この三語で書け! 即興文ものスレ 第二十五ヶ条

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186名無し物書き@推敲中?
東日本大震災で気仙沼は甚大な被害をうけた。多くの人々が路頭に迷うなかで、カツオもまた店を失くし、避難所生活を余儀なくされた。
彼の店というのはクリーニング屋だ。毎日重いアイロンをかけてきた右の掌はタコができていた。
この半年間、大きな絶望感を抱いて生活してきたが、ある日かすかな希望をカツオは見た。
それは気仙沼の漁師達が、復興に向けて港でがれきの撤去をしている光景を目の当たりにしたからだ。
何も彼ら漁師達が、それまで何もしていなかった、というわけではない。多分、カツオは周りの状況がどうなっているのか、判断能力が働いていなかったのだろう。
人は絶望を感じた時、よく周りに注意が向かないものだ。港では大きな機械で陸にあがった船舶を撤去している。
カツオは、自分の店があった場所に行ってみた。そこはまだがれきが片づけられていなかった。
「俺も一から出発だ」カツオは流されてきた材木をかたし始めた。自分の真価が問われているような気がした。


187名無し物書き@推敲中?:2011/09/10(土) 17:30:43.97
次は「老人」「海」「少年」でお願いします。
188 ◆/XayXVEOhA :2011/09/10(土) 18:02:59.02
「老人」「海」「少年」

ヘリで運ばれていった老婆は「すみません」と何度もくり返していた。
彼女が何か悪いことをしたわけではないのに「すみません」と
申し訳なさを口にしたことに衝撃を受けたのは海外のメディアで、
海外のメディアが衝撃を受けたことに衝撃(というほどではないけれど驚き)
を受けたのは日本にいる日本人の僕だった。

宮城県は牡鹿、女川町にある島、出島(いずしま)。そこに寺間という地域がある。
とうほくを、とうほ「ぐ」となまって発音するような、
そんな、宮城県にできた「濁点」のように位置する島。
僕は、三月十一日の、その日、海の中にいた。
あわび、うに、こんぶ──手を伸ばせばすぐに手に取れる幸を、
しかし、取らなかった。海の生物も、自分も、この地で生まれた同胞(はらから)。
腹がすいてないのに食べるような真似はしたくなかった。

九月十一日、僕は、海にいた。若い者で出島に残ったのは少ない。
ここで死ぬと覚悟を決めた老人のほうが多い。
僕の家は思い出ごと根こそぎ波に流された。
放射能が空を舞い、東北の大地に降り注ぎ、海底に堆積しているだろうことはネットで知った。
それでも僕は海にもぐった。そして、腹はすいていなかったが、こんぶをすこしかじった。
君がうれしいなら、僕もうれしい。君が悲しいなら、僕も悲しい。
そう言いながら(口からは泡がブクブク出ただけだったけれど)、かじった。
僕の目から溢れた涙が海水に溶けていく。
ああ、僕は海の一部になる……。これでいい。これがいい。すごく、幸せだった。

次は「夢」「生きる」「意味」」でお願いします。