448 :
名無し物書き@推敲中?:
どこまでも続く広大な白い砂浜の真中に横たわる、たった一人の女の子がいた。
全身がオレンジ色の肌に覆われ、先端がぽっこり丸くなっている一角を携え、
顔の色は砂浜よりも遥かに白く、頬はわずかに紅色をしている。
「しょくパンマンさまぁ……」
彼女は深い夢の中で、憧れの人である食パンマンに手を引かれ、穏やかな波打ち際を
二人きりで駆け抜けていた。
この海は青く、その水の色は、よく晴れた空の青色と同化していた。
沖の方を自由に羽ばたき回っているかもめ達が鳴いている。
女の子のすぐそばで、誰かの足が砂に沈む「ザッ」という音がした。
そこには、褪せた紫色の服に、肉や皮すらない白骨だけを入れた、人型のものが立っていた。
「ドキンちゃん……」
ホラーマンが、大好きなドキンちゃんの寝顔を見下ろしながら、ひどく落ち込み、浮かない顔をしていたのだ。
彼は決して短くない時間を、そうして頭を悩ませ、苦しむことに費やした。
やがてホラーマンは決意を固めると、沈みきった面持ちのまま、そっとドキンちゃんの傍らに
ひざまずき、幅が狭く、なだらかな彼女の肩を何度かゆすった。
「ドキンちゃん、ドキンちゃん」
するとドキンちゃんはゆっくりと目を開き、眼球のない、鼻のない、唇のない、肉も肌もない、
ただただ白く、いびつな形をした気色の悪い顔をその瞳に映すやいなや、飛び上がって絶叫した。
そしてホラーマンに、顔がくるくる回転するほどのビンタを見舞うと、目一杯首を伸ばして、こう怒鳴った。
「なんで起こすのよ!せっかく素敵な夢を見てたっていうのに!」
が、その時突然、ドキンちゃんは頭の中に響き渡る激痛に気付き、すぐさま頭を抱えてうずくまった。
ホラーマンは、雨のごとく飛んできて顔にかかったドキンちゃんの唾を少し気にしながら立ち上がり、
「痛みますか?それは私のせいなんですねぇ、すいませんですぅ」
と、下を向いたまま心配そうに謝った。
「あんた、あたしに何したってのよ?それよりここはどこなの?あたしはバイキン城にいたはずよ」
ドキンちゃんが角の横の辺りを軽くさすりながら尋ねた。
「覚えていらっしゃらないですかぁ、そうですよねぇ、ホラァ」
ホラーマンは尚も申し訳なさそうに口を開いた。「実は、ばいきんまんがアンパンマンを倒すために協力
してくれと言って、私に頭を下げてきたんですねぇ、それで私は、『はい、何でもしますよホラァ』なんて
安請け合いしたんですけど、そのお願いっていうのがですねぇ、とってもとっても、恐ろしくて、ホラァ、
私にはできないことだったんです。それで、ばいきんまんは私が言うことを聞くようにドキンちゃんを人質に
取ろうとしました。それで私は、暴れるあなたの頭を棍棒で殴って気絶させ、ここまで必死に担いで来たんです」
ドキンちゃんはなぜか血の気が引いていくのが自分でわかった。頭の痛みもそれに比例して引いていった。
まさか、あのばいきんまんがそんなことをするはずがない、そんな度胸があるわけない、と心の中で復唱した。
「それで……」ホラーマンは更に悲しそうな顔をし、語を次いだ。「『お前の大好きなドキンちゃんに悲しい
思いをさせたくなければ、大人しく俺様に従うのだ!』と言って、何かを私に見せつけました」
ドキンちゃんは冷や汗を垂らし、生唾を飲んだ。
「な、何を出してきたってのよ?」
「はい、夢中だったもので見てなかったのですが、恐らくは、食パンマンかと……」
それはドキンちゃんが最も恐れていた言葉だった。いや、これでも彼女の急所ははずしているといえる。
ホラーマンは確証を持って語ったわけではなかったからだ。
「あんた!どうして黙って逃げてきたのよ!あたしは助けてなんて頼んだ覚えはないし、なんでしょくっ―」
ドキンちゃんは、食パンマンの名前を唱えようとしたが、急に涙と嗚咽が押し寄せ、それ以上喋ることが
できなくなってしまった。砂浜に崩れ落ち、膝と手が温かな砂の中に埋まった。滴り落ちる涙が砂の粒を打ち、
波打ち際の、色の濃い砂のように変えていった。
