旅人に書を。世界を。勧めるのか。いいだろう。φ(_ _)。o○
2 :
名無し物書き@推敲中?:2006/08/31(木) 10:28:42
フシハラうざいよ氏ねや
嵐か。旅に出て。いきなり。よくある話だ。φ(_ _)。o○
旅のお方よ、はじめまして。
通りがかりの神父です。
祈りなさい。そしてよろしくお願いします。
人は誰でも幸せ探す旅人のようなものだそうです。
昔ささきいさおがゆっていました。
ちなみに当職も、
祭り板→伝統芸能→えちねた→借金生活、の地などを
転々としながら今はこの地に落ち着いております。
よろしければ貴方の旅の遍歴などをお語り下さい。
いや、まあ、過疎板なんで誰も聞いてない可能性大ですが。
なんと。旅の初めに神父様に出会った。
これで希望の星に巡り合うまで歩き続けられるのか。
しかも伝統芸能板をご存じの方とこんなところで巡り合えるとは。
あの地ではミイラ盗りがミイラになりかけた。危険な旅だ。
えちねた板では日常食を補給している。旅にコンビニ。旅人にえちねた板。
伝統芸能板には魔物が棲んでいますからねえ。
まあ、当職は落語スレにしか行きませんが。
そういえば、2ちゃん発足当時は名物ジプシースレッドなんかも
けっこう伸びていて、旅人も多かったみたいですが、最近は
聞きませんねえ。まだあるのでしょうか。
おお、神よ。ジプシー達に祝福あれ。我が行く手に恵みを。友を。
旅人に書を勧める者なく。書く。旅人だが旅行記は書かない。
深夜特急も一冊読んだのみφ(_ _)。o○
旅人砂布巾は書く人?
読書を勧めるだけでいいんか?
勧めるっていうか、俺きょう悲しいことあってさ、
腹立ちまぎれに読んだら、我を忘れるほどよかったよ、これ。
「百年の孤独」ガルシア・マルケス。
旅人はこっち方面行った?
ガルシアマルケス。懐かしきラテンの地。蟹の死骸だらけの部屋。
旅人はまだ訪れたことはない地だが、ありがとう。良き書だ。
旅人はツレヅレなるままに書く。ラテンを。
酔っている。そして。寂しい。
旅人は孤独だ。旅人に書を。
この孤独を誰にも分かち合えない。
誰か。この孤独を書くことができれば。どんなにか。
>>10 蟹の死骸だらけなのはエレンディラの短編の方ではなかった?
孤独な旅人さんに、じゃあリョサとかどうですか?
>>12 そう。「エレンディラ」だった。天使が死ぬ話だ。
男がセックスしようと思った時、
女があれ、何だあれ?という短編も、好きだ。切なすぎた。
あれを書けないものか。
リョサか。バルガス=リョサか。
「緑の家」が良いと聞いて気になっている。
恥ずかしながら、「若い小説家への手紙」しか読んでいない。
ハウツー本かと思ったのだ。旅人はガイドブックが好きだ。
目的地は人任せ。よし、リョサを訪ねよう。
それにしても、いきなりラテン文学から始まるあたり、
旅人スレだからだろうか。
「緑の家」が見つからない。アマゾンにない。
旅人は探し物が下手だ。
「さよなら妖精」米澤穂信 を読んだ。
旧ユーゴスラヴィアから来た少女。日常の謎とさらに大きな謎。
旅は残酷だ。
「薬指の標本」を読んだ。
アルコールを飲みながらと思っていたのだが、
本に酔った。酒を入れたくない。
旅人は荷物が嫌いなので、すぐ本がなくなるφ(_ _)。o○
旅人。雷雨でずぶぬれ。
ふてくされ。寝れ寝れ。
「草の竪琴」を買った。カポーティ。
カポーティ。カポーティという名前に生まれたらどうだ。
田中カポーティ。鈴木カポーティ。佐藤カポーティ。
佐藤がいいな。佐藤カポーティ。
「草の竪琴」φ(_ _)。o○
60過ぎのおばあさんが出てくるのだが、
最初年齢が書いていなかったので、
17歳くらいだと思いこんで読んでいた。途中まで。
萌えていた。途中まで。
「草の竪琴」読了φ(_ _)。o○
旅立ちの話に弱い。旅人だから。
普通じゃん、それ。と突っ込む人もいない。
第一旅人発見…。だからいないんだって。
ウィンナーが平皿一杯。
一体こんな食生活で瑞々しい物語が生まれたりするものか。
旅に出た 台風とともに
やられた……
「緑の家」が見つかった。散々探した後。
地元の公民館の図書室で。ここはノーマークだった。
素晴らしい。こんな話を初めて読んだ。しかし、
<シスター>が出てくるのだ。シスター。
ついシスター萌えを探そうとする悪い癖を絶つため数ページなり。
昨日牛丼を食べられなかったが、
今日はなか卯の肉うどんを食べた。
この哀愁を小説に出来るだろうか。
クーデターか。他人事ではないな。旅人だから。
今日もこのスレはクーデターの心配はない。
平和で何より。珈琲でも飲むか。一つ応募も終わったことである。
砂嵐 我を沈めよ
一本の 葦となる日を 常闇に待たん
一月用の撮影。カシミヤのコート数十着。
肩凝った。待ちの時間、Tシャツにコートを羽織って過ごす。
そのままコンビニに行った。そうか。露出狂とはこの感情か。
また一つ勉強をした。
|д・)
旅は順調ですか。線路は続きますか。どこまでもですか。
山は死にますか。母上様お元気ですか。貴方も狼に変わりますか。
なにより、モデルさんだったんですか。
30 :
名無し物書き@推敲中?:2006/09/24(日) 02:07:41
逆上したアスペルガー残飯はつっこみどころ満載で愉快だね
でも相手するとつけあがるんだよなぁ
愛情乞食は
31 :
名無し物書き@推敲中?:2006/09/24(日) 02:11:05
ここは「根っからの善人ごっこ」をしている八百長仲間スレッドかな
もしそうなら失礼した
単なるサルベージだ。他意は無い
続けろ。残飯
ああ神よ。まだ神も死神もこのスレを見捨てていなかった。
神父様に賛美歌を。
母上様 ゆうべ つちの こむえに やさしく ひかる 星一つ
見つけました(うろ覚え……φ(_ _)。o○
旅人は旅をするうち、思いがけない場所で自分のレスに出会う。
驚く。焦る。今日はこのスレに驚愕が待っていた。
旅人はモデルだったのだろうか。
寝ながら泣くほど苦しい仕事をするなよ。
飲んで記憶なくしながらレスするほど2ちゃんするなよ。
ポイント・マイル板。φ(_ _)。o○
彼らの飽くなきマイレージ精神に感謝。
edyだ。まったくだ。
|д・) 旅人は旅立ってしまったのでしょうか。
まあ、旅立たなきゃ旅人じゃないんですが。
彼の旅に良い風が吹きますように。
|д・) あ。と思ったら世間的には連休でしたね。
いないのが当たり前ですね。
リアル旅に出たりするのが普通ですねそうですねすみません。
おお神よ。神父よ。あの風は神父様の風でしたか。
大陸から妙に生温い風が吹き、天候不順のため仕事キャンセル。願ったり三連休。願うわけない食中毒。
JALのトイレに毛布を届けてくれてありがとう。
旅しても一人。
トルコか。オルハン・パムク。羊肉が苦手なので困る。( ..)φ
本屋に行った。恥ずかしながら。ノーベル賞トルコ人作家を買うためだ。
旅人は祭が好きだ。ノーベル祭だ。
旅人「ノーベル賞のコーナーありますか、昨日のトルコ人の」
店員「ノーベル賞??ですか?」
旅人「…文学賞の、ワタシノナマエハアカとか、ユキとかいうタイトルで」
店員「え??小説ですか?」
旅人「…」
某大手書店だ。
わかっている。ここに書いても解決はない。だが。
ここにしか。
パスポートを盗られた。
誰にも言えない。二度目は洒落にならない。親には言えない。冗談は一度まで。
|д・) 受難が続きますねえ。旅人ってたいへん。
|д・) まあ、ついでに、町田康の「パンク侍 斬られて候」が
早くも文庫化だそうで、旅のお供にお薦めしておきます。
トリップを 間違えた候
>>42 おお神よ。神父よ。
神のご加護のもとに、パスポートであんな荒稼ぎや、
こんなエロ稼ぎをする悪者もなく、無事帰宅した旨、
さっそく十字を胸に斬りながら、
本屋へ町田康を斬りに、旅、いや、日銭を稼ぎにゆかん。
|д・)
「日銭」というのは良い言葉ですねえ。旅人にこそ似合う。
一方、「年金」「ローン」「定期検診」「予約」「会員カード」
などは旅人には合わない言葉ですねえ。
圧倒的に合わない言葉の方が多いことを考えると、旅人って
やっぱたいへん。
45 :
名無し物書き@推敲中?:2006/12/25(月) 20:52:20
人生は旅だよね。
なにこのメモ帳
|д・) そして旅人が去った後には、
何もない大地にただ風が吹くだけ。
48 :
名無し物書き@推敲中?:2007/03/10(土) 05:38:19
風は旅人だろうか
大気の流動は
星の自転は
始まりはどこにある
終わりはどこにある
ぼくの前では
誰も立ち止まってはくれない
dasut
”インテリジェント・ゴリラスーツ”を常に身に着けることが、この未来社会での第一のルールだった。
それを着用しない外出は、まさしく死を意味した。ゴリラスーツに装備された高価な機械が発見次第
すぐ反応し、パワーアームで、即撲殺。辺り一面が肉片や汚物で汚れても、パワーアームできれいに
掃除するから手は汚れずに済む。未来社会では水は人の命よりも高価だから、それは環境にも
やさしい。指先すべてに仕込まれた、肉食の昆虫が全ての肉片や汚物を食べてしまうのだ。その後、
今度は虫が排泄した糞がゴリラスーツの動力となるのである。何と合理的であろうか。
このゴリラスーツを開発した、J・チャリティ博士はその為に大いに苦労した。
51 :
名無し物書き@推敲中?:2007/07/09(月) 20:51:47
まんこ
52 :
名無し物書き@推敲中?:2007/07/09(月) 20:57:44
さびしいやつw
53 :
名無し物書き@推敲中?:2007/07/09(月) 23:04:47
インテリジェントゴリラスーツ、話が地味に進んでて笑えるw
54 :
名無し物書き@推敲中?:2007/10/09(火) 03:32:41
55 :
名無し物書き@推敲中?:2008/02/08(金) 12:31:05
旅人さんに送る歌。やっぱ「愛と風のように」ですね。
古いけど・・
56 :
名無し物書き@推敲中?:2008/06/01(日) 00:26:29
age
57 :
名無し物書き@推敲中?:2008/06/10(火) 22:52:18
AGE
わたしの人生も旅のようなもの。
成人してからは1年に1回以上のペースで引越しをしてる。
この前はとうとう国境を越えたわけで、次はどこへ行くのやら。。。
大豆やハーブを使ったHealthy&Sweet系の女性向け甘味屋さんがチェーン
展開されてて、そこでハーブのゼリージュースなるものを飲んでみた。
漢方薬をファッショナブルにアレンジしてみたような感じで、
今まで経験したことがない味なのに、すごく洗練された飲み物という
印象もある。あえて言うなら、無印良品的というか。
洗練っていうのは慣習とか経験に基づいているものだと思っていたから、
新しさとは共存しないものだと思っていたけど、そうでも無いみたいだね。
古いものを巧みに組み合わせることで新しさの演出ができる。
このジュースについて洗練された印象があるのは、漢方薬みたいに
ジュースのネタとしては新しい物を、缶ジュース的なそつの無さで
まとめたからか。技術は旧来からの保守極まりないものなんだけど、
素材が新しいという。新しい素材が根元的にもつ醜さを洗練された
技術で誤魔化しているというか。 、、、考えどころだな。
グッドウィルが二重派遣してた問題で派遣事業許可が取り消しになるそうだけど、
二重派遣なんてそう珍しいことじゃないし、経団連で主要な地位を占めている
某世界的企業の派遣会社も二重派遣の常連さんだ。
大体、政界にコネを持ってる派遣会社は摘発を逃れてるようだね。
政治の腐敗はどこまで進むのか。。。
小泉さん以降、這い上がれない社会、貧富の差拡大、政治腐敗の構図が
固定したというか、悪化したと思う。小泉さんは自民党をぶっ壊すとか
言っていたけど、実際にやったことは自民党そのものだね。
個人的に評価してるのは、アメリカへの対応。小泉さんによって
アメリカとの関係が揺るぎないものになったのは大したものだと思う。
その意味で、福田さんは小泉さんに良く似ていると思う。
アメリカが中国になっただけ。はじめは中国にいいように使われてるだけだと
思っていたけど、最近の中国の親和的な対日対策を見てると、中国からの
信頼を得ているのは確実だと思う。わたしもビジネスで中国人とは毎日
付き合ってるけど、この頃の中国の友好的態度は本物に見える。
いい作品を書きたいなあ、、、と、食後のひとときにしみじみ思う。
掌編しか書けない状態が長く続いていたけど、最近やっと50枚くらいの
短編を書けるようになってきた。目標はコンスタントに200〜300枚の
中編を書けるようになること。商業的な観点から、この位の長さが
必要と思うし。
けど、書いてて思うのは、わたしの場合中編くらいがちょうどいいの
かもしれない。書きたいことを書いて少し工夫をこらすと、ちょうど
この位になる。
最近、書くことに少しずつ喜びを覚えるようになってきた。
やっぱり、理想とか理論とか野心とか、そういうものより
「書きたいこと」が大切なんだと感じる。
いつか、人形よりも書くことが好きと言える日が来るんだろうか、、、
Yahoo!のアンケートで内部告発できるかっていうのがあって、
わたしは「できない」と答えたけど、現在の結果は
できる 43%
わからない 32%
できない 26% になってる。
わたしは今まで幾つかの会社に所属したけど、ほとんどの会社で
不正行為をしてた。告発を考えたこともあるけど、会社に所属している
人々の生活、特に転職の難しい40代以上の肉体労働系の人たちの
生活を考えたとき、最後には告発を諦めてしまったな。
告発しなかったところで、多くの人が病気になったり死ぬわけでは無いし、
その一方で、崩壊する家計や家族の将来を考えると、告発は難しいと思う。
わたしは告発よりも、会社に残って内部から不正を正す道を選んだ。
一度、大量の人が健康を侵されかねない開発案件に関わったこともあるけど、
さすがにその時は消極的に協力を拒んで、部署を飛ばされたけどね。
技術にうといお役人の目をごまかし、合法的に国や地方から援助金を引き出す
なんて簡単だし。ここも世界的な大企業だったけれど、だれもそれに異を唱える
人はいなかったな。生活のためだから仕方ないって言って、開発を進めてた。
多くの人が告発できると回答してるけど、実社会の中でそんな人には
会ったことが無いな。
久しぶりにカキコ、、、だけど、特に書くことがないな。
カキコする習慣がなくなると、スレを前にして悩んでしまう。
最近、他の板にいる時間のほうが長いんだけど、
とりあえず、創文板にいると心がすさむ気がした。
習慣の一部になっているので必ず見てはいるんだけど、
創文板をクリックする時だけは少し気が重い。
仕事でトラブルがあったりして精神的に疲れてる時は日本へ帰りたいって思うけど、
そうじゃない時は特に何も感じない。少しずつ日本への帰属感が無くなってきて、
このまま自分のなかで故郷を失ってしまうのかなって気もする。
日本にいないと、ある種の日本的な情緒すら湧かなくなるんだよね。
それはわたしが書きたいと思ってきたものの一つなんだけど、その代わりに
何か他の感情が入り込んでくるんだろうか?
67 :
名無し物書き@推敲中?:2008/11/20(木) 23:31:06
>本物の異常者だね。。。
ああ
こういうヤツに個人情報渡したらナニされるかわからないよ
俺のウェブ覗いている間は下手に出ていたからな
「お父さんみたいです」
なんてメール書いて来た。それを無視したから襲い始めたんだ
ま、どこかの創作サイトに参加するなら気をつけるんだな
家族脅迫が得意だからね、犯罪人残飯は
あーーーーこえーーーーーククク
残飯、三犯、惨犯、ククク、ぶははは!、関口クン、>、アスペルガー
test
規制が解除されてる?
創文発表板を見てきた。
出来たばかりの頃はすごく活気があってメディアミックスっぽいことも
進んでいて良さそうな板だと思っていたけど、最近はVIP化していたんだね。
過疎化していて驚いた。それでも創文板よりは人がいるみたいだけど。
× 創文発表板
○ 創作発表板
今週中に今書いてる短編を仕上げて、ごはんとブログの方へ投稿するつもり。
有言実行ってことで。あんまりいいネタでもないんだけど、今のわたしには
この程度しか書けないな。
飯島愛さんが亡くなったそうだね。
女子高生を監禁して輪姦や暴行を40日以上繰り返して殺した挙句、
ドラム缶にコンクリート詰めにして捨てた例の事件の関係者(主犯格の彼女)
だと言われている彼女。2chやmixiなどでは命を狙われているという
噂もあったんだけど、本当に亡くなってしまったという。
各メディアは普通の死に方じゃないような表現をしているし、気になるな。
自殺と考えるのが普通なのかもしれないけど。
74 :
名無し物書き@推敲中?:2009/01/15(木) 17:22:20
アゲ
なんとなくだけど、板から文学好きな人たちが減ったなーって思う今日この頃。
本を読むのが好きで、その延長線上で小説も書き始めましたって人は
あんがい少ないのかな。
別にお金儲けとか自己顕示としての作品作りを否定するわけじゃないけど、
そんなのばっかりでもつまんないと感じる。欲求不満かもしんない。
若い人や女の人、果ては芸人や外国人といった人たちを使ってまで
文学賞を表舞台に出そうとする試み。最近では、新しい文学のムーブメントが
イベント会社によって作り出され、マスメディアに流されていく。
読者不在の日本文学はどこへ行くんだろう?
