1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
最近、子供に対する虐待のニュースが数多く報道されています。
これも時代のせいなのか・・・・・。ともかく子育てにしても何
にしても、無意識のうちに、自分の育った環境を参考にしている
はず。世代間連鎖とはいいませんが、ご自身がどんな家庭や環境で
どんなしつけをされて育ったか、などを自由に語り合いましょう。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/22 18:58
いちおう余裕で2ゲットしとく
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/22 19:03
両親とも言うことが支離滅裂で一貫性が無かったね。
母親は無知蒙昧で頭が悪く父親は知ったかぶり屋の駄法螺吹きで
今から考えると虚言癖があったようだ。
躾については放ったらかしでネグレクトに近いものがあったろう。
子供の頃の(ほんの数枚の)写真を見ても汚い格好をしているね。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/22 19:32
農村には珍しく、両親ともに公務員の家庭で育ちました。
母方の実家で母方の祖父母とともに生活。
そういや、漏れも厳しくしかられたことがなかったですが、
両親と心の交流があったという実感もなかったですね。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい:03/12/22 20:02
父親の転勤で小学校までに9回引越し。
中学生になってようやく住宅地に家を建て、父親は以後単身赴任、母親はパート。
高校出るまでそこに住んだけれど、近所とも付き合い無かったし、自分のふるさとというもんがない。
実家に帰省しても、会う友人がいないのはさびしい。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/22 20:06
気性の激しい長生きな母親と、優しくて早死にした父親と
口五月蝿い親族に取り囲まれて育ちました。
実家に帰るのが非常に嫌です!
両親はじめ叔父・伯母など親族中に大学教員・研究者多数。
家中本だらけ、勉強してあたりまえ、という環境の中で、
とくに反発もせず私自身も現在大学教員、しかも父親と同分野だから
実家に帰れば専門的な研究の話ばかり。
これもまた
>>1のいう「世代間連鎖」か
>>7さんとは対照的におよそアカデミックな雰囲気はなかった。
商売してたうえ、一人っ子だったのでほったらかし。本だけが楽しみだった。
それすら「男の子なのに・・・」と両親は否定的だった。
子が親に甘えるのは当たり前なのに一人っ子ということを意識してか、
なにかにつけ「甘えん坊」とか「頼りない」とか言われて自信喪失気味だった。
いまでも中学校までのことはあまり憶えてないのはそのためだろうな。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/23 18:42
本なんか読んでると「学者にでもなるつもりか」と真顔で訊かれた。
オレも
>>7とは対照的な家庭だったな。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/24 01:20
実家では本を読んだり絵を描くことは比較的良い事として
何時間していても放置されていた。
結婚して「女が新聞読んだり本を読むなんてしんじられん」
と殴られた・・。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/24 02:05
今からでも遅くない。
別れなさい。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/24 04:41
おやじは呑み助
おふくろは世話好き
姉はそれなり、おれは我儘、意地っ張り、欲張り
・・・
子供の頃、よく知らない人や浮浪者(?)みたいのが
居間にいてお袋が世話(モテナシ)してた
風呂までいれてるのー
おれは子供心に嫌だったが・・・
別に宗教なんてやってないのにね。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/24 05:30
父は新聞記者。母は専業主婦。
一家団欒っていうのを子ども時代に体験したことはない。
父は勤務が不規則で、深夜に帰ってきて早朝に出勤したり、泊まりが
続いたりで、夕食を家族で囲むなんて事はあり得なかった。
小中高と周囲の友人もそんな環境。別に変なことだとは思わなかった。
でも、子ども時代に年収1千万あったとは思えない暮らしだったなぁ。
駄菓子屋での買い食いや、低俗番組の視聴は厳しく制限されていた。
その代わり、小学校の図書館の本はほとんど読破。本ならいくらでも
買ってくれたから、読書に没頭。中学時代に岩波新書の主なものは全
部読んだしね。周囲もそんな感じだったから、カリカリ受験勉強して
入ってきた人は結構辛かったんじゃないのかな。
俺は研究者になるつもりだったし。
ブレークスルーはビートルズだった。
今俺広告屋だから、年収は別として同じようなヤクザな暮らし。
もっと聞きたければレスくれ。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/24 05:38
あ、このままだとデブヲタにされるかもしれないから、書いておく。
一応、オヤジとキャッチボールしたことある。
グローブも買ってくれた。友達と遊べって言われて、駆け回った。
運動能力は結構あって、高校の時垂直跳び120cmだったよ。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/24 06:19
どうも書き込みを読む限り、広告屋としての才能を感じられないっすね。
大丈夫っすか?
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/24 06:28
今振り返ってみると環境の大きさをシミジミ感じるよ。
自分のせいであることなんて実はほとんど無いんじゃないかって…。
>高校の時垂直跳び120cmだったよ。
現役バレーボール選手で100cm跳ぶとすごいって言われるのに一流だね。w
>16
実は私もそう思ってた。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/25 16:42
>>16 激しく同意です。
意識するとしないとに関わらず、自分の価値判断の基準が形成されて
いるように思う。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/27 18:56
塾で教えていて、小4男子が騒ぐので注意したら、「兵隊連れてくるぞ!」と
すごんでいた。もちろん相手にしなかったが、どんな環境にいるんだろう、と
考えさせられました。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/27 19:13
42歳です。東京の中心部で育ちました。
家は南仏風でまとめられており、いつもきれいでした。
いわゆるインテリ家庭でしたね。
月に一度はドレスアップして
東京文化会館でクラシックの音楽界に連れて行かれ、
芸大の先生にピアノを習い、歯列矯正をさせられ、
美術展に通わされ、テニスクラブで週1回テニス、
日曜は四谷大塚にて模擬試験。
小学校時代は忙しかった記憶しかありません。
クリスマスは楽しかった。ホテルオークラから
ケーキを取り寄せて、チキンを焼いて・・・。
今はお気楽です。だんなが庶民派なので。
結婚相手で変わるよね、人生。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/27 21:01
>>20 同い年です。北関東の農村部で育ちました。
漏れの場合も、いわゆる教育一家といった感じかな。
祖父が元教師、母が小学校教師、父は公共企業体等職員(事務)。
本には関心があったので、読みたい本(活字本)は、言うがままに
買ってもらえた。男であるにもかかわらず、小学生の数年間ピアノ
教室に通う(日曜日)。平日・土曜は、小学校から帰るや否や、玄関
でランドセルを放り投げて、近所の遊び場に集っていました。もちろん
塾などというアカデミックなものは存在しなかったので、通った経験
はなし。
小学校時代は、日が暮れるまで遊びほうけていた記憶です。日曜日は
鬱でした(ピアノ教室に行かなければならなかったので)。
クリスマスは、もちろんバターケーキ。中学生になって、初めて生
クリームケーキを食べる・・・・・。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/27 21:33
私は20年前ダンナと付き合いはじめて、初めてピザというものを
食べました。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/27 21:41
>>3 わたしの家の事かと思いました、付け加えると父親は酒におぼれ女に手を出し
体壊してもまだ生きていて酒飲んでる。
父の我が儘を許して来てグチを今だに言っている母親もウザイ。
>>20 私たち子供のころ、四谷大塚ってもうありましたっけ?
何回か引越ししたので、いつから四谷大塚が有名なのかよく思い出せないんです。最初から四谷大塚という名前でした?
どなたかご存知の方、教えてください。
スレ違いスマソ。
父は国家公務員、感情を抑えることができず独りよがりで我儘放題なこども大人でした。今でも。
母は専業主婦で、見栄っ張りが服着て歩いてるような人でした。今でも。
自分が大人になって、子供を育ててみて初めて、
自分が生きていくうえでの苦痛・苦悩は両親から植えつけたれたものだということがわかりました。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/28 23:57
>24
32年生まれだけど小五の頃にはありましたよ。
>20
落ちぶれるというのは悲しいことですね。
>>20 雅子様とか皇太子様とかと
お会いしたことはありますか?
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/29 02:16
四谷大塚って実際の所あまりレベル高くなかったから、俺は下高井戸の
テスト中心の進学教室に通っていた。別に中学行くのに試験はなかった
けれど、自分のレベルがどの程度か知っておいた方がいいっていうことで。
確か、結構高度な内容を教えて、すぐ後に試験ってパターンだったかなぁ。
中学の時も模試受けに行っていたけれど、データが狂うから来ないでく
れって、学校ごと断られた。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/29 08:45
話しの流れが読めない人だね。
思い出話を始める前に、まず自分の年齢を書かなきゃダメでしょうが。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/31 11:13
この前、塾で教えていて、冬休みに両親と妹はボーリングに出かけて、自分ひとりだけ
冬期講習に参加させられた、と愚痴をこぼしていた小学5年生がいましたっけ。
40代が通った四谷大塚は日曜テストのみ。
中野の教室はまだなかった。それどころか独自の教室さえ持ってなかった。
大塚にあった大塚予備校と四谷の駿台予備校を日曜日借りてテストしていた。
44歳だけど、当時賢い子が行くのは日本進学教室の日曜テストと相場が決まっていた。
日本進学教室も日曜テストのみ。中学受験する者は、自分のポジションを知りたいのと
試験に慣れるために試験を受けに行っていた。
四谷大塚の日曜テストを受けに行っていた者も、6年生になると日進の日曜テストに変える者が多かった。
しかし、日本進学教室は、独自のテキストを持たず試験後のフォローもなかった。
そこに四谷大塚は目を付け、独自のテキストを作り、成績の順位を徹底的に意識させる方式で
人気を集めた。それが1970年代も半ば過ぎのこと。
四谷大塚の黄金時代は1980年代前後だと思う。
>>20はどう見ても田舎の貧乏育ちの人が妄想で書いたもの。
ばかばかしくも恥ずかしい。
>>31 ありがとうございました。長年の疑問が氷解しました。うーん、そうだったのかー。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/01 02:25
会社員の父と内職でミシン踏んでる母
両親の夫婦仲があまりよくないことを除けば普通の家庭だった。
父はリーマソとしては高給取りだったんだけど
でも金遣いあらくて、母の内職やパートじゃ家計おっつかなくて
母が小さなカレーやをはじめた、私が中学一年のとき。
店を始めた母は始発のバスと電車で家を出て終電で帰る日々
家事が必然的に私の肩にかかる。
母は始発終電の生活を1年つづけて、疲れ果てだんだん家に帰らなくなった。
店の二階が倉庫になっていて、布団買ってそこに寝泊りするようになる。
兄が大学受験とかさなり、いらいらを全て私にぶつけ
夕食が気に入らないと、テーブルをひっくり返したり、いすを振り回して殴りかかったり。
まだ中学生だったし、毎日のご飯つくるだけで精一杯の日々。
成績も急落して、高校は滑り止めの私立バカ校しか受からなかった。
母は相変わらず家に帰らない。
古い団地はゴキブリだらけで、台所仕事するのが死ぬほど嫌で、でもご飯作らないと
兄に殴られるし。毎日とても苦しかった、楽しいことはなにもなかった。
引越しすれば生活が変わるかも、母が帰って来るかもしれない、って思った。
両親に引越しを勧め、新築のマンションにひっこした。ゴキブリは出ない生活に脱出できた。
新居と母の店の距離は前よりはいくらか近くなったんだけど、母はやぱり帰らない。
代わりに私は高校まで2時間半もかかるようになった。一時間に一本のバスにのって
3回も乗り換えをして2時間かけて通う高校。周りには友達も一人もいないし、
学校は遠いし、今の引きこもりお宅系の性格はこのころに作られた。
引越しして3ヵ月後、両親が決定的な夫婦喧嘩をして 母が家を出た。
母に返って来ほしくてよく夢を良く見たが、それきりもう帰ってこなかった。
高校の授業が終わるとダッシュで学校を出て、
閉店寸前(当時の閉店時間は6時だった)のスーパーに飛び込んで肉や野菜を買う。
一時間に一本のバスに30分揺られて家にもどる。
お腹ぺこぺこで残り飯にケチャップかけて夕飯にする。それから昼ねする。
8時ごろになると大学生の兄が帰る。
たたき起こされて兄に焼肉やとんかつの夕食を作る。茶碗を洗って掃除する。12時ごろになる。
夜中1時ごろになると父が酔っ払って帰ってくる。なだめすかして風呂に入れる
なんか夜食を作れ、といわれてうどんを作って食わせる。なんとか寝かしつけると
2時。それから寝る、
朝6時に起きて朝飯食わずに6時20分に家を出る、毎日そんなだった。
すごく嫌だった。
もうだれにも飯の支度なんてしたくないし、
酔っ払いが家に帰って来るような、そんな生活をしたくない。
飯が気にいらない、なんていう理由で殴られる生活も嫌だ
だから結婚する気が起きない。
父の帰って来る足音 コツコツという男ものの革靴の音が聞こえると
心臓が止まりそうになった。もう二度とあんな生活をしたくない。 男は大嫌いだ。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/01 02:37
>>33 今はあなたの心が安らぐ、いい正月を迎えていますか?
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/01 02:48
>>33の気持ち、解る。
私も男は嫌いだ。
というか、人と接するのは面倒になった。
結婚生活は続けてるけど・・。
まあまあですね。
楽しいことは特別ないけど、私生活でたまらなく嫌なこともありません。
普段昔を思い出すことはほとんどありませんが
思い出すと 発狂しそうになります。
すき放題生きた父は65でぼけて私のアパートに転がり込んできました。
昔のことをいってもまるでなにも覚えていなかった。
兄は父のことはなにもしなかったです。
全部独身の私に押し付けた。私にとって家族は敵です。
私の生活のリズムを私の金をすきあらば取り上げようとしてるんです。
今恐いのは兄夫婦です。 兄はある中で体半分ぶっ壊れてます。
しかも住宅ローンが山のように残っている。貯金はゼロだとおもう。
一度でもボーナスが出なければ彼らは破産のレベルですね。
彼らとは音信を絶っていますが、もし頼られたら、と思うと恐いです。
>>35 会社や外で男の人と付き合うのは委員です。
同居できない。
あの、足音が聞こえるだけで心臓が口から飛び出しそうになる。
今は収まったけど、あの辛さは覚えている。
コツコツ・・、って音が聞こえると
どれほど深く寝ていても眼が覚める。脈拍と呼吸が速くなる。
>>36 まあまあ、で良かった。
早く家族の呪縛から解放されることを願っています。
東京では初日の出が見られそうです。
良いお正月を。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/01 03:05
゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
心の病院に行った方がいいよぉ
涙が出ちゃった。
リアルで中学生や高校生のお子さんがいる方多いのでは?
うちもそう。男子ですが。
自分を振り返っても今の子供たちを見ても、なんてのんびりダラダラしてるんだと思う。
33さんは、えらい。よく頑張ったよ。
今年はいいことがありますように!
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/01 10:24
明けましておめでd。
良いことがあるといいよね。
明るい話と辛く暗い話もあるけど、書くことで癒されることもあるはずだから
書けるのなら書いた方が良いと思う。
私は子供の時の思い出 全然思い出せないので、ここに書くことがない。
小学校にも中学校にも行って、それなりに生きてたはずなのに記憶がどうしても
戻らない。覚えていることは辛くもあるけど生きてきた証拠だから と思えると
少し良いのかなっておもう。辛い思いからは解放されることを祈っている>33
皆さんありがと
書くとすっきりするぽ (・∀・)スキーリ
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 03:58
私の父は労務士をしていました。
しかし、友人達には子供の頃に
一文字間違えて労務者だとずっと公言していました。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 04:53
オレの親父は土建屋だったけど友人たちは単なる土方だと思ってたらしい。
商売がヘタであまり儲かっていなかったようだから
息子のオレも貧乏臭く見えたんだろう。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 11:00
つくづく環境って大事だと思う。
おとといテレビで「カオリ・ナラ・ターナー」という日本人メイクアップアーチストの
ことやってた。彼女は東京で生まれ、親が娘の顔はいまいち?!とかいう理由で幼い頃から
ダンスとか色々習わせたらしい。その後、彼女はダンス好きが高じてダンサーとなった。
日本人男性との離婚後に、ショーの観客だったメイクアップアーチストのアメリカ人男性に見初められ再婚。
しばらくして足を痛めてダンサーを断念したが、旦那にメイク技術を教わりその後現在の地位を獲得する。
親が、彼女の将来を考えて幼い頃から手をかけて育てたおかげで現在の幸せが
あるように思う。
まず、彼女が年頃になった時にはダンス技術がプロ並。それが職業につながり、それが現在
の旦那に見初められる原因となっている。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 11:08
>私は子供の時の思い出 全然思い出せないので、ここに書くことがない。
小学校にも中学校にも行って、それなりに生きてたはずなのに記憶がどうしても
戻らない。
私もそうなんです。なんでだろう?
家族の中に色々葛藤があったからかなあ?
家は自営業で、両親はそれこそ日曜も祝日もなく
働いていた。おかげで経済的には何不自由なく育った。
両親と遊んだり話したりした記憶がないからなあ、と
思ってみたり。でも、学校での記憶もあまりない。
不幸自慢をするわけでもないけど、私の場合
親が転勤族で、子供の頃から転校ばかり。両親の仲が悪く、母はよく実家に
帰って不在。結局、小学校の時に両親が離婚。私も弟もいつもそんな親の事
が心配で精神的に不安定だったと思う。母が不在な為、部屋は汚なかったし参観日
や運動会は恥ずかしかった。学校で使用する縫い物(ハーモニカのカバーとか
ぞうきん)もつくる人がいなくて、同級生の母親がつくってくれた。死別だと
死別と言えるけれど、親の別居とか離婚って人に言えないんだよね。
そして、数年後に父が再婚。最初数ヶ月は良かったが、しばらくして
父と弟が不在の時を狙って私に対する継母の暴言と暴力がはじまった。
元々、理不尽なことには断固として抵抗する性格だったのだが父が叉
一人になるのが可哀想だったのでとことん我慢して生活していた。
物心ついたころから、母との間に距離を感じていた。
6さいぐらいの時、アンデルセン童話を買ってもらった。
私が好きだったのは、マッチ売りの少女と人魚姫。ともに最後は、死んでしまう。
嫌いだったのは、おやゆび姫。
なぜか、嫉妬のような感情が沸いた。
そして、私は挿絵のおやゆび姫の顔を全部赤いクレヨンで塗りつぶした。
幼い頃の記憶というと、まずこのことを思い出す。
挿絵にチューリップの中にいるおやゆび姫があった。
それ以来、チューリップをみると、そのことを思い出すので嫌いな花になった。
内容としては
<暴言>
「人間のゴミ、くず」
<暴力など>
・継母が機嫌悪いと食事抜き
・学校へ持って行くお弁当も気分次第で抜き。(昼休みは図書館へ)
・学校から戻るなり、玄関で待ち構えてた継母に暴力されまくり(髪の毛を
つかんで引きずられたり、おでこをえんびつで刺されたり、顔をひっかかれたり)
・高校から先の進学の阻止(とにかくお金を使いたくなかったらしい)
・私がおしゃれをするのを嫌がり、わざと野暮ったいババ臭い服を着せられた。
・中学の部活を退部させられ、高校も部活に入れなかった。その分、朝と夜に
家中の掃除をさせられた。
・友人と遊びに行くのを制限させられ、旅行も行けなかった。
・高校時代のアルバイト代が入った通帳を預けろと言われ、卒業して家を
出る時に残金0の通帳を投げつけられて泣きながら家を出た。
・いつも辛くて、学校へ行く時も泣きながら通っていた。
※他の方とレスがミックスしてしまい、読みづらかったらスイマセン
<その後、社会人になって>
・学生時代は無気力で成績も悪く、ろくな会社に就職せず
・継母から男性不審になるような暗示を植え込まれていた為、今思うと条件的
にも男としても最悪な男と付き合い、その後男嫌いに(w
・最初の会社がDQNだった為、良い会社を求めている間に転職しまくりで貧乏に
・継母がいる為、めったに実家に帰れずたまに帰っても嫌がらせされる。
・父が糖尿病が悪化して危ないと連絡があり、実家近くに引っ越そうとしたが
継母の反対で断念。1度帰ったが継母に嫌がらせされて泣きながら帰る。
・継母はいざという時に父の遺産(小額だが)が私や弟に多く渡るのを恐怖に
感じており、より一層私が実家に行くのを嫌がっている様子。
・おかげで正月はひとりぼっちで過ごし、父の病気を思うと泣けてくるが帰る
に帰れず、ジレンマと憤りの日々。
・実家にいた時の後遺症か、自己主張が下手で社会人になってからも損して
ばかり。
・去年も、自己主張うまくできずに同僚にデマをなすり付けられ無職になり
現在借金生活中。
なんか、生きているの嫌になっている40代でした。
父親の遺産に関しては、実子であるあなたと弟さんには法定相続権がある。
確か妻が二分の一、残りを子供の数で割るから
あなたと弟さんにはそれぞれ四分の一の相続権があるはず。
2ちゃんとはいえ、カミングアウトできたのは偉い。
外に向かって自分を開いていくことは、なかなか難しいことだと思うけど
あなたが辛い経験をしたのはあなた自身の罪じゃない。
あなたは良く頑張ってきたよ。
恥ずかしいとか、自分が悪いとか思う必要は全然ないの。
頑張ってきた自分をまずあなた自身が認めてあげてね。
つづき
・よく考えたら、高校に行くのも継母は阻止しようとしていたが、これは
父が断固として反対した。
・男性に対する変な暗示を教え込まれた為、女性らしさを出す事が嫌になり
格好をダサくしたりたくさん食べてデブになるようになってしまった。
それまでは、まあまあ可愛いとかキレイとかいわれたりしてたのにこれを
境にモテない女まっしぐらになってしまった。
・いつもけなされたり暴力ふるわれていたので、いまだにオドオドしてて挙動
不審っぽい(w
今そういうわけで無職で借金かかえてて、父の事思うと泣けてくる最悪状態
の為、長々と書いてしまいました。でも、おかげでスッキリ!いままでも開き直って
何とか生きて来たんで、これからもなんとか頑張ります。
あと学生時代に先生からある方面に才能があると言われ、その方面の道
をすすめられたのだが前述のごとく継母の阻止により進学は断念。
社会人になり、自分の力で何とかその方面で認められようと思ってましたが
仕事が忙しかったりしている間にあっという間に40代。今までは「これから、
これから!」って思っていましたが、このまま行くと気がついたら寿命って
ことになりそう(w 遅過ぎたけどなんとか自分なりには動いてみようと
思います。
いまからでもチャレンジしたらどうですか?
まだ遅くないよ。あと20年で結構伸びると思うんですよ。
義母を見返してやりなよ。
>>53 >>57 ありがとうございます。
父や弟はこれらの事、私が常にトラウマと葛藤している事をほとんど知らないから
私が今の歳まで独身でいることや、太っていることを不思議に思っているようです。
普段はこういう事人に言わないし、苦労知らずでおっとりして見えるようです。
だから世間の心無い人々はいい歳して独身であるとか、女一人で安アパートなんか
住んでとかよく叩いて来ますが、でもそういう時は「同じ経験したらあんたはやっ
てけるのか、あん?」と心の中で呟やいてます。(W
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 18:26
一人語りで悪いのはすべてまわりのせいって醜いな
デブの原因までまわりのせいにするとはアッパレでつw
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 18:27
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 21:23
悲しい自分語りがでぶと判ると
途端に煽りが入るなw
やっぱり男は「でぶ」嫌いが多いんだと、あらためて感じた次第です。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 21:48
でぶだって
いや、でぶだから余計
苦しいこともあるし悩みもあるよねえ
細くてきれいなら男が優しくしてくれて楽に生きられるんだ
でぶのほうが大変なんだよね
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 21:59
40代のデブって親の責任ではない罠
本人だらしないからデブになるんだろ?( ´,_ゝ`)プッ
2ちゃんだと自分の御面相が見えないから、何でも言えるね
>>64 姿形は想像するしかないけど、心の在り様は痛い人だね。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 22:34
脂肪細胞は子供の頃に増えるから
親がちゃんと栄養管理してあげないと太っちゃうよ。
子供の頃から太ってるのは親のネグレクトの結果の1つ
だらしないから太るってのは
子供の頃普通体型で中年からふとりだした場合には当てはまるけどね
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 22:51
でぶ。アメリカのデザイン学校にいってたとき、それぞれの作業スペース
が個人でもてるんだけど、たまたま前になった、コニー、でぶだったけど
かわいい女性でした。30過ぎてデザインの勉強初めて、でも、顔は
引き締まってたな、これから自分の好きなことやるんだって、気合
はいってた、ポニーテールで、でぶとか、美人とか、ぬすとか、関係なく
輝いてたよ。彼氏も、すっごいハンサム。よくうちによばれて、ディナー
ご馳走になりました。ふっとっててもいいんだよ、やる気さえあればね。
結婚とか、恋愛とかだけしか考えないんだとしたら、美しくはなれないと
思うな。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 23:01
ここは「でぶ」の話を単独でするところではなく
家庭環境と重ねて語るところです
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 01:56
みなで一生懸命「でぶ」について語ってて、ワロタ。w
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 12:22
45も
自分がでぶだ、なんてカムアウトするから
同情より お笑いになっちまうんだよw
本当にやり方(つーか生き方そのものも)下手なんだなあwと思ったよ。
親が愛情もって育てないと生き方が上手にやれない子に育つんだよ。
下手糞なカムアウトも愛情なしで育った証拠。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 12:59
>66
> 脂肪細胞は子供の頃に増えるから
> 親がちゃんと栄養管理してあげないと太っちゃうよ。
> 子供の頃から太ってるのは親のネグレクトの結果の1つ
デブの典型的な言い訳の一つだね。
確かに幼児期に増えた脂肪細胞を減らすことは出来ないけど、それを
今現在の言い訳のネタにする人が多すぎる。
私は小中高と絵に描いたような肥満児だったけど、二十歳過ぎてから
生活習慣をコントロールして標準体型にすることができたよ。
特に苦しい努力もしなかったな。
特殊な病気でもない限り、合理的なダイエットをすればほとんどの人が
肥満から脱出できるものなのさ。
デブがデブなのは体質よりもだらしがない生活習慣と、それを許す怠惰な
性格にあるんだよ。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 13:04
肥満がオブセッションになってる奴は哀れだな。
さすが元肥満児。これを三つ子の魂百までというんだな。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 13:09
容姿入れずに 語れや。
デブ論は ストップ sageれ
ねぇ、デブってかっこいいのに、なんでやせようとするの?
曙、かっこよかったじゃないか
__,,,,,,
,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,,
,.-,/ /::::::::::::::::::::::!,, \
( ,' i:::::::::::::::::::::;ノ ヽ-、,,/''ー'''"7
`''| |:::::::::::::::::::::} ``ー''"
! '、:::::::::::::::::::i
'、 `-=''''フ'ー''ヽ、::::::::::/ヽ、-─-、,,-'''ヽ
\_/ ヽ--く _,,,..--┴-、 ヽ
``" \>
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 17:33
大体、食生活自体が変ってるじゃん。
子どもに塾で社会科を教えていて、下準備で調べてたら、1980年代から食生活の
多様化に伴って、糖尿病が社会問題化し、90年代にはそれらに加えて、ダイエットや「
過食・拒食などの問題が派生したとあり、なるほどと思ったよ。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 17:34
ここは昭和の肥満児を語るスレとないますた。
ああ、そうですか。
まぁ、荒らしと決めつけがネット上で流行ること自体、まともな幼年生活と環境に
なかった証拠でしょうね。
2ちゃん見てると色んな人がいるね。
私の場合は、1959年、都心部、といっても地味かつ緑が豊富で寺の多い地域に生まれ育った。
家族は大学教員の父、お嬢様育ちの母、母方の祖母の四人。
父は家庭的でオヤジギャグ連発するような人。学生が御飯を食べに来たり、仕事仲間が飲みに来たりしていた。
母は少々見栄っ張りなところがあったが、基本的には呑気。
父が、論文や本を執筆しているときは、仕事部屋に近づかないように強く言われていた。
私はお祖母ちゃん子で小学校を卒業するまで祖母の部屋で寝ていた。
寝付くまでの間、毎日お話をしてもらっていた。
日本、西洋の昔話に始まり、仏教説話や浄瑠璃、歌舞伎のストーリーまで様々だった。
祖母はかなり苦労していたようだw
しかし、躾けにはなかなか厳しい人でもあり
いたずらをすると長押の上においてある竹尺で手の平をぶたれたものだ。
思えば、私の倫理観とか道徳観といったものは、祖母との関係によって育まれた部分が大きいような気がする。
一人娘ではあったが、特別贅沢をさせてもらった記憶はない。
服は母の手作りがほとんどだったし、お小遣いも友人と比べて多くも少なくもなく、ごく普通のものだった。
我が家の唯一の贅沢といえば、月一度の外食ぐらいのものだった。
あとは、教師の子供の多くがそうであるように、好きな本を好きなだけ買ってもいいことかな。
特別プレッシャーもなく、ぼんやりと自由に生きてこれた私は、とても幸せな子供時代を過ごしたといえるのかもしれない。
自分では当然と思っていることが、実はありがたいことだったのだと気づくようになったのは
やはり、自分も子供を生み、育て、40歳を過ぎたからかな。
世田谷の人かな?
