
2・神社・寺院の宗教建築。
3・民家など、人の住む建築。
以上の3つに分けることが出来ます。室町時代以前の建築で文化財指定の9割以
上は2の宗教建築です。人の住む為の住宅は数えるほどしかありません。有名な
のでは法隆寺伝法堂(橘夫人(藤原不比等夫人、光明皇后母)の住居と言われて
いる)や元興寺の建築(僧坊を改築したものと言われている)など、あと幾つか
はあると思うが一般の民家はほとんどありません。多くの人が生活をしていたの
だから、住居が無いことはありません。遺跡の発掘からは多くの堀立柱の痕跡を
見ることが出来ます。それを考えると江戸時代に入るまでは一般の民衆は堀立柱
の建築に住んでいたものと考えられます。現在、復元されている竪穴式住居を見
ると構造材は釘を使わず、木と縄、蔓、木も丸太を使い、屋根は茅葺きです。屋
根の部分は茅葺きの建築と同じです。多分、弥生時代の頃から茅葺き屋根の構造
は変わっていないだろうと思います。
 それが江戸時代になって変わったのだと考えています。その変化の原因は着物
の材料の移り変わりと建築道具の進歩だと思っています。技術の発展が世の中を
変えたと考えられます。
 まず、大工道具ですが室町時代の中期頃に大鋸と台鉋の出現です。これによっ
て製材が楽になり、建築資材を多く生産出来、建築行程の短縮が可能になったと
考えられます。大鋸も最初は輸入していたものが戦国時代を経て、江戸初期には
国産化されたと考えられます。
 つぎに衣料ですが衣料も室町時代から変化してきます。室町後期より綿花が栽
培されるようになり、江戸初期にはかなり普及したようです。それ以前は麻が主
流でゴワゴワしていたようです。建築の関係で考えると暖房との関連です。
 竪穴式住居は冬場は結構快適だと言われています。建物の中で火を焚き、地面
に藁を敷けば冬でも暖かく過ごせるようです。竪穴式住居、堀立柱は欠陥もあり
ます。柱を地面に穴を掘り、埋め立てる為に地震には強いのだが、地面と柱が触
れる部分が腐食しやすい。寿命は柱の太さにもよるが20〜30年だそうである。伊
勢神宮のように式年造替する風習は堀立柱の影響と考えられています。
 時代の変換が考えられるの江戸時代初期、世の中も平和になり寛永時代には絹
は贅沢だから、一般庶民は木綿を着るようにとのお触れ(寛永5年)が出ていま
す。それだけ木綿が普及したものを考えられます。文化財保存されている民家も
この時代から出始めます。本格的に普及が始まるのは寛文、延宝期と考えられま
す。ここから先は想像ですが平和になり、寛永時代建てられた建築は沢山あると
考えられますが、寛文頃にその寿命が分かれたのだと考えられます。寛永時代に
先進の技術を使って建てられた礎石建ち(土に触れないように礎石を置き、その
上に柱を立てる)の民家は残り、それまでの技術を使った堀立柱の民家は次々に
立て替えられ始めたと思うのです。その時、多くの人達は次の建築を建てる時に
どちらを選ぶでしょうか。今、民家で文化財で指定されているもので建立年代の
判明しているものは延宝期のものが多く見られます。茨城県でもかすみがうら市
の椎名家(国指定)、古河市の中山家(県指定)が延宝期の建築です。
 衣料との関係ですが木綿が普及すれば布団もこの頃から普及し始めたのではな
いでしょうか。礎石建ちの建築は柱を腐らせない為に地面近いところは風通しを
良くします。そのため床を張り、その上で寝るようになる。寒さを防ぐ為には贅
沢でも綿の布団が必要になり、その上の贅沢は床の上に畳を敷き、そこに布団を
敷けば、寒さをしのぐことが出来ます。一般庶民に布団や畳が普及したのは享保
期以降と考えています。全国的に文化財として、残されている民家の多くはこの
時代が多く見られます。
102いわたろう棟梁:2005/11/19(土) 10:02:37
>>92
古建築研究会は私がある部分を執筆依頼されているサイトです。
自分の文章でないときもいわたろう名義でここに載せたりしてます。
管理人の方の文章は皆素晴らしいです。 古建築だけでなく建築と生活文化
全般も討議されています。掲示板は有名な最期の宮大工のお弟子さんが管理しています。
103名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/22(火) 08:56:29
■■無能な1級建築士を怒るスレ■■
1 :名無し組:2005/10/16(日) 18:29:29 ID:HUBKLbY9
ケース1:おい、しっかりやってくれよ、2B1梁が、ファサードにはみ出してるジャンよ!!
ケース2:おい、しっかりやってくれよ、それを先に役所に行っちゃあ通る申請も通らなくなるよ!!
ケース3:おい、しっかりやってくれよ、ライバル会社の営業のほうがいいプラン出してるじゃねか!!
ケース4:おい、しっかりやってくれよ、現地の対角ぐらいテープあたんなかったのかよ!!
ケース4:おい、しっかりやってくれよ、確認出さないでも消防ぐらいは打ち合わせしとけよ!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1級建築士を信頼してひどい目にあった方やそれで本当に1級建築士?
等なんでも結構です。 

さあ!!!!!!!!!!!!!!どうぞ−−−−−−−−−−!!!!


とかあるけど姉破産やってくれましたね。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 15:08:07
別に・・よくある事さ。

下請けだろ?ていのいい尻ぬぐいさせられたような・・
105名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 16:11:49
建築は設計のオサンがむちゃくちゃ偉そうにしてるけど、機械の設計は現場のオサンに頭があがらん。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/24(木) 23:02:09
設計士は生みの親。
施工者は育ての親。
あなたはどっちの料理Show!!
107名無しさん@お腹いっぱい。
姐はさんは無能な1級建築士大将新人賞に決まりました。
おまけとして日本建築学界永久追放証と警視庁からは、逮捕礼状、
検察庁からは起訴状、裁判所からは呼び出し状其の他もろもろ受賞
予定が決まってます。