「どうだった?」
戻った僕に彼女が無線越しに聞いてきた。機械を通して届く彼女の声は、感情が抜き取られているように感じた。
「だめだった」
「そう……」バイザーの奥の瞳が翳った。
彼女はかろうじて一つだけ壊れていなかったデスクチェアから立ち上がって、今ではテラスと化した窓際に立った。
時刻は午後5時。地平線まで続く街のむこうに今しも太陽が沈もうとしていた。
いつもなら仕事を終えた人々の車でハイウェイは渋滞し、歓楽街のネオンが瞬きはじめて寄り道を誘う。
そんな一日の終わりにふさわしい賑わいに包まれる頃合。でも、今日の街は静かだ。
僕の横で街を眺めていた彼女が、柱に凭れてかすかに息をついた。その吐息も電気信号に変換されて僕の耳に届く。
もう二度と彼女のあたたかい息を直に感じる事はできないのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていると、不意に彼女が、着ている放射線防護服の横脇をつまんで、
ごきげんいかがとスカートを広げるような仕草をして言った。
「ムササビ」その突飛な行動に僕は思わず笑い出す。
「何だよ、それ……」
「だって、似てるでしょ? 前からそう思ってたの」彼女も笑い出す。
無線のレシーヴァーに彼女と僕の笑い声がこだまして、消えた。戻ってきた静けさがふたたび僕たちを隔てていった。
彼女が突然ヘルメットのボタンに触れた。パシュ、と気密の破られる音。
「マリ!」
「いいの」彼女の髪が外界のかすかな風に躍る。
「もう、いいの」
「……」
「こんなことなら、お気に入りのドレスの一着でもロッカーに入れとけばよかった」
「……」
「そう思わない? この、ださい服」
夕日に満ちた廃墟の中でそう言って笑う彼女を僕は抱きしめた。頬に彼女のあたたかい息を感じた。
人工衛星が、すみれ色に染まっていく空にちかりと瞬いた。
彼はこの尽きていく特別な夜を眺めるただ一つの眼となり、また、いつも通りにやってくるであろう
あくる日の、すべてが静寂に包まれた新しい世界を見ることになるだろう。
凍った眼で。
かぶったけど書いちゃったから投下させてくれ
お題は前の人のを継続で
63 :
gr:2011/02/07(月) 02:25:14
#「蜂蜜」「ふわふわ」「白衣」
「シーッ! …なにしろ、密造酒だからね。見つかったら僕たちタイホされるんだよ」
私がミードというお酒の名前を知ったのは、高1の冬、放課後の理科準備室だった。
その部屋は、昔から“科学同好会”の部員の溜まり場で、私は、その副部長だった。
科学同好会に、先輩は1人しかいなかった。その人は、校内の誰よりも頭がよくて、
しかも誰よりも発想が鋭く、そして誰よりも奇抜なことを言いだす唯一の先輩だった。
先輩が制服に白衣を羽織って歩くのを、変人ハカセだとか言って笑う人もいたけれど、
私は、白衣を着ることがかっこいい気がして、いつからかそれを真似するようになった。
先輩がある日、ウィキペディアのプリントアウトを自慢げに見せてくれて、私たちは、
同好会で密造酒を作ることになった。ミードというのは、蜂蜜を発酵させて造る酒だ。
「蜂蜜は糖分が多いけど、多すぎてそのままでは発酵しない。だから水で薄めるんだ」
私は今、3年生になり、放課後は先輩のいない準備室で受験勉強をするのが日課だ。
先輩のような人が集まっているらしい“東大”というところに私も行きたいという思いは、
むしろ先輩に毎日会えなくなってからのほうが、日に日に強くなっている気がする。
先輩の卒業の日、記念にあの瓶を開けて、初めて私もお酒というものを飲んだときの、
あのカッとしてふわふわするような気持ちは今も忘れない。
ミードの酔いは一カ月続くというけれど、私のこの高揚感は一年経っても募るばかりだ。
#ごぶさたしています。新スレ乙です。
#次は「栓抜き」「耳」「インク」で。