純文学とエンタメの違いを教えてください

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878名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 13:18:05
>>875
>本質的に違うはず。でないと、小説が存続する意味がなくなる。

エンタメだけに徹するなら、意味はないよ。
だからエンタメを基本としたラノベはアニメ化を前提に、
ケータイ小説はドラマ化、映画化を前提につくられている。
他の媒体の原作として存在するだけだから、
文字表現としての価値はそんなに問われない。
だから、発想が斬新だったり、ストーリーが面白ければ、
文章が下手くそな子供が書いても認められる。売れる。

小説が存続するために、エンタメ要素と文学的要素が、必ず混在して、
その比率によって、エンタメ傾向の作品、文学傾向の作品と分類される。
879名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 13:32:36
エンタメ傾向は、ストーリーを優先させる。
文学傾向は、文章表現やなんらかの哲学を感じさせることを優先させる。

この両者は相反する。

ストーリーを優先させるなら、読みやすく、わかりやすく、すべてをはっきりさせなければならない。基本的に万人が読んで理解できるところにエンタメは成立する。

文章表現、哲学を優先させるなら、気取った表現になる、読者に考えさせるように行間を読ませることも重要になる、基本的に深く難しいことを表現しているのでやや難解になる。

ただし、読者がどう捉えるかは予測できない。
単純なエンターテイメントで、正義の味方が痛快に悪者を倒す。
しかしこれを、これは勧善懲悪、人間らしい道徳観を表現した文学作品だ、という解釈もできる。
880名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 13:42:57
>>879
ネイチャーの論文を一編たりとも理解できない人間が、
行間とか片腹痛いんだけど?

>文章表現やなんらかの哲学を感じさせることを優先させる。
うそうそ、優れたSFの方がどれだけ哲学を感じるか、それはそれは深い。
純文学なんぞ、アクロバティックな文章表現に酔ってるだけ。


と言われたら、否定する事しか出来ないのが文学部。
反論できないんだよねぇー(激烈爆笑。
881名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 13:55:18
>>880
>うそうそ、優れたSFの方がどれだけ哲学を感じるか、それはそれは深い。

そう感じるのは特定の信者のみ。それはエンタメとはいわない。鰯の頭も信心から。
エンタメが理解できずにエンタメを語るのは片腹痛い。

エンタメとしてのSFなら、出来が悪いために売れない。
文学を基本とした素材としてのSFなら、深みがないために評価されない。
という現状があるだけ。

>と言われたら、否定する事しか出来ないのが文学部。

事実誤認は否定される運命にある。これは屁理屈では抗えない事実。
882名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 14:57:38
>>881
特定の信者のみって、純文学読んで哲学感じてるほうが
極めて少数の人間じゃんか(w

確かに一般庶民は理解力、読解力が乏しいから、映像化してやらないと
喜ばないけどもな。
883名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 15:15:15
>>882
>特定の信者のみって、純文学読んで哲学感じてるほうが
>極めて少数の人間じゃんか

区別がついていないのかもしれないが、純文学と文学はまた異なる。

純文学は日本独自の文学で、文章表現、美的情操表現、独自の描写視点などが評価される。
それは詩や俳句、短歌などに見られる日本古来の日本人の感性にあった表現技術が重要になってくる。
日本語による表現技術だから、芥川賞でも、他の言語よるものはその評価対象にならない。外国人でも日本語で表現しているのであればよい。

文学は、西欧文学に見られるように、物語の根底に、思想性、思索性のあるものを指す。それらを総じて、なんらかの独自の哲学があるもの、として見なしてよいだろう。
884名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 15:38:46
>>880
>ネイチャーの論文を一編たりとも理解できない人間が、
>行間とか片腹痛いんだけど?

論文に行間があったら困るなぁ。
論文を読む事と行間を読む事は別次元。
同じ土俵に持ってくるのは、どちらか一方、もしくは
両方とも理解できていないね。
885名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 15:56:09
この分類が生まれたのっていつごろ?
森鴎外は純文だけど、当時はエンタメとして読まれてたんだよな
886名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 20:46:46
渡辺淳一や村上春樹は、レジに持って行きやすいポルノとして売れただけ。
実は現代日本における純文学の本質はそれかもしれない。
レジに持って行きやすいポルノ。
887名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 21:03:04
>>884
行間が無い(紙背はある)論文ですら読めないのに、
豊かな行間や教養や哲学、云々言う屑が純文学好きが
どれだけ無知蒙昧か? 

