>>563 横レス(?)だが、
>>554のどのあたりが「読者サービスの描写」なのか教えてほしい。
もっとも、「説明文」やその「修飾語句」や「描写」が「物語の時間を調節するという認識を持」つことは、
「物語」の側からは肯定されても、「描写」の側からは必ずしもそうではない。
(それともわかりやすい文章を書けと言っているだけ?)
もちろん俺は
>>554ではないし、
>>554の文も自分の趣味じゃない。
(おっさんから見ると、おばさんの少女趣味にしか見えん)
メッセージをありがとうございます。
>>564 乙です。がんばります!
>>554 は
>>557 に書きましたとおり、私から◆YgQRHAJqRA さんへの
cryptograph の一部です。途中、二度もage られましたから”やっぱりtina”
をレスしませんでした。
>>563 の「よのなかばかなのよ、をまだ連呼して」 いる人とは、
>>554 の
「上のほうのスレッドにやたら漱石さんを連呼する人」 を指しています。
描写と説明の区別ができていないんじゃないかな、と感じましたので、直接
話しかける前に◆YgQRHAJqRA さんに訊ねてみようとレスしました。
「読者サービスの描写」 を「読者サービスとしての描写をする気分に浸って
いる」 に直しましたら、意が伝わりますでしょうか……
いずれにしましても、私が◆YgQRHAJqRA さんに訴えたいことはですね、
一日こそ人も待ちよき長き日をかくのみ待たば有りかつましじ
567 :
565:2008/05/27(火) 23:31:16
>>566 なるほど、俺が別人だと思ったレスが同一人物のレスだったというわけね。
やれやれ。
568 :
◆YgQRHAJqRA :2008/06/02(月) 02:04:24
油断してたら崖っぷちまで落ちてたのでageときます。
いつ落ちてもおかしくないくらい放置している私が悪いんだけど(´・ω・`)
うーん、スイッチが切れてます。何かがズレて、何かが新しく接続されないと
書けない気がする。
言葉が景色にならない。どこかに吹き散らばって、戻ってこない。
ただ暗い窓の外を、ぼんやり眺めている。
そんな心境。
ぬばたまの夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ
たぶん、書けなくなっているんだろうな、と思っていました。私にも地下スレで
連載していた時期がありますし、競作祭りの作品紹介も幾度か止まりそうになり
ました。
掲示板なので、もう少しインタラクティブに進んでも構わないと思います。述懐
で終わっていますと返レスを躊躇いますし、キャッチボールと言いますか、掛け
合いも面白いかと。トウが立っていますので私に舞姫役は無理かな。。。 まあ、
たまには雑談してください。
>>567 さんにも、「もしかして、おばさんの少女趣味にしか見えん、と書いたこと
を気に病んでくれてたりして」 と、即レスを入れたかったのです、やれやれ。
では、
今日も1日おつかれさまでした おやすみなさい☆
ちょっと読み返したら
>>458-459 なんか、去年も同じようなこと書いてる……
季節病でしょうか(笑)
>>566>>569 保守カキコで返事は期待してないので大丈v(^^
よのなかばかなのよ(回文?)の人ですが、他のスレの住人についてはよくわから
ないです。興味もないです。読んでムシャクシャするようなことを書いている
のでしょうが、相手になさらないのが得策かと。
次解説は新しいスレッドにておこないます。そのときはここで告知します。
気を長くしてお待ちくださいませ( ^-^)_旦~
571 :
名無し物書き@推敲中?:2008/07/29(火) 20:19:52
保守
ちょっとご無沙汰ですね
†. 下顎反射: 三叉神経運動枝. 亢進だけが病的、陰性は正常状態。 亢進は皮質橋路の両側性障害を意味する。 上腕二頭筋反射: C5〜6; 腕橈骨筋反射: C5 〜6; 上腕三頭筋反射: C7; 膝蓋腱反射: L4; アキレス腱反射: S1 ...
