ワイが文章をちょっと詳しく評価する![29]

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663第二十四回ワイスレ杯参加作品訂正
駅前はひっそりとしていた。捨てたという思いはなかったが、三十年ぶりの帰郷だった。
ストックホルムから成田に着くと、凉子は自宅には寄らずその足で新幹線の切符を買った。
ひと言母の墓前に報告しようと思ったのだ。
記憶を頼りに歩き始めると、所々傷んだ歩道に大きなキャリーバッグが引っ掛かる。
秋とはいえ陽射しは強く、汗が滲んだ。額にハンカチを当てたとき、十八歳の春が甦った。

「東京に行くんだって?」
駅で汽車を待つ凉子に、ふらっと現れた公平が話しかけた。
たまたま通りかかったと公平は言ったが、こんな時間に駅前を通る地元の若者はいない。
「東京に行くんじゃないの。東大に行くの」
「すげえな」
凉子はもっと多くの言葉を期待したが、公平は黙って凉子のキャリーバッグを見つめていた。
「それ、婆ちゃんの手押し車みたいだな」ぽつりと公平が言った。
「これは押すんじゃなくて引くの」
「帰ってくるのか?」
「わかんない。ここはバカばっかりだから」
この街から初めて東大へ行く人間なのだと思うと、凉子はザマミロと叫びたい気持ちだった。
うつ病の母親との二人暮らしにも生活保護にもうんざりだった。
スケバンとチンピラが花形の狭い街で、凉子は隠れるように暮らしてきた。
ただ公平とは馬が合って、中学の頃から時々勉強を教えたりしていた。
「汽車、来たから行くね」
「おばちゃんのとこ、時々行ってみるから」
公平の言葉を背中に受けながら、凉子は振り返りもせず汽車に乗り込んだ。
発車してしばらくぼおっと揺られていると、国道を併走する公平の青いシャコタンが目に入った。
バカなやつと呟くと涙がこぼれた。

どうしてあのとき窓から手を振ってあげなかったのだろう。
懐かしい路地を歩きながら、それを長いあいだ後悔していたことを凉子は思い出していた。
やがて、自宅が近づくにつれ次第に人が多くなっているのに気付いた。みんな凉子と同じ方向に歩いていた。
馴染みのポストの角を曲がると、空き家になった自宅前の狭い道が大勢の人で溢れていた。
『西田凉子さんおめでとう』と手書きされた即席のノボリが目に入った。面影のある顔もいくつかあった。
滲んでいく景色の中に凉子は公平の姿を探した。