あなたの文章真面目に酷評します 別館 Part3

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718名無し物書き@推敲中?
――今日もいらっしゃる。
 女学生は黒髪のボブに包まれた頭部を、自らの背よりも高い鉄筋の欄干の間に押し込んだ。灰色のリフィ河の上に揺れる、
白い破片を散らしたような陽光が、少女の目を射た。カレッジからの帰りに、半ペニー橋の上で足を止めて河面を眺めるのが、
女学生の日課であった。
 老人はいつもそこに小舟を浮かべていた。小さなカンバスと一緒に乗り込んで、午後いっぱい絵を描いているのだ。女学生
はその人をこっそり「先生」と呼んでいた。画家なのか、そうでないのか、少女は知らない。「先生」が自分に気付いている
のかどうかさえ、少女にはわからない。ただ、空が青鼠色になり、河添いに点々と首飾りのような灯りがともる時刻まで、そ
の人を見つめているが好きなのだった。
 ある日のことだが、その午後はダブリンの空に重たい雲が立ちこめていた。霧のような雨が降り、濡れた石畳の上を行き交
う人は少なかった。リフィは「黒い水溜り」の名に似つかわしい、沈んだ色をしていた。
――雨だもの。
 女学生はほおと息を吐いた。果たして小舟は浮かんでおらず、河の上に老人の姿はなかった。傘を持たない少女は、緑の
ベレーを深く被り直して、半ペニー橋を後にした。
 テンプル・バーの辺りを散歩して帰ろうと思ったのは、別段深い思案があったわけでもない。だから、人気のない角を
曲がってその人を見つけた時、女学生は思わず叫んでしまったのである。
「先生」
 老人はパブの軒先で、パイプに火をつけようとしているところだった。顔を上げた「先生」と視線を交しながら、この雨で
火がつくのかしら、とぼんやり少女は思う。それから、さっと頬を染めた。「先生」と間近でこうして会うのが初めてで
あったことに、女学生はようやく思い至ったのである。
 短い黒い髪が濡れるのも構わず、女学生は緑のベレーを取った。胸のあたりでそれを弄りながら、少女が言葉を探している間、
老人は皺だらけで表情の判別しがたい顔を、少女に向けていた。
 やがて少女は老人をじっと見つめて、「先生」と呼びかけた。
「私の絵を描いていただきたいのです」
 と女学生は言った。