増田明美はその当たりに強い意識があったと思われ、作為的にフォームに気を配っていることがありありと窺われたが、
かえってその過剰な意識が自然な動きとして消化されていなかったためにパフォーマンスを阻害しているように見受けた。
不自然な走りだった。
思えば君原健二さんは、ハイペースが維持できなくなって首が左右にしかもアンバランスに触れるといった普通のランナ
ーだったら「崩れて」からが強かった。サヴァイヴァル・レースから抜け落ちても、全身の余力を振り絞るような姿で逆襲
に転じる走り方に、観る側は生き方を重ねて共感を覚えていたのかもしれない。日本の長距離好きの意識の根底がこう
いったメンタリティで競技力をカヴァーすることを是としているように感じる。
杜氏も君原さんのそういったところを心から尊敬する。だが、それは君原さんだからこそ発揮できる物理学を無視したか
のような特殊能力であり、一般の競技者にはなかなか当てはまらない。最近のレースは、先頭集団からこぼれ落ちると、
そのままエントロピーが増大するかのように差を広げられ修復は殆ど不能である。君原さん型の競技が果たして競技
なのだろうか? 君原さんでしか実現しないスタイルではないのだろうか?
短距離/フィールドでは、効率のいい質の高い走り、跳躍、投てきをすることが競技そのものといっていいほど支配的な
要因である。日本の短距離がかつてのものとは見違えるほど世界に太刀打ちできるようになったのも、動きの解釈にイノ
ヴェーションが見られたことが原因となっている。
伊東浩司氏の手記などを見ると、その発想の転換(旧態依然とした認識の刷新)には瞠目すべきものがある。そこにある
のは精神論などではなく、理論であり、旧弊を思い切って廃した勇気とも評価すべき大胆さである。
1970年代にポーランドの短距離をシェビンスカなどの活躍で世界的なものに押し上げ、カナダのスプリンター達を見違え
るように磨き上げたゲラルド・マック氏の理論が紹介され、マック氏本人も来日してその普及浸透に努めた。新しもの好き
な向きはこぞってそれを導入し、自分達が改革を進めているような気分になっていた。
だが、日本で広まった「マック式」はスプリント・ドリル、スキッピングなどの形骸を真似るだけで、肝心の本質を理解し、
消化吸収するには至っていなかった。伊東氏の方法論とマック式は全く違っているかもしれないが、スプリントの真髄を
突き詰めるという意味で到達点は非常に近いものになったと考えられる。
同じ走運動でも「スプリント」と「ラン」は異なる。スプリントは短時間、短距離の間に加速、等速、減速のフェーズを辿り、
決して再加速はしない。ランは基本的に等速でいつまでも維持できることを前提に、減速、最加速が自在に出来る。
だが、あくまでも走運動であることも確かだ。ランが繰り返しや長い距離、時間を踏みことによって、その個々人に最適な
形を磨いてゆく性質を帯びていることはわかる。だが、明らかに非効率な動き、バランスの崩れた動きが最適な姿と言い
切っていいのだろうか。それは職人の叩き上げた明文化も普遍化もされない職人芸なのではないのだろうか。
ゲブレセラシエという類稀な才能により、5000mの世界記録は12分30秒に肉薄し、10000mの26分台も珍しくは
なくなっている。ゲブレセラシエは孤高の人なのではなく、追随者がアフリカ勢限定であるものの続々登場している。
長距離は100m15秒、400m60秒のペース維持の世界に突入している。高校生の女子が400mを60秒以内で走れば
日本の過半数の都道府県では県大会の決勝に出られるだろう。つまり、世界の長距離はスプリントの世界に突入し、
更にその範囲をハーフ・マラソンにまで伸ばしている。
マイケル・ジョンソンが世界の舞台に登場した東京世界選手権では、誰もがそのパフォーマンスを滑稽だと感じ、TBS
などに至っては「最強の胴長短足」などと揶揄した。だが、一方で一見整合が取れた増田明美の走姿を初期のマラソン
挑戦であった大阪女子マラソンで途中で昏倒しても、誰も批判しなかった。頑張っているからと。今、200m19秒32
というジョンソンの業績に対して、滑稽なフォームだと揶揄できる人間はいない。当のジョンソン以外には。一方、増田
明美の大阪での途中棄権を、果敢な挑戦だったなどと評価する者もいない。
会社では「頑張っている」などと自己主張しても、誰も認めてはくれない。評価すべき成果は数字であり、明瞭な形を
取った実績である。「頑張っている」と観衆が見てくれても、競技成績は上がるものではない。そして競技者の成果は
競技成績でしかないのだ。
個性と悪い癖とは違う。キプチョゲ・ケイノのキック後の脚は一見流れているように見えたが、骨格上骨盤自体が前に
傾いているアフリカ人の特徴を備え、脚が長かったケイノには自然な動きであり、実際には蹴った脚は鋭く臀部の下に
掻い込まれており、決して流れてはいない。ただ、日本人のマラソン・ランナーは脚が流れるフォーム、チョコチョコ走り、
過度に上下動が激しい走りに何の恥ずかしさを覚えることなく、無自覚にうち過ぎているとしか思えない。スプリント・
ドリルに代わるランニング・ドリルのようなもので、じっくりと非効率な動きを地道に改善する練習が習慣化されても罰は
当たらないのではないかと考える。
お断りすべきことがある。杜氏は増田明美氏を貶めようとするものではない。真面目で向上心に溢れた性格だから、
一所懸命形骸を追う結果に陥ったのだろう。だが、こういう逸話もある。彼女が競技生活の晩年、骨粗鬆症状態に
陥っていることが明らかになった。年配者の骨密度、骨年齢であったという。
だが、瀧田詔生監督に師事していた頃の彼女は、カルシウム源としてうなぎの骨せんべいを進んで摂取し、牛乳も
非常識なほどの量を採っていたという。家族の話として「明美が入った後はトイレが牛乳臭い」というほどだったとの
記事を読んだことがある。つまりは、骨の老化を人一倍気に懸けていたのだ。
だが、問題はカルシウム摂取量ではなく、内蔵の消化能力にあった。それが激しい練習によるカルシウムの消耗に
耐えられなかったのだ。フォームのお作法化も然りである。形骸は真似られても、本質を理解するに及ぶ脳の機能が
足りなかったのだ。脳も消化器官も個別のキャパシティがあり、それは個人の責任に帰す訳ではない。(中略)
大事なのは、マック式のお作法化、増田明美のうわべの取り繕いの轍を踏まないことだ。ことの本質はお作法にはない。
速く走るという命題の追求にある。
http://www.geocities.jp/s_ichinokura/sub4_doubt_drill_for_ld.htm
砂糖(ブドウ糖)と肉(牛、豚、鶏、魚)も適度に食べるようにね。
脳は身体中でいちばん、ブドウ糖を消費する所だよ。
不足すると、機能が衰える。栄養失調の子供が脳にも障害も起すよね。
肉のタンパク質や油は、脳の健康を保つのに欠かせない要素。
某女優(すでに90歳超)さんも、毎日、肉を欠かさない。
適度な量を食べることで、心身の老化を防ぐことができる。
ダイエットブームのせいで数十年後には脳みそすかすかの老人増えるだろう。
しっかり油とたんぱく質とって脂肪分も蓄えとかないとあっという間に
しわしわになるぞ。
医者にもよるよ
ひどいとこは「はい認知症!」って診断して坑精神薬バンバン出す
結果廃人寝たきりってコース
精神科勤務10年で結構このパターン多いから
山城シンゴは奥さん(離婚→再婚→離婚)と娘から見放され、パトロンは逮捕?、糖尿病他の悪化で
都立病院 の一般病棟を回った後、あまりにかつてのスターが哀れだというんで、カンパで普通の
老人ホーム に入所しているらしい。
まあ、妻を裏切ると晩年、困るよね。
昔−三船敏郎という大スターがいて、売れない頃から支えてきた妻を裏切って愛人を作って離婚して、
愛人と再婚、孫というよりひ孫みたいな年齢の娘を作ったんだよね。ところが、晩年、体と頭が弱くなると
この女は、三船を捨てて離婚。そんな三船を見かねて、捨てられた元奥さんが死ぬまで介護したという話
があるんだ。
その愛人は、娘を三船と名乗らせて芸能界デビューさせて、自分の信仰する宗教団体の信者の売れない
自称・中年ミュージシャンと何と16.7で結婚させてしまうんだ。
最近、テレビを見たら、夫婦揃って出てたなあ・・。
そうだったのか。
ヘ⌒ヽフ
( ・ω・) d
/ ~つと)
サッカー選手の短距離走の記録で唯一の公式記録は
ヴィッセル松橋の100m11秒05だけだよ
中三の時に国体の少年B(高1と中3が出る奴)で5位になってる(中学生では全国2位)
戦争してた頃1戦艦12隻でごめんね。山城も扶桑もヘッポコでごめんね、伊勢も日向も中途半端でごめんね、
陸奥なんてあまりにも影が薄すぎてごめんね、金剛なんて潜水艦に沈められちゃってごめんね、
大和も出オチみたいなコンセプトでごめんね…。
海外から見れば保有する全戦艦が25ノット以上出ることの方がよほど異常なのだが。ていうか日本は保有戦艦を
改造しすぎ。金剛型はもはや別物と化してるし、長門型は新造戦艦作ったほうが安いんじゃねといわれるほど改造
したし、大和型は就航時と最終兵装がまるで違う。日本12戦艦で就航時の面影残してんの無いんじゃね?