>>570 >次解説は新しいスレッドにておこないます。そのときはここで告知します。
>気を長くしてお待ちくださいませ( ^-^)_旦~
事実上、この二行が終了宣言だな。
技術論を超え出るあたりまで行って欲しかった気もするが、
まあ、仕方ない。
574 :
トリップディスクロージャ:2009/02/16(月) 04:48:46
◆YgQRHAJqRA
#lol
悪夢聡史 ◆5edT8.HnQQ
#love&pea
tina ◆OcfLN77Pak
#limmaria
弧高の鬼才 ◆W7.CkkM01U
#evangeli
2ちゃんねるにはトリップのブレイクを引き受けている人達が存在します。
英数字や仮名漢字の各単独の羅列はもちろん、文字や単語の組み合わせも解析できてしまいます。
初心者のための注意喚起になればと久しぶりのカキコ☆
576 :
名無し物書き@推敲中?:2009/02/16(月) 23:05:10
わざわざageてまで宣言することなんですかね?
そっと沈ませておけば誰も気にしないようなスレでしょう。
と、いちいち相手をしてしまう自分も悪いと思うんだけどさ。
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
なんて機能も開発されましたよね。
書き込みや足跡を消せないのに暴露検索ツールが進化するのは、
それだけ嬉しがってる人が多い、ってことでしょうか。
>>1 さんのブログ再会を希望しています。
ひっそりとまたこっそりと動きだす虫もあるかな春の暁
時たまスレを開いては、変化なしを確認しつつ、ま…いっか、でスレを閉じ。
曠日弥久(こうじつびきゅう)、弁明の余地もありませんが、終了宣言は
ちょっとまって(汗汗
私のトリップは簡単なハンコみたいなものですし、ざらにあるトリップなので
解析されてもどうということはないです。
tinaさんは大丈夫かな。もう見てないかな。コテハンの方は、たとえ実害がなくても
バレたトリップを使うのは気持ちわるいですよね。
解析ツールがある限り、いたちごっこなのかもしれませんが。
こんばんは☆ お久しぶりです!
よその板にまで貼られていましたので、トリップの下5文字だけ応急処置で
変えてみました。本物かどうかはレスの内容や文体でご判断ください。
…と、いったんテスト、テスト。
朝が早いのでもうひと言だけ。
>>某スレの626
イニシャルRさんですね。
バレンタインを通過して、次に忙しくなるのは卒業式のシーズンですか。
私の方は仕事が激減してもう吐きそうになるくらい厳しい毎日です。
チームの結束はむしろ強くなっているだけに、私自身の力不足が辛い。。。
なんて泣き言もここだけなのでどうかご容赦。
近いうちにまた近況報告を書いてみます。
ということで相変わらずバタバタと、Yさん、Rさん、おやすみなさい☆
>私の方は仕事が激減して――
色んな方と会話する機会が多いのですが、やはり景気のいい話はなかなか聞けません。
「こういう仕事は不景気とかあまり関係ないんでしょう?」
とは、よく言われる台詞なのですが、まるっきり関係ないこともなく、
数は落ちなくとも平均単価が落ちるということは間々あります。
自分の腕を安売りするな、とはいつも師匠に言われていた言葉ですが、やむなく価格を下げて回転率を上げる店舗も多いようです。
そういう遣り方は結果的に自分の首を絞める行為だと分かっていても、背に腹は代えられないケースも当然あるのでしょう。
月並みな言葉ですが、どれだけ我慢できるかが勝負の分かれ道になるような気がします。
どう転んだところで命まで盗られるわけじゃない、と開きなおることも大切かもしれません。
人間至るところ青山あり。
なんて言葉もありますからあまり考えすぎず、
「いざとなったらプロデビューして、一族郎党わたしが食わせてやる!」
くらい大らかな(←単なる馬鹿ともいいますが)気持ちで、この不況を乗り越えてください。
では、ノシ
なるほど、人間万事塞翁が馬、ですね。空手の経験を活かしてマット界にプロデビュー、
っていいかも!
