ワイが文章をちょっと詳しく評価する![29]

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609第二十四回ワイスレ杯参加作品
舗装の行き届かない道を一人の若い女が歩いていた。引いているキャリートランクは中に人が入れそうな程に大きい。季節は秋を迎えていたが日中の陽射しは厳しい。女は立ち止まって額の汗を手の甲で拭った。
「柚木先生ですね?診療所までご案内します。俺近所に住んでる者で雨宮っていいます。」
「あ、すみません。お世話になります」
「診療所前にも停留所があったのに。それ、俺が持ちますよ」
「いえ、結構です」笑顔だったが、きっぱりとした口調だった
「そうですか? やけに重そうだったので」
「まあ、二人入ってますからね」
「え?二人分の荷物ですか?」
「いえ、元カレとその彼女が」
大きいとはいえ、人間二人が入るサイズではない。いぶかしげにトランクを見る俺に、彼女は笑顔のまま続けた。
「そのままだとさすがに無理ですね。生命維持に必要ない部位は除いてます。手足とか
大腸とか。肺や腎臓も片方ずつだけですね」
死体じゃないんだ……。気味の悪い冗談だが、そういうジャンルは俺も嫌いではない。
「箱を開けると美少女が『ほぅ』と息をもらすってやつですか」
彼女はふふっと笑った。
「お互いの肛門、尿道、性器は相手の唇と縫い合わせてますので、そういうのはないですね」
「食事や排泄はどうするんです?」
「胃瘻による経管栄養ですね。排泄物は循環してますからね。ときどき鼻から尿らしきものが出ますが、摂取してるのは高カロリー輸液だけですからね。いまのところ問題ないみたいですね」
「意識はあるんですか?」
「ええ、声を掛けるとふたりとも目をぱちぱちしてますよ。あ、あれがそうですか」
診療所で業者のトラックが待っていた。運び入れる荷物は少なく、作業はすぐに終わった。いずれ改めてお礼しますいえいえそれには及びませんというやりとりの締めくくりに、ふと気になったことを聞いてみた。
「ちなみに、二人をトランクに入れた理由は何なんですか」
彼女は人差し指を振って微笑んだ。
「だめですよ雨宮さん。会ったばかりの人にそこまでは教えられませんね」
別れ際、この話は誰にも言わないでくださいね、と片目をつぶって念を押されてしまった。
あれから1年、俺と先生は折に触れトランクの会話を愉しんでいるが、いまだにその答えは教えてくれないままである。