扶桑、伊勢、山城、日向だって違法建築のごとく艦橋が伸びてった。機関もそうとう弄くった。 というより伊勢と日向
はもはや艦種が変更されてる。思い切って作り直した方が良かったな。 被弾に弱かったらしいし。
火力優先にしたため装甲配置に問題ありとみなされてる。日本純正戦艦でまともなのは長門型戦艦及び大和型
戦艦のみと考えてもいい。
扶桑、伊勢からどうやって長門に進化したかは謎。さすがにあのクラスのをあれだけ改造するくらいだったら、
新しく作った方が早い。
戦争起こらなきゃ、大和級2隻、改大和級2隻、超大和級2隻というような感じになってたかと思われる。なるべく
同型艦にしたほうが製造コスト、艦隊行動、整備性と良い事ずくめなのに。まあ、いろいろ事情があったんだろう。
伊勢はちょうど 朝鮮に赴任した新総督が、学校倍増計画を打ち出したんで、新艦艇建造計画が凍結されたから
その代わりに改造されたんじゃなかったっけ?伊勢に勝てる戦艦が、世界にどれだけあったか?ニュー・メキシコ
あたりとすらやりあえる戦艦だ。
いや、実は日本の戦艦には「長時間全力で撃ちまくっていると砲塔内で一酸化炭素中毒が発生する」という
とんでもない欠陥があってな。海軍当局が「マジコレどうするよ」と頭を抱えていたという…
今の朝鮮人に大和クラスは造れてもあの主砲を回すメカニズムはまだ無理だろう。
今の朝鮮人に大和クラスは造れてもってそもそも船体造れる?アレだけ装甲板とかの分厚い鉄板が沢山あると、
微妙なサイズのずれがとんでもない影響を及ぼすと思う。
チョンに大和級戦艦建造なんて、後10万年は無理。主砲をはめ込むローラーやバイタルパートの装甲溶接、
主砲を動かす水圧回路、制御機器のノウハウなんて未だに無い。主砲を回転するシステムしかり、それどころか
砲身自体も製造不可。あの重い砲台をくるくる回す仕掛けをはじめ、アメの軍艦設計家が歯軋りして悔しがるほどの
ビックリ技術満載だったらしい。現在では世界中どこ探しても大和作れる国はないよ、アレは失われた技術だ。
造船業は船の注文時に船価が決定するから、結構リスクが大きい。鋼材や資材が高騰しても、船価に上積みできない。
各船会社の受注形態や契約内容によると思われる。日本の造船メーカーは、過去の反省からできるだけ投資を控え、
既存の設備の活用などの形で契約過多を抑制してきた。また、契約に際して、日本の国内商社を咬ませるなどリスクを
ヘッジする形で受注する。それに対して、韓国などのメーカーは直接受注が多く、過大な設備投資をしてきた。
この点から、かなりの差が生まれてくる。最近の日本の契約は、原材料代金にスライドする形での契約が多い。
逆にこのような強気の姿勢が、受注量を伸ばせなかった原因でもある。
生産財、特に造船、建設機械、トラックなどは景気の波をもろに受けるから、先進国の企業は設備投資を非常に慎重に
行う。過去に痛い目に何度もあってるから。でも、韓国・中国はそんな洗礼を受けたことないから、勢いに任せてどんどん
設備投資してしまった。重工業で過剰設備を削り落とすのは、本当に大変だ。まさに血のにじむような努力が必要になる。
実際、金剛は英国で設計・生産し、比叡以降は日本で生産と言う形なんだから、伊勢まではラーニングと模索の途上と
言っても過言ではない筈。一応、長門級から始まる予定の八八艦隊シリーズが、日本戦艦設計の一応の回答では。
さらに、ネイバルホリディを経た回答が、モンスターシップ"大和"。実際、戦後のVLCCやらULCCやらを大量建造する
ノウハウになったりして、造船日本の基礎を作った。中小造船所のトレーニングになったのは、戦時標準船や、戦争
末期に5ヶ月で32隻という量産を達成した、松級駆逐艦の方だけど。
アメリカやソ連に核地雷計画があった。積極的だったのはアメリカ。38度線とか東ドイツ国境に埋め込んでというお話。
あの二国は文字道理ドイツを灰燼にするつもりだったのかもしれない。ヨーロッパでNATOとワルシャワ機構軍が戦端
開いたら、東西ドイツは当日の内にに全域壊滅。フランス〜ポーランド辺りまで、戦線ではなく戦域想定だし。
江戸幕府が海禁令なんて中国のまねをしなければ、アフリカ西海岸やや太平洋を、艦隊組んで往来して、欧米海軍と
タメはっていたであろう。江戸幕府はあまりにも馬鹿すぎる。貿易をあそこまで厳禁する必要はないだろう。確かに
キリスト教禁止は理解できる。だが、御朱印船貿易を続行すべきだった。長崎、大阪、名古屋、江戸、仙台を英米仏
など相手に開港して。
(ヒント:幕藩体制下で、支配下の藩が富むのは望ましくない。それをやると伊達政宗とかが力を付けてまた戦国時代
に逆戻りするわけ。江戸時代初期に力を付けさせたら統一王朝なんざ無理だし、無理に統一しようとしたらまた戦国
時代に逆戻りして、裏に外国のバックが付いた内乱が発生するだけだ。軍板と日本史板でフルボッコ喰らうぞ。)
<ジャパン・ガレオン>最高!日本製ガレオン船 サン・フアン・バウティスタ号
http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/h/hajime_koizumi/20061115/20061115135536.jpg
(1)スピード
前方への重心移動の速度。直線的な動きの場面。“加速局面”“トップスピード維持局面”の動く能力。
(2)アジリティ
“敏捷性”のこと。運動時に身体をコントロールする能力。素早い方向転換や切り返し、左右や後方への
速い移動のことを指す。減速時、方向転換時、回旋動作時の動く能力。
サッカー、バレーボール、バスケットボール、テニス、格闘技など多くのスポーツで頻繁に行われる動作。
運動の方向転換を行う際には、姿勢やバランスが重要になるため、それらを重視したメニューが多くなる。
(3)クイックネス
“素早さ”のこと。静止状態からの速い反応と動作を指す。刺激に反応し速く動き出す能力。
反応時間、反応後の重心移動の能力。
最初の数歩をいかに無駄なく、スムーズに加速するか。野球の盗塁が良い例。
サッカーやバスケットボールではそれが360°どの方向にスターを切るか予測できない。
どんな状況にも対応する必要がある。
S=スピード (走る時の最高速度の能力)
A=アジリティ (敏捷性: 左右の速い移動)
Q=クイックネス (素早さ: 静止からの速い反応と動作)
・スピード・トレーニング
坂道ダッシュ・階段ダッシュ・ペース走・ビルドアップ走スプリント・アシスティッド・トレーニングなど
・アジリティ・トレーニング
キャリオカ・ヘキサゴン・ドリルなど
・クイックネス・トレーニング
ボールキャッチ・クレイジーボール・キャッチボール など
∫
∫
ヤキイモ タベヨウネ ○○ オイシソウダネ
J( 'ー`)し [ ̄ ̄] ('∀` )
( >> |_○_| << )
^^^^
∫
∫
J( 'ー`)し [ ̄ ̄] ('∀` )
( >> |_○_| << ) =3. プゥ
^^^^
∫
ケラケラケラ ∫ オナラデチャッタ
J( 'ー`)し [ ̄ ̄] ('∀` )
( >> |_○_| << )
カーチャンモ ∫
J('ー` )し ∫
ノヽノヽ =3. プゥ [ ̄ ̄] (゚∀゚ )
くく |_○_| << )
. ^^^^
(巛ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡ミ彡)ミ彡)
,,从.ノ巛ミ 彡ミ彡)ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡)''"
人ノ゙ ⌒ヽ 彡ミ彡)ミ彡)ミ彡)''"
,,..、;;:〜''"゙゙ ) 从 ミ彡ミ彡)ミ彡,,)
J('ー` )し _,,..、;;:〜-:''"゙⌒゙ 彡 ,, ⌒ヽ 彡"
ノヽノヽ :゙:゙ '"゙ ミ彡)彡'
くく `゙⌒`゙"''〜-、:;;,_ ) 彡,,ノ彡〜''" ,,ミ
⌒`゙"''〜-、,,. |_○_| ,,彡 << )
161 名前:見ろ!名無しがゴミのようだ![] 投稿日:2007/12/15(土) 10:42:47 ID:r6vmCHr/
「とな〇のト〇ロ」の終盤、主人公を含む家族はみんな死んでいる。
メイは母親に会いに行く途中、沼に落ちて溺死。
捜索で見つかったサンダルはメイ本人の物だった。
このことに気づいてのは姉のサツキだけ。
あまりの衝撃にサツキは捜索隊に事実を伝えることができなかった。
少女にはこの事実を受け止めるにはあまりにも重過ぎたから。
そして、サツキは病院の方向へ全力で走り、心臓発作で死んでしまう。
この後、サツキとメイはお互い死者になって出逢う。
サツキ・メイが死んだ後、村人は彼女らに一度も会っていない。
終盤、母は病死し、父もノイローゼ(創作苦)になり事故死となった。
エンディングに描かれた挿絵は、死者となった家族が思い浮かべたもの
(この望むべくして望んだ世界には到達することができなかった)
ちなみに「ト○ロ」は死期の近い人間だけに現れる死神。
ネ○バスは死者を三途の川に送り届ける渡し舟。
※ ト○ロ・ネ○バスは死者にしか見えない
※ サツキ・メイが死んだ後は影がなくなっている
サツキ=皐月=5月 メイ=May=5月
これで「とな〇のト〇ロ」と「○の墓」がなぜ同時上映された意味がわかりましたね?
