太宰治で人生棒に振りました

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1名無し物書き@推敲中?
田舎から大学進学で上京。
孤独にさいなまれてる頃、大学の生協の書店でふと手にした太宰治。
その時から、私は一気に転落し始めたのでした。
2名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 11:07:32
2
3名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 11:49:26
だからって糞スレ立てるのはよくないな
4名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 12:13:43
大学の生協に太宰治を置くってのがまず凄いと思う。
5名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 14:52:11
6名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 15:19:28
それで?続くのかな
7名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 15:27:41
いや、終了だろ
8名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 15:29:17
>>4
普通置くよ
どんな低レベルの大学だよw
9名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 15:31:28
>どんな低レベルの大学だよw
10名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 15:33:25
東大卒エリートサラリーマンが嘲笑してるよ
11名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 15:35:54
なにがどうなって太宰で人生転落したのかジックリ聞いてやろう
12我が友M16カスタム:2005/09/15(木) 16:05:58
 太宰って、町の子が読むと、田舎者のたわごととしか読めないんだけどね、
ま、良いじゃない、田舎者同士で共鳴してりゃあ。
13名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 16:17:50
>>12
死ね。死ね!
14名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 16:18:32
>>13
>>12の後ろに立つな!
15名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 16:28:23
引っ込み思案の怠け者。
それでも小、中学時代は優秀だったのです。
高校時代のヘルマン・ヘッセで目覚めた文学熱、実際はこれが人生躓きの一歩
だったかもしれません。
引っ込み思案の怠け者に、進学校の高校の授業は辛かった。
一年の秋、当時の高校生雑誌の文学賞を入賞して、私は早くも中退を決意して
家出し、一週間をほっつき歩いたものです。
あの「車輪の下」のハンスの友人の影響をもろに受けてしまったのでした。
16名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 16:39:48
なるほど
17名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 16:39:58
太宰なんかに価値を見出してる時点で低脳
18名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 17:05:25
(その3)
文学少年と呼ばれたものですが、ほとんど一日中誰とも口をきかない少年でした。
いえ、人と話のできない性格だったのです。
中退したい本当の理由は、対人関係のストレスから逃れ、都会に出てどこか工場に
でも勤めながら、ひっそりと小説でも書いて暮らしたいという思いでした。
しかし、その踏ん切りがつかないまま、再び私は高校へ戻りました。
その日、担任教師は泣かんばかりに喜んでくれたものでした。
19名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 17:29:37
それは作品のせいじゃなく自分でものを考えれない自分の性質のせいじゃないかな。
20名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 17:30:34
もし>>1がバキ読んでたら今頃…
21名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 17:33:27
おまいらほんとに叩くの好きだなw
それでどうなったの?
22名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 17:41:43
>>20
「俺も一時期ハンスの友人みたいに思っている時がありました。」
23名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 18:10:50
(その4)
学校に戻った日、担任と学年主任は私を校長室に案内し、私は校長から
励まされると同時に亀井勝一郎評論集を頂きました。
その中には、ゲーテが自分の弟子たちに施した修行話などが載っていて、
校長が私の立ち直りのヒントを示してくれているのが分かりました。
一年の終わり、私は旺文社主催、文部省後援の文藝コンクールで小説の入賞を
果たし、終業式の日に全校生徒の前で校長から表彰状を授与されたのです。
思えば最高にはれがましい日でした。
24名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 19:29:25
1はいまいくつなんだろう?
25名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 22:09:51
続きは?
26名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 22:35:57
(その5)
二年に進級した直後の新鮮な気分も、また次第に翳り、少し辛いとすぐ無断欠席という
有様で、夏休みに入ると、もうダメだろうという一種の覚悟も自覚していました。
一つには性的な遅れも理由であったかもしれません。
私は女生徒に全く興味がなく、反対に凄く拒否感を抱いていました。
一言で言えば「軽蔑」です。
女子の行動の軽さ、意識の低さ、田舎娘の視野の狭さが嫌で嫌でならないのでした。
私には、女子の肉体すら軽蔑の対象でした。
「ブクブク太りやがって」「でかい尻向けるな」「大根足が」「ちやほやされて気取るな」
「田舎女が」「胸ゆらすな、気持ちわりー」等々、今では信じられないほどの女性蔑視が
あったのです。
もっと、女子に憧れられるような心があれば、このような危機は最初から避け得たのでは
ないかと、今でもふと思うのです。
27名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 22:40:59
自分の生い立ちと比べてみろよ。
28名無し物書き@推敲中?:2005/09/15(木) 22:56:48
なかなかおもろい完結させてね
29名無し物書き@推敲中?:2005/09/16(金) 01:08:49
文才あるよ
30名無し物書き@推敲中?:2005/09/17(土) 20:34:30
(その6)
二学期早々の実力テストの日、私は登校せず映画館にいました。
もちろん例によって無断欠席です。
「我慢しいしい登校するから疲れ、倒れるのだ。嫌なら拒否すればいい」
それが当時の私の持論でした。
そうはいいながらも、もう教師からも見放されたような状況になっていて、
私は再び退学が現実になろうとしているのを、どうする力もなく弱々しく
認識するばかりでした。
ところが、状況は一変したのです。
守護霊というものが本当に存在するのなら、まさにこのようなことを言うのでは
ないでしょうか。
突然、一人の女生徒が目の前に現れたのです。
ヘッセの「デミアン」では、退廃する主人公を蘇らせる不思議な少女が登場しますが、
丁度そのような感覚でした。
31名無し物書き@推敲中?:2005/09/17(土) 20:52:08
英語の授業は成績別のクラス編成になり、隣のクラスとの合同でA,B二つに
別れて行われていました。
私は、まだ中学時代の実力の余力で成績上位のAクラスにいたのですが、Bの
生徒は隣に移動し、逆にAクラスの生徒は私のクラスにやって来るのです。
休憩で教室を出ようとしたとき、たまたま私は隣からこちらに入ろうとした少女と
激しくぶつかってしまいました。
「おや、この子はYという名の女子では?」
半年も同じAクラスで授業を学びながら、私は隣のクラスの子の名前すら覚える
ことがなかったのでした。
この「おや、この子はYという名の女子では?」の心の呟きこそが、私を救った
のです。
彼女は「ごめんなさい」と謝って一歩下がり、じっと俯いていました。
32名無し物書き@推敲中?:2005/09/17(土) 21:09:59
まるで後ろから何者かに押されるように私はこの面長の子に引かれていきました。
しかし、すぐに酷な現実が来ました。
二年後期のクラス編成で、ついに私はBクラスに落ちてしまったのです。
彼女、Yとは別のクラスとなり、悲しさもさることながら、Bクラス移動の屈辱
はもっとつらいことでした。
自業自得とはいえ、私はやっと自分の至らなさに気付き、また彼女には自分の
存在を知ってほしいという強い気持ちも芽生えて立ち直っていきました。
Yによって初めて女生徒に興味を持つようになると、どれもこれも同じ田舎の芋
ばかりと思っていた女子たちにもそれぞれに個性や美があるのが分かるように
なり、急激に学校の生活は楽しいものへと変化していきました。

33名無し物書き@推敲中?:2005/09/17(土) 21:52:53
太宰のその作風は、孤独感のある生い立ちに起因しているとの話を聞いた。
そんな太宰と共感する>>1は、いったいどんな父母を持ち、どんな幼児期をお
くってきたんだい?
思春期の話もいいんだけどそっちの方も気になるよ。
34名無し物書き@推敲中?:2005/09/17(土) 22:24:42
>>33

>>1です。
父親は獣医で、元々は開業医でしたが農協(今はJAと呼称)の畜産課に誘われて
そこに入り、酪農に力を注ぎ、NHKの県農業対策番組に二度出たことがあります。
しかし、出身地がその県の人間ではないため、日本の田舎独特の排他的な仕打ちには
さんざん痛めつけられ、私は兄弟ともども常に疎外感を持って育ったものです。
父は一人息子でした。父の実母は体を壊して家を出されたため、二番目の母に育てられて
います。
私の母親は感情の起伏の大変に激しい女で、夫婦喧嘩を繰りしては私たちをいつも
暗い気持ちに追い込んでいました。
教育に厳しく、その期待のあまり、私は中学は越境入学を強いられました。
田舎の越境入学です、知り合いの友人はただの一人もおらず、また小学校の友人たち
とはそれがきっかけで完全に疎遠となってしまいました。
母親はまたひたすら過保護でしたので、私は着替えすらうまく出来ないような子供でした。
いわゆるマザコンというやつで、何事も母親の意見なしには実行することが覚束ない、
全く不甲斐ない性格でした。
幼児期、小学校のことを語ればきりがありませんが、私たち兄弟は環境もまるで陸の孤島
のような按配でしたから、外の子供たちのように大きくはばたく機会は最初からなかった
ように思います。
35名無し物書き@推敲中?:2005/09/18(日) 10:03:13
うはぁ、きっついなぁ。
でもこれでわかったよ。>>1さんが太宰にハマルのも無理はないし、現状はそ
の親子関係に起因しているとしか思えない。
俺も親子関係でずいぶん苦しんだ口だけど、もうこれは心理学の本を読んだり、
カウンセリングを受けてみたりすることをお勧めするよ。
少なくとも、俺はそうやって自分の人生を取り戻したと思っている。
(語尾が「思っている」になるのがこの問題の難しい所なんだけどね)

あなたの人生はあなたのものなんだから、ちょっとずつでも変えていこうとす
ればおのずと道は開けるさ。がんばれとは言わないけど、あなたに良き理解
者が現れることを祈ってるよ。


あ〜、もしなんなら、このスレに色々と書き込んでみたらいいんじゃない?
なにか新しい変化が起きるかもよ(゚∀゚)
36名無し物書き@推敲中?:2005/09/18(日) 22:05:31
いま>>1
「変化が起きる」などと安易に語る>>36を笑ってるだろな
ぷぷ、く、はは!

いや釣りだよ釣り
どーでもいいがこのスレ面白いな、この後の展開に期待
37名無し物書き@推敲中?:2005/09/18(日) 22:07:16
釣りとか適当に公言しといてよかった
38名無し物書き@推敲中?:2005/09/18(日) 23:26:45
(その7)
丁度Yのクラスには、中学時代の愚友‥とはいってもこの先も交友は続いたのですが‥
がいて、詳しい番地までは知らなくても彼女の住む地区を知っていました。
実は、私は私の入賞した小説が高校生雑誌に掲載された時、高校宛にファンレターが
数通届いたこともあり(いずれも女子からのものでした)、私自身は少し自分を誇る
気持ちはあったのです。また女子からは何度か声もかけられてもいたし、真実はただ
他人と口がきけないだけなのに、孤高の少年のように見られてもいたのです。
それで私の方ではこれまでYを知らなかったが、Yは私を知っているだろうという自惚れ
からラブレターを出すことを決意したのでした。
Yは知れば知るほど美少女で、また非常に明るい性格をしており、その時まだ気づいては
いませんでしたが、所謂女王的な存在なのでした。
39名無し物書き@推敲中?:2005/09/19(月) 10:40:24
ふむふむ
40名無し物書き@推敲中?:2005/09/20(火) 23:34:41
(その8)
「今の自分にとっては、あなたとの交際が最高の支えとなる」

ラブレターの内容を一言で表せばそういうことでしたが、今の自分がどういう状況なのか、
どんな交際を望むのかについては全く触れない、実に一方的なものでした。
ラブレターが届いたと思える翌日であったか、翌々日であったか、私は彼女が彼女の友人と
一緒に手をつないで歩いているところに偶然出くわしました。
彼女の友人が、彼女を軽く突っつき、二人は微笑して足早に去っていきました。
この時、私は心が爆発するような嬉しさを感じ、「やった!」と思ったのです。

話が逸れますが、この直後に起きた超常現象としか考えられない摩訶不思議な
話を紹介します。
午後の体育の授業のことです。
鉄棒の「片手懸垂」をご存知でしょうか?
まずは両手で鉄棒に飛びついて、首から上を棒の上に上げておき、次に片手を
外し、片手だけで垂直に自分の体を支える技です。
無論、片手でぶら下がるのではなく、腕を脇にギュッと密着させたまま垂直に
体を浮かせるわけです。
なんとそれを私は完璧にこなしたのです。
私以外の男子は全て10数秒と持たず鉄棒から脱落したのに、非力な私だけは
平気で空に浮いており、何の苦もなかったのでした。
教師が皆を集めて私を指し「これが見本だ」と言っていました。
私は、続けようと思えば何十分でもその状態でいられたと思いますが、元々が
シャイな性格なので自ら降りたのですが、いかにも不思議な現象でした。
他の生徒たちも皆首を傾げていましたが、この日は体が異常に軽く、通常は
大の苦手の飛び箱ですらスイスイ成功させたのです。
人間の精神と身体の潜在能力は、果てしがないように思えます。
この奇跡をもたらしたのは、紛れもなく彼女のあの微笑だったのです。
41名無し物書き@推敲中?:2005/09/21(水) 00:38:57
もりあがってまいりました!
42名無し物書き@推敲中?:2005/09/21(水) 15:54:54
(その9)
さて、すぐにもYからは返事が来るだろうと確信したものの、二日経っても、三日経っても
返信はありませんでした。
母親に似て、短気、せっかち、その上悲観的といういかにも不幸な性格の私には既に焦りと
敗北感が生じていました。
そのくせ校内では彼女と面と向かい合う勇気はなく、こそこそと隠れ回っていたのですから、
幼いといえば幼い、何のためにラブレター書いたのか意味のない行為でした。
私は、女生徒の盛り上がった乳房や、大きな臀部を見るとすっかり大人びた女性を前にして
いるようで圧倒され、彼女たちとの会話もままならないところがありました。
ファンレターが届き、そこに今後も文通したいという少女もいたのですが、私のやったことは
その手紙を母親に見せて相談するという、ともかくお話にならない遅れようだったのです。
だから、結局交際を始めたにしてもすぐそのような正体は見抜かれ、私は屈辱の中でただもがき
苦しむだけの結果だったろうと思うのです。
もう来ないのかと諦めた彼女の返事は一週間後に届けられました。
43名無し物書き@推敲中?:2005/09/22(木) 08:00:35
ごくり・・・
44名無し物書き@推敲中?:2005/09/22(木) 16:51:28
急げ、急げよ!
45名無し物書き@推敲中?:2005/09/23(金) 02:19:55
…ちょっと、おれ夜食買ってくる。まだ、話さないで!
46名無し物書き@推敲中?:2005/09/23(金) 04:42:15
ワロタ
47名無し物書き@推敲中?:2005/09/23(金) 17:24:30
(その10)
郵便受けに入っていた、一通の白い封筒……。
私は読むまでもなく、それが断りの返事であることを理解していましたので、
嬉しさより、それでも読まなければならない苦痛を先に感じてしまったものです。
良い返事なら、すぐに届いていたはずなのです。
内容は、思った通り、「残念ながら期待に応えられない」、ただ、「小説を書かれた
あなたのことは知っている」という、ごく短い文章でした。

ただ、今、私は思っているのです。
この後、私をとことん悩ませ、翻弄し続けた信じがたいYの行動などを振り返ると、
実はあの私にとって長かった一週間、彼女は彼女なりに真剣に私との交際を考えて
いたのではなかったのかと。
あの時、こそこそ逃げ回らず、むしろ積極的に話しかけていたら、彼女も応じたの
ではないかと。
例え、交際の結果は私の極端な無口、そして見かけと違った幼稚さ、優柔不断などで
失敗に終わったにせよ。
48名無し物書き@推敲中?:2005/09/24(土) 16:11:30
あれま、失敗だったのね
何にせよこれから物語が現代へと回帰してくるものだと思う
まあ頑張ってねー
49名無し物書き@推敲中?:2005/09/24(土) 18:52:32
(その11)
Yとの交際は実りませんでしたが、それでも私はそれまで経験したことのない活気や
日々の楽しさを得ることが出来たのでした。
やっと、青春という言葉の実感を知らされたような気分でした。
私はほとんど毎日、日記に彼女のことを書き、夜中の1時、2時に就寝という生活に
なっていました。
見向きもしなかった教科書にも向かうようになり、退学して放浪に出るしかなさそう
だった二学期始めの荒廃した気持ちからはすっかり抜け出せていたのです。
Yは、なぜか毎日私の側に姿を見せては私の心を益々高鳴らせるのでした。
ほとんど用もないのに私のクラスに入ってきて、ある時は私の前に立ち、ある時は
廊下の私の視線の先にいて美しい顔を見せる。
ある日、それは芸術の授業でしたが、私の選択していた美術室前で入室を待っていた
ところ、私の右腕がなにか柔らかい感触を覚えたのです。
ふと横を見ると、なんとそれは彼女の胸だったのです。
彼女は気づかない間に私の横に来て、私の肘に胸を寄せたのでした。
唖然とする私を置いて、彼女はサッと姿を消しました。
これは特別な例ではありましたが、こんな感じで私と彼女は「会話のない対話」を長く
続けていくことになったのです。
50名無し物書き@推敲中?:2005/09/24(土) 22:22:48
チャイコルフスキー(間奏)
51名無し物書き@推敲中?:2005/10/06(木) 21:49:38
1さんは女性ですよね?
52名無し物書き@推敲中?:2005/10/07(金) 14:24:33
 私は生まれも育ちも都会人なので、中村うさぎしか読みません、人畜無害です。
53名無し物書き@推敲中?:2005/10/08(土) 01:58:42
間奏長いなあ。またせやがってなあ〜〜
54名無し物書き@推敲中?:2005/10/10(月) 19:12:18
1まだぁ〜
55名無し物書き@推敲中?:2005/10/10(月) 23:05:16
今特別ドラマの「太宰治物語」観たんですけど、なんだかそそられるものがありました。最初暇つぶしに何気なく観てたけど段々と太宰治ワールドに惹かれていきました。このスレもおもしろいですね。
56名無し物書き@推敲中?:2005/10/10(月) 23:19:59
>>1すらも小説の一部。フィクションでお送りしています。
57名無し物書き@推敲中?:2005/10/11(火) 03:27:34
つい面白くてはまってしまった。
続きまだー?
58名無し物書き@推敲中?:2005/10/11(火) 17:08:23
ていうかもうそれで小説書いて賞とってくれ!
59名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 09:48:03
(その12)
ラブレターで、私との交際を断ったはずのYの理解しがたい行動……。
しかし、それも今思えば、あの頃まだ彼女自身も成長の真っ只中にあって、例え自分が振った
男子であれ、自分に恋を告白した特別な異性がいるという現実に揺れ、またときめく複雑な
感情をうまく制御できなかったのではないかと考えるのです。
彼女は何かを語りかけてほしかったのか?
第二章のようなものがあってもいいと感じていたのか?
とはいえ、交際に限らず、断られた以上は潔く身を引くというのが私の、それは今でも変わら
ない信条であって、私には彼女に再び想いを告げる選択はなかったのです。
彼女の行為はエスカレートし、私の真ん前で他の男子とのあからさまな談笑を見せつけたり、
肩をくっつけてヒソヒソ話をしたりして苦しめたのです。
その度に逆にますます私の恋愛感情は募り、熱く、そして悲しい日々は続いたのでした。
つらくて、悲しい日々、けれども正直にいうと甘い心の張りもあった、それが私の体験した
初めての恋だったのです。
60名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 09:51:45
続きキター!
61名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 10:07:28
作り話臭がプンプンする。
62名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 10:34:21
(その13)
県でも有数の歴史と伝統のある高校でしたので、今でもやってるのではないかと思うのですが、
私の高校では三学期の一番寒い時期に、学校林作業というのがありました。
いうなればボランティア精神とレクレーション活動を一体化させたような行事で、学校から
遠く離れた学校所有の林の手入れに歩いて行くのです。
この日の、ある記憶は終生忘れることのないものとなりました。
作業が終わり、作業担当の教師の講評が続いている時、愚友が私の側に来て「おい、Yが君を
見ているよ」と囁きました。
Yが私を誘うように私に視線を送ったり、意味もなく私の前に立ったりするのは既に普通のことに
なっていましたので、嬉しくはあっても、特段それが交際できる保証でもなかったのですから、
それは本当に黙ってやりすごすしかなかったのです。
私は彼女に年賀状を出し、彼女からは毛筆の奇麗なそのお返し年賀状も届いていました。
けれども、私にはもう一度踏み込むことは出来なかったのです。
作業の帰りは愚友と一緒に歩いたのですが、この途中にYの出身中学がありました。
私は愚友と二人で校門をくぐりました。


63名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 18:03:24
文才あるなぁ
うらやますぃ
64名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 21:01:02
スレタイにワラタ
65名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 21:38:06
どきどき・・・
66名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 21:47:44
ネタだな
67名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 23:46:36
ネタで結構
68名無し物書き@推敲中?:2005/10/12(水) 23:55:57
早くつづきを!
69名無し物書き@推敲中?:2005/10/13(木) 00:23:44
下手くそ。

気の利いた文芸サークルだったら、文学おぼえたての中学生がかいたようなこんなはずかしい文章存在できない。
ことばの上すべり。
70名無し物書き@推敲中?:2005/10/13(木) 00:29:30
じゃ、おまえ書いて。
71名無し物書き@推敲中?:2005/10/13(木) 04:51:29
自分は「長い梗概」だと捉えて読んでるよ。
文体意識をより明確に持って地の文を磨き込めば
言葉は上滑りしないんじゃないかなあ。
レシピは出来上がってそうな感じだから
あとは素材にどれだけ拘れるかが大切なんだと思う。
72名無し物書き@推敲中?:2005/10/14(金) 15:01:29
 わいの人生、勝ち負けで言うたら、勝ちの人生じゃけぇ、太宰にゃあ共感できんのお
家は地主やし、ガッコは甲南で、身長182センチ、体重92キロ、チンポはアラブの王族
なみじゃけんよー。
73名無し物書き@推敲中?:2005/10/14(金) 15:31:57
>>72
今日はグループで?
74名無し物書き@推敲中?:2005/10/15(土) 01:55:14
マジレスで賞に出したらいけそうな気ガス・・・
読者に女の子のイメージを自然に抱かせる才はかなりのものだと思った
主観性とも客観性ともとれぬバランスの良さもこのストーリーにぴったりだし
75名無し物書き@推敲中?:2005/10/15(土) 18:19:55
(その14)
校門をくぐり両脇の植栽に挟まれた道を少し歩くとすぐグランドになっており、
正面には小山を背景にした二階建ての校舎がありました。
田舎の小学校かと思うぐらい狭い、小さな中学校でした。
ここから峠を一つ越えれば市街地なのですが、この辺りはまだ集落の分散した
場所で、人口も少なかったのでしょう。
私は一人で校舎の裏に回り、ゆっくりと教室を窓越しに見て歩きました。
学校林作業のこの日は、土曜だったのか、日曜であったのか、ともかく
教室には誰一人おらず、物音一つ聞こえてこないのでした。
教室は小山の影を受けて暗く見えていました。
枯れた花壇を後ろにしながら、この時、私は突然激しい感動を覚えたのです。
それは、一言で言い表せば荘厳なとでも呼びたいほど重く、強い衝撃でした。
ここでYは3年間学び、ここから巣立っていった。
この校舎の隅々に、まだYの命が息づいている。
俺は、あいつの心の中にある思い出の場所をこうやって同じく共有するのだと、
私はまるで彼女を愛撫するかのように校舎の一隅に両手を這わせ、頭をくっつけ
ながら、どうしようもない愛情の深さを思い知るしかなかったのでした。

帰り道、私は予期せぬ、あまりの感動のせいで黙りこくっていました。
愚友も私の性分をよく知っていて、あれこれと話しかけることもありませんでした。
76名無し物書き@推敲中?:2005/10/15(土) 19:21:13
ふむ
77名無し物書き@推敲中?:2005/10/15(土) 23:09:33
これはすごい
78名無し物書き@推敲中?:2005/10/16(日) 01:57:36
>>1
話がちょっと停滞してきたね。
一つの解決方法として、一度時間をうんと進めるといい。

現実の生活の中に主人公を晒す必要がある。
就職して結婚して人生の終わりが見えてきたところで、
またYを出したどうだろうか。どう出すのかは、
きみならきっと素晴らしい方法を見つけるだろうから書かないけど……
79名無し物書き@推敲中?:2005/10/16(日) 05:44:50
おれはこの独白っぽさが好きなんだな〜。
まあ、1のやりたいようにしてほしいw
80名無し物書き@推敲中?:2005/10/16(日) 19:12:21
>>79
まあその通りだ。1の続きに期待しよう。
81名無し物書き@推敲中?:2005/10/17(月) 18:53:07
(その15)
半年前には、高校中退という脱落の道しか考えられなかった幼い、怠惰な文学少年が、
今はたった一人の少女の出現で激しい愛に取り憑かれている……。
意地悪しながらも、華やかで、蠱惑的なY……しかし、このような少女なればこそ、
ともすれば最初の大きな人生の躓きとなりかねなかった私の青春を救済してくれたのです。
その意味でも、私には今でもYは女神以外の存在ではないのです。

三年になると進学別に文系、理系のクラス分けとなりました。
そして私はついにYと同じクラスになったのでした。
では飛び上がるほどに嬉しかったかといえば、実はそうでもなく、この時の感情もまた
自分ではよく分からないのです。
ああ、とうとう一緒になっちまったのか……みたいな、どちらかといえばそれはニヒルな
感じでした。
裏を返せば歓喜の照れ隠しだったのか、あるいは同じクラスになることによって、これまでは
覚られなかった実際の自分の偏屈さや、気弱さ、間抜けさが見抜かれるのではないかという
恐れを抱いたのかもしれません。
まだ春休みの途中で、午後、私は蓄膿の手術で入院していた愚友Nを病院に訪ね、私がYと同じ
クラスになったことを報告しました。
私はむしろこのNと一緒になれた方が嬉しく感じただろうと思うのですが、それはNも同じで、
3年続いて隣のクラスになってしまった不運に、Nはこれは学校の陰謀だなどと叫んでいたものです。

82名無し物書き@推敲中?:2005/10/19(水) 14:58:01
(その16)
私とYが文系の同じクラスとなって、忘れられない出来事がすぐ起こりました。
一つはクラス委員選挙です。
男子は男子のみに、女子は女子のみをこの人をと決めて2名記名投票するのですが、驚いたのは
私に5人の投票があったことでした。
後にその一人が誰であったかは判明したのですが、残りの4人については今も不明です。
ただ、このことでいかに私がYの前で救われたか。
Yにもかなり支持票がありましたが、正副委員にはなれませんでした。
もう一つはホームルームの討議による「恋」というテーマでした。
初恋やら、失恋やらの子供じみた討論の最中、突然Yが立ち上がり「片想いについても語りたいです」と
発言したのです。
それは、明らかに私を標的にしたものでした。
私は、間髪を入れず「片想いこそ本当の恋なんだ」と返しました。
この時、なぜかクラスはどっと沸き、笑いとため息、歓声がしばらく絶えませんでした。
私は、Yの意地悪を小憎らしく感じながらも、このような間接的な会話を必ずしも不愉快と思ったわけでは
ありませんでした。



83名無し物書き@推敲中?:2005/10/24(月) 11:34:23
なんか懐かしい匂い。青い春ですな。がんがれ1
84名無し物書き@推敲中?:2005/10/26(水) 15:08:45
>>1
おいくつですか?
85名無し物書き@推敲中?:2005/10/26(水) 15:10:12
>>84
5才でちゅ。
86名無し物書き@推敲中?:2005/10/29(土) 23:36:49
ワクテカ
87名無し物書き@推敲中?:2005/11/01(火) 21:26:12
久しぶりに覗きに来たけど、10日以上音沙汰なしか…続き期待してます。
88湯豆腐:2005/11/02(水) 00:25:43
>1
スレタイがいいね
89名無し物書き@推敲中?:2005/11/03(木) 07:05:49
>>88糞スレageるなよ
90名無し物書き@推敲中?:2005/11/03(木) 07:12:54
なんでそんなん言うん?
91名無し物書き@推敲中?:2005/11/03(木) 10:49:55
全部糞スレなんだしageてもいいじゃん
92名無し物書き@推敲中?:2005/11/05(土) 19:46:16
(その17)
Yと同じクラスになったことが良かったのか悪かったのか、今でも判断は出来ません。
Yが罪作りだったのは、常に私を意識した素振りを匂わせ、実は彼女自身もいつか私のことを
好きになってしまったのではないかという思いに導いてしまうことでした。
私は膠着した恋心に何か変化をもたらしたいのと、本気で愛していることを告白したい衝動に
勝てず、丁度私の心のように湿って、鬱屈した梅雨の到来に合わせ、150枚からなる「梅雨の心」という
タイトルの創作を送ったのです。
およそ100枚の「男奮戦記」というユーモア小説と、徹底した美文調の随筆数篇でした。
毎日、ともかくもペンを持って原稿用紙に何かを書き込まないでは生きていられなかったあの頃、
150枚の原稿などは3日もあれば出来上がったのです。
「男奮戦記」は、ぶざまな主人公のとんでもないお笑い話なのですが、自分を自虐的に叩きのめし、
それを愉快に表すことには痛快な解放感がありました。
随筆は、あくまで甘く、キザに徹しました。
といって、これで彼女の心を掴もうという気はほとんどなく、むしろこれで自分は突き放される
だろうという思いを持っていました。
私にはもういいかげんYから自由になりたがっていた面もあったのです。
そして随筆には、そういう気持ちも綴ってはいたのです。
ですが、文章が届いたであろうその翌日、私がクラスに入るなり、Yはなんとも大胆に私の目の前に
来てお出迎えするのでした。
私の真ん前で、友人でもない女子に猛烈な明るさを持って話しかけ、私はいつものようにその美しさに
圧倒されながらYに釘付けとなってしまったのです。
「梅雨の心」は、一時の解放感に終わり、私たちには何の進展もありませんでした。
周囲は、いよいよ受験対策に本腰を入れ始めていましたが、私はいつまでもまだこのようにグズグズと
埒のあかない日々を送っていたのです。
93名無し物書き@推敲中?:2005/11/10(木) 06:20:27
おまえ、天才
94名無し物書き@推敲中?:2005/11/14(月) 15:22:46
それでそれで
95名無し物書き@推敲中?:2005/11/16(水) 11:20:18
その頃、芥川龍之介が「人は恋に陥ると、恋する人に似た顔の人をすぐに探し出せる、
それが恋の証拠である」みたいなことを言っていると知りました。
なるほど、非常に合点のいく言葉だと思います。
いつからか、私はYにとてもよく似た一人の女性徒を校内や町中で頻繁に見かけるように
なっていました。
姿、恰好から髪型まで、まるで姉妹かと思わせるほどの女子でしたが、一体誰なのか、
ともかう出会う機会が急に増えたので不思議な気がしていました。
実はこれまでも会ってはいたのが、まさに芥川の言葉のように、Yへの想いが本物になった
ことで、初めてYに似ている彼女の存在に気付いたということだったのでしょうか。
あまりに度々出会うので、私の好奇心はYのみならず彼女に対しても向けられるようになって
いきました。
そして、いとも簡単に彼女が誰で、どんな生徒であるのかが分かったのです。
96名無し物書き@推敲中?:2005/11/16(水) 13:04:32
今日はじめて見たけど、続きを頼む。
97名無し物書き@推敲中?:2005/11/16(水) 14:01:52
>>1面白い。続きキボン
98名無し物書き@推敲中?:2005/11/16(水) 16:26:58
まじ1すごいよ
99名無し物書き@推敲中?:2005/11/19(土) 08:59:44
続き、まだですか?
100名無し物書き@推敲中?:2005/11/20(日) 18:56:11
たまに引っかかるところが一つ二つないでもないけど…

なかなか。
101名無し物書き@推敲中?:2005/11/20(日) 22:28:25
いい!
102名無し物書き@推敲中?:2005/11/25(金) 20:35:13
続きまだ〜?
103名無し物書き@推敲中?:2005/11/29(火) 00:23:35
>>1です。
何名の皆さんかでも、続きを待たれていることに常々感謝しております。
ほとんど即興で書き込みます。
早く続けたいのは山々なのですが、会社命令で仕事に追われる真っ最中のため、
ここしばらく落ち着けない状態でした。
来週からは時間が取れますので、一気に書き込みしたいと思っています。
会社命令などと書くと、いかにも会社の中枢にでもいるように受け取られるかも
しれませんが、そのようなものになれる性格があったら、太宰などで人生を失敗する
ことはなかったでしょう。
会社の最末端で喘ぎながらも、私は生きていかねばなりません。
太宰によって人生観に大きなダメージを受けたことは事実ですが、私は決して自殺を
考えたことはありません。
弱くても、人は生きてこその存在だと確信しています。
104名無し物書き@推敲中?:2005/11/29(火) 02:34:38
>>103
おおっ、期待して待ってるぞ。
オレも窓際という意味では同類だが、君にはオレに無い素晴らしい文才がある。
天才と言っていいレベルだと思う。
持ち込みでもやればすぐにでもデビューできそうな感じだが、
もしかしてあえてやらないのかな?

> 弱くても、人は生きてこその存在だと確信しています。
まったくだ。つらくても苦しくても、命あるものとして生きることは続けようと思う。
105名無し物書き@推敲中?:2005/11/29(火) 18:36:31
1のような文章を書きたいのに書けない・・・
これが才能ってやつなのか・・・
106名無し物書き@推敲中?:2005/12/04(日) 14:54:02
すごいなぁ。Yも魅力的だし主人公(つか1?)にも感情移入してしまう。
これが文才っていうやつか…
続き待ってます。
107名無し物書き@推敲中?:2005/12/08(木) 16:43:45
(その19)
実りのない、喘ぐようなYへの想いとは別に、私の交友関係は急な広がりを見せ始めていました。
N以外に話せる友のなかった私に、K、Sという新たな友人ができ、さらにSを通して数人の知り合いを
得たのです。
Kとは、単に名簿順に当たる日直を一緒にやったことが縁で付き合うようになりました。
Kはがっちりとした体格をしていましたが、非常に大人しい性格で、全く存在感のない男でした。
このKが初めて私の家を訪ね、泊まっていった日、両親は心底安心し、喜んでいました。
両親には、この新しい友人の出現は、やっと私の心の安定の証拠に思えたのです。
さて、KをNに紹介するにあたっては、思いもかけず滑稽な場面が展開されました。
私は自転車通学していたKを自転車置場に待たせ、Nを連れていって紹介したのです。
この時、二人は物凄く白けた表情をし「なんだ、君か」とお互いにソッポを向き合い、数分後には
なにやら皮肉合戦を始めていました。
Nには姉が二人いたのですが、Kは「どんな姉さん? ま、君を見てれば大概見当はつくけどね」と
笑い飛ばすと、NはNで執拗に私の知らない体育授業での出来事でKを笑い返していました。
実は二人は、1、2年とも体育の授業を一緒に受けていた顔見知りで、共に運動神経の鈍さと、長距離の
遅さを争っていたようなのです。
108名無し物書き@推敲中?:2005/12/08(木) 18:00:56
その(20)
Sは小柄でしたが、学校の行事の一つである校内長距離大会(1、2年の男女全員参加、男子12キロ、女子7.5キロ)
で1年の時に優勝したことがあり、陸上では中学時代から少し知られた存在だったようです。
が、繊細で、どこか学校を含めて、世間に反抗的な性格をしており、彼が言うのには、私の書いた反抗的な小説が
雑誌に掲載された時から私に憧れていたらしいのです。
クラス委員の選挙で私に入った5票のうちの1票は彼の投票によるものだったことも分かりました。
私たち4人はよく遅くまでクラスに残って政治的な話題、芸術的な話題で花を咲かせたものです。
話についていけないKが途中で孤立して消えたりなど、最初は多少のゴタゴタもありましたが、そのうち皆どこか反抗
的な性質をしており、また似たような母親を持っていることに驚いたものでした。
さらにもう一つ共通することがあったのです。
2年の時、私のクラスにいたFという男子が自殺し、私のクラスの生徒たちは学校が手配したバスで葬儀に向かったので
すが、この時に私のクラス以外から数人、バイクなり、自転車でF家を訪ねてきた者がありました。
その時は気付きませんでしたが、その数人の中にK、Sがいたのです。
KとSは直接の面識はなかったのですが、共にFの友人だったわけです。
こういう偶然性が、なんとなく私には私たちの運命かとも思えてなりませんでした。
そして、私が頻繁に出会うようになったYによく似た少女のことを、なんとKは知っていたのです。


109名無し物書き@推敲中?:2005/12/08(木) 23:35:38
「太宰男」で映画化決定!!
110名無し物書き@推敲中?:2005/12/16(金) 23:54:58
期待age
111名無し物書き@推敲中?:2005/12/16(金) 23:56:14
栗本薫で人生棒に振りました。

112名無し物書き@推敲中?:2005/12/17(土) 01:36:28
おいおい言い過ぎたぞ
113名無し物書き@推敲中?:2005/12/17(土) 16:02:13
(その21)
人は誰でも恋をし、誰もが同じような苦しみを味わうことでしょう。
たとえ成就する恋でも、その過程には複雑な悩みがつきまとうものです。
だからこそ人は、人の恋の苦しみを理解できる。
ただし、理解はできても、決して人の心の痛みや傷までを共に味わうわけではありません。

私はNにもKにもYへの恋心を正直に告白してはいましたが、どれだけそれが深い愛情に満ち、
その分深い苦しみが伴っているかまでを話したことはありませんでした。
話しても通じるものでないことがよく分かっていましたし、本心を本気でさらすまでの勇気が
なかったのです。
同時に、全てを打ち明けることが恋の次元を貶め、Yに対しても裏切りを働くかのような気持ちが
あったのです。
ただ、一度だけこういうことがありました。
下校中のことです、私と自転車に乗ったKが並んで歩いている前をちょうどYが一人で歩いていました。
そのうち私たちに気付いたYは、急に立ち止まり、歩道脇の低いコンクリート塀の上にカバンを置き、
なにやらソワソワと中を調べ始めたのです。
いかにも何か忘れ物を調べているという様子でしたが、このようなことは常に私が体験してきている
ことなので、ただ嬉しく私はその彼女の姿を見ていました。
この時、ふとKが呟いたのです。
「彼女、すっかり君を信頼しているね」
この言葉が、どれだけ私を喜ばせ、また明日を含む未来に向かって希望を抱かせたことだったか。
Yは私たちがほとんど彼女の位置に近づいた時にバタバタとカバンを閉じ、早足で去っていきました。
Kは、私とYの関係ともいえない妙な関係を知ってはいたのです。
114名無し物書き@推敲中?:2005/12/17(土) 16:59:44
(その22)
関係ともいえない妙な関係……どうにも切り開きのできない不自由で、もどかしい恋心。
その苛立ちが極まった感情の末に書き上げたのが「梅雨の心」で、私はYへの想いを自ら破壊
にかかり、Yからの破壊にもまたある種期待したのです。
Yよ、もう俺に構わないでくれ、愛嬌を見せないでくれ、嫌って、軽蔑して踏みつけてくれ!
それは苦しさに耐えられない私の別の本音でもあったのです。
その頃に現れたYによく似た女生徒、彼女は一体誰なのか?
ある日、私はKに全く何気なくその女生徒の話をし、機会があれば交際を申し込もうと思ってる
のだと話しました。
Kはそれほどの少女ならぜひ一度自分も会ってみたいものだと応じていたのですが、意外に早く
その機会は訪れたのです。
Kはその少女を一目見るなり、凍ったように動かず、懸命に何かを思い出そうとしていました。
「おい、俺はあの子、知ってるよ」
私は驚き、焦ったような顔でなお記憶を辿ろうとしているKを見つめました。
「あれは、Mだ、MTっていうんだ、小学校で同級生だった」
「ホントか?」
私は、さあ俺はやるぞ、あの子に交際を申し込む、振られても構わない、俺はやる、
私はMTにYとの辛い想いからの脱出を賭けるつもりでした。
115名無し物書き@推敲中?:2005/12/17(土) 17:27:11
+   +
  ∧_∧  +
 (0゜・∀・)   ワクワクテカテカ
 (0゜∪ ∪ +        
 と__)__) +
116名無し物書き@推敲中?:2005/12/17(土) 20:16:44
上の方で誰かも指摘していたけれど、素人目に見ても確かに時々気になるところがある。
でもそれを補って余りある魅力を感じるよ。是非最後まで書ききって欲しい。


ところで疑問なんだが、>>1とこの一連の物語の筆者は本当に同一なのか?
俺はどうも違和感を感じるよ。明確な根拠はないしここで不確かな理由を並べ立てることはしないが、
そこのところを是非聞いておきたい。

117名無し物書き@推敲中?:2005/12/18(日) 02:51:23
ゴミだめに天才現る
118名無し物書き@推敲中?:2005/12/20(火) 14:10:33
>>116

>>1です。
ご指摘ありがとうございます。
時々気になるところがあるそうですが、なにぶん高校時代の記憶で、しかも即興の
書き込みに終始してますので、あるいは部分的にほころびがあればお詫びします。
ただ、記憶には忠実な姿勢を通しています。
また、>>1と私は同一かとのご質問ですが、>>1は私自身です。
違和感の原因は、前にどなたかの「長い梗概」という発言がありましたが、まさに
高校時代については梗概程度の気持ちで書き始めたからだと思います。
ただ高校時代を綴るうちに、非常にこの時代が自分に重要であったことに気付いた
ような気がしています。

119名無し物書き@推敲中?:2005/12/20(火) 15:42:05
(その23)
MTは理系クラスの女生徒であることが分かりました。
また彼女はクラス委員を務めていました。
私の高校では「週番制度」というものがあって、これはいわば風紀、秩序の取り締まりを
行うもので、各クラス委員がローテーションを組んで校内を巡回するのです。
週番は腕に赤い腕章を巻いていましたので、すぐに識別できました。
私は以前、MTがその腕章を巻いているのを見たことがあったのです。
理系クラスのクラス委員といえば、普通には臆するところではないのかと思うのですが、
私にはほとんど気になりませんでした。
Yに対してはどこまでも意気地がなく、ただの打ちしおれた弱気男が、他の女子には勇気を
持って声をかける……このような二面性の発露も、やはり恋の状況下ならではのことだった
のだと思います。
しかし、私に本当にMTとの交際が現実になったとして、その先をどう考えていたのかは全く
記憶がないのです。
きっかけそのもがYによく似ていたこと、恋の苦痛からの逃避でしたから、冷静に振り返れば
ただの自己中心的発想でしかないのですが、MTへの好奇心はかなり働いていました。
どんな声をしていて、どんな表情で応対してくれるのだろうか、あるいは応対をしないのか?
ただYと違って、MTの場合はKと同じ小学校の出身で、しかもハッキリとはしないが何回か
Kの家に遊びに来たこともあったという点で、どこか安心できるところがありました。

120名無し物書き@推敲中?:2005/12/23(金) 19:18:07
(その24)
無謀といえば、今にして思えばかなり無謀だったというべきかもしれません。
私がMTに声をかけ、交際の申し込みをしたのは彼女の週番の時でした。
私は週番の巡回ルートを知っていたわけではないのですが、以前昼食後の休憩時間にMTが腕章を
巻いて物理室の前を歩いていたのを見ていましたから、その近辺で待っていればおおよそ会える
だろうという見当をつけ、前日には遠くからKと一緒にMTがそこを通るのを確認してもいました。
楽しみよりは不安の方が募っていったのですが、Kの手前もあって逃げるわけにはいかない立場に
なったのです。
ただひとつ嫌な感じがしたのは、私がどうか別の場所に行っててくれとお願いしたにも拘わらず、
Kがしきりと私の周辺をうろついていることでした。
神経質で小心な私は、やたらと周りの目が気にかかるほうで、昔から肝心なところで力を発揮
できずに失敗することが多かったのです。
私は物理室裏の花壇の前で話ができたらといいと思いながら胸を高鳴らせてMTを待ちました。
この日、思いもよらず、MTは別の女子と二人で私の前に姿を現しました。
一瞬ひるんだ私の目に、なぜかこの二人の背後を身体を折り曲げてどこかへ走りだすKの姿が
印象深く入り込んできました。
私はMTら二人の前に歩み寄り、MTに向かって声をかけました。
「すみません、ちょっといいでしょうか?」
「はい」
私にはすごく意外だったのですが、MTには微塵の驚きも動揺も感じられず、自然体そのものでした。
MTがもう一人の大柄な女子の顔を見ると、大柄な子は「うんうん」と頷きながら今来た方向へ消えて
いきました。
121名無し物書き@推敲中?:2005/12/25(日) 00:38:06
すごい惹きつけられる。こういうのを文才があるって言うのだな。
122名無し物書き@推敲中?:2006/01/04(水) 13:40:20
私は花壇に向かって歩き始めました。
なにげなく振り返ると、MTはやや俯きかげんに視線を落としながらも、落ち着いた様子で
私の後ろを着いてきていました。
その時には考えもしなかったことですが、あの落ち着き方を思うと、MTはそれまでも何度か
これと同じような経験をしていたのかもしれません。
渡り廊下からまさに花壇の庭に出ようとした時でした、運の悪いことに、ちょうど花壇の
手入れを終えた各クラスの花壇委員の女生徒たちがゾロゾロと引き上げる場面に遭遇して
しまったのです。
私たちは彼女たちを避けるために、仕方なく物理室前廊下に上る踏み段に上って並びました。
手袋した手に如雨露や小スコップを持った彼女たちはすぐに私たちに気付き、それまでの
笑顔や大きな話し声を止め、ある者は好奇あふれる眼で私たちを交互に見つめ、ある者は
気を利かしたように先を行く生徒の背を突付いて急ぐよう促していました。
その中には、私のよく知った顔もあって、なぜか意味もなく強い視線を交わしたりもしたのです。
この、こうるさい一団が去って急激な静けさが私たちを覆った時、私はいきなりその場で
MTに話しかけました。
「僕と付き合ってくれませんか?」
私自身、これは全く予定外の行動でした。
花壇の前で自己紹介とともに交際を申し込むという、元々ぼんやりした計画ではあったものの、
それすら端折ってしまったのです。
MTは、異国人のような薄い茶色の瞳でただじっと私の顔を見ていました。
何かを訴えかける寸前のような、あるいは一瞬で私の言葉の意味の全てを理解してしまおうと
するかのようなような強い視線でした。
彼女はどこかで私を疑っていたのかもしれません。
自分はバカにされかけているのではないか、笑い話の種にされかかっているのではないのか、と。
123名無し物書き@推敲中?:2006/01/04(水) 17:51:32
(その26)
私は、なぜあんな中途半端な場所で、しかも突然無粋な申し込みをしてしまったのか……。
結局のところ、相変わらず私は性急で小心な内気者以外のなにものでもなかったとしかいいようが
ありません。
思いもよらず、花壇委員たちがザワザワと目の前に現れて、見た目の冷静さとは裏腹に慌てて
しまったのだろうと思うのです。
MTは返答に窮していました。
断じて拒否という表情ではなく、私の心を量りかねつつ、また断るにせよなんにせよ、やはり初めて
会った男に突然「付き合ってくれませんか?」と言われてもそれにはそれなりの時間は必要だったでしょう。
しかし、私はさらに馬鹿げた追い討ちをかけたのです。
「付き合う気持ち……、ない?」
私たちはこの時一所懸命見つめ合っていたのです。
MTは初めて言葉を発しました。
「ないっていえば……、ないね」
サラッとして嫌味のない、むしろ爽やかな空気を想起させるような口調でした。
私は長い間、この「ないっていえば……、ないね」というMTの言葉を何度も何度も繰り返し思い出しては
「あるっていえば……、ある?」と、実際は発しなかった自分の言葉を密かに被せてみたのでした。
私は生まれつき人一倍消極的な人間であり、弱気な性質をしていました。
このような大事な時ですら、いや大事であれば大事な時ほど私はいつも自棄気味に自ら敗北を選択して
しまうのです。
わざわざ相手を容易に拒否させる方向に誘導し、諦めも早い。
一体、どこまで自分が本気なのか、我ながら呆れるほどの煮え切らなさなのでした。
このような未熟さは、この先もずっとずっと青春について回ることとなります。
「じゃあ。どうも、すみません」
私は実にあっさりMTと別れ、教室に引き返しました。
異様な興奮は、この後にドッと押し寄せてきたのでした。
124名無し物書き@推敲中?:2006/01/05(木) 20:07:47
age

125名無し物書き@推敲中?:2006/01/06(金) 19:43:06
フシハラはもう終わりだな。
人間として。
同情の余地無し。
126名無し物書き@推敲中?:2006/01/07(土) 00:13:15
127名無し物書き@推敲中?:2006/01/07(土) 16:30:03
           , -'"´  ̄`丶、_
           ,.∩         `ヽ
         〃∪'´ ̄`二二人\  ヽ
         | ツ´ ̄ ̄ ̄ ̄´ ヾ ヽ. ',
         |ハ ,ニ、   ,. - 、 | | | l |
         | ハ ィハ     ,二ヽ. | | | | | 同じ板にコピペするとそのままだけど、
         | | | じ'   |トJ〉  /)} l | 違う板にコピペすると鬼のような怖い顔
         | ハ  、'_,   ̄,, 厶イ川| に変わる摩訶不思議な佳子様コピペ。
         l l /\    .. イV\川 |
         ,' l l ,イ `l ̄´ /   /ヽl l
         l | l ハ  `メ、    〃  ヽヽ、__ノ
128名無し物書き@推敲中?:2006/01/08(日) 01:15:17
>>1は何歳なの??すごく気になる…
あと、これだけの才能を世に出さず埋没させることは罪!!
129名無し物書き@推敲中?:2006/01/08(日) 03:34:20
面白い。一気に読んでしまった
130名無し物書き@推敲中?:2006/01/12(木) 23:37:41
>>1
暇のあるときにでも続きキボンヌ
131名無し物書き@推敲中?:2006/01/13(金) 14:26:57
(その27)
あっさりMTから引き下がった割りには、教室に戻ったあたりから私の感情は急激に
昂揚していきました。
それは一種、達成感に似た高ぶりでした。
不思議な魅力で、私の胸を好奇心いっぱいに覆っていた少女と、情けないほど短い
時間ではあったが、ともかくも話ができた、正面から見つめ合い、ややハスキーな
声も聞いた。
私という存在に、あの少女は僅かながらでも触れ、知ってはくれた。
そして、本当に行動できるのかという自分自身の迷いを見事に自分は振り切った。
それらの感情が、断られたという現実など吹き飛ばすほどに強烈に沸き踊ったのです。

さて、偶然だったのですが、その日の午後一番の授業が物理でした。
私はたった今MTに話しかけるために出向き、そして戻った通路をまた辿ったのです。
既に結果の出た通路を、また辿ったのです。
物理の授業では男女が同じ机に並びました。
男女とも名簿順に前の席から縦に着席するので、私のすぐ前にはいつもKの大きな
背中がありました。
どこでどうしていたのか、既にKは着席していました。
授業が始まるや私はすぐにノートを開き、今の私とMTのやりとりや私自身の感情を
一心不乱に書き始めました。
当時、私には書くことは呼吸することと同じで、連日どこからともなく沸いてくる
青春や人生のへ様々な想い、苦しみや疑問の数々を書き並べていたものです。
並外れて内面的な私には、自分のとった行動でもペンで書き込んで初めて現実味を
持って受け入れられるみたいなところがあり、MTのことも勿論そうだったのです。
一気に書き終えた私はそっとKの背を突付いてそのノートを渡しました。

132名無し物書き@推敲中?:2006/01/13(金) 16:14:49
でも確かに、漫画、アニメ、小説、ドラマ等の影響で人生棒にふるってあることだ
よね。
133名無し物書き@推敲中?:2006/01/13(金) 18:03:21
(その28)
私はよく人の運命について考えることがあります。
人は必ずしも自分の意思で行動するのでなく、逆に意思に反した行動もとるのです。
そしてこの予定外の行為が、ある物ごとを、延いては人生を決したりもするのです。
本来は起こり得ないはずのことが、まるで泥酔した挙句の信じがたい事故や失敗の
ごとく、ごく自然に起こってしまう。
ある一瞬の無自覚の中に、人の人生を左右する運命が、まるで神の裁きか、あるいは
神のご加護であるかのように働くことがあるのです。

私が手渡したノートを読み終えたKは、授業中のせいであったのでしょうが、何も言わず
すぐに返してきました。
何か書いてないか見たのですが、Kの記述は何もありませんでした。
この時私は何とも信じられないことに、私の隣の女生徒にこのノートを差し出し、読む
ように促したのです。
これが結果的には私のある種の充足感を完全に打ち砕くこととなってしまいました。
その女生徒はWといって、顔色の悪いオカッパ頭の、まるで「おばさん」のように老けた
顔をしていました。
私は迂闊なことに、このWがYと大変親しい友人の一人であることを完全に失念していました。
よりによってWとは……しかし、それでもこの失態には授業中いっぱい気付くことはあり
ませんでした。


134名無し物書き@推敲中?:2006/01/13(金) 18:31:26
Yに失望されたのか?
135名無し物書き@推敲中?:2006/01/15(日) 17:48:45
続きがきになる。いかんいかん、センターの勉強しなきゃ…
136名無し物書き@推敲中?:2006/01/15(日) 18:05:45
生殺しが巧いな
137名無し物書き@推敲中?:2006/01/15(日) 23:56:08
私も太宰に心身を蝕まれた者です。
>>1さんの文章素晴らしすぎます。
138名無し物書き@推敲中?:2006/01/22(日) 19:06:40
不定期age
139名無し物書き@推敲中?:2006/01/22(日) 20:03:08
これ、全部で原稿用紙何枚分に相当する量だろ?
こんなとこに書かないで持ち込めば良いのに
140名無し物書き@推敲中?:2006/01/23(月) 00:28:16
あげ
141名無し物書き@推敲中?:2006/01/23(月) 00:41:01
目が疲れるから縦に書いて
142名無し物書き@推敲中?:2006/01/23(月) 05:23:03
たしかに横書きの文章は読みにくいね
143名無し物書き@推敲中?:2006/01/23(月) 13:01:20
>>1
どうやってその文才を身につけたのですか?
ぜひ教えてください。
この間芥川賞を受賞した糸山秋子さんは中学の頃本を500冊読んだといってました。
>>1さんも小、中学のころに大量に本を読まれたのですか。
144名無し物書き@推敲中?:2006/01/23(月) 19:19:12
(その29)
「どうだった?」
授業が終わるなり、私はすぐに立ち上がってWに声をかけました。
まだ周囲は生徒が座ったまま椅子を後ろに引いたり、立ち上がって椅子をしまう
ガタガタとした音が落ち着かず耳に入っていました。
Wも立ち上がり私を正面から見て言いました。
「もう、みんなね、今、そんな場合じゃないのよ。みんな受験のことで頭いっぱいだし、
付き合うとか付き合わないとか、そんな余裕のある子、いないと思うよ」
それは、いきなり平手で頬を叩かれたかのような激しいショックの瞬間でした。
予想もしない厳しい返事に、私はその後の言葉を完全に失ってしまい、ただ二、三度
頷いて教科書とノートを小脇にはさみました。
出口直前でなにげなく自分の席を振り返ると、どうやら私とWの会話を目ざとく見つけた
らしいYと、他に数人の女子が興味津々の顔でWに近寄っているところでした。
滅多なことでは女子と会話を交わすことのない私でしたから、Yのみならず気にした生徒も
他にいたのかもしれません。
ここでやっと私はWとYの親密に近い交友ぶりに思い至ったのです。
なんということだ、俺はなにやらかしてしまったんだ……!
Wの突き放したような説教調の言葉と、Wから耳にするだろうYの心の動きを考えると、私は
どこかへ消え入りたくてなりませんでした。
きっとYはわざと俺がWにそれを読ませたと感じ、また当然Wもそう感じるだろう。
俺はそんな姑息な人間だと思われ、厭らしいヤツだと誤解されてしまうだろう。
もうやがて一学期も終わろうかというこんな時期に、まだ恋やら愛にこだわる好色男、俺は
そんなふうに思われるのだ。
たった今しがたのMTとの抑えきれない感動は、あっというまにはかない空想ででもあったかの
ように雲散霧消していました。
もしこの時Kが話しかけてこなかったら、私は本当にこの神のいたずらのような不運に頭を抱えて
地団駄踏みながら悔し泣きしていたかもしれません。


145名無し物書き@推敲中?:2006/01/23(月) 19:39:39
>>1です。
読んでいただいてる方には本当にお礼を申し上げます。
あまり間隔をあけずに書きたいといつも思いながら、仕事の疲労でなかなか
集中できません。
皆さまの声のある限り続けていくつもりです、ありがとうございます。

>>143
私の母の創った短歌、俳句が新聞で何度か取り上げられたことがあります。
地元のコンクールでは例年大賞を受賞していましたし、伯父も短歌、俳句を
やりますので、私の創作好きは遺伝のようです。
小学校、中学校時代はしょっちゅう本を読んでいました。
いつでしたか、夢中になって風呂場にまで本を持ち込み、湯船につかりながら
読んでいたことがあります。
風呂場から音が消えたのに気付いて、両親が心配のあまりドタドタと風呂場を
覗きに来たこともあったぐらいです。
文才があるなどと言われると嬉しいのですが、このせいで逆に私は人生をしくじった
ような気がしているんですよ。
146名無し物書き@推敲中?:2006/01/24(火) 09:07:47
>>1は何歳なの?
まだ若かったら新人賞の受賞ってことも・・・
147名無し物書き@推敲中?:2006/01/24(火) 21:30:50
やべぇ面白い。
でもこれを読むと自分の文才のなさに気付いてやる気をなくしてしまうという諸刃の剣
148   :2006/01/24(火) 21:40:31
私小説は文学じゃない。
149名無し物書き@推敲中?:2006/01/24(火) 22:06:55
文学とか無視で面白い。それだけで >>1はスゴイ。
150名無し物書き@推敲中?:2006/01/25(水) 19:14:14
太宰がいなければ天才だったのに
151名無し物書き@推敲中?:2006/01/25(水) 22:28:43
友人が太宰を読もうとしていたから、
先にこのスレを読むことを薦めた。
152名無し物書き@推敲中?:2006/01/26(木) 00:25:26
どうして太宰の読者って鬱なやつが多いんだろう?
153名無し物書き@推敲中?:2006/01/26(木) 18:49:47
鬱だから太宰に惹かれるんでしょ
154名無し物書き@推敲中?:2006/01/26(木) 21:58:11
>>151
太宰読んでもたいていの人は人生棒に振らんだろ。
やっぱここ読むより太宰。
155名無し物書き@推敲中?:2006/01/27(金) 23:33:33
鬱な人は太宰を読んでは駄目だね
俺みたいに太宰の呪縛から逃れられなくなる…
156名無し物書き@推敲中?:2006/01/28(土) 00:49:34
太宰読んだから鬱になったのか
もともと鬱な気質だから太宰読んだのか
どっちだろう
157名無し物書き@推敲中?:2006/01/28(土) 11:24:00
(その30)
後ろから小走りする音が聞こえたかと思うと、すぐに肩を叩かれる感触がありました。
Kでした。
「いやあ、ホントにやったんだねえ」
勿論私がMTに声をかけたことを指して言ったわけですが、私はもう何も話したくない心境でした。
「君は、どこにいたんだ?」
おざなりに私は訊きました。
Kは笑いながら「君らのすぐ後ろにいたんだけどね」と答えました。
呆れたことに、彼は私とMTが立って並んでいた踏み段と廊下を仕切る引き戸の裏に屈んでいたとい
うのでした。
「でも、なに喋ってるかまでは分からなかったよ」
私は既にMTから断られたことはノートに書いていたわけですから、当然Kはそれを知っていたのですが、
そのことには一言も触れませんでした。
あまりに当然のことだと思っていたのでしょう。

その日を限りに、私はYのことをキッパリ諦め、日記を書くのもやめてしまいました。
もっとも、Yのことを諦めてしまえば、自然日記に書くことはなにもなかったのですが。
Yを諦めるという面で、その時点ではある意味MTへの接触は功を奏したわけです。
遅ればせながら私は受験勉強にも真面目に取り組み始め、やがて一学期は終了しました。

夏休みに入っても課外授業は7月いっぱい続いたのですが、Yと顔を会わせるのが嫌で私はそれには参加
せず自宅にいました。
常に寂しさ、侘しさがつきまとう毎日で、そうすると今度は私をしっかり見つめるあのMTの顔が何度も
思い出されては自分の馬鹿さかげんを後悔するという繰り返しでした。

158名無し物書き@推敲中?:2006/01/28(土) 12:06:12
(その31)
8月のある日、私はNと一緒にKの家を訪ねて一泊したことがありました。
Kが集めていた映画音楽を聴きながらスイカを食べたり、近くの山の墓地で肝だめしをしたりと、
とてもリラックスした一日で、今でもこの日のことをよく思い出します。
とりわけ忘れられないのがKが見せてくれた小学校の卒業アルバムでした。
「小学校の写真、ないか?」となにげに呟いた私の言葉に応えて、Kが探し出してきてくれたのです。
KはMTのクラスの顔写真のページと、MTが写っているジャングルジムでの集合写真を教えてくれました。
KとNが映画の話で盛り上がるなか、私はMTの写真に見入りながら心を熱くしていました。
まだいくぶん幼い顔ながら、すぐに彼女と分かる利発そうな表情をしていました。
アルバムの最後には卒業名簿とともに各人の住所が掲載されており、私はMTの住所を書き取りました。
特になにか目的があったわけではないのですが、Yに対した時と同じように、ここに彼女は住んでいると
いう想いだけでどこか心が癒されるのでした。

159名無し物書き@推敲中?:2006/01/28(土) 17:22:52
アルファベットだらけで、ついていけなくなってきた!
160名無し物書き@推敲中?:2006/01/28(土) 19:11:54
すごい楽しみ!マジ続きが見たいです!
161名無し物書き@推敲中?:2006/01/29(日) 21:55:59
MTがYに似てるからって、YからMTに乗り換えたキミの気持ちがよくわからないよ
誤読してたらスマソ
162名無し物書き@推敲中?:2006/01/30(月) 02:23:28
>>161
それが簡単にわかってしまったら物語が続かないじゃないか。
163名無し物書き@推敲中?:2006/01/30(月) 07:59:37
>>162
いや、続くだろ。別にそこが物語の核じゃないし。
>>161
皆が理解できる人間の気持ちなんて存在しない。俺は理解できるし。
164名無し物書き@推敲中?:2006/01/31(火) 13:34:45
(その32)
創作欲は突然湧き、いったん机に向かうと時間を忘れて原稿書きに没頭する。
空腹すら邪魔で、面倒がりながらパンを牛乳で胃に流し込む。
指がしびれて痛くなり、疲労からさすがに頭が働かなくなってやっとペンを置く。
布団にもぐりこんでも興奮で眠れない。
そのせいで学校は遅刻。
ひどい時は午後からの登校ということもありました。
最初に小説を書いたのは高一の夏休みの最後の二日間でした。
心の隅に無意識のうちに「小説募集」のお知らせが引っかかっていたようです。
8月30日の朝突然「書こう」と思い立ち、翌朝を待たずに書き終えたと思います。
ほとんど原稿の修正もせず郵送しました。
それが入賞を果たし、小説は別冊で他の入賞作とともに写真入りで掲載されたのです。
自信を抱いて次に書いた小説も別のコンクールで入賞し、全校生徒の前で校長から
表彰を受けたことは既に書いた通りです。
プロットもなにもなく、ただ手にペンを持てばスラスラと文字が書けた、それが当時の
私でした。

Kの家に泊まった日から何日を経過していたのか思い出せませんが、同じ夏休みのある朝、
私は急にMTあてに原稿を書きたくなりました。
思い立つとすぐ行動に移さないではいられない性急な性格で、原稿用紙を探したのですが、
あいにく残っていたのはだいぶ前に購入した古いものばかりでした。
しわがあったり、埃を被っていたりで、しわは伸ばし、埃も除いたのですが、やはり見た目は
奇麗ではありませんでした。
といって文具店に行く時間も惜しくてならず、私は机に向かいました。




165名無し物書き@推敲中?:2006/01/31(火) 17:26:09
(その33)
その日のうちに「肉欲について」という随想を書き上げ、詩数編と一緒に翌日MT宛てに送りました。
「肉欲」という言葉はいかにも抵抗のありそうな感じすが、内容はいたって真面目な恋愛論で、
苦しい青春をどう生きたらよいか、恋愛観を通してその考察を試みたものでした。
詩はそれまで書き留めていた何十編のなかから、MTを想って書いたものだけを選びました。
町中で頻繁にMTを見かけるようになった頃の自分の不思議な心情を綴った詩で、もちろんMTの名には
一言も触れておらず、またMTへの何かの呼びかけというものでもありませんでした。

詩も当時の私にはなくてはならない存在のもので、家出をしたり、高校中退を志向して悶々としていた
日々の重要な心の拠り所だったのです。
ともかく暗い詩が多かったのですが、一年の時には校内の文化祭に出品した何編かの詩が現国の教師の
目にとまり、その教師の手によって県の教育誌に掲載されました。

MTに送稿した後、私には少し後悔することがありました。
最後までわだかまりのあった古びた原稿が、やはり彼女を侮辱してしまったように思えてきたのです。
すぐに判断できたのは、相手がYであったなら決してこのようなことはしなかっただろうということでした。
伸ばしてもきちんと復元しなかった原稿のしわや、原稿裏の一部日焼けした箇所などを思うたび、それこそ
MTにおける自分自身の穢れの象徴のようにも感じられてくるのでした。

