コーヒーを一日断った途端に頭痛だ。カフェイン中毒だなこれは。
寝るか。
ありますよ
でもなくなった
んなこたない
もし本当にないと証明したいなら
カフェインの錠剤を大量に一気飲みしてみろ
うんこには中毒性がある。
もし本当にないと証明したいのなら、
うんこを大量に一気飲みしてみろ。
ま、大量に一気飲みしてしまったら
それが本当にカフェインの錠剤によって
引き起こされた症状かどうか判断出来ないからね
でも、飲み過ぎる程度で
症状らしきものは出るよ
やってみ
ただ、うんこには中毒性があるだろう
ちょっとでもやばいんじゃないの
スカトロAVなんかは疑似うんこでしょ
本物の人達も、事後は嘔吐するんじゃないの
しらんが
コーヒー飲んだらそっこー治りました♥
森鴎外たまんねえ。けれどときどきルー大芝みたいに横文字引くのだけは
やめてもらいたい。ドイツ語だかなんだか知らないけどカタカナをググっても
意味がわかんねえんだよ。コラ聞いてンのか林太郎オイ。
漱石と鴎外はよく比較されるが、俺のなかでは非常に近い芸風の作家である
という印象がある。文章は端整きわまりないし、論旨は整然としていながら肉厚。
強いて言えば、漱石は生真面目な詩人、鴎外は気位の高い傍観者、という
ような感じだろうか。
文学板のスレを読んでみたが、ああいうところに出入りするくらいの
人は読書家であるという一端の自負がある人なんだと思うけれど、
それでも森鴎外が詰まらないとかアマチュアとか云うんだなと驚いた。
ところで漱石の韓満ところどころが馬鹿みたいに面白くて嬉しい。
124 :
名無し物書き@推敲中?:2010/04/19(月) 10:30:44
age
125 :
名無し物書き@推敲中?:2010/04/19(月) 10:32:17
眠い
テス
127 :
罧原堤 ◆AFOWrff8aY :2010/04/19(月) 17:56:33
>>127 ワロタ
ボブ・ディランでもフレディ・マーキュリーでもだめだね。
ボウイじゃなきゃだめだね。
らめ
声と映像が合ってない
乙一って作家の再生工場つうのを読んできた。やっぱ重要なのは、
徹底して正確に書くこと、手堅くまとめること、深イイ話とか素敵やんな
話を交える(=テーマを持たせる)こと、でも冒険はしない、ということか。
乙一という人はあんなの書いてて楽しいのかな。やっぱ仕事と割り切って
書いてるのかな。どうせなら自分が読んで面白いものを書きたいとか
思ったりするだろうに。うーん。とりあえず作家を目指そう。
テキストを見直してみた。思っていたよりボロが見付かった。
いかんぜ。でも挫けないぜ。完結させる自信はあるが枚数どおりに
おさまるかどうかは分からない。でも削ってスカスカにだけは
しないぜ。チェーホフの犬を連れた奥さんを書き写したいぜ。
信じられないほど過疎ってるな。淋しいが仕方ないな。沈みゆく船だろう。
宮部みゆき的な、時代小説的な、脚本と小説の中間の、ドラマタッチの
描きかたをするやつを、書き写したくないけど、書き写さなきゃだめかも
しれない。だったらいっそ春樹をやるか。いや春樹をやると芯から
毒されそうで怖いぜ。ああ、どうにかせなあかん。
森鴎外はすべらない男認定してもいいだろう。なにがいいって、翻訳がいい。
たぶん、やれと言われてやるんじゃなく、自分でいいと思ったのを翻訳してる
から、翻訳特有の無理がないんだろう。漱石と違って、食うために書かなきゃ
ならないという背景がなかったのも却って強みになってるのかもしれない。
横文字を引くのもそういう感覚から来てるのかもな。最初はいちいちつっかえたが、
今になると自由な感じがしていいじゃないの。
最近は創作全般に嫌気がさしてきた。
そんなときもあるだろ。悠長に構えて、部屋に積んである小説を
片っ端から読んだらいいと思うよ。
プロの文章は正確で、飛躍がなく、段取りがいい。素人の文章はそこが甘い。
プロの整然とした文章を書くには、思考をまず整然としなきゃならないのかも
しれないと、ふと思った。文章とは思考を噛み砕いたものだから。
散漫としていたんじゃ駄目だってことだな、多分。
138 :
