ワイが文章をちょっと詳しく評価する![37]

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994第二十八回ワイスレ杯参加作品
 春の日であった。庭先に出てみると一匹の蝉の死骸が落ちていた。腰を折り曲げて、頭をぐったりと腹に押しつけていた。
庭の桜がばらばらと花びらを落としていた。季節外れの蝉は如何にも奇妙な印象を与えた。
「どういうことですか?」
 私は自然と蝉に問うていた。蝉はぴくとも動かずに答えなかった。
 しゃーという細い音がして目を向けると、真っ赤な舌をちろちろと覗かせた蛇が這っていた。私はふと理解した。この蛇の仕業であるのだった。
私は納屋に行って鉈を取ってきた。鉈は錆びていた。蛇に振り下ろすと中途半端に食い込んで止まった。ぬるぬると蛇は悶えた。憐れを催した私は力を込めて鉈を押した。
ぶつんと蛇の胴体は断ち切られた。赤い血がどろりと流れ出して蝉の死骸まで浸した。私は蝉の仇をうったのだと思った。
 庭の水道で鉈を洗っていると、ふと、あの蛇にも言い分があったのではないかと心配になった。私は蛇の死体の場所まで走った。
蝉と蛇の死体が何一つ変わらぬ格好で落ちていた。それは私に奇妙な安心を与えた。
「総司さま、何をしてるんですか?」
 長らく病床についている私の世話をしている娘――千代が縁側に立っていた。
「ぽかぽかと気持ちがいいので庭を散歩していました。ついでに蝉の仇うちです」
 私は微笑みながら答えた。千代は首を傾げた。ややあって柳の眉を曇らせて言った。
「仇うちは嫌いです」
 と胸を衝かれた思いだった。これが父親を殺された娘の言える言葉なのだろうかと思った。
「私も今日から仇うちが嫌いになりました」
 約束です、と言った。それから、私の刀を持ってくるように頼んだ。
「何をするんですか?」
「供養です」
 刀はすぐにきた。抜くのは久しぶりだった。心が震えた。抜き放つと、刃の冷たさが心地よかった。
私は無造作に一振りした。その途端に猫が奇声をあげた。黒猫だった。蛇の亡骸を狙ってやってきたのだろう。
「死んでまで嬲られるのは憐れです」
「総司さまはお優しいんですね」
「私が優しい?」
 馬鹿な。私はいままで数え切れぬほどの人を斬ってきた。人間らしい感情などとっくに磨滅していた。
自分は壊れているとさえ思っていた。
 しかし――
「私が最期に振るったのが優しい剣だったとしたら、少し嬉しいな」
 私は自然と笑っていた。