夏休みの後半からは再び入賞を目指して小説に取り組み始めました。
Yをモデルにしたもので、この時私は初めて構成の真似事を経験し、夏休みの終わりに出版社に郵送しました。
この10日間、私はいつもYと二人でいるような甘い時間に浸れることが出来たのです。
166名無し物書き@推敲中?:2006/01/31(火) 19:36:01
一気に読んでしまった…。面白い!続き楽しみにしてます。
167名無し物書き@推敲中?:2006/02/01(水) 00:25:31
だから、Yが好きならYにだけアタックすればいい。
中途半端な気持ちでこられたMTもかわいそうだ。
イライラしてきた・・・
168名無し物書き@推敲中?:2006/02/01(水) 00:28:53
確かにだんだん・・・
169名無し物書き@推敲中?:2006/02/01(水) 02:40:17
作品世界に没入してしまう悪魔の小説ですね(・∀・)
170名無し物書き@推敲中?:2006/02/03(金) 09:53:35
週末間近。
まったり期待age
171名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 14:31:34
(その34)
虚構とはいえ、Yをモデルに書いた小説のおかげで、私はまたYに強い愛着を覚え、二学期の始まりを
楽しみにしているところがありました。
小説は以下のような内容でした。

『美術部員の僕は、秋恒例の某芸術祭参加作品が指導教師により“風景画”と指定されたにも拘わらず
独りだけ肖像画を描き始める。モデルは校内の女王的存在であるYで、僕はYを独占した喜びとYとの交流
のなかで絵が素晴らしく進展していくのを確信する。最初否定的に見ていた教師もその出来に関心を抱く
ようになり、いよいよ作品は最後のつめにかかる。そんなある朝、いつものように美術室に入ると、
誰かの仕業で肖像画のカンバスはズタズタに引き裂かれて放り出されていた。この時、放心状態の僕の耳に
Yが今朝も美術室に向かってくる足音が聞こえた。Yは無残な光景を目にすると声にならない声を上げ、顔を
覆って走り去っていった』

二学期はいきなりMTとの遭遇で始まりました。
購買部に買い物に行ったところ、なんと丁度そこにMTがおり、私たちは思いがけずも顔を会わすはめになって
なってしまったのです。
MTは慌てたように一瞬目をそらし、私は私で逃げ隠れも出来ず、まさにMTの真横で買い物をしたのです。
このような場合に、いつも私は他人からは冷静に見えるらしいのですが、実は単に表情が表にでない性格
なだけで、余裕などはないのです。
気の利いた一言の言えるわけもなく、この時もただ内心狼狽しながら買い物をすませると私は黙ってその場を
離れました。
ところが「おつり! おつり!」という店員の声がすぐ聞こえてき、私は“ウワッ”と思いました。
きまりわるく振り返ると、MTが店員からおつりを受け取り、とても元気のある声で「はい」と言ってそれを
私に渡してくれました。
お礼だけ言って、私は恥ずかしい気持ちと暖かい気持ち、それに何かほかに言えないものかという少し
はがゆい気持ちの入り混じった混乱状態で引き上げました。

172名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 17:22:18
(その35)
Yに対しては相変わらず強く惹かれながらも、Wにノートを見せたあの一件以来、私はほとんど
諦めていて、顔もまともに見られない状態でした。
そして以前と違い、そのことで私がYを避けようとする様子はY自身も気付いていたのでは
ないかと思っています。
私は小説でYをモデルに書いたことで、せいぜい「Yよ、俺はお前を小説にしたぞ、お前は
何も知らないが」と、密かに心の隅で呟いて憂さを晴らす程度のことでした。
ところが状況はまた一変したのです。
やはり二学期早々、校内で防災訓練が行われた日のことです。
授業の終わり近くに警報が鳴り、避難放送を聞いたら全校生徒は決められたコースを通って
グラウンドに集合することになっていました。
警報が鳴ると生徒たちは一斉に立ち上がり、ワアワア騒ぎながら教室の出口を目指しました。
私はこのような時、いつも悠然と最後から行くのが常で、喧騒のなか椅子に座り、教室が数人
になったところで後方出口に向かったのでした。
そして数歩歩いた時、私の視線はYを真正面に捕らえたのです。
Yは少し顔を傾け気味に、真っ直ぐに私を見ていました。
それは紛れもなく私だけを対象にした視線であり、彼女は明らかに何かを訴えているのでした。
私は急にヨロヨロとした自分の足取りを感じながらYのいる出口に向かいました。
皆が出ていって、とうとうYと私だけになった時、Yはゆっくりと私から視線を外して階段を下りて
いきました。
それまで冷え冷えと私の心の奥底で凍り付いていたワインが、突然沸騰し始め、熱く熱く泡ぶくを
たぎらせているような、そんな歓喜が一気に私を包みました。
Yよ! やはりお前は俺の女神だ、天使なのだ!
俺はお前から離れることは出来ない!
どこをどうやってグラウンドまで辿ったのか、全く記憶がないほど私は有頂天になり、改めて
Yへの感謝の気持ちと、幸福感が込み上げてくるのでした。


173名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 17:28:21
んも〜〜〜
どっちがいいんだよ〜〜
ちくしょー続きが気になるぜ!!!
174名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 18:20:07
(その36)
受験勉強の合間に、私はまた日記を付け始めました。
Yはもう明白に私を意識した視線を隠さず、私たちも時には「さようなら」ぐらいの挨拶なら
交わすこともありました。
この頃から、私は卒業後のことを考え始めました。
私は東京の私大文系を目指しており、Yがどこを受験するのかは知りませんでしたが、このまま
卒業して終わりというのではなく、少なくとも文通でもいいから絆を保っていたいという希望を
抱いていました。
さすがに自分の不器用さは身に沁みていましたし、Wの言葉の傷も癒えてない状態で、この時期に
交際とかなんとかを口にすべきではないと思っていたのです。
今のいい感じを卒業まで保っていればいいという考えでした。
事実、私とYの関係は二学期に最高潮を迎えたかと思えるような出来事が用意されていたのです。

校内体育祭は例年10月に行われました。
その練習時間は日に日に増えていき、体育の授業のみならず合同練習も始まっていました。
私たち男子は組み体操に多くの時間を割き、女子は華やかなダンスに時間をかけることになります。
また男女が一緒に練習するのがフォークダンスで、これもまたかなりの時間がかけられました。
体育教師はクラスマッチのほか、毎年この大行事を成功させるべく熱心に務めるのです。
その熱心さは私たちにもよく伝わり、少し不良がかった生徒でも本当に真面目に取り組んでいたものです。

175名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 18:29:37
それにしても、無名草子さんたちとは、さぞやすごい作家先生の匿名書き込みなんでしょうね。
作家なんて才能が全てだから、津井ついみたいに、いくら努力したって駄目なものは駄目ですよ。
私なんか、早々に見切りをつけて趣味の世界で細々ですから。
          小説現代ショートショート・コンテスト優秀賞受賞 阿部敦良
176名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 18:35:09
>>175
ここの1は確かに大先生だ。
177名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 22:40:54
巧い文章と魅力的な文章は違う。
1の文章は確かに巧いが、人を引き付ける力に欠けている。
少なくとも、1の文章に中毒性はない。
178名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 22:54:01
>>177
自分の感じ方が全てじゃないと思うけど
おれははまってるけどね。
どう生きてきたかで感性も変わるだろうし。
ま、人それぞれじゃないの。
179名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 22:59:01
精神年齢が18ぐらいしかない俺は1の文章の虜になってる。
逆に、そこまで巧い文だとは思ってない。
180名無し物書き@推敲中?:2006/02/06(月) 23:39:09
自分の記憶もよみがえるような鮮やかさを感じます。
なんていうか色彩の感じられる文章です。
>>1さん、続きも楽しみにしております。
181名無し物書き@推敲中?:2006/02/09(木) 19:43:43
(その37)
体育祭練習の続くさなかの、ある日のことでした。
私とKは放課後も話し込んだりして、だいたい下校時間の遅れることが多かったのですが、
その日もまた何の用だったか、遅くまで校内にいて教室へ戻ったのでした。
既に教室には誰もおらず、私たちはカバンを手に取ると前の出口に向かいました。
と、私の目はYの机を向き、そこに無造作に突っ込まれている体操着を発見したのです。
「お?」と私は唸り、そっと近づきました。
半袖の白の上着と紺のブルマーがクシャクシャになって押し込まれていました。
しかもそのどちらにも砂粒がザクザクした感じで付着しているのです。
「なに、これ?」と私は思わず声を出しました。
はっきり確かめようとさらに近づいた時、Kが「ウワー」と声を漏らしました。
Kは私がそれを取り出すものと思ったのです。
そしてその後のことも想像したのです。
私は確かにその時、出来るなら鷲づかみしてそれを手に取り、思う存分顔をうずめたい
欲求を覚えました。
Kがいなかったら、実行していたかもしれません。
今、私は後悔しています。
例えKがいたにせよ、自分は思い切り顔をうずめておくべきだった。
彼女の湿った汗や体臭を思い切り味わっておくべきだった。
Kの軽蔑や悪寒など無視してでも、彼女の肉体の微かな匂いを記憶にとどめておくべき
だった。
私が何もせず外に出たとたん、Kは安堵した様子で「ああ、てっきり君はあれを取り出す
のかと思ったよ」と言いました。
私は半分悔しい思いを残しながら「なんだろうね、あれは、だらしないね、Yって」と話を
そらしました。
Yは気品に満ちた美少女でしたが、極めて明るい性格も含めて、気取りがなく、また確かに反面で
子供っぽい行儀の悪さもあって、それも彼女の愛嬌の一つというところがあったのです。
にしても、あのだらしなさは常に美化してYを見ていた私に強烈な現実感を抱かせたものでした。
182名無し物書き@推敲中?:2006/02/09(木) 21:32:28
私はHi。
千人に一人の逸材。
私はHi。
日本最後の無頼派作家。
私はHi。
私はHi。
私はHi……

183名無し物書き@推敲中?:2006/02/12(日) 18:29:36
(その38)
フォークダンスの練習は最初は二クラス合同の体育の授業から始まりました。
ダンスはおなじみの「オクラホマミキサー」と、もうひとつ、「マイムマイム」。
そしてあの出来事は二度目の練習でのことだったと思います。
練習は体育館で行われました。
ざっとオクラホマミキサーのおさらいだか、指導が終わるとすぐに曲が流れ出しました。
男子は内側に、女子は外側に円を作り、一回ごとにパートナーを変えるダンスですが、
私の位置から5、6人先にYの姿があり、私たちは確実に一緒にダンスを踊れるわけでした。
Yはそれを相当意識しているらしく、何度も何度も私の方を振向くのです。
私は内心「おいおい、それじゃ相手の男が可哀そうだろ」と、嬉しさを押し殺しながら
見ていたものです。
パートナーが代わる度にYはあと何人かと確認するよう必ずこちらを見るので、私も少し
緊張を覚えていきました。
この時、私はふとある予感を覚えたのです。
もしその予感が的中したら、自分はどうする?
Yの手に触れるまでの、もういくらもない時間の中で、私は急な結論を出す必要に迫られた
のでした。
予感が的中してほしいという気持ちと、外れてほしいという気持ちが交錯したまま、
とうとうYの姿は目の前に迫っていました。
隣に来たときには、Yももう私を見ることはなく淡々と踊っていました。
そしてついにYとのダンスの順番となりました。
Yは右手を肩に上げ、私の右手がそれを掴むのを待っていました。
184名無し物書き@推敲中?:2006/02/12(日) 18:59:05
いいところで切りやがるw
185名無し物書き@推敲中?:2006/02/12(日) 19:14:28
(その39)
私はYの右肩を抱くように腕を回し、彼女の手を握りました。
ほとんどその瞬間でした、Yは私の掌をギュッと力強く握り締めたのです。
本当に想いのこもった力強さでした。
彼女の手のぬくもりが、彼女の心を示すように激しく私に伝わってきました。
予感は的中したのです。
では、当然私も力強く握り返すべきだったでしょう。
力を込めて、いや心を込めて握り返せば、本当にお互いの愛情は確認し合えた。
しかし、私は何の反応も示してあげることが出来なかったのです。
無表情に、Yも誰も、自分にはみな同じ……と、そんな顔で、そんな風にしか
踊れなかったのです。
それが私という男であり、私という人間の限界だったのです。
所詮、私は恋愛など出来得る人間ではなかったのです。
一度、チラッとYは私の顔を見上げ、やがてパートナーはまた代わりました。
Yとの距離がまた離れるにつれ、私たちの心の距離も同じように離れていく
ように思えました。

思えば、私は最初から相手がどんな少女であれ、恋愛などというしろものを
成功させる能力などなかったのです。
女を愛するということは、女と語り合い、女と共に考え合わなければなりません。
最終的には女を抱きしめなければなりません。
何万語の愛を語る文字があろうと、女と向き合い、抱く勇気なしに恋愛が成就
することなどありません。
「片想いこそ恋愛なんだ」と、いつかホームルームで間接的にYに答えたように、
結局私には片想いという芸当しかできなかったのです。

186名無し物書き@推敲中?:2006/02/12(日) 22:49:07
きたこれクライマックス
187名無し物書き@推敲中?:2006/02/13(月) 10:02:15
続きが気になって勉強できない・・・
(´・ω・`)
188名無し物書き@推敲中?:2006/02/15(水) 12:38:54
(その40)
フォークダンスの練習は、やがてグラウンドでの三年全体練習となりました。
オクラホマミキサーではもうYと踊る機会はありませんでしたが、運がいいのか悪いのか今度は
「マイムマイム」のダンスで隣り合わせになり、なんとお互いの手を握り合う羽目となったのです。
三年全体のダンスで大勢が踊りますので、あちこちで二重の円が出来ました。
最初、女子が内の円、男子が外の円を作り、それが男女一人ずつ入れ替わって円は男女の両手が
繋ぎ合った形になるのです。
この時、Yは私のすぐ斜め前にいたため、私たちが手を繋ぐことは容易に分かったのでしたが、
Yはもうオクラホマミキサーの時のような強烈な感情を見せることはありませんでした。
それどころか、少し怖がっているかのように私には感じられたのです。
男女が交互に入れ替わる時、Yの方が動いて私の隣になるような順になったのですが、Yは妙に
グズグズして落ち着かず立ち止まっていました。
それが私にはいかにも私の隣になるのを避けているかのように思えたのでした。
誰かが「Yちゃーん、あなた後ろ、後ろよ」と笑いながら指摘したため、Yも照れ笑いを浮かべ
ながら動いたのでしたが、私には先日の一件が彼女を失望させてしまったのだとしか感じられ
ませんでした。
マイムマイムでは最後まで同じ円で踊りますから、オクラホマミキサーのような密着した動作は
ないものの、常に隣り合わせです。
しかし、私の右手とYの左手は、最初に握り合った時から、既によそよそしい感触しかなかった
なかったのでした。
ダンスは、途中拍手しては両手を開く場面があるのですが、私の右手とYの左手は強くぶつかり、
その度にYはチラチラこっちに視線をよこしました。
それまでと違って、私にはそれは決して嬉しいものではなく、彼女から疎まれているような気がして
ならないのでした。


189名無し物書き@推敲中?:2006/02/15(水) 17:53:41
wktk
190名無し物書き@推敲中?:2006/02/15(水) 18:47:04
>1に比べれば三島由紀夫のほうがまだ面白い。
191名無し物書き@推敲中?:2006/02/16(木) 05:11:22
>>190
三島と比べることないだろ。

「長州小力に比べれば力道山の方がまだ強い」と言っているのと同じだぞ。
192名無し物書き@推敲中?:2006/02/17(金) 06:08:29
文盲だ、文盲としか言い様がない
193名無し物書き@推敲中?:2006/02/18(土) 01:54:10
太宰治は出てこないの?
194名無し物書き@推敲中?:2006/02/18(土) 10:51:18
(その41)
運動能力に秀でた生徒たちにとっては、体育祭は最高の晴れ舞台となります。
体育委員は、100メートル走、200メートル走、さらには花形といわれた1500メートル走、その他
砲丸投げなどの地味な競技まで、クラスの代表選手を一人ずつ選ぶことになっていました。
1500メートル走は文句なしにSが選出されたのですが、なかに冗談で私の名前を挙げた者がおり、
それでも体育委員は候補者名簿に私の名前を記したものです。
私は中学一年の時は進んで柔道部に入部するなど、割合そういう能力は良かったのですが(もっとも、
体質的なものでサッパリ筋肉がつかないので一年で退部しましたが)、陸上や水泳は下手な方でした。
NやKほどではないにせよ、特に長距離は全くダメで、一年でSが優勝した12キロを走る校内長距離大会
では、かなり後方の順位でした。
それで2年の時は、Yの前で恥をかきたくない一心から、日が暮れて小学校から人の姿が消えると自転車で
小学校のグラウンドに行って毎日練習したものです。
どんなに北風が吹こうが粉雪が舞おうが、私は一日も欠かさず出かけました。
小学校のグラウンドが一周何メートルあったかは分かりませんが、毎日最低20周は走りました。
そして走り終えると必ず砂場に寄り、その砂の上にYの名前を刻むのが楽しみでした。
すっかり温まった身体には北風も心地よく、よく冴えた月や星を眺めてはYを想ったものです。
何度も何度もYの名前を、大きく、深く、刻んでは消し、ただ最後に刻んだ名前だけはいつも残して
帰りました。
その甲斐あって2年の大会では大きく順位を上げて体育教師から誉められたのでした。

195名無し物書き@推敲中?:2006/02/18(土) 11:21:30
応援あげ
196名無し物書き@推敲中?:2006/02/18(土) 12:54:58
(その42)
あまり関係のない話になりますが、この大会でNは体育教師から棄権を言い渡されていました。
大会では市民にも協力を依頼するため、あまり遅い生徒がいると道路状況に悪影響を及ぼすからです。
つまり、それほどNは遅かった模様なのですが、頑固者のNは頭に来てそれを聞き入れませんでした。
大会当日は、私はNの要望でしばらくの間は彼と併走することにしていました。
ところが神社前からスタートして直線を400メートルも行かないうちに、早々とNは脱落し始めたのです。
私もまさかこれほど遅いとは思わず、Nが必死に「おい、おい」と私の腕を掴むのを振り切って先を行きました。
Nの話によると、彼が棄権もせず走り抜いて校内に戻った時には校門付近には既に誰一人おらず、走り終えた
生徒たちはとうに着替えを済ませてクラスでくつろいでいたそうです。
実は校門をくぐったところがゴールで、付近には記録ノートや名簿表、その他大会関係の色々なものが積まれたり
置かれたりした長テーブルや椅子が設営されるのですが、それらも全て片付けられていたとのことです。
ゴールすると、大勢の見物人であふれるなかを順位札を持った陸上部の女生徒が一人一人に駆け寄って首からそれを
掛けてくれるのですが、Nには順位すらなかったのです。
それにしても、途中のあらゆる事故に備えてランナーの最後尾辺りには必ず車が付いているはずですが、車さえ
気づかない遥か後方をNは走っていたわけです。
コースの途中2箇所には近回りなどの不正のないようチェック地点が設けられ、生徒たちはそこでチェック紐を受け取る
のですが、たぶん最初のチェック地点でそこの担当者たちがNの存在に気づかないまま引き上げてしまったことが、
Nの不幸の全ての原因になったものだと思われます。
誰も知らない伝説です。
197名無し物書き@推敲中?:2006/02/19(日) 04:08:59
最終的には絶望先生みたいになるんだろ?
198名無し物書き@推敲中?:2006/02/25(土) 02:16:19
続きマダー?
199名無し物書き@推敲中?:2006/02/26(日) 02:04:00
お待ちage
200名無し物書き@推敲中?:2006/02/27(月) 14:19:08
(その43)
体育祭のクラス選抜選手が決定すると、競技名と1年生から3年生全員のその出場者の名簿が
配られ、一枚は教室の裏に張られました。
見るとNが砲丸投げの選手に選ばれていて、それにはなんとなく新鮮な嬉しさがありました。
私は1500M走の名簿に1年のYの弟の名を見つけました。
Y自身も例の長距離大会では20数番の上位に入るぐらいでしたから、やはり同じような血を
ひいていたのでしょう。
Yの弟は入学したての頃にちょくちょく姉を訪ねて来ていました。
女王の弟というので、その度興味ありげによく男子たちが近辺に集まってジロジロ観察して
いたものです。
弟はスポーツマンタイプに日焼けした美男でしたが、姉とは違って凄くおっとりとした雰囲気
を持っていました。
さて、選抜の選手でない並み、並み以下の生徒たちには変化に富んだ障害物競技などが用意されます。
私の出場競技は、確か”レインボー作戦”とか、そういう名の競技で、男子ペアで七つの技を
順番にクリアーして争うというものでした。
私はクラス委員のTと組んで、体育での練習、さらには予行練習でも常にトップか、負けても2位
なので、体育祭では断然の自信を抱いていました。
思えば義務教育の9年、高校2年までのスポーツ関係で賞状を手にしたことなど一度もなかっただけに、
最後の最後の舞台で優勝か、悪くても2位の賞状を受け取れることは大きな喜びでした。
ところが、この大きな期待こそが当日のあの大変な事態を引き起こすこととなってしまったのです。

201名無し物書き@推敲中?:2006/02/28(火) 16:00:32
キター
202名無し物書き@推敲中?:2006/03/02(木) 18:27:09
(その44)
体育祭と聞くと、私は今でもあの時期のダンスの練習を思い出し、オクラホマミキサーの
メロディーを口ずさむことがあります。
同時に私の耳には必ずザザーッ、ザザーッと男女で地面を引いて前進する足音が聞こえて
くるのです。

青々と晴れ渡った日でした。
この時ほど体育祭というものを心待ちにしたことはありません。
“レインボー作戦”で1位になり、余裕綽綽に体育祭を締めるハイライト、1500M走を見学
するというのが私の当日の思惑でした。
SとYの弟の対決がなにより一番の期待ではありましたが、のみならず勢揃いした長距離
自慢の選手たちの優勝争いは考えただけでもワクワクしたものです。
私は大のマラソン好きで、42・195キロを駆ける中で起こる二転三転のドラマにはいつも
釘付けとなるのです。
1500Mといえば長距離走の範囲ではないでしょうが、一般に中学、高校ではそのように
認識されていたように思います。
そして長距離ランナーへの憧れが私にはありました。

何事にも緊張する性格の私も、こと“レインボー作戦”に限っては全く硬くなることが
なく、一時も早く出場したがっていたのですから、自信というものは凄いものだとつくづく
思います。
身体もそんな自信を反映して非常に軽く、スタートラインに着いたときでもゴールはすぐ
目の前にあるかのように感じられものです。
しかし、私の思惑はまんまと外れたのです。


203名無し物書き@推敲中?:2006/03/02(木) 18:58:08
(その45)
緊張していたのは私ではなく、パートナーのTだったのです。
スタートするといつもの練習のように私たちは中間までトップにおり、私は充分な手応えを
感じていました。
ところが丁度中間地点でTが技の順番を間違えてしまったのです。
一瞬私は眩暈に似た、意識の消えかけたような感覚を覚えましたが、すぐにTの間違いに
気付き、大声で「違う!違う!」とTに呼びかけました。
それでも夢中になっているTは全く気付かずひたすら私の動作を待っているのです。
「違う! 順番が違う!」
忘我状態のTが覚醒したような顔つきに変化した時は既に遅く、猛烈に追い上げたものの
結果は後方着順、3位入賞すらならなかったのです。
ゴールするとTは「畜生!」と言いながら競技に使用したバスケットボールを思い切り足で
蹴っ飛ばしました。
常々上品さが売りのようなクラス委員のこのTの行為が、私には非常に穢れたもののように
見えたのでした。
私に対しても「すまない」の一言もなく人ごみに消えてしまい、私はこの腹立たしさと期待
の外れたショックとでムラムラとしたある感情が沸いて来るのを覚えたのです。
例えていえば、それは復讐欲のようなものでした。
204名無し物書き@推敲中?:2006/03/04(土) 05:37:39
続き待ってます
205名無し物書き@推敲中?:2006/03/08(水) 17:37:46
(その46)
私は自分の応援席には戻らず、グラウンドの片隅で一人ジッと競技を見つめていました。
白熱した競技に喚声をあげる生徒たちの後ろで、まだ組み体操やダンスの出番があったにも拘わらず、もう
一切が終了したような無気力感と、また逆にTのミスで逃してしまった優勝の悔しさが招き寄せる複雑な
エネルギーを内包しながら視線は熱くグラウンド上を徘徊していたのです。
これが自分の最後の体育祭なのだという幼い感慨もありました。
これで終わるのだ……、と、この気持ちが突然突拍子もないアイデアを生みました。
いや、終わらさない。
これで終わらさない。
私は急いでKを探しました。
そしてKにそのアイデアを持ちかけたのです。
「一緒に1500M走に出ないか?」
最後の俺たちの思い出として出場しないか、ビリはビリでも併走すれば恥ずかしいことはない。
熱く思いを語るうちに、私にはこの飛び入り参加がとても美しいもののようにすら感じられてきました。
最初は尻込みしていたKも次第に私の熱意に感染し、ついに参加を決意しました。
Kは私よりは自分の方がまだ速いと思っているらしく、最後の一周は競争にしないかとまで言ってきました。
望むところだと、私は私で答えました。
一気に高揚した私は今度はSを探してこの話を伝えたのです。
Sは大変に喜び、「僕は君のような人がこんな1500Mなどに興味を持ってくれていることがホントに嬉しい」と
言ってくれました。
ただひとつ懸念はあり、私はそれをSに話しました。
「でも、飛び入りだから集合した時点で排除されるかもしれないよね」
「いやあ、そんなの分かりゃしないよ」
Sは余裕いっぱいに答えたのでした。

206名無し物書き@推敲中?:2006/03/09(木) 03:25:02
ひそかに応援
207名無し物書き@推敲中?:2006/03/10(金) 00:20:32
公に応援
208名無し物書き@推敲中?:2006/03/16(木) 01:27:42
ageて応援
209名無し物書き@推敲中?:2006/03/17(金) 14:02:02
(その47)
昼食後、Kたちと屋上で休憩しているとよそのクラスのDがふいに現れ「1500に出るんだってな?」と
妙に真剣な眼差しで私に声をかけてきました。
私は頷き「飛び入りだけどね」と答え、「Kも出るんだよ」と付け加えました。
しかしDは私だけを見つめ、一言「頑張れよ」と言って去っていきました。
Dは私と同じクラスになったこともなければ、ほとんど会話したこともない人間で、不思議な気がしま
したが、おそらくSから話を聞き彼なりに何か思うところがあったのでしょう。
こうして注目している人間もいると知らされると、これは遊びごとじゃないぞという緊張感が一遍に
私たちを包みました。
「おいおい」と、Kが微妙に弱気な表情を顔に浮かべて私の腕を突付きました。
午後の部に入ると、Kのその弱気は次第に恐怖へと膨らんでいったようで、「少し考えなおさないか?」と
相談してきたのです。
私は「一度決めたことだ」と即座に拒否し、二人一緒だから問題ないと改めて説得したのですが、Kは
「もう一度考えさせてくれ」と言ってどこへともなく行ってしまいました。
この時、私はKはきっと参加をやめるだろうとほぼ感じ取っていました。
一度怖気付いた気持ちを再び奮い立たせるには、よほど何かのモチベーションなり、元々多少の自信が
ない限り無理なのです。
私の場合は元より一人で飛び入りする覚悟だったので、Kの脱落は正直多少の痛手ではありましたが、
決意を翻させるまでの影響はなかったのです。
ダンスも組み体操も終わり、体育祭はいよいよ締めくくりに向かっていました。


210名無し物書き@推敲中?:2006/03/17(金) 14:50:36
(その48)
それは本当に何かの魔術にでもかかっているかのようでした。
客観的に自分を見つめる目というものが完全に欠落しており、ひたすら「走らねばならないのだ」
という条理のない観念に取り付かれていたのです。
むしろ怖気づいたKこそ正常だったというべきでしょう。
いよいよマイクの放送が「1500M走に参加の選手は集合地点にお集まりください」と告げました。
全くの孤独で隅っこに座っていた私もゆっくり立ち上がって集合地点を目指して歩き始めました。
途中、どうやら私の姿を待っていたらしいKが急に寄ってき、「取りやめるなら今しかないよ!」と
声を強めて忠告しました。
私は「決めたことはやるんだ」とキッパリ言ってKを置き去りにしたのでした。
集合地点に行くと、名うての長距離ランナーが揃っていました。
Sが笑顔で私を迎えて「緊張するねえ」と言い、また他に一人だけ「君、速いんだろ?」と私に
話しかけた生徒がいましたが、もう皆他人のことより自分の世界に集中しているという様子でした。
点呼が始まり、一人私だけ名前がなかったため、点呼係が不審げに「君は?」と尋ねる場面が
ありましたが、そこはSが「彼は飛び入りで走ります」と妙に決め事のような口調で助け舟を出した
ため、点呼係は不思議そうな顔を崩さないままなんとなく納得したのでした。
もはやYの弟がどこにいるのか、自分がどうなってしまうのかなど考えもせず、私もまるで代表選手に
なったかのような感覚で出番を待ったのです。

211名無し物書き@推敲中?:2006/03/18(土) 03:02:36
面白い
212名無し物書き@推敲中?:2006/03/19(日) 00:09:32
すごい。一気に読めた。ちょっと感動してる。
ネタスレだと思って開いたら完全に意表をつかれた。

語弊があるかもしれないけど、個人的には現代版『魚服記』という印象。

この物語を、どう「太宰で人生を棒に振る」という結末に
もっていくのか非常に楽しみ。

>>1氏 陰ながら応援してるので、ぜひ完結させてください。
213名無し物書き@推敲中?:2006/03/19(日) 11:58:37
あきらかに才能がある
うらやましい
214名無し物書き@推敲中?:2006/03/21(火) 18:58:32
(その49)
ざわめきが大きくなっていくのが分かりました。
ほとんどの生徒たちは既に自分の種目を終えて緊張感から解放され、今度は自分とは離れた別の緊張感を
グラウンド上に作り上げていったのです。
本来であれば、私も心地よい緊張感を持って体育祭を締めくくる最後の3種目に注目していたはずなのです。
今思い起こしても信じられない気がします。
1500M走、女子対抗リレー、男子対抗リレーと続く競技開始までの間、盛り上げるためなのか、わざわざ
小休止が入りました。
私たち1500M走組の後ろにも、既にリレーの代表選手たちが帽子に各組の色の鉢巻をして待機していました。
そしてざわめきの中、オッフェンバックの「天国と地獄」の音楽が流れ出すと、それに合わせて女子放送係が
「1500走選手入場」を告げました。
私たちが小走りにスタート地点に向かい出すと一斉に拍手と喚声が沸き起こりました。

この後の私の記憶は非常に断片的なものでしかありません。
まるで病の高熱の中で見た夢か何かのようにしか思い出せないのです。
私の意志があえて記憶を掘り起こさないのか、それとも走りに没頭していたために本当に記憶がないのか。
たぶん、それは両方を含んでいるように思えます。
私は完全に周回遅れとなってしまったのですが、私をスッと追い抜いていった5、6人の中にSがおり、彼が
私を振り向きながら笑顔で「頑張って」と言ったことだけは鮮明に覚えています。
1500M走は6周と半分ぐらい走ったと思うのですが、それが何周目だったのかは不明です。
どんなレースになっていて、自分がどのへんにいるかなど全く判断がつきませんでした。
ただ時々、なぜか私の名を呼んだ下級生の女生徒たちの声援がひどく印象に残っています。
風景は揺れながら見え、身体の疲労感は感じないままでした。
私のちょうど半周前でゴールインしようとしている一人の選手が目に入った時、私はようやくレースの結末を
理解したのです。



215名無し物書き@推敲中?:2006/03/26(日) 19:59:16
(その50)
最後の半周は私一人だけが走っていたことになります。
「健闘のご声援をお願いします」という放送係の声を微かに覚えています。
度々運動会、体育祭で見た記憶のある、あの無様な最下位の走者。
大きく離されながら最後まで走りぬく走者への哀れみと、優越から送られる大拍手。
しかし、心の込められた拍手。
今、私があの哀れみの走者でした。
四方で大拍手が沸き起こり始めたことは分かったのですが、この後ゴールするまでの記憶はありません。
音も、風景も消えてしまいました。
たぶんこのあまりもの醜態を覚った私の全神経が一切の感覚を麻痺させたのでしょう。
ゴールした時、それでもどこか神経は解放されたのか、再び大拍手が遠くから耳元に寄せてきました。
私は走りながら適当に応援席の裏に姿を隠し、そのまま速足でしばらく歩いて気の向くまま下級生の席に
紛れ込んで座りました。
今起きたことの実感はありませんでした。
走った満足感もなければ、後悔もない。
初めから何もなかったことと同じような感覚でした。
といってそれは虚無感でもなかったのです。
生徒たちの興味は既にリレーへと移っていました。
この時、これも運命というべきか、皮肉と呼ぶべきか、私は本当に驚くべき場所に座っていたことに
気づきました。
「僕、速かっただろ?」
そういう会話が急に耳に入って隣を見ると、一人おいたその横になんとYの弟が座っていたのです。
落ち着いて、上品な微笑を浮かべた横顔。
彼が私という人間のことを知っていて話し始めたとは到底考えられませんが、私は、よし、最後まで
ここにいようと決めました。




216名無し物書き@推敲中?:2006/03/27(月) 01:15:45
まだ高校時代かよ。
>>1を読み返してみると大学から話が始まるような感じだぞ。

まだまだ続くみたいだけど、もう初めのほう全然覚えてねえよ。
217名無し物書き@推敲中?:2006/03/28(火) 08:12:40
>>216
読み返せばいいだけのことだろう。
それに中途半端で主がいなくなるより、スレを使い切ってもらったほうがいい。
218名無し物書き@推敲中?:2006/03/29(水) 12:37:39
(その51)
リレーが始まった途端ウォーッ!という凄まじい喚声がグラウンドを包み込み、それは終わるまで
続きました。
私は、この熱狂で一時でも早く皆の脳裏から私の哀れな姿が消えてくれるよう祈る思いでした。
ただ、このとき私はYの弟のすぐ傍にいてどこか癒されてるところもあったのです。
ただ彼の傍にいるだけで冷静でいられ、何も考えないでいられたのです。
リレーが終了すると、整理体操のために生徒たちは学年別、クラスごとに集合しなければなりません。
それは必死に隠れていた場所から引っ張り出されるような、大変恐ろしい時間でした。
私を見つけるなりすぐに近寄ってきた小柄の生徒がいました。
「君はやっぱり出たんだね?」
彼は1500M走のクラスの代表選手を選ぶとき、冗談で私の名を挙げた生徒でした。
なにやら深刻な顔をして私を見つめるのでしたが、私は返事をしませんでした。
答えようがなかったのです。
誰とも顔を合わせたくなく、話したくもなく、私は教室に入るのをためらってグズグズと校舎周辺を
歩き、またあてもなくあちこちと廊下をさまよいました。
既にひっそりとし始めた一階の廊下を歩いているとき、突然マットを運ぶ二人の女生徒に出くわしました。
前にいたのはMTでした。
MTはややためらいながら軽く頭を下げて通り過ぎました。
219名無し物書き@推敲中?:2006/03/29(水) 13:58:24
(その52)
下校の途中のことでした。
私はバス通学したり、自転車で通学したりしていたのですが、このときは自転車でした。
R川の橋にさしかかったとき、誰かが明らかに私を待っているのが分かりました。
Kでした。
「よ」と言って私は自転車を止め、Kの言葉を待ちました。
「君は偉い」
Kは力のない声でそう言い、ジッと私を見つめました。
その表情で、私には彼が直前になって飛び入りから逃げ出したことを相当気にしていることが理解
できました。
私にはKを恨んだり、蔑んだりする気持ちはほとんどなかったように思います。
元々誘い込んだのは私でしたし、むしろ「偉い」と言ってくれるだけありがたいものでした。
ところがKが次に語った言葉が私を急に嫌な気分にさせたのです。
「Eが随分ひどいこと言ってたよ。あんなヤツ出したのは誰だ、三年の恥さらしじゃねえか、って」
「別にいいよ、恥さらしに間違いはない」
その程度のことなら、私には覚悟の上のことでしたから。
それだけ言うとKは私から去っていきました。
なんだ、あいつ、何のために待ってやがったんだと、私は別れてから後に急に腹立たしさを覚え、
不愉快でなりませんでした。

後に、それはもう相当の年を経てからの話になりますが、Kが私に打ち明けたことがあります。
「俺が君を尊敬し始めたのは、あの飛び入り行為を目の当たりにしたときだ。こういう人間が本当に
いるんだという衝撃を受けた。俺はグラウンドの四方に立って君の名を呼んで応援したんだ」
そして、R川の橋で待っていたときにもそういうことを話したかったのだが、勇気がなくてあの時も
逃げてしまったのだということでした。

220名無し物書き@推敲中?:2006/03/29(水) 18:50:51
wktk
221名無し物書き@推敲中?:2006/03/31(金) 00:39:07
わくて
222名無し物書き@推敲中?:2006/03/32(土) 20:06:45
その文章力テラウラヤマシス

続きはまだかな…?
まだかな…?

いつまでも待ってるけど、ラストまできっちり書いてくだちい
m(__)m

223名無し物書き@推敲中?:2006/04/02(日) 21:55:58
亜阿留川
224名無し物書き@推敲中?:2006/04/04(火) 17:31:46
(その53)
人の防衛本能は潜在意識的にも大いに働いているようで、無残な記憶は完全にとまではいかないまでも、
最低限心が平衡を保っていられる程度までは消してくれるもののようです。
もし、私の記憶が鮮明にあの体育祭の醜態を残していたら、決してこんなふうに懐かしさまじりに
振り返ることなど出来ないだろうと思います。
実はぼんやりとながら、私には最下位のゴールが迫った付近で、私の足元に誰かが投げたか蹴ったかした
バスケットボールが飛んできたのを見た意識があるのです。
例の“レインボー作戦”でパートナーだったTが蹴ったバスケットボールの印象と非常に重なっている
ので、これはきっと夢の断片なのだろうと思い込んではいますが、もしあの時それを事実と認識していたら
その侮辱行為に、私は立ち上がれないほどのショックを受けていたことでしょう。
しかし例え出来心で起きたこととはいえ、自らが招いた醜態だけに後悔も出来ない、また、したくもない
厳しい現実ではあったのです。
またもう一つ、弟が出場している以上Yもまた弟を応援すべくこの競技を注目していたことは間違い
ないことでした。
そんななか私という場違いな人間を発見して、さぞかし幻滅を覚えただろうことは容易に想像のつくことでした。
そもそもオクラホマミクサーの練習で彼女の意志に応えられなかった一件以来、私はYからは遠ざかるを得ない
状況になってはいたのですが、これでますます私はYの顔を見られない心境に陥ってしまったわけです。

この頃になると受験のこともあって、あまり原稿には向かっていなかったと思いますが、ノートの端や日記の
欄外に短歌や俳句を書き込んでおり、そのなかからまた文藝コンクールに応募したりもしていました。
浮かない日が続いた頃、そんな陰鬱な気持ちを吹き飛ばすニュースが飛び込みました。
夏休みにYをモデルに書いた小説が入賞を果たしたのです。
225名無し物書き@推敲中?:2006/04/04(火) 18:17:42
(その54)
鬱屈した日々を送っていただけに小説の入賞の報せは大変な喜びでした。
傾きかけていた自信が再び目覚め、勇気が一気に湧いたものです。
その一月後になるでしょうか、発売日に合わせて出版社から雑誌が送られてきました。
一年の入賞よりも、レベルの高い賞の受賞で、日本文学の著名な文藝評論家が私の小説を単独で
取り上げて解説していました。
一言でいえば「よく書けている、結末はやや安易だが」という評価でした。
著名な評論家が自分の小説を読んでくれた、評価までしてくれた!
何度見つめ返しても信じられないような喜びでした。
めったに教師とは会話しない私でしたが、翌日私は雑誌を持って職員室に行き、担任の国語教師に
この報告をしたのです。
ただ私の場合は一年の時に一度掲載された経緯があって、再度の掲載はされなかったのでこの入賞を
知った生徒はそう多くはなかったかもしれません。
Yがモデルなだけに掲載されていればどんなにかYも私を見直してくれたことだろうとは思うのですが、
それだけが今も残念でなりません。
もっともこの時、私はYに対しては大きな優越を感じ、自分の世界、人生はお前みたいな田舎の小娘など
相手にはしないんだと傲然と思ったものですが。


226名無し物書き@推敲中?:2006/04/04(火) 19:46:44
今日初めてこのスレ知ったんだけど・・・
本はあまり読まんし文章巧いとかそういう事はわからないけど
夢中で読み耽った。続きを楽しみにしてます
227名無し物書き@推敲中?:2006/04/10(月) 22:44:42
待ってます。m(_ _)m
228名無し物書き@推敲中?:2006/04/10(月) 22:47:13
229名無し物書き@推敲中?:2006/04/10(月) 23:54:55
作者は今何系の仕事に就いてるの?
230名無し物書き@推敲中?:2006/04/13(木) 12:17:04
期待age
231名無し物書き@推敲中?:2006/04/13(木) 17:56:34
(その55)
「詩人となるか、さもなくば何にもなりたくない」

このヘルマン・ヘッセの青春時代の心情は、大学受験がいよいよ現実味を帯びてきた時点でも相変わらず
私の胸に潜んでおり、どこの大学、どこの学部に入ろうと私の思いもただ小説を書くということの一点しか
ありませんでした。
「小説家となるか、さもなくば何にもなりたくない」
そういう心境だったわけです。
卒業したら公務員になるとか、大企業を目指すとか、どんな資格を取って、どう地固めするとか、そういう
実際的な発想は微塵もありませんでした。
大学もMARCHならどこでもいいぐらいの考えでしたし、せいぜい法学部を漠然と目指した程度です。
性格的に実社会で成功出来るような器でないことは自分が一番よく判っており、両親もまた子供の頃の
ような過度の期待はとうに捨てていました。
私よりも弟の方に期待が大きかったようです。

さて、二学期の終わり、またも嬉しいニュースが届きました。
文藝コンクールに応募した短歌三篇が佳作入選したのです。
このコンクールは文部省が後援していたため、三学期の終業式の日に全生徒の前で校長から表彰状を受け取る
という名誉に与るのですが、高一の時に小説の入選で一度体験したことは既に書いた通りです。
この入選については誰にも知らせることはありませんでしたが、いつだったかクラスに置いてある受験雑誌を
それとなく見ていましたら、文藝コンクールの入選発表のページに私の名前が記載されており、その箇所に
誰かが赤色で線を引き「文学少年」と書いていました。
ただ、終業式というより私たちの場合はもう卒業式になるわけで、果たして表彰があるのか、また時期的にも
受験で上京している頃になるので、多分その名誉を受ける機会はないだろうと思っていました。


232名無し物書き@推敲中?:2006/04/13(木) 18:42:53
(その56)
上京への希望の膨らみと相反して、一方ではYへの愛情が深すぎて別れの不安、心細さもまた募って
いったのです。
YとMTに年賀状を出したところ、二人からは奇麗なお返し年賀状が届いており、依然Yの私を意識
した態度は消えてはいませんでした。
もう激しい感情を表していた頃のYではありませんでしたが、離れようとすれば寄ってき、寄ろうとすれば
離れるというおなじみの場面を繰り返していたわけです。
彼女がどこを受験するのかは皆目分かりませんでしたが、どこを受験しようと、例え同じく上京するにせよ、
私が黙っていたのではもう本当に終わりだと思っていました。
ぼんやりと考えていたのは、合格したなら上京前に直接彼女に会ってこの先の交際を申し込むことでした。
具体的には文通し、帰郷の際に出会って友好を深め合うこと。
まあ、友好というよりは私にとっては愛情なのですが、愛情を告白するまでの自信、勇気はなかったのです。
お義理でもいいからYにはせめて文通だけでも許してほしい、そうでなければ私は本当に現実感を喪失する
ような恐怖を覚えたのです。
最後の学期は、受験や就職試験などの関係で、二月の初めには自由登校となってしまいます。
そうするとよほどの用でもない限り、登校する三年生はいなくなり、実質二月初旬が別れの季節ということに
なります。
卒業式でも全体が揃うことはありません。
いよいよ私にはYへの決断の時が近づいていたのですが……。


233名無し物書き@推敲中?:2006/04/13(木) 18:45:02
それにしても、無名草子さんたちとは、さぞやすごい作家先生の匿名書き込みなんでしょうね。
作家なんて才能が全てだから、津井ついみたいに、いくら努力したって駄目なものは駄目ですよ。
私なんか、早々に見切りをつけて趣味の世界で細々ですから。
          小説現代ショートショート・コンテスト優秀賞受賞 阿部敦良
234名無し物書き@推敲中?:2006/04/13(木) 18:47:14
ん?何か文体がどんどん太宰から離れてくぞ・・・?
235名無し物書き@推敲中?:2006/04/19(水) 15:25:11
(その57)
時期的なこともあって、なかなかYへの接触も叶わないまま日々は素早く去っていきました。
そして何も起きないまま、ついに最後の登校日を迎えたのです。
Yと会話の出来る機会もないままとうとう放課後になり、私はK、N、Sと四人だけでクラスに居残って
雑談を交わしていました。
その間も終始Yのことが頭から離れず、私の気分は最低で、話も適当に合わせているばかりでした。
校内中を探し回ってでも彼女を見つけるべきだと分かっていながら、身体がいうことをきかないのでした。
この時、室内の前のドアがそっと開き、一人の女生徒が顔だけ出してこっちを見、すぐにまたドアを閉めて
行ってしまったのです。
今の子はもしや……と思いながら、私は「今の、誰?」と訊きました。
するとSがポンと私の肩を叩きながら「Yだよー」と言って笑ったのです。
やはり!
この時こそ私は追いかけるべきでした。
しかし、私の身体は椅子に張り付いたように微塵も動こうとはしないのでした。
何か目に見えない魔物に押さえつけられてでもいるかのようでした。
私には、ドアを開けて顔を覗かせた女生徒がなぜすぐにYと分からなかったのか、今も不思議でなりません。
もし一瞬で彼女と判断し、仮に視線でも合っていたなら私は立ち上がっていたような気がするのです。
なぜなら私たちはいつでも視線で会話できたからです。
私が名残惜しく教室に居残っていたのと同じ理由でYもまた教室を覗いたのであったのなら、それはお互いの
顔を合わせることだけで容易に理解できたはずだと思っているのです。
こうして私は三年最後の登校を終えたのでした。
不本意なYとの別れの日でもあったのですが、それでも私にはまだ本当にYと別れたという意識はありませんでした。







236名無し物書き@推敲中?:2006/04/19(水) 18:06:43
(その58)
慌しく、息苦しい受験が続きました。
ビジネスホテルに宿泊したのですが、最初の二日間は父親も一緒でした。
北海道から来ていた男子受験生と知り合って、少し会話したりもしたのですが、私はこんな場合ですら
Yの話を持ち出したものでした。
私は彼に比べてあまりに幼過ぎる自分を感じざるを得ませんでした。
ただ話し合っているだけで私は打ちのめされるのでした。
話し方、考え方、態度、社交性などのどれをとっても彼は優れており、大学生になるということはせめて
このぐらいの落ち着きを取得していなければならないのではないかという不安すら覚えたものです。
一日だけ同じく上京していたSと行動を共にしたことがあります。
その日はちょうど卒業式の日でした。
新宿で落ち合った私たちは“卒業式に出席しないでいられる”幸運を喜び、また奇妙な快感を分かち
合ったのでした。

威張れた結果ではありませんでしたが、私はMARCHの一校の法学部に合格しました。
KとNは別の大学ながら共に地方都市である隣県の私大に進学を決め、Sは残念なことに失敗して
しまいました。
ある日、バスの中で私はたまたま一年の時に同じクラスだった男子と乗り合わせました。
彼は私を見つけると嬉しそうに寄ってき、卒業式前日の予行演習の話をしてくれたのです。
「その日は、ほら、君が入選した短歌の表彰があってね、君がいないもんだから、A君が代理で
賞状を受け取ったんだ。それが、彼の足がガタガタ揺れて止まらないもんだからあちこちで笑いが
起きてね、ホント、おかしかったよ」
短歌の入賞や表彰のことなどすっかり忘れていたことでもあり、その話は私をとても幸福な気持ちに
させてくれたのでした。
そして、その時YやMTもそれを見ていたのだろうか、もし見ていたのなら少しは自分も栄誉を
もしいたのなら少し感じるのだがなあと思ったのでした。



237名無し物書き@推敲中?:2006/04/19(水) 18:28:31
一つアドバイスするならば1に必要なのは健康だと思う。
238名無し物書き@推敲中?:2006/04/22(土) 11:16:50
(その59)
受験もほぼ終了した頃、私は高校に合格の報告をするため担任を訪ねました。
もっとも、目的は一番気にかかっていたYの進学を確認することだったのですが。
臆することなく私はYの合否について質問することができました。
Yは地元の国立とK、Nが進む隣県にある市立を受験したのですがいずれも失敗し、来年も同じ大学を挑戦すべく
予備校に通うという話でした。
これで私の思い描いていた計画はほとんど消えてなくなってしまったのです。
私はYの弟に会って電話番号を訊くなり、または思い切って住所を訊いて直接家を訪問しようかとまで考えて
いたのでした。
そしてあのYの中学校の庭に赴き、二人きりで未来を語り合えたら最高だと思っていました。
しかしまさか失敗した彼女にそのような申し込みを出来るわけがなく、上京までのしばらくの休息の日々もあまり
私には楽しいものではなかったのです。
浮かない顔していることも多かったようで、母親が心配しながら声を掛けてきたものです。

私はもの心のついた頃から、生まれ、育った自分の土地にどうしても愛着が持てず、いくら友達がいようと、
いくら土地の習慣に忠実であろうと、一生をここで暮らすことなどないだろうと確信していました。
それは両親とも同じだったようで、子供たちをこの土地に置いていたいという気持ちはなかったようです。
父親は酪農の発展に相当寄与した人間でしたが、出身が他県の人間であるためそれを快く思わない地元連中の意地悪、
嫌がらせに相当苦しめられていました。
時とともに段々そういうものもなくなっていったとはいえ、子供の頃にそういう場面を見て育った私にはこの土地に
対し、一種の憎悪すらありました。
親しい人たちは後継ぎとしてよく私の名をあげていましたが、両親には後継ぎさせる気などは全くなく、また私の性格
からもこんな土地に住んでいられる人間でないことは充分理解していたのです。
既に小学校時分から上京することは決定されていたのでした。

239名無し物書き@推敲中?:2006/04/26(水) 06:53:18
なんでさっさと小説書いて賞に送らないんですか?もったいない
三島に対する平野のように太宰に対するソレくらいにはすぐになれると思うが
まああんなんなりたくないってんなら話は別だが貧乏性の俺からすると
もったいなく感じちゃうなあ
240名無し物書き@推敲中?:2006/04/26(水) 16:20:36
239のレベルが知れるレスだな。
それにこういう文体と文調子で書くやつは実は結構応募して落選してるのが多い。
当然気付いているとは思うがこいつはフィクションを交ぜている。
241名無し物書き@推敲中?:2006/04/27(木) 01:32:50
>>240
他人を批判する前に日本語の勉強をしろ
242名無し物書き@推敲中?:2006/04/27(木) 06:45:40
太宰チックな文体・私語りで今更勝負できるほど文学はウブじゃない。
だいたい平野と三島なんて結びつかないし、それと同じくらい1は太宰と
結びつかない。それは、たしかに貧乏性のお里が知れる感じ方だわな。
てなことを240は言いたいに違いない。だろ?

ラノベか中間小説ってとこだが、まあ本人が気分よく書いてるんならそれで
いいんじゃない。
243名無し物書き@推敲中?:2006/04/27(木) 10:19:29
>>240>>242が文章下手な件
244名無し物書き@推敲中?:2006/04/27(木) 19:02:49
そして239は全く反論できずに筋違いにボソボソ言うのであった。ちゃんちゃん
245239:2006/04/28(金) 05:00:37
反論もなにも>>240さんの2行目なんかには特になんの説得力も感じませんし
フィクションうんぬんの部分もだから何?ってカンジですね。巧みに
フィクションを織り交ぜる(作り出す)技量というのは作家にとって必要不可欠
なわけでむしろ褒め言葉なんじゃないですかねwそれはw
そもそもなんで叩かれたかわからんですね。相当>>1さんの文章に
コンプレックスがあるんですかね。この人は。あ、>>239の半分は冗談ですよw
当たり前です。そのくらい見抜いてくださいwスレ汚しになるのでこの辺でww
246239:2006/04/28(金) 05:03:36
あーまずいageてしまった。>>1さんの文章はそんなのとは関係なく
素晴らしいと思います。それでは
247名無し物書き@推敲中?:2006/04/28(金) 13:42:23
>>240,242
くだらない煽りをして場を荒らすなよ。
そういうのはチラシの裏に書いとけ。

>>1の文章を楽しみにしてるやつもいるのを忘れるな。
248名無し物書き@推敲中?:2006/04/28(金) 18:46:40
言っておくが、俺は1を批判してはいないからな。全くしていない。ただ賞に出すべきだと抜かす239に対してその旨にそくして応答しただけ。
240にある自分自身への嘲笑を、1へのものであると勝手にすり替えて読むことで、感情的にwなんてレスを返してくる239を再び嘲笑わないわけにはいかない。
ただここに定期的に書き込みをしているだけの1は、239の絶望的な読解力の無さに不快な巻き添えを被るのであった。
またその件に関しては、1には只々申し訳ないと思っている。
249名無し物書き@推敲中?:2006/04/28(金) 19:11:07
そろそろ話についていけなくなりつつある…だれがだれなのか……これで太宰っぽいな俺♪みたいなノリで終わらないことを願う…
250名無し物書き@推敲中?:2006/04/28(金) 20:23:53
>>240=>>242=>>248
うざい
251名無し物書き@推敲中?:2006/04/30(日) 10:17:12
そもそも239が、1の小説(ラノベ)を三島や太宰の文学と比肩し得るかのような
勘違いをしているからだな、そーじゃねえだろって240のレスに同調して反駁した
んだよ。
気にいらない意見はすぐ「煽り」「荒らし」ってか。
1の小説を楽しみにするのは勝手だし、そういう心情をバカにしてるわけじゃないだろ。
文章に対する好き嫌いなんて問題にしてないっつーの。
多分キミたちより頭が良いだろう1は、「私は太宰治の再来です」なんて勘違いはして
いない、はず。
つか、1もなんとか言いなさい。240がしっかり相手するから。
252名無し物書き@推敲中?:2006/04/30(日) 20:50:12
(´・ω・`)<皆さん、変なのが紛れ込みましたがスルーの方向でお願いします。
253名無し物書き@推敲中?:2006/05/01(月) 15:26:02
>>1です。
いつも同じことしか言えませんが、読んでいただいてる方には本当に感謝しております。
元々小説のつもりで書き出したものではなく、最も努力すべき時代、活動すべき時代を無為、無惨に
やり過ごして、これまでの人生を台無しにしてしまったという悔いても悔いても悔やみ切れない心情を
誰かに宛てて吐露する同時に、これからでも遅くはない、やり直そうという決意を心に埋め込むために
始めたものです。
私はいつも自分に言い聞かせるのです、「自分は自分の青春に責任を負っている」と。
周囲の期待をまんまと裏切り、人生の裏通りをコソコソとしか歩けなかった虚しい自分の姿と、少なくとも
まだ人生の表に立っていた青春の初めの頃の自分の姿との差異を思い、嘆くたび、そう言い聞かせるのです。
二十歳を過ぎれば、一年一年、見事に人生は熟年、老年に向かって突っ走り始めます。
青春の輝きの中で快活に振舞える時期はごく一瞬でしかありません。
これまで書いてきたYやMTの思い出は決して幸せな記憶ではありません。
けれどもそれですら、いや、それらこそが燦然とまだ自分に降り注いでいるかのような青春の光、青春の輝きの
証明なのです。
当初の思惑と違って、だいぶ長い文章になってしまったのは、一字一字のその記憶の中に現状の自分が嗅ぎ取ら
ねばならない人生の「輝き」の意味を考えるいいきっかけになり、また、ますます「青春の責任」の重みを自覚
することが出来たからです。
書き記したことの全ては私が体験した事実です。
(フィクションを交えた「私小説論」についてなら、別にまた機会があれば皆さんと共に論じ合えるといいですね)。

思いがけず、読んで頂いている方々から声も掛けられて勇気も感じられる最近です。
当初の思惑を変更して、これまでの文章を「第一章」とさせてください。
そして上京後の話となるこれから以降を「第二章」として開始したいと思います。
今後ともよろしくお願い致します。



254名無し物書き@推敲中?:2006/05/01(月) 16:02:43






第二章






255名無し物書き@推敲中?:2006/05/03(水) 08:17:14
どうでもいいけどここまで書いたんだからちゃんと終わらせてくださいね
続き楽しみに待ってます
256名無し物書き@推敲中?:2006/05/06(土) 17:03:49
>>253
あらら、事実に基づいたほろ苦い青春の記録とは、呆れるじゃないか。
1もなんだか勘違いしているようだし、この際ハッキリ指摘しておこう。

君の文章は、小手先なんだ。
フィクションのつもりで書いたのではないと言うが、君の文章には、ミエミエの気取り
があって、太宰のもつ文章の風味を、極めて安易に自分の「文才」にまぶそうとする。
それは、書くことの努力や苦しみを一番手軽に回避する方法であり、逃げなんだ。
太宰文学のうわっつらの情緒しか読めてないから、そんな書き方をするのさ。

君は自分の青春に責任をもつ前に、まず自分の言葉に対する責任、矜持をもちなさい。
自伝に、つまらない他人のモノマネは必要ない。私小説としても最低だ。
そんなみてくれに捉われた人生に、誰が深く感動するか。
だから、君に与えられるのは、「文才がある」とか「うまい」とか「一気に読めた」
とか、そんな凡眼の褒め言葉ばかりなんだ。
ラノベとしては、それで十分さ。それ以上のものを求めるジャンルでもないし。
よって君の文章をとやかく言うつもりはなかった。
しかし、自伝や私小説というなら話は別で、幼稚な観念をこねくり回したり、他人の
ふんどしで相撲をとろうなんて、文章の巧拙以前の問題であるから、ほかの者もよく
肝に銘じておくように。
257名無し物書き@推敲中?:2006/05/06(土) 22:05:54
ご丁寧にお疲れさま。以下第二章
258名無し物書き@推敲中?:2006/05/07(日) 00:44:04
この高校生活で無為、無惨といわれたら、俺には何も残らない('A`)
259名無し物書き@推敲中?:2006/05/07(日) 02:14:43
>>256
これ以上何か書くならトリップつけてくれ。
透明あぼーんするから。
260名無し物書き@推敲中?:2006/05/07(日) 19:58:27
>>256

>>1です。
ご指摘ありがとうございます。
小手先の文章、書くことの努力や苦しみからの回避というのはその通りだと思います。
前にも書きましたが、なにぶん仕事の合間に即興で書き込むだけなので、細かい配慮に
欠けていることは重々認識しています。
自伝のつもりも私小説のつもりもなく、無為に過ぎた時間を回顧、反省し、遅まきながらも
現状を少しでも変えたいつもりで書き込んでいます。
太宰の文章を意識したつもりも全くなく、似せて書こうと考えたこともありません。
似てるのかなあ?と思いながら「人間失格」をパラパラめくりましたら、「なるほど」と
思ったりもしましたが、それでもあの太宰治まで持ち出されるとこっちが気恥ずかしくなり
ますのでご勘弁ください。
新人賞に応募していいところに残ったこともありましたが(後に書きます)、その小説の
文体は確かに今のような調子ではありませんでした。
ただ、あなたのご叱責にもあるように、私は書く苦労や努力、さらにプレッシャーから逃避
し続けた人間です。
小説以外の場所ではいくらでも書いたのですが、修行にはなりませんでした。

次回からは上京後の話を書いていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
261名無し物書き@推敲中?:2006/05/07(日) 22:18:49
>>1
あんた気に入った。
262名無し物書き@推敲中?:2006/05/08(月) 22:23:55
「太宰治で人生棒に振りました 」

その気恥ずかしい太宰治を持ち出してるのは、どこの誰かね。
少しでも自分の人生に向き合う心があるなら、自分の言葉にも正直に向き合うことだ。
自分のために書いているものに、「第二章」なんて体裁は必要かね?
誰かに読んでもらうために書く。そうでなけりゃ、こんなとこに文章晒したりしない。
いいじゃないか、それで。なにが恥ずかしい。
君の「つもり」なんて誰も読みやしない。事実そこにある言葉から逃げていたら
何も変わらんよ。

回顧録でも自分探しでも、まあ君の自由だ、あとは好きにしたまえ。
263名無し物書き@推敲中?:2006/05/10(水) 10:22:31
>>262
お前いい加減消えろよ。うざい。
俺は>>1の小説を見たいのであってお前のくだらない説教なんざ見たくない。
チラシの裏に書いてろ。
264名無し物書き@推敲中?:2006/05/11(木) 01:13:07
>>262
とか言いながら2章楽しみなんだろ?

265名無し物書き@推敲中?:2006/05/12(金) 23:31:10
>>262の何かを意識しすぎた口調がたまらなくいい。
社会から疎外された者と同じ匂いを感じる。
266名無し物書き@推敲中?:2006/05/13(土) 10:50:37
(その60)
  
  第二章

人は、何気ないある選択……ほんの気紛れや、ちょっとした好奇心から選んだ別れ道の一本が、
実は人生の大きな分岐点となることがあるという現実に、あまりに無頓着でいるような気がします。
若さに潜む油断といっていいかもしれません。
いつでも方向転換は可能だという驕りや、いざとなれば引き返せばいい、やり直せばいいという
時間への甘えがあるのでしょう。
しかし、行き過ぎたと感じたときには戻る時間の余裕はなく、戻ることはまた途方もない無駄にしか
思えないのです。
焦りと苛立ちをひた隠しながら、先細りするだけの自分が選択したこの道を自分はあくまでも切り開く
のだと半ば諦め、この道の始まりに遠い目を向ける。
ふと悲しい思いが寄せてくる。
自分は選択したのではなく、迷い道に入り込んだのではなかったのか……?