浅学非才全裸ホームレス ◆TJ7Z9Pav4Y :2010/05/09(日) 05:43:23
書き込みテスト
「文章とは思考を噛み砕いたもの」だったのかあ。
浅学にして存じ上げませんでした
とりあえずパンツをはけ。
いいや。ザクザク書くか。しょうがない。
私物化してごめんねごめんねー。
泉鏡花はわからないな。よさげなんだけどぐちゃぐちゃした段落の締めが
体言止めとか、どんだけー。まあ独特だよね。読解力の鍛練にはいいかも
しれない。
それを下(くだ)り切ると流が聞えて、とんだ処に長さ一間ばかりの土橋がかかっている。
はやその谷川の音を聞くと我身で持余(もてあま)す蛭の吸殻(すいがら)を真逆(まっさかさま)に投込んで、水に浸(ひた)したらさぞいい心地(ここち)であろうと思うくらい、何の渡りかけて壊(こわ)れたらそれなりけり。
危いとも思わずにずっと懸(かか)る、少しぐらぐらしたが難なく越した。向うからまた坂じゃ、今度は上(のぼ)りさ、ご苦労千万。
泉鏡花「高野聖」九の末尾より抜粋。
>危いとも思わずにずっと懸(かか)る、少しぐらぐらしたが難なく越した。
ここ。こんなのばっかだよ。橋を渡るのに懸かりっきりになった、時間を取られた、
と解釈するかと思えば「難なく越した」どう読めばいいんだよ。雰囲気で流せって?
難しいな。
作家志望、というよりは文人でありたいなと思う。
作家を目指すということが、文芸に親しむことの先に来てはいけないような気がするからだが。
それに、こっそりほのぼの愉しんでる趣味人の感じがするのがいい。
>文人[2] 詩文・書画など文芸の面に親しむ人。
作家志望という言葉の、気負った必死な感じが厭だ。
宮崎の、口蹄疫で、すげえ農家のおっちゃんが泣いてて、
わかるんだけど結局バラして出荷するんだろ、なんで、という
風に、冷やかに見ていたんだけど、きっとそういうのじゃ
ないんだろうな多分。
人間は理屈より習慣、現実より習慣、てことなのかと、考えさせられた。
しらんが。
イギリスで、切り裂きジャックの研究者が娼婦を殺害した疑いで
捕まったそうだ。FBI心理捜査官が話題になったのは何年前だ。
あのひとの提示した「快楽殺人犯観」みたいなものが未だ通用する
というのに驚かされた。あのひとの著書は古典の仲間入りをする
んじゃないか。
それから福島瑞穂が罷免されたそうだ。今回ばかりは鳩山にうまく
やられちまったな。閣僚で反対運動は駄目だろ。しかも党内では連立
維持派だったんだろ。罷免の恰好の口実をやってしまった。ふんだり
蹴ったりだ。甘いといえば甘いけど、政治の厳しい一面を見た気がする。
それからアメリカの原油流出はそうとうにヤバいみたいだな。鯨が
死滅する恐れとかいってたが。
ツイッターにアカウントを作ってみたけれど、
意味がぜんぜんわからない。
そろそろブログに引っ込むか。ノシ
ありがとう。イメージはなんとなくついたが依然使い方がわからん。
適当に呟いて様子を見てみる。
女子高の文芸部が出してる同人誌の短編をいくつか読んだ。
文章力はさすが進学校だけあってきちっとしていた。怪しいところが
ない訳じゃなかったし、手堅すぎて面白みのない部分もあったが。
完結もしている。構成もシンプル。だがいかんせんつまらない。
牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけた、地味な女の子のすがたが眼に浮かぶ
ような短編ばかりだった。生粋の本好きはダメだと思った。
なにを読んでも面白く感じるものだから、ネタ選びが雑になる。
やっぱ少しくらい本を嫌ってるヤツの方が、ネタを拾ってくるのは
得意なのかもしれない。
エッセイはへたくそだったなあ。そこ、話が繋がってねえだろとか、
言いたい事はわかるんだけどちゃんと言い表せてないよ、みたいなのが
多々あった。
ちょっとだけ詩が分かるようになったかもしれない。
ランボーとか与謝野とかいいかも。
安吾はときどき日本語がものすっごく下手。
でもヤリマンを描かせたら素晴らしいと思った。
クソ。
やっと涼しくなったと思ったら今度は頭痛だ。一回休み。
ネギ大先生の件は絶対にネタだと思ったが(許せ)
なんかちょっぴり心配になってきた。
大丈夫だろうな?
