先週突如発生した台風により、夏の暑さは全て吹き飛ばされたかのように思われた。
その油断が悲劇の引き金となったのだった。
涼しかった一昨日とは打って変わって、ゲリラの如く訪れた猛暑日。今時のゲリラ襲撃が一日で鎮圧されるはずもなく、陽の弾丸は今日も無差別だった。
舗装はお世辞にも整っていない、錆びれた駅前。人一人分は入れそうな大きなキャリーバッグを、小柄で若い女性が大変そうな形相で引いていた。それは、ともすれば風邪とも言える、妙に赤らみ、そして苦しそうな顔だった。
彼女はちょっとした上り坂を前にして足を止め、額の汗を何度も何度も手の甲で拭う。だがキャリーバッグを引いているその手は一瞬たりとも離そうとはしない。
私は意を決して声を掛けた。
「あの、お具合大丈夫ですか? もしよければ運ぶの手伝いますが――」
「えっ……そんなに具合が悪そうに見えますか……いえ、大丈夫です」
そう言いながらも彼女はその手を離すことはなく、グリップから汗が流れ落ちる。
「でも、少し心配ですから、ホームまでご一緒しましょう」
私は何か言いたげな彼女を強引に言いくるめて、彼女の横を歩く。その間、習性でつい彼女の左手を見る。薬指に指輪の日焼痕が付いていて、私は少し落胆した。
駅構内は冷房が利いていた。
「どうもまた猛暑日が続くようで憂鬱になりますね」
「……ええ。油断していました。……外になんて出なきゃよかった」
そんな会話を交わしながら改札を通り抜けた。そして、ホームに繋がるエレベーターに乗りこんだ時だった。
「あの……何だか変な臭いしませんか?」
彼女は唐突にそんなことを言いだした。
私は大きく息を吸った。汗独特の匂いを感じながら、私はにこやかに答えた。
「いえ、変な臭いなんかしないですよ。どうかされました?」
「そうですか……いえ、それならいいんです」
その時、エレベーターのドアが開いた。彼女は私に先んじて一歩足を踏み出して、そして項垂れるように会釈した。
「もう電車が来るようなので、すみません、もういきます」
そう言って彼女は電車に飛び込んだ。
砕けたスーツケースには、熱中症で亡くなったと思われる女児が入っていたそうだ。