お絵描きの方を再開しようと思って、デジ絵の文法というテレビを見てみた。
そしたら、プロの人たちでも案外しょぼい環境で絵を描いてるのね。
特に衝撃的だったのは、結構前からファンだった絵師のしろさん。
ペンティアム4に写真屋さんの古いのにデルのちっこいモニタという。
プロの絵師というのは、最低でもPowerMacの8コアでメモリ10GB以上積んで
モニタはナナオの何十万円もするやつ使ってるのかと思ってた。。。
また50万も60万もかけてお絵描き環境整えようとしてたところだったんで、
なんか目が覚めた感じ。
けど、みんな若いやね。
多くの人たちは貧乏そうだけど、自分の夢を少しずつ実現しているようで
羨ましかった。プロの小説書きの人とかあんまり羨ましくないんだけど、
絵師とクラシックの演奏家の人を前にすると、どこか冷静でいられない
自分がいる。
精神的に完成していない二十歳前後の人なら誰だって
あんなに持て囃されれば気が狂う。アート、アーター、アーティスト。
しょせんアートなど、庶民による貴族きどりに過ぎないというのに。
死に至る病。
人は、その器以上に褒められてはならない。特に若いうちは。
雨が降ると憂鬱になる。
もちろん外はどしゃ降りだ。
いつだって、そう。
ドザをやっていると余分なことに時間をとられる。
ありえない仕様に、PCを叩き壊して窓から投げたくなることしきり。
実にWindows、まさにWindows。廃棄はこちらから。
とは言え、今のマックに魅力的な機種はなし。
良いと思えないものにお金を出すほど信者ではない。
文学板へ行ってきたけど、みんな博識だなーとおもた。
もともと古典しか読まないってこともあるけど、ぜんぜ付いてけないわ。
ジイド全集とギリシア悲劇全集がほしいなぁ。。。
エリアーデとかも少し読んでみたい気はする。
VAIO TypeA Photo Editionを買った。
液晶がいいって聞いたからだけど、思ったほどでは無かった。
けど、絵師さんたちの筆遣いや塗りの様子がよく分かるので、
ちょっと眩しいしうるさいけどそこそこ満足。
それより、Word2007って原稿用紙モードを実装してるんだね。
昔は原稿用紙に手書きだったから超懐かしい。
縦書きもいい感じだし、これからWord2007を使っていこうと思った。
今は古びた原稿用紙みたいな色とフォントにしてる。
スレ立てすることを考え中。
【淑女】夜の読書会スレ【紳士】
物書きさんのための読書会スレです。
えらい人たちの作品を読み感想を言い合うことで、
各自の物書きレベルの底上げを図りましょう。
●参加資格●
今までに小説や詩を書いた経験があり、
これからも書いていこうと思ってる人。
●読書内容●
青空文庫の長くない作品(三田文学系を中心に)
●開催日時●
毎週or隔週土曜日の夜10時〜 1時間程度を予定
●心得●
・ここは知識を披露するためのスレではありません。
各自が実際に読んで感じたこと、考えたことを素直に
披露しましょう。自分の愚かさや稚拙さを知ることが
すべての第一歩です。
・議論は大切ですが、あくまで紳士的に。あるいは淑女に
ふさわしい内容で。そして何より、結論を出すことには
こだわらないで下さい。結論は人それぞれです。
青空文庫ってはじめてじっくり見てみたけど、結構たくさんあるんだな。
けど、事実上独り読書会になりそうだな。。。
それでも自分のためにはなるからいいか。
今まで読書会の企画は何度か立ち上がったけど、
いずれも1〜2回でほとんど人が集まらずに立ち消えてるんだよな。
一つ言えるのは、わざわざ本を用意してまで参加したいって人は
ほとんどいないってこと。だから青空文庫みたいなコンテンツを使わざるを
得なくて、どうしても古典中心になる。
●開催日時●
毎週土曜日の夜10時〜
時間の合わない人は、感想をスレに貼り付けておいても構いません。
●開催日時●
定例会:毎週土曜日の夜10時〜
時間の合わない人は、感想をスレに貼り付けておいても構いません。
その他、突発的な読書会の場としてこのスレを使用しても構いません。
とりあえず、このスレでこっそりやればいいか。。。
わたしの知り合いに他人を殴り殺してしまった人がいるけど、
彼は興奮状態を抑えることができなかった、殺すつもりなんてなかったと
言っていた。世の中に蔓延しているイジメについても、イジメている方は
イジメているつもりなど毛頭ないのだろうね。自殺に追い込むくらいまで
イジメ抜いてやっと、何か変だったかな?って気付いて、でも、まっいいか
とヘラヘラ笑って忘れてしまう。。。
どうして人間というのはここまで愚かなんだろうか。
この世に神さまというものが存在するなら、どうして人間をこんな風に
作ったのか小一時間問い詰めたい。
ちょうどいい機会だから、2chから距離を置こうかな。
2chにもいい人はたくさんいるけれど、匿名性の高さをいいことに
やりたい放題してる人たちがいて、そういう人たちの影響で
茹でガエルみたいにモラルを少しずつ浸食されていくというか、
それに気付かない自分がいて。
とりあえず、読書会スレは立てないで良かった。
ある種のネット住民は2chを毛嫌いしていて覗こうともしないけれど、
それは正しい姿なんだと、思い込めたらいい。そうなりたい。
わたしがコテを使い始めたのは2ch上でいじめられている人たちを見て、
彼/彼女たちを助けたいと思ったからだけど、なんだか途中から助けたいと
思える人がいなくなってしまって、、、なんかグダグダになってしまった。
コテであることの理由なんて、もうとっくの昔に失っていたのにね。
さて、また別の土地を目指すか。。。
外は相変わらずのどしゃ降りだな。
sageで告知すんなよ
今週のお題本は何かないの?
できれば短めのがいいな
少しだけ戻ってきました。
半年振りになるのですね。。。
>>96 レス、ありがとう。
本格的に創文板に復帰することにしたら、
読書会はやりたいと思っています。
長い作品だと大変ですので、短編を中心にね。
ここ二日ほど板の様子をうかがってみましたが、本格的に過疎が進んでいる
ようですね。年季の入った方々はいるけれど、新しい人たちの流入が無い
山奥の村のようです。2ch離れが進んでいるとも聞きませんので、
恐らくはこの板に特有の現象でしょうか? 以前と違って創作系の板が
多数できましたので、新しい人たちはシガラミの少ない新しい板へ
定住しているのかもしれません。
それでも、一日に幾つものスレを消化するような祭り、
文学上の喧嘩になればタイマンで各々が数百レスを応酬するような熱気、
そんなものが失われて寂しい気もします。。。
タイガーマスクが・・・
最近、次から次へと格闘家が事故死しています。
やらせを少しでも排除しようという流れが、多少なりとも関係しているのかも
しれません。『ノアだけはガチ』なんて皆でコピペして遊んでいたわけですが、
まさかこんな結末になってしまうとは。。。
ファンの方々が三沢コールを繰り返す中、リングの上で息を引き取られたようです。
最期まで、絵になる方でした。その熱い生き方に、敬意を表します。
チェス板で人気のあるギコチェスをやってみました。
序盤にケアレスミスから大量に駒を奪われ、惨敗かと思われましたが、
詰めのアルゴリズムが弱いようで、猛烈に攻め立てても攻め切れない様子。
対戦相手(ギコ猫)の攻勢をしのいで追い払ってしまうと、後はあっけなく
勝てました。2回対戦しましたが両試合とも同じような展開です。
たぶん、私の序盤の展開の弱さとケアレスミスの多さもあると思いますが、
しっかり守ってカウンターを狙えばそれほど強い相手では無さそうです。
私のとても好きな曲に中島みゆき『時代』があります。
そんな時代もあったねと、
いつか話せる日が来るわ。
本当にそんな日って来るんでしょうか?
年を重ねるほどに、そんな気がして、、、なりません。
めぐる、めぐるよ、時代はめぐる。
別れと出会いを繰り返し、
今日は倒れた旅人たちも、
生まれ変わって 歩き出すよ。
悲しい曲だと感じてしまうのは、私が年を取り過ぎたせいかもしれません。。。
普段見ていないスレを幾つか見てきました。
私と同じように、地下の廃墟スレに住み着いている古コテの方たち、
案外いらっしゃるんですね。もう創文板を卒業してしまったと
思い込んでいたので、少し驚きました。
私もここへ来て、もう6年くらいになります。。。
以前はよく詩を書いていました。
私は詩のなかに真実を描きたかった。
そして、、、
詩心とは嘘であり、物語である。
韻とは、己れを不純にする何物かである。
と、思い至りました。
それ以来、まともな詩が書けません。
もっとも誠実な詩があるとすれば、それは沈黙と無、
すなわち「 」ではないでしょうか。
× もっとも誠実な詩があるとすれば、
○ もっとも誠実で穢れのない詩があるとすれば、
Majorという野球漫画のゲームがWiiから出ていますが、
かなりバグが酷いそうで、動画を見ていると笑いが止まりません。
笑いすぎて、久しぶりに涙が出ました。
ここへ戻って来てから約10日。
そろそろ、またお暇しようかと思っています。
2chは時々来るくらいがちょうどいいのかもしれませんね。
小説家になりたいという方は少なくないと思いますが、
なぜ小説家になりたいのでしょうか?
あるいは、小説を書き続けるモチベーションはどこから来るのでしょうか?
●好きなことをしてお金を稼ぎたいから?
→私の場合はNO。書くことは楽しみではありません。
●家に引きこもっていても、楽してお金が稼げるから?
→そこまで甘くないでしょう。けれど、できたらいいですね。
●名声が欲しいから?
→それはあるかもしれません。
●読者の喜ぶ顔が見たいから?
→あまりそういうイメージは持っていません。
●人々に伝えたいことがあるから?
→書き始めた契機はこれです。しかし今は、、、どうなんでしょうか?
私にとっては一番大切なことだと思うのですが。
人はいずれ死にます。
人類もいずれ絶えます。
唯物的な視点から見れば、すべての価値や意味は偽(イツワ)り、
それらを信じる者は詩人、すなわち愚か者です。
無意味、無価値な運動/流転こそが唯一の真実。
愛する者をそこに横たえ、ハンマーでその頭骨を割り砕けば、
飛び散る脳髄と速やかに訪れる全身痙攣が、
その真実を垣間見せてくれるでしょう。
愛は幻想、人はビルの谷間に沸き起こる小さなつむじ風のようなもの。
ほら、今こうして私の手のなかにある柔らかいヌメヌメした物質も、
かっては、愛するあなたの一部だったのです。
ただ動いてはいないだけで、少し腐敗という構造変化を始めただけで、
それ以外、何も違いはありません。
ただ一つ言えることがあるとすれば、
あなたは私を愛するべきだったということです。
真夜中に響くサイレン。
それらは響き合うことなく交錯し、
言葉となってスレを埋め尽くす。
正義、それは人をシリアルキラーに変える薬。
この薬さえ飲めば、人は誰でも殺せるようになる。
良心の痛みなく、際限なく。
久しぶりにインスタント麺板へ行ったら、カップヌードルの謎肉が
コロ・チャーとかいうのに変っていて、しかも麺や全体の味付けが
変ってる、、、要するにマズイと騒いでる人たちがいたので、
カップヌードルを買ってきて、今、食べてみた。
たしかに微妙かも。
元々謎肉は嫌いだったのでコロ・チャーは美味しく感じたけど、
麺がかなり細くなっていて素麺みたい。スープは今まで通りな気がしたけど、
新しくなった具や麺にマッチしてなくて、浮いてる感じ。
全体的に高級化を図ったような印象があるけど、
その分、麻薬的なジャンキーな中毒性が後退してて、
中途半端な製品になってしまったと思う。
たぶん、もう買わない。
文章も同じだと思います。
一部を推敲して改善しても、文章の魅力はむしろ薄れることがある。。。
特に、他人からの指摘を受けて推敲する場合は、薄れるケースが多いように感じます。
私はそれを成長のための一時的後退と見なしていますが、
推敲が本当に成長へつながるのか、、、確信はありません。
ただ単に、角をたわめて牛を殺しているだけではないかと、
そういぶかる気持ちも少なからずあります。
最近、趣味としてカメラを始めました。
曇りの日は何を撮ってもどんよりとしか写らないので、
早く本格的な夏が来ないかな、、、と心待ちにしています。
夏が来たら、今構想を練っている作品の撮影旅行に出掛けるつもりです。
もちろん、ただの言い訳ですけどね。
カメラを抱えてローカル電車に揺られて、海の見える街や山奥の盆地を
ゴトゴト回ってみたいです。
と、みずから死亡フラグを立ててみました。
日本の民俗学をもっと勉強しておけば良かった・・・
地元のお祭りの意味も、神社のなり染めも、何も知らないのです。
情けない。
作品を低く評する言葉に「ワンパターン」と云うものがありますが、
ワンパターンでも面白い作品はありますし、ワンパターンが改善されれば
魅力を失うであろう作品もあります。
水戸黄門やある種の推理小説のように、ワンパターンであることの
メリットも考察されるべきでしょう、というか、少し考えてみます。
もちろん、大抵の場合、ワンパターンな作品はつまらないのですが。
貸切ナース。
そろそろ、今書いている百合物を描き上げなくては・・・
エッチィ作品じゃないです。精神的百合。
エッチィ作品の方が評価は高いですが。
・・・適性。
それに抗うのも、また人生。
アメリカのお店でカメラのレンズが安かったので、買ってしまいました。
20万円也。使わないものを売って、資金を捻出しないと、です。
レンズの価値はそうそう下がらないので、浪費と云う程でもないのですが。
オークション等で売り払っても、差額はせいぜい数万円です。
数万円でレンズをレンタルしていると思えばいい。
121 :
ww:2009/07/21(火) 00:30:09
外国で働いているんでしたっけ。
一言で言えば雑魚です。
122 :
名無し物書き@推敲中?:2009/07/21(火) 01:24:19
wwはあちこちで憂さ晴らししてるだけのクソアラシ野郎で、
ほんの少しでも他の奴らと違うことを自覚し悦にいっているスケールの
小さい雑魚なのでみなさんスルーで。
123 :
名無し物書き@推敲中?:2009/07/21(火) 01:25:13
wwはあちこちでうかばれない現実の憂さ晴らししてるだけのクソアラシで、
ほんの少しでも他の奴らと違うことを自覚し悦にいっているスケールの
小さい雑魚なのでみなさんスルーで。
債権団による米Citiグループへの融資が暫定合意したそうで、ホッとしました。
複数国に銀行口座を持っていますが、いずれもメインバンクはCitiなので。。。
最近、本家のある地元へ戻って家と土地を継ぎ、のんびり過ごそうかな
なんて思っています。年々、周囲への興味が薄れていくのが分かりますが、
これが加齢というものでしょうか?
元々の専門が地球科学系なので、周囲の自然を調査したり本で勉強し
直したりしながら、事実上の隠居生活を送るのも楽しいかなと。
法政大学の通信制教育に地理学科があるそうです。
学費も安いので興味を持っていますが、スクーリングが大変そうですね。
早稲田大学の通信制教育はインターネット化されているので
スクーリングは必要ないそうですが、学費は通学過程並み。
道楽としての学問にそこまで払いたくないですが、どこにいても
教育が受けられ、やる気さえあれば卒業できるというのは魅力的です。
トムラウシ山で発生した大量遭難事故について、少し調べていました。
亡くなった方々の死因は、低体温症→凍死ということのようですね。
いわゆる、眠るように死んでいくパターンです。
私も以前、雪の中で低体温症になったことがありますが、
意識レベルが低下し、どうにかしなきゃ!という気持ち、生きたいと思う
気持ちが無くなりますので、とても危険だと思います。
本当にどうにもならないと判断した場合は、
後で切り落としても良いと思える方の手か足をナイフで切りつけて
強い痛みを発生させるか、ナイフが無ければ手足の一部を意図的に
凍傷にすると良いと思います。強い痛みは意識レベルを引き上げますし、
その分長く生きられます。
ピアニストかつ小説家のアファナシエフさんが書いていらっしゃいましたが、
人は生きようと思い続ける限り死なないそうです。
私もそう思います。
庭で育てているバラですが、手入れをしていると巨大な花が咲きます。
病気もありませんし、虫もついていません。元気そのものです。
しかし、思うところあって、手入れをやめてみました。
手入れをやめても問題無いのではないか?
手入れをしないで自由に成長させた方が、むしろ健康になるのではないか?
と、疑心暗鬼にかられたからです。
結果、バラはボロボロになってしまいました。
黒点病で葉は枯れて落ち尽くし、花も傷だらけで、
かっての1/10くらいの極小サイズ、とてもバラとは思えません。
新芽はアブラムシにやられて、伸びることなく萎れてしまいました。
やはり、美しい花を育むためには、心を鬼にして雑草や害虫を排除し、
病気の兆候が出れば早めにケアして上げ、枝や花芽も適宜ハサミを
入れてあげる、、、それが大切なのだと思いました。
無制限の自由は、
名のあるバラの株さえも雑草に変えてしまうということでしょうか。
三田文学2009年夏号に載っている張煒「遠河遠山」を読み始めましたが、凄い作品ですね。
一頁も読んでいないのに、良作に出会った時のゾクゾク感が来ました。
訳者解説からすると、世界的にもそれなりに評価されている中国作家の方のようですが、
まったく存じませんでした。新人作家さんだと思って読み始めましたので、
私とのあまりの力量の差に恐怖を感じた程です。
現代中国小説の現状はよく知りませんが、このレベルの作品がゴロゴロしているのなら、
素晴らしくハイレベルだと思います。
ゲルインクのペンとノートを買ってきました。
ラノベのように大量に描く必要はありませんので、
結局のこの組み合わせが一番かもしれません。
筆記具はペンテルとロットリングをよく使います。
ペンテルはとにかく安くて書きやすい印象がありますし、
ロットリングは多色ペンで有名ですね。
パーツを付け替えればシャープペンや蛍光ペン、ボールペン、
スタイラス等々、色々なものになる機能性が便利で、
仕事には必ずロットリングを使います。
メタルパーツを多用していて、ずっしりした重量感もお気に入りです。
デザイン的にはカランダッシュが好きなのですが、とても高くて手が出ません。
銀が好きなので、銀の万年筆を使ってみたいのですが。。。
ちなみに腕時計はマーガレットハウエルの銀製ですが、1万円くらいでした。
以前、蛍光エックス線を使ってこの時計の素材を分析してみたのですが、
銀が95%、銅が5%で、間違いなく銀製でした。
元々、銀はそこまで高くない金属ですので、銀製品が高価なのが
おかしいのだと思っています。マーガレットハウエルは値段の割に
いい素材を使っているので、個人的にお勧めのブランドです。
フォークやナイフもステンレスは嫌な味がしますので、銀に変えたいのですが、
まともな銀食器は、少なくとも数万円はするんですよね。。。
素材感を大切にするブランドと言えばブルガリやプラダがあると思います。
私もこのブランドの品はとても好きなのですが、
残念なことに、それらの品を身に付けると、私がブランド負けしてしまいます。
ペンを買ってきたものの入れ物がありませんので、
ティッシュの空き箱の上辺を切り抜いて、ペン入れを作りました。
いつものように、牛革でできた高価な筆箱も物色していたのですが、
作ってみると案外に気に入ってしまい、しばらくこのままでいいかと思っています。
お金を使うばかりが能でもないなと、改めて思いました。
このティッシュの箱に千代紙でも張ってあげれば、
それなりに素敵なペン入れになるような気がします。
私がよく使っているイギリスの激安カメラ店、
最近500万円ほどの盗難にあったようです。
盗まれた品のリストが載っていましたが、市場でも評価の高いカメラや
レンズが集中的に狙われていて、明らかにマニアの犯行だと思います。
仕事にミスが多いお店で、よくトラブルになるのですが、
クレームを入れれば非常に良心的で紳士的な対応をしてくれるので
贔屓にしていたのですが、そういう脇の甘さを狙われたのでしょう。
元々利益は薄いお店だと思いますので、潰れたりしなければよいのですが。。。
ボロボロになったバラですが、
少しずつ手入れをしているうちに、回復し始めました。
もう綺麗な芽が節々に見え始めましたので、
あと2週間もあれば見違えるのではないかと思います。
とりあえず、今まで気になっていた育成上の課題について実験が終わり、
対策方針も決まりました。これからはもっと綺麗に咲かせられると思います。
最近は土壌について勉強していますが、
それぞれの子の好みに合った土を作って上げられればいいなと、
そんな風に思っています。一つ、元気なのですが花をつけようとしない
子がいるので、気になっているのです。
恐らく、他の子とは違うミネラルバランスが必要なのでしょう。
たとえば、シクラメンにバラ用肥料を上げると葉っぱばかりになります。
N、P、Kのバランスが合っていないと、花が付かないのです。
「パスカルの賭け」という言葉があります。
私はこの言葉をロメール監督の映画「冬物語」から知ったのですが、
この言葉の存在を知った時は、衝撃に近い驚きを受けました。
それは、この言葉、信念が、私の思索の最終結論であったからです。
時代も場所も超えて、このような一般には受け入れがたいであろう結論を
下した人間が私以外にもいた、という驚きです。
この概念はパスカル「パンセ」に書かれていますが、
私はその結論へ至る前にパンセを読んだことはありませんでした。
その後、パンセを読みましたが、彼と私の思考方法はとても似ているなと、
改めて驚いた次第です。彼の書を読んでいると、自分の文章を読んでいる
ような錯覚に陥ります。
私の人間観は基本的にジャンセニスムと同じです。パスカルも同じ所から
出発しているせいで、同じような結論へ至ったということでしょうか。
論争というものを煮詰めていくと、最終的には世界観、現状認識の違いへと
収束します。つまり、人の数だけ正解があり、似た過去の持ち主ほど
似た結論へ至ることになる。過去、すなわち経験の相違が大きすぎる場合、
論争は決して解決しません。
その意味において、論争というものに契機という以上の価値はないと
考えています。契機、つまり己れの論理の誤りに気付く契機です。
そして、正解を探す唯一の直接的な方法は、思索、己れ自身との対話に
あると考えます。
もし状況的に、経験の異なる人々と解決を模索しなければならない場合、
必要なのは論争ではなく、過去の経験の共有です。
つまり、かって経験したことをお互いに大いに語ること、、、
これが異なる価値観同士が理解しあう近道です。
論争において論理という言葉がよく使われますが、多くの人々は
論理を「図形に成立する法則」として認識しています。
論理的に考えようとすればするほど、知らず知らずのうちに、
物事を記号化し、それらの記号を図形として認識、
正誤を判断しているのです。
しかし、たとえば人の心の問題は「図形に成立する法則」とは無関係です。
図形から抽出された法則は、図形についてのみ正しい。
人の心には人の心に特有の法則性があり、それは図形について成立する
法則性とは無関係です。そして残念ながら、人の心の法則はまだ明らかには
なっていない。。。つまり、人の心の問題を論理的に判断することは不可能です。
物事を図形に置き換えて考える時、それは既に非論理的思考方法だと
認識しなければなりません。実際には、多くの人々が図形的論理で
多くの物事を判断し、それを自ら「論理的」と主張しますが。。。
・厳格なるもの
・拘束するもの
・華美なるもの
・自由への憧憬
日本の文学というか文壇は、いつか世界のトレンドになれるのでしょうか?