実際のところ、仕事が無いから工場を休止して、「機械が止まっているので仕事が
入りません」 と回答したり、熟練オペレーターを営業に引き抜いて御用聞きをさせる、
なんてことを平気で指示している管理者もいるのです。口さがない女やなと揶揄されても、
ちょっと突きを入れないでは済ませられないわけです。いにしあちぶ発動! です。
このような毎日ですから、掲示板に創作のネタでも書き込んで軽いメッセージでも
返していただけたら、別にコテることにはこだわっていませんし、本当に嬉しく思います。
>569で「たまには雑談してください」 と付け加えた所以です。
ひと月くらい前に他所の雑談スレにボヴァリー夫人を語っている人を見つけまして、
インタビュアーよろしく駆けつけたらスレが荒れて逃してしまいました。。。
明け易き夜を初戀のもどかしき
では、今日も1日おつかれさまでした おやすみなさい☆
少し言い過ぎましたので、補足。
人件費を抑えるために今月から、業務命令で、出勤や残業が規制されています。
不況と期末接近で在庫も調整中で、特急品や特殊品には応じられない場合が
あります。
不況の時だからこそ設計開発に力を入れており、その技術担当者が営業活動に
協力を求められています。クレーム処理に際して、私のお供をお願いすることも
ありました。
前スレで、エンマの運命を決めたのは「三千フラン貸してちょうだい!」 と
ロドルフに無心してしまったことと書きましたが、これも訂正します。
エンマの運命は初めから決まっていましたので、ここは崖っぷちの彼女の
肩を突かせたところ、だと思います。
どうして「私を連れて逃げてください(下P.56)」 と縋り付けなかったのかなあ。
わざわざシャルルのために、善良で親切で頓馬な小心者のために借金を
済そうとしているわけで、罰としての弱気な素直さ(下P.125) が最後の局面
に当たってより印象的に繰り返されていると思います。
ということで、スレの流れを直したところで名無しに戻ります☆
過ぎし日のきみが繊指のいとしさを遥し月にひとりなぞらん
百年に一度の経済危機だなんだと、連日不景気なニュースばかりで、気分も
落ち込んでしまいますよね。
日本の経済構造上、製造業の打撃はどうしようもないと思いますが、金融のほうは
アメリカほど傷んでないのが救いでしょうか。在庫調整がすんで、物の需要が
安定→増加しはじめれば、また景気の波に日本は乗れると思います。
先をみて、ピンチはチャンスと動いている企業も。ただ、政治の混迷が経済の足を
引っぱらないか、そこが心配ですね。
しばらくは出口の見えない暗いトンネルのなかを進む不安な経済状況がつづきそうです。
さて、
>「たまには雑談してください」
不精な私はあまり良い雑談相手にはなれないかも(^_^;)
場所柄わざとレスポンスをわるくしている部分もあります。お察しください。
最後に、自作でない詩句には、その作者の名を添えるよう心がけましょう。
もし作者がわからないときは、引用である旨を示すようにしてください。
前から少し気になっていました。うるさいことを言うようですが、創作者として
うっかりでは許されない場合もあります。あらぬ汚名を被らないためにも、
これは習慣づけておきましょう。
ご指摘をありがとうございます。紹介も兼ねてまとめてみました。
>>479 仰ぎ数う流れ星一つ二つ三つ ← 仰数春星一二三(漱石、草枕)
>>490 山の端にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居るに夜ぞ更けにける (万葉集 巻七)
>>537 花の命は短くて苦しきことのみ多かりき (林芙美子)
>>566 一日こそ人も待ちよき長き日をかくのみ待たば有りかつましじ (万葉集 巻四)
>>569 ぬばたまの夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ (万葉集 巻六)
>>583 明け易き夜を初戀のもどかしき (子規)
いきなりコテを復活させているわけですが、個人的なレスポンスに
つきましては、スレッドストッパーにならないよう気をつけますので、
今後ともよろしくお願いいたします。 >>all
>>587 ◆YgQRHAJqRA さん
枳の陰に子うさぎ遊びしを微笑む君の懐かしきかな
誰かが待ってくれている。そんな思いだけで日記を連投していました。
創作を始めたきっかけの、大切な思い出になっています。
素敵な歌をありがとうございます。と言いますか、通り越して恐縮です。
これからも初心を忘れず、がんばります☆
今日も1日おつかれさまでした おやすみなさい
,,.、 _、、
/ };;゙ l ))
. ,i' / /
;;゙ ノ /. ノハヽ☆
,r' `ヽ(‘ 。‘ 从 三
,i" ⊂ ) 三
!:. ‘ ‘ ,!''し'´';;⌒ヾ, (⌒;;
(⌒;;. o ,::'' |⌒l゙ 三 (⌒ ;;
`´"''ー-(⌒;;"゙__、、、ノヽ,ノ
久々に来た記念保守
まとめwikiだれか作って
>>595 thx
そうなのか・・
なんなら俺が作ってみようかな。
>>1さん、まとめwiki作っていいか?