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 17:51
>>76 70年のすかいらーく1号店出店、71年のマクドナルド出店、74年の
セブンイレブン出店開始あたりから、食環境は大きく変わったね。
こうしたチェーンに乗せるための加工食品開発、電子レンジ普及等の
背景があって、ある程度伝統的だった食生活が消えていった。
そうした変化に一番最初に適応したのが、今の40代。
学生時代はファミレスでコーヒーを延々とお代わりし続けて、徹夜し
たり、賄いなしのアパートに住む人が増えて、レトルトや冷凍食品ば
かりを食べ続けたり。そのころのコンビニの総菜とか弁当って今より
相当ひどかったから。
>>82 食生活のみならず、社会や環境がまったく変っているんでしょうね。
大体、糖尿病なんて、金持ちの病気だという意識があったような気がします<70年代。
今や、普通の人がかかる病気。
食生活は確かにひどかった。梅ジャムやらチクロやらわけのわからない食品化合物混入
食品を食べていた世代でもありますね。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/04 14:35
どうしても「でぶ」の話からはなれられんのが
さすが中年ぶとり症候群の40代よのお・・・
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/04 15:38
あ〜あ、でぶとかいたばかりに・・・・。
45さん、弟は大丈夫だったのかね?
自分語りしたら視野が広くなって殻が破れてすっきりしてきたんじゃないかい?
人生まだ半分。
スタートで親がたっぷり手助けしてくれた人に比べると転んで足をくじいちゃったような感じだけど、
自分で立ち直って傷も回復してきたようだし、マイペースで楽しくやってって欲しいよ。
でもさ、でぶで寿命縮むと悲しいぞ。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/04 19:43
>>80 >寝付くまでの間、毎日お話をしてもらっていた。
>日本、西洋の昔話に始まり、仏教説話や浄瑠璃、歌舞伎のストーリーまで様々だった。
私も同じです。寝つくまで祖父が昔話を聞かせてくれて、それがきっかけで読書を始めた
ようなものです。
当方、1960年、南東北の生まれです。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/04 21:39
このスレは
お上品ないい家庭と
貧乏人のひどい家庭の競演です
いい家庭に育った人は太っておらず今は自分もいい家庭を築きいい仕事についています
ひどい家庭に育った人はでぶで独り者で無職借金まみれです
大きなお世話じゃ。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/04 23:33
>>86 今にして思えば、祖母は眠いのに大変だったと思う。
話しのネタも尽きてくるし、お話を端折ると「そこは違う」と私のツッコミが入るしw
「ととさまの名は?あわのじゅうろベえと申します。してかかさまの名は?おゆきと申します」
情感がこもっていないときも鋭く指摘。
今でも祖母のお話のリズムと声を、はっきりと思い出せます。
年寄りっ子は三文安、などという言葉もありますが
いいところもありますよね、きっと。
おじいさんの昔話、ちょっと興味あるな。聞いてみたかった。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/06 19:48
>>89 子育てスレと重なるかもしれないが、自分が子どもの頃は、良くも悪くも核家族化が進行しつつも、
母親が家庭にいたし、三世代同居の場合は、専業主婦の方の子育て役をおばあさんが、担ってくれて
いたろうし(しかも、おばあさんは、大体において子育ての経験者)、共働きであっても母親は
ある程度仕事に専念できたんでしょうが、今や、核家族(=死語?)で共稼ぎの家庭も多く、世の中
自体が、過度に無駄を切り詰めているような社会ですから、母親一人に子育てと収入を得る役割が
課せられ、大変な時代なんだなぁ、と思います。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 12:33
祖父、父、母、兄、姉のいる家庭で生まれた末っ子次男です。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 12:49
でもって
やっぱりデブなんですか?
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 15:57
今の中学生・高校生って、分別などという言葉が死語になっているから、怖いもんなしだろ?
かまってほしくて、何でも手当たり次第に言いがかりつけてさ。で、そのことを指摘されると
開き直って、スレ荒らしか。
>>93
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 20:21
インクジェットプリンタを捨てるために、完全分解しましたが
分別は完璧です。
食や生活環境の話と、家庭環境の話は別立ての方がいいかな。
食環境や生活全般の環境スレってどこかにある?
環境・電力 っていう過疎板あるよw
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/10 17:32
まぁ、ともかくも、家庭教育は世代間遺伝?があるように思います。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/10 17:35
旧士族と町民の末裔じゃ差が出るさ。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/10 18:18
キミみたいな厨房がすぐに釣れるわけだ(w。
>>98
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/10 19:35
>>99 書き方特徴あるから 誰なのかバレバレ デブはやっぱネガティブだな〜
脳みそにこびりついてる脂肪をまず落とせ!話しはそれからだw
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/10 21:35
農家の長男。両親A型、姉、弟、俺みんなA型の普通の家庭に育った。
だから世の中がこんなに変化に富んだ複雑なものだったとは思いようも
なかった。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/11 15:14
>両親A型、姉、弟、俺みんなA型の・・・
この時点で普通じゃないなw
( ´゚д゚`)えーーー
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/12 14:14
みんな自分のとこが普通だと思うものさ
うちは普通じゃないのか普通なのか判らん.
変というほど変でもないし、普通というほど普通でもない。
世間的には普通の範疇にはいるだろうな
どこの家もこんなもんかなー、とは思ってはいる
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/13 01:54
うちは私が小学生の時に、父親が女をこしらえて出て行ってしまい
養育費も送ってこなかった。でも、母親が一生懸命に働いていた上に
母の実家が不動産をいくつか所有し遺して逝ったので、家賃収入があった。
両親揃った家と変わらないレベルで育ったけれど、やはり寂しさはあった。
むしろ妻子を捨てて、貧困になったのは父親側だった。
女はとんだ誤算だった事であろうww。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/14 14:38
>>106 農村だったけど、近所に結構、そういう家はあったような気がする。
うちは違ったが、中学の時に母親が急死し、その後父親が男手一つで
育て上げてくれた。当時は何も考えないで育っていたが、周囲は
両親が揃わなくて大変だと、心配してくれていたようだった(もちろん、
男所帯で、女っけが全く無いのかどうか、興味半分で覗きに来ていた
ようなところもあったけどね)。
夫婦仲が壊れて母ちゃんが出てってしまって
父ちゃんがよそに女つくってしまった。
それは別にいいのだが夜中にうちにつれてきて布団ひけ、とか言うの。
あと別にバーの女の人連れてきたこともあった。本とにバカオヤジwww
その女の人とは結婚するつもりだったらしいのだけど
あちこちつれまわして、会社の人とのゴルフなんかにも連れて行ったり
車買ってやってドライブしたりして、行動が目にあまる、つーんで
オヤジは会社首になってしまった。金の切れ目が縁の切れ目で女とも直ぐに
分かれて、バカな香具師だなあ。
男のバカな部分を10代のうちに
たっぷり目にしたから基本的に私は男をバカにし切っている。
特に年上の男がだめで大嫌いな上にバカに見えてバカに見えて仕方ない。
年若い男の子がきちんと見えるのに、年上はもうバカに見える。
アタシも40代にはいって会社の人も年下が増えてきて、
だんだん居心地が良くなってきてる。
そんな、ファザコンの>33
そうかあ
広義のふぁ座コンなのねー
「うちのパパみたいな彼じゃないと嫌!」ってのと
「うちの糞オヤジみたいのはごめんこうむる」ってのは
裏表だもんねー
アタシオヤジ殺しちゃったしさーw
エディプスコンプレックスでつか。
エディプスコンプレックス
ってなに?
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/16 10:29
インフェリオリティコンプレックスのうちの一つだよ。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/16 18:06
42歳、東京です。父は専門職、母はその事務所の手伝いで忙しく
しかも父は性格悪い上仕事ろくにせず飲む打つ買うで借金まみれ
母はヒスばかり起こしてて、団欒だの旅行だのまったく記憶なし。
しかし4人兄弟と子沢山だったので、楽しかった思い出(両親ヌキ)ばかり。
4人平等にネグレクトしてくれたおかげで、差別もコンプレックスもなく
子供だけで好き勝手、毎日が「ホーム・アローン」状態w
さすがに大人になりかけの頃は、躾もされてない社会性もない、で
問題山積みでしたが(若い頃は禿げしくDQNだったと我ながら思ふ)
兄弟みんなそれなりに出世し、家庭を持って平和にやってます。
親の残した借金も皆で協力しながら返している。
ろくでもない両親だったが、兄弟たくさんつくってくれたことだけは感謝。
同じことを思うのか、兄弟みんな子沢山。私だけ子供できなかったけど
甥や姪がいっぱいいるので淋しくないです。
親はなくとも子は育つの典型的な例ですね。
両親が反面教師になってくれたのでしょうか。
ひとりっこのひとり息子(姉ひとり)のひとりっこなので親戚が全然いない。
両親の悲願はわたしが不安定な商売のあとをつがずに公務員になること。
でそのとおり公務員に。大学生のとき心理判断にしてもらったら、
「期待に応えようと自分を殺してる面がある」っていわれた。
兄弟がいたらいくらか変わってたかもしれないけど、わからないことだよね。
>>112 エディプスコンプレックスとは
「男の子が母親を独占したいと思う心から、
父を憎み、同時に恐れることから生じる精神的、心理的要素」のこと。
>>111 ここの33は女だから上記の定義でいうなら
「エディプスコンプレックス」はあてはまらないのではないか?
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/17 18:46
もっと家庭的にゆとりが持てる社会にならないといけませんね。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/18 19:24
年も年だし、自分にとって心地よい環境(自分の価値判断の基準)は、自分が生まれ育った
環境によるところが大である、と当たり前のことを、ようやくわかるようになりました。
不惑ならでは?
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/20 19:02
毒なのでわからないのですが、似たもの夫婦の場合と、性格が正反対で相補う場合とで、
成長する環境はかなり違ってくると思うのですが、皆さんの場合は、いかがでした?
>>121 母親明るいし肯定的、父親暗いし病的なまでに否定的。
ネガティブ版、ふうてんの寅さんって感じ。
オヤジは売れない絵描きだったために家で絵の内職してました。
母親は会社勤です。
一人っ子だったため、一極集中でオヤジが何か気にくわないことがあると
激情で殴られてました。
特に自分がいい物だと思い勧めた物を断ろうものなら、
それはオヤジにとっては、人格否定ということで最後は殴られる。
下唇を噛みしめながら殴る姿は今でも夢に出てきます。
母の姉が家と土地を持っていたので、オヤジはそこで暮らしてます。
母親は7年前に死にガンで死にました。
歳をとって好々爺になると思ったらさらに、悪化。
自分の非は絶対に認めないし、矛盾突かれ追い込まれると責任転嫁で
最後は発狂です。
PTSDで月一度、心療内科に通院(極度の不眠)してますが、この男から
「なんでオマエはオカシクなっちゃったんだ。人生は哀しい事、つらい
事も一杯ある。オレだって頑張ってるだぞ」
と当人から面と向かって優しく言われたときは、喜劇でした。
離人症にならないとやっていけないですね。
野良猫14匹に餌付けしていると聞きました。横須賀で。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/22 11:34
両親は幼児期に別居。
以後、父親と暮らしてきました。
その後は母と遭うことはなく、母の想い出は殆どありません。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/22 11:53
| |
| |∧_∧
|_|´・ω・`) そ〜〜・・・
|文|o● o
| ̄|―u' Σ( ̄□ ̄;)
""""""""""
| |
| |∧∧
|_|・ω・`) 貧しさと暗さ自慢のスレでつか?
|文|o●o.
| ̄|―u'
""""""""""
| |
| | ∧∧
|_|(´・ω・`) よいしょっ!
|文|o ヾ
| ̄|―u' ● <コトッ
""""""""""""""""
| |
|_| ピャッ!
|文| ミ コロコロ・・・
| ̄| 〜●● щ(゚д゚щ)カモーン
""""""""""""""""
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/24 14:53
マスコミで報道される、幼児・高齢者虐待のニュースを見るけれども、あれって、一面では
虐待する側の育った家庭環境なんかにも、かなり問題があったのではないかと思います。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/24 15:51
>>125 虐待されて育った親は子供を虐待してしまうらしい。
悲しい連鎖だね。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/24 15:57
命にかかわるような壮絶なものではないけれど、
母親からのしつけと称する突発的な暴力(つねる、ひっぱたく)が
日常茶飯事で、自分もそういうふうに子どもに接してしまいそうで、
家庭を持って子どもを産むのが怖かった。
けれど旦那がよく話しを聞いてくれ、
子どもの面倒もよく見る人だったので、自分は母と同じことをせずに
すんだ。
旦那と一緒になってから、うちの実家の場合は、
父親が昔ながらの男で、姑や小姑たちの面倒まで見ていて
辛い思いをしている母親の気持ちを理解しようとしなかった
ことからくるものだったのだなあ、と思っています。
スレと関係ないかもしれない。ごめん。
虐待の連鎖を切れることができてよかったね
俺は独身だから嫌でも切れてる・・・
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/25 22:41
この年になって、親から受けた影響を改めて良くも悪くも
発見することもあります。
あるある。悪影響ばっかり。
親父と同じように虚言癖の傾向があることに気が付いて
最近大ショックだよ。
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133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/27 08:06
自分ではぜんぜん違うって思っていても、
親類に「そっくり」なんていわれたひにゃガクッと来るぜ。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/27 11:14
父は5年前に亡くなりましたが、人間的にとても
すばらしい人でした。思いやりがあり、静かで
頭のいい上品な人。だんなと比べてしまい、今でも
困ります。
母は、お嬢さん気質が消えず、時々おっちょこちょいな
発言をしますが可愛くて美人。
こんな家庭で育ったので、だんなに世間知らずと
ばかにされます。40にもなって・・・。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/27 11:30
馬鹿にされてるなら頑張って大人になりな、
親のせいにするんじゃない
いい年してキモイんだよ
そんな怒るようなことじゃないような・・
>>135 なんだかピリピリした人が多いですね〜。
2ちゃんねるですから
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/27 17:52
もう13年も男に愛されていませんって白状してるだろ。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/27 22:21
高度経済成長
江戸っ子の母、川崎のチンピラ家系の父。
東京生まれの横浜育ち。
女にだらしのない父で、母も私たち姉妹も随分泣かされたっけな。
優しいし、口もうまいんだけど、やることなすこと自己中で中途半端。
早熟で小学生時代から暴走族に追われたりして更に男性不信。
割とモテタ?りしたので、更に男嫌い。好きって目で見られるだけで駄目。
土地柄?いわゆる背の高いイケメンや外人が多かったんだけど、
おかげで、見たくれの良い男は見慣れてしまってポーとなる事も無し。
東北出身の誠実で我慢強い彼と結婚。
出産して、母から一言。
「私もばあちゃんから言われたことだから。
子供が出来たんだから、覚悟なさいね。人の親として、覚悟なさい。
半端は私が許しません」
母は怖い(笑)
お母さんカッコイイ!
オレの母親はくだらねえ半端者だなぁ・・・・
オカサンカコイイ
オトサンナサケナイ
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/31 15:56
>>140 さすがに母親は強しですね。
しっかりしたお母さんに育てられたあなたも、きちんとした親御さんになられる
ことでしょう。
夫と私、年齢は13歳離れているが、育った環境が酷似していることに最近気づいた。
基本的な物事の価値観がほぼ一緒なので、多少意見が食い違うことがあっても
相手が何故そう考えているのかは理解の範疇にあるので、ずれを修正しやすい。
一緒にいて楽です。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/31 22:39
トマトに砂糖をかけたりご飯にバターをのせて溶け出したところをすかさず
食べるというごく普通の食生活をしている我が家・・・
という幻想が崩れたのは高校生の頃。
>>41-
>>44 レスを付けてくださって、ありがとうございました。
私も、娘が母になったその日に、同じ言葉を伝えたいと思います。
ただ、時代がこんななので、20年後、30年後はどうなっていることやら。
「覚悟」なんて、時代錯誤な言葉になってしまうのかな?
覚悟ない親が多いからなあ
虐待するくらいなら 交番の前にでも捨てればいいのに
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/01 07:16
うちは夫婦げんかが絶えない両親だったなー
子供にとって親が不仲なのって、結構つらいよね?
友達が遊びに来たときに喧嘩が始まると、
みんな間が悪そうに帰っていった。切なかった。
喧嘩の後は数日間、お互いに口を聞かないから、
息が詰まる思いだった。
祖父の葬儀の時も、親戚が集まっている中で、とっくみあいの喧嘩が始まった。
理由は葬儀費用のこと。
さすがに呆れたよ。
親に関してはいい思い出が無いな。
「親を誇りに思える」と口に出せる人が信じられない。
羨ましいけれど。
でも、虐待なんかに比べれば、はるかにマシだね。
家庭は寒々としていたが、経済的には不足はなかったから、
恵まれた環境だったんだろうね。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/01 08:52
親を尊敬できる人って幸せですよね、
親は大切だけど尊敬ってのには、
ちょっ遠い。どこか毅然としてて凛とした
とこがあれば十分、尊敬できるんですが
ロールシャッハカードをなにげに見てて
あるカードが
「悪魔」「血反吐」にみえて嫌な気分になった。
そのカードは父親カードだった。
それを知って見直すともうなにも感じない。
父親のことはあまり好きじゃないとは思っていたが
それほど嫌ってたわけじゃないからびっくりした。
自分が年長の男性とことごとく上手く行かない(主に上司)理由は
やっぱりこのせいだったんですかね。
上司と上手くいかないせいで仕事はつまずくことが多いです。
向こうから嫌われる、知らず嫌われるような態度をとっているんですね。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/01 20:41
>>151 私もそうでしたよ(ロールシャッハ)
吐血とか、はっきりしたイメージは無かったけど、
嫌だな、これ、って思ったよ。
意味が「父親」ってわかって、ああ、そうか、って。
やはり中年男性の上司と上手くやってけない。
両親の喧嘩って本当に辛いよね。
旦那のお父さんが毅然として厳しい、でも優しい、良いお父さんでね、
義姉に「良いお父さんで、幸せですね」って言ったら
「うん、自慢の父。ありがと」って笑った。
なんだか、悔しいような悲しいような気持ちになった。
ナカーマ
吐血とか血反吐とかおんなじだあ(ヴィクーリ)
本当、なんか悔しいよね。
昔辛かったからじゃなくて(そんな古いこてゃもう忘れたw)
そんな昔のことが私の人生の傷害になっている、と知ってからすごく悔しい。
これは過去じゃなくて現在進行だからね。
「幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、
不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」
トルストイのアンナ・カレーニアの書き出し。
>>151 自分も現在進行形です。恥かかきの一人っ子だから辛いです。
今年で40です。結婚も諦めました。人生は諦観です。
理性を保ってオヤジと対峙したいと思いつつ、外科の医者、精神科の医者が
身内を看れないの同じように、どうしても感情的になります。
エレキテルを発明し、戯作家でもあった平賀源内が次の言葉を書いてます。
日本版ガリバー旅行記で平賀源内が、天の声として悩む青年を指導する。
「我汝に教えるも、世界の人情をしりたる上にて。世を滑稽の間に
避けよと教へしに、、汝物にふれて心動きし故、却って難儀なる事、度々に
及べり」
(人間感情の機微を承知した上で、真面目に真正面から取り込まないで
滑稽を持ってして世の煩わしいことを避け、傍観せよと教えたのに、
お前は何かにつけて喜怒哀楽の感情に流され深みにはまるから悩む事が
多いのだ)
物事を斜から見てもやっぱり悩むのが人生。でも洒落のめしたい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~meke/angu/papa1.htm 自分のオヤジを晒してみました。滑稽に思ってくれたら幸いです。
私は埒があかず悩んでますが、他人がみれば笑える?と思います。
スレ違いだけど、現在は親と音信不通で幸せを築いている人の方が
多いんでしょうか。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/02 11:08
くそ真面目で融通が利かない、過干渉な両親をひどく憎んでた。
子どもが思うように行動しないと、平気で体罰を加える父。
子どもは「自分を引き立てるアクセサリー」と言い放ち、勉強も運動も容姿も・・・
なんでも、一番を強要した母。家の中では、心休まる時がなかった。
19歳の時母を 36歳の時父を亡くしたが、正直、ホッとした。
>154
うわっ!(こんなん2ちゃんにさらして大丈夫?)
薄汚いところが晩年(つーても65だけどw)のうちのオヤジにそっくりw
やっぱりネコ飼ってて家(つーてもアパートだけど)のなか
ネコ毛とおしっこだらけで異臭がすごかった。一人暮らしのジジイの晩年って
似たようになるのかしらw
でもお元気そうですね、うちの父は66でぼけましたよ。
酒の飲みすぎと推測してますが、本当の原因は不明です。
仕方ないからアタシがひきとったけど。
(家に来てからは小ギレイにしてやったからずっと若返った)
オタクも気をつけたほうがいいですよ、
ぼけて転がり込まれたら拒絶できないから。
>156
呆けた方がマシなんですよ。そしたら”パパ”の住んでる土地売って
病院に入れること事できる、我が家にある彼の私物も処分できる、
”パパ”の大切な背広に転んで穴を開けたのもバレないし(笑
本人はあの格好がオシャレだ、と言い張るんでホッてます。
去年の夏に来たときは、死んだ母親のサングラスと帽子をかぶり、
半袖、半ズボン。
オマエはアフリカへ行く探検家かっていう珍奇な格好でしたね。
頭は8次元の世界に逝ってますが体は頑丈です。
3駅歩いてディスカウントストアに行き、猫用にとビタワン10kgを背負って
歩いてます。
なんか腐ったバター(どういうものかしらん)を食って
「下痢と嘔吐と悪寒で三日間震えたけどよ。医者代もったいないだろ、
我慢したら治ったぜ」
「え”いつのバター?」
「1年くらい前のだろ」
生命力強すぎ。
キチガイとボケとどっちがましかな?w
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/05 22:11
うちでも年老いた祖母(75くらい)がボケて、祖父がおない年
くらいなのに、必死で介護していたな。治療を受けても回復の見込みは
ないのに、まさに「智恵子抄」に描かれているように、献身的な介護を
していた。もちろん、私の父母も共稼ぎだったから、その合間をぬって
介護はしていましたけど。その祖母が昇天したときに、祖父が涙ながらに
祖母の名前を呼んでいた姿は、今でも目に焼き付いています。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/05 22:16
両親が子供の頃から仲が悪かった
でも別れない
いまじゃ、お互い相手よりも長生きすることをエネルギーに生きてる
あんな夫婦はいやじゃ
嫌い、嫌いも好きのうち・・・って違うか。
∧ ∧ そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
(゚Д゚, ,) かなしく白いあかるい死の床で
(ノノ人ヽ θ⊂/ ヽ
/(*゜−゜)] /(⊂|_)〜
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
// ̄ ̄ ̄ ̄/ /
+ + ∧ ∧ わたくの手からとつた一つのレモンを
+ + (゚Д゚, ,) あなたのきれいな齒ががりりと噛んだ
(ノノ人ヽ ∩⊂/ ヽ )) トパァズいろの香氣が立つ
/(*゜〜゜)] ~/ (⊂|_)〜
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ )+ +
// ̄ ̄ ̄ ̄/ /
+ + ∧ ∧
+ + (゚Д゚, ,) その數滴の天のものなるレモンの汁は
(ノノ人ヽ ∩⊂/ ヽ ぱつとあなたの意識を正常にした
/(*゚ー゚);] ~~/(⊂|_)〜 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ )+ +
// ̄ ̄ ̄ ̄/ /
∧ ∧ わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
(ノノ人ヽ (゚Д゚, ,) あなたの咽喉に嵐はあるが
/(*゚ー゚))つ⊂/ ヽ かういふ命の瀬戸ぎはに
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(⊂|_)〜 智惠子はもとの智惠子となり
// ̄ ̄ ̄ ̄/ / ⊆; ;⊇ 生涯の愛を一瞬にかたむけた
∧∧ それからひと時
(ノノ人ヽ (゚Д゚,,) 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
(( /(*-.-))つ⊂/ ヽ あなたの機關はそれなり止まつた
/ フウッ  ̄ ̄(⊂|_)〜
// ̄ ̄ ̄ ̄/ / ⊆ζ ζ⊇
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/06 00:39
特殊な家に育ちました。子供の頃のあだ名はお嬢、過保護、金持ち。
全然お金持ちなんかじゃないのに、回りからはそう見えた様です。
父が私を溺愛し,わがままに育って来たので普通に結婚をした今では
それなりの苦労をしています。この苦労がなかったら私は「ばか女」のまま
死んで行ったかも知れません。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/06 21:50
女のくせに!女らしくしなさい!目立っちゃいけません!
女が車の運転なんて、世間の邪魔になる!
…がんじがらめでした。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 01:33
今どんな環境にいるのかも
差し支えない範囲で書いてください。
子供の頃の影響がその後の人生にどんな影をおとしているのか
興味あります。
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168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/14 23:56
厳しすぎても、やさしすぎても子どもの成長に親の影響は大ですね。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/21 20:47
電車に乗っていても、買い物をしていても、子供にとって、伸び伸びできる環境が少なくて
意識するしないにかかわらず、こどもってストレスをかなりためているんじゃないかな?
40歳 男
父親は警察 母親は専業主婦 一人っ子
親戚は少なく、原因は詳しくは何か解らないが中が
悪かった。しつけはどちらかといえば厳しい方ではなかったか。
とにかく母親の多干渉には、困った、今78歳でも。
でも、学校は面白かった、同世代と触れ合える唯一の機会。
もうひとつ、母親は再婚。父は初婚。
俺の体格・顔立ち・趣味が最初の夫ににているんだと
(母親によると)じゃあ、種はそっちかな?(笑)
こんな家庭で育ちました。失礼しました。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/26 17:50
皆さん、いつ頃に親の躾というか教育が自分の身についているということを、
しみじみ感じるようになりましたか?
全然思わないなあ
親は私にとって反面教師にしかならない
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:03
漏れは逆に今になって、あの親にして自分ありだなあ、とつくづく感謝しています。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:05
なんか気づいたら親の嫌なところばっかり受け継いでるような気がする。
もうダメぽ
42歳♀離婚歴あり。現在は教員の夫と子連れ再婚。まぁまぁ平和な日々です。
父親‥数カ月に一度しか帰ってこない。
逮捕歴あり(証拠不十分で無罪判決)
母親‥喫茶店のウエイトレス、スナックのホステスなどをするものの、
すぐ客とデキてしまい、揉めて辞める、をくり返す。
「お前は父親似だから人間のクズ」が口癖。
自己愛性人格障害の見本のような人。
借金とりが来るたび、引越し。おかげで小学校は4校いきました。
父親は10年前に死去。母親には今の住所も知らせておりません。
思春期に過食と虚食を経験しましたが、当時の世の中では
そういうことに認識が薄かったので、本人も苦しいながらもわけがわからずでした。
親が家にいないことが多かったので、邪魔されず本を読んだりしてました。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 16:19
両親共稼ぎだったし、物心ついた頃に父親が入院して、母親は休日ともなると父の
看病に行っていたから、両親と一緒にどこかに行ったという記憶がない。学校から
帰ってくると、ランドセルを放り出して、近所の寺や神社で、近所の友達が集まり
遊んでいたし、雨の日は、やはり近所の友達の家に遊びに行ったりしていた。
祖父が健在だった頃は、祖父が昔話を聞かせてくれたり、話し相手になってくれたり
した。
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179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/22 12:54
最近読んだ本で、特に30代女性の未婚を取り上げた中で、
育った環境が、
@家族全員が仲が良い
A母親と娘の仲がとてもいい
B母親と娘の仲がとても悪い
C家族全員仲が悪い
それぞれのケースで、パートナーを選ぶ基準が違ってくるのではという
分析をしていました。もちろん、男性の場合も、父親との関係を上で
置き換えてみることもできると思いますが。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/22 12:58
へーへーへー
詳しく教えてください
オヤジが離婚と転職を繰り返するので、義務教育期間中は
引越しも転校も十回。それ以前は親戚数箇所に預けられていた。
バイトは中学から、高校二年からは学費を稼ぐために夜は
工場で働いていたな。お陰で精神的にタフで、脱サラした
五十代だが、離婚も経験したけど商売では成功している。
@の場合、とくに記載はないんですが、
Aの場合、親友のように母親が娘にベッタリであるがために、異性が介入しようにもできない=娘を愛しすぎるが故の
親のエゴが横たわっているらしいです。
Bの場合、母と娘の不仲の原因は、母親の娘に対する嫉妬である場合が多いらしいとのこと。年ごろになったら結婚
するしか生きる道がなかった時代に青春時代を過ごした母親に比べて、仕事も遊びも自由にできる、娘。
自分と比較した時に、あまりにも奔放で、自分がやりたくてもできなかったことを楽しそうにする娘に、
母親は嫉妬は自覚しないながらも、嫉妬する。
Cの場合、両親が不仲であっても、ヤンキー系の気質を持っている娘の場合は、自分の親を見て、「ああはなりたくない。
早く家を出たい」と思い、十代で結婚して子供を産む場合もあるが、それはむしろ少ないケース。
ヤンキー気質の無い家庭においては、娘は両親がいがみ合う姿を見ながら、成長することになる。親はいがみ
合っていても、それぞれ子供のことを愛しているので、二親の関心は別々に子供に集中し。「子供が可哀想
だから」という理由で、離婚もしない。自分達が不仲であることを埋め合わせるかのように、親はモノと教育
だけはたっぷりと娘に与える、のだとか。
詳しく記述してくださってありがとうございます
うちはどれでもないなあ
微妙ですなあ
>>182 その本今話題の「負け犬の遠吠え」ですね
今日立ち読みして気がつきました
BとCの場合
家庭というものに一切幻想を持たないで
結婚に魅力を感じなくなり 結婚しない人生を歩く人と
極端に家庭を理想的に描く人の二通りに別れるようです。
私の知人でも崩壊家庭に育った人二人(30代男性と20代女性)は
理想の家庭像を強烈に描いていて日々それに向けて涙ぐましいほどの努力してますね。
私は家庭に幻滅しているタイプです
同世代の芸能人なら
21歳で結婚引退した山口百恵といまだ独身の名取裕子が頭に浮かびました。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/24 21:26
漏れは男だが、親が共稼ぎだったせいか、心から触れ合うといった経験もなかったし、
親から冷たい扱いを受けたということもなかったなぁ。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/24 23:46
父親も母親も世間ではエリートと言われる学歴。
親は何も言わなくても自分から勉強して、学年で2、3番以内の
成績であるのがあたり前、という考え方だった。
弟は優等生だったが、俺は中くらいの成績だったので
小学生のうちから
「そんなことではどこの会社でもすぐにクビだ。組合も守ってくれない」
「お前なんか早くいなくなれ」
「そんなダメな奴は生きている価値なんてない」
といったことを言われつづけて育った。
小学校の終わりか中学校に入ったくらいから、
月々の小遣いとか誕生日のお祝いはなくなった
(弟はそうではなかった)。
進学と同時に独り暮らしを始めて早21年。
その間実家には2,3回、親戚の葬式とかやむをえない
ときしかいっていない。
親が氏んでも葬式には行こうとは思わない。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/25 01:07
ひどい親だな
でもこの年になると親と関わらなくていいのはラッキーだぞ
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/25 01:20
家族なんて足手まといです。親は順番だと先に逝ってしまうから
いいけど、兄弟姉妹はエンドレスだもんな。頼むから兄さんしんでくれ!