もし本当に、あの、しょくパンマンさまがばいきんまんに捕まり、拷問にあっていたらと思うと、
まるでこの広い海の底に飲み込まれるようだった。
常に暗黒の雲に覆われ、雷鳴の轟いているバイキン城の薄暗い研究室で、食パンマンが両手足を針金で縛られ、
吊るし上げられていた。
全身がほとんど黒色で、ドキンちゃん同様の形をした角が頭に二本立ち、ゴムボールとうりふたつの鼻を持つ
ばいきんまんは、彼にとって憎たらしい、白色をした食パンマンの顔を何度も何度もはたきながら、ホラーマンと
ドキンちゃんが帰ってくるのを待っていた。
食パンマンは既に体力が底をつき、ほぼぐったりとしていた。
「そんなものか、食パンマン。アンパンマンならそんな針金はおろか、鎖で縛ってもへっちゃらだぞ」
ばいきんまんが手を後ろで組み、顔を近付け、にやっと笑って見せた。
食パンマンは少し顔を上げ、口の中に溜まっていた血をぺっと吐きかけた。
すると、ばいきんまんは食パンマンがまとっている純白のマントで、額にかかった唾液と血の混ざった液体を
拭い、黙ったまま鞭を拾い上げ、一度びしっと伸ばした。穏やかだったばいきんまんの表情がいきなり恐くなり、
鞭を食パンマンの首に巻き、思いっきり締めつけた。
気道を完全に塞がれた美男はうめき声を上げることすらできず、傷ついた顔をひたすら歪めた。
「あんまり俺様を怒らせるなよ、ドキンちゃんが帰ってくる前に殺しちゃうぞぉ〜」
ばいきんまんは怒りに震える声で彼に迫った。
と、その時、研究室の扉が開き、目を真っ赤にしたドキンちゃんが、ホラーマンを引きずるように入って来た。
「おかえり、ドキンちゃん。待ってたんだから」
ばいきんまんは首を締めていた鞭を解き、床に落とした。
ドキンちゃんが食パンマンの元へ慌てて駆け寄ったが、彼はもはや意識を失いかけており、いくら名前を呼んでも
ぴくりとも反応してはくれなかった。
振り返ると、ばいきんまんがビーム銃を食パンマンの顔に向けて立っていた。
「さぁ、ドキンちゃんも縛られてちょうだい。でないとホラーマンが言う通りにしてくれないんだ」
ホラーマンは扉の前に立ったまま、全身を震わせて泣いていた。
ドキンちゃんが食パンマンを背にし、四肢を大の字に開いて、
「ばいきんまん、しょくパンマンさまを放して」
と、溢れそうになる涙を堪えながら懸命に頼んだ。ばいきんまんが溜息をつき、言った。
「君って本当にワガママなんだなぁ、トホホ。じゃあ、かわいそうだけど君にも痛い思いをしてもらうか」
「待ってください、ホラァ」ホラーマンが口を挟んだ。「あなたの言うこと、全部聞きます。だから、だから
せめて、私の目の前でだけはドキンちゃんを傷つけたりしないでください……」
ばいきんまんは、銃の向きを変えずに、しばらくホラーマンをにらむと、やがて、「行け」というふうに
顎を斜めにしゃくって合図した。
ホラーマンは半ば駆け足で研究室を後にした。
「ばいきんまん、あたし達仲間じゃなかったの?」
「仲間?憎きアンパンマンを倒す代償としては些細なことだと思わないかい?」
ドキンちゃんは、ばいきんまんの恐ろしい一面を初めて見た。
「あんた、今までこんな人じゃなかったのに」
「いいから」ばいきんまんが銃口をドキンちゃんの顔に向け直した。「暴れてもらっちゃ困る、早く縛られて」
ドキンちゃんは勇気を振り絞った。
「あたしを撃てるの?撃ってみなさいよ」
ばいきんまんは目を一層吊り上げ、「どこまでも頑固なんだから」とつぶやいた。
ドキンちゃんは強く目を閉じ、顔を少し下に向けた。
が、食パンマンが搾り出すように
「待って、ドキン、ちゃん。言う、通りに……」
と、言葉を吐き出したので、ドキンちゃんは両手を下ろし、
「わかったわ」
と言って力なく服従した。
一方その頃、パン工場では、ジャムおじさんがアンパンマンの新しい顔を焼いていた。
上顎に白い髭を蓄えた、優しい顔の老人だ。
助手のバタコが、しめらせたタオルを耐熱手袋代わりにかまどの扉を開き、取り出した顔を
首のないアンパンマンに装着してやった。
焼きたての大きなアンパンは、アンパンマンの顔としてにっこり笑うと、
