>繰り返すが、受賞後にこういう小説を並べられても「商品」にはならないだろう。
>少しばかり罪作りな選考ではなかっただろうか。
皮肉だねえ。
選考委員どもよ、もうすこし将来性というものを考えて選考しろやということだろ。
でも確か「乾燥腕」に関しては、吉田・松浦(男)・角田は積極的に推してないんだよな。
ゴリ推しする委員がいてそれで決まったとか。
積極的に推さなかった委員たちの頭にはやはり「金払ってまでこれを読みたい奴いるのか」というのが
あったんではないかと推察。
いや、角田さんは推してたよ。
松浦(男)さんは受賞作じゃない「四本の乾いた右手」を推してた。
好みの問題だと思うけどね。
実際、受賞するだけの力はあると感じたし。
またなんか批評・文句スレになりつつあるな……。
こないだのあの健全な空気はどこへ行ったんだ。
>>954 受賞作読んでもないのに「ここには出さない」とか愚痴るのが
このスレなんだ
>>954 読んだ。
確かにうまい、でも金払ってまで読む気はしないという感想を持った。
その後選考委員のコメントを読んだ。
何人かの委員の、受賞に反対はしないが積極的に推しもしないというニュアンスの意見に同意した。
もうそういう性描写や暴力は飽きてるんだけれどな
おまえらは飽きないの?
そういう濃い性描写やらバイオレンスに飽きた読者たちが多数いるからこそ
逆に娯楽小説やターゲットを絞ったサブカルチャー的小説やライトノベルしか売れなくなっているのでは?
俺は娯楽小説も過剰に濃い描写の純文学もどっちも好きだしラノベも好きだからアレだけど……
でも流行って循環するじゃん?ファッションなんかもそうだと思う。
最近ワンピースとかチュニックとかが流行ってるけどあれってもろに80年代の流行の揺り戻しに思うし。
だから文學界が推してる(ように見える)「過剰な」小説は逆に流行先読みできてるのかもよ?
なーんてねww
でも1000円は高いというのは同意。
だが小説家を目指す以上文芸誌のディスカウント=将来の自分のクビを締める、ことにもなりかねないっていうww
>>956 そうなんだ。自分は好きだけどね、今回の。
去年に比べれば、だいぶいいと思ってる。
それにしても、なんか最近「受賞に反対はしないが積極的に推しもしない」って言葉をいろんなとこで見かける気がするな。
まあ満場一致で「これ!!」みたいな作品が、毎年出たらすごいことだけど。
>>957 飽きてるっちゃ飽きてるね。
ただ、今回の受賞作には、「暴力」も「セックス」も、そこまでなかったと思うんだけど……。
まあ内容としては王道だったね。ひたすら現状をクソだと思ってる鬱青年、っていう。
なんかこう「おおおこれ新しい!」って思えるようなのを、確かに読みたいものだな。
いつになることやら。来年がそうであることを祈るけど。
>>959 それだけ価値観がばらついて(選考委員も読者も、そして応募者たちも)いる時代ということでは?
だから仮に素晴らしい作品でも満場一致にはなりにくい。
違う価値観で書かれたものを褒める以前に「理解する」っていうのはかなり困難なことだと思う。
俺にはイスラム教徒が牛を食わないとか、カトリックが避妊を否定するとかいった価値観が理解できないのと同じで。
でも否定は出来ない訳だ。
そして選考委員は文章の巧拙や小説としての出来を見ることに関しては「価値観」が違っても出来る、プロだから。
だから結果的に「まあ反対はしない、けどこの世界は僕にとってはよく分からないから積極的賛成はできない」
になるのかなあ?って思う。
でもそういう「共同の価値観」を持ちにくい時代だからこそ「小説」にも価値があると思うんだよね。
いつの時代だってやっぱり人は世界とつながっていたいと思うし、感覚を共有したいと思う生物だと思うからね。
>>960 暴力とかセックスは喩えだろ?君の言うように「王道」と呼ばれるものの例示だと思う。
現状はクソだ!ってそれこそ徒然草にも通じる感覚だよねww
大正期の無政府主義者、共産主義者、ピストルズに代表されるイギリスのパンク、それ以前にロック
確かに飽き飽きするくらいに王道なテーマだし新しいの読みたいし書きたい気持ちもわかる。
でも逆にさ、そういう「王道」だからこそ「人間の本質」がそこにあるのかも知れないよね?
