ワイが文章をちょっと詳しく評価する![37]

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795ワイスレ杯参加作品
 俺は首にかけたタオルで額の汗を拭った。前かがみに歩くとワイシャツが背中に張り付いて突っ張った。こちらの気候を
舐めていた。俺がそんな事も忘れてしまっている事を先生は見抜いていた。ネクタイは外して上着は脱いで行きなさい、そ
れとこれが必要になるからとタオルを持たせてくれたのだ。
 内示を受けたのは1ヶ月前だった、前々から希望していた本社から生まれ故郷への転勤が認められたのだ。
「なん言いようとね、柵のできたとよ、もう登ったりはできんけんね、まああんたなら柵げな又越していこうけど」
 高森先生は意地悪く笑いながら言った。先生の目は今の俺を見ていないようだった。かつてわんぱくを通り越して
半分ならず者だった小学生の頃の俺を見ているように感慨深げに見つめている。俺は俺で顔を真っ赤にして涙を流す
一年生教師の顔が思い浮かぶ。「まさか登ったりしませんよ」「まだ3分咲きやけん、今行ってもしょんなかよ、もう
こっちでおっつくとやろ?もうちょっと咲いてから行ったらよかやんね」「いえ、いいんです」先生は釈然としない
様子だったが、またにっこり笑うと言った。「そうね、まあ帰りにまた寄りんしゃい、喉の渇くやろうけん、また
お茶なと出しちゃーけんね」「はい、お忙しい中ありがとうございます」
 丘を登る道はきれいに整備されて遊歩道と言える物になっていた。茶色く舗装され、所々勾配がきつい所は階段になって
いる。長い長い坂道を登ってようやくうす桃色の樹冠が見えて来た。
「ふう」大桜は先生の言った通り3分咲きだった、周りを囲む柵も言った通り、枝を支えるつっかえ棒も増えているように
思う。いろんな事に時の流れを感じながら柵の周りを回っていると、柵の中で草むしりをしている老人がいた。老人は俺に
気づくと立ち上がって声をかけてきた。「せっかく登って来てもろうたけんが、まだ早かですよ」「いえ、いいんですよ花を
見に来たわけじゃありませんから」「へぇ、どういうことですか」 俺は少し迷ったが正直に言った。「初恋の場所なんです」
「この桜の下でな?そりゃまたロマンチックですな」「そうでもありませんよ、僕がこの木にいたずらして、怒ってひっぱた
いた人に惚れちゃったんです」「そら気の強か女やね」老人がそういうと不意に一陣の風が起こって桜を揺らした。
「はい、まるで春の嵐のような人です」