情報元:ジ○リ広報部の発言。
この情報の流失に宮○監督は激怒したことはあまりにも有名。
ぼくの歌は聞こえるかい?
ぼくの声は届いているかい?
果てしない希望の果て
まだ見ぬ未来への期待と不安
まばゆい光の中で
僕らは思い切りうんこをするんだ
思いっきり
真っ黒な一本糞を
旧帝国陸軍のこと?
同じ条件で戦わせたら恐らくかなりねばり強く、戦術級でもそこそこの指揮官や参謀はいるよ。米軍並みの装備と
までは言わない、手持ちの兵器にあった弾薬と、食料と、医薬品があればあんなに惨敗はしなかったとおもうよ…。
ただ南の方に島々に散り散りにされた上に補給も録にされずに放置されたらなあ…。
どんな軍隊だって弱体化して自滅に近い形で崩壊していくよ。
陸軍は海軍に対し「補給は出来るのか」と心配し何度も問い合わせている。手を広げすぎたら危ないのはちゃんと
分っていた。陸軍の認識では「台湾・朝鮮・ベトナム」あたりがまともな補給可能=まともに戦争できる範囲と考えて
いたようだ。
よく陸軍空母とか陸軍潜水艦とかが嘲笑の的になってるけど、逆に言うと海軍が陸軍の心配する補給線の確保に
力を十分割いていなかったことの現れではないか。
そういえば陸軍には輸送船を守るための船舶砲兵というのが居るんだが(なんのことはない輸送船に取り付けた
高射砲や機関砲を扱う部隊)官僚組織の縦割り主義、だけじゃなくて、これもまた海軍の力がまわらない部分を
陸軍独自でなんとかしよう、ということなんだろう。
ちなみに飛行機についても陸軍の方がハズレが少ない体系がスッキリとした開発・配備をしている。技術者集団
の使い方も上手いように見える。
太平洋戦争緒戦のシンガポールやマレー半島後略は歩兵の進撃、砲撃による支援、航空兵力によるカバー、と
一応模範的な戦いかたをしている。だが結局、貧すれば鈍する。
旧帝国海軍のこと?
テキト同じ条件で戦わせたらやはりかなり強い方に入る。正規空母部隊を持ってたり、まともな戦艦を核とした
部隊を2つ編成できるだけの国なんて当時そうはなかった。
けど元々が敵が日本に近づいてくるのを待ち受け、補給線の伸びきった敵艦隊と決戦をして殲滅をする、という
日露戦争の日本海海戦みたいな方針で軍艦のスペックから補給体系に至るまで作られてたから、太平洋戦争
みたいに自分から出て行って占領して、占領したとこと本土の間の補給線を維持して、なんていう長期・広域
維持の状態に置かれるとボロが出始める。
それから全体的に装備や製品の水準や生産力が貧弱だと言われるが、それは当時の国力の水準や産業育成
の方向性の問題だからしかたない。自動車産業やラジオ等電化製品の産業がもう少し水準高かったら…。
あとは情報(戦)、とそれに基づく戦略の構築に関するのセンスの問題。
此処が実は一番弱い。今も…。
【戦艦長門】
現代に大東亜戦争時の日本海軍の軍艦の名前を聞くと真っ先に「大和」が上がると思うが、「大和」は当時、
極秘に建造されていたために国民には存在は知らされておらず、有名になるのはむしろ戦後だろう。逆に
戦前戦中にかけて帝国海軍の軍艦と国民に聞けば間違いなく「長門」と答えたのである。
長門は昭和13年から17年まで連合艦隊の旗艦まで勤めた帝国海軍のシンボルであった。大和が戦中末期
に撃沈されたのに比べ、長門は数々の戦いを潜り抜け終戦時まで残った唯一の巨大戦艦であった。
しかし戦後米軍に接収された長門は原爆実験の標的艦として最後を迎える。一回目の実験でも無傷で残り、
二回目の実験でも僅かに傾いただけで他の米軍戦艦が沈む中で唯一水上の上で悠々と残っていた。これに
米国実験者は驚嘆し、長門の構造を調べ上げようとした。その矢先、長門は忽然と海上から姿を消した。
日本が二発の原爆で降伏したのに対して、長門は二発の原爆にも耐え、アメリカによる解体からをも許さず、
まるで自決するかのように自ら沈んでいった。まさに大日本帝国海軍の最後の意地を見せた最期であった。
ガダルカナルで戦死した兄を供養しようとOさんは戦争から50年後にガダルカナルで行われた慰霊祭に参加した。
その際島から小石を遺品として持ち帰った。
帰国後、数日経ったある日Oさんは奇妙な夢を見た。兄が裸同然の姿のまま座敷で寝ているのだ、体には深い傷
が有り、「傷が疼いてどうしようもない」と訴え「畳で寝たくて帰って来た、畳が恋しくて」「ばってん、久しぶりの畳は
ぶかぶかして寝にくか」そんなことを言う。そこでOさんが「ベットはどうか」と聞くと「やっぱり畳のほうがよか」という
のであった。兄が家でゆっくり寝たがっているのを知ったOさんは、再度ガダルカナル島へ行き兄を故郷へ連れて
帰ろうと考えた。
そんなある日再び兄が夢に現れ、「自分ひとりが島を離れて故郷に帰るのは、皆に申し訳ない」「そこで、俺一人が
写っている写真を持って来てくれ」「それを、みな(戦死した戦友)のため、自分の身代わりとして島に残してほしい」
と頼まれた。
現在Oさんは兄が夢の中で寝ていた座敷に応接台を置き「兄がそこにいるつもり」で暮らしている。無事生還した
兄の戦友がOさん宅を訪れた際は、その応接台を囲み、唄を歌い酒を飲み、ガダルカナル島戦の懐古談に花を
咲かせている。
彼等をいうには「一日でもいいから故郷のたたずまいを見たい。いちどでいいから家に帰りたい。皆、そう思いながら
死んでいったんです」
北アフリカ戦線にて。イギリス軍の輸送トラックが砂嵐で進路を見失った。視界が利かないため、ドライバーは
停車して砂嵐をやり過ごすことにしたが、砂嵐はなかなか止まず、それが去ったのは日が暮れたあとだった。
結局ドライバーは車中で一泊することにした。
乗せてくれ、と兵士がひとり、不意に闇の中から現れた。話し相手がいないこともあり、ドライバーは快く乗せた。
妙な訛りの英語を話すやつだと思ったが、連邦国のどれかの兵士だろうと思い、気にしなかった。しばらく会話
を楽しんだ後、もう行かなくては、と兵士はトラックから降りた。こんなに遅く何処へ行くのだろうと思い、ウィンドウ
越しに姿を探したが、その兵士の姿はもう見当たらなかった。
夜が明けて、目が覚めると、砂嵐で気付かなかったが、近くにドイツ軍の戦車が擱座していた。それを味方の
兵士たちが調査していた。近づいてみると、壊れた戦車から、戦車兵の死体を引っ張り出しているところだった。
その顔は、昨夜トラックに乗せた兵士と同じものだった。
【戦争奇譚】
日本兵の幽霊は他に比べて多かったようだ。兵舎での噂話で、死んだ兵隊さんの手首が、夜な夜な現われて、
「おいで、おいで」と手招きするらしい。日本軍の大陸の戦場(日露?)での怪談話。
戦局が暗転し、南方からの「転進」中にジャングルに迷い込んでしまった部隊が、「巨大な遺跡を発見した。見た
ことのない生物がいる。人間に似ている」という通信を最後に消息を絶った。
ジャングルで撃ち合いをしていると、フイにシーンと静まり返る瞬間があるらしい。弾薬の補給や負傷者の救護
などをするタイミングがちょうどお互い合って、まるで休憩時間のようにその間は銃声がしないのだが、その時間
が長いと、必ず発狂するものがあらわれたという。
第一次世界大戦(だったと思うが)イギリス軍がトルコ軍の砦を攻略する際に、不思議な雲に包まれて消滅した
という記録がある。中国でも約3000人の中国兵が不思議な霧に包まれて消滅。そのおかげで日本軍の南京
攻略がスムーズに達成できたという話がある。
第二次大戦の北アフリカ戦線で、孤立したドイツ兵達が1人の老人と出会って古い地図を譲って貰った。そこには
水や食料の貯蔵庫が記されていた。それでどうにか助かったドイツ兵達は、どこでこの地図を手に入れたのかを
老人に聞いた。すると老人は、「ナポレオン公から援軍が到着するまで死守するようにと命令を受けました」と
言って姿を消したという。
先の大戦中の戦車兵の話。真夜中いつものように数十台で隊列を組んで行進していると、付近の森から、蒼白い
鬼火が続々と現れた。狼狽していると、クラッペ(覗き穴)から外を見ていた兵士の頭が吹き飛んだ。
夜が明けて、別の部隊がそこを通った。そこには、切り裂かれたような戦車の残骸と、車内にいたにも関わらず、