大学では何かを学ぶというより、もっと本格的に文学の道を進むのだと私は考えていました。
もっとも本格的な文学の道というのが何を意味するのか、またそういうものがあるのかどうか理解して
いたわけではありません。
ただ漠然と意識していたのは文芸サークルに入って、小説や詩を書く仲間と交じり合い、小説を書くこと
に集中して早く世の中に出たいということでした。
今思えば、なんとも滑稽な妄想にしか思えないのですが、相当な自信を持っていたようです。
高名な文芸評論家に論評されたこと、詩や短歌を含め、何か書けば必ず入賞したこと、また高校生向けの
出版社2社からの原稿依頼の数々がその自信を裏付けていたのです。
もっとも原稿依頼といっても、ほとんど高校時代のことで、依頼と同時に出版社名の印刷のある原稿が
送られてきたのですが、応じたのはほんの数回で、この時はペンネームを使用しました。
視野の狭い田舎の一青年が、たかだか高校時代の淡い栄光を誇る図は、いかにも井戸の中の蛙そのもの
でした。
267名無し物書き@推敲中?:2006/05/13(土) 11:41:38
(その61)
授業のオリエンテーションに向かう途中、ひっきりなしにサークルの勧誘員が声を掛けてきました。
今も強く印象に残り、思い出す記憶があります。
それは髪が長く、ジーンズのよく似合う女子学生で、私に強引にチラシを押し付け、握らせ、
「申込み回答は〇番ボックスに入れておいてね」と呟くように言ったのです。
俯いた面長の顔の半分が垂れた髪に隠れていましたが、瞬間だけ視線を合わせてすぐに俯き、閉じた
ような大きな目が一遍に私を惹きつけました。
チラシには「人生問題研究会」と書かれていました。
彼女は慌しくすぐにどこかへ行ってしまい、話す間もなかったのですが、私は凄く気になり、早速
サークルポストの〇番ボックスを探し回ったのでしたが発見できませんでした。
次に二人の女子学生が私を勧誘したのですが、他のうるさい連中と違って非常に清潔で自然な印象が
好ましく思えました。
彼女たちは「混声合唱団」の団員で、一人はしっかりした姉さんといった感じ、もう一人はひとめで
男たちを惹きつけるだろう愛らしい顔立ちをしていました。
色白の顔に微笑を浮かべた、ひどく内気そうな印象でした。
姉さん肌の子が「オリエンテーションが終わったら迎えにくるから」と言ったのですが、私は特に
拒否もせず、こんな可愛い子と一緒にいられるなら合唱団でもいいなあ……と、文芸研究会に入る
意志がぐらついていました。
オリエンテーションが終了すると、外で待機していた各サークルの勧誘員たちが、これと目星を
つけた新人たちを再度説得するべく室内に入ってきました。
私の背後に「お迎えにあがりました」という囁くような声が聞こえました。
振り向くと、先ほどの可愛らしい子が例の微笑を湛えて一人私を見つめていました。
268名無し物書き@推敲中?:2006/05/16(火) 13:04:23
(その62)
彼女は淡い青、桃、黄の三色混じったセーターを着ていたのですが、それはあまりにおっとりとした雰囲気に
ぴったりした感じでした。
どこか安穏とした眠たさ、堅さを包み込む柔らかさ、冷たさを和らげる暖かさのようなものを伝えてくるのです。
くっきりした二重まぶたの大きな目の、その目じりがやや垂れかげんなため、あくまでも優しく、可愛らしく
心を惹くのです。
彼女と並んでオリエンテーションに使用された教室を出、小ホールにさしかかった時でした、「すみません」と
いう声と同時に横から一人の色黒の男が現れ接触してきました。
「アカデミーといいます。男性合唱団です」と自己紹介し、「あちら、混声でしょ? 混声は大学公認のサークル
だけど、お金の支援のあるぶん、とても不自由ですよ」といろいろ説明し始めたのです。
男は彼女を知っていて、私の乗っ取りにかかったようでした。
彼女は困惑した表情でじっと待っていたのですが、男の話がなかなか終わらないため、しびれを切らしたのか
自分はこれから受付に戻らねばならない、終わったら来てくださいと受付の場所を私に教えて行ってしまいました。
なんだ、俺を守ってくれよと、私はなさけなく心の中で呟き、少し落胆したものです。
男はコンサートの写真を見せながらなおも話を続け、「考えておきます」という私の一言だけ得てやっと消えて
くれたのでした。
さて、解放されて一人きりになると、今度は彼女のいる受付に向かう自分の姿が、私にはがなんだかあさましく思えて
なりませんでした。
文芸をやる気でいたのが、たかが可愛い女の一人ぐらいでぐらつき、といってアカデミーの誘いを毅然と拒否もできない
弱々しい自分。
鬱々しながらも、どこか甘いものを感じながら、私は受付に行ったのです。
ある棟の混声合唱団受付テーブルには彼女が一人だけついていました。
「おかえりなさい」と彼女は言い、私は傍に立ちました。
まもなく他のメンバーが交代に現れると、私は彼女に連れられて部室に向かったのです。
部室に入ったとたん、室内にいた5、6人のメンバーから「おお、確保か?」と歓声のようなものが沸きました。




269名無し物書き@推敲中?:2006/05/16(火) 16:05:29
純文学専門サイトです。
http://www.geocities.jp/kzkw2000/
270名無し物書き@推敲中?:2006/05/17(水) 05:18:52
久しぶりにこのスレを発見した・・・ちょうど一年ぶりか?
読みたいけど時間がねー。でも楽しみだ。>>1
期待
271名無し物書き@推敲中?:2006/05/17(水) 10:54:39
今追い付いた
超おもしれー、が正直二部はどうなんだ?
まあ今後の展開に期待
272名無し物書き@推敲中?:2006/05/21(日) 20:06:53
そろそろタイトルにつながるものがほしいですね
どこでつながっていくのだろうというワクワク感でここまできました


273名無し物書き@推敲中?:2006/05/25(木) 12:11:16
(その63)
椅子を勧められて座ると、すぐに一人の男子部員が横にやってきて色々話しかけてくれました。
彼は隣県の出身でした。
「バスか、バリトンか。バリトンだな」
私たちの会話を聞きながら別の男子部員が私の声を判断して言いました。
女子部員の誰かが何気なく何かの歌を歌い出すと、例の彼女が短い小節でしたがそれに合わせました。
自然と心のなごむ瞬間でした。
奇麗なハーモニーが、おお、合唱団とはさすがにこういうものかと思わせてくれたものです。
心地よい時間がしばらく続いた後、彼女はまた受付に出ることになったのですが、私も一緒に行くことに
なりました。
私を受付に置くことで入部を既成事実化しようとする作戦だったのか、あるいは可愛い彼女にこのまま
くっつけておこうという、いわば私の本音を見抜いた作戦だったのか、それはよく分かりません。
ともかく私には有難かったのですが、結果はそれが裏目に出てしまったのです。
私も彼女も大変な内気もので、同じ受付に並んで座ったまでは良かったのですが、会話がないのです。
先輩たる彼女からの話しかけを待って、チラチラと彼女の横顔を見るのですが、硬く身体を萎縮させた
まま、彼女はただ私たちの前を行き交う学生たちに目をやっているだけなのです。
私は先程感じた自分のあさましさの感覚をまた膨らませるはめとなったのでした。
黙っていればいるほど、私はこうまでして彼女との接触を欲しているのかという気持ちに絶えられなく
なっていき、そしてまた彼女自身からはそういうあさましさを見破られているのではないのかという
焦慮に取りつかれたのです。
たぶん、一緒にいたのが彼女でなく、さっき話を弾ませた隣県の男子部員であったのなら、私は流れで
混声合唱団に入部していただろうと思うのです。
そうすれば私の運命は全然今とは違ったものになっていたのではないかと考えたりもするのです。





もう入部したかのような空気があり、私自身、
274名無し物書き@推敲中?:2006/05/25(木) 13:46:09
(その64)
私は文芸研究会の人間と会ったことはありませんでしたが、既に部室の場所は掴んでいました。
受付の沈黙との格闘で汗流すより、一度そこを訪ねてみよう、この方が気が楽だと考えました。
私は突然彼女に申し込んだのです。
「あのう、僕、ちょっと文芸研究会に行ってきます」
彼女は、ただ「はい」と答えるのみでした。
心なしその顔が寂しげに記憶されているのは、これ以後二度と彼女と遭うことがなかったからなのかも
しれません。

文芸研究会部室のドアを開けたとたん、私は驚きのあまり「あっ!」と声をあげてしまいました。
なんと目の前に高校で新聞委員をやっていた吉永の顔があったからです。
吉永もまたポカンとして私を見ていました。
吉永と私はまるきり縁のない人間でもありませんでした。
彼はNと同じクラスにいて、一度私たち三人は高校のクラスマッチに反抗して体育教師に絞られた体験が
あったのです。
三年の一学期、バレーボールのクラスマッチに反抗してボイコットを決め込み、着替えもせず教室で机を
くっつけて寝そべっている私を訪ねてきたのがNと、この吉永だったのです。
教師の息子で、甘やかして育てられているせいか、気がきかず、だらしのない所などは私と共通していた
ような気がします。
試合のさなか、私たちはひっそりと教室におり、私は相変わらず机に寝そべり、Nと吉永は読書していました。
と、突然外の廊下をバタバタと数人の走り去る音が聞こえ、その後ろからは何か怒鳴りながら誰かがそれを
追いかけていったようでした。
数秒後、今度は突然教室の前のドアが開き、「タヌキ」と呼ばれていた私たちの受持ちの体育教師が顔を
現しました。
275名無し物書き@推敲中?:2006/05/25(木) 14:06:32
イニシャルじゃなくなったのか?
276名無し物書き@推敲中?:2006/05/25(木) 14:12:12
(その65)
やばい……などと思う余裕もなくタヌキはつかつかと私たちに歩み寄ると問答無用でゲンコツで私の頭を
二度殴り、続いてN、吉永の順に一発ずつ殴りました。
自分の殴られる音は分かりませんでしたが、彼らの頭からはパカーンという乾いた音が響きました。
「あれは痛かったなあ」と、今でも苦笑しながらNは言うのですが、私には痛みの記憶はありません。
この後私たち三人はグラウンドに引っ張り出され、体育教師たちの前で正座させられたのです。
私が首謀者ということで前に一人座らされ、二人は私の後ろに並んで頭を垂れていました。
そして私たちとは別に捕まったグループ……多分、廊下を逃げ回っていた連中……はグラウンドの外周を
走らされていました。
この事件以降には、特に吉永と関わったことはないのですが、忘れられない人間のなかの一人ではあったのです。
彼は英文学科に入っていました。
私はザワザワした部室を一旦吉永と出て、今まで混声にいた経緯を話し、まだどこに入部するかは決めていないと
言いました。
それは吉永も同じで、入部するかどうか半々だと言いました。


277名無し物書き@推敲中?:2006/05/25(木) 16:50:07
おお!来てるよ
>>275
Yとカブるべ
278名無し物書き@推敲中?:2006/05/29(月) 20:11:57
1さんと同じように、青春時代に対する後悔の念を抱え、人生に対する焦燥感を感じています
1さんと違うのは、私の場合「もはや自殺しかない」という結論に至っているという点でしょうか
他人との埋めようもない差を目の当たりにして、死だけが問題を解決してくれると信じています
279名無し物書き@推敲中?:2006/05/31(水) 18:16:51
偶然に見つけて一気に読んだ。かなり文才あるよ。
あと気になったんだけど>>273の最後の行はあれでいいの?
280名無し物書き@推敲中?:2006/06/01(木) 00:23:09
高校時代の女ふたりが、魅力的に感じる。これが文才の魔法か。
281注目度NO.1精力剤:2006/06/02(金) 00:19:23
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282名無し物書き@推敲中?:2006/06/02(金) 13:31:59
>>278
生きてるか? 
今日は、もう金曜日だぞ。

そんなこと言わないで、明日と明後日を有効に使って、
あなたも小説を書きなさい。
283名無し物書き@推敲中?:2006/06/03(土) 10:56:36
(その66)
吉永と一旦別れた後、私は尚混声合唱団に後ろ髪引かれながらも再び文芸研究会の部室に戻り、最初の
気持ち通り、このサークルへの入部を決断したのでした。
ひとつには、感触として吉永も入部するだろうという思いもあったのです。
とすれば、混声の受付に戻り、彼女にこの報告をするのが常識だろうとは考えたのですが、その勇気が
なく、結局放置してしまいました。
入部した文芸サークルの部員は、いずれの人間にも混声に感じた暖かさや、親しみやすさはなく、新人
にはむしろ冷淡にすら思えたものでした。
非常な居心地の悪さがあり、なかなか慣れない雰囲気の中で、私は吉永の早い入部を期待したのですが、
彼は入部を拒否したのです。
「あそこのレベルは低いよ」と彼は言うのでした。
「年に一度研究会が選ぶF大賞ってものがあるんだけど、この間、あれ見て俺驚いたよ」
このサークルはF文学という文芸誌を定期的に発行していましたが、F大賞というのは部員に留まらず、
学内一般に小説の投稿を求め、最も優秀な作品を選出するというものでした。
そういう点では必ずしも狭量な活動ではなかったように思います。
このF大賞発表号は年に一度のことで、F文学もこの号だけはまともな装本にして発刊していました。
「龍っていう受賞作読んだんだけど、あれ、ウイリアム・ウイルソンのそっくり盗作だよ」
「え? 盗作って、まさか、ポーの、あれかい?」
私は信じられない思いで早速そのF大賞受賞作を読んだのです。
それは、まさしくポーの「ウイリアム・ウイルソン」の舞台を単に日本に移し変えただけの盗作でした。
284名無し物書き@推敲中?:2006/06/03(土) 13:24:53
(その67)
大衆割烹の座敷を一間借りきり、新人の歓迎コンパが催されました。
この席で、私たち新人は初めて全員が顔をそろえたのです。
私はテーブルの末席に座って成り行きを見ていました。
テーブルにはビールと酒が並んで、ほとんど大人の宴会と変わったものではありませんでした。
アルコールについて言えば、高校時代、親に黙って遊び気分でビールを炭酸飲料の代わりにチビチビ飲んでいた
ことがあります。
壜ビールの栓を抜き、少し飲んではまた栓をして冷蔵庫にしまっていたのですが、ある日、たまたま母親が
そんなこと知る由もなくお客にそれを出してしまい、父親に「気の抜けたビールを出すヤツがあるか!」と
怒鳴られる場面を見てしまい、それ以後に口にしたことはありませんでした。
さかんに母親が首をひねっているのが可笑しく、気の毒でもありましたが、私に疑いを持つことはとうとう
ありませんでした。
そういうわけで、多少のビールなら飲めたのですが、日本酒となるとまず匂いから駄目の上、酒に酔っ払った
田舎の連中がさんざん父親に絡んでいるところを何度も子供の頃に目撃していましたから、憎しみすら抱いて
いたものです。
そう遅くない時期に、まさかこの自分が大酒飲みになることなどおよそ想像もつかないことでした。
東北出身の小谷という同じ新人が私の隣にいて、私がビールをコップ半分飲んだきり口にしないのを見、
もっと飲めよとさかんに咎めるのですが、私はどうしても飲めないのでした。
彼はコップ酒を手にしていました。
またタバコを吸う女子部員、新人がおり、私にはそれがどうも気に入りませんでした。
喫煙者がどうだというのでなく、どうみてもただのカッコ付けにしか見えなかったのです。
285名無し物書き@推敲中?:2006/06/06(火) 17:00:22
応援あげ 
286名無し物書き@推敲中?:2006/06/06(火) 18:18:45
(その68)
部長からは、新人は各人一ヶ月をめどに一つの作品を「L」という新人文集に発表し、その後合評会を
行うよう課題が挙げられました。
内容は文芸一般で、枚数などの制限も特になく、新人同志で編集委員を選んで実行するというものでした。
見渡したところ、新人に魅力の感じられる人間といっては一人もおらず、正直私は失望していました。
考えてみれば、「小説家になること」を根底に置いた私と、純粋に趣味を同じくする者同志でサークル活動に
主体を置く他のメンバーとでは目指すものが最初から違っていたのです。
激しい人見知りも相変わらずで、部室にいてもほとんど口を開くことはなく、また内輪で固まっている先輩
部員たちにもただ幻滅するばかりでした。
「L」に向けては、自然と不本意なまま別れてしまったYへの心情を綴ることになりました。
この頃は、ワープロ使用の学生もいないわけではなかったのですが、まだ一般的ではなく、やはり手書きの
スタイルが主流でした。
いつのまにか決まっていた編集委員がそれを編集してコピーし、一冊にまとめるのです。
私はそんな「L」よりも、「F大賞」に早くから注目し、それに向けて小説を書こうと考えたのですが、
この時初めて私はあるテーマにぶつかってしまったのです。
それは「何も書くことがない」という驚くべき現実でした。
これまでは自分を包囲する世界の全てが小説を書かないではいられない対象であったのに、いつのまにか私の
周囲からそれらはなくなっていたのです。

287名無し物書き@推敲中?:2006/06/09(金) 15:26:17
(その69)
なぜ、あれも書ける、これも書ける……と思っていたものが、いざ机に向かうと安易で、味気ない内容に
しか感じられなくなったのか?
私は私なりの結論を出さざるを得ませんでした。
それは一種の解放感のせいなのだと。
高校時代の中退の危機感や、Yへの激しく苦しい恋の感情から急に解放されて、一時の空白に置かれた
からだと。
思えば危機感や苦しみから解放されたい一心で自然と私は詩や小説に向かい、書くことで生きていた
わけでした。
書くことが消えたということは、考えようによっては私も少し幸福になっていたのです。

ある夜のことでした。
一人きりで部室で「L」に載せる随想の最後の詰めの作業をやっていると、ふいにドアが開き、奇妙な
男が入ってきました。
男はやや小柄で、眼鏡をかけ、口ひげ、顎ひげを生やしており、ジーパンになぜか長靴を履いていました。
私は軽く頭を下げました。
初めて会ったのですが、彼は先輩部員なのでした。
例によって人見知りゆえの圧迫感と窮屈さを覚えながら、私は文章の整理を続けました。
「熱心だね」と言った後、彼は突然質問を投げかけました。
「君はなぜ書くの?」
「え?」
私の視線が彼の笑顔に当たると、彼はゆっくりと椅子に座りました。
288名無し物書き@推敲中?:2006/06/09(金) 16:16:48
(その70)
「君は、なぜ書くの?」
なぜ、書く?
そう急に訊かれても“書きたいから書く”ぐらいの返事しか思い浮かばず、だからといってそう答えても
彼が満足するような話でないことはすぐに理解できました。
時間があれば、私なりに適当な答えを出せる自信はあったのですが、この場ではまとめきれず黙っていると
「日記のように、全く自分のためにのみ書く行為もあれば、今君がやっているような、それ、Lのでしょ?
そんなふうに公に向けて書く行為もある。この公に向けて書くという行為について、君は何か考え持ってる?」
と彼はまた質問したのです。
「書くということは最初から公に向けているということなんで、特に何か考えたことはないです」
私にはそのぐらいのことしか言えませんでした。
彼は笑い「しかし公に向ける行為である以上、書き手には何か責任ちゅうのがあるんじゃない?」
当時の私には書き手の責任などという発想は微塵もなかったように思います。
彼はその後、大衆への啓蒙であるとか、迎合であるとかを簡単に述べると夕食に私を誘いました。
行ったのは近くの中華屋で、彼はビールを飲み、チャーハンを食べながらなおも話を続けたのです。
私はギョーザを食べていました。
彼は再び大衆への書き手の責任を語り、最終的には政治的な言論に発展していったのですが、私にはそこまでの
理解力はまだなく、自分の未熟さを思いしらされるばかりでした。
「随分まだ君は観念的だな」と、私に対して彼は言ったのですが、その観念的という意味すら私には不明だった
のです。




289名無し物書き@推敲中?:2006/06/12(月) 12:33:46
(その71)
「L」に載せられたものは予想通り、どれもほとんどひどいものでした。
背伸びしたものや、荒唐無稽な物語、陳腐な言葉の羅列、読み込んでもいない作家の「作家論」などなど、
私はこのサークルで活動する意欲を一遍になくしてしまったのでした。
合評会ではそのような本音を明かすことなく、また誰の批評もするでなく黙って皆のやりとりを聞いて
いるだけでした。
なかには相当進んだ政治論を展開する新人もいて、私などより彼の方がよほど社会意識の高い人間だった
のですが、政治と文学の関係性など私にはこの当時全く縁のないものだったのです。
私は運命的に吐き出されたものだけが文学、そして芸術だと信じていたのです。
合評会では結構いろいろ欠点を取り上げ合ったりで、それなりに盛り上がったのですが、私の随想だけは
誰の批判を受けることなく、「この文章は捨てがたい」などという賛辞に終始しました。

何の授業だったか忘れましたが、共通選択課目で私は小谷と一緒になったことがあります。
例の歓迎コンパでコップ酒を握り締め、赤い顔をして「俺だって飲めないのを必死に飲んでるんだから、
君も飲めよ」とさかんに私を咎めた、いかにも純朴そうな彼に私は好意を持っていました。
彼は「L」に載せた私の随想を読み、君を信頼しているからと一編の詩を差し出し、評価してほしいと
言うのでした。
彼は「L」に田舎の港町のうらぶれた時間と人間模様を描いた詩を載せ、平凡ながらも「永遠」という
テーマに近づこうという意志を覗かせていました。
ところがこの時私に手渡されたのは、あまりに少女趣味的な雨の抒情詩で、いくらか失望したのです。
290名無し物書き@推敲中?:2006/06/12(月) 13:33:52
(その72)
私の隣にいて、小谷はまるで神の審判でも待っているかのように深く目を閉じていました。
そんな彼に私は実にあっさりと「少女趣味的だね」と言ってしまったのです。
小谷は「うんうん、分かってるんだ」と何度も頷きながらひっそりと言い、私から離れていきました。
当時の私といえば一事が万事そんな調子で、柔軟に他人と接するというやり方が全くできなかったのです。
思ったこと、感じたことは何の装飾も施さずに口に出してしまって人を傷つけ、慌てさせる。
そしてまた人が傷つき、狼狽していることに思いを寄せることもなかったのです。
以後小谷が私に近づくことはありませんでした。
合評会以後、私は文芸研究会の活動には一切参加しなくなり、早くも挫折してしまいました。
ちょうどその頃に一度だけ混声合唱団のあの可愛い子とペアを組んでいた姉御肌の子と、擦れ違いに会った
ことがあります。
彼女は友人らしい女子と一緒で、私の顔を見るなり「サークル、どこ入ったの?」と声をかけてきました。
「文芸研究会です」と答えると、「そう。別にかまわないから、良かったらたまには遊びにきて」と言って
駅の方へ去っていきました。
今更行けるわけもないことは重々分かっていながら、あの可愛い子はどうしてるだろうなどと侘しく思い出す
のでした。
授業もつまらなく、友人と呼べる程度に付き合いがあるのは吉永一人でした。
吉永とは必修選択課目で共通に選択していた「日本文学」の授業の時だけ一緒になりました。
彼にもまだ友人はおらず、私が文芸研究会の活動をやめてからはちょくちょく行動を共にするようになって
いきました。

291名無し物書き@推敲中?:2006/06/21(水) 16:43:32
(その73)
私はそれまで自分は孤独に強い男だと信じていました。
子供の頃から独りでいるのが好きで、実際変わり者と呼ばれるほど独りぼっちの行動が多かったのです。
独りぼっちの行動には環境的な影響もあるにはあったのですが、周囲に人がいないからといって寂しいと
感じたことはほとんどなかったのです。
しかし、それは自分のただの思い込みに過ぎなかったのです。
結局家族とともにあればこその話で、全くの独り暮らしとなると途端に自己の弱さが出るようになって
しまいました。
日曜などに、ついつい昼寝が長引いてふと目覚めると夕暮れ時になっており、そんな時度々私は寝ぼけた
ように、あれ、ここはどこだ? 皆はどうした? などと家族の影を追ったりしたのでした。
そしてすぐにここが東京の自分だけのアパートだということに気付くと猛烈な寂しさが一気に私を襲い、
数十分から時には一時間もかけてようやく頭を抱えんばかりの孤独から解放されるという按配でした。
私はYを想い、KやNを想い、家族を想い、そうして最後には唯一の東京の知人である吉永を思い出すの
でした。
吉永とは週に一度大教室の「日本文学」の授業で顔を合わせたのですが、大抵そんな日は二人で新宿辺り
をぶらつきました。
吉永は酒を早く覚えたがっていて、ある日のこと、私たちはいきなり「ハシゴ」をしたのです。
吉永も一人で居酒屋に入る勇気などはなく、なんとしても私の存在を利用して居酒屋体験をしたかったのです。

292名無し物書き@推敲中?:2006/06/22(木) 01:54:32
面白い。つづき頼む。頑張れ
293名無し物書き@推敲中?:2006/06/27(火) 17:52:46
(その74)
その居酒屋はビルの3階か4回、あるいはもっと上階だったかもしれません。
生ビールの時間サービスとか何とか言う半被を羽織った若い客引きがいて、エレベーターで案内されました。
私たちは全く初めての体験でしたから、かなり警戒感を抱いていました。
U字形のカウンターに座らされたのですが、私は上京後夕食を外食にする時はいつも必ずテーブルに着いて
いましたので全然落ち着かず、キョロキョロ店内を見回し、できればテーブルがいいなと思いながらもそれ
すら声にする勇気はないのでした。
そして私たちは大変恥ずかしい失敗をやらかしてしまったのです。
それは「お通し」が出されたときです。
最初私たちは顔を見合わせ、「頼んでないよな」「うん、頼んでない!」と一人200円と勘定された伝票を見、
早くもまるで詐欺にでもあったかのように緊張、また興奮し、注文したものが出される度に伝票をチェック
するというありさまでした。
二人とも被害妄想に冒されていて、少しも美味しさなど感じる余裕もなく飲んでいました。
勘定の段階で酔った勢いもあったのでしょうが、吉永は伝票を振りかざし、「頼んでもいないのを勝手に出して
請求しないでください。僕らが素人だからと思ってやってるんでしょうけど!」と声高に抗議したのでした。
“素人だから”というセリフが今もはっきりと懐かしくも恥ずかしく印象に残っています。
抗議された若い男の従業員は途方にくれた顔でカウンター内の店長とおぼしき男の顔を見遣りました。
店長は黙って頷き、請求しないよう身振りで応えました。
「お通し」の意味を知ったのはそれからまだずっと後のことだったと思いますが、いつまでも忘れられない
初歩の失敗談です。
緊張していたせいもあったのでしょうが、生ビールのジョッキを2杯飲み干しても全然酔わない自分自身に
私は初めて自分は少しは飲めるのかもしれないと感じたのでした。




294名無し物書き@推敲中?:2006/06/28(水) 00:31:43
がんばりすぎw
295名無し物書き@推敲中?:2006/07/05(水) 16:33:01
結論(・∀・*)っ/凵⌒マダァ?
296名無し物書き@推敲中?:2006/07/07(金) 17:36:57
ここの>>1は文章うまいな。
歳いくつ?
297名無し物書き@推敲中?:2006/07/07(金) 17:53:09
ボルグJの本を読むべし
298名無し物書き@推敲中?:2006/07/09(日) 22:24:08
面白いけど長くてまてない
299名無し物書き@推敲中?:2006/07/15(土) 09:50:54
(その75)
吉永は田舎者の未成年が、東京は新宿の居酒屋の企みをギャフンといわせたぞという思い込みで気分が
高揚していたのでしょう、「ハシゴだハシゴだ」と私を誘いました。
私も、このまますぐに一人で帰るのは寂しいという思いがあり、彼に付き合うことにしたのです。
場所はなぜか新宿から離れた、ある駅付近の焼肉屋でした。
なぜその場所、その店、そして焼肉だったのか全く思い出せませんが、たぶん吉永自身に何かこだわりが
あったのでしょう。
ビールを飲み、サワーを飲み、日本酒を飲み、大声で語り合い、時間はあっというまに午前2時の閉店
時間となりました。
何を話したのかはまるで記憶にありません。
電車は既になく、吉永のアパートまで歩いていこうということになりました。
駅数7、8ぐらいはあったでしょう。
彼はしたたかに酔っており、真夜中の通りをはしゃぎ続けました。
私は次第に憂鬱になっていきました。
そして商店街の、ある店頭に立っていたマスコット人形に吉永が大きく蹴りを入れたとき、私は我慢が
できなくなり、つい冷たい一言を口に出したのです。
「君は下品だね」
吉永は一瞬覚めた目つきで私を凝視したあと、私を指差し、「そう、だからいつか俺は必ず君とは別れる」
と言い返したのでした。
300名無し物書き@推敲中?:2006/07/15(土) 11:01:44
(その76)
ショックを受けたのは逆に私の方でした。
吉永の言葉の裏に潜むひとつの真実のようなものを晒されたような気がしたのです。
それは私たちの交際などは、所詮東京に他に知人のない田舎者同士の妥協の産物以外ではないという
寂しい現実の有りようのことでした。

授業には興味もなく、面白くもなくただ義務で出席しているだけでした。
アパートに帰ると「F大賞」を目指して小説らしいものをだらだら書いたりするだけで、心に思うのは
いつもYのことでした。
私にはYと別れたという気持ちはほとんどありませんでした。
今は彼女が予備校に通う身であればこそ迷惑をかけたくないという一心で何の接触も出来ないでいるが、
必ず来春には逢いに行くのだという強い想いは常に宿っており、それこそが私の孤独な日々の唯一の支え
のようなものだったのです。
ある日、ただの癖のようなもので私はふらりと大学の生協の書店に入りました。
このとき、私の関心がふとある文庫の題名に流れたのです。
「人間失格」
この有名な小説を私はまだ一度も読んだことはなく、また作者の太宰治についてもほとんど興味を抱いた
ことはありませんでした。
というより、私は太宰治を誤解していたのです。
小学校だったか中学校であったか、「走れメロス」を教科書で読んだときから、私は太宰治という作家は
非常に清潔で、道徳的な人だと思っていたのです。
歯切れのいい文体で描かれた、あまりに嘘臭い信義や友情の話を私は好きになれないでいたのです。
次に読んだというより、またも太宰治にお目にかかったのが高校の教科書の「富嶽百景」でした。
「走れメロス」とは一変した文体と、奇妙なユーモアで私は「おや?」と感じ、さらに国語教師の下手な
説明で太宰は反俗作家、情死した作家なることを教えられたのでした。
301名無し物書き@推敲中?:2006/07/15(土) 13:15:22
おお!いよいよ太宰が!!
302名無し物書き@推敲中?:2006/07/16(日) 14:44:00
wktk
303名無し物書き@推敲中?:2006/07/18(火) 05:19:21
ついに太宰きたかwktk
304名無し物書き@推敲中?:2006/07/19(水) 12:47:25
(その77)
「人間失格」という題名も、私はあまりにその単刀直入的な響き、ひねりのない響きに魅力を感じずに
いたのでした。
まるで中学生あたりが大威張りで付けたような題名のようで、くすぐったさすら覚えていたのです。
それがこの時私の関心を惹いたのは、私の潜在意識に自分のような不器用な人間は社会的に失格する
のではないかという不安が生じていたからではないのかと思っています。
松本清張の小説の書き出しのような、はしがきの第一行の暗い趣き、そして「第一の手記」の一行を読んで、
私はすぐに購入を決め、あとはひたすらむさぼり読みでした。
当時、私は小説に限らず、共鳴、また感銘する文章に出会うとその行の横に線を引いて一層深く味わいを
噛みしめる癖があったのですが、「人間失格」にはそれまでのどの本よりも多くの線を引くことになりました。
殊に上京後の主人公の臆病、不器用な描写には腹を抱えて笑った記憶があります。
まさに私自身がそこに書かれている通りの人間で、何でもないただの日常に他人の何十倍も汗水流して奮闘
しなければならない細かい神経が分かり過ぎるほど分かるだけに可笑しかったのです。
最初読んだときは、主題である主人公の叫びよりは、そういった日常生活における苦労話が面白く、そして
そのような瑣末な理由ではないのかもしれないにせよ、自殺未遂を繰り返し、やがては情死に至る太宰の運命に
これ以上はないという興奮と興味を持ったのでした。
その興奮と興味の対象になる太宰の小説は、この先まだまだいくらでも読めるのです。
私にはそれらの小説群が突然贈与された財宝のようにも思えたのでした。
305名無し物書き@推敲中?:2006/07/22(土) 10:50:45
(その78)
さらに「人間失格」はまさに死ぬ直前に執筆された作品で、実際に発表された頃には既に太宰はこの世に
いなかったという事実を知って、ではこれは遺書の代わりのようなものなのかと私は思ったのでした。
最後に到達した作品が自殺の遺書代わりのようなものだとすれば、現実の人生では何にも、どこにも到達は
しなかったのだ、一体あの「走れメロス」の作者はどう生き、どう絶望したのか、私の好奇心はふつふつと
沸き、一気にこの存在にのめり込むとなりました。
私は上京してすぐから神田古書店街に度々足を運んでいて、色んな作家たちの全集の中に筑摩書房の太宰治
全集が置かれていたのをよく覚えていました。
欲しいと思うとすぐにも手に入れたくなり、一時の我慢も忍耐も出来ないのが昔も今も変わらぬ私の性分で、
あれもやがて売られてなくなるかもしれないと考えると矢も盾もたまらなくなり、大至急神田へ行って購入
しました。
古本とはいっても、全集は「え?」と思うような高い価格でしたからお金が底をつき、参考書を買うからと
母に連絡して送金を得ました。
太宰治の全集を買うからなどと正直に言えば、当然小遣いから一冊づつ買っていけばいいでしょうなどと
言われたことでしょう。
「人間失格」という最後の作品から読んだのなら、これから逆に若い方へと順に辿っていくか、それとも
若い時代の作品から最後の作品へ時系列に向かうかなどと、全集の一冊一冊を可愛がるように撫でながら
贅沢な喜びに浸ったのでした。
306名無し物書き@推敲中?:2006/07/22(土) 14:26:00
(その79)
ざっと太宰治の短い一生を確認して、結局すぐに読んだのは「富嶽百景」で、これは高校の教科書の省略
されていた部分を埋めて全編を知りたかったのです。
全編読んで、特にどうということはなかったのですが、次いで読んだ「東京八景」でついにガーンとやられた
気がしました。
なんと暗く、侘しい小説だろう、これが太宰治だなと感じました。
小説というより、退廃と敗北の青春の記録のようなものですが、この退廃と敗北の周囲にまた太宰の小説の
一群が存在しているのです。
ある夜「逆行」の四編中の「決闘」を読んだ時、凄まじく虚無的なユーモアに私は酔いしれ、ますます深入り
することとなってしまいました。
すっかり太宰文学の虜になった私は夜更かしするせいもあって、朝起きられず、度々授業を欠席するように
なりました。
ここが家族のある生活と一人暮らしの決定的な差で、仮に自宅から登校していたのであれば、親という重しの
おかげで乱れることもなかったのでしょうが、元来が意志薄弱の上に大学に通う目標もまた薄弱な情況でした
から、あっというまに生活は崩れてしまいました。
6月の中旬、あるいは後半だったかもしれません、それは英語の授業でした。
授業はただ出席を取ると、後は一人一人順番にテキストを読ませて訳させるといった実に退屈極まるやり方が
ほとんどでした。
私は内心苛々しながらテキストやノートに思いつきの文章を綴ったり、漫画を描いたりしながら早く帰って
太宰を読みたいと思っていました。
その方が本当の自分のためになる、ああ、こんなもんにいつまでも大事な時間を取られたくないと考えました。
ある課題なり、考え事を衝動的に、一瞬に煮詰め、後先考えずに大胆な決断をするのも私の大きな欠点で、
この時も私は自分のためだからと授業放棄を決めたのです。


307名無し物書き@推敲中?:2006/07/22(土) 19:36:38
俺も夜遅くまで小説読んでて寝過ごして大学行けない日多いよ
夜更かししすぎて半ば睡眠障害みたいになってる
308名無し物書き@推敲中?:2006/07/23(日) 04:42:12
いや、単位は大事だぞ。よーく考えろ。
309名無し物書き@推敲中?:2006/07/30(日) 09:18:34
1氏の才能に嫉妬
310名無し物書き@推敲中?:2006/07/30(日) 13:12:48
>>1さん
ぜひ、ここに載せている小説を文芸誌に投稿すればいいのでは。
芥川賞も夢ではないかもよ
311名無し物書き@推敲中?:2006/07/30(日) 14:01:27
続きマダー?
AA略
312名無し物書き@推敲中?:2006/07/31(月) 15:53:37
最近の芥川賞作品より、わかりやすいし面白いと思う。 続き楽しみにしてます。頑張ってください。
313名無し物書き@推敲中?:2006/07/31(月) 16:32:39

  ./  ̄/〃十十〃    /  ̄/       /
    ―/    |  _/   ./ ―― / /
    _/    /   /   _/    _/ /_/
              _,,−-、 
        _,, .. _,,-‐'": : : : : :゙ヽ
     r‐'´: : : : : : : : : : : : : : : : ` 、
    /: : : : : : : : : : :,、: : : : : : : : : :_:ヽ、
    |_: : : : : : : : : /  \: : : : : : : :ヽ、
    {: : : : : : : : l'      ヽ、: : : : : :{、
    l__: : : : : : :i、       `丶: : t‐`
   /, ヽ: : :/´          |: : : !' +
   { ru l': :/  ,/二丶、     }: :,,|
  _`iヽr‐!:丶   (●)iヽ-'' , '‐-、/:/
  : :丶t': : : ヽ        '(●):/
  : : : : : : : : : : i、  ,,ノ(、_, )ヽ }
  : : : : : ',: : : : ´   i!.:::::::|  _ノ +
  : : : : : ヽ :     i!-=ニ=- '_,r'/
  : : : : : : \  - ,,`''‐--//`丶、.
  : : : : : : : : :`-,; " ̄   /: : : : : :\
  : : : : : : : /       /: : : : : : : : : :',
  : : : : : : :{    ,. -‐ ": : : : : : : : : : : :

314名無し物書き@推敲中?:2006/07/31(月) 17:02:15
謝れ!太宰治に謝れ!
315名無し物書き@推敲中?:2006/07/31(月) 17:09:27
おさむちゃんでーす(古っ
316名無し物書き@推敲中?:2006/07/31(月) 17:29:45
キチガイ
317名無し物書き@推敲中?:2006/08/01(火) 00:37:44
太宰治が男前過ぎて心底惚れそうです
318名無し物書き@推敲中?:2006/08/03(木) 11:06:28
(その80)
英語の授業はまだ続いていましたが、私はテキストとノート、辞書をそそくさとバッグにしまい、
そっと後ろのドアから教室を出たのです。
周囲の数人が怪訝そうに私を見ていました。
決意して退席したものの、スッキリした気分ばかりではなく、思いのほか強い後ろめたさも張り付いて
いました。
考慮の末の結論ではなく、ほんの数分で決めたことですから、いざ実行に移せば想像もしなかった感情が
湧いてくるのは当然だったと思います。
しかも私は英語の授業だけでなく、全ての授業の放棄を考えていたのです。
自分の感情を推量するというのもおかしな話ですが、私にはYへの意識も働いていたと思うのです。
彼女が予備校生である以上、自分にもまだ一年の余裕があるという奇妙な意識です。
卒業が一緒であればいいのだ、一年ぐらいの自由はあってもいい、そしてこの一年太宰を読み込み、もっと
小説を書く意味に迫りたいという大義名分を取り繕ったのです。
退学を全く考えなかったことからしても、この時点ではまだその大義名分は本物に近かったと思います。
このように、入学してわずか二ヶ月半で私は早くも大学生活から脱落しかかったのでした。

この頃はほとんど毎日KとNあてに手紙を書いていました。
もっとも内容はほとんど太宰のことで、KとNはあれは手紙ではないと今でも言います。
夏休みには会う約束をしていましたが、二人ともアルバイトで忙しくしており、ゆっくり帰省もしていられ
ないということで、私が彼らのアパートを訪ねることになりました。
Kはウエイトリフティングのサークル、Nは哲学研究会に入部していました。
319名無し物書き@推敲中?:2006/08/03(木) 11:09:44
荒らしのHiは織田作で人生棒に振ったそうだ
320名無し物書き@推敲中?:2006/08/03(木) 12:36:52
(その81)
引きこもって太宰治に読みふける生活を自慢できるわけがなく、実家に帰れば真面目な学生生活の嘘の報告を
しなければなりません。
それが億劫で、私は帰省を後伸ばしにし、先にK、Nを訪ねたのでした。
元々筋肉質のKでしたが、ウエイトリフティングをやっているせいで、さらに逞しく、引き締まった肉体に
なっており、日焼けした顔といい、私はすっかり彼を見直したものです。
夜にはNがやってき、久しぶりに三人が顔を揃えたのですが、Nの場合は家が裕福とはいえないために連日
今は肉体労働しているということでした。
私は正直に太宰に読みふける生活を始めたと打ち明けたのですが、二人とも特に変わった表情は見せず、
「いかにも君らしいな、羨ましいよ」と言うのでした。
Kは先輩に面白い人間を数人見つけて色々指導を受けており、Nは「哲研」と呼んでいましたが、そのサークル
仲間とハイキングに行った写真を見せてくれました。
なんという自分との落差だろうと、私は入学直後の混声合唱団や文芸研究会のことを思い出し、結局その二つ
とも失敗し、吉永との寂しい交際しか送れてない現状に強烈な脱落感を覚えたのでした。
KとNのアパートで4、5日滞在して私は実家に帰りました。
実家には一週間ほどいましたが、その間一度だけSが訪ねてきました。
SもまたN同様あまり裕福ではなく、酪農を営む実家を手伝いながら来年の受験を目指しているのでした。
そしてSとはこの先に、大変深い交際を結ぶこととなったのです。
321名無し物書き@推敲中?:2006/08/03(木) 18:27:00
Sってだれだっけ?
322名無し物書き@推敲中?:2006/08/04(金) 04:41:44
なんか太宰治の真似ごとにしか見えなくなって来た
323名無し物書き@推敲中?:2006/08/06(日) 13:16:12
(その82)
帰省中、私は一人私の高校周辺を歩きながら、ここからバスで二駅も行けばYの家があり、今もYはそこにいて、
そこから予備校に通っているのだという想いに胸をときめかせたのでした。
毎朝彼女はこの正門前の通りをバスで往復しているのです。
妄想でしかないのですが、訪ねれば会えるのであり、話もできるのです。
「来年、きっと会いにいくからな。待ってろよ」
と、まるで恋人気取りで私はつぶやき、本当に心をたぎらせたのでした。
彼女の存在は肉親以上に、生き物のように私の内面に強く巣食っており、大袈裟でなく最早それなしには私自身
ではないと感じられるほどでした。
帰京し、また孤独なアパート暮らしに戻ると、しばらくはY恋しの気分がホームシックのように私を苦しめました。
そして私はYに向け『風の便り』を書き始めたのです。
『風の便り』とは、太宰の「猿面冠者」に出てくる話で、主人公のある節目節目にどこからともなく届く便りの
ことで、私にはそれが非常にロマンチックに、幻想的に印象に残っていたのでした。
小説では届けられるのですが、私は届けることで解放されようと思ったのです。
といっても本当に届けるのかどうかはその時の気分まかせという気持ちで、実際私には自分がいつ、どんな突飛な
行為をしでかすのか全く予期できないのでした。
一晩で書き上げると、随分落ち着いたのですが、まだ何か色々訴えたい感情はありました。
そこで今度はMTあての『風の便り』を思いつきました。
思えばちょうど一年前にも、私はMTあてに原稿を送ったのでした。
そして、ああ、あれこそ俺の本物の風の便りだったんだなあとしみじみ思い返すのでした。




324名無し物書き@推敲中?:2006/08/07(月) 17:24:13
(その83)
2通の『風の便り』には、大学生活の幻滅や太宰治を読んでいることを共通して書き、YにはYへの想い、
MTにはMTへの想いをそれとなく綴ったのですが、2通も書き上げるとさすがに感傷も癒え、結局投函
することはありませんでした。
こうした自分でも想像出来ない衝動的な欲求は、何かの拍子にしばしば爆発して現れ、そのために私自身が
途方にくれて悩んでしまうのでした。

二学期が始まると、私は私自身の確認のため、自分は現在大学生であるということを確認するためにのみ
ほんのときたま登校し、吉永と会っていました。
全く誰とも口をきかない日々というものには高校の頃から慣れているとはいえ、東京の一人暮らしは
さすがに気分が滅入りました。
孤独感というより、生きる実感のない焦慮のようなものが恐怖へと膨らんでいくのです。
自己の存在感の希薄さの実感には、まるで窒息させられていくような恐ろしさがありました。
そこで私は生活に困っているわけではなかったのですが、自分も人並みにアルバイトをしてみようと決意
したのです。
私が選んだのは、カツ煮定食店の店員で、午前11時から午後2時までの仕事でした。
くたびれるほどの時間でもなく、こじんまりした店で、仕事の終了後には昼食もついていました。
奥さんと娘さんの二人で営業していましたが、静かで上品な人たちでした。
私の仕事は、主には皿洗いでしたが、定食につけるお新香を小皿に盛ったり、卓を拭いたり、玄関前を
掃いたりの仕事も合間合間に入りました。
しかし、こんな簡単な仕事に私は失敗してしまったのです。
325名無し物書き@推敲中?:2006/08/18(金) 20:20:11
(その84)
人と打ち解ける能力に欠け、打ち解ける努力や苦労をするぐらいなら変人といわれようが無口で通した方が気が楽と
いう姿勢でしたから、アルバイト先でもすぐに浮いた感じになりました。
言われたことに「はい」と返事するだけで、ほかの話ができないのです。
相手次第では喋れないこともないのですが、あいにくここの奥さんと娘さんは軽口のたたけない性質で、自然と空気は
暗くよどんでいきました。
流しには洗剤の泡でいっぱいになった液体があり、混んでくると次々に用済みのドンブリやお椀が放り込まれます。
皿洗いなどほとんどしたことがない上に、几帳面過ぎて動作が鈍くなり、時々奥さんが「も少し早く」と肩越しに囁く
ように声をかけてきました。
同じ姿勢が続くので、運動不足の私の背中はキンキンと痺れるように痛みました。
無我夢中のうちに仕事は終わり、私にもカツ煮定食が出されました。
カウンターでただ黙々と食べていると、奥さんが「どうでした、初日は?」と訊いてきました。
私はこの時の自分の呆れ果てた返事を今でもよく覚えています。
「背中が痛くて猫背になりそうです」と、冗談でもなんでもなく真顔で答えたのでした。
二人は顔を見合わせ、言葉もなく沈鬱な表情をしていました。
店を出ると、私はお濠近くのベンチに腰掛け、しみじみと解放感を味わいました。
たった三時間程度の仕事でしたが、私には大変な緊張の時間だったのです。
結局三日行ってここは辞めました。
辞めたというより、挫折したというのが本当のところです。
会話のない気詰まりな空気がさらに増したからでした。
しかも「辞めます」が自分の口からどうしても言えず、吉永を通して連絡しようかとさんざん悩んだのですが、さすがに
そこまで弱い部分を晒したくはなく、電報を打ったのでした。
326名無し物書き@推敲中?:2006/08/18(金) 21:41:10
お待ちしておりました。(^^)

自ら保守上げお疲れです。
327名無し物書き@推敲中?:2006/08/20(日) 11:29:54
太宰治は嫌いですが
しかも、まだ全部はちゃんと読んでませんが
1さんはすごいですね。

頑張ってください
328名無し物書き@推敲中?:2006/08/20(日) 15:57:31
続きが読みたくなるような「文章」が書ける人って
やっぱり才能があると思うな。
どのジャンルの作家を目指す人であっても
これだけは大切だろう。
1は大丈夫!がんばれ!!
329名無し物書き@推敲中?:2006/08/20(日) 16:01:54
自演?
330名無し物書き@推敲中?:2006/08/20(日) 19:19:24
>>321
読み返せ
ヒント:足が速い
331名無し物書き@推敲中?:2006/08/22(火) 11:00:18
上手いなあ、文章
内容はともかくとして
332名無し物書き@推敲中?:2006/08/22(火) 18:27:05
>>1です。

読んでいただいている方にいつも感謝しております。
批判であれ、揶揄であれ、レスがつくと素直に嬉しく感じられます。
まして、お世辞でも上手などと言われると幸福を感じます。
ただ、そのようなレスに「自演?」などと勘繰られるのは嬉しいものでは
ありません。
私は書くことが好きで、書くことを目指して人生をしくじった人間です。
反省のつもりで書いています。
自演までして人の目を惹こうなどというあさましい発想は微塵もありませんので、
どうか分かっていただきたいのです。

特にこれという筋書きを練って書いてはいませんので、書いた後に、ああ、この
一件にはこういう前段階があったなあ、あんな一件があったなあと思い出すことも
多いのですが、それはもう省略して進めています。
私は太宰治を尊敬しているわけではなく、比較的同情、ないしは自分と重ね合わせた
諦念、また人間の性質としては批判的に現在は見ています。
太宰治は「世間」を理解できなかった作家……ではなく、あくまで「世間」に染まれ
なかった人間で、その根拠はあくまで彼の血筋の問題だったろう、それはそれでまた
宿命的な人間の弱さだったろうと思っています。
宿命的という見方はあまりに観念的で無責任な言い方ですが、少なくとも自殺しか道を
選べなかった太宰治という作家に対しては必ずしも不適切な表現ではなく、一体、では
私たちにならばどんな道の選択過程があるのかと迫っている意味では、また逆に非常に
実践的に人生のヒントを与えてくれている作家でもあると感じています。

333名無し物書き@推敲中?:2006/08/22(火) 19:28:19
(その85)
10月に入ってから、吉永からアルバイトをしないかという誘いがかかりました。
東京競馬場の指定座席券を4人分手に入れるという仕事で、依頼人は吉永の親戚の眼科医、直接には
眼科医夫人である彼の叔母でした。
指定座席券のなかには、徹夜して並ばないと手に入れられないこともあるらしく、要は競馬場の
入口前に朝まで並んでいれば1万円のバイト料がもらえるのでした。
競馬といえば、私は上京してすぐに不思議な気がしたのが競馬新聞でした。
夕刊に大きな文字で「東京確定」と印刷されており、一体何が東京確定なのだろうと思ったのです。
競馬のある週末に夕刊を買うと、かなりのページをさいて競馬の予想記事があふれており、読んでも
面白くもなんともなく、数字がびっしりと並んだ出馬表は眺めるだけでうんざりしたものです。
私は即座に了承しましたが、私も吉永も他に知人がいないため、残り二人を探さなければなりませんでした。
この時吉永は断然女の子がいいと張り切り、新宿に出て、私の目の前で百人以上の女の子に声をかけましたが、
ただの一人も相手にしてはくれませんでした。
結局大学の写真部の三年生が話しに乗ってき、そのうちの富山出身とかいう一人が実家から送ってきたんだと
いってマスの押し寿司をご馳走してくれました。
指定券が手に入ると、先輩の二人はすぐに引き上げたのですが、吉永と私は入場券を買って場内に入り、一度
馬券を買ってみようということになりました。
私が1000円買った馬券の組み合わせの一つが当たっていたらしく、吉永はそれを払い戻し窓口に持っていき、
戻ってくると4千円と少しの百円玉を私に手渡しました。
その翌週には、私だけ一人、再び東京競馬場内にいたのです。

334名無し物書き@推敲中?:2006/08/22(火) 19:39:15
競馬で人生棒に振りました?
335名無し物書き@推敲中?:2006/08/24(木) 23:28:56
上げておこう
336名無し物書き@推敲中?:2006/08/27(日) 21:21:02
つーづーきーまーだー?
337名無し物書き@推敲中?:2006/08/28(月) 15:15:57
作り話じゃん
338名無し物書き@推敲中?:2006/08/31(木) 11:11:50
(その86)
私は子供時分から国政選挙や、マラソン、高校野球、大相撲が特殊な意味で非常に好きでした。
それは大勢の政治家、選手、高校、力士のなかから誰が、どこが勝ち上がっていき、その過程でどんなハプニングや
ドラマが展開されるかの面白さで、なかでも選挙の当落情報は釘付けで見ていました。
もちろん子供ですから支持政党などがあるはずはなく、地元も他県も関係なくその投票結果の移り変わりを楽しんだ
のです。
実は私は競馬にそれと大変よく似た興奮と楽しさを覚えたのでした。
アルバイトしたついでに入場した東京競馬場のゴチャゴチャ、ザワザワした雰囲気も嫌いではなく、すぐにその
空気にもなじんだものです。
翌週に早速また足を運んだのは、単に儲けてやろうという気持ちではなく、十数頭もの馬のなかから勝つ一頭を
見届ける楽しさ、また自分の勘を試す楽しさを味わいたかったからです。
吉永にはそのような楽しさを感じる感覚はなかったのですから、ギャンブルの好き嫌いはやはり持って生まれた
各人の性質によるものなのでしょう。
すぐに熱くなる質ですから、この年の秋は競馬のルールや用語を覚えることに費やしたのでした。
全く大学には登校しなくなり、太宰を読むか、競馬週刊誌を読むかして日を送りました。
この時点では私もハッキリと一年の留年を決めていて、いつかは両親に報告しなければと考えていました。
甘いところのある、過保護の親でしたから、小説の研究に力を注ぎ過ぎた、でもその分大きな勉強が出来たので
満足している、来年からは充実した気持ちで授業にも出られるとでも言えば、しょうがないなあと嘆息しつつも
許してくれることは十分判断できました。
そもそも私には何よりYの存在こそが全てであり、一年の留年などYとの将来を思えば何でもなかったのです。
339名無し物書き@推敲中?:2006/08/31(木) 21:43:31
小説の研究に力を注ぎすぎた
後悔はしていない
340名無し物書き@推敲中?:2006/08/31(木) 22:16:44
大宰府で人妻某に不倫しました
341名無し物書き@推敲中?:2006/09/07(木) 10:53:08
(その87)
太宰に「美少女」という小説があります。
私はこれに書かれた、どうしても世間と気軽に馴染めない作者の性格、心理がまだ成人していないにも関わらず
大変共感でき、大いに笑ったものです。
温泉で他人と打ち解けられない。
そして散髪に行くのですら苦行のように感じる作者の心理が私には手に取るように分かったのです。
私は夕食で外食する際、美味しいと思っても続けて同じ店に行く勇気がなく、あちこちを徘徊しながら入りやす
そうな初めての店を探し回っていたものです。
入りやすい店を見つけると、例えまずかろうともそこを贔屓にしました。
接客の態度が良かれ悪しかれ「また来た」と思われるのがたまらなく嫌だったのです。
そしてまずくても入りやすい店とは、私に何の関心も示さない、表情のない店だったのです。
今でも私にはそういうところがあります。
今ではコンビニがあり過ぎるほど街中に展開してしのぎを削っていますが、当時はまだ一般的ではなく、勿論
各店が弁当を競うといった状況では全くなかったのです。
そういうわけで外食ひとつでもヘトヘトになるぐらいならと、私はいっそ自分で夕食を作ることにしたのです。
大変な「鰯の煮付け」を作ったことがあります。
たぶん、これが最初の献立だったと記憶します。
インスタントラーメンを作る時の水の量よりもっと多くの水を鍋に入れ、それに丸く切った大根と鰯を放り込み、
醤油と砂糖を足し、やがて出来上がりを待ったのです。
これで水が沸騰し、水分が減っていけば煮付けの出来上がりと思っていたのですから、全く無知以前のお話です。
グツグツとお湯が鳴り、魚と大根と醤油の入り混じった匂いが鼻に感じられると嬉しい気分でしたが、時間を待ち
ながら私は小説だか、競馬情報を読んでいたのです。
さあ、もういいかと立ち上がると、グラグラ沸騰を続けるまだまだ余りあるお湯の中には目玉が飛び出し、身が
崩れて、半分は骨ばかりという3匹の無惨な鰯がさかんに揺れていました。
鰯は沸騰の勢いで何度も何度も鍋にぶつけられ、ボロボロになっていたのです。
342名無し物書き@推敲中?:2006/09/07(木) 11:51:58
(その88)
この時期、私は今でいう「引きこもり」のような生活を送っていたのでした。
外に出るとストレスでクタクタに疲れる。
アルバイトひとつ満足に出来ない。
学業のことは頭になく、時々太宰の文章に刺激を受けては原稿に何か書き散らし、それで充足しないとKやNに
手紙を書いては創作衝動のようなものを発散していました。
冬に入り、帰省のシーズンが到来しました。
私は堕落した生活を両親に見破られるのを怖れたのと、いずれYに会うために春には帰郷するのですから、
あらかじめ親には春休みの帰省を伝えました。
私は心躍らせながらY宛てに年賀状を書きました。
それには、いかにもあれこれ努力しているような数行の文章を添えました。
果たしてYは返事の年賀をくれるだろうか……夢だか現実だかも把握できないような恐怖と期待の入り混じった
感情が年末いっぱい続きました。
「来るわけがない」とお得意の悲観主義に勝手に陥っては沈み込み、「きっと来る」と自分の信念を確信しては
また未来を描く。
一週間が勝負と思っていました。
年明けの何日目であったか詳しくは忘れましたが、割合早いうちだったと思います、映画を観てアパートに帰り、
郵便受けから数枚の年賀状を手にした時、確かに一瞬私はYの名を捉えたのです。
もう半年以上も覚えたことのない歓喜、身体全体が熱気で一遍に蒸発してしまったかのような幸福感情に満たされて
私は一気に階段を二階へと駆け上がりました。
紛れもなく、それはYからの年賀状でした。
これまでと違って、毛筆では書かれていませんでしたが、その代わりに「私も頑張っています」という数行の文章が
添えられていました。
343名無し物書き@推敲中?:2006/09/07(木) 20:27:52
ついに来たな。
344名無し物書き@推敲中?:2006/09/07(木) 22:32:47
盛り上がってまいりました
345名無し物書き@推敲中?:2006/09/14(木) 18:31:42
人間失格しか読んでないあたしでも太宰治語っちゃってもいいんですか?
346名無し物書き@推敲中?:2006/09/14(木) 19:25:29
すごい文豪のいるスレですね
347名無し物書き@推敲中?:2006/09/14(木) 20:57:14
どうやら作者Aみたいだな
348名無し物書き@推敲中?:2006/09/14(木) 23:32:09
>>345 NO,you can't
349名無し物書き@推敲中?:2006/09/15(金) 12:19:14
(その89)
以前、奇跡としかいいようのない超常現象のような、また超能力でも発揮したかのような私の「片手懸垂」の
話を紹介したことがあります。
非力で懸垂すら数回しか出来ない私が、片手で軽々と自分の身体を模範通りに鉄棒に横付けしたまま空にいて
先生や他の生徒を仰天させた話です。
ある機会や条件さえ整えられれば、人は誰でも本来秘めているとてつもない力を表に出すことが出来るのでは
ないでしょうか?
機会や条件は、各人の生まれた環境、性格によって様々な違い、バリエーションがあると思いますが、強烈な
目的意識……それは野望でもいいのです……、そしてそれを支える精神力が完璧な状態にあるときに成功する
ものと思います。
究極負けられないという意識が無意識のうちに高まり、極限に達したとき、人は勝ち方をどこからか、それは
背後霊とか守護霊とか呼ばれる言い方で感じ取ることが出来るのです。
それは、ほんの瞬間のことです。
スポーツでも、よく「勝ちたい思いの強い方が勝つ」という表現を耳にしますが、全てがそうでもないにしても
大変核心をついた表現だと思うのです。
「自信」もまた人を進歩させ、成功に導き、未来を明るくします。
日頃の優柔不断、不安や弱気、やる気のなさを打ち砕きます。
Yからの年賀状は、堕落して鬱々とした私の心を完璧に変えました。
不本意な別れのまま、本当はもう自分はYとは縁のない人間ではないのかという不安を常に宿していただけに、
いや、やはりそうではなかったのだという強烈な安堵感に浸りました。
彼女の年賀状をしっかり手にし、これが否定しようのない、素晴らしい現実であることを実感し、私は想像も
しなかった意欲ある生活を送り始めたのです。
350名無し物書き@推敲中?:2006/09/15(金) 12:58:37
(その90)
私はYの前で、自分を誇れる身でいたいと思いました。
私とYとは生涯運命的な人生を送るのだ思いました。
この喜びは即座に私の人生の自信のようなものに繋がり、もう人を恐れず、困難にも屈しないぞという勇気を
与えてくれました。
私はまず両親に詫び状を書き、二年に進級できない状況を伝えました。
しかし文面は非常に溌剌として、どこにもくさった気配のない内容でした。
真実私の心が活気に満ちていたからです。
偶然ながら両親に告白する形としては最も効果的なものとなったのでした。
そしてYと会う日までのつもりで、「春への想い」というタイトルの随想を綴り始めたのです。
それは高校時代の私の最大の危機を救済してくれた彼女を、ヘッセの「デミアン」に登場するベアトリーチェに
例え、また現実の女神のように例えて賞賛し、私の将来を夢見るような内容でした。
原稿に向かっていると、しみじみ私は本当の自分に戻った気がし、競馬に夢中になっていたことが実に浅はかで、
下等に感じられて仕方なかったものです。
私はどのようにして彼女に会うかをそろそろ考え、決定しなければなりませんでした。


351名無し物書き@推敲中?:2006/09/15(金) 20:01:17
ベアトリーチェというのは、そういう女神的人物を指す人名なのかなー
ヘッセは読んだことがないが、ダンテの作品にも
そういう人間としてよく出る
352名無し物書き@推敲中?:2006/09/17(日) 15:56:27
>>349の話前にも読んだ気がするんだが、デジャウ”か?
353名無し物書き@推敲中?:2006/09/18(月) 19:34:55
>>1
おまいは俺ににてるな
354名無し物書き@推敲中?:2006/09/18(月) 20:00:20
>>1
ゴメン そんな簡単なもんじゃないよな
わるかった。
355名無し物書き@推敲中?:2006/09/21(木) 18:45:14
(その91)
いくらYを信頼しているとはいえ、手紙で会いたい旨を伝えても断られたらそれで終わりです。
最初ラブレターを出した時と同じで前進は望めません。
私はもう二度とあの轍は踏まないつもりでした。
当初ぼんやりとながら私が考えていたのは、母校を訪ねてYの弟に会うことでした。
いかにも素直で正直そうなあの彼だったら、きっといい仲介役をはたしてくれるだろうと思ったのです。
ただ、彼が今二年の何組かも不明でしたし、行き当たりばったりに他の生徒たちをつかまえて彼を呼び出して
もらうわけですから一苦労する覚悟が必要でした。
一苦労するのは当然ですが、そういう行為が美しいかどうかの疑問はありました。
ほかにツテがない以上仕方ないとは思うものの、話ひとつしたことのない彼にいきなり恋の仲介依頼ですから、
仮に彼が私の名前を知っていたとしても、それはやはり非常識に映るのではないかと気になってくるのでした。
結局最終的な結論は、私にしてみれば相当大胆なものとなりました。
直接Yの家を訪ねることとしたのです。
母親がいようと構わない、あれこれ小心な小細工を考えず、正々堂々と心を伝えようと決断したのです。
まるで将来の結婚まで意識しているかと詮索されるような決意の仕方でした。
確かに運命的と自分が信じている以上は、そういうことを含んでいることにもなるのでしょうが、現実には
そこまで具体的な発想はなく、ひたすらYとの絆を保っていたいという一念だけでした。
一見大胆に見えはせよ、本当は幼い、いじらしいぐらいの愛情表現なのでした。
会いたい想いは喜びなのか苦しみなのか、迷いと悩みの先には本当に幸せが控えているのか、春はもうすぐ
そこに来ていました。

356名無し物書き@推敲中?:2006/09/29(金) 08:02:23
      ,.-;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;: ;: ;:;.、
    ,r'";:;;:;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:;:;:;:;:;:l:;k;,、
   ,イ.:.:;;;;;;;;;;;;;;;;:;:;:;:;.:;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i;:i;1.:.:;;:;、、
  〈,:;:;:;:;:;;;;:;;;;;;;;;;;;;:;:;:;r'^ヾ;:;:;;;;;;;;ノノノ;:;:;ノイイ;:、
   ヾ;:;:;:;:;;;;;;;;;;;:;:;:;:,r'   ``ヾ;:イイ;:;:;:,r,r;:;:;:;:
   1;:;:;;;;;;;;;;:;:;彡′       `''ヾ;:;彡;:;:;/
    ノ;:;:;;;;;;;:;:;ィイ′.           `,ミミミr'
  ./⌒7^i;:;彡'′.: .: .          1ミミ!
 〈 ( イ i;:;,' .: .:: -=ニ三ミ;、、     j!シ
  ,> ヽト、.:::.:. : .  ーrェテr'.:;;` ,、、、,,, /'′
.:.:::.:ヽ ノ .: .: `、    ``"    ノテrミ'r゙
.:.::::::::::i:::::::::::.:..::',  .  .   〈``" /
::::::::::ハ::.i:::::::: :.:.i    `,.  j!  /
;:;:;;;;;;i::.:`、!::::::.: .:′   `ヾ;;;:r'//
;;;;;:;:;:1:::.:.:\::::: :. :``''ー---/ /`7ヽ,,_
;;;;;;;:;;;|::::::.:.ヽ、  ー='''¨_,,ノ /;:;/::::::::::
;;;;;;;:;:;:l:::::.:.:, ィ'"´ ̄     ,/;:;/.::::::::〃
;;;;;;;;:;:;:i::.:〃/      , ィ´;:;;;/.:.:.:::::/;:;:
357名無し物書き@推敲中?:2006/10/01(日) 14:56:39
hos
358名無し物書き@推敲中?:2006/10/01(日) 22:41:01
久しぶりにこのスレ来てみたら
まだ書いてたのかー
続き楽しみにしてますね
359名無し物書き@推敲中?:2006/10/12(木) 22:35:06
なんだかんだで続きが気になる
360名無し物書き@推敲中?:2006/10/13(金) 00:10:51
その92希望
361名無し物書き@推敲中?:2006/10/14(土) 20:23:05
太宰のAAなんてあるのか
362名無し物書き@推敲中?:2006/10/14(土) 20:33:42
つまんね
363名無し物書き@推敲中?:2006/10/16(月) 00:33:18
少し遅すぎじゃないか?
364sage:2006/10/18(水) 17:40:44
考えてみれば一年以上書いてくれてんだよなぁ。
人生棒に振ったのちの結末がそろそろ来たんじゃない?
365名無し物書き@推敲中?:2006/10/18(水) 17:43:40
ごめん、あげちゃった・・・。
366名無し物書き@推敲中?:2006/10/18(水) 20:10:30
プレイボーイだったし彼は勝ち組でしょう。
367名無し物書き@推敲中?:2006/10/18(水) 22:43:42
神様みたいないい子でした。
368名無し物書き@推敲中?:2006/10/18(水) 23:26:32
もしや、とうとうカルモチン!?
369名無し物書き@推敲中?:2006/10/19(木) 11:57:39
間違えてヘノモチンかも。
370名無し物書き@推敲中?:2006/10/19(木) 19:16:20
太宰治に出会う以前から人生棒に振ってる気がするのは私だけですか?
371名無し物書き@推敲中?:2006/10/19(木) 23:01:43
卵が先か、鶏が先か。
人生棒に振っているから太宰に出会うのか、
太宰に出会ったから人生を棒に振るのか
372名無し物書き@推敲中?:2006/10/20(金) 06:03:33
まだあったのかこの名スレ
373名無し物書き@推敲中?:2006/10/20(金) 11:54:07
てか、>>1氏どこ???
374名無し物書き@推敲中?:2006/10/20(金) 15:06:30
まだぁ〜?
375名無し物書き@推敲中?:2006/10/21(土) 00:11:25
頼むから生きててくれよ
376名無し物書き@推敲中?:2006/10/24(火) 20:38:29
一ヶ月もあけるのは初めてか?