友人の家では
長男が重度自閉症で重度ちえおくれ
下に弟と妹がいるがこっちは健常児
将来、両親無き後兄の面倒を見るよう計画され出産した子供たちだ
まだほんの幼児だけどかわいそうになあ、って思うよ。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/25 13:23
次に生まれる子が同じになるとは、考えなかったわけね。まあ、実際健常児なわけだけど。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/25 21:54
大卒公務員の父、女子高出身の母(専業)、私、弟とあまりにも
日本の標準というような家庭出身。そのせいかいつもいつも
世間体、相場を考えてしまいます。今も世間的にみて標準の暮らしです。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/28 08:34
最近の子は、切れやすいというけれど、子は親の鑑ともいう。
普段の親の生活や育った環境が、大きく子に投影されている
ことは否定できないと思う。また親の集合体である社会が、
日本の場合、異端を許さない風潮が強いから、世の中おかしく
なってるんじゃないだろうか。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 02:05
何か、こう、アバンギャルドな母だった。
学校で一括購入するものを、決して買ってくれず、
私一人だけ、皆と違うハモニカ、縦笛、裁縫箱、習字セット・・・。
幼稚園のスモックも一人だけ違ってた。
クラスで一人だけ万博へ連れて行ってもらえず、その夏は京都観光した。
そのせいか、一匹狼だった私。大学でヒッキーしましたとさ。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 07:58
父は酒飲みで
気に入らない事があるとすぐ物を壊したり暴力をふるう人だった
二日酔いになると朝から布団を被って仕事にも行かなくて
母が代わりに働いていた
鍵っこだった私は父が酔っ払って寝てる家に帰りたくなくて
母が帰る時間まで外で過ごした
高校を卒業 就職して
はじめにプロポしてくれた男と結婚したが
その相手もカッとなると殴る男だった・・・
いまだに父の呪縛から逃れられないような気がする
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/30 08:41
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/30 08:50
>>195 一緒に暮らしてる
実家に帰っても環境は変わらないし
ひとりで子供育てる自信もなくて・・・
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/30 09:19
育てられてる子供の行く末が心配だね。
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/30 12:11
うちの父親も酒癖悪かったけど、その父親みてた兄も酒癖悪い。
反面教師になるか似るかだと思われ。。。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/30 12:33
私の従兄も父親に反抗して、グレて出来婚したけど
嫁に浮気されて離婚、自分の母親ソックリの女と結婚したら
やっぱり母親そっくりのことして、子供は母親が引き取り
従兄は行方不明・・・今はホームレスかも・・。
子供時代は優しい子でとおっていたのが、大人になったら
たんに優柔不断なダメ男だたのね。
>>200 確かにそういう側面もあるかもしれないですね。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 21:03
実際、漏れたちの両親を神聖視しているようなところもあるが、実際は、漏れたちと同じ、いや
それどころか、古いしきたりを強制されて、苦しんだ世代だったのかもしれない。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/04 09:16
自分の中で1番古い記憶は幼稚園に通ってた頃かなぁ
アルバムを見ながら思い出すエピソードは多いけど
1番強烈な思い出は
友だちの母親がみんな迎えに来て帰ってしまったのに
自分の母親だけが仕事が長引いたのか迎えにきてくれなくて
幼稚園の階段に腰掛けひたすら母親がくるのを待ちわびてた事
母親の刺繍した黒いカーディガンを目にした時
すごく嬉しかったのを覚えてる
あの頃 母親が仕事もってるのって珍しかったからな・・・
幼稚園バスとかもなかったし
親が迎えにくるまで子供は待つしかなかった。。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/04 19:57
父は、小学校教諭。
母は、病気で寝たきり状態。
弟一人、の家庭で育った。
母は、自分で歩くことが出来ないので、トイレに行ったりするときも、抱いて連れて行かなければならなかった。
家事は、当然、オレと親父がしていた。
経済的には、並程度には恵まれていたし、皆、ユーモアのセンスもあったので、笑いが絶えない家庭ではあったが、内心は、つらかったな。
大学に入っても、休みになると、飛んで帰って、母の世話をしていた。
自分が家に居ないときは、父と弟に母の世話を任せっきりだったのが、気後れになっていたんだな。
大学を出て、公務員になったころ、母が植物状態になってしまい、オレが38歳になるまで生きて死んだよ。
お陰で、我慢強くて、ねばり強い性格が構成されて、同期の出世頭だし、仕事も順調だ。
でも、結婚はできなかった。
女と付き合ったこともない。
結局、振り返ると、家庭や女に、少しの幻想を抱けなくなってしまったんだろうな。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/04 20:02
今からだって幻想を抱けよ、遅くないぞ。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/04 20:52
>>204 姑がいない!これだけで結婚に強い要素があると思われ。
しかも、30代女は毒女ばかりではない!幻想を抱け!!
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/04 22:27
>>204 これからの人生は自分の幸せの為に生きていこー!
一緒に生きてく相手がいるのってやっぱ違うよ?
結婚するとかそーいうのは関係なく
>>204 >大学に入っても、休みになると、飛んで帰って、母の世話をしていた。
>でも、結婚はできなかった。 女と付き合ったこともない。
尊敬します。私も別の事情で親のことばかりで独身のままでこの歳になってしまい、
これからは自分の為に生きようとしている女です。どうぞ、あきらめないで
未来の幸せを積極的に取りに言ってください。男性の場合は、その気になれば
いくらでも若い女性をゲットできるではないですか!!(出世頭だし・・)
>>204 人生はまだ半分だよ。
いいパートナーが見つかるといいね。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/04 23:18
子供〜青春時代を親の犠牲になった人は
40毒には結構多いね
私もそうだけど
世間からはひとくくりで「親不孝もん」といわれます。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/04 23:28
>>208 横からスマソ
>未来の幸せを積極的に取りに言ってください。男性の場合は、その気になれば
>いくらでも若い女性をゲットできるではないですか!!
いやいや30代後半〜40代の女性がこれまたいいんよ。
204氏もそう思ってると、期待を込めて。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/08 19:06
最近、子どもの虐待がニュースで大きく取り上げられていますが、皆さん自身、自分が気づかない
うちに、小さい頃親にされていたことをしてしまったということはないですか?
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/08 20:02
おちんちん切られた男の子は、生殖機能は望めないとtvで言ってたけど、
それって殺人罪に等しいと思う。
なんでよりによっておちんちんなんだろう?
やはり性的虐待を母親が受けていたということか?
私の家はまるで牢屋のようでしたわん
鍵だらけで、鉄の棒で部屋が仕切られているんですの。
1へやにトイレは1つ。横にはセミシングルサイズのベッド
部屋には鎖や、蝋燭、ランプ、ムチ、物凄くきわどい服
そんな家ですごしたの。
当然父は毎日私を吊るし鞭打ちでしたわ
それが教育でしたの
ですから、おちんちん切りも教育の1つですわん
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/08 22:47
貧乏に尽きる。赤貧一歩手前。
親父が昭和一桁で、大阪の空襲で家を3度焼かれた。
おかげで新制高校に逝けなかったらしい。
能力以前の「中卒」でかなり屈辱感を味わったらしい。
親類を頼れば就職でも何でも、何とでもなったみたいだったが、
いろんな面で付き合いきれないので、頑として拒否し続けたみたい。
実際に今でも親父の従兄弟くらいから妙な親戚が増えて、
まともな親戚づきあいなんか普通のリーマンじゃできない。
のりこはクローン病が悪化して20代のころ数年間にわたりまして
こんな拷問(治療)を2〜3日おきに受けておりましたの ハアハア
>肛門専門医のI先生に何かいい方法はないかと尋ねたところ
>用手的に拡張するのがいいだろうということになった。
>早速、痛がるのを無理やり押さえつけ肛門から指を入れると
>狭窄部は長く線維性に硬く、指が少ししか入らない状態であった。
>しかし、その他の方法がないので退院後もこの方法を続けることになった。
>週に1〜2回時間外すれすれに現れる若い女性をつかまえて
>内視鏡室で悲鳴をあげさせることになった。
>その間に、I先生が長いエボナイト製のブジーや台座に乗った鉄砲の弾の様な
>ブジーを使用して拡張術を施したのであった。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 00:13
>>214 女の子がどうしても欲しかったからって、男の子の局部を切ってしまう親って、
過去にもいたらしいよ。今回は大きく報道されたってだけで。
なんでこの子は女の子じゃないんだろうって思い詰めて、おかしくなっちゃうん
だろーね。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 19:10
自分も父親に虐待されて育ったから・・・と言ったらしいが
自己弁護にしか聞こえない。
それだと罪がかるくなるのか!このクズ!!
連鎖をたちきれないアホは生むな。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 19:21
>>220 そういうおまいも十分虐待の連鎖の被害者だよ。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 21:51
みなさん、思想的には、ご家庭はどうでした?
うちでは、父親が戦時中に憲兵から受けた暴行を、恨み続けていまして、その延長上
にあった昭和天皇も嫌いでした。しかし、左翼と言うほど勉強したわけでもないので、
階級についての思想もなく、皇太子の結婚の時に生まれた弟の名前は美智子妃から
一字もらった「智」です。なんか、情けない。
子供の頃から、家にはいつも赤旗日曜版がありましたが。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 23:51
>>222 それのどこが思想なんだ?
単なる怨恨だろ。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 23:53
怨恨も思想を生む。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 23:54
>>224 思想に消化出来る人間は多くない。
少なくとも、思想を左右どちらかと捉えている奴には、そのチャンスは永遠に訪れない。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/10 00:08
怨恨に右も左もない。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/10 00:16
>>222 今、自分の一番近い生きてる身内は、父親と母方の伯母だけです。
自分は一人っ子。
伯母が学会員だから、ウチの親に「ダイスケ」という名をしきりに
勧めたし、子供の頃学会員にされて我が家には本尊あるし、
新聞を取らされています。
女だったら「妙子」だったかも。
父親はパラノイアの服既知外で我が家に彼の服だけで箪笥3竿も
あります。
子供の頃は彼の選んだ服を着ないと殴られましたね。
かと言って、遊んで穴を開けるとまた殴る。
服と宗教は違うけど、マニアの心理みたいなもので
どちらも強制的に勧めるし、最終的にはこちらが妥協せざるおえません。
もう諦観しています。
思想どうこうの政治問題に摩り替える「自称」政治結社の構成員が混じっているようですな。そのくせ
具体的かつ論理的に突っ込まれると、スレ荒らしして逃げることしかできない弱虫厨房。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/10 14:16
大正生まれのオヤジは貧乏漁師の五男だった。
小学校の高等科卒業が最終学歴で、東京の鉄工所に出て働いた。
戦時中は徴用で佐世保に連れて行かれ、砲弾を作っていた。
工員としては腕が良かったらしく、1年間の徴兵猶予となった。
おかげで兵隊に行くのが昭和20年9月1日になり、同級生の中で唯一戦地を踏まずに済んだ。
オフクロは昭和一桁生まれだが、やはり貧乏人の娘なので実践女学校とかいう
正式な学校かどうかよくわからないのが最終学歴。
二人とも学校に行けなかったのが悔しかったらしく、子供達には十分な教育を受けさせようと
昭和41年に田舎を離れて都会に出た。
しかしいわゆる「教育ママ」のようなものではなく、子供に機会を与えるだけで
子供が希望すればどこの学校にでも行かせようとしていただけだった。
おかげで貧乏しながらも教育費だけは無条件に出してくれ、4人兄弟みんな大学に進学した。
ありがたい両親であります。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 14:01
そういう親になりたいけどなかなかなれない。
いいご両親ですね。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 21:31
オレの家は『巨人の星』を見せてくれなかった、当時の田舎の家庭では珍しい家だった。
確か『巨人の星』は土曜の夜やっていて、月曜日に皆『巨人の星』の話をしていたが、
オレはなんせ見ていないので話ができなかった。兄弟もそう言っていた。
大人になってからその話をオヤジにしたら『俺はああ言う精神主義は大キライだった。
。ナゼだかわかんねえけど・・・』と言っていたなぁ。組合の役員なのに組合嫌いだっ
たし、なんか変わっていたかもね。
俺や兄弟はお調子者だったから、その件以外はスイスイ調子よく乗り越えて、いまでも
いい加減に生きてるけどね。そういえば『シャボン玉ホリデー』は一家で見ていたから
結局『お気楽お調子者』主義家庭だったのかな。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 21:34
そういう環境が案外優しいいい子を作りそう
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 21:45
私は巨人の星のとき ちょうど塾だった 見たくて見たくてたまらな
かったけど塾へいかないわけにはいかなかった 小学校6年だった
けど子供心に 未来には家庭用のビデオができて こういうの見られる
ようになるんだろうな と想像した
レンタルビデオのことまでは想像できなかったけど 今見られるように
なっても見たくもない。その時その時にしたいことってしておかないと
年月が経つとちがってくるのね
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 21:57
巨人の星、父親が大好きだった・・・
勉強&習い事、スパルタで教えられました・・・スパルタ大嫌い!!
巨人の星 時々見ることができたんだけど(塾が休みだったのかな?)
あんな家庭、あんな父親キライだな、と重いながら見てた
私の家庭は父親が優しくて母親もとってもかわいがって私を育てた
ただし過保護的で勉強厳しかった でもそのおかげで医師になれたけど
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 22:13
そういう家庭は素敵。
バランスちゃんと取れてる。
>>236 高校の同級生で医者になったコが2人いる。
ほんとスパルタさいてーーーー!!過保護でもあったし・・・
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 22:54
巨人の星は、そんなに真面目に見てなかった。
つまり、ギャグとして見てた。
全員がことわざ博士だし、やたらと変な特訓してたし。
うちは、母子家庭だったから、「父子家庭、なんぎやねえ」
と笑いながらみてましたな。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 00:05
.>つまり、ギャグとして見てた
今ならギャグとして見ることができるけど あの時代では無理だった
高度なワザだね、素晴らしい!
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 00:09
なーんも言わん親だった。しかし怒るともろ感情的で恐ろしかった。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 00:13
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http://www.funk.ne.jp/~a0301
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/02 20:02
それにしても、うちの親父は、よく寝てたなぁ。
休日になると、布団の中で寝てばかり。ご飯もお膳で
枕もとに運ばれてきたものを食べてた。もっとも平日は
朝5時起きで出勤して、これといった趣味もなかったから
当然といえば当然か。漏れに対しては無口だった。ちなみに
親父は公務員。母親は教師で、興味のあることはなんでも
やらせてくれた。今思うと、ありがたいとも思えるが、
休日に、家族そろって出かけた記憶がない。
>>244,何か物凄く想像力を掻き立てられるお話ですね。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/02 21:55
6人兄弟の末っ子で、今43才です
父が無職で酒乱、母を殴るける、今で言うDV
そんな父を見て中学の時に「一生独身でいよう」と思ってしまった。
母だけの稼ぎなので、当然貧乏
高校は夜間に通い、昼はバイトで生活費と学費を稼いでた
25年前とは言え、当時でもマジで苦学生やってるのは俺だけだった
そのため、同年代とは今でも話しが合わない。
30杉に自分がかなりの貧乏だった事に気付いたよ
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/03 03:06
父親と家で飯食ったことがない、てのは東京では普通だよ。
家で仕事していなければね。公務員も会社員も。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/05 18:43
>>247 でも、その「普通」っていうのも、よく考えるとおかしいんじゃないのかな?
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/05 20:11
>>248 片親が当たり前、超多忙な父親続出、母性は後天的ということがばれた等、
ステレオタイプの家族観が成立しないのが現実ですね。
夜は家族で食卓を囲む、なんてのは、イジメのためのネタに過ぎないですよ。
主夫も沢山いるし。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/06 00:51
父親は東北の貧しい農家の次男坊で、高等小学校を出ると14歳で旧国鉄に就職。
母もまた農家の長女で裁縫学校を出て、父に嫁いだそうです。
それゆえ、私が育った頃も貧しい家庭でした。
家を建ててから、両親がお金のことでいつもけんかしてたっけ・・
そんな現実から逃れたくて、親に散々無理を言って東京の大学へ進みました。
東京ってお金がないとちっとも楽しくないものだってシミジミ感じたものです。
今、子供は都内の私立中学に入学させましたが、親の私はイマイチしっくり来ない
とこあるんですよね。
やっぱり育ちかな?(笑)
今では、貧しい田舎育ちだなんて誰からも思われないけれど、私の身体の中に
染まってるんですよね。
40歳代、女。
両親とも年がいってからの一人っ子だったので、溺愛された方だと思う。
ピアノやバレエ、書道などのお稽古事、キリスト教系の私立小学校入学等々
したいことはさせてくれた。
でも一家団欒・円満家族とはいえかった。
一つには、うちの両親の性格自体、団欒に向かないところがあったような気がする。
父の育った家庭は、家族で一緒に食事をとる習慣がなかったらしい。
貧しい職人・子沢山・狭い家、ふつうなら家族寄り添って暮らすパターンだが
なぜか自分の好きな時間に適当に台所にあるものを食べるような生活だった
という。祖父と祖母(父の両親)の不仲、祖母の家事不適任などの原因もあったが
兄弟それぞれが変わり者だったのかもしれない。
母も貧しい家庭の出だったが、やや暴君だった祖父との食事には楽しい思い出が
なかったらしく、一人で台所でひきこもって食事をするのが好きという性質だった。
したがって、私がある程度大きくなると一家で食卓を囲むということが少なくなった。
それぞれが専用のテレビを持ち、好きな場所で好きな時間に食事をしていた。
私も幼い頃から一人遊びが好きな子だったので、一人で食事をすることが苦になる
どころか、思春期の頃にはすでに親と食事を共にすることに抵抗を覚えるまでに
なっていた。
今思うと、たった3人の家族なのに変な家庭だったと思うが、自分の気分いいこと
しかしたくないというわがまま者の集まりだったのだろう。
私は孤独癖をもったまま成人し、友達はそこそこいるが心は開けないまま、誰のことも
真剣に愛せないまま、求婚してきた人と妥協で結婚し、案の定すぐ離婚、今は一人暮らし。
一人で過ごす時間は何時間でも退屈しないけど、誰かと暮らすのは息がつまる。
従兄弟たちにもそういう性格のヤツが多いので、うちの一族の悪しき血なのかもしれない。
そういう意味では、
>>1さんのいう世代間連鎖が少しはあるのだと思っている。
>>251 >>244です。
私もやはり年老いてから生まれた子だったから、大事に育てられました。上でも書いたように、
両親共稼ぎだったので、家族そろって食事をした記憶も、休日にどこかに出かけた記憶もありません。
だから、団欒というものがどういうものなのか自分自身よくわからなかった。
後半に書いていらっしゃる、心が開けないとか、誰かと暮らすのは息が詰まるといった感じは
まさに私にも該当します。良くも悪しくも、両親は一生懸命に育ててくれたのだろうが、やはり世代間連鎖
で、両親とも、人付き合いがあまり得意ではなかったのかもしれないなどと思っています。
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/20 16:58
世代間連鎖あげ
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/20 21:23
40半ば女。
姉、兄、私の三人兄弟。
父競輪狂いのため、何度も借金を作り蒸発。
酒癖も悪く、酔うとグズグズと母を責めていた。
当時のことがトラウマになり、
見知らぬ人の怒鳴り声でも、心臓が止まるような気がする。
祖父(義理の父)が借金の肩代わりをするとまた戻ってくる。の繰り返し。
祖父の財産も底をつき、経済的にも苦しくなる。
母はパートを掛け持ちし、子供三人を養ってくれてた。
小学生の頃たまたま家に戻っていた父にどこかへ連れて行ってとねだり、
母も父に『一度位連れて行け!』といったので、
父仕方なく私を連れて家をでる。
行った先は競輪場。
お弁当を食べながら一人で自転車が回っているのを見てた。
帰りの電車の中で、父は『今日はこれを見たことにしよう』と
スポーツ新聞の広告欄の子供用映画を指差した。
もともと父に期待などしたのが、間違いだったとつくづく思った。
母もパートで多忙だったので、家庭教育らしいものはなかった。
小学校五年の通知表に『粗野なところがある』と書かれる。
粗野って何?と思うが、母もよくわからなかったのか、
何も言われなかった。
姉は祖父のお気に入りだったので、祖父の援助で私立女子校へ。
兄と私は公立へ。
頭も良くなかったし、経済的にも無理なので高卒で就職。
中学時代に叔父から襲われそうになる。
『おじさん!!』といったら、さすがにやめたが、怖かった。
母の実弟だったので、散々悩んだ挙句、『実はおじさんに・・』と言ったら
『ふざけたのよ』とかわされた。
母は生活苦のため、叔父から借金をしていたので、
強いことがいえなかったのか?
高校生になる春でした。
当時兄からも度々セクハラを受ける。
大事にはいたらなかったが、
自分が穢れた気がした。
高校時代はバイトをして、生活費の足しとして母へ。
就職してからも当然生活費は入れていた。
こんな家からは早く出たかった。
中学生の頃から新聞の求人広告を眺めていた。
当時不二家では十六歳からの求人がでていて、
そこで働きたいと何度も思った。
派手な姉とも仲が悪く喧嘩ばかりしていた。
(今は姉夫婦と大変仲良くしている。)
兄は嫁をもらい男子三人子ができたが、
兄のアルコール依存がひどくなり、今はあまり付き合いなし。
年取った母へは毎日電話している。
でも、時々昔のことを思いだして、母を憎らしく思ったりしている。
父は三年前に癌でなくなった。
発症してから半年だった。
家族みんなに迷惑をかけた父だったが、
半年の闘病でなくなった事が唯一の家族孝行と思われる。
私は結婚したが、主人側の事情により子供できず。
結婚するときも、母を見ていたので、期待感なし。
経済的には苦しいが、やさしさだけがとりえの主人と生きている。
家庭がちゃんとしていたら、もう少し違った成長して
違った思考をして、違う人生を歩んだかも・・・
でも、結局私自身あまり頭良くなかったと思われ・・。
結局、我儘を人に押しつけて、自分はいい思いばかり・・か・・・
いやだなもう・・・・・・・・
自分の快楽の為の家族であるってのはどこにでもいるけどね・・・
あなーたの幸せ叶う頃だれかが泣いているよ〜ってな。
その当時親は子供や奥を犬か畜生としか見てない親が大杉だな。
親の親の世代は子供を売って生計をたてたのだょ
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/27 17:24
それに当時は、「価値観」とやらが、いい意味でも悪い意味でも、ただ一つしかなかったろうから
息苦しかったでしょうね。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/01 19:46
日本社会って時代は変わっても、物質的にはともかく、「貧しさ」は変わらないんだなぁ。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/02 23:20
45歳。東京23区の隅っこで育つ
父親は教員。母は専業主婦。狭い家に廊下までの本棚。
教え子や同僚や、他の様々な友人知人、時には駅前の焼き鳥屋で知り合ったなんて
見ず知らずの人までが、しょっちゅう家に来ては酒盛りしたり議論したり。
母は月末になると、集金人に居留守を使うのが苦しかったそうだが、父は
平気で客人に大振る舞いしてしまう人だった。
面白い事もいやなことも沢山あったし、その中で私の人格は形成されていった
のだろうけど、その環境が私を決めたとは思わない。
私が受けたあらゆる刺激の中から、私は私に向いたものを、それに相応しく
チョイスしたんだ。
最良とは程遠い選択にせよ、必然的に。
で、なるように、ならぬように、なった。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/07 20:49
子供の教育や自分の性格などは、よく言われるように世代間連鎖―親子間だけではなく
その親世代、つまり三代くらいまで―があるんだろうな。
父親公務員 母親専業
まー若干貧乏気味のフツーの家なので取り立てて書くことはないが
自分が中学のとき父方の祖母と同居を始める
いわゆる姑と嫁で母と祖母は仲が悪かった これもありがち
ただこの二人、普段仲悪いくせに何故か半島の人の
根拠のない悪口を言うのだけは気が合った
思春期の自分にはその辺りがもの凄く醜く思えた
今自分が2ちゃんでイライラした時に、スルーせずに嫌韓厨に無駄に構ってしまう
ことがあるのはこのせいかと思う
>>261 それわかる!私も母がすごく差別意識を持っている。生まれも育ちも東京下町で、
近所に半島の人たちの集落?があったらしく(母曰く「チョーセンブラク」)、半島の人を
かなり蔑んでいた。その他、中国人や黒人などを、ひどく蔑視していた。
そんな母の発言や視点を若い頃は恥ずかしく思っていた。差別というのは無教養の
反映だと周囲にも言っていた。
ただ・・・・・恐ろしいことに中年にさしかかった今、自分の中に明らかな差別意識が
芽生え始めている。普通の韓国人はいいのだが、ファビョリ気味の人とか見ると
心の中で酷い言葉でののしってしまう。小さい時に、刷り込まれてしまっていたの
だろうか。これも世代間連鎖の一つなのだろうか。
頭ではわかっているのに、直せない・゚・(ノД`)・゚・
>>262 自分は嫌韓厨の人こそが火病に見えます
少なくともN+のネットウヨ=嫌韓ってのは所謂右翼とも違って
とてつもない思考の欠如を感じてしまう
そんな彼らを差別するのにはなんの躊躇も感じないのは
やっぱ差別の悪循環かもなぁ…と今ふと思いました
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/14 13:56
↓これも、家庭と環境についての問題を提起してるよね。
「よく私が父の部屋に入っていくと、父は読んでいたメモから目を上げて、いったいこの子は誰なのだろうという顔をしたものだ」。
レーガン元米大統領の娘パティ・デイビスさんが幼いころの思い出を『わが娘を愛せなかった大統領へ』(KKベストセラーズ)でつづっている。
母のナンシー夫人は薬物依存で、娘を「虐待」していた。父は「虐待」などあるはずがないと言いはり、子どもたちには無関心だった。
娘時代のパティさんが見たレーガン家の風景は暗かった。
とはいえ、俳優・政治家の家庭である。客が来ると「突然わが家は幸せな家庭に早変わりし、来客は観客となってそのショーを見物するのだ」。
パティさんは両親に反抗を続けた。大統領になったレーガン氏がソ連を非難し、軍備増強を唱えるのに反発、反核運動をした。麻薬にもおぼれた。
90年代、レーガン氏のアルツハイマーが進行するとともに、パティさんは両親との「和解」を進めた。11日夕、カリフォルニア州に戻った父の棺(ひつぎ)を前に、
パティさんは心優しい別れの言葉を述べた。自分が飼っていた金魚が死んで埋葬するとき、父が小枝で十字架をつくってくれた思い出を語りながら。
ナンシー夫人が「永遠の楽観主義者」(タイム誌)だったと語るレーガン氏には、パティさんとは違う家族像が映っていたのだろう。
家族で撮った昔の写真を見て「崩壊家庭ではなかった。皆愛し合っている」というのが口癖だった。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/20 18:05
今日、テレビでタレント何某の人生を振り返っていたけど、その人「世界一のマザコンだ」って
明るく言い放っていた。こんなふうに自分を偽らないで表現できるっていいなぁ。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/30 17:58
今の時代、将来に夢も希望もなく、ただただ現実の延長線、現実の繰り返し
みたいなところがあるから、子供も親も大変だよね。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/06 14:47
父親建設会社勤務。母親パート勤め。
兄一人。当方♀、40歳。
父親は出張が多く私が20歳になるまでほとんど家にいない。
母親はパートに出てたので小学生の頃から鍵っ子。
今はパニック障害、対人恐怖で通院中。
若いころはまだましだったけど35歳頃から症状が強くなり通院。
生い立ちが関係あるのかなあ・・・とこの頃思う。
普通に結婚はしてるけど子供はいない。というか子供を作る行為自体できなかった。
レイプされた記憶なし。虐待もありえない。
でもどこか精神はこわれていると思う。
父親不在だったため、母親のために自分がしっかりしないといけないと
思いつづけていたから誰かに甘えたくてしかたなかった。
いまだに自分の心は10歳くらいのまま。
甘えることを求めている。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/06 23:22
よく結婚できたし
結婚生活も続けていられるね?
