疲れた……ワイシャツを脱ぎながらベッドに横になる。ベッド脇で埃をかぶっている写真に写る自分はどこにいるのだろうか?
若いころは、とにかく働いて金を貯めては旅行に出かけていた。しかし、結婚して定職に付き子供も出来た頃から、自分には自由は無かった。
正確には無いわけではないが、それはすなわち家族の不幸を意味していた。
結局は自分の意思として今の生活を選んだわけで後悔も何も無い……無いのだが、
個人としての夢が無くなった訳ではない。
マチュピチュで黄金色に染まる朝焼けを見てみたいし、太平洋航路をのんびり揺られてみたい、色々あるが一番行きたいのはカイラス山。
ポタラ宮の正面にあるゲーセンでバイクゲームを楽しんだりした不届き者でも、五体倒地で巡礼する人の姿には心を打たれた。それ以来彼らの目指す聖地カイラス山へ行ってみたいのだ。その気持ちは静かに大きくなっている。
「ん?」マナーモードにしたままの携帯がうねりを上げる。
電池で振動するアレはよく壊れるのに携帯は壊れないよなぁ……どうでもいい事を思いつつ電話に出る。
たどたどしいけど、疲れが溶けていく声で娘が話しかけてくる。最近電話を覚えたらしく、自分だけでなく祖父母にもよく電話をかけているらしい。
この時間は今の自分にとって、どうでも良い内容であっても大事な時間だ。
ああ……そうか
各駅停車で旅をする時間、中国の長距離バスに乗ったときの時間。
その行為に意味があるのかどうか分からないが、その時間はかけがえの無い大事な時間だった。
自然と顔が緩む、娘に今の気持ちを話した。
電話の向こうで娘が妻に説明しようとしている声が聞こえる。
「みぃとゆめはおなじでだいじなんだって」
私も娘も……そして妻も、みんな笑っているだろう。
*次は「色鉛筆」「プラネタリウム」「雪」でお願いします
私の名前は『文(あや)』。お婆ちゃんが付けてくれた愛着はあるけど、面倒な名前−−言葉で伝えると綾か彩と思われ、文字で伝えると『ふみ』と読まれる−−
でも、私はワザと『フミ』と名乗るときがある。
2/17 今日はフミ
真帆はプラネタリウムが好き。プラネタリウムに映し出された、でも降り注ぐ様な星の光は雪ふる夜空にライトを照らしたような圧倒的な光の粒なんだって。
昨日一緒にいくはずだった智君は約束に遅れそうだったから道路を無理に横断して事故にあったって。もう生きてるのが不思議なんだって。
だから真帆は私に「お願い、このメールを事故の前に……智に届けて」って言ったの。だから私はフミになった。
「ごめん用事出来たから今日は無理」それだけのメールだけど代償は多分大きい。
今までも過去にメールを送っているから、どれだけの大事な手紙やメールを受け取れないのか見当も付かない。だけど、そんなことは分かっているはず。だから私はメールを届けた。
真帆はいきなり泣き顔から怒り顔になった。「智君が約束を破って来なかった」からだそうだ。智君も真帆がメールを送ったんだろ?と怒っている。私は色鉛筆で塗るように今を重ねることは出来ない消して書き直すだけ。
ま、どうせすぐ仲直りするでしょ。喧嘩なんていつものことだし。
2〜3日したらすぐおなか一杯の話をしてくるんだろうな。
2/19 真帆が別れた。
仲直りのメールが届かなかったんだって。命と恋愛で釣り合うってなんか素敵だよね。明日は1日遊んで愚痴を聞かなきゃね。
*「ミシン」「ねずみ」「ダンス」でお願いします