私には、斜め上を行っているようにしか思えません。
恐らく、文壇の偉い人々の作品よりも、ラノベを翻訳して世界に発信した方が、
世界的には日本文学の地位が向上するように思います。
日本のラノベというのは、実は最先端の文学なのでは・・・
まぁいい、、、書こう、書きましょう。
作品で証明すればいい。
他人の役に立ちたい、困っている人を助けてあげたい・・・
そんな思いを秘めた方は、少なからずいらっしゃると思います。
しかし、残酷なようですが、何の能力もない方に他人を助けることは
できないと思っています。かえって、足手まといになるでしょう。
他人の役に立ちたいのであれば、他人を助けられるだけの力を
付けることが最低限必要だと思います。
私は、三田文学をどうにかしたいです。
また昔のように、たくさんの名手がひしめくような雑誌に戻したい。
そのために為すべきことは、上記に述べた通りです。
まず手始めに、私自身が力を付けなければいけない。。。
今まで、書くことにあまり力を入れてきませんでした。
・・・そろそろ、本気で取り組まなければなりません。
決意。
出身高校の吹奏楽部のホームページがあることに気付きました。
全国でも5位以内に食い込んだりする進学校なのですが、
この、おバカに命を懸けたスナップ写真は、まさしくウチの吹奏楽部です。
卒業してから10年以上が経ち、校舎も新しくなり、
部室は燃え上って何もかもが灰になりましたが、
このおバカだけは引き継がれていたと云う・・・。
わたしは面倒臭がりなので、何かを頼まれても断ることが多いのですが、
後輩たちの顔を見ていると、何でもして上げたくなるから不思議です。
先輩たちが開いたお店も載っているので、今度お忍びで行ってみたいと
思います。それにしても後輩たちが可愛い、、、もふもふしたいです。
部室の窓という窓が鉄格子で武装され、倉庫にはエアガンや鉄パイプ、
ヘルメット、目張り用ガムテープ、粉末コンクリート、持久戦用の非常食が
常備されていた我が吹奏楽部。。。
何度、先生方や夜間部学生、それに周辺住民たちの襲撃を受けて来たことでしょう。
最後には、数十年の歴史、楽器と共に、すべて焼け落ちてしまいましたが。。。
大正時代に創立された高校でしたので、
明治維新の息吹きを多分に引き継いでいたと思います。
校歌も非常に血生臭く、「我らを疎んじるならお前ら全員ぶっ殺すから
覚悟しとけ」みたいな内容でした。
今でも、卒業したことを誇りに思う高校です。
あぁでも、、、あんなに綺麗になった部室では、鉄パイプを隠すスペースが
ありませんね。銃撃訓練もできないでしょうし。。。
トリを少し変えてみました。
てst
てst2
不思議ですね。
トリを変えてもどうと云うことは無いのですが、
コテを外すと、一人の人間に戻った気がする。。。
また初めからやり直すつもりで、私の本来のコテに戻しておきます。
人形師は、必要にかられてその場しのぎで使い始めたものですし。
こういう手もあるけれど、、、
また明日にします。
フジフィルムのネットプリントサービスがリニューアルされたと
メールで連絡がありました。しかし、フジフィルムのプリントは何度か
条件を変えて利用しましたが、プリントの品質が安定せず、
写っていれば何でもいいでしょ?というレベルでした。
写真屋さんのお話では、それゆえにお店でもフジフィルム系へは
プリントを依頼せず、できる限りコダック系を利用しているとのことです。
フィルム全盛の頃は、どのお店に依頼しても最低限の品質は
保たれていたと思うのですが。。。
九州の方が豪雨で酷いことになっていますね。
豪雨の理由には色々あると思いますが、土壌の表面をアスファルトで
覆っているせいで雨が地中へ染み込まないこと、土壌そのものが劣化していて、
雨を保水する能力が低下していること、工場や都市化が進んだせいで
局地的に大量の熱が発生するようになったこと等々、人為的な影響が
大きいと思います。
環境と云うものは想像もつかないほど長い年月をかけて形成されたものですが、
それらが持っている緩衝能力を大幅に超えると、変化は一気にやって来ます。
環境も、そして人体もそうなのですが、基本的にブチギレ体質なのです。
普段は何も言わずにじっと耐えているのですが、ある一線を越えると
大暴れし、手がつけられなくなる。。。小さなシグナルを見逃さないように
すればいいのですが、小さなシグナルであるがゆえに誰も相手にはしないと云う。
人間と云うのは、巣の中で大きくなりすぎたカッコウのようなものだと思います。
既に育ての親鳥よりも大きくなっていることに気づいていない。
ただ、逆説的かもしれませんが、このような反撃を食わないために
有効だと考えられる手段は、人間が休みなく働くこと。
土日も祝日も深夜も、常に同じレベルの労働を行ない続けることで、
環境への負荷は小さくなるはずです。ときどき環境保護の名目で
世界的なレベルで消灯したりする活動が行われていますが、
これは非常に危険なことだと思います。つまり、人間活動の不規則性が
環境負荷を高めている理由の一つだからです。
10の力で安定して押されているのであれば対処するのは簡単ですが、
それが1週間に1度の割合で5になるとか、時々不定期に1になるとか、
そのような変化があると、その変化に対応しようとして環境は
ヒステリックな反応をせざるをえません。
水は常にちょろちょろと流していれば御しやすいものですが、
それをせき止めたり開放したりなどと不規則な干渉を行なえば、
膨大な力、御することのできない力へと変化します。
>>161-162を読み返してみて、
我ながらバカなことを言っているなと思いました。
削除できるものなら削除したいです。
恥ずかしい・・・ですね。
恥ずかしいので、コテを外しましょう。
とりあえず、しばらくこれを使ってみます。
夏と言えば心霊スポットですが、先日、写真ブログを見て回っていると
見覚えのある場所の写真が出てきました。
山中の古いトンネルで、ツーリング中に通った所です。
なぜ覚えていたかと云うと、そこを通る時、クラッシュしたばかりと思われる
新しいクルマがトンネルの手前にひっくり返って放置されていたからです。
その日、そこへ至る30分ほどの道程の中で3回の交通事故に出くわしたのです。
とてもマガマガシイ雰囲気でした。ちなみに、そのトンネルを抜けてからは、
交通事故に遭遇していません。
その地方でも有名な心霊スポットなのだそうです。
その心霊スポットハンターが使っていたカメラは、私と同じものでした。
かなりマニアックなカメラで、普通の人は使いませんが。。。
先日注文したレンズ、これが、その現場の撮影に使われていました。
何かに呼ばれている気がしないでもないです。
アマゾンでは、創作の参考資料として心霊写真集や幽霊屋敷の伝承集を注文中ですし。
私はあまり霊と云うものは信じませんが、廃墟や心霊スポット、魔術と
云ったものは大好きです。あと、人間の血のにおいはすぐに分かります。
ある人間の臓器を焼却している公的設備があるのですが、その周囲へ行くと
とても血生臭いです。他の方々は匂いがしないと言いますし、実際、
周囲の人々には臓器の焼却場だと云うことが隠されているのですが。
子供の頃は、バンパイアやマッドサイエンティストになるのが夢でした。
バラを放置して気付いたことが、もう一つあります。
それは虫が来るようになったこと。きちんと面倒を見ている時は
アブラムシや病気を防ぐために農薬を撒いているのですが、
その代わり、益虫も含めて虫はほとんど来ません。
しかし、今回バラがボロボロになるまで放置してみて、大量の虫が来るように
なりました。農薬をやめて一番初めに来るのはアブラムシです。
次に、アブラムシと共存しているアリが来ます。しばらくはこの状態が続き、
体力のないバラの場合はそのまま枯れることがあります。
更にその後に蝶がやってきて卵を産みつけ、今度は孵化した青虫が
元気なバラまでも食い荒らすようになります。既にこの状態でバラは
かなり悲惨な状態ですが、それでも害虫の天敵はまだ来ません。
それから数週間たって、やっと害虫の天敵がやって来ます。
テントウ虫やカマキリ、ハチ等々。。。
本来の自然環境では害虫と天敵のバランスが取れているために
植物が害虫に食い荒らされて死ぬことはあまりありませんが、
鉢植えや農薬で管理されている庭の場合はこのプチ生態系がありませんので、
農薬を止めてしまうと、植物が害虫に食い荒らされ、低くない確率で
死ぬことになります。害虫の侵攻スピードに比べ、益虫の来るスピードが
遅過ぎるために、植物が持ちこたえられないようです。
私の場合はギリギリの状態で農薬管理に戻しましたが、
今のところ、虫たちがまだ残っています。あちこちに蝶が飛び回っています。
農薬管理を続ければ、またいなくなると思いますが。。。
農薬を使わずに元気なバラを育てることは、バラ愛好家の夢でもありますが、
なかなか難しいですね。特にベランダ等で少しだけバラを育てている場合、
天敵の餌となる害虫が少なすぎて、事実上、プチ生態系-無農薬栽培は
不可能な気がします。庭がある場合、益虫の好きな植物や益虫の餌となる
害虫育成用の植物も育てて、意図的に虫たちを育てて行く必要がありそうです。
虫のいない庭というのも、管理していて悲しいものがありますしね。
土壌が庭の脂肪、植物が肉であるならば、虫は免疫系に相当するのでしょうか。
人間は神経系かもしれません。
園芸を始めたばかりの頃はよく枯らしていましたし、
生き延びている株についても不健康で、道端に咲いている雑草の方が
はるかに元気であることに疑問を感じていました。
しかし、それは雑草が高度な自然のメンテナンス・システムに組み込まれて
いたからであって、自然の管理レベルは、下手な園芸家をはるかに凌駕している
のだと、最近になって思い至りました。
キリストではありませんが、本当に、野の花は何もしていないのに綺麗ですね。
あんな状態を維持できるのであれば、園芸家としてはかなりの腕だと思います。
・形式美
・殺戮
・幻想
・人形
・廃墟
・原罪
・異形
・身体
・装飾
・墓場
・終末
・近親相姦
退廃の美
腐敗
血
無垢の愛
そして性愛
物質性の向こうにあるもの
物質に対峙する唯心的ロマンティズム。
ロマンティズムを用いない物質性の解決は可能か?
衒学的唯物論を葬る、新しい思想の必要性。
唯心的ロマンティズムという思考停止と、その限界について。
全ての人間が例外なく持つ信仰心、あるいはその衝動。
神無き人間の不幸から、神無き時代の不幸、そして神を知らぬ世界へ。
第二のルネサンス世界において、信仰衝動を満たす存在とは?
人間は神を克服できるのか?
かって信仰心と呼ばれた衝動の進化、その行く末とは。。。
人間の精神は進化しうるのか?
あるいは、延々と歴史を繰り返すだけの存在か。
たとえば、人は時間という概念から逃れられるのか?
それを意思すれば、人は時間という概念なしに物事を把握できるようになるのか?
考える価値のあること、無いことの選別。
手段としての思考という割り切り、それ以上に踏み込まない決意。
思考のための思考という沼。
俗
低俗な自己顕示乙。
不潔
善と悪、二枚の回転する刃に引き裂かれ、
ミンチの屑肉と化す天使たち。
海に撒かれて養殖魚に食われちまえ。
どこまでも沈んでいく死体の君。
そこには光もなく、酸素もなく、温もりもない。
生前のあなたが憎んだもの全てが、そこにはない。
だから、安心してオヤスミ。
深海の底へたどり着くまで。
プランクトンの死体たちの間に、
沈んでいくあなたが見える。
私が文章でその目的を達するためには、私を覆っている何枚ものベールを
剥ぎ取らなければなりません。少なくともそのうちの一枚は、私の眼にも
はっきり見えているものです。現状のままでは100%無理でしょう。
必要ならば、今あるものを打ち砕かねばなりません。
公募へ応募する予定の構想があるのですが、そのためにゴシック文学の
勉強をしています。ただ、今回の作品についてはちょっとゴシック系とは
違うかな・・・という気がしています。もちろん、今からゴシックの
要素を入れることもできますが、そうすると本来の意図とは違う作品に
なってしまいます。
そこで、今回の公募向け作品については、ゴシックの要素を意図的に
入れることはしないようにしました。その代わり、別の作品を書き始めています。
公募向け作品と同じ作品形式を取っていますので、準備運動にはなるでしょう。
習作の内容は、猟奇殺人物です。
ミステリーではなく、雰囲気重視のホラー物になる予定です。
ダリオ・アルジェントという映画監督をご存知の方もいらっしゃると思いますが、
あんな感じですね。
恐らく15枚程度の短編になると思いますが、構想的には150枚に
膨らませることもできると思います。公募向け作品と違って気楽ですし、
比較的サクサク書ける、書いていてそれなりに面白いので、
場合によっては長く書いていくかもしれません。
私の場合、元々は純文学マンセーの書き手でしたので、
どうしても本気作ということになると、純文学に偏ってしまいます。
エンタメについては、これから初歩的なことも含めて勉強し直しです。
あと、これはどうでもいいのですが、純粋な文学とは、むしろエンタメでは
ないのかと。。。その意味において、「純文学」には余計な思想や哲学が
入っている分、「不純文学」と言うべきな気がします。
習作の主要な登場人物はすべて女性です。
意地の悪い、真にゆがんだ心象風景を描いてみたいですね。
公募向け作品も同様に女性ばかりですが、
こちらは逆に、透き通ったイノセンスを描くつもりです。
私は創作についてブラームスを信奉していますが、
彼も同じように、逆の性格の作品を同時に書く癖があったそうです。
知らず知らずのうちに、私も同じことをしていたわけですね。
尊敬している人物と同じことをしていたとは、嬉しい限りです。
昨日のように、このスレをメモ帳代わりに使うのはやめておきます。
いらいないミスリードを誘いそうなので。
196 :
名無し物書き@推敲中?:2009/07/28(火) 18:55:15
ROMってます
その内まとめてアリの穴に投稿しますんでよろしく
地下室の手記みたいなーーww
実際はお仕事で忙しいんでしょうね
すでに能力があるのにまだまだ欲しいものが多いんですね
あなたの心は汚れていますよ
昨日書いた習作の断片を読み直してみたのですが、あまりにも描写が無さ過ぎて
あらすじのような感じでした。そこで少し肉付けしてみたところ、
当初の予定の2倍の分量になってしまいました。
このペースでは15枚では収まらず、30-50枚くらいになってしまいそうです。
先日手に入れたレンズの一つで、近くの写真を撮って来ました。
思ったほどの性能ではありませんでしたが、操作性が良く、
使いやすいレンズだなーという印象です。
ただ、これからメインとして使っていくかは悩ましい所です。
他にツァイスのレンズを持っていて、描写だけならこちらの方に
惚れ込んでいるのですよね。。。 ただ、画角が気に入らない。
あまりたくさんのレンズを手元に置いておくのはイヤなのですが、
どうにも決められずに困っています。
先日盗難のあったロンドンのカメラ屋さんですが、ここ二日ほど臨時休業をして
店舗の改造をしているようです。恐らく、警備システムを強化しているのでしょう。
金持ちだなあ
ローライ35全種類持ってそう
わたしはズームのデジタルコンカメでも満足できるようになった
シャープだとか色だとかこだわってどうするんだみたいなーー
そういうこだわりとかいらないですねーー
単焦点のデジタルコンカメなんてGRくらいしか知らないからねーー
買ってもどうせ何も撮らないだろうしねーー
みんなはいったい何を撮るんでしょうねーー
それと同じで、小説での巧い描写とかいうのにも全く興味がなくなったねーー
お前ら言葉だけじゃんみたいなーー
一眼レフなんて目立ってしゃあねえっすよねーー
本当はよくしらんけどーーww
あはははーーww独り言っておもろーーww
純文学とやらでは描写が未だにもてはやされているのかなーーww
最近はそんなの読んだことないけどーーww
いやほんとそういうのもういいですからーーww
ブレアレボケとかもいいですからーーww
小説なんてプロが書けばいいですからーーww
そんなにたくさんの機材は持ってないですよ。
定価で合計しても100万円くらいですし、中古市場なら半額です。
ローライとかご存知の方なら分かって戴けると思いますが、
カメラ機材としてはヘナチョコだと思います。
以前はオーディオに凝っていましたが、今ではそちらも安い製品に
変えてしまいました。その人それぞれにポイントみたいなものがあって、
安くても満足できる製品、高くても不満な製品ってあると思います。
数年掛けて自分の好みを知り、安くても満足できる製品に買い替えたと
いうことですが、カメラの方はまだ初心者なので、自分の好みの製品を
的確に選ぶことができず、散財しているような状況です。
わたしも本当なコンパクトなカメラが好きなのですが、現状では
どうしても高感度が弱いので、それだけでは無理っぽい気がします。
最近出始めたμ4/3の規格などは、その点、期待できますね。
パナソニックのGH-1とかオリンパスのPENとか。しばらくは様子見ですが。
決定的瞬間とかwwwwwwwwwwwwwwww
ちょーおもしろーーいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お腹一杯なのにwwwwwwwwwwwwww
趣味でwwwwwwwwwwwwwwやってろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まさか返答するとは思ってもいませんでしたね
なんかすみません
ROMってます
随分と失礼なことを好き勝手に書いていました
ただのニートの戯れ言だと思って許してください
別に好きなように書いて構いませんよ。
わたしのスレではありませんし。
気が向いたら日記帳として使って上げて下さい。
212 :
名無し物書き@推敲中?:2009/07/29(水) 01:56:11
有言実行
後は勝手に自己満足してくれ
写真を撮ろうと思って外へ出たところ、5匹の蝶が庭を飛び回っていました。
何という名前の蝶なのか知りませんが、バラに卵を産みつけていた蝶と同じ種類です。
この蝶たちがわたしのバラを食べてしまったのかと複雑な思いでしたが、
見ていて楽しくなる存在ですし、バラを放置して良かったのか悪かったのか、
判断が難しいところです。来年はキャベツでも植えて、蝶を育てるのも
いいかもしれません。
214 :
名無し物書き@推敲中?:2009/07/29(水) 03:04:34
応援してます!!