春は暮れ 無言の路に雨落ちる 花 散りてなお淡くひらめく
解説は進まずとも、たまにはなにかしらの雑文でも書いたほうが、放置してるより
ずっとマシであるには違いない、と自認はしてもこの有り様。
拱手(きょうしゅ)してこの月日(スレ)をながめては、己が仕業のやり切れなさに
疎意さえおぼえる。
まとめwikiの件ですが、まとめるとなれば単に他へ移植するだけでなく、一定の
訂正を施す必要がこのスレにはあります。
恥ずかしながら、
>>587の「遥し→遥けし」のような誤脱が所々にあり、なにしろ
肝心のタイトル自体が誤字ですからね。自分でも呆れてしまいます。
また、私の勘違いで間違ったことを述べているところや不適切な表現もあるかも
しれません。
軽軽にご提案に諾してよいのか、少し迷いがあります。
598 :
名無し物書き@推敲中?:2009/07/23(木) 11:54:30
お世話様です
599 :
名無し物書き@推敲中?:2009/07/24(金) 09:01:49
てかラノベ書きミステリー書きのバカどもはよく読んだ方がいいよ
600 :
名無し物書き@推敲中?:2009/07/24(金) 22:50:43
あげ
雲わたり風さやかなるそこはかとみゆ白壁の夏のなごりよ
たまには何か書くかな。
え? また書く書く詐欺でしょって?(汗)
ここで続けるの?
500KB問題は大丈夫かいな。
〆るんなら、
場面転換に始まり、場面転換に終わる
っていうのはどうですか?
ただし、渡部直己も手を付けていない超上級編として、
題材は最近文庫で出た『快楽の館』とか『柔らかい土を踏んで、』とか。。。
ま、あくまで一個人の希望です。
容量の上限にはまだ少し余裕がありますのでね。長らく筆を休めていたリハビリを
兼ねて何か小ネタ的なものでも書こうかなと思ってるしだいでありまして
これを口火に死灰復然といけば幸い。
本解説の続きは、新しいスレッドでやります。
掉尾を飾る技術論のご要望ですが
初恋のごときまめまめしさは久しくて今はすずろに仮初め夜
てなぐあいですから、庶幾(しょき)して待つに甲斐なきものとご承知おき下さい。
『世界の十大小説』 W・S・モーム
フィクションの作品とは、いくつかの事件を考えだし、それを適当に並べながら、
数名の人物がどのような行動に出るかを明らかに示すことによって、読者の興味を
そそろうとするものである。したがって、現実の人生の模写ではない。ちょうど
小説において、現実の人生で行われる会話をそのまま再現するわけには行かず、
要約して、それも簡潔明瞭に要約して、本質的な部分だけを与えるようにしなければ
ならないのと同様、現実の事実も、作者の意図に一致し、また読者の興味をつなぎ
とめておくことができるように、ある程度のデフォルマションを施さなければならない。
本筋に関係のない事件は省略しなければならないし、繰り返しはできるだけ避け
なければならない。そう言えば、現実の人生には、これまた何と繰り返しが多い
ことだろう。それから、現実の人生なら、事件なり出来事なりが、個々別々に起こって
そのあいだに時間の経過がある場合でも、小説の中では、相ついで起こったように
しなければならない場合がしばしばあるだろう。小説である以上、ありそうもない
ことであっても、それが比較的尋常普通のものであれば、読者はもはや慣れっこ
になっているから、当然のこととして受け入れるものである。小説の作者は、現実の
人生を文字通り正確に写し出して見せるというのではなく、実人生について一枚の
絵をえがき、もしもその作者がリアリストであるなら、その絵をいかにも現実の
人生であるらしく見せようと努めるもので、読者がそれを真実と受け取るならば、
その小説の作者は見事成功を収めたことになる。