だからあえてそこに挑もうとする110回受賞者の心意気は好きだな、俺は。
>>962 わたしもその心意気がいいと思った。
正直というかまともというか、純粋だなというふうに思ったんだよね。
あまりにも使い古された文学的テーマに、これまたあまりにも陳腐な文体で立ち向かってるところが。
だから逆に「自由高さH」はなんかもう、文学ってものを逆手にとってるみたいな、
へんな計算高さみたいなものが感じられて、「こいつ……うざい!」って感じで読めなかった。
面白く読めたひといたら、どこらへんが面白かったのか教えてほしい。(皮肉ってるんじゃなく、マジで)
>>961 そうかねえ。
なんか「価値観の違い」とかも超越した、ものすげー作品が出てこないかなあと、自分は思ってるんだけどさ。
「時代の痛み」みたいなものをちゃんと引き受けた作品というの?
それが「個人の痛み」に始終しちゃってて、そのせいで「万人に受け入れられない」、過剰なものが評価されてるような側面もあると思う。
さて、やっとヤマトのひとを呼んで応募したぜ。
その「時代の痛み」とやらを書き込んだつもりだけど、どうなることやら。
やっぱある程度の計算みたいなものは必要なのかな。
社会的問題と個人的問題と風俗とをうまーく落とし込める技量つーか。
「介護入門」なんて、いま読み返すと多少あくどいけど、
社会と個人の問題をラップ口調で書く、っていうかなり巧い落とし込み方だし。
そういう意味では、
今回の受賞作は、「受賞狙い」というよりも「こう書くしかできなかった」っていう
すごく真面目な作品だと思う。
迫力はあるけど、メッセージみたいなものはあんまない。
文学界らしい、オナニー的な小説。よくも悪くも。
>>964 俺は「乾燥腕」は好きで「自由高さH」に関しては好きではない(嫌いでもない)
良かった点としては「やりたい放題やっている思い切りのよさ」
角田氏の指摘の通り「あちこち話が飛び」「筋に関係ないような事柄を無意味に詳細に語る」話で
そもそも読みにくい。
けれど小説ってそもそもそういうものだと思うんだよね俺は。
例えば「恋人と別れる」ことを心理・風景描写を過剰に延々書いて「恋愛とは、人生とは、人間とは何か」
に関する解を作者が提示するもの、そして読者は勝手に感じ、考え、語り、小説の副産物としてのストーリーを楽しむものだと思うんだ。
そういう意味ではすごく「小説的」なんじゃないかなあ、そういう作品を新人賞に送る精神のタフさは凄いなあ、と。
俺だったら「こんなの理解されないだろうし……」とか思って尻込みしちゃいそうだもん、書けても。
もちろんそこを「俺凄いでしょ?斬新でしょ?」と作者が言っているように思えて「うぜえ」って言う人の気持もわかる。
俺もあの作品が「新人賞受賞作」じゃなければ褒められないと思う。
でも新人賞に「小説とはこうあるべき」と作者が思うスタイルで殴り込みをかけたことが意義深いと思うし羨ましい。
だから彼の作家としての評価は自作を待つべき。
作品としての評価は「ストーリー」よりも「彼の意気や彼なりの粋」を感じることによってなされるべき、かと。
>>968 そうなんだ。
もう一回トライしてみる。読み切れるかかなり不安だけど。
何よりそんなまともな感想をここで読めたことが奇跡。ありがとう。
『自由高さH』って「話として面白いか面白くないか」って聞かれると多くの人はつまんない、って言うと思う。
『乾燥腕』も話そのもので言うとそうかな?
それこそ「話そのもの」の面白さならそれこそ涼宮ハルヒとかの方が上だと思うのね(個人的感想)
でもそのスタイルに関してはやっぱり新人としては頭ひとつ抜けてると思うんだよ。
>>967が言うように自分に素直な真面目な、真剣なオナニーだと思うわけ。
人に見せるとなると普通は照れたり、飾ったり、迎合したり、しちゃうんだよ人間。
そういう小説が氾濫してる中であくまでも「これが俺のオナニーだぜ!」って真顔でやっちゃうのはやっぱ熱い
源一郎みたいなものかw
>>971 いやむしろ「団鬼六」
流行りすたりとか関係なく「俺は精神的なねちっこいSMの官能小説で勝負する」みたいな
>>970 うーん、なんでそこで「ハルヒ」が出てくるのかはよく分からないんだけれど
そして「話そのもの」ってのが何を指してるのか分からないんだけど(プロット的な意味でかな?)
