ワイが文章をちょっと詳しく評価する![7]

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429悠々として急げ


 遠い日、いまよりはるかに生き急いでいた頃、パリのバスチーユ地区にある安宿に秋の終
わりからパリ祭直前までの、およそ8ヶ月のあいだ暮らした。アーネスト・ヘミングウェイが
『移動祝祭日』の中で、「人生のある時期、パリに暮らした者には一生涯、パリがついてまわ
る。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ。」と書いたくだりを、自分自身の眼と耳と鼻と舌
と肌で検証しようというのが、旅の動機だった。といえば聞こえはいいが、当時、個人的に
傾倒していたフランスの文学者、哲学者、思想家(モーリス・ブランショ、ロラン・バルト、
ジャック・デリダ、ミシェル・フコ、ジル・ドゥルーズ、クロード・レヴィ=ストロース、
ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカンら)に直接会い、あわよくばインタビューしてやろう
という無謀な試みを実行に移しただけのことである。さらには、彼らへのインタビューをまと
め、『構造主義者たちのパロールの構造』なるタイトルで出版化にこぎつけたいという密やか
な企みもあった。

(à suivre)
430悠々として急げ:2011/04/27(水) 23:33:49.44

 当然のことながら、この身のほどをわきまえぬ「蛮行」は失敗に終わった。
もっとも、「顔のない作家」であるブランショがじかに他者と会うはずはない
し、「悪しきパロール中心主義」から「戯れのエクリチュール」への脱却を標
榜していたデリダがそもそもインタビューなんぞに応じるわけもなかった。し
かも、相手は「極東の小島」の名も知らぬ小僧っこである。歯牙にもかけまい。
そんなことはハナからわかっていた。わかってはいたが、「実存をさらけだせば
もしや」というような気持ちがなかったわけではないのもまた、事実である。

 私のもくろみはかなわなかったが、パリのど真ん中で、憧れのストラクチュア
ル・ギャング・スターズとおなじ空気を吸い、おなじパンを食い、おなじセーヌ
川を眺め、かれらが歩いているとおなじモンマルトルやモンパルナッスやカル
チェ・ラタンを歩き、おなじパリの雨に打たれ、おなじパリの空を見上げたこと
だけで、私はじゅうぶんに満足だった。面談の交渉のために訪れたエコール・ノ
ルマル・シューペリウールやコレージュ・ド・フランスの学食で食べた昼飯はおそ
ろしいほど安く、おそろしいほどまずかったことを憶えている。

(à suivre)
431名無し物書き@推敲中?:2011/04/27(水) 23:37:56.58
紅茶臭い
432悠々として急げ:2011/04/27(水) 23:40:36.64

 
 エッフェル塔や凱旋門にのぼり、またサクレクール寺院前の斜面に座り、
パリの街を一望したときには、いま目の前にひろがるパリのどこかにフコ
やデリダやレヴィ=ストロースがいるのだということに思いいたり、胸につ
よく迫るものがあった。

 旅程表をつくりはじめ、私淑していた清水多吉先生に相談したところ、
「ミッテランが大統領のうちに行ってきなさい。」と激励され、数通の紹介
状を書いていただいた。おかげで、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったユ
ルゲン・ハーバーマス教授にお会いできたばかりか、カルチェ・ラタンの
小さなビストロでごちそうにまでなった。忘れえぬ思い出のひとつである。

 ハーバーマス教授は、「あなたはいくぶんか物事を性急に片づけようとす
る面があるが、それもまた若さの特権でしょう。」と言って笑い、食後の腹
ごなしの散歩の際に、セーヌ川沿いの古本屋でみずから選び、買ったポ
ール・ニザンの『アデン・アラビア』にその場でサインをし、プレゼントしてく
ださった。

「『アデン・アラビア』には純粋無垢なる魂があります。ポール・ニザンの魂は
あかむけなのです。」というハーバーマス教授の言葉はいまも私の胸をうつ。

(à suivre)