ワイが文章をちょっと詳しく評価する![32]

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 願わくば 桜の下にて 春死なん
 その如月の 望月のころ
 この歌を詠んだのは西行だが、私は野辺で死ぬのなら
銀杏の下で秋に死にたいと思う。
銀杏の黄葉した落ち葉の褥は柔らかく、そして乾燥していて
清涼感とともに自分もこの地の土となることに喜びながら逝けるだろう。
見上げれば突き上げるように空にのびゆく鮮やかな黄色が
視界を覆うだろう。
自分が死んでも世界は泰然としている、そのことに
一抹の寂寥と安堵に目を閉じるのは悪くない。

 思えば、小学校の一画に銀杏が何本も植わっている庭があった。
銀杏の落ち葉の上に倒れ込みたいという思いはその頃からだ。
ちょうど傾斜地にあり、そこら一帯に落ちた葉がすべて集まる場所があった。
あのふかふかの黄金色の塊に頭から突っ込んで転げ回りたい
その衝動を抑えていたのは小学生なりの羞恥だった。
上靴での牛乳キャップ返し遊びやカードゲームに興じる友達に
銀杏の葉っぱの上に寝転んでみる自分を見られる……。
それはどうにも気まずいことで、腕を差し込んで葉を撒き散らすとか
銀杏の綺麗な葉を選って持ち歩くようなことでごまかしていた。
 大人になった今でも、いまだに銀杏の葉の上に全身を横たえたことはない。
銀杏の葉が色づくのを見る度に、いつかは、と思いはするが
少年の無邪気な羞恥心に加えて世間体という世俗に塗れた大人には
西行のように桜の下で死ぬようなこともできない。
 秋がくる度、淡く憧憬の景色に、銀杏の葉が色づくのを見ている。