「ありがとうございます、ジャムおじさんにバタコさん」
と一言礼を言った。
黒い目はレーズンのように小さく、頬は赤くふっくらしていて、輪郭はほぼ完全な球形をしている。
アンパンマンはいつものように、
「それじゃ、パトロールに行ってきます」
と、二人に挨拶を告げると、早速かまどの煙突から外へと飛び出した。
ジャムおじさんは、アンパンマンの姿が見えなくなると、
「さ、お腹を空かしている人たちに配るためのパンを作ろう」
と、バタコを誘った。バタコは快く
「はい、頑張りましょ」
と返事をした。
ジャムおじさんが小麦粉を練り始めた時、バタコが、番犬のチーズが外で妙に騒がしく吠えている
のに気付いた。どうしたのかしら、と独り言を言いながら窓に近寄ってみると、何かが
猛スピードでこちらに突っ込んでくるのが見え、危険を察したバタコは咄嗟に窓から離れた。
それとほとんど同時に、ガラスの窓を豪快に突き破ってパン工場の中に飛び込んできたものがあった。
ガラスの破片と窓枠の木が床に散らばり、高い音を奏で、バタコの額と手をかすめた。
ジャムおじさんは窓から遠い調理台の上で作業をしていたので、怪我をしなくて済んだが、
突然の来訪者にあっけに取られ、腰を抜かしてしまった。
呼ばれざる客は、顔に帯状の白い布を巻きつけて目だけを出している、群青色のマントをつけた、
二人のよく知る少女だった。ロールパンナだ。
「ロールパンナちゃん!」
バタコが叫んだ時には、彼女が目にもとまらぬ早業で、ジャムおじさんの首に武器である長いリボンを
絡めて締め上げていた。
「やめて、ロールパンナちゃん。メロンパンナちゃんが悲しむわ」
バタコが意外と冷静に説得した。
「メロンパンナ?妹のことか。心配はいらない。あいつのメロンジュースに毒を入れた」
ロールパンナはそれ以上に冷静に、いや、もはや情など見えないくらい冷たく言った。
「どういうことなの?」
バタコは狼狽した。
「知っての通り。あたいはばいきんまんに作られた。だからばいきんまんに従うだけ」
「違うわ。あなたを作ったのはジャムおじさんよ」
「嘘。お前達に騙されないように、ばいきんまんに言われてる」
バタコは絶句した。ロールパンナが続ける。
「あと、妹はばいきんまんを裏切ったそう。だから、こうするしかなかった」
バタコは唇を噛み、涙を流した。
「ひどい、何も、殺さなくたって……」と。
ロールパンナがジャムおじさんの首を一層強く締めた。ジャムおじさんの顔が真っ赤になり、
目がうつろになり始めた。
ジャムおじさんは、苦しくて、切なくて、悲しくて、涙を堪えられなかった。
本当は声を上げて泣きたいくらいだったが、敵となったロールパンナがそれを許さなかった。
アンパンマンの視界に、沢山の仲間達が平和に暮らす、明るい町が見えてきた。
しかしそれは、いつもの美しい町ではなくなっていた。近付けば近付くほど、その悲惨な状態が
アンパンマンの心の一番弱い部分に迫っていった。
町の至る建物に火が放たれ、道には濁った色のカビがびっしりと生え、そのカビの、顔をしかめたく
なるような強い臭いと共に、どこからともなく血の匂いまで漂ってくるのだ。
人の気配がなくなった大通りに降り立ち、周りを見渡してみると、その光景はまさに地獄絵だった。
遠くからは時々、助けを求める子供の悲痛な叫び声が届いた。
「アンパンマン!助けて!ママ!せんせー!」
僕に助けを求めてる、みんなが僕を呼んでる、アンパンマンはそんな事実に生まれて初めて恐怖した。
彼がどこへ行って誰をどうやって助ければよいものかと、途方に暮れていると、燃え盛る建物の中から、
食いしん坊なことで有名なカバオ君が、息を切らしながらかろうじて這い出て来た。
アンパンマンは、急いで少年の元へ駆け寄り、そっと肩を起こした。
「大丈夫かい?カバオ君。いったいどうしたっていうんだ」
「アン、パン、マン……」カバオ君はぼそぼそとつぶやき始めた。「かび、るんるん、が……」
「かびるんるんだって?これは全部、ばいきんまんの仕業なのかい?」