美人なのかな?
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/06 23:25
超美人だと思います。
宅の妻と似てるから…
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/06 23:55
美人は徳だなあ・・・
ブスの人生は大変なんだよー
のんびりパニック障害なんてことしてたら直ぐに餓え死にだw
271 :
名無しさん@おなかいっぱい:04/07/07 00:40
自分、41歳男 私の父親には、よくなぐれれたな、
ほんとうにガンコなオヤジで自分の言うことが全部正しく
少しでも逆らうとすぐにパンチが飛んできた
また、酒を飲んで帰ってくると兄と二人で寝た振りをしてかくれていても
連れ出され正座させれれ鼻血が出るまでおおふくビンタ
ほんとうに怖くて怖くて毎日おびえていた
そして兄が中3の時おやじに立ち向かいパンチをいれたとたん
父親がやさしくなったな
自分が父親になって、子供には、暴力は、振るえない振るいたくない
トラウマかな? おやじにしてみれば躾だったんだろうな
今は、感謝かな
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/07 01:59
10才以上離れた姉たち3人に溺愛されて育った末っ子です。
シスコンと言われてもしかたないのですが
姉たちは俺にとって優しい母であり、偉大な女性であり、尊敬の対象。
母性愛いっぱいに育まれたので、女性をこよなく愛しています。
姉たちに良く似た性格の妻と、これまた良く似た2人の娘に囲まれた
いまの自分の人生も最高!幸せですホントに。
皆さん小さい頃ご両親から何と呼ばれてました?つまり、ご両親が皆さんに
用事があるときに言う呼び名です。名前呼び捨てが多いかなと思うんですが。
私は小さい頃、父から「ぼく」と呼ばれていました。(ちなみに私は男で、
「ぼく」と言う名前ではありません。それから母はちゃん付けでしたが名前で
呼んでいました。)養子だったとか言う事は別になかったんですけど、
父には私が生まれた事に対して何かわだかまりでもあったのかな、
と今になると思います。ちなみに今は普通に名前呼び捨てです。
少し前に書店で「itと呼ばれた子」(違ったら勘弁)というタイトルの本を
見かけましたが、それを見て、「俺も小さい頃そうだったな」と思い出し、
同時に興味がありながらもその本を手にする事ができませんでしたね。
スレ違いかもしれませんけど、読んでいるうちにちょっと書いてみたくなったので、
目障りだったらスルーしてください。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/09 14:01
>>268-269 267です。
本当にそう思います。
夫とはつきあいからいれるともう20年。
美人かどうかは主観によると思うけど・・・。
夫はすごく優しく甘えさせてくれてます。
でもいつも愛情に対する飢餓感があります。
心は10歳のままです。
夫には他に癒してくれる人がいるのかもしれないですね。
一度もSEXしたことないので・・・。
ただこんな私たち夫婦、他人からしたら変でしょうがお互い
かけがえのない存在です。
多分共依存の関係。
なぜこんなことになったのかはわかりません。
愛されても、愛されても足りないのです。
>>274 嫌味で書いたのに素直な人ですね
その素直さが言いのかしらね?
>>273 お父さんが息子のことを「ぼく」と呼ぶのってそんなに変に思わないのですが?
「it」って 無生物ですよ。
その本読んだのですが「あれ」とか「それ」とかそんな感じ
人間というより生物としてすらの扱いさえされていないんです。
内容はひどいいじめの本です
アンモニアを飲まされたり 塩素ガスの充満する小部屋に入れられたり、
腹部をナイフで刺して血をだらだら流しながら皿を洗わせたりします。
良く生きてたなあ、と思うほどの虐待です。
でもすごいなー、って思ったのは この人は成長して自分の家庭をもって
自分の子を愛して慈しんでいるところです。
虐待の輪廻から抜け出せた人です。
>>273 儂もそう思うな。
昔何かのドラマで子供のことを「坊」と呼んでいた父親がいたが
(時代設定が古かったか、それとも方言かもしれないが)
「ぼく」と呼ぶのもそれと似たようなものではないかな。
儂にも娘が二人いるけど、いつの間にか
上の娘は「お姉ちゃん」、下の子は実名で呼ぶようになっている。
あまり気にすることではないと思われ。
しまった、最初の「儂もそう思う」は275へのレス。
その後からが273へのレスだった。
スマソ。
>>275 嫌味だったのですか・・・。
バカみたいにだらだらとマジレスすいませんでした。
ほんと・・・バカですね、私って。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/16 14:01
消防・厨房・工房の頃は、エアコンなんてなかったから、
夏休みは、学校の図書館に行き、窓を全開にして「勉強」名目で
居眠り、午後はプールで泳いでました。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/16 14:20
家庭の収入的にはかなり豊かだったが、
ぜいたくはさせてもらったことがない。ごく人並みの生活。
友だちがはやりの商品を持ってるのがうらやましかった。
これは我が家の教育方針だと思っていたが、
最近歳を取った両親を見るにつけ、ただのケチだったのだとつくづく思う。
相当貯め込んでる(W
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/19 10:33
小さい時からお手伝いさんいたな、エアコンが入ったのも幼稚園の頃、水冷式で
井戸水を使ってたと思う。
父親がまた、おぼっちゃまで。乳母に育てられたそうだ。
使用人や目下の人間に冷たくて、自分の通りたいところに
洗濯物などが干されていると、物干し竿を撥ね飛ばして
洗濯物をドロドロにしたとか・・・・。
まあ、事業失敗したけどね・・・・・。
もう80歳越えてるけど、我侭なのはそのまま・・・。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい:04/07/20 11:36
うちの父親は私が子供の頃、よくテレビを見ながら、「皇室・自民党・
資本家・アメリカ・高学歴者」等の悪口を言ってましたね。
(左翼的な)学があるわけでもなさそうだったので、単なる貧乏人の
ひがみかと。みっともないので、絶対に真似しないと思いました。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/21 13:58
今みたいに、あらゆるものが整っていることはなく、不自由なところが、多々あった
けれども、精神的な自由は、今とは比べ物にならないくらい、あったと思う。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/24 10:40
今思うと、結構ビンボーだった・・・
そんなこと気づかずに、明るく生活してたな。
でも、ビンボーが普通だったのかも?38年生まれです。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/24 13:39
うちも結構ビンボーだった。
今の自分の生活と比べると。
お父ちゃんもお母ちゃんも一生懸命働いて育ててくれたんだな。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/24 13:42
そうそう、うちがビンボーだったと気がついたのは
成人した後の事。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/24 17:37
正直で誠実な両親だった。大きくなってからより解るようになった。
今でもそれが誇りです。
父は会社員です。
母は家事をしています。
姉は○○高校の三年生です。
他の方から見たらよくある普通の家庭ですが
私にとっては何よりも大事な一番の家族です。
私立高校入試の面接で家族について聞かれた私の答え。
あれから何度か思い出すけど
いつも正解だったと思う。
結局、都立に行っちゃったけど・・・
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/04 20:48
>>284・285
激しく同意。
遊びだって、ゲームもゲーセンもなかったから、結構、外に出て
真っ黒になって遊んでましたね。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/05 21:02
両親共稼ぎで、家庭の味ってなかったなぁ。
高度経済成長期だったけど、田舎だったから、レンジでチンするような
即席食品も総菜屋もなかったし・・・・・。
中学生のときに、母親が逝去して、そのあとは父子家庭だったからなぁ。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/07 18:01
両親はまあまあ仲よかったけど、
一度、大喧嘩したな・・・
父が母を大声で怒鳴って・・・
あまり思い出したくないな。
両親と歳の離れた兄と姉、どこにでもある平凡な家族と思っていた。
実の両親じゃないと知ったのは高校生の時。
とても驚いた。が、不思議と今まで通り自分の両親に変わりないと思えた。
愛情を持って育ててくれた亡き両親に感謝。
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/21 19:31
>>291 確かに夫婦喧嘩って、子供の年齢が小さければ小さいほど、恐怖心が
植えつけられるよね。同様に、父方・母方の兄弟同士の反りが合わないとね。
>>292 この歳になって、新聞やテレビニュースを見るにつけ、どこの家庭でも
いろいろな問題を抱えながら、一生懸命に生きてるんだなぁと実感してます。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/23 17:45
やっぱり「甘え」体質のある人は家の中で傍若無人になると思う。
酒に依存したり、ちょっとした事で病的に怒ったり。
とばっちりを食うのはいつも子供だ。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/26 14:10
>>294 確かにその通り。
だけど、ある種の「甘え」というか「寛容さ」といったものが、失われて、
ギスギスした刺々しい時代になっているのも確かなのでは?
責任転嫁するつもりは、毛頭ないが、今の親の世代の子ども時代の生育環境が、
無意識的に刷り込まれていることによる、ある種の「世代間連鎖」という
側面もあると思われ。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/26 16:44
お爺さんは山にシバかれに、お婆さんは川に犯されにいきました。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/31 13:01
田舎だったのでの〜んびりしてました。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/31 22:03
母の実家によく出かけたが、伯父夫婦はとても優しかった。
伯母は、他人なのに本当に私を可愛がってくれたわ。
いま、夫の兄の子をあんなに可愛く思えないわ〜。
よく出来た伯母だわ。母も一目置いている。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 21:46
車が贅沢っていうか・・・ビンボーで車がなかったので、
どこへ行くにも自転車だった。
今は目と鼻の先のコンビニにも車で出かけてる。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 21:56
実家が食堂だった。
朝はともかく、夜は毎日ラーメンとか、カツ丼とか、チャーハン。
まあ、それが家庭の味なのだが。
友達は羨ましがったが、本人はそうでもなかったりする(笑
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 01:30
うちの両親って、子供産みっぱなしの放任主義。
でも、私くらいには育つものね。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/11 11:41:23
>>300 やはり、実家が食堂って羨ましいですよ。あと、実家がお菓子屋さんとかね。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/11 19:51:43
海外転勤が多い家庭で育ちました。
海外と言っても、アジア専門。香港・台湾・シンガポールでした。
それなりに楽しかったよ。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/11 19:54:44
国内転勤が多い家庭で育ちました。
国内と逝っても離島専門。沖縄、壱岐、屋久島、種子島etc・・・
それなりにものすごく楽しかったでつ。
ちなみにオヤジは海自でした。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/11 19:58:44
可哀相・・
高校1年の時に父が亡くなりいきなり喪主。
祖母2人、叔母、母親、姉2人とズラッと女ばっかり並ぶ中で
会葬御礼の挨拶させられ、ガチンガチンに固まって言葉が出ず無言で直立状態。
それがみんなのすすり泣きを呼んで胸にせまったと言われる。
大学2年、4年と姉の結婚式でまた家族代表でご挨拶。緊張で声がかすれ震えたら
泣いたと思われ「お姉さん思いの弟さんだねえ」とおおいに誤解される。
社会人6年目で祖母が亡くなり、喪主はオフクロなのにまたまた会葬挨拶。
父のときよかマシだったけど途中で真っ白になり「・・・すみません」で終了。
このときも父の時同様に涙の誤解を呼ぶ。
おかげで親戚一同からは情に厚く涙もろい息子ということになってます。
オフクロは「アンタのボロボロな挨拶はみんなにウケるわねえ」
姉たちからも「子供の結婚式のときはアンタに挨拶してほしいわ」
そんなんじゃねーよ!お前らがやってみろ!!
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/18 01:09:54
裕福
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/21 05:56:03
父は地方の半官半民会社のサラリーマン。母は小学校の先生で共働き。
3軒向こうに母の両親と独身の叔母が住んでいて、学校から帰るとその
祖父と祖母の家に入り浸りだった。
母は女ばかりの3人兄弟の長女。いとこも女ばかり、だから俺が母方では
唯一の男で、祖父はそれが嬉しかったらしくとてもかわいがってくれた。
祖父は体が弱く兵役を免れたのがコンプレックスになっていたらしく、
比較的体の大きかった俺のことを「昔なら甲種合格だ」と誇りに思ってい
てくれた(と今は思う)。
その祖父も祖母も、一生未婚で俺のことをよくかわいがって連れ出してくれた
叔母も亡くなって15年以上になる。父も3年前に亡くなり、あんなににぎ
やかだった家族も今は母だけになった。
俺は大学から上京して、それから遠く離れて暮らしているまま。
俺も当時の父の年齢になり息子が当時の俺の年齢になった。これを世代交代と
いうのだろう。
最近息子に家系図作成用ソフトを買ってやった。母の元気なうちに少なくとも
俺の曾祖父の世代までの記録を、母の記憶をもとに残しておきたいと思ったから。
これも歳をとった証拠か。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/21 09:50:28
オヤジは警官、オフクロは専業主婦。躾は厳しかったけど、ごく普通に
育ち、大学も卒業した。それなのに、同僚からは「昔ヤンキーだった
でしょ。」と誤解されている。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/23 21:01:26
母親が小学校教師で、母方の兄弟と父方の叔父夫婦が小学校教師。
将来は、小学校教師になるんだろ、と言われつづけました。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/23 23:49:30
で、君は???
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 00:53:22
オヤジは大工、遊び歩いていたから家は貧しかったよ。
私服が無く、いつも学校の制服を着て遊んでいた。
ズボンは、ひざに穴が開いていて、だれも直してくれなかった。
女の子に笑われていましたが、特に気にせず。
テストの点は常にクラスで1,2,3番だったので、バカにされたことはありませんでした。
肉は、家で鳥の内臓ばかり食わされていた。嫌いなんで椅子の下に捨てていた。
魚は、安いあじばかりでした。
家の飯より、小学校の給食が美味かった。
初めて鳥の足を食べたのは、小学校5年生くらい。
クリスマスにケーキ食べたのもそのくらい。
すしなんて食べていなかったので、社会人になっても食べなれませんでした。
シャンプーしろといわれなくて、月一回しか頭を洗っていなかった。
小学校の先生に、臭いと言われていました。
母親が家の掃除をしないので、何時も足の裏に何かついていた。
蓄膿症で、青洟をたらし、ほっぺが赤かった。
今は、身長179cm、体重80Kgです。よくここまででかくなったと不思議です。
大学出たけど、奨学金を200万借りました。全額返しましたが。
授業料は、親の年収をごまかしていたので、払ったことがありません。
お金の掛かっていない子供でした。
今は、会社の力で自宅を立て、貯金もそれなりにあります。
息子二人も大学を出せそうです。親が行けなかった仕事について欲しいです。
親は息子の力を借りないでこのまま往生してくれるようです。
とってもありがたいです。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 01:00:47
小学校三年まで、家に水道がありませんでした。
手押しポンプで水をくみ上げていました。
風呂もあったけど、手押しポンプでくみ上げて、樋を使って風呂に水を入れていました。
風呂に水を入れるのは、俺の仕事でした。
おやじは、山猿のような人です。
小学校のとき、10回ぐらい出て行けといわれ、家に入れてもらえませんでした。
木槌で頭を殴られ血が出て、10円ハゲが出来たこともあります。
そろそろ勝手に死ぬ年です。特に何も無いです。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 01:20:21
東京の下町で育ちました。母は、後妻で私と姉を産み。先妻の
年の離れた兄と暮らしました。貧乏だったけど、食事の躾等は
五月蝿かったです。父が亡くなり、兄が父代わりになりました。
下町の貧乏な家に育っても、きちんと社会生活が出来るように。
夏休み最終日は、浅草のキチンとした洋食屋に行ってテーブル
マナーを教わりました。それは、社会に出てすっごく助かりま
した。今では笑ってしまうけど、初めて食べて美味しくても
いつもそんなものは食べてるように平然としなさいと教えられ
ました。江戸っ子の見栄かなって今は思いますけど。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 01:22:12
小学生のとき、すぐにヘソを曲げる私に
「そんな性格じゃ皆に嫌われるな」とズバリ言った父親。
当たってるだけに、きついなと思いました。
それからは、色んな事に気をつけて、いくらかはマシな性格になったかな。
そんなこと言ってくれるのは親だけかもね。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 01:24:58
子供の頃、父があんみつを買ってきた。
美味しそうで、ついついよだれが・・・。
今、あんみつなんて贅沢でもなんでもないよね(笑
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 01:31:09
裕福
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 01:35:45
両親とも兄弟とも会話というものがあまり成り立たないような家族でした。
排他的な受け答えが多かったのです。 おかげでひねくれた性格になりました。
高卒で独身で無職です。 こんな状況ですが、65歳まで仕事をするとして
あと半分はあります。 軌道習性しようなんて一応は考えてます。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 01:38:51
裕福
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 01:54:33
ど、貧乏
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/27 23:13:43
>>39 小生も、両親共稼ぎで、会話がなかったように思います。
323 :
MASIA:04/09/27 23:24:42
裕福な開業医の家に生まれました。
三人兄弟で僕だけが医者になれませんでした。
ピアノなんかも習ってましたよ。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/27 23:47:07
>>323 私も同じく開業医のひとり娘です。
父親は仕事で忙しく、母親も芸能関係の仕事をして忙しかったので
私はお手伝いさんや母の付き人さんに育てられたようなものです。
幼稚園も運転手さん付きの車で送ってもらい、今思うと
スポイルされたとんでもないガキでした。
欲しいものや望むことはなんでも叶えてもらえましたが
両親の手で大切に育てられた記憶があまりありません。
愛情に飢えていたせいか、小学校時代はめちゃくちゃに
荒れて、学校始まって以来の問題児だったようです。
友達の暖かい家庭をいつも羨ましく感じていましたね。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/28 00:20:27
>>324 生まれ変わったら貧乏人の家に生まれなさいね。
きっと愛情に満たされますよ。
暖かい家庭に浸れますよ。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/30 00:56:49
必要なものはあったけど、必要じゃないものはなかった
そんな時代だったのかもしれないけどね。
クリスマスになると大概、手作りのプレゼントでした。
当時はサンタさんの贈り物だと信じて疑わなかった。
だけど、手提げとかに自分の名前が綺麗に刺繍してあるんだ。
不思議で不思議で、「どうしてサンタは俺の名前を知ってるんだ〜〜??」
「すっげ〜〜〜♪」
と真剣に思ってました。今の時代にみたいに物が溢れてなかったけど
その分、夢が溢れてたのかもしれないと思う今日この頃。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/30 01:28:22
サンタ信じてたなんて、夢があるね〜。
私なんか「ハイ、クリスマスプレゼント」って言って
絵本を渡された。
でも嬉しくて、繰り返し繰り返し読みました。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/30 01:33:05
>>327 え!私6年生まで信じていたんだけど…
煙突がないから入ってくる場所がないって
寒いのに窓開けて寝てた… バカ?
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/30 01:38:48
つか、俺はサンタが疲れて来るから机に牛乳とビスケットをのせとけと言われて
それが減ってればサンタが来た証拠とか言われて、
朝になると、喰いかけのビスケットが置いてあって
まんまと騙されていたが、あれは誰が喰っていたのか。
親だな。w
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/30 01:42:39
それにしても子供の物欲ってあからさまだねw
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/30 08:05:33
両親が仮面夫婦でよそん家もそんなもんだと思ってた。
でも友達の家に遊びに行くと両親がすごく仲良かったり
イチャついてたりする人もいるので不思議だった。
あ、おかしいのはウチか!と気がついたときの空しさよ
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/30 09:08:05
山登りばかりしている家庭でした。
春休み・夏休みは家族揃って山登り。
海外転勤でバンコクにいた時も、山?に登ってた。
結婚した相手は、アウトドアが嫌いな人。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 09:24:14
>>332 うちもそんな。
母親が家をでてしまい家事は私の仕事になったけど
なんとなく普通に受け入れていた。
でも同級生と話すると「あれーアタシってかわいそうなの?」
色々と忙しくて家では一分も一秒も勉強しなかったけど
それでも中学時代までは偏差値60をなんとか保っていた。
結局高卒で終わったけど 両親が普通なら普通に大学くらいいけたと思う。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 09:57:35
>>333 ウチはダンナが元山男で子供にも山登りさせたい人なんだけど、私はそういうアウトドア系
全く興味ない家庭に育ったためか子供も私に似たのか山登りは興味なさそう。
あなたの実家は登山の早期教育みたいなことはあったんでしょうか?
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 17:37:46
登山って
体操やバレエ、フィギアスケートみたいに早期教育が必要なスポーツでないです。
ここ、Unix Penguin ウィルスが居るから注意
338 :
333:04/10/01 21:44:04
山登りと平行して、ゴルフもやっていました。(現在も継続中)
山登りをしない休日は、一家でゴルフ。
中学生の頃までは、休日は一家で動いていました。
登山とゴルフのお陰で、歩く事が苦にならないです。
うちは共稼ぎだったよ。
親父は土木やってて滅多に家に返ってこなかった。
御袋は加工場でよる遅くまで働いてた。
学校から帰って来ても誰もいなかった。
夕飯は何時も隣の家に御世話になってた。
学校に入ってからも苛められっ子で、怪我をしては病院通いで
あんまり出た記憶が無いなあ。修学旅行も行かなかった。
そんな両親も亡くなって、今は1人。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/02 03:01:03
うちは父親が大学の教授で母親が高校教師。
父親は研究肌で論文に夢中。ほとんど家に帰ってこなかった。
母親は日教組だったから組合が忙しくて家の中ほったらかし。
俺と弟はボンカレーで育ったようなもん。
将来は絶対家庭的な女と結婚するぞと兄弟で誓い合ったあの日・・・
弟はバツイチ、俺は女房の尻に引かれっ放しです。
父がアメリカ人。幼い頃に離別して母の手ひとつで育った。
その母が亡くなり父と再会したのは社会人になってから。
再婚してる父から連絡が来てアメリカの家をひとりで訪ねて行った。
フレンドリーな家族みんなが歓迎してくれてすごく嬉しかった。
その後結婚して親子4人になってからも時々父の元をみんなで訪ねた。
長男がこの9月からUCLAに入学した。
一昨年亡くなった父が生きてたらどんなにか喜んでくれただろうと思う。
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/03 19:19:34
やはり不惑を超えると、いろいろな人生と環境があったんだなぁと思う。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/07 19:33:24
自営の両親の元で育った3人兄弟の末っ子。
地方在住で高度成長期に育った為か、上の兄弟とは
生活環境が一変していたらしい。
そのため、上の兄弟からは甘えっ子と呼ばれ、
この年代でも子供扱いされるのには堪える。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/10 17:17:45
保守
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/10 17:23:31
両親の家はともに旧家で落ちぶれています。
でも脳内はまだ金持ちの旧家のままです。
家が貧乏だと気付くのにかなり時間がかかりました。
家や土地は多少残っていたので生きてこれたわけですが
現実を直視しない親もある意味子供を虐待しているように感じます。
>>345 だとすると、幸せに育った子供なんてほとんどいないよ。
>>346 仮定なぞしなくても幸せな子供なんて日本にはいない。
いるのは「全体から見たら多少はまし」程度な子供だけ。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/11 01:48:20
生きることに貪欲になれない育て方は、マシじゃない育ち方かも。
とにかく飯食って寝て、明日もきっとそうなるだろう、って思えるのが
幸せなんだが。
競争や協調は顕在化するから意味があるんだけど。
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/11 01:50:37
マシじゃない家庭だったから語りたくないね
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/12 17:44:14
どこの家庭も似たり寄ったりだと思うが、それでも
具体的にどんな環境で育ってきたのか、幾ばくかの違いはあると思うわけで
それを語り合ってもいいんじゃないの?
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/12 17:56:48
語ってどうする?聞いて何か?
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/12 18:03:21
意味がないと思うなら書き込みしなければいい。
それくらいの判断が働くと思ったら、そうでもないんですね。
君は他人の書き込みにつっかかってなにをしてほしいんですか?
幼少期にかまってもらえなかったから、かまってほしいんですか?
>>351
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/10/12 18:09:33
大阪の貧民層で生まれました。
隣近所には悪いのがたくさんいましたね。
後輩なんかは中一の時に友達の弟を誘拐して身代金要求して逮捕されてた
バカいましたよ。
昔は少年に対する報道規制があったので知らない人が多かっただけで
悪質な少年犯罪って昔の方が凄かった気がするんだが?
零細町工場の次男として生まれる、父は世間体だけ気にする人間として尊敬できない男
厨房時からぐれはじめ補導歴数回(傷害・暴力行為等)逮捕歴1回(過剰防衛)が保護観察で
どうにか鑑別所・少年院は逃れる:まあ地域全体が日本でも有数のガラが悪いちゅうか喧嘩
ぱやいちゅうか、とにかく堅気がやくざと喧嘩になりそうになっても「なにを?コラ(ry
高卒と同時に家をでる、真面目に仕事に励む
28歳独立
30歳ケコーン・・・・現在に至る:子供はなし、嫁・犬・猫・それぞれ一匹、それなりに幸せ。
家を出てはや25年実家に帰ったのは・・・20回くらいかな?
>>354 現在に至るプロセスは、社会的に様様な経験をしているようですが、今は落ち着いて
社会生活を営んでいる、立派ですね。
小生などは、両親共稼ぎで育ち、別にこれといって不自由なことはなかったけれども、
いわゆる思春期なるものがなく、自分の内面の激しさと向き合うことができずに今まで
来ています。おかげで、未だに独身、映画「男はつらいよ」の主人公である、車寅次郎
氏のような、根無し草のような生活を送り、未だに自分で自分に自身が持てないです。
>>355 >>354です
まあなんちゅぅか・・10代で人の3倍位の人生経験を送り、一旦それらをチャラにして
出直した感じですかな・・それがいいほうにも悪いほうにも今の自分にあるのかな?