『世界の十大小説』 W・S・モーム
〔フローベールは〕今度の作品〔ボヴァリー夫人〕では、厳密に客観的である
ことを志した。いささかの偏見にもとらわれることなく、あくまでも真実そのものを
語ろうと決心した。事実を述べ、作者の註釈は一言も加えず、非難もしなければ
賞讃もしないで、作中で扱う諸人物の性格を明らかに示そうと決心した。ある人物に
共感をおぼえても、その気持を現わすことをしなければ、ある人物の愚かさに腹立た
しさをおぼえても、またある人物の悪意に憤慨をおぼえても、作者として何か言って
その気持ちをもらすようなことは絶対にやるまいと決心した。そして結果はと言うと、
大体においてその意図に見事成功しているのである。だが、おそらくそのためであろう、
この作品にある種の冷たさを感じる読者が昔から沢山にいる。事実、この頑固な
までに公平無私であろうとする計算された作者の行き方には、心暖まるところが
少しもない。あるいはこれは人間の弱さかもしれないが、読む者の心に呼び起こして
くれたさまざまな感情を、当の作者自身も分かち持っていてくれたほうが、読者
としては何か安心できるように私には思われる。
しかし、完全に客観的であろうとする試みは、他のすべての小説家についてと
同様、フローベールの場合もやはり失敗に終わっている。完全に客観的であろうと
するのは、とうてい実現不可能なことだからである。もちろん、作者が自分では
何も語らないで、作中人物にそれぞれ自己を語らせ、可能な限り、その行動をそれぞれ
生まれ持った性質の必然の結果として描くのは、大いに結構なことであり、また作者が
ヒロインの魅力や悪役の悪心にわざわざ読者の注意をひいたり、説教めいたことを
言い出したり、その必要もないのに本題から離れて脇道へ入って行ったり、つまり、
作者自身が自分の物語の中で一役買って出るといったようなことをすると、話の
邪魔になりかねないことも確かであろう。
だが、それは方法上の問題にすぎず、この方法を用いてすぐれた作品を書いた小説家も
中にはいるくらいなので、たまたま現在流行おくれになったからと言って、小説作法
として別に悪い方法でも何でもない。しかし、この方法を避けて用いようとしない
作者であっても、その個性を作品の表面に現わさないというだけのことであって、
事実はどのような主題を選ぶか、どのような人物を作中人物に選ぶか、またどの
ような視点から人物描写を行うか、そういったことから否応なしに個性を明らかに
示してしまうものなのである。
小説のイロハについて今更教わるところなど何もないという方は退屈かもしれ
ませんが、上に抄出した文
>>604 は、小説がどのように書かれるかその骨子を端的に
説明しています。小説と一口に言ってもさまざまですから、これに当てはまらない
ものも当然あります。しかし、概ね人口にのぼる小説のイメージとしては、このような
作法と工夫の総体が小説だと言ってよいでしょう。
ここでは、小説=フィクションであることが前提になっていますが、こうした
前提が一般化したのは小説が広く普及してからのことです。それは、批評という
眼をもつもう一人の読者の誕生と無縁ではありません。
『源氏物語』 には、物語の書写に夢中になっている玉鬘(たまかずら)と侍女
たちを見て、源氏が、そんな作り話に騙されて嘘だと知っているくせによくそんな
鬱陶しいことをしているね、と嫌みをたれる場面があります。玉鬘も負けじと、
嘘をつき慣れいる人が作り話と受けとるのでしょう。わたしたちにはまことの話
としか思われませんわ、とやり返します。およそ千年前の物語のなかに、ふたつの
読者の態度がありありとみてとれるのは面白いですね。
今日多くの読書好きは、一時的に小説の虚構性を意識から遠ざけ、感情移入して