胃洗浄はキツいらしいな。
金銭というものを苦々しく思い、自伝的と言われる小説のなかでも
その苦悩を赤裸々に綴っていた夏目漱石が、千円札の肖像になっている
というのは皮肉なものだなあと、ふと先日思ったりしたのである。
でも、夏目漱石を起用しようとしたひとたち、大蔵省のお偉いさんだか
政治家だか、専門の知識人チームだか知らないが、そういうひとたちは
少なくとも、夏目漱石の本を何冊か読んでいるはずで、そのなかには
だいたい決まって、リアルな暮らしのやりくりがあったに違いない。
カネは力の象徴でも、豊かさの象徴でもなく、ただ人間の実相を暴く
仕掛けのように扱われている。そのなかでひとは露骨になり、愚かになり、
無力になり、堕落する。それを戒め、日本人をはっきりと啓蒙しようと
したのが漱石である。その漱石が、千円札の肖像になった。
もし、漱石を起用したひとたちのなかに、この戒めを紙幣に託す気持ちが
あったとしたら、日本とは案外精神的に豊かな国だったりするのかな、
などと考えたり考えなかったり。頭いたいんで寝る。
そうそう。夏目漱石の墓って、ごっついんだよね。たぶんお弟子さんとかが
ああいう風にしたんだと思うけれど、それゆえに権勢のあった人と思われたり、
安吾や太宰に反発されたのだとしたら大変悲しい。漱石も本意ではなかったのでは。
夏目家の墓は普通のものであって欲しかった。寝る。
「津軽」をちらほら読んでいるが、つくづく思うのは、太宰ほど目を覚まして
文章を書いているひとはなかなかいないなということだ。アレに比べたら俺は
居眠りしながらやっている。――比べるのもおこがましいか。なんつうか、
あまりに自分が劣るので暗澹とする一方、のびしろはまだ沢山あると知って
嬉しくもある、案外。
長塚節が読みたい、織田作が読みたい、堀辰雄が読みたい、鴎外が読みたい、
あと数年は退屈しないっぽいが、こんな古いのばっか読んでて大丈夫か俺。
芥川龍之介はわかんねえんだよな。とりあえずこないだ読んだあばばばばは
面白かった。でも終盤「逞しい母になっちゃった」的なことは言わなくて
いいと思うんだけどな。あと欄間に緑の硝子が嵌めてあってそこからひかりが
差すと描写してあるんだから、お上の顔が緑に見えた理由を遡って説明したり
しなくていいと思うんだけどな。でもするんだよな。敢えてセオリーを外すと
いうのは余裕なのかな。
テキスポなおった。続き書くお
うおーあと100枚ちょいだこの野郎!
ばっちり奇麗に落としてやるぜ。寝る。