って感じです、困ったのは嫁と付き合い始めて・・まあ雑談でそれまでの過去が
一般的に普通じゃないって思い知らされたことかな?その嫁も今じゃ図太くなって(w
貴方に良き未来が訪れんことを願って・・ではまた逢いましょう。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/13 23:00:42
父親はボーダーどころか総合失調症で支離滅裂の世間知らず。
母親はヒステリーの自己愛で「片づけられない女」の走り
子供の頃は夫婦ゲンカが絶えずバイオレンスでした・・・。
精神がおかしい父と性格がおかしい母に育てられた弟は20才の時に精神病に
なってしまい15年間も入院しっぱなしになってしまいました。
俺はそんな両親に「公務員は役立たず」の仕事とか「サラリーマンの安月給」
なんて教わり子供の頃から商売の後を継ぐように洗脳されて育ちました。
いざ継いだら実権は離さずに金にしがみついて、人に年金を稼がせようとします。
もう70才にもなるから世間からも当てにも相手にもされてないのが分かっていません。
顧客も俺が見つけてきた客なのに金は寄こせって言うんだからいやになります。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/14 03:38:26
実家は貧乏子沢山を絵に描いたような家庭だったんで
4歳で大伯父の養子になりその元ですごく愛されて育った。
老舗の呉服商を営んでいた大伯父の家はかなり裕福で
運転手やお手伝いさんもいて、なにひとつ不自由しなかったなぁ。
両親が時々俺のところに金の無心に来て大伯父にもらってくれと言われて
とても嫌な気持ちになった。その卑しさを蔑んでた。
大伯父の死後、遺産争いに両親がしゃしゃり出てきたのも不愉快だったよ。
なにひとつしてくれたことのないくせに、実子を泣く泣く盗られたとか
言いやがってさ。渡すものを渡してスッパリ縁を切りその後は一切会ってない。
育ての母の大伯母は94歳で健在。いま俺の家族と一緒に住んでる。
お前が養子で本当に良かったと言ってくれる優しいおばあちゃん。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/14 09:26:03
うちはド田舎の大家族でした。
大祖父母がいて、祖父母、両親、兄2人
犬に猫ににわとりにうさぎに文鳥。
幸い家は広かったのですが、トイレが外にありました。
私のトイレに着いてくる係りは長兄で、小学校6年まで着いて来てくれました。
私の仕事は、たくさんの動物の餌係り。
それに、配膳、片付け、女の子だからと家事はたくさんさせられました。
2人の兄は、男の子だから、と広い廊下の拭き掃除。
納屋の掃除、力仕事なら小さくても男の子だから。とやらされていました。
小学校2年の夏、大じいちゃんが居間で寝ていました。
さっきまで、「○○子(私の名)、一緒に酒かすを買いに行こう」と言ってたので
「大じい?」と起こすと、死んでいました。
明らかな老衰。しかし、私の驚きと恐怖は今でも忘れられない。
命というものを身をもって教えてもらった瞬間でした。
語りつくせないほど、大家族には様々なドラマがありました。
今でも実家の敷地内で大家族してます。子供も伸び伸び育って
我が息子2人は、今日はゴミ出しと庭掃除をして学校に出かけて行きましたよ。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/14 09:32:17
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/25 04:12:47
保守
>>359 曾祖父さん、大往生といっても
よろしいのではないかと。
私の祖母も10年ほどまえ85歳老衰でなくなりました。
二日だけだけ寝込んで、
三日目の夕方、自分の布団の中で静かに逝きました。
ああいう死に方ができればと思うが、無理だろうなあ。
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/29 16:27:47
>>362 大往生ですね<祖母さん。
それにしても、今回の新潟地震で亡くなった高齢者の方々、さぞ
無念だったことでしょうね。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/03 14:17:37
伯父・伯母連中が、世間で認められないものだから、小さい甥・姪(漏れたちのこと)に
自慢話を吹きまくってた。もはや親戚ではなくうざい他人。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/11 22:02:49
保守
小さい頃から他界寸前まで「金」のことしか口にしなかった父親
そんな父を罵ってばかりいた母親
詐欺でタイホ&有罪、現在行方不明の親戚
そんな環境で育ちました
小さい頃の楽しかった思い出など、何もありません
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/21 19:30:01
小さい頃、父方の実家で、母方の兄弟の非常識っぷりを聞かされて育ち、
親戚に嫌悪感を抱いていたが、年をとるにつれて、父方の実家の指摘が
もっともだなぁと思えるようになり、今では、母方の兄弟は人でなしである
とすら思っている。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/22 06:53:43
幼少の頃に父親の浮気が原因で両親離婚
やっぱり子供時代は寂しい思いはした。
母親には甘えたいけど甘えてはいけないんだと
自分で思い込んでたふしがあり常に遠慮してた。
母親も寂しい女なんだと思ったのは小学校卒業前。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/22 11:16:00
両親共働きの典型的な鍵っ子でした。
下に妹二人が居たせいか同年代の子よりしっかりしてたと思う。
親父は星一徹そのもので、悪さすると社宅の屋上にある給水塔に磔にされました。
真冬の寒空に磔された時は涙と鼻水と恐ろしさで失神寸前でしたね。
ただ親を一度も憎いとは思わなかったな。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/24 00:09:25
家業は銭湯だった。バブルの時代に売り飛ばして今はマンション。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/01 12:47:47
最近の中高生って、育てる親も大変だよな。
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/02 00:47:15
育てる親が馬鹿DQNだからああいう中高生になってるんだよ
沖縄の小さな離島で生まれて育ちました。
実家は貧しいサトウキビ農家です。
学校にはほとんど行かずに山羊や牛を連れて
兄弟たちと浜辺で一日遊んで年中真っ黒。
収穫時期には家族全員で他の家へも手伝いに行くので
勉強どころじゃなかったです。
分校の先生もそれがわかってたので何も言いませんでしたね。
いい時代でした。
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/02 02:43:15
うちは両親ともやたら攻撃的で、夕食の時はいつも夫婦で罵倒の応酬、
人前では、お互いや子供の悪口を言うことだけが社交術だと思っていたフシがある。
父親はわがままで子供が嫌い、母親は見栄と競争心で生きてるタイプ。
母親に対しては幼い頃から同性としてライバル視され(ガキ相手なのにw)、
常に母親を誉めそやすことを要求されてた。
父親に対しては常に後ろから(こっちを見ないので)顔色をうかがってたなー。
愛情をはっきり示された記憶がどうしても浮かばない。
スキンシップといえば「ぐずぐずしないで」とぐいぐい押されることぐらい。
外出時に手をつなぐこともなかった。
そんな家庭で育った私、いまだに愛情というものが信用できず
人を受け入れられません。
いつになったら育った環境の影響から完全に抜け出せるのやら。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/08 22:57:33
三世代同居があたりまえだったし、ビデオもゲームも当然なかったから、
就学前は、祖父母から昔話(日本、海外の)を聞いたり、本を読み聞かせて
もらったりしていました。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/08 23:30:57
幼少時代の嫌な思い出は語りたくない。
今でも実家には寄り付きたくない。
今更、過去の傷のなめあいしてもなんにもならんと思うが、
でもただひとつ言えることは
自分がそういう嫌な思いしたなら、自分の子供にはそういう嫌な思いを
させないように育てればいいってだけの話だ。
確かに虐待の連鎖っちゅうのはあるよ。
事実、私も自分の高ぶる感情をもてあまし、子供を殴ったり罵倒したり
そのたびにひどい自己嫌悪に陥って泣いたりした。
で、必ず思い出すのが自分が幼かった時、同じようにされた場面と
その時の母親の顔だった。
その度に
「あんな嫌な母親と同じことをしているなんて、
あんな親には決してなるまいと誓ったのに」と思いおこし
罵倒することをやめ、殴ろうとする手を下ろすことができたんだ。
子供が小さかった頃は色々あったさ。
今ではなんでも話し合えるフレンドリーな親子関係ですけどね。
「何でも話し合えてフレンドリー」だと思ってることこそが
親の独りよがりだったりするんだけどね
何でも話し合えてフレンドリー = すべてに干渉し、支配しようとする親
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/09 21:25:13
378です。こんばんは
干渉はしてないですよ。
何でもはなすって、飯食いながらテレビみての話だけど?
干渉になるのかな?
親の独りよがりになるのかな?
って今も「どっちの料理ショー」みながらアンキモうめぇ〜よな〜
明日、あんこう鍋にしようよ〜云々・・・って話になってるところです・・・
高2の息子は自分からなんでも話してきます。
息子の友達も私と話します。
一緒に釣りに行ったりします。
父親いないので私がアッシーです。
おかしいかな?こんな親子関係変えたほうがいいかな?>380,379
あと一年ちょいだから変える気もないけど。。。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/09 21:45:31
>>381 378は父親が書いたのかと思った。
あと一年ちょいって高校卒業までってこと?
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/09 21:52:28
一人息子には旅をさせろって訳で?でもないけど本人の意思もあって
県外の大学目指していますから一年ちょいしたら巣立ちます。
その後、帰省したら一緒に晩酌ってのが楽しみです。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/09 22:07:04
>>383 母親だけで大学まで行かせるのは大変だったでしょう。
息子さんと楽しく平和に暮らしてるのなら、別に何も変えること
ないですよ。むしろ母子密着型にならないように、地方で一人暮らし
するのも良いかも。
385 :
378&381&383:04/12/09 22:23:55
高二で、県外の国立大学目指してがんばってるところだよ。
住んでる所が地方なのでちょっと都会の大学へ行き独り暮らしの予定。
(受かればだがw)
これまであまり大変だって思ってないよ。
第三者から大変だな〜って言われるけど、
当人たちはさほど大変って感じてないもんです。
話題それましたが
ま〜そんなこんなで、子供時代がどうあれ、それをバネにしたり
悪い親だったら反面教師にしたりしながら
次の世代でいい方向へ向かわせることができるのではないでしょうか。
うちの息子にとって私はいい親ではないだろうけれど
でも、私の親よりは私もマシな親になってるわけなので
お前も私よりマシな親になるように努めなさい
そうやって人間がマシになれば世の中が良くなっていくに違いない!(爆)
と息子に言ってます_(*_ _)ノ彡☆
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/10 13:50:06
>>384 いまどき母子家庭で子供育てるなんて珍しくもないけどね
父親一人だとさすがに大変だが
べったりの母親と距離をおくことを息子が積極的に選んだのはいいことだと思う
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/10 15:13:34
東京の百姓の倅
カネ&土地はあるよ〜
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/10 15:14:54
∧ ∧
── =≡★ノ^^ハ★
── =≡ノリ, ^ー^)li カ''ッ ∧_∧
─ =≡○_ ⊂)_=_ \ 从/-=≡ r( )
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|
言 問 橋 .|
| 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
| 神 田 川
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/16 10:16:33
裕福な家庭
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/21 21:26:24
三世代(母方の両親と両親、漏れたち)同居で、両親共稼ぎだったせいもあり、
日中、祖父母にはいろいろと話を聞いてもらったり、昔話を聞かせてもらったり
しました。もちろん、子ども部屋などなかった。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/22 10:42:03
age
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/22 11:16:26
商業を営む家庭で育った四人兄弟姉妹の末っ子。
とくに母は評判のヤリテ。両親は多忙の為留守がちではあったが
優しい祖父母や従業員達に囲まれ賑やかな大家族。
ところが祖父母が相次いで亡くなり年の離れた兄や姉も次々に進学の為に家を離れ
遊び相手になってくれる女性従業員も辞めた後、家では独りで居る事が多くなった。
大学生なり、私にだけは家を出る事を許さなかった両親を強行突破。
しかも外で友人達と連む事が好きで実家へと足を向ける事はあまりなく、
とうとう両親との会話は殆どなかったような気がする。
二人の子供にも恵まれ、私もまたその母に似たのか?愛情表現が巧くはないが
既に手が離れ高校・中学生になった現在も子供たちがいつ帰宅しても
常に笑顔で迎えてやれる。
そして、そんな家庭を築きたいと稚い頃から願った私のささやかな夢が叶った。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/23 14:38:00
貧乏な家庭だったが仲良し家族
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/23 16:34:00
おとなしくて優しい父と陽気でワガママな母だったけど、それなりに楽しかった。
外食も旅行もいっぱいしたし、欲しい物もほとんど買ってもらってた。
ただひとつ大きな問題があった。
うちの両親は下品だった。
知的な本が並ぶ書棚も無かったし、美術館や博物館に行ったこともなかった。
クラシックコンサートも行ったことない。
競馬やパチンコが好きだった父とカラオケと食べ歩き旅行が好きだった母。
父は高卒で母は中卒。
言葉づかいもひどいし、子供と同室で寝てても夜中になると獣になってしまう。
おいおい・・・
今は両方とも他界、天国でも仲良くやってるかな。
下品な親だったけど、大事にしてもらってたから恨んだことも嫌ったこともないです。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/23 17:54:10
農家の次男で末っ子。兄と8歳、姉と6歳離れていたため、両親には可愛がられた。生活は貧しいが、豊かな自然の中で野山を駆け巡り伸び伸びと育つ。中学3年の時、進学のために家を離れて一人暮らし。高校は寄宿舎生活。そのまま上京し実家には戻らず、現在に至る。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/25 07:43:46
うちは食品関係の商売。
クリスマスにはお歳暮代わりのクリスマスケーキが天井まで届くほどきて
それが食べ終わらないうちにおせちの重がケーキの横に積み重ねられていた。
最近はケーキのお歳暮ってもらわないなあ。この時期になると思い出してしまう。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/26 23:56:40
両親が自営、それなりに金はあったんだろうが、食べるのだけは不自由しなかったが、父親が締まりやだから他にはいいことなんてなかったな。
おまけに内弁慶で一人っ子だからテレビが友達だった。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/28 01:33:13
私は一人娘、でも両親の仲は最悪で、夫婦げんかが絶えなかった
ある日母は私を残し家を出ました。いちばんつらく忘れられない思い出
小2の時です
離婚後、父が親権者になったものの、大酒飲みで仕事もロクにしない、
アル中になり入院。5年生で私は母方の祖父母に引き取られました
この祖父母はしっかりしてはいるけれど、物凄く厳しく私は息苦しくて
居場所がなかった。両親が一緒にいないというのも負い目に感じていた
補導歴はないけれど、中学からグレました。今思うとかなりアブナイことを
やっていた。何か問題を抱えた思春期の子というのは自分を傷つける傾向に
あるのかもしれない。
人を傷つけることをしなかったのは、親のおかげなのかな?
高校の時、父は亡くなりました。母は健在ですぐ近くに住んでる
あの頃、とにかく早く大人になりたかった。
社会に出てからは本当に楽になった。今は結婚して二人子持ち
いろいろあったけど、落ち着きました
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/01 21:09:36
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/01 21:33:27
四人兄弟の末っ子。
小学校の時は四人揃って学校に通った事もある。
一番の思い出は、クリスマスになると伯母から贈られたバターケーキを四人で奪い合って食べたことです。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/16 20:05:21
age
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/16 22:39:50
星一徹のような父でした。
ただひたすらに怖かった。
そんな人が今はホームで前掛けしておかゆを食べています。
面会に行って「あんた誰かな?」って言われた日…。
星一徹みたいな性格の人はぼけやすいんですよ。
わっちは 星一徹がぼけちゃった後のことを
ネタで2ちゃんの某板で連載したことがあります。
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/17 00:22:28
父は仕事を度々変える人。母は零細企業の事務をしてた。
私には兄と弟がいる。真ん中の女は可愛くなかったみたい。私が可愛く
なかったのかもしれないけど。うちは貧乏だったけど兄、弟は欲しい物を
買い与えられてた。同じ物を兄や弟と一緒にねだっても私には買ってくれな
かった。ボーナスが出た時も兄、弟には「はい、おこずかいあげる。あんた(私)は
いらんやろ。」と言って私にはくれなかったり。せめて私の知らないところで
兄と弟にあげて欲しかった。
洗い物やお使いも私ばかり。兄、弟はテレビを見てるのに。
母からは掃除機でどつかれたり物差しでたたかれたり。父からは酔っ払って
因縁ふっかけられて拳でどつかれたり折り畳み傘で殴られたり。そういう事は
度々。母は「明日、学校やから顔はやめてよ。」と言うばかり。弟は一度父から
投げ飛ばされたけど、兄は両親から叩かれた事がない。
働き出してからは水道代、電気代、飯代、電話代を払わされた。もちろん
私だけ。兄が「俺もいくらか払う」と言った時、母はかわいそうだからと
兄からは取らなかった。親から受けた悲しい事ならまだまだいくらでも
ある。それでも私は親に好かれようと努力してたから今、思うとすごくみじめだ。
ただ兄、弟はいい香具師だから何とかやって来れたんだと思う。
結婚してからは、まともな普通の生活を送れてる。嬉しいよ。けど40才前
位まではひそかに思い出しては泣いたりしてた。
今、うちは子供が一人。親子三人仲良くやってる。実家は近いけど年に2回
ほどしか帰ってない。
>>404 今幸せなのが何よりですね。
私も小さい時のことを何故か突然に思い出して泣いてしまうことが。
仲が良さそうな親子を電車で見た時とか
寝る前とか、お風呂にのんびり入っている時とか、
頭を洗っている時とかにまるでフラッシュバックのように思い出されて
辛くなることも。
このスレに出会うまでは「こんな風に思うのは自分だけなのかも・・」と
悩んでいましたが、同じように感じている人たちが居ることを知ることで
冷静になることが出来て、
親にも以前よりは優しく接することが出来るようになりました。
私も子どものころの悲しいことがふっと思い出されることが度々。
夢を見て、泣きながら目が覚めることもありますよ
普段は忘れてるのにね。
友人たちと談笑してる時、子どものころの話が始まると
聞き役になってしまうのがちょっと情けないかな
長いこと離れていた親だからなのか、かなりサバサバした親子関係です
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/17 10:44:09
子供のころが楽しく幸せすぎて、今ちょっと苦労があると、
動揺しておろおろしてしまいます。
両親は仲がよく、経済的にも豊かで、知的な環境でした。
毎月上野の文化会館へクラシックの一流どころを家族で
聞きに行っていましたし、小さい頃からテニスをしていたので、
体力もつきました。結婚するまでがあまりに幸せだったのですね。
両親がけんかしがちだった夫はトラウマがあり、心の傷が大きく、
その心を溶かしてあげることがとても難しいです。
今でもコンプレックスがあるようです。
みんなが幸せな家庭に育っているといいのにね。
父は南方戦線の生き残りで東京にもどってから5〜6年は軍で英文翻訳を
していた英語力を使って米軍物資の横流しなどをやっていたようです。
母は駐屯地(グラントハイツ)近くの米兵相手のBarで働いていた女給で
父親が年中その店で米兵と取引をしていたことで知り合ったと聞きました。
私が小学校に入るころ父親は子供のためだと言って羽振りの良かった
故買品ブローカーの仕事をやめ、貯めた金で青梅街道沿いに小さな
ガソリンスタンドを開いたということでした。
実は私の記憶にはガソリンスタンドを営む父親と子供の教育に熱心で
こまめに働く母親しか知りません。
私が高校生の夏休みに家業のスタンドでバイトをしていた時、突然訪ねてきた
観光客らしい外人と父が懐かしそうに流暢な英語で話合っている父姿を見て
家に帰ってから「父さん、英語が話せたんだネ」と母に話したところ
少しとまどったような顔した母が様々な経緯をはじめて語ってくれて
前述のようなことを知りました。
母が「だからね、母さんも少し英語が話せるのよ」と悲し気に言われた時、
なぜか少しドキっとした記憶がいまも鮮明に残っています。
いま思えば母は「売春婦の子でごめんね」という意味を含めて正直に自分の
ことを私に話してくれたのだと思います。
私ももうすぐ50ですが、子供に真直ぐに向かってくれていた両親を
一度も恨んだことも恥ずかしく思ったこともありません。
はっきり言えばインテリヤクザの父親と売春婦の母親の子だという想像が
できないような家庭だったからかも知れません。
>>408 そういや、私の学生時代、友人に、親父が暴力団の組長で、母親が家庭内暴力を
受けるような家庭で育ったし、まともな就職は出来ないし、すべきではない、と
達観したようなのがいました。当時は、聞き流してましたけど、この年代になると
その悲しみと孤独が、どんなものだったか、想像に余りあることだと思いました。
立ち入った書き込みしてすみません。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/21 18:54:46
>>408 内地の方でもこちら(沖縄)と同じようなご経験を
されている方がいたんだと知りました。
我々の世代までが戦後の敗戦国の実情を知った最後の
世代なんでしょうね。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 14:09:03
私の両親は 15歳 の年の差 当然話もあわず
仲が悪い訳ではないが 今思えば 仮面夫婦 のようだった
両親共 悲惨な体験をしたらしく親の愛もうけなかった
そのせいか 私ら子供にたいしての愛情表現もへただった
私は母親と手をつないだ記憶がない 子供時代の写真も
ほとんど私らだけ 家族で外食も旅行もした事がない
家族 という物がわかる前に 二人とも他界した
そんな環境で育ったが 自分の娘には愛情や温もりをたっぷり
そそいであげたい でも色々 難しいね・・・
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 17:31:49
>>411 うん、確かに難しいね。私は自分の親みたいに子供に暴力をふるいたく
ないのに激怒したら叩いてしまう。禿しく後悔して子供に謝ってる。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 17:34:20
他人に暴力振るうってしんじらん。
私にとってはウンコ食べるのと同じ位越えられない壁。
こんな私は兄に日常的にぶん殴られながら育った。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 18:39:33
日常的に暴力振るうのと かっとして つい手が
出るのは 違うと思うよ
いや、カッ! としても普通の人は絶対に殴らない。つか殴れないもんだよ。
カッとなってるくらいで殴る人は 多分一年中殴り続けてることになるよ。
私はかなり短気な方だとは思うけど、絶対に生き物をぶったりできないよ。
殴る人は414さんのような論理で自分をごまかしてるだけだよ。
つーか かっとならないで日常的に暴力振るう人は もう壊れてる人でこの際問題外。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 20:20:55
413は兄貴に負けっぱなしだったのでは?
対兄貴ではやられる事が自然になってないか?
兄弟でも子供の時に親を通してでもたまには勝つ経験をしていないと
性格、弱〜くなってしまうのでは?ここでは他人を攻められても
面と向かったら口論出来ないとか?
女ですよ。
年も5歳離れてるから子供時代なんて
ハナから喧嘩になぞならないよ。一方的殺戮。
暴力を振るう人は言い訳できないほど壊れてる人だ。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 22:49:25
漏れも、いくらカッときても
ひとを殴ることはできない。
暴力はいかなる理由があろうと反対。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/23 17:46:28
子供のおしりをたたくのも
やっぱ 暴力?
子供の時 よくたたかれたなあ
ほうきを逆に持って棒のとこで・・・
けっこう大きくなっても
ほうき見ると怖い時期があった
虐待親の言い分ってかならず
「しつけ」って言うよね。
虐待としつけの線引きって難しいかもしれない。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/24 13:18:49
>>412みたいな母親は、後悔さえすれば済むと思ってるのかね。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/24 13:46:39
子どもが小さい時は思わず手が出ちゃうことがよくあったなあ。
でもおもいきりとか、チカラ入れては叩けないよやっぱり。
小さな子ども、乳児にまでケガするほど腫れるほど死んじゃうほど殴る人って
どうやって育ったんだろう
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/24 18:20:29
やっぱ あるよ 悪い事した時 おしりペン!
とか おててをパシ!とか でも子供の寝顔見てて
涙ながして ごめんねえ とかね
子育てとか家の事でついヒステリックになる事
はあると思う 昔の親は今ほど遊びもしないし
ストレス発散なんてなかったろうに どうして
今の親は 子供や弱者に暴力ふるうのかね
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/24 19:30:29
両親共に江戸っ子で、会社を経営していました。
私は三人姉弟の真ん中です。
父方の親戚は全員医者で自分だけそうでなかった父はコンプレックスと実母との葛藤からアルコール依存症になりました。
母はお嬢様育ちで物静かで優しい人でしたが朝から晩まで会社の仕事をさせられていました。
ですので幼い頃から家にはお手伝いさんしかいなくて非常に寂しい思いをしました。
友人の家に遊びに行ったときお母さんが家にいておやつを出してくれるのを見てとても羨ましかったです。
三歳からピアノ、小学校二年生から家庭教師、書道、高学年になるともう一人家庭教師、四谷大塚・・・
母は忙しい合間をぬってコンサートやバレエを見に連れて行ってくれました。
私は音楽がとても好きで母もそれを喜んでいましたが、私を医者にしたかった父はとても嫌な顔をしていました。(ピアノを続けていることなど)
私は父のいない時間というものがとても好きでした。
食事時 父はいつもピリピリと怒っていて一家団欒というようなものではありませんでした。
父は家で一番偉い人であり、まさにお殿様状態でした。
言われて嫌だった言葉の中に
「誰のお陰でこの生活があると思ってるんだ。これが当たり前だと思うなよ。」
というのがありました。
確かに何でも買いたいものは買ってもらえました。
でも・・・。
とにかく父の肩車、とか父と出かけた、とかそういった楽しい思い出がないのです。
ですから昨今の優しい仲の良いパパと子どもの様子を見ると羨ましく思います。
結局私は父の期待を裏切り音楽の道に進みましたが、幸いにも姉弟が医者になって開業しましたので良かったと思います。
今思うのは経済的に豐かであったことは有り難いと思いますが、家庭というものが暖かいもの、安心できる場所であって欲しかったと思います。
あ、それよりも何よりも本当に心から愛し合った者同志結婚しないとその後破綻をきたすということです。
家の場合、父が(親に反対された)本当に好きな人がいたようなのです。
その人のことをひきずってしまっていました。(これはある程度大人になってから知ったことですが)
いろいろありましたが今私は幸せな結婚をしています。
家が一番居心地が良いです。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/24 22:39:34
随分と裕福なご家庭のようでしたのに、ご家庭の内部にはさまざまな葛藤が
あったんですね。
人の話というのは聞いてみないとわからないものですね。
でも今が幸せそうでなによりです。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/25 01:40:00
424さんと裕福度はかなり似通っていますが、うちの場合は
父と母がとっても仲がよく、周囲に理想の夫婦と言われておりました。
父は、京大で経済を学んだインテリ系で、人に優しく、金や地位に
こだわらない尊敬できる人でした。母は裕福な家庭に育ち、
芸術を学んだ誰もが振り返る美人で、クラシック音楽を愛する人。
料理もうまく、英語もフランス語も堪能です。
家での会話は、政治から芸術まで幅広いものでした。
当時では珍しく、インテリアも南仏風で美しくまとめられて・・・。
おかげで、弟は完全なマザコンになり、母以外の女性を認めなく
なってしまい、未だ実家で独身。
私は両親のような理想の家庭を築く能力はなく、夫と休みの日は
だらだらとくだらないテレビを見てしまう庶民的な人妻に・・・。
あの高尚な教育はなんの役にも立たず・・・。
今でも女優のように美しい母は、
ときどきうちに来てあきれて帰ります。
父は新聞社勤務で何時家にいるかなんて予測不能だったから、一緒に
家でメシ食った覚えはほとんど無いな。
でも、夜勤明けの時に銀座に呼んでくれて、新聞社の中を見せてくた。
幼稚園が終わってから、1時間かけて一人で有楽町まで行った。
今思うと、屋上で伝書鳩見せてくれたり印刷工場見せてくれたり、
原稿を送るエアシューターとかファクスとか、テレックスとか、
普通見る事が出来ないものを、担当の人がニコニコして実演してくれた。
不二家でドーナッツ買って帰るんだけど、ガード下で焼き鳥食わせて
くれたり、抱えきれないほどの丼に入った長崎チャンポン食ったり、
面白かったなぁ。
その後も俺が原因不明の病気になって、新聞社の医務室に診療に来て
いる医者の、恩師の偉い先生に診て貰うために、ずいぶん通ったな。
そんな父が40代になってあんなに荒れるとは、考えもしなかった。
定年退職してやっと穏やかな父に戻ったけれど、旅行先で事故に遭い
亡くなってしまった。
俺もあなたと同じ歳になってるよ、親父。
428 :
424:05/01/25 17:44:06
>>426さん、
ご両親の仲が良かったのに、う〜む、そうなのですか。
両親の仲さえ良ければと思っていた私には違った視点を与えてくれました。
不思議なものですね。
インテリで思い出したのですが私の父はテレビのお笑い番組などを非常に嫌っていました。
父が帰ってくる前にたまにそのような番組を見て笑っていると
「そんなバカ番組、見るんじゃない。切れ。」と。
高校生くらいになると「お笑い(やる人)はバカじゃない。人を笑わせるってすごいことなのに」
と言い返したりもしましたがすぐ却下されてました(苦笑)
>>427 ちょっとぐっと来ちまったよ。
うちの親父も四十代にちと荒れた。
親父が死んだ歳まであと五年だ。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/27 20:44:50
皆さんとは逆に、うちの親父は、寡黙で、威張ったり怒ったりも
しなかったです。仕事はそんなに忙しいわけでもなかったはずなんだが。
母親も、それほど教育ママゴン(死語)ってわけでもなかった。
とはいいながら、家庭が安泰っていう記憶もない。
>>429 漏れも、親父が脳溢血で倒れた年まで、あと数年です。
>>429 今、40代で父が荒れた理由がすごく実感できる。
当時の俺も理解はしていたつもりだったんだけど。
リーマンとしての結果が出る時期だから。
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/28 19:36:08
普通の常識や社会的マナーのない家で育ちました。
今、自分がいろいろ苦労してます。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/28 20:57:29
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/28 20:58:07
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/01 20:39:41
保守
野放しにされてますた。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/05 20:10:33
みなさん核家族で育ったのですか?
単純な家庭ですた
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/06 08:42:03
躁鬱気味の母、大人しい職人の父、弟の4人家族でした。
母方の家系が元々ウツの家系で、祖父もウツで苦しんだそうです。
最近知って驚いたことは、二十歳そこそこで亡くなった母の姉の死因は自殺だったこと。
母は家では自分の意見をゴリ押したり、父や父の両親を馬鹿にしたり、言いたい放題
でした。しかし、外では自分の言いたい事も言えない小心者。ちょっとした事でウツになり
家族に心配をかけていました。数週間でウツが良くなった後は躁状態になることが多く、
急に強気になってガミガミ叱られてました。
そんな母が弟を道連れに自殺未遂をしたのは私が7歳の時。
幸い私が発見して、命は取りとめました。でも時々、私が発見しないで死んでいた方が
お互いに幸せだったのかも・・・と思います。
大人しくて面白みの無い父や訳の分からない母、引きこもり歴のある弟・・・と恵まれた
メンバーじゃなかったけど私だけは「普通」に社会人になり結婚しています。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/10 04:43:03
当たり前だけど、それぞれの家庭には、それぞれの事情や秘密のような
ものがあるんですよね。
そういうあまりにも当たり前の事を書き込むあなたって…
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/11 21:46:36
反抗期がなかった自分、今ごろ、親の世代になって
子どもたちと、どう接していいものか不安であります。
私も反抗期なかったです。
親が不良だったので自分が不良化してる暇がなかったからなんですがw
以上の経験をもちまして子供は放り出してるほうがいいのではないですかね?