射殺された兵士の死体がいくつも転がっていた。その中に混じり、奇妙なランタンを持った、敵の兵隊の死骸が
おびただしい量転がっていた。
【戦争奇譚】
南太平洋の、とある島での出来事。孤立した日本軍が駐留しているとみられる島に、米軍が夜間上陸しようとした。
すると突然、島の高台に金色に輝く人の様なものが現れた。その途端、米軍の上陸用舟艇に錆による穴が空き、
次々と浸水した。結局米軍は、その島には上陸しなかった。後に上陸前に撮影されたその島の航空写真を見ると、
島にはどれも錆びた高射砲や輸送機などが写っていた。その島では全ての鉄という鉄が錆びてしまっていた。
米軍の非公式記録より。
硫黄島について。海上自衛隊では、禁忌となっていることがある。硫黄島での演習で上陸し、そこでの記念として
石を持ち帰った所、亡霊が艦内を彷徨い、叫び声や電気系統に異常をきしたという。海上自衛隊の航海日誌に
載るくらいの事実。
日露戦争での話。開戦前、明治天皇は戦争に消極的で、大国ロシアを打ち負かす事など絶望的と思われていた。
が、あるとき公務を終えられた後、明治天皇が、「この戦には神が兵を貸してくださる。必ず勝てる。」と言われ、
結局開戦となった。結果、日本軍は勝利を収め、世界史を塗り替えることとなる。
戦後、捕虜となったロシア兵は口々にある証言を残す。「黒い服を着た日本兵は弾が当れば死んだが、白い服を
着た日本兵にはあらゆる武器が通じなかった。」と。
なお、明治の皇軍兵の軍服は上下黒の詰襟に白いゲートルであり、「白い軍服」の兵士は存在しない。
第一次大戦中のヨーロッパでも似たような話があった。イギリス軍が撤退した陣地から十字の剣を持った謎の
騎兵隊が現れ、銃撃しても倒れる気配を見せなかった。恐れおののいたドイツ軍が敗走。2、3キロ離れた所に
いたイギリス軍は、誰もいない無人の陣地にドイツ軍が必死に銃撃をしている異様な光景を目の当たりにした。
【戦争奇譚】
空母「瑞鶴」に乗艦していた見習い尉官の話。戦闘の際、日ごろからお世話のなっていた中尉が敵機の爆弾に
より倒れた。左足を付根からもぎ取られていたが意識があり、「もし呉に帰ったら家族に苦しまずに死んだ、と、
そう伝えてくれ」と言い、息を引き取った。
見習い尉官は遺言どうり中尉の家族に手紙を書き送った。それから二十五年後に行われた瑞鶴戦没者慰霊
供養の際に中尉の未亡人と会い、実際の中尉の最期を伝えた。
すると未亡人は「これまで何回となく夢で帰って来てくれましたが、不思議な事にそのたびに左足がないんです。
今、やっと、その訳が解り、ほっとしました」
太平洋戦争中期〜後期、アリューシャン列島での話。偵察を行っていた日本の潜水艦が、日本軍が玉砕した
アッツ島沖を航行していた所、突然アッツ島から光の玉が飛び上がり空中で止まると、こちらの(潜水艦の方向)
へ向かって飛んできた。潜水艦長は「急速潜航!」を発令し、潜水艦はそのまま水中へ潜っていった。その後、
あれはなんだったのか考え、結局、「おそらくアッツ島の英霊でしょう」と言う事になった。
カンボジアでポルポト政権時代に不穏分子が大量に虐殺、遺棄された農場は、今は欧米の果実企業のプラン
テーションで、とても美味なマンゴーやドリアンが採れるとか。ベトナム戦争で多数の戦死者を出したメコン下流
の田園地帯は、今は日本の商社によるエビ養殖池で埋め尽くされていて、美味なエビが育つらしい。
スターリングラードでは、包囲されたドイツ兵の一部が人食い(グールー)化した。それを退治するために貴重な
弾薬を割かなければならなかったと。
長門が2発の原爆に耐えた。と言うのは実話として良く聞く。
1発目は空中での爆発。
他の艦艇の構造物が飛び、小型の船舶は転覆したりでそれなりに被害が確認される中、長門は目立った
被害無し。(1発目を耐えた船は多い)
2発目は水中での爆発。
どの程度の距離での爆発なのか判らないけど、これで他の残った船も大半が転覆、喫水線下への圧力で
浸水して沈没。
これで今回の実験は終了だったのだが、長門はこれにも耐え、放置しても自沈する気配が無かったので、
他の残った艦艇と一緒に雷撃か何かで沈められたのが本当らしい。
【戦争奇譚】
NHKの沖縄戦の番組。日本軍の犠牲者数に対しアメリカ側は、戦死者数こそ届かないものの、怪我やその他の
要因で本国に返された兵士が、実に日本人死者の4倍もいた。その殆どが夜襲に怯えて、ノイローゼになった為
という。闇の中から奇声をあげて日本兵が来る!来る!撃たれても構わずに突っ込んで来る!と彼らは本気で
怯えていたという。遠い異国の地で米兵にとっては、日本軍の戦い方は充分にオカルトだったのだろう。
フィリピンでの話。人喰ってる連中は、見れば分かったらしい。みんな敵に追われて食うや食わずで、幽霊みたい
な顔してるのに、人食いの連中だけはつやつやだったそうな。しかも何とも言えない目付きをしているらしい。
「ありゃ獲物を狙う目付きだった」とのこと。戦艦武蔵の生き残りの人(海軍の人)が、相当数やられたらしい。
海軍の船乗り連中は歩き慣れてないから、狩やすかったと。
戦史から離れるけど、遭難者が人を食い合う事例に付いては、「復讐する海−捕鯨船エセックス号の悲劇」と言う
のが参考になる。読み易くて中々良い本だった。
南方の戦線で、どの戦場でも後先考えずに突撃を繰り返す小隊があった。少し狂った小隊長の命令が指揮する
部隊で、部下はそれに従っていたに過ぎなかった。結局その小隊は、とうとう小隊長と二等兵の青年の二人きりに
なってしまった。それでも小隊長は突撃の命令を出すものだから、二等兵の青年は遂に頭に来て、小隊長を後ろ
から銃で撃ち殺してしまう。その後二等兵は、小隊長の死体を解体し、乾し肉を拵えていたところを発見される。
二等兵は銃殺刑になった。
第2次大戦中の凄惨な事件。1945年2月、ベンガル湾のラムリー島のマングローブが生い茂る沼地に、イギリス軍
が1,000人を超える日本軍をおびき寄せていた。すると19日の夜から20日の未明にかけて恐ろしい叫び声が続いた。
負傷者の血の匂いに刺激された無数のイリエワニがこの沼地に集まり、動きのとれなくなっていた日本兵に襲い
かかったのだった。沼地の外側にいたイギリス軍は一晩中すさまじい悲鳴を聞かされた。そして夜が明けてから
彼らが発見した生存者はわずか20名だった。
【戦争奇譚】
太平洋戦争末期、ペリリュー島での出来事。当時その島に駐留した日本兵たちは、島民たちととても親密になった。
共に歌を歌ったり、島民達も日本語を覚えて兵士たちと会話したり。
時が進むにつれ、だんだん島にもにも戦が迫ってきた。そんな時、島民の青年達は私達も一緒に戦うと言いだす。
だが日本兵の上官は一喝した。「我々、帝国軍人は貴様等とは違う」そう言って島民たちを退けた。さらに日本軍は、
2つあった島の一方に陣取り、その島に居た島民たちを、もう一つの島へ船で逃がした。
そして最後の船が出る時、それまでいなかった日本兵がバラバラと砂浜に飛び出してきた。砂浜に集った日本兵
たちは、別れの船に向かってみんなで手を振っていた。
その後、ついに米軍との戦が始まり、日本軍が陣取った島は真っ赤に燃え上がった。激しい戦闘が続き、日本軍は
玉砕し、日本兵は皆、死んでしまった。その時、島民たちは「ああ、あの時 日本兵の上官が怒ったのはこういうこと
だったのか」と思い、感涙の涙を流したという。
F−16戦闘機の空気取入口は、前輪の上にあり、いかにも、人を吸込み易い構造になっている。そのため案の定、
その手の事故で何人か死亡している。F100・F110ターボ・ファン・エンジンに粉砕・圧縮・過熱…文字通りのミンチ
状態に。そうした事故に遭った人間のうち、空気取入口の中にあるケタに掴まって助かったのもいるというのだが、
そこは、氷結防止に100度以上の加熱空気が出る場所でもある。さぞかし熱かったことだろう。
【戦争奇譚】
そんなに遠い昔ではない時代の出来事。マラッカ海峡を夜航行していた日本の貨物船が海賊の快速船に狙われて