カバオ君は一度頼りなくあえぎ、強く閉じたまぶたの隙間から大粒の涙をこぼした。
「ぼ、僕、お腹、空いた……」
「よし、僕の顔をお食べ、ほら」
アンパンマンは自分のこめかみの上の部分を手でちぎり、カバオ君の口に持っていった。
「あり、が……」
カバオ君が口を半分開けたまま、少しも動かなくなった。彼は、最後の欲求を満たす前に、死んだ。
「カバオ君!」
アンパンマンは一回だけ名前を呼んだ。もう無駄だと、わかっていた。
長い間自分を慕ってくれた仲間を救うことすらできなかった、肩書きだけのヒーローは、自らの
欠片を力なく地面に転がすと、カバオ君の背中を片腕に乗せたまま、ほんの少しだけ、泣いた。
しかし、まだ自分に必死で助けを求めている子供達の声に、気持ちを奮い立たせ、涙を袖で拭った。
カバオ君の遺体をそっと下ろし、立ち上がった。
「行こう」
そうつぶやいた時、喉頭部にひんやりと冷たく、鋭い何かが当たり、初めて自分の置かれている
状況を理解した。
一匹のかびるんるんが、アンパンマンの頭に長い槍を突き付け、仲間に、集まるように合図をしていた。
そして無数の、武装したかびるんるん達が、あっというまにアンパンマンを取り囲んだ。
だ、誰か書き込んでくれ、連投規制にかかっちまう
バイキン城の研究室では、ドキンちゃんと食パンマンが二人きりで吊るされている。
ばいきんまんは最後の仕事を済ませると言って、城を出ていった。
ドキンちゃんが、ボロボロになるまで殴られ続けた食パンマンに、元気なく話しかける。
「ねぇ、しょくパンマンさま」
食パンマンは少し間を置いて、やっとのことで「何だい?」と返事をした。
「ばいきんまんは、ホラーマンに何をさせるつもりなの?」
食パンマンが歯を弱々しく食いしばり、言った。
「パン工場、を、壊して……ジャム、おじさんも……」
「えっ……」
ドキンちゃんはそれきり、何も言わなかった。
町を襲ったかびるんるんの数は、三千を超える。その、槍で武装したかびるんるんの極一部が
一斉にアンパンマンに食いかかり、彼を追い詰めていった。
空を飛ぶための茶色いマントは、縦に引き裂かれ、使い物にならなくなっていた。
必死に間合いを取りながら、急所である顔をやられないよう、飛びかかってくるおびただしい数の敵を、
手で払い落としたり、殴り飛ばしたりして、新しい顔を手に入れるべく、パン工場の方へ徐々に向かっていた。
まだカビを生やされたり、槍で貫かれたりはしていないものの、力の源である顔の一部を
自らの手でちぎってしまったので、全ての力を出しきれずにいたのだ。
町を出ると、すぐそこが森となっていた。ここの木を上手く利用すれば、なんとか逃げ切ることが可能かもしれない。
アンパンマンはそう思った。
かびるんるんが突き出してきた槍を両手で奪い取り、それで手近な敵を一通りなぎ払うと、武器を捨てて
一目散に森林の中へ走り出した。
間もなく、追ってきたかびるんるん達は次々と木に激突し、所々で軽い渋滞を引き起こし始めた。
しかしそれも、彼らにとってそれほど不利になることでもなく、町の方から数を増やし、ばらけつつ
色々な方角からアンパンマンを追った。
そして、アンパンマン自らもまた、生い茂る木を避けながら走らなければならず、かびるんるんと比べて
かなり体の大きいアンパンマンにとって、それはちょっとした課題だった。
追っ手の行く手をさえぎろうと、一本の大木を引き抜いて倒そうとした。
が、顔のわずかに欠けた部分のためにそれが叶わず、木に手をかけて踏ん張っている間に
多数のかびるんるんがアンパンマンに追いついてしまった。
その数は町で遭遇した時より遥かに多く、入り組んだ森の中を走る上で邪魔な武器を捨てて来た者も
かなりいた。これではあっさりと囲まれてしまうわけだ。
幾百匹いるともわからぬ敵を、アンパンマンはことごとくぶちのめした。それでも彼らの勢いは
衰えることを知らず、いつしか手足にカビがまとわりつき始めていた。
そしてついに、一匹のかびるんるんが顔面にとりついた。アンパンマンはすぐさまそれを払い落としたが、
