娘の嫁入りで節約生活の西松はアフター5の付き合いを断った。電車に揺られて40分、駅から歩いて15分、西松は玄関のドアを開けた。玄関に
妻の物ではないパンプスがある。西松は心躍らせて家に上がった。「ただいま」「あ、お帰りおとはん」リビングに入ってキッチンの方を見るとテーブル
に座っている春奈がこちらを向いて笑った。「お前こんなとこおってええんか?」西松は娘が居る事に嬉しさを隠せなかったが、わざと否定的な言葉を口に
した。「なんやの、おったらあかんのか」「あかんのかてお前そやないけどいそがしやろ」「いらん世話や、娘が家帰ってくるのに理由がいるんか」笑顔で
お約束のやりとりをしながら西松がテーブルにつくと妻の芳子がビールを持って来た。「はいお疲れさん」「はいおおきに」ビールと一緒に出された小鉢を
見て西松は顔をほころばせた。「お、イカナゴのたいたんか、垂水のおっちゃんが送ってくれたんか」「ちゃうちゃう、トーヨーでこうてきてん」「まあ出
所はどうでもええわ、いただきます」 西松は嬉々として缶ビールを開けると一口飲んでからイカナゴを口に入れた。娘と妻が興味深げに見守る中もぐもぐ
と笑顔で口を動かしていた西松が顔を曇らせた。「ん?んー、これはどういうことですか」芳子は涼しい顔をしていたが、怪訝そうな表情になった春奈が
聞いた。「何がやの」「辛い、辛すぎる」芳子が口を押さえて吹き出した「わろてる場合ですか?毎年楽しみにしてんのわかってるでしょうが、もう耄碌した
んかいな」「それ春奈がたいたんよ」西松は表情をこわばらせて春奈を見た。口を尖らせて上目遣いに睨んでいる。「こ…これはこれでええがな、ビールが
なんぼでもいける、3本はいけるでぇ」西松はハトが豆鉄砲を食らったような顔をして慌ててイカナゴを食べてはビールを飲むのを繰り返した。爆笑し始めた
芳子につられて春奈も笑った。「いけるいける、まだ来年があるでぇ」混乱している様子の西松に春奈が言った。「高校野球やないねんから、また明日たいたるわ」
「明日も泊まれるんか!」「いや、晩御飯食べたら帰るわ」西松はがっくりと肩を落とした。「さよか」その様子を見ていた春奈がため息交じりに言った。「明日
こそ美味しいんたべさしたるからな」「うん、期待せんでまっとるで」「期待せえや!」言葉とは裏腹に西松は娘の味を噛み締めながら涙を堪えるのだった。