死んだのか…それも仕方のないことなのかな
377名無し物書き@推敲中?:2006/10/25(水) 00:36:49
あげとくか
378名無し物書き@推敲中?:2006/10/25(水) 02:07:19
ジジイのキンタマで人生を棒に振ったのは
おまえが最初で最後だろうなぁ
バカペルガー残飯(←ATOK標準単語登録済み)
 
 
 
379名無し物書き@推敲中?:2006/10/25(水) 22:18:37
まだー?
380名無し物書き@推敲中?:2006/10/25(水) 23:28:51
これはもう駄目かもな
381名無し物書き@推敲中?:2006/10/26(木) 02:21:15
もう忘れちゃってるのかな
382名無し物書き@推敲中?:2006/10/26(木) 22:20:02
ついにYと駆け落ちしたんだな。
383名無し物書き@推敲中?:2006/10/27(金) 12:01:03
>>1です。
こんなスレでも気にしていただいている方がおられて感謝しております。
前にも述べましたが、私は底辺層の職にいて、また人手不足のために常日頃から
仕事に追われる毎日ですが、今回はまた自分の研修、他人の研修、残業、泊り込みと
時間を取られ、家に帰ることすらなかなかままならない状況で、もうこのスレも
諦めていましたが、こうして消えもせずに存在していて非常に嬉しく感じています。
まだ一月以上こんな状態がつづく上、職場はパソコンを自由に扱える環境でもないので
なかなかこのスレも進められません。
この間にも書けるだろうと思われるかもしれませんが、寝不足の上に面倒な作業が山ほど
あって、今日もまたすぐ出勤です、そしてたぶんまた何日も帰れない状況です。
皆さん、本当に気にかけていただいて感謝しております。
ありがとうございます。

384名無し物書き@推敲中?:2006/10/27(金) 21:39:31
終わりなのかよ!?
せめてYとどうなってどういう風に太宰で人生棒に振ったか位は教えてもらわないと
385名無し物書き@推敲中?:2006/10/27(金) 21:50:26
終わりなんて書いてないだろ
386名無し物書き@推敲中?:2006/10/28(土) 00:01:23
いや、なにはともあれ生きていてくれてよかったよ。
やっぱり死んだら終わりだしな
387名無し物書き@推敲中?:2006/10/28(土) 00:17:53
>>383
俺はお前を待つぞ
いつの日か続きを頼む
388名無し物書き@推敲中?:2006/10/28(土) 00:48:55
このスレは我々が守る!
389名無し物書き@推敲中?:2006/10/28(土) 10:38:19
お、1さん現れたね。
生きている事が証明されただけでも収穫だ。
1さんを待っている同胞達も確認できた。
自分も底辺層で生きてる。
世の中に順応できない想いで生きている。
そんな自分のささやかな楽しみが1さんの文章だ。
自分も首を長くしてまってるよ。
でも恋愛話だけで終わるのはかんべんな。
390名無し物書き@推敲中?:2006/11/04(土) 00:02:19
守ってみせる
391名無し物書き@推敲中?:2006/11/04(土) 03:54:54
今日このスレを知って明日仕事なのに(笑)寝ないで一気に読みました。
続き楽しみにしてます!
どきどきします
392名無し物書き@推敲中?:2006/11/04(土) 22:11:22
魔力のあるスレだ
393名無し物書き@推敲中?:2006/11/06(月) 16:52:56
保守ついでに太宰ネタでも貼るか。

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1162561100/
394名無し物書き@推敲中?:2006/11/06(月) 21:09:42
大宰府天満宮
395名無し物書き@推敲中?:2006/11/07(火) 11:06:28
>>1さん
頑張ってください。
396名無し物書き@推敲中?:2006/11/07(火) 11:12:41
このスレ読んで感動しました。
>>1さんにも、書き込んでる皆さんにも、
太宰にも。
397名無し物書き@推敲中?:2006/11/14(火) 01:57:42
保守党
398名無し物書き@推敲中?:2006/11/16(木) 07:52:51
一気に読みました!
>>1さん頑張ってください!
399名無し物書き@推敲中?:2006/11/16(木) 08:39:55
太宰って女に甘えてるところとか、人生に甘えてるところとか、
本当にむかつくんだけど、あの狂気はなんか惹かれてしまう。
やっかいなやつだなぁ。
400名無し物書き@推敲中?:2006/11/16(木) 22:50:33
400!
>>1よ、俺はお前を待つぞ
401名無し物書き@推敲中?:2006/11/19(日) 10:34:33
>>1
待ってるよ
402名無し物書き@推敲中?:2006/11/19(日) 20:46:33
親友交歓とか、乞食学生とか、お伽草子なんかが好きな俺は太宰好きといってもいいんだろうか。
403名無し物書き@推敲中?:2006/11/20(月) 08:54:55
やっと追いつきました。
>>1さん待ってます!
404名無し物書き@推敲中?:2006/11/23(木) 00:30:23
保守
405名無し物書き@推敲中?:2006/11/23(木) 00:33:12
ジジイで人生棒に振ったのはおまえだけだろうなぁ
バカ残飯
406名無し物書き@推敲中?:2006/11/23(木) 02:00:25
と文才の無い馬鹿残飯が妬んでます
407名無し物書き@推敲中?:2006/11/23(木) 03:23:04
素晴らしい才能だ!俺はもう小説諦めて仕事しよう。1さんに託すよ。頑張って書いてください
408名無し物書き@推敲中?:2006/11/23(木) 03:31:12
踊れよ
カタワの醜い小男
アスペルガー残飯
409405:2006/11/23(木) 04:53:46
俺様の名前はダザ〜イ3世〜。
410名無し物書き@推敲中?:2006/11/26(日) 12:12:52
>>409
イ`
411名無し物書き@推敲中?:2006/11/28(火) 19:00:13
412名無し物書き@推敲中?:2006/12/01(金) 00:07:13
このスレは落ちるには惜しい
413名無し物書き@推敲中?:2006/12/01(金) 02:10:55
でもさぁ、太宰って、都会っ子が読むと、田舎者のたわごととしか読めないんだけどね、
ま、良いじゃない、田舎者同士で共鳴してりゃあ。
414名無し物書き@推敲中?:2006/12/01(金) 05:43:24
>>413
太宰のすごさがわからない時点で終わってるね。
かく言うあんたも太宰の名を知ってるんだから太宰は大したものだろ
太宰?誰それ?とか恥ずかしくて言えないんだから太宰を馬鹿にするな
415名無し物書き@推敲中?:2006/12/01(金) 08:39:14
来期から、プロ野球、パシフィック・リーグでは、今期までの、
「パシフィック・リーグ、プレーオフ・ゲーム
(パ・リーグ、プレーオフ)」
を、
「パシフィック・リーグ、クライマックス・シーズン」
と呼び変える事になったそうです。
でも、それでは長ったらしいように私は思うので、
「パックス
([パ]シフィック・リーグ、クライマ[ックス]・シーズン)」
と呼ぶと、響きも可愛いし、親しみやすいと思うのですが、いかがなものでしょうか。
416名無し物書き@推敲中?:2006/12/01(金) 20:19:47
筒井康隆のスラップスティック(ドタバタ)読むと、すごく太宰的な感じがする
のは俺だけだろうか?
417名無し物書き@推敲中?:2006/12/01(金) 21:23:12
稚拙だが、大衆娯楽作家としてのリアルな感性は持ち合わせている。牧歌的な物語と訣別した軽さが伺えるのは、本当は『人生を棒にふった』などとは考えていない作者のためであろう。悩みに真剣さは感じられぬ。しかし、そうした現代的な『割り切り』が、ある意味新しい。
418名無し物書き@推敲中?:2006/12/02(土) 05:26:37
普通にセントラルシリーズ、パシフィックシリーズ、日本シリーズでいいと思った
419名無し物書き@推敲中?:2006/12/04(月) 17:27:05
クン
420名無し物書き@推敲中?:2006/12/05(火) 00:29:02
421名無し物書き@推敲中?:2006/12/05(火) 12:57:07
>>1です。
書き込みが出来ませんでしたが、この間いろいろ支えていただいてお礼申し上げます。
今週から書き込みを再開します。
今後ともよろしくお願いします。
本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
今日はこれからまた慌しく出勤です。
422名無し物書き@推敲中?:2006/12/05(火) 13:23:52
>>1
書かなくてもいいからたまにはレスしろよ
心配させやがって
423名無し物書き@推敲中?:2006/12/05(火) 23:28:20
>>1
たのんます。
あんまり日がたったんで、また初めの方から読みかえすわ。
424名無し物書き@推敲中?:2006/12/07(木) 10:18:48
>>1
待ってます!
425名無し物書き@推敲中?:2006/12/07(木) 22:33:19
黄金風景の解釈って大体が「許しの物語」に落ち着いてるのか?
426名無し物書き@推敲中?:2006/12/07(木) 22:45:11
早速楽しみなわけですが
新人賞に応募しないなんて勿体ない、勿体ない
427名無し物書き@推敲中?:2006/12/08(金) 11:50:05
(その92)
不運に泣き、幸運に笑うと人は言います。
予想外の悲劇との遭遇は不運であり、予想外の幸福に触れることは幸運です。
また、禍福は糾える縄のごとしという言葉があります。
好事魔多しという言葉もあります
人生は予想通りには運びません。
これからお話しする一件を、私はどう理解したらよいのか今でもよく分かりません。
この出来事は今でも恐ろしい夢のように私を苦しめるのです。

春ならではの暖かく、素晴らしく晴れた日でした。
この日、私はY宅を訪ねる前に一度彼女の家の場所を確認しておくべく家を出たのです。
受験生が大学の下見に行くのと同じようなもので、少し引き締まった神経と、まだ試験日ではないという
余裕とが入り混じっていました。
私の場合、まだ受験生でない分、ほんのり甘い気分が漂っていて、この日の晴れた空と暖かい空気に見事に
調和していました。
Yの家を確認する一番いい方法は、Yが下車するバス停の真ん前にある酒店で尋ねることでした。
そして、多分胸をときめかせながら彼女の家を目指して歩くのです。
どんな家なのか、気持ちは次第に高鳴っていきました。
バスで市内まで出ると、私は母校周辺をのんびり散歩し、そのまま城山公園に赴き、公園駅前のバス停から
乗り込むこととしたのです。
城山公園は正式な名称ではありませんが、私たちは普段そう呼んでいました。
歴史的になかなか由緒のある公園です。
Yの家は、このバス停からは一駅、その間大きな峠を一つ乗り越えることになります。
私は黄色いカラーシャツに、お気に入りの緑のセーターという服装でした。



428名無し物書き@推敲中?:2006/12/08(金) 13:03:49
(その93)
「〇〇渓谷」行きのバスが、乗車客私一人を見つけて停車しました。
私は空いている車内の、中間よりやや後ろの右側座席に腰掛けました。
発車して1分もたたなかったと思います、左側最前列の一人座席にいた若い女性が急に立ち上がり、何ごとか
運転手に一言、二言話しかけたのです。
ポニーテールの髪型のその女性の横顔を見たとたん、私は驚きというより、大変激しいショックに似た感覚に
陥り、身体が動かなくなってしまいました。
Yだったのです。
私にとって、この春はまさしくYに会うためにのみに存在していたのですが、全く予測不能のこの状況に、
私はただ腰砕けになって彼女の後姿を見ているのでした。
彼女は俺の存在に今気付いている、何とかしなければいけない、ここをやり過ごしたら二度とチャンスはない。
そういうことは一瞬のうちに判断できました、要は何か行動を起こすこと、つまり声をかけることでした。
座席に凍りついたまま私は迷いに迷っていました。
そしてバスは停車し、彼女は後ろを振り向くことなく下車しました。
バスは再び動き出しました。
いけない!
これじゃいけない!
私は立ち上がって運転手席に走り、「降ります!」と告げたのです。
バスから降り、Yの姿を探すと、彼女は酒店前を左折し、脱いだカーディガンを片手に風になびかせながら、
猛スピードで走り去るところでした。

429名無し物書き@推敲中?:2006/12/09(土) 00:02:16
応援あげ
430名無し物書き@推敲中?:2006/12/09(土) 05:31:45
久々だなぁ
431名無し物書き@推敲中?:2006/12/09(土) 10:36:30
>>1
待ってました!
432名無し物書き@推敲中?:2006/12/09(土) 23:56:35
おお、面白くなってきたぞ。
433名無し物書き@推敲中?:2006/12/11(月) 12:21:50
(その94)
それはほとんど絶望的な光景でした。
Yがゆるい坂道を下って走り去った後、私はなすことなくただ道路に突っ立っていました。
私はこの悪意に満ちた神の業を怨み、またYに対しては「チェッ、逃げて行くにも演技がいるのか」と
憎まれ口を叩いたのでした。
カーディガンを風になびかせて走るYの姿はそれほど絵になり過ぎていたのです。
どうすればいいのか、私は途方にくれながらトボトボと酒店前まで歩き、言い様のない脱力感と現実味の
希薄さにまみれ、また心の奥底から湧きかけようとしている失恋の恐怖を感覚し始めていました。
このまま帰ってしまえば全ては終わる、それはよく分かっていました。
しかし、私から逃げ去った以上、彼女の家を訪ねることも出来ない。
私は酒店前を彼女が走り去った方向と正反対に方向を取ってあてもなく歩き始めました。
少し冷静になると、ある疑問が浮かび上がってきました。
それは彼女が立ち上がって運転手に話しかけた行為のことでした。
あれはもしかして私に自分の存在を知らせるためにやったことではないのか?
最前列に座っていたのですから、いやでもたった一人公園前のバス停にいた私の姿は敏感な彼女の眼に
最初から捕らえられていたはずです。
彼女としては逃げるほど嫌っているのなら、むしろ自分の存在は隠そうとするのが本当なのではないか?
そうだ、あれは敢えて私に自分の存在を知らせるためにやったことなのだと私は思い始めました。
逃げたこととの整合性はないものの、私は今少しでも自分に有利な状況を見出さねばならなかったのです。
実際、彼女が立ち上がって運転手に話しかけたりしなかったら、私が彼女の存在に気付かなかった可能性は
大なのです。
あんまり愚図愚図とここで時間を経過させてはまずいと私は思いました。
私はYの家の電話番号を調べ、ともかく彼女に連絡を取ることにしたのです。
434名無し物書き@推敲中?:2006/12/11(月) 14:58:38
おお!サガンの再来ですな。
435名無し物書き@推敲中?:2006/12/11(月) 18:50:10
今、太宰賞に応募する原稿読んでたんだけど、
面白すぎる。
436名無し物書き@推敲中?:2006/12/11(月) 22:06:10
お、>>1筆が乗ってきた♪
437名無し物書き@推敲中?:2006/12/12(火) 00:59:13
大学生で太宰ってちょっとダサい。
438名無し物書き@推敲中?:2006/12/12(火) 02:38:24
むしろダザい。
439名無し物書き@推敲中?:2006/12/12(火) 06:30:16
フ〜、やっと追いついた!もう朝だ。続きを楽しみにしてるぞ
440名無し物書き@推敲中?:2006/12/13(水) 23:14:04
執筆しやすいようにあげておいてあげましょう
441名無し物書き@推敲中?:2006/12/14(木) 08:31:47
俺もファンだがあんま期待すると
>>1がプレッシャーで書きにくいんじゃないか?
442名無し物書き@推敲中?:2006/12/16(土) 13:55:35
 太宰の小説など、今すぐ捨ててしまいなさい。

http://www.digbook.jp/?osCsid=2c81cbae394f0e333a431d5c65c306a1
443名無し物書き@推敲中?:2006/12/16(土) 20:28:18
(その95)
一旦こうと決めると事の後先も考えず、性急に行動に移さないと気がすまない私の悪癖はこんな場面でも
表れました。
気が付いた時、私は農道にいたのですが、折り良く目の前に一軒の農家があったのです。
私は何の躊躇もなくその家の敷地に足を踏み入れ、開け広げになっている玄関をくぐったのでした。
中に入ると、中三か高一かと思えるぐらいの少女が炬燵に入って勉強していました。
土地柄でもあるのですが、少女は突然の侵入者にも何の警戒も示さず黙って勉強を続けていました。
「すみません」と断って、私はYの名をあげ、電話番号を教えてほしいことと、電話を貸してほしい旨を
伝えたのです。
するとすぐにその家の奥さんが隣部屋から顔を出し、電話なんかしなくてもYさんの家ならすぐ近くですよと、
丹念にYの家までの道順を教えてくれたのです。
Yの家に行く気持ちは全くなかったのですから、内心大いに失望したのでしたが、私はその親切に応えるべく
一所懸命聞く振りを通しました。
こうなるとあの酒店しかないなと私は思い、農家を出ると急ぎ足に来た道を引き返しました。
もう一時の猶予もないという感じでありながら、また一方ではやはり時々臆病風も吹いて、この難事のような
状況から逃げ出したくもなるのでした。
これ以上はないというほど胸の鼓動を高鳴らせ、私は緊張いっぱいに酒店に入りました。
店内には五十半ばぐらいの店の奥さんと、三十前後に見える息子さんが二人で仕事をしていました。
私はおずおずと奥さんの側に足を運んだのです。
「すみません、Y・Yさん宅の電話番号をご存知でしょうか?」
この時息子さんの視線が急にこっちを向いたため、私はますます緊張を強いられました。
「ご存知でしたら、教えていただいて、ちょっと電話を貸してほしいんですが」
「Yさん宅なら、ここから歩いてすぐですよ」
先程の農家の奥さんと同じ返事でした。
「いえ、電話で用件を告げたいので……」
奥さんは怪訝な顔で私を見つめるのですが、私はもうさっきのことを繰り返すわけにはいきませんでした。

444名無し物書き@推敲中?:2006/12/18(月) 15:53:29
いよいよ再会?それとも…。
引っ張るけど、上手いなあ!
445名無し物書き@推敲中?:2006/12/18(月) 19:31:26
1年3ヶ月も書き続けてるわけだけど完結まであとどのくらいなんだろうか
446名無し物書き@推敲中?:2006/12/18(月) 19:37:29
今日中にカタがつくよ
447名無し物書き@推敲中?:2006/12/18(月) 21:04:30
待ちますよ。
待ちますとも。
448名無し物書き@推敲中?:2006/12/19(火) 01:34:37
えぇ、そうですとも。待ちますとも
449名無し物書き@推敲中?:2006/12/19(火) 05:54:40
お、いつの間にか再開してるじゃないか。
読ませてもらってるよ。楽しみだ。
450あぉ:2006/12/19(火) 14:24:11
「太宰治で人生棒に振りました」という題名で投稿した方がいいと思う。
題名から惹きつけられるし読んでみようって気になる。
お仕事頑張ってくださいw
451名無し物書き@推敲中?:2006/12/19(火) 22:19:54
やっと追い付いた。
Yとの関係が決着したら了なのかな?ともあれ>>1さん、待っております。
452名無し物書き@推敲中?:2006/12/21(木) 10:15:36
(その96)
好奇の視線をまともに浴びながらYと電話で話すのには正直かなりの抵抗があったのですが、もはやそんなことを
気にかけている場合ではなく、私は奥さんから教えられた通りの番号でYの家の電話を鳴らしたのです。
呼び出し音がするとすぐに「はい」と返答がありました。
まるで電話機の前で待機していたかのような素早い反応で、私はこれはYだと直感しました。
「あ、あの、Yさん……」
「私です」
押し殺したような声でした。
「ああ、僕だけど、さっきバスの中にいたんだけど……気付かなかった?」
「あ、気付いたような気もしたけど……」
滑稽な答え方でしたが、それだけYにも多少動揺があったのでしょう。
「今、バス停前の酒店にいるんだけど、ちょっと出て来れない?」
Yはしばらく沈黙した後「少し待ってください」と言って電話機の前から離れたようでした。
母親に相談に行ったなと私は思いました。
どうか来てほしい、必ず来てくれ……待たされる間、私は必死に祈っていました。
「もしもし」
Yが戻って来ました。
「ちょっと用がありますので」
なんだよ!と私は叫びたくなりました。


453名無し物書き@推敲中?:2006/12/21(木) 10:40:06
(その97)
「じゃ、帰る!」
私はすねたように言いました。
そして事実すねるしか能のない無力の自分を感じたのです。
Yは落ち着いた声で「〇〇さん、大学はどこに行かれたんでしたっけ?」と尋ねました。
私もまた少し落ち着き「〇〇大学の法学部」と答えました。
「頑張ってください」
私は再度呼びかけました。
「ねえ、出て来てくれない?」
Yはまたしばらく沈黙し、「用がありますので」と答えるだけでした。
私は一気に自分を支える力が抜けたのが分かりました。
「じゃ、さよなら」
私は弱々しく受話器を置き、フラフラと酒店を出ようとしました。
その時背後から奥さんの声がしたのです。
「すみません、電話代いただいていいですか?」
「あ」と私は自分を取り戻し、ここで惨めな様は見せられないぞと自分に言い聞かせました。
息子さんが「母さん、いいんだよ電話代なんか」と諌めるような口調で言ったのですが、私は今の一切を知られた
恥ずかしさを感じました。
しかし私は気を強くして「いえいえ、すみません。お代は払います」とあえて笑顔を作りながら電話代を奥さんに
渡したのです。
454名無し物書き@推敲中?:2006/12/21(木) 11:20:39
太宰って中二病の象徴だよな。
455名無し物書き@推敲中?:2006/12/21(木) 11:53:49
(つд・)
Yってこんな子だったっけ?・・・読み返してくる
456名無し物書き@推敲中?:2006/12/21(木) 12:05:11
結婚を迷っている若き独身男性諸君、結婚ほど馬鹿馬鹿しいものはない。
今の20代、30代の女は「どうやって男にたかるか」を必死に考えている。だまされるんじゃないぞ。

「結婚は1億円の無駄遣い」

実際は1億どころじゃ済まないけどな。子供ひとりで4000万の出費だ。宝くじでも当たったら、考えてくれよ。

結婚した瞬間に、30年間の強制労働が約束される。
どんなにがんばって稼いでも、自分で使える金額は1日数百円程度になるぞ。
どうしても買い物がしたければ、妻に頭を下げて「お願い」するんだ。
そして「無い袖は振れません」と、あっさり却下される。
残りはすべて、ガキと女が「当たり前のように、何の感謝もなく」吸い尽くす。

家事は極めて軽労働になった。
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457おなにー:2006/12/21(木) 14:16:22
あーしこりてー
458名無し物書き@推敲中?:2006/12/26(火) 10:29:21
1年ぶりとはいえ同級生に敬語使ってるあたりが笑える
459名無し物書き@推敲中?:2006/12/27(水) 01:09:34
続き期待上げ
460名無し物書き@推敲中?:2006/12/27(水) 05:26:27
>>1
かわいそう・・・色んな意味で
461名無し物書き@推敲中?:2006/12/29(金) 11:05:40
(その98)
酒店を出ると、光がいやに眩しく、痛く感じられました。
家を出るときは素晴らしく私の心に調和していた青空も暖かな陽気も、今は一遍に不似合いで皮肉な様を
演出しているだけでした。
帰るよりほかはなく、私はバス停までトボトボと歩いたのです。
バス停は目と鼻の先でしたが、そこに着くか着かないうちに急に物凄い寒さが私を襲ってきました。
私はブルブル震える身体を必死にさすりながら、それでも今しがたYが走り去った坂道の方向に時々視線を
向け、ひょっとすると彼女の姿が再び現れはしないかと淡い期待を寄せたものでした。
辛い、お迎えのようなバスが到着して乗り込むと、私はもう既に立っているだけの気力すら使い果たしていた
ようで、後方の空いている座席を見つけると崩れるように仰向けに倒れ込みました。
一向にやまぬ寒気に身体を縮込ませ、頭上の窓から外を覗くとどこまでも青空が続くばかりでした。
と、今度は奇妙な可笑しさが急襲し、私は身体全体をブルブル震わせながら、またヘラヘラと笑ってもいたの
のです。
あの青空は、今思い出しても凍り付くような寒い色でした。

家に戻ると、私はただちにY宛てに手紙を書き始めました。
何か意図あってのことではなく、純粋にそうする以外私の呼吸する方法がなかったのです。
便箋を用意した途端、ほとんど自分の意志とは関係なく爆発的にペンが走り始め、一字の訂正もなく一気に
7、8枚の手紙が書きあがったのです。
462名無し物書き@推敲中?:2006/12/29(金) 16:32:34
>>1
おっまた始まった
ガンガって!
463名無し物書き@推敲中?:2007/01/02(火) 11:30:35
(その99)
Yは地元国立大学の教育学部に合格していました。
もちろんそれが私の念頭にあったものらしく、手紙の内容はほとんど全部教育に関する話になりました。
一体、いつのまに私自身がこれほど教育の知識や情報を得、教育論とも言えるような考え方を身につけていた
のか、全く自分でも信じられないような思いでした。
最後には彼女が必ず立派な教師となって子供を社会に送り出してくれるだろうことを信頼しながらペンを
置いたのです。
何の未練も執着もない、大仰に言えば潔いほどの手紙だったと思います。
しかしこの手紙を投函することはありませんでした。
書き終えた時には、非常に感情も落ち着きを取り戻しており、なんだか心も澄み切って一種の覚悟が芽生えて
いたのです。
地元では国立大学を卒業した人間はそれで一定の評価を得ることが出来るのでした。
私のようなMARCH程度の人間が相手では、Yも物足りなく感じても仕方ないだろうという腐った気分も
ないではなかったのですが、しかしそんなこと以前に私は自分の現況を思えば、そもそも彼女のような優れた
女性と交際出来る資格も力量もないのだとすぐに覚ることが出来たのです。
しかし、神はもう一度とんでもない企みを私たちに施したのでした。

464名無し物書き@推敲中?:2007/01/02(火) 23:04:38
こんなんじゃ佐原に勝てないぞ。
465名無し物書き@推敲中?:2007/01/03(水) 23:03:02
>>1って勉強してないみたいに書いてたけどちゃっかり
MARCHとか行っちゃってんのな。
466名無し物書き@推敲中?:2007/01/04(木) 01:53:33
そういう事に触れると…学歴論争になるから、やめとけ
467名無し物書き@推敲中?:2007/01/04(木) 09:20:15
ずっと思ってたんだけどMARCHってどこ?
468MARCHでぐぐるといいよ:2007/01/04(木) 13:03:20
日産。
469名無し物書き@推敲中?:2007/01/04(木) 19:58:49
ツンデレな回答ありがとう
470名無し物書き@推敲中?:2007/01/05(金) 00:25:39
このスレは三年越しなの?長いな
471名無し物書き@推敲中?:2007/01/05(金) 00:32:10
>>468
明治青学立教中央法政
良くも悪くも学歴論争の火種になりやすい中学歴
472名無し物書き@推敲中?:2007/01/06(土) 23:44:43
この小説凄い
私は没入すると頭の中に曲が流れだすんだけど久々にきた
コインロッカー・ベイビーズ以来だ
473名無し物書き@推敲中?:2007/01/09(火) 12:52:37
(その100)
私はすぐにも帰京することにしました。
Yがはっきり自分とは無関係な人間になった以上、いつまでも実家にいるのは辛かったのです。
ただ、Yをほとんど自分の運命の女とさえ思っていただけに、私にはこんな別れ方はあまりに唐突過ぎて、頭では
受け入れているものの、なかなか急にこれを身体全体で現実とは捉え切れない感覚も当然のように残っていました。
Yと別れて三日目、帰京の前日、私は弟と二人で市内に衣服の買物へ出かけました。
鶴屋という評判の衣服店で、春物のシャツ類をまとめて購入する予定でした。
弟は二階へ上がり、私は一階を歩き回りました。
店内で、私はふと見覚えのある女性を一瞬目にし、おや、あれは誰だったかなあと思いながらすぐに視線を逸らして
またシャツを探して歩きました。
私は外でさして親しくもない人たちと会うのが大変苦手で、一言の挨拶ですらかなりの勇気を要するため、極力顔を
合わせないようにしたものです。
数分後、私はまた私の正面に先程の女性を一瞬捕らえて目を逸らし、ああ、あれは理髪店の奥さんだと思ったのです。
高校時代は必ずその奥さんのいる理髪店に通っていたのでした。
やがて弟が一足先に買物を済ませてやってき、「外で待ってるよ」と言って店を出ました。
私も程なくシャツ類を籠に入れてレジに並びました。
と、またしても私は真正面、10数メートル先に理髪店の奥さんの姿を捕らえたのです。
奥さんは若干顔を横に向けていて、何だか今にも泣きそうな顔をしていました。
よく会うなあと苦笑しながら、それでもまともに顔を合わせて挨拶するのは嫌なのですぐに私は顔を逸らしました。
勘定を済ませて出口に向かった時でした。
こちら側に背を向けてしゃがみ込み、何か衣服を探している様子のコート姿の女性が突然立ち上がり、私の方を振り
向いたのです。
474名無し物書き@推敲中?:2007/01/09(火) 13:39:18
wktk
475名無し物書き@推敲中?:2007/01/11(木) 10:59:41
続き待ってます!
476(o^-^o) ◆m0yPyqc5MQ :2007/01/11(木) 15:07:10
すごいねえ

長くて

Yに執着してるね
477名無し物書き@推敲中?:2007/01/12(金) 10:57:46
(その101)
この時の衝撃を表現するには大変難しいものがあります。
そして、この体験は今も私を懊悩させ、後悔、不運の極地として悪夢のようにいつでも蘇るのです。
女性は長い黒髪を肩まで垂らし、薄緑のトレンチコートを上手に着こなしていました。
彼女はまさに私を待ち構えていたかのように私の真ん前に立ち、何ごとか囁きながら頭を下げて挨拶
したのです。
しかし、その眼は深く閉じられていました。
その瞬間、私はほとんど腰が砕けるかのようでした。
Yだ!
Yだ!
それがYだと気付いた時には、私は既に彼女の前を通り過ぎており、また驚愕のあまり彼女の方を振り返る
余裕がありませんでした。
そして一時に店内の出来事が奇麗に理解できたのです。
再三私の視線の先に姿を現したのは、理髪店の奥さんなどではなく、Y自身だったのです!
「何てことだよ!」
混乱しながら店を出ると、弟がすぐに近寄ってきました。
「Yだ!」
私は興奮しながら声を発しました。
「え?」
「Yがいたんだ!」



478名無し物書き@推敲中?:2007/01/12(金) 11:43:48
(その102)
「Yがいたの?」
弟にも多少Yのことは話したことがあったので、彼も名前ぐらいは知っていたのですが、もちろんこの時の私の
動揺の意味など判るわけはなく、場違いな微笑を浮かべていました。
私は当然戻るべきでした。
この神の計らいを受容すべきでした。
「どうしようか」
私は呟きながら立っていました。
まだYは店内にいる、今戻れば先日の別れなど何でもなくなる。
さあ、行け! 戻れ! 会いに行くんだ!
私はさかんにそう自分を叱咤するのでしたが、私の両足は踵を返すことをしなかったのです。

あの時、なぜ戻らなかったのか、長い年月、私は何度も何度も繰り返し考えました。
弟がいなかったら戻っていたのではないかと思うこともあります。
弟というごくごく身近な存在があったために気持ちを集中させることが出来なかったのだと。
また、どこかYに対し先日のお返しをしたかったのだという復讐心も湧いたのではないか?
いや、単純に勇気がなかったためなのかもしれません。
トレンチコートのYは非常に大人びていて、圧倒する美しさで私の真正面に立ったのでした。
ポニーテールのYの残像ばかりが頭にあって、ロングヘアーにコートスタイルのYなど想像もできなかったこと
で、この変化にすっかり打ちのめされ、向き合う勇気が削がれたのだと。
あるいは、先日の一件で、彼女の本心を覚ったという強烈な諦めが既に根付いていたためなのかもしれません。
本当の理由は私にもよく判りません。
ただ、いまだに信じられないようなこの不可思議な現象を思う時、私は人は定められた自分の運命や宿命からは
どうあがいても決して死ぬまで逃れることは出来ないのではないかと感じるのです。


479名無し物書き@推敲中?:2007/01/12(金) 12:23:07
(その103)
ある不気味さをもって、私はあの摩訶不思議な現象を思うのです。
一体、なぜ鶴屋でハッキリと三度もYの姿を視線に捕らえながら、それが彼女自身だと分からなかったのか?
レジに並んでいた時に見た泣きそうな顔のY、何か必死そうな顔のYがなぜ理髪店の奥さんにしか見えなかったのか?
最初からYだと認識していたら、これはもう何の困難もなく私たちはこの神の計らいに感謝しながら一緒になって
街中へ出たことでしょう。
それとなく私の付近に来て、私にその存在を気付かせる、それこそは高校時代から変わらぬYの典型的な行動スタイル
でした。
私はただ声をかければ良かったのです。
その最高のチャンス、どこにもない、この奇跡のような恋愛の実は何とも奇怪な現象ゆえに無惨に捥ぎ取られたのでした。
バス中で会った日には逃げて行ったY、けれども私の呼び掛けに拒絶の支持を出したのは明らかに彼女の母親でした。
実はY自身は私と会ってもいいと思っていたのでしょう。
それが鶴屋店内での彼女の必死の行動だったのです。
それでもなお私たちはとうとう一度たりとも寄り添うことはできなかったのでした。
これはもう彼女の守護神が全身全霊を込めて私という悪魔から彼女を救済したのだとでも考えざるを得ません。
激烈な愛情表現をするYでしたから、一度でも寄り添えば彼女は私のようなダメ人間とでもとことん転落するまで一緒
という可能性は充分あったと思います。
彼女の幸福を思えば、それは私などと付き合うなどとんでもないことで、彼女の守護神は立派過ぎるほどに彼女を守った
のです。


480名無し物書き@推敲中?:2007/01/12(金) 23:46:58
>>1
なんとか2ch閉鎖までに完結させれないものだろうか?
こんなに素晴らしい作品を途中で終わらせるなんてもったいない。
481名無し物書き@推敲中?:2007/01/16(火) 07:02:42
けど、無理に完結させるような事はして欲しくないなぁ
482名無し物書き@推敲中?:2007/01/16(火) 23:38:37
ほす
483名無し物書き@推敲中?:2007/01/17(水) 21:47:38
あれ、閉鎖ってガチなの?
484名無し物書き@推敲中?:2007/01/23(火) 10:50:59
(その104)

 第三章

大学をやり直そうという気概はふわふわと煙のように消えていき、ただ小説を書こうという曖昧で安易なだけの
意志、というよりそんな気分を抱いたまま私はその日暮らしを続けていました。
ある日神田古書店街で、私は山岸外史の「人間太宰治」という本を見つけました。
檀一雄などと一緒に太宰と深い親交のあった人で、これをパラパラめくったところ、読みやすさもさることながら、
太宰治の気性、生の生活を非常に自然に観察した内容になっていて、私は一遍にこの本の虜になって購入したのです。
小説とはまた違う抜群の面白さがあり、読み進めていくうちに一気に読了するのがもったいないぐらいの感じになり、
私は太宰の小説と合わせて楽しんでいくことにしたのでした。
私は高揚した、けれども実際的には堕落した、親に甘えているだけの生活の中に埋没したのです。
この頃、久しぶりに吉永と会って飲み、なぜか話の最後に私は「大学は中退するよ」と宣言したのでした。
もやもや停滞するばかりの打ち沈んだ日常、腐敗した精神の行き着き先のこの結論はここでやっと決定されたという
ような、そんな感じでした。
吉永は特に驚きもせず、逆にちょっとした皮肉の笑顔を見せ、ひとこと、
「仮面もまた真実」
と偉そうな口調で言ったのでした。
「なんだよ、仮面って?」
私は吉永の言葉の裏にある意地悪な感覚に少し動揺しながら、こいつとはもうこれが最後だなと思ったのでした。
この年の秋、吉永から「学園祭に行こう」という誘いの電話が入り、私は断ったのですが、実際吉永との交際は
これで終わったのです。



485名無し物書き@推敲中?:2007/01/25(木) 19:57:25
(その105)
太宰の小説の良さは「弱さ」であると、批評ではなく感覚で知って私はこの弱さや脆さを現実の中で共有
していました。
私は自分の経験として、心や神経の傷の癒しは「自虐的な喜劇」で発憤できると分かっていましたから、
太宰の小説にちょこちょこと、やや大仰に出てくる失敗談が痛快で、またとても慰めにもなるのでした。
高校時代に、教科書で「富嶽百景」が出てき、この時国語教師でもあった担任は太宰治は「反俗の人」と
紹介しました。
間違ってはいないと思いますが、私は弱さ、もろさゆえに反俗になるしかなかったのだろう、反俗に徹して
鬱憤を晴らすしかなかったのだろうと考えるようになりました。
何も太宰を真似るのではなく、無論真似たくもなかったのですが、大学の不登校を続けながら仕送りだけは
当然のように受けるという私の生活は太宰の話によく似ていました。
しかし、太宰にはもしかするとまだどこかに普通の学生に戻ろうという意志があったか、あるいは既に
そのような意志もなく、まさに堕ちていくだけの人生に身を捨ててしまおうという無意志の状況だったかの
ように思えます。
非合法の共産党活動に身を置いた瞬間から、彼はもう自分の人生を捨て鉢にしていたのかもしれませんが。
共産主義という「道」を知った以上、自分を欺けずに非合法活動を支持するこのような性格を私はまた大変
好きでした。
私の場合はハッキリと中退を決意したところが太宰治の事情とは違いました。
あくまでもまだ「小説家となるか、さもなくば何にもなりたくない」という人生への決意が続いていたのです。
486名無し物書き@推敲中?:2007/01/25(木) 20:20:15
どっかにまとめてよ。
487名無し物書き@推敲中?:2007/01/25(木) 20:28:58
(その106)
秋の入り口、早稲田の法学部を出て当時の大蔵省に勤めていた親戚が私を訪ねてきました。
父方の親戚で、私が小学校の頃何度か私の家に遊びにきたことがあります。
清潔を絵に書いたような性格の人でした。
また、この親戚の弟は国立大学の助教授になった人で、父方には非常に真面目で教育分野に就いた人間が多く、
父の故郷からは親戚の校長やら教師が入れ替わりよく来ていました。
ついでですが、母方は全く逆に芸術系の血筋でした。
国立大学の農学部を出ながら著名な画伯の弟子になったあと、一人息子であったために渋々実家の養鶏場を
継いだものの、結局は破産させた人間とか、絵描きを目指し、短歌、俳句を作りながら夫婦で漂流した末に
神主になってしまったのやら、演劇を目指して挫折したのやら、世間でいうところの“ろくでもない”連中が
多いのです。
私も強烈に母方の血を受け継いで“ろくでもない”人間になってしましましたが。
さて、大蔵省のこの親戚は父に依頼されて私の大学中退の意志を撤回させるべく説得に来たのでした。
一所懸命、社会組織のあり方と大学の専門教科の必要性、教養性を説くのですが、私は頑固に未熟な情熱を
ぶつけるのみでした。
彼は新婚で、翌年の冬のまだ寒い頃、非常に優しい奥さんを連れてもう一度私を説得に来ましたが、私の意志は
既に固まっていました。
涙が出るほどに懐かしい思い出です。
彼は後に故郷に帰り、有力銀行に勤務してある経済予測を発表します。
これは現実になってこの地方では相当話題になったのですが、この時彼は既に病死していました。
国立大学の助教授の弟も事故死していますが、父方の血筋は短命血統でもあるのです。
488名無し物書き@推敲中?:2007/01/29(月) 00:39:31
ほしゅあげ
次まってるお
489名無し物書き@推敲中?:2007/01/30(火) 10:51:11
(その107)
山岸外史の「人間太宰治」は、彼独特の山岸流観察眼で書かれており、彼自身のその神経の細かさもまた太宰の
神経の細かさに通じていて、非常に面白いものでした。
多分、普通の人間であれば常識というものを考えて抑制したであろうと思われる些細な日常の、決して秀でている
とはいえない凡俗だったり、あるいは卑小な太宰の精神構造を紹介していて、それが私の交友事情に似通っても
いて、まるで私自身がその本の中で交流しているかのような安心感が生まれ、すっかり孤独も癒されるのでした。
そして太宰の小説のあちらこちらには、心底私が共鳴出来たり、同じ苦しい失敗談、恥辱、怒りが散りばめられ、
かと思えば理想の生活にも思えるような文章があり、私はこれらの文章の脇に夢中で赤い線を引いたものでした。
滑稽というか、無茶な話なのかもしれませんが、私は当面の生活を太宰治の幾つかの小説のメッセージから組立てる
ことにしました。
実態は転落の初歩であるにも関わらず、私は悲惨なほど暢気に人生に臨んでいたのです。
私は親の仕送りを断り、アルバイトを見つけて誰からも干渉されない生活を目指しました。
以前“かつ煮定食屋”のアルバイトでは失敗していましたから、窮屈さを感じない仕事を探しました。
同時にアパートも賃料の安い場所に移り、ここで小説をひとつ書き上げるのだと発奮したのです。
仕事はシフト上、一人勤務もある某乳飲料の駅店舗の店員でした。
朝早い勤務でしたが、その分午後二時頃には帰宅でき、ゆっくり小説も書ければ、好きな勉強も出来るのでした。
私はこれによって理想の生活を送るべく“七つの幸福”なる生活信条を作り上げ、大きく胸を膨らませたのです。
客観的に自分を監視する力は全くなく、この頃はあくまで自分の道を突き進むことが己の運命だ、そしてこの後には
必ず成功がある、いやこの生活を得ない限り成功はないとさえ思っていたのでした。


490名無し物書き@推敲中?:2007/01/31(水) 23:02:42
七つの幸福・・・
491名無し物書き@推敲中?:2007/02/06(火) 01:57:19
保守野ジャパン
492名無し物書き@推敲中?:2007/02/06(火) 22:33:06
続編を待つ
493名無し物書き@推敲中?:2007/02/12(月) 07:49:44
494名無し物書き@推敲中?:2007/02/12(月) 17:07:30
(その108)
無頼派として知られる太宰治ですが、彼はその作品の数多くに彼の文学に対する非常に真摯、実直な態度を
示しています。
すぐにも崩れそうな意志の弱い生活、しかしそんな現実の自身とは正反対の前向きで、健康的な心意気もまた
彼の特徴です。
私は太宰の小説の幾つかに影響されて、自分の生活も文学という目的のためにはいつも真摯的でなければなら
ないと考え、強欲とか怠惰やあらゆる破滅への誘惑に打ち勝とうと質素な“七つの幸福”という生活信条を
作ったのです。
  
  一曲のモーツァルト (という幸福)
  一篇の小説 (という幸福)
  一杯のコーヒー (という幸福)
  一つの夢 (という幸福)
  一つの思い出 (という幸福)
  ……
  ……

七つの幸福というからには当然あと二つの幸福があるわけですが、今はもう思い出すことが出来ません。
またこの生活信条も、やがて酒と煙草を覚えてからは次第に消え去っていったのです。
ただ、駅売店のアルバイト生活を継続してる間は非常に機能していました。
495名無し物書き@推敲中?:2007/02/12(月) 18:00:15
(その109)
乳飲料の駅売店はJR構内にあり、私は二つの駅、三店で勤務しました。
朝早くまず本店に出社し、仕事着に着替えてから駅に向かうのですが最初はこのユニフォームが恥ずかしくて
ひたすら俯きながら歩いたものでした。
仕事は牛乳を始めとした飲料やパンなどの販売がほとんどでした。
仕事そのものは楽でしたが、従業員は私ともう一人専門学校に通うバイト以外は全部女性で、相当神経が疲れる
こともありました。
単調な日々でしたが、アパートに帰るとコーヒーで寛ぎながらモーツァルトを聞き、また太宰などの小説をめくり、
作家になる夢を描き、Yを想う……、そして原稿を広げる。
原稿にはなかなか手がつかず、疲れて眠ることが多かったように思います。
売店ではすぐに手痛い体験が待っていました。
一人勤務の売店では自由に、好きなように振舞えたのですが、シフトは女性従業員と二人、または三人で組むことの
方が多かったのです。
私は相変わらず無口で、無愛想、気もきかない方でしたから、五十前後ぐらいの一人の女性には大変苛められました。
「神経病みが来た」と平気で言い、挨拶しても返事はしない、仕事を教えない、無視する等々で私を苦しめたのです。
私と交代で専門学校生が来ると、わざとらしく彼と私を比較して私を貶めたりもしました。
私は怒りよりも、何しろこのような人間と会ったことが生まれて初めてでしたから当惑したり、呆然とするばかりでした。
ただ、この女性はよく唱歌などを口ずさんでいて、ある時私のとても好きな歌をハミングしていました。
私は思い切って「〇〇さん、今歌ってるその歌、とてもいいですね。なんていう曲ですか?」と訊いたのです。
彼女は意外な私の声かけに少し驚きながらも「埴生の宿よ」と答えたのでした。
人間というものは本当に不思議なもので、たった一つのこの会話だけで私たちの間の冷え切った関係は終わったのです。
496名無し物書き@推敲中?:2007/02/12(月) 18:33:43
(その110)
さて、売店には「マガちゃん」と呼ばれている二十三、四ぐらいの太った娘がいました。
色白で目が大きく、可愛いというのか派手というのか、かなり色気を持った子でした。
ただ行動は豪快で、背筋も伸ばして男勝りというのか、大胆なところがありました。
名前が馬上でマガちゃんと呼ばれていたのです。
彼女はとても親切に私に接してくれ、いろいろと世話もやいてくれるので、私も彼女と組む時はとても楽しい
仕事の日になっていきました。
彼女は結構飲むのが好きで、昨日はどこへ行って誰と遊んだかれと遊んだなどと話すのでした。
「昨日は弁護士さんと飲んだのよ」などと言って、まだ酒が抜け切れていないこともありました。
そのマガちゃんが、ある日私を誘うような様子を見せたのです。
帰りが一緒になり、本店に着くとマガちゃんは二階に着替えに上がる途中、そっと私の名を呼び手招きしました。
愚鈍な私は「えっ?」と大きな声を出してマガちゃんの顔を見てしまったため、中年の女性事務員が訝しい目で
階段の途中にいたマガちゃんを見ました。
マガちゃんはあわてて「ううん、なんでもない、なんでもない、いいの」と言い残してバタバタと音を立てて
着替室に消えて行きました。
これは、何かあるぞと、私は少し期待感を持ったのでした。
私は彼女の色白の肌を恥ずかしくもなく妄想したのですが、やがてこれは妄想から現実のものになったのです。


497名無し物書き@推敲中?:2007/02/13(火) 23:36:38
面白くなってまいりました
ここにきて1のルックスが気になる
498名無し物書き@推敲中?:2007/02/16(金) 01:39:22
おれ太宰嫌いだったけど
年を経るにつれ人生が太宰化してきてる
499名無し物書き@推敲中?:2007/02/16(金) 13:36:39
(その111)
マガちゃんは私を「あんた」と呼んだり「〇〇さん」と呼んだりしました。
バイトの面接では学生証を示して採用されましたから、私は大学生扱いでした。
もっとも、これらの時点では正確な退学届けを出していたわけでもありませんでしたから、学生は学生だったのですが。
何日かたってマガちゃんは、翌日が私の休日という日に、一遍飲みにいかない?と私を誘ってきました。
それは本当にたまたま私が休日を控えていただけのことで、あまりに普通の誘いでしたからこの時はまさか彼女とホテルに
行くことになろうなどとは考えもしませんでした。
当時はまだカラオケボックスはなく、カラオケクラブとか、カラオケスナックと呼ばれる店が流行していました。
マガちゃんが誘ったのは行き付けのカラオケスナックで、繁華街の路地にありました。
こういう店は初めてでしたから緊張はありましたが、マガちゃんが磊落な人でしたから私も随分救われたのです。
穏やかな笑みを絶やさないマスターの好印象が今も胸に残っています。
マガちゃんはボトルキープしているウイスキーの水割りを飲みながら、マスターと世間話をするのでしたが、私には本当に
どうでもいいつまらない内容で、またついてもいけず小さくなってビールをちびちびと飲んでいたのです。
そもそも人と話の出来ない私には全く不似合いな場所で、マスターが気をつかって時々そんな私に声をかけてくれる
のですが、せいぜい下手な相槌をするのが関の山なのでした。
ただ、マガちゃんは「真面目な子よ」とか「すごく頭いいの」とかマスターに紹介するので、私がマガちゃんからどう
見られているかだけは判断出来たのです。
ここの話から、マガちゃんもどこかのスナックでバイトしていた経験があるようでしたが、詳しいことは訊きませんでした。
マガちゃんはカラオケで演歌を披露し、他のお客から拍手をもらっていました。
ふっくらとしたマガちゃんの白い顔は、アルコールと華やいだ感情で桃色から少し赤味の強い色調に変化していました。


500名無し物書き@推敲中?:2007/02/17(土) 21:40:49
>>498
カワイソス
501名無し物書き@推敲中?:2007/02/21(水) 01:27:46
陰日向に咲くより面白いんじゃないの?
502名無し物書き@推敲中?:2007/02/23(金) 11:34:32
(その112)
ウイスキーの水割りはこの日が初体験でした。
テレビドラマや歌謡曲でさんざん取り上げられる飲み物ですから、随分興味を持って口に運んだのですが、
少しも美味しいとは感じず、むしろ不味いと思うばかりでした。
といってビールばかり飲むのは不経済だったのでしょう、私はさかんに水割りを勧められて断る方法も知らず、
ひたすらチビチビと飲み続けたのです。
「あんた、お酒強いのねえ!」
マガちゃんには、私が酒が飲めることが相当意外だったようです。
しかも全然酔わないのを見て驚いたのでしょう。
私はただ飲むよりほかにこの場の空気を埋める手立てを知らなかっただけなのです。
ただ次第に頭の芯が痺れかけたような感覚もさすがに感じてはいたのです。
スナックを出るとマガちゃんはスイスイとあちこち歩きながら一軒の寿司屋に入りました。
途中、目まぐるしく移り変わるネオンサインや赤提灯を見ながら私はマガちゃんとまるで恋人同志のように
一緒でした。
この正確な時間は思い出せませんが、まだ帰りの電車を気にしたわけではなかったので10時前後だったのだ
ろうと思います。
非常に照明が明るく、また握り職人や従業員の数の多い店でした。
ほとんど満員で活気に溢れており、お客の笑い声が絶え間なく続いていました。
お客は中年以上ばかりが目につき、私たちのような若いお客がいたような記憶はあまりないのです。





503名無し物書き@推敲中?:2007/02/23(金) 11:41:09
美しい国日本

先進国中
自殺率一位
出生率最下位
貧困率二位
国債残高は536兆円と先進国で最悪
男女不平等" 格差、先進国で一位
いじめ七年間0件(笑
504名無し物書き@推敲中?:2007/02/23(金) 12:20:31
(その113)
私たちはカウンターに通されました。
「なんか飲む?」
マガちゃんの顔は人目で飲んだなと分かる赤い顔でした。
さすがに豪放な彼女も、年齢のいった客層ばかりの雰囲気に少し押され気味のようで、最初は落ち着かなく
周囲を見回していました。
もっとも誰か知人の顔を探っていたのかもしれませんが。
スナックでは大したものをお腹に入れてないせいで、寿司は大変にありがたいご馳走でした。
寿司屋といえば、私は上京後一年ばかりはよく一人で夕食に入り、隅っこのテーブルで黙々と食べたものです。
大抵店が開いたばかりで、客がまだ来ない時間を見て入っていました。
性格的に、外食するのには大変苦労した話を前に書きましたが、もちろん寿司屋に入るのもそれは同じことで、
「えい!」と目を閉じて入るぐらいの勇気を要したものです。
寿司屋に限りお客のいない時間を狙ったのは、寿司屋ではお客がいればいるほど一人浮いてしまう体験を思い
しっているからでした。
私はカウンターというのがどうも苦手で、寿司屋に限らず食事する時は大抵テーブルを独り占めしていました。
逆に酒を飲み始めてからはカウンターが一番落ち着き、カウンターが満席の時は入らなくなってしまいました。
私たちはビールをカウンターに置いて、あれこれと食欲の赴くままに食べたいものを注文し、打ち解けた会話を
交わしました。
何を話していたのか既に記憶はありませんが、私にとっては一種鬼門のようであった「女性」という存在が
これほど身近にいることが不思議でなりませんでした。
505名無し物書き@推敲中?:2007/02/28(水) 13:09:39
(その114)
マガちゃんとの会話を楽しみながらも、そろそろ私には帰りの電車の時刻が気になりだしていました。
しかし、それを言い出すのにはかなり躊躇があったのです。
つい先日のマガちゃんの、何か曰くありげな私への呼び掛けに私が妄想したようなことがこれから待っている
のではないかと考え始めていたのです。
マガちゃん自身が、なかなか私たちの帰り時間に触れないのも、彼女にもそのことが頭にあるからではないのかと
思うと、こちらからも言い出しにくく、かといって黙っているのは変にマガちゃんに厭らしく取られそうで、
どうしたものか、本当に苦しい気持ちでした。
私はまだ女性の肉体を知っているわけでも、知っているどころか、裸身すら見たことがないのでした。
せいぜい子供の頃に母親や親戚の小母さんの裸を見た記憶があるという程度で、妄想は出来ても、現実に大人の
女性を相手にする自信はなかったのです。
ただ、そこは男の本能で征服出来るのだというおぼろげな気持ちだけが頼りでした。
電車の帰り時刻を口にするのが、これほど苦痛にも似た気分になるとは全く思いもかけないことでした。
これはもう気付いたら電車はなかったという、あまりにも露骨で分かりやすい作戦に委ねるしかない、それで軽蔑
されたら軽蔑されるだけのこと、自分の当面の人生にさほど影響を与えるものでもないと、ついに私は酔いの力で
そう決断したのです。
それからどのぐらいの時間が経過したのだったか、「あんた、どうする?」と、マガちゃんの大きな目が私を覗き
込みました。
ふわっとしたマガちゃんの頬はすっかり紅潮しており、目もいくぶんたるんでいるように見えました。
「もう、電車ないかもしれないよ」
506名無し物書き@推敲中?:2007/02/28(水) 13:19:06
フケ専尺八残飯でチンポ振りました
507名無し物書き@推敲中?:2007/03/06(火) 19:37:38
(その115)
果たしてマガちゃんに最初からホテルに行こうという思惑があったのかどうか、今思えばかなり疑問はあります。
あの時は大層頼もしい年上の女性と感じてはいたものの、彼女とて実際はまだまだ若々しい年齢で、そうそう
簡単に男と寝ようなどと謀ったりしたものかどうか。
冷静に振り返ると、彼女はカラオケスナックでマスターにただ見栄を張りたかったのではないかとも考えたり
するのです。
私という学生の恋人らしき男を紹介するだけで満足だったのではないかと。
むしろ、その先の先にしか思いのなかった私こそが汚れていたのではないか。
マガちゃんは、そういう私の欲望に逆に逆らえなくなっていたような気もするのです。
私の顔を見つめるマガちゃんの眼差しには少しもギラギラしたものはなく、といって困ったといった表情でもなく、
ただひたすらに「どうする?」と問う以上のものではありませんでした。
私ももうさすがに「え? そんな時間!」などという猿芝居をする気分ではなくなっていて、私はマガちゃんの顔を
探りながら「……どうしようかな」と呟き、マガちゃんに全てを任せたのです。
私はある程度の期待を持って、一旦家に戻った後でお金は充分用意していましたから、勘定その他の心配はなかった
のです。
寿司屋を出るとマガちゃんは妙に嬉しそうに身体を寄せてきました。
「泊まっちゃおうか?」
「いいんですか?」
酔いも手伝っていたのでしょう、マガちゃんは益々嬉しそうに身体を寄せてくるのです。
大通りに出ると、冷たい風が吹きつけ、同時にこの現実を改めて捕らえ始めるなり私の酔いも段々と遠のき、
例によってまた大きな不安が感じられてきたのです。
508名無し物書き@推敲中?:2007/03/06(火) 20:17:36
(その116)
私はマガちゃんの裸を想像するよりも、自分に本当に女が抱けるものだろうかという事の方が心配でした。
大通りからは繁華街の端に群れるラブホテルのネオンがいかにも刺激的に輝いていました。
私は臆病になり、心臓の高鳴りに多少の吐き気すら覚えました。
帰りたいという気持ちが半分、行ってみたい気持ちが半分というこの状態は次第に身体に影響を与え出し、
私は強烈な便意を感じ始めていました。
出来ればホテルに行く前に用を足したくなり、トイレを探したりしたのですが、マガちゃんはそんな私の
容態など露知らず「もうすぐだから」などと言うのです。
緊張と便意でいてもたってもいられない状況のなか、私たちはホテル群に足を踏み入れたのですが、結構
満室が多く、断られ続けてようやく一軒のホテルに入ったのです。
すぐにもトイレに飛び込みたいところを私は必死に我慢して何気ない様子を取りつくろいました。
薄暗い照明の中に大きなベッドがありました。
「飲みすぎちゃったね」
室内を見回しながらマガちゃんはそう言い、浴室へ足を運び、また出て来るとトイレに向かいました。
「先にシャワー浴びるね」
マガちゃんが再び浴室へ行ったのを確認すると、私は脱兎のごとくトイレに急行し用を足したのです。
便座に座りながらようやく私は一息ついたものの、胸の高鳴りだけはどうしても消せないのでした。
もう逃げることはできません。
私はかつて私の手を力強く握り締めたYの愛情表現に、臆病心から応えることが出来なかった痛恨の
失敗を度々悔いていましたから、こんな時ぐらいは見事に応えてやるぞといつも意気込んでいたものですが、
やはり現実は空想通りにはいかないのでした。
509名無し物書き@推敲中?:2007/03/06(火) 21:07:45
(その117)
今この同じ部屋、このすぐ先に一人の若い女が全裸でシャワーを浴びている。
その女はこれから俺に抱かれることを承諾し、俺を待っている。
それはとてつもなく幸福な事実で、またとてつもなく信じられない事実のようでもありました。
私は便座に座ったまま深呼吸し、ともすれば震え出す足をさすりながら「よし!」と小声で叫んだものです。
トイレから出てソファに座り、少しも落ち着かずにあれこれ考えていると、またも私は便意を催したのです。
「なんなんだよ、畜生!」
しかしどうせなら彼女のいない間に全部すました方がいいのはいいのです、いらつきながらまた私はトイレに
駆け込みました。
「こんなことで大丈夫なのか?」
独りつぶやきながら用を足して出ると、突然浴室入り口にマガちゃんの裸の後姿が見えました。
ため息の出るような丸い丸い、ともかくふっくらとして、赤く熱を帯びたようなお尻でした。
「なあに?」
マガちゃんは微笑しながらバスタオルで全身を巻いてソファの私の側に来て声をかけました。
「なに考えてんの?」
特段私は何も考えてはおらず、ただ緊張しきっていただけなのですが、どうも私はよく人からそう言われる
ことがあるのです。
「あんたもシャワー浴びてきたら?」
「ええ」
私は浴室へ向かったのですが、信じられないことに、またしても腹が下りそうになったのです。
ああ、なんて人間なんだ俺というヤツは……私はつくづく自分に嫌気がさしたものです。






510名無し物書き@推敲中?:2007/03/06(火) 21:50:01
(その118)
幸いマガちゃんは私が既に二度もトイレに駆け込んでいることは知らないのです。
「ちょっとトイレへ」
私が照れ隠しに腹を押さえたものですから、マガちゃんは「大丈夫、〇〇さん?」と心配そうな顔をしました。
浴室も照明の薄暗いせいか、あまり奇麗には見えませんでした。
私は全身をこれ以上はないというほど磨き上げました。
ガラス扉の外ではマガちゃんが歯を磨いていました。
シャワーを終えると私も洗面台でマガちゃんに倣ってバスタオルを巻き、歯を磨きました。
室内は暖房が効いていて暖かく、ベッドではマガちゃんが布団を全身に被せていました。
私はそっとベッドに寄り、マガちゃんの表情を覗いながら手をその布団の端に持っていったのです。
マガちゃんのバスタオルはソファの上にきちんとたたんで置かれていたので、今彼女は何も身につけてはいないのです。
ここまで来ると、本当に男の本能のなせる業であったのか、愚図愚図迷うこともなく布団をゆっくりと捲り、マガちゃんの
全身に集中したのでした。
マガちゃんは目を閉じ、大きな胸の上に両手を組んでいました。
私は自分のバスタオルをソファに放り投げ、そして一気にふとんを剥ぎ取ったのです。
彼女の股間の真っ黒な茂みが痛いほどの強烈な刺激で私の両目を襲いました。
太ったというよりは、どの部分もまさに豊満と表現すべき肉体でした。
ただ、暗い照明はマガちゃんの本当の色白の肌を真正直に表してはくれず、そこだけが不満でもあったのですが、私は大人の
女の肉体を真ん前に興奮の身震いを覚えたのでした。
511名無し物書き@推敲中?:2007/03/07(水) 04:03:41
ゴ、ゴクリ
512名無し物書き@推敲中?:2007/03/10(土) 12:26:43
期待
513名無し物書き@推敲中?:2007/03/10(土) 17:41:02
1ってひょっとしてイケメンモテモテ??
514名無し物書き@推敲中?:2007/03/10(土) 17:44:54
当然だろ
515名無し物書き@推敲中?:2007/03/10(土) 18:09:46
気になるな
516名無し物書き@推敲中?:2007/03/12(月) 22:28:54
マジですか?付き合ってください






なんちゃって(p∀・q)
517名無し物書き@推敲中?:2007/03/15(木) 18:39:18
続きマダ?
518名無し物書き@推敲中?:2007/03/15(木) 22:16:46
人生棒で太宰を振りました
519名無し物書き@推敲中?:2007/03/17(土) 19:31:56
太宰治は人生を棒に振りました
520名無し物書き@推敲中?:2007/03/19(月) 11:36:16
オサム・ダザイは人生です。
521名無し物書き@推敲中?:2007/03/20(火) 15:23:56
(その119)
この時、私の生来の欠点がまた目覚めたのです。
それは今なすべきことに集中できず、なぜか私自身、または相手自身を緻密に観察するもう一人の
私が覚醒してしまうのです。
理性とも違う、第三の眼みたいなもので、これが私自身や相手の行動を監視、観察するため、どうしても
私の身体は円滑に動けず、あるいは相手に本音を語れず、また相手の表情や動きばかりが気になってくるのです。
重要な体験を詳細に記憶しておこうとか、対象の本性を確実に把握しようという気持ちが現実自体を越えてしまい、
肝心の現実が置き去りにされてしまうのです。
このためしばしば相手は私に尋常でない、危なっかしい神経を感じ取って敬遠することがあるのです。
私にはとても大事な人であったり、重要な事柄であればあるほどそうなってしまうため、失敗することが多いのです。
この場合も、私はむしろ野性にこそ目覚めてマガちゃんの裸体にむしゃぶりつけば良かったのです。
彼女の大きな乳房を遠慮なくわしづかみ、揉みしだき、顔を埋め尽くせば良かったのだし、そうしたかったはずなのです。
が、現実は私の第三の眼が冷徹に覚醒して、そういう行為に臨もうとする自分を冷淡に眺め、眺められた自分は既に野性を
失って自然の行為そのもから遠く離れていってしまったのです。
多分私は非常にぎこちなく胸の上で組まれているマガちゃんの両手に私の両手を持っていき、そっとそれを外したのです。
私は息をのんで彼女の大きな乳房が圧力を解かれて拡がるのを見ました。
ふくよかな、鏡餅を思わせる二つの乳房には、つい想像できなかった小さな、それでも真丸く可愛く主張する乳首が露出したのです。
しかし、私は触れもせず、吸うこともせず、マガちゃんの表情を眺め見、私のぶざまな格好を思い浮かべ、なおもわざとらしい
眼差しでベッドの卓上にある四角い袋を見やったのです。

522名無し物書き@推敲中?:2007/03/20(火) 15:59:10
(その120)
それはコンドームなのだろうと私は察しました。
コンドームには、私は大変複雑で、汚らわしい印象を抱いていました。
私は中学は母親のエゴイズムで越境入学をさせられたわけですが、私は中学に入学してもまだ子供が生まれる仕組みも
知ってはおらず、また性知識への興味も皆無という少年でした。
小学校六年時、身体検査で私の友人たちがワイワイ騒ぎながら女子の検査室を覗きに行ったことがあります。
私は女子がキャーキャーと叫ぶのが面白くてやっているのだろうとしか思っていなかったのですが、実際は女子の胸の
膨らみを本気で覗き見るのが目的だったわけです。
私には女子の胸の膨らみなど全く興味がなく、どうでもいいものでしたが「厭らしい!」と言われて初めて女子には
何か特別に、見られては嫌なことがあるのだとぼんやり察したぐらいなのでした。
中学一年の梅雨、休憩時間でした。
一人の男子が木の枝の先っちょに、薄汚れて破けたゴム状の細い袋をぶら下げて持ってきました。
裏の田圃から拾ってきたというのでしたが、それがコンドームでした。
それを見た連中は大笑いしながら「あんまりデカ過ぎて破けている」と騒いでいたのでした。
卑猥そのものの汚らしい印象はいつまでも不快に記憶されています。
また城山公園の外れには、金毘羅様があり、金毘羅様のお賽銭泥棒の常習だった少年に私も連れていかれたことが
あったのですが、この周辺にはコンドームがよく棄てられているという噂があったのです。
実際、私は万引きでも有名だったこのお賽銭泥棒の少年がコンドームを拾ってきたのを見せられたことがあるのです。
それは破けてはいませんでしたが、ひょろひょろと無様に伸びきったゴムはこの上なく醜く、反吐がでそうなほどに
不愉快なものでした。
523名無し物書き@推敲中?:2007/03/20(火) 17:02:52
(その121)
私はコンドームなど触ったことがなく、何とかなるだろうとは思うものの、正直使用法には迷いがありました。
この卑猥なものを、どういう顔して、どういうタイミングで、どう装着するのか、気になったのです。
といって、不安顔を覚られたくはなく、どんな調子で、彼女に笑われずに自然に手を伸ばすかを一瞬考えたのです。
マガちゃんは動きの止まった私を訝しげに見上げました。
私はそれを待っていたように、私の視線の先にある四角い袋を顎で示しながら、「あのう、あれは……」と言葉を
濁しながら彼女の反応を確認しようとしました。
マガちゃんはすぐに気付き、「ああ、私、今日はいい日なの。いいの」と事務的に答えました。
いい日……大概、安全日ということだろうと私は思い至りました。
私がマガちゃんの上半身に身を乗せると、彼女は「ウッ」と呻き、痛いとか重いとかこぼしました。
私は自分の身体を腕で支えるということを知らず、飛び乗ったような形になり、一気に重量を彼女に浴びせ、また
マガちゃんの腕の皮膚を強く引っ張ったようでした。
「ごめん」と、か弱く、自信なく私は言い、次第に自分の欲情が希薄になりつつあり、マガちゃんと険悪になるのが
心配になるにつれ、ああ、やはり失敗するんじゃないのかという不安も感じ始めました。
私は彼女の乳房に手を触れる勇気がなくなり、股間の彼女の茂みに眼をやりました。
私は遠慮なく、というより、問題解決の一手段のごとくその股間に手を伸ばし、茂みをまさぐりながら挿入の時を
思い、挿入の時に怯えたのです。

524名無し物書き@推敲中?:2007/03/20(火) 17:13:08

   
    私、ジジイのキンタマ探りで作家志望、棒に振りました@残飯
 
 
525名無し物書き@推敲中?:2007/03/21(水) 15:12:52
彼女に中田氏→妊娠→中絶→人生棒に振りました

ってパターンは無いだろうな
526名無し物書き@推敲中?:2007/03/24(土) 16:11:45
これ実話?
527名無し物書き@推敲中?:2007/03/24(土) 17:12:40
   