と、いう話しなんだけど?

888名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 21:04:19
>>885
新聞に小説が載りだしたときから。
確か夏目漱石の小説が最初で、小説の人気で新聞の部数が伸びた。
それ以降、新聞の売り上げを伸ばすような小説が重宝されるようになった。
新聞社は小説家をもちあげ、こぞって人気作家を発掘しようとした。
それで小説人気、小説家人気がピークになる。今のアイドルなみ。

当時はテレビもビデオも当然パソコンも普及してなかったから、
小説は家の中で楽しむ娯楽の中心でもあった。ほかにはラジオとレコードがあった。

当時は、明確に文学とエンタメが分かれていたわけではなく、
新聞を読むついでに読むならやはり軽いものが受けた。
それに、仕事が終わってから本を読むというのはやはり疲れるから、
読者層も、子供(青年男女)と婦人が中心で、
一般男性に受けるというより、女子供に受けるもの、が主流となり、
これがいわゆるエンタメの流れをつくったといっていいだろう。

しかし、本を買う読者が女子供というのは、実は今もあまり変わらない。
女子供に人気がないと売り上げは伸びない。
889名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 21:36:08
>>888
女子どもに漱石の中期〜後期の作品が理解できて人気があったとは思えんが・・
890名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 21:52:41
>>889
女子供は売り上げに参加するだけだよ。理解とは無関係かもしれない。
しかしそのことでエンタメというものの流れができたんだ。
本を売る、新聞の部数を増やすのは、
エンタメ要素が必要だと気づいたんだ。出版社や取次が。

「吾輩は猫である」などは、当時の文壇では考えられないふざけた発想(ある意味マンガチック)だったが、
売り上げを伸ばしたという強みが、みなを認めさせた。
891名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 21:56:01
>>890
純文学の売上を支えてるのは女と子供なんだが・・・?
専業主婦とか、まともに働いてない人間とか。
892名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 22:00:21
「こころ」あたりのディープな話を当時の女子供が率先して買ってたのか??
893名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 22:14:11
>>891
本(小説)の売り上げを支えているのが、女子供なんだ。
確か50代以上の男性は本を読まないというデータもどこかであった。
当然買わないだろう。

女子供にそっぽを向かれたら売り上げが落ちる。
今現在の純文学の売り上げが落ちている理由はそれ。
春樹のように女子供に受ける純文学は生きのびることができる。

あまり売り上げには影響しないところ(少数だから)にコアな文学ファンがいて、
彼らが口うるさいだけ。

>>892
「先生」はある種「萌え」のキーワードだったような気がする。
女視点から見ると、自分の家に書生が下宿し、さらにもう一人増え、
言い寄られる、というシチュエーションは興味を引いただろう。
なにせ娯楽の少なかった時代だから。
コアな文学ファンのようにディープな面を読み解かなくても、
楽しんで読める面があるものが、売れたんではないだろうか。
894名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 22:29:11
つまり、ハーレクインロマンスを日本人名にして、
昭和文体で書けば純文学として認められる可能性があるというわけだなw
895名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 22:50:29
「女とガキが日本の娯楽を駄目にした」

・昼間からの芸能バラエティー。経済orドキュメンタリーはほぼ無い
・芸のない、ひな壇お笑い芸人が勢揃い
・クソ邪魔なワイプ(一人暮し女が淋しくない用に)
・スタジオ内の笑い声(上記と同様)
・唄&ドラマ&バラエティにと、見た目重視のタレントの起用(歌唱力無し&演技力無し&お笑いセンス無し)
・萌え系アニメばかり
・ろくに声も出ない奴がデイーヴァ(嗤)
・クチパクOK
・歌のうまさ&曲の良さより、誰が歌うかを重視。しかもそれは歌手でもないタレントor声優
・難しい話は苦手。出来るだけ解りやすいストーリーを重視
・登場人物もみんなステレオタイプでOK。いい人か悪い人かはっきりしてないと駄目
・行間を読めない。全部説明しないと理解できない。人物の心情を想像できない
・バラエティ番組で紹介したか、売れてるか、人気作or話題作と言われてるか、或いはお薦めかで本を買う
・自分なりの感想皆無(「面白いです!」「これは凄い!」「グイグイ(嗤)引き込まれました」)
・自分が買いたいから買うんじゃない。他人が買うから購入するんだ