このところ目を酷使しているせいか、目を病んでしまいました。
半ば持病のようなもので、薬も常備しているのですが、
この薬を使うと情緒不安定になり、グッタリするので面倒です。
少なくとも数日はこの状態が続くでしょう。。。
わたしを支えているもの。
それが何なのかシャワーを浴びながら考えていたのですが、
結局、それは人々の心だろうと思い至りました。
わたしの才能を信じたまま、わたしはきっと大物になると
病床で呟きながら死んでいった人々がいます。
彼/彼女らが生きているうちに、その予言を真実のものとして
喜ばせて上げたかったのですが、それはなりませんでした。
わたしは死後の世界や霊といった存在を信じているわけではありませんが、
心情的に、既に死んでしまった彼/彼女らの思いを裏切りたくないという
不条理な気持ちは抱えたままです。
たぶん、彼/彼女らの思いを知らなければ、わたしはお酒や薬に嵌まって
自暴自棄の生活していたか、あるいはとっくに死んでいたでしょう。
今のわたしを守り、支えているものは、死んでいった人々なのでしょうね。
わたしは彼/彼女らの気持ちに報いたいです。
創作資料として購入した4冊の本ですが、久々に大外しした印象です。
普段は学術書か新書を中心に揃えるのですが、今回はオカルト系の作品
ということで適当な資料が少なく、読み物2冊、翻訳物1冊、新書1冊
という内訳でした。しかし、この読み物2冊は興味本位のゴシップ記事の
ようなもので、資料性はゼロ。翻訳物は訳が酷くて読みにくい上に、
内容が微妙にずれている。新書は2/5章くらい役に立ちました。
一応すべて読みますが、お金がもったいなかったです。
倉庫に入れてある既存の資料を引っ張り出してきた方がまだ良かったような。。。
本当に欲しかった人は手に入りませんでした。
本当に欲しかったものも手に入りませんでした。
どうでもいいような地位や評判、人、お金、、、
そんなものが幾つ手に入ったところで、ガラクタに過ぎないのだと、
そんなつまらないことに気づくまで、どれだけの時間を要したことでしょう。
己れの愚かさと貧しさに、恥じ入るばかりです。
わたしの人生は遠回りし過ぎだな。。。
コンマ数ミリの金属糸でできた小さなイヤリングを改造していたところ、
糸が絡まって元に戻せなくなりました。。。
ルーペを覗きながら1時間半ほど格闘してみましたが、疲労困憊しています。
目と頭が痛いです。やはり、調子のよい時にやるべきでした。
スランプに陥った人には、なんと言ってあげればいいのでしょうか?
明らかに相手が褒められたがっている場合、望み通り褒めて上げる方が
良いのでしょうか?
今まで、そういう状況で褒め上げても、その場では喜んで戴けるのですが
結局執筆を止めてしまうんですよね。酷評した時と同様に。
作者さんが自ら「もう駄目だ」という状況になってしまうと、
ガソリンが切れたクルマと同じで、どんな感想を入れても手遅れなんじゃないか、
というのが今までの私の経験則です。
そうやって他人の行く末に頭を悩ますくらいなら、
そして作品に感想を付けることが何の意味もない行為なら、
独りで自作を磨き上げていた方が建設的な気がしています。
私は気が短すぎるのかもしれませんが。。。
こういう意地の悪いことを言ってはいけないんでしょうけど、
・・・でも、なんか疲れてしまったな。
己れの為すべきことを為せ。
少なくとも今は、書き手としての自分の成長に力を注ぎましょう。
まだ、これからやらなければいけない事がたくさんあります。
こんなところで止まってちゃいけない。
怠けるな、自分。
短めの公募に応募できそうな構想というか、書きかけの作品が3つあります。
どこまで完成度を上げるか、という問題ですが、今は中途半端でも書き上げて
応募するという実績、成功体験が必要な気がします。
小さな目標を立てて、それを一つずつクリアしていくという。
まずは作品の完成、応募。
次は1次突破、という具合に。
初めから突破できればいいですが、今は甘い夢を見るのはやめておきます。
習作を1/3ほど書きましたが、思想であるとか哲学であるとか、
そういう余分なものが無く、作品形式は行き当たりばったりで、
舞台設定も書きながらこじ付け、小説技術のひけらかしは無く、
しかも現代物なので歴史考証すら必要ありません。
・・・驚くほど筆が進みます。
今までどうして書き上げられなかったのか、分かったような気がしました。
要するに、能力を超えて難しいことをし過ぎていたと。
完全なエンタメではありますが、それなりに書けていると思いましたので、
もう少し丁寧に書き上げて、これも公募へ出すことにしました。
舞台背景を厚くするために神道や日本の古い信仰に関する資料を数冊ほど
大人買いしてしまいましたので、またもや涙目です。
それと、どこの賞へ出すか、これから色々調べないといけません。
エンタメ系の賞はほとんど知りませんので。
先ほど肉団子のスープを作ったのですが、左手でひき肉をまとめたため、
左手が肉団子臭いです。何度手を洗っても匂いが取れません。。。
日本は資料が比較的容易に手に入るため、凄くいいなと思います。
英語圏とは比較になりませんが、こういう情報入手の容易さが国力の
源になっているんだろうなと、仕事をしていてもよく感じます。
たとえば、発展途上国の人々にしても、日本人と比べてそこまで学力が
劣るわけではないのですが、何か新規なものを開発しようとなると、
最新の情報を素早く大量に集めるという点で情報インフラが整っておらず、
また、そのためか情報を集めて有効利用するという観点もありません。
日本人の開発者が富士山の7合目からスタートするのに対し、
そういった人々は1合目から歩いて行こうとします。
ただ、最近のインターネットの活用と知の共有という意味では英語圏に
恐ろしいほどの差をつけられていますので、この差が後々の日本の衰退へ
つながるのではないかと懸念しています。日本の場合、お金儲けしか
価値の基準が無いため、どうしても知の共有が進まないように思われます。
こうなったら書いて出して書いて出して、数を稼ぐ方法で行きます。
作品のアイデアだけなら、書き切れない程ありますので。
それと、高原英理という作家 兼 評論家の方の著作を見ていて思ったのですが、
私も小説と評論の両方を手掛けてみようかと思っています。
小説技術に関する薀蓄はたくさんストックがありますし、
元々、研究や分析の方が得意ですし。
先生方からはお前は研究者向きだから研究をした方がいいと言われていたため、
それに反発する気持ちもあって、創作にこだわっていてのですが、
素直に自分の適性を延ばしてもいいかと、そんな風に思いました。
さて、またしばらくイヤリングの修理を始めなければいけませんが、
なかなか手ごわいです。今日は全分解してみる方針です。
あと、関係ありませんが、以前部屋を借りるときに知り合った中国人の
若いエージェント。初めは態度が商売むき出しで油断できないと
警戒していましたが、幾つかのトラブルを一緒に解決していくうち、
最後にはすっかり打ち解けてしまい、別れる時もがっちり握手して、
お互いにありがとうと言い合いました。
中国人は敵に回すと厄介ですが、信頼関係が構築できると頼もしいです。
日本人よりも情を大切にしますし、その結びつきは意外に強固です。
イヤリングの分解に成功しました。
ここまで来れば、完全修理は目の前です。
まともな工具が無い状態で木綿糸より細い
金属糸をほぐすのは大変でした。
肉眼ではほとんど見えませんので、
ルーペを持っていたのが幸いでした。
疲れたので、修理の続きは明日にします。
Yahoo! のトップページを見ていると、時々フルーツバスケットという
少女マンガのキャラクターがフラッシュの一部に出てきます。
よく知りませんが、主人公の本田透という女の子なのでしょうか?
この子の見かけというか雰囲気が、小学校へあがる前のわたしの写真に
そっくりで、出てくるたびにじっと見てしまいます。
一応言っておきますが、わたしは男です。
痴漢やストーキング被害にはよく遭っていましたが。。。
同性と思われるストーカーに性的グッズを贈り付けられたり、
深夜に部屋まで押しかけられる悲しさよ。
そう言えば、20代の頃は2週間に1度くらいの割合で
女性からの痴漢にも遭っていました。満員電車の中が通例です。
痴漢と言えば男性というイメージがあると思いますが、
わたしからすれば、男性も女性もやっていることは同じだと思います。
目の疲れを取るには後頭部と首の裏辺りを枕型のアイスノンで冷やすのが
一番だと思っていますが、そのまま寝てしまい、3時間くらい経ってから
目覚めました。寒いです・・・
冷蔵庫で保存してあった菓子パンが固くなっていたので、
電子レンジで温めてみました。数十秒ということで大丈夫だろうと思い
ビニール袋をそのままに放り込んだのですが、ビニールを閉じている
金属の留め金がスパークして火花が立ち、ビニール袋に引火して燃え始めました。
今、電子レンジの中が煙だらけです。。。
パンを食べてみると、ほんのりビニールの燃えた匂いがしました。
バラの葉が大分復活してきました。
傷ついた葉が粗方落ちてしまい、新しい綺麗な葉に置き換わっています。
花もちらほら咲き始めています。
まだ少し小さめですが、無管理の時の4倍くらいにはなっているようです。
久しぶりに、綺麗な花びらの輝きを見た気がします。
庭のあちこちに百合の株があるのですが、
あと数日したら開花すると思います。
固くほっそりとしたツボミが少しずつふっくらして、
ある朝に突然、庭を濃厚な色彩と香りで満たしている。
百合の開花は情緒的だと思います。
イヤリングの改造と修理が終わりました。
明日は注文していた本が届くはずですので、
また色んな知識を得られそうで楽しみです。
ある有名な作家の方が、知らない分野のことを調べるには
子供用図鑑が一番だとおっしゃっていましたが、
最近は図説シリーズが充実しているので便利ですね。
少し前までは考えられないほど、知識が身近になりました。
神道の本が来ましたので、今日はそれを読んでいました。
神道に影響を与えているものに陰陽道があるそうですが、
そう言えば、わたしの親が陰陽道で有名な地域の出身でしたので
少し気になって話を聞いてみたところ、親族の何人かが陰陽師だそうです。
白装束で正装し、部屋は神具で飾り立て、紙の付いた木の枝を振り回しながら、
意味の分からない事を叫んでいたと、夢の無い話でした。
たぶん、榊の枝で何かの祈祷をしていたのだと思いますが。
日本一のオカルト地帯に1000年近く前から住み着いて、
いまだにオカルトを地で行っている家系です。
わたしのオカルト好きは血によるものでしょう。
我が家系にふさわしく、陰陽師にでもなりましょうか。。。
とりあえず、
また機会がある時にでも現地へ行って、資料漁りでもしてみようかと思います。
いろんな先生方の研究対象になっていて、既に本もたくさん出ているようですが、
うちは地元ではそれなりに歴史のある家なので、コネを使えば珍しいことが
聞けるかもしれません。かなりの勢いでそういった伝統や資料が散逸している
ようですし、今のうちに活字に固定しておきたいです。
うちの家の者も含め、地元の人たちは貴重な資料を容赦なく燃やしますので。
今日判明しただけでも、博物館級の資料が大量に処分されてしまった過去を知り、
唖然としています。貴重な祈祷文が・・・
わたしがヨーロッパ志向で、日本の歴史や地元の文化に
何の注意も払って来なかったこと。
今となっていは悔やまれます。
これからもうちょっと、日本や地域に密着した作品を書こうかな。
よく言われることですが、海外に出てみて初めて、日本の良さが分かりました。
良くない所も同様ですが。
最近ハマっていたカメラですが、機材が揃った時点で飽きてしまいました。
やはり、どれを買おうか迷っている時が一番楽しいと思います。
わたしのカメラ道楽は、カメラが届いた段階で終わりかもしれません。
注文した本がたくさん来ていますので、しばらくはこちらで楽しむつもりです。
ミス・ユニバース日本代表の衣装、クレームがついて変更になったそうです。
上半身が振袖で下半身がガーターベルト。高いハイヒールを組み合わせている
ことから考えて、娼婦のニュアンスを込めたことは間違いないと思いますが、
個人的には素材の対比感、ヤマトナデシコと娼婦の対比感、なかなか見ていて
面白い組み合わせだと思いました。お互いがお互いの質感を高めているという。
アジア顔、と云うものがあるのか分かりませんが、
東南アジアへ行けば、現地特有の顔立ちに違和感を感じると思います。
美醜とは関係なく、日本人とは違うアクのようなもの。
しかし、しばらく海外にいて日本へ戻ってくると、なぜか日本人の顔にも
アクのようなものが感じられて、同じ民族とは思えない事があります。
日本人というより、どこかの東南アジア人を見ている感覚。
日本もアジアの一国なんだなと思う一瞬です。
やっと250まで来ました。
この分なら最後まで埋められそうな気がします。
プチプチを一つずつ潰していくのと同じですね。
疲れる作業ですが、何となく最後まで潰したい。
今日はこのスレもお休みにします。
このところ大量にカキコしていたせいで、
少し疲れてしまいました。。。
一日お休みを戴きましたので、少し回復しました。
わたしの場合、疲れが溜まると創作ができなくなるようです。
今日は執筆も写真もそこそこ成果が出ました。
これからは、書き込みを少し抑えようと思います。
習作の方は一日に三枚くらいのペースで(時々さぼりながら)書いていますが、
やっと十五枚に到達したところです。これから展開が込み入って来るので
書くのも難しくなりますが、なんとか今のペースで書き上げたいと思います。
設定はかなり単純化してあるので、やはり書き上がりは三十枚くらいかと思います。
写真の方も、わたしにしては上出来の作品が撮れました。
ある作家さんは、書きかけの作品を長期間放置してはいけないと言います。
ライオンと同じで、毎日作品に接していなければ、作品は暴れだして
手が付けられなくなると。
本当に、その通りですね。
書きかけの作品は習作以外にも幾つかありますが、
練習も兼ねて、適当に完成させてしまおうかと考えています。
技法を考えるのもいいですが、ある程度は枚数をこなさないと
どうにもなりませんし。
今日はこの程度にしておきます。
落ちる前に、一つルールを作っておきます。
原稿用紙で1枚書いたら、1レスしていいことにします。
今日は3枚書きましたので、3レスです。
1レスは既に他のスレで使ってしまいました。
相変わらず疲れが少し残っていて、執筆があまり巧く行かない感じですが、
それでも何とか書けました。毎日少しずつ書いていると、少しくらい
調子が悪くても何とかなるものですね。
前半部を中心に1/2くらい、18枚ほど書けている状態です。
今まではメイン・ストーリーを中心に骨組みを書いている感じでしたが、
今日はそこにキャラの性格描写などを加えて肉付けしてみました。
クライマックスをどのようにするかが、まだ決まらない状態ですので、
まだ伏線は張っていませんし、後半部の物語も本格的には書き進めていません。
クライマックスの方針が決まれば一気に書けるという手ごたえはありますし、、
この作品の価値はここで決まると感じていますので、じっくり考えたいと思います。
さて、そろそろ民俗学の本でも読みます。
後で後半部のスケッチを書くかもしれません。
実際に書いてみて、少しイメージを膨らませてみます。
そこから選んでもいいですしね。
庭の百合は綺麗に咲き始めました。
今日は今のところ2枚、2レス分です。
書き始める前は、何も書けそうに無いという不安に取り付かれていたのですが、
書き始めてしまうと、イメージが浮かんできて何かしら書けます。
クライマックスの方針が決まりませんので漠然とした不安は残っていますが、
悪くはない状態だと思います。
人事を尽くして物語の神さまが降りてくるのを待ちましょうか。
ヘシオドスも「神統記」の序で詩神ムーサに助力を求めている位ですから、
何千年も前から物書きに神さまの助けは欠かせないのだと思います。
以前テキスポにいた頃、フシハラさんにSFの大家ヴァン・ヴォークトを
教えて戴いたのですが、彼が実践していたとされる幾つかの技法のうち、
一文毎に感情を込めるという手法に興味を持っています。
ヴァン・ヴォクト「非Aの世界」を読みましたが、とても面白い作品で、
久々に時間を忘れて読みふけりました。彼の文章の魅力が前記手法にあるのなら、
ぜひ自作に取り入れたいものです。この手法自体は彼の創作ではなく、
当時アメリカに流布していたマニュアル本の教えらしいですが。
その他の点でも、色々と研究のしがいがある作品だと思います。
もう一枚書きましたので、結局今日も3枚ということになりました。
総計21枚、推敲はまだしていません。一通り書いて第一稿を完成させた後は、
小説的仕掛けを幾つか入れて簡単に推敲し(第二稿)、1か月ほど寝かせようと
思います。その後で最終稿に取り掛かる予定です。
今日はすでに3枚書けました。
このところ少しずつ書くスピードが上がっているようで、
書き終えた後にも物足りなさを感じます。物足りなさを感じる位で
止めておく方がいいのだという作家さんも少なくありませんので、
今日はあまり無理をせず、残りの時間でクライマックスや推敲方針の
アイデア出しをしようと思います。
また、当初は猟奇殺人物を目指して書いていたのですが、
読み直してみると、猟奇殺人物にする必然性が感じられませんでした。
一度当初のプランを全面的に見直し、本作に相応しい物語展開の
可能性を一から探り直してみるのもいいかと、考えています。
次に完成させようと考えていた書きかけ作品ですが、
昨日調べてみると、30枚まで書いて力尽きていたことが分かりました。
見た感じ、仕上がりは100枚くらいになるかと思います。
当初は、毎週1回1時間ずつ放送される一話完結型のトレンド・ドラマを
イメージしていたのですが、久しぶりに読み直してみたところ、
90分くらいのドラマのような感じでした。民放開局50周年記念ドラマとか、
あんな感じのノリです。100枚で90分。。。
原稿用紙1枚につき1分くらいですね。
今書いている習作もドラマにすれば45分くらいだと思いますので、
仕上がり予定30〜50枚ということで計算が合います。
出版することを考えると、最低でも1作につき200〜300枚の
ボリュームが必要ですが、これを200〜300分と考えると、
映画2〜3本分の物語ですか。。。
一般的には200〜300枚で映画1作相当だと思いますので、
私のペースだと展開が早すぎると云うことになりますね。
現状でもかなり描写を増やしているつもりなのですが、
更に2.5倍は描写を増やさないといけない?
たしかに、私の作品には描写が少なすぎると云う感想が毎回のように
つきますので、妥当な結論かもしれません。もっとも、私は普通の小説を
読むと描写の多さに苛々して斜め読みしてしまいますので、
性格的なものも多分にあると思います。時代の流れは描写を省く方向に
あると思いますので、どこを落とし所にするか、です。
クラシックの名曲も現代人には長すぎて耐えられないように、
小説もスピードアップが必要だと思うのですが、どこまでの
スピードアップが可能なのか、です。そう考えると、最近のラノベや
昔の小説に普通に存在していた「挿絵」はとても良いシステムだと思います。
文字で長々と描写するより、簡単な挿絵を1枚挟む方が合理的です。
なぜ最近の小説は、挿絵というシステムを捨ててしまったのでしょうか?