読むことと、表現の巧拙や作者の思惑などテクスト本体に注視して読むことのちがいを
心得ていると思います。でもたいていは前者の態度で読ませくれる小説を好むでしょう。
そして書き手のほうも、自分の作品を愛でるように読んでほしがったりしますが、
ご存知のとおり読みを専門とする人たちは、しばしば愛よりも鞭を好むでしょう。
小説が大量供給され、趣味の多様化や商業化が進むと、ほのぼのと小説を受容する
人々に向けて書き手はただ書きたいように書けばよいというわけにはゆかなくなり
ました。小説が文学として独立した地位をもちはじめると、作家たちはいかに作品を
現実に近づけるか、いかに実話らしくみせかけるか、という創意をめぐらすようになり、
そのリアリズムは最終的に 『ボヴァリー夫人』 に結実します。日本では、小説は
フィクションであるという前提そのものを覆し、私小説なる特殊な文学装置を
つくりあげるに至りました。
小説における客観性を常に保つことは、初心者には案外とむずかしいかもしれません。
単純に言えば、小説のなかに作者を出さないという技巧ですが、つい 「○○はこのとき
知るよしもなかった」 的な叙述のブレを犯してしまう場合もあるでしょう。
無論、純粋な客観の不可能は漱石の言
>>497 にもあり、あまり神経質にかまえる必要は
ないとはいえ、写実客観のスタイルそのものは不可能ではありません。内容によっては、
あからさまな作者の介入が連続すると、やはり不興を買うおそれもあります。
モームの述べているのは、叙述レベルの客観とは別に、作者自身が内部に抱えたもの、
また作者がさらされている時代や思想の圧力から小説は完全に自由ではいられない、
という解釈もできます。これはちょっと構造主義を窺わせるところがありますね。
以上、何か目新しいテクニックを期待していた方には肩透かしな雑文でした。(^^ゞ
お久しぶりです。
事実を脚色して、伏線を張り、敵味方中立の第三者を配し、ユーモアたっぷりの
落ちもしっかり付けておきながら、「みんな事実である。その証拠には小説になっ
ていないんでも分る」 と締め括られた『坑夫』 を思い出しました。「あとから考えた
心理状態の解剖」 は全編に亘り、これでもかというくらい私にとっては心理描写
のテキストにもなります。
>>608「感情移入して読むこと」 と「テクスト本体に注視
して読むこと」 を両立させてくれる点において、私にとっては
>>537「基本的(教科
書的)」 な小説と言えるかなと感じました。
…なんて、今期、十年以上親しんだ職場を志願して異動して、そこから地方に研修
名目で出向して、不況下不慣れな営業業務に携わっていますので、ちょっと気持ち
が煮詰まっていたところです。ほっとしました。
秋深したった一つの蒲公英に出逢いちいさき虻の運命に躊躇い
ではまたお時間取れましたらよろしくお願いします。
今日も1日おつかれさまでした おやすみなさい☆
じゃあ、もう一つ俺が基本を学んだ作品を教えよう
鴎外の「高瀬舟」だ
あの役人の目が凄い、つうか、役人の目から見た描写と
あの役人が自分は、、と思うところが深さにつながっている
いきなり混乱させてしまうことを怖れずに言うならば、小説は 「事実である」 こと
はできず、「事実である」 と書くことは、小説が小説でなくなることを意味します。
これは、私たちの眼前に散らばっている言葉 「その物」 と 「生の現実」 が
まったくの別物である点にかかっています。
「心臓破りの坂」 で実際に心臓が破裂したとは聞きませんし、「首を長くして待つ」
人の首が待ちすぎてろくろ首になったためしはありません。そんなのは物の喩えだ
とおっしゃるでしょう。比喩は、現実にはありえない物をそこに作り出しながら、