しまった。積み荷を積んだ貨物船、いくら頑張っても速度差は如何ともし難く、ついには海賊船がもう夜目にも見える
ところまで近づいてきた。このままでは横付けされ、乗り移られ、積み荷と船は奪われ、乗組員は人質に取られて
身代金と引き替えになるまで虜の生活だ。
船員たちは放水銃(消火用)を放ちながら、なんとか近寄られないように操船をつづけていると、後方からもう一つの
船影が近づいてくる。急速に近づいてくるその船はどうやら軍艦か沿岸警備隊のものらしく、砲を装備しているのが
見える。軍艦は海賊船と貨物船の間に割り込んで海賊船を牽制し始めた。すると海賊船はあきらめて方向転換し、
そのまま消えていった。
そのときにはもう夜明けが近く、その軍艦は貨物船から遠ざかりはじめた。見ると白い制服を着た乗組員達が帽子
を持った手を大きく振っている。船員達がその軍艦を見ると、どうもかなり古い型の軍艦で、普段見かけないもの。
水平線の向うから太陽の光が差しはじめ、遠ざかる船の艦尾にはためいていた旗を照らし出した。旭日旗だった。
そのまま軍艦の影は朝日の中にとけ込むように薄れて消えていった。後で調べてみるとその軍艦は旧日本海軍の
駆逐艦に似ていたという。
WW2のヨーロッパの戦場での出来事。1機のP−38ライトニング戦闘機が基地に戻ってきた。しかしいくら通信で
呼びかけてもパイロットは応答せず、そのP−38は管制塔に激突しそうになった。そのとき通信兵が脱出しろと
パイロットに指示を出すと何故か指示通りパイロットは脱出した。しかしその後ある事が判明した。そのパイロットは
既に死んでいたのだ。しかも、何時間も前に。
【戦争奇譚】
明治35年1月、厳冬期の八甲田山中にて、青森五連隊の雪中行軍隊210名が遭難し、199名が死亡すると言う
事件がありました。それから1〜2ヶ月後の寒い夜、青森五連隊連隊長の所へ、営門の兵士が血相を変えて報告
に来ました。連隊長が営門に駆けつけると、遠くの闇の中から、大勢が行進する音、軍歌、ラッパの音が近づいて
来たそうです。だんだん近づいて来て、もう少しで闇の中から姿を現すと言う時、連隊長はおもむろに軍刀を抜き、
闇に向かって叫んだそうです
「雪中行軍隊の諸君!よーく聞け!貴様等は勇戦奮闘し見事な最後を遂げた!今や無情雪山の鬼と化すも、
迷ってはならん!お前達の死は無駄ではなかった!厳冬期の軍装及び戦術については、一大改革がなされる
事となったぞ!来たるべき戦役に於いて、未然に軍の損失を防いだその功績は大きい!貴様等行軍隊員は、
みな靖國神社に合祀される事になったのだ!迷うな!心安く眠れ! ここはお前達の帰って来る所ではない!
帝国軍人として見苦しい振る舞いは、この連隊長が許さん!青森五連隊雪中行軍隊、回れ右! 前へ進め!」
足音はピタリと止まり、八甲田山に向けて進んで行き、二度と戻らなかったそうです。
最前線で戦う全ての兵士達は60日以内になんらかの精神異常が発生する。でも3%の兵士はまったく影響が
出ない。その兵士達はどんなに戦闘が長引いても精神異常は発生しない。これはこの兵士達が生まれついての
殺し屋だから。この生まれついての殺し屋が倒す敵兵は軍全体の倒す敵兵の約50%を占める。ちなみに人を
殺す事によって性的興奮を覚える快楽殺人者とはまったく違う。生まれついての殺し屋かどうかは戦場に行くまで
分からない。
【戦争奇譚】
作ってる最中から、最後の最後まで味方を死なせまくったドイツ艦シャルンホルスト。製作中に胴体の鉄板が倒れ
職工を多数潰し、浸水式では転倒して多数の人を下敷きにし、大砲打てば暴発で射手が死に、艦撃沈後に逃げた
兵が携帯ストーブの爆発で死ぬ。他にも色々あるらしいが、味方のみで何人死んでるのか。詳しくはここで。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/9384/Liblary/C02/C02.html プラモデルメーカーのタミヤの現社長の回想録。静岡の山の中に小学校があったのだけど、ある日飛行機が飛ん
できた。滅多に飛行機など目にもしない山の中だったもので皆はしゃいでいたらクラスメートに一人、機種に詳しい
のがいて一言「グラマンだ…」すんでのところで敵も小学校だと気が付いたらしく、機銃掃射もせずに飛び去った。
とにかく人が大勢いる建物は掃射するように言われていたので間違えて小学校を掃射したパイロットもいたという。
ちなみに12.7mm機銃弾の実物は万年筆ぐらいあるもので、子供に当たると靴脱ぎ場一面に内臓や脳漿が散乱
したとか証言がある。
第二次世界大戦が日本の決定的敗北によって終結した後、昭和20年9月から東南アジアの戦場で戦っていた
兵士が日本に戻って来た。当時の横須賀線(東京←→横須賀)にも、任務を解かれた帰還兵が大勢乗り合わせる
姿がよく見られた。復員兵の帰還が一段落した昭和25年あたりから、逗子や横須賀でそうした復員兵にまつわる
奇怪な話が噂されるようになった。逗子と鎌倉の中間に当たる名越トンネルで、軍服姿の復員兵がぎっしりと乗った
真っ黒な古びた省線電車が明かりもつけずに通過するのを大勢の人々が目撃したというのだ。
車両内には青白くぼやっとした復員兵がたくさん乗っており、みな視点の定まらない目つきで、やせこけた体、
ボロボロの軍服、疲れ切った表情の軍人たちがぎゅう詰めで揺られていたという。
【戦争奇譚】
1943年4月4日、北アフリカ・ベンガジ空港からイタリア・ナポリへ向け2波に分かれて発進した合計25機のB24
爆撃機の編隊は、無事爆撃を終え帰投した。が、ただ1機、後発隊の先導を勤めていたウィリアム・ハットン
中尉の操縦する64号機"レディー・ビー・グッド"だけが帰投しなかった。
行方不明となった64号機は厚い雲のせいで飛行場を見失い海上で墜落したと思われていたが、それから15年
後、ベンガジ基地から南方616kmも離れた砂漠で残骸が発見された。
機は飛行場にたどり着けなかったのではなく、逆に飛行場を遥かに飛び越してしまっていた訳だ。機体は砂漠
の乾燥した気候に保護され不時着時そのままの姿で残されており、驚くべきことに無線機なども完全に作動し、
魔法瓶のコーヒーも温かく新鮮なままだった。しかし、奇妙な事に搭乗員の遺体はどこにも見当たらなかった。
1960年、ニューヨークのTV局でこの事件をドラマ化する企画が立ち上がり、陸空軍も参加して行方不明の乗員
の行方を捜す大掛かりなプロジェクトが開始された。そして、驚くべきことにB24の残骸の発見された地点から
さらに120kmも離れた地点で、ついに7名の乗員の遺体が発見された。
彼らは燃料の残り少ない機体からパラシュートで脱出した後、砂漠の中をベンガジ飛行場へ向けて絶望的な
行軍を行った挙句、ついに力尽きたのだった。副機長トーナー少尉の日誌にはこうある。
1943年4月10日、土曜日、救援を願い集まって祈る。何の兆候も無い。数羽の鳥。良い北風。体中が痛くて死に
たいと思う。夜非常に寒くて眠れない。
1943年4月11日、日曜日、まだ救出を待ち祈る。目が悪くなった。wgtを全てなくす。いたるところが痛い。もしも
水があれば、舌の上に落としたい。早く助けてほしい。同じ場所にいて休息は無い。
1943年4月12日、月曜日、助けはまだ無い。すごく寒い夜だ。
光人社NF文庫「恐るべき欧州戦」より
【戦争奇譚】
3000人の中国兵が消えたという話。第二次世界大戦中の1939年10月。3000人の中国兵が汽車で南京の近くの
広野に運ばれ、夜になり約3qに渡って、兵士たちは配置された。兵士の配置も完了し終わって数時間後、司令官
が宿舎から再びその前線に戻ってみると、さっきまでいた3000人の兵士たちが全て忽然と姿を消していた。野原
には、焚き火が燃え続けており、銃は全て投げ出され、また地平線に至るまで、一つの足跡も発見出来なかった。
雲に飲み込まれたイギリス兵。第一次世界大戦中の1915年8月21日。トルコのアンザックの近くにあるサル・ベイ丘。
この日、341名のイギリス陸軍・ノーフォーク連隊がその丘の方へ向かって行進していた。連隊が進んでいくに