少なくとも前回の受賞作には、すこしはエンタメ的要素があったと思うのね。
スレ違いかもしれんけど今回の群像の受賞作にも「読者をたのしませてやろう」みたいな意識はあったと思うの。
でも今回は、それはあんまりないよな、って感じ。
で「感想腕」はそれでいいんだよ。
オナニーどうぞやってくださいって感じ。オナニー自体が面白いんだから。
でもなんか「自由高さH」は「いや、いまそれやられてもあんま面白くないっす……」みたいな、
空気読めてないなみたいな、そういう違和感をもったわけ。
まあそれが面白いんだったら、それでいいんだけどさ。
俺の長年の疑問は、時代は「新しい作品」を求めているのか「王道」を求めているのか、ということ。
新しい作品が読みたい、価値観を飛び越えて迫ってくる名作を読みたい(或いは書きたい)というのは分かる。
でも書店には「人が死んで、名探偵(役)が解決する物語」や「巨大な敵(或いは世界)と戦う俺の物語」や「愛って何だ?みたいな作品」
ばかりが並んでいる訳だ。
実際俺の本棚にも、過去に好んで読んだ本にも、結局言ってしまえば中身そんだけの王道小説が並んでいる。
ぶっちゃけてしまうと俺はそんな「王道小説」が好きだ。
そしてなんか新しい匂いがする小説、例えば言文一致を究極に突き詰めた(気がする)恋空等の携帯小説、
文章の巧拙はともかくストーリーで読者を牽引(しようとする)山田悠介、
現代風の人間関係と現代風の言葉遣いを(無意識的にかもしれないが)用いて書く綿矢りさ達の新進女流作家、
奇抜な会話、奇抜な書体なんかを駆使する舞城王太郎、
そういうのを読んで読者達は口々に「こんなの文学じゃない!」と叫ぶ訳だ。(俺も割とそっち側の人間)
彼ら彼女らの試みはもしかしたら小説を変えた「言文一致体」の再来、いわば言文一致体2.0かもしれない
それらを用いれば多様化した価値観を統合、あるいは飛び越えて破壊、そんなことが出来る可能性もある
事実それらの著作は文学から離れた所にいる人々を一時的にせよ抱き込むことに成功した訳だ。
でもやっぱり拒絶してしまう。そういうのは読めない、書けない、読みたくないし書きたくない。
そういうのは売れる、けど「売れ続ける」ことはあまりない。
結局言文一致体1.0を使いながら「なんか新しくないよね」ってぼやく日々がまた続くわけ。
このままいけばじり貧ってことは分かってるけど2.0は使いたくない。
どうなんだろね、この先。
PCのOSで言うwindows95みたいな斬新で、誰もが使いたくなる、使える新しい文学は生まれるのかね?
生まれるとしたらどんなんだろうね。
まあ少なくとも俺から生まれることはなさそうだがww
>>973 ハルヒを持ち出したのはその「エンタメ的要素」を表現しやすいかな?と思ってさww
話そのものってのはまさに「読者を楽しませてやろう的なもの」ね。
ドラゴンボール読んでわくわくしたりスラムダンク読んで「バスケがしたいです!」ってなったりする感覚とか
逆に源氏物語読んで「色恋に限って言えば平安も平成も人間変わらんなあw」って笑ったりする、その部分。
そういう意味で評価すれば今回は二作ともクソだし、新しい発見をする喜びもなかった、つまり「話そのものはくだらない」
ということね。
ただし作者の企み(に見えるもの、意識的なものかは知らないが)は面白いよね、ってことが言いたかった。
「自由高さH」はその企みがよくわからない、というのは俺も同感。
でもそのわかりにくい企みを大胆に出してきたその心意気に僕は負けたよ……的な
森鴎外でいいじゃまいかw
>>976 森鴎外も勿論良いよね。明治の日本人が「舞姫」なんていう国際恋愛とその苦悩を書ききったのは最高だと思うけどなww
まさに「ダーリンは外国人 明治版(元祖)」みたいな
舞姫読んだあとダーリンは外国人なんて読むと「時代って変わるんだなあww」なんて笑ったりできるけども。
でもそれで終わったら「作家を(一応)志す者」としてはダメだろうww
>>977理論で行くとハーレムもののラノベ=現代版源氏物語、ってとこか?