私たちに奇怪さよりも別種の実感を導き出させます。本来的な意味からは現実と
まったく照合しえない言葉であっても、テクストのなかで適材とみなされれば、
生の現実をいつでも超越しうるのが言葉の物としての特徴です。
小説が提供するのは、あくまで 「事実らしさ」 や 「現実らしさ」 の幻影に他なり
ません。さらに小説という世界は、作者という特権の手に握らています。筆つきの
ちょっとした加減で事実は容易に作者の印象に回収され歪曲されます。いかに誠実な
作者でもそれは避けられません。否、むしろ誠実であろうとする表現態度にこそ、
言葉の作為が強く表出されるのでした。
不断に読み手の頭から虚構性を失念させる言葉の詐術、特に三人称小説で顕著な、
作者の媒介性を隠蔽し現実の演色性を高める巧みな罠。まるで本当に生きている
かのように振る舞う人物。それはリアリズムが長年培ってきた技法であります。
そして、その罠に積極的に落ちることを約束して、異なる人生や異なる世界を
リアルに体験できると期待する読者たち。
ところが、そんなイチャついた相互関係にうんざりしたりよしとしない一群の
作家たちは、言葉 「その物」 の戯れを、いかがわしさを、不確実性をあえて知ら
しめるような小説、つまり前衛とか実験とかポストモダンとかそんな呼び名で
示される小説を著します。
臆面もなく、「事実である」 と小説に刻み込むこの言葉のいかがわしさ。
それはまた、漱石に創作のネタを売った男のいかがわしさにも差し向けられましょう。
これを文字通りの 「事実」 と受けとるとき、この一編は小説(虚構)にならなく
なる、という別の明らかな 「嘘」 を惹起させるこの言葉の戯れ。
読者への 「約束とか契(ちかい)とか云うものは自分の魂を自覚した人にはとても
出来ない話」(『坑夫』)として、『坑夫』 の結語はこの小説に相応しい皮肉と
ユーモアを含んでいますね。語り=騙りであることの自覚なしには書かれないでしょう。
もし実地に足尾銅山に取材して書かれたまじめな小説であったなら、件の結語は
蛇足と野暮でしかなく、胡散臭さと共に少なからず読者を白けさせると思います。
毎度TVドラマの最後に映し出されるあの、このドラマはフィクションであり……のごとく。
以上、tinaさんのレスに触発されてふと浮かんだことを書いてみました。
お久しぶりですね。お仕事がんばってください(^-^)
空高し虫の音絶えてもみじ流るる小さき庵に小さき灯を
小説の技術とは、まさに読者を操作することだろう?
前衛とかポストモダンには技術はないのか?
抗夫にはその技術の見本があると思うのだが?
読者を不安にさせ追い込んで行く、心理描写、情景描写
それが技術じゃないのか? 何をもって技術と言いたいの?
疑問なのか修辞疑問なのか判然としないものもありますけど
とりあえず質問として上から順に。
1)厳密に言えば、読者は操作できません(読みの多義性・主体性を奪うこと)。
技術は単に作者の美意識に奉仕するために用いられることもあれば、読書に不慣れ
な読者に奉仕するための技術もあるでしょう。演出の一目的を技術の本質に還元
するのは不穏当です。
2)当然技術はあります。
3)反小説的な技術の見本、という意味では、その結語こそが一撃必殺の技術(オチ)
ではなかったかと。先日のエッセイ。
4)それが有意の技術かどうか、「不安にさせ」 るという具体性のない主観的主張
だけではどうにも判断できません。
私は特に不安を催すところはありませんでした。
ぶっちゃけそれほど好きな作品ではないので(爆)
5)ごく簡単に一言で言ってしまえば、「作為」 です。
その作為のなかでも、とりわけ文芸的で意識的なテクストの書き方、表現手法の
いくつかをこのスレでは技術として紹介しています。