挿絵を所々に挟んで行けば、文章量は半分近くに抑えられそうな気がします。
【書き手の倫理に関する試論】
遠藤先生が何かの折に、小説とは自分の弱さをひけらかすものだと
書いていらっしゃいました。先生の場合は、人間の徹底した弱さの向こうに
神の必要性を説くという目的があったからこそ、弱さを描くことが許されて
いたのだと考えます。
安易な弱さの描写は、読者と書き手の堕落を正当化する目的で使われがちです。
特に人情物では、弱さを是とする作品が多いように思われますし、
作品中で弱さを肯定すればするほど、その作品はある種の人々に愛される
ようにも感じます。中毒性があると言い換えてもいいでしょう。
しかし、そういう心地よい作品こそは、人を崖から突き落とす存在であり、
笑いながらやって来る悪魔のようなものだと考えます。
その一方で、それらの作品が持つモルヒネ様の効果、つまり社会生活における
苦痛を和らげ快楽をもたらす効果、は無視されるべきでは無いでしょう。
この実社会において、確かにモルヒネは必要とされているのですから。
あるいは、小さな苦痛を取り除くタバコやお酒といった存在にたとえても
いいかもしれません。
すなわち、小説内における弱さの肯定は麻薬様の効果を持つため、
その使用は十分に管理されるべきだと云うことです。
読者を廃人にしないために。
7枚ほど書きました。
先を急ぎ過ぎるのは良くありませんが、後半の展開がイメージできたので、
忘れないうちに、そのラフスケッチをしておく必要がありました。
慣れてきたのだと思いますが、書くスピードが当初の3倍くらいに
なっている気がします。今日はもう書かないかもしれませんが、
総計32枚になりました。いい感じで進んでいると思います。
さて、これから気分転換に、少しバラをいじって来ます。
先ほど見てきましたが、一部のバラはかなり回復していて、
懸念していた葉のツヤが戻り始めているようです。
良さそうな花芽もたくさん伸びています。
出来が悪いので消しました。。。
たぶん、執筆の時間以外も勉強しなければならないんでしょうね。
特に私の場合、文学を勉強したことがありませんから。
文壇で行われているような論争には興味がありませんが、
ああ云うことができないと、ハッタリが効かないのでしょうか。
あの手の論争は、台本のあるガチンコファイトみたいなもので、
娯楽ではあっても意味のあるものではないと感じます。
それでも、文壇で馬鹿にされないためには、
あの手のガチンコファイトができるための勉強が必要なのでしょうね。
馬鹿にされているという状態は、実利的にいろいろ面倒ですし。
たとえガチンコファイトがパフォーマンスであって、物書きとは
関係がないとしても。
少なくとも、評論をしようと思ったら必要ですね。
そうだ、私は評論もしようと決めていたんだっけ。。。
すっかり忘れていました。
これが7レス目になりますので最後です。
今日は炎天下で写真を撮っていて体調を崩してしまったのですが、
少し良くなってきました。明日の執筆に向けて用意しておきたいと思います。
公募という目標もできましたし、やるからには結果を残したいですからね。
昨日は家庭の都合で書けませんでしたので、レスもゼロです。
今日は3枚書きましたので3レスですが、1レスは他のスレで使いました。
お祭りで感想付けを望まれていましたので、そちらの方は本ルールの
適用外にしようと思います。
習作ですが、描写の量を2倍程度にしてみたところ、今まで切り捨ててきた
設定や人物の内面まで書き込む余裕が出て来ました。商業的には長い方が
有利だと思いますので、しばらくこの路線で行こうかと思います。
あと、3枚ならばかなり余裕で書けるようになって来ました。
描写を長くしたので、3枚では物語があまり進展しないせいだと思います。
もう少し書くことに慣れてきたら、一日6枚くらいにしたいと考えています。
今日、書きながらふと思いましたが、今まで投稿サイトで褒められることや
知り合いに巧いねと言われること、公募で一次や二次を突破することを
意識しながら、こんなもんか程度に書いていました。
これくらい書いておけば十分かな、という感覚です。
しかし、書いたものがそのまま本になって書店へ並ぶんだと、そして
読者がお金を払ってそれを買い、楽しもうとするんだと考えた時、
「この程度」じゃ全然ダメなんだと気付きました。少なくとも、
書店に並んでいる本と同じくらいまで仕上げないといけない。
そう考えたら、自然と書き方が変わりました。
読者が横にいて、こんな表現なら伝わる?と一つ一つ聞きながら書くような
書き方です。そして気分的には、視界が開けて一気に楽になった気がします。
逆にいえば、難しいことは何も考えなくて良くて、ただ単に、商業本と
同じレベルで書けばいいんですよね。
何事につけ、成長というのは段階的に突然やって来るものだと
思っていますが、今日、その階段を一つ登れたような気がします。
この感覚を忘れないようにしたいです。
今日も3枚書きましたが、クライマックスの対決シーンですので、
双方が勝手に言いたいことを言っただけで3枚に達してしまいました。
それに、まだキャラの性格が十分には固まっていませんので、
後でかなりの修正が入るでしょう。総計38枚です。
これから幾つかのシーンを更に書き込んで人物を掘り下げていく予定ですが、
ショート版なら第1稿で50枚くらいになりそうです。ロング版なら100枚に
達するかもしれません。どの程度まで物語を膨らませるかは
まだ決めていませんが、75枚くらいがちょうどいいかなとは感じています。
物語の主要な場面は書き上げてしまいましたので、後は演出をどうするかです。
純文学にしてもいいですし、ラノベにしてもいいですし。
ミステリィ風が妥当かとは思いますが、ミステリィは技法書しか
読んだことが無いのです。。。
適宜、緊張感を高める部分と運動させる部分を設けて、物事は意味ありげに
描写しておけばいいのでしょうか?
先日読み直した際は、特に前半部分がダラダラしていましたので、
前半部分に何かイベントを作る予定です。
それと、ヒロインたちの性格設定ですね。
キャラの人格に深みを持たせるためのイベントが必要だと思います。
現状ではキャラ立ちしていませんので作り込むのですが、
萌えキャラにするか、シリアス系でまとめるか、心のひだにまで
剃刀で切り込んで現代文学してみるか。
今回のようなオカルト系は初めて書きましたので、
どういう風にまとめれば読者受けがいいのか、イマイチ判断しかねています。
娯楽作として書き始めた作品ですのでテーマ性が無いのですが、
簡単にテーマ性を入れれば、描写の方向性も決まる、かな。。。
ヒロイン作りの一助になればと思って高原英理「少女領域」という
評論書を読んでいますが、なかなか面白い本だと思います。
少女論というよりは、ある種の意識論、文化論ですね。
創作という行為に必要な意識の持ち方という点でも役に立ちそうです。
明日は、前半部を中心に追加するイベントのアイデア出しをしようと思います。
今日は書き始める前に、全体を通して読んでみました。
全体的にのっぺりした印象でメリハリに欠ける印象でしたので、
ロング版での比較的ドラマチックなイベントを一つ挿入してみたところ、
クライマックスでのイベントが突然浮かんできて、
そのままクライマックスを書き直してしまいました。
純文的なテイストで、テーマもしっかり入っています。
このエンディングに向けて、前半も一本芯が入りそうですし、
描写の方針も決まりました。このエンディングが存在することで
全体がすべていい方へ向かい始めました。
書きながら、神様来たーという感じでしたね。
今日は11枚書きましたので、総計49枚です。
あっという間の出来事でした。
それにしても、小説の中で今回のように酷い殺し方をしたのは初めてです。
虚構とは言え、何となく居心地が悪いものですね。
こんな小説ばかり書いていたら、性格が変わりそうです。
はじめはホラー物っぽいノリで書いていたから良かったのですが、
今は純文っぽいノリになっていてキャラが人間的なので、
そういう人物を非道なやり方で殺してしまった時のダメージは大きいです。
作者でありながら、キャラに祟られるんじゃないかという気がします。
結局、小説の中の殺人や凌辱のインパクトは、そのキャラの魅力に
賭かっているわけで、ワーキャー言うだけのキャラを何人殺した所で
読者には何も残らないと思います。
今日の執筆は作戦会議のためにお休みです。
レスは、昨日使っていない8つ分を充当します。
改めて冷静に習作を見直してみたのですが、この先順当に書けたとしても、
現状では1次を通過できるかのボーダーライン上にあると思います。
私が下読みなら、読み終わった後、少し考えてから落とすでしょう。
綺麗にまとまっていたとしても、受賞作を脅かすようなポテンシャルは
秘めていなさそうだからです。一言でこの習作を言い表せるような特徴も無い。
凡庸に過ぎる、という所でしょうか。
それと、100枚前後で出せそうな賞となると、ざっと調べた感じで
ホラ大の短編部門と、文学界新人賞が該当しました。
しかし、この習作をホラー作品として見ると、奇想が足りな過ぎて
詰まらないだろうと思います。あくまで、この習作の売りは人間の
精神風景にあるので、やはり純文学系に的を絞るのが妥当でしょう。
文学界にはあまり出したくなかったのですが、100枚前後の作品なら
事実上、ここしか無いのかもしれません。
そこで、ある程度文学界対策をするか、当初の50枚に縮めて他を狙うか。
ポテンシャルの低い作品ですので、200枚に増量する手は考えていません。
そんなことをするなら、他の作品に取り組んだ方が効率的だと思います。
とりあえず、純文系の路線を強化して、なにか印象的な設定を組み込む
必要がありそうです。
と、こんな風に小説小説していたり、テスト対策に取り組んだりすることも
必要だとは思うのですが、わたしは飽くまで物語の作り手でありたいので、
本質的な所は見失わないようにしたいです。
写真ですが、本来なら100mmで狙う植物のポートレートを
30mmくらいの準広角で寄って撮るのが面白いですね。
植物も大きく写せますし、生息環境も背景あるいは前景として組み込める。
100mmのポートレートも綺麗ですが、背景が整理され過ぎていて
データとしての価値が低いので、写真にデータ性と美しさを求める
わたしには広角が向いているのかもしれません。
では、作戦会議に戻ります。
設定を見直し、書くべき内容を定め、エンディングに合わせた序を書きました。
合計3枚ですので、総計52枚、レス残4です。
おそらく、悪くない序だと思います。
テーマが明確になっていますし、この手の記述は私の十八番ですので、
後で修正するとしても容易でしょう。気分的に楽です。
物語の舞台となる地域へ一度行ってみるべきなのかな・・・
カメラとガイドブックを携えて。
それと、次々作からは200枚くらいを目標にしたいと思います。
純文系の賞は、どうしてもその位が必須なようですね。
それだけに、愛着の持てる題材を選ばないといけませんが、
アイデアは幾つかあります。
今回計画的に書き始めて分かりましたが、物語を作って演出を入れ、
そこに思想を乗せて様子を見る、というスタイルが私には馴染みそうです。
それとモチベーションや執筆の進め方ですが、会社で仕事を進めるのと
同じ感覚で気持ちと頭を使えばいいのだと、考えています。
今まで、仕事ならば十時間以上でも毎日集中できるのに、
執筆は続かないことに疑問を感じていました。
専業になりたいわけじゃないし、デビューできなくても困らない
という甘えが、たぶんあったのだと思います。
会社で蓄積した仕事のノウハウを執筆に応用すれば、
かなりのストレスには耐えられるはずです。
少し困ったことになっています。
設定的矛盾の修正と前半部のテンポ改善のために一部を削り、
新しい節を書き加えたのですが、純文学にあるまじき御都合主義に
陥っている気がします。これではまるでエンタメ作品。
現状51枚となっていますが、設定を煮詰めずに書き始めた弊害が
今頃になって出てきてしまいました。はじめは軽いエンタメのつもりで
書き始めたのですから、当然と言えば当然かもしれませんが。
一応、今日の修正前のバージョンは取ってありますので、
今日の変更分は破棄する可能性もあります。
一応、今回は何らかの形で50〜100枚で書き上げるつもりです。
そして、また別の機会に本作品を大幅に書き直す形で、200枚前後の純文作品を
作るつもりです。今回の練習の中で、興味深い題材を発見したように思いますので、
そのテーマをしっかり掘り下げてみたくなりました。
既にそのための大よそのイメージは出来ていますが、舞台となる地域や
文化について、もう少し勉強してから書き直したいと思っています。
少なくとも、今は無理です。内容が日本の禁忌に触れてしまっているので、
発表できる場は無いかもしれませんが。
明日は思想面を強化するため、一時的に執筆を離れてテーマに関する考察を
行なう予定です。その結果を踏まえて、最悪、当初の案通りに軽いエンタメとして
完成させてしまうことも考えます。
残念ではありますが、元々の目的は準備体操と練習でしたから、
この習作を通して学ぶことができれば、結果オーライとします。
必ず書き上げはしますが、再び神さまが降りてきていい方向へ向かうか、
あるいはこのまま習作として終わるか、それは分かりません。
後者の場合、一次すら無理でしょう。仮に一次を通過した場合、
私はその公募の権威を疑うことになると思います。
こんな作品が評価された所で、嬉しくとも何ともありません。
テーマに関する考察を進めていますが、その傍らで執筆も継続しています。
数枚ほど削ってから55枚まで書き足しました。
まだ本決まりではありませんが、矛盾が大きくてテンポも悪い前半部を中心に、
設定を大きく変えて書き直しています。仮のリライトですので、元に戻すかも
しれませんが。
話的には深くなっていると思います。
不自然さが改善されているかは分かりませんが。
写真を油絵の具で修正しようとするから不自然さが目立ってしまう訳で、
写真を油絵の具で塗り込めて油絵にしてしまえば、油絵の具による修正は
目立たないことになります。不自然さを緩和するには、不自然な設定を
バラ撒けば良い、はず。不自然さの本質はそのレアさにあるわけで。
昨日は、設定をどうしようと悩みながら就寝しましたが、
夢の中でも設定について考えていたようです。
学生時代に夢の中で数学の問題を解いたことがありますが、
この感覚は久しぶりです。人間は、練習すれば24時間戦える存在に
なれるのでしょうか。眠りながら思考できるのならば。
とりあえず、ある程度許容できるレベルになったら、取材と気分転換を兼ねて
旅行しようと思います。創文板のお祭りの合評だけ参加すると云うことに
してありますので、それとの日程調整が必要ですが。
過去に撮ったバラの写真を見ていましたが、
やはり現状とは段違いの綺麗さでした。
私としては現状でもかなり回復してきたと認識していましたが、
実際に写真を見てみると、まだまだだと云うことが分かります。
かなりブルーが入りました。
このレスで、残2となります。
絶版となっている「野溝七生子作品集」を古本で手に入れました。
値段も手ごろでしたし、状態がとても良くて満足しています。
前述の「少女領域」で紹介されていた本ですが、製本が丁寧で好感が持てます。
やはり、製本は大切。
製本にこだわる会社は次々に潰れている気もしますが。
布張り箱付きの綺麗な本を出せたらいいなと思います。
愛蔵版で、1冊1万円くらいの。本を開くと、よい香りが漂ってくるような。
私が望んでいるのは、そういう本に相応しい物語を書けるようになることです。
全集2冊セット2万円くらいが、つつましやか、かつバブリーで良い感じです。
鍵となる幾つかの概念について考察を進めています。
こういう時は鉛筆とノートが本当に便利だなと思います。
一応、考察の方も3ページほどになりましたので、3レス分とします。
習作の方は新しい設定でも新たな矛盾が発生してしまうことが分かり、
どうしようか、と云うところです。新しい方が話としては深いですが、
書き直し量もかなりとなります。旧設定のまま一度完成させてしまうか、
新しい設定で納得いくまで書き直すか……
今回の執筆で一番苦しい時かもしれません。
お風呂に入ってサッパリしてから考えましたが、
やはり、ポテンシャル的に高いと思われる新しい設定で
書き直すことにしました。常に話の中心にいた主人公級の人物を
丸ごと入れ替えますので、大手術になると思いますが、
テーマをより深く描くためには、新しい設定が必要です。
これもリライトの練習になると、前向きに考えておきます。
技術的と云うよりは、再度書き直すという精神的ストレスとの闘いですが。
絶望の夢の欠片
それは燃え尽きた花火のなかに紛れて
ぼんやりと光っていた
コンビニエンス・ストアのごみ箱のなかで
物言わぬ石
我は物言わぬ石
もはや何も感じぬ
どうでもいい。
w
w
w
307 :
黒沢:2009/08/25(火) 03:28:02
貴君は祭に参加爲てゐたのか。其方は昼間だらうか。
昨日はバイサル規制に引っ掛かってしまいました。
掲示板形式で詩を書こうと思っていたのに、これじゃ書けないな。
お祭りは何年も前から、感想人として参加してますよ。
たぶん、今回が最後ですが。
こんな規制があるのでは、AA職人の方も大変でしょう。。。
でも、荒らしには有効かな。
しかし、書き手として読むのと、読み手として読むのでは
感覚が随分違いますね。
正直、今回の祭りにも渋々出ていたのですが、
特に自分の描写が抱えるたくさんの欠点を、参加者の方々の作品を通して
直視することができ、とても大きな収穫がありました。
他人の作品のアラはすぐに見えますが、自分の作品のアラは
本当に見えにくいものです。
それでも、今回の祭りが最後と言っているのは、
公募に専念するという決意の現れでもありますし、
あと、こういう投稿サイトに参加していると
低レベルで妥協してしまうという傾向が私にあるからです。
戦うべき相手は商業作家であり、映画やマンガ、絵、人形、アニメ、
音楽、ゲーム、舞台と云った作品の作り手たちです。
商業世界の人々にロック・オンした状態で執筆に専念したい。
先ほど、私の描写がマズイというお話をしましたが、
逆に私の作品が持つであろう長所も見えてきたように思います。
詳細は語りませんが、この点についてなら並の書き手を凌駕している
だろうと確信しています。少なくとも、私に掌編は合わないようです。
今までの読書経験を鑑みると、私は中〜長編ばかり読んで来たんですよね。
だからだと思いますが、作品を発想したり書いたりするとき、
どうしても中〜長編用の言葉やアイデアで動いてしまうのだと思います。
50枚書いて思いましたが、200〜300枚なんて、少し設定を膨らませれば
あっという間だと思います。作品の質を保つのは別の問題として。
共感覚と云う言葉をご存知でしょうか。
平たく言えば、五感の混線のようなもので、たとえば音に色を感じるとか
そういう知覚現象です。私も以前からこの共感覚を持っていて、
混線具合はその時々で様々ですが、たとえば音が見えるとか、
音で思考するとか、そういうおかしなことが出来るときがあります。
もちろん、出来ない時もありますが、今のところ自分では制御できません。
それで何が言いたいかと云うと、今回の祭りのなかで描写に関する議論を
名無しさんたちと行なったのですが、その後、自分の作品の活字の上に
奇妙な図形が浮かぶという現象を体験しました。
恐らく、文章の流れ、溜めと開放といった言葉間の力関係が可視化された
のだと思います。常にこの可視化を行なえるのなら、書くことが随分
楽になるのかなと期待しています。
少し飽きてきたので、しばらくこのスレを閉めたいと思います。
さて、延ばし延ばしになっていた取材旅行ですが、
明日から3日程の日程で行ってきたいと思います。
ノートPCとカメラを抱えて。
レス数の原稿用紙規制も再開しませう。
万事は今まで通りに。
いってらー、ノシ
良い旅を。
ありがとう、、、昨日 帰ってきました。
今回、初めて取材旅行をしましたが、やはり取材は大切だというのが感想です。
今まで細かい所は想像で補ってきたのですが、その想像もあまり妥当でない点が
幾つか散見されましたし、なかなかイメージが沸かなくて困っていたシーンについても、
写真のようにハッキリと背景が見えるようになりましたし、これからは余計な不安を
抱えずにキャラを動かせそうです。
筋とは直接的に関係のない細かい描写が読者の感情移入の鍵となる以上、
書き手がその物語世界について神のように全知であることは大切なのだと思います。
それにしても、ハードなスケジュールでした。
朝早く出かけて分刻みでバスや列車を乗り継ぎ、炎天下の山中や村を体力の限り歩き、
自転車で走り回って、深夜にホテルへ帰還という毎日。睡眠は2〜3時間ほど。
まともに食事を取る時間さえありません。移動中はマニュアル本を読みながら
書きかけ作品のチェックをして、一冊ほぼ読み切りました。
気晴らしを兼ねて旅行を、、、なんて悠長なものでは無かったです。
意外だったのは、私の身体がこのトライアスロンのような取材旅行に
付いてこれたこと。目的の無い旅行なら途中で辛くなれば切り上げる所ですが、
今回は必要に迫られた旅行ということで、無茶が利きました。
体育学や栄養学の知識経験も多少は持っていますので、それらも役に立ったと思います。
ただ、一日経ってあちこちの痛みも引いてきましたが、まだペットボトルの
フタを開けるのに歯を食いしばるような状態です。完全に復帰するまで
一週間近くは掛るのかもしれませんが、途中で倒れなくて何よりでした。
実際に現地へ赴いて気付いたことですが、現地のローカルな交通手段も使えば、
もう少し楽に移動できたようです。また、今回どうしても動けなくなってしまって
一時間ほど休憩してしまった結果、ある村の文化財を見ることができませんでした。
できれば、もう少し勉強をしてから、近いうちに再度訪問してみたいと思います。
こういう取材費も、印税などからペイできるようになりたいものです。
某スレで、某メジャータイトルの受賞は偏差値75に相当するとありました。
その程度ならば才能は必要ないと思います。
傾向と対策をしっかりしていれば、後は理詰めで作品を仕上げるだけ。
大切なのは、何が必要かを判断できる洞察力、厳しく軌道修正できる意思力、
そして書き続けて行ける根性だと思います。
洞察力については、マニュアル本で代替してもいいですね。
新人賞を受賞できる作品と売れる作品は違うこと。
すなわち、新人賞での読者と市販の作品の読者は違うということ。
私たちはよく新人賞へ応募するのに売れ筋を意識して書いてしまいますが、
それが恐らく巨大な落とし穴なのでしょうね。
新人賞の読者とは下読みさんや編集さん、それに著名な作家さん。
つまり、読書経験の豊富な頭でっかちの人たち。
既視感(ベタ)を何よりも嫌う変態的文学マニア。
私はそんなマニア向け作品に興味はありませんが、
お受験と同じで嫌でもやらないといけないのでしょうね。
デビューできた後に好きな作品を書けと、そういうことかもしれません。
青春☆コンブのイラストのトレス疑惑が黒と判定されたようで、製品を全回収するとか。。。
小説についてもパクリ疑惑は珍しいことではないし、
アマの集う投稿サイトや祭りなどでも、パクリではないかと思われる作品は散見されます。
実際、某祭り優勝者が他の板でパクリ告白しているのも見かけたことがあります。
某世界的有名作家も、他の方の著名作品から骨組みをパクっているのではないかと思います。
その一方で、私自身が読者からまったく知らない作品を提示されてパクリだと言われた
こともありますし、書きかけ作品の資料として同時代を舞台に描かれている作品を
取り寄せてみたら、ヒロインの名前と性格設定がまったく同じで慌てたことがあります。
公募の祭り作などでも、示し合わせたように同じような作品が大量に来ると聞きます。
また、小説から類型を抜き出して自作に応用する「技法」にしても、
パクリと区別することは難しいでしょう。たとえば、現代の映画の少なからずが
意識的にギリシア悲劇の構造を取り入れているわけですが、これはパクリなのでしょうか?