    私、ジジイのキンタマ探りで作家志望、棒に振りました@残飯
 
 
528名無し物書き@推敲中?:2007/03/27(火) 11:49:54
(その122)
マガちゃんの茂みを撫でながらも、私はこの現実にどうしても集中することができないのでした。
マガちゃんの女の裸体を愛するという感覚から遠くかけ離れて、病的なほど神経が冷め切り、冷め切っているだけに
ますます私は私自身の体面が気になり、本音は「マガちゃん、俺を助けてくれ!」だったのです。
一人前の男だ、何とかなるという気概はもろくも崩れ、結局は今まで通り、いざ本番となるとなぜか失敗に向けて
後退してゆく性格の弱さが再現されただけの話でした。
私は肝心のマガちゃんの股間には触れもせず、彼女の下半身に自分の身体を移動させ、挿入の準備というより、その
真似事を始めたのです。
それはセックスなどというものではなく、苦難でした。
ここでも私はマガちゃんの言葉を必死に待ったのですが、彼女はじっと眼を閉じたままの状態でした。
まさに私の性格の最大の欠点が表れていたのです。
私は自分で自分を勝手に追い詰め、脂汗垂らしながら泣きたい気分で彼女の挿入口を探し始めました。
この時、マガちゃんは私の内面を感じた取ったのか両脚を少し開き、無言で誘導してくれたのです。
私は暗い中にも彼女の股間の亀裂を垣間見、心臓を高鳴らせながら一気に挿入を開始しました。
ここでようやく遅い興奮が私を急襲し、私は無我夢中で彼女の股間を両手で拡げてペニスを突き立てるのですが、
場所は複雑に潜んでいるようで、ペニスはただあちこちさまようだけの按配でした。
「ちょっと、待ってぇ」と、マガちゃんは腰を大きく動かし、二言、三言私に助言をくれました。
助言の甲斐あって、やっと私はマガちゃんの目的の場所を探り当て、挿入しました。
私は女体のこの感覚を捉えようと思いながら挿入したのです。
スルスルと、暖かさを感じながら彼女の中にペニスは入っていきました。


529名無し物書き@推敲中?:2007/03/27(火) 22:34:41
入った!!
530名無し物書き@推敲中?:2007/03/29(木) 04:16:42
1は40代?
531名無し物書き@推敲中?:2007/03/30(金) 13:40:24
(その123)
ところが、このスムーズにスルスルと進入していく感激の一瞬は、また同時に私の放出の瞬間でもあったのです。
これは本当に私に予測のつかなかった現象で、コントロールは全く不能でした。
快感すらなく、ただ放出しただけなのでした。
「あんた……」
マガちゃんもまたこれには大変驚いたようで、すぐに目を大きく見開いて私を見ました。
「いっちゃったの?」
私は「はい」と答え、「僕、実は今日が初めてなんです」と正直に打ち明けたのです。
「初めてって……」
と、マガちゃんは一言呟き、あとは放心したようにしばらく天井に目をやっていました。
この時のマガちゃんの心情をどう推し量ればよいのか、実はいまだに私には解らないのです。
私はいろいろと思い悩み、強く不安に囚われる性格の割りには、いざそれら不安の物事が良し悪しの結果に関わらず
過ぎてしまうと、それまでの苦労を一瞬にして忘れてしまうことがほとんどです。
それで、周囲の人間たちの方が却って呆れ果てるということが多いのですが、この時も私は早漏の恥を感じながらも
終わったと思った時点で今までの苦難をケロリと忘れたのでした。
ゴソゴソと後始末を終えると、私は急激な眠気に襲われて眠りについたのです。

この体験以後、私にはマガちゃんの存在感が増し、何かといえばマガちゃんを想い、マガちゃんの肉体をとことん
経験しようと、彼女との同棲すら考えることがありました。
そしてKとNには「自分は女の肉体を体験したぞ」と、実際の失敗には一言も触れず、幼さ丸出しに大威張りの
セックス体験を知らせたのです。


532名無し物書き@推敲中?:2007/03/30(金) 14:41:08
(その124)
しかし、事態は思わぬ方向に向かっていったのです。
第一にはマガちゃんの様子でした。
元々シフト上私がマガちゃんと組むことは少なかったのですが、なかなか会えない日が続き、私の不満は募るばかりでした。
そして彼女もまた同じ思いをしているだろうなどと考えていたのですが、やっと会えた日の彼女はなぜか元気がなく、私に
笑顔は見せるものの、一向に話しかけてこず、むしろ避けているようにすら見えたのでした。
何か遠慮深く、いつもの快活なマガちゃんではないのです。
それなら私から話しかければいいのですが、様子の変わった彼女はどこか近寄りがたく、ただ遠くから見ているよりほか
ありませんでした。
……どうしたマガちゃん、どうしたんだよ?
私は何度もそう心の中で問いかけていたのでした。
その後も数回彼女と一緒になりましたが、もう一人の女性従業員の存在もあって二人きりで話し合うことは出来ないままでした。
本当は君とまた飲みに行きたい、またあのスナックに行きたいのだと思いながら、相変わらずそこらへんは内気なままでした。
そんなある日、売店の私に声を掛けた者がありました。
顔を向けると、それは大学の文芸研究会で一緒だった駒田という男でした。
「バイトか?」
駒田は懐かしさと、やや私を思いやるかのような優しい眼差しで見つめました。
私は内心相当狼狽しながら「うん」と答え、ホームにいる彼の二人の連れにも目をやりました。
二人も興味深げにこっちを見ていました。
三人は颯爽としてコートを着ており、私はといえばもう慣れたとはいっても売店のユニフォーム姿で、さすがに恥ずかしさで
顔が熱くなっていきました。
533名無し物書き@推敲中?:2007/03/31(土) 01:23:54
まさかの出来ちゃってるのか?
534名無し物書き@推敲中?:2007/04/02(月) 02:28:33
wktk
535名無し物書き@推敲中?:2007/04/06(金) 01:42:03
はじめの方から思ってたけどYも
マガちゃんといっしょで勘違いなんだろうね
536名無し物書き@推敲中?:2007/04/08(日) 12:09:21
ちびちび読んでたけど、ついに追いついてしまった。。。
続きをくれえええぇぇぇぇぇぇ
537名無し物書き@推敲中?:2007/04/12(木) 00:15:56
続きたのんます
538名無し物書き@推敲中?:2007/04/14(土) 12:56:00
(その125)
駒田といえば“クマゴロー”という名前がいかにもピッタリ似合いそうなゴツイ顔と野太い声が特徴で、
ガタイも良く、その割りに彼が発表した誌はまるで小学生の少女が書いたような稚拙な内容で、そのアンバランスが
愉快な印象の持ち主でした。
善良なところは好きでしたが、肩肘張って文芸研究会に入った私にはまともに相手にするような人間とは思えず、
深い話をしたことはありませんでした。
一言で言えば眼中になかったのです。
それが、今は落ち着き払った、堂々とした感じで私を見つめているのです。
駒田は「がんばれよ」とだけ言い残して友人たちのもとへ戻りました。
三人はすぐにも私のことなど忘れたかのように彼ら内輪の話を始めていました。
私は打ちのめされたような、ひどい敗北感を感じざるを得ませんでした。
“クマゴロー”のような奴に哀れっぽい視線を送られたという惨めさが一遍に心を覆ったのです。
もちろんそれは自業自得の、ただの情けないひがみから発生する感情でした。
彼ももう三年に進級するのです。
私とてまともなら法学部の三年を迎えるはずでした。
それが、今は毎日ただ駅売店に立って牛乳を売り、パンを売るだけの生活。
この若さで!
この時、私はいまさらのようにある危険を感じ取ったのでした。
それは、こんなに人が集まり、行き交う場所にいたら、駒田だけでなく、誰に見つかるか分かったものではない、
いいや、もう実際は何人もの好奇の視線を浴びていたのかもしれないという、熱い焦りのようなものでした。
539名無し物書き@推敲中?:2007/04/16(月) 16:53:26
支援
540名無し物書き@推敲中?:2007/04/18(水) 11:27:37
(その126)
私の高校からも多くの同窓生が大学進学で上京してきていました。
まして、ここは地下鉄との相互乗換え駅でもあり、考えれば今日にも、明日にも顔見知りが目の前を通過して
なんらおかしくはないのです。
危ない、辞めようと、私は即座に決意し、この日の仕事が終わると今日限りで辞めたいと事務室に申し出たのです。
社長の息子が人事の担当者でしたが、この人は大変背の大きい美男子で、優しい一方の性格をしていました。
彼は私の申し出に大慌てでしたが、何とか五日間だけ待ってほしいと懸命に頼むのです。
私にはマガちゃんともう一度仕事をしたいという感情もあり、その依頼を了承しました。
ただ息子さんは、辞めることは絶対内密にしてほしいと懇願するのです。
あの時はなぜ内密にすることを必死にお願いしたのか奇妙な感じしか受けませんでしたが、今思えば、私が辞める
ことにより、五日を経過すれば今のシフトが色々と変更されるわけで、うるさいオバサン方から急に辞める私に対して
過激な批判や悪口が集中して混乱し、引いてはそれが自分に飛び火するということが判断できたからだったのでしょう。
マガちゃんとの最後の日のことは物悲しく覚えています。
結局彼女はほとんど私に話しかけることはなく、といってもう一人のオバサンと会話するでもなく、孤独な印象でした。
一度だけ二人で店頭に並んで立ちました。
雑巾がけして袖を半分だけ捲りあげた分外にさらした腕の白さ、たまに目が合えば微笑する頬のふくよかさ、色の白さ。
私はこの彼女と抱き合ったのです。
にも関わらず、この寂しい空気……。
冷え冷えとしたものでは決してなく、暖かい感情がどこか見えない大きな壁によって遮断されていたのです。

541名無し物書き@推敲中?:2007/04/18(水) 11:52:10
(その127)
いよいよ彼女とのお別れの時間が迫っていました。
彼女は売店の外でダンボールをいくつも潰しては足で一旦踏みつけ、それを取り上げるとちょうど砲丸投げの
選手のような感じでエイとばかり放り投げていました。
ホームの隅にはそんなダンボールが山積みになっていきました。

私は売店を辞めたあと、何度もこの駅を電車で通過し、その度にマガちゃんの姿を探したものです。
一度だけぼんやりした表情の彼女を見かけたことがあります。
ああ、いるなあ、頑張れマガちゃん……と、私は心の中で呼びかけました。

売店を辞めたしばらくの間はつらく、惨めな気分が残っていました。
ただ、この時になぜかある男のことがふいに頭に浮かび、一瞬胸がときめきました。
その男とは話したこともなければ、顔一つ見たこともなかったのですが、突然胸の奥から湧き上がってきたのです。
542名無し物書き@推敲中?:2007/04/18(水) 21:19:57
127は「続く」の王道のような終り方だ。
だが、気になってしまう
543名無し物書き@推敲中?:2007/04/21(土) 12:37:32
(その128)
中学一年の時、私は柔道部の部員でした。
細い体で、腕力もなかったのですが、大変器用に多彩な技を繰り出して上級生を倒すこともあったほどです。
運動神経抜群だった父親の血の影響だったのでしょう。
一年で退部したのは、体質的なものでさっぱり筋肉がつかず、非力さが顕著になったからでした。
技はかかっても、体力で圧倒されて潰されてしまうのです。
昼休みは図書館にこもる読書家でありながら、放課後はスポーツ部員であった唯一の時期です。
運動会のクラブ紹介パレードでは柔道部員として柔道着姿でグラウンドを一周しました。
この頃に、隣の中学に野球の大物がいるという噂を聞いたのです。
学年は一つ上で投手でした。
彼は確か地元の新聞に載ったことがあるはずで、私の周辺の野球部員や噂好きの生徒たちは彼ならきっと甲子園で
活躍するだろうとよく話し合っていました。
ところが彼は進学した高校を中退し、数年後に事故死します。
実をいうと、事故だったのか事件だったのか、少なくとも私にはハッキリしないままです。
この彼の見たこともない顔が、炬燵にもぐり込んで鬱々としていた私の胸に唐突に浮かんだのです。
それは苦悶の表情をしていました。
昼間から炬燵に寝そべって悶々とする自分のイメージにもよく似ていました。
彼には謎があった……。
私は身体がムズムズするのを覚えました。
これだ! と思いました。
久しぶりの活気が甦ってきました。
これを小説に書こうと思い立ったのです。
544名無し物書き@推敲中?:2007/04/21(土) 13:17:18
(その129)
太宰治の「晩年」の冒頭に出てくる作品が「葉」です。
この最後の文。

「どうにか、なる」

これは私の小さな人生における大きな援護の言葉でもあり、私にいつか染み付いた身体の一部分のようでもあります。
小さな心配であろうと大きな揉め事であろうと、私はいつも「どうにか、なる」と呟くのです。
さらに「どうにもならない時は……」と問い、「その時はその時でまた、どうにか、なる」と続けるのです。
この「どうにもならない時は……」「その時はその時でまた、どうにか、なる」という言い回しも太宰の別の作品で
使用された言葉だったかどうなのかは分かりません。
他の誰かがどこかで使った言い回しかもしれませんし、私が勝手に言っているのかもしれません。
「東京八景」も、この時期における私の聖書でした。
最初読んだ時の、いたたまれないほどに荒んだ空気も転落し始めるにつれどこか馴染んできて、逆に随分慰められたのです。
ラストの清々しい場面では度々涙がこぼれたものでした。
この作品では、東京八景の候補として「武蔵野の夕陽」があげられます。
私はこれに憧れて後に武蔵野に引越し、寂しい日々を送りながら気が向けば三鷹の禅林寺を訪ねたものです。


545名無し物書き@推敲中?:2007/04/25(水) 14:49:51
(その130)
売店を辞めて、次に見つけたアルバイトは日本橋の浴衣問屋で、たぶん問屋の中でも最も小さな商店だったと思います。
高齢の社長と五十前後ぐらいの女性事務員、あと中年の男性の三人で経営していました。
若葉の映える季節で、私は光と風の爽やかさを毎朝感じながら通勤していました。
私の仕事は、主には浴衣の反物のダンボール詰め、歌舞伎座への帯の届けなどでした。
相変わらずの無口でしたが、女性事務員はそんな私を「〇〇さんはホント、あっさりしてるのねえ」と言っては笑ったり
呆れたりしていました。
それでも、やはり私は自分の寡黙をいつも気にしてはいたのです。
そこで、私は二、三回でしたが、ある陽気になれる方法を試したのでした。
昼食時間は外食でしたが、食事前に一度公園に寄り、自販機で買ったカップ酒を飲むことにしたのです。
酒に酔うと、私は以外に面白い冗談を言い、大笑いを誘うこともあったのです。
あれこれ考えなくても、自然に愉快な言葉が浮かんでくるし、気持ちが朗らかになっていくことを知り始めてもいたのです。
しかし、功を奏すことはありませんでした。
昼間の酒は身体に鈍さを与えるだけで、集中力が欠け、逆に陰気に作用してしまったのです。
ここの仕事は好きでしたが、夏休みを利用して東京でアルバイトがしたいとNが上京することになり、私も彼に付合うことに
して辞めました。
Nは学費の納入が出来ず、一年落第していました。
また、Kとは喧嘩ばかりでほとんど交際も途絶えているということでした。
そういうわけで、この年の夏、私はアパートでNと一月あまりを一緒に過ごしたのです。
Nが帰ると、入れ替わりにKが一週間ほど上京してアパートに滞在しました。
大学も三年目を迎えていたのでしたが、NもKも次第に我がままで図々しくなっているように感じられるばかりで、それは一つの
成長といえば成長だったのかもしれませんが、私には会話の内容の薄さも含めて物足りなさもあったのです。


546名無し物書き@推敲中?:2007/04/25(水) 15:52:50
(その131)
私の心のどこかには、いつも「随分まだ君は観念的だな」と、大学の文芸研究会で先輩に言われた一言が棘のように
刺さっていました。
そして私はこの言葉といつか本気で向き合う必要があるとおぼろげに考えていました。
公に向けての「書き手の責任」という言葉もまた同じ重さでいつも私の胸にひっかかっていました。
事故死した、噂の大物投手の小説を書こうと真剣に決断した時から、私はそれらの意味を理解したいと思うように
なりました。
私は、おおよそ自分に欠けているものの中でも「社会性」「社会意識」の面が特に顕著なような気がしていました。
これは私自身の性格に加えて、生い立ちや環境を振り返るとさもありなんと思われるものでもありました。
そうしてついに私は気も動転するような大変な書物と出会い、激しいショックから涙すらこぼれてくる体験をしたのです。
それは岩波新書の「唯物史観と現代」という本で、必ずしもマルクス主義入門書として書かれたものではないと思いますが、
科学的に、哲学的に素晴らしいものでした。
私は徹夜して読みふけり、度々自分という生命の土壌の揺れ動くのを感じ取りました。
「そうだったのか!」という激烈な思い。
そして一人間の真実と、明かされる人間としての証左。
私は一晩で明確な世界観を持ち、観念で生きるという虚しさ、獣性というものを知ったのです。
これが共産主義への糸口であり、その政治的手段としては共産党が存在する。
これらに触れることにより、たとえ小説の中であろうと、私は登場人物の一人間に対し本物の生命を植え付けられると
思ったのでした。
547名無し物書き@推敲中?:2007/05/02(水) 18:17:08
続きはwebで。
548名無し物書き@推敲中?:2007/05/06(日) 13:21:13
549名無し物書き@推敲中?:2007/05/07(月) 19:53:10
全部読むのに4時間くらいかかった。
長期連載乙です。
けどここから先、進展性がないような希ガスるんだが
550名無し物書き@推敲中?:2007/05/11(金) 21:12:30
続き楽しみにしています!
551名無し物書き@推敲中?:2007/05/15(火) 11:06:39
(その132)
「唯物史観と現代」のなかでも、とりわけ私が惹かれた言葉が人間は「類的存在」であるという表現でした。
難解な文章も多々あって、唯物史観の全てを理解できることはもちろん不可能でしたが、素晴らしい哲学の入門書で、
言われていることはあらかた解ったのです。
私は自分が自分や自分の人生をかなり誤解して生きていることを感じました。
書物はまたフォイエルバッハがほぼ科学的視点で現実の実態を把握しながら、矛盾を克服しようとする時に頼るものが
キリスト教の「愛」になってしまうことを度々指摘して批判していました。
人ひとりの性質は社会的環境や実情に無縁で語られるべきではないと私は痛感したのでした。
私は自分の子供時代を振り返ったのです。
私はある同類の記憶を度々思い起こすとき、実は自分は非常に危ない人間ではなかったのかと感じることがありました。
私はよく生き物を殺し、虐待したのです。
思い浮かべるままに羅列しますと、セミを捕まえて片眼を取り、改めて飛ばすとどうなるかをよくやりました。
セミは片側へ斜行して何かにぶつかってしまいます。
両眼も抜きましたし、4枚の羽のうち、内側の羽1枚、2枚、外側の羽1枚、2枚も抜いて遊びました。
太った蟷螂の腹を裂いたら中から細く蠢くものがウジャウジャと出てきて八方に散ってゾッとしたこともありました。
コガネムシを3、4匹集めて上から蝋燭を垂らして固めたり、ヒキガエルを捕まえて肛門から細いストローを注入し、
空気を吹き込み、パンパンに膨れ上がったところでその皮膚に針で穴を開けもしました。
皮膚はたるみながらしわがれてカエルは動きませんでした。
アマガエル数匹を水を入れた大き目の缶に泳がせ、缶を火で沸騰させることもしました。
熱くなるにつれアマガエルの動きが忙しくなりましたが見殺しです。

552名無し物書き@推敲中?:2007/05/15(火) 11:25:57
 
 
    ジジイでジエン帝王を棒に振ったアホウ ぺんぽこ
 
 
 
 
 
553名無し物書き@推敲中?:2007/05/15(火) 11:51:19
(その133)
アリを何十匹と集めて、別の種類のアリの巣へ移動させて放置して喧嘩させたりもしました。
あらかじめお菓子のかけらでアリを大量に集めてあるのですぐに喧嘩が見られたのです。
小学校の2、3、4年の時、私の自宅は養鶏を営んでいた親戚の隣にありました。
広大な敷地には多種の鶏が養われていました。
動物園を見るような感覚で私は歩き、ここでもまた悪いことを考えていたのです。
檻の中には20羽ぐらいの鶏が集団でいる箇所もいくつかあって、そのなかにはよく苛められている弱い鶏がいるのを
私は知っていました。
そいつはいつも突付かれているので頭の羽がはげかかっており、突付かれるたび情けない悲鳴を上げるのでした。
そして苛める奴はたいてい数羽に決まっているのです。
私は周囲に人のいないことを確認して檻の中に入り、最も苛める鶏を捕まえて外に出ると、そいつを別の鶏の檻に
入れるのです。
とたんにそいつは集中攻撃を浴びて悲鳴を上げながら走り回るのでした。
単純に苛められるのを見るのが好きで、適当にあちこち鶏の移動をさせることもありました。
中学に入ってもそういう私のクセは残っていて、猫や犬を標的にして小石を投げつけることがあったのです。
私の机の上には小石が常に用意されており、庭を横切る猫を発見したとたん私は全力を込めて小石を投げるのです。
なぜそういうことをするのか、実は私自身にもよく分からないことでした。
一度、命中した猫が2メートルもあろうかと思えるぐらい空に飛び上がったことがあったのですが、私は猫の痛みを
感じようとはしないのでした。
そして高校に入学した時、なぜか今までのそれはなかったかのようにそれらの行為は消えたのです。



554名無し物書き@推敲中?:2007/05/15(火) 23:59:51
幼児によくある残虐性だな
俺もよくやったなあ(中学生になってまでやってはいなかったが)
蛙にBB弾を次々に飲みこませて腹をぼこぼこにしたり、
爆竹を加えさせて火を点けたり、
エアガンで鴉を撃ったり……
555名無し物書き@推敲中?:2007/05/16(水) 00:18:07

 ―っ  ,.┬ 、 ―ァ  l   | ┼  ―ァ   /‐ァ = /   − / ―ァ″‐┼
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 __ ⊥┬┐ .日.,日 ノ玄.  七_ レ | 士 ┼┼ /
      └ノ 」   | 天.」 ´| 小 〈乂 ) ノ d、 |_ /ヘ_)
556名無し物書き@推敲中?:2007/05/19(土) 20:35:44
(その134)
「類的存在」の言葉で、人生に対して科学的な視点をもって向かうという姿勢は固められたのですが、だからといって
性格まで一変したわけではもちろんなく、私は寂しい秋を迎えようとしていました。
ちょっと空気が冷えたり、風が秋の匂いを運んでくると、私はいつもYのことを想い、Yもまた私のことを想ってたり
してるのではないかと感じるのでした。
静まり返った日曜の夕暮れ時、私は一時間ほどうずくまって寂しさと戦い、ようやく解放されると夕食に出たり、ほんの
たまには居酒屋で飲むこともありました。
私はこの頃、「Gレディースウェア」という会社でアルバイトを始めていました。
この会社は5階建てのビルで、1、2階は様々な服が並べられ、3階はデザイナーとそれに師事する大勢の若い女性従業員たちの
仕事部屋、4階は食堂でした。
私は専ら1階と、その離れで値札付けやシミ抜き、当日納品の服の確認の手伝いの仕事に従事していました。
ひたすら自分に与えられた仕事に没頭していればよかったため、最初の頃は人間関係に気を遣うこともなく、9時に入って、
夕方5時にはきっちり退社という日々を送っていました。
ここで驚いたのは、今ならセクハラで大問題になるだろうことが平気で行われていたことです。
一見真面目そうな、若い男の社員が突然女性従業員の背後に立ち、後ろから両手を回して彼女の両胸を鷲掴みにして「おお、
発達してるう!」などとふざけたり、腰を屈めて服を見ている女性の臀部に股間を押し付けたりするのです。
女性たちは「いやー!」とか「キャー!」とか悲鳴を上げはするのですが、どことなくそれを許しているような表情も覗われて
それが私には不思議に見えたものです。
真剣に抗議したりすれば女性自身の立場が危うくなるような雰囲気がまだあったのかもしれません。
557名無し物書き@推敲中?:2007/05/20(日) 19:13:36
凡庸だよ
558名無し物書き@推敲中?:2007/05/20(日) 19:31:55
1はこの筆力と純文学に忠実に基づいて書ける技術があるなら、
文学賞に送ってみてはどうか。
559名無し物書き@推敲中?:2007/05/22(火) 23:50:01
>>551>>553
死ね。マジで死ね
お前どんな感覚してんだよ
子供だったとしても普通そこまで残虐なことはしない
虫があまりにかわいそう。
お前が虫ならどうすんだよ死ね!
560名無し物書き@推敲中?:2007/05/23(水) 00:31:25

      ドッカーン!

>残飯さん、結局踊ったねwww



ああ
ビョーキには勝てない
運命には逆らえない


    さあ、残飯、元気に行ってみよー

    真夜中残飯サンバ










ケッ、ざまぁ見やがれ!思い知ったか、クソ残飯
 
 
561名無し物書き@推敲中?:2007/05/23(水) 05:16:38
ゴキブリや蚊なら殺してもいいと思ってる私は虫種差別主義者です!
562名無し物書き@推敲中?:2007/05/23(水) 23:07:57
>>559は五分の魂を持った一寸の虫だわな
563名無し物書き@推敲中?:2007/06/01(金) 21:48:45
564名無し物書き@推敲中?:2007/06/02(土) 22:07:11
はげ
565名無し物書き@推敲中?:2007/06/08(金) 00:01:03
しく保守
566名無し物書き@推敲中?:2007/06/09(土) 13:06:28
人間失格マンガ版
http://www.mangadedokuha.com/ningensikkaku.html

ありえねー
567名無し物書き@推敲中?:2007/06/10(日) 22:44:06
何よりまず絵がキモい
568名無し物書き@推敲中?:2007/06/13(水) 11:43:20
(その135)
ある日のこと、一人シミ抜き作業していた私の所へ背の高い若い主任がやってき、思わぬことを言ったのです。
「〇〇君、君、社員になる気ないか?」
突然のことで私は本当に驚き、何も返答が出来ませんでした。
「すぐでなくてもいいから、少し考えて、一週間以内に返事くれる?」
会社員になった自分のことなどそれまで想像したこともなく、正直迷ってしまいました。
どこか、くすぐったい感覚もあれば、このくすぐったい感覚に流れてはいけないという抑制も働きました。
駅売店でクマゴローの駒田を前に惨めな思いをしたことなどを考えると、ここでいっそ社員にでもなってしまえば
誰よりも早く定職を得たという多少の優越も感じられるのではないかなどとも思いました。
しかし、私はあくまでも小説を書きたい一心で大学を辞めたのです。
小さな傷を癒したいがために社員になるのなら、それこそ本末転倒な話であり、一旦社員になれば当然残業も毎日
やらなければならなくなり、小説を書くどころの話ではなくなってしまいます。
一週間も待たず、私は主任に断りの返事をしたのです。
さて、若い女性社員の中に細野さんという非常におっとりした人がいました。
最初に「学生さん?」と質問してきたのを覚えています。
ほとんど私と同じ仕事をしていたため、いつも近くにいて少し時間が空くといろいろ話しかけてきました。
顔の表情も、どこか眠たげに見えるのんびりやで、あまり私の好みではありませんでしたが、私としては孤立する
ことの恐怖から逃れられるのですから有り難い存在ではありました。
569名無し物書き@推敲中?:2007/06/13(水) 23:51:18
今度は細野さんとやるんだろうか
570名無し物書き@推敲中?:2007/06/14(木) 05:25:29
1は40代の予感
571名無し物書き@推敲中?:2007/06/19(火) 19:55:54
可愛い男の子いたね
572名無し物書き@推敲中?:2007/06/20(水) 11:10:32
(その136)
昼食は決まって4階の食堂で食べていました。
予め食券を購入することになっており、非常に安価でした。
食堂は大体5人掛けぐらいの丸テーブルが配置されていて、各テーブルにそれぞれ大きな炊飯器が付いていました。
銘々がお盆を持っておかずと味噌汁を乗せて席に着くのですが、大抵メンバーはいつも決まっていたように思います。
ほとんどが女性従業員で、和気藹々とした、とても家族的な雰囲気に満ちた昼食時間でした。
デザイナーの先生を中心にまとまったテーブルでは本当に良い師弟関係が感じられ、いつまでも話題や笑いが絶えま
せんでした。
男はたった二人、私と「お客様相談室」の室長である塚田主任で、この人は50歳ぐらいに見えました。
男性社員はこんな雰囲気が恥ずかしいのか、皆外食でした。
私も細野さんがいなければ外食に変更していたかもしれません。
細野さんは、その最初の日に、食堂がどのようなものか全く知らないままに入って面食らい、立ち往生した私を自分の
席に誘い、食事の取り方を親切に教えてくれたのでした。
私のお椀のご飯がなくなると、「はい」と言って私に手を差し伸べてお代わりをよそってくれ、以後は毎日そんな感じ
になりました。
細野さんと塚田主任と私はいつも同じ席で、あとは日によって色んな人が座りました。
但し、目に眩しいデザイン関係の女性たちが一緒になることはありませんでした。
573名無し物書き@推敲中?:2007/06/20(水) 12:22:45
(その137)
新宿の老舗デパートへの搬入で助手として小型トラックやバンに乗り込むこともありました。
よく話しかけてくる社員もいれば、無口な社員もいて、無口な社員に当たるとデパートに到着するまで話がなく、
気詰まりで憂鬱この上ありませんでした。
性格はいい人なのですが、私と同様人間関係が不器用なのです。
ところが、この社員が女性に対しては決してそうではない場面に遭遇して驚いたことがあります。
この日は急遽私が助手として乗り込むことになり、もう一人アルバイトの女の子も行くことになりました。
荷台に乗り込むので交通違反とかいう話でしたが、なんでもいいから実は私こそ荷台に乗りたかったものです。
荷台には吊るしのワンピースやスカートなどが積載され、女の子はその見張り番ということでした。
昼食も3人で喫茶店のランチを食べました。
どうも最初からこの二人は何か曰くありげな視線を飛び交わしてはいたのですが、女の子が先に口火を切ったのです。
「私、ついこないだ振られちゃったの」
「そうなんだ」
「つらい」
「だよね」
その後雑談が続き、今度は男の方が「実は、俺も振られたばっかなんだ」と告げました。
その後の結論が早かったのです。
「振られた者同志、付き合おうか?」
女の子は目を輝かせながら「付き合おう、付き合おう」と承諾しました。
この場の邪魔者、私は一時も早く外へ出たかったのですが、長い時間無視されながら座っていました。
私は、男と女ってこんなものなのだろうかと、つくづく考えさせられたのです。
私にとっては女性に対して「付き合おうよ」と言うには大問題であり、相当な勇気を要するものだったからです。



574名無し物書き@推敲中?:2007/06/20(水) 15:10:04
人間失格を読む前にトルストイの晩年の発言や思想を読め
と言いたい
太宰はトルストイがあえて小説にしなかったものを
羞恥心もなくパクったと言っていい

575名無し物書き@推敲中?:2007/06/25(月) 19:00:59
>>574
そうなのか
576名無し物書き@推敲中?:2007/07/05(木) 16:02:50
同じような感受性を持った人の作風が似てしまうのは仕方ない。
577名無し物書き@推敲中?:2007/07/06(金) 10:40:29
(その138)
Gレディースウェアは立ち通しの仕事ではありましたが、就業中は非常に静かで、いつも館内にはBGMが快く
流れていました。
こんな環境で仕事にストレスを感じることはありませんでしたが、ただ次第に私は憂鬱をひとつ抱えていった
のです。
今振り返れば、どうしてこんな些細なことに悩んだのか、呆れるというより自分が腹立たしくなります。
私は昼食時間が億劫で、食堂に顔を出すのが嫌になっていったのです。
塚田主任はともかく、いつも決まって細野さんと一緒のテーブルにつくのが苦痛になったのです。
傍目から、あの二人はただの関係ではないのではないかと勘繰られていそうで、それがたまらなかったのです。
私の内部には鼻持ちならぬ自惚れのようなものがあって、このオレが細野さんのような平凡の塊のような女と
付き合うわけないだろうと勝手に反発していたのでした。
では、思い切って他のテーブルへ移れるかといえば、もちろん出来るわけはなく、私はひたすら細野さんの
親切に自分を合わせていくしかないのでした。
好きではないどころか、実際は親切の押し売りのようなものに閉口しているのに、私は逆に細野さんの親切に
ありあまる感謝の念を抱いているような態度で接していたのでした。
私は、よく太宰治がこうだったのだろうと思ったものでした。
気が弱く、お人好しで、自分はいくら嫌で辛かろうと、他人の好意を拒絶することが出来ない。
ズルズルと好意に合わせていくうちに破滅する心境に陥る。
しかし、私がGレディースウェアから逃亡した直接の原因はそれではなく、相も変わらず予想もつかない自分の
内面の難解さの表出でした。
578名無し物書き@推敲中?:2007/07/06(金) 10:45:19
出版社や下読みはおまえの犯罪を証明する必要はないんだよ、残飯
応募者の本名とブラックリストを見比べて無条件におまえを外す

タダそれだけでいいんだ。違法でも何でもない
警察も検察も判事も要らない

おまえに気付かせる必要さえない
そして内輪で盛り上がる

    下読みA: おい、残飯の原稿来てたか?

    下読みB: いや、今回はジジイにおちょくられて出せなかったようだ。

    下読みC: 来てた。おれんとこ。今回はペンネーム変えてたよ。
           2枚目で「琴線に触れる」が出たから照合して分かった。もうシュレッダーにかけたけど。

    下読みA: こいつだけは読むなと下読み仲間で申し送りしていることに気付いてないんだろうなァ。哀れ。

    下読みB: あれだけ掲示板で差別発言したり犯罪行為をしたんだから自業自得だな。
   
    下読みC: しかし20年後、こいつがブラックリストの存在に気付いた時の顔を見てみたいもんだね。

    一同:   ぶ、ぶは、ぶははは、わーっはっはっはっはっはっはっはっはっは…
 
     
  
579名無し物書き@推敲中?:2007/07/06(金) 11:28:12
(139)
その日、私は塚田主任とドライバーの営業担当と一緒に例の新宿のデパートに納品に出かけました。
私は荷台の窓から見る東京のあちこちの景色が好きで、デパートに到着するまでのこの時間がとても幸福でした。
行き交う車や人々に慌しい生活の一旦を感じながら、いつまでも途切れることのない街やビルの様子をのんびり
眺めていたのでした。
新宿が近くになると、本当にがっかりしたものです。
私は塚田主任と営業担当と、デパート裏手の配送所から従業員兼荷物積載用の汚いエレベーターに乗って担当の
階まで上がりました。
塚田主任が納品係の女性従業員に受付をすまし、営業担当と納品のために奥へ消えると、急に私は一人取り残され
てしまいました。
受付付近には女性従業員以外に人影はなく、ただ洋服や荷物が雑然とたくさん置かれていました。
休憩する場所もなく、私は所在なげに階段を上ったり下りたりしていました。
表の華やかさが嘘のような静寂と孤独、この時、私はふと小さな窓から外を覗いたのです。
青空が広がっていました。
私は唐突に息苦しさを覚え、思い切り外の空気を吸いたいと思いました。
青空を目いっぱい仰ぎたい、自由になりたいと思いました。
小窓から食い入るように青空を見つめ、やがて私は逃げるように階段を駆け下り、外へ出たのです。
行っちまえ!
私はデパートからどんどん遠ざかり、一時も早くどこか落ち着ける場所を目指したのでした。
いつのまにこれほど自由に飢えた人間になっていたのか、全く思いもかけないことでした。

♪あ、ソレソレ、残飯♪




  
581名無し物書き@推敲中?:2007/07/06(金) 23:44:21
飛び降りるかと思ってヒヤヒヤしたぜよ。
582名無し物書き@推敲中?:2007/07/10(火) 13:14:21
(その140)
翌日、私は塚田主任宛てに謝罪と併せてアルバイトを辞める旨の手紙を書いたのでした。
嘘偽りなく突然青空に惹かれて逃走したこと、特に会社に不満があってのことではないことなどを連ねました。
それから半月ほど過ぎた日曜のことでした、突然私のアパートを塚田主任ともう一人、三十前後ぐらいの男の人が
訪ねてきたのです。
塚田主任はアルバイト料を持参しており、私は大変有り難くそれを受け取りました。
この人は恰幅がある上に、非常に温厚な性格をしていたために私はいつも安心感を抱いていました。
「君の手紙を読んでねえ、僕は本当にすまなかったと思った。誰一人知った者もいない所にいつまでもほったらかしに
して、さぞ不安だったんだろうね。あの日はあんまり時間がたったんで、君は間違って先に帰ったのかと思ってたよ」
それから私たちは中原さんという塚田主任の友人も含めてしばらく青春や夢の話で盛り上がりました。
さらに塚田主任は、今夜は僕の家に来て一緒に御飯でも食べようと誘ってくれたのです。
よそのうちを訪ねるのは苦手な私でしたが、私の小説への熱意などをよく聞いてくれたという快さもあって承諾しました。
電車からバスに乗り換えて、下町に入り、やがて塚田主任の住む大きな団地へと案内されたのです。
中原さんも同じ団地の人で、私たちは一緒に下車したのでした。
夕飯が用意され、おかずはサンマ焼きがメインでした。
私は焼き魚ひとつ食うにもこだわる方で、魚の表を食べると大概背骨を除いてから下の身を食べるのですが、そう
やっていると、人のいい、メガネをかけた塚田主任の奥さんが「こうやると食べやすいのよ」と私から箸を取り上げて
一遍にひっくり返したのでした。
食事が終わってお茶を飲みながら、塚田主任は「この団地には作曲家がいるから、君にもいつか紹介してあげるよ。
同じ、創作する者として何か参考になることもあるかもしれないからね」と言いました。
そこへ中原さんがやってき、「準備いい?」と塚田主任に声をかけました。
準備? 
私はいささか不安を覚えました。

583名無し物書き@推敲中?:2007/07/10(火) 13:36:06
出版社や下読みはおまえの犯罪を証明する必要はないんだよ、残飯
応募者の本名とブラックリストを見比べて無条件におまえを外す

タダそれだけでいいんだ。違法でも何でもない
警察も検察も判事も要らない

おまえに気付かせる必要さえない
そして内輪で盛り上がる

    下読みA: おい、残飯の原稿来てたか?

    下読みB: いや、今回はジジイにおちょくられて出せなかったようだ。

    下読みC: 来てた。おれんとこ。今回はペンネーム変えてたよ。
           2枚目で「てに お は」が出たから照合して分かった。もうシュレッダーにかけたけど。

    下読みA: こいつだけは読むなと下読み仲間で申し送りしていることに気付いてないんだろうなァ。哀れ。

    下読みB: あれだけ掲示板で差別発言したり犯罪行為をしたんだから自業自得だな。
   
    下読みC: しかし20年後、こいつがブラックリストの存在に気付いた時の顔を見てみたいもんだね。

    一同:   ぶ、ぶは、ぶははは、わーっはっはっはっはっはっはっはっはっは…
 
584名無し物書き@推敲中?:2007/07/10(火) 14:18:48
(その141)
私は団地の集会所に連れていかれました。
既に二十名近い住人が二列に集まってなにやら談笑していました。
中年の男女が主でしたが、反対の列には私と同世代とおぼしき男女ペアも一組混じっていました。
まもなく四十半ばぐらいの背広姿の男性が現れ、列の正面に座りました。
もうこの時点で、私は薄々これがある宗教団体であることを察していました。
塚田主任が皆の前で「僕の息子みたいなもんですよ」と私を紹介すると、今度は例の若い男女の女の子の方が
「友人です」と紹介して拍手を浴びました。
なるほどな、こういうことかと私は半ばため息をつく心境でした。
中学一年時、越境入学で一人として知人がおらず寂しい思いをしていた私が最初に仲良くなったのが、ちょうど
この宗教団体がバックである政党の市会議員の息子だったものです。
私の故郷では、その団体は毛嫌いされており、彼も不当に差別されていたことを思い出します。
この日の講義の翌日曜、再び塚田主任と中原さんが私を訪ねてきて懸命に入会を勧めるのです。
彼らは本当にこの信心で幸福を感じているように思えました。
私はそれで、この団体のバックにある政党が共産党と犬猿の仲であることの説明を求め、逆に私自身は例の
「唯物史観と現代」で得た知識からむしろ共産党の方に科学的な道筋があることを主張したのです。
彼らは、自分らは別に反共でもないし、共産党を嫌悪してもいないと答えました。
それは本当のことのように感じられましたが、私は入会は断りました。
親切な人たちだけに、断るのは大変辛かったのですが、仕方のないことでした。
その後、一年ほどたってから再び彼らは私のアパートにやってきました。
この時、私は最初塚田主任が分かりませんでした。
というのも、あの恰幅の良かった彼が胃癌除去したとかで顔も身体もすっかりやせ細っていたからです。
中原さんは私の両手を力強く握り「君が僕の弟だったら、ひっぱたいてでも入信させるのだが」と目を光らせ
ながら言ったものでした。
これ以降、彼らと会うことはありませんでした。


585名無し物書き@推敲中?:2007/07/10(火) 22:37:59
そうかそうか
586名無し物書き@推敲中?:2007/07/12(木) 04:38:08
「唯物史観と現代」このまえ探したんだけど、今は絶版なんだな
587名無し物書き@推敲中?:2007/07/14(土) 10:57:57
>>586

>>1です。
「唯物史観と現代」は絶版になってましたか、残念です。
ソ連崩壊で、ひよわな左翼知識人が自信を失ってバタバタしながら姿を消してしまい、マルキシズムという言葉すら
今は死語みたいな状況ですから、そういう環境のせいもあるのでしょうね。
しかし、ソ連崩壊と唯物史観は全く切り離して考えていいと思います。
一国社会主義として硬直した官僚支配で行き詰まったソ連は、言うなれば必然的に自滅せざるを得なかったのであり、
マルクスの説く理想とはかけ離れ過ぎていましたね。
私は、政治的実践はともかく、いわゆる唯物史観は決定的に正しいと信じています。
588名無し物書き@推敲中?:2007/07/14(土) 20:43:39
共産主義社会は理想的だが、
構成民全てが賢く、清くないと成り立たない。
文字通り理想でしかないのだ。
589名無し物書き@推敲中?:2007/07/15(日) 00:56:59
始まってからもうすぐ二年か
長い間続いていますね
1さんに関する情報を少し明かしてほしいけど、
この先の内容に関わるかもしれないしな
今の段階で全体のどれくらい過ぎたのだろう?
590名無し物書き@推敲中?:2007/07/22(日) 15:35:17
星ゅ
591名無し物書き@推敲中?:2007/07/25(水) 21:16:14
いつも思うんだが…
保守するのにsageてどないすんねん!
592名無し物書き@推敲中?:2007/07/26(木) 05:22:54
>>591
初めてか? 力抜けよ
593名無し物書き@推敲中?:2007/07/30(月) 06:03:45
公明惨敗あげ!
594名無し物書き@推敲中?:2007/07/30(月) 06:09:09
公明惨敗あげ!
595名無し物書き@推敲中?:2007/07/30(月) 19:04:16
(その142)
Gレディースウェアを辞めたあとしばらくの間は寂しさのためか、また競馬熱がぶりかえし、競馬関係の本を買って
必勝法の研究などに時間を費やしていました。
事実このだいぶ先になりますが、私は競馬生活を始めるのです。
寂しさを紛らすにはテレビも有効だと思うのですが、私はテレビを「電気慰安婦」と呼んで軽蔑していましたから
テレビドラマなどを観て時間を過ごす習慣はありませんでした。
将来に対して不安に駆られることもないではなかったのですが、私は「どうにか、なる」という例の太宰治の言葉に
寄りかかって夢の実現を信じていたのです。
世俗にまみれるだけの肉体を持たなかった太宰治は、彼の言うところの「恥」を積極的に文章で晒しながら生きていきます。
山岸外史の「人間太宰治」が痛烈に面白かったため、私は続いて発行されている「太宰治おぼえがき」を買い、また檀一雄の
「小説太宰治」を買って読んだものでした。
これらの中にこそ、私のしみじみ希望する現実の愉快さがありました。
奔放といえば奔放、若いといえば若い、無茶だといえば無茶……この彼らの青春、時間、季節の中に私は放り込まれて共に
熱い呼吸をしていたのでした。
そんな日曜の午後、突然私を訪ねてきた者がありました。
Sでした。
Sは大学受験に失敗した後は家の手伝いをしながらの自宅浪人生活でしたが、私の手紙にはなかなか返事をくれず、そのうちに
「僕のことは忘れてください」という葉書が来たので私も諦めていたのでした。
「いやあ、〇〇君! 久し振りだねえ!」
Sは満面に笑みを浮かべて本当に嬉しそうな表情をしていました。
彼はテーブルの上の競馬新聞と実況中の競馬放送に気付くと大変に驚き、「〇〇君と競馬かぁ、うわー、信じられない」と
大きな声をあげて笑い出したのでした。

596名無し物書き@推敲中?:2007/07/30(月) 19:38:27
残飯上げ
 
597名無し物書き@推敲中?:2007/07/30(月) 22:56:04
そうか、この>>1は共産党好きだから、公明党とは水と油なんだな
598名無し物書き@推敲中?:2007/08/02(木) 20:19:38
ほしゅ
599名無し物書き@推敲中?:2007/08/04(土) 09:55:34
自民大敗、ネット右翼、涙目(w
http://d.hatena.ne.jp/jyl2142/20070801#p1
600貧楽亭空財布 ◆xck4WKYHvE :2007/08/04(土) 14:32:27
>>574-576
太宰がトルストイ思想に傾倒したのは確かなこと
だが太宰が単にトルストイ思想に感化されて人間失格を書いたわけでもないし
もちろんエッセイ的な自伝として書いたわけでもない

ただ書いてる途中であまりにも作品世界に没頭した挙げ句、おかしくなった感は否めない

文章ごとの配置関係などをかなり細かく試行錯誤していたらしいが
この作品にかなり執着していたことが窺える

結局彼は何を伝えたかったんだろう
少なくとも
「私はこんな生き方をしてきました」
という話ではないはずだ
601名無し物書き@推敲中?:2007/08/04(土) 16:58:33
俺様はこんなにすごい文章力だぞ
というのが残飯自慢
602名無し物書き@推敲中?:2007/08/12(日) 00:11:44
誰が何と言おうと保守
603名無し物書き@推敲中?:2007/08/16(木) 12:22:58
(その143)

  第四章

「天使が空を舞い、神の思召により、翼が消え失せ、落下傘のように世界中の処々方々に舞い降りるのです。
私は北国の雪の上に舞い降り、君は南国の蜜柑畑に舞い降り、そうしてこの少年たちは上野公園に舞い降りた、
ただそれだけの違いなのだ」

この詩的な文章は太宰の「美男子と煙草」の中にあります。
人は、人それぞれの背景を持ちながら人と関わって生きていきます。
成功も失敗も人との関わりの中に生まれます。
人との関わりを拒否して生きていくことは出来ません。
必ず、誰かの影響を受け、また人に影響を与え、その中から幸福も不幸も生まれます。
Sの出現は、連日次から次に新しい思考、発見を自覚しながら、それをただ自分の心の底に沈殿させて腐らせて
いるばかりの私には大変に幸福なことでした。
彼は私の大学中退を知ると一瞬驚きの表情を見せたものの、すぐに「いかにも〇〇君らしいね」と納得したの
でした。
S自身は二度目の大学受験に失敗するとすぐに大学を諦めて上京し、秋葉原の電気街に勤めながら東京の空気に
慣れると木工機具の会社に転職し、今は会社の寮に住んでいるというのでした。
お互いに積もり積もった話をしているとあっというまに夕方になり、私たちは一緒に居酒屋に向かいました。
Sは非常に私を高く評価しており、いつも会いたくてたまらなかったけど、私に会う自信が全然なかったのだと
打ち明けました。
Sは私の一言一言を熱中して聞き入り、感動した顔付きを隠しませんでした。
これ以降、私たちは週に一度はあちこちの居酒屋で酒を飲み交わす仲になったのです。





604名無し物書き@推敲中?:2007/08/17(金) 03:04:55
>>574

トルストイの晩年は狂気に似た哀愁
605名無し物書き@推敲中?:2007/08/17(金) 11:35:43
あぁ、追いついてしまったではないか!

606名無し物書き@推敲中?:2007/08/17(金) 21:21:22
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070817i514.htm
太宰「人間失格」、人気漫画家の表紙にしたら売れて売れて

太宰治の代表作「人間失格」の表紙を、漫画「DEATH NOTE(デスノート)」で知られる
人気漫画家、小畑健さんのイラストにした集英社文庫の新装版が6月末の発行以来、
約1か月半で7万5千部、古典的文学作品としては異例の売れ行きとなっている。

「恥の多い生涯を送ってきました」という文章で知られる「人間失格」は、
太宰が自殺する1948(昭和23)年に発表された自伝的小説。
生きることの苦悩を見つめた小説には若い世代のファンが多く、
52年刊の新潮文庫は602万5千部と夏目漱石「こころ」と並ぶ大ベストセラー。
90年刊の集英社文庫でも40万部を超えている。

従来の表紙は抽象画だったが、編集部は、「いかにも名作」という
路線から脱却を目指して小畑さんに表紙絵を依頼。
新装版は、「デスノート」の主人公を思わせる学生服姿の男の子が不敵な顔で座るデザインとなった。

文芸作品と人気漫画家のイラストという異色の組み合わせはインターネット上でも話題になり、
「このコラボはすごい。カバー買いしました」との声も出ている。
同文庫編集部は「コミックを読む層が興味を示しているようだ。
若い読者に手にとってもらえれば」と話している。

(2007年8月17日20時55分 読売新聞)
607名無し物書き@推敲中?:2007/08/17(金) 21:32:07
>>606
ああ、本屋で見た。
ナツイチとかそういう夏の一冊みたいな、文庫平置きの所にあった。

今後、漫画家がカバーイラストの文庫が増えることだろう
608名無し物書き@推敲中?:2007/08/17(金) 23:28:46
>>606

な、な、な、なんだってぇ

609名無し物書き@推敲中?:2007/08/18(土) 02:47:59
>>606
小畑とはエラい違いだな。
大バクチとは言い過ぎだろwwwwwwwwwwwww

【文学】新潮社、川端康成「雪国」文庫版カバーイラストを西原理恵子に依頼する大バクチ!
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/river/1184647150/

610名無し物書き@推敲中?:2007/08/18(土) 19:25:38
>>609    orz
611名無し物書き@推敲中?:2007/08/18(土) 20:59:16
俺が太宰にはまりだした頃
付き合って2ヶ月の彼女に「今日親いないから」って家に呼ばれた。
まだ交わりをかわしてなかった俺は今日がその日だと思った。
彼女の家のあるマンションに着いて、大事なものを用意していないのに気付いた。
運よくマンションの一階に薬局が入ってた。
店主がおっさんだったので気楽にゴムを買えた。
レジでそのおっさんがニヤニヤしながら「兄ちゃん、いまからか?」と聞いてきた。
俺もにやつきながら「今日初H」と答えた。
おっさんは「がんばれよ」とか言って送り出してくれた。
彼女の家に着くなり「ごめんもうすぐ親が帰ってくる」と言われた。
今日はダメか・・と思ったが「とりあえず挨拶だけしていって」ということだったので彼女の親の帰宅を待った。
5分ほどで彼女の父親が帰ってきた。
下の薬局のおやじだった。
612名無し物書き@推敲中?:2007/08/18(土) 21:02:35
>>611


クソワロタww
613名無し物書き@推敲中?:2007/08/19(日) 09:40:48
人間失格は小畑より蛯子のほうがハマる
614名無し物書き@推敲中?:2007/08/19(日) 21:36:22
え? 蛭子さん?
615名無し物書き@推敲中?:2007/08/20(月) 00:01:37
で、この「太宰男」はいつ書籍になるんだい?
616貧楽亭空財布 ◆xck4WKYHvE :2007/08/20(月) 03:13:22
 財 亭 貧
布を空主楽し
片築な在しき
一かるりみに
枚ん空け
に にり


617名無し物書き@推敲中?:2007/08/21(火) 10:52:17
(その144)
この頃から、私は煙草を吸い始めました。
麻薬ならともかく、経験として煙草の味ぐらいは知っておこうと思ったのです。
当初は苦痛以外のものではなく、何度も何度も咳き込みながら試しました。
初めて煙を肺に吸い入れた時は多少の眩暈を覚えましたが、一旦やれたぞと思うと妙に嬉しくなって一日に吸う
本数は次第に増えていきました。
Sと居酒屋で会うたびに喫煙にも慣れていき、そのうちに私には煙草はなくてはならないものになっていました。
殊に手紙を書いたり、小説らしいものを書いてみたりするときに煙草は欠かせなくなりました。
生活信条にしていた「七つの幸福」のなかの一つは、「一本の煙草」に入れ代わりました。
Sと会話を交わしていると、それまでまとめられなかった思考が整理されたり、新しいアイデアが湧いてきたり、
とても有意義な時間を共有できるのでした。
私が唯物史観の話をすると、彼は彼で民青に入っており、地域の運動会実施の手伝いなどに参加しているという
のでした。
長距離ランナーだったSは、今でも早朝ランニングを欠かさないといい、強い意志力を見せていました。
しかし彼は見た目と違って非常に劣等感に悩まされていたのであり、常に自己嫌悪と戦っていることが分かって
いきます。
その大きな劣等感を彼が克服するまでが私たちのこの熱い友情の時期だったのです。
Sがいつか私を見下したように去り、私は彼の後ろ姿を見送りながら複雑に心を揺らしていた哀しく暗い夜の来る
二十代の終わりまでが、忘れられない、充実した青春のときでした。
618名無し物書き@推敲中?:2007/08/24(金) 13:57:12
人間失格って人によっては最も嫌悪される小説かもしれないけど
自分はコレを読んで救われたな
ああ、自分と似た感性の奴が居たんだって思って
ニヤニヤしながら読んでた
人間失格が分かるなんてはっきり言って病んでるだろうけど仕方無い
今は人間失格の世界観を「なにこれ、あほじゃね?」と笑い飛ばせるよう
努力してるつもり
619名無し物書き@推敲中?:2007/09/01(土) 10:34:40
(その145)
Sとの急な交際が始まったことで、たちまちのうちに困ったのがお金でした。
居酒屋の談義が重なり、多少残ってたお金も底をつき、私は少し働きを多くする必要がありました。
この冬の間、私は郵便逓送の仕事に関わりました。
ほとんどが郵便車の助手で、たまに荷受けの仕事がありました。
郵便車のドライバーもほとんどはアルバイトの人たちで、私は彼らと同じく施設に宿泊して未明から仕事を
始めたり、夕方出勤をしたりしました。
根無し草を気取る人、豪放磊落な人、ユーモアの塊のような人、全く言葉を発しない人、商売に失敗した人など
実にいろんな人たちと仕事をやりました。
楽なことも、力仕事もありました。
ビクビクするような危険な業務もありました。
北風の吹くなかの夕方出勤などは始めてのことでしたから、心も凍りそうな孤独を覚えたものです。
暗い食堂で一人寂しく夕食を取り、二段ベッドの集合室で就眠し、寒い未明4時頃に起こされて仕事に就くという
ことも度々でした。
夢中で仕事をしていたように思います。
つらいとか、きついとかをまともに考える余裕もなく時間は去っていったのです。
だだっ広い宿泊施設に泊まったこともあります。
この時は隅っこで寝たため、耳元に外から北風のざわめきがしきりに入ってきて、なんとも言えない悲しさを
感じたものですが、そういう孤独に絶えられたのもSという親友のおかげだった気がします。

620名無し物書き@推敲中?:2007/09/01(土) 11:07:24
(その146)
翌年の春、私は数日帰省し、帰京の途中でKとSを訪ねました。
二人ともアルバイトに明け暮れする日々を送っていました。
私がSとの再会と交際の話をすると、二人はあまりいい顔をせず、「あいつは八方美人だからな」と意外なことを
言ったのです。
「君には分からないんだよ」と二人は口を揃えたものです。
Nには新川君という友人ができていて、私はKも含めた4人でお金を賭けてポーカーをやったことがあります。
新川君は背の高い、上品な学生で、なかなかの美青年でした。
彼は私を見るなり「〇〇さんは、なんか僕と似てますね」と恥ずかしそうに笑いました。
顔が似ているということではなく、持っている雰囲気のことを言ったのです。
ポーカーは、お金がかかったぶんNとKの間が非常に険悪になり、二人の諍いを何度も何度も新川君が治めるという
展開でした。
「醜い! 醜い!」と、新川君はすっかり呆れ返っていました。
結果はKのお金が全部Nに行ったような終わり方で、Kは悔しさを我慢しきれず無言で一人帰っていきました。
私は新川君の温厚さ、冷静さが好きになり、帰京した後彼に手紙を書き、彼からも返信がありました。
しかし、本当に人生というのか、人間というのは分からないもので、新川君は卒業後は就職せずパチンコで生活
していました。
その頃の彼の二通の手紙が残っていますが、筆圧の強い、汚い、荒れた文字で私を始めいろんな人間を攻撃する
内容になっており、私には当時も今も全くその理由がつかめていないのです。
621名無し物書き@推敲中?:2007/09/01(土) 12:26:05
はじめてこのスレみた。
おー、先輩じゃん!