俺の説はおそらく正しいはず。
896名無し物書き@推敲中?:2010/07/23(金) 23:04:15
>>全部説明しないと理解できない。

むしろ、最近のものは必要な説明が足りてない気がする。
たしかに全部説明する必要はない。でもすべきところはしろよと。
とくに結末ね。

これ、純文、エンタメに限らずの話ね。

結末をきっちり描くことで、それまで築いてきたものが
壊れて駄作になるかもしれない。
でも、そこから逃げてほしくない。

なんか匂わせるだけで終わるってのもあっていいけど、
そればっかりなのは食傷気味。
もやもや感が残って、ああ面白かったと心から言えない。

エンタメの場合、続編のための引きってこともあるけど、
打ち切りもあるからなー。
897名無し物書き@推敲中?:2010/07/24(土) 00:05:04
522 名前: 通信士(愛知県) 投稿日: 2010/07/23(金) 23:58:26.10 ID:ddYOa2FS
今、手持ちの宝島のサイコさんからの手紙っての読み返してるけど
村崎さん、自分にファンレター書いてくる人に対してこう締めくくってるわ

「簡単に人を信じるなよ。易々と他人に影響されるな。
文字なんて活字に組まれて本にそれなりにご立派なこと
かいてるように見えるけど言葉なんてたいしたことないんだからな。
書かれた文字を疑え、語られた言葉を疑え、いちばん悪いのは何か自分以外のものに過度に期待して
判断を全面的に他者依存することだ。むやみやたらと他人を尊敬するんじゃねえぞ。
全ての文字にはうそがあると思って間違いない。俺がお前らをだまそうと悪意をもって文をかいていることを忘れるな」

まさに今回の犯人に向けたような言葉。
898名無し物書き@推敲中?:2010/07/24(土) 00:49:38
>>888
>それ以降、新聞の売り上げを伸ばすような小説が重宝されるようになった
>当時は、明確に文学とエンタメが分かれていたわけではなく、 新聞を読む
ついでに読むならやはり軽いものが受けた

これは、少し違うのではないだろうか。
平野謙「昭和文学史」の当該する箇所を抜粋します。

『夏目漱石の中期以降の長編はすべて「朝日新聞」紙上に連載されたものだし、
島崎藤村の「春」も田山花袋の「生」も、長塚節の「土」や森鴎外の「渋江抽斎」
のような全く非通俗的な作品も、すべて新聞に発表されたのである。
それが大正中期ころになると、綜合雑誌や文芸雑誌に掲載される作品と新聞紙上に
発表される作品とでは、作者も読者も截然と分かれ、前者を純文学、後者を通俗小説
とよびならわして、両者は全く交わることのない平行線を形づくるようになった。
そこへいわゆる大衆文学が大正の末期に勃興すると、新聞、婦人雑誌、娯楽雑誌の
ような大量出版物の執筆者は、すべて純文学作家以外の人々に限定された観がある』

純文学と通俗小説との区別は、大正時代の末期ということになりますよね。それ以前は
明確な意味での区分けはなかった。そして純文学と通俗小説との区分けが始まると
もに、純文学は私小説的なリアリズム文学としての色彩を強めてきた、というように
わたしは認識しているんですが……。
横光利一の「純粋小説論」とは、その内容はともあれ、新興芸術派の側から、既成の
「純文学」というものに対して反旗を翻したわけですよね。
「純文学」というものが、正確に理解されていないような気がして仕方がないんですけどもね。
中には、「純文学」こそが芸術だ、みたいなことを言う人がいる。これも不思議なんですよ。
川端康成も横光とともに、既成の「純文学」に異を唱えたひとなんですよね。
899898:2010/07/24(土) 01:06:21
申し訳ありません。訂正します。
>純文学と通俗小説との区別は、大正時代の末期ということになりますよね