つれて、丘の上にかかっていた灰色の雲がだんだんと下へ降り始めてきた。その雲はやがて丘を完全に覆い尽くし、
ノーフォーク連隊の数百名はその雲の中へ向かって行進しているかのようにも見えた。だが、雲の中へ入り込んだ
イギリス兵は、それから一人も姿を現さないのである。
この出来事はイギリス軍側のニュージーランド兵22名が一部始終を見ていた。一時間後風が吹き始め、先程まで
丘を覆っていた雲はまた段々と上昇し、すっかり辺りが見渡せる状態になった。だが、確かにその丘に向かって
行進していたイギリス兵は、一人もいなくなっていたのである。
ニュージーランド兵が見ていた場所は数十q四方が広々と見えるよう場所であり、その付近に隠れるような場所
など何もない。341名全てが行方不明になったという通報を受けたイギリス軍はただちに調査隊を送り、ノーフォ
ーク連隊の行方を探したが、全く手がかりがなく、一人の死体さえ見つけることが出来なかった。
3年後の1918年、戦争が終結した時に、イギリス軍はノーフォーク連隊が、あの時トルコ軍の捕虜になったのでは
ないかと思い、厳しく追及したが、やはりそのような事実はなかった。
あの時、雲の中へ消えた341名の兵士はいまだに行方不明のままで、帰ってきた者も、また死体が発見された
者もいないのである。ただ、こういう話もある。「消えたノーフォーク大隊」
ttp://page.freett.com/Umania/norf.html
【戦争奇譚】
日本軍が野営していた時、確実に戦死んだはずの兵士がぞろぞろと集まってきて、まるで生きているかの様に
振舞い始めた。食料はバクバクと食べ、そのうちに顔付きが餓鬼のように変わり、腕がありえないぐらいに伸び
始め、風貌が妖怪じみて来る始末。最初は、寺の坊主や神社あがりの兵士が、祈祷やら、御祓いとかしたが
効果が無い。するとその部隊の上官が、その死者たちを集め、「お前たちは既に死んでいる。安らかに成仏しろ。
これは命令である」と、号を発した。その途端、その者達は号泣し始め、体がボロボロと崩れ始めた。彼らが崩れ
去ったあとには、土くれだけが残った。
1945年3月、アメリカ軍の爆撃機12機がドイツ上空で撃墜された。しかしそれは、普通の撃墜のされ方では
なかった。元イタリア空軍技術情報部の責任者であったレナト・ヴェスコはその著『インターセプト・バット ドント・
シュート』の中でこの撃墜についてふれている。
「翼や方向舵のない円盤型のドイツ戦闘機が突然アメリカの爆撃機に近づき、彼らの飛行路の前をものすごい
スピードで通過した。通過した時、それは『青い煙』を数度発射した。数秒後、アメリカの爆撃機は火を噴き始め、
次々と空中で爆発した。この時、ドイツの戦闘機はすでに地平線のかなたに消えていた。空飛ぶ砦と呼ばれる
アメリカ軍の爆撃機と超最新の要撃機の戦闘(もしこれがそう呼ばれるものならば)は、ヴルテンベルグ上空で
起こった。爆撃機は主力グループから別れ、南バヴァリアへ向っているところだった。」(青い煙事件)
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha777.html
【戦争奇譚】
「第二次世界大戦中に日本人が捕虜収容所の看守に朝鮮人を使ったのはなぜだと思う?朝鮮人は世界一
残忍だからだ。日本人はそれをよく知っていたんだ。」イアン・フレミング
大和級戦艦は五番艦まで建造計画があった。一番艦は言うまでも無く大和であり、二番艦が武蔵であり、
三番艦は建造途中で急遽空母に改造されて信濃となり、進水して半月で撃沈された。新造艦は大和の
46センチ砲を上回る50センチ砲を六門搭載するという素晴らしい計画であった。
衝撃リポート!!世界の怪奇現象・大追跡スペシャルIIIで放送された兵士の霊
http://jp.youtube.com/watch?v=PVIif58v3dw 1951年8月4日の朝4時頃、フランスのドーバー海峡に面した町ディエップに住むドロシー・ノートン夫人は
騒がしい物音で目を覚ました。その音は機関銃や大砲を撃ったり、爆弾が爆発したり、飛行機が急降下する
音だった。それを聞いた夫人は恐ろしくなってパリに住む伯父に電話を掛けた。伯父も電話を通してその怪音を
聞いたが、やがて三時間程するとその音は消え、夫人が外に出てみると、町は普段と全く変わりがなかった。
このディエップという町は第二次大戦中の1942年8月に、カナダ軍が戦車やコマンド部隊で無謀な上陸作戦を
行い、ドイツ軍相手に激戦となった町だった。
【戦争奇譚】
ナチス・ドイツの幻の空母、ツェッペリンが発見されました。ナチスの科学の粋を集めて、9割まで完成していた
にもかかわらず終戦で、ロシア軍に接収後行方不明になっていた空母です。ドイツ人には、日本で言えば戦艦
大和に相当する思い入れが有るそうですが、発見された場所がポーランド領海内で水深80メートル地点で、引き
揚げにはポーランド政府が難色を示しているとの事。
B-29が地肌丸出しで夜でも灯火で輝いて見えた理由。サイパンを確保し東京空襲の足固めをしたアメリカ軍だが、
カーチス・ルメイ将軍はB-29の防弾装甲をはがし、内部の仕切や机や椅子も取り除き、塗料も全て落とし、機銃の
大半を外し、弾丸も減らし、燃料も往復ギリギリにして、重量を極限まで軽くして、爆弾を目一杯積むように指令した。
B-29の乗組員はこんな爆撃機に乗ったら帰ってこれないと覚悟して乗ったという。
また別の説だが、導入初期のB-29には米陸軍航空部隊の標準迷彩塗装(ニュートラルグレイ+オリーブドラブ)が
施されていた。対日戦に実戦投入された機体はほとんどが無塗装だが、これは重量軽減のためと、制空権を完全
に掌握しているため迷彩にする必要がなかったというのが主な理由。ただし、編隊の先導機は識別帯を機体各所
に塗装していた。
【戦争奇譚】
海上自衛隊ではかなり多くの噂がある。硫黄島は周辺海域を航行すると、不思議な出来事に遭遇し易いという。
本土に帰りたい御霊が、帰還の為の船を捜して彷徨っているらしい。潜水艦にさえも乗り込んで来るという。
潜水艦は浮上の時は前後の重量を一定にする必要があり、そうなるように隊員のいる場所もあらかた決められて
いるのだが、あるとき後方側だけ不自然に重かった。調査しても乗組員の位置は決められたとおりで、特に異常は
ない。浮上してその海域を離れると、後方の不自然な重さはなくなった、という話。
他にも軍艦の沈んだ場所付近の海上で、変な光を見たりとか、サイパン帰りの観光客の背後に、軍人とおぼしき
霊が見えたという話もある。
岩手県雫石での民航機とF86の空中接触事故があった。その後、事故現場周辺の国道には、夜な夜なその事故
の被害者がわらわらと出て、通る車を取り囲み、手でバンバン叩いて止めたという。
生者では無く事故当時そのままの欠損した体のままだったり、鬼火に取り囲まれた格好で出たりと、ひと目見て
この世のものではない、と分かるほどだったという。 時にはこうした霊が昼間でも出た。中には、そのショックで
気がおかしくなったタクシーの運転手ちゃんもいたとか。
その後、御祓いや慰霊祭で年々出なくなったが、国道を別のルートにしたころから、話は聞かなくなった。
なお供養塔が建っている場所は、現在「慰霊の森」と呼ばれている。岩手のオカルト好き、心霊スポット巡りが好きな
人間の間でも、あそこだけは洒落にならないと言う事で、現在でも完全にタブー扱いになっている。
【戦争奇譚】
戦艦陸奥の主砲塔の上で、ある兵士が哄笑する口裂け女のような謎の女を目撃した。 目撃したその兵士は、
すぐに艦から下ろされて入院した。すると翌日、陸奥は爆破事故を引き起こし沈没してしまった。
第二次大戦時のドイツの戦車長シュタウデッカーSS軍曹の話。中隊に合流しようと夜中単独で行軍していたら、
途中で戦車が道を塞いでいた。戦車から降りて、「何をやっているんだ」と言いに行ったら、それは敵軍ソ連の
戦車だった。こちらも驚いたが、向こうも随分驚いている。暗闇のせいで、互いに気付かなかったのだ。
ここで軍曹、驚きはしたが慌てず騒がず、手榴弾を敵戦車の開いているハッチに放り込み撃破。さらに、そばに