> 吉永とは必修選択課目で共通に選択していた「日本文学」の授業の時だけ一緒になりました。

これは故O切H雄先生ですかね〜
622名無し物書き@推敲中?:2007/09/01(土) 12:29:41
一気に読んだら昼になってしまった…
623名無し物書き@推敲中?:2007/09/01(土) 14:03:41
>>620
一行目のSはN
624名無し物書き@推敲中?:2007/09/04(火) 11:04:51
>>1です。

>>623
訂正ありがとうございます。
625名無し物書き@推敲中?:2007/09/04(火) 12:04:52
(その147)
Nの友人に野瀬というのがいます。
大学時代にNがアルバイト先で知り合った人間で、たまたま就職先も同じ会社だったことから付き合いが始まった
もので、私も知っていますが無類の善人です。
新川君は大学を失業して2年ほど経った頃、その野瀬のアパートに転がり込んで約半年居候していました。
既に述べましたように、彼はパチンコで生活していたのですが、深夜に焼酎をラッパ飲みする彼の姿を度々野瀬は
目撃したと言います。
新川君から届いた二通の手紙とは当時の頃のものです。
私はその文章の調子になんとなく「斜陽」の直治を思い浮かべました。

      ……生活力が弱くて、欠陥のある草……

直治は自分のことをそう評価していますが、パチンコで食っていく新川君の姿に、私はやはり世間で人並みに生きて
いけない彼の弱さを感じます。
この頃、私は荒廃した自分の生活を立て直す一心で就職したのですが、こんな私を新川君は猛烈に揶揄しています。
弱さゆえに反俗で生きるしかなかったと思える太宰治のように、新川君の手紙も反俗の炎に燃えています。
温和な新川君の激しい私への揶揄、攻撃の背景は、彼の目には私が俗世間に寝返ったという印象を持ったからなのかも
しれません。
実は私もあらゆる場面で、いろんな人たちに対して世間とか市井の人なるものを大いに攻撃していたものです。
ただ、それが真実思想からくるものなのか、負け惜しみだったのかはよく判断できません。
「酸っぱいぶどう」のキツネのことが、しみじみ大好きな私ですから、案外負け惜しみで無頼を気取っていたという
ことも考えないではありません。
626名無し物書き@推敲中?:2007/09/04(火) 13:01:45
(その148)
半年間、野瀬のアパートに居候していた新川君はある日急にいなくなり、その後は消息不明となりました。
そのうちまた帰ってくるだろうと野瀬は思っていたそうですが、二度と顔を見せることはなかったのです。
この二、三年後、Nのもとに新川君のお母さんからハガキが届きます。
新川君宛ての年賀状への返信だったのですが、それには「息子は亡くなった」と書かれていたそうです。
亡くなった理由は書いてなかったのですが、私たち三人は自殺したのだろうと思っているのです。

さて、Sとの交際を通じて、私は彼の周囲にいるいろんな知人を得ることになり、少しづつ人との交流術を取得
していきました。
Sの寮には大勢の人間が集まるため、私はいやでも彼らと口を利かなければなりませんでした。
大抵はSが秋葉原に勤務していた時の知人たちでしたが、Sが早朝ランニングをやるせいか、新聞配達をしている
という者もいました。
この仲間たちには思想や政治、芸術などの話は通用せず、酒を飲んではどこそこの女の子やらパチンコの話題、
また車やらファッションの話しかありませんでした。
読むものも漫画週刊誌以外のものに目が触れたことはありません。
私には全然興味もなく、彼らが大笑いする話にしても何が可笑しくて笑っているのか皆目分からないということ
ばかりでした。
私がどんよりとした重い空気を持っているため、当初は誰も近寄ってこなかったのですが、酒の付き合いが深まるに
つれ、私もいわゆるバカ話に首を突っ込むことを覚えていったのです。


627名無し物書き@推敲中?:2007/09/04(火) 13:06:18
>>1です。

(その147)の四行目、
「大学を失業して」は、「大学を卒業して」の間違いです。
申し訳ありません。
628名無し物書き@推敲中?:2007/09/04(火) 13:23:03
F文学って俺が入った頃にはとっくに廃刊になってた。
だから>>1が相当年上なのは分かっていたが、今調べたら1978年廃刊なのね。
「アカデミー」は俺はいた頃にもあったなあ。
いまはBOXが入ってた建物(学生会館)も取り壊されてしまった。

629名無し物書き@推敲中?:2007/09/05(水) 11:01:28
>>1です。

>>628
あなたも文芸研究会に所属されていたんですか?
凄く懐かしいけれど、あまり突っ込まないでください。
どうぞ先輩を思いやってください。
630名無し物書き@推敲中?:2007/09/05(水) 11:17:53
なんとか一区切りつけて、太宰治文学賞に出したら?
631名無し物書き@推敲中?:2007/09/05(水) 11:54:26
(その149)
「善蔵を思う」という少し変わった題名の短編も太宰の大変魅力的な作品です。
善蔵は葛西善蔵のことですが、どういう心境でこの題にしたのか、太宰の心の襞の細やかさをつくづく認識するものです。
葛西の滅茶苦茶、破天荒に匹敵するほどの失敗をした内容とも思えないのですが、今官一が確かにあの時太宰は荒れたと
いうような話をしていますから、太宰自身には相当な後悔の念でも働いたのでしょう。
私がこの作品を好きなのは、気弱な太宰が全くの一人相撲で勝手に自分を追い込み、追い詰められながら酒の勢いで同郷人の
集まりを前に、「うるせえ、だまっとれ!」と声を張り上げたという場面です。
この後に何かだいぶ荒れた行為を晒したらしいのですが、後悔は先に立たず、それも酒の勢いだけに恥ずかしい、やるせない
気持ちも大きかったのかもしれません。
私は何度この短編に慰められたものか。
人を相手にするのが苦手で、しかもその人の最初の印象だけで激しく好き嫌いを決定する私の性分は、どうしても集団から取り
残され、敬遠されるのがおちでしたが、酒はそういう短所をみごとに隠してくれました。
私は陽気になり、悪ふざけをやらかし、その場の最も目立つ存在になり、人も大勢寄ってくる。
肩を抱き合い、握手をし、ただただ頭に思いつくだけの言葉を発する。
なんだ、こいつ、陰険なヤツと思っていたが、なかなかいいヤツじゃないかと心から歓迎する。
明日からは友人だなどと、つい今しがたまで毛嫌いしていた人間に告げる。
そして真夜中……ふと雑魚寝している一室で目が覚める。
あれ? はて? と、ぼんやりした思いが急に冷たい現実に戻る。
一遍に酔っ払った自分の醜態が蘇る。
「うわー、たまらん! たまらん!」と、太宰のように悲痛な声を心の奥で叫ぶ。
このような恥ずかしさ、いたたまらなさを私は何度繰り返したことでしょう。
この時に、「善蔵を思う」を私は思い、何度もまた引っ張り出しては読み返したものでした。


632名無し物書き@推敲中?:2007/09/05(水) 12:05:36
 



         ジジイで掲示板人生を棒に振った犯罪人残飯www


  
633名無し物書き@推敲中?:2007/09/05(水) 12:28:50
>掲示板人生

貧乏くさい人生だなw
634名無し物書き@推敲中?:2007/09/05(水) 12:55:29
  
  
         残飯は無職 
  
 
635名無し物書き@推敲中?:2007/09/06(木) 16:29:04
やっと追いつけた…引き込まれて一気読みしちゃったよ
>>1さん乙、楽しみにしてます
636名無し物書き@推敲中?:2007/09/12(水) 23:44:06
保守
637名無し物書き@推敲中?:2007/09/16(日) 02:51:29
新川さんのエピソード、とても魅力的でした
このような言い方をしては故人に対して失礼かもしれませんが

好青年だった男がなぜ退廃したのか
繊細な人間は得てして世間との関係に悩みを持ちますよね
多少は粗暴であってもいい、社会で上手く立ち回ることができる、
そういった能力が必要だと痛感しています
社会に対する恨みは何の生産ももたらしません
638名無し物書き@推敲中?:2007/09/17(月) 11:06:49
(その150)
Sやその仲間たちとの交流を頻繁に繰り返すうちに、私はやがて自分の中にこれまで不足していた新たな性格の一面を
自覚するようになっていきました。
今振り返れば、それは思春期をうまく乗り越えられなかったことから到来していた一種の発達の欠如であったようにも
思うのです。
少年時代、私はともかく学校で友人が多く、誰にも好かれる子供でした。
やんちゃな面と、図書室で読書に集中する性質も自然に調和が取れており、放課後のソフトボールに勇んで参加もすれば
学級委員もやり、児童委員会会長も務めました。
一方で徹底した悪童との交際もあったため、ある時は「ワル」でもあり、担任に二人残されて教室の清掃を命じられたり
する子供でした。
しかし、三度の転校による環境の変化、とりわけ親戚の大きな養鶏場の隣に住んだ三年間は成長期の環境としては最悪でした。
周囲に民家はなく、一旦家に戻ればいつも私は兄弟としか接触がなく、夏休みなどの長い休暇も他人からはほとんど孤立した
ような状況でした。
電車通学する距離で、集落や町の賑わいからはかなり隔たっており、一度遊びに来た子でも面倒がってなかなか二度目に来る
ことはありませんでした。
私もたまに自転車で遊びに出ることはあっても、億劫なこともあり、外出を控えることが多かったのです。
さらに、前にも述べましたように、中学入学ではたった一人越境入学させられましたから、それまでの友人たちはすべて去り、
全く別の新しい環境で一から私は友人探しを始めなければならなかったのです。
環境が違うと、習慣や言葉遣いも違うほか、越境入学ですから週末の地区会に、仮の住所である地区に出席しても、もちろん
見知った顔はなく、誰もが「あんた、誰?」という態度を取るのでした。
この孤絶の状況は、私を随分人嫌いに導き、人への警戒感を助長していったように思います。




639名無し物書き@推敲中?:2007/09/17(月) 11:17:05
残飯はジジイでジエン人生を棒に振りましたwww
 
 
  
640名無し物書き@推敲中?:2007/09/17(月) 12:07:42
(その151)
中学に入学してしばらくの間はバス通学をしていました。
しかし、バス停まで歩く間にはつい先日までは同じクラスにいた子や、顔見知りと何度も顔を合わせることになり、
私は彼らを裏切ったような罪悪感に襲われていつも俯いていたものです。
非常に仲の良かった者は、それでも最初の頃は時々私を訪ねても来ていたのですが、児童委員会でライバルのような
存在だった子が「〇〇のバカヤロー」と言っていたと聞かされた時はかなりショックでした。
不思議なのは、私は決してこの原因を作った母親に全く反抗出来なかったことです。
母親への愛着は相当深いのと同時に、母親の怒りの顔もまた同じように怖かったのです。
母親は短気な人間で、少しでも私がイヤだというような態度を取るとすぐに眉間に皺を寄せて怒るのでしたが、私は
その鬼のような顔を見ると全身から力が抜けて何も抵抗出来なくなるのでした。
いわゆるマザコンのようなものもあり、中学に入学した後のすぐの保護者会の日、母親が担任との面接を終えて帰る
後姿を見た時などは寂しくて寂しくて本当に泣きたいような思いを募らせたものでした。
母親は努力家、勤勉で、幼稚園の園長も務めましたが、いかんせん視野が狭く、狭量の上、思い込みの異常に強い
性格で、私は相当マイナスな影響を受けていたのですが、本当に私が抵抗を始めたのは三十を過ぎた頃からですので、
思えばあまりに遅過ぎる反抗期だったわけです。
私に不足していた一面とは、他人との普通の振る舞い、普通の会話のことなのです。
それは私自身の自己規定へのこだわりを少しずつ消していき、あまりに肥大化した観念の払拭を試みることで身について
いったようでした。
人を峻別するような驕りや美意識の殻を壊し、私自身があえて自分が見下していたような日常、仲間意識の中に飛び込んで
いったのです。
そこには特に何もありませんでしたが、付き合いとは一種そういうところがあることに気付いたのです。


641名無し物書き@推敲中?:2007/09/17(月) 12:22:52
↑たまらず踊る残飯www
 
 
 
642名無し物書き@推敲中?:2007/09/22(土) 17:47:59
632・633・634・639・641
嫉妬?
お前、なんか哀れだわ。
643名無し物書き@推敲中?:2007/09/22(土) 21:11:23
>>642
下のスレでどうぞ。
残飯総合スレ
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/bun/1186634066/l50
644名無し物書き@推敲中?:2007/09/23(日) 01:09:43
応援してるよ頑張れ
645名無し物書き@推敲中?:2007/09/23(日) 19:07:27
ほしゅ
646名無し物書き@推敲中?:2007/09/23(日) 19:22:17



      残飯は総合スレッドに行け
  
 
647名無し物書き@推敲中?:2007/09/25(火) 12:26:50
これはアメリカのゲームです。1度やってみてください。
これは、たった3分でできるゲームです。試してみてください。 驚く結果をご覧いただけます。
このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事が
かなったそうです。このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を 貴方にもたらすでしょう。
約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。 たった3分ですから、ためす価値ありです。
まず、ペンと、紙をご用意下さい。 先を読むと、願い事が叶わなくなります。
@まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。
A1番と2番の横に好きな3〜7の数字をそれぞれお書き下さい。
B3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味の
ある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同姓の名
前をかく)
必ず、1行ずつ進んでください。先を読むと、なにもかもなくなります。
C4,5,6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さ
い。これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。
まだ、先を見てはいけませんよ!!
D8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
E最後にお願い事をして下さい。さて、ゲームの解説です。
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
2)3番に書いた人は貴方の愛する人です。
3)7番に書いた人は、好きだけれど叶わぬ恋の相手です。
4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。
この書き込みを読んでから、1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って下さい。
そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。もし、貼らなければ、願い事を逆のことが起こるでしょう。とても奇妙ですが当たってませんか?
648名無し物書き@推敲中?:2007/09/28(金) 12:43:25
(その152)
まともであれば、私も大学四年、それなりの学業を積み、将来を見据えた就職活動に身を引き締める日々を
送っていたであろうと思われる頃、私は相変わらず郵便逓送を中心としたアルバイトを続けながら、ただ
友人たちとの無為な交際を繰り返していたのです。
大学を離れて以降、まともなただの一つの小説も書き上げてはいませんでした。
既に述べましたように、書くべき小説は常に念頭にあったのですが、それに集中しようと思えば思うほど
逆にそれが強いプレッシャーとなり、私は安易に友人たちとの酒の付き合いに逃げていたのです。
大抵土曜には数人で居酒屋で飲み、気が向けばお気に入りの女の子のいるスナックで二次会をやり、Sの寮か、
別の友人のアパートに泊まり、日曜はそのままのメンバーに加えて、暇を持て余して訪ねてくる他のメンバーとも
一緒になって競馬を楽しみ、夕方に別れる、そういう生活でした。
ただし、Sは決して競馬はやらず、割合に節度のある性格でしたから途中でいなくなるのが普通でした。
夕方に一人になると、耐えられない孤独と頭を抱えたくなる後悔にどうしようもなくなるのでした。
誰もいないアパートにまっすぐ帰るのが嫌で映画館に入ったり、居酒屋に寄ったりして時間を潰したものです。
人一倍の寂しがりでありながら、私はまた一方ではマイホーム生活というものを嫌悪していました。
小説を書く能しかないのだからと太宰が自嘲的に呟くように、私もまたいつも自分のことをそう思っていました。
就職はともかく、家庭を持つという目標はありませんでした。
私には家庭を持つことこそが一番の堕落だという感情があったのです。
酒を飲んで孤独を追い払い、世間の目などあざ笑う。
世間の目から遠く隔たったところに書くべきテーマは溢れているのです。
私の思考も随分と無頼、反俗へと傾いていたのです。


649名無し物書き@推敲中?:2007/09/29(土) 12:21:45
もっと読みたい
650名無し物書き@推敲中?:2007/10/02(火) 19:23:10
(その153)
私のアパートに帰る大通りの裏手に一軒のおにぎり屋があり、さんざん飲んだくれた後の遅くに私は一度Sと
一緒に入ったことがありました。
ジンジンと痺れる頭に暖かいおにぎりと味噌汁が事のほか美味しく、それ以降酔った後に度々私は一人で
訪ねたものです。
この界隈にはたくさんのカラオケスナックがあり、夜遅くまであちこちから酔っ払いの歌声や笑い声が聞こえて
いました。
そのなかに、新しく塗られたようなクリーム色のドアの「椿姫」という魅惑的な名前のスナックがあり、いつも
私を誘惑していました。
とはいえ一人では入りづらく、わざわざSを誘って入ってみたのです。
この日、先客はなく、私たちはテーブル席でなくカウンターに座りました。
ママのほか、ミッちゃんと、カナエちゃんという二人の娘がいました。
これがいずれも美人で、少しも世間ずれしておらず、聞けば普通のOLのアルバイトということでした。
こういう場合、Sは必ず私を立てて、私から面白い話を引き出して座を沸かせるのが常でした。
私はSの巧みな誘導で、特に思いつきでもない色んな話題を提供するのでしたが、自分でも不思議に感じるほど
アイデアが次々と生まれたものです。
酔いが深まるにつれ、私は某女優によく似たカナエちゃんに気が向き、彼女と二人きりで会話を交わしていました。
「女優の〇〇に似てるって言われない?」と訊いたのですが、言われたことはないということでした。
ここから私の当時の悪癖が始まったのです。
要するに未成熟をさらけ出しているのですが、気に入った子には強烈な毒舌を浴びせるのです。
今でもこの日のことを覚えています。
「お前なんか、上辺で飾り立てて生きてるだけなんだよ」
「上物のスーツさえ着てれば人は認めるとでも思ってるんだろ、軽薄に」
「頭は結婚ぐらいしか向いてなくてな、そんなバカ女どもがこの国をダメにするんだよ」
……全部、心にもない言葉でした。

651名無し物書き@推敲中?:2007/10/02(火) 19:56:53
(その154)
カナエちゃんは決して怒るでもなく、むしろ悲しそうな顔つきに変わったのです。
「あたし、本当に今泣いちゃいそうになった」とカナエちゃんは静かに言い、ミッちゃんに向かって、
「ねえ、ねえ、ミッちゃん、このスーツ、もう古いんだよねえ? 上物でもないしィ……」
私はカナエちゃんの態度にあり余る真実味を感じ、あとは何も言えなくなったのでした。
翌日から私はカナエちゃんのことばかり考え、彼女を傷付けたことを謝罪したくてなりませんでした。
二、三週間過ぎた頃、私は意を決して今度は一人で「椿姫」に入ったのです。
この日はミッちゃんしかおらず、しばらくして「カナエちゃんは?」と訊くと、「彼女、もう来ないよ」と
言うのでした。
「随分、何か落ち込んでて……接客は向いてないって」
私は沈み込み、「俺でしょ、原因は?」と訊きました。
ミッちゃんは首を横に振り「ううん」と答えました。
美人で、一見派手に見えたものの、カナエちゃんは傷つきやすい娘だったのです。
会いたかったのですが、ミッちゃんには何も言いませんでした。
と、今度はカナエちゃんに劣らず正統な美人であるミッちゃんの優しさが私の気持ちにグッと入ってきたのです。
この辺から「椿姫」は私にはなくてはならぬ存在になっていきました。
652名無し物書き@推敲中?:2007/10/03(水) 16:39:07
乙!支援!

自分で自分の首絞めて、さらに移り気の激しさは成長しても変わってない辺りがリアルだな
653名無し物書き@推敲中?:2007/10/06(土) 16:04:27
おお、まだ書いてたのか!
がんばれ!!
654名無し物書き@推敲中?:2007/10/08(月) 16:25:59
発見!

第11回フォス研 秋の読書会 作品テーマ「斜陽」
日時 2007年10月27日(土)19時スタート
場所 フォスフォレッセンス店内(三鷹市上連雀8丁目4−1)
費用 ワンオーダー以上のご注文をお願いします。

参加ご希望の方は直接、メール(http://page.freett.com/phosphorescence/)、
電話0422−46−1004 book&cafe' Phosphorescence(古本カフェ フォスフォレッセンス)
などでお知らせください。また質問などもお気軽にどうぞ。

以上
655名無し物書き@推敲中?:2007/10/08(月) 17:31:23
おまえの母親と米兵とのネタやれよ
アレだけがおまえのオリジナルだ
事実は小説よりも奇なり、だな
残飯 
 
656名無し物書き@推敲中?:2007/10/12(金) 16:33:46
>>1さんへ
今まで、ずっとここの小説を読んできましたが、臆病で自閉的な私は書き込めずにいました。
今日、勇気を出して書き込みます。長文になると思いますが、最後まで読んでいただけたらありがたいです。

どうしてこんな時間に書き込んでいるのかと疑問をもたれたことでしょう。
私は高校に行っていない、はたからみれば「不登校」と思われるものです。
1さんと同じく、対人関係の問題で学校に行けていません。
1さんの小説の中でもそんなことが書いてありましたが、どうやってそれを克服しましたか?
私はそういうのは実際に体験した人に聞くのが、1番良い方法だと思っています。
良ければ、教えてください。

話が変わりますが、私も「人間失格」で太宰治にはまりだしました。今は、「晩年」という作品を読んでいます。
「人間失格」では自分のことを書かれているようで、ニヤニヤしながら読みました。
太宰治にはまりだしたのが、不登校になり、精神科に通うようになってからです。
だから、1さんの「太宰治で人生棒に振りました」とは反対で「人生棒に振って太宰治にはまりました」という感じです。
しかし、1さんの小説を読んでいくうちに私と似ているところとか共感できる部分がたくさんありました。
性格もそうだし、何でも欲しいと思ったら衝動買いする癖とか、他人とあんまり会話ができないところとか共通点もいっぱいありました。
あと、1さんの文才も素晴らしいものだと思いましたし、内容も面白くて、「人間失格」を読んでいる時と同じようにニヤニヤ笑いながら読んでいます。

まだまだ1さんに言いたいことがあるのですが、もうすぐ塾なので今度また書きに来ます。
学校にはほとんど行っていませんが、塾にだけはいってるんです。
あそこはほとんど人がいないので、助かります。
657効いたなククク:2007/10/12(金) 16:41:16
おまえの母親と米兵とのネタやれよ
アレだけがおまえのオリジナルだ
事実は小説よりも奇なり、だな
残飯 
 
658名無し物書き@推敲中?:2007/10/13(土) 01:38:24
↑まるでハイだなwwww
659656:2007/10/13(土) 08:41:23
>>657さんへ
それは私へのレスですか?
「効いたなククク」というのが気になりました。
私は小説を書いたことがありませんし、自分が小説を書くべき存在かどうかもわかっていません。
自分なんかに小説を書く資格があるのかどうかすら、わかっていないんです。
母親と米兵のネタを小説化するというのは自分にできるかどうか見当もつかず、もしできなければきっとまた自分は欠陥の多い人間だと劣等感をもつことでしょう。
私は小説に限らず芸術的なものにはなんらかの資格があると思っているんです。
その資格を持った人でないと、いつまでたっても上手くいかないんです。
あぁ、また長文になってしまいそう。私ってば、こういう小さいことにもこだわってしまう癖があるのです。
勘違いかもしれないのにこんなにもこだわってしまって、とても情けない。
とにかく、私はそういういつまでたっても上手くならないという情けない気持ちをもちたくはないために、芸術的なことを始める時にはかなり慎重になってしまうのです。

最後に気になったことを言います。
残飯・ハイとはどういう意味なんですか?
660名無し物書き@推敲中?:2007/10/13(土) 09:26:00
↑とぼけるwwwwまるでハイだなwwww
661名無し物書き@推敲中?:2007/10/13(土) 11:55:35
↑のんきに書き続けてwww誰彼かまわず邪魔するwwまるでハイだなwwww
662名無し物書き@推敲中?:2007/10/14(日) 13:43:08
↑まるでハイだなwwww
663名無し物書き@推敲中?:2007/10/14(日) 15:11:18
>>659
鼻持ちならない性格が災いして「作家でごはん!」という
小説投稿サイトから爪弾きにされたハイという作家志望の
なれのはて。創作文芸板の普遍的無意識に潜むシャドウを
指すこともある。触れてはならない文芸板の暗黒面。
664名無し物書き@推敲中?:2007/10/14(日) 17:12:37
>>659
暗黒面だけでは片手落ちに気づかないのもハイの一面。
665名無し物書き@推敲中?:2007/10/14(日) 18:00:13
>>659
創作文芸板の普遍的無意識に潜むシャドウを現出しているつもりでも暗黒面に呑まれている
ハイは缶酎ハイに等しい。ようするに酔っているだけ。
666名無し物書き@推敲中?:2007/10/14(日) 18:23:56
>>659
ミイラ盗りがミイラになる。まさにハイにふさわしい言葉だ。
古来中国ではミイラの粉末を薬として飲んでいた。ミイラ盗りは文字通りミイラをとりに行くのであった。
ミイラを盗りに行って自らがミイラになる。
遍的無意識に潜むシャドウを現出しているつもりでも暗黒面に呑まれているハイは自らミイラになって
いることにさえ気づかないのである。  ハイは叫ぶだろう。俺は盗人ではないと。
もし、ハイが盗人ではないと叫ぶようであれば、それは偽りの遍的無意識に潜むシャドウであることの
証明でしかない。なぜなら、暗黒面は盗人ではないと叫ぶ必要がないからである。
667名無し物書き@推敲中?:2007/10/15(月) 00:38:02
猛烈なダメ男だな……
668名無し物書き@推敲中?:2007/10/15(月) 02:11:31
>>656
>1さんと同じく、対人関係の問題で学校に行けていません。
>1さんの小説の中でもそんなことが書いてありましたが、どうやってそれを克服しましたか?
少なくとも>>1は表彰されてファンレターを貰うような高校生だったんだぞ
質問する相手を間違えてる

>私はそういうのは実際に体験した人に聞くのが、1番良い方法だと思っています。
そう思うなら他の板で相談しろ
669名無し物書き@推敲中?:2007/10/15(月) 19:57:29
>>668
へこんでる人間に対してさらに追い打ちかけるような言い方だな
お前もかなり追いつめられている人種なんだろう
そういう奴って他人を思いやる余裕なくて自分のプライドを保とうとして
弱者を攻撃する行動がデフォだから
自分が弱者と思われるのが嫌ならそういうこと言わない方がええよ

>>656はこの手のレスに凹むことはないよ
レスはたとえ悪口でも批判でも愛情表現の表れと思っとけ
そう思えなければ2ちゃんには来ない方がいい
それに悪いけど君の文章を見た人間の多くは
つっこみたい欲求に駆られると思うw

670668:2007/10/15(月) 23:12:51
>>669
いや全く違う

期待するような答えは返ってこないだろうと言っただけ
>>656が持ったのは共感の中でも憧れの類だろうから
671名無し物書き@推敲中?:2007/10/16(火) 12:16:45
>>656

>>1です。
対人関係を克服したいとのご質問ですが、世の大半の人間は大袈裟でなく何らかの対人関係に悩んでいると思いますよ。
もちろん私自身も、今もって対人関係を克服したという気は全くありません。
私が高校中退の危機を乗り越えられたのは、既に書きましたように幸いにもYという女生徒が現れたからであり、それが
なかったらどうなっていたか予測はつきません。
ただ、私がいい例であるように、人はある種の心のときめき(恋に限らず)を覚えたときには、どんな困難も克服できるのです。
対人関係とて問題ではなくなります。
あなたの具体的な対人関係の悩みが分かりませんので、これという適切なアドバイスは誰もできないと思いますが、ちょうど
私が現在書き進めてる部分は、ある意味他人との交流の記録で、どういうふうに私が人との交流を遅まきながらも覚えていったか
参考になさるといいと思います。
冗談ですが、早く酒を飲めと言っているわけではありません。
672656:2007/10/16(火) 15:36:11
皆さん、レスありがとうございます。
最初に書き込んだとき、もしかしたらまた無視されるのではないかと不安でした。
それが、こんなにもレスがついていてびっくりです。
メンへラーになってから、あまり嬉しかったり、感動したりすることがあまりなかったせいか、今は異常なほど感動しています。
実は意外と構ってチャンなんですよ。
しかし、それはネット上のことだけであって、実際はそれと全く反対なんです。
家族以外の人とはほとんど関わりたくないんです。
数少ない友達とも会話がしたくないというか、どういうことを話せば良いのかわからなくなって、せっかくメールをくれたのに返事をすることができずにいます。
孤独になっても、あまり寂しくはありません。
なんかこう、引きこもって空想だとかに没頭していたい感じがします。
でも、こうやってここに書き込んでいるということは、どこかで人とつながっていたいと思っているからに違いありません。

>>668さんには申し訳ないのですが、私はきっと>>1さんに有益な回答を期待していたわけではなかったと思っています。
一番の目的は有益な回答ではなく、書き込んでみるという行為だったのではないかと今更ながら、思っています。
確かに>>668さんのおっしゃるとおり、>>1さんへの共感、憧れはありました。
高嶺の花でした。
だから、ここに書き込むことができ、しかも皆さん(>>1さんを含めて)からレスをもらえて満足です。
どうもありがとうございました。






673656:2007/10/16(火) 16:39:34
>>1さんへ
お返事ありがとうございます。
学校でもほとんど喋らなかったせいか、こうやって書き込んでいると気持ちが整理されて落ち着きます。
私は、今まで家族にでさえ、自分の思っていることや考えていることをほとんど伝えることができませんでした。
というより、伝えても「変なことを言ってる」って言われて結局、ほとんど何も伝わっていなかったと思います。
そういうことが多々あったため、自分から話しかけることが、めっきり少なくなってしまいました。
原因は、私のコミュニケーション能力の欠如だけではなく、たぶん話し方や思考が奇異だからだとおもいます。
私が不登校になり、メンへラーになったのは対人関係を回避したい欲求とこれのせいかもしれません。

>>1さんのように何か立ち直るためのきっかけがあればいいですね。
恋もいいと思うのですが、私は恋なんてしたことがありません。
片思いすらしたことがありません。
いや、できないんですよ。
恋なんて。
恋愛小説なんかは、結構好きこのんで読んでいるんですけど、いざ自分が恋をすると思っただけでも、苦痛を覚えます。
そもそも、他人になんてほとんど興味がありません。
あれ?ちょっと違うかもしれない。
空想の中で楽しんでいるんです。
空想しているのは自分だけれど、空想の中で恋をしているのは他人。
私は、実際の人間関係、対人関係はとても嫌なんですけど、小説とかドラマとかの人間模様を見るのは大好きなんです。
恋愛を空想するだけで満足です。

ごめんなさい。また、長文になってしまいました。
きっと、普段あんまり喋ってないぶん、言いたいことがたまっているのでしょう。

今、私はあり地獄のような、這い上がろうとしてもかえって沈んでいくだけの場所にいるような気分ですが、ここに書き込めて、そして皆さんからのレスがもらえたおかげで、ほんの少し良くなったと思っています。
「斜陽」にでてくる直治のように人生\(^o^)/オワタとまではいきませんが、そうならないように自分からなにかきっかけを作っていこうと思っています。
きっかけはまだつかめていませんが、このスレに書き込んでいくことも少しはきっかけになるのでは?と思っています。
>>1さんの小説、楽しみにしています。
今後とも、よろしくお願いします。
674名無し物書き@推敲中?:2007/10/16(火) 21:23:55
>>656
私も今高校生だけどクラスにあなたみたいな人付き合い苦手そうな子いるよ
いつも教室移動一人だし喋りかけたらキョドってるけど
結構かわいいし頭も悪い訳じゃないし運動も出来るみたいだから
別にクラスメイトは何にも思ってないしイジメにもあわない
友達と何を話したらいいのか分からないなら聞く側に回ればいいんじゃない?
その子はいつもそうして上手くいってるよ
あなたはもしかしたらアスペルガー症候群なのかもね
2ちゃん初心者っぽいけど相談したいなら人生相談板に行くべき
2ちゃんは馴れ合い嫌うけどそこは優しい人多いし相談乗って貰えると思う
思わず書き込んじゃったけどこういうの嫌いな人も多いと思うから
本当は相談にのってあげたいけどあなたも私も早くここから去った方がいいね
675668:2007/10/17(水) 07:48:58
>>656
スレ違いだけど気になったから簡潔に

不登校だけど塾に行ってるということは、大学進学も考えてるのかな?
高校にしがみ付いてることに理由があるのか、単なる惰性か分からないけど
さっさと退学して大検を取得しても何の問題はないよ
精神的に余裕ができれば、地域のサークルかボランティアをしても良いし

詳しいことが分からないから抽象的なことしか言えないけど
でも不登校の悩みを抱えながら生活するのは精神衛生上絶対に良くない
気が向いたら人生相談板辺りに書き込んでみればいいよ
676669:2007/10/17(水) 20:18:44
>>668の文章は656に対する嫌がらせじゃなかったのね…
ごめん、行間が読めてないとはこの事だ
677名無し物書き@推敲中?:2007/10/17(水) 21:00:52
(その155)
最初の日に、大いにママさんに気に入られたせいで、私は割合気を重くせずに「椿姫」に立ち寄ることができました。
Sの寮で飲み仲間と戯れる習慣も続いてはいたのですが、あっちもこっちもではとてもお金が持たず、自然Sの方面からは
足が遠のいていきました。
ミッちゃんの出勤日に合わせて私も「椿姫」に入るのが普通でしたが、酔っ払った日に突然気が向いて足を向けることも
ありました。
そんな時、ママさんはいつも自分のすぐ側に私を呼んで、帰りに私が「勘定」と言うと、「あんたは……いいの」とまるで
身内のように扱ってくれることもあり、私はとても幸福を感じるのでした。
この頃、酔いにまかせて私はよく即興で詩を創り、恥ずかしがりもせずその場で披露したものです。
 
     君のハートを透かしてみれば 
     悲しい思い出 ひとつ ふたつ
     君のハートが涙で曇れば
     僕は希望を唱えて晴らしてあげる

と言いながら、スナックなどで女の子たちを相手にすると大変喜ばれたものです。
私はミッちゃんの胸に目をグッと近づけ、「君のハートを透かしてみれば……」と言ったのです。
ミッちゃんは「いやあ!」と声を上げて逃げてしまいました。
何か覚られたくない秘密でもあったのでしょうか。
私はミッちゃんに恋をしていたわけではないのですが、彼女の優しさは意外に励みになっていて、一緒に暮らしたいという
かすかな望みを抱いていました。
毎日この優しさに触れながら生活したら、きっとプレッシャーをはねのけて小説も書けると思ったのです。
しかし、その想いはまたも暗転するのです。


 
678名無し物書き@推敲中?:2007/10/17(水) 21:54:39
(その156)
私は「椿姫」のキッチンに立ち入ることも許されて、玉子焼きを作るよと言えばいつでも作れ、そんな私をまたママはとても
歓迎してくれるのでした。
たまに歌えば他の客からは「玄人はだし」とおだてられ、すっかり私は有頂天になっていました。
くだらないことに、私はこんな自分の姿を少し自慢したい気があり、久しぶりにSを誘って「椿姫」に入ったのです。
私はSにミッちゃんに気があることは一言も話していなかったのですが、Sはそれとなく見破ったようで、突然言ったのでした。
「〇〇君、ミッちゃんと仲いいみたいだし、いっそ同棲すれば?」
そうして私とミッちゃんの顔を交互に見比べたのです。
このときミッちゃんは急に真剣な顔付きになって私を見つめました。
その真剣な表情に、私は彼女が全く純粋に私の答えを待っていることを察しました。
しかし私はほとんど一瞬のうちに「いやだよー」ととてつもなく自然に言い、「するわけないよ」とまで付け加えたのでした。
ミッちゃんはその後何も話せなくなり、私は私であくまでも本心を隠すべくつまらぬ饒舌を続けたのです。
内心はガタガタでした。
暖かいものが一切身体から抜けていき、代わりに氷を詰められたような感覚に締め付けられていました。
……Sのバカが。
もちろんバカなのは私自身でした。
どうしても正直になれない、咄嗟のことではあれ、こんな大事なことですら素直に心を開けない。
私という男は、こんなケースでは順番に計画を立てて、その筋書き通りに運ばないとこのようにもろく躓いてしまうのでした。
私はミッちゃんの顔が見られなくなり、言葉もかけられず、ひたすら憎たらしいSと楽しげな会話を続けるより仕方ありません
でした。
帰り際、出口からミッちゃんを見ると、彼女は大勢の男たちの中に埋もれるように囲まれていました。
その青いスーツ姿が涙が出そうなほどに私は物悲しく、心の中では繰り返し「ミッちゃん! ミッちゃん!」と叫んでいたのです。
679名無し物書き@推敲中?:2007/10/17(水) 23:53:14
>>1
ああ、分かる。
俺も若い頃、女の子に「○○さん、大好き!」という意味の事を
言われた事が何度かあるが、
その時は、笑うだけで返事をしなかったのだ……

今でもたまに思い出して、
「あの時、もしかしたらあの子を傷つけたのかも知れないな」と思う俺がいて、
「あんなもんはただの冗談だったんだろうと」と思う俺もいる。
680名無し物書き@推敲中?:2007/10/18(木) 11:58:56
(その157)
最も充実すべき青春の真っ盛り、この時代を、私はこのようにただ遊び呆けて暮らしていたのです。
原稿用紙は詩や、その時々の随想に費やされるだけで、肝心の小説には全く手がつきませんでした。
小説に取り掛かろうとすると、途端に冷や汗が出てき、非常な圧迫感からすぐに逃げてしまうのです。
大学を中退した以上はそれに見合う内容の小説を書き上げ、自分のあの時の決断の責任を果たさなければならないと、
意気込めば意気込むほど焦りと深い孤独が私を襲い、それに耐えることができないのでした。
志からすれば、これは矛盾の極みというもので、私もそれはよく判っていたのですが、意志の弱さを認識するばかりでした。
ただひとつ慰められるのが、自分も少なくとも見かけ上は「普通の付き合い」のできる人間になっているということでした。
まだ不十分なところは多々ありましたが、少なくとも上京時に比べれば、他人と口をきくときに出現していた分厚い壁は
薄い障壁へと変化していたのです。
Kからは就職探しの困難さを訴える手紙がよく届いていました。
Yはあと一年か……焦燥の汗に濡れながらも、なぜかそう思うと、不思議にも自分にもまだ一年の余裕が与えられている
ような気がしてき、それだけが究極の救いにも思えるのでした。
Yのことはもちろんとうに諦めており、既に遥か彼方の存在でしたが、自分の肉体の一部という感覚はまだ相当残っていて、
忘れ去ることは不可能だったのです。
小説は彼女の卒業までに合わせればいい、翌年の春、私はある決意を持って帰郷したのです。
この途中、私はK、Nにも会ったのですが、Kは実になさけない状況になっていました。
就職したばかりの薬品会社を辞めたい、辞職届を出すから着いてきてくれというのです。
まだ勤務を始めて一月も経っていませんでした。
会社前の喫茶店で、Kは緊張ですっかり固くなり、臆病に何度も何度も会社に目をやっては立ち上がるタイミングを待って
いましたが、いざ決心すると病人のような足取りで辞表提出に向かいました。
夜になると、Kはスッキリした表情に戻り、私たちは変な祝杯をあげたのでした。
681名無し物書き@推敲中?:2007/10/19(金) 02:43:00
>>679
なんという俺たち
682名無し物書き@推敲中?:2007/10/22(月) 12:30:38
1の文章に共感はできるものの、1はラブレターもらったり
ヤッたりモテたりして恋愛に関して優秀だよな…
はっきり言って共感できる資格ないわ俺

と、いうわけで>>681ひとくくりにするなよぅ><
683名無し物書き@推敲中?:2007/10/23(火) 22:57:48
「願い、明日、夢」
作詞:大和田秀樹 作・編曲:高木隆次 歌:田中ぷにえ

 え?
 願いはいつか叶うですって?
 あなたはそうやって 望みを口にしただけ
 いつかかなうとでも思ってるの?
 そうやって馬鹿みたいに 口をポカーンと開けながら
 いつか来る日を待ってるの?
 いつかっていつ? いつかっていつ?
 だいたいあなた 今いくつ?

 え?
 明日からやろうと思ってた?
 あなたはそうやって 言い訳ばっかりしてて
 そんなに現実見るのいやなわけ?
 いっとくわその言い訳 誰も信じていないから
 別の屁理屈考えたら?
 明日っていつ? 明日っていつ?
 だいたいあなた 今いくつ?

 え"っ!?
 夢をもっているんですって?
 あなたが白日夢 見るのは勝手だけれど
 死ぬまで夢の中いるつもりなの?
 じゃあどんな夢か 具体的にいいなさいよ
 何その抽象的な言い方?
 夢ってなに? 夢ってなに?
 だいたいあなた 今いくつ?

http://www.nicovideo.jp/watch/sm169194
http://www.youtube.com/watch?v=o1ovIxY51V8
684名無し物書き@推敲中?:2007/10/25(木) 15:15:42
(その158)
五月、私はこれ以降一年間働かなくてすむ潤沢な生活資金を手にしていました。
帰郷した際、小説執筆の心意気を告げて親から貰ったのです。
この頃、既に姉は隣県の短大を卒業して保育園に勤務しており、弟は地元の私大に通学していました。
両親は俗世間的な意味では私を諦めていましたが、欲がなく、面白みもない弟よりは何かやってくれそうな雰囲気の
ある私に期待していました。
特に母親がそうで、一族に芸術に失敗した人間が二人いるだけに、高校時代の私の様子から相当に特別な思い入れが
あったようなのです。
もちろん私もやる気充分で両親に思いを告げたのであり、もう引き下がれないという決意でした。
では、存分な時間を本当に有意義に使ったのかといえば全然そうではなく、折からの競馬のクラシックシーズンに
のめりこみ、また友人たちに酒を振舞う愚挙にあけくれました。
本気で打ち込めば一年なんていらない、三ヶ月あればやれるというのが私の本音でした。
これは高校時代、100枚以上の原稿を数日で書き上げた経験から来る自信だったのです。
「東京八景」には、三十歳近くにもなって、塩せんべい齧りながら探偵小説を読むのが楽しみという、どうしようも
なく自堕落な太宰自身の姿が書かれていて、こっちまで心がたそがれるような惨めな気分になりますが、実はそのうち
私自身が同じような生活に陥っていました。
感化されたのかもしれません。
同じ境遇を味わいたかったのかもしれません。
さすがに塩せんべいを齧ることはありませんでしたが、私は例の金田一耕助を始めとする横溝正史の探偵物の文庫本を
古本屋で買い集め、昼はコーヒー飲みながら、夜はビールを飲みながら読みふけったものです。
どこかしこにリアルでない描写が多く、私はブツブツ批判しながらもそれを一応は楽しんでいました。
まだ時間はあるんだと言いながら、こうして夏もまた過ぎていったのです。
685名無し物書き@推敲中?:2007/10/25(木) 17:16:23
(その159)
私にはテレビを観る習慣はなく、そのため自然読書や音楽鑑賞に多くの時間を費やしました。
横溝正史の探偵小説にいいかげん嫌気がさしてからは、無頼派と言われる織田作や安吾、あとは政治、哲学、経済関係の
書物を読んでいました。
太宰に傾注し過ぎているせいか、織田作にも安吾にもそれほどの熱は持てなかったのですが、ただ織田作の「競馬」には
圧倒されました。
死んだ女が忘れられず、彼女の名前に由来する「一番」の単勝を買い続けながら破滅していく主人公と、もう一人の影の
男の存在。
この二人が交差するラストは泣かずにはいられませんでした。
いわゆる嗚咽で、ハンカチで涙を拭うのですが、拭っても拭っても涙は溢れてき、私は歯を食いしばって泣いていました。
織田作は深く深く愛した女房の一枝に先立たれますが、その悲しみがこの小説の隅々にこもっているように感じられ、私は
その行き場のない愛情に激しく打たれたのです。
ただ孤立するしかない、空中をさまようしかない作者の愛情の無惨さに私はともすればYを想い、想えばこそまた一層
織田作の悲しみが判ってどうしようもなく辛くなってしまうのでした。

怠惰な日々を送りながらも、何とか小説は二十枚ほど進んでいました。
ところが、充分に力が湧いて、さあここで一気にという高揚感に満たされた途端に部屋を飛び出して逃げてしまうのが
どうしようもなく、私のダメなところでした。
この意思の弱さは母方の血の遺伝的なものらしく、画家志望を途中で挫折させられた後、養鶏場を継いだ親戚のそこの
一人息子も威勢だけは良くて養鶏の規模を拡大させるのですが、ついには破産させてしまいます。
離婚して二番目の奥さんをもらうのですが、ある日私が何かの話をしながら途中で「意志が弱い」という言葉を使った
ところ、その二番目の奥さんが突然人差し指を口に当てて「シーッ!」と言い、「〇〇ちゃん、ウチじゃ『意志が弱い』は
禁句なのよ」と制したものでした。
その表情には、諦めとも呆れとも取れる思いが込められていたのですが、私もまた意志の弱さでは同類だったのです。
686名無し物書き@推敲中?:2007/10/27(土) 14:32:23
支援

頑張ってください応援してます
687名無し物書き@推敲中?:2007/10/28(日) 10:22:22
太宰治の馬鹿さ加減が半端なくて面白い。
688名無し物書き@推敲中?:2007/11/04(日) 14:39:48
久しぶりにきたけどやっぱり面白いね
689名無し物書き@推敲中?:2007/11/04(日) 16:25:50
面白いけど情けなさすぎてイライラしてきた
パソコンがあり時間があるのになんで投稿しないのか
690名無し物書き@推敲中?:2007/11/04(日) 18:14:00
時間は無さそうだが
691名無し物書き@推敲中?:2007/11/05(月) 12:48:37
昔即興で書いてると言ったけど今はどうなのだろう
692名無し物書き@推敲中?:2007/11/08(木) 11:58:01
(その160)
小説を書くのが好きなくせに、そして小説家になる以外の人生はないと重々認識しながら、原稿用紙を見ると
逃げ出してしまう。
夢中になっていた競馬も、結局は逃避がもたらした悪しき習慣であり、政治や経済、哲学の書物に読みふけった
ことすら逃避だったように思います。
しかし、冷静に今振り返れば、そもそも小説を書こうという意志そのものが、何かからの逃避であったのかも
しれません。
Sを通じて知り合った栗本君という、とても正直で陽気な友人は私に対してよくこう言っていたものでした。
「小説を書くなんていうのは口実だ」と。
小説家志望と常に言っている割には遊んでばかりの日常でしたし、原稿用紙に向かっている私の姿をただの
一度も彼は目たことがなかったのです。
確かに不安が生じることはあったのです。
前にも一度書きましたが、高校を卒業し、Yと別れた途端、実は何も書くべきことがないと気付いた空虚な
経験です。
とはいえ、私には現実の生活をよく頭の中で物語風に描写するという癖はあったのです。
たった今の自分の行動、他人の行動を「彼はおそらく、……していたから……したかったのであろう」とか、
「私はそんな……を……のように思い、……したのである」とか、それが良い文章になりそうな時は人しれずに
そっと言葉にして呟いてみるのでした。
こういう集中の時間が、現実のくだらない所作に破壊させられるのは本当に腹が立ち、悔しく感じたものですが、
いざ家で机に向かって始めるのは競馬予想であったり、読書であったりだったのです。
栗本君が指摘した「小説を書くなんていうのは口実だ」は相当な部分、当たっていたようにも思えます。
人生の不安、先行きの不安を、いつか必ず小説家になるという激烈な思い込み、夢想でただ掻き消していただけ
なのかもしれないのです。


693名無し物書き@推敲中?:2007/11/15(木) 19:05:08
(その161)
「椿姫」には以前のように頻繁に通うことはなくなっていましたが、疎遠になったわけではなく、春先には田舎の
お土産を持参したほどでした。
常連の客のなかには、たまにそういうことをする人がいて、それを真似ただけのことですが、当時の自分を思えば
まだまだそういうことをする年齢でもなかったわけで、今は恥ずかしさすら覚える記憶です。
ミッちゃんも、いつのまにかいなくなり、たまに行くと見知らぬ女の子がいて、またその子がつまらなかったりで
次第次第に魅力を感じなくなっていったものでした。
それが、師走のある寒い夜のこと、私は再び「椿姫」に執り憑かれることになるのです。
何の用事の帰りであったかは忘れてしまいましたが、北風の吹く、冷える夜の9時頃、私は酔っ払ってしばらくぶりに
「椿姫」を訪ねたのです。
この時、私は茶色のトレンチコートを着ていました。
と、初めて会う一人の背の高い女の子が「いらっしゃーい」と笑顔で私を迎えたのです。
彼女は私がコートを脱ごうとするのを手伝ってくれたのですが、この時一番印象に残ったのが、彼女が私のコートの
背に落ちているフケを嫌がりもせずパンパンと払ってくれたことでした。
別に私はフケ症ではありませんでしたが、乾燥する時期になるとたまにフケが肩先にたまることがあったのです。
恥ずかしい気分でしたが、彼女は気にもせず私の隣に座りました。
マスターが「エリです」と彼女を紹介してくれました。
以前はマスターはほんのときたま手伝いに来る程度でしたが、この頃は常時店に顔を出していました。
まだ三十半ばぐらいの人で、五十半ばのママとは親戚筋と聞いていました。
エリは、当時全国的に圧倒的な人気を誇っていたアイドル歌手に実によく似ていました。
ただ、エリがあまりそれを意識させなかったのはかなり背が高かったからでしょう。
22歳という年齢も嘘ではなさそうで、まだ随分若く見えました。
明るく話の弾む娘ではなく、ひたすら笑顔を絶やさず人の話に聞き入るという性質でした。


694名無し物書き@推敲中?:2007/11/16(金) 12:04:04
(その162)
エリは見れば見るほど例のアイドル歌手にそっくりで、逆に私はこのエリを通じてあの歌手の可愛いらしさを知らされた
ような次第でした。
ただ、エリは痩せて化粧っ気がなく、青白い顔をしており、こちらから話しかけない限りはほとんど口を開きませんでした。
そんな彼女が、何の曲であったか、それが流れ出したとき、「踊ろう」と突然私の腕を引っ張って誘ったのです。
「え、俺は踊れないよ。ヘタだよ」と、私は慌てて断ったのですが、エリは既に立ち上がってすっかりその気になっている
様子でした。
マスターが「つかまっているだけでいいんですよ」と笑いながら言ったのが踏ん切りとなって私は立ち上がりました。
別段、私もこういう場で踊った経験が全くなかったわけでもなかったのです。
向き合うと、若干エリの方が背が高く、私はチラチラと彼女の顔を盗み見しました。
踊りと言っても、お互いに片方の手を取り合い、また片方はお互いの腰にそっと添えるというふうで、私は彼女の動きに
身体を任せるだけでした。
エリは終始俯きかげんで、時に笑顔が消えると急に寂しそうな、別の女にも見えてくるのでした。
痩せた女は好みではなかったのですが、エリを見ていると、ああ、いい女だなあと思ったものです。
そんな私の気持ちを見て取ったのでしょうか、彼女がテーブル席のお客の用で一旦中座したとき、マスターが声をひそめて私に言ったのです。
「〇〇さん、あの子、どうです? よかったら明日、今日と同じ頃また来てくださいよ。二人でどっか出かけるといいですよ。エリにはそう
言っときますから」
「え?」
私は信じられない思いに胸をドキドキ高鳴らせたものです。
695名無し物書き@推敲中?:2007/11/16(金) 12:05:02
 
   

     おまえの万年落選だけは朝鮮人ともコネとも関係無い

     おまえには文才が無いんだよ

     おまえは怨念を撒き散らすだけで人を楽しませることができない。致命的なんだ
     おまえは他人のマネしかできない。わずかにオリジナルはおまえの母親の米兵ネタだけ

     諦めて働け。無職残飯
 
 
696名無し物書き@推敲中?:2007/11/23(金) 12:39:12
(その163)
出かけるといいですよ……。
このマスターの言葉はどのようにも解釈が可能でした。
もちろん私は男の欲望するままのことを発想したのです。
「マスター、出かけるって……?」
「え? ええ、そりゃ、もうお好きに。まあ、焼肉でも食べさせて……」
お好きにと言われた後で、焼肉でもとなると、私は慎重な性格ですから、また色々と考えてしまうのでした。
マスターの言葉の真意がよく分からず、といって、まさかホテルへ行ってもいいのとも聞くわけにもいきません。
「あのう……お金とか、いくらか渡すの?」
私はおずおずと訊いたのです。
マスターは「いえいえ」と大きく手を振り、「そんなことしなくていいですよ」と答えました。
「エリには言っときますから」
マスターは笑顔で言うのですが、この笑顔にも何か意味があるのか悩ましいところでした。

金の心配もなく、時間はありすぎるほどの私でしたから、翌日は朝からあれこれ喜び、悩みながらただ夜の到来を
待ちわびていました。
別に焼肉屋に行かなくても良かったのでしょうが、なぜかマスターの言葉は催眠術師の言葉であるかのように私を
縛り付けていて、昼の間にちゃっかりと私は焼肉店を見つけておいたのです。
私の最終目的はもちろんホテルに誘い込むことでした。
初体験だったマガちゃんの当時とは違い、私も既に栗本君らとさんざんソープなどを中心に遊んだ経験があって、
女体に対しての畏怖というものはかなりなくなっていました。
しかも若い男ですから、どんな女の一人であろうともその体に向けては俄然意欲が湧いてくるのです。
ましてや、人気絶頂のアイドル歌手そっくりのエリでしたから、ただの意欲どころではなかったのです。
697名無し物書き@推敲中?:2007/11/23(金) 13:18:32
(その164)
時間が迫るにつれ、私は今度はまた別の悩みに襲われていました。
それはマスターやママに「ああ、女の体に目のくらんだバカがヘラヘラしながらキッカリやってきたよ」などと、
内心では嘲笑されるのではないだろうかという気持ちでした。
意外にこういう悩みこそが私のどうしようもない欠点で、他人の目を意識して率直な自分の気持ちに従えず、
正反対の行動を取ってしまうことが多いのです。
しかし、この時は自分は「椿姫」の常連であり、ママもマスターも馴染みに近い存在という事実が私の迷いを
吹っ切ってくれました、
軽く飲んだ後、9時を過ぎていましたが、ちょうど客の歌声の響いているのを確認して私は店に入りました。
歌に紛れて入った方が少しでも目立たなくてすむのです。
カウンターに座っているエリの姿がすぐ目に入りました。
エリはこっちを振り向き「いらっしゃい」と笑顔で挨拶しました。
私がカウンターに座ると、マスターはすぐに「いいよ」とエリに何かを促し、エリは頷きながら厨房裏に一旦姿を
消しました。
マスターが「すぐ出かけなさいよ」と私に言ったので、私はええとも、ああともハッキリしない返事をしながら
「じゃ」と半端な気分で外へ出ることにしたのです。
半端な気分というのは、ここに至ってもなおこの店外デートの意味がおぼろげであることに起因していました。
一体エリってなんなのだろう?
なぜ、彼女はたった一晩しか会ってない単なる客の自分とデートなどするのだろう?
まあ、これから一緒に酒でも飲めばそれもすぐに分かるだろう……私はタバコを深々と吸いながらエリが出てくる
のを待ったのです。



698名無し物書き@推敲中?:2007/11/23(金) 14:41:31
「生意気な天才少女をシめてやる!」
中間テスト終了後、真のメインイベントが、今、幕を開けた。

明日夏は眠る瑛理子の耳を掴むと、乱暴に引き起こした。
痛みで彼女が目覚めたようだ。
「・・・・・・!?・・・・」
突然の出来事に唖然としている。
そのまま一気に左耳を引き千切り、金属バットを顔面に叩き込む。
「・・・くふっ・・・」
鼻が潰れ、折れた前歯が数本こぼれ落ちた。 頬骨も砕けたのだろう、
顔が奇妙な形に曲がっている。思わず顔を抑えてうずくまりかけたところへ、
背後から恵が飛び掛る。そして彼女の両腕をつかみ逆にねじりあげ・・・
どう動いたのか、一瞬、瑛理子の体を宙に浮かすと、次の瞬間には
頭から激しく床に叩き付けていた。
「ぎゃうふっ!!」
両腕が嫌な音を立てた。間違い無く根元から両方とも折れたろう。
おもむろに深月が歩みより、出刃包丁を瑛理子の両腿に続けざま突き刺す。
「ふぐうっ!!」
くぐもった悲鳴をあげた彼女の股間にも深月は無言で包丁を突き立てた。
「ひぎゃ!!!くうううううう・・・・・」
「あぁっ!もう殺しちゃったの!?死んだら遊べないんだよ?」
恵が声をかけると、摩央がクスリと笑った。
「大丈夫よ。人間はそれくらいじゃ死なないんだ・・・よっ!と」
這って逃げようとしていた瑛理子の横腹に、彼女のつま先が深々とめり込んだ。
「・・・・・・っ・・・・・・ごふっ・・・!!」
血反吐を吐いて悶絶する瑛理子。 苦痛の余り失神することすら出来ない。
「頑張ってくださいね。二見さん。まだまだ…まだまだこれからですから」
結美は悶え苦しむ瑛理子の上に馬乗りになると、彼女の脛に鋸の刃を当てがい、
そう言って微笑んだ…。
699名無し物書き@推敲中?:2007/11/25(日) 15:07:44
まだ連載続いてるのか…すげえな…
700名無し物書き@推敲中?:2007/11/28(水) 11:12:28
(その165)
エリが出てきたのを確認すると、私はゆっくり大通りに向かって歩き始め、彼女が私に並びかけるのを待ちました。
彼女からの声かけに期待したのです。
とはいえ彼女が発したのは「寒いね」程度の言葉でしたから、結局は私がリードしなければならなかったのですが。
軽く飲んだだけで、ほとんど酔っていなかった私はなかなか気楽になれず、しばらくは息苦しさを覚えました。
こうなると予定通りに「焼肉屋」だけが心強い味方で、「少し飲みながら、焼肉でも食べない?」と私は誘ったのです。
「うん」と答えただけで、エリはただ黙って着いてきました。
焼肉屋に入ると、私たちは座敷に上がって向き合いました。
エリは決して暗くはないのですが、本当に大人しいというのか、なかなか喋らない娘でしたから、結構最初は手を焼いた
のですが、酒が進むにつれ私の口も滑らかになっていきました。
私がドンドン飲むので、彼女がせっせと肉や野菜を焼いてくれるのですが、これが非常に嬉しくて心がなごんだものです。
彼女は自分は実は「椿姫」の単なるヘルプで、出勤日もまちまちなのだと言うのでした。
私にはヘルプという意味が今ひとつ分かりませんでしたが、昼間は別に仕事があって、忙しくなると店には出られないと
いうことでしたから、不定期出勤というようなものだろうと思いました。
10時には店を出られるというのも条件のようでした。
昼間の仕事の内容には何も触れませんでした。
「〇〇さんはお勤め?」
一瞬、私の心臓はドンと蹴られたような感じを覚えました。
ママには一応は郵政関連の勤め人を装いながらも「風来坊」などと口先でごまかしたりもしていたのですが、彼女には
何も伝えられていなかったのでしょう。
「まあね」と答えながら、私はこういう時にはいつも自分の現状に後ろめたさと、ある種の劣等感を痛感したものです。
心では自分のような生活こそが世間に溺れず、自ら人生を切り開く手段なのだと豪語しながら、では本当にその自信を
持っているのかといえば、本音は必ずしもそうではないということが露わになってしまうのでした。




701名無し物書き@推敲中?:2007/11/29(木) 21:31:40
三箇月、ゆっくり読んでやっと追いついたわけだが
702名無し物書き@推敲中?:2007/12/01(土) 10:54:10
(その166)
今は家庭向け用にチゲの素も売られていて、チゲといえば普通に誰でも知っていますが、当時はまだ一般的では
なかったように思います。
私がチゲを知ったのはこの夜が最初で、魚チゲでした。
そして魚チゲを思い出すたびにエリを思い出すのです。
今でいうフリーターでしかなかった私の現実の弱みがすっかりあぶりだされたような感じになってしまい、私は
飲んでも飲んでもなかなか心地よく酔うことができませんでした。
エリもあまり酒は飲まず、真面目なお付き合いという風にしか見えなくて、とてもとてもホテルに誘うような
状況ではありませんでした。
時間も限られており、私も紳士的な対応をしようと気持ちを変えたのです。
魚チゲ、肉チゲという初めて見るメニューに興味を示したところ、エリが「とっても暖まるよ」と言うので、
私たちは最後に魚チゲを注文したのでした。
白身魚が赤い色したスープに白菜やネギや豆腐などと一緒に煮込まれており、アルコールが身体中を駆け巡り
ながらも酔えないというこの夜の疲労を癒すにはピッタリの鍋でした。
「また会ってくれない? また会ってよ!」
私は語気を強めて彼女に申し出ました。
例によって、後先のことは考えずに急に話を切り出すという私の性分がそうさせたのです。
エリは珍しく声をあげて嬉しそうに笑うのでした。
とても純粋な笑顔で、私は自分が信頼されたような安堵を覚えました。
家はたいして遠くないというので、送っていくよと言ったのですが、彼女は遠慮しました。
私は押しの強い性格ではなく、また少しでも「しつこい」と思われることを恐怖する人間ですから、遠慮する
以上はあっさりと引き下がったのです。
ただ、我慢強い性格では全くないため、次の週、同じ曜日にまた会ってほしいと伝え、それは彼女も快く
受け入れてくれたのでした。
703名無し物書き@推敲中?:2007/12/01(土) 12:10:44
(その167)
翌日からは寝ても覚めてもエリのことばかり考えてしまい、かといってこの先どうしようという展望も描き得ず、
私は栗本君と会ってこの話を告げたのです。
「まあた、スナックの女なんかに」
栗本君はつくづく呆れ果てた表情で言うのでした。
「あんたねえ……」と、彼お得意の説教が始まりました。
私は同じ年齢の彼の親身ある、また、世間を代表するような説教が大好きでした。
「あんたは何のために大学をやめたんだっけ? 小説は書かないで、スナックの得体の知れない女なんかに現を
ぬかしてる場合じゃないでしょうに」
私はいつも彼には隠し立てせず本音で語れるのでした。
「いっそ、就職でもして、結婚してもいいかな」
そういう気持ちもないではなく、私は世間の声のような栗本君の反応を見たいと思ったのです。
「あんたねえ、たった一、二回会っただけの、スナックの女だよ?」
彼は何度も何度も首を横に振り「あんたにはついていけないよ」と言うばかりでした。
私はエリそっくりの例のアイドル歌手のLPレコードを買い、繰り返し聴きながら次のデートを待ちわびたのです。
この間、私はエリを想う詩と、エリが自分を幸福にしているという感謝の気持ちを込めた随想を書き、彼女に手渡す
ことにしていました。
といって、本当に結婚する気持ちかといえば、やはり相手はスナックで知り合った女だ、両親や親戚のことを考えると
なかなか踏み切れないなあという気持ちがあり、狙いはやはりあの娘の体じゃないのかとも思うのでした。
想いが強すぎるせいか、いざ逢ってみるとフッと気抜けするような現実のなか、時間が時間だけに居酒屋に連れて入る
ぐらいしかできず、ひたすら楽しく振る舞うしかありませんでした。
ただ、こうして女性と一緒にいられるというだけでも、控えめな話ながらそれは幸福ではあったのです。
しかし、別れた後にこそ必ず熱い、つらい感情が湧き上がるのです、それはよく分かっていました。
それだけに、次はどうする、いつ逢う、この関係は何なんだ……私はエリにそれを告げ、私も彼女も安心できる状態を
維持しておく必要がありました。
704名無し物書き@推敲中?:2007/12/07(金) 14:46:33
age
705名無し物書き@推敲中?:2007/12/09(日) 01:04:32
太宰治って日本浪漫派の同人だったけど右翼なの?
学生時代は左翼活動家だったらしいけど。


706名無し物書き@推敲中?:2007/12/09(日) 14:53:13
詩ねよ
707名無し物書き@推敲中?:2007/12/10(月) 00:41:10
太宰治って日本浪漫派の同人だったけど右翼なの?
学生時代は左翼活動家だったらしいけど。


708名無し物書き@推敲中?:2007/12/14(金) 11:23:55
(その168)
さえない居酒屋でのデートでしたが、二度目ともなるとだいぶ肩の力も抜け、多少は冗談も言えてエリを笑わせる
こともできました。
この夜の私の目標は彼女あてに書いた20枚ほどの原稿を渡すことでした。
どちらかといえば照れ屋で、恋愛に限らずなかなか本心を打ち明けられない性格でありながら、不思議と私には
こういう行為を恥ずかしがる気持ちはあまりありませんでした。
これは原稿用紙に書かれたものは「作品」で、たとえ相手を想う内容になっていてもラブレターではないという
意識が強かったからだと思うのです。
そして相手は相手でこの「作品」を通じてこっちの気持ちをある程度理解してくれる。
好きだとも、結婚したいとも告げる内容ではありませんでしたが、宙ぶらりんの孤独な日々に突如現れたエリと
いう娘が、今とても自分を幸福にしている、この幸福の先には何があるのだろう、短い青春という不幸か、長い
人生の入り口か……という感じで、今後も交際を充実させたいという意志を込めたものでした。
あっというまに別れの時間がきて、私は原稿の入った茶封筒を彼女に手渡しました。
「これは?」
「後で読んでおいて」
エリは黙って頷きました。
あまり感情を表に出さない娘でしたが、ただ目は強く私を見つめていました。
「来週か、再来週、また店に寄るから」
「うん」
エリは笑顔で頷き、私たちは別れたのです。
私は非常な充足感を感じていました。
冷たい、散らかったアパートに真っ直ぐ帰るのが嫌で、私はタバコを何度も吸いながらいつまでも一人で街中を
さまよい歩いたのです。
709名無し物書き@推敲中?:2007/12/14(金) 22:43:48
長期連載お疲れ様です
710名無し物書き@推敲中?:2007/12/24(月) 18:55:17
続きまだー?
711名無し物書き@推敲中?:2007/12/26(水) 10:51:59
(その169)
原稿を渡したことで、私の熱い感情は多少和らいでいました。
後は彼女次第であって、この先は運命に従うだけという気持ちだったからです。
たとえはあまり良くありませんが、さんざん悩みながらも馬券を購入したとたん、スッと覚悟が決まって
嘘のように心が落ち着くという状態によく似ていました。
とはいえ、それから一週間がたち、いよいよ椿姫を訪ねるという日が来ると、また私は神経を高ぶらせ、
意味もなく弱気になって一週延ばそうかなどとも悩んでいるのでした。
しかし、もう師走のことで、忍耐の足りない私は愚図愚図とこの件では年を越したくないという思いが
強かったのです。
にもかかわらず、運命は私に忍耐を押し付けたのでした。
まともな思考が出来ないほど緊張しながら椿姫を訪ねたのに、なんとエリは店を休んでいたのです。
私はお先真っ暗な気分に陥り、ダメだなと思いました。
避けたな……と判断するしかありませんでした。
もし、こっちの期待に応えようという気持ちがあれば、休むということはあり得ないだろう……。
「師走ですしね、年内いっぱい休ませてほしいって」
マスターは多少同情するような顔をして言うのでした。
俺にはそんなこと言ってなかっけど……と、マスターに対して言いたかったのですが、振られたと思われる
のも嫌で私は黙って頷くだけでした。
あまりしょげていて何か感付かれるのも嫌だし、彼女の住所を聞いてもまた疑われる……私はきわめて冷静を
演じながら、歌いたくもない歌などを披露したものでした。
早く帰って、何もかも忘れて寝てしまい気分でした。
712名無し物書き@推敲中?:2007/12/26(水) 11:42:47
(その170)
もちろんエリを諦めたわけではなく、逆に一層彼女を想う感情はふくれ上がったのです。
ダメだという気持ちが圧倒してはいましたが、もともとが忙しい身だからこそ彼女はヘルプなのだ、これは本当に
都合が悪くて出てこれないのだという考えも充分できました。
そうだ、そうでなきゃあんなに感じのいい彼女が黙って消えるなんてことは考えられない。
私には苦悶の年末となりました。
正月は栗本君のアパートでSと三人で過ごし、初詣に出かけて飲んだりしていました。
私はエリを念頭に置いて、誰か嫁さんでも貰って、ひっそりとした生活でいいから小説を書き、夢を追いながら
小さな幸福を築いていきたいと二人に話したものです。
栗本君は「まだあのスナックの女なんかに」と呆れ、Sは笑いながら「小さな幸福なんて〇〇君には似合わない」と
言うのでした。
正月休みは終わり、栗本君もSも、いや世間の人間という人間は既に仕事に就いていました。
私はただ一人の女のことだけを想いながら相変わらず新年の二週間を怠け暮らしていたのです。
親から貰ったお金で暮らしながら、書いた小説はたった20枚、またそのお金もそろそろ限界が見えてきていました。
私は新しい、新鮮な生活に憧れていました。
それは古い、安い二階建てのアパートの一室、夏は暑く、冬は寒い、秋にはどこからともなく風に追われた枯れ葉が
フッと外から舞い込む、私は原稿に向かっており、少し離れた所では一人の女が裁縫などをしている。
その女はエリでなくてはならない。
原稿を渡した夜からほぼ一月がたとうとしていました。
時には狂おしいほどの情熱と、こんな生活から一時も早く抜け出したいという感情が入り混じって相互に燃えあい、
私は椿姫に向かったのです。
713名無し物書き@推敲中?:2007/12/26(水) 20:23:48
ちょっとコワイ人だね……。
714名無し物書き@推敲中?:2007/12/29(土) 11:18:45
(その171)
この日はエリの出勤日ではありませんでした。
私はママとマスターに自分の気持ちを正直に打ち明けるつもりでしたから、できればエリ本人のいない方が
気が楽だったのです。
まだ客はいないだろうという時間を狙い、一滴の酒も口にしないまま7時頃に私は店に入りました。
「あらあ、早いのねえ……といって、今年は初めてかぁ」
ママはキッチンでまだなにやら準備をしており、マスターや女の子の姿はありませんでした。
「マスターは?」
「そろそろ来ると思うけど……」と言って、私の顔からいつもと違うものを感じたのでしょう、
「なんか用?」と訊いてきました。
「うん、ちょっと」
私がビールを飲み始めてしばらくすると女の子が出勤し、やがて自分で作ったモツ煮を抱えてマスターが
入ってきました。
簡単な挨拶をすますと急激に緊張度が増し、私は水割りも何杯もお代わりして心を落ち着かせました。
「マスター、エリから何か聞いてる?」
マスターは怪訝な顔をし、「いいえ、なにも」と答えました。
「俺さあ……結婚してもいいかなあって……」
「え? 結婚って……エリと?」
「うん」
その一瞬、ママとマスターはお互いの顔を見合わせた後、突然大笑いを始めたのです。
「だからもう、〇〇さんはホーント、お坊ちゃんだって言うんですよ」
お坊ちゃん……?
「ホント、あんたって人は」
ママが苦笑いしながら追従しました。
マスターは改まった顔をし、
「エリにゃ子供がいるんですよ」
「え!」
「聞いてないでしょ? そりゃ言う必要もないんだろうけど」
715名無し物書き@推敲中?:2007/12/29(土) 12:22:41
(その172)
「あの子、まだ若いけど、結婚して、子供が生まれたあとね、離婚したんですよ」
そうだったのか。
私はまたも夢のかたまりが現実の色を帯びながら砕け散ってゆくのを感じていました。
大きな虚無感と、悩みから解き放たれるときのかすかな安堵。
「いえ、それでも〇〇さんがいいって言うんなら、エリの方は別に構わないんじゃないんですか」
ここで「それでもいい」と即答できない自分の卑怯を感じつつ、また「お坊ちゃん」と蔑まれた言葉に私は相当な
ショックを覚えていました。
おそらく私は青ざめ、怖い顔つきになっていたと思います。
ママもマスターもその後は声をかけてこず、非常に重く、気まずい空気が店内を支配していました。
自分の下等な愛情が暴露された上、所詮はお坊ちゃんとしか思われてなかったという恥ずかしさ。
この時ママもマスターも、私がどれだけ苦痛を感じているかは到底理解できなかったでしょう。
私は激しい自己嫌悪に苛まれながらアパートに帰りました。
もしこれがエリでなくYだったら自分はどうするだろうと思いました。
Yが離婚して子供がいたら?
考える間もないことでした。
私は喜んでYを受け入れ、彼女を愛するように子供も愛するだろう。
私はまた椿姫に通ううちに大きな錯覚をしていたことにも気付かされたのです。
私は既に確固たる“大人”の仲間入りを果たし、脆弱な昔の自分ではなくなっているという一種の勝利感をすら
抱いていたのでした。
が、結局はただの間抜けな思い込みであって、現実の大人たちからは端から“お坊ちゃん”としか認識されて
なかったのです。
716名無し物書き@推敲中?:2007/12/30(日) 16:32:38
マジで出会ったばっかでそういうのは怖いよ。

なんで自制が出来ないの?
717名無し物書き@推敲中?:2008/01/01(火) 23:03:34
>>716
>>1だからさ
718名無し物書き@推敲中?:2008/01/10(木) 17:40:25
(その173)
この年、Yや授業料納入が出来ずに一年落第したNもいよいよ卒業を迎えるのでした。
Nは既に冠婚葬祭業に就職を決めていました。
私はといえば、子供のいる女に夢中になり、わずか20枚の書きかけの原稿を持て余し、果てはお坊ちゃん扱いされる
体たらくで、本当に絶望的気分に陥るだけでした。
しばらくは無気力にアパートに閉じこもっていたのですが、まだ若いぶんジッとしていると身体が病気にでもなり
そうなほどにエネルギーが溜まり、ある日栗本君を訪ねてパーッと二人で騒いだのです。
エリとのお別れ記念とか何とか言って、心では泣きながら表向きは吹っ切れたような陽気さで飲み明かしたものです。