大正時代の「末期」ではなくて「中期ころ」でした。
900名無し物書き@推敲中?:2010/07/24(土) 02:06:59
>>898
>>そして純文学と通俗小説との区分けが始まると

もう、この時点で純文学は廃れる運命だったんじゃないかな。
だって、文学に限らず傑作と言われるものって例外なく、
入門者を惹きつける魅力をもちつつ、玄人を唸らせる奥深さがあるからね。
そういう意味で、純文学って傑作を生みにくい体質なんじゃないの。

同じ理由からライトノベルも傑作を生みづらい体質を持ってる気がするね。

実際自分が傑作だと思ったライトノベルは、レーベルこそライトノベルだけど、
中身は全然ライトノベルじゃなかったりするし。
901898:2010/07/24(土) 02:53:07
>>900
私小説的なリアリズム文学。これが「日本的なるもの」なんだよね、きっと。
でも>>883が言っている意味での「日本的」ではないんだ。
また文献を引用してしまって恐縮なんだけれど、中村光夫「日本の近代小説」に
その「日本的」な意味が書かれていると思っている。
つまり、二葉亭四迷の「小説総論」的な方向ではなく、坪内逍遥の「小説真髄」的
な方向にいってしまったのが、「日本的なるもの」の始まり。
二葉亭は虚構を描くことで、その背後に真実を浮かび上がらせる、というような小説の
方法論を述べている。逍遥の場合は、事実をそのまま真実と捉えているところがある。
日本における自然主義文学は、その流れにあった。「私小説」とは、そうした中から
生まれたのだと思う。虚構を拒絶し、ありのままの事実のみを描く。それこそが真実だ
という信念なんだろうね。だから、ストーリー性は薄い。破滅型私小説が生まれる必然性
もそこにある。
その描かれる「私」もまた、問題なんだよね。小林秀雄が「私小説論」で言っているように
日本的な歴史的風土性の制約から、「社会化」されていない「私」だった。
ということは、「私」という事実を通して、「社会」と隔絶した内面に沈潜していくような
内容になっていかざるをえなかった。
虚構を排しているからストーリー性がなく、勢いスケールは小さくなる。

>もう、この時点で純文学は廃れる運命だったんじゃないかな

わたしも、そんな気がします。ただ、「私小説」のなかにも、傑作があることは
否定しません。二葉亭四迷って、凄いひとだったんだなあ、なんてしみじみ思います。
902名無し物書き@推敲中?:2010/07/24(土) 05:46:41
私小説を論理的に突き詰めたら姫宮美桜(検索してくれ)になるわけだなw
903名無し物書き@推敲中?:2010/07/24(土) 13:56:34
>>894
純文学ってそういうものだろ。

>>901
過去の偉人に頼らなければ、そういう当たり前のことすら口に
出来ないから駄目なんだと思うよ。
904898:2010/07/24(土) 14:23:52
>>903
>過去の偉人に頼らなければ、そういう当たり前のことすら口に
出来ないから駄目なんだと思うよ

そうですね。酒飲んで、深夜に書き込むのは恥を晒すだけだと
思い知りました。消したくても、消せないし……。
「純文学」という確固としたものはない。見方と視点によっては
曖昧なものでしかない。そんなことが言いたかったのです。
文学史を紐解けば誰もが解る「当たり前のこと」を書いたのは
具体的に示したかったからです。
まあ、「純文学」とか「エンタメ」とか言っている意味はないの
ではないかと、わたしは考えています。不毛だと思います。
横光利一の「純粋小説論」の段階で、つまり昭和の初期で、既に
限界が見えていた。その先のことを、真剣に考えなくてはならなかった
のに、先延ばしにしていた。文壇というものも禍したのかもしれませんね。
まあ、素人のわたしが言ってみたところで、何の意味も価値もないのですが
妄想みたいな取るに足らない戯言です。悪しからず……。
905名無し物書き@推敲中?:2010/07/24(土) 20:49:50
ではなぜ、「純文学」とか「エンタメ」とか分けたがるのか?

