今日は現場日和。町役場建設課の係長の私は新しくできるバイパスの予定地で県との土地の境界立会いを終えて帰る所だ。運転席の井上君は上機嫌で昨日パチンコで勝った
話をしている。後は帰るだけだったのだが私の携帯が鳴った。「もしもし田中です」「ああ、係長、今いいですか?」部下の飯森からだ。「いいよ、なんだい」「山崎地区の伊川さんが
大至急来て欲しいとの事です」「どの伊川」「伊川正明さんです」「あーまさっちゃんね」私はちょっと顔をしかめた。伊川正明は偏屈爺で通っており、近所との仲も悪く、ちょっとした事で
すぐクレームをつけてはごねる人だ。「ふむ、ちょっと回ってみるよ」「お願いします」伊川氏の家の前に軽ワゴンで乗り付けると、待ちわびたとばかりに伊川氏が鉈を片手に仁王立ち
になっている。車を降りて「こんにちは」と挨拶をしたが全然耳に入っておらず、さっそく伊川節が炸裂する。「桜じゃ!」伊川氏は隣の塀の向こうから伸びている桜の枝を鉈で指した。
「どういうことですか、きれいじゃないですか」隣の家は伊川拓馬さん。正明さんの甥である。山崎地区は伊川が多い。「桜の花びらが散って庭が散らかるんじゃ、拓馬に言っても切りよらん
自分で切ろうと思うたが届かんのじゃ」「正明さんこれ民間同士の事だから役場は介入できませんよ、話し合ってみてはどうですか」伊川氏は青筋を立ててピクピクと怒りをあらわにしたが分が
悪いと思ったのか話題を変更した。「溝掃除はどうした!」 伊川氏は鉈で道路側溝を指した。「この前の大雨でマスから水が噴出してここまで来たんだぞ!何回言わせる!」また鉈でブロック塀の
下の方を指した。基本的に危ない。「あーわかりました、今から帰ってメンテのおじさん連れて来ます」「じゃあさっさと行けこの税金泥棒」私達はにこにこと笑いながらそそくさとその場を立ち去った。
「庭から桜を見れるなんてうらやましいですけどね」ハンドルを回す井上君が言う。「桜はどうでもいいんだよ」「え、どういうことですか」「寂しいんだよ、だから俺達が時々相手してやれば
いいんだ」井上君が私の顔をじっと見た。「メンテが終わったら話相手になってくるよ、怒ってる間は話にならないんだ」「係長の器の大きさに感服です」「これも住民サービスだよ」井上君は
呆れたように首を振っている。そう、私は公僕なのだ。伊川氏の怒りを静めて近所の平和を守っているのだ。