ワイが文章をちょっと詳しく評価する![29]

このエントリーをはてなブックマークに追加
668第二十四回ワイスレ杯参加作品
空はカラリと晴れていた。
右手に引いているトロリーバッグが地面を這う音が響く。道路はきちんと整備されておらず、それは一際大きな音を立てて鳴った。
カラカラカラ…。その音を聞くと思い出すことがある。母はトロリーバッグのことをカラカラと呼んでいた。
他にも犬はワンワン、リモコンはピッピ。それらの呼び名が昔は酷く幼稚に思えてとても嫌だったが、今となっては愛おしい思い出だ。
「お嬢さん、そっちには山しかないよ」
声のする方へ振り向くとそこには作業着に身を包み、軽トラックに乗った男性がいた。
「君、地元の人間じゃないだろ、迷子?」
「この町の風景を描きに来たの。どこか見晴らしが良くて絵を描くのにいい場所はないかしら」

「ここからなら町が見渡せる」
彼が連れてきてくれたのは丘の上の古い公園。そこから見下ろす風景はのどかな田園地帯といった印象で、町の向こうに見える山々は木々の赤や黄がよく映えていた。。
今が一番見栄えの良い時期なのだろう。運が良かったと一瞬思い、その考えに苦笑する。母も幼い頃にこの風景を見たのだろうか。
私がセッティングを終えても彼はまだそこにいた。描き始める前にやるべきことがあった。出来れば誰もいない時がよかったのだけれど。
私はバッグから壷を取り出し、その中身を眼下の町並みに向け振り撒いた。砂状のそれはサラサラと風に流れ、やがて風景に溶け込み消えていった。
彼の様子を伺うと、酷く驚いた顔をしていた。あれが何なのか分かってしまったのだろう。
「『骨は故郷の町に撒いて。絵になるような景色の場所がいいわ』というのが母の遺言なの」
勿論骨なんて勝手に撒いていいものではない。怒られるかなと思ったけれど、彼は何も言わず俯いた。
多分、怒るべきか哀れむべきかわからなくなってしまったのだろう。きっと優しい人なんだなと思った。
私がキャンパスに色を乗せ始めると、
「君も死んだらどこか自然に還りたいって、そう思う?」と、彼の声。
自分の骨をどうするか、なんて考えたこともなかった。
ふと頭上を仰いでみれば、どこまでも高く澄んだ空。降り注ぐ光は眩しく、この時期にしては暑いくらいではあったけれど、かえって山からそよぐ風が心地よかった。
「空に溶けてしまうっていうのは素敵かもしれないわね」
一面に広がるインディゴの中を、鶴が三羽翔けていった。