ワイが文章をちょっと詳しく評価する![37]

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980第二十八回ワイスレ杯参加作品
昨晩の雨に濡れ、焦げ茶よりも微かに色濃くなった幹を、蟻の行列がひたすら登っていくのを私の眼は捉えた。
彼らは何を求めて上を目指すのだろうか、樹液だろうか、または虫の死骸だろうか、彼らはあくまで蟻だ、目標となるものはその程度だろう。
蟻は食べることしか脳にインプットされていない。ゆえに、行動もシンプルになる。
シンプルだと云うことは、次に彼らが何をするのかが読みやすいということだ。
私はこの世界において「読み」という要素が、あらゆる生物のヒエラルキー、ひいては人間の能力差に繋がっているのではないかと思う。
対人ゲームで考えてみればわかりやすい。勝者はまず、全体の環境を読んで、大衆を鴨にする戦略をとり、
つぎに、もっとミクロな視点で、対戦相手の癖、性格、プレイスタイルを把握し、ミスを誘い、結果として相手の持つ選択肢を狭め、
ついには自らのフィールドに持ち込み、撃破する。
それと同じことが、恋愛でも、企業内でも、市場でも、国同士でも起こっている。
我々は勝利を欲する本能を有しており、その欲を満たすため、相手に悟られないよう、手持ちのカードを伏せ、枚数を増やすのだ。
では、勝った者はどうすべきなのか。勝負に勝って、終わりなのだろうか。
それは違う。勝った者には負けた者の意思を汲み、尊重する責任が伴うのだ。
今、蟻の群れは、樹の凹みの中で「どういうことだ、なぜこんな所に障害があるのか」と苦しんでいる。私には蟻を助ける義務が生じている。
私は桜の枝に乗っている昆虫の死骸を、列の先頭に立つ蟻に与えた。
すると、後続がわらわらと集まり、死骸を持って樹木を降りていく。やはり単純な生き物だと私は感じた。
さて、もうすぐ法廷が開かれる、私が弁護するのは、前科持ちの強盗犯で、実に下等であるが、私には彼を助ける義務が生じている。