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大人の名無しさん:
「およそ人間の行動は経済的動機で説明することができる。
賢者は廟堂や朝廷において深い謀りごとをめぐらしたり、あるいは山奥に隠れたりして、その行動はいろいろであるが、目的は同じで、名をあげ、それによって十分な暮らしがしたいということに帰着する。
富を求めるのは人間の本性で、清廉潔白な役人も商人も、永い年月を経ればその方が結局は富むからである。
勇士が戦場において城に一番乗りをして敵将を斬ったり矢弾をおそれず火の中に飛びこむのはなぜか。それは高い賞金がかかっているからである。
町にいる少年がゆすりや強盗をしたり、墓を掘って物を盗んだり、贋金をこしらえたり、あるいは男伊達として金をまきあげたり、自分の命まで投げ出して働くのも、すべて金が欲しいからである。
また趙の芸妓や鄭の歌女などが、お化粧をし、琴を鳴らし、袂をひるがえし、美しい靴をはき、ウインクをして男に誘いかけ、千里も離れた遠いところへも出かけ、相手が年寄りでもかまわないのは、やはり金が欲しいからである。
役人が法律にこじつけ、にせ印章を彫り、にせの文書をつくって刑罰にあうのも、賄賂に眼がくらむからである。
このように直接産業に関係ないものすら金のために動くのであるから、農鉱商工業者が金のために動いているのは当然ではないか。」
このように司馬遷は唯物史観的見解を述べている。
貝塚茂樹「史記 中国古代の人びと」(中公新書)P224-225