上空ではカラス達がギャアギャアと騒いでいる。舗装路が終わり、その先に人家はもう数軒しかない。
女は顔を覆った長髪を振り払い神経質な指の動きで額の汗を拭った。
「おい、でけートランクだな。何が入ってんだ?」
男が言った。女が坂を上ってくるのを待ち構えていたのだ。
女は今気づいたように目を丸々と見開いたが、そのまま異様な早口で喋りだした。
「どこに逃げてもアイツが追ってくるの。死んだはずのアイツが」
私、東京で三葵商事の受付してたのよ。たかが受付だと思ったら大間違い。田舎者のあんたには分からないだろうけど三葵本社の受付は秘書業務もこなすエリート中のエリート。
知性と美貌と愛嬌と、美貌と知性と美貌と美貌を備えた完璧な女だけが務められるOLの頂点、女の頂点よ。私がそうだった。超一流の女には超一流の報酬が有ったわ。できる女の充実感、毎週エステに通っても余裕のお財布、そして厳選された男だけが集まるパーティー。
でもアイツが追ってきた。ある日私の背後で囁いた。
「知ってるぞ。お前はそんな女じゃない。身の程知らずが!」
私は邪魔だったアイツを……アイツを殺したはずだった。いや確かに殺して処分した。完全犯罪だったのに。
三葵系の御曹司が私にアプローチしてきた時から、耳元で囁くアイツの声が止まらなくなった。私は三葵を、東京を諦めなくてはいけなくなった。大阪に逃げホステスに身をやつした。それでもアイツは満足しなかった。
「まだだ。まだお前には過ぎた身分だ」
福岡に逃げブティックの店員にまでなった。それでもアイツは許さなかった。私にこの美貌がある限りアイツは成仏しないのよ。アイツはどこまでも追ってくる……。
女はキャリーバッグの取っ手をブルブルと握り締めた。と、そこにカラスが舞い降りてきた。女は声も上げずにバッグを引き寄せた。荒い地面の衝撃でバッグの蓋がバクンと開いた。「いやああああ!」女はそこで悲鳴を上げた。ケースからこぼれ出したのは、沢山の……。
沢山の、野暮ったく巨大な洋服達。そして数枚の写真。写っているのは洋服に相応しい造作の田舎娘。女は顔を覆ってうずくまった。
「なーにやってんだぁ、とし子」
「…………私のこと、わかるの? ……たかちゃん」
「たりめーだぁ。おけーり」
十ヵ月後、女は野暮ったいマタニティで同じ道を病院へ向かう。その時は男も横で大汗をかいている。