>>1>>6 今日、新潮の10月号立ち読みしてきたけど、
保坂和志の「小説をめぐって」には、
「一人称現在形」が「致命的」なんて書いてなかったぞ。
一体、いつのどこの話だ?
それらしいところは、ホフマンスタールという作家の一人称現在形で書かれた
「ギリシア紀行」の中で、作者がギリシアの古代の彫刻に囲まれた場所で、
啓示を受けた、という場面を書いたものを引用しているところがあった。
その部分について、啓示を受けたときに作者自身の中で生じたことをありのままに書いただけでは、
読者はその体験を共有したことにはならない。単にコンセプトを伝えているに等しい。
むしろ、その啓示を読者の中に現在させるように書くべきではないか?
現在させるといっても現在形で書くことじゃなくて、
読者にもその作者のなかで生じたことと同じ事が起こるように
仕向けるべきではないか?
てな感じのことが書いてたが、これのことを言ってるのか?