じゃあ逆に次来るのは「現代約聖書」だな!
実はユダは裏切り者じゃなくてほんとに仲間を思ってたやつだった、的な…って映画かなんかで見たな…
>>974 そこで逆に高齢者による高齢者のための高齢者的な新しい言文一致体、新しい青春小説だよ!
死ぬまでの期間と青春少年が大人になるまでの期間を重ねて、まああと5,6年と仮定して
『逆に14歳』とかどうよ?
…って、アレ?なんつって
>>974 >事実それらの著作は文学から離れた所にいる人々を一時的にせよ抱き込むことに成功した訳だ。
これっていうのは、小説家としてはひとつの意義的な結果だよな。(良い悪いは別にして)
974の思う「王道」というのがいったいどういうものなのかはよく分からないけど、
自分はべつに「王道」でいいと思う。
綿矢りさってのは(めちゃくちゃ噛み砕いて言うけど)「若者の叫び」みたいな至極王道なテーマを扱ってる。
ただ、それを描き出す文体が瑞々しく、彼女独自のものだった(まあ、新しかった)ということ。
モブ・ノリオもそう。「自分なんてクソだ」という陳腐なテーマを、
新しい文体で、しかも「介護」っていう社会的問題に投影させて昇華させた。
金原ひとみのアプローチもそう。いかにも日本文学的な、自意識みたいなものをテーマにしながら
その背景はいまこの現代なんだよな。ピアスであり、摂食障害であり、カジュアル・セックスであり。
(まあどれも昔にあったものなんだろうけど)
>ああ少なくとも俺から生まれることはなさそうだがww
いや、そう言わず挑戦してくださいよ。
ツイッターやブログ的形式文体でいいじゃないか
もしくは2ch語w
それらがはらむ社会的問題と個人的問題と内面的暴力性とか
>>981 2ch語は「電車男」の出版で一応既に為されて一定の成果は挙げたな、発展はしなかったが。
ブログ形式文体って突き詰めると日記であり近況報告だから「アンネの日記」の現代版になるのかも知れん
意外にやってみる価値はあるのかも知れないが……
ツイッター形式って……なんかやっすいトレンディードラマになりそうだなww
>>981 でも可能性はあると思うよ。ツイッターやブログ。
「饒舌な現代」に対する問題提起。
というかこれからどんどん出てくるんじゃないかな。
小説とは馴染まないように思うがなあ
野球とソフトボールくらい、あるいは野球とクリケットくらい性質の違うものじゃなかろうか
あるいはラグビーとサッカーくらい違うんじゃないか?
混ぜたらもう意味不明なものになって価値が失われそうな気がする
饒舌さ、ってのは現代の病のように思えるね。
数年前、文藝かどっかの受賞作が「ブログ」をテーマに書いてたな。
全然話題にならなかったけど。
ネットをテーマに書き上げた純文学ってのは
結局「インストール」くらいしか思いつかない。
村上春樹が「ねじまき鳥」かなんかで少しだけアプローチしてたけど。
あとはなんだ、たけもと野ばらとかか。
携帯電話とかパソコンとか、現代ならではのモチーフを
布石にして書くのは、かなり有用だと思うがね。
>>984 いや、書きようだと思うよ。
文体として取り上げるのは難しいにしろ、モチーフに採用するのは意義があると思う。
「インストール」も道具としてパソコンやインターネットが登場しただけって気がするなあ……
『壊れた(と思ってた)ものが他人の力で再生して非日常を見せてくれる』機能があればそれで良かった気がする
作者にとってそれがたまたまPCだっただけで、ビデオカメラで素人AVを撮る仕事でも良かったように思う。
真っ向からネット社会における人間を描いた作品ってのはあんまりないんじゃねえか?
