駅前はひっそりとしていた。捨てたという思いはなかったが、三十年ぶりの帰郷だった。
ストックホルムから成田に着くと、凉子は自宅には寄らずその足で新幹線の切符を買った。
ひと言母の墓前に報告しようと思ったのだ。
記憶を頼りに歩き始めると、所々傷んだ歩道に大きなキャリーバッグが引っ掛かる。
秋とはいえ陽射しは強く、汗が滲んだ。額にハンカチを当てたとき、十八歳の春が甦った。
「東京に行くんだって?」
駅で汽車を待つ凉子に、ふらっと現れた公平が話しかけた。
たまたま通りかかったと公平は言ったが、こんな時間に駅前を通る地元の若者はいない。
「東京に行くんじゃないの。東大に行くの」
「すげえな」
凉子はもっと多くの言葉を期待したが、公平は黙って凉子のキャリーバッグを見つめていた。
「それ、婆ちゃんの手押し車みたいだな」ぽつりと公平が言った。
「これは押すんじゃなくて引くの」
「帰ってくるのか?」
「わかんない。ここはバカばっかりだから」
この街から初めて東大へ行く人間なのだと思うと、凉子はザマミロと叫びたい気持ちだった。
うつ病の母親との二人暮らしにも生活保護にもうんざりだった。
スケバンとチンピラが花形の狭い街で、凉子は隠れるように暮らしてきた。
ただ公平とは馬が合って、中学の頃から時々勉強を教えたりしていた。
「汽車、来たから行くね」
「おばちゃんのとこ、時々行ってみるから」
公平の言葉を背中に受けながら、凉子は振り返りもせず汽車に乗り込んだ。
発車してしばらくぼおっと揺られていると、国道を併走する公平の青いシャコタンが目に入った。
バカなやつと呟くと涙がこぼれた。
どうしてあのとき窓から手を振ってあげなかったのだろう。
懐かしい路地を歩きながら、それを長いあいだ後悔していたことを凉子は思い出していた。
やがて、自宅が近づくにつれ次第に人が多くなっているのに気付いた。みんな凉子と同じ方向に歩いていた。
馴染みのポストの角を曲がると、空き家になった自宅前の狭い道が大勢の人で溢れていた。
『西田凉子さんおめでとう』と手書きされた即席のノボリが目に入った。面影のある顔もいくつかあった。
滲んでいく景色の中に凉子は公平の姿を探した。