・日本人はレッテル貼るのが好き
・日本人の多くは自分で考えるより、他人が考えて分けてくれた方が好き
・「純」と「不純」に分けることで、権威を持たせたい
・書籍の値段が高いから、買う前にジャンルからその作品の傾向が判った方が良い
・「なんで分けたら駄目なの?」という人が多い
・出版社や書店が宣伝しやすい
・芥川賞と直木賞が別れてるから
906名無し物書き@推敲中?:2010/07/24(土) 21:27:03
このスレを読んでいて、いまだに悪文をありがたがるタイプがいることに驚いた。
そうなっている一因は学校での国語教育のせいじゃないかという気がする。
言葉を一般的語法とはズレたニュアンスで無定義に使ったり、
センテンスが長くて統語的に多義的な読みの余地があったりする曖昧な文章は、
ビジネスや学術の分野では排除されつつあり、書き手は軽蔑されるようになっている。
しかし、国語教育においてのみは曖昧な文章がもてはやされている。
一つには、暗号解読の余地のある悪文の方が試験問題を作りやすいからだろうw
入試国語を頂点とする国語教育が、曖昧な表現に対する寛容・偏愛の温床となり、
純文学という権威を成り立たせているんじゃなかろうかw
907名無し物書き@推敲中?:2010/07/24(土) 22:38:22
>>906
国語で曖昧な日本語が持て囃されているはずがないだろう。
お前が国語教育を受けていたのが何年前か知らんが、そんなことはないぞ今は。
908名無し物書き@推敲中?:2010/07/25(日) 13:34:10
国語の授業なんてあんま意味ないよな。
「このとき主人公は何を思ったか?」なんて、作者しか知らねえよ。
それに考えることは人様々。相手の顔をジッと見ながら「腹へったぁ」とか思ってるかもしれん。
答えが一つだけとか、三つとか限定するのが可笑しい。

あんな授業をするなら、良い作品をいっぱい読ませて読書感想文の書き方を教えるべき。
今時の一般人による書評なんて、「面白かったです」みたいな幼稚な感想文ばかりでしょ。
909名無し物書き@推敲中?:2010/07/25(日) 13:42:11
>>908
面白かったです
910名無し物書き@推敲中?:2010/07/25(日) 16:52:18
エンタメか純文学か
そうではなく私はあなたの紡ぐありのままの言葉を聴きたい
この小説はエンタメだな
これは純文学に近い
そんな色分けはありのままの言葉には似合わない
読者にどう判断されるかではない
あなたの透き通った気持ちをそのまま言葉にするなら
それはきっと純文学でもありエンタメでもあるだろう
要はあなたがどれだけ透き通った気持ちでいるかだ
そうである限り
あなたの言葉はジャンルを超越して人々の心を打つことだろう
911898:2010/07/25(日) 18:20:58
>>910
不特定多数のひとに向かって発せられたものだ
ということはわかっています。
でも、わたしに向かって言ってくださったのだと
勝手に思い込むことにします。
書きかけの小説が、どうにも先に進まなかったんですが
あなたのおかげで、無性に書きたくなってきました。

生まれたばかりの新しい風が、吹いてきた。
大きく息を吸い込む。
身体の奥深くにまで、風の息吹きが染み込んでいく。

風は、あなたの文章が生み出してくれたものです。
ありがとうございます。
(創作版の2チャンネルって、不思議な所ですね)
912名無し物書き@推敲中?:2010/07/25(日) 18:25:55
>ビジネスや学術の分野では排除されつつあり

