アリの穴・301

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356アルペジオ ◆MqIQdNsMQw
カフカはもちろん天才だがドストエフスキーと比肩するかといえば、肩どころか股間ぐらいだろう。ドストのまたの下で上にぶら下がっている物を見上げている程度で、
ドストエフスキーの脳内のことは何もわかっていない感じじゃないだろうか。ただ見上げたところにぶらぶらしているものが、人よりちょっと大きいとか自分のに比べて、
あーだから、こーだから、俺の小説はこんななんか、そういうことしかわからないんだろう。比喩を用いて説明するとそんな具合だろう。
ドストエフスキーの内面/構造がさっぱりわからずどぎつく目立つところだけ見てしか考えられない。自分にない者を持っている人物をどうしてない者が理解できようか。
だけどいけそうな気がするんだよな。ドストエフスキーの高みまで。ドストエフスキーは2ケタ台でも書きやがるから。2ケタ台に生まれついたHiはずっと2ケタのままなんだが、
ドストエフスキーは天分があるからな。ドストエフスキーを天才と定義するならカフカは文才のある男程度の者なんだが、これはカフカに対して厳しい見方をしている。
ドストエフスキーは文学史上最高の人物なので、文学と言う狭い枠で考えることも無理なレベルだからな。
ドストエフスキーは、2桁まで降りてきて三桁に戻る。そしてまた2桁にいき、2ケタ台の賞賛者も得る。3ケタ台に突入すると2ケタ台のHiのような低級な読者(低級な読者というかただの低級に過ぎないが。
読者というより"すべてにおいて低級"という造語を作ったほうがいいだろう)
このすべてにおいて低級はまた2ケタ台に戻ってくるはずだと言う期待でこの三ケタ台の章を苦痛ながらも読みふける。あるいはそのとき俺は難しい話を読んでいるんだと理解できないまま思っていて恍惚感すら得ているかもしれない。
読んでるぞ、とレスするHiのように悲惨に。俺はこんな難しい本を読んでいるんだ、通りを歩く人間がアホに見える、などと思いながら。HIは自分以外がすべて残飯に見えるんのだが。