太宰治で人生棒に振りました

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1名無し物書き@推敲中?
落ちたのでたてました。
未完で終わらせてしまうのは勿体ないので。
前スレ>>1がくることを祈りつつ……

前スレ
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/bun/1126745713/
2名無し物書き@推敲中?:2010/01/23(土) 21:28:20
>>1 乙

田舎から大学進学で上京。
孤独にさいなまれてる頃、大学の生協の書店でふと手にした太宰治。
その時から、私は一気に転落し始めたのでした。

から

私はKMが結婚を了承してくれたら、それを理由に断るつもりだったのです。
しかし、もし断られるようなことになったら入党しようと考えていました。
そしてそのような機会は決して訪れまいとも思っていたのでした。

まで読みました。

ぜひ、続きをお願いします。
3名無し物書き@推敲中?:2010/01/24(日) 09:43:22
私はお母様がスウプをいただくのを黙ってみていた
4代行:2010/01/26(火) 21:34:26
(その222)
KMは諦めたように私に背を向けるとトボトボとした足取りで私から離れていきました。
やや俯きかげんな、本当にヨロヨロとした姿だったのを克明に記憶しているのですが、
それに引き換え私自身はといえば心底バカじゃないのかと、今でも恨んでも恨んでも
恨み切れないほどにクールだったのです。結婚を考えているにしては、何という精神の
未発達だったか、我ながら恐ろしくなります。

一月から二月にかけ、私には郵政職員としての研修が二週間待っていました。
場所は国立(くにたち)の中央郵政研究所で、郵便法、郵便事業関連のほか、憲法、
公務員法などを学ぶのです。就職試験の会場でもあったところです。
研修を前に、私はKM宛てに意を決して便箋約二十枚を使って結婚を申し込み、研修の
終わる頃に返事を送ってくれるようにと依頼しました。呑気なもので、私は彼女との
結婚は決まりだと思っていたのでした。
さらにちょうどこの時期、ついに森中班長から例の共産党入党について声がかかったのです。
私は彼と飲みながら、ある事情があるので返事するのをひと月待ってくれるよう頼みました。
私はKMが結婚を了承してくれたら、それを理由に断るつもりだったのです。しかし、もし
断られるようなことになったら入党しようと考えていました。そしてそのような機会は決して
訪れまいとも思っていたのでした。
5代行:2010/01/26(火) 21:35:45
(その223)
三月を迎える頃には、私も当初の気持ち通り共産党入党の意志を固めていました。しかし、あくまでも
KMと別れたという悲しい現実に導かれた結論でしたから、やはり燃える想いなどとは程遠い感情があり、
どちらかといえば何かも忘れて何かに没頭したいという消極的な決意だったのです。
森中班長に入党の決意を述べると、彼は満足そうに居酒屋に私を誘い、高元さんも顔を見せました。
二人は党活動の現状を語り、これからが勝負だと熱意に溢れていました。そして明日には支部へ案内し、
仲間を全員紹介するからと言い、「さあ、ほかには誰が党員だかが明日は全て判明するよ。楽しみだね」と
満面の笑みを見せるのでしたが、私には大抵の人間の見当はついており、逆に私がいまだにほかのメンバーを
知らないでいると思っているかのような二人の感覚に呆れたものでした。
森中さんに連れていかれたJ支部は同じ集配課所属の佐山君の六畳一間のアパートでした。
「ちょっと待っててな」と言い残して森中さんが去って一人になると、私は遠慮なく佐山君の本棚やレコード
ラックに手を伸ばして何があるのかを暇まかせに見ていました。エリ似の例のアイドルのレコードが何枚も
並んでいました。本棚にはさすがにマルクス関係のものや日本共産党関連の書物が多く、というよりはそれ
以外のものはなかったような気もします。
ドアの外で声がしたと思うと、森中さんと高元さんが入ってき、「これから入党届け」を書いてもらうからね」と
言うのでした。
この時は特段の感情はなく、言葉は悪いかもしれませんが「俎板の鯉」の心境でした。
一気に不安が募り、その往生際の悪さが出たのは入党祝いの会の済んだ深夜のことになります。
6名無し物書き@推敲中?:2010/01/26(火) 21:38:27
とりあえずここまで前スレまでのです。
>>1はもうこないかな?

おらぁ待ってるぞ〜
7名無し物書き@推敲中?:2010/01/27(水) 11:58:28
まち上げ。
8名無し物書き@推敲中?:2010/01/28(木) 00:20:30
降臨まだァ〜
9名無し物書き@推敲中?
2月1日から、続きのスタートお願いします。