つまんないのかも知れないけどね。
もちろん道具として、象徴的なものとして使うことに関しては俺も有効だと思うけれど
>>986 うん、俺もモチーフとか道具として使うことに関しては否定しない。
けれどそれをメインに据えるのはどうなんだろう、ってこと。
生身の人間とデジタル世界の人間と、そんなに違うのかなあ。って常々思うのね。
何日か前に「こんなID無しの匿名掲示板でも書き込みにどことなくパーソナリティーの匂いがする」って書いてた人がいたけど
結局生身の状態とそんなに変わらないんじゃないかなって思うんだ。
だったら俺は積極的にそういうテーマは扱いたくないなって思うんだよね、色物になりそうで。
ただ繰り返しになるが時代の空気を現したり、なんらかのツールとして登場させることに関しては否定しない。
>>988 たとえばだけどさ、ツイッターだの2chだのを登場させることによって
「生身の人間とデジタル世界の人間と、そんなに違うのかなあ」っていう問いを
落とし込むことができるじゃない。
たとえばの話だけども。
「そんなに違うのかなあ」と思いつつ、
でも匿名であることに安堵する。
匿名っていったいどういうことなんだろう、とか
なんかそういう問いがむくむく沸いてくるじゃない。いま思いついただけだけどさ。
どんなモチーフから切り込んでいったとしたって、
結局到達するのは「自分の内面」だと思うんだよ。
2ちゃんであろうがツイッターであろうが
どんなものであっても、つきつめていけば純文学たりうるんじゃないかな。
まあそれは人それぞれの好みだし、書きたいテーマってそれこそ作家の個性だから
好きずきだけどね。
>>987 >真っ向からネット社会における人間を描いた作品ってのはあんまりないんじゃねえか?
うん。あんまりないね。
たしかに「インストール」もただのツール止まりだったな。
うーん、面白くないのかねえ。
それとも
>>988の言うように「生身の人間とデジタル世界の人間と、そんなに違うのかなあ。」
ってのが全てなのかね。
2ちゃんなんてものも、べつにホットでもなんでもなくなっちゃったし。
何にせよ、そういう「現代」ぽいもんをあからさまに取り扱うと、短命に終わるってことだよね。
ツイッターってもんをモチーフに書いたとしても、十年二十年後になって、読み返すに耐えるのか、といわれると
微妙だし。
991 :
名無し物書き@推敲中?:2010/05/31(月) 22:15:06
そろそろ次スレを……
うちのプロパは規制中なんだ。。。
もう991かよ。誰か立ててください。
なんてタイトルにすればいいの?
立てたことないんだけど。いつもどういう風にやってんの???
>>989 ああ、なるほど、逆に「どっちもあんまり変わらないと思う、人間は人間だよ」っていうテーマはあり得るな。
これは素直に反省せざるを得ない。
時代に寄り添おうと志向するタイプの人にとってはネットがメインテーマにも成り得るな、うん。
>>990 そうなんだよ、100年後も読み継がれる作品にはならない可能性が高いんだよな。
勿論「その時代ならではの小説」の役割も重要だと思うからそういうモノを扱った小説も否定しない。
でも俺はやっぱりそれこそ源氏物語読んで「恋愛って1000年たっても変わらないね」って現代人が言うような
そういう普遍的な、かつ人間の根本に迫る作品を書きたいと思うんだ。
>>993 タイトルに関しては【】の中身は立てる人が適当に決めてる、スレ番号は文學界新人賞72だな
無理なら俺やってみるけど?
つーかこのスレいま何人くらいいるんだろ?
自分ばっか書き込んでる気がするな……まあべつにいいんだけど。
新スレ2つ立ってるが 笑
>>994 >そういう普遍的な、かつ人間の根本に迫る作品を書きたいと思うんだ。
ところが、人によってはそれを「焼き直し」だと批判する人がいるんだよね。
それで「新しいのを書こうよ!」って。
それで奇抜さばかり追い求めて、一向に人間の基本というか人情の機微や、昔からあるものを書かないから、
一発屋みたいな、トンデモ小説が生まれるような気がする。
1000 :
名無し物書き@推敲中?:2010/05/31(月) 22:28:11
じゃあ、俺様が堂々の1000を。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。