【佐原敏剛と】壁に向かって囁くヌレ9【信者の集い】
>>951 なんだ嘘か。
それにしても寒い会話だ。これで作家志望だなんてダサすぎる。
佐原って、センスないんだよ。普段から他人と会話してないから。
十歳も年下なら自分の子供みたいなものだ。
結婚もしたことがなく、子供がいないから面倒をみる相手が欲しい。
後藤ゆたかには縁を切られたか。
そりゃあそうだ。佐原には友達なんていない。
>>953 その会話は別の誰かが書いたものだ。そこまで悪い会話ではないが。
>>957 馬鹿な。親にどれだけ手を焼かされているかだ。
おまえが遊んでいられるのは、親に食わせてもらってるからだ。
親に貰った金で女を引っ掛けるのは復讐だ。
素人童貞からの卒業まで後もう一歩というところまで来ている。
>>958 もういい歳なんだから親とは縁を切って自立したら?
この前も家出少女をホテルに連れ込んだが、ヘタクソと言われるのが怖くて何も出来なかった。
寿司を奢ってやったのは、ぐでんぐでんに酔わせるのが狙いだったが連れがいたので上手くいかなかった。
見ず知らずの女をナンパする事だ肝心だ。見ず知らずなら中出ししても連絡先さえ偽れば責任は逃れられるからだ。
>>964 佐原の自分突っ込みww
どっちかが偽者だな。
>>966 佐原敏剛 後藤ゆたか
でググるとわかるよ。可哀想な若者だよ。
>>967 私も気になったので検索してみましたが、被害者という感じですかね。
まだ若い人なんでしょうか。かわいそうですね後藤さん。
被害者?被害者は佐原の親だろ。死ぬまで素人童貞であなさいwww
1980年に入る前から文明は爛熟期に突入していた。
地球上で人類が出来ることはほぼしつくされた。我々の世代はかつてのしらけ世代とは異なったしらけの中で青春時代を過ごしたことになる。
しかしいわゆるしらけ世代のしらけと校内暴力世代のしらけは違った。いじめ問題が深刻化したことからもしらけのベクトルが違った。
その中で私はしらけているどころではなかったのだ。
『さらば愛しき女よ』でマーロウがリンゼイ・マリオの家に呼ばれる。
七時に来てくれとマリオに言われ、正確に七時にマリオの住むモンテマー・ヴィスタのカブリロ街へ着き、家のノッカーを鳴らす。
「何でしょうか?」
と彼は冷たい声でいった。
「七時」
と私はいった。
「正確に……」
「そうでしたか。そう、君は……」
と、名前を想い出そうとするように、言葉を切った。中古自動車の広告のように効果のない、とってつけた身ぶりだった。私は彼にしばらくその身ぶりを楽しませてから、いった。
「フィリップ・マーロウ。午後のときと同じです」
チャンドラーの下積みは余りに長かった。
文明の爛熟はアポロの月面着陸によって象徴された。
私はその時三歳の幼児だった。しらけ世代は私より一回り歳が上である。既に思春期に入っていたのだ。
ロック評論家の大貫憲章は私より十五歳年上だったと思う。私が二十代でロックを聴きまくっていた頃、大貫憲章はロック評論を書いていた。
アポロの月面着陸以降、全世界にしらけムードが立ちこめ始めた。007映画のしらけっぷりがいい例だ。
その反動として出て来たのがアメリカンハードロックだった。キッス、エアロスミスがその孤塁を死守した。
以前、精神科医の春日武彦先生から統合失調症の前駆症状は「こだわり・プライド・被害者意識」と教えていただいたことがある。
「オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ」というようなことを口走り、
「なめんじゃねーぞ、コノヤロ」とすぐに青筋を立て、「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型で
しかものごとを論じられない人は、ご本人はそれを「個性」だと思っているのであろうが、実は「よくある病気」なのである。
統合失調症の特徴はその「定型性」にある。
「妄想」という漢語の印象から、私たちはそれを「想念が支離滅裂に乱れる」状態だと思いがちであるが、
実はそうではなくて、「妄想」が病的であるのは、「あまりに型にはまっている」からである。
健全な想念は適度に揺らいで、あちこちにふらふらするが、病的な想念は一点に固着して動かない。
その可動域の狭さが妄想の特徴なのである。
まさに誰かさんだwww
よかった、俺、いろんなことに迷っててw
>片腕を無くす位だから威勢がいい人で、細かい事に拘らない。
どういう根拠だwww
うっかり落としてきたとでもww
佐原は統合失調症なの?
981 :
名無し物書き@推敲中?:2009/05/13(水) 20:56:01
片腕でタクシー運転って危なくないの?
クレジットカードまで使わなくてはならないのは数年前と今とでは極端に周囲の状況が違うからである。
状況を理解し、突破していくためには人脈が要る。付き合いをまめにして認識を常に改めていなければならない。
友達付き合いをして精神的な支えもなくてはならない。
親は何か非常に重要なことをごまかし続けているのだ。世間にしても同様だ。
それは恐らくモラルだ。なまじっかのモラルだったら無い方がましだ。ごまかしの道徳ほど卑怯なものはない。
高円寺保健センターの保健士をしている女性も精神科医もごまかしている。
今の私の実力は誰にもごまかすことは出来ない真正のものだ。仕事を始める。
二年ほど前、風花で会った朝日新聞の三十代になる二人の記者がマックス・ヴェーバーの岩波文庫版『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をひっくり返しながら
「落語ですよ」
と言っていた。
諸君が言うのは尤もだろう。しかしそれなら何故もっと絶望しないのだ。
君達は笑ってごまかすしかないのか。
三十代の青二才が生意気に悟るのか。
諸君は報道生命を懸けて書いていない。
なるほど私は真面目過ぎる程真面目だ。こうまで真面目で仕事が出来ない訳がない。
たとえ金にはならなくてもいい加減に稼ぐ人間より数倍優れた仕事をする。
とにかくやるだけだ。
深夜更新したブログに書いたように日本人にはやる気というものが無い。
積極的努力を少しもしないのだ。
これまではそれでよかったかも知れないが、これからはそうはいかない。
『悪夢の街』を買った。ダシール・ハメットの初期短編集である。高校時代、図書室で読み切った。訳書が入手困難だったからだ。
原書も紀伊国屋に置いてあったから買うことにする。
何故、ハードボイルドだったのか。
その問に対する答えは本書の中にある。
飯場で4日間働き、一週間いたのだが社長は堅気ではなかった。
そこを紹介してくれた同い年の仲間は飯場をやめさせられた後、アパートまで押しかけて来て二万円脅し取って行った。
貸してくれといえばいつでも貸すのだ。水臭い。
現場の仕事なんてものは「マジか!?」という途轍もないのがしょっちゅうである。
ハメットが『地の収穫』を書いた1929年と今とでは状況が違う。
パースンヴィルが暴力に支配される町になったのには理由があった。
そのシチュエーションは今も形を変えて存在しているのだ。
『地の収穫』→『血の収穫』
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