いたもう一両の敵戦車も同様に撃破。危難を脱した軍曹は行軍を続け、無事、味方中隊に合流した。
第二次大戦の最中、シベリアの収容所に抑留されていたポーランドの将校三人が脱走を決行。ユーラシア大陸
を縦断し、ブータンからインドへ達するという途方もない計画で、これだけでもある意味驚きの逸話だが、彼らは
途中のヒマラヤでイエティを見てしまったという。
八甲田雪中行軍のラッパ手は、部隊を鼓舞するため、極寒の中でラッパ吹こうとして真鍮製の吹き口に唇を当て
たために、発見された死体は、唇が全部無くなっていた。
春日林太夫二等卒、宮城県登米郡宝江村字田沼出身、33年12月徴集。行軍3日目(25日)、午前10時頃、
鳴沢付近に於て「救援隊が来た!」と叫ぶ者がいた。皆は躍起となり西方を見ると前方高地より向かって来る
者達がおり、感極まって落涙する者もいた。倉石大尉は喇叭手を呼び「早速集合ラッパを吹奏せよ」と命じた。
その時呼応したのが春日二等卒だった。しかし喇叭は唇に凍着して吹けない。更に気力も衰え号音は断続
出来なかった。またこともあろうに皆の目に映った救援隊の姿は樹木の切株だった。集団幻覚だったのである。
彼の唇肉は喇叭の為に剥奪され、遂に26日に至り凍死してしまった。4月3日、賽の河原にて捜索隊が彼を
発見した時には、喇叭を身辺に置き瞑目していたという…。
狙撃兵の任務は対狙撃兵任務である。その任務の時間も戦いの合間である。狙撃兵は単独で行動することはない。
一般的には歩兵大隊に8人程度の狙撃兵からなるチームが編制され、二人一組で行動する。一人が監視、偵察。
もう一人が射撃という訳である。現代戦では狙撃兵が発砲するのは止むに止まれずか、重要なターゲットを発見した
場合のみである。さらに狙撃兵は800メートル以遠のターゲットにライフルを使用するのは稀である。遠距離射撃には
不確定要素が多過ぎるし、自らの存在を暴露するリスクが多すぎるからだ。このことから、狙撃兵の任務は偵察に
限られるため、旧軍の槍のようなライフルは要らないと判断できる。
もっとも日本陸軍の使用していた38式歩兵銃は銃身が長く、弾が銃口から出るまでに火薬ガスが充分に膨張できる
為、この銃で弱装弾(発射薬が少ない弾薬)を使うと、米軍の恐れた発射音も発射時の閃光も発射時の煙も出ない
”マジックバレット”になる。
【戦争奇譚】
硫黄島勤務になった自衛官に、霊感が強い人がいました。ある夜、その方がむくっ!と起き上がり、フラフラと外へ。
同室の方が声をかけるも反応無し、まるで夢遊病者のように歩き続け、あるところでばったり!と倒れたそうです。
意識が回復してから、何があったのか尋ねると、「誰かに呼ばれた気がする」と。その方の霊感ぶりは有名だった
こともあり、倒れた場所を掘ったところ、遺骨が見つかったそうです。その霊感青年以外にも「呼ばれた」隊員により、
何柱かのご遺骨が見つかっています。
黄島外来宿舎に、金縛りやポルターガイスト等、必ず怪現象が起こる部屋があります。私たちが行った時、人数の
都合で、自分ともう一人がその部屋に泊まることになりました。怖いのが嫌、というより、亡くなってまで苦しんでいる
のではと思い、詳しい作法などは知りませんでしたが、きっと喉が乾いただろうな、甘いものが欲しかったかな、
お酒が飲みたかった人もいたかな、と、本土からミニボトルの日本酒、六甲水のペットボトル、飴玉を持っていき、
窓の下に盛り塩と一緒に供えて「暫くこのお部屋をお貸しください。もしも、本土に戻られたい御魂がいらっしゃったら、
窮屈かと思いますが、この中にお入りください。皆様の故郷にお返しすることはできませんが、この半分を○○県の
△川に流します、半分は、こちらに置いていきます。」と、念じました。
結局、心配されていた私の部屋では何も起こりませんでしが、夜中、隣の部屋から悲鳴とガターン!という騒音が。
聞くと、ベッドを下から蹴られたような感触があり、一瞬浮いたようだったとか。明かりをつけると、ベッドの位置が、
引きずった跡もなく、思い切りずれていました。それから後、夜は何事もありませんでした。
【戦争奇譚】
硫黄島医務科壕という、傷病者を治療するための壕に案内された時のことです。入り口にポトスが自生する、一見
のほほんとした場所なのですが、硫黄島戦では、足の踏み場もないほどに傷病者が寝かされ、本土からの援助も
絶え、満足な治療も受けられず亡くなっていった方が多かったそうです。医務科壕は天井が比較的高めでT字型に
掘られており、他の塹壕よりも少し開放的な雰囲気がありました。(他の塹壕の殆どは地中に掘られており、地熱で
サウナ状態です)「ここから雨水を取り、ドラム缶に貯めていた」等の説明を受けていた時、足元の方から、苦しい
ような、熱いような、閉塞的な感覚が伝わってきました。「ここ、地下があった、なんてこと、ないですよね?」試しに
尋ねてみたところ、説明係の海曹がぎょっとした顔で「地下があったらしいと聞いています。」と。だが、下に降りる
階段が見つからないのだそうです。今も。他の壕では「平成○年○月、調査ここまで」と書かれた紙が貼られていて、
その先が落盤している場所などを目にしました。遺骨収拾も、まだまだ進まないようです。
横須賀の教育隊に行たとき、所属していた隊の分隊士が語ってくれた話。分隊士の同期の人が硫黄島に行った
とき、お供え物の一品としてタバコが置かれてあった。そのタバコを、その同期の人は失敬してしまったという。
まだ硫黄島に着隊したばっかで間もなく、おそらく軽々しく考えてたんだろう。その夜、その同期と一緒の部屋で
寝ていた隊員は、隣から聞こえる呻き声がうるさくて目をさました。案の定、タバコを失敬した同期がうなされてる。
そいつを起こして何があったか聞いたところ、「寝ていたら急に胸が重くなって、目を覚ました。そしたら、軍服を着た
日本兵が『俺のタバコを返せ』って口の中に手を入れてきた」と真っ青な顔で答えたとのこと。戦地とは比べ物に
ならないが、私も山にこもって数ヶ月訓練してたから分かる。異性の居ない山奥で、自由を剥奪されて体を酷使
する毎日。嗜好品は唯一の慰めだね。甘いもの、水分、本や写真。人によってそれぞれ。私は吸わなかったけど、
煙草の一服を心の糧にしてた班員も居たのだから。
【戦争奇譚】
戦時中、とある田舎の話。その日、子供達は寺の本堂に集まって勉強していた。突然、空襲警報が鳴り響く。防空壕
に逃げてる暇はない。子供達はとっさに、仏像の前に置いてあったお供え物を置く卓の下に隠れた。やがて敵機は
去り、子供達は卓の下から出てきた。
しかし、そこで不思議なことに気付いたという。とっさの事で気付かなかっのたが、卓は小さくてとても子供達全員が
隠れる事は出来ない大きさだった。実際に試したが、無理だった。しかし、空襲の時には、確かに子供達全員が卓の
下にいたと記憶している。不思議だが、仏様が子供達を匿ったのだろう。そう、村人は伝えあったという。
ホラー漫画家の日野日出志は、父と母が満州から日本へ帰ってくる道すがら生まれた。周りに「不吉だから殺せ」と
言われたけど、母親は必死にかばった。その時母親は後に精神的におかしくなってしまった。父親は日本に帰還後、
養豚場営み、毎日ブタ殺していた。結局、喧嘩の挙句に殺される。日野日出志の弟も父親と似た運命で、喧嘩の
果てに、身体不随になり死亡した。
宇宙空間ではボールペンが使えないことを発見したアメリカが巨額の費用を費やして、いかなる空間でも使える
ボールペンを開発した。一方ソビエトは鉛筆を使った。
枢軸野郎Aチーム
俺は、リーダー オットー・スコルツェニー中佐。
降下作戦と攪乱の名人。
俺のような一応佐官でなければ、ホラ吹きすれすれの変態どもの上官はつとまらん。
色々な意味で。
俺はシモ・ヘイヘ。通称白い死神。
自慢の狙撃術に、イワンはみんないちころさ。
練習かまして、SMGで大量殺戮から5階級特進まで、何でもこなしてみせるぜ。
よおお待ちどう。俺様こそはハンス・ルーデル。通称ソ連人民最大の敵。
パイロットとしての腕は天下一品!
