この三語で書け! 即興文ものスレ 第二十ニヶ条

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366名無し物書き@推敲中?
いっちゃんが、結婚するのぉー、と言った。
いつものように、語尾をのばして鼻にかかった甘ったるい声で私の耳にささやいた。
多分いっちゃんは、私の「誰だれ、相手は」という言葉と、不意をつかれた慌てぶりを
期待していたんだろう。
でも、私は彼女の期待に沿わなかった。
「おめでとう」と、うっすら笑って彼女の肩を軽く叩き、そのまま教室を抜けて出た。
コートと鞄はもうすでに手に持っていたから、不自然な感じにはならなかったと思う。
学校の玄関の重いガラス扉を開けると、空気はもう淡い夕焼けの色に染まっていて、
私の吐く白い息が浮いて見える。
握る自転車のハンドルはこれ以上ないくらい冷え切っている。
いっちゃんが、私の耳にいろんなことをささやくたびに、心配だの、分別だの、友情だの、
なんだの、みとめたくないけど嫉妬だの、ありとあらゆる感情が私の中に生まれていた。
いっちゃんが夜中に泣きながら電話をしてくるたびに、少しずつ返事をしている私の声が、
他人のものに聞こえてきた。
一緒にいるだけで楽しかった昔の私たちを、今の私が見たら、どんな気持ちになるんだろう。
携帯電話ができて、いっちゃんの打ち明け話は24時間になったけど、タイムトラベルはまだ実現していない。
川べりの道を、自転車で走ると風は頬を切るくらい冷たい。
「結婚かぁ」
私は風にまぎれるように声に出してみた。
いっちゃんのように、細い顎も、桜色の頬も、よくうごく大きな瞳も持っていない私には、
オリンピックの金メダルのように遠い言葉だ。
鞄の中から、メールの着信音が聞こえてくる。きっと、いっちゃんだ。
でも、私には風の音の方が強くて、聞こえない。
かじかんだ指では、返事も打てないから。
私はペダルをいっそう速くこぐ。

次は「泡沫」「イタリア」「信号」で。