「じゃあ明日から来てくれるかな」「はい、よろしくお願いします」「ま、お茶どうぞ」「はい、いただきます」佐々木はお茶をすすりながら
心の中でガッツポーズをした。さほど大きくない製作所だがここの技術は世界に轟いている。応接室での社長自らの面接だったが、履歴やスキル
に大した意味は無く、採用するかどうかは自分の目で見てからなのだそうだ。いつも書類で落とされて今年も実家でお茶を摘みながら八十八夜を
迎えなければならないと半ば諦めていた佐々木にはラッキーだった。「実家がお茶農家だそうね、お口に合うかしら」社長の横で盆を持ったまま
両手を組んでいる眼鏡の事務員さんが目を細めながら聞いている。見たところ40代中盤「そんな、私の嗜好なんて大した事ないです」佐々木は若
干事務員に怯えながら話題を変えた。「あれ綺麗ですね」入室した時からただならぬ存在感のあった水槽に目を向ける。水槽には映画でも有名に
なった赤い魚や瑠璃色の魚が泳ぎ、珊瑚から白い触手の束が生えてゆらめいていた。社長がソファー越しに後ろにふり返る。「ん?ああこれね
そう綺麗でしょ」「飼うの難しいんですよね」「飼うのがというよりは組合わせが難しいんだな、職場といっしょだよ」「どういうことですか」
「魚種が合わないと喧嘩しちゃうんだよ、こうやって平和なのは選択が間違っていないってこったな」「へえ、そうなんですか」「先月辞めた子
は職場が肌に合わないと言ってね、でも今日君を見てピンと来たよ、この子ならうまくやっていけるってね、だから期待しているよ」「はい、がん
ばります」事務員は相変わらず眼鏡の奥で目を細めてにこにことしている。この人は短い面接が始まってすぐに現れ、お茶を出した後も居座り続け
まるで社長の秘書のように振舞っている。すこし居心地の悪い沈黙があってブーンという水槽の機械音だけが響いた。「じゃあ少し会社を案内しま
しょうか」事務員が申し出た「おお、そうしてやってくれ、じゃ、佐々木さん私はこれで」社長が立って去った後、事務員が入って来た時とは別の
ドアを開けて言った。「こっちよ」「はい」遠くでゴーと器械が動く音がする。ドアを開いた状態でにこにことしている事務員に軽く微笑んで足を
踏み出す。佐々木は決意していた。ちょっとやそっとじゃへこたれない、私はこの水槽でうまくやってみせる。社長にそう見込まれた魚なのだから。