     毎日、武蔵野の夕陽は、大きい。
     ぶるぶる煮えたぎって落ちている。

私はちょくちょく「東京八景」のこの文章を思い出したものですが、この際自分も武蔵野に転居したいと、ふと考えた
のでした。
くさくさした今時分がちょうどいい、まだ引越し料を払える間に転居して、一からやりなおしたい!
私はまた郵便逓送の助手に就き、休日の日には三鷹を中心にアパート探しを始めたのでした。
三鷹ではありませんでしたが、中野の不動産が紹介した築1年のワンルームマンションがあり、かなり狭く感じられは
したものの、奇麗な一室で井の頭公園もすぐ近くにあって、私はここに入居を決めました。
晴れて武蔵野市の住民になったわけでしたが、小説の時代と違って武蔵野の夕陽が大きく見えることも、ぶるぶる煮え
たぎって落ちることもありませんでした。
むしろ不夜城の街で、にぎやかで人の姿の消えることがなく、私も朝の明ける頃に居酒屋に入ったことがあるほどの環境
でした。
マンションはひっそりと静かで、他に人のいる気配が感じられず、慣れるのにしばらく時間がかかったものです。

 
719名無し物書き@推敲中?:2008/01/10(木) 23:42:54
ご近所さん乙ノシ
720名無し物書き@推敲中?:2008/01/17(木) 17:56:01
さっきトイレでおしっこした後に
ちん棒をブンブン振ってたら、雫が顔にとんだよ
721名無し物書き@推敲中?:2008/01/17(木) 18:03:25
私はまたも夢のかたまりが現実の色を帯びながら砕け散ってゆくのを感じていました。
私はまたも夢のかたまりが現実の色を帯びながら砕け散ってゆくのを感じていました。

もちょっと下世話な表現にしようよ
まあいい表現みたいでよくわかったけど
722名無し物書き@推敲中?:2008/01/22(火) 19:13:44
>>721
へ?
なかなか的確な言い回しだと思うけど
723名無し物書き@推敲中?:2008/01/26(土) 17:41:11
やっぱり最初にここに来るべきだった。
親を信じちゃいけなかった。
危ないところだった。
まだセーフ?
724名無し物書き@推敲中?:2008/01/26(土) 18:35:25
(その174)

  第五章

太宰ファンであれば、大抵の人が太宰治とコミュニズムの関係に一度は関心を持つことになるだろうと思います。
一体どこまで太宰は非合法時代の共産党に関与したのか?
太宰文学の根底にあるのは共産党活動の裏切りであるという評論家もいれば、繊細な神経が時代の影響を受けただけ
という評論家もいます。
肝心の太宰本人が詳細を語っていないため、随分謎めいて感じられ、私なども色々と考察したものです。
私は、大高勝次郎という人の書いた「太宰治の思い出」に書かれていることが最も説得力があるように思っています。
山岸外史は大高氏の記述を批判的に書いていますが、弘高時代から大学時代の「津島修司」の素顔を常に見てきた彼、
大高氏の記述はなかなかリアルで、空想を排除しながら、また複雑怪奇で異常感覚の持ち主である太宰治の像に大変
適切に迫っていると思います。
軟弱で、結局は党活動から脱落する太宰に、それでも大高氏は敬意を払っています。

さて、武蔵野市の住人になった私はすぐに三鷹の禅林寺にある太宰治の墓を一人で見に行ったものです。
太宰の著名な関係者たちがいなくなったせいか、最近「桜桃忌」のことは話題にあがらないようですが、この頃には
まだ新聞などにも載っていたように思います。
私もこの催しに行きたい気持ちは常々あったのですが、単なる一ファンとして大勢の人間のなかに埋もれたくない
という気持ちが強いのと恥ずかしさで、今に至るまで一度も参加したことはありません。
私が禅林寺を訪ねたのは午後のことで、周囲は森閑としていました。
見ると、太宰の墓の前にはファンがお供えとして持ってきたらしいカップ酒が一本置かれていて、私は思わず笑い、
そしてしみじみ心が暖かくなるのを感じたのでした。
太宰は森鴎外を尊敬し、芥川龍之介に心酔し、夏目漱石を軽蔑したと言われます。
私はついでにその森鴎外の墓にも参っておきました。
725名無し物書き@推敲中?:2008/01/26(土) 19:15:51
(その175)
冠婚葬祭業に就職したNからは、連日互助会の会員勧誘の営業に出ているが実績ゼロでつらいという手紙が
届きました。
でも一所懸命やっていればきっといつか誰かが解ってくれる、懸命な姿こそが大事なんだよなと、いかにも
まだ青臭い慰みごとが書かれていました。
またKについて、呆れた近況を報告していました。
Kは現在流行りの家電店に勤務している。販売ノルマがあって、家族、親戚に色々売りつけた後こっちに声を
掛けてきたので、カセットテープを数本買うよと言ったらフンと鼻先で笑い、そんな安い買物じゃ話にならない
から他の人間を紹介してくれと言う。それで、今、高校の事務室に勤務している大学でサークルの部長だった
WTさんを紹介したら、後日WTさんから苦情が来た。それによると、Kは突然高校の事務室にWTさんを訪ねて
ステレオを買ってくれと強引に迫ったらしい。周囲の目もあって大変困った、二度と来ないよう伝えておいて
ほしいという内容だった。
ああ……と、私はため息をついたのでした。
社会はしんどいんだな。
どっちの仕事もしたくない、自分には出来ないなと私は思いました。
そんな仕事で毎日を潰したくはない。
この時、私には必ずしも毎日を縛られることのない今の自分のアルバイト生活が無性にありがたく感じられる
のでした。
その私はといえば、引越してしばらくはエリを見棄てたような気分に苛まれていたのです。
いかにも愛情を告白するような原稿を書いて渡しておきながら、急にいなくなった自分をエリはどう思った
だろうか? 子供がいると知って逃げたのなら何とチャチな男だったかと、さぞかし軽蔑しているだろうな……
と、そう思えばまさにその通りなだけに私は大いに苦しむことになったのです。
せめてもの弁解は、いいやエリがこっちの愛情を薄々感じながら子供のいることを隠したのがいけなかったのだ
というものでしたが、何せまだ二回付き合っただけの話ですから、そもそも子供のいる、いないを語るような
段階でも状況でもなかったのですが
726名無し物書き@推敲中?:2008/01/26(土) 19:22:01
つーか、マジで危ない人だよ。

怖い。
727名無し物書き@推敲中?:2008/01/30(水) 01:50:16
安全無害な物書きなんて、なんかぱっとしないと思う。
728名無し物書き@推敲中?:2008/02/03(日) 19:40:49
(その176)
吉祥寺。
不夜城の街と述べましたが、この街は私がこれまで住んだ場所とはあまりに違い過ぎて、当初は少しも落ち着けず、
いつもフワフワとした気分のままに生活していました。
深夜のどんな時間にでも駅周辺は明るく、賑やかで、それがまるでお祭りのようにウキウキと高揚感を誘うのです。
ものの5分も歩けばいいので、私は特に用もないのに外出し、飲みたくもないのに居酒屋に入って飲んだりしながら
非日常の快楽体験を味わっていたのです。
映画館の最後の回に足を向けることもあれば、シャワーを浴びて寝るところを夜中の散策に出たりするので、昼夜
逆転の日も多くありました。
私のような意志薄弱の人間が堕落するのには格好の環境でした。
飲み、食い、遊びで瞬く間に金は消えていき、昼夜逆転の生活を繰り返すことで身体も疲労を感じることが多く
なっていきました。
一日中何もせず、半病人のようにただうつらうつらしながら部屋に寝転がっている日もありました。
本当に無駄に生きていたものです。
そんな、夏の、特に暑いある日のことでした。
私は扇風機をかけながら、だるい身体を横たえ、新聞に手を伸ばしたのです。
私の視線はたまたま開いたページのある箇所に行って動かなくなりました。
求人募集欄に「郵政職員募集」のやや大きめの文字を見つけたのです。
私は次第に心臓が高鳴り、気力が湧き出てくるのを感じました。
「よし!」と、私は声をあげました。
募集要項には外勤、内勤、保険とありました。
働こうと思いました。
徹底的に生活を立て直そうと思いました。
729名無し物書き@推敲中?:2008/02/04(月) 00:12:12
その時、俺の一物が悲鳴をあげた。
730名無し物書き@推敲中?:2008/02/06(水) 12:02:34
これで>>1が見事郵便局員になってそれなりの充実した人生を歩んで
ごく平凡な家庭も持ち、今に至る…なんて終わり方したら逆にすごいなw
731名無し物書き@推敲中?:2008/02/08(金) 08:45:54
半年振りにきてみたけどまだ続いてたか
2年以上続いてるんだな
732名無し物書き@推敲中?:2008/02/14(木) 18:19:57
(その177)
この日のことは本当によく覚えています。
というより、事あるごとに思い返すことが多いのです。
もしもこの日、私が新聞を手にしなかったら、手にしたとしても私に求人欄などを覘く習慣はなかったのです
から、普通に見過ごしていたとしたら、私はまた随分違った人生を辿っていたろうと考えるからです。
高校時代、転落寸前に突然現れたYのように、この時も私は確かに何者かに救われたと思っているのです。
もっとも、私がこの募集に飛びついた理由は生活を立て直すには打ってつけの仕事だと直感したからでした。
国家公務員としてのまともな生活が、きっと危うい今の自分の生活を改善するだろうと考えたのです。勤務
するにしてもおおよそ一年のつもりでした。そのためには窓口業務だけでなく夜勤のある内勤よりは、
きちんと早寝早起きの出来そうな外勤の方に魅力がありました。
試験は国立の中央郵政研究所で実施され、試験当日は国立駅から会場までとんでもなく長い行列が出来ていました。
私は蟻の行列を思い浮かべながら歩いたものです。
無事筆記試験に合格すると、面接試験が大手町の関東郵政局の広いホールで実施され、とんとん拍子に私は合格を
決めたのでした。
やがて所属局の通知が届き、秋の半ば、私はA郵便局集配課勤務となりました。
さすがにまともな就職、まして公務員の身分となるとこれまでのアルバイトとはだいぶ違って、扱われ方が丁寧で、
気持ちがグンと引き締まる思いでした。
同期がもう一人おり、一緒に一週間の局内研修を経たあと、私は7班に配属されました。
つい先日までの夏の怠惰な自分はさてどこへ行ったやら、私は本当に人が変わったように早寝早起きの生活を開始
したのです。
組合の全逓から加入の誘いがあり、私はすぐに組合員となりました。
職場の色々な人たちからの話を総合すると、全逓も一時は相当な勢いを有していたものの、最近はかなり力が落ち、
幹部も管理者となあなあになる場面が増えたということでした。
とはいえ、このA局は伝統的に大変組合の力の強い所で、他局に比べれば戦う組合員は多いというのでした。

733名無し物書き@推敲中?:2008/02/14(木) 18:29:27
いくつで郵便局勤務に?

参考までに訊きたい。
734名無し物書き@推敲中?:2008/02/16(土) 00:10:32
よくもまあ…
735名無し物書き@推敲中?:2008/02/16(土) 01:46:39
177章まで読み終えて、うむ、と小さく唸り、それから、寝た。
厚顔無恥とはこの人の事だと思った。
人を馬鹿にしていやがる、皆の拍手を聞いたような気になって、米兵のように鼻を突き出してやがる。
作者の大きな顔が、目に浮かぶのである。顔の大きさだけで蹴球のゴールキーパーに抜擢され、本人はそれと知らずに喜んでいる。
両手を上げ、小躍りしながら、俺、やったよ、選ばれたんだよ、などと言って回り、ボールを蹴り込まれても、一向に気がつかない。
ゴールキーパーが聞いて呆れる、お前は何を守ってるんだ、と訊くと、ようやく我に返り、したり顔でこう呟くのだった。
「選ばれてあることの恍惚と興奮と二つわれにあり」
その顔は、蟹に似ていた。
736名無し物書き@推敲中?:2008/02/16(土) 02:31:32
いや、ホントに、社会人になってかもこんな感じだから、おかしい人だよ。
中二病。

学生時代はかわいらしいし誰でも想いあったから共感してたけど
社会出てこれじゃ怖いにも程がある。

突飛過ぎて、ね。
737名無し物書き@推敲中?:2008/02/16(土) 11:26:56
言いたいことはわかるが、物書きはおかしいくらいで丁度いいんだよ

それと中二病なんて言葉は使わないほうがいい
738名無し物書き@推敲中?:2008/02/16(土) 13:34:47
文章に求められることなんて「面白いかそうじゃないか」だけだろう。
>>1の文章は面白いって言うやつが何人もいる。
それがすべてだろう
739名無し物書き@推敲中?:2008/02/18(月) 12:27:49
物書きってむしろ中二病とか高二病じゃないとやっていけないんじゃないの?
村上春樹とかなんてモロだし、太宰だってそうでしょ
だから偉大なる中二病の方々に対して中二病云々言うのは
何を今更って感じがする
740名無し物書き@推敲中?:2008/02/18(月) 12:50:02
すいませんでした。
741名無し物書き@推敲中?:2008/02/18(月) 13:01:29
>>739
正確にいうと本性むき出しモードのときにそうなるだけで、
普段の生活では徹底的に角の立たないポジションを冷静に取ることもできる二重人格者って感じかなあ
通常モードと電波モードを併せ持っていないと、個性と客観性が両立しないし、
どっちが欠けても駄目だと思う
742名無し物書き@推敲中?:2008/02/18(月) 18:23:51
中二病とレッテル貼って、単に背伸びしたいだけなんだよ
スルーしろよそんな奴
743名無し物書き@推敲中?:2008/02/19(火) 02:49:59
お前がスルーで来てねーんだろ、蛆虫。
蝿にもなれない蛆虫。
744名無し物書き@推敲中?:2008/02/19(火) 15:45:56
>>743
それならそれに反応したお前自身も蛆虫
745名無し物書き@推敲中?:2008/02/19(火) 15:51:41
同属嫌悪か、蛆虫同士仲良くしろよ。
746名無し物書き@推敲中?:2008/02/22(金) 15:09:15
中二病って便利な言葉になりましたね
それより>>1が気を悪くして書くのやめちゃったりしたら困る…
ここまで書いたならちゃんと終わりまで持っていって欲しいしね
747名無し物書き@推敲中?:2008/02/22(金) 15:51:39
1が気を悪くしたとしたら中二病なんて言葉のせいじゃなくて735のせいだろ
結構痛いところを突いてると思うし、蟹はひどい(笑)
748名無し物書き@推敲中?:2008/02/22(金) 23:42:44
   
 

     まぶたの父@ て    て   な   し    ね   ぎ

   
749名無し物書き@推敲中?:2008/02/23(土) 19:42:52
(その178)
私が組合活動に積極的な姿勢を見せたためか、支部役員や青年部の人間がかつての栄光の時代など詳細を
語ってくれたのですが、「あいつらとは付き合わない方がいい」という妙な助言もするのでした。
“あいつら”と呼ばれたうちの一人には私の7班の班長も含まれていて、それが共産党員を指している
ことはすぐに理解できました。
そんなある日、庶務課(今は総務課と呼ぶようです)のKT主事と会った際のことです。
主事は、君は中退とはいえ大学まで進んだ人間だ、この先公務に真面目に取り組んでいれば昇級試験
などもあることだし、必ず良い結果が出る、組合の活動には深く関わらないようにしなさいよという
アドバイスをくれたのでした。
これは噂の組合員潰しなどではなく、KT主事の心からの支援でしたが、私はそれを有り難く受け止め
ながらも、自分はそういう人間ではないと改めて決意を感じたものでした。
さて、郵便局員となった私は制服を着用することとなったのでしたが、この途端妙に私の精神構造は
小、中学生に戻ったような純情さと素直さに包まれたのです。
帽子を被り、ネクタイを締めると、ついこの間までの「椿姫」での振舞いなどがただの夢だったようにも
思えるのでした。
言葉遣いも「俺」から「僕」に変わり、この時点でまだまだ自分には全然抜け切れていないひ弱さが
巣食っていることを知ったのです。
それは行き過ぎた正直さ、真面目さに顕著に現れ、そしてどういうわけだか無口な気性が再び蘇ってきたのでした。
私はそういう自分をひっそりと“僕ちゃん精神”と呼んでため息をついたものでした。
こんな私でしたが、たまに休憩室で思想について話しかけられる時だけは、まるで水を得た魚のように活気を
取り戻して弁舌を振るっていました。
郵便局に入って驚いたのは、各組合員の社会意識が非常に高いこと、社会思想に詳しい人が多いことで、何かと
機会を見つけては私にあれこれ接触してくる人たちがいたのです。
もっとも、私が最初に親密と言っていいほどの交際を始めたのは、そういうこととは全く無縁の自由人、山井さんと
いう人でした。
750名無し物書き@推敲中?:2008/02/23(土) 20:50:43
乙であります
751名無し物書き@推敲中?:2008/02/24(日) 09:18:30
>こちとら未だにフリーター 不安だらけなのに楽しいフリした


分かっているよ
ウリセン坊や

でも俺はおまえの強がり負け惜しみ残飯サンバが見たくて書いている

    
     どんどんフリをしてくれ


おまえにできるのは、負け惜しみと成りすましだけだ
それがおまえの創作だな

     高校二年のひらめきは二度と戻らない

おまえが俺を襲った時点でおまえは作家志望ではなくタダの犯罪人になった

     認めろ。犯罪人
 
  
752名無し物書き@推敲中?:2008/02/27(水) 15:00:16
(その179)
集配課は午前8時が仕事開始でした。
郵便課の夜勤者によって仕分けしてある当日の自分の受持ち区の郵便物を、まずファイバーと呼ばれる箱で
回収して回り、その後大区分に入ります。区によって郵便物(ブツと呼びます)の量が違い、少ない区に
入れば当然楽に感じますし、多い所だと気合を入れるという感じです。大区分というのは、目の前にある
何十箇所とある枡の中に同じ配達域ごとにブツを仕分けする作業で、ベテランともなると物凄いスピードで
振り分けていきます。私はこの作業が割合に好きでした。集中力が試されます。
これが終わると、人によっては一呼吸おいてタバコを吸う人もあれば、お茶を飲む人もいました。私も慣れた
頃は大抵缶コーヒーを飲んだものです。
この後は椅子に座り、机の上で一枡ごとに取り出したブツを配達の順番に揃えていくのですが、これを小区分と
いいます。
私が退局したずっと後には、これら一連の作業は無惨に、大幅に管理、変更され、殊に最近では非人間的職場
環境の最たるものとなっています。全く必要のない民営化など論外ですが、この民営化に進む連れ郵便、集配課
からは多くの死者が続出しました。
ちょうど私が入局した頃から圧力が強まっており、関東郵政局から出向してきた数人の小役人によって良き慣習は
一掃され、その後管理強化のために課は二分割されます。私もこの反対闘争に参加して重い処分を食らうことと
なります。

さて、仕事を覚え立てで私は年賀期を迎えました。
年賀期に入ると各班にアルバイトが入ります。配達は大抵男子高校生に任せ、私たちは別室である年賀組立室に
向かうのです。
そこにはやはり大勢の女子高校生が補助で入っていますから、華やかな空気で満たされていました。
彼女たちとの結び付きがどうしても強くなるせいか、後に結婚した者もいたほどです。
753名無し物書き@推敲中?:2008/03/09(日) 22:17:41
ほしゅ
754名無し物書き@推敲中?:2008/03/12(水) 10:16:07
自称直木賞レベルw
ハイ
755名無し物書き@推敲中?:2008/03/15(土) 10:46:33
(その180)
この最初の年賀期体験で、私は最も郵便物の多い、ということはマンション軒数の最も多い区を
受け持たされたため、相当苦労したことを覚えています。まだ数ヶ月の新人に一番重い区を
押し付けやがってという腹立たしさのある一方で、こうなれば完璧に乗り切って実力を見せてやる
という旺盛な負けん気も出て、私は全くベテランに劣らぬ仕事をやり遂げました。
驚いたのは翌月の給料がとんでもなく高額の支給だったことで、無我夢中で仕事に埋没した年賀期の
疲労など一遍に吹き飛んでしまいました。休日出勤、超過勤務の連続でしたから当然だったとはいえ、
自分の労働が充分に認められたという気持ちは本当に幸福な気分を与えてくれるものでした。
この年賀期に突入した頃から、私はある人の存在にそれとなく気付いていました。
この人は隣の班にいて、たまに私の仕事振りを見に来たり、大区分棚の桝目からこっちを覗き込んだり
していたのです。
山井さんという人で、身長180センチぐらいの30歳前後かと思える肩幅の広い大男でした。
写真で見た若い頃の水上勉を思わせる風貌をしており、私には個人的に好きな顔の部類でした。

局内には食堂があり、私はいつもここで昼食を済ませていました。
ただ私は非力で、午前中の配達を終えるとかなり疲れを感じるため、大体休憩室の畳の上で30分ほど
寝たあとで食堂に入ったものです。
この時間になると本当に人はまばらで、私はいつも一人で黙々と食事をするのでした。
春先のこと、いつものように一人で食事をしていると、突然山井さんがカレーライスを手にして私の
目の前に座ったのです。
756名無し物書き@推敲中?:2008/03/15(土) 11:20:50
(181)
テーブルはどこもガラガラ空いているのに、なぜわざわざ自分の目の前に座るんだろうと不審に思っていると、
山井さんはアッという間にカレーを平らげ、ほんの一瞬私を見つめた後、「ああー、うまかったー」と拍子の
ついたような口調で大声で言いながらまた素早く去っていきました。
山井さんが私を見つめた一瞬の眼差しには、ハッキリと何かを訴えるものがあったため、私もここで彼に興味を
抱いたのです。
この日から間もないある日の昼食時、また同じようにカレーライスを手にして彼は現れ、私の席の前を何度か
行き来した後、意を決したように私の真ん前に座ったのです。
彼は俯いて何か独り言を言いながら数分でカレーを食べ終え、また「あー、うまかったー」と言い、今度は
すぐに喋りかけてきました。先輩らしい気遣いのある仕事中心の話でしたが、最後に今夜一緒に飯でも
食わないかと誘ったのです。
私も夕食はいつもどうしようか、どこで食べようかとなどと迷うことが多かったため、喜んで了承したのでした。
彼が連れて行ってくれたのは「芝寿司」という店で、彼の郷土、金沢の名物ということでした。
今はこの店もなくなっているようですが、局の近くにあって、私は度々彼と一緒に訪ねたものです。
店頭でも芝寿司弁当を販売していて、こじんまりした和風の上品な感じの店でした。
鱒と鯛を酢〆した笹寿司で、大阪の押し寿司のような味をしていました。
酒を飲みながらつまむのにも丁度良くて気に入ったのですが、あいにくなことに山井さんは酒はほとんど
飲めなかったのです。
757名無し物書き@推敲中?:2008/03/15(土) 11:41:09
なんかこの流れって……

いや、そう考えてしまう俺の頭が不純なだけなんだろう
758名無し物書き@推敲中?:2008/03/19(水) 01:00:58
昨日から読み始めて今終わりました。
面白い!
759パンク野郎:2008/03/21(金) 13:07:01
ヤバイです、どんどん惹かれてゆく。かなり上手いと思います、更新楽しみにしているのでよろしくお願いします。
760名無し物書き@推敲中?:2008/03/21(金) 16:13:12
痛い恋愛論や詩集を好きな女に送ってるけど
コンクールに入賞したっていう言い訳で誤魔化されてる。

普通に根暗な恥ずかしい奴じゃん
761ヨコイ:2008/03/22(土) 18:19:02
まだー??
762名無し物書き@推敲中?:2008/03/23(日) 11:11:31
(その182)
ほんのお猪口一杯の酒で顔を真っ赤にした山井さんは、「あなたはどちらの出身ですか?」と訊いてきました。
私が出身県を答えると、山井さんは「そうでしたか」と大きく頷き、「僕はあなたを最初見たときからとても
都会的な人だなあと思ってた」と、まるで恋人でも相手にしているかのように純情丸出しで言うのでした。
「まあ、飲みたまえ」「食べたまえ」と、古臭い喋り方をするのも特徴的で、それが大柄な体躯にはよく合って
いました。
山井さんには囲碁の才があり、これは何人もの局員から聞かされた本当の話なのですが、彼は某新聞社主催の
アマチュア本因坊の全国大会に出場したことがあり、毎年彼には招待状が届くというのでした。
ただ、彼は決して自慢話や手柄話をしない人でしたから、大会や囲碁の話に触れることはほとんどありませんでした。
独身で母親との二人暮しということでしたが、母親は実の母ではなく、電話するときには非常に丁寧に、敬語まじりに
話していたのが今も印象に残っています。
友人らしき者もおらず、私が唯一の友となったのです。
彼も競馬をやる方でしたから、私たちは何度か一緒に東京競馬場、中山競馬場に出かけたことがあります。
外へ出ると気分も変わるのか、競馬場ではちょくちょく私を呼び捨てにすることがあったのですが、私にはそれが
頼もしく感じられるのでした。
彼はカッカするタイプではなく、ひたすら悠然と競馬を楽しんでいました。
今でもよく覚えているのが東京競馬場でのことです。彼は負け続け、さすがに最終レースでは厳しい顔付きになって
いて、私も少し同情していたのですが、最後に一発大逆転を果たしたのでした。
大きな背中を揺らしながら食堂へ私を連れていき、テーブルで待っていた私の所へ戻ってくると、紅潮した顔を
見せて何枚もの食券をばら撒き、「いやあ、君にいいとこ見せられて良かったよ」と嬉しそうに大声張り上げて
笑ったのでした。
763名無し物書き@推敲中?:2008/03/23(日) 11:48:35
(その183)
山井さんと一緒にいて心地良かったのは、彼は私の話を実に根気良く聞いてくれることでした。芸術から文学、
政治のことなど、常日頃ノートや原稿に書き留めている内容を整理しながら話すのでしたが、彼は腕組みしながら
ジッと私をみつめて聞いてくれるのです。理解するというより、私がどういうことを考えている人間なのかに
興味を抱いているという感じでしたが、私はそれでも全然構わなかったのです。
私のワンルームマンションにも何度か泊まっていったことがあるのですが、思わず吹き出した愉快な出来事も
ありました。
当時私はマイクロカセットレコーダーを愛用していて、競馬場の雰囲気や街の喧騒、居酒屋の空気などをよく
録音していたのです。ある夜、山井さんを残して私一人酒やツマミを買いに外出したことがあったのですが、
それからだいぶ後のこと、ビールを飲みながら録音を再生していると途中から突然山井さんの声が入ったのです。
「ア、ア、ア」と、まずはマイクのテストだったのでしょう、それが聞こえ、「含蓄とは何か、含蓄ある言葉とは
どういうことを言うか、エエ、アア……宇野浩二は語っている……」
私は笑いが止まりませんでした。私の留守の間に興味半分録音したものの、再生方法も分からず、録音の削除も
出来ずに放っておいたのでしょう。
彼の下着の背中側に大きな穴があいているのを目撃したこともあり、それでも平気でいるのを見て、世の中には
こんな人もいるのだとつくづく思ったものでした。
私は7班の森中班長に「山井さんと付き合えるということは相当凄いことなんだよ」と褒められたことがあります。
何ものにも囚われず、また何ものも拘束せず、山井さんは自由に、気ままに生きている人でしたが、いわゆる変人と
呼ばれる部類の人だったのです。
ただ、私と山井さんの仲は本当に何でもない、あるひとつの出来事で急な終焉を迎えてしまったのでした。
ちょうど私の人生にもちょっとした山場が訪れようとする時期でもありました。
764名無し物書き@推敲中?:2008/03/23(日) 12:29:04
続き続き!
765名無し物書き@推敲中?:2008/04/04(金) 03:41:57
【文学】太宰治の旧制高校時代自筆ノート発見!悩める自画像も
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1207035063/
766名無し物書き@推敲中?:2008/04/07(月) 21:11:07
(その184)
生活を立て直すために一年のつもりで入った郵便局でしたが、入ってみると主に組合員としての社会勉強の
機会の多さに私は大いに満足し、やがて一年を過ぎようとする時期にさしかかっても辞める気持ちなどは
全くありませんでした。内外の集会参加などを通して得る労働者としての視点、また生活者としての視点は
普通の会社勤務からは得難い貴重な体験でした。私はまだまだ勉強したい、活動したいという気力に溢れて
いました。
同時に私は集配の仕事に素晴らしい居心地の良さを覚えていたのです。
まず人間関係に煩わされるということがありませんでした。大区分も小区分も一人で行なう受持ち区の作業で
あり、まして外に出れば完全に自分だけの裁量で仕事をコントロール出来ます。
郵便局には、結構こうした人間関係の不得手な人たち……真面目で実直な性格だけにおべんちゃら言ったり、
他人を出し抜いたり、また冗談の一つも披露出来ないといった不器用な人たちが働いていたように思います。

秋の半ばでした。
午後の仕事に着手した時、森中班長が私のところへ来て、今日、もし用がなかったら帰りにちょっと付き合って
くれないかと言うのでした。
私は森中班長とは何度か一緒に飲みに行ったことがあり、特に組合活動や政治の話で熱く意見交換をしていました。
ほっそりとして、背の高い人でしたが、髪の毛が多少薄いので40過ぎぐらいかなと思っていたのですが、実際は
まだ30半ばで独身ということでした。
東京生まれの金持ちの息子でしたが、高校を卒業すると秋田の親戚に農業志願して東京を離れたという経験の
持ち主でした。両親は都会育ちの息子に東北の厳しい農業が長続きするわけがないと軽視していたらしいのですが、
二年近く嬉々として農業に従事する息子の姿に危機を感じて必死に説得を重ねて東京に呼び戻したのだそうです。
酒好きの、ひょうひょうとした面白い人で、私には彼から赤旗購読を勧められて取っているという経緯もありました。
767名無し物書き@推敲中?:2008/04/07(月) 21:34:44
(その185)
夕方、2階の休憩室で私は森中班長を待っていました。
休憩室は集配課にもありましたが、2階休憩室の方が広い上にテレビも設置されていて、大相撲や高校野球の
観戦が出来るので、集配だけでなく、郵便、保険の局員もここによく集まっていました。
この日も私は彼らと一緒にいたのですが、そこへひょっこりと山井さんが顔を見せたのです。
私が笑顔で挨拶すると彼は嬉しそうに私の隣に座り、なんだかんだと話しかけてきました。
3、40分一緒にいたでしょうか、「どうかね、久し振りに芝寿司でも食いに行くかァ、ええ?」と山井さんが
私を誘ったのです。
「それが、今日は、ちょっと森中さんに付き合ってくれって言われてるんですよ」と答えると、それまで
終始にこやかだった山井さんの顔が急変し、「それで……そ、それで君はここにいたのか?」と呻くように
言ったのです。そしてスクッと立ち上がると黙って出口へ向かい、ドアの手前でこっちを振り向きざま声を
荒げたのでした。
「こんな小さな世界でもよォ、色んなことがあるんだよ!」
顔は悲しく、また怒りで歪んでいました。
休憩室はすっかり静まり返ってしまったのでした。
私は山井さんの言葉を何となく理解したように思います。
そしてこの後の森中班長との一件で、それはなおさらハッキリとしたのです。
768トシキング:2008/04/10(木) 23:11:35
はらはらするぅ!!!!!!!!!!!何が何が起きたんだぁ!!!!
くそーくそー
つ・づ・き
つ・づ・き
応援しています。
>>1さんの大ファン
トシキングより
769名無し物書き@推敲中?:2008/04/17(木) 13:00:39
わあ、いつからあるんだこのスレ
770名無し物書き@推敲中?:2008/04/19(土) 13:24:34
2年半前から
771名無し物書き@推敲中?:2008/04/19(土) 17:32:33
(その186)
私が森中班長に誘われ、着いて行ったのは「ケント」という外壁から室内から白一色の瀟洒な
店でしたが、それがレストランだったのかスナックだったのかは、なにせこの後にも先にも
この夜以降に訪ねたことがないので、実は今もって分からないのです。
後に森中さんにこの件について訊いたことがあるのですが、彼はその店そのもの自体を忘れて
いましたから、思うに彼自身初めての店だったのでしょう。随分照明を落としていましたから、
薄暗い室内での記憶になります。
ビールだかワインを飲んでいたと思いますが、他にお客は隣のテーブルにたった一人しかいま
せんでした。
その客は背広を着た小太りの男で、静かに新聞を広げていましたが、まさか私に関係のある人間
だとは夢にも考えませんでした。
小一時間も経った頃でしょうか、突然森中さんは私に紹介したい人がいるといってこのお客を
私たちのテーブルに呼んだのです。高元という人で、まだ30歳前に見えました。
「私は共産党の○区委員会に所属して局にU支部を立ち上げ、森中さんらと活動している者で、
郵政省の外郭団体に勤務しています。森中さんや他の者から○○さんの話を聞かされて、これは
何としても一緒に活動してもらいたい、ぜひ力をお借りしたいと思って面会を願ったんです。
赤旗も取ってもらっているし、カンパで3000円もいただいたときは『え!』って驚いたぐらいです。
普通は100円、200円、多くても500円ぐらいなんですよ。たまに1000円カンパしてくれる人もあり
ますが、それは相当理解のある人たちなんです。それよりなにより、話によると○○さんは論理力に
秀でていて、思想も知識もここの支部員などよりかなり深いということでしたから、何とかそういう
教育面でU支部のレベルを引き上げてほしいという結論に至ったという次第なんです」
「入党してほしいということですか?」
「ぜひ」
ウワッ、面倒だ……というのが私の率直な思いでした。内心、自分は9割がた入党しないと早くも決断
したものでした。ただ1割……にも満たなかったでしょうが……の入党の可能性を薄ぼんやりながらでも
残したのは、自分が常々正義と思うものから面倒だという理由だけで逃げていいのかという気持ちも
あったからでした。
772名無し物書き@推敲中?:2008/04/19(土) 18:20:32
(その187)
もし私の人生に文学という二文字がなかったら、私は躊躇なく共産党に入党し、存分に正義の道を
突っ走ったことだろうと思います。今思えば幼い不安ではありましたが、私は入党することにより
強烈なマルクス主義の影響下で、いわゆるプロレタリア文学のようなものを書く人間に変身するの
ではないかという恐れを抱いたのです。
時代そのものが全く違うとはいえ、<太宰ですら〉学生時代にはこの影響下にあって「地主一代」
「学生群」など、およそ太宰とは思えない、少なくとも私には面白くも何ともない小説を書いています。
そうはなりたくないと本気で悩んだのです。
一方でまたその<太宰ですら>共産党に入党したのです。あの苛烈な時代のことを考えると、私は本当に
太宰の入党に対しては敬服するばかりです。<太宰ですら〉正義に応えんと入党したのに、自分は逃げる
のか? 私はそう自問するより仕方ありませんでした。
「少し考えさせてください」と私は言い、「でも、あまり期待しないでください」とも付け加えたのです。
この夜の話のなかで、最近全逓は公明党には寛容で共産党に対しては距離を置くようになった、かつては
極左青年部の跳ね上がりだけが極端な反共だったが、社公合意という社会党の一種の裏切り以後は組合
全体も共産党を遠ざけるようになったのだというのでした。そういう理由もあるせいか、郵政のなかには
いわゆる共産党系の新しい組合も組織されているのでしたが、だからといって党員はみなその郵産労に
入るのかといえばそうではなく、全逓に組織されている党員ももちろんいたのです。正論を吐く共産党員
らしい組合員と反共の青年部、また執行部らの対立はよく感じていましたが、さらに激しい対立といえば
全逓と全郵政の方が当時はもっと顕著でした。全郵政は第二組合の様相を呈していましたから、こちらの
対立は当然だったと思います。
山井さんの「こんな、小さな世界でもよォ、色んなことがあるんだよ!」の意味はこういう争いのことを
指していたのであり、そのなかには森中班長も含まれているということを告げたものだったのです。
773名無し物書き@推敲中?:2008/04/19(土) 21:56:14
うお!こんな時間か。一気に読んでしまった。
>>1これからも頑張って連載してください。
774トシキング(^o^)/:2008/04/20(日) 23:07:19
もうすぐ簡潔だな
775名無し物書き@推敲中?:2008/04/27(日) 11:54:42
(その188)
私が森中さんに誘われた日以降、山井さんは明らかに私に対してよそよそしい態度を取るようになりました。
山井さんには東京生まれ、東京育ちの森中さんに一種憧れめいたものと、逆にまたどこかひねくれたライバル心が
あったと私は最初から感じてはいたのです。おそらく山井さんには、私が森中さんに急接近し、彼よりも森中さん
を選んだように映り反発を抱いたのだろうと思っています。
翌年、森中さんが組合の集配分会長に立候補すると、何とも信じられないことに山井さんが相手候補として名乗り
を上げ、そうすれば当然組合幹部側は山井さんに付きますから彼は楽々当選を果たしたのです。“どんなもんだ”
といった顔付きで私を一瞥した山井さんの顔が今も忘れられません。
しかし、分会長としての山井さんは滑稽というか、悲惨でしかなかったのです。
分会会議では分会長が司会を務め、会議を進行させながら意見を集約しなければなりません。最初の会議の日、
山井さんは相当緊張していて、あっち行ったりこっち行ったりとソワソワと落ち着かず、水ばかり飲んでいました。
開始時刻、「じゃ、始めます」と言ったかと思うと隣の副分会長の顔を見、いきなり「あとは君がやりたまえ」と
譲ったのであちこちから失笑が起きたものでした。
結局、一年を通して分会長としての山井さんはこんな調子でした。会議中というのに会議室を意味もなく出たり
入ったり、またやたら水を飲んでは時計ばかり気にして気の毒そのものでした。
私自身は山井さんが好きで、ずっと交際を続けたかったのですが、なにしろ彼の方で避けるのでどうしようもありま
せんでした。
ただ、一度だけ仕事を通して彼と接触する機会はあったのです。
私が速達をやるようになったときの指導者が山井さんで、私は色々彼に教わりながら二人で街中をバイクで走った
ものでしたが、山井さんの心は既に閉ざされていました。
776名無し物書き@推敲中?:2008/04/27(日) 13:21:10
(その189)
私は局を退職したあと、一度だけ偶然新宿駅構内で山井さんと遇ったことがあります。
この時私は当時既に上京していた野瀬と一緒にいて、遠くから大きな身体を揺らしながら歩いて来る山井さんを
発見したのです。私は懐かしさのあまり山井さんに走りより、「山井さん!」と声を掛けました。山井さんは、
その癖である少さく笑いながら小刻みに頷くという仕草を見せて特段驚きもせず、「君はここで僕を待ち構えて
いたんじゃない?」と言い、「まあ、少し待っていたまえ」と立食い蕎麦屋に入っていったのです。私と野瀬は
山井さんがさかんに一人で笑いながら蕎麦をすすっているところを眺めていました。(今思えば、新宿駅構内に
立食い蕎麦屋があったかどうか、もしかすれば別の駅だったかもしれません)。
私たち三人はそのあと小さな、同じ駅構内の喫茶店に入ったのですが、何を話したのかの記憶は残念ながらあり
ません。別れたあと野瀬が怪訝な顔をしているので、私が「あの人は変人でね」と言うと、野瀬は「あの汚れた
コートを見ただけで変人ってのは分かるよ」と応えたものでした。
その山井さんもだいぶ前に局を辞めたと聞きました。郵政省が、まるでその本分を忘れたかのように奇妙な営業
戦略を開始した頃のようです。郵政事業に何の関係もない各地の名産物のセールスなどを始めて各局員にノルマ
を押し付け、ノルマ達成の出来ない大勢の局員は自腹でその商品を買い取るようになっていきます。また年賀状、
暑中見舞い状セールスのノルマも熾烈で、成績の悪い者は管理者によって皆の前で晒し者、見せしめの叱責
(罵詈雑言)を受けるようになったといいます。山井さんにセールスなどの出来るわけがなく、おそらく嫌気が
さして辞めていったのでしょう。山井さんのみならず退職を決断した、というより辞めさせられていった人間は
全国かなりの数に上るはずで、事業の変質、また過酷な労働体制の改悪のなか、鬱病を発生したり、自殺したり
する者は大幅に増加していったのでした。
今頃山井さんはどこで、どうして生きているのやら、私は時々彼のことを思い出しては心配しているのです。


777名無し物書き@推敲中?:2008/04/27(日) 21:35:50
これって私小説の度合い何%くらいなんだろう
と気になりがてら
777げと
778名無し物書き@推敲中?:2008/05/03(土) 05:49:51
まだ続くの?
779名無し物書き@推敲中?:2008/05/05(月) 14:27:45
(その190)
太宰の一度目、二度目の自殺未遂はいずれも思想に関連したものとされています。
「虚構の春」のなかには以下の文章があります。
「私は或る期間、穴蔵の中で、陰鬱なる政治運動に加担していた。月のない夜、私ひとりだけ逃げた。
残された仲間は、すべて、いのちを失った」
「私は唯物史観を信じている。唯物論的弁証法に拠らざれば、どのような些々たる現象をも、把握
できない。十年来の信条であった。肉体化さへ、されて居る」
また「東京八景」では、「世人の最も恐怖していたあの日蔭の仕事に平気で手助けしていた。その
仕事の一翼と自称する大袈裟な身振りの文学には、軽蔑をもって接していた。私は、その一時期、
純粋な政治家であった」と書かれています。
鎌倉の二度目の自殺未遂についても、同じ「東京八景」で、「私はこの女を誘って一緒に鎌倉の海へ
はいった。破れた時は、死ぬ時だと思っていたのである。れいの反神的な仕事にも破れかけた。肉体
的にさえ、とても不可能なほどの仕事を、私は卑怯と言われたくないばかりに、引受けてしまってい
たのである」ともあります。
これらの箇所は、いかに太宰好きな私も、森中、高元両氏に入党を持ち掛けられるまでは全く他人事
として読んでいたと思います。しかし、まさかの入党依頼で、私は真剣にこの時期の太宰の苦悩を
思いやったのです。
780名無し物書き@推敲中?:2008/05/05(月) 15:06:40
(その191)
将来にはこの活動から脱落する太宰ですが、(思想が)"肉体化さへ”されていたと書いているあたり、
彼自身はかなりな部分マルキシズムを理解していたと思いますし、そのゆえに善良さと誇り高さから
己のひ弱な性格も省みずに難儀な非合法活動に身を投じたのでしょう。(もっとも、大高勝次郎氏は、
“非党員の津島”と記していますから、共産党と接触し、活動しながらも党員ではなかったようです)。
ただ、やはり太宰はプロレタリア小説については上に紹介したように“軽蔑をもって接していた”とあり、
後年“プロレタリヤ小説を書こうと努めてみたが鳥肌が立って書けなかった”と告白したそうです。
やはりなあ……と、私は思ったものです。
私も「民主文学」なる、その手の文芸誌を買って小説を読んだことがあるのですが、作文を読まされて
いるような感じしか受けませんでした。小説としての器が小さいという気がしたものです。労働運動や
組合の意識向上のための葛藤やら戦いの小説タッチの記録とでもいいたいようなもので、ため息ばかり
出てしまうのでした。
じゃ、自分はどんな小説を書いているのか……といえば、私自身は相変わらず例の小説に取り組んでいて、
と言いたいところですが、実情は小説を書く緊張から逃げるために実存主義を勉強したり、詩作に耽ったり、
競馬必勝法作りに時間を潰していたのでした。当然Sや栗本君たちとの付合いも多く、二週に一度は土曜に
会って飲み、誰かのアパートに泊まるということを繰り返していました。
781名無し物書き@推敲中?:2008/05/05(月) 15:39:46
(その192)
入党したらこういう楽しみもなくなって活動に精を出し、思想に感化されてプロレタリア小説の筋などを
考えるのかと思うと憂鬱になり、現金なもので急に時間が惜しくもなり、早くあの小説を書き上げないと、
などと焦り出してしまう始末なのでした。
一方でまた私はその頃組合の推奨する「人生案内」という古いソビエト映画を労働会館に観に行ってかなり
感銘を受けており、あの映画の主人公のように共産主義活動の一端を担いたいという憧れもないではなかった
のです。歌の入る、大変躍動的な映画で、ユーモアもふんだんにあり、しびれるような“カッコいい主人公”
の姿も忘れられず、私にとっては生涯の名作です。

「ソビエト共和国に浮浪児がいてはならぬ。若くて、はつらつとした幸福な市民に育てねばならぬ」

国家のその意思の下、1923年、十月革命後に街に溢れる何万もの孤児たちを片っ端から集め、工場で新たな
ルールを用いて子供たちに勤労の喜びを教えるという内容ですが、主人公の一人の愛すべき男児が最後には
殺される話になっています。殺す側が明らかに「資本社会のもたらす悪」であることが反映されており、私
たちに内在する正義の心を刺激します。

そんなこんなと色々迷い、悩みながらも、入党を持ち掛けられた日以降、森中、高元両氏から特に何も言って
こないことをいいことに、私はこのままあの話がお流れになってしまえばいいのだがという淡い期待を抱いて
いたのでした。
そこへ突然、故郷から私に縁談が持ち上がったのです。
驚いたことに、その相手というのは私の高校一年時のクラスメートなのでした。
782おーやぶ:2008/05/06(火) 14:59:36
もしや!?
783名無し物書き@推敲中?:2008/05/08(木) 17:44:10
つまんええから止めろ
784名無し物書き@推敲中?:2008/05/16(金) 20:37:28
やっと追い付いた。   おもしろかった。途中でやめたりしないで完結させてほしい。応援してるよ。
785名無し物書き@推敲中?:2008/05/17(土) 10:09:32
以前、精神科医の春日武彦先生から統合失調症の前駆症状は「こだわり・プライド・被害者意識」と教えていただいたことがある。

「オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ」というようなことを口走り、
「なめんじゃねーぞ、コノヤロ」とすぐに青筋を立て、「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型で
しかものごとを論じられない人は、ご本人はそれを「個性」だと思っているのであろうが、実は「よくある病気」なのである。

統合失調症の特徴はその「定型性」にある。

「妄想」という漢語の印象から、私たちはそれを「想念が支離滅裂に乱れる」状態だと思いがちであるが、
実はそうではなくて、「妄想」が病的であるのは、「あまりに型にはまっている」からである。

健全な想念は適度に揺らいで、あちこちにふらふらするが、病的な想念は一点に固着して動かない。
その可動域の狭さが妄想の特徴なのである。

病とはある状態に「居着く」ことである。
「こだわる」というのは文字通り「居着く」ことである。
「プライドを持つ」というのも、「理想我」に居着くことである。
「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである。
「強大な何か」によって私は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、「自分らしくあること」を許されていない、
という文型で自分の現状を一度説明してしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。
----
ttp://blog.tatsuru.com/2008/05/13_1156.php
786名無し物書き@推敲中?:2008/05/18(日) 12:15:34
>>784

>>1です。
励ましの言葉、ありがとうございます。
過去に向き合うのって、とてつらい時がありますよね。
特に文章を書いていますと、感情がそのまま当時のなかに入っていってしまい、
悔しかったり悲しかったりで、もう書くのやめようと思うことがあります。
それにしても、こんな私ごとき一個人の回想に応援までいただいて、本当に
救われる気がします。
もう二年半以上経過しましたが、何とか完結を目標に今後とも書き続けようと
思います。
読んでいただいている方には、いつも、どなたにも心から感謝しております。
787名無し物書き@推敲中?:2008/05/18(日) 12:48:24
応援してるぞ!
788名無し物書き@推敲中?:2008/05/18(日) 12:52:22
(その193)
養鶏場を破産させた一人息子である親戚の話は何度か述べたと思いますが、彼は浮気して離婚した後に、
その浮気相手と再婚しました。二番目のその奥さんはなかなかの社公家で、私たち兄弟もすぐに「〇〇
おばさん」と呼んで親しく接していました。縁談は彼女が持ち込んだもので、縁談の相手が私と同じ
高校の卒業生ということは知っていても、まさかクラスメートであったことまでは知らなかったのです。
最初に母親から縁談相手の名前を知らされた時、私は相当に驚いたものでした。その旨を告げると、母も
また「はあ?」と呆気に取られた様子でしたが、お互いにこれは何やら運命的だねえと話したものでした。
実は両親は私が郵便局の職に就いた時から、これはもう絶対辞めさせられない、ぜがひでも早いうちに嫁を
持たせて安定させたいという感情というか、欲が働き、あちこちに縁談の依頼をしていたのでした。当然
ながらそれほどに私は信用されておらず、いつまたフラフラしだすかと心配の種だったわけです。
さて、縁談の相手であるクラスメートはKMといいました。
上京後のことになりますが、KMについては私はよく高一のクラスの集合写真を見ては目を止めていたもの
です。非常に優しそうな、母性的な雰囲気に写っているのです。YやMTとはまた違った美しさ、可愛らしさ
がありました。
入学して初めて席替えするまでの間、席順は男女が交互に名簿順に座っていましたが、私は後ろから二番目、
そして私のすぐ後ろが彼女でした。
ふさふさした黒い髪に、ふっくらとした白い頬、そして眼の大きな可愛い少女で、背後でよくハミングする
声が聞こえていたのを覚えていました。
789名無し物書き@推敲中?:2008/05/18(日) 13:29:50
(その194)
入学直後の実力試験の成績表をまだ私は記念に保管しているのですが、彼女は28番、私はちょうど60番
でした。あまり無駄口をたたかない少女という感じでしたが、動作は溌剌としていたような記憶があります。
しかし、私は同じクラスであった時のみならず、卒業するまで彼女と会話したことは一度もなく、彼女の
存在を気にしたこともほとんどありませんでした。
多分、高三の時だと思いますが、一度だけ彼女が私のクラスに入ってきたことがあります。この時、彼女は
二本のおさげ髪にしていて、随分印象が変わっていたのを覚えています。溌剌という一年時の印象が、すごく
柔らかな、優しい感じになっていました。
しかし入学した最初の一年はともかく私には暗く、とてつもなく憂鬱な思い出しかないのです。K高ガールズ
と呼んで女生徒を軽蔑していたことは以前お話ししましたが、彼女に対してもK高ガールズの一人ぐらいに
しか思っていなかったはずです。
高校に入学するや、私は突然の病のように無口になり、中学から仲の良かったN以外の人間とはほとんど会話
らしい会話を交わしたことはありませんでした。それにはひとつ、大きな原因もあったのです。
私が母親の勝手で村の中学からK市内の中学に越境入学させられ、それが元となって大勢いた小学校の友だち
とそれっきり疎遠となってしまったことは既に述べた通りですが、高校にはその小学校で一緒だった、かつて
の友人、知人と再会することになりました。私にはこれが嫌で嫌でなりませんでした。村を棄てた“裏切り者“
という感覚がいつも私には巣食っており、そのことがいつも重く私を苦しめていたのです。
790名無し物書き@推敲中?:2008/05/29(木) 21:26:46
ほしゅ
791名無し物書き@推敲中?:2008/05/30(金) 11:42:41
(その195)
私がK高に進学して最初に感じた重圧は入学直後に行なわれた地区会でした。
地区会は中学時代にもさんざん悩まされたものです。越境入学でしたから、私の地区は現実にはない
わけで、仮の住所であるM町の教室に行くのですが、そこで「あんた、誰?」という扱いをされた
ことは前に述べました。いつも隅っこにひっそりとしていたものですが、それでもそのうちには同級の
知人もでき、また元来私は幼い明るさを兼ねてもいる子供でしたから、なんとか乗り切れたのです。
しかし、高校の地区会は現実の私の地区でありながら一層恐ろしいものでした。
本来私が進むべきだったT中学校は四校の小学校の卒業生が入学するもので、私はS小学校を卒業して
いました。地区会は当然ながらT中学校の卒業生ばかりが集まるのですが、私は私が“裏切った”S小
の人間以外の顔は全く知らず、けれども私の父親はT村では著名な獣医であり、姉もT中の卒業生でした
から、その弟ということで向こうからは私の名前は知られていたのです。
「嫌ならば拒否する」という信念、実は逃避に近い信条もまだ入学したての頃にはなく、私は嫌々地区会
に足を運んだのでした。
思い出したくも考えたくもない記憶ですが、一歩私の地区の教室に足を踏み入れた途端、周囲の視線が
私に集中し、私はたまらず教室を飛び出したのです。すると目の前に小学校の頃「マサヨ」と呼び捨てに
していた女の子がおり、その後ろには「ヒデコ」と呼んだ女の子が控えていました。
私は表現しようのない苦しみ、窒息しそうな感情を覚えながら廊下に逃げたのです。
「ヒデコ」は小学校の頃にはクラスで一番か二番目に背の高い、勉強の出来る少女でしたが、三年ぶりに
会った今はかなり背が低い方で、唖然としたことを覚えています。小学校からの成長がなかったのでしょう。
このような再会自体が、私には異様で、不愉快以外のなにものでもなく、ただただ混乱するばかりでした。
792名無し物書き@推敲中?:2008/06/03(火) 11:56:47
(その196)
クラスにもT中学校の男女の生徒が数人一緒でしたが、幸いS小の出身者はおらず、これだけは本当に
救いでした。しかし、私を致命的に追い詰めた行事があったのです。それは一種の防災訓練で、夜間に
校舎が火災になった時に取る体制指導というもので、全生徒が地区ごとにグラウンドに集められました。
グラウンドに遅く出向くと、地区ごとの長い行列が出来ていて、そのうるさい喋り声と笑い声が私には
まるで虐待のような喧騒に感じ取られたものでした。私は思考能力すら失わんばかりの緊張と嫌悪感
いっぱいでT地区の最後尾を目指したのですが、二、三十メートル前まで近付いたところが限界で、
そこからまた後戻りを始めたのでした。そうして私が向かった先は、中学時代に籍のあったM町地区で、
そこはNの住むD町とも同じ地区となっていたのです。実際は部外者である私でしたが、同じ中学出身
者ばかりで誰も私を異端者とは思わず、Nの顔を見ると一気に命を吹き返したような気がしました。
K高の校舎に火災が発生し、その消火活動に協力するとなれば、当然その中心は市内の生徒に限られる
わけで、担当教師の説明が終わると他の地区はすぐに解散となり、市内の、それも最もK高の周辺に
住む生徒だけが残されることとなりました。私が紛れ込んでいた地区はまさにK高の膝元でしたから、
ここの生徒たちは本格的な指導を受けることとなり、担当教師の大きな声で集められました。この時は
この時で、私はまたも行き場を失い、そっとその場から離れたのです。背後から「おい!」とか、
「何だよ!」「汚いぞ!」といった批難口調の声が襲い掛かりましたが、私は現実に部外者であって、
残るわけにもいかなかったのです。不覚にも涙が溢れ、私は荒んだ気分になっていきました。
「何だよ!」
793名無し物書き@推敲中?:2008/06/04(水) 03:22:58
「ナンだよ」
794名無し物書き@推敲中?:2008/06/04(水) 06:45:45
浪人中に本格的に太宰にはまった。
795名無し物書き@推敲中?:2008/06/07(土) 06:30:19
そんくらいで泣くなよ
796名無し物書き@推敲中?:2008/06/07(土) 11:59:02
(その197)
これ以降、私はN以外の人間と会話することが出来なくなり、というより私は会話も交際も一切拒み、
どんな地区会もせせら笑って参加せず、ひたすら自分の殻に閉じこもってしまったのです。
ある日の下校中、後ろから「〇〇さん」と私を呼ぶ女子の声がしたかと思うと、K高の小柄な女生徒が
すぐ私の横に並びました。
「〇〇さん、私を覚えてます?」
咄嗟のことで名前は浮かびませんでしたが、その少女の顔はハッキリ記憶にあるものでした。私は小学
校も二度転校しており、その子は私が親戚の養鶏場の隣に住んでいた頃に通っていたF小学校で同じ
クラスにいた子でした。
しかし、私は一言「知らない」と突き放したのです。
「そうですか」と寂しそうに言ってその女子は私から離れていきました。
その瞬間私はその子の名前を思い出したのですが、どうでもいいやと思ったのでした。
今思えば、何と冷たい態度だったかと後悔するばかりですが、不運な環境の上に不幸な、不器用な性格
が出現して、どうにもまともな行動の取り方が分からないのでした。
相当暗い、陰気な生徒であったはずです。しかし、私は自らそういう生徒の立場を選ぶことで煩わしい
かつての友人、知人たちが近寄って来ることを防いでいたようにも思うのです。常軌を逸するほどの自
意識過剰ぶりでしたが、本当に彼らにほんの僅かな懐かしさをも感じなかったのは本当なのです。
この頃にヘッセを読んだのは全く偶然のことで、殊に「車輪の下」は激しく私の心を揺らし、生活や
将来設計に大きな影響を与えたと思います。太宰に惹かれて大学への登校を中断したのと同じような
熱の入れ方でしたが、まだ随分幼かった分、太宰以上に私はヘッセの魂に取り付かれていた気がします。
一学期からさかんに私は詩作を始め、おかげで孤独や苦しみから息抜きできたのですが、これもヘッセの
影響でしたでしょうし、秋の終わりに退学を決意して家出したのは完全にヘッセの存在なしにはあり得な
かった行為だったのです。

797名無し物書き@推敲中?:2008/06/07(土) 15:28:26
大宰って自殺だと思う?
798名無し物書き@推敲中?:2008/06/09(月) 19:54:36
自殺ではない
谷口らしいと,みんな言う
799名無し物書き@推敲中?:2008/06/10(火) 21:02:13
谷口って誰?
800名無し物書き@推敲中?:2008/06/10(火) 21:24:44
キャプテンの谷口では?
墨中の。
801名無し物書き@推敲中?:2008/06/11(水) 08:23:51
うお、もう800なのか
1スレ内で終わるの?>>1
802名無し物書き@推敲中?:2008/06/15(日) 17:01:21
おれたちが書き込まなきゃまだ200頁くらいあるぜ
803名無し物書き@推敲中?:2008/06/15(日) 19:41:51
まだまだ
>>1はあとこれの2.3倍くらいは書くだろうさ
804名無し物書き@推敲中?:2008/06/22(日) 19:08:53
まだ終わらんよ
805名無し物書き@推敲中?:2008/06/23(月) 13:19:29
(その198)
まだ高校一年のことで、小説家になろうなどと考えたことはただの一度もなかったのですが、怠け暮らした
夏休みも残り二日となってしまった日の朝、突然の閃きで私は小説を書こうと思い立ったのです。思い立った
というより、正確には書かねばならないという熱い気持ちが生まれていたのです。一学期の終わり、図書室で
何気なく手にしたある高校生向け教育雑誌が文学賞を主催しており、小説の募集をしているのを私は知ったの
ですが、応募しようと考えたことはなく、以後その日まで全く頭になかったことだけに我ながら不思議な話です。
鉛筆を手に原稿用紙に向かった途端、ストーリーさえ練っていないのにスラスラと物語は進んでいきました。
もっとも、小説のようなものをそれまで書いたことが全然なかったかといえばそうでもなく、中学三年の時
「罪と罰」を読んだ後に、多分その影響で「仲間」と称するタイトルで便箋に10枚ぐらいの幼稚な物語を書いた
ことはあったので、書く欲求のようなものは常に潜在していたのでしょう。
小説は学校からもクラスからも孤立した反抗的な少年の話で、これが入選し別冊付録に他の入選作と一緒に
まとめられて発表されました。写真入りでもあり、私は多くの生徒から注目を集めることとなり、町中では
女子高校の生徒から声を掛けられたりもしました。
ある日の通学途中のバス内では、直接の担任ではなかった国語教師が隣に座り、「こんな感じの田舎の高校で
小説を発表する生徒がいるなんて珍しいし、こういうことで高校名が掲載されるのも有り難いことなんだ」と
話しかけてきました。相当後にこの教師はK高校の校長になりました。
「車輪の下」で始まった私のヘッセ熱は、この頃「デミアン」に接してからなお深刻になり、寝ても覚めても
「内面への道」であるとか、「内面のあらし」というヘッセ文学のキーワードの部分に酔いしれているのでした。
806名無し物書き@推敲中?:2008/06/26(木) 17:33:10
(その199)
「私は、自分の中からひとりで出て来ようとしたところのものを生きて見ようと欲したに過ぎない。
なぜそれがそんなに困難だったのか」