443さんはどうして反抗期なかったのですか?
それと同じように振舞えばいいのではないですか?
まあ私は子供以内のですが、テケトな事書いてゴメソ
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/11 22:23:35
たしかに変な親を持つ子は大人びたところがあるな。
苦労してるんだと思うよ。
許せないのが、そんな親は自分は反面教師を装っているんだと自己弁護。
それなら他人を巻き込むなと言いたい。
大人びてたわけじゃないのですがw(つーかいまだにガキなんですが)
反抗期って親が過干渉するから反抗すると思うのね。
うちは母親が家出してて父親が単身赴任〜愛人宅に入り浸りだったから
親がほとんどの場合留守。
だから反抗したり、家出したりする必要がなかったんですよ。
調べたわけじゃないからはっきりわかんないけど。
昔、集団就職で東京に来たような子たちも親に対する反抗期ってなかったと思うよ。
思春期後期から青年期前期ってのは親と一時的に離れないといけないと思うのですよ。
子供と大人という親子関係の再構築をするのに一度はなれないと駄目だと思うんですよ。
高校時代友達と話していてよく感じたですよ。スゲー干渉去れてカワイそーって。
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/15 01:57:42
地方の自営業者の三女末っ子。
比較的恵まれていた方で大学まで進学した。
欲しいものは買い与えられたので我慢することを
知らなかったので、都会で暮らす時に苦労した。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/15 02:08:52
兄弟3人は当たり前の時代でしたね。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 17:20:55
荒れた家庭で兄は鑑別所に行き来していました。
家族は兄の為に近所からは後ろ指を指される環境で
とてもつらかったです。
その兄も交通事故死で家族が死んで、内心はホッとした
覚えがあります。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 18:44:25
無口で婿養子の父と、楽天的なB型母と、厳しい祖母。
姉弟3人の6人家族。
父と祖母は話を一切せず、間を取り持たない母に挟まれて
息の詰まる食事、団欒でした。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 21:04:29
統合失調症の父、子供のころからろくに働かず私が小5には入院。
家庭内暴力を繰り返して、中学もまともに行かず、医療少年院にいった弟。
今もやはり統合失調症で入院。
水商売で育ててくれたが、私に無関心な母。家になど帰ってきません。
男と同棲したり、火事さわぎを起こしたり、警察ざたになったり。破産宣告したり。
おかげで、私は家庭にやすらぎをみいだせず、高校から大学まで、
学校へは行くものの5年間ぐらい人とはほとんどしゃべらず。
人と関わらない事でこれ以上傷つかないようにしていました。
しかし、又別の男とつきあい騒ぎわめいている
母のちゃらんぽらんな生き方に嫌気がさし家出しました。
そして銀座や池袋で水商売しながら大学をでました。
その後、就職もしましたが、適応障害になりました。
しかしカウンセリングうけ治しました。
原因は母親へのいかりを溜め込んだことだそうです。
でも今は結婚して幸せです。
私は人との付き合いは苦手ですが、今は家庭内にいるとやすらぎ
を憶えます。
息子はどちらかというと優秀なほうですし、普通の家庭です。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 21:16:27
6畳一間でオヤジとオカンと弟と4人で暮らしてました。
12歳頃にオカンは外泊が多くなり中学を卒業した頃に出ていきました。
僕と弟の貯金を持って・・・それからオヤジと3人の生活が始るのですが
もう、そこで噂になり住みにくくなったので違うところに越していきました。
ところが、オヤジは夜仕事だったので家にいないほうが多くなり、
僕は寮生活、弟も一人住まい、で家族はバラバラになりました。
そのオヤジも11年前に癌でなくなり翌々年、オカンも逝きました。
色んなことがありました・・・僕も親のように離婚をしてしまい
子供達に同じような、いやもっと辛い思いをさせてしまいました。
その子供達も別れた嫁がしっかり育ててくれ、もう上の子も今年で
20歳・・・すいません。自叙伝じゃないですよね・・・
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 21:26:38
>>452 本当に嫁のおかげだよ。
でもそれを分かってる452にも良い事ありますようにって
祈ってるよ。ガンガレ。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 21:28:40
>>452 がんばれ〜!
また、452さんのことを愛してくれる女性に巡り会えますように・・・。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 06:32:21
応援してます
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/21 23:49:52
泣かせる話や〜。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 01:17:34
不幸は輪廻のように回るものなのか・・・。
母は女としての幸せを何ひとつ手に入れる事が出来なかった。
私が本来背負うべき試練も母がすべて引き受けてくれた気がして
彼女のが望んだ幸せを、彼女の分まで噛み締めて毎日を過ごしてる。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 21:16:29
俺が子供の頃は両親は喧嘩ばかりしていた。
子供が一番つらいのは両親が仲が悪いこと、自分が怒られるよりもつらくて怖かった。
母親はヒステリーの自己中で、父親が世間しらずの低脳だったのが原因なんだが
尊敬どころか軽蔑してる。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 21:58:36
452です。
久々に来てみたら皆さんの暖かい言葉にジーンときました。
ありがとうございます。2chにきて良かったです・・・
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 21:59:21
その両親の血を引いてるもまいは
ヒステリーで事故中で世間知らずの帝脳なんだなあ
気の毒にw
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 21:59:26
皇太子が紹介した、ドロシー・ロー・ノルトの「子ども」って詩。
あれは切ない・・・
皮肉を浴びせられて育った子どもは鈍感になることを覚える。その通り。
私も一度でいいから親に抱きしめられてみたかったなあ。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 01:12:36
とうちゃん死んじゃったから
母子家庭
親戚からはかあちゃんの再婚を勧められてたが断り続けた
かあちゃん、ありがとう。
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 03:02:27
都内23区内在住一家6人で1DKのアパート住まいでした。子供4人もいると当時は
なかなか貸してくれるところがなく、仕事の関係で郊外には転居もできなかったんで
押入れをベッドといって喜んでました。まあ学校も全員大学までいかしてもらえたから
今となっては良い思い出です。でも友達呼ぶのは嫌だったな。(部屋ココだけ?って聞かれるから)
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 03:46:16
俺の友達も、四畳半風呂なし共同炊事場、共同便所の
うぐいす張り木造アパートに6人で住んでた。
遊びに行くと、みんな肉団子みたいになって遊んだ。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 03:52:42
どうしようもないわ、子供の躾とか色々、他に類を見ないね。
小銭があるとダメだわ・・・orz
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 03:58:14
じゃー小銭は俺が貰った。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 09:36:31
公立中学の入学時、母親に、三年後に県立のA高校合格したら、「天体望遠鏡を買って欲しい」
と言ったら、嬉しそうに頷いてくれたが、同時に、「自分は秋の夕日が、つるべ落としのように
沈むように、お前よりも先に死ぬんだよね」と、何だかさびしいことを言っていた。
実際、母親は、漏れが中一の冬に、逝去した。祖父母もすでに逝去しており、父親は、再婚せず、
黙々と育ててくれたけど、母離れしていなかった漏れは、母親の溺愛の呪縛から抜け出すのに、長い年月を要した。
もちろん、母親を恨んではいない。
>>459 お陰さまで。
丈夫な身体を持てた事が何よりも幸せです。
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/26 11:57:11
それは良かった。
こちらも嬉しくなります。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/02 08:06:06
>>466
当時の親はどうしてセークスしてたんだろうと不思議に思う。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/02 20:47:13
当時の親はパワーがあったのでしょうね。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/03 02:24:23
夜は早かったからもしれませんね。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/04 22:54:22
狭い部屋で子供に気付かれずどうやってセークスしたのか未だ不思議だ。
476 :
せくしーきゃっと:05/03/04 23:10:54
たまーに子作りしてたの知ってるよ-(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/05 19:21:04
>>472 子供の頃、夜よく母が父に泣かされてると勘違いしておりました。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/05 19:25:41
30過ぎるまで子供が出来たらそんなことはしなくなる、とマジで思っていました。
40代のパートさんがエッチの話をしていて腰が抜ける程驚いた!!
だからってメンヘルじゃないですよ、28歳でケコーンするまで5〜6人カレシ居たし。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/05 19:31:54
ハイ 40代ですが 何か?
480 :
478:05/03/05 19:32:54
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/05 19:36:58
もう疲れたよ パトラッシュ・・
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/05 19:39:28
ビンボーの一言。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/08 15:58:04
みなさん、随分狭い家でお育ちになったんですね。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/08 22:49:36
>>483 東京ドーム何個分の家にお住まいでしたか。
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/10 14:18:14
東京ドームなんて、あんな小さな建物で比較を要求されても・・・。
上沼さん?
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/12 20:23:23
せめて淡路島を比較の対象にしてほすい。
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/12 21:02:07
やっぱり上沼だったかw
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/12 22:51:49
淡路島って四国?
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 02:19:04
小学生からやり直した方がいい。
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 08:26:20
>490
淡路島って四国にも近いが兵庫県だよ
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 08:40:12
異父兄弟、母子家庭シングルママンで祖母に育てられ
従姉にえげつないイジメを受けました
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 11:56:22
>>492 兵庫県だが、文化的には徳島圏だよ(とくに洲本あたり)。
島祭りでは阿波踊りやるし、言葉もほとんど徳島弁。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 14:39:46
ウチは泡踊りで駅弁だよ。滋賀の某所だけどね。
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/15 16:01:09
教育熱心な親だったけど、
人として大切な何かを教えられることはなかったと
自分が親になって気が付いた。
>>496 あなたは、親からちゃんと「人として大切な何か」を教えられてる、と言っている。
本当に大事なことは、今はあなたの番だと言うことだよ。
どうぞお子さんに厳しく、優しく、大事に。
ありがと。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/18 19:34:11
心貧しき家庭だったのですね。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/18 20:54:17
500get
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/21(月) 16:36:19
両親は共稼ぎの一人っ子。
今思えば、どこかの有名人と同じ家庭環境だった。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/21(月) 16:44:57
今思えば、どうしようもない稀な家庭だった。
真綿で絞め殺されたよ。
今もネット以外やる気が起こらん無職です。
ちょっと不良ぶってた高校生の頃、遊んでたツレの多くはマジで不良だった。
皆、例外なく家庭環境が悪いんだよね。
一人暮らしのツレのアパートに転がりこんできたそいつの母親と兄弟(ほんとの兄弟?)。
遊びに行くとリビングのコタツで皆、雑魚寝してる。挨拶どころか部屋に行くのにそこを通らなくちゃいけないのにどこうともしない。
あるツレは両親の離婚、再婚で高校中退、家を追い出された。
付き合ってた彼女は公務員の厳格な父親に男遊びの激しい母親、夫婦喧嘩が絶えなかった。不良やってても家庭環境がしっかりしてれば多くは社会人になったりすればちゃんとするんだよね。ほんとに無茶なことはやらなかったし。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/26(土) 19:02:45
どっちがいいんだろう、高校時代にある程度、やんちゃするのと、年取って、ある意味
定年が近くなってから、遅れてきた思春期が出てくるのと。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/26(土) 19:07:40
そりゃ高校時代だろ。
真面目に育った人が大人になってぐれると大変
(例・皇太子雅子夫妻)
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 19:39:40
悪い友人がいると感化されるのが思春期なのです。
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:昭和80/04/01(金) 01:58:12
中学とか高校のころ、カバンを縫いこんで細くするのが流行って、
私もやっていたら、母親が「不良になる!」とか言って、すごい
勢いでバリバリ破いて元の太いカバンに戻していたのが思い出される。
それくらいでは不良にならないよ・・・。
だからか大人になってから一時不良化して、ちょっと大変でした。
何でもするには時があるもので・・・。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:昭和80/04/01(金) 02:40:32
昭和80年ですか・・・。
あたしは優等生だったから厚み10センチ以上ある
かばんもってあるいてたよ、横から見たらバーキン。
そのかし親が不良化してた。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/05(火) 20:30:52
参考書やらを詰め込んで通学が大変だった想い出がある。
体重の10%を超える重さのかばんを持ち歩くと
成長に影響があるらしい。
中学生なら4キロ〜5` このくらいの重さのかばんもってたよね。
不良だったらもうちっと背が伸びたのかな?
母親がアパレル
父親がコスメ
両親とも洋楽が好きでカラフルな幼少時代を送ったら
10代半ばでカラフルを通り越して悪趣味!
40代半ばの今も更生不可能
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/24(日) 13:29:56
センス悪だけじゃないの?
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/28(木) 17:13:24
典型的な小ブルだったよ!
他人の保証人になって貧乏人の仲間入り!
ばんざーい
>>503 今のDQN厨房は他人に対しても自分に対しても加減を知らない。
時代は変わっている。
ま、そのDQN厨房が生きているのは、今の社会だし、その社会を構成している
一人一人が、彼らの親であり、偉そうな説教はほざくが、自分のこととなると
特別な存在になってしまう、年配者であり年長者。こどもは社会の鏡だとは、
よく言ったもんだと思う。
ところで、服装のセンスというのは、往々にして小さいころは、親のセンスに
感化されることが多いと思う。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/05(木) 11:15:31
age
制服フェチが多いのはその所為か・・・
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/07(土) 11:06:21
終戦直後の食糧難時代を経験していたせいか、宴会などで、余りものがあったら
いつも折り詰めにつめて持ち帰っていました。また、米の飯は、腹いっぱい食え
と、常々言ってました。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/12(木) 03:08:59
農家
なんで、そういう単純な発想しか出てこないの?
>>520
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/15(日) 11:36:51
>>522 小学校低学年のとき箱根の寮には、食べる分だけの米を持って行きましたが、
何か?
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/24(火) 01:18:49
両親と死別 姉は行方不明 自分の子供にも死なれた
40年間で12回も身内の葬式出したオレは葬式のエキスパートだと思う
葬儀プロデューサーやったら?
俺も転職コンサルタントできるくらい転職したよ
多分20回以上
(面接経験150社くらい)
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/28(土) 20:17:23
アル中親父、中学の頃からまともに仕事いってない、
お茶碗や湯のみがよく飛んでいました、、
他界してはや15年。
でも最近は親父の苦しみも理解出来るようになった、、
その親父を見捨てなかったオカンの偉大さには頭があがらんワ。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/28(土) 20:27:16
オカンは偉大なんじゃなくて
相互依存してるだけ。
オカンがいるかぎりおトンのアル中は治らないんだけどね。
(オカンも病気なんだよ)
おトンを殺したのはオカンだよ。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/28(土) 20:33:10
ほほう
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/29(日) 21:19:14
>527 んでお前の家は?
530 :
527:2005/05/29(日) 23:24:22
オカンはおトンを置いてさっさと家出したよ。
おトンはその後も酒浸りで65歳でアルコール性のボケになっちまったよ。
(どの道治んねーな、アル中はよw)
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/30(月) 21:22:19
因みにオヤジは癌で他界です
532 :
527:2005/05/31(火) 01:13:36
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/31(火) 19:58:21
かもネ、世の中狭いや(´・ω・`)
ふーん、リアル知人にこの話をしたこと無いから
モマイは2ちゃんでの知り合いだな。
世間は狭いやねw
昔の悪は大半が更正できた。でも今の香具師はムリ!
ほとんどが落ちるとこまで落ちてる。
それは資質の低い親が育てるから。
昔の親は学がなくても常識があったよ。
今の若親は学がなくて常識ないか学はあるけど常識もないかだ。
だから環境によって恐ろしい子が育つな。
青森の王子様の家なんて家族そろって
キチガイだもんなあ。
キチガイが育てればキチガイが育つ、道理だね。
電車に乗り込んできたどうしようもない親子の話し。
汚いガサツナ母親がキーキーと奇声を発する赤ん坊を
抱き、6年ぐらいの長男、3歳ぐらいの体にフィットし
てない大きな服を着た女の子、2歳ぐらいの顔が薄汚れた
男の子が電車に乗ってきた。
比較的空いていたのをいいことに3歳と2歳がキャーキャーと
声を出して走り出す。赤ん坊も負けまいと奇声を発する。
一瞬みんなは奴らを見た。そのうち静かになるだろうと我慢
してたがなんのなんの、よろけながらウヒャウヒャ言いながら
走りまわってる。馬鹿ハハ知らん顔。みんなまた母親を見たよ。
それでも気が付いてない。そして馬鹿ハハ「お前ら危ないでぇ!」
だとよ。「皆に迷惑だから走らないで静かにしなさい!」だろうが!!
てめえの汚いガキはドアにでも挟まればいいんだよ。
常識が全くずれた基地外ども。どんな家庭か想像ついたねあれは。
ほんとに恐ろしいよ。
もっと恐ろしいことにそいつら私と同じ駅で降りた〜〜
出て行け〜基地外!!
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/11(土) 06:25:03
両親健在だったが、心を通わせたっていう記憶はあまり
残っていないなぁ。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/16(木) 09:25:10
両親共稼ぎ、自分の住む町立小学校の教師だったこともあり、小学校の
運動会では両親と一緒に昼食を食べることがなかった。別に寂しさは
なかったけど。親父は、公共企業体職員で、毎朝日の出とともに出勤
していたせいか、休日は、一日中、寝ていることが多かった。
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/16(木) 09:59:37
もー引越しの連続だったよ
しかも転勤族と結婚したよ
もう引っ越し嫌だと思っても土地に馴染んで
順調にまわってくると物足りなくなってきて
「新天地にいってみたい・・・」という変な感情が湧いてくる
前世はジプシーか???
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/16(木) 13:58:18
すごく厳しい家庭だった。
門限もあったし、外泊なんてもっての外。
学校さぼって男の子と遊んでたのがばれた時は、その子の親に電話して文句は言うわ
お前は頭がおかしいって言われて、マジで危うく精神病院に連れて行かれそうになった。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/16(木) 21:22:39
あんたが男にだらしない娘なのが親としてわかるから
あえて厳しくしてたのじゃないのか?
だってすごく厳しく躾けられてても学校さぼって男の子と
遊びに行ったりしてたんだろ?
休み日に遊びいく子はいても わざわざ平日学校サボって
男と遊ぶ子なんて当時は相当の遊び人じゃないの?(今だって相当だ)
これで門限外泊OKの家でだったら
売春くらいへーきでららかしそうだよな、あんたの親の気持ちがわかるわw
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/17(金) 00:03:32
確かに親が厳しすぎると反発したくもなるわなぁ。。。
>>542 学校サボって遊んだぐらいで相当の遊び人とは、言いすぎだろ。
そんなの俺らの周りにもけっこういたぜ。
まあ褒められたもんじゃないがなw
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/17(金) 00:06:21
百姓万歳
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/17(金) 00:14:59
学校サボって男と遊び行くってのが相当だと思うのだけどな。
ましてしつけが厳しいんのだろ?
厳しくしなかったらすごいことになってるのじゃないのか?
厳しいからこの程度ですんだのではないのか?
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/17(金) 00:16:11
ha
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/17(金) 00:34:32
そうか、相当なのか。
まあ人それぞれ感じ方は違うからな。
別に法に触れてるわけじゃないし、それくらいの事って思ったのだが。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/17(金) 17:55:45
そこまでして男と遊びたいかなあ?
別にいい子じゃなかったけど、
学校サボたり嘘ついたりしてまで男の子と遊びたいとは思わなかったよ。
旅行以外で外泊とかするようになったのは大学に行ってからだし。
うちは門限なかったし別に厳しい家じゃなかったけどね。
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/17(金) 18:04:48
姉妹だけだったせいか、門限とか危険なこと(運転免許とか)厳しかった。
今みたいに携帯もないし、男の子からかかってくる電話、ことごとくつないで
もらえなかった。
そんな父も母もういない。
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/18(土) 14:54:16
今みたいに、学校が週休二日ではなかった(当然)。日曜日に
習い事があって、それが苦痛で苦痛で仕方なかった。
551 :
◆jgjjZMEmQ. :2005/06/20(月) 13:25:25
6畳一間のアパートに親子4人暮らしでした。
物心ついてからと言うものは、両親の喧嘩ばかり見てきました。
原因は、オヤジの浮気だった、まだ小学生だった俺も弟も汚い
大人の世界を嫌が上にもみさされてきました。
結局、母親も男をつくり、出ていったのです・・・
そのオヤジも母親も数年前に他界しましたが、今になっては
そんな両親のことも理解できるようになりました。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/26(日) 05:36:11
両親殺した一人息子、両親に不満有ったなら
きちんとグレるか、家飛び出して一人で生きて
いこうとしなかったのか・・・残念だ。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/02(土) 21:26:41
ダメ男の不満のはけ口になって、うっ屈した人生を送るよりは、
アイデンティティを保ち、きちんと前に進んだ点を評価する。
立ちふさがるものは排除するか乗り越えないと。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/12(火) 08:01:30
やだな
555 :
555:2005/07/12(火) 21:16:39
うひょ
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/14(木) 01:45:26
無意識のうちに、親戚の人たちから影響を受けてた。
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/20(水) 18:44:12
貧しくても、大人がけんかしていても、
それでも、何だかニコニコ笑っていれたな。
そんな時代だったと思う。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/30(土) 19:49:29
>>557 世間が、今みたいにストレスでいっぱいじゃなかったよね。
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/12(金) 14:04:05
田園地帯だったものだから、親も昼飯のときと、夕方に帰ってくれば
夏休み中は、ほったらかし状態。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/15(月) 17:33:32
皆さんの、焼酎高校生の頃の、夏休みの生活を教えてください。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/15(月) 17:40:39
夏休みと言えば プール→昼寝→プール→昼寝
31日だけ宿題
小→ラジオ体操
中→部活
高→喫茶店
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/22(月) 21:24:59
>>561 漏れは、8月31日は、確かに頭が痛かったが、9月の第一週までは、
宿題の余裕を織り込んでマスタ。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/28(日) 18:30:54
ふと思い出したんだが、中一のときから、父子家庭でした。
565 :
sage:2005/08/28(日) 21:18:53
過干渉な割に、粗雑に育てられた。
しまった
久しぶりに書き込んだら
間違ってしまった。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/04(日) 18:56:11
焼酎と、何も考えずに、遊びまわってたなぁ(だから、今のこんな生活が
あるわけなんだろうが)。
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/04(日) 21:54:00
親が離婚したこともあって居心地の悪い家庭だったな・・・
今でも子供の頃はあまり思い出したくない。
子供の頃けっこう勉強はできた(特に算数はブッチギリ)。
でも親(母子家庭)は、私がいくらテストでいい点をとっても
ぜったいにほめたり喜んだりしなかったなあ。
「女が勉強できてもしょうがないっ!!」
「なまじ女が理数系なんぞできると生意気になってしかたないっ!!」
てなことを何十万回、何千万回言われたことか。
欲求不満な人間は自分の子の成功さえ喜べないものだと
あとになって何かの本で読んで知った・・・。
570 :
ななし:2005/09/04(日) 22:18:56
↑同じ40代でも後半(均等法以前の世代)の人だと、まだ男尊女卑が強かった世代だしねえ。
社会と親の両方からのシバりがあったわけだ。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/12(月) 20:16:35
あげ
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/20(火) 17:19:30
世の中に寛容さや、遊びの空間がなくなってしまって、
今の子ども達は、気の毒な気がする。漏れたちの子どもの頃
以上に、決められた線路を走らざるを得ないんじゃないのかな?
そもそもゴチャゴチャいろんな色を使った教科書がガン。
あれでは重要な部分に集中できないし、読んでいて疲れるだけ。
昔のように黒インクで文字が印刷してあるだけの教科書に戻すべき。
重要な箇所は自分で赤や青でチェックすればよい。
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/29(木) 08:09:53
本当に、今の子供たちは忙しすぎると思うよ。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/30(金) 15:48:20
家庭環境は裕福でしたが
学校環境は最悪でした
そして、職場環境も最悪
家が一番落ち着く場所だよ
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/01(土) 12:43:12
ストレートな愛情というものを一切感じさせない家庭でした。
夫婦間でも親子間でも。
子供の私たちも愛情表現ができない大人になりました。
家庭環境というより遺伝かなw
>>573 多色刷りのクソ教科書はアメリカに押しつけられたんでしょう。
ゆとり教育なんてアメリカやイギリスがやって失敗した例があるにもかかわらず
何故日本が同じことをやるのかと思ってたけど、アメリカのご機嫌取りのために
ちょっとだけやって見せたと考えると、全て辻褄があう。
政治としての教育問題を議論したければ
他の適切なスレでされたし。
>>577
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/07(金) 21:01:47
親の愛情って、いったい何なんだろう?
この年になって振り返っても、なんだか重荷でしかないような気もする。
親の愛情とは「無償の愛」ではないでしょうか?
子供に時間と愛情をかける、そして見返りは求めずに独立してもらうことを願う
世の中には自分の子供に保険金を掛けて殺す人間もいます・・・これは自分さえ良ければ
という考えの究極ですね。
子供に掛けられる時間 お金 愛情は家庭によって違うでしょうが「見返りは求めない」
これが基本のような気がします。
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/08(土) 14:02:38
家継ぎの長女の私が、嫁に行くとき、母親に「裏切り者」と言われた。
一生この言葉は忘れられない。
親自身がどんな親や庇護者の元で育ったかが重要なカギ。
>>581
それはムゴイ言葉を掛けられたね・・婿を取って老後の面倒を見させるつもり
だったんじゃないの?嫁に行って大正解だと思うよ、ある程度距離を置いたほうが
良いタイプの人種だ。
オレは騙されて家業を継いだら親の年金稼ぎをやらされて、40前にもういい加減に自分の
家族と子供の為に働きたいから会社の金を搾取するなと宣言したら「出て行け」と言われたよ。
子供を自分の為に利用する親は親の資格なし!
今の世の中資産が3億以上あれば婿取り 会社の跡取りも言っても可笑しくないだろ
貧乏人が婿取れとか貧乏会社のアトを継げとか子供を利用しているとしか思えない。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/09(日) 00:09:52
親になってわかる事だけど、子供には手もかかるし、お金もかかる。
「見返りを求めない」けど、割り切れない事もあるんじゃない?
>>585 そこを割り切って愛情を注いで「見返りを求めない!」子供をあてにすると自分の
人生にも隙が出来そうでいやだ。
自分は自分の人生 子供は子供の人生 愛情は注ぐが独立心も育てていずれは
別れることは覚悟しる・・。
何も覚えていない…。
最近母親から聞いた話だとどうもババアが私を虐待していたらしい。
苦し過ぎて記憶が飛んだんだろうなぁ。
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/11(火) 17:16:10
そうかあ。私はしっかり自立してくれたら、それでいい。
自分の勝手で生んだ生命だから、貸し借りなしだけどなあ。
>>587さん、大変だたんだね。
でもどうして、お母上も話そうという気になったんだろう。
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/11(火) 17:23:42
酔っ払った父が赤ちゃんだった私の頭に大きな石を落とそうとした、と
父親っ子の私に笑いながら話した教員だった母。
子供なんか大嫌い!生まなきゃ良かった、と何度も言っていた母。
現在どうして疎遠なのか自分では解らないらしい・・・
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/11(火) 18:11:21
>>589 お母様は、嫉妬したのでしょう。
あなたの大好きなお父様は、こんなにどうしようもない面も、
あったのよ、と伝えたいだけで。
それに、子供が嫌いと言いながら、その実は、
自分ばかり大変な思いしていると、訴えたかったのでは?
吐き出した言葉と、真意が違うから当人に自覚がない。
友人と状況が似てる。
591 :
589:2005/10/11(火) 18:17:56
592 :
587:2005/10/11(火) 22:47:54
母親が入院して一か月以上家に居ない状態になって
会社から帰って祖母と二人っきりになると怖くてどうしようもなくて
逃げ出したくなるのは何故だろうと思って母親に聞いたら教えてくれた。
それまでは母がクッションになっていて気付かなかったのかな…
母は自分が病気で苦しかったから、判断力が鈍ってウッカリ話しちゃったみたい。
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/13(木) 23:53:34
>>592 それはショックでしたね。
でも、いいお母様ですね。
あなたも、とってもやさしい人だ。
いい親子関係がしのばれて、羨ましく思いました。
594 :
592:2005/10/14(金) 19:18:20
593さん
ありがとう。
なんか少し気持ちが落ち着きました。
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/14(金) 21:39:33
594さん、アダルトチルドレンのスレに行ってみてください、あなたはアダルトチルドレンです、たくさん仲間がいますよ
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/14(金) 22:03:34
>>589 読んで息がつまった。
自分が高校の時に家を出た理由を悟ったのは30過ぎてからだった。
誰のせいにするつもりもないしことさら不幸とも思ってはいないが
親とは接点無し。世の中は無感動。
自分を大切にするって事をきちんと考えないと早死にしそうだ(笑
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/14(金) 23:54:51
>>596 なんか読んでて、涙出そうになった。
体を大事にしてくれよ。
595さん
何の事だかわからずに行ってみましたがビックリしました。
私はまさにコレですね…
有り難うございます。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/15(土) 09:16:52
私はそこの住人です、若い人が多いので是非引っ越してきてね、一緒にがんばりましょう
オレも30過ぎてから解ったのだが・・・オレの母親はウツ病かヒステリーの
精神病だな・・感情の起伏が以上に激しく自分の思い通りに行かないと切れる
また定期的にヒステリーを起こして当り散らす。
自己を非常に愛していて周りは利用する物としか思っていない・・・。
また自分が非常に優れた人間だと思い子供のころの自慢話ばかりする。
つまり感情的な人間でオノレも世間も解っていない人間です。
最近は直ってくれとは思っていないのでなるべく関わり合いを持たないようにしています。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/15(土) 18:32:01
>>600 大変だね。
私は女の立場だけれど、周期で感情が高ぶるのは、ままあるよ。
生理をはさんで、その前後にホルモンのせいか攻撃的になる。
いい歳の大人が昔語りするのは、呆けでもない場合には、過去しか
誇るものがない、認めてもらえない人によくある言動だよ。
自分の過去なんて、親兄弟か幼馴染しか知らないから美化しやすい。
でも、
>>600さんは、愚痴るでもなく客観視出来ていて偉いね。
>>601 オレは♂なのでホルモンバランスで攻撃的になるのは解らないがそれを我慢したり
抑えるのが人間なのでは?感情や本能のままに行動してたら社会が成り立たないんでは?