このような「技法」まで封じてしまっては、現代の作家はまったく創作できないでしょうが、
「パクリ」との区別は限りなく曖昧です。
特許と同じように、一般に広く知られた構造や設定はパクリでは無いとするのが
妥当な所でしょうか。たとえば、三幕構成、人外設定など。
しかし、萌えやツンデレ、メイドなど、パクリ?がパクリを生んで遂にブームとなったケースもあり、
この手の創作は特許と同じように考えるのが難しい側面があります。
また、作家にしても、執筆の前にデータベースを検索して作品の隅々までを
「特許」に抵触していないか調べることは難しいでしょう。
私自身、この件については結論が出せていないので、その手の指摘に対しては
ノーコメントで通すことが多いです。読書や執筆を重ねて行けば思い当たると思いますが、
「奇跡のような一致」は意外にも多いものですから。
恐らくですが、この「技法」と「パクリ」の区別は曖昧で、明文化できないモラルのような
ものだと思います。その時代時代や地域で、暗黙の了解のうちにそれぞれが自制、
やり過ぎた人を見掛ければそれとなく掣肘という現在のスタイルが、一番合っているような気もします。
ただ一言いうのであれば、日本の小説界には精神論がまかり通っていて、
「技法」については、世界的に遅れているだろうということです。
これは何とかしないといけないと、私などは思うわけです。
× 公募の祭り作などでも、示し合わせたように同じような作品が大量に来ると聞きます。
○ 公募の応募作などでも、示し合わせたように同じような作品が大量に来ると聞きます。
いずれにせよ、「奇跡の一致」「技法」「パクリ」の三種については
これからも作家の頭と心を悩ませる問題だとは思います。
技法は、人から人へと伝えることが容易であるため、伝承しやすいという利点があります。
伝承されやすさ故に、発達もしやすく、新人の育成速度も速く、小説界全体の底上げに
有利だと思います。実際、かって低俗だと考えられていたアメリカ文学の興隆は
この技法の発達によるところが大きいとされています。
一方で、この技法は画一化という大きな弊害をはらみます。
レベルはそこそこ高いのに、みな似たような作風で、似たような作品ばかりになり、
ついには読者が小説から離れて行くと云う現象です。
日本にはあまりにも精神論をかざす人が多いために技法の大切さを主張することが
多いのですが、実際、精神論も大切だとは思うのです。
コーヒーを作ってきました。
インスタントをお湯に溶いただけですが、カップは事前に温めました。
インスタントのコーヒーは溶くお湯の温度で味も香りも変わるので、
カップを温めることは大切だと思います。お茶と同じですね。
コーヒーと言えば私はブラックですが、よく知られているように
ブラックは海外で珍しがられます。以前、海外の会社の事務の女の子に
コーヒー飲む?と聞かれ、一瞬、自問自答するような間を置いてから
「砂糖無し?」と確認されました。砂糖無しで、と私が答えると
もう一人の事務の女の子がビックリ。
「日本人はコーヒーに砂糖を入れないの・・・」
と、初めの女の子が説明していましたが。
以前、知り合いのインド人に帰省のお土産としてお茶とナッツをもらいました。
「このお茶はどうやって淹れるの?」
「普通に…」
「日本とインドでは淹れ方が違うから、分からなくて」
すると彼は、鍋にお湯を沸かして葉っぱを入れ、葉っぱが浮いてきたら終わりだと
教えてくれました。生姜を入れる時は生姜も一緒に入れるけど、できれば生姜は
砕いた方がいいとも。
最近は日本でもチャイという名称でスパイスを入れたインド風お茶が普及していますが、
インドでチャイと言えば、お茶一般のことを指すようです。私はインド料理が好きですが、
他のインド人にその気持ちを伝えると、彼は得意げに、けれど友好的な様子で、
インド料理のことを色々教えてくれました。インド人は従順ですし、国際社会的にも
下層の仕事をしていることが多いのですが、彼らは彼らの文化や仕事ぶりに対して
欧米人のような誇りを持っています。私は彼らの誇り高さが好きです。
何かの機会があれば、一度ヒンドゥー教の寺院で儀式を見学させてもらうと
面白いと思います。儀式を執り行うバラモンたちの周囲を圧する威厳のようなもの。
これは発展途上国インドのイメージを打ち砕くかもしれません。
そう言えば、このスレは読書を説くスレでもありました。
最近、若桜木虔「プロ作家養成塾 時代小説家になる秘伝」というマニュアル本を
読んでいます。この板では失笑されることも多い若桜木さんですが、私は、
足を向けて眠れないほど多くのことを教えてもらっているように思います。
若桜木さんの指導は具体的で即効性があるので、特に新しい分野を手掛けようとする時は
大助かりです。書きたい物はあるけどどうやって書いたらいいか分からない、、、
という方には若桜木さんの本がお勧めです。
何気ない風景や言葉が記憶の扉を押し開け、
突然のようにすべてを思い出すことがあります。
子供の頃には気付けなかったことに、何十年も経ってから気付く・・・
それは多くの場合
・・・いや、よしましょう。
記憶喪失の人が突然すべてを思い出す、というシチュエーションがありますが、
すべての人は何かしらの記憶喪失なのでしょうね。
久しぶりに専門板へ行ってきました。
私もそこでは教える方の立場ですが、色々質問を受けていると、
一般の人たちがどんなことに興味を持っていて、何を知らないのかが
見えてくるように感じます。そういう専門性を作品に生かす、、、
小説は娯楽であると同時に教養としての側面も持っています。
次の展開が気になって仕方ない物語や、目新しいネタ、美しい文章などと同様に、
正しい知識は読者の知識欲を刺激し、小説の魅力を増すように思います。
「つまらないけど勉強になるから読み通した」というのも小説のひとつの
読まれ方だと思います。逆に、あまりに胡散臭い知識で描かれた小説は、
読者も受け入れがたいのではないでしょうか。
その点、トキワさんは地元や業界のエピソードを丹念に描かれていて、
そういった専門性を武器にされている方だと思います。専門性が高い作品は
どうしても知識の羅列になりがちで、物語性は薄くなりますので、
専門知識を並べ立てるだけでなく、それらが物語の核心へつながっていくような
流れを作ることも大切なのでしょうね。
私が書きたい時代小説と専門性の融合、、、
まだハッキリとではありませんが、何となく形が見え始めています。
迷い。
最近、漠然とした迷いのような鬱屈が私の中にあって、
色々なものが中途半端に、手つかずで放置されているような気がします。
頭の方も何となくスッキリしないような。
こうやってレスを付けていても、支離滅裂になりがちなような。
何となく痩せたような気がしたので、体重を量ってみると、
MAX時より10%ダウンしていました。最近は食べる量を減らしていたのですが、
頭がぼーっとしてしまうのは、単に栄養不足かもしれません。。。
とりあえず、お気に入りの黒糖生姜湯を飲みます。
アマゾンに資料を発注しました。
ミネルバ書房の西洋史ライブラリは硬派な本が揃っていて好きなのですが、
一冊6000〜7000円と非常に高価です。そこで、今回は4000円くらいの古本に
しておきました。新同品とのことで、お得だったと思います。
時代考証のための知識習得には果てが無く、別の意味で目眩がします。
読んでも読んでも分からないことだらけです。そして、やっと作品を書き上げても、
更にマニアックな人々から容赦ない罵声が来るという。。。
何のために時代小説を書くのか、その辺りの理由がハッキリしていないと、
とてもモチベーションが続かないかもしれません。私の場合は、、、何でしょう?
骨董品収集でその時代の製品に惹かれることが多かったとか、
その時代に好きな絵が集中しているとか、結構安易かもしれません。
一応、本来の専門の他に2分野ほど勉強を続けています。
錆びついた歯車をギリギリ回しながら、小さい箱に知識を無理詰めしている感覚。
とても、とても、原始的な作業だと思います。
何百年、何千年前の人々も、こうやって苦しんでいたんでしょうね。
果てしないお勉強・・・
上記のマニュアル本を96ページまで読みました。
プラスチックのハンマーで頭をガツンガツンと叩かれているような気がしますが、
特に印象に残った項目を二つ。一つは、作品の長さと物語内の時間です。
50枚くらいの短編ならば1〜数日、100枚くらいの中編ならば数週間〜二カ月、
300枚以上の長編ならば数カ月以上の長期を書くのが目安で、これよりも
短い期間を長く書くことは問題無いそうですが、逆に長い期間を短くまとめて
しまうのはタブーで、粗筋としか思われないのだとか。しかも、そういう書き方で
仮に高評価を受けたとしても、予後不良になることが多いのだそうです。
そう言えば、一時期の私は物語の進行速度を極限まで上げるために、
徹底的に言葉や表現を削って作品を書いていました。その結果、粗筋のようだと
言われ続けたわけです。まさしく指摘通りの間違いをしていたなと。。。
改善を図ったのは(このスレにも書き込んでいますが)つい先日です。
映画への換算から、描写が短すぎるという計算結果を得たわけですが、
この計算結果は若桜木さんの推奨枚数と一致しているようで、安心しました。
もう一つは、巧い文章を目指すことの過ち。
新人賞を意識する一部のワナビは、巧い文章という呪縛に捉われて、
こり過ぎの、意味不明な長文を使いがちになるそうです。
しかし、新人賞応募作品は斜め読みしかされずに評価されてしまうという現状、
そして小説とは比較にならないほど娯楽性に優れたメディアが溢れている現代社会、
この二つを考慮すれば、分かりやすい文章を書くことが何より大切なのだとか。
私も描写量を二倍に増やしたは良いのですが、こった表現や長文を使うケースが
増えていました。自分では良い傾向だと思っていたのですが、これが落とし穴なの
かもしれません。一文中に使用する動詞は四つ以下にせよとのことで、これから
十分に注意したいと思います。
一応、色々内容を引用させて戴いているので、感謝の気持ちを込めて
本の宣伝をしておきます。若桜木虔「プロ作家養成塾 時代小説家になる秘伝」は
新書で、税込820円です。実際にはより詳しいアドバイスが書かれていますので、
気になった方は書店でお手に取ってみて下さい。ただし、飽くまでエンタメとしての
時代小説をターゲットにしているので、純文系の方には効かないかも。。。
あぁそれと、短い作品をいくら練習しても、長い作品が巧くなるわけではないこと。
長い作品を書きたい人は、初めから長い作品を書けと指導がありました。
この指導については、私も一連の感想付けを通して同じことを感じていたので、
この指導を読む前から数十枚以上の作品しか書かないようにしていました。
短い作品のメソッドと長い作品のメソッドは明らかに違うんですよね。
短い作品はすぐに書けるため、練習と思って短い作品ばかり書いてしまうのですが、
それでは長い作品を書く練習になっていないという。。。
こうやって色々書いて行くと、執筆は地雷だらけという気がします。
地雷地帯を最後まで歩き通せた者が、タイトルを取れるのでしょうか?
あっちでドカン、こっちでドカンと、しばらくは賑やかな執筆が続きそうです。
学生時代は吹奏楽部に所属していましたが、
その時にくどいほど言われたことがあります。
それは「良い練習をしろ」ということ。
悪い練習をどんなにしても、巧くはなれないってことですね。
今更ながら、突然思い出しました。
お勉強もダラダラやっては いけないですね。
短時間で集中してやらないと、です。
最近、アーモンドをたくさん食べているせいか、肌とお腹の調子がとても良いです。
調べてみると、アーモンドにはビタミンB2、E、食物繊維、オレイン酸が豊富に含まれていて、
コレステロール低下やダイエット、抗酸化、美肌作用などがあるそう。
私は好きで食べているだけですが、あれば一日で100g(600kcal)くらい食べてしまいます。
一食抜いて、アーモンドだけです。でも、本当は20〜30gくらいが適量なようですね。
昨日、家に買い置きしてあったアーモンドを食べきってしまったので、
また1kgほど注文しました。今度は何日持つのでしょう。。。
なぜか酸っぱいものも一緒に食べたくなるので、ついでにグレープフルーツも一箱注文中です。
健康維持が目的ならば、食事の前に10粒、良く噛んで食べるといいと思います。
食事で摂取するカロリーの一部を、アーモンドという天然のビタミン剤で置き換えるわけです。
344のレスは、接続助詞の使い方に気を使って、分かり易くなるように書いてみました。
各文の関係には気を使っていないので、レスとしては読みにくいかもしれません。
接続助詞の意味を考えずに、手癖で「〜が、〜でした。」と書きがちでしたので、
その点の改善を図ってみました。あと、むやみに会話文的な助詞を使ってしまう癖も
改善したいと思っています。
英文は「助動詞」次第でどのようなニュアンスにもなると思いますが、
和文では「助詞」がそれに近い働きをしていると思います。
「助詞」は和文の魂。
和文マスターになるためには、「助詞」を極めることが大切だと、今は考えています。
その推測が妥当か否か、それは今後の実践によって確かめられるでしょう。
存在感のある文章が使われた作品では、読者の意識は文章に向けられがちです。
その分、物語への集中力が殺がれ、特に長い物語を語っている場合、その集中力の低下は
致命的となります。読後に、どんな物語であったか思い出せないという結末を生み出します。
長い小説を志す場合、空気のように存在感の薄い文章が必要でしょう。
存在感の薄い文章を書くための努力には価値があると思います。
読んですぐに凄いと思わせるタイプの文章は、詩、キャッチコピー、掌編向きではないでしょうか。
新人賞では「書き出し」と「粗筋」がチェックされ、その出来次第で、
応募作が真剣に読まれるか、適当に読まれるかが決まると言います。
創文板のお祭りでも同じことが言えるように思います。
応募作品の数が多いために「書き出し」が良くない作品は容赦なく読み飛ばされ、
「最悪」が投下されます。
祭りスレ上で自然に形成される「粗筋」が良い作品にはたくさんの人がアクセスしますし、
多少つまらなくても最後まで読み通されますが、「粗筋」が悪い作品の場合は、
いわれのない偏見でアクセスが避けられ、読まれても「最悪」が投下されがちです。
お祭りでも、各参加者が規定文字数内で「粗筋」を作成するよう義務づけた方が、
新人賞対策にもなりますし、自分の力で読者を呼び込めますし、面白いと思います。
・・・ある意味、上記の「存在感のある文章」は「書き出し」や「粗筋」にこそ
使われるべきなのかもしれません。短い文章で下読みさんを惹きつけるという目的には
打ってつけです。
取材費を削減するため、燃費の良いバイクが欲しいです。
お金が無いので、幾つかカメラを売りに出そうか・・・
使っていないレンズ2本とカメラ1台を売れば、
新品のバイクを1台買えそうです。
健康オイル「エコナ」が少し問題化していますね。
ν速では数年前から問題のある食品として晒し上げられていましたが、
やっと販売自粛になったようです。私も当時うpされていた発がん性確認試験の
報告書を見ましたが、明らかにおかしな内容でした。一部の住人が賄賂や圧力の
可能性を疑っていましたが、そう思われても仕方ないほど杜撰な試験内容です。
世の中には「エコナ」のように怪しい健康食品が溢れていますが、
私には怖くて買えません。海外では危険と見なされている食品が、日本では
普通に売られたりもしています。これも天下りの弊害の一部なのでしょうか?
350はいつもの調子で書きました。
1文目 〜ね。
2文目 〜が、〜です。
3文目 〜が、〜でした。
4文目 〜が、〜です。
5文目 〜が、〜ません。
6文目 〜ます。
7文目 〜しょうか?