「デミアン」はこの序文から始まります。まさに小説の核心を表明する文章なのですが、第五章の
「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う」のタイトルともども私は何百回この言葉を口にしたことだった
でしょうか。また、序文の後にはしがきがあって、これを私は完璧に暗記し、折々に独り言葉にしては
ゾクゾクする生命の躍動のようなものを感じていたのです。そして鬱陶しい毎日のなか、私は常に
放浪の夢を見、大都会に出て、どこか誰にも知られぬ場所で職工にでもなって詩や小説を書きながら
暮らしたいと思うのでした。職工というのはヘッセがほんの一時期ですが現実に就いた職業でしたから、
全くそのままに影響を受けていたのです。もっとも、私の伯父に長い放浪の末に神主になったのや、家出
して北海道に流れ、函館で病死した近親もいますので、元々私の血も放浪系なのかもしれません。一方で
父方は堅実な教育系で、教職に就いた者が数多くおり、事実私自身の性格もそれまではどちらかといえば
「車輪の下」の主人公である模範少年に近かったのです。この二つの極端な性質はいまだに私自身にも
予測のつかない行動を促すことがあるぐらい強烈で、思えば二つに引き裂かれる不安定な精神がスタート
したのが高校一年の時だったということなのでしょう。
さて、「車輪の下」の主人公ハンスに大きな影響を与える不良の友人へルマンや、さらにまた「デミアン」
でそのヘルマンと似たような脱線をする主人公エーミル・シンクレールにかぶれたように私も二学期からは
気にいらない教科の勉強はせず、よく数学教師と衝突したのです。この数学教師は教頭で、彼こそ進学熱を
煽る第一人者で私は毛嫌いしていました。数学教師と私のやりとりはクラスの連中には大変愉快だったようで、
私がわざと大声で答えたり、あるいは宿題を白紙答案で提出したりすると大喜びして笑っていたものです。
807名無し物書き@推敲中?:2008/06/26(木) 18:05:52
(その200)
昼食後の5時限目の授業中に登校したことがあります。黒板に向かっていた彼が再び生徒の方に向き直ると、
欠席扱いになっていた私が突然席にいたものですからギョッとしてしばし周章というありさまでした。周囲の
生徒たちは必死に笑いをこらえていました。
K高校は当時進学校で、県内でも有数の進学率と国立や有名私大の合格者数を誇っていました。教師はひたすら
詰め込み授業と宿題づけで生徒を縛り付けていましたが、この田舎の生徒たちは寡黙な羊の集団で愚痴ひとつ
言わずそれをこなしていたのです。殊に女生徒たちの従順さと生真面目さは驚くべきで、私はいつもコイツらは
他にすることないのか、感情は生きてるのか、本当に軽蔑すべき田舎娘どもだなと見下していました。
私の成績は当然下がり続け、虚しい、息苦しい日々の果て、ついに私は高校中退を決意したのでした。
直接のきっかけは土曜の体育の授業が終わって教室に戻ったところ、黒板の中央にくだんの数学教師の大きな
文字で「〇〇、放課後来られたし」と書かれているのを見たことでした。実はこの日、親にも学校から呼び出しが
かかっていたのでした。
夜、父親は私の顔を見るなり「学校が嫌ならやめろ!」と叱りつけたのですが、私が「やめるつもりだよ。来週
退学届けを出す」と悠然と答えたものですからその後二の句が継げない状態となりました。
月曜日に登校すると、二時限目の始まる前に机の中の一切を整理し下校の準備を始めました。会話するほどのクラス
メートはいなかったのですが、ひとりだけ「帰るの?」と声をかけた者がいました。隣のクラスからNが心配して、
それこそ校門まで追いかけてきたことを昨日のことのように覚えています。
途中、公衆電話から担任を呼び出し「退学します」と伝えました。
「退学しますって、そんなことひとりで決められるもんじゃないだろ!」
いつもは優しい担任もさすがに声を大きくしていました。
808名無し物書き@推敲中?:2008/06/27(金) 15:13:18
なんだ1の創作を読むスレか。太宰読んで人生棒に振ったやつが集まるスレかと思った。いるだろそういうやつ沢山。
809名無し物書き@推敲中?:2008/07/01(火) 22:06:17
主〜待ってます!
810名無し物書き@推敲中?:2008/07/05(土) 11:12:23
(その201)
こんなご時世で、都会では犯罪に巻き込まれる家出少女のニュースが絶えません。いつも胸が痛みます。
家出の事情は個々に違うのでしょうが、彼女たちはまだまだ本当に世間知らずな子供でしかないはずで、
勇敢な意志のように思えても、実はただの軽はずみ、忍耐力の欠如でしかないのです。
私の家出も、どこか彼女たちの気持ちに通底するところがあったかもしれません。
もっとも、彼女たちの大胆さに比べれば、地味な田舎の、地味な家出で、ただひたすら憂鬱な、暗い、
つらい思い出となっています。この行動には希望や理想が何も伴っていなかったからです。
担任に「退学します」と伝えて帰宅したものの、無論それだけで退学が決定するものとは考えていません
でした。私はまず両親から私のことを諦めてほしい、どうか説得しないでほしいと願うのでしたが、そう
簡単にやめさせてくれないことは分かりきったことで、夜が近付くにつれ両親と深刻な話になりそうなのが
億劫になり、唐突に家を出ようと決めたのです。
そして箪笥の引き出しからお金を抜き取り、月曜の夜から土曜までの間、私は外をほっつき歩くことと
なったのです。現在の都会のようにコンビニが点在しているわけでも、深夜営業の店があるわけでも、にぎ
やかなゲームセンターがあるわけでもなく、せいぜいK市の繁華街といえば温泉街がある程度でしたが、
それとて高校一年が夜中にうろつく場所ではなく、全く心細い限りでした。
最初の夜はK市の電車の始発駅ベンチで横になって眠りました。単線の小さな駅で、方々をあてもなく
さまよった後に辿り着いたもので、すっかり物音も消えたような夜中の11時半頃だったと記憶します。
811名無し物書き@推敲中?:2008/07/05(土) 11:49:05
(その202)
秋も深まってかなり寒くなっており、用意していたジャンパーひとつでは間に合わなかったのですが、
それでもうとうとしながら夜を明かしました。実は宿直の駅員は私の存在に気付いていて、今夜だけでも
泊まっていけと言ってくれないかなどと夢想したのですが、声ひとつ掛けてくることはありませんでした。
怖かったのは夜明け近くに突然犬が三匹ベンチまで走り寄ってきたことです。周辺にドドド……と犬の
戯れる足音がしたかと思った瞬間、耳元でハアハアハアと犬の息が聞こえたのです。大きい犬が真横で
私を観察するかのように張り付き、やがてまたふいにドドド……と駆け出していきました。私は薄目で
ハッキリと三匹の犬を確認しました。この頃にはまだ放し飼いの犬が普通にいたのです。
すっかり夜が明け、私は特にこれという意思もなく駅の前に突っ立っていました。すると真ん前の道路を
朝練にでも行くのか私のクラスメートが私と一度視線を合わせて通り過ぎました。私たちは挨拶を交わす
でもなく、無関心を装ったのですが、嫌な気分でした。
昼間、誰もいないことを確かめた上で私は一度家に戻ってセーター、その他をナップザックに詰め、自転車
でK市内に向かい、R川やT川の辺で日を浴びながら寝そべっていました。夜に備えてたっぷりと睡眠を
取っておく必要があったのですが、ただ夜が来てどこで寝るのかが悩みの種でした。
目をつけたのは人家から遠く離れたR川近くの畑で、そこらじゅうに稲刈り後の藁積みが出来ていたのです。
寒くなったらあれに紛れ込もうという算段で、事実私は藁積みを倒してもぐり込んで眠ったのでした。それでも
しばしば真夜中に目が覚め、寒さを吹き飛ばそうと畦道を走ったりもしました。身体が温まると、しばらくの間
無心に青い夜空を見上げたものでした。
812名無し物書き@推敲中?:2008/07/09(水) 10:39:47
(その203)
藁積みされた田で二晩を過ごし、また別の二晩はR川沿いにある小さな神社で過ごしました。中学時代、近くに
住んでいた友人と一緒にこの神社の拝殿に上がって漫画を読んだり、昼寝したりしていて馴染みがあったのです。
薄暗い森に囲まれた、かなり粗末に見える神社でしたが、案外歴史的には名が通っているらしく、今は社殿が
新築されたと聞いています。ここからさほど離れてない距離に道路があり、森閑とした夜中に時々車の通る音が
耳に入ってき、しみじみ孤絶の身を覚えるのでしたが、不思議なくらい寂しさや悲しさの想いはなかったのです。
ただ冷え冷えとする板張りの上ではなかなか寝付けませんでした。
そんなこんなで五日目にもなるとさすがにくたびれ果て、私はお昼過ぎにひっそりと誰もいない自宅に戻りました。
炬燵が出ていましたから、ちょうどあの時期に一気に冷え込んだのでしょう。
炬燵にもぐり込んで眠りこけていると、玄関の開く音がし、「誰かいるー?」言う声が聞こえました。養鶏場を
破産させた例の一人息子でした。私たち兄弟は、彼を〇〇おじちゃんと呼んでいたのですが、実は従兄なのです。
母と伯母の年齢差が二十以上もあって、私の母にとっては甥にあたるのですが、面白いことに甥の方が歳は一つ
上なのでした。国立大学の農学部を出ながら絵描きの修行をしたり、またしばらくは私の父の見習いのようなことを
している時期もあったようです。柔道もやっていたという大柄な体躯で、話す時の身振り手振りや、姿、格好が渥美
清によく似ていて、とても親しみやすい人間でした。彼はのしのしと音を立てて居間にやってき、炬燵に入ると二度
私の名を呼びましたが、私が返事もせず寝たままでいると彼もまた横になり、おおよそ30分ほど経った時でしょうか、
フラリと出ていきました。
これはまずいと感じた私はすぐにまた家の裏に隠しておいた自転車に乗ってK市内に逃走したのです。
813名無し物書き@推敲中?:2008/07/09(水) 12:19:53
この板はゴミためだけど
>>1には才能あるよ
頑張って
814名無し物書き@推敲中?:2008/07/12(土) 01:00:19
815名無し物書き@推敲中?:2008/07/15(火) 21:42:09
保守
816名無し物書き@推敲中?:2008/07/16(水) 10:35:30
817名無し物書き@推敲中?:2008/07/19(土) 12:07:39
(その204)
翌日土曜日の午後、私はNを訪ねました。
N家は零細なお菓子問屋で、Nを訪ねる時は必ず裏庭に回り、一度声を掛けてから彼の部屋のある二階へ
階段を上ったものです。返事があってもなくても私だけは勝手に靴を脱いで上がることを許されていました。
この日はNがすぐに階段の上に顔を出し、嬉しそうな、心配そうな複雑な表情で私を見つめていました。
そして部屋に迎え入れるなり、「君のオヤジさんが二度もうちに探しに来たみたいだぞ」と言ったのです。
一瞬、私はいつも忙しくしている父親の顔を思い浮かべ、強い同情を抱いたのでした。しかし、孤独から急に
解放されたせいだったのでしょう、私は快活に自分の行動を披露し、はしゃぎ、笑い続けたのです。
「君はちっとも悩んでいない」とNは言うのでしたが、私はいくら悩みを抱え込んでいようと、人と共にいる
時は逆に快活になることの方が多いのです。
夕食の時間になってNが一階に下りていくと、彼と交代するかのように長女のM子さんが私の夕食のお膳を
持って現れ、「〇〇君、あんまり両親に心配かけちゃダメよ」と一言言い残していきました。
翌日もお昼近くまで私ははしゃいでいたような気がします。傍目にはNも言う通り、私は全く悩みのかけらも
ない健康的な少年にしか見えなかったでしょうが、その内面は進むべき道の見えない暗がりに立ち往生して
凍えている子供だったのです。
家出を敢行したものの、結局は衝動的な決意に因るものでしたからこれという成果もなく、私はしょんぼり
帰途についたのです。
818名無し物書き@推敲中?:2008/07/19(土) 12:52:47
(その205)
夜には〇〇おじさんもやってき、両親と私と四人の話し合いになりましたが、私は家に戻った時点で既に
高校への復帰を決めていたと思います。家出の六日間で疲れ果て、自分の子供っぽさ、非力を思い知った
ということが一番の理由だった気がします。
一週間ぶりに登校すると、朝のホームルームで担任が満面に笑みを浮かべ、生徒たちの前で、「僕は今日は
嬉しいんです。本当に嬉しいんです」と大喜びしていた姿を今も忘れることができません。
地理の教師だった彼がこの後学年主任と一緒に校長室に私を連れていき、校長から私に色々なアドバイスが
あったことは既に以前書いた通りです。
この挫折しかかった少年は、その後旺文社主催、文部省後援の全国学芸コンクール小説部門に入賞し、
旺文社の受験雑誌にまたも写真入りで登場します。
そして体育館で行なわれた三学期の終業式では、一、二年全生徒の拍手を浴びながら校長から表彰状を
授与されたのです。校長の満足した、何かを訴えている力強い眼差しを私はハッキリ認識したものでした。

……と、こう書いてしまえば、いかにも一度は躓いた少年が逞しく立ち直り、周囲の期待に見事応えた
かのような「めでたし、めでたし」のお話ですが、内実は全くそうではなく、二年の秋にあのYが現れ
なかったら、一体私はどういう惨めな道に入り込んでいたか、本当に危うい時代だったのです。
819名無し物書き@推敲中?:2008/07/27(日) 16:46:52
続きwktk
820名無し物書き@推敲中?:2008/07/31(木) 23:20:52
続きwktk
821名無し物書き@推敲中?:2008/08/02(土) 11:31:07
(その206)
高一の最後の朝のホームルームでは担任から生徒の欠席日数が読み上げられました。
病気したわけでもないのに私だけが21日と突出しており、クラスメートたちからは大笑いされたものですが、
終業式後の本当に最後のホームルームでは担任から改めて「〇〇、おめでとう」と表彰の祝福を受けたのです。
祝福されたり、咎められたり(Nによれば私は問題児だったのです)、無断欠席常習の一年だったのですが、
私には本当に暗い季節でした。
縁談相手であるKMはこういう私を一体どう見ていたのだろう? 彼女の目に、もしNも言った通りの問題児
として映っていたのなら断られるかもしれないという不安を消すことは出来ませんでした。
ところが12月の初めに朗報が入ったのです。
彼女も会いたいと応じたというのでした。
KMは現在横浜の某大学病院に看護士(当時は看護婦と呼んでいました)として勤務しており、寮住まいとの
ことでした。夜勤や、土日出勤もあるためすぐには会えないが、中旬の日曜に公休があると、彼女の寮の電話番号
と共に伝えられ、後は二人で話を進めなさいということになったのです。
私はKMの写真を何度も何度も繰り返し眺め、これこそ運命だなどと狂喜したのでした。
縁談の報告をしながら私はクラス集合写真と卒業アルバムのKMを栗本君に見せました。
「YとMTに次いで三番目に奇麗だよね、ベスト3だ」と私が言うと、栗本君は「何言ってんだよ、トップだよ、
トップ!」と興奮のあまり睨みつけるような眼差しで私を凝視したものでした。
さて、私にはまずは彼女に電話するという大変重要な務めが待っていたのです。
嬉しくはあるが、全く身体が動かないとでもいいたい凄まじい緊張のなか、夜、日を置いて二度寮に電話したので
すが、二度とも管理人は「KMさんは、今夜は夜勤ですね」とつれなく答えるのみでした。
822名無し物書き@推敲中?:2008/08/02(土) 12:17:32
きたあああああああ
823名無し物書き@推敲中?:2008/08/08(金) 20:36:42
スレタイに反して結構上手くいってるのか?
なんにしても面白くなってまいりました
824名無し物書き@推敲中?:2008/08/10(日) 13:59:54
(その207)
強く心に想う女性への電話は怖いものです。殊に私はあの春の日のYとのやりとりで大打撃を受けていました
から、また何か悪い条件でも生まれて拒否されるのではないかなどといった根拠のない不安に怯えたのでした。
しかし、電話に出たKMはそういう不安を完璧に払拭してくれたのです。
「もしもしィー」
今思い出しても、何と優しい応対、優しい言葉、口調だったことでしょう!
私の緊張は一遍に解きほぐされたのでした。写真で見、感じていた通りの平安な雰囲気を持っていました。
彼女が東京は全く分からないということで、私たちは日曜日に横浜の石川町駅で11時に待ち合わせすることと
したのです。
当日、私は背広を着て横浜に向かい、待ち合わせ時刻より15分ほど早く石川町駅に着きました。何度も深呼吸
しながら、もしやKMは先に来てはいないかと狭いぐらいの駅構内を見回しながら、随分年月も経っているから
お互いに相手が分からなくなってはいないだろうか……などと妙な心配すら覚えたのでした。
「お、あれがそうじゃないか? いや、彼女はもっと上背があったはずだ」
「あ、あの人はこっちを見てるぞ、彼女か? いや違う、何だ、全然似てねえ」
「ああ、あれは? あ、ソッポ向いた、違うな」
私がキョロキョロ、ソワソワしながら何度も同じ女性を見るものですから、ある女性などは次第に自分に何か
用があるのではないかみたいな顔付きに変わっていき、逆に私を強く見つめたりするのでした。
そこへトットットッと階段を駆け上がる音がしたかと思うと、すぐにKMが姿を見せたのです。
「すみません、遅れちゃってー」
ああ、彼女だ、KMだ!
私たちはお互いにひと目で難なく確認し合い、ごく自然な感じで肩を並べながら元町の商店街を歩き始めたの
です。とてもこれが初めてのデートとは思えないほどに、本当に私たちは落ち着いていました。
あるビルの前に来ると、KMは「ここ、ファッションショップなんですけど、中に喫茶店があるんです」と
言って先に入っていきました。確かにファッションの店なのですが、この小さな一角に非常にしゃれた喫茶店
があり、中からは通りを行き交う人々が明るい窓ガラス越しに見えるのでした。
825名無し物書き@推敲中?:2008/08/10(日) 17:02:14
いつも楽しみにしてます!
スレタイと内容関係ないじゃん
なんでこのスレタイにしたんだよ
827名無し物書き@推敲中?:2008/08/16(土) 23:56:07
どんだけ早漏なの?
828名無し物書き@推敲中?:2008/08/17(日) 00:43:14
太宰って厨房に鼻で笑われるだけの存在だよなwww
829名無し物書き@推敲中?:2008/08/17(日) 15:55:42
どんだけ短絡的なの?
830名無し物書き@推敲中?:2008/08/18(月) 15:48:36
スレタイと内容関係ないじゃん
なんでこのスレタイにしたんだよ
831名無し物書き@推敲中?:2008/08/30(土) 11:24:10
(その208)
「高校卒業してだいぶ経ったから、KMさんは僕のこと分かるかなあと思ってた」
「私、名前聞いた時、すごく懐かしくて、写真何回も何回も見たから絶対自信ありました」
KMも自分と同じことしてたんだなあと、私は安心したのでした。同時に頭をよぎったのは、正直なところ
私という男にどんな印象を持っていたのかということでしたが、まあ、追々そのうち分かるだろうと思った
のでした。
小一時間、当たり障りのない会話を交わしたところで、彼女の方から中華街がすぐ近くだからそこで食事し
ませんかと誘ってきました。もちろん私は了承し、彼女に着いていきました。中華街に入ると、KMは「ん?
ん?」と言いながらあちこちお目当てらしい店を探していましたが、やがて「あ、あった!」と声を弾ませ
ました。二階建てだったと思いますが、小さな、地味な店でした。入口に一番近い席に着席すると、KMは
「私、同僚と一度ここに来たことがあるんです」と言いながらコートを脱いだのです。セーター姿になった
彼女の胸は「わっ!」と思うほど豊かに盛り上がっていて、その可愛らしい、優しい顔立ちとも重なり、元々
私が抱いていた母性的な印象をさらに深めたのでした。彼女は既に頭に決めていたらしい料理を言いつけま
した。料理の内容は忘れましたが、割合大きな皿に中華のコーンスープが付いていたことと、二人分のご飯が
入ったおひつが真ん中に置かれたことだけは鮮明に記憶しています。そのおひつから彼女が私のご飯をよそって
くれたのです。誰が見ても、仲のいい、微笑ましい恋人同士というところだったのではないでしょうか。
食事を終えると、KMは再び元町に引き返して外人墓地、港の見える丘公園から山下公園という有名な観光
コースへと私を案内したのです。よく晴れた、暖かな日曜日で、大勢の人たちが訪れていました。
山下公園に着いたあたりで、私は彼女に好きな歌手は誰かと尋ねました。
832名無し物書き@推敲中?:2008/08/30(土) 11:29:44
まさかの遭遇
833名無し物書き@推敲中?:2008/08/30(土) 12:01:09
>>1のは今時売れるわけのない小説(自伝?)だ。
知識人にすら共通の知識がなくなり、一般読者はなおさら内省など求めようとしない。

けど、それが残念すぎる。
今後は表現したい者の多くがナイフを持つようになるんだろうね。気軽で簡単な方法さ。

>>1さん、完結がんばって。若者にナイフを持たせないためにも。
834名無し物書き@推敲中?:2008/08/30(土) 12:06:41
(その209)
「ああ、私、井上陽水が好きなんです」
井上陽水かよ……。
当時、私は陽水が大嫌いでした。声といい、曲といい、その歌い方といい、寒気がするほど嫌いだったのですが、
KMが好きだと言う以上は、やはりそれだけ人を惹きつけるものがあるのだろうと真面目に考えたものです。
「ヨウスイって呼びますけど、本当は私と同じ読み名なんですよ」
KMは嬉しそうに言うのでした。
「そうなの? ね、何か歌ってよ」
KMは笑顔のまま黙って海を見つめていました。私もその横顔から視線を外すことなく彼女を見つめ続けたのです。
程なくしてKMは空を仰ぎ、「いやでーす」と恥ずかしそうに笑いながら言ったのでした。
今でも不思議に覚えているのは、私たちの近くでかなりの音声で競馬のパドック解説が流れていたことです。重賞
レースの解説で、知っている馬の名前を聞きながら、競馬もこんな嬉しいことに比較すればホントに虚しいもの
なんだなあと感じていました。今、場外馬券場にいるような気のするもう一人の自分を哀れむような感覚でした。
「〇〇さん、これから伊勢佐木町に行きませんか? 同僚たちが私の誕生日のお祝いをしてくれた素敵なお店がある
んです」
私は喜んで了承し、彼女に従ってタクシーに乗り込みました。
835名無し物書き@推敲中?:2008/08/30(土) 15:07:16
このスレ、まだあったのか。
836名無し物書き@推敲中?:2008/09/01(月) 18:16:49
スレタイと内容関係ないじゃん
なんでこのスレタイにしたんだよ
837名無し物書き@推敲中?:2008/09/01(月) 19:05:33
文才ありすぎです
次も期待
838名無し物書き@推敲中?:2008/09/02(火) 11:21:15
(その210)
KMが連れていってくれたのは若葉町にあった「ジョルジュサンク」という名の店で、今も私はこの時の
記念にと持ち帰った銀一色のデザインのマッチを所持しています。外観といい、広いホールや内装の豪華さ、
グランドピアノが置いてあったところからして、今思えばレストランだったのだろうと思います。記憶全体が
青味がかった色調に彩られているのは、照明のせいなのか、内装によるものなのかよく分かりません。何卓も
あるテーブルの一つを選んで着席すると、KMは私の背後の一角を指差し、「あそこで仲間が私の誕生日を
祝ってくれたんです」と言いました。振り返るとテーブルを詰めれば二十人以上は座れそうな場所が空いて
おり、彼女はそこに座りたがっているかにも見えたのですが、私は移動はしませんでした。
「あの日は先生や婦長さんも見えて、本当に嬉しかった。私のためにピアノ演奏まで用意してあったんですよ。
ほら、あのピアノ」
私は眩しげに大きな黒いグランドピアノを見やりました。
「でも、今日は演奏者、いないかもしれない。いつも弾いているわけじゃないみたいなんです」
医者や婦長も来て祝うのだから、やはり相当彼女の人柄の良さが認められているのだろうなあと、私は私自身の
中途半端な現状を思いながら彼女を羨ましく、また一方では自分の身の小ささを嘆きたくもなったのでした。
KMは東京でなく横浜に就職した理由は、東京は怖かったからと説明しました。
「大きくて、広くて、独りじゃ怖いなあってイメージがあるんです」
いかにもKMらしいなと思ったものです。
次に彼女が看護婦(当時の呼称)になった理由を聞いた時、私は彼女に以前から抱いていたある疑問をようやく
晴らすことが出来たのです。
839名無し物書き@推敲中?:2008/09/03(水) 11:35:02
>>1を必要以上に持ち上げるのもどうかと思うけど
わざわざここに来て文句言う奴も変だよなぁ
それこそ嫌いなら来なけりゃいいじゃねーか

まあ好きと嫌いは表裏一体だから仕方ないんだろうけど
840名無し物書き@推敲中?:2008/09/03(水) 18:05:40
っていうか3年がかりかよwwwワロタwww
841名無し物書き@推敲中?:2008/09/14(日) 20:04:57

         ,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、
       /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ    やぁ!みんな!
      /;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ~~~~`ヽ;;;;;;;;;;;;i
      !;;;;;;;;;;;;イ::. /~~~\ ヽ;;;ノ   ________________________________________________________________________________________
      ゝ;;;;;;;|:::: (●) ,(●) |シ /
      从从/: \  、_!  / ノ  | 平成の大横綱・貴乃花親方注意報!
       从从  i 'ー三-' i l   | >>850以降でスレチな書き込みする人は若乃花の自演であります!
        ノ从ヽ._!___!_/ < みなさんもご注意していただきたい!
                     | もし>>850以降にスレチな書き込みがあった場合、
                     | 何も言わずに私(この書き込み)に誘導していただきたい!
                     | ちなみに、>>850になるまでの書き込みに関しては何もシラネ
                     \_________________________________________________________________________________________
842名無し物書き@推敲中?:2008/09/14(日) 22:18:18
太宰なんぞを読んでしまって、貴重な時間を無駄にしたって話かと思った。ふつうはそうだから。
843名無し物書き@推敲中?:2008/09/17(水) 17:54:21
ここまで太宰治関係なし
844名無し物書き@推敲中?:2008/09/17(水) 18:01:44
>>843
よんでないだろw
845名無し物書き@推敲中?:2008/09/19(金) 11:17:11
(その211)
「高二の時、母が病気で亡くなって、その時に一所懸命母の面倒を見てくれる看護婦さんたちに毎日
接していて、私、本当に感謝したんです。私が看護婦になろうと決心したのは、これがきっかけです」
私はここで初めて彼女の母親が亡くなっていたことを知り、少し驚いたのでした。それにしてもこれも
また充分KMらしい意思だったと思います。
「父が忙しいので、私がほとんど付きっ切りで母の看病してたんです。夜の間もずっと母の側にいて、
母が異変を起こした時にはすぐ分かるようにと、私の手と母の手を紐で繫いで、少し動くとすぐ起きた
りで、毎日大変でした」
「でも、学校はどうしてたの?」
「あの一学期は本当にたまに親戚に任せて登校するぐらいで、ほとんど私休んでました。それで、先生
のアドバイスや、友人が私のために作ってくれたノート見ながら時間を見て勉強してました」
そうだったのか! と私は合点がいったのです。
一年の時、常に成績上位にいた彼女の名前は二年になってからは急に下がり、やがて一覧表の成績上位
者欄から名前が消えたのです。一覧表はテストの点数と合わせて大体上から100番前後までは生徒名を
印刷しており、それ以下になると名前欄は空白になり、点数だけが表示されていたのでした。彼女には
テストを受ける時間すらなかったのでしょう。
彼女は脳神経外科の所属でしたが、それは彼女の全く希望していなかったことで、最初は憂鬱でならな
かったが、今はすっかり慣れたと言い、こちらがゾッとするような手術の様子なども語ってくれました。
846名無し物書き@推敲中?:2008/09/19(金) 11:54:20
(その212)
では、私は何を語るべきだったでしょうか?
語るべき、何か誇らしいものが一つでもあったでしょうか?
KMの話をひたすら感心しながら聞いた後で、今の自分を、また今の自分に至る過程を、まともに打ち明ける
ことが可能だったでしょうか?
仕事でなく、他の話をするにしても、《太宰治や共産党じゃ誤解されるなあ》という諦めのようなものも
あって、結局彼女との共通認識があるだろうということで私は労働運動を熱く語ったのです。ぼんやりと
ながら白状しようと考えていた小説家志望という本音はひたすら秘密としたのでした。
《太宰治じゃ誤解される……》
島尾敏雄のある本の中にこんなエピソードが出てきて、今も強烈な印象を残しています。
それは彼の奥さんが精神的に不安な状況にある時、太宰治の小説を読み、「これは悪魔の小説だ!」と
泣き叫んで手にしていた本を放り投げたという話でした。小説の題名が書かれていないため、その悪魔的
小説を特定することは出来ないのですが、感覚としては全く分からないことではありませんでした。
大事な女性には太宰治を口に出来ない……それが青春時代の私の象徴でした。
芸妓との同棲…非合法活動…心中未遂と相手の死…酒…堕落…大学中退…自殺未遂…薬物中毒…脳病院…
借金……。
こんな作家に心酔、共鳴し、大学中退、ひたすら小説を書くことだけを望みながら一つとて書き上げること
はなく、二十代半ばになっても全然腰が座らず、今の職さえいつ放り捨てるか分からない、それなのに結婚を
考えている。
847名無し物書き@推敲中?:2008/10/10(金) 19:09:19
ほしゅ
848名無し物書き@推敲中?:2008/10/15(水) 17:23:56
需要ないね
849名無し物書き@推敲中?:2008/10/15(水) 22:23:14
いや、俺の中ではある
850名無し物書き@推敲中?:2008/10/18(土) 21:09:35
元気してますかー?
851名無し物書き@推敲中?:2008/10/19(日) 19:01:04
先生続き楽しみにしてます@京都
852名無し物書き@推敲中?:2008/10/22(水) 20:21:04
>>842
典型的な厨二で笑った
853名無し物書き@推敲中?:2008/10/22(水) 20:40:48
やっぱりみんな太宰治賞に応募してるの?
854名無し物書き@推敲中?:2008/10/26(日) 20:12:01
(その213)
私は自分が体験したアルバイトの数々を、それぞれの感想を加えながら話してきかせました。
KMは多分それらの話を学生としての私の体験として聞き、「すごーい。色んな経験してるんですね」と
感心したようにしばらくジッと私を見つめ、「あたしって、平凡なんですよー」と言ったのでした。
……それでも、いいですか? と訴えているようにも思えました。
競馬を話題にすると、彼女は「あ!」と声を上げ、「私の知ってる先生で、競馬で蔵建てたっていう方が
いらっしゃるんですよ」と言うのでした。彼女自身がそういう反応でしたから安心したものの、私もなぜ
あんな場で競馬の話などをしたのだろうと、今思えば不思議でなりませんが、おそらく寺山修司の大きな
影響があったのだろうと思います。単なる賭博として競馬を語るのではなく、競馬のその1レースに人生の
哀感を重ね合わせる寺山のエッセーもまた、太宰とは違う意味で反俗の喜びと、『人生は芝居だ』とする
アイロニーが何とも快く心に沁みていたからです。私に競馬や賭博に対する偏見は一切なく、ないどころか、
俗にいう『一発勝負』であるとか、『一発大逆転』とかいう言葉が震えるほど好きなのでした。
「毎年、1月5日が年明け競馬で、金杯というレースをやるんだよ。来年、行かない?」
KMは「あ、ああ、いいですね」と、いかにもお付合い的に頷くので、こりゃ、あまり気が乗らないんだなと
私もすぐに気弱になり、「でも、年明けすぐに競馬ってのもなあ」と呟いたのです。
855名無し物書き@推敲中?:2008/10/26(日) 20:56:38
するとすぐにKMは「正月早々競馬場になんか行きたくないでーす」と笑いながら正直に白状したので、
この話はたちまちのうちに消え去ったのです。
KMは一転、今度は真面目な顔付きになり、「私、鎌倉に行きたいんです。まだ一度も行ったことない
から。鎌倉に連れていってください」と言うのでした。
私はこの時からもう10年も経った頃に、急に「もしや?」とKMが希望した鎌倉行きの意味に思い当たった
ものです。高校二年の時に修学旅行があって、このコースに鎌倉が含まれていたのですが、それはちょうど
彼女が病院でずっと母親の看病をしている時期に当たっており、当然彼女は参加出来なかったのです。
そういう事情から、多分彼女には鎌倉に対して何らかの思い入れがあったのでしょう。
こうして私たちは新年にというのではなく、春になって、暖かくなったら一緒に鎌倉に行こうと約束したのでした。
「ジョルジュサンク」を出たのは7時頃だったと記憶します。
外はすっかり夜で、少し風の冷たい通りを私たちは関内駅に向かって歩いていました。私は背広にコートだったの
ですが、このコートがいかにも若向けでなく、われながら中年臭く思われて仕方なかったので、思わず私は「この
コート、なんか地味で、中年臭いよね?」と言ったのです。KMは私のコートなど全く気にもしておらず、「ん? 
コートって、あったかければ良かったんじゃないんですか? ん、違ったかな?」と答えたものでした。なぜか、
強く印象に残る帰り道の思い出です。
私たちは再会を約束して駅で別れました。
私は空いた電車の座席の中央にゆっくりと座り、ほぐれていく緊張を意識しながら、その一方で膨れ上がっていく
幸福をしみじみ感じ取っていました。斜め前にいた女性客のベージュのコートの色のことまで私はよく覚えており、
この電車内の数分間の記憶は、まるで昨日の記憶と言ってもおかしくないくらい奇麗に私の胸に残っているのです。
856名無し物書き@推敲中?:2008/10/27(月) 03:08:46
寺山さんはいいよね
俺も最近読み返してるよ
857名無し物書き@推敲中?:2008/10/28(火) 22:33:20
人生棒とはどんな棒なのか
858名無し物書き@推敲中?:2008/11/08(土) 13:24:15
まだなのか
859名無し物書き@推敲中?:2008/11/11(火) 17:51:40
>>1は五十代以上
860名無し物書き@推敲中?:2008/12/07(日) 11:29:40
さて
そろそろか
861名無し物書き@推敲中?:2008/12/10(水) 17:46:45
忙しいのかな
862名無し物書き@推敲中?:2008/12/14(日) 13:41:21
(その214)
年賀状を取り扱う職業に就いたおかげで、私には大晦日や元旦は一般的な意味での格別な日という感覚は
なくなり、逆に独り身の侘しさの痛々しさというものを思い知ったのでした。
落語が好きだった私は大晦日当夜や、その二、三日前になると「芝浜」を聴いてはある種の感慨と改心に
似たものを感じて「来年こそは」と心を新たにしたものです。ただの年中行事に過ぎませんでしたが。
太宰の「新釈諸国噺」にある「貧の意地」もまた、ああ、あれも大晦日だよな、という程度には必ず一度は
頭をかすめたように記憶します。
武士精神の気高さ、男気の爽やかさに感心させられながら、一方では腹を抱えて笑わずにはいられないという、
いかにも太宰流な作品ですが、太宰治自身もまた紛う方なき「義」の人だったと思います。太宰から「義」を
取ったら無論太宰文学はなく、太宰治の名前もこの世にはなかったでしょう。「義」をテーマに小説を書くこと
は出来ますが、「義」の一文字のために死ねる作家はそうはいないと思います。
三島由紀夫も考えれば考えるほど可哀そうな人で、彼の深層に迫るほどに涙ぐまずにはいられませんが、彼は
太宰ほどに私を引き付けたりはしません。彼の「義」には不満があるからです。
三島の割腹自殺と、太宰の情死のどっちが壮絶かといえば、私には断然太宰の情死なのです。
生きる素質というと変ですが、生き抜くためには「義」ばかりでなく「私心」もまた恥とせずに主張することも
大切だと思うのですが、太宰は「私心」を恥じた人でした。「私心」を恥としては確かにこの世の出世や成功は
あまり期待出来ないでしょう。成功や出世を望むような周囲、環境にあればあるほど、たぶん「義」に熱い人の
苦しさは苛烈なのではないでしょうか。

863名無し物書き@推敲中?:2008/12/14(日) 15:04:20
(その215)
私は、いわゆる「股旅物」と呼ばれる演歌が好きで、カラオケスナックやカラオケクラブで歌う時は
ほぼ決まって「旅笠道中」「旅姿三人男」「大利根月夜」のどれかを選曲しました。たまには「流転」
「妻恋道中」を歌うこともありましたが、私のような若い人間がこのような歌を歌うことは珍しかった
ようで、随分面白がられたものです。ところが、私自身は面白がってどころか、本気でこれら裏街道で
「仁義」やら「任侠」「意地」に生きる主人公の魂になり切っていたのでした。元々の気質なのだと思います。
小学校六年のとき、私は母親から強制的に児童会長に立候補させられ、当選して児童会長を務めた地獄の日々が
あるのですが、選挙で私が投票したのは立候補した私自身ではなく、相手候補でした。これは母への反抗など
ではなく、「謙譲」の心だったのです。そういう気質を育てたのも母親本人でしたから皮肉なものです。
母親は過保護なくせに、道徳には大変厳しく、正義を強く押し付ける人間でした。正義のためには行き過ぎた
躾を平気でやる人で、今思うと拷問か虐待かと思うぐらいのこともありました。そういう影響もおそらくあっての
ことでしょう、私は「裏切り」のような卑怯、卑劣な行為をとことん憎み抜き、逆に「潔さ」のある行為には心底
感服する性格でした。「潔さ」を求める精神は現在も変わりません。損すると分っていても、私は潔さを美徳と
信じていますから、失敗した人生であろうとここに悔いはありません。義侠心から、ある招待された場で暴力事件を
発生させたこともあります。正義を貫くことは困難なものです。なぜなら、現実という舞台ではその結果は必ずしも
讃えられるわけではないからです。

さて、この年の大晦日に限っていえば、私はあまりにもうまく行き過ぎているぐらいのKMとの交際に、例年とは逆に
独り身の幸福を感じていたのでした。
864名無し物書き@推敲中?:2008/12/14(日) 15:08:23
>>860 >>861

>>1です。
いつまでも読んでいただいているようで感謝しております。
865名無し物書き@推敲中?:2008/12/20(土) 02:20:58
でも>>1ってなんだかんだいっても就職して頑張ってたんだな
俺なんてせっかく大学ださせてもらっても今フリーターだもんよ
866名無し物書き@推敲中?:2008/12/27(土) 22:07:11
このスレの内でなんとか消化してください
867名無し物書き@推敲中?:2008/12/28(日) 01:08:38
こんなところに投下してないで、賞に投稿すればいいのに
868名無し物書き@推敲中?:2009/01/12(月) 06:34:12
2009年だぞw
869名無し物書き@推敲中?:2009/02/02(月) 12:14:40
2月の保守
870名無し物書き@推敲中?:2009/02/12(木) 00:57:03
さて、と
そろそろかな
871名無し物書き@推敲中?:2009/02/14(土) 01:13:47
>>868
4年かかってるなw
このスレの100あたりからみてるけど時がたつのは早いもんだ
872名無し物書き@推敲中?:2009/02/14(土) 10:06:50
まだかよぉおおおおお
楽しみにしてるよおおおお
873名無し物書き@推敲中?:2009/02/14(土) 11:15:15
(その216)
年々夢見る回数は減ってきたのですが、私は今でもKMとYの夢を見ます。
夢が覚めた後の気分は本当につらく、寂しいものです。私も彼女たちもまだまだ若く、生き生きしています。
大抵はお互いの仲がうまくいっている夢で、それだけにフッと目が覚めると、なんだ、夢かとがっくりうな垂れ、
しばらくは立ち上がれないのです。

KMには年の暮れに電話をし、新年にどこかで会おうと誘いました。ただ、彼女には夜勤があり、私が誘った日も
夜勤明けの日だったのです。彼女にしてみれば当然休日に会いたかったのだろうと思うのですが、それでも、
「大丈夫、私、まだ若いから」と答え、彼女の案でまず横浜で待ち合わせることとしたのでした。
これが年明けの割合に早い日であったことは間違いないのですが、何日だったか思い出すことはできません。
横浜の地下鉄駅周辺の待ち合わせだったのですが、石川町で最初に彼女に会った鮮明な記憶と違って、なぜか
この二度目の記憶は非常に曖昧なのです。
さて、彼女が現れて私が驚いたのは彼女のそのスタイルでした。当時流行していたらしい厚底の靴だかサンダル
みたいなものを履き、上下がジーンズのファッションで、私には全く思いがけないことでした。厚底の履物の
せいで彼女の背が高く、並んで歩いていると妙に圧倒されるような感覚がありました。
私たちは地下商店街の喫茶店に入りました。ここで彼女は「今日は相模大野に行きましょうよ」と言ったのです。
「相模大野?」
「はい。そこから近くにスケート場があるんです」
「スケート場?」
「私、友だちと行ったことがあって、とても楽しかったんですよ」
スケート場? 
私はスケートなどやったことはない上、興味もなく、かなり失望したものでした。



874名無し物書き@推敲中?:2009/02/17(火) 23:38:01
このスレ、出版依頼はしてみたのか?
>>1よ、本当に小説家志望ならネタをここで空費すべきではないぞ。
875名無し物書き@推敲中?:2009/02/18(水) 02:10:28
もう出版云々ネタはやめようぜ
>>1も新人賞等の投稿経験に関しては作中で語ると結構前に書いてたろ
876名無し物書き@推敲中?:2009/02/18(水) 21:04:13
ここまで読んだ。
とても面白かったけど冗長というか……
お願いだからこのスレで完結を
877名無し物書き@推敲中?:2009/02/19(木) 22:06:20
完結しなくてもおk
878名無し物書き@推敲中?:2009/02/23(月) 07:11:55
やっと追い付いた。
>>1さんの学生時代は 親、転校、家出、友人関係…
色々が自分とそっくりで、ところどころ「あーわかるなぁ」と
しみじみ共感しつつ、>>1さんの人を惹きつける文才もあって
ここまでサクサクと読み進めて来られました。

冗長などとは思いませんし、このスレ内で完結させるとかは考えずに、
>>1さんのペースでこれからも続きをお願いします。
楽しみにしております。
879名無し物書き@推敲中?:2009/02/23(月) 19:25:26
未だに解らないことがあります。

トカトントンの最後の手紙、
ゲヘナなてうんぬんの意味ってなんなんだろう?
青天の霹靂をうけたらどうして解決するの?
880弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2009/02/23(月) 21:24:35
しかしHUMAN LOSTぶっとんでてかっこいいな




かっこいいネ

ネがカタカナになっちゃうくらい イカしたヤングだよ太宰
881名無し物書き@推敲中?:2009/03/01(日) 20:38:14
三月の保守。
最近は二ヶ月ごとくらいに続き執筆なさってるみたいですね。
保守しつつ待ちますよー
882名無し物書き@推敲中?:2009/03/17(火) 13:56:15
高校時代が自分とそっくりw
883名無し物書き@推敲中?:2009/03/21(土) 16:51:51
(その217)
その上、相模大野駅には数人の友達も集まるというのでした。
「友達が?」
KMは嬉しそうに頷き、友達に私を紹介したがっているように見えました。
結果的には、これが私たちの早いほころびへと展開したのです。おそらく、ごく普通の青年なら、
ここを喜んで友人に対しても自分を売り込むチャンスと捉えたことでしょう。しかし、私には
厄介事にしか感じられなかったのです。自信がなかったのです。まだまだ彼女の友人たちに会って、
自分はこういう者ですと胸を張って言えるものがなかったのです。
「お仕事は、何なさってるんですか?」と、問われたら?
私はKMに対してですら自分の職業を詳しく明かしていないのです。もちろん、近々彼女には思い切って
すべてを打ち明ける決意をしていました。KMなら理解してくれそうだという気持ちも持っていたのです。
しかし、今は言えない。
「大学では、何を学ばれたんですか?」と、問われたら?
そのような話題が出ることはないだろうと思いながらも、何の拍子にそんな話が持ち上がるかもしれない。
KMは当然のように私が大学を卒業したものと思っている。
「滑ってみませんか?」と、スケートを誘われたら?
断りきれずにリンク上を経験する羽目に陥って転倒を繰り返したら、いや、転倒するところまでも行き
及ばなかったりしたら……。
今、改めてこうして振り返ってみると、太宰治かよとでも苦笑したくなるような悲惨な喜劇に思えます。
「よし!」
私は決心したのです。相模大野まで一緒に行こう、そして彼女の友人たちには会わない。
884名無し物書き@推敲中?:2009/03/21(土) 17:39:37
(その218)
この日の記憶の不自然な曖昧さは、無意識のうちになるべく辛いことは忘れてしまおうという気持ちが
強く働き続けてきたせいなのかもしれません。私たちが乗車した電車もハッキリしません。たぶん、
相鉄線乗車、その後乗り換えて相模大野であったろうと思います。
電車に乗り込んだ私とKMは、互いに向き合う形でドアの両端に離れて立ち、よく晴れた外の景色を
見ながら揺られていました。
「あ、凧」と、彼女が声を出し、そっと人差し指を外に向けたのを覚えています。洋風の凧でした。
「カイトっていうんだよね」
つまらない、会話にもならない会話でした。
しばらく経って、急にKMは嬉しそうに明るい笑顔を見せ、、大きな声で「空いた!」と、私の斜め後ろ
の座席の中央部を指したのです。ちょうど二人分の座席が空いたところでした。
なぜ、この時私はその彼女の嬉しそうな声を無視して座らなかったのだろうと、返すがえす残念に、
また不思議に思うのです。考えれば、彼女は夜勤明けで疲れてもいたろうし、スケートの前に多少でも
休ませてあげるべきだったのです。私にしても、一緒に並んで座ればお互いの身体と身体が接触して、
また別の親しみも生まれただろうにと、本当に悔しくてならないのです。疲れているKMはそのうちに
ほのかな眠たさを感じ始め、女特有の甘えから私の肩にもたれかかってくる……などということだって
あり得たかもしれません。
なぜ? なぜ? なぜ?
なぜ、私は凍りついたようにあの時一歩たりとも動かず、言葉ひとつ掛けることもなく彼女の嬉しそうな
声を無視して冷たくただ外を見たままだったのでしょうか?
謎としか言いようがありません。
KMは悲しそうな顔つきでやはり私に付き合って立ったままでした。
885名無し物書き@推敲中?:2009/03/21(土) 17:49:45
>>881

>>1です。
なんとなく二ヶ月ごとみたいになっていましたね。
実は書こうとすると運悪く長いアクセス規制に引っかかってしまうことが多いんです。
それとKMのことは思い出すたび辛くて、あまり気が乗らないのです。
いくつ年を重ねても、青春の記憶は痛々しいものです。
886名無し物書き@推敲中?:2009/03/21(土) 17:53:25
おまえのツラよりもか?
887名無し物書き@推敲中?:2009/03/24(火) 03:01:44
たぶん
自分が一番大切なんだよ
俺もそうだもん
だからスケートじゃなくても、友人に紹介されなくても……
888名無し物書き@推敲中?:2009/03/24(火) 14:56:07
4月から大学4年、卒論は太宰治と決まったのに
何を研究するか決まってない…

興味あるのは太宰の自殺(未遂含)について
でもそれをどう研究すればいいやら
889名無し物書き@推敲中?:2009/03/24(火) 15:29:37
なぜ自殺に興味を持ったのか、
そこんとこからつらつら書いてみれば
890名無し物書き@推敲中?:2009/03/28(土) 04:57:22
小説の経験が浅く文章を読むスピードの遅い俺がここまで来たときにはもうこんな時間かよwwやっちまった
…しかしまさか未完結だったとは。
がんばつたけど達成感がないw

続きお願いしま つ
891貧楽亭空財布 ◆7P6S86Mz6c :2009/03/29(日) 16:50:54
狂言だと思うよ
人間失格の注目度高めるための
いつも通り心中相手だけ死ぬって計画で
892名無し物書き@推敲中?:2009/04/02(木) 10:04:59
もう続きはないの?
893名無し物書き@推敲中?:2009/04/02(木) 10:07:52
>>892
のんびり気長に待ちましょう
894名無し物書き@推敲中?:2009/04/02(木) 10:29:25
マルチの一人のジエンを指摘して本体が生き残る手口みたいにか?
895名無し物書き@推敲中?:2009/04/06(月) 11:14:58
太宰娘の書いた小説が朝ドラ「純情きらり」の原作と知り読んだ。
太宰をモデルにした人物は原作よりも
ドラマの西島正俊の方が太宰っぽかった。
設定は文豪→画家になってたが。
896名無し物書き@推敲中?:2009/04/13(月) 13:10:00
つまんねえからやめろよ
太宰治出てこないし
897名無し物書き@推敲中?:2009/04/13(月) 13:34:27
いや面白い。
楽しみにしてる人もいますので。
898名無し物書き@推敲中?:2009/04/27(月) 18:38:00
やっと、追いついたw でも、ここから数ヶ月おきに続き待たなければいけないとは・・・。
なんという生殺しwww
899名無し物書き@推敲中?:2009/04/27(月) 19:06:06
しかし、一応公務員、現在民営化されたとはいえJRやNTTのような安定した
職場なのに、どこが人生棒に振ったのかがギモン・・・。やっぱ辞めてしまうのか。

カフカなんて、役人しながら執筆してたんだから、公務員しながら休日に執筆活動
したらよかったんじゃね?それとも何かこだわりあんの?
900名無し物書き@推敲中?:2009/04/27(月) 20:40:14
共産主義に共鳴してる>>1が、なんでアンチ左翼が多い2chに書き込んでいるのか、かなり不思議。
文芸板だから、典型的なネウヨは他よりも少ないんだろうけど・・・。
901名無し物書き@推敲中?:2009/04/27(月) 20:54:18
2ちゃんしてて右も左も意識したことないよw
902名無し物書き@推敲中?:2009/04/30(木) 19:48:20
(その219)
実際のところ、今更あれこれ後悔、詮索しても空しいだけのことですが、ひょっとすると、私は彼女と
向き合う形を取っていたかったのかもしれません。KMの可愛らしい顔を真正面から見ながら、この女は
自分の恋人なんだと実感していたかったのかもしれません。もちろんそうであれ、そうでないにせよ、
KMは私の無反応、無表情に理解できない落胆を感じていたであろうと思います。以前にも一度書いた
ことがあると記憶しますが、言ってみれば私は自分に不相応な喜びの只中にあるときなど、それがなかなか
現実と捉えきれなくて、文章化したり、その体験した時間をゆっくり振り返ることで初めて現実を認識
できるという極めて損な性質があるのです。そして現実を実感したときには既にある不幸な決着がついて
しまっていた、などということを再三経験してきているのです。
さて、この後二人ホームで電車を待っている記憶が残っていますので、私たちは一度電車を乗り換えている
ことになるのですが、この間のことは全く覚えていないのです。ただ、彼女がぽつねんとした風情で立って
いたことだけを苦しく思い出します。最初に会った日……といっても、まだ一月も経ってはいないのですが、
あの日、中華街に向かう途中に、たぶんあれは運河だったのでしょう、思いがけず停泊中の小船を発見した
私が「あ、船だ!」と言って手摺りに身を寄せたとき、飛ぶように私の横に来、私と同じポーズを取りながら
「わあ、随分錆びてるー」と、まるではしゃぐ子供のような声をあげた彼女とは全く裏腹な感じでした。
私はただ煙草を吸っていました。

相模大野駅周辺は、田舎者の私には結構開けているように見えました。
下車した私たちは目の前のビルの地下に狭いながらも飲食店街があるのを見つけてビルに入り、階段を下りて
いきました。ところが地下街はすべて休業で、私たちは誰一人いない、シンと静まり返った細い通路をただ
通り過ぎたのでした。
903名無し物書き@推敲中?:2009/04/30(木) 20:21:12
(その220)
当時はまだ新年の何日間かは休業するところが多かったのです。しかし、この雰囲気が私たちにはなかなか
良かったのです。彼女は楽しそうに「あれえ? あれえ?」と言いながらさかんに笑顔を見せて歩いていました。
通路には私たちの足音だけが響き、地下だけに妙な男女の根源的な色気のようなものが気配立ちし、ここで私たちは
またグンと心を通わせることが出来たのでした。
通路を潜って反対の出口に上がり、私はドアを開けようとするのですが、押しても引いても開かず、「ええ? なん
だよ、また戻んなくちゃなんないのかなあ」と嘆いたところ、KMが押した片側のドアがヒューンという感じで
開いたのです。片側だけ施錠してあったのです。「開いたー!」と歓声のような大きな声をあげた、KMの輝く笑顔が
懐かしく思い出されます。
私は喫茶店を見つけて入りました。
着席するなり、KMは呆れたように「コーヒーが好きなんですねえ」と言いました。実はこの時点では既に彼女の友人
たちがどこか約束の場所で私たちを待っていた可能性があります。KMは本当は一時でも早く友人たちの所へ急ぎ
たかったのではないかと、私は今ではそう思っています。控えめ、おとなしげな彼女でしたし、友人たちと待ち合わせて
いると聞いたときの私が少しも嬉しそうでなく、むしろ困惑したような表情を見せたのを敏感に察して言い出しにく
かったのではないかと考えたりするのです。
この喫茶店で何を話したか覚えていませんが、薄暗い店内のなにやら心細げに見えるKMの顔だけがいつまでも悲しく
私の心から消えることがありません。
私は友人たちには会わないと彼女に伝えなければなりませんでした。
904残飯:2009/04/30(木) 21:10:04
  

    私、ジジイで人生棒に振りました。
 
 
905名無し物書き@推敲中?:2009/04/30(木) 23:37:29
>>904 嫌なら、読まなければ・・、てかこのスレこなければいいのに・・・。粘着きもいよ、粘着。
906名無し物書き@推敲中?:2009/05/06(水) 03:34:04
>>905
おまいはツンデレについて何もわかっちゃいない
907名無し物書き@推敲中?:2009/05/26(火) 12:23:07
ほっしゅ
908名無し物書き@推敲中?:2009/06/09(火) 20:58:44
保守age
909名無し物書き@推敲中?:2009/06/09(火) 21:00:20
  ☆ チン     マチクタビレタ〜
                        マチクタビレタ〜
     ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ ___\(\・∀・) <  続きマダー?
            \_/⊂ ⊂_ )   \_________
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
       |  愛媛みかん |/
910名無し物書き@推敲中?:2009/06/10(水) 03:18:14
てか人間失格ってなんの為に書かれたんだ?
自伝小説なら東京八景あるし
むしろ東京八景の方が良かったんだけど
911名無し物書き@推敲中?:2009/06/16(火) 02:03:20
>>910
言い訳とか愚痴の類いだろ
912名無し物書き@推敲中?:2009/06/19(金) 22:20:57
人間失格と東京八景は別さ。
913名無し物書き@推敲中?:2009/06/19(金) 22:43:06
金沢八景は?
914名無し物書き@推敲中?:2009/06/21(日) 19:37:37
(221)
「僕は今日は、これで帰るから」
「えーっ?」
KMは驚いたというより、私の言葉の真意を量りかねるといった複雑な表情を浮かべていました。
”なぜ?”と訊くこともなく、席を立つ私に従って立ち上がり、レジで勘定する私の横で沈黙
していました。
外へ出て少し歩き、気づくと、私たちがいた場所はゴミ捨場の前でした。彼女は弱々しげにただ
私の顔を見ていましたが、やがて「友だち、もう、すぐこの近くで待ってるんです」と、その
方向を指差しながら懇願するように言いました。
「でしょう? さあ、どうぞ行ってらっしゃい。今日はここで別れよう」
「えーっ、ここでぇ……」
KMの泣きそうな表情を私はよく覚えています。しかしながら、本当に奇妙なことに、私の心は
至って冷めていたのです。こんな行為がどれだけ彼女の心を傷つけ、友人たちに対しても彼女の
メンツを潰すことになるのか全く考えることはなかったのです。彼女はそれでもしばらく私と
対峙して私の顔をじっと見つめていました。当然ながら彼女は、なぜ私が友人たちに会わないで
帰ってしまうのか、何か機嫌でも損ねてしまったのだろうかなどと感じていたことでしょう。
ただ、優しい、内気な性格は思い切ってそれを問うことが出来なかったのだろうと思います。
「さ、早く。友だち、待ってるんでしょ?」
私は待ち合わせ場所という方向に手を向けて彼女に行くよう促しました。
915名無し物書き@推敲中?:2009/06/21(日) 20:00:55
(その222)
KMは諦めたように私に背を向けるとトボトボとした足取りで私から離れていきました。
やや俯きかげんな、本当にヨロヨロとした姿だったのを克明に記憶しているのですが、
それに引き換え私自身はといえば心底バカじゃないのかと、今でも恨んでも恨んでも
恨み切れないほどにクールだったのです。結婚を考えているにしては、何という精神の
未発達だったか、我ながら恐ろしくなります。

一月から二月にかけ、私には郵政職員としての研修が二週間待っていました。
場所は国立(くにたち)の中央郵政研究所で、郵便法、郵便事業関連のほか、憲法、
公務員法などを学ぶのです。就職試験の会場でもあったところです。
研修を前に、私はKM宛てに意を決して便箋約二十枚を使って結婚を申し込み、研修の
終わる頃に返事を送ってくれるようにと依頼しました。呑気なもので、私は彼女との
結婚は決まりだと思っていたのでした。
さらにちょうどこの時期、ついに森中班長から例の共産党入党について声がかかったのです。
私は彼と飲みながら、ある事情があるので返事するのをひと月待ってくれるよう頼みました。
私はKMが結婚を了承してくれたら、それを理由に断るつもりだったのです。しかし、もし
断られるようなことになったら入党しようと考えていました。そしてそのような機会は決して
訪れまいとも思っていたのでした。
916名無し物書き@推敲中?:2009/06/22(月) 20:04:06
nhkの太宰のニュース
太宰読者が増えたのは小畑が。。
917名無し物書き@推敲中?:2009/06/24(水) 02:54:10
続きがぁー、気になる
918名無し物書き@推敲中?:2009/06/30(火) 01:56:50
お元気ですか?
919名無し物書き@推敲中?:2009/06/30(火) 03:43:34
死のうと思っていた。
>>1からエロ画像を貰った。女子高生である。
まだまだ貼られることだろう。
落ちるまで生きていようと思った。
920名無し物書き@推敲中?:2009/07/04(土) 14:21:21
世の中、みんながみんな「エライねぇ」「カッコいいね」って
認めてもらえるわけじゃないのにね……。
なんでみんながみんな、
有名に、豊かになりたがるんだろう。
なんでみんながみんな、
モテて、満たされたがるんだろう。

ムリなのにね、凡人には。

エロゲをネタに哲学語ってみても、
ネットで作家ごっこをしてみても、
323ふうのギャル絵を、たくさん描いて即売会に座ってみても、
DVで、ブス姉ぇちゃん主演の映画を撮ってみても、
誰でも使えるパソコンで電気紙芝居を作ってみても、

…ほとんど、本っ当に大多数はムダなのにね。凡人だから。

あまりにも多くの凡人が、あまりも純粋に、
ありもしない「才能」を信じている、「自分主義」というか
「ミーイズム」蔓延の病根は深い。
やっぱり、個性重視教育や「ひとりひとりを大切に」といった
思想がもたらした不幸なんでしょうかねぇ。
921名無し物書き@推敲中?:2009/07/05(日) 22:31:41
↑自分の事?
922名無し物書き@推敲中?:2009/07/06(月) 01:52:28
つーか、1つの小説を延々と足掛け4年も書いてるってのが凄いと思う。
923名無し物書き@推敲中?:2009/07/06(月) 02:07:15
>>920は文章の才能がないって部分だけ読んだw

本人は論理的な文章書いているつもりだろうけど、個人的な愚痴の域を出ていないってのが受けるww
924同県人:2009/07/09(木) 01:06:39
・年下のファンに『太宰さん』と呼ばれ『太宰さんっ?(怒)』とキレかかる
(当時は年上の作家に対しては『先生』が一般的だった由)
・『学生時代に不勉強だった人は必ずむごいエゴイスト』と作中で心情吐露。
・年下の内縁妻に時間割を作って勉強させる
・知り合いの画家が自分の忠告に反しアソビ心を加えた展覧会を開いたところ、
『やっぱりこいつは俺達と違ってアカデミックな奴じゃないよな』という
賛同を求める笑みを友人山岸外史に投げ掛け、目で無言裡に反駁され涙目。


ざっと思いつくままに挙げましたが太宰という男は、とんでもない男尊女卑の
上下関係にうるさく目下に厳しく、学歴偏重成績偏重の頭でっかちで
冗談を言ったり無頼に振舞ったりが許されるのは一定以上の『学力』がある
人間だけと固く固く信じている差別主義者です。

決して皆さんが思い描いているような弱者に理解がある繊細でスタイリッシュ
な人ではありません。
二昔前の高学歴=家が金持ち、の典型的な人で
田舎の豪邸の納屋や蔵で父兄の書籍を読み漁っているうちに
『物知りで繊細なのは私だけ。だから現世で傷つきまくるのだ』という
身勝手でグロテスクな自己イメージと信念を完成させていきました。
お陰で彼にかかると周囲の人は皆『無教養でガサツで生活力が強い』悪人に
されてしまうのです。
その『無教養でガサツで生活力が強い』悪人だって太宰以上に現世で傷つき
耐え忍びながら普通に努力を重ねている事に思いを馳せる事無く、です。
そろそろ、こんな稀代の詐欺師の幻影からは覚めようじゃありませんか。
925名無し物書き@推敲中?:2009/07/10(金) 04:41:46
>>924 怪文書乙 
926名無し物書き@推敲中?:2009/07/10(金) 04:43:44
>>920>>924ももっとマシな文章かけよw ここ文学関係のスレだろ?

太宰の才能への嫉妬しか伝わってこねぇよ。 人格最悪でも優れた作品残せば、後世まで評価されるってのは
歴史が証明してるだろうよ。
927名無し物書き@推敲中?:2009/07/29(水) 16:30:50
保守age
928名無し物書き@推敲中?:2009/08/08(土) 21:40:09
デスノート絡みで言う人増えそう
929名無し物書き@推敲中?:2009/08/22(土) 13:20:37
kieteyosi
930名無し物書き@推敲中?:2009/08/22(土) 15:58:20
埋めましょう
931名無し物書き@推敲中?:2009/09/15(火) 00:29:19
さて、そろそろかな
932名無し物書き@推敲中?:2009/09/15(火) 00:54:17
もう死んだんじゃないの?
933名無し物書き@推敲中?:2009/09/15(火) 05:53:38
>>926
殺人犯が獄中で描いた絵や詠んだ短歌に感動する人がいてもよい。
ただ気になるのは、その感動する人の胸に
殺された被害者、遺族に対する一掬の涙惜しまざるものがあるか否かだ。

太宰ファンのほとんどが殺人犯の作品には感動するくせに
被害者、遺族には無頓着という病理があるようで、うんざりする。

安易に作者・作品別物説を振りかざすやつは
『麻原彰晃の人物は人物、犯罪は犯罪。でも著作には良い事も書いてる。』
って言ってるオウム信者と変わらん事を自覚しろ。
934名無し物書き@推敲中?:2009/09/15(火) 19:59:41
>>933
あなたは永遠に文学というものの寂しさを理解できないだろう。永遠に。
935名無し物書き@推敲中?:2009/09/16(水) 06:16:49
>>933 被害者遺族云々の話は分からないでもないけど、933みたいな種類の
人が文学に限らず、創作物をつまらなくするんだよな。
936名無し物書き@推敲中?:2009/09/17(木) 11:44:48
薄暗い静か
937名無し物書き@推敲中?:2009/09/23(水) 04:28:51
<某有名作家の講演より>

 最近の自己啓発本や成功本といった類のものは、「夢はあきらめなければ
絶対に叶う」などと力説する傾向にある。こういった言葉を真に受けては
いけません、絶対にね。

 もしあなたが会社勤めをしていて、それでも作家への夢を捨てきれないと
思っているなら、私はまず「あきらめなさい」とアドバイスをする。安定した
生活を選び、夢をあきらめるのは、恥ずべきことでも敗北でもありません。
全てを捨てて夢を追うより、夢を思いとどまることの方が、よほど勇気が
要る選択です。
 現在定職につかず、作家になるという夢のために奮闘しているような方が
いたら、そういった方にも是非言いたいです。自分の限界を知りあえて断念
することは、非常に勇気の要る、立派なカッコいい決断なんですよ。
 
 これは若い人に特に多いことですが、「自分には人と違う感性がある」
「自分にしか生み出せない独自の構想がある」などといった思い込みは
やめることです。あなたよりはるかに凄い才能や個性を持つ人たちが
周囲にはウヨウヨしていると、そう考えるのが正しい現状認識なのです。
だいたい、自分は特別な何かがあるなんて信じる人は、周りがよく見えて
いない人ですね。
938名無し物書き@推敲中?:2009/09/24(木) 03:00:35
倉本か
939名無し物書き@推敲中?:2009/09/24(木) 19:14:27
鳥取市に知人がいらして
以下の不可解な出来事の事情が分かれば連絡お願いします。
http://tottori1.tripod.com/

疑問:1993年、「僕が鳥取市のリコーマイクロエレクトロニクスに報復した」
という意味不明の噂でクビになった。これはどういう事情か?

疑問:1993年、鳥取最大の工場・鳥取三洋のラジオ体操が中断した。
中断は下請け工員僕のラジオ体操不参加の影響か?
--------------------------------------------------------------------
以来地元の人との人間関係が不自然になりました。
2つの大手企業が関わる問題のせいか、鳥取市の人は16年経っても
真相を僕には教えてくれません。
940赤猿 ◆vi8VwFELTg :2009/09/25(金) 16:25:31
>>923
コピペだよ>>920は。
941名無し物書き@推敲中?:2009/10/02(金) 00:38:45
>>934 >>935 お前らが太宰ファンと仮定しての話で恐縮だが…

作家が作家なら、ファンもファン
942名無し物書き@推敲中?:2009/10/12(月) 05:47:16
まち
943名無し物書き@推敲中?:2009/10/18(日) 01:42:59
以前、精神科医の春日武彦先生から統合失調症の前駆症状は
「こだわり・プライド・被害者意識」と教えていただいたことがある。

「オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ」というようなことを口走り、
「なめんじゃねーぞ、コノヤロ」とすぐに青筋を立て、
「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型でしかものごとを論じられない人は、
ご本人はそれを「個性」だと思っているのであろうが、実は「よくある病気」なのである。

統合失調症の特徴はその「定型性」にある。

「妄想」という漢語の印象から、私たちはそれを「想念が支離滅裂に乱れる」状態だと思いがちであるが、
実はそうではなくて、「妄想」が病的であるのは、「あまりに型にはまっている」からである。

健全な想念は適度に揺らいで、あちこちにふらふらするが、病的な想念は一点に固着して動かない。
その可動域の狭さが妄想の特徴なのである。

病とはある状態に「居着く」ことである。
「こだわる」というのは文字通り「居着く」ことである。
「プライドを持つ」というのも、「理想我」に居着くことである。
「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである。
「強大な何か」によって私は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、「自分らしくあること」を許されていない、
という文型で自分の現状を一度説明してしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。
944名無し物書き@推敲中?:2009/10/28(水) 17:27:51
一気に読了しました。
素晴らしい筆力だと思います。
これだけ書ける人でも作家になるのは難しいのでしょうか?
自信をなくしてしまいそうです。
ともあれ、続きに期待します。
945名無し物書き@推敲中?:2009/11/02(月) 08:28:41
11月の保守。
>>1さんどうされてますか。
ずっと待ってますよ。
946名無し物書き@推敲中?:2009/11/03(火) 00:41:27
最初から全部読みました。

>>1さんご自身が気付いているように、文章の上手さが逆に生きていく上で障害になったのかなと思いました。

もっと早くにそのことに気付けなかったのか?と思いながらも、楽しく読ませて頂きました。

才能とは怖いものですね。才能とは客観的であろうといくら努めても、その試みを妨害するものなのではないでしょうか。

1さんの「スキ」の無い文章を見て、そう感じました。

たくさんの方が完成を待っているようですし、私も一見届け人として、この物語の完成を待っています。
947名無し物書き@推敲中?:2009/11/05(木) 15:02:27
ふう、やっと規制解除だよ・・・保守age
948名無し物書き@推敲中?:2009/11/15(日) 02:38:16
何此の塵芥スレw
949名無し物書き@推敲中?:2009/12/03(木) 06:28:13
12月の保守。
>>1さん、次スレ行っても構わないので是非とも完結させて戴きたいです
950a:2009/12/10(木) 00:14:12
a
951名無し物書き@推敲中?:2009/12/10(木) 20:28:24
一気に読みました。
過去を思い出されるのは大変辛いことと思いますが、完成心待ちにしています。
952名無し物書き@推敲中?:2009/12/13(日) 03:57:51
ほす
953名無し物書き@推敲中?:2009/12/13(日) 20:32:27
(その223)
三月を迎える頃には、私も当初の気持ち通り共産党入党の意志を固めていました。しかし、あくまでも
KMと別れたという悲しい現実に導かれた結論でしたから、やはり燃える想いなどとは程遠い感情があり、
どちらかといえば何かも忘れて何かに没頭したいという消極的な決意だったのです。
森中班長に入党の決意を述べると、彼は満足そうに居酒屋に私を誘い、高元さんも顔を見せました。
二人は党活動の現状を語り、これからが勝負だと熱意に溢れていました。そして明日には支部へ案内し、
仲間を全員紹介するからと言い、「さあ、ほかには誰が党員だかが明日は全て判明するよ。楽しみだね」と
満面の笑みを見せるのでしたが、私には大抵の人間の見当はついており、逆に私がいまだにほかのメンバーを
知らないでいると思っているかのような二人の感覚に呆れたものでした。
森中さんに連れていかれたJ支部は同じ集配課所属の佐山君の六畳一間のアパートでした。
「ちょっと待っててな」と言い残して森中さんが去って一人になると、私は遠慮なく佐山君の本棚やレコード
ラックに手を伸ばして何があるのかを暇まかせに見ていました。エリ似の例のアイドルのレコードが何枚も
並んでいました。本棚にはさすがにマルクス関係のものや日本共産党関連の書物が多く、というよりはそれ
以外のものはなかったような気もします。
ドアの外で声がしたと思うと、森中さんと高元さんが入ってき、「これから入党届け」を書いてもらうからね」と
言うのでした。
この時は特段の感情はなく、言葉は悪いかもしれませんが「俎板の鯉」の心境でした。
一気に不安が募り、その往生際の悪さが出たのは入党祝いの会の済んだ深夜のことになります。
954名無し物書き@推敲中?:2009/12/13(日) 20:43:20
>>1です。

いつも激励いただいている皆さま、ご期待されいる皆さま、本当にありがとうございます。
色んな意味でストレスがあり、スランプもあり、このスレももはやこれまでと何度も思いながら、
励ましの書きこみを見ると、ともかく最後までやり遂げようという気になります。
>>951さんのおっしゃるように過去を思い出すのは大変つらいのですが、つらさがあるだけに逆に
発奮する面もあるように感じます。
955名無し物書き@推敲中?:2009/12/13(日) 22:37:19
おー>>1さんだ。
うれしい。
もう更新されないのかと不安でした。
956名無し物書き@推敲中?:2009/12/14(月) 11:25:55
なんどでも蘇るさ>>1
って冗談はさておき
何度もやめようとしてたとは正直意外だった
俺にはなんだかんだで楽しんで書いてると思えたから
957名無し物書き@推敲中?:2009/12/14(月) 11:30:21
ありきたりなサラリーマンよりはおもしろい生き方かと。必死だしね。
958名無し物書き@推敲中?
「おもしろい」か。
>>1よ。お前の半生は「おもしろい」そうだよ。
よかったじゃないか。