確かに女性は付き合いだすと感情の起伏が激しい人が多くて驚いたことがある・・。
本能的にそのような人は母親だけで十分だと思っていて、奥さんは安定した性格の人
にしました・・・自分は女性と付き合ってヒステリー状態を見ると恐ろしくなって
二度と会いたくなくなるってことが多々ありました。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/16(日) 11:56:04
>>600 私の母親も似たようなタイプでした。50を過ぎてから更年期で更に激化。
私たち子供が小さかった頃から、いつも自分の子供時代の自慢しかしない、
自分と子供を比べて優越感を感じる(この異常さに気づいたのは本当に最近)、
子供が体調を崩したり困っていると、「私はそんな病気になったことはない」と咎める。
なので、ずっと自分が悪いんだと思ってました。
父親も幼稚な人で、食事中は常に母親と大声で人格否定の怒鳴り合い。
両親が罵り合う中で食事するのに慣れてた。
ストレートな愛情を受けた経験がないせいか、人から愛情を持たれることに
違和感があって、重くて怖くなる。
男性と付き合って深く継続的な関係になると、落ち着かなくなってあわてて別れを切り出してしまう。
姉も私も、いまだに独身です。
ちゃんと幸せを見つけられた
>>602さんがうらやましい。
今は父は亡くなり、母は精神科に通っています。いつまで母の面倒を見させられるのか、
考えると自分の未来が真っ暗に見えてくるので考えないようにしてます。
604 :
602:2005/10/16(日) 23:25:28
>>603 オレの父親もヒステリーの母親と年中ケンカばかりしていました・・子供の頃は
両親の罵り合いやバイオレンスが一番つらかった記憶があります。
やはり鬱病やボーダーはそれを許してくれる一本ねじが飛んだ位の優しい配偶者を
見つけるか、似たもの同士がくっつくことが多いようですネ
現在は過去の自分が育った家庭を反面教師にして子供と接しています
つまり夫婦仲良く、子供の前ではケンカはしない、ケンカになりそうなことは子供が
寝てから話し合うようにしています。
その他うちの中はゴミ貯めにしないで小奇麗にする 子供が低学年の時は親の通知表だと
思い教育放棄はしない など自分が育った環境と反対にしています。
>>お母さんは公的な施設に入れてはどうでしょう
市役所で相談されてみては?保護は受けれませんか?
603さんはご自身の幸福だけを考えられたらよいと思います
そのことで自分を責める必要はありません
603さんの人生は603さんのものであって
お母さんのために存在しているのではありません
生んで育てて貰った…は自分が勝手に生んだのだから育てて当たり前でしょ
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/18(火) 20:54:17
家は、勉強が出来て当たり前の家庭だった。
勉強さえ出来ていれば、他は何でも許されるという雰囲気。
実際は雰囲気だけなんだけどさ。
勉強しろとは、口に出して言われはしないが無言の圧力は凄かった。
父親はマーチ出身で、出身大学コンプレックスが酷かった。
だから父親の出身大学名は家庭内では禁句。
俺ら兄弟は、物心ついた頃から進路は勝手に決められていた。
母親は、夫の意志を受け入れる体裁を取ってはいたが、俺ら兄弟の
友人を、成績や進路や家庭環境で差別していた。
人間への評価がそれだけってのはないだろう。
まあ、友人は気付かなかったから幸いだが、俺らにはよく分かった。
確かに育てるには学費その他、お金も手間もかかるだろう。
でも、親に愛情を感じないのは俺のせいか?
小さい頃、赤軍派の犯罪行為がテレビに映しだされていたが、
それをみて、親父は喜んで言っていた。
要は、いい大学へ俺らが行ったなら、親父はそういう犯罪を犯しても、
看過するだろうということだ。
兄弟でショックを受けたよ。
そうですか・・・心が腐っても犯罪者になっても、1流大学へ行きさえ
するのなら、いいんですか。
勉強は必死でやった、出来なけれ居場所がない家庭だから。
そして、大学で親元離れて以来、ほとんど帰省していない。
顔を合わせると、恩着せがましいことしか言わないから。
あんまり恩着せがましいから、奨学金の返還だと思って、
お金を送っている。貸し借りなしにしたいから。
俺や兄弟も結婚して子供がいるが、子育てにも口を出す。
自分達が子育て成功者だと思っているから、呼ばれもしないのに、
やって来て、うんちくをたれる。
嫁さんが大変そうだから、最近は来るといえば、予定がある振りして、
俺が断っている。
でもさ、親に愛情を持てない子育てで失敗しているのにな。
でも実際これから、親が病気したりして介護なんか出来るか疑問だ。
傍にいると、憎しみが湧き出してしまいそうだ。
愚痴って、すまん。
>>606 それでいい大学出たおかげで良い所に就職できて高い給料を貰っているんだろ?
もしリストラに有っていても社会に出て大きなチャンスは高卒に比べて有ったはずだ。
経済的余裕がないから高校までで勘弁してくれって親も結構いるよ・・・。
親はまず健康な身体で社会に出すことを考える、その次は教育だ・・ビートたけしの
お母さんはこの前90歳くらいで亡くなったがやく60年前に「貧乏からの脱却はまず教育からだ」
とたけし達を必死で勉強させたそうだ・・・。
オレは606さんの親がうらやましい・・うちの親よりよっぽど立派で賢い。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/18(火) 23:01:04
一概には言えまいよ。
武の母ちゃんのまず教育というのは理解できるが
一方無学な人間にありがちな近視眼で息子たちには工学部に行く選択肢しか与えなかった。
武のニイチャンは英語を勉強したかったのに。
武も海洋学とか勉強したかったのに。
ふたりともそこそこ成功したからよかったようなものの
そんな親は嫌だな。
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/20(木) 01:07:13
>>607 レスありがとう。
>>606です。
少し考えるきっかけに、なりそうです。
子供時代、よく親に斧を持って追いかけられる夢を見たものです。
兄弟は小中高と、円形脱毛症に悩まされていました。
それらも、親元から離れるとなくなりました。
昔のことに減点法で拘らず、プラス面を考えることもしなくてはと
思いました。
ありがとう。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/20(木) 02:48:09
みんな、大変そうなので、平凡に育った私は恥ずかしくなりました・・・・。
バブルの頃だけはおいしい思いをしました。
611 :
589:2005/10/20(木) 02:49:34
>>606 私のことを書いているのかと錯覚したぁ〜・・・・
勉学&習い事至上主義・・・
クラスで一番は当たり前。
父(これも教員)は「一度でいいから倒れるまで勉強してみろ!」が口癖。
学校から帰ったら即、習い事の練習→自室で勉強、晩ご飯も自室へ運ばれましたぁ〜・・
家事の手伝いなんて言語道断!!そんなことをする位なら勉強!!
家族団欒はお盆やお正月を含めても年に10回くらいだったかなぁ〜・・・・
それなのに家族愛??だけは強くて、
あたしに友達が出来ると母も父も激しく嫉妬して罵詈雑言・・・
大学に入って家から逃げ出すことだけが望みでした。
それが叶ってから30代前半位まではその残像に悩まされましたけど、
そこから解脱wしてからは幸せ〜♪
子供があまり好きではないのは、子供時代を思い出したくナイからなのは承知。
それ故子供を持つことが出来なかったのは、不幸なことではありますが、
今生きているだけでもマシかなぁ〜♪♪
楽しいことたくさん探して、
その幸せの何分の一かでも社会に還元できたらカクイイ〜!?w
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/20(木) 13:05:29
母親を死なせてしまった12歳野球少年のニュースが辛いです。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/20(木) 13:34:58
殴られて、張り手されて、耳を引っ張られて、手が痛いからと物で殴られて、
正座させられて、訳わからんことに突然キレラレテ土下座させられて、
夜中にたたき起こされて殴られて、柱に縛られて、石垣から突き落とされて、
それでも「殴る俺の手のほうが痛い」と言われ、
「悪いことしたら、お父さんに言って殴ってもらうからね」と脅され。
醜い、醜いと言われ続け、顔を見るたびに「なぜこんなに醜いの」
「まだ男だったらマシだったのに」・・・と泣かれて育った。
外では、優等生でお嬢様然としていた。
進学先も就職先も全て決められた。
自分の希望を通そうとすると殴り倒された。
今では厨房の親をしております。
虐待のニュースを、我が子はスルーしています。
「あなたは知らないけど、ああいう家庭もあるのよ」と言うと、
実感がわかずポカ〜ンとしている我が子・・・・・。
私は・・・・自分を誉めてやっていいのだろうか・・・・・。
>>613 すごい、エライですね・・・
乗り越えられる人とできない人の差ってなんなんだろう?
うちはたいした虐待でもなかったとは思うのだけれども、
自分は虐待しそうなので子供はつくりませんでした。
私は子供の頃から親の顔色ばかり伺ってて、今でもあらゆる他人の
顔色をうかがってしまい、自己主張がまったくできないので
小さい子供がワガママを言うのを見ると、それが普通なのだと
頭では理解していても、怒りが湧いてしまう。
自分にはできない、やったことのない行為を何のためらいもなく行使する
人間(子供なのに)への激しい憎しみ・・・嫉妬みたいなものですかね。
さすがに他人様の子供には激しい怒りとまではいきませんが
なぜか自分の子供には憎しみをぶつける確信がありました。
友人達は、案ずるより産むが易しとか、自分の子供はかわいいはずとか
言いましたが、そんな恐ろしい賭けはできなかった。
615 :
607:2005/10/21(金) 19:55:13
>>609 過去に厳しくあなたのことを躾けた親が、現在もあなたの収入などを当てにしているなら
「あなたのことを利用するために育てた」と考えていいでしょう。
しかしそんなことはなく精神的も経済的も独立した親なら愛情が少々歪んでいたか
表現が下手だったんではないでしょうか?
皆さんは、親との葛藤みたいなものを、どれくらいで経験されたのですか?
幸か不幸か、漏れの場合、両親が逝去した後に、気が付きました。それで
足元がグラグラしているような状態。
>>616 死なれると気持ちの持って行き場がなくなりますよね。
ずっと長い間自分を誤魔化して押さえていたものがプッツンときれて
やっとここから回復に向かうことができるようになったんじゃないですか?
このスレでもいいし、毒になる親スレ、アダルトチルドレンのスレ
などで吐露して行けばよいと思います その次の段階は
それぞれのスレでプロ級の方に質問すればよいかと。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/23(日) 19:36:06
>>617 レスありがとうです。
確かに指摘の通り、長い間自分が「なく」親の敷いたレールの上を
時刻表どおりに走っていた。でも、何となく重圧を感じて「電車」を
降りてみたら(その後に、親と関係のない自分なりの様々な経験を
しましたが)、進むべき線路がなく、それを構築するだけの資料も
なかった。親の存命中は、面と向かって感情をぶつけ合ったこともなく、
心が通い合ったという経験もありませんでした。指摘して頂いた
ように、ここから回復に向かうのでしょうね。でも、随分と回り道
したなぁ、と思います。ある本で、自分の人格を形成するのにかかった
年数と同じくらいの年数をかけないと、修正というか治していけない
っていうのがありましたけど、そのとおりかなぁなどと思っています。
親身な指摘、ありがとうございました。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/25(火) 19:47:17
レス重くして須磨祖
今の若い人を羨ましく思います。私たちの時はパソコンなんて
誰も持ってなかったし携帯もなかったから本屋に行って
数少ない中から自分がどうしてこんな基地外になってしまったのか
なんていう精神病なんだろうと必死で探しました
アダルトチルドレンなんて言葉はそのころは誰も知らなかったし
育った家庭が機能不全で自分がこんなに苦しんでいるなんて
そんな現実にたどりつく資料は見つからなかった。
今の人はネットでググって何でも調べることができる
カンセリングとか精神科とか結構気軽に行ってるみたい
私たちの時は精神科に行くなんてちょっとできませんでしたよね
40数年たって今やっと回復へのスタートがきれたということです
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/26(水) 15:41:53
そうだね
でもそういう時代に間に合って良かったと思ってるよ〜
二世代前だったら想像すらできないまま死んでたもんね
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/26(水) 15:57:23
父親は仕事的には成功した人だけど,とにかく家族はすべて
自分のために動くことを強いた人。母親をよく殴っていた。
母親はすべてを耐えて人のために生きているような人生。
私がまっとうな生き方をしているのは母の愛のおかげだと思う。
私は父親とはちがう価値の人生を送ろうとしたけど,結局
父親は自分の価値でしか見ないから,それから逃れることはできない。
それが影響していないはずはなく
3年前にこの歳になって,一流と言われる大学の院に入学した。
私は父に勝ったと思い,父は「親孝行した」と喜んだ。
その後,父は認知症が進み,ほとんど寝たきりの生活をしている。
どこまで母を苦しめたら気がすむんだ。
心底 早く死んでほしい。
きっと母もそう思っていると思う。
すべてが終わったら,ゆっくり温泉に行こうねと言っている。
夫が,そんなこと言ってたら長生きするぞって言うのでここで言わせて
心底 早く死んでほしい。
>>621 そっかぁ〜
そう考えると少しは気が楽になりますね
ポジティブなんだな〜見習わないと。
遅すぎた遅すぎたとネガティブ思考のかたまりでした
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/28(金) 23:56:16
確かにそうですね。
>>623・621
ちなみに、皆さんは、いくつくらいで親離れというか、親と和解しました?
和解する必要がない、する気もない。
何のために?メリットがあるのかな?
葬式に出るつもりもないし会うつもりもない。
物理的に親離れできたのは普通に20代前半でしたが、
自分の中で整理がついたのは死んでしばらくしてからですね。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/31(月) 18:42:51
いい子を演じ続けてん十年、大学入学直後に金属疲労が見え始め、
就職した後に、プチンと切れて、現在に至ってます。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/31(月) 21:04:56
んな、いつまでモラトリアムしてんの・・・w
>>627 インナーチャイルドの癒しってご存じですか?
私もまだなかなかうまく出来ないのですが少しずつ楽になってきています
まだこれから何十年も生きていかなければいけないんですもんね、お互いがんばりましょう
>>629 インナーチャイルドですか?
知りませんでした。調べてみたいと思います。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/04(金) 23:05:55
保守
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/04(金) 23:14:01
ありがと
おーい、みんなぁ。いるのか?
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/04(金) 23:55:10
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/05(土) 01:21:56
わたしも
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 09:41:30
人少な杉
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 09:54:01
おはようございます。
児童虐待、性的虐待、もし自分や周りの人がやってたらマジでやめてください。
その子から離れてください。
被害児だった自分は、いまだにカウンセリング・投薬から離れられませんから。
育児版見てみて。吐き気がするよ。
何回か通報したけど無理だよ
子供をかわいがれみたいな書き込みしたら
思いっきりやられましたから私…
なんでこうなってるんだろ 産むなよ!!
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 11:57:42
まずは、自分自身の生活優先の時代だかんね。
可愛がるの意味もわかんないんだとおもうよ。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 11:59:14
せめて、我が子には絶対、そんな思いをさせたくないと努力し続ける
>>641 ですよね、自分が親になるとますます親が許せない。
努力のかけらもない親でしたから。
私はこんなに悩んで努力して子供を育てているのに
あの二人はまるで犬か猫を飼っているかのようでした
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 14:07:44
>>639 なんだそりゃ・・・
そんな奴らは自分の子供にどんどん殺されればいいんだよ
しかし親を殺させられる子供は不幸すぎる
親を殺しても子供の傷は深くなるだけだし
やっぱりアメリカ程度には親をどんどん罰していく刑法が必要じゃないかな
上の続き。
犬や猫だって、ただ餌を与えておけばいいわけじゃないですよね
小さいときに人間に虐待された猫を飼ったことがありますが
最後までだっこを嫌いました いつも一人でいました
兄夫婦は両親と同居で子供が生まれ、弟夫婦には子供が出来ない。
つまり私ですが産めない体なんです。夫が甥を可愛がる姿が辛い。
私一人が蚊帳の外みたい。つぶれそうです。心の克服方法を教えて。
失礼ですが旦那、ひどいですね。
兄夫婦の近くに住まなければいけないのですか?
それならば旦那に645さんの気持ちをもっと伝えては?
悪気はなくても傷つけられているってこと。
あまりわかってないような気がする。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 15:05:51
>>645 マジレスすると、カウンセリングを受けましょう。
辛さの原因の認識が捩れてきています。
このスレに来たということは、子供が産めない悩みだけじゃなくて、
ご自分の育った家庭環境に問題があったと感じてるんですよね。
おじさん(=あなたのご主人)に可愛がってもらえる甥っ子は幸せですね。
きっとおばさん(=あなた)のことも好きなんじゃないかな?
646さんありがとうございます。同情してほしいわけでわないのですが
キュンときました。自営業なので夫は実家が職場です。私はよそに
勤めています。夫が一ヶ月に7日ほど出張に行くのですが、寂しいけど
心は平穏なんです。
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 15:23:38
小2の頃、父が事故が原因で入院していたので
母と弟は病院に寝泊まりしていた。
私は親戚に預けられたり一人で留守番することが多く、
退院してからも甘えられる状況はほとんどありませんでした。
母は朝起き会というカルトまがいの団体にどっぷりはまり、
成績を上げるために、私だけ無理矢理連れていかされたり、
日曜日はその団体が発行している冊子を訪問販売させられました。
なんか利用されるがままだったんだけど、就職を期に家を出てからも
たまにだけど親兄弟から連絡が来るときは、必ず「金貸して」という事だけ。
子供を作る余裕もなく私は仕事に専念してきたのに、子供が出来ないのは
夫のせいだと責められてから、実親には愛想も尽きてしまって、
かれこれ5年以上実家に帰ってない。
このままだと帰るときはどちらかの葬式かもしれないな。
647さんもありがとうございます。ドキリかもです。
夫は私に「俺と甥は血がつながってるから他人じゃない。」と
言ったことがあります。そうかもしれないけど私は深く傷つきました。
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 15:34:50
>>640 だったらなんで産むんだろうね?
いつも思うけど、愛する気もないなら産まなきゃいいじゃん。
避妊のしかた知らない動物じゃあるまいし。それとも動物以下か。
>>650 私の弟夫婦は40過ぎてるけど645さんと同じ理由で小梨です
でも弟は子供に執着してないよ 夫婦で共通の趣味に燃えています
毎週末二人で趣味に走っててある意味うらやましい。
645さんの旦那は ふっきれてないんだと思う
更に言うと自分が被害者になってて好きじゃないなぁ
わぁ〜
今日はすごい〜
>>647 今でもカウンセリングを受けていますか?
私も最近、意志にかかりましたが どこへ行っても
出てくるのが自分より年下で う〜ん、あんたに話してわかるかな?
って気分になり、睡眠薬を貰って帰ってきてしまいます
そんなことないですか?20代だったりするとちょっと…
カウンセリングは、若くても臨床心理士として勉強している人もいます。
私一度ふっきれたらカウンセリング受けてみます。夫は実家と兄夫婦が
私以上に大切なんだと思うところがあります。私と二人ならとても
うまくいくのに兄夫婦の話題になるといつも最後はしらけてしまいます。
夫の両親と兄は好きですが、兄嫁と甥は段々嫌いになっていく自分がいます。
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 18:31:06
>>654 精神科医のカウンセリングは人生相談じゃないから年齢は関係ないですよw
開業して長くやっているクリニックで院長の担当時間を選べば年配の確率が高いし
受診前にネットでいくらでも調べて行くと良いでしょう
ある程度は信頼できると感じられる医師を見つけることは大事ですね
ただ、アダルトチルドレンの特徴として、どうしても自分より大人に見える人に
依存したい気持ちが強くなってしまいがちです
医師のカウンセリングはあくまでも「自分を投影させる材料」と考えて、
「全部を相手に解決してもらう」のではなく
「相手の協力を得れば一緒に(主体的に)解決できる」と考えると、
カウンセリングを有効に利用できると思います
実体験より
夫とふたりなら仲良く年をとっていけると思う。
でも現実は甥の成長を中心とした人生。自信ない。
自分がみじめで嫌な人間になってく。
鏡をのぞくとゾッとする。
頑張って笑っても結局たどりつくのは同じ場所。
ありがとうございます
それそれ、信頼できる人にしか話したくない
ってとこがますます深みにはまるわけ
でも田舎なので選ぶほどいないんです
カウンセラーにいたっては、たった一人…なんです。
素人ですが、みんなアダルトチルドレンだと思います。
大人なら誰もが持ってる子供の部分を、自分でケアすること。
生意気ですみません。
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 20:40:55
アダルトチルドレンって子供のような大人ってことじゃない。
子供のときに無理して大人でいないとならないような状況が家庭にあり、
子供時代に子供でいられたなかったことで、正常な精神生活の成長が阻害され
大人になったときに、生きていきづらいと思う人のことを言うんでつ。
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 20:50:39
659頭おかしいの?
660さん、よく相手してあげたね。
大人なんだなぁ、えらい!
クリントン前米大統領が「アダルトチルドレン」であるとカミングアウトしたのは有名だが
彼の親はアル中だった。
飲んだくれて倒れている親を小さい頃から目の当たりにし
吐いたものを片付け、酔っ払って自分に向き合ってくれない親に何とか愛されようと
いい子でいようと努力した子供時代があったらしい。
多くのアダルトチルドレンは、成長してから何か生きて行くことが辛いと感じ始める。
「自分は愛されない人間である。それは自分に価値がないからだ。自分は無価値な役に立たない人間である」
多くのアダルトチルドレンの中心にあるのはこの感情ではないだろうか。
そのため、鬱になるアダルトチルドレンも多い。
パソコンあるんだから、知らない言葉に出会ったらぐぐってみるといい。
659さんは、多分親切心から上の意見を書いたのだろうが
正直いって、ピントがずれすぎているため、反感を持つ人もいるんじゃないかな。
663さん了解です。勉強します。
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 21:06:08
659はアダルトチルドレンのスレでも同じこと書いた人だよ
みんな呆れてスルーしたからお勉強できなかったのね
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 21:23:44
>>667 あなたには何を言っても無駄なようですね。
自分には理解できないことがあると認めて、口を出さないことをお勧めします。
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 21:25:31
たかが2ちゃんでマジにならなくても・・・orz
>>669 上に連綿と綴ってあるスレ読んでもそう思う?
頭が悪いだけではないんだね。
2chの短いスレだけでも君という人間がいかに低俗かよくわかるよ。
君にはもっとお似合いのスレがあるだろう?
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 21:30:39
スルーで行こうよ
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 21:31:26
とりあえず、子供を愛せない人間は子供を作るな
何の罪もない子供を恨む人間は何よりも最低
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 21:31:43
おまいもなw正義漢クン
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/08(火) 21:36:03
お前らレスアンカーぐらいつけろよ・・・
母は私がお腹にいる時、父の浮気で離婚しました。
私も原因は違うけど離婚しました。
母娘の人生は似るのでしょうか。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/09(水) 00:56:59
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/09(水) 11:36:10
>>675=
>>677だよね。
いや、荒らしでないならいいんだけど、
>>657を書いたあとに
>>659を書いたり、
>>667で
>
>>657 >早くふっきれ〜!人生一度きり!
って自分自身にレスしたり、今度は急に離婚したことになってたりするのは
どうしてなのかなと思って。
ID出なくても、専用ブラウザだとわかっちゃう仕組みになってるから・・・
再婚です。やっぱ今心乱れてます。しばらく見てるだけにします。
ありがとうございました。
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/10(木) 22:45:15
毒になる親のスレ見てて思うけど今ごろの子は忍耐力がないというか
逆にここの人は(昔は)よく耐えたなというか
家を出て自立する気もないのにいっちょまえにぐだぐだとあきれるよ
中には本当に可哀相な子もいるけどね
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/11(金) 21:11:04
四十代以上の世代は、高度経済成長をいいことに、仕事に逃げてた部分もあるんじゃないか?
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/11(金) 22:08:05
社会の風潮がそうだったね、奨励されていたというか・・・
家庭も外と同じく人間関係で成り立っているのにな。
家庭を持っているのに自分の生活が優先だと、やっぱりまずいよな。
俺らの世代で夫婦でパチンコにはまって子供を放置って、やっぱりいたのかな。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/11(金) 22:45:23
俺らの世代ってどっちとしての世代?親?放置される子供?
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/11(金) 23:39:48
放置される子供のほうじゃないかな?旦那の親が共働きしてて旦那は二つ上の
姉が面倒みてたらしい。旦那姉は今でも「幼稚園にいかせてもらえなかった」
事うらみがましく言う事があるよ。私らの世代は哺乳瓶保育がはやりだった
みたいだしね。
へー専用ブラウザだとIDでなくても判るのか。
なに使うとわかるの?
それ何時ごろからあるの?
ジサクジエンできなくてつまんないなあ。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/12(土) 13:18:41
やっぱり戦争の影響が大きいのでしょうか
舅はお酒を飲んだら必ず戦争の話してる
戦争のトラウマがあることはわかる
そしてそのストレスのはけ口が家族(私たち)
でもその世代はもうどんどんいなくなって
私たちの子供世代はカウンセリングに通って自分のケアができ
結局ここの世代が年間3万人自殺…ってことですか 悲しい
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/12(土) 13:40:35
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/12(土) 13:53:07
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/12(土) 13:58:25
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/12(土) 14:23:37
へ
な
そ
ジ
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/12(土) 14:47:09
689 ス・テ・キ!
>>686 あれだけの戦争をしたのだから、世代間連鎖ってしばらく続くと
思うなあ。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/14(月) 11:27:27
【家族から】トラウマで病気になってる人【虐待】
ここも痛いです…
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 10:13:15
高2の息子の保護者会に行きました
学年内で数十回の盗難がおきていて金額も相当なもの、私としてはそれが最大の関心。
しかしその件に関しては 疑心暗鬼で人間関係が悪くなりますからという理由で
学校は一切関知しませんときっぱり。5分かからなかった
その後、東大京大阪大国立医学部に130人合格目標の件について1時間半が費やされた
夫婦での参加が多く、ほとんどが盗難より自分の子の東大合格、で必死
自分の子が良い大学に行けばそれでよい、があまりにもあからさますぎた。
それで終わるならまだしも自分の子よりできる子を落とすことにエネルギーを使う。
うちもありもしない噂をたてられて徹底的に落とされた部類
そしてますます子供はエスカレート、陰湿ないじめ、盗難。
でも結局150人以上国立大合格。あ〜嫌だ嫌だ
早く卒業してくれ〜!!6年は長いなぁ…憂鬱。病んだ子供が続々国立に。
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 10:38:11
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 11:00:44
>>695 だから たとえば
>>606さんのように、こんな家庭環境で育てられた子供が
将来苦しまなくてはいけないのだよって言う話
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 11:14:18
695はいつもここでそんなレスつけるけど病んでるんだよ
カウンセリング受けて楽になりなよ ここにいるのは自分が育った
家庭環境のせいだと思ってるんでしょ、だったらそっちの方向に行かずに
ちゃんと治療して楽しく生きる方へ向けば?おもしろくないでしょ
あなたが粘着していちいち子供みたいにつっかかってくると
みんな書きたくなくなるし 大人になりなよ
だから、ス レ タ イ 読めないの?