不死身?ナチス?だから何。
板倉光馬。通称どん亀。
酒類処分の天才だ。艦長でもブン殴ってみせらあ。
でもアリューシャンの海だけは勘弁な。
★ハンス・ウルリッヒ・ルーデル(独)
言わずと知れた伝説的超人。最早人間である事すら疑わしい。
★舩坂 弘 (日)
日本の誇る不死身の漢。一旦あきらかに戦死したのち、三日目に米軍野戦病院で奇跡の蘇生。
★カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯(スウェーデン)
ソ連のフィンランド侵略にブチ切れて、自費で戦闘機とDC-2改造爆撃機で戦線に馳せ参じた空の騎士。
★アドルフ・ガーランド(独)
元撃墜王の将軍。 エース部隊に最新兵器Me262を装備させ自ら陣頭指揮をとり、祖国のために飛ぶ。
★檜 與平 (日)
加藤隼戦闘隊(64戦隊)の生き残りにして片足を失っても怯む事無く本土防空戦に活躍。
5式戦を駆り、伊勢湾上空で硫黄島より襲来したP51D編隊を返り討ちにした。
★マリヤ・ステパノヴナ・バトラコーヴァ(ソ)
女性の政治将校。度重なる激戦を潜り抜け、金星徽章とレーニン勲章を拝領。
負傷のため、前線に戻ることは不可能になった後は共産主義者青年同盟の活動に力を注ぎ大戦を生き抜く。
★レミ・シュライネン(独)
新型JS戦車を含む戦車30両相手にたったひとりで渡り合い、JS戦車4両とT34、4両を撃破。
★ルドミラ・パブリチェンコ (ソ)
レニングラードの戦いでドイツ兵309人、ルーマニア兵2人を倒したソ連の女性スナイパー。
第二次大戦初戦で慣らした俺達最強部隊は、戦局の転換で連合軍に反抗されたが、内地を脱出し、前線にもぐった。
しかし、前線でくすぶっているような俺達じゃあない。筋さえ通れば気合と力次第でなんでもやってのける命知らず、
不可能を可能にし巨大な連合軍を粉砕する、俺達、枢軸野郎Aグルッペ!
俺は、リーダー、ハンス・ルーデル大佐。通称ソ連人民最大の敵。
急降下戦法と低空攻撃の名人。
俺のような天才爆撃家でなければ百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん。
俺は舩坂弘。通称不死身の鬼神。
自慢の不死身の肉体と戦法に、米兵はみんなイチコロさ。
突撃かまして、野戦司令部から敵最前線まで、何でも単身突破してみせるぜ。
よおお待ちどう。俺様こそシュライネン。通称鉄壁。
戦車猟兵としての腕は天下一品!
T-34?JS?だから何。
シモ・ヘイヘ。通称白い死神。
光学照準気要らずの天才だ。ソ連邦書記長でもブチ撃ってみせらぁ。
でも40年3/6の敵狙撃兵だけはかんべんな。
俺達は、道理の通らぬ戦場にあえて挑戦する。
頼りになる神出鬼没の、枢軸野郎 Aグルッペ!
助けを借りたいときは、いつでも言ってくれ。
.( :: :..:i
.i ::. ::::) /|
|\ (.. ..::i/ |
|.. \____i__;;;;|ー 、|
| / \、
,,.-'" ⌒ \、
/ ⌒ __ \
i _ ヽ / /  ̄ \
./  ̄ ` ゙゙"" \
/. ''" ヽ \
/ i 人_ ノ / \
/' ' ,_,,ノ 了 / /
/ \===='" ;' / / 寒くなってきたけど
\ \ ---- ,,,,;;;::〜;;;::.._ チョパーリたちも風邪には気をつけて
\ \ __,,.. ;;;r;;〜''"゙゙⌒゙゙""⌒:: .. ..:) 手洗い、うがいをして暖かくするニダよ?
\;r''゙⌒゙゙::⌒⌒:: __ -_'" ::.. :: ..: ) マフラー巻いたら、だんだん気持ちよくなって・・き、。
( :. ::; ヽ :: ,__,,;;ィ::;;;;__'';;;:ィ''゙
(:: ノ ::.. _,,,,;;::ィ'''""゙゙"
゙''(;;;,__,,;;ィ::〜'''""゙゙"
:: .|ミ|
:: .|ミ|
:: .|ミ| /| ::::::::
|\::::: |ミ|/ | ::::
|.. \ _______|ミ|ー 、| ::
:: | / \、 ::
:: ,,.-'"_ ... _ \、 ::
:: / ヾ ( " ,,.// /( . \
:: i ^\ _ ヽゝ=-'// ⌒ .\
:: ./ \> ='''"  ̄ .\
:: / . ''" ヽ ...\
:: / i 人_ ノ / \
:: /' ' ,_,,ノエエエェェ了 / /
/ じエ='='='" ', / / ギギギ…チョパーリ…
\ \ (___,,..----U / ::
\ \ __,,.. --------------i-'"/
\、_ __ -_'"--''"ニニニニニニニニヽ ::
`¨i三彡--''"´ ヽ ::
/ ヽ ::
‐-、 ヽ
,..-.;:=:.:.:_:ヽ)ノ__
,..-‐./:;.:'..:.:/::.、::、:、:! `ヽ
/.:::r‐l::;'...:.,.'....:.:.:.:.:.:.:.:.:l
l.:::::l r.l:.l:::i:.:!.:i.::i.:.::.:..:.::l
,.-=‐'、ー-‐l、!:i:;:!::i::l:.ハ:/:l:ノ:.lj
l ヽ',l:l ヽ:lリゝヾ:!,lノノ::.:ノ
l、 、j l:l ヽ!::.-‐..l´,!:./
l 〉. `!.l:l l:::|. l:|ゝ"
. l `、 `、:L....」:l,.._」:| l
____l :i丶 ..::} ̄「ー=‐-' l
_ -´{_____',:i `、. 丶 }´{ ノ l
{_ -‐i ,r'... 丶 `、. |´ | ',
| i ,.'/ l `、 ゝ、_ ', _,..、!
| i. // l y'´ '-r'__..、_`〕_
| i /.,' l __< _,/´ 、、ヽゝ_、`i
| i. ,' { _,.-‐ 'i. ,.゙>─` ´゙ー- '`ヽ-..j
| i j‐/:i: :::i :i:、/ } `、
| i /:i :! :i ::i/ 、 l !
| i / :! i :i / __...-j. l ,'
|_ . 」__'ー/__」_ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ l-─‐-、! _ l
/───────‐‐‐‐‐‐!::::::::::::::l´::::`:l
|______________.l:::::::::::::::|:::::::::::l
', |:::::::::::::::|:::::::::::!
', |::::::::::::::|:::::::::::!
. '., |:::::::::::::|::::::::::l