ビジネスや学術分野に合わせて日本語の文章を変えろとかどこまで馬鹿なんだ。
913860=910:2010/07/25(日) 19:09:23
>>911

恐縮です(*^_^*)
私は一応募者にすぎません
898を読んで、明晰な方とお見受けしました
ともに頑張りましょう
914898:2010/07/25(日) 19:28:28
>>913
明晰のはずがありません。錆びついたボンクラです。
わたしは投稿するのを止めました。
ですから今後、作家デビューすることはないと思います。
ただ小説は書き続けます。
910の文章は、コピーして大切にとっておきます。
あなたのご健筆と、作家デビュー後のご活躍をお祈りします。
915名無し物書き@推敲中?:2010/07/25(日) 23:51:28
俺が思う文学って、『彼我の違い』だと思うんだよね。
ところが、今の純文学は『彼我を合わせる』いわゆる
下品なタイプの『空気読め』って意識が強すぎる。

学校教育においても物凄く同様で、人格発展途上の健全な青少年に
セックスはするな規範に沿い行動しろと言いながら、人格障害者の
弁明とも言える、太宰とか、紫式部を読ませてしまう。

そこが致命的に矛盾してるし、私小説なんていうのも、人格障害者の
弁明に終始してると思うんだよね。

簡単な言葉でいえば、ゲスの言い訳。

今の純文学作品って、ゲスの言い訳、言い分に、共感し受け入れろって
作風が多いというか、それしかないと思うんだよね。
916名無し物書き@推敲中?:2010/07/26(月) 00:08:22
ゲスの弁明は、それはそれで存在していいし需要があるのも判るが、
ほとんど定義上、権威とは正反対のジャンルのはずで、
それが権威化してるのは意味不明すぎる。

仮にプロジェクトXみたいな分野が権威になっているとしたら、
個人的な好き嫌いとは別に権威として承認する気にもなるんだが。
917名無し物書き@推敲中?:2010/07/26(月) 00:40:25
>>915
エリートだな。「俺は一次も通れないお前らゲスとは違うんだよ。俺は三次まで通ったんだ」というわけか。
918名無し物書き@推敲中?:2010/07/26(月) 08:36:56
>今の純文学作品って、ゲスの言い訳、言い分に、共感し受け入れろって
>作風が多いというか、それしかないと思うんだよね。

森鴎外とか田山花袋とか、昔から純文学ってのはゲスの言い訳だったよ。
919名無し物書き@推敲中?:2010/07/26(月) 15:10:42
村上春樹の物語も、酷く人格が歪んでるから学校教育では取り上げないで欲しいな。

というか、今って大学生でさえ映画の字幕が読み取れないんだってね。
そっちの方がヤバイ。
920名無し物書き@推敲中?:2010/07/27(火) 18:47:31
いや、それだけ興味が薄いってことだよ。
能力は関係なし。
アメリカ人も字幕が苦手で、すべて英語に吹き替え。
921名無し物書き@推敲中?:2010/07/27(火) 18:51:02
>まあ、「純文学」とか「エンタメ」とか言っている意味はないの
>ではないかと、わたしは考えています。不毛だと思います。

しかし、こういう馬鹿は文学をやる資格はないな。
まあ、読者にとって意味はないかもしれぬが、
作家にその区別がついてないと、まともなものは書けんよ。
922名無し物書き@推敲中?:2010/07/30(金) 02:06:09
お前が書いたものが純文と呼ばれるのかエンタメと呼ばれるのかってだけだろ。
お前の方が馬鹿だよ。
923名無し物書き@推敲中?:2010/07/30(金) 13:02:55
プロはちゃんと書き分けてるよ。
いや、書き分けることができるといったほうがいいか。
ま、だからプロになれるんだろうけどな。
バカはおまえだよ。
924名無し物書き@推敲中?:2010/08/30(月) 10:19:10
芥川賞受賞の「乙女の密告」は純文学じゃないよな?
エンタメだよな?
架空少女マンガのノベライズだよな?
925名無し物書き@推敲中?:2010/08/30(月) 12:11:45
たとえばポップアートとイラスト(マンガの絵)の区別がつかないと、
その差はわからないだろうな。
926名無し物書き@推敲中?:2010/08/30(月) 16:22:10
少なくとも、乙女の密告はマンガ絵だな
927名無し物書き@推敲中?
戦後の「純文学」と呼ばれるジャンルの作品はチンポ出現率高いね。
たいがいのアニメ・漫画よりも低俗だろ。