・・・接続助詞の使い方に問題があることは、明白ですね。
手癖を直すのは大変です。
綺麗で分かりやすい文章へ変えないと。。。
長く書いてきた人ほど、苦労するのでしょうね。
エコナによる健康被害が発生した場合、企業は二つのことに注意しなければなりません。
一つは、不遡及の原則が適用されないこと。もう一つは無過失賠償責任を負うこと、です。
この二つは法律の中ではイレギュラーな概念で、健康被害についてのみ適用される特殊なものです。
しかし、往々にして企業のトップは目先の利益に走りがちで、上記二つによって
企業が致命的ダメージを負う可能性から目をそむけます。たとえば、水俣病の当事者企業である
チッソは、世界的企業とも渡り合えるほど開発力に優れた企業なのですが、重い賠償責任のために
地方の一企業としてしか展開できていません。もしチッソがこの賠償責任を負っていなければ、
恐らく今頃は日本を代表する企業になっていたはずです。
水俣病の原因が有機水銀にあることは有名ですが、有機物質であるがゆえに
脳に集まりやすく、精神や神経に重篤な障害が出ます。それだけでなく、
被害者の母体から生まれた子供の脳には、母親よりも重篤な形で障害が生じます。
健康な脳を有機水銀の溶液に浸せば、有機水銀は脳の表層からじわりじわりと
侵入して行きますが、例えるならこれが被害を受けた母親の脳です。
脳の表層ほど有機水銀が多く、中心部はそれほどでもない。。。
しかし、彼女の子供の脳は、有機水銀で汚染された材料で作られているため、
脳の表層だけでなく、中心部まで有機水銀に汚染されているのです。
そして御存じのように、脳の中心部ほど、人間の生存に関わる基本的な機能を担っています。
その重要な部分が有機水銀に汚染され、機能に障害が生じてしまうのです。
チェルノブイリの原発事故でも、原因は放射線にありますが、似たようなことが起こっています。
すなわち、大規模な健康被害を発生させてしまった企業は、
数世代にわたって莫大な補償と謝罪を要求されることに成り得ます。
そのような企業には、もはや優秀な人材は集まらないでしょうし、
今後の発展も無いでしょう。
エコナの場合、そこまでの問題にならないと思いますが。
× この二つは法律の中ではイレギュラーな概念で、健康被害についてのみ適用される特殊なものです。
○ この二つは法律の中ではイレギュラーな概念で、健康被害などの特殊なケースについてのみ適用されます。
上記マニュアル本を読了しました。
なかなか充実した内容で、読後の満足感は高かったです。
しばらくしたら再度読み直して、内容を丸暗記してしまうつもりです。
この手のマニュアル本は、読みながら自作を客観的に評価できる点が便利だと思います。
マニュアル本が提示する様々な視点を通して、自作がいかに虚弱体質であるかを
理解できて良かったです。
自作を客観的に見るため、通常私たちは作品を「寝かせる」わけですが、
マニュアル本を使うと、寝かせ期間を置かずに自作を評価できるように感じました。
若桜木さんの指導ポイントをエクセル等にまとめ、チェックリストを作ると
便利なのかもしれません。
若桜木さんは、キャラとストーリーで魅せろと仰います。
その二つさえ魅力的なら、文章はあとで編集さんがチェックすると。
極端な話、文章の推敲は受賞した後で良いそうです。
新人賞というのは、こんなキャラを作れますよ、こんなストーリーを書けますよ
というアピールの場所なのかもしれません。
編集さんがチェックすれば直るような欠点は、重要ではない。
その分、編集さんにはどうにも出来ない点をしっかり書かなければいけない。
以前はテキスポで幾つかのテキストを晒していました。
多かったテキスポ本で、2000強/月のアクセスがありました。
テキストランキングにもよく載りましたし、
非エロでこの数字は、そこそこ良い方だと思います。
アクセス数を稼ぐポイントは、文章では無かったと感じています。
ここ数週間のトレンドやユーザーの興味を分析し、
それに沿ったテキストを公開すると、アクセスはかなり伸びました。
結局のところ、内容が命ということでしょうか。
2chでは古典的ですが、煽りという手法があります。
反論の余地を意図的に用意しながら、痛い発言、差別的発言を繰り返す。
すると、大騒ぎになって人が集まり、アクセスが増えます。
私はこの手法が嫌いですが、テキスポのテキストに一度使ったところ、効果は絶大でした。
話題作を作りたければ、煽りの要素を入れるべきなのかもしれません。
ヒールの芸能人などは、この煽り効果で人を集めていますね。
もっとも、人生が破綻しがちなのでお勧めできませんが。
某女性作家の猫殺しや、某女性作家の児童虐待についても、
煽り効果を狙った確信的スキャンダルと言えそうです。
タブーの周りで踊りを踊る。。。
クマーのAAによくある「あばばばばば」とか、あの感覚。
煽りAAは実に人間的、文学的です。
ただ、煽りの陰には必ず犠牲者が発生します。
煽りの手法を用いる者は、いつか復讐されるという覚悟が必要だと思います。
作品の設定をより強固にするため、今日は半日、年表と地図に向かい合っていました。
情報収集はインターネットに頼っていますが、それぞれの情報が微妙に食い違ったりしていて、
正確な情報を抽出するのに大変疲れました。
ただ、調べながらも、取材旅行の成果を改めて感じることができました。
年表の事象や地図を見ていても、その土地や人々の様子が今までよりも
はっきり思い浮かぶので、資料を読み込む深さが違うように思います。
次の取材旅行には間に合わないと思いますが、次々回くらいまでには
以下の道具を揃えたいと思います。
・バイク
・iPhone
・地元の地図
・動画撮影機能付きデジカメ
・テント(シュラフ)
・A5ノート
とにかく、取材費を削減してお金の収支が取れるようにしたいです。
本代はたかが知れていますが、取材旅行になると現状で5万円は飛んでしまいます。
これだけ高いと、1〜2回しか地元へ行けません。基本は野宿で、気になったら
お休みの日にバイクを飛ばして見に行く、くらいにはしないと。。。
× A5ノート
○ A5ノートPC
Let's Note R5を持っていますので、これは買う必要がありませんが。
収支という観点から考えると、デジカメは安くて高倍率、動画に強いと言われる
Panasonic DMC-TZ7か、同様に安くて高倍率で色んな光に対応できるFinePix F70EXR。
収支を取ってやる、、、と考えると、とたんに発想が現実的になり
やる気が出てくるのは何故でしょう? シミュレーションゲームみたいですね。
ノルウェイの森の冒頭には「多くの祭りのために」というフィッツジェラルドの
言葉が引用されています。この作品を読んだ当時は意味が分からなかったのですが、
私にとってはどこか引っ掛かる言葉なのか、人生の節々にこの言葉の意味について
思いを巡らして来ました。
「はかない生命」「人生という空騒ぎ」
そんな風に、今は捉えています。
日本にもハレの日(祭りの日)、ケの日(平日)という区別があるように、
欧米文化の中にも祭り(フェスティバル)という歴史的な特別の重みを背負った
概念があって、たとえばシェイクスピアの諸作品でも人生のはかなさは祭りに
例えられていますし、「道化師の朝の歌」で有名なラヴェルのピアノ組曲「鏡」にも
同様の無常観が現れているように思われます。
ここでいう「多くの祭りのために」とは、作者の前を通り、過ぎ去っていった人々
に奉げる、、、という意味ではないでしょうか。あるいは、「生きとし生ける者たちへ」
と拡大してもいいのかもしれません。
風の歌を聴け、、、
ここでいう風についても、私は祭りと同じ意味を持っているように感じます。
風、過ぎ去っていくもの、その記憶に耳をすませよ、と。
私が作品を書く理由も様々ですが、その一つは死者の声、時間の中に埋もれて
消え去っていく人々の記憶を文字に残したいということです。
私が初めて書いた作品は村上春樹さんのようだと言われていましたが、
こうして考えてみると、テーマが似通っているのかもしれません。
それ以外にも、文章が似通っていたこともあるのですが。。。
ただ、当時の私は村上春樹さんを未読でしたし、マニュアル本の類も知りませんでした。
その意味で、私の最もオリジナルの文体、そしてテーマが村上春樹さんと似ているのかも
しれません。私は村上春樹さんの作品を特別に好んでいるわけではありませんし、
ややもすると否定的なので、複雑な思いではあります。
補足ですが、私は4、5種類くらいの文体を使い分けます。
巧く書けているかどうかは別ですが、そのうちの一番古い文体が村上さんと
似ている、ということです。
ここへ書き付けるレスにしても、時々人格を変えたりテーマをバラバラにしたり
していますが、それは半分遊び、半分練習という感覚です。
こうやって日記もどきを付けているのも、苦手な一人称の練習という意味が
あったりします。お陰さまで、最近はずいぶん一人称で書けるようになってきました。
一人称はついのめり込み過ぎて感情過多になり、読者の存在を忘れてしまうのですが、
こういう半公共の場で日記を付けていると、抑制しながら一人称を維持できる
ようになる気がします。
先ほどまで、ある被爆者の記録を調べていました。
最終的にその方は、生きながらに朽ちて行くような、人間の形を留めないような、
かなり苦しい最期を迎えられたようです。拷問死の方がはるかにマシだろうと
私には思われました。
私たちの身体は常に作りかえられていて、パーツによってその周期は異なりますが、
およそ三か月で全身が一新されるのだそうです。その作り変えの際に設計図として
使われるのが遺伝子DNAで、大量の放射線に被爆すると、この遺伝子が破壊されて
しまいます。すなわち強度に被爆すると、身体は数週間〜数カ月のサイクルで少しずつ
崩壊して行きますが、設計図のDNAが無いために新しいパーツが用意されず、
被爆者の方の身体は少しずつ朽ち落ちて行くことになります。たとえば皮膚や肉が
ごっそりと落ちたまま、激痛の中で、でも死ねないのです。あらゆる臓器も
生きながらに崩れてゆきます。
そういう方でも何とか生き延びようとしていたこと、そして御家族の方々の想いを
の記録を見ていると、創文板でのつまらない言い争いや日常生活の中での悩み、
そんなものが取るに足らないことのように思えて来ます。
私たちは生きている間にどれだけの価値ある仕事ができるのでしょう?
そんな遠視的な思いに捉われます。
仕事の関係上、原子力発電所の設計や研究に関わった方々とお話することがあります。
正直なところ、マインドコントロールされた人々と話しているような異様な感覚です。
冷静な判断とか、科学的考察とか、そういうものが入り込む余地はありません。
二酸化炭素削減の流れから、原子力発電への切り替えは世界的なメインストリームと
なっています。日本政府もアジア諸国の集まる会議でその方向性を確認しています。
日本に生れて、物書きをしているアドバンテージ。
核利用について、日本はもっとたくさん考え、強く世界に主張していくべき
なのかもしれません。これだけ色んな矛盾を抱え込んでいるわけですから。
グレープフルーツがたくさん来たので、毎日二個ずつ食べています。
お陰さまでグレープフルーツの皮むきスキルがうpです。
先ほど取り出した一口サイズの果肉に無糖のヨーグルトを掛けてみたのですが、
予想外に不思議な味がします。もっとフレッシュで爽やかな味を予想していたのですが、
グレープフルーツの甘みと苦みと酸味が、ヨーグルトのまろやかさ、コクのある
クリーミーさに包まれて、あまり体験したことのない味。ただ掛けただけでは
美味しくないのですが、しばらく放っておいて両者をなじませると、
何かのデザートのようで、これはこれで美味しい。。。
野菜に塩を掛けただけの状態と、野菜を塩もみした状態くらいの差があります。
わずかな違いですが、でも全然違う。
このスレを埋め立てるなんて途方も無いことだと思っていましたが、
もう少しで400に達します。意外に何とかなるものですね。
国内では高級ココアメーカーとして名を馳せるバンホーテンですが、
海外で安チョコと言えばバンホーテンだったりするから面白いですね。
よくレジの横に3個パックのチョコボールが並んでいたりするので、
時々買って食べたりします。ローカルの食品に苦しんでいる時などは、
こういう普通の味の食品が神のように感じられます。
日系スーパーにわかめラーメンが1個500円で売られたりしていますが、
時にはそれが感涙ものにありがたいのです。次にありがたいのが韓国の食品。
ローカル食と比べれば、はるかに日本食に近い味がします。
ローカル食に拒絶反応が出た時は、農心の辛ラーメンとサンドイッチで
飢えをしのいだりもしました。酷いホテルの片隅で、飢えと吐き気に
苛まれながら、ラーメンが出来上がるのを待つわびしさ。。。
旅先でローカル食を食べて美味しいと思う、それは良いのです。
私もその気持ちはよく分かります。
しかし、現地に住んで毎日そういう料理を食べていると、ある時を境に
匂いを嗅いだだけで気持ち悪くなったりします。突然のように。
食べなければ現地の病気に掛って死んでしまう、そう思ってみても、
まったく食べられない。
日本で良く普及している食べ物、たとえばサンドイッチなどを取ってみても、
同じ材料で同じように作っているはずが、舌の奥に異質な風味が残ります。
何を食べてもローカルの風味がする、、、一種の食的ヒステリー状態。
イタリア料理のお店を見つけ、嬉々として馴染みの料理をオーダーしても、
パスタの固さ、ソースの味、コクの付け方、すべて異質です。
どこにも日本が無い。。。
どこにも日本が無いという状態は、生まれてからずっと日本で暮らしていた
人間にとって、想像を絶するほど苦しいものだと思います。
食だけでなく、水、日差し、寒暖、風景、病気、言葉、等々。
完全な無音環境に置かれると人は不安のあまり発狂するそうですが、
それと似た状態かもしれません。意思ではどうにもならないもの。
病院に担ぎ込まれ、運良く日本人医師に診察されてみても、
処方される薬は現地人向けのものです。解毒は主に肝臓で行われますが、
この肝臓に備わっている解毒酵素は人種によって大きな違いがあるため、
現地の薬を処方されることが命取りになることさえあり得ます。
しかも、その日本人医師がヤブであることも多々あるわけで。。。
死ぬまで放置されてしまう国もありますし、実際、知人はそれで
亡くなりました。日本であれば助かったはずですが。
日本へ戻って来るとホッとしますが、どこもかしこも醤油臭いなと思います。
あまりに久しぶりだと、駅のホームの立ち食い蕎麦屋の匂いを嗅いで
吐き気がすることもあります。
日本人が韓国へ行って、どこもかしこもキムチ臭いと感じる、あの感覚でしょうね。
キムチの匂いを笑う人は、日本が猛烈に醤油臭いことを知らないのだと思います。
目糞、鼻糞を笑う。
高校の頃、国語の授業で上記のことわざがテストに出題されました。
我がクラスの生徒たちによる、国語教師への盛大なブーイング。
「汚い言葉をテストに出さないで下さい!!」
この高校へ来て良かったと思った瞬間です。
エンデの「果てしない物語(Never Ending Story)」の後半に、
ファンタージエンで最も醜い容姿を持った種族アッハライが登場します。
記憶が曖昧ですが、芋虫のような身体にタコのような手足が付いていたと思います。
彼らはあまりの醜さに常に泣いているため、その涙が溜まって湖になっているのだとか。
しかしその反動なのか、彼らが作り出す銀細工は大層繊細で美しい!
ファンタージエンの救世主として絶大な権能を持つ主人公バスチアンは、
良かれと思い、彼らを美しい蝶シュラムッフェンに変えてあげます。
常に笑いが絶えないようにと願いながら。実際、彼らは大喜びして
浮かれに浮かれました。
しかし、バスチアンは後々、シュラムッフェンに襲われることになります。
銀細工という価値ある仕事を奪ったバスチアンを憎むようになったのです。
美しい姿となり悲しみから解放されたシュラムッフェン達に、
もう美しい銀細工を作り出す能力は無かった。
そして、彼らは笑いという仮面の奥に、空しさを抱えるようになった。
進歩主義を否定し、出口のない世界に遊ぶということは、
このシュラムッフェンになることと何が違うのでしょうか?
