青の絵の具を塗ったような空に二羽のとんびが飛んでいる。遠くには渺茫と流れる河がある。祖母の千恵子にいわれて彼女がむかっているのは、Y県の山中にあるN村という場所であった。
そこには千恵子の、昔の恋人が住んでいる。
彼女は、千恵子の昔の恋人、恒三に謝るためにやってきたのだった。
それは第二次大戦のころの話だ。
千恵子と恒三は将来を誓い合っていた。
しかし時代がそれを許さず、彼は仕事で異国へむかうことになり、二人は運命に引き裂かれた。恒三が帰国したのは十年ものちである。
彼女は消えていた。その消息は杳として知れなかった。恒三は諦めかけた、そんな折に運命の皮肉な奇跡が起こった。新聞に千恵子の投稿が載っていたのだ。名はない。しかしそれは、千恵子と恒三の幸せな日々と、その別れであった。
彼女は戦争の悲しさを訴えていた。長い投稿の最後を読んで、恒三は、泣いた。
彼女は――来春結婚するのだった。
迷惑かも知れない。だが、千恵子に生存の連絡だけはすることにした。震える手で電話した。彼女は出た。驚いて、そして泣いてくれた。恒三は、それだけで、どこか救われたような思いがした。それから、たくさんの話をした。千恵子は会いたいと言った。
恒三は断った。まだ笑って会えないから、と。だから約束した。いまの気持ちも笑って話せるほど時間が経ったころ、五十年後に、また会おう、と。
今年が五十年目。
彼女は、祖母からその話を聞かされて、代理としてやってきたのだ。
千恵子は昨年、亡くなっている。
だから、彼女は祖母の想いを、代わりに届けなければいけない。引いているキャリーケースには祖母の遺影などが入っている。
ふと彼女は空を見上げた。二羽のとんびがまだ頭上にいた。
「あの、もしかして道に迷ってます?」
急に声をかけられ、見ると、若い男が立っていた。
「少し、N村に行こうと思ってるんです」
「そこは僕の村だ。よければ案内します」
ちょっと迷った。しかし案内してもらうことにした。彼が、とても優しそうな人に見えたからだ。
「僕は恒夫っていいます」
「私は千恵美です」
はにかんだように笑って、二人は並んで、歩きだした。
ぴゅーと鳴きながら空を旋回していた二羽のとんびは、何かに安心したように、水面をかすめるようにして河を渡っていった。