こんな親持ったらウザイだろうなあ。
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 11:15:53
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 11:23:11
>>699 知り合いじゃないよ
でも、高学歴の人とか子供のいる人がくると必ず粘着して来るでしょ
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 11:23:24
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 11:38:01
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 11:50:32
>>702 同感、たまたま見てびびった
田原禿彦スレも怖いし
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 12:05:10
はい、基地外です
確かに薬飲んでます
ごめんなさい
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 14:20:28
女の人は主婦なんだろうけど
こんな時間に2ちゃんやってる40代男のほうが怖い
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 14:26:22
仕事しながら2ch出来るのは
管理職か自営
40過ぎてヒラ社員やってる方がヤバイでしょうw
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 14:46:04
管理職が2ちゃんね
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 14:50:44
まだぁ?早くかまって〜
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 14:55:20
肩書きはなんであれ
病むほど2ちゃんに没頭するのはヤバイ
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 14:57:52
おーいい、管理職ちゃ〜ん
うちの旦那は代取だよ〜
だから忙しくてかまってくれないの〜
早く来て〜
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/15(火) 15:07:19
来てくれないのか…
せっかくお友達になれたのに。
ま、このスレを荒らしてかまってほしい香具師らの家庭環境こそ、悲惨のきわみ
以外の何者でもないことは容易に推測できる。
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/21(月) 15:08:42
本当。
育った環境というより、その本人が現在作り出している家庭環境がね。
こんな奴の家庭に生まれた子供は本当に可哀想。
育った環境は世代を超えて引き継がれていく
回る因果の糸車ってね。
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/25(金) 20:45:38
保守
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/30(水) 19:30:21
皆さんは、親の影響を受けているなと思ったことはありますか?
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/30(水) 19:39:15
はい、良い所も悪い所も父親にソクーリです。
だから父とは真逆の人見つけて結婚しました。
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 22:21:23
女性は、やはり父親を基準に配偶者を決めるのですか?
基準というか、父が大酒のみで自己中心的なところが
すごく嫌でした。自然にそうじゃない人を求めてたのだと
思います。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 22:46:28
720さんとは正反対です。
一人娘のせいかファザコンだった私は、潜在的に父のような男性を求めていたようです。
結婚当初は父と全く違うタイプだと思っていた夫ですが、最近父によく似ていることに気づいた。
見た目は父とは異なりますが、性格や人生観など実に似ています。
父は亡くなりましたが、生きているときには夫と父は仲がよく、一緒にお酒を飲んだりしていました。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/10(土) 08:22:11
ほしゅ
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/12(月) 20:51:58
親の期待が大きいと、心に暗黙の負担がかかって、親のしいた線路どおりにいかないと
どうしたらいいのか、自分で考えられなくなる。
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/17(土) 20:28:45
年末になると、土間に臼と、杵を持ち出して、餅つきをしてました。
竈で噴かしたもち米から立ち上る湯気と、藁を敷いた上にのせられた臼。
そこでの持ちつきの様子を、板の間から眺めていました。
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/17(土) 21:19:22
一柳展也被告は可哀想だったな。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/17(土) 21:34:29
>>719 ある意味そうかもねえ。
父のクソまじめで何の面白みない人間が嫌で
そこそこ遊び心のある亭主選択したような・・・・・・
個人的に堅物な男は嫌いだな。
遊び知らない男は面白くない!
崩壊家庭でそだったからか
自分で家庭を作る気がおきないままこの年齢になった。
会社の後輩でやはり崩壊過程で育った子がいて
暖かい家庭を作ることに血道をあげていた。
人間色々だな、と思ったよ。
>>727 どちらにせよ、家庭環境の影響は大きいね。
>>727 わかる。
知り合いは小さい頃から親類宅をたらい回しにされて
10代で初婚、今バツ1で内縁の夫持ちだけど不倫二股中。
私は口論しかしない両親に育てられて、夫婦や家庭というものが怖い。
子供は欲しかったけど、もう無理だしね。
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/18(日) 00:09:51
昭和33年生まれ。6歳の時アップライトのヤマハのピアノを買ってもらい
自宅に先生がピアノを教えに来てた。もの心ついた時から
中学3年くらいまでお手伝いさんがいて親はいつも新車を2年ごとに購入。
夫婦は仲が悪くいつも別々に海外旅行。
中一の時100万くらいの振袖を買ってもらいピアノはグランドピアノに買い替え
大学はメッチャアホでお金のかかる短大。
卒業しても働かなくて親から小遣いをもらってた。
今思うと裕福だった。
私の子供にはしてやれないね。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/18(日) 00:12:38
>私の子供にはしてやれないね。
なんで?そんなに貧乏なの?
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/18(日) 00:19:52
ウンすごい貧乏。
自宅の22畳の居間にはグランドピアノがあって
2階のボクの部屋にはアップライトのピアノがありました。
ボクと妹は毎月それぞれ青森から東京まで新幹線で
ピアノとバイオリンの先生のところにレッスンにかよってました。
ボクが地元の高校卒業して慶応大学に入ると
23区内に一戸建てを借りてくれました。
そして翌年には音大の付属高校に入学した妹と同居しました。
子供だけの生活で家事にわずらわせられることなく
学業に専念できるようにと父が家政婦さんを雇ってくれました。
そんな金持ちの家に生まれてしまってごめんなさい。
パパママダイスキでーす。
内弟子がいっぱい居てトイレもラッシュの家庭で育ちました〜
風呂もラッシュでした。
一人暮らしは楽だったんだねぇ。早くすりゃ〜よかったよ。
日曜にこんな時間まで起きてても平気だし。
ではおやすみなさい。朝だけど…
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/18(日) 11:14:18
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/18(日) 11:18:52
>>735 文面のどこから大学生を感じ取ったの?
俺は落語家の師匠の家を連想したけど。
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/18(日) 13:47:12
>一人暮らしは楽だったんだねぇ。早くすりゃ〜よかったよ。
>日曜にこんな時間まで起きてても平気だし。
このあたりじゃない?
大学生に間違われてしまった!
伝統芸能じゃなくて伝統芸術なんだけど、会社員やりながらそっちもやっていて
伝統の方はやめれば時間に余裕が出来るし余所に住んで差し支えないって事でやめちゃった!
それで一人暮らし始めました。
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/20(火) 18:57:14
コミュニケーションの難しさですね。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/21(水) 00:05:58
40過ぎて初めて一人暮らし・・・過保護だったんだのう
結婚はしないのかのう
過保護とも思うけど過干渉かもね。
結婚は多分出来ないかも。
高校生の頃に初お見合い…!以来、勝手に話をどんどん進められたりしたのは数知れずで
付き合ってる人に親が勝手に会って、早く結婚しろと催促したなんて事も有り。
特殊な環境だから流石にマズイよなぁ〜と思いつつ、跡を継ぐ事は仕方がないと思い込んでいたもんで。
でもさ、私の人生なんだよね。私が決めなきゃ。
だからこの年で一人になってみたら天国だった!
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/21(水) 13:57:11
ほんと、大学生並みの頭の中だね
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/21(水) 13:58:11
大学生みたいって意味じゃなくて
20歳そこそこの、社会経験のないお子様だねという意味ね
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/23(金) 09:43:41
適当に書いてる話ばっかじゃん
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/23(金) 20:13:53
ま、少なくとも2ちゃんねらーみたいな、さびしい消防攻防時代
ではなかったな。
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/23(金) 20:15:47
大学行きたかったな
せめて短大
今からでもいこうよ。
私は自分の学歴コンプレックスを克服するために
大学受験するよ。
今の勤務先だと通学できないから転職も考えてるよ。
きっといけるよ。
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 19:55:29
自分の育った環境やら全然覚えてないからなぁ
今わかってる自分に関する話は周囲から聞いて想像で出来上がってる自分だし。
みんなはちゃんと覚えてるんだ?
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/29(木) 01:09:27
正直あまり覚えていない。
中学2年くらいからは覚えてるけど。
アタマ悪いと覚えていないらしいよw
土建業の家で生まれそだった。
よく資材置場の足場道具で遊んでた。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/30(金) 22:09:50
年末は家で餅つき、年始は2日に年賀のあいさつ。
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 14:00:43
学習塾も習い事も、一切なし、また、そんな環境もなく
周囲は田んぼと畑だらけだったので、一年中、遊びまわって
ました。
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 14:09:35
塾はさぼって揚句やめるわ
ピアノはセンセ来る頃になると押入れ隠れて
予備校は2日行って、後はパチ屋行ったり映画館で暇つぶしたり
お父さんお母さんごめんなさい。
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 14:15:17
>>753 漏れは、風邪を引いて高熱を出し、医者が往診に来ると、
お尻にペニシリン打たれるのがいやで、押入れどころか
便所に立て篭もりました(wwwww。
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 13:53:32
中一のときに母親が死に、以来父親は再婚しないで育ててくれたから
片親ってことになるんだろうな。父子家庭だったから、経済的な面での
世間体は感じなかったけど、世間の目って、何もしないくせに好奇心
だけは旺盛だから、親父は大変だったろうな。
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/18(水) 18:02:59
>>748 っちゅうか、楽しかったこと嫌だったこと、覚えていないか?
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/23(月) 17:31:52
保守
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/25(水) 17:51:48
とある新聞の「わたしとおかあさん」というコラムで、大学の助教授で、臨床心理士の人が、自分の家庭環境に
触れ、
> 私の母は、福岡生まれ福岡育ちの、エネルギーのかたまりのような人である。亡くなった父が気が弱く、
>人と衝突する度に会社を辞めていたため(転職回数約50回)、わが家の家計は安定せず、母のパート収入
>だけが命綱であった。
> 夫婦原価も日常茶飯事で、父が包丁を持って暴れたり、どちらかが家出をすることも珍しくなかった。
>慣れっこになった私は高校生の時、父が家出をした1ヶ月後に新聞の「尋ね人記事」で初めて父の不在を
>知ったほどであった。
と紹介していたが、凄まじい過程があったんだなぁと思った。同時に自分も(自分は毒だが)、
父親になったら科目で完璧にならなくてはならない、という気持ちが先立っていたので、
なんだかほっとしたような気もした。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/25(水) 17:57:27
40になった今でも実母実父が大嫌い・・・
(もちろん、お互いハードに不仲)
顔も見たくないんだけど、
こっちも自分の子どもの手前、盆と正月にはあいさつに行く。
どんなに苦痛か我が親は知っているのかな・・・
この先彼らも年をとり、ホームにでも入ることになるのか、
私が看ることになるのか・・・・?わからないけど、
出来ればぽっくり逝ってほしいと、心底思うよ
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/01(水) 18:57:31
親かぁ。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/01(水) 20:02:17
親が暴力振るう家庭の男はろくな男にならないね。
まだ母子家庭の方がマシ。
だからDVの夫を持つ妻は離婚するんだろうな。
でもそのほうがいいよ。
知り合いに父親が暴力をふるってた家庭の男がいるけど、ホント、人間のくずだわ。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/03(金) 16:33:52
まだ母子家庭の方がマシ
って母子家庭ってそんなにだめなのか?
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/06(月) 16:43:50
DVはなかったけど、親から無視される(というより、親の仕事の都合で、
接する時間が少ない)っていうのも、子どもにとっちゃ、さびしいものがある。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 21:07:45
両親健在かどうか、外見で、幸福度を決め付けるのは
おかしいと思う。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 21:11:33
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 21:13:38
はっきりいって金持ちってんですか
金の苦労は過去にも未来にもないでしょう
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 02:34:16
■サッカー日本代表選手の兄弟型■
【次男】
川口能活、楢崎正剛、下田崇、宮本恒靖、中沢佑二、田中誠、坪井慶介、
村井慎二、茂庭照幸、福西崇史、小笠原満男、本山雅志、阿部勇樹、中田浩二、
小野伸二、中田英寿、佐藤寿人(双子)、大黒将志、高原直泰
【三男以上】
加地亮、遠藤保仁、中村俊輔
【姉がいる長男】
都築龍太、駒野友一、稲本潤一、大久保嘉人、松井大輔、長谷部誠、柳沢敦
【弟か妹がいる長男】
三都主アレサンドロ、久保竜彦、巻誠一郎
【ひとりっ子】
ゼロ
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/19(日) 05:18:16
姉も弟も結婚しても子どもをつくろうとしなかった。
俺は結婚すらしたくないまま。
何でだろうねぇ。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/22(水) 19:54:16
当たり前の話だが、中間テスト・期末テストの一夜漬け、田舎の古いつくりの家
だったので、子供部屋があるはずもなく、家族が寝た後に、風通しのいい居間で
(冷暖房もなく)、コタツに足を突っ込んで、ハンテンを着て勉強したつもりに
なってました。
>>768さん、流れを中断させてしまって、すみません。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/26(日) 21:32:54
冷暖ナシか…そりゃ寒そうだね。
夜中に試験勉強しながら逃げ出そうとするネコを無理やりふんづかまえて
ドテラの中に入れて行火代わりにしてたらば、急に生暖かい感触と共にビショぬれになったっけ。
ネコはトイレを必死に我慢しとったわけだな。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/26(日) 23:39:42
政治家やスポーツ選手には一人っ子は少ないのかな?
やっぱり
昔はどこの家も玄関開けっ放しで下着姿でおばさんが洗濯してたり
子供達は勝手に他人の家に上がり込んで普通にご飯食べたりしてなかった?
近所の風呂屋にウルトラセブンの俳優が雑誌撮影で来て、当時小学生だったから嬉しくて一緒に風呂で遊んでもらった。
なんか、のんびりした空気の中で育った記憶が有る。
@古本屋の街。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/02(木) 20:15:07
煮炊きは練炭の炭坑住宅。コンクリート瓦にコールタールで防湿処理されただけの外壁。
炭塵にまみれた煤けたような炭坑の街並み。兵隊上がりの父親は、戦争で全てを失い、
家では荒れた。何も与えられなかった。級友の自転車が羨ましかった。しかし、貧乏は
自分を独り立ちさせるのには役だったようだ。一切の仕送り無しで大学を卒業した時は、
自分で自分を誉めてやりたいと思ったよ。
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/07(火) 19:44:14
>>774 同じ四十代でも、地域によってかなり差があったんですね。
意識の上で、漏れなど昭和40年代を念頭においてしまいますが。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/07(火) 19:51:41
炭抗労働者の家庭出身者といえば「みちずれ」の
牧村三枝子を思い出すけど、彼女「カレーの肉の代わりに
竹輪が入ってた」といかにもと言う感じで話してたけど
全然不思議じゃないじゃん、うちもだったよ
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/08(水) 00:01:25
思い出したくないというのが正直なところ
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/08(水) 00:02:37
私も。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/11(土) 16:35:54
確かにカレーの肉の代わりに、ソーセージって家もあったなぁ。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/11(土) 16:46:10
S42〜43年でがらりと変わったよな。
木造校舎が、鉄筋コンクリートにかわったり、
そんときの仮設プレハブ校舎で、真夏の授業は、地獄だった。
いま、頭わりーのは、その後遺症だと信じて疑わない。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/11(土) 16:56:29
オイルショックで、実質賃金下がったのに、
学の無い土方の父親は、理解できてかったようで、
「稼いでいるのに、何が悪い」って感じだったなw
リーマン家庭の同級生となんか差がでてきたの薄々かんじてた。
しかも、新興住宅地が近所にできたし。で、何の因果か?
おれも、バブル後のリストラを食らって、額面で賃金 減ったな。
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/11(土) 16:59:56
>>781 当時は、月給も賞与も封筒で手渡しの時代。
うちの親父、賞与をもらって調子こいてたのはいいが、酒に酔っ払って、
袋ごと、どこかに落として帰ってきて、母親から、無茶苦茶怒られて
ました。
学校などに収めるものも、集金袋で集めてましね。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/11(土) 18:16:23
こんなスレがあったとは。
父親はお嬢様だった母親と養子縁組で結婚したあと、新聞社を同僚とスピンアウトして印刷&製版会社をつくった。
社員は30人強で、ものごころついたころから毎年社員旅行に連れていかれて、居心地がわるかったのを覚えている。
小学生高学年ころからは茶道の茶会にも連れていかれて、苦いお茶を飲まされて閉口した。
お花の発表会とかにもイヤイヤ連れていかれた。
家には30年代中頃からテレビやステレオセットもあったらしいし、車はプリンス製、
テニスラケットやらゴルフクラブもゴロゴロしていた。
しかし家ではものすごいDVの人物で、中学生頃には金属バットを抱えて寝るくらい恨んだ事もある。
早く言えば一族の嫌われ物だったわけだ。
そんな父親も70才を過ぎ、仕事はしているが、もういいかげんジジイになった。
翻ってオレはフリーランスの技術系だが、30数人もいる会社を経営しているわけでもない。
人生なんてそんなもんだ。
よく母親から怒られてたなぁ
怒号の幻聴が聞こえてくるくらい・・なんであんなに怒ってたんだろう?ワケワカメだ
居場所のない子供って言うのは気持ちが分る気がする
それとよく叩かれてた。毎日のように。高校くらいまで
友達が親から手を上げられたこと無いとか、覚えてるのは1回だけとか
聞いた時、びっくりした。そんな家庭があるのかって。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 17:09:44
うちの親は、たたくことは無かったな。
子供から見て、親がたたくのって、とても怖かったんじゃないですか?
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 17:45:58
小学校高学年の時、身に覚えのない信号無視を、
昼間まちで見かけたとオヤジにいちゃもん付けられて、
殴られて吹っ飛んだ。
痛かった、恐かった、逃げたかった、殺してやりたかった。
>>786 怖かったです。親だけじゃなくて他人もみんな怖かったです。
自宅でも、目立たない片隅に居ようとした記憶が蘇りました。
今でも、街で若い母親が子供をどなってるとこ出くわすと
居たたまれなくなります。
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/19(日) 17:18:21
家庭で叩かれたり、怒鳴られたりするのって、子供にとっては、とってもこわいよね。
あの頃はみんな貧乏だったからなぁ。
幼稚園のおやつにビスケット3つくれるのね。
自分は2つだけ食べて、我慢して1つは弟に持って帰ってあげてた。
今度は弟が幼稚園に行くようになって、ビスケットを持って帰ってくるのを
楽しみに待ってたら、10個以上も貰うのに全部食べてしまってるの。
あの時、人生の無常を感じたなぁ。家の暮らしはそんな感じだった。
自分の子にはその反動で何でも買ってあげてる・・・。まずいなぁ。
日頃は放置されてるのに、いきなりヒステリーの発作でも起きたかの様に怒鳴り出す祖母が怖かった。
特に問題も無いのに何時間もつづく小言は連日で、あまりにひどく罵られるので
自動的に頭のスイッチが切れて長い話がちゃんと言葉として聞こえない体質になった。
だから学校の授業もちゃんと聞けないバカになっちゃって、小学生の時は成績も超低空飛行。
中学の時、いつもの様に罵倒されてて突然スイッチがオンになり、怒鳴る祖母に何倍も怒鳴り返して
更に何日も無視し続けたら、急に霧が晴れる様に授業も聞こえて来る様になってビックリしたなぁ。
以後、祖母とは何十年もほぼ無視を続けてろくに喋らないので百歳近い年寄りには可哀想だし
無視し続ける自分の幼さにも呆れるばかりなんだが、喋ろうとしても怒りが甦って来てなかなか出来ない。
いい年して大人になれないなんて嫌な奴だよなぁ。
792 :
788:2006/03/21(火) 07:09:48
>>791 違っているかも知れないけど、「解離」とか「離人症」とかいう
やつになってたんじゃない?
自分も普段は自分が自分で無いような、感情の少ない自分が本当の自分を
守っていたような時期があった
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/30(木) 10:01:24
宴会や会合で出た料理、余った文を、折り詰めにして持ち帰りしてたなぁ。
794 :
774:2006/04/04(火) 14:12:53
>>774だけど。
炭坑が貧乏の代名詞みたいに思われるかもしれないが、すこし誤解があるかも。
炭坑では真面目に働きさえすれば、人並みの生活は保障されていたよ。うちが
貧乏だったのは、仕事をサボってギャンブルにうつつを抜かしていた、単に
父親個人の特性によるもの。この頃の男どもは、おしなべてみな横暴だった。
そして女性は、みな「おしん」のように我慢強かった。
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/07(金) 16:05:48
>>794 漫画「巨人の星」で、星一徹が、ちゃぶ台をひっくり返すような
あんな感じ?
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 02:36:59
あれ見ていて、貧乏で食うにも困るくせに、食べ物を粗末にする
バカ男だと思った。
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 02:44:59
肉無しカレー
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 02:54:11
理不尽なオヤジのさじ加減で、屋上の給水タンクに縄で縛られた。
ウルトラセブンの十字架のようにね。
最初は恐怖と寒さで泣きじゃくったけど
次第に慣れてきて、夜空の星を眺める余裕も出来てきた。
今の時代なら、近所の誰かがツーホーするだろうな。
799 :
774:2006/04/08(土) 14:11:49
卓袱台をひっくり返すくらいは普通だったな。しかし母親への暴力だけは許せなかった。
自分が大きくなったら殺してやると思った。が、そんな父親も他界し、その葬式の日、
誰も涙ひとつこぼさなかったし、生前をしのぶ者もいない。それは当然の報いだろうし、
それが現実の姿だ。彼がした唯一の母親への孝行は、長患いせずに早く死んでくれたことだけ。
家も炭住じゃないけどそれに準じたすみかだった
みんな貧乏だったよね。友達は父親が母親に馬乗りになって「包丁持ってこい」って
叫んだって言ってたから、家の皿投げくらいたいしたこと無いのかなと思った。
家の父親は長男なんだけど、兄弟は市内にいるけど正月、お盆誰も来ない。
仏壇は家においてあるのに。お寺にお参りに行ったらかなり参ってある形跡が
ある。だから、自分はあまり、叔父叔母いとこが分らない。
田舎にある友達の家にお正月に行ったら、親戚一同、また親戚じゃない人まで
大賑わい。田舎はこうあるのかなって思っていたけど、最近は
きっと、まあ父も変わり者だけど兄弟だから許せるだろうけど、母が嫌われているん
だろうなと思い出した。
子供の頃は弟たちに子供が出来たらいい小父さん小母さんになるのが夢だった
でも、やっぱり見本がいないから、扱い方が難しい
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 17:46:35
>>801 うちも本家の伯母が嫌われているようで、墓参りの季節になると、
うちに集合しやがる。
あ〜ウチも、ばぁちゃんが親戚中に嫌われてて誰も来ないわ。
従兄弟たちと会う時は、ばぁちゃんには内緒だし。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/27(木) 02:49:03
父は会社経営、複数の愛人がいました。
母は、私を虐待し、私は明日は死ぬかもしれない、と思い続けて育ちました。
母は既に死にましたが、あの世に行って復讐してやりたいと思う程恨んでいます。
父は二号さんを本妻にし、私との親子の縁は切りました。
私の家庭にあったのは、お金と憎しみだけだったように思います。
昼メロ並ですね
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 15:19:09
世はGW真っ最中。
家族そろってどこかに出かけた記憶はないなぁ。
小さい頃は1〜2度家族旅行はあったけど、大きくなったらお金が無いと言って
何処にも行かなかった。うち、車も無かったし。そいで私が車の免許取った
25歳まではみんな原チャリで行動。
それからは私の自腹で親をいろんな所に連れてった。
今まで行けなかった分。もう恩返ししたよね、充分。
家のローンも手伝ったし、私の稼ぎかなり貢いだよ、お父さん、お母さん。
今はほんの微々たる物だけど、いつまで親に貢がなきゃいけないのかな
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 11:46:09
貢ぐって、いい年こいて何甘えてんだこのおばはん?
成人した子供が親を養うケースなんて普通だろうが
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 11:56:45
給料の半分を自分の小遣いにする外面の良い暴力親父、自分のことで精一杯な母親
親父からの暴力のはけ口に妹(私)を殴る蹴る兄姉、とても貧しい家庭
数年に一度親兄姉と会っても憎しみは消えないし、言いたい事いってすぐ帰る。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 12:29:26
>>808 現時点では貢ぐって言うのは確かに言いすぎだった。
父は厚生年金を普通に貰ってるしお金はあるけど、食費も雑費も二人とも
知らんふりで一円も出さない
独身でバリバリ働いている時ならいいけど、今はパートには出てるけど、
旦那に養って貰ってる分には悲しいものがある。
養母は良く気を使ってくれるだけに。
実家に帰れば、昔からずーっと、いつも両親は余計にお金を取ろうとのけんか。
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 13:28:53
日本語でお願いします。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 15:46:04
今、そういう煽り流行ってるよね
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 15:55:16
5年前ぐらいからタイムスリップしてきたの?
814 :
名無しさん@お腹いっぱい:2006/05/04(木) 15:56:47
今日は「すき焼き」だよ〜って言われて、いつも豚肉だった・・
子どもは、野菜食えと白菜ばかし食べさせられてた・・
あル費、友達のうちで「すき焼き」食わせてもらった時、
赤い肉が出できて驚いた・・・
あれが「牛肉」か・・・あれが「すき焼き」か・・・・・
815 :
名無し さん@お腹いっぱい:2006/05/04(木) 15:58:59
給食費は払ってました。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 16:13:13
>>814 白菜ばっか食べてたんなら豚でも牛でも関係なくない?
うちでは『天ぷら』といえば野菜オンリーだった。
白身の魚とか海老など見たことが無かったな。
すき焼きは正月に食べるものだと結婚するまで思ってた。
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/13(土) 01:33:36
ふきのとうが芽を出し、雪解けで道がグチャグチャになったことで春が来たことを感じ
むせ返るような土の匂いと、立派な入道雲が現れてから突然の夕立で夏の訪れを知った。
高いイワシ雲と大量の赤トンボ、そして稲刈り後の藁焼きの煙で秋の深さを知り、雪虫が
飛び始めて暫くして除雪のブルトーザの音で目覚める時に冬が来たことを知りました。
寡黙な父親と相対して煩い母親に、内弁慶な兄貴のいる家庭でした。
遊びは必ず友達数人と一緒にやってましたねぇ。
その中で喧嘩のルールとか、人との付き合い方を学んだ気がします。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/13(土) 01:44:32
ある意味、時代の先端を行ってる母だった
私は長女
幼児期から虐待・放置されてた
母親は父親の単身赴任中に昔の恋人と会って不倫
その男が父親が留守の間に毎日出入り
逆らうと殴られ・蹴られる日々
母親は男と遊びまわって 家のことは何もしない
夕食分のお金を置いて いつもボーリングに行ってた
そして離婚
その時代では まだ離婚は今ほど多くは無かったので
周りから色々言われた
髪の毛をつかまれ 振り回され
壁に叩きつけられた恐怖は今も忘れない
私は何があっても 人に暴力だけは振るわないと決めている
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/13(土) 01:47:55
家は商売をやっていたので、両親は朝から晩まで働いていた。
ある時、「ケセランパサランを持っていると幸せになれる」と言う話を
母に話し、家の前に飛んできたタンポポの綿毛に似たふわふわした
ケセランパサランを母と一緒に拾い集めた。
あとから、そのケセランパサランは偽物で何かの木の種だと気づいた。
でもあの頃が幸せだった。
長女って母親からいじめられる事多いみたいね。ライバル心かな?
息子には甘いんだよね
婦人公論で歌手のエポも同じような自分の経験を語ってた
「何でお前は色黒でブスなんだろう。私は綺麗なのに」って
呪文のように言ってた。
彼女のおかげで私はあんな親にはならないって頑張ったし
いつまでも過去の恨みを引きづらない。
彼女ももう何も出来ないほど弱くなってる
後悔ないようにするよ。きっと。わたし。
自己レス、ごめんね
オレ、恨みを引きずってる。
恨みを引きずりながらの人生って、本当に虚しい。無駄。切ない。消耗する。
わんわん泣きたくなる。でも泣かない。解放されない。
恨みに引きずられてる感じ。
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/17(水) 21:27:30
恨みに引きずられてる感じってなんかわかる
苦しいね
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/17(水) 21:51:45
子供の頃は毎日一人で泣いてた
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/17(水) 23:13:27
子供の頃の育てられ方って、いつまで影響すると思う?
精神的・人格形成的な面と、体質や健康面のそれぞれで・・・
やっぱり40年たってもまだ影響ってぬぐえないのかな。
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/17(水) 23:24:46
一生ついてまわる業というものでしょう。
年をとるごとにその影響は濃くなっているように思う。
親の愛情不足から、親離れできないし、言われた通り「自分は駄目な子だ」と
思って、叱られて、益々萎縮して自信をなくし自己否定をする。
早くその悪循環に気づくことが大事だと思う。
私は社会に出て気づかされた。職場で「ネクラ」と言われながらも可愛がってもらえた。
もしかしたら、自分って案外人並みなのかもと思った。
いつも一人ぼっちだった私に声を掛けてくれた先輩、同僚たちに感謝している
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/18(木) 00:35:52
それはよかったね。
いいように利用されて陰で馬鹿にされていないことをお祈りします。
僕は、高校教師の家に育った。2年前84歳で死んだ葬儀のときに、たくさんの卒業生が
きてくれた。家ではいつも母の事を酔って殴っていた。父の高校に行った兄は、父に復讐
するかのごとく、首吊り自殺をした。
僕は、28歳までその事がトラウマになって気が変異なりそうで結婚も出来ないと思い込んでいた。
しかし、キリスト教と出会い、心底からの癒しに出会い、今は家内と娘と幸せな家庭を
築いている。そして、何とか社会的にも認めてもらえるような生活がつかめつつある。
周りの人たちに感謝している。
でも、彼に何が言える?
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/26(金) 14:12:18
親も苦しいんだよね。
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
家庭って、いい意味でも悪い意味でも、当たり前ながら、社会の縮図だね。