私は進歩主義を信奉しています。
そうあることが必要だからです。
必要だから信じる、、、パスカルの賭けと同じです。
それが論理的に正しいから信じるのではありません。
私は愚か者と言われようと、アッハライでありたい。
この先へ続く道を探し求め続けたいと思っています。
とても使いこなせないと思っていた超広角レンズですが、
欠点と思われる特性に一つ一つ対策していったところ、
仕上がった写真を見てニンマリ出来るくらいにはなりました。
これなら、日常のスナップに常用できそうです。
超広角と云うこともあり、最近はノーファインダ撮影が増えています。
ファインダを覗かないでも大よその構図は決まるようになり始めましたし、
強い逆光のような難しい光でも、破綻なく撮れるようになりました。
そういう基本ができてくると、使いこなしも楽しくなります。
小説でも、読んで好きな小説と書くのが好きな小説は違ったりしますが、
写真の場合も同様だと思います。
私の場合、レトロな写りの写真や、朝焼けの色彩感豊かな写真を見るのが好きですが、
写す側に立つと、シャープでコントラストの高い、現代的な写りの写真を好みます。
質感や立体感といった存在感を強調するような写真です。建築写真にはこういう写真が
多いですね。
電子書籍ビューアのAmazon Kindleの国際版が今月中旬に発売されるそうです。
ざっと仕様を見てみましたが、6inchディスプレイで重量290g、日本円にして
送料込3万円くらいでした。契約なし(無料)で日本でも3Gネットワークが使え、
書籍のダウンロードやAmazon、Wikipediaへの接続が可能だそうです。
Oxford American Dictionaryや質問チャットみたいな機能も付いているので、
調べ物や息抜きのコミュニケーションにも対応しています。
しかも、メモ機能とキーボード付き。モバイル系作家には垂涎物かも。
液晶はバックライト無しの白黒で、画像表示もできるので、書籍の見かけは
英字新聞のような感じです。最新作や古典の他、新聞や雑誌、オーディオ文庫も
格安で購読できるそうです。
てか、欲しいです。。。買ってしまうか。。。。。。。。。。。
大切なことを書き忘れました。
日本語表示不可ですので、英語のみでの使用になります。
毎日新聞も英字で有料コンテンツを提供するそうですし、
日本の英字新聞が乗ってくる可能性もありますね。
私としては、ペーパーバックと新聞と雑誌が読みたい。。。
それにしても、風景写真というのは難しいものですね。
眩しくて直視できない所から、暗くてよく見えない所までを
ダイナミックレンジの不足しがちなデジカメで撮ること、そして
256諧調しかないjpegにすること自体に無理があるのだと思いますが、
事実上破綻している写真のデータを現像ソフトで修正に修正を重ねて、
何とか見えるようにするという重労働。
私は元々スナップ撮影中心なので余計かもしれませんが、
風景写真の難しさは、写真撮影の中でも段違いの難しさだと感じます。
応募する賞を決めて、多作してみます。
この方針により、年間の執筆計画が組めるはずです。
とりあえず、年間1千枚をノルマにします。
問題はどの賞に応募するかですが、、、
原則として、短編は書かない方針にします。
1/10 ロマン大賞 300枚
3/31 新潮新人賞 or すばる文学賞 200枚
6/30 文学界新人賞 100枚
7/10 ノベル大賞 100枚
10/31 群像文学新人賞 200枚
12/31 文学界新人賞 100枚
適当に思いついた賞を並べてみましたが、これでちょうど1千枚です。
実際には適宜応募先を変えます。粗製乱造を許容し、締め切り優先で
進めるつもりです。
今書いている作品は群像へ送るには短すぎるので、
10/31〆の三田文学新人賞 100枚へ送ります。
慶應卒ではないので無意味だとは思いますが、
習作ですし結果も期待できないような内容ですからおkとします。
あと20日で完成できるのか・・・
先ほど、卵かけご飯に味の素を二振りほどして食べてみました。
味の素を使ったのは初めてなのですが、喉の奥の胸の辺りに濃厚な
まったり感が広がります。。。気持ち悪い。。。。。。
あるお店は一人分の料理に味の素を大匙1、2杯も使うそうですが、
どんな味がするのでしょう? 付近では結構人気があるそうです。
お店の人たちはその料理を食べないか、どうしても食べる時は
味の素抜きで作ってもらうようですね。
取り壊しの決まったアパートに八十代のお爺さんが住んでいて、立ち退きを
迫られていたそうです。業者の方が取り壊しの日にアパートへ行ってみると、
首を吊ったお爺さんの遺体がぶら下がっていたとか。遺書と幾ばくかのお金が
用意されていて、そのお金で葬式をして欲しいという遺言でした。
その場にいた知人から、先月聞いた話です。
日本のために戦って下さった方の最後としては、少し淋しいことだと思いました。
ニコニコ動画へ初めて行ってみましたが、色んな動画があって楽しい所ですね。
あそこにいると、時間を忘れてしまいそうです。
回線に左右されるのが嫌なので、プレミアム会員になりました。
今まで純文学ばかりに関わって来て、純文学がほとほと嫌になっていました。
純文学から離れようと思い、最近はエンタメやラノベのことを調べていました。
しかし、他の分野を知ることで、逆に、純文学の良い所も見えてきました。
やはり、これからも純文学を続けて行こうと思います。
今までのように、純文学のみ、ということは無いですが。
文章の癖を無くそうとしているのですが、どうにも、たどたどしくなってしまいます。
文章をいじると、文章間のリズムがガタガタになってしまうんですよね。
慣れるまでは大変でしょう。。。
初めて、写経、というのをしてみました。
写経は文章の練習になるのかと思っていましたが、
実際にやってみると、執筆全般の練習になるんだな、という感触です。
どうしてそこでそこを描写するの?とか、
逆に、なぜこれだけしか描写しないの?とか、
物語の展開は思ったより大雑把だな、とか。
頭で色々考えているより、よほど勉強になる気がします。
山崎さんのホームランに感動した。
役者だね。。。野村監督とはぐはぐ
47氏が無罪になったのは喜ばしいことですが、
少なからずの小説が流されている現実を考えると、
P2Pの存在を、軽く見るべきではないのでしょうね。
P2Pも、どんな人がどんな作品を書いているのか、
チェックするには最高ですし、そこで気に入った作品を買う、
という流れができてくれさえすれば、問題ないと思います。
P2Pは確実に普及していく技術ですし、今更否定しても
世界に遅れを取るだけでしょう。P2Pと共存していく試みが
必要なのだと思います。最近よく言われますが、必要なのは教育、
創作物にはお金を払うというスタンスの浸透ではないでしょうか。
47氏も、従来の著作権を否定するのであれば、
作り手が餓死しないような制度作りに尽力して欲しいと思います。
ただのアナーキーなオタク技術者で終わるのではなく。
三か月以内に、ブログが2000万アクセスしなければ、
引退することになっていた愛川ゆず季さんですが、
VIPPERの活躍の甲斐あって?、10日目にあたる今日、
2000万アクセスを達成したとか。
というか、少し手伝うかと思って見に行ったら、
既に終わっていたという。。。
VIPPERも、最近は大人しいのかと思っていましたが、
まだまだ元気ですね。
シューマンのオーケストレーションは下手だと、一般には言われていますが、
渋くて格好よいと、わたしなどは思います。
特に、マンフレッド序曲などは最高じゃないかと。
そう言えば、最近演奏会へ行っていません。
行きたいけれど、この辺りだとまともな演奏会が無いというか。
来年の熱狂の日音楽祭には、ホテルを予約して参加したいですが、
まだ半年も先ですね。ビールとかワインとか飲みながら、
野外で音楽と食事を楽しむのは、最高の娯楽です。
音楽こそは我が青春。
思い出せば、楽しくもあり、悲しくもあり。
高すぎる理想の前で、ため息ばかりが漏れる。
ここ数カ月は音楽から遠ざかっていたのですが、
最近になって、また音楽を聴くようになっています。
それと共に、オーディオ熱もまた、ぶり返してきた模様。
今使っているポタアン(ポータブル・アンプ)と中級イヤフォンだけでは
さすがにつまらなくて、以前使っていたAKG K701を再度注文しました。
据え置きのCDプレーヤーとアンプも購入予定ですが、まだ機種を決めていません。
K701の注文に当たって、価格コムへ行ったのですが、
ケイオンというアニメ(マンガ?)のヒロインが、
このK701を使っているとかで、2ch住民の方々が
Vipper風に凸っていました。なんか・・・
それにしても、すいぶん安くなりましたね。
音屋さんで三万円か。。。
在庫切れのようなので、アメリカのお店に注文しました。
このK701が発売された頃、わたしはAKGスレの住人でした。
もちろん、AKGの事実上のフラグシップとなるK701は、
発売開始と共にげtして、スレでもエージングのレポなどをしていました。
今では、スレの雰囲気もずいぶん変わってしまいましたが、
あの頃のAKGスレは、紳士が集うスレとも言われていて、
居心地も良かったものです。
最近は、まったく行っていませんが。
他に使っていたヘッドフォンは、Ultrasone Edition9です。
本当はこのヘッドフォンも入手したいのですが、製造中止ですし、
最近の相場は中古16万円くらいなので、諦めます。
ロックやオケを聞くには最高の機種ですが、欠点も多いですし、
なにより高い。。。
それにしても、Edition9の成功に釣られたのか、他社からも
この価格帯のヘッドフォンが、たくさん出てきているようですね。
音質の点で、Edition9に匹敵するとしたら、凄いことですが、
はたして。。。
K701は、もう少し小さくならないんですかね。。。
すごく大きいので、装着してソファに座ると、首が動かせません。
デザインを見る限り、もう少し小さくなりそうなものですが。
そういえば、プーリップという人形のシリーズに、自称宇宙人?の
不思議ちゃんがいて、SFっぽい格好をしていますが、
あれを見るとK701を思い出す。。。
K701は、単体では綺麗でポップなデザインだと思いますが、
装着した姿は宇宙人そのもの。そうとう綺麗な女の子にしか
似合わないでしょうね。
STAXの静電型ヘッドフォンもいいけど、
あれも装着した姿が、変態さんになってしまうからな。。。
リミテッドが限定販売されているので、購入しようかとも迷いましたが、
装着した自分の姿をイメージして、諦めました。あれは怪しすぎる。。。
美人とか、そういうことじゃ無理。
家族のお父さんが普段からアレをつけていたら、子供に悪い影響を及ぼすと思います。
たぶん、まっすぐに育たない。いや、確実に。
わたしは濃い音楽が好きなので、AKG K701みたいにあっさり上品な音の
ヘッドフォンは、あまり好きではありません。
Ultrasoneとか、Gradoとか、Kossとか、個性的で荒削りな音を出す機種の方が、
聞いていて楽しいですし、プレーヤにしてもアンプにしても、
今まで、端正な音の国産品よりは、個性的な海外製品ばかり選んできました。
けれど、一つだけヘッドフォンを選べと言われれば、K701になってしまいます。
なぜでしょうね。好みとは正反対のはずですが、無いと寂しくなる。
モーツァルトみたいな、そんな存在。
なぜ、クラシック史の中心から外れた小品ばかり、学習させるんでしょうね。
絵画にしてもそうですが、エゴン・シーレの素描やムンクの版画、シャセリオー
の油絵などについて教えてもらった記憶がありません。
うつろなクルミも、音を立てて割られたいと思うもの。。。
半年使ったレンズ2つを、12万円で売ってきました。
新品の時は、11万円でした。。。
安いお店を知っていると、ただで使っているようなものですね。
微妙に儲けも出てるし。
これで、型落ちの叩き売りされているオーディオを買いませう。
1年後に売っても、10万円近くで売れるはず。
1年間のレンタル費用、2万円。
以前中古で買ったカメラも、人気が上がっていて、買値より高く売れそう。
時代考証に使う資料が届きました。
脳に記憶素子を埋めたい。。。
いずれは、そんな時代が来るのでしょうね。
逆転サヨナラ満塁ホームランて。。。
出てくる中継ぎという中継ぎが、暴投を繰り返して自滅。。。
挙句の果てに連打されて、21球で5点取られるとか。。。
まるで球団創設当時の楽天、というかこれが自力なのか。
来年から本当に万年ビリになりそうで、怖い。。。
あんまりにも驚いたので、言うのを忘れていました。
これは酷いwww
楽天ファンと云うよりは、パリーグが好きなだけなので、
いい試合をしてくれれば、それでいいんだけど、今日の試合は酷過ぎ。。。
ショックで、なにも手に付かない。。。
今日はもうやめます。
楽天も悪くなかったけど、日本ハムは強い。。。
やっぱり、昨日の時点で勝負がついてしまったか。
片や満塁からホームラン被弾、片や満塁から失点ゼロ。
楽天は、まだまだ選手の育成が必要なのに、
ここで野村監督がいなくなると、相当きついだろうな。
映画のようなミラクルは起こらないか。
どっちにしても、パリーグの選手は闘志を剥き出しにするから面白い。
日本ハムは、チーズ蒲鉾が魚肉ソーセージと同じ味なんだよね。
チーズの味も薄くて、チーズ蒲鉾を食べている気がしない。
ニッスイを見習ってほしい。というか、チーズ蒲鉾ならニッスイ。
蒲鉾の旨味とチーズのクリーミーさが高度に融合している。
次点でマルゼン。伝統の味というか、安定した美味しさ。
脱力。。。
焼きそば弁当の話でもしましょうか。
焼きそば弁当についてくるスープは、いかにして作るべきか。。。
そのお湯の配合に隠された秘密。
それとも、公園のジンギスカン・バーベQについて語るべきか。
チャンチャン焼きがいいか。悩む。
キオスクでチーズ入り笹かまぼこ、なんて物も売っていますね。
あれも見れば買ってしまうけど、正直高い。味は悪くないけど。
真空パックだから、食感の悪さは仕方ないか。。。
蒲鉾と言えば、仙台と豊橋が有名だけど、
正直、それほど美味しいわけではないと思う。
特に豊橋の駅で売っているのは、調味料で誤魔化し過ぎ。
食感については、かなり良いけど。
舟和の芋ようかんが食べたい。。。
今はどうか知りませんが、大阪と九州を結ぶカーフェリーの中で、
竹に巻いて焼いた、昔ながらの竹輪を食べるのが好きでした。
当時としては、とても高かった記憶があります。
夜になるとお店が閉まってしまって、何も買えなくなるのが悲しかった。
それと、トビウオの竹輪は長崎だったか。。。
トビウオの卵が混ざっていて、噛むとプチプチしていた覚えがあります。
トビウオは旨味が強いので、練り物にしてもダシにしても美味しい。
東南アジアのほうでは、練り物が普通にファーストフード感覚で売っています。
ポテトやポップコーン・シュリンプ、チキンナゲットなんかの横にハンペンとか。
イスラム人口の多い国だと、甘いチキンソーセージなんかも並んでいますが、
あれも練り物と言えば練り物ですね。美味しくはないですが。
ブラジル人のスーパー店員と、たまねぎの調理法の話で盛り上がる。
イギリス人の女教師から、子供の父親が夫ではないことを告白される。
ロシア人のカメラ屋店員から、わいろを要求される。
中国人の貿易会社社員から、食べ放題の鍋物屋へ行こうと誘われる。
ケニア人の研究員から、母国へ戻って政治家になる意思を聞かされる。
韓国人の技術者に、ピビンパの食べ方を観察される。
オーストラリア人の主婦に、人生を諭される。
わたしは、どこにいるんだろう。
風が吹けば飛ぶていどの存在、みんな、ね。
アジアの片隅で革命なんて叫んでみたところで、何も変わりはしない。
この大きな流れの中で、何ができる? この大きな流れの中で。
永遠が刹那の瞬間に宿るように、真理は細部に宿る。
我々の知性は「つまり」と言いながら最も無意味なものを手元に残し、
真理の宿る枝葉は切り落として、地に捨て置く。
暗黒のなかをさ迷い歩く。
始まりもなく、終わりもない旅。
生きた証は、屍とともに葬りさられる。
消費される妄想のように、跡形もなくきえる。
生まれてきたことを、恥じる必要はない。
どの道、われらの存在は無に等しい。
われらの狂気を生きのびる道を教えよ。
K701が届きました。
早々試聴してみるものの、、、ひどい音。
中高域が張っていて、音場も狭い、それに固い。
そういえば、はじめてK701を買った時も、
音のひどさに愕然としたなーなんて思い出しました。
今は、エージングで良くなることを知っているし、余裕もありますが、
当時は、K701の評価も定まっていない頃で、
地雷を踏んだかと青ざめたことを覚えています。
ちょっとしたら、音がほぐれてきて、
トロトロの優しい音に変わるんですけどね。
現在、ティッシュ箱にはさんでエージング中。
エージングは普通の、中音域が豊かな音楽を使います。
ヴィオラとか、ハープとか、ボーカルとか、フルートとか。
エージング用のBurn in CDも持っていますが、
これを使うとダイナミックレンジは広くなりますが、
その分、表現力が落ちるような気がして、たまにしか使いません。
眠い音がし始めたら、ちょっと使うくらいがいいと思います。
置き場所の関係で、今回はヘッドフォン専用アンプは使わず、
CDPのヘッドフォン端子に、直付けして使っています。
その分、ヘッドフォン端子のクオリティに定評のある機種を選びました。
K701は優しくて上品な音の傾向ですが、意外にお金のかかる子で、
鳴らしにくいというか、アンプ部がしっかりしていないと、
眠くて鈍重な音になりがちです。
CDPのヘッドフォン端子は、通常、おまけ程度のクオリティなのですが、
買ってきたCDPの端子はかなり駆動力が高いようで、
K701を十分に鳴らせているようです。
以前使っていた専用アンプより、いいかもしれません。。。
トランスにお金を掛けているそうなので、非力な専用アンプより
その点は有利なのでしょうか。表現力は専用アンプの方が上だと思います。
シャーシに銅を多用しているようで、いささか銅臭い音だとは感じます。
アルミ筐体に慣れているので、余計気になるのかもしれませんが。
オーディオは組み合わせの妙だと思いますが、
今回はよく知っている機種との組み合わせだったので、
CDP選びは、まずまず成功だったと思っています。
下手をすると、数分の一以下の価格のCDPの方が良かった、
なんてことになりかねませんしね。
PADの壁コンセントが欲しい。。。
ハッと時計を見ると、4時44分44秒だったりする時って、ありますよね。
12時34分56秒も、結構あります。
さて、資料を読んできます。
知性に身をゆだねるような下卑た真似はしたくないものですが・・・
必要ならば使わざるを得ませんし、使うつもりがあるのであれば、
醜かろうと野蛮であろうと、磨かざるを得ない。
そういう時代に生きる以上は、そういう流れを無視することもできない。
こういう存在を、必要悪と言うのかもしれません。
鬱陶しい世界。
混沌や矛盾を、そのまま受け入れる大切さ。
混沌や矛盾が、知性のバグに過ぎないことを知る大切さ。
混沌や矛盾は否定できない事実であり、
それらに対する知性のあざ笑いは、恐怖の裏返し。
笑いには緊張からの解放という意味、
そして、解放されたいという呪術的な意味がある。
雨乞いの儀式ような、人間の根本にある呪術的行為、
それがあざ笑い。
存在は、それを分析して理解した時点で、
オリジナルとは異なる存在となる。
論理の上に論理を重ねる愚かさ。
鬱陶しい世界だ。
我々が理解している恐怖は、恐怖では無い。
我々が理解できるのは、恐怖の影だけである。
知性を身につけなければならないと知った時、
それは大いなる不幸が始まった時。
知恵の実を食らわずにすむ世界ならば、
それに越したことはない。
集英社から出ている「世界の歴史」という学習漫画を見ました。
著名な大学の先生が監修されているとは言え、要所をはっきり抑えた上、
物語としても情緒的に完成されていて、さすがにプロの仕事は違うなと、
舌を巻きました。
このところ、資料を読み続けて疲れています。
一つ気付いたこと。
専門性の高い学術書の方が理解しやすい。
啓蒙書の類は、細部が省略されていたり言い換えられたりしているため、
かえって分かりにくいですね。概略を掴むだけなら啓蒙書も便利ですが、
時代考証までしたいとなると、できるだけ早く、大学の講義で採用されて
いるような入門書→専門書、と当たった方が楽な気がします。
少なくとも、その分野を専攻した中堅大学卒くらいの方には
突っ込まれないようにしたいです。
資料収集している最中に、定価の10倍以上で販売されている
古本を見つけました。最近絶版になった普通の資料ですが、
ブックオフでの販価の実に50倍近く。
お客の足元を見るのが商売の基本とは言え、さすがにムッとしました。
さて、戻りますか。。。
ラトル‐ベルリンフィルのブラームス交響曲全集を買いました。
アマゾンで試聴して、ほとんど一目惚れ状態です。
リズムの刻み方が半端ないと思っていたら、ラトルさんは打楽器出身だとか。
ティンパニを筆頭に、低域の表現力が凄い。。。
ブラームスは低域の進行にこだわり抜いた作曲家ですし、
これで悪いはずがありません。
ラトルさんのCDは売られ方がえげつないので、今まで敬遠していましたが、
しばらくラトルさんのCDを集めたい感じです。ベルリンもカラヤン−アバド−
ラトルときて、いい感じの進化をしてると思います。一時はカラヤンさんが
亡くなって、もうダメかと思っていましたが。
でも、弦は相変わらず弱いかもしれません。
これで、弦だけコンセルトヘボウに代わってくれたら・・・
ネット上で、いくつかの性格診断を受けてみました。
その結果、わたしには作家の資質が無いわけではないようですが、
・事実にこだわりすぎる
・抽象的な思考を避けようとする
という2点において、改善の余地があるようです。
要するに、もっといい加減でいいからどんどん書け、
そして、物事について深く考えるようにせよ、ということでしょう。
たしかに、時代小説に取り組んでいるからと言って、
資料ばかり読んでいる態度には、問題があるのかもしれません。
物事について考えないようにしているのは意図的な方針でしたが、
いささか、やり過ぎたかもしれません。
少し、作家向きの性格に修正するつもりです。
わたしはレスをあぼ〜んする行為が嫌いで、
今まで、あぼ〜んは使わないようにしてきました。
しかし、これからは、この機能も少し使っていくつもりです。
もうこれ以上、他人の悪意を見たくないですし、心を乱されるのも嫌です。
まだ、創文板にはいたいですしね。。。
途中まで書いて寝かせておいた作品を、読みなおしました。
あちこちに技術的な難点はありましたが、思っていたほど悪くはなく、
2〜3年ほど修行すれば、商業レベルに達せるかなという気はします。
ただ、いまいちピンとこない。。。
完成形ははっきり見えていますし、どこを直せばいいかも分かると思うのですが、
わたしは、こんな作品を書きたかったわけじゃない、という気がしてなりません。
題材からして、ミステリ仕立てにすれば物語が巧く転ぶだろうと判断し、
実際にミステリにして巧くいったのですが、読んでみて、ミステリ臭い。。。
実利だけ考えて、ミステリにしてしまいましたが、
わたしは、ミステリを書きたかったわけじゃないらしいですね。
わたしは、この題材でなにを書きたかったのか。。。
That's it !
この感覚が沸かない。。。
今のわたしの作品は、どこか製品的な無機臭がします。
どこかにバーコードが入っていて、JISマークがついてそうな。
作品を書き上げることばかり意識して、
キャラに魂を入れなかった弊害でしょうか?
これは読者の側からすれば、重要でないことだと思いますが、
書き手のモチベーションという点では、重要なことだと思います。
読者と書き手の両方が、幸せになれる作品。。。
執筆と言っても、作業です。
限られたリソースで効率的に書き、小説を仕上げないといけない。
「製品」と「作品」の間で、自分なりに納得できる妥協点を探さないと
いけなそうです、、、これから。
19世紀イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動などは、
その妥協点を探るという意味で、美しい果実を生みだしたと思います。
もっとも、わたしが一番好きなメンバーの一人であるバーン=ジョーンズは、
最終的に「作品」の方へ逃避してしまったわけですが。
ネット上での活動場所を、変えようと思います。
今後も、2chへ情報収集に来るとは思いますが、
人形師としては、もう来ないかもしれません。
すぐに飽きて、明後日には戻ってくるかもしれませんし、
これが最後かもしれません。
先日、深い山奥にある某神社へ行き、創文板のみんなが
デビューできるよう、お参りしました。
またいつか、今度はプロの作家同士として、お会いできるといいですね。
このスレは保守せずに、そのまま落としてくれると嬉しいです。
では、ばいばい。さよなら。
どうもすれ違ったようだ。今日ここを発見した。
その節は、色々お世話になりました。
気が向いたらメール下さい。まぁ向かなかったらスルーで。
blinde_kuhあっとlive.jp
では、プロ作家として再会する日を目指して頑張りましょう。
さらば、人形師。
またどこかで会ったら声をかけるよ。
ノシ
474 :
名無し物書き@推敲中?:2009/11/13(金) 11:41:30
475 :
名無し物書き@推敲中?:2010/08/22(日) 06:24:45
美少女の背中ぺろぺろ