彼らは容赦なく全身の各所にとりつき、カビによってその部位を侵した。
顔を汚されたアンパンマンが倒れようとした、その時、しつこく体や顔にしがみついていた
かびるんるんのほとんどが地に落ち、苦しみ出した。
見ると、彼らの体には何やら黄色い液体が付着していた。香りから察するに、それはカレーだった。
「カレーパンチ!」
との、聞き覚えのある声が聞こえると、アンパンマンが倒し損ねた大木が根元付近で折れ、
地面に倒れ、かびるんるん達を容赦なく叩き潰した。重たく、大きな音がそこら一帯を制し、
枝の上に巣を設けていた鳥達が驚いて一度に飛び去った。
顔にカビが生えたせいで目が霞んでいたが、崩れ落ちた大木の上に立って腕を組んでいるのが誰か、
それははっきりとわかった。アンパンマンの古くからの味方であるカレーパンマンが、助けてくれたのだ。
「アンパンマン、とにかくここは俺に任せて、さっさと逃げな」
カレーパンマンは勇ましくそう言うと、進撃しようとするかびるんるん達を一匹も逃すことなく
殴り、蹴り、あるいは口からカレーを噴射して叩きのめした。
「ありが、とう……」
彼の声がカレーパンマンに聞こえたかは定かではなかった。
アンパンマンはまだ立っているだけの力を残されていたので、そのままよたよたと走って
パン工場へ向かっていった。
長い時間、前へ前へと進み続けていたが、日が傾き、空が暗くなり始めた今になって、
とうとうパン工場へ辿り着いた。
しかし、そこには彼の望んだ光景はなく、それどころか、町で見た惨状より、
もっと残酷な運命が、アンパンマンを待っていた。
かまどの煙突からは真っ黒な煙がもくもくと立ち昇り、窓が粉々に砕け、バタコがチーズを抱き抱える
ように倒れていて、そこから少し離れた所に、頭蓋骨が転がっていた。
アンパンマンは倒れ込むように、バタコのそばに膝をついた。
「バタコさん、これは……?」
バタコが口を利けばまだ良かった。名犬と言われたチーズも、人形のようになってしまった
優しい女の子の死体の、温かそうな腕の中で、静かに目を閉じたまま、舌を垂らしっぱなしにしていた。
「どうなってるっていうんだ……」
アンパンマンが、これ以上ない絶望と悲しみに打ちのめされていると、
「すいません、ホラァ」
という、乾いた声が聞こえたので、そちらを見ると、転がっていたあの頭蓋骨が喋っていた。
「ホラーマン?」
「はい、ドキンちゃんを人質に取られて、無事放してもらうためにここを爆破しました……」
それからホラーマンは、抜け殻のようになって硬直しているアンパンマンに、頭だけで
泣いて謝り続けた。
じきにバイキンUFOがアンパンマンの後ろ、約3メートルくらいのところに着陸した。
ホラーマンは口を閉じ、アンパンマンが、ばいきんまんに背を向けたまま尋ねた。
「君は、何のために、こんなことを……?」
ばいきんまんはUFOから飛び降り、ゆっくり、一歩ずつ確実にアンパンマンの背後に近付いていった。
「答えるまでもないだろ、アンパンマン」
かびるんるんの軍勢が、森を抜けてそこへやってきた。ばいきんまんは彼らに言った。
「ご苦労ご苦労。今日、俺様はアンパンマンとの戦いに勝利した!ハッヒフッヘホー!」
食パンマンは、泣き叫ぶドキンちゃんの隣で、いつのまにか息をしなくなっていた。
カレーパンマンは、大木の上で顔がぺしゃんこに潰れ、八本の槍に体を貫かれ、仰のけになっていた。
ロールパンナは、自分が殺したメロンパンナの死を嘆き、ロールリボンで首を吊っていた。
ジャムおじさんは、廃屋と化したパン工場の隅で、失敗したパンのように焦げていた。
町では、未だに肉の焦げた臭いや、カビと血の海に埋もれて泣き叫んでいる子供達がいた。
アンパンマンは、膝を地面についたまま後ろに倒れ込み、もうほとんど見えていない目で
ばいきんまんを見上げた。一生のうち最も、敵が大きく見えた瞬間だった。
ばいきんまんが、手下のかびるんるんから借りた槍でアンパンマンの胸を一突きにした。
アンパンマンは全く反応しなかった。ホラーマンのひからびた嗚咽も、間もなく途絶える。 (完)