ワイが文章をちょっと詳しく評価する![29]

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667第二十四回ワイスレ杯参加作品
「キャリーバッグの女を知ってるか?」と恒彦はニキビ面を歪め黄色い歯を見せた。
 秋の空が赤く染まる。屋上には冷えた空気が漂い、学校には夕日が忍び込んできた。
「都市伝説だ」恒彦がこちらの返答を待たず続けた。
「寂れた道を歩くキャリーバッグを引いた女の話だ。汚れて黒ずんだハンカチで長年溜まった垢をこそげ取るように必死に汗を拭ってるらしい」
 夕日が校舎の下まで忍び寄ってきた。俺が赤く染まった顔で恒彦を見上げると、嬉しそうにひひっひひっと咳き込むように笑った。
「キャリーバッグには何が入っていると思う?」俺は答えが浮かばず、何も言えない。
「――『悪意』だよ」恒彦がどこか得意げに濁った眼を鈍く光らせた。「『悪意』がたんまり入っているんだ。そのキャリーバッグの中には」
 荒唐無稽な話だ。俺は反応しなかったが、恒彦は気を悪くした様子はない。暗く醜く、ひひっと笑っている。
「お前は嫌な奴だったな」見下すように俺を見つめる恒彦の瞳に憎悪の炎が灯った。
「近藤さん……っと、里奈ちゃんだったな、お前はそう呼んでる」口の端から涎が垂れる。「俺が好きだってお前に話したのに……!」
 里奈が好きだと恒彦から聞いたのは先月だった。今みたいに屋上に呼び出され、恒彦は顔を歪めて歯を見せたのだ。
 そんな話を聞いた後、里奈から声をかけられた。俺が好きだと彼女は顔を赤らめて言った。俺は恒彦の顔を思い浮かべながらも、承諾した。
 しかし、それを知った恒彦は俺を許さなかった。「抜け駆けしやがって! 俺の相手を奪い取るかよ!」
 屋上に呼び出された俺はバットで殴りつけられた。「俺はいい話を聞いた。ただの噂話だと思ったが、俺はその女を見つけた。そして、そいつに願った。『悪意』をくれ、と」
 恒彦は涎をだらだらと垂らし、笑い続ける。「屋上からお前を突き落とせたのも、その女からもらった『悪意』のおかげだ! ざまあみろ!」
 転落死体となった俺は屋上の恒彦を見上げる。恒彦は俺を見下ろして、げらげらと笑う。
 夕日が屋上を覆う。今や世界は真っ赤に染まっている。恒彦は焦点の合わない眼で笑い続ける、涎を垂らし、俺を罵倒し、母に声をかけられても医者に薬を打たれても、
病院に入院しても、誰にも気づかず、恒彦は笑い続ける、俺を罵倒し続ける、それは止まらず、永遠に、まるで、悪意に操られているかのように――