ワイが文章をちょっと詳しく評価する![29]

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522第二十四回ワイスレ杯参加作品
 キャリーバッグはいかにも重たげで、砂利を噛んでがらがら鳴るそれを、女は強い日差しの中、額に汗して引き摺っていた。女は若く、飾り気の無い服装は今朝方思い立って出てきた、というような風情だった。
 ここは山奥の見捨てられた町だ。バスも無い。どこかしらその姿に心惹かれたのも無理は無かった。
 彼女は一人であの荷物?を引き摺って歩んできたのか? 
「あの…」と思わず声を掛けていた。
 女は訝しげに僕を見て言った。
「将太くん…?」
 化粧気の無いその顔に、あどけない少女だった頃の面影が潜んでいる。
「葵か…?」

 葵が都会へ出てから十年が過ぎていた。子供の少ないこの町で、僕らは兄妹のようによく遊んだものだ。夕暮れの山の中で初めてキスをされた、そのときの感触が、俄か雨のように意識に降り付けてすぐに去った。
「戻って来ちゃった」と葵は言った。
「都会はやっぱり大変なんだね」と、そう僕は言った。彼女は何も答えなかった。自分の馬鹿みたいな声が耳に残った。
 息苦しい沈黙だった。
「それ…」ふと気になって、キャリーバッグを指して言った。「…重そうだね。何が入ってるの?」
 急に、木々を抜けて強い風が吹いた。
「色々…荷物とか…」葵は風に靡いた髪を抑えながら風の抜けていく方を眺めやって言った。
「持ってやるよ」
 そう言うと初めて安心したような笑顔を見せた。
「相変わらず優しいんだね?」
 バッグは恐ろしく重かった。僕は動けなかった。ただの一歩も…。その間にも、身軽になった葵はどんどんと先を行って、その背中は小さくなる。一度も振り返ることは無く、やがて、見えなくなった。
 僕は、このバッグを手離してしまうだろうか? 先のことは何一つわからない。でも、まだ離したくはなかった。
 それは